【娘たちのタイ紀行】(5)

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今日の試合の相手はオーストラリアである。オーストラリアにはこのチームの大半の子が昨年夏のオーストラリア合宿で行っているものの、当時は向こうの女子高チームや女子大生チーム、あるいは似たような年齢のクラブチームとだけ対戦しており、U18代表メンバーとの試合は経験していない。初対戦になった。
 
日本がここまでロシアに勝ち、フランス・スペインともあわやの接戦をしていることをオーストラリアも意識している。向こうは最初から本気で来た。
 
第1ピリオドから猛攻を掛けてくる。こんなに頑張って後で息切れしないかとよけいな心配をしたくなるほどの激しい攻撃であった。点数としては26-17と圧倒的である。
 
第2ピリオドになってもオーストラリアは主力組が頑張って日本を攻め、日本は防戦一方となった。結局20-10とダブルスコアである。前半合計で46-27.
 
第3ピリオドでは、さすがに主力組の疲れが出てくる。そこに日本は全力を注ぎ込む。それでこのピリオドは15-23と日本がリードする展開に持ち込めた。
 
しかしこれがオーストラリア選手に「やはり油断は禁物」という気持ちを強く抱かせたようである。向こうはもう体力の限界を超えているのだが、第4ピリオドでオーストラリアは、ファウルを使って短時間で選手をどんどん入れ替える作戦で各選手が2−3分に集中して点を取りに行く体制できた。それで日本を圧倒。日本も頑張ったものの26-17と大差を付けられた。
 
さすがに向こうはくたくただったようで、オーストラリアの主力選手たちがみんな試合終了のブザーが鳴った後、フロアで倒れてしばらく動けないようであった。
 
この試合は、後半だけ見ると41-40と良い勝負をしていたのだが、前半の得点差が効いて、日本はこの準々決勝を87-67で落としてしまった。
 

「あぁあ、今日は身体が調子良く動く気がしたのに」
「竜巻のおかげで、ここ環境よくなったみたいだったのにね」
「いや、環境が良くなったのは向こうにも良いように作用するから」
「そっかー!」
 

試合が終わってから会場を出た時、出入口の所のコンクリート製の車止めに何か緑色のものがくっついているのを見つけて、サクラが手に取る。
 
「カマキリ?」
「あ、なんか暴れてる」
「それ危ないよ。カマキリのカマって、人間の皮膚を傷つけるよ」
と彰恵が心配する。
 
「大丈夫。カマキリは捕まえ方があるんだよ。この部分を持てば、カマキリは反撃できない。噛まれたりもしない」
とサクラは言っている。
 
「それを知っているというのは凄い」
「子供の頃、近所の男の子たちと一緒にたくさん昆虫捕まえてたから」
「すごーい」
「なんかそういうの格好いいね」
「サクラ、さすが男の子だね」
などと言われて、サクラは得意そうである。
 
「でも灰色のコンクリートの上でも緑色のままだったね。カマキリって保護色で周囲の色に同化するのかと思ってた」
と早苗が言うが
 
「カマキリは変色しないよ。ただ元々緑色のカマキリと茶色のカマキリが存在する」
とサクラは答える。
 
「ああ、生まれつきなんだ」
「そうそう」
 
「でも逃がしてやるかな」
と言ってサクラはカマキリを草むらに放した。
 
「あ、飛んで逃げてく」
「あれ?もう着陸した」
「あ、また飛んだ」
「また着陸した!」
 
「カマキリは空を飛ぶの苦手だから。でも今は必死に逃げようとしてるんだろうね」
とサクラが言う。
 
千里は昨日のカマキリ大王様の移動を思い出していた。
 

「でもカマキリって、カマを切るって読んじゃいますよね」
と唐突に王子が言い出す。
 
「は?」
「つまりオカマさんを切る、と」
と王子。
 
「どこを切るの〜?」
と桂華。
 
「そりゃ、オカマさんが切る所っていったらあそこですよ」
と王子はわざわざ答える。
 
「君は発想がオヤジだ」
と百合絵が呆れて言っている。
 

「でもオカマって語源は何だっけ?」
と桂華がなぜか千里を向いて訊く!
 
「色々説があるよ。インドの愛欲の神カーマから来たという説。それなら英語のgayが楽しいという意味から乱れた愛という意味になって、同性愛を意味するようになっていった過程と似ているかも」
と千里は苦笑しながら解説する。
 
「なんか格調高い」
 
「女性のあそこをホトというけど、ホトって火山の火口の意味もあるでしょ。それで男性の場合は火口を表す別のことばでオカマと呼んだという説もある」
 
「類語な訳だ!」
 
「男性のズボンのチャックが開いてるのを社会の窓というから、女性のスカートのファスナーが開いているのを理科の窓というようなものか?」
 
「微妙に違う気もする」
 
「あそこをホトと言うの?」
「ネットにはしばしば『あー、なるほど』って書き込みがあるよね」
「うんうん。『あなる・ほと』というのを連想するように書かれている」
「あなるって何ですか?」
「肛門のこと!」
「そうなんだ!」
 
「正確にはanal(アナル)は『肛門の』という形容詞で、『肛門』という名詞はanus(アヌス)だけどね」
 
桂華が唐突に「天王星」といって笑っている。
 
「へ?」
「天王星は日本語式英語ではウラヌス(Uranus)と言っているけど、英語ではユーラヌスという感じの発音で、これが Your Anusと聞こえる」
「うーん・・・・」
「天王星って色々変な星だからね」
「横たくりになって自転しているし」
「へー」
「ちょうど産業革命の頃に発見されたから、占星術では改革の星、革命の星とみなされている。同性愛などの変則的な愛や性を表すという説もあるんだよ」
「へー!」
 
