【娘たちのエンブリオ】(4)

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ハワイから帰国した後、スタジオでアクアの追加撮影をやっていた最中に美来(XANFUSの光帆)から冬子に電話がある。家相とか風水とか観られる占い師を知らないかというのである。
 
「引越でもするの?」
「それが今住んでいる所なんだけど」
 
と言って、美来は状況を説明した。
 
元々織絵は吉祥寺の賃貸マンション、美来は国立市の賃貸マンションに住んでいたが、実際にはここ数年ふたりは吉祥寺のマンションにずっと居て、国立市のマンションは使っていなかった。それでふたりはこの春に池袋に分譲マンションを買い、そこに引っ越して、吉祥寺の織絵のマンションは解約した。国立市の方も解約しようとしたが、そこで斉藤前社長が、ふたりが公式に同棲するのは困ると言い、国立市のマンションは事務所が家賃を払い、美来の住民票はそこに置いたままにして、公的にはそこに住んでいることにした。
 
ところが悠木新社長はこのマンションは何に使っているのか?と会計担当に尋ね、それで織絵と美来が事実上同棲していることを知り、ふたりに厳重に注意した。それで取り敢えず国立市の美来のマンションの家賃は美来が自分で払うことにした。ところが悠木社長は更に調査を進めて、織絵は高校時代にもレスビアンの恋愛をしていたことを突き止め、織絵の契約を解除した。
 
美来が相談したいと言ったのは、この春に新しく引っ越した池袋のマンションである。
 
そもそもここのマンションの他の部屋は5000万円だったのに、この部屋だけ3000万円だった。織絵が窓の外を歩いている男の姿を見た(この部屋は12階である)。誰も居ないのに足音がする。
 
冬子は言った。
 
「占い師さんを呼ぶまでも無い。私が事故物件だと断言してあげる」
「やっぱり?」
 
「そのマンション出た方がいい。元々美来が借りてた国立市のマンションがあるよね。そこに引っ越した方がいい」
「実はあそこ、12月一杯で解約することにしちゃってて」
 
「だったら、それまでの期間でもいいから一時的に引っ越しなよ。今年のトラブルって、変なマンションに住んで運気が落ちたせいもあるかもよ」
 
美来が自分は車も持っていないし、ライブツアーを目前にしている。でも引越屋さんに頼むには、他人にあまり見られたくないものもあるというので、結局鍵を送ってもらい、冬子・千里・和実の3人で荷物を運んであげることにした。この時点では、冬子は、女の2人暮らしだし、大した荷物もないだろうと思っていた。正望あるいは佐野君を呼ぶことも考えたのだが「他人に見られたくない」と言っていたことから、男子は取り敢えずやめておいたのである。
 

11月12日(水)のお昼に、冬子・千里・和実は池袋に集合した。和実はプリウス、冬子はカローラ・フィールダーで来たのだが、千里は雨宮先生から預かったままの軽トラトレーラー(2トン)を持って来ていた。
 
「随分大きな車を持ってきたね。というか変わった車だね」
「私もこんな車初めて見た」
「引越というから、このくらいは必要かなと思って」
 
冬子が預かった鍵で中に入り、まずは荷物の量を確認する。
 
「この部屋酷い」
と千里が言っているが、それは怪談的な意味ではなく散らかりようである!
 
「他人に見られたくないものがあるって、要するにこの惨状を見られたくなかったのでは?」
「織絵の部屋はジャングルだと美来は言っていたけど、想像を超えていた」
 
「これだと玲羅のアパートの現状が目に浮かぶようだ」
「ああ。半月経てば、かなりの状態になってそうだね」
 
「でもこの荷物、とても千里の2トン車に入らないよね?」
「少し待ってて。私、4トン車持ってくる」
と和実が言っている。
 
「4トン車持って来ても、どうやってこの荷物運び出す?」
「男性の友人を呼び出す」
と言って千里がどこかに電話を掛けていた。
 
「私も男の友人を呼ぼうか?」
と冬子が言うが
「ああ。大丈夫だよ。こちら力持ちばかりだから」
と千里は言った。
 

「でもこのマンション、やはりおかしい?」
 
と冬子が尋ねると、千里は和実に尋ねた。
 
「和実ならこのマンション買う?」
「まさか。こんな怪しい所近づきたくもない。千里がガードしてくれているから、私はここにいられる。この界隈の地域、そしてこのマンション全体がやばいけど、この部屋は特に酷い」
 
