【娘たちのエンブリオ】(7)

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12月22日に、織絵たちのマンション選びに付き合った後、取り敢えず全員冬子のマンションに帰る。それで千里はバイクで帰ろうとするが
 
「凄いバイクに乗ってるね!」
と織絵・美来が驚いて言った。
 
「乗ってみるなら貸そうか?私電車で帰るし」
「いいの?」
「どこに返せばいい?」
「じゃ24日までにこのマンションのこの駐車枠に。たぶん25日に私またここに来るから」
「じゃ貸して!」
 
それで大型二輪免許を持っている織絵が運転し、美来が後ろに乗ってどこかに走って行った。千里のライダースーツごと貸したが、美来の分はどこかで調達すると行っていた。千里は恵比寿駅まで歩いて戻ると、成城石井で買物をしてから常総ラボに転送してもらった。
 
貴司はまだ練習しているようだったので、その間に前日仕込んでおいたフライドチキンを揚げる。ちょうど揚げ上がったころ、貴司は練習を終えて下に降りてきた。
 
「おいしそう」
「クリスマスケーキも買ってきたよ」
「ワインもあるね」
 
「ちょっと早めのクリスマス」
「うん」
 
それで料理を食卓に並べ、ワインを注いで乾杯する。
 
「メリークリスマス!」
それでキスしてお祝いをした。
 
「ちなみにセックスできないよね?」
「結婚している人とセックスなんてできません」
 
この会話はふたりのジャブのようなものである。
 
夕食の後は食べたものが落ち着いた頃からまた練習を始め、夜中まで0時頃まで続けた。千里はこの日はスペインでの練習を休んだ。
 

12月22日深夜。
 
池袋のマンション12階でガス爆発があった。爆発のあった部屋は偶然住人が外出していたため、怪我人は上の階に住んでいた24歳の会社員が全治2週間の怪我をしただけだったのだが、マンション自体がこの階で折れ曲がるという大事故となった。
 
このマンションが11月12日まで美来が住んでいたマンションであり、爆発があったのも美来が住んでいたのと同じ階の部屋であった。
 
12階の部屋には折れ曲がったことで大きく変形して家具が潰れる被害のあった所も多く、また13階以上の全ての部屋は傾いてしまい、危険なので立入禁止となる。下手すると隣のマンションにぶつかるかも知れないので、すみやかに解体するということになった。その隣のマンションでも多数窓ガラスが割れ、大きな被害が出ていたし、万一のことがあったらいけないというので、傾いたマンションの12階以上が解体されるまで立入禁止になったし、その間の道路を含めて半径50m以内が通行禁止になった。
 
不動産屋さんが代替の居住場所確保に奔走したが、正月目前に自宅に戻れなくなった2つのマンションの住人・数百人は怒る前に呆然としていた。なお、不動産会社では「一時的な引越先」とするのと、そのまま新しいマンションと今住んでいた所の等価交換との選択としたが、今より条件の良い所が多いので多くが等価交換を選択した。
 
しかしガス爆破でマンションが折れ曲がるというのは、設計ミスあるいは欠陥工事の疑いも濃厚である。
 
折れ曲がったマンションの13階以上の部屋からの大型家具の取り出しは困難で、賠償問題で大揉めになるのは必至の状況だった。
 

龍虎は12月21日の夕方新幹線+はくたかで富山に行き、ローズ+リリーのライブで《鈴割り》をした。22日は朝一番の飛行機(富山7:10-8:15羽田)で東京に戻り、午前中はテレビ局のクイズ番組の収録に参加した。
 
コスモスと一緒にテレビ局の食堂でお昼を食べていたら、ちょうど★★レコードの加藤課長が通りかかる。
 
「昨日も凄い反響だったみたいだね」
と加藤さんが言う。
「ありがとうございます。昨日はサインまで求められちゃいました」
「私が書いていいよと言ったので、書いて30人くらいに渡しました。記念すべきサイン第一号ですね」
とコスモスが言う。
 
「どんなサインにしたの?」
と加藤さんが言うので、色紙を出して書いてみせる。
 
「かっこいい!!」
と加藤さんは声をあげた。
 
AQUAのQの文字が大きく書かれ、まるで走っている人のように見えるサインである。
「アクアって漢字で書くと閼伽で、奈良の東大寺のお水取りでしょ?お水取りって、菩薩の修行の何億年もの時間を人間が少しでも追いつけるようにと走るんですよね。だからそのイメージで走る人というのを組み込んだんです」
 
「誰が考えたの?」
「実は夢に見たんです」
「へー!」
「夢の中で高岡の父が回廊のような所を走り回っていたんです。そしてお前も走れと言ったんですよ」
「お父さんはそれ本当に今修行中なのかもね」
「私もそう思いました。だからこのサインを書くことで私も走ります」
「うん。頑張ってね」
 
と言って加藤さんはコーヒーを飲み終わり行きかけて
 
「しまった」
と言った。
「何か?」
 
「言い忘れる所だった。それでさ、ローズ+リリーの公演の、12月30日東京、31日福島、1月1日札幌の公演にもアクアちゃん、鈴割り役で出てくれない?これたぶん29日の放送を見たら凄い反響が来ると思うんだよ」
 
龍虎はコスモスを見た。コスモスはスマホでアクアの現時点での日程を確認した上で
「今の所は空いていますが、アクアは2日の夕方以降の予定があるのですが。それと移動のチケットが取れるでしょうか?」
 
「1月1日午前中に福島から札幌に移動できる便、1月2日朝の新千歳→羽田便を、★★レコードのスタッフ用に確保していたものから2枚そちらに回す。団体予約で取っているはずだから、名前の後付けができると思うんだよ(*1).1日の札幌のホテルも2部屋そちらに回す。ただこれは狭い部屋になるかも知れない」
 
「それは全然問題ありません。では日程の予約を入れます」
 
と言って、コスモスはアクアのスケジュールwikiに書き込んでいた。
 
(*1)これはできなかった。詳細後述。
 

この日の午後から深夜まで『ときめき病院物語』の最初の撮影に臨んだ。
 
ここで西湖が出演者やスタッフ一同に紹介される。最初は2人とも学生服を着て並び、その後ふたりともセーラー服に着替えてきたのだが
 
「2人とも学生服を着たら男子中学生に見えてセーラー服を着たら女子中学生に見えるのが凄い」
「でもほんとに雰囲気が似てるね」
「背丈や体型もそっくり」
「よくこういう子を見つけた」
 
とみんな感心していた。
 
しかし「あまぎ・せいこ」とコスモスがみんなに紹介したので
 
「せいこちゃんって可愛い名前だね」
「それ芸名?本名?」
などと言われ、どうも西湖は女の子だと思われた感じがあった!
 