「その肛門から来たという説もある。肛門のことをその形から菊とも言うでしょ。この菊を表す隠語としてカケマという言葉が生まれた。これはカキクケコの中で、カとケの間にキクがあるから」
 
「なぞなぞか!?」
 
「それで江戸時代に女装して春を売る人のことをカケマ、あるいは濁ってカゲマと呼ぶようになった。それを省略してカマと言うようになった」
 
「いや、日本語って結構なぞなぞで出来てる。最近では死語だけど無賃乗車のことを薩摩守(さつまのかみ)とも言っていたけど、これは平清盛(たいらのきよもり)の弟の薩摩守平忠度(さつまのかみ・たいらのただのり)から来た語呂合わせ」
と早苗が言う。
 
「小鳥が遊ぶと書いてタカナシと読む苗字とかもなぞなぞだよね。鷹が居ないから小鳥が遊べる」
 
「本当にご飯を炊くお釜から来たという説もある。元々日本の鍋のふたって、落としぶた方式が主流だったらしいんだよね。ところが、お釜のふたってお釜本体より大きいから、単に乗せておくだけになって、釜本体の中には入り込まない。それで、中に入れることができない状態で単に接触しているだけなのをお釜とふたになぞらえて、オカマと呼んだという説もある」
 
「それ、むしろ男性同性愛より女性同性愛に似ている気がする」
と江美子が指摘する。
 
「まあ、本当の語源は誰にも分からない。みんな好きなように想像している。偉い大学の先生とかが言っている説でも、根拠は怪しいよ」
 
「言葉ってそんなものかもね〜」
 

この日(7月31日)の結果。
 
AUS 87-67 JPN / USA 82-78 CAN / RUS 67-46 CZE / ESP 92-47 LTU
 
これで明日の準決勝はオーストラリア対アメリカ、ロシア対スペインで争われることになった。日本は5-8位のクラシフィケーションに回ることになった。
 

この日、ホテルに戻って休んでいる時に天津子から電話がある。
 
「千里さん、私は今夜の便で帰ることにしましたから」
「お疲れ様!でも何とか解決して良かったね」
「千里さんのおかげで助かりました。また何かあったら貸してください」
「試合とか大事な予定が入ってない時なら、いいよ。それとあまり無免許運転しないようにね〜」
「大丈夫です。警察には見つからないようにしますから」
 
どうも開き直っているようだ。
 
ちなみにタイの運転免許は18歳以上で取れるが、実際には無免許運転者が多く田舎に行くと小学生で車を乗り回している人がいたりすると言う。なお日本の免許証所有者の場合、18歳以上で国際免許証が取得できる。国際免許証には実はジュネーブ条約とウィーン条約があるが、日本もタイもジュネーブ条約の加盟国なので、相互に国際免許証が有効である。
 
天津子はタイ滞在中は女子高生を主張していたっぽいが、実は高校生でも18歳になっていないと免許は取れない。実際には天津子は13歳の中学2年生である。おとなびて見えるので、女子大生だと言われても信じられてしまうことがある。
 
ちなみにこの時点ではまだ千里が知り合っていなかった青葉もおとなびて見えるが、天津子の大人びて見えるのが演出であるのに対して、青葉のは地である!
 

同日、大船渡。
 
青葉はこの日はお昼に彪志とサンシャイン公園のシンボルの所で待ち合わせ、まずは一緒に食事をした。
 
夏休みに入ってから青葉と彪志は何度もお昼ご飯を一緒に食べながらのデートをしている。食事代は彪志持ち(実際には彪志のお父さんからお金をもらっている)。実を言うと、夏休みの間は給食が無いので、未雨・青葉の姉妹はお昼御飯というものにありつけずにいるのである!しかし彪志とデートした日はお昼を食べることができていた(母は彼氏の所に入り浸りだし、未雨は友達や先生の家などで食べさせてもらったりしている模様)。
 
「昨日はありがとうね。助かったよ」
と青葉は彪志に言った。
 
「ああいうのこそ、男手が必要なものだよ。遠慮無く使っていいから」
と彪志は言う。
 
昨日とても自分ひとりでは片付けきれないと思った青葉は彪志を呼んだのである。彼が友人を更に2人連れてきて男3人で片付けてくれたが彼らは
 
「テレビのブラウン管が爆発してるのって初めて見た」
などと言っていた。
 
ガラスが多数突き刺さっているカーペットやカーテンなどもとりあえず廃棄した。廃棄物は祖父母の古い友人でもある££寺の川上法嶺の息子(川上法満)が軽トラを持ってきて、処分場まで運んでくれた。ついでに法満はお寺で余っていたテレビや蛍光灯などを持って来て接続もしてくれた。
 

「ありがとう。ガラス屋さんのお金出してもらったのは、近いうちに依頼主からお金が入るはずだから、それで払うから」
と青葉は言っている。
 
「了解。でも凄かったね。爆弾にでもやられたのかと思ったよ」
と彪志は言っていた。
 
「凄かった。私自身、しばらく動けなかった。昨日は12時間くらい眠った」
「無茶苦茶疲労していたみたいだったね」
 
ふたりは食事した後は、またサンシャイン公園や海岸などを散歩したり、ベンチなどに座ったりして、たくさんおしゃべりをしていた。青葉は男の子との付き合い方がよく分かっていなかったのだが、昨年末に嵐太郎と何度かデートしたおかげで、少しだけ分かるようになっていた。
 

夕方、一緒に彪志の家に行く。彪志の母・文月が
 
「いらっしゃい」
と言って青葉を歓迎し、紅茶を入れてくれる。それで彪志の父の帰宅を待ちながら少し話していたら、
 
「そうだ、青葉ちゃん、こんなの使わない?」
と言って文月が何かのチケットをくれた。
 
「ピアノ・レッスン券?」
 
「私の盛岡時代のお友達がこの春に大船渡に引っ越してきたのよ。それでピアノ教室を始めたのよね」
「へー」
 
「レッスン用の教室をプレハブなんだけど建てて、今月開講したんだけど、まだ始めたばかりで生徒さんがいなくて。これは1ヶ月分の無料レッスン券。彪志にレッスン行かせようかとも思ったけど、男の子に習わせても仕方無いしね。青葉ちゃんなら使わないかなあと思って」
 