西湖は劇団で多数の舞台をこなしているだけあって、ひじょうに演技がうまかった。アクアも充分うまいので、2人とも全くNGを出さない。ふたりが出る場面は「アクア:佐斗志−西湖:友利恵」の配役と「アクア:友利恵−西湖:佐斗志」の両方を撮らねばならず倍の手間が掛かるのだが、ふたりがどちらも1発OKの演技をするので、みんなから感心されていた。
 
この日いちばんNGを出したのは主役の三崎さんで「申し訳無い」とたくさん謝っていた。鞍持さんが「僕も初めて主役をした時はNG連発したよ」と言って慰めていた。やはりプレッシャーが半端ないのであろう。
 

なお西湖は今回のボディダブルの仕事をするにあたって§§プロとC契約を結んだ。基本的には放送局その他との事務手続きや請求・入金などの業務を取り次ぐだけであり、名前も§§プロのホームページのアーティスト一覧には掲載されない。
 
研修生などが結んでいるB契約より簡易な契約である。マージンが少なく本人の取り分も多いが、交通費等の支給も無い。ただし西湖はドラマ撮影のためにPasmoを渡されたし、遅くなったらホテルなども取ってもらえることが多かった。また本来はB契約以上の子にしか発行しない§§プロの契約アーティスト証(写真入り)を渡された。
 

2014年12月23日(祝).
 
龍虎は熊谷市の文化ホール太陽ホールにやってきた。今日はバレエ教室の発表会で『白鳥の湖』を上演する。
 
アクアのテレビ番組初登場は12月29日の予定で、龍虎にとってはいわば最後の非芸能人としてのステージである。なお、TVデビュー後になるが、CDデビュー前の2月にコーラスの大会に出ることになっている。
 
龍虎は小学1年生の2月(正式には4月)からバレエ教室に通い始め、3年生までは群舞にだけ出ていたが4年生で『眠りの森の美女』の青い鳥を踊った。5年生で『くるみ割り人形』スペインの踊りの男側を踊る予定がアラビアの踊りの女側まで踊ることになる。そして昨年は同じくるみ割り人形の中国の踊りを踊るはずが、それだけでなくプリマが踊るべき金平糖の踊りまで踊ることになった。
 
そういう訳で龍虎は去年も一昨年も女の子が踊るべき踊りを代役で踊っていたのだが、今年は最初から『白鳥の湖』の主役オデットを踊ることになってしまった。クラシック・チュチュを着てトウシューズを履いての演技だが、チュチュを着ても男の子がスカートを穿いているようには見えないのが龍虎の凄い所ある。
 
但し1学年上の蓮花とのダブルキャストであり、龍虎はプロローグの白鳥に変身した後のオデット、2幕と4幕のオデットを龍虎が、3幕のオディール(黒鳥)を蓮花が踊ることにしている。但し2人とも全ての踊りを練習し、ひとりででも全部踊れるようにしている。オディールで大変なのはクライマックスで踊る32回のグラン・フェッテである。
 
龍虎はこれを9月頃から練習し始め、ようやく12月の頭頃に32回回れるようになった。蓮花は春から練習し始めたのだが、夏休み頃はまだ15回くらいしか回れないと言っていた。その後龍虎は芸能活動が忙しくなり、あまり話していなかったのだが、当然できるようになっているものと思っていた。
 
「え〜!?まだ29回しかできない!?」
「最高でね。安定して回れるのは25回」
「それはまた道が遠い気が」
 
先生が頭を抱えている。
「3幕と4幕を交替しようか」
と先生は提案する。
 
「仕方ないですね」
 
それで当日になって龍虎がオディール、蓮花が4幕のオデットを踊ることになってしまったのである。
 

プロローグ。
 
ロマンティックチュチュを着たオデット(蓮花)が湖で遊んでいる。そこにロットバルト(井村君)が現れ、誘惑する。しかしオデットが拒否するのでロットバルトはオデットに魔法を掛けてしまう。それでロマンティックチュチュの蓮花がロットバルトに手を引かれて岩の後ろに行くとそこを通過した時に手を引いていたのはクラシック・チュチュを着て頭には王冠を付けた龍虎であった。この早変わり風の2人1役は大いに観客が沸いていた。
 
第1幕。
 
ジークフリート王(佐藤)の成人式前日。沈んだ様子の王を道化(森村)と家庭教師(井村:二役 *1)が盛り上げようとし、多数の村人(白鳥役や3幕の舞踏会出席者と兼任)が入って来て、乱痴気騒ぎになる。この中で多数の村娘たちが踊る『ワルツ』は第1幕の見せ場である。しかしやがて母の皇太后(日出美)がやってきて騒ぎはお開きになる。皇太后はジークフリート王に弓矢を授け、明日からは(自分の摂政も終了して)1人前なのだからと諭す。白鳥が南から渡ってきたのを見て、王はそちらに向かう。
 
この幕にはオデットは登場しない。
 
(*1)家庭教師はしばしばロットバルトが兼任する。これが単に同じバレリーノが2つの役をこなしているだけなのか、あるいはロットバルトがパーティーに潜入しているという設定なのかは、意見が分かれる。
 

第2幕。
 
湖の場面。冒頭にジークフリートとオデットが出会った場面、グラン・アダジオがある。これを佐藤君と龍虎で演じる。
 
この衣装は結構バストが目立つ!
 
龍虎は実は生バストで演じているのだが、多くの人はパッドを入れているのだろうと思っている。それまでの龍虎の胸はAAサイズだったのに、先日12月5日に病院で改造!?されてしまいBカップになっている。ちなみに母は「とうとう我慢出来なくなって豊胸したか」と思っていたらしい。
 
この後30人ものクラシック・チュチュを着たバレリーナが登場し、群舞するシーン(第2幕の『ワルツ』)は圧巻である。これは主として小学3〜4年生の女の子たちが演じており、後ろの方には幼稚園や1〜2年生の子も混じっている。(実は一部チュチュを着けた幼稚園や1年生の男の子も混じっている)
 
そこから妃呂と唯花による「2羽の白鳥」になる。30人の白鳥たちは左右に分かれてそれを見守る。その後、白鳥たちをバックにジークフリートとオデット(佐藤君と龍虎)の踊りがあった上で、あまりにも有名な「四羽の白鳥」が踊られる。これは背丈が近い4人で演じられるもので今年は小4〜5年生の愛香・恵南・穂純・友音が踊った。
 
そのあとまた全体の踊りとなり、最後はジークフリートとオデットの踊りとなり『情景』で場面転換となる。
 

第3幕。
 
お城での舞踏会の場面である。最初に小学4年生6人による花嫁候補たちの踊り(パドシス)があり、その後、多様な地域の踊りが披露される。
 
スペインの踊り。山森君と唯花、高原君と詩織が各々ペアで踊る。
 
ナポリの踊り。中野君と妃呂で踊る。
 
ハンガリーの踊り。男女6人で踊るもので、今年は佐川君、中井君、恵南、茜音、遙鹿、睦姫。当初恵南を男装させて男女同数にする案もあったが、この踊りは偶数でさえあれば男女同数でなくてもいいので、最終的に恵南は女装でよいことになった。
 
マズルカ。男女合わせて8人の予定だったが最終的に12人になり、小学3〜4年生の子たちが踊った。この人数になると群舞に近い。
 

そしてこの後、黒鳥のオディール(龍虎)が登場してジークフリート(佐藤君)との『パドドゥ』となる。
 
この部分だけで本式では10分以上あるのだが、前半を省略して主としてオディールが1人で踊る部分を中心に4分ほどの踊りにまとめている。2幕でもの悲しげに情緒的にオデットを踊った時とは一転して、まるで体操選手でもあるかのように元気いっぱいに龍虎は踊る。黒鳥が踊っている間白鳥のオデット(蓮花)は窓の外で「その人違う!」と主張して窓を叩いているが王子は気付かない。
 
(オディールは踊りが大胆だから「おっぱいが大きいのとお股がスッキリしたフォルムなのがよく分かる」などと蓮花は言っていた。どこ見ていたんだ!?)
 
そして最後は32回のグランフェッテなのだが・・・・
 
龍虎はカウントを間違えて33回回っちゃった!
 
最後はオデットでないことにジークフリートが気付いて『情景』の音楽で場面転換である。
 

第4幕。
 
湖のシーン。30人の白鳥たちの群舞から始まる。とにかくこのバレエは群舞が美しい。やがてオデット(蓮花)が到着して悲しむオデットを他の白鳥たちが慰める。ロットバルト(井村君)が来て、オデットに自分の嫁になれと要求するがオデットは拒否する。ジークフリート(佐藤君)が来て、オデットに謝罪する。ふたりは和解し、再度愛を誓う。その愛を白鳥たちが祝福する。
 
ロットバルトはもはやオデットを自分のものにできなくなったことを悟り、オデットとジークフリートの愛の力に敗れて倒れ込んでしまうが、悔し紛れに湖を干上がらせる。オデットを含む白鳥たちが飛び立っていく。そしてジークフリートだけが残った所でロットバルトの命が尽きると、再度湖に変わるのでジークフリートは濁流に呑み込まれてしまう。
 
ここでこれまでずっとステージの下に敷いていた黒いシートを男子生徒たちで両端を持ちバッタバッタと動かすと、まるで本当に濁流が発生しているかのように見える。この演出に観客席から物凄いざわめきがおきた。そして佐藤君のジークフリートはこの濁流の中で1分間ほどもがいていたものの、その内力尽きて倒れてしまう(見えなくなるようにシートの下に潜り込む)。
 
しかしそこにオデットが来て濁流に飛び込み、王子を抱え上げて岸に上がるのである。この時、飛び込んだオデットは白いクラシック・チュチュを着て王冠を付けた龍虎だが、岸にあがったオデットはロマンティック・チュチュを着て王冠を付けていない蓮花である(王冠は魔法の印でもありオデットの人間としての生命が閉じ込められている)。
 
ふたりが仲良く階段を歩いて登る所で幕は降りる。
 

「なんか凄く解釈の余地の残るエンディングだよね」
「ロットバルトは死んだよね?」
「死んだと思う」
「最後のオデットとジークフリートが生きているのか死んでいるのかが微妙」
 
「そうそう。オデットがジークフリートを助け出して、魔法も解けてオデットは人間に戻ったとも解釈出来るし、オデットも濁流にのまれて死んで、ふたりは天国への階段を登っていったとも取れる」
 
「微妙だよね」
 
「これウィーン国立歌劇団バレエ(Wiener Staatsopernballett)のバージョンを少し改変したものらしい。濁流の表現もそこの方式。ウィーン国立バレエの物語ではジークフリートだけが死ぬ」
 
「それは酷い気がする。完全に悪の勝利か」
「いやロットバルトの思いは遂げられないからロットバルトも負けている」
「それが唯一の救いか」
 
「ラストをどうするかは先生たちの間でもかなり議論があったよね」
「最終的にこのパターンと決まったのはもう12月に入ってからだったし」
 

「でも龍ちゃん、アイドルになっても頑張ってね」
「ありがとう。みんなもドラゴンジュニアバレエフェスティバル頑張ってね」
「私何とか30回くらいは回れるようにならなくちゃ!」
と蓮花が言っている。
 
「30回じゃなくてちゃんと32回回らなきゃ」
「龍ちゃん1回多かった」
「あれ不確かになったから、足りないよりはと思ってもう1回回った」
 
「龍ちゃん、もうデビュー曲の制作とかは終わったの?」
「終わった。発売は3月4日。年末年始は忙しいからプレスにも時間が掛かるらしい」
「ああ。そうかもね」
「これCDのジャケ写。みんなにだけこっそり見せるね」
と言って、龍虎は自分のスマホに入れている写真を見せる。
 
「・・・・・」
「どうしたの?」
 
「なんでこんな男みたいな服装なのよ?」
「もっと可愛いドレスとか着れば良かったのに」
「だってボク男の子だし」
「それはありえない」
 
「龍ちゃんが女の子であることはみんな知っている」
「だいたい、おっぱいこんなに大きいし」
「お股にはどう見てもおちんちんなんか存在しないし」
「タマタマも既に手術して取ったんでしょ?」
「龍ちゃんはこの可愛い声が財産だから、声変わりしないようにタマタマは取ったと聞いた」
「戸籍も女の子に直したと私聞いたけど」
「3学期からは学校にもセーラー服で通うということらしいし」
 
なんか変な噂が広がってる??
 