この時点で、文月はまだ青葉が男の子であることを知らない(宗司は知っている)。
 
「え、でも私、ピアノとか弾かないし」
と青葉は言ったのだが、
 
「俺は弾かないけど、ピアノの弾ける女の子って素敵だなあ。青葉ちょっと練習してみない?」
と彪志が言う。
 
「そ、そう?じゃレッスン行ってみようかなあ」
と青葉も彪志に言われると、彼の理想の女の子になってあげないといけないかななどと思い、少しその気になる。
 
「あ、でも私、お小遣いとかないから、レッスン用のテキスト買えないよ」
と青葉が困ったように言うと
 
「あら、そのくらい私が買ってあげるよ」
と文月はニコニコ顔で言った。
 
青葉の家の困窮状態は文月も知っていて、この所青葉は「これお姉さんに」などと言って、文月からサンドイッチやおにぎりなどをもらっているので、おかげで未雨も餓死せずに済んでいる。
 
(父はもとより家に寄りつかないが、最近は母も数日自宅に戻ってこないことがある)
 

やがて宗司が帰宅する。
 
宗司はデスクワークをするのには問題無いのだが、足の状態が良くないので、自宅からお店までそんなに距離は無いものの車(Honda CR-V)で通勤している。彪志が出て行き、玄関から家の中まで入るのを手伝う。車自体は文月が車庫に入れる。
 
「お疲れ様でした」
青葉はただ見ていただけであったが、彪志の父に言った。
 
「やあ、青葉ちゃん、いらっしゃい」
と宗司は笑顔で言う。
 
宗司が帰って来たので、青葉はヒーリングを始める。居間にマットを敷き、宗司にズボンを脱いで横になってもらい、骨折箇所の所に手かざしするようにして、手を足と平行に動かす。
 
「一ノ関時代の友人で手かざしの治療しているおばちゃんがいたけど、あの人のより、青葉ちゃんのは効き目が強い気がするよ」
 
などと文月はそれを見ながら言っていた。
 
「私の師匠とかなら、もっと強い治療ができると思うんですが、師匠は奈良県の山の中に籠もっていて、めったに地上には降りてこないんですよ」
 
と青葉は言う。
 
「逆にこちらから、その先生の所には行けないのかしら?」
「あそこは登山家でも諦めるような険しい山道を登った先なので」
「そんな凄い所に籠もってるの!?」
 
「かなりの年だって言ってたね」
と彪志が言う。
 
「うん。もう30年くらい前から、『約100歳』と言っているという噂もあるし」
「ひゃー」
 

「そうだ。みんなに言っておかなくては」
と宗司は言った。
 
「俺転勤になるから」
「え〜!?」
「どこに?」
 
「八戸」
 
青葉はこの時期、顔の表情にロックを掛けていたので、無表情のままではあったものの、ショックを受けていた。
 
せっかく彪志と仲良くなれたのに・・・・。
 
すると彪志が青葉の気持ちを察したかのように言った。
 
「青葉、手紙書くから」
「うん」
 
と青葉は一瞬だけ笑顔になって言った。
 
「転勤っていつ?」
と文月が訊く。
 
「8月17日付け。だからお盆の最中に引越」
「なんて変な時期の転勤なの?」
「本当は4月に辞令が出るはずだったらしい。でも俺が入院していたので延期になっていたみたいなんだよ」
 
もし宗司が春に転勤していたら、青葉はそもそも彪志と知り合うこともなかっのであろう。
 
「じゃ青葉ちゃんの治療もあと半月かな」
と文月。
「それまでに少しでも良くなればいいのですが」
と青葉はできるだけ平静さを保って言った。
 

8月1日。バンコクで行われているU19世界選手権は、この日、11位決定戦、9位決定戦、5-8位クラシフィケーション(順位戦)と準決勝が行われる。
 
既に13-16位のクラシフィケーションと13,15位決定戦は27,28日に行われ、13位韓国 14位チュニジア 15位マリ 16位タイという順位が確定している。
 
9-12位クラシフィケーションは昨日行われ、フランスがアルゼンチンを下し、ブラジルが中国に勝っている。それでこの日は下記のようなスケジュールが組まれていた。
 
13:00 JPN-CAN(C.5-8) / ARG-CHN(11th)
15:15 CZE-LTU(C.5-8) / FRA-BRA(9th)
17:30 AUS-USA(semifinal)
19:45 RUS-ESP(semifinal)
 

千里たちは例によって朝から今日の対戦相手、カナダチームの情報分析を聞いた。
 
PG 5.ブラウン 10.ホワイト 14.グレイ
SG 7.アイミ 11.カイリ
SF 6.ミッチェル 9.ルッソ 12.マリー・クラーク
PF 4.ケイト・クラーク 8.カワスキー 13.ジャクソン 15.ベイカー
 
「ガードが5人ですか」
「あれ?センターが居ない?」
「パワーフォワードが実質センターの役割も果たしているみたいです」
と分析担当の谷浜さんが言う。
 
「このチームでとにかく凄いのが4番キャプテンの背番号を付けているケイト・クラーク。彼女はこの6月に高校を卒業して即WNBAに入っている。今大会で現時点でリバウンドがスペインのフェルナンデスに次いで2位、得点がアメリカのサミットに次いで2位。今大会の最強クラスの選手のひとりだと思う」
と片平コーチは説明する。
 