「取り敢えず、女の子であるなら、ちゃんとスカート穿いて写真撮り直しなよ」
 
というみんなの意見に、龍虎はどう返事すべきか悩んだ。
 

12月23日(祝)は貴司は大阪に戻るので朝インプレッサで東京駅まで見送ってから足立区総合スポーツセンターに行く。ここで東京都クラブバスケットボール選手権大会の準決勝と決勝が行われる。
 
40 minutesは午前中の準決勝で多摩ちゃんずを破り、午後からの決勝でまたまた江戸娘と激突した。今回も予断を許さない激しい戦いになったのだが、最後は江戸娘が1点差で勝利した。それで40 minutesはまた準優勝で終わった。
 
この大会は2位までが関東クラブバスケットボール選手権に行ける(3−4位は“裏関”こと関東クラブバスケットボール選抜大会に出場する)。
 

ところで2014.12.23-28にはウィンターカップが行われた。旭川N高校は北海道予選で札幌P高校と延長戦にもつれる死闘の末、1点差で負けてしまい、今年は出場を逃した。しかし有志が10人と引率で宇田先生・南野コーチがウィンターカップ見学のため東京に出てきた。
 
旭川N高校女子バスケ部東京OG会副会長を自称(会長は誰だ?)する暢子があちこちに声を掛けて千里も含めて12人のOGを掻き集めた。暢子や千里など40 minutes組はクラブ選手権の後、打ち上げをパスさせてもらい、彼女たちが泊まっているホテルに行き、一緒に夕食を取った。
 
「でもあんなにいい試合を見たのに練習出来ないのが辛い」
などと言っている。
「だったら体育館を予約しようよ」
と暢子は言い、あちこち電話を掛けまくったら、横浜市内の体育館が25-26日の午後空いていることが分かり、取り敢えずそこを抑えた。
 
他にも電話を掛けまくっていたが、年末だけあって、どこも空いてないようである。
 
「じゃ今日明日は練習無しか」
「せっかくOGが12人も集まっているのに」
という声が出ている。
 
「みんな女装する?」
と千里は言った。
「は?」
「常総市まで行けば私が管理している体育館があるんだけど」
「去年行った所ですね!」
と福井英美が言う。
「そうそう」
 
「でもどうやって移動しましょうか?」
「マイクロバスを借りよう」
 

それで千里はレンタカー屋さんに電話してトヨタ・コースター29人乗りを借りた。みんな着換えなどを持ち、レンタカー屋さんまで歩いて行く。千里が大型がセットされている免許証を見せ、“例のカード”で決済して借り出す。
 
「みんな乗って乗って」
と言って、旭川からの遠征組12人とOG12人が乗り込んだ。
 
そして《こうちゃん》の運転で常総ラボまで行った。
 
「新宿から1時間で来たね」
「うん。明日は9時からの試合を見るなら、まあ余裕持って7時すぎに出れば問題無いね」
 
それでこの日はOGと現役の対戦などで3時間ほど練習をした。
 
「ここ結構暖かいですね」
「床暖房を入れているからね」
「すごーい」
 
練習の後はシャワーを浴びたいのだが、元々多数の人が利用する前提になっていない施設なので、シャワーは1階のシャワールームに2つと宿直室(千里と貴司の居室)に1つの合計3つしか無い。それで23時過ぎから3人ずつ練習から上がってシャワーを浴びて着換えることにした。体力のあまり無い雪子は最初に上がらせて、シャワーの後、ハイゼットで買い出しに行ってもらった。
 
肉まん、ハンバーガー、チキン、ピザなどをたくさん買ってきてもらったのだが5分で無くなった!
 
シャワーは5分単位で3人ずつあがっていき、40分で全員シャワーを浴びることができた。宇田先生は最後にあがったが、宿直室のシャワーを使ってもらい、そのままそこで寝てもらう。他の23人の女子は10畳の休憩室2つに入って寝た。完璧な定員オーバーなので、かなり混沌とした状態になった。毛布と布団は全部で30組あったので15組ずつ入れたのだが、夜中はかなり奪い合いになったようである(エアコンと床暖房は入っている)。
 
結局ホテルも横浜の体育館もキャンセルすることにして、ウィンターカップが終わるまで常総ラボでみっちり鍛えることになった。
 
24日は朝7時半近くにこちらを出発して9時前に東京体育館に入り、15時頃試合が終わると常総に移動して夜遅くまで練習をした。この日はクリスマスイブなので、全員にショートケーキを配り、シャンメリーで乾杯した。川南・夏恋・雪子の3人で大量のチキンを揚げてくれたのだが、これもあっという間に消費された。
 

12月25日は送迎を千里に擬態した《こうちゃん》に任せ、千里本人は朝から★★レコードに行って、打ち合わせをした。帰ろうとしていたら氷川さんから呼び止められ、一緒に冬子のマンションに行くことになる。氷川さんは特に冬子たちに用事があった訳ではない感じだったが、お昼を食べながら色々なアーティストのことで意見を交換した。AYAのゆみの歌唱力が今年休養していた間に上昇しているという話も出て、マリの歌唱力もデビュー以来本当に上がったという話も出た。
 
その内冬子は政子に「おやつ買っておいでよ」と言って外出させてから、おもむろに千里と氷川さんに訊いた。
 
「私、こないだから正直に答えてくれそうな人に訊きたいと思ってたことがあるんだ」
 
「何?」
 
「マリはデビューした当初から物凄く歌がうまくなった。私はそれをずっと一緒にいて、しっかりと感じていたんだけど、私自身はどうなんだろうと思って」
と冬子は言う。
 
「冬は歌、うまいよ」
 
「でも私は本当に上手くなっているんだろうか。それとも劣化していたりしないだろうかって、突然不安になったんだ。みんな私は歌がうまい、うまいと褒めてくれるけどさ」
 

千里も氷川さんも考え込んだ。氷川さんは言った。
 
「ケイさん、松原珠妃が目標だって言っておられましたね」
「ええ」
 
「2008年にデビューなさった時、松原珠妃とケイちゃんの距離が1万kmあったとしたら、今は5000kmくらいだと思います」
と氷川さんは言う。
 
「まだ、半分かぁ」
 
千里は目を開けてから冬子に言った。
 
「レオナルド・ダ・ビンチと、パブロ・ピカソのどちらが優秀な画家かって議論できると思う?」
 
「それはどちらも凄すぎて比較できるものではないと思う」
 
「優秀な芸術家はね。優劣で言えるものではないんだよ。そこには個性があるだけなんだ」
と千里は言った。
 
「つまり自分の道を究めろということか」
「松原珠妃の後を追っていたら、冬、単に彼女のフォロワーにしかなれないよ」
 
冬子は目を瞑って深く考えているようだった。
 

午後にはこれまではほぼペーパーカンパニーだったがΦωνοτον(XANFUSに改名予定)を迎えることでオフィスを持つことになった@@エンタテーメントの事務所開きに行った。結局冬子のフィールダーに氷川さんと千里・政子が乗ってそちらに向かう。
 
@@エンタテーメントの社長にはやっと日本に戻ってきた、元&&エージェンシー社長の斉藤邦明氏。デスク(現時点では唯一の社員)には結婚から出戻りしてきた白浜藍子が就任した。
 
男性が少ないので1斗ではなく1升サイズのミニ樽で鏡開きをした後「餅撒き」と称して実際には手渡しで“お餅”を配った。政子が「1個だけ?」などというので、みんな「餅だけならあげる」と言って、“現金”を抜いて餅を渡していた。
 
「お金が入っていたの!?」
と言って政子は驚いていたが、たくさん餅をもらって「豊作豊作」と喜んでいた。
 
事務所開きが終わった後は、氷川さんは直接会社に帰るので、フィールダーに冬子・政子・千里・美来・織絵が乗って冬子のマンションに戻った。
 
「千里さん、バイクありがとう。すっごく気持ち良かったよ」
「どこか行ってきた?」
「青森まで往復してこようかと思ったんだけど、雪が降るという話だったから、高松まで往復して讃岐うどん食べて来た」
「よく1日で高松まで往復出来たね!」
「あの子、すっごいパワーなんだもん。坂道も楽々だったし。年末近くで結構渋滞している所もスイスイ進むから面白かった」
「まあそれがバイクの良さだよね」
 
「でも池袋のマンションはびっくりした」
「早めに出ていて良かったねぇ!」
「あれ美来たちも補償金もらえるの?」
 
「朝道社長が買い取っていたから、&&エージェンシーがお見舞い金をもらったらしい。年末の資金繰りの苦しい時に助かったと言っていた。あと代替のマンションとして十条にマンションを1つもらったけど、そこを∞∞プロの歌手さんがキャッシュで買ってくれることになって、おかげで3000万ほど資金が確保できたらしい」
 
「それは良かった。でも3000万キャッシュで払うって、結構売れている人?」
「そのあたり詳しいことは聞いてない」
 
千里はこの日、美来たちから返却されたKawasaki ZZR-1400で冬子のマンションから帰った。
 

織絵たちは12月中に退去しなければいけない国立市のマンションから錦糸町のマンションへの引越をどうしようかと思っていると言った。それで千里は
 
「私の知り合いの便利屋さんがやってくれるよ。こんなに押し迫ってだから料金少し高いと思うけど」
と言った。それで織絵はそこに頼むと言った。
 
料金は30万円ということにした。
 
それで翌日12月26日に《こうちゃん》《りくちゃん》《げんちゃん》《せいちゃん》《びゃくちゃん》の5人に行ってもらった。《びゃくちゃん》を入れたのは、一応女性の部屋の引越なので、女性を入れておかないとまずいだろうという考えである。
 
彼らは4トントラックを借りて来て、国立市のマンションの荷物を1時間で積み込み、《こうちゃん》が錦糸町まで運転して行き2時間で23階の部屋まで運び込み、テレビの配線などもしてくれた。
 
「すごーい。手際いい!」
と織絵たちは感激していた。
 
「レンタルボックスに入っている荷物も持ってきますか?」
「だったらあの荷物はこの部屋に」
と言われた部屋に5人で荷物を運んできたが、入りそうにない。それで《びゃくちゃん》は言った。
 
「よろしかったら追加料金10万円でこの荷物の整理をしましょうか?」
「ほんと?助かるかも」
 
ということで、その後、その日の夕方まで掛けて、更には翌日27日も朝から晩まで掛けて、レンタルボックス3つにぎゅうぎゅうに入っていた荷物がきれいに整理された。この作業は《りくちゃん》《げんちゃん》は帰して、代わりに《いんちゃん》《てんちゃん》が入った。
 
「あれ?男女比が変わっている?」
「ああ。性転換しましたから」
「嘘!?」
 
7割がゴミだったが、《こうちゃん》たちはちゃんと燃やすゴミ・燃やさないゴミ・資源ゴミなどに分別した。ゴミはトラックに積み込み処分場に持って行った。それ以外は洗濯すべき衣類が多く《わっちゃん》が呼び出されてコインランドリーに持って行きひたすら洗濯した。
 
「ほんとに助かりました。ありがとうございます」
と言われて、料金以外にお酒もたくさんもらって彼らは帰ってきたが、そのお酒って、ケイのマンションにあったものでは?と千里は思った。
 

旭川N高校遠征組は28日の決勝戦(12:00-13:40)、その後の表彰式を見てから帰途に就く。夜行急行《はまなす》を使用する。
 
東京18:20-21:37新青森22:02-22:08青森22:18- 12/29 6:07札幌6:51-8:16旭川
 
彼女たちを見送って迎撃したOG組は夕食を一緒に取ってから解散した。この時暢子が言った。
 
「千里、年末年始は北海道に帰省する?」
「ううん。仕事がたくさんあるから」
「そっか。実は今年は車を何人かで交替して運転して帰ろうかと思ってさ」
「へー。誰の車を使うの?」
「私の」
「暢子、車を買ったんだ?」
「10万円のフリードスパイク」
「10万円って凄いね!」
「今一緒に乗ろうと言っているのは雪子だけ。でもあの子あまり体力が無いから体力のありそうなメンツが欲しい」
「なるほどー」
「でも千里がダメなら誰を誘おうかなあ」
 

12月29日に放送された『性転の伝説Special』は物凄い反響を呼び、1日にしてアクアはスターになってしまった。
 
ネットでの暴走が止まらない。
 
女の子たちの書き込み
「こんな可愛いアクア様に全てを献げたい」
「アクア様のお嫁さんになりたい。ダメならアクア様をお嫁さんにしたい」
「アクア様の奴隷になりたい」
 
「でも本当におちんちん付いてるの?」
「こんな可愛いアクア様にちんちんなんかある訳無い」
「アクア様のお股はきっと天使のように何も無いのよ」
 
男の子たちの書き込み
「可愛い!これだけ可愛ければもう男でも構わん。俺の嫁にしたい」
「これ絶対男の子だっての嘘だろ?だって俺立ったぞ」
「ドラマでは院長の娘役ということでいいじゃん」
「アクアちゃんに童貞を捧げたい」
 
「アクアちゃんのズボンを脱がせて**を**してあげたい」
「アクアちゃんを拉致して女の子に改造したい。ダメなら俺が女に性転換してアクアちゃんに抱いてもらいたい」
 
あっという間にアクアの個人情報が流出する。それで本名が田代龍虎という13歳の“間違い無く”男子中学生であることが知れ、学生服を着た写真が流出する。
 
「本名が格好いい!」
「本当に龍虎なの?龍子の間違いで実は女の子ということは?」
「学生服の写真凜々しい。でも脳内でセーラー服姿に変換するよ」
「これ実は学生服コスプレの写真じゃないの?」
「アクア様は学生服なんか着ちゃダメ。可愛いセーラー服を着るべきよ」
「アクア様にはせめてスカートを穿いて欲しい」
「アクア様には毎日可愛い服を着ていて欲しい」
 