「クラークが2人いますね」
「姉妹なんだよ」
「へー!」
 
「お姉さんのケイトはパワー・フォワード、妹さんのマリーはスモールフォワードで登録されているけど、身長はどちらも190cm」
 
「じゃ性格の違いなんですね」
「そうそう。ケイトは近くから豪快に入れるのが好き。妹さんは遠くからでも入れるし、足が速い。実は中学生時代は陸上競技で全国大会にも行っているらしい」
 
「凄い」
「じゃ、陸上からバスケに転向したんですか?」
「というより、カナダの学校って、様々なスポーツをさせるんだよね」
 
「へー!」
「学校によっても違うけど、だいたい3ヶ月交代くらいで別のスポーツをする。だから各々の大会も各シーズンの終わり頃にある。1年中ひとつのスポーツをしている子は少ないんだよ」
 
「面白い制度ですね」
「春は陸上、秋はバレーボール、冬はバスケットボールなんて感じらしいよ」
「夏は?」
「水泳かも。だけど夏休みかも」
「微妙ですね」
 
「ラグビーとかはしないんですか?」
「ラグビーは秋じゃないかなあ」
「女子もやるんですかね?」
「女子ラグビーもあるにはあるけど、競技人口は少ないかもね。やはり女子は秋はバレーが多いかも」
 
「シンクロとか新体操とかは女子だけですかね」
「まあ男子の新体操やシンクロもあるけどね」
 
「ラグビーやりたい女子は男装して、シンクロやりたい男子は女装すれば」
「男装してラグビーはいいが、女装してシンクロは無理がある気がする」
 

「このクラーク姉妹以外で要注意なのが、シューティングガードのアイミ。この人はどんどんスリー撃ってくるから気をつけないと、大してやられてない気がするのに、いつのまにかたくさん点を取られている」
 
と片平コーチが脱線していた話を元に戻して言う。
 
「そういう選手の怖さは、ここではサンとリト以外、全員体験しているな」
と彰恵が言う。
 
「じゃアイミの担当はサンで」
と朋美が言う。千里も頷く。
 
「クラーク姉はレオだろうね」
「クラーク妹はキラだな」
 
「そのあたりはコートインしている選手の中で流動的に」
 

千里たちは午前中1時間ほど軽く汗を流してから11時に早めのお昼を食べ、12時半頃、会場に入った。
 
「5-8位のクラシフィケーションと言っても強い国ばかりだね」
と桂華が言う。
 
「カナダは無茶苦茶強い。リトアニアは昨年U18ヨーロッパ選手権の優勝国、そしてチェコは3位だった。今年も4位」
と彰恵。
 
「準決勝の方はアメリカ・ロシア・スペイン・オーストラリア。まあこの辺りはもう紙一重だよね」
と百合絵。
 
「取り敢えず今日はその無茶苦茶強いカナダ戦だ」
と江美子。
 
昨日カナダはアメリカに敗れて5-8位クラシフィケーションに回ったのだが、準々決勝でアメリカとやることになってしまったのは、運としかいいようがない。これは一時リークでスペインがアメリカに金星を挙げたのが回り回ってそうなってしまった。
 
「まあ勝敗考えずに思いっきり行こうよ。変な欲は出さずにさ」
とキャプテンの朋美が言う。
 
「昨日はあわよくばベスト4と思ってたけど、なんか吹っ切れたね」
などと早苗も言っている。
 

そして今日の日本の相手はカナダである。スターターはこのようになった。
 
CAN PG.ブラウン SG.アイミ SF.ミッチェル SF.マリー・クラーク PF.ケイト・クラーク
JPN PG.朋美 SG.千里 SF.玲央美 SF.彰恵 PF.江美子
 
日本はカナダ側のスターターを予測した上で、それとマッチングできそうなメンツを並べた。
 
ティップオフはケイト・クラークと玲央美で行うが、ケイトが勝ってマリーがボールを確保し、攻め上がってくる。各々自分のマークする選手のそばに寄るのだが、ケイトとマリが一瞬交錯するように走ったことで、玲央美と彰恵はスイッチせざるを得なくなった。
 
ボールは結果的にケイトが持っている。彰恵と対峙しながらボールをドリブルしている。
 
一瞬のフェイントを入れてから反対側を抜こうとする。彰恵が騙されずにそちらに手を伸ばす。
 
しかしその彰恵の手をものともせずそのまま制限エリアに突進。フォローに江美子が駆け寄るが、彼女は江美子が来る直前にシュートした。
 
入って2点。
 
試合はカナダの先攻で始まった。
 

「彰恵、手は大丈夫?」
と玲央美が心配する。
 
「平気平気。この程度の衝突は慣れてる」
と本人は言っている。
 

日本は適材適所を考えてマンツーマンで付いているのだが、カナダは複雑なコンビネーション・プレイでしばしば日本側のマーカーのスイッチを強制し、結果的にミスマッチを作り出しては、そこから攻めて行く。
 
監督は彰恵や江美子では無理と判断して、体格のよい王子と百合絵を投入した。
 
しかし、彼女たちでは今度はクラーク姉妹やミッチェルの高い技術力に付いていけない。うまいフェイントでやられてしまう。
 
結果的にこのピリオドは日本は防戦一方となり、25-8というとんでもないスコアになってしまった。
 

第2ピリオド、彰恵/渚紗/桂華/華香/サクラというメンツで出て行く。彰恵は今度はポイントガード役である。
 
彼女たちには、防御はあまり無理するなということと、攻撃ではできるだけ物理的な接触を避け、入っていけないようなら、遠くからでもシュートを狙えといったことを言った。
 
その結果、先のピリオドほど酷いことにはならなくなる。
 
しかしそれにしてもケイト・クラークの存在感は物凄い。
 
彼女は第1ピリオドに25点の内半分の12点をひとりで取ったのだが、このピリオドでもひとりで8点取り、20-15のスコアにした。
 
前半合計で45-23である。
 

第3ピリオド。
 
日本は江美子/千里/渚紗/玲央美/王子 というメンツで出て行く。
 
この相手には中に入って得点は無理と諦め、遠距離砲でどんどん攻めようという作戦であった。
 
この作戦はある程度うまく行った。スリーが撃てる選手が3人入っているというのは、カナダも防御のしようがない感じであった。
 
それでこのピリオドは14-21と日本が7点リードすることに成功する。
 
ここまでの総得点は59-44である。
 

第4ピリオド。
 
先のピリオドで日本がカナダを上回ったことから、相手は気合いを入れ直して出てきたようである。円陣を作って「Fight! Fight!」と言っていた。日本も同様に円陣を作って「頑張るぞ!逆転するぞ!」などと言って出て行く。
 