§§プロにはアクアが王子様のような衣装を着けている写真ほかハワイで撮ったスナップが多数掲載され、写真集とビデオの発売予定も掲載された。それで予約が殺到する。
 
誕生日が2001年8月20日であることと、身長155cm 体重35kg B82-W55-H84というボディサイズも掲載された。
 
「35kg? W55? 小柄な女の子アイドルって感じだ」
「ウェスト無茶苦茶くびれてない?」
「やはり女の子なのでは?」
 
なお「手作り」の衣服やお菓子・料理などを贈られても申し訳無いが安全のため全部廃棄させてもらうことが、大きな字で書かれていた。それでお店からの直送で多数のお菓子などと共に、女性用の服も大量に送られてくることになる。
 

12月29日。高岡の青葉の家で小さな“事件”が発生した。
 
玄関によれた巫女服を着て、髪の長い、70歳くらいに見える巫女さんが来て、よく分からないことを言っていると朋子が言う。それで青葉が出て行くと巫女さんは言った。
 
「あんた凄いね。***様をきれいに引っ越しさせた」
 
「あの神社の方ですか? すみません。連絡先が分からなかったので、勝手にお邪魔して移転させてしまいました」
と青葉。
 
「***様は安寧に納まっておられる」
「そうですか。それは良かった」
「なんか望みがあったらかなえてやるぞ」
「えーっと、特に何もないけどなあ・・・」
 
と青葉が言っていたら、横から朋子がこんなことを言った。
 
「祈願とかしてくださるのなら、この子の姉がまだ就職先が決まらないのをいい就職先が見付かりましたら」
 
「分かった。それは何とかしよう」
 
それで巫女さんの姿はすっと消えてしまった。
 
朋子が目をぱちくりさせた。
 
「あの巫女さん、どこ行ったんだっけ?」
「うーん。まああるべき場所に帰ったんじゃないかなあ」
と青葉は答えた。
 

その翌日12月30日の午前中、千里は“やっと”ファミレスを退職することができた。ぜひどこかの店の店長にという副社長直々の話を何とか断って退職したが、物凄い金額の退職金を頂いた。
 
正社員でもないのに!
 
しかし何とか退職出来たので、ホッとして久しぶりに大学に出てきて院生室に行きお茶を飲んでいたら髪は乱れ服も超適当な格好で性別も曖昧な感じの先輩、田代さんが入って来た。
 
「明けましておめでとう」
と彼女(性転換手術でも受けたというのでなければ多分女性だろう)は言う。
 
「まだ年は明けてないですけど」
「そうだっけ? 最近暦が全然分からなくて」
「博士論文のプレゼン計画はできました?」
「その論文をまだ書いている最中」
「嘘!?」
 
「村山さんは博士課程に行くんだっけ?」
「いえ。どこかに就職しようと」
「どこかにって、まだ就職先決まってないの?」
「ええ。今の所40連敗で」
と適当に言っておく。実際は何もしてない。
 
「あり得ない!」
と言ってから、彼女は唐突に何か思いついたようで
 
「だったらさ、ここ行ってみない?誰かいい人いません?って頼まれていたんだよ」
と、都内のソフトハウスを紹介してくれたのである。
 

就職する気など毛頭無いのだが、紹介された以上顔を出さない訳にはいかない。それで不本意ながら二子玉川駅近くのJソフトウェアという会社に行ってみた。面接で断られるようにわざわざ履歴書に「2012年10月性別の取扱い変更認可」というのを書いている。これで普通は、まず落とされるはず、と千里は思った。
 
ところが専務さんは千里が全然元男には見えないので驚いたようである。
 
「あんた、そんな風には見えないのに」
「そうですね。女みたいな男だと20年言われ続けて、何とか女になりましたけど、今度は男だった女と言われるようになったので、なかなか大変です」
 
「あんた苦労してるね」
と専務さんは言った。そして更に専務は言う。
 
「あなたの場合、女にしか見えないから、その問題は気にしなくていいと思う」
 
嘘!?
 
「あなた資格も色々持ってるね」
「そうですね。取れる機会のあるものを取っていたから」
 
「じゃ君、取り敢えず仮採用」
 
え〜〜〜〜!?
 
「試用期間3ヶ月で問題なければ本採用ね」
「ありがとうございます」
と千里は返事をしつつ焦っていた。
 
だって、私プログラムなんか組めないのに!?
 
それが2014年12月30日の13時頃のことである。この日は朝9:45から夕方19:55までボイドの真っ最中であった。
 

千里はJソフトを出た後、自分の母(津気子)と桃香の母(朋子)に就職先が決まったのを連絡した。津気子は「良かったねぇ」と言い、保証人の判子がもらえないかというと自分が押すし、もう1人は美輪子に頼めると思うということだったので、北海道まで行ってくることにする。しかし当然飛行機も新幹線も予約はいっぱいである。
 
千里は少し考えてから暢子に電話した。
「例の車をあいのりして北海道まで行くというやつ、定員埋まった?」
「もしかして千里も行く?」
「まだ空いてたら」
「歓迎!というか助かる。橘花を引き込んだんだけど、雪子はやはり体力無いからあまり運転させたくないんだよ。千里が入ってくれたら、私と橘花と千里の3人で回せるから凄く楽になる」
「じゃ私も混ぜて」
「OKOK」
 
それで千里は暢子たちと一緒に北海道まで往復することにしたのである。
 

暢子たちは今晩0時に池袋のサンシャインで待ち合わせるということだった。サンシャインの駐車場に車は駐めておいて、全員集合してから出るのである。
 
それで北海道への交通手段が確保出来たので、千里は《きーちゃん》を分離して彼女には新国立劇場に行ってもらい、自分は葛西に戻って少し仮眠した。
 
14時頃、桃香から電話がある。
 
「千里今年は年末年始どうするの?」
「北海道に行ってくる。実は就職先が決まったから、保証人の判子もらいに行ってくるんだよ」
「おお、それはおめでとう!よかったね。北海道には飛行機?」
「急に決まったから飛行機も新幹線も満杯。だから友だちの車に同乗して帰る」
「なるほどー。実は私も高岡に帰ろうと思ったら高速バスが満席でさ」
 
新幹線とか飛行機という発想が無いのが桃香だよなと思った。もっともどちらも満席のはずである。
 
「もしよかったら千里のミラを貸してくんない?」
「いいよ」
「いつもの駐車場にある?」
 
あれは今常総にあるなと思う。
 
「今ミラに乗って外に出てるんだよ。そちらに持って行く」
「すまん」
 

それで千里は《くうちゃん》にミラを千葉市内に転送してもらい、千里自身もそこに転送してもらってから、桃香のアパートまで運転して行った。
 
「でも千里の会社ってどこ?」
「二子玉川なんだよ」
「じゃどこに住む?」
「まだなーんにも考えてない。桃香の会社はお茶の水だったっけ?」
「新御茶ノ水の方かな。何線に乗るかによる。新宿線なら小川町、丸ノ内線なら淡路町駅、千代田線なら新御茶ノ水」
 
「じゃどっちみちこのアパートは出た方がいいよね?」
「千葉から通えば時間も掛かるしお金も掛かる」
「桃香、お寝坊さんだから遅刻しないようにもっと近くに引っ越した方がいいと思う」
「ただ、東京に住むと遠くなっちゃうんだけど」
「ああ。季里子ちゃんちからか」
「うん」
 
2人は3時間くらい掛けて、地図にあれこれ記入しながら検討した。
 
「桃香、いっそ季里子ちゃんちに一緒に住んだら?今でも半同棲状態でしょ?朝はきっと季里子ちゃんのお母さんが起こしてくれるよ」
 
「それだと私は浮気して1ヶ月で叩き出される気がする」
「浮気しなきゃいいじゃん」
「それは私には無理というものだ」
「完全にビョーキだね」
 
最初は桃香は東京に引っ越しても千里と一緒に住みたいと言ったのだが、それでは桃香が頻繁に女の子を連れ込んで、自分が寝られないと千里は主張した。それで実際この2年くらいは、千里はあまり千葉のアパートで寝ていないのである。それで出てきた次善の策というのが、桃香と千里が“近く”に住むというものであった。実際桃香は千里がいないと絶対遅刻するし朝晩の御飯に困ると言う。
 
「モーニングコールサービス契約して家政婦雇えば?」
「そんな金は無い」
 
あれこれ検討して出てきた案が、小田急小田原線・経堂駅の南側に桃香が住み、千里が東急田園都市線・用賀駅の北側に住むというものである。両駅は直線距離で2.7kmしか離れておらず、何かの時はお互いに助け合うことができる。
 
「何かの時って朝御飯のこと?」
「まあいいじゃん」
 
千里としても毎朝貴司の朝御飯を作っているので、桃香の分は“ついで”である。
 
そしてこの場合、千里はJソフトのある二子玉川まで1駅で深夜電車が無くなっても歩いて帰宅出来る。そして東急は半蔵門線と相互乗り入れしているので、錦糸町で乗り換えると総武線で千葉にいくことが出来る。千里は玉依姫神社、千城台の体育館などで、千葉にもしばしば用事が出来る。
 
一方、桃香は小田急から代々木上原で乗り換えて千代田線・新御茶ノ水駅で降りれば会社は近くである。季里子の家へは、会社から行く時はお茶の水から総武線が使えるし、経堂から直接行く場合はやはり代々木上原で千代田線に乗り換え、大手町から東西線に乗り換えればよい。桃香はたぶん金曜日は会社から直接季里子の家に戻り、週末一緒に過ごすことになるのではと言った。
 
「でもそう都合良く、経堂の南側と用賀の北側に安いアパートが見つかるかなあ」
「たぶん見つかるよ。年明けてから探そうよ」
 
そこまで検討して、その日は別れたのである。
 

千里はミラを桃香に託してから、《くうちゃん》に頼んで葛西に戻してもらい、ドレスに着換える。それから《きーちゃん》と入れ替わって、新国立劇場で行われるRC大賞の授賞式に出た。《きーちゃん》には葛西で旅支度を調えてもらう。
 

ローズ+リリーのライブは基本的には19時開演・21時過ぎ終了というパターンが多いのだが、12月30日〜1月1日は年末年始でいそがしい人も多いので時間がずらしてあり、13時開場14時開演16時すぎ終了というパターンになっていた。
 
しかしこの日、会場の東京国際パティオは異様な雰囲気に包まれていた。明らかに定員(5000人)を上回る客が集結していた。主催者では無用なトラブルを防止するため早めに客を入れた方がいいと判断。12時に会場を開けた。そして「入場者以外の方はお帰り下さい」「出演者は全員既に会場入りしています」と呼びかけた。
 
昨夜の『性転の伝説Special』を見てアクアに興味を持った人がこの日のローズ+リリーのライブで彼(多分彼女ではない)が“鈴割り”をすると聞き、その姿が一目見られないかと集まってきたのである。
 
この日はレコード会社側も、無防備すぎた。
 
集まってきた客をコントロールすることができず、イベンターが用意していた警備員やレコード会社のスタッフではこの人数をどうにもできなかった。一部が暴徒化して、このままではライブを中止せざるを得ないかもという事態になる。
 
ケイは会場から出てきて自らハンドマイクを持って客に呼びかけた。
 
「アクアちゃんを一目見ようと来てくださったのかも知れませんが、彼は既に会場入りしていますし、会場から帰す時は絶対に人目に付かない帰し方をします。ここで騒ぎになれば今日のライブは中止せざるを得なくなります。みなさん、どうか冷静になってください。彼は3月にCDデビューしたら、きっとたくさんライブもして、皆さんが見ることができる機会はたくさん出ると思います。彼の輝かしい出発点が暴動で汚れたりしないように、今日はどうかお帰り下さい。近い内に彼のファンクラブも設立されます。どうかそういった活動を通して彼を応援してあげてください。この通りです。どうか今日は静かにお引き取り下さい」
 
といってケイは頭を下げた。
 
それで割と冷静な人たちが帰り始め、人数が減り始めると空気も沈静化していく。それで最終的に開演予定の14時頃、全員が撤退してくれた。ライブは予定を少し遅らせて14:20に始めることができた(16:35終了)。
 

そうやって員外の人たちは帰したものの、ちゃんとチケットを持っていて入場した人の中にも
 
「アクアちゃんにお花を贈りたいんですが」
「アクアちゃんにプレゼントを渡したいんですが」
という人たち(男女はだいたい7:3で女性が多い)が来た。
 
急遽対応を検討した所、秋風コスモスがロビーに出て方針を説明することになった。
 
・プレゼントはありがたいが、稀に盗聴器を仕込んだぬいぐるみ、自分の体液を混ぜたお菓子などを渡そうとする人があり、過去にタレントが救急車で運ばれた事故もあった。それで§§プロではタレントの安全のため、プレゼントには一定の基準を設けさせてもらっている。この方針は§§プロのホームページには掲載されているが、今夜中にローズ+リリーのライブを告知している★★レコードのサイトにも掲載する。
 