コートに出て行く時、玲央美は千里に言った。
 
「このピリオド、私はゲーム全体は見ないから」
 
千里は頷いた。
 
つまり玲央美はケイト・クラークだけを相手にするつもりなのである。
 
カナダがミッチェルのドリブルで攻め上がってくる。玲央美はピタリとケイトに付いている。カワスキーがスクリーンを仕掛ける。カワスキーに付いていた王子とのスイッチを狙ったものだが、玲央美は「通過!」と王子に声を掛けるとそのまま王子とカワスキーの狭い隙間を巧みに通過してケイトを追いかけた。
 
玲央美は体格は大きいものの、決して太ってはいないので出来る技である。
 
結果的に玲央美はまだケイトの前に居る。ケイトが玲央美の右を見る。
 
次の瞬間、本当に右に突っ込むが、玲央美は美しくボールをスティールした。
 
すぐに反対側に居る千里に送り、千里が朋美に送って朋美が速攻する。その朋美を千里が全力疾走して追い越す。
 
朋美から再度千里にパスが行く。俊足のマリー・クラークが千里の前に回り込むが、それより早く千里はスリーを撃った。
 
入って59-47.
 

この後も、玲央美は何があってもケイトを追いかけていった。ポイントガードのホワイトが逆サイドを使って攻めていても、玲央美はそちらを全く見ずにとにかくケイトを追いかける。
 
そしてケイトはそういう玲央美の姿勢に応えて積極的にホワイトにボールを寄越せと言っていた。
 
ケイトとしても、この相手は叩いておかないとやばいと考えたのだろう。
 

ふたりの対決は最初の1回こそ玲央美がケイトからスティールに成功したものの、その後はさすがにケイトも警戒して簡単にはボールを奪われない。しかし簡単には玲央美の防御を突破できない。
 
逆に日本が攻める時もケイトは玲央美をマークして、玲央美を停める。それでも玲央美は何度かケイトを抜いて、美しくゴールを決めた。
 
一方、玲央美と逆サイドでは千里が相手のシューティングガード・アイミと対決していた。
 
千里も第1ピリオドでは、まともに勝負ができなかったものの、このピリオドでは相手のコンビネーション・プレイに惑わされずにうまくアイミの攻撃を抑えていった。千里の場合、全体の選手の動きを把握して、相手が移動する場所を予測して回り込んでしまうので、結果的にアイミはこちらのトラップに引っかかった形になり、
 
「What!?」
とか
「Unbelievable!!」
 
などと声を挙げて、彼女が困惑する様子も何度か見られた。
 
結果的にこのピリオドでは、アイミは全くシュートが撃てなかった。一方千里はスリーを5本も放り込んだ。
 

やがて試合終了のブザーが鳴る。
 
最後にボールを持っていたマリー・クラークが遙か遠くのゴールに向かってボールを投げたものの、バックボードにも届かなかった。
 
整列する。
 
「74 to 67, Canada won」
と審判が告げる。
 
しかし勝ったカナダにも、負けた日本にも笑顔は無かった。
 
ケイト・クラークが厳しい顔で玲央美を見つめ、玲央美も見つめ返していたが、審判が寄ってくると、両者とも笑顔に切り替えた。ついでに握手した。
 
しかし第4ピリオドだけ見ると15-23である。
 
日本は後半を29-44と大きくリードしたが、前半に大差を付けられたのが効いてこの試合を落としてしまった。
 

「ねえ。この試合、あと少し頑張ったら勝てなかったかな?」
と百合絵が言うが
 
「無理」
と彰恵は言った。
 
「今日私たちは、カナダに勝てるなんて、ほとんど思っていなかった。無欲だったから、ここまで善戦したんだと思う」
と彰恵。
 
「同感。勝とうと思っていたら、もっと大敗していたと思う」
と江美子。
 
「じゃどっちみち勝てなかったのか」
「まあ勝てる相手じゃなかったね」
「ロシアに勝ったのはあくまで奇跡だから」
 
「思えばそのロシアに1勝しただけで、ここまで来れたんだから凄いね」
「普通に勝ったのはマリと中国だけで、あとはフランスもスペインも僅差だけど負けたからね」
 
「大会ではどこで勝つかが重要なんだよ」
と彰恵は言った。
 
「でも明日は勝とうよ」
と玲央美は言った。
 

この日の試合結果。
 
11位決定戦はアルゼンチン、9位決定戦はフランスが勝ち、9-12位の順位はこのようになった。
 
9位フランス 10位ブラジル 11位アルゼンチン 12位中国
 
もうひとつの5-8位のクラシフィケーションはチェコが勝った。この結果明日の5位決定戦はカナダ対チェコ、7位決定戦は日本とリトアニアで争われることになった。
 
準決勝は、USA 82-50 AUS / ESP 67-45 RUS
 
となり、決勝は再度スペインとアメリカで争われることになった。スペインは今大会ここまで全勝、アメリカはそのスペインに1つ負けただけである。当然アメリカはリベンジに燃えている。
 