・基本的には直接持参したプレゼントは加工されている疑いを排除できないので安全性の問題があり、受け取れないが、今日だけは特別に受け取ることにする。明日以降は商品券とお花の類い以外は全てお断りさせてもらう。
 
・原則として§§プロではメーカーあるいは大型店などからの直送品や商品券の類い、お花のみを受け付けている。それ以外にファンレターはいつでも歓迎。
 
・手作りの衣類・お菓子などの類いは申し訳ないが破棄させてもらう。
・包装されていない衣類やぬいぐるみの類い、また手包装されているものも申し訳無いが破棄させてもらう。製造元あるいはデパートなどの包装がされているものだけを受け付ける。
・メーカー包装されていても、荷札が個人発送になっているものは注射器などで細工された可能性を排除できないので不可。
・全てのプレゼントに金属探知機での検査、X線検査をさせてもらう。
 
・受け取って検査を通ったプレゼントはタレント本人に渡すが、量が多い場合は写真を本人に見せた上で、児童福祉施設、障碍者や老人福祉施設などに届ける。
 
・ルールを守ってプレゼントしてくれた人にはタレントの生写真を使用した御礼のハガキを出すので、よかったら住所・氏名を添えて欲しい。なおその個人情報は個人情報保護法の規定に基づき確実に廃棄して漏洩しないようにする。
 

この日プレゼントを持って来てくれた人の中にはこの手の基準に割と慣れている人も多く、9割ほどのプレゼントを受け取ったし(全品検査OKだった)、受け取れなった分についてもコスモスが「ごめんねー」と声を掛けていたので「次からは基準に沿ってプレゼントします」と言っていた。
 
なおこの日はアクアは早めに帰した方がいいだろうという判断になり、ゲストで歌ってくれたスリファーズ(本来は受験のため休業中なのを特別に出演した)が会場を出る時、春奈のような振りをして一緒に出た。なお春奈本人は少し遅れて、スタッフのユニフォームを着て出た。アクアは車内では彩夏と千秋にはさまれた後部座席中央に乗ったので、おかげで、彩夏と千秋にたくさん「可愛がられた」ようである!
 
「アクアちゃんって身体に触った感じがまるで女の子みたい」
「まだ第2次性徴が始まってないから」
「まるでおっぱいがあるみたい」
と言って触られる!
 
「病気の治療の副作用なんですぅ。あと1年もすれば普通の男の子みたいに平らになるとお医者さんは言ってます」
「それはもったいない。アクアちゃんこんなに可愛いし。折角だから女の子になっちゃわない?ちょっとお股を手術すればいいじゃん」
「それは勘弁して下さい」
「でも別にちんちんとか無くてもいいんでしょ?」
「無いと困りますぅ」
 
「アクアちゃんのファンクラブ会員番号1−3をくれないかなあ」
などと言っていたが
「すみません。その件は事務所の方に言って下さい」
と逃げておいた。
 

アクアの人気が凄まじすぎるので、結局アクアはこの後、ローズ+リリーの全公演に鈴割り役で登場することになり、鈴割り役で予定していた“新”XANFUSの2人には代わりに幕間で歌を歌ってもらうことにした。
 
また1月1日以降の公演ではアクア登場場面のライブ・ビューイングを実施することにして急遽会場を押さえた。会場ではアクアがハワイで撮ってきたビデオも一部公開された。
 

今年2014年のRC大賞は冬子の作品が多数ノミネートされた。まるで冬子のためのRC大賞という感じであった。
 
FK名義で大賞を取ったワンティスの『フィドルの妖精』
水沢歌月名義で金賞を取ったKARION『アメノウズメ』
ヨーコージ名義で金賞を取ったしまうらら『ギター・プレイヤー』および松原珠妃『ナノとピコの時間』
そしてマリ&ケイ名義でローズ+リリー『Heart of Orpheus』
 
千里も醍醐春海名義で阪元アミザ『ラストコール』および遠上笑美子『魔法のマーマレード』がいづれも新人賞にノミネートされていた。
 

22:00に終わってから《きーちゃん》と入れ替わりで葛西に行く。《きーちゃん》には電車で池袋に移動してもらう。千里はドレスを脱ぎ、メイクを落として、荷物を確認。シャワーを浴びてから、トレーナーにジーンズという旅に適した服に着替える。きーちゃんが用意してくれていた着換えや食糧などの荷物を持ち、再度きーちゃんと入れ替わって池袋駅に行った。
 
既に雪子が来ている。この子は約束の1時間前には来ていないと気が済まない。おしゃべりしている内に橘花も来る。そして12/31 0:15 くらいになって暢子が「ごめんごめん。駐車場の入り方が分からなくて10kmくらい遠回りしてしまって」と言ってやってきた。
 
東京の道は交差点よりかなり前の方から適切な車線に入っておかないと、好きな方向に行くことが出来ず、マジで10kmくらいぐるっと回ってくるハメになる。もっともサンシャインの駐車場はわりと入りやすく出やすいのだが。
 
念のため全員一度トイレに行ってから駐車場に行く。
 
「都内の道は難しいよ。私に任せて」
と言って千里が運転席に座り、暢子のフリードスパイクは出発した。助手席に暢子、後部座席に橘花と雪子である。
 

「そういえば森下誠美が帰国したの聞いてる?」
と橘花が言った。
 
「いつ?」
「ほんの昨日、もう一昨日か。29日に帰国したんだよ」
「おお。とうとう帰ってきたか」
「あの子男の子になってたりしないよね?」
「実家で久しぶりに日本のお風呂に入った時に見た感じではお股には棒らしきものは無かったと言ってた」
「ふむふむ」
 
「ローキューツに出戻りするのも何だし、うちに入らない?と誘ったら、一度練習を見せてもらってからと言った」
「どの程度のレベルなのか見たいんだろうね」
 
「あの子、向こうではNCAAか何かやってたの?」
「ブルーチップに入っていたらしい」
「あの子なら大歓迎されたろうね!」
「でもそのままWNBAとか目指さないのかな」
「取り敢えず所属していたチームが解散になったから帰国することにしたって」
 
「あそこはそれがあるんですよ。経営の不安定なチームが多くて。出来ては消えて行くと知り合いが言っていました。よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)のように」
と雪子が言うと
 
「それ何の冒頭だっけ?徒然草?」
と橘花が訊くので
 
「方丈記!」
と千里と暢子が答える。
 
「あんたそれで高校教師になるのか?」
などと暢子から言われていた。
 
 
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【娘たちのエンブリオ】(7)