この日、大阪の大阪市中央体育館でインターハイ女子準々決勝の4試合が行われた。愛知J学園が旭川N高校に勝ち、東京T高校が福岡C学園に、札幌P高校が大阪E女学院に、岐阜F女子校が愛媛Q女子校に勝って、各々準決勝に進出した。千里も試合結果を南野コーチからのメールで知り「残念でした。ウィンターカップに向けて頑張って下さい」というお返事を打っておいた。
 
実はこの南野コーチとのメールのやりとりは前の時間の中でも千里はしている。その時と全く同じ文面のメールが来たので千里は不思議な気分だった。ここで自分が前の時間の中で書いたのと違うお返事を書いたらどうなるんだろう?と思ったものの、そういうのは怖そうなので止めて、全く同じ文面のお返事をした。
 
そういうタイムパラドックスを起こすような行為をした場合どうなるかについては、千里の時間管理をしている《いんちゃん》も分からないと言っていた。少なくとも自分でも疑問に思うほどのパラドックスは起こさないように気をつけた方がいいと思うと《いんちゃん》は言った。
 
SFとかなら私の存在自体が歴史から抹消されちゃうよなぁと千里は思う。
 

「まあ後輩たちの勝負結果についてはお互い恨みっこなしということで」
と岐阜F女子校出身の彰恵が言っている。
 
そのF女子校に敗れたQ女子校出身の江美子が隣で苦笑している。
 
「準々決勝以降は強豪同士の潰し合いだからね」
「たまにシード権取れなかった所が下の方でぶつかる場合もあるけどね」
 
「今年は山形Y実業が3回戦で愛媛Q女子高に当たって消えてしまった」
「昨年Q女子校が3回戦で消えたからね」
「去年はどこと当たったんだっけ?」
「札幌P高校」
と江美子。
 
「一昨年、うちは道予選で負けてインターハイに出られなかったから昨年はノーシードだったんだよね」
と玲央美。
 
「ノーシードから優勝したのは偉い」
 
「でも一昨年、レオはインターハイに出られなかったからU19世界選手権に参加したんだよ」
「ああ」
「今年のきみちゃんみたいなものか」
 
「来年岡山E女子高がインターハイで優勝したりしてね」
「きみちゃん、来年はインターハイに出るんだっけ?」
 
「来年のアメリカで終業式が終わってから帰国する予定なんですよ。だからインターハイの出場権を後輩たちが取ってくれていたら、本戦に出るつもりです」
 
「それって熾烈なベンチ枠争いが」
「県大会が15人で出ていて、その内4人が脱落するわけか」
 
「いや、私より強い子が12人いたら、その子たちに出てもらいますよ」
「それはさすがに無理」
 

その日の夜。千里が寝ていると
 
「これ、これ」
と呼びかける声がある。
 
寝ぼけながら千里が目を覚ますと、目の前にゴキブリがいる。反射的に近くにあった新聞紙を取って叩こうとした。
 
「待って、待って。僕、お使いなんです」
とゴキブリが焦ったように言う。
 
「お使い?ごきぶり大王の?」
「いえ。テンダッカ大王様なんですけど」
「あぁ」
 
こないだ体育館の屋根に居た、天津子の言う所のカマキリ親分さんかと思い至る。でも大王様だったのか!
 
それで千里はそのゴキブリに付いて出て行く。しかしカマキリ大王のお使いがゴキブリなのか、と千里は考える。まあ確かに分類上は親戚だけどね。
 
(カマキリ・ゴキブリ・シロアリが同じ網翅目である。カマキリは以前はバッタやキリギリスなど(直翅目)の親戚と考えられていたが現在は近縁種ではないことが判明している)
 

千里はゴキブリに連れられて大きな湖のほとりに来た。千里は「俯瞰視点」からこの湖を眺めて、この湖の形自体が逆立ちしたカマキリの形をしていることに気づき、へ〜と思った。
 
(千里は自分の視点を自由に任意の場所に置く特殊能力を持っているものの、千里自身はそのことを特異なことだとは認識していない。ただし千里はこの力を試合中には使用しない)
 
大王様がここを追い出されたのは、天津子の話からすると、おそらく日本の明治時代後期か大正時代くらいなのではと考える。もっとも大王様にとっては、ほんの数日留守した感覚なのかも知れない気がする。
 
千里は頭の高さで合掌して大王に敬意を表した。
 
「先日は朕の帰宅に便宜を図ってくれて大儀であった」
「お役に立てまして幸いです」
 
「何か礼を取らせようと思ってな。バッタ1000匹とかではどうじゃ?」
「もったいのうでございますが、あいにく私はバッタは食べませんので」
「なんだ、そうか。美味しいのに」
 
「陛下、人間には人間のものを与えるのがよろしいかと」
と高官っぽいカマキリが言う。
 
「そうか。何かいいものがあるか?」
「先日の**小螂の件で、この者の手下の神官が燃やしていたものがなにやら大事なものそうでした。それを返してやるのはどうでしょう?」
 
どうもカマキリ様は天津子を千里の部下と思ったようである。
 
「ああ。**小螂の件では迷惑を掛けた。何を燃やしたのであったか?」
 
「これにございます」
と言ってカマキリの高官は、人間の臓器っぽいものを3つ並べた。千里はゲーっと思った。千里は血を見るのは平気だが、この手のものは見て気持ちいいものではない。
 
「こちらが肝臓、こちらが腸、こちらが男性器でございます」
 
見ると各々完全な形をしている。天津子は肝臓の一部、十二指腸、そして陰茎海綿体と睾丸と言っていた。しかし目の前にあるのは完全な形の肝臓、腸丸ごと、(小腸や大腸まである)そして完全な形の陰茎と陰嚢である。陰嚢の中にはおそらく睾丸も入っているのだろう。
 
どれも血がしたたっている!
 
まさか今誰かから切ってきたんじゃないよね!?
 
「どれが好みか?」
 
肝臓や腸よりは男性器の方がましかなあと思い、千里は
 
「それではその男性器を」
と答えた。どれも要らないとか言ったら怒り出しそうだ。
 
「ではちょっと加工してやろう」
 
と大王が言うと、職人のような者が出てきて、それを加工していた。
 
「できたぞ。そちにつかわす」
と言われて渡されたのは鈴である。
 
へー! 睾丸(+陰嚢)って鈴に似ているのでは、と先日サクラたちが言っていたが、本当に男性器を加工して鈴になるとは思わなかった。しかし陰茎はどこに行ったんだ!?
 
「ではありがたく頂きます」
 
と言って受け取る。
 
千里が振ると、結構良い音がした。
 
「それは元々の材料が活力の玉であったから、人間の生命エネルギーを活性化する効果がある」
 
「それは良いものをありがとうございます」
 
「ちなみに、肝臓からならラグビーボール、腸からならヴァイオリンができたのだが」
 
うーん。人間の腸で作られたヴァイオリンはあまり弾きたくない気がする。人間の肝臓で作ったラグビーボールも何だか怖い。やはりタマタマで作った鈴がいちばんマトモそうだ。
 
「じゃ、その肝臓と腸は元の人間の所に戻してこい」
などと大王様は大臣(?)に言っている。
 
ちょっと待て〜!!
 
しかし大王様は千里に向き直ると笑顔で言った。
 
「では、それを使える部下に授けられるがよかろう」
「ありがとうございました」
 

そこで千里は目が覚めた。
 
手の中に何か握っているので見ると、金色の鈴であった。
 
金玉で作ったから金色の鈴!?
 
こんな話をしたらサクラや王子が喜びそうだと千里は思った。
 
そしてベッドから起き上がると、窓のカーテンを開け、大王様の居るはずの湖の方角を見て、合掌し
「コップクンカー」
と言った。
 
しかし大王様は「使える部下に授けよ」と言った。確かに、私はこんなのもらっても使いこなせないよなあ。私、霊的な能力とか無いし、などと千里は考えていた。
 

千里が朝食の席でその金色の鈴を眺めていたら、彰恵が寄ってくる。
 
「なんかいい感じの音がするね」
と彰恵は言っている。男の子のタマタマが材料だなんてのは言わない方がいいなと千里は思う。
 
「この音を聞くと、活力が湧くらしいよ」
と千里は言った。
 
「おお、それはいい」
「試合に持って行ってベンチで鳴らそう」
 
そうか。そういう使い方もあるかと千里は思った。
 

2009年8月2日。
 
今日はU19女子バスケットボール世界選手権の最終日である。今日はこのようなスケジュールになっている。
 
11:15 JPN-LTU(7th)
13:30 CAN-CZE(5th)
15:45 AUS-RUS(3rd)
18:00 USA-ESP(Final)
20:30 表彰式・閉会式
 
一次リーグで敗退した4国は28日で日程が終了している。二次リーグで敗退した4国は昨日で日程が終了した。最終日まで試合があるのがベスト8の国に与えられた名誉である。
 
千里たちは朝御飯を食べた後少し休憩した後、会場入りした。
 
「負けても勝っても今日で終わり。思いっきり行こうよ」
とキャプテン朋美は言った。
 
「昨日は最初から諦めていたけど、今日は少しだけ勝てるかもくらいの気持ちで行こうか」
と玲央美。
 
「まあ今日の相手も充分強敵だから、やれるだけのことをやるだけだね」
と彰恵は言った。
 

朝食後、谷浜さんがまとめてくれていた資料を見ながら相手チームの分析をする。
 
「リトアニアは昨年のU18ヨーロッパ選手権の優勝国だが、今年のU18ヨーロッパでは準々決勝でスウェーデンに敗れ6位に終わっている。但しそのスウェーデンは今年の優勝国だった」
と片平コーチは背景的な説明をする。
 
「ここまでのリトアニアの試合を見ると、タイから89点取ったのを除けば、50-60点代のスコアが多いです。つまりこのチームはどんどん点を取るより、守って守って、守り抜くという志向のようです」
と谷浜さんが分析した内容を言う。
 
「ということは、中には簡単には入れてくれないと考えた方がいいですかね」
「です。オーストラリア戦やカナダ戦ではゾーンディフェンスも見せています」
「今日もゾーンで来る可能性ありますね」
「あると思います」
 
リトアニアチームの選手リストはこのようになっている。
 
PG 13.メイルティーテ 14.スクレンニーテ 15.クルレイビーテ
SF 11.シェイト 12.シュウナイテ
PF 7.ランカイテ 8.ソロカイテ 9.ベセライテ 10.クツカイテ
C 4.ジェーマンタウスカイテ 5.アンドリジャウスカイテ 6.バイツィウケビツィカイテ
 
「背番号はポジション別か」
「実際に4番のジェーマンタウスカイテがキャプテン。副キャプテンは8番を付けたソロカイテみたいだね」
 
「このチーム、シューティングガードが居ないんですか?」
「実際プレイを見ていても、そういう役割をしている選手はいませんでした。スモールフォワードのシェイト選手はわりと遠くからのシュートが得意なようですが、その彼女も近くに進入してのシュートの方が多いですね」
と谷浜さん。
 

全体的にスピードのある選手が多いということ、いちばん注意すべき人物はパワーフォワードのランカイテで身長183cmはパワーフォワードの中では最も背が低いが、スピードと瞬発力が凄い、といった話である。
 
「U18で昨年優勝して今年はダメだったということは、今年は戦力が少し落ちたとも考えられますよね。この中で19歳は誰々ですか?」
という質問が出る。
 
(今回U19に出てきている選手はつまり昨年のU18のチームが主体である。今年のU18はそのチームの中から、現在19歳の選手が抜け、代わりに何人か入ったものと思われる)
 
「ジェーマンタウスカカイテ、ランカイテ、ソロカイテ、シェイト、メイルティーテ。この5人が19歳です」
「要注意ということですね」
「特にジェーマンタウスカカイテ、ランカイテ、シェイトの3人が凄いんですよ」
 
そんな話をしている内に、例によって王子は眠ってしまう。
 
サクラが起こそうとしていたものの、その前に片平コーチが王子の所まで歩いてきて耳元で
 
「プリン、リバウンド!」
と叫ぶ。
 
「はいはいっ!」
と言って起きる。そしてキョロキョロして周囲を見回し、目の前に片平コーチがいることに気づく。
 

「そういう訳で高梁君の見解を聞きたいのだが」
と片平コーチが言う。
 
「あ、はい。ちゃんと分析していました」
「ほほぉ」
 
「まずですね、名前がカイテとかナイテとか、《アイテ》の音で終わっている選手が凄く多いです」
 
「まあそれはリトアニア人の名前の構造上仕方ない」
と高田コーチが言う。
 
「リトアニアもロシアなどと同じで男女で苗字の形が違うんでしたっけ?」
と彰恵が尋ねる。
 
「そうそう。リトアニアは男女で違うだけではなく、既婚女性と未婚女性でも違う」
と高田コーチが説明する。
 
「へー!」
「じゃ名刺もらっただけで未婚か既婚か分かる訳だ」
「女性はね」
「男性も未婚・既婚で分けましょうよ」
「それリトアニアの人に提案して」
 
「例えばランカイテ選手の場合、このカイテという終わり方が未婚女性を表すので、この人のお母さんはランキエネ、お父さんはランカスのはず」
と高田コーチ。
 
「なんか同じ苗字だということを認識できない変化ですね」
 
「男性形がジェーマンタウスカスなら、既婚女性形はジェーマンタウスキエネになって、未婚女性形はジェーマンタウスカイテになる」
 
「それでカイテさんが多いのか」
「そのくらい長い苗字なら、同じ苗字と認識できますね」
 

「例によって、性転換すると苗字も変わりますよね?」
 
「まあ変わるね。例えばガブリエル・セレイカスという男性が性転換してガブリエレと改名したら、未婚ならガブリエレ・セレイカイテ、既婚ならガブリエレ・セレイキエネになるね」
 
「既婚で性転換?」
と一部から声が出るが
 
「割とあるよー」
と千里が言う。
 
「その場合は夫婦とも、○○キエネになっちゃう訳ですか?」
「まあ、そういう夫婦はいるかもね」
 
「元々レスビアンの夫婦なら、どちらも○○キエネかもね」
「なるほどー!」
 

「でもこのチームに既婚女性は入ってないんですか?」
「アンダー19じゃ、みんな未婚でしょう」
 
「リトアニアにも若くして結婚する女の子はいるだろうけど、この年で主婦したり子供産んだりして、それでナショナルチームに入れるだけのレベルを維持している人は居ないと思う」
と玲央美が言う。
 
「うちのチームには18歳の既婚女性が1人いるなあ」
などと言って数人千里を見る。
 
「あ、エンゲージリング見せてもらった」
とか
「毎朝お弁当作っているらしいよ」
と言っている子もいる。
 
「そこまでしてない!」
 
貴司のお弁当を作っていたのは緋那だが、彼女はお弁当作りで疲れて一時撤退してしまった。
 
指輪は本当はエンゲージリングではなく、千里があくまでファッションリングとして受け取ったアクアマリンのプラチナリングである。アクアマリンは千里の誕生月・3月の誕生石である。
 
「それにまだ正式に籍は入れてないから」
と千里は焦りながら答える。
 
「でも既に子供がいるという説もある」
「いや、その子はまだ生まれてないので」
「まさか妊娠中?」
「いえ、まだ妊娠以前です」
「よく分からん」
 
先日の出羽行きでは、華香と王子にも京平を見せたが、江美子は過去に京平に会ったことがあるし、玲央美は初対面ではあっても話は聞いていた。
 

「リトアニアですけど、ひとりだけ名前の形が違う選手がいますね」
と江美子が言う。
 
江美子はここまでのリトアニア戦のボックススコアを眺めていたようである。
 
「うん。シェイト選手というのはたぶんドイツ系の選手だと思う」
と高田コーチは言う。
 
「ああ、あのあたり結構入り乱れてそうですね」
「今回のU19代表には出てきてないけど、今リトアニアのフル代表にはロシア系の苗字を持つコリトヴァという選手もいるよ」
 
と高田コーチは言った。
 
「そうだ。高梁君の分析を聞かねば」
と片平コーチは話を戻す。
 

王子は頭を掻いていたが、《王子流分析》を話す。
 
「まずポイントガードは、何とかイーテという名前です」
「なるほど」
「パワーフォワードは短い名前の人ばかりで、センターは長い名前の人ばかりです」
「ほほぉ」
「数えてみると、ポイントガードは全員7文字、パワーフォワードは全員5文字、センターは全員11文字以上です」
「カタカナで書いたのはあくまで便宜上のものなのだが」
「スモールフォワードはshの音で始まっています」
「凄い」
 
「きみちゃんは姓名占いでも始めた方がいいな」
「私霊感無いから無理ですよー」
 
「で、高梁君の見解として要注意選手は?」
「ランカイテです」
「ほほぉ!どうして?」
「ランというくらいだから、たくさん走りそうだし」
 
「英語かい!?」
 
片平コーチは笑って
「じゃ高梁君、そのランカイテの担当ね」
と言った。
「任せて下さい」
 
 
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【娘たちのタイ紀行】(5)