と和実は言っている。それで冬子も千里が和実と自分を霊的に守ってくれていることを認識した。
 
「まあ、そういうことだよ」
と千里。
 
「これが織絵がお化けを見たという窓か」
と言って、冬子が厚いカーテンを釘で打ち付けて開けられないようにし、織絵の字で《開けるな》と書かれている窓に触ろうとしたら千里が止めた。
 
「冬もトラブル抱えたくなかったら、その窓には触らない方がいい」
「やばい?」
「その窓を開けるなんて、病院の床を舐めるようなもの」
 
「そんなに危険なの!?」
 

和実が戻ってくるまでの間、千里と冬子で、楽器類やCD/DVDなど、それに貴重品っぽいものや(瓶が割れやすい)お酒類などを冬子のフィールダーに乗せた。
 
「冬、先に行っててよ。こちらは残りの荷物を何とかしてから行くから」
「分かった。でも、考えたんだけど、あの荷物、国立のマンションには入りきれない気がする。あちらは20平米くらいのワンルームなんだよ」
「それは入らないね。だったら、新しいマンション見つかるまで、取り敢えずトランクルームにでも入れておく?」
「それがいいかも。だったら私が借りるよ」
 
それで冬子は都内のトランクルームに電話して申し込んだ。以前イベント関係の大道具などを預けたことがあるらしい。しかし荷物の量を聞いたトランクルームでは
 
「4トントラックいっぱい程度のお荷物でしたら、普通のトランクルームでは無理です。レンタルボックスを2つ借りることをお勧めします」
と言ったので、それで頼むことにした。
 
「じゃ私と和実で持ち込むよ」
「頼む」
と言って、冬子は2ヶ月分の概算料金として8万円を千里に渡した。それで冬子はフィールダーを運転して国立市に向かった。
 

冬子が去った後で、千里は《とうちゃん》に行った。
 
「冷蔵庫、洗濯機、テレビ、衣裳ケースとか、国立市に持って行った方が良さそうなものをトレーラーに積んでくれない?」
 
「よし。みんなで掛かるぞ」
 
それで《とうちゃん》《こうちゃん》《りくちゃん》《げんちゃん》の4人でそういう大型の家具・家電を全部トレーラーに積み込んだ。
 
だいたいそれが積み終えたかな、というタイミングで和実が4トンのエルフを持って戻ってきた。
 
「凄い。重たそうなものは全部片付いている」
「生活に必要そうなものはだいたい載った。後は混沌としたものなんだけど、冬と話して、それはトランクルームというか、大型のレンタルボックスという奴なんだけど、そこに預けようかと。要するにイナバの物置みたいなのが沢山並んでいるんだよ」
 
「ああ。それがいいかもね」
 
「それでさ、和実、牽引免許持ってる?」
「持ってるよ。トレーラーを運転することもあるから」
「じゃ、私と鍵を交換しない?それで先にこのトレーラーを国立市に持っていっておいてくれない?私は残った荷物を和実のエルフに乗せてレンタルボックスに持ち込む」
「ああ。そうしようか」
「向こうに着いたら、そのままにしておいてよ。こちらが終わってから、男手を連れてそちらに向かうから」
「分かった」
 
それで千里の軽トラトレーラーを和実が運転して国立市に向かった。
 

千里は《とうちゃん》に
 
「じゃ残りの荷物をエルフに積んでくれる?」
と言った。
「これ荷物とゴミの区別がつかないんだけど」
「どうせ本人も分かってないから、そのまままとめて詰め込めばいいよ」
「トランクルームに預けなくても、ゴミ処分場に持って行っていい気がする」
「分別してからでないと叱られるよ」
「次マンション借りる時に、巨大なゴミ箱付きのマンションを借りた方がいいな」
 
それで4人の男性眷属たちは30分ほどで、荷物(?)を全部エルフに積み込んだが、エルフが天井まで埋まってしまった。それで千里がエルフを運転して予約したトランクルームまで行く。トランクルームの人は4トントラックにぎゅうぎゅうで入っている荷物を見て絶句し、結局レンタルボックスを3つ借りることにした!
 
「荷物の運び入れはお手伝いしましょうか?」
「大丈夫です。男性の友人が4人、今こちらに来ますから」
「分かりました」
 
それでお店の人が事務室の方に戻った隙に千里は《とうちゃん》に
 
「よろしく」
と言った。そこで男性眷属たちの力で30分ほどでエルフに入っている荷物を全部そこに放り込んだ。
 
「これは分別なんて永久にされない気がするな」
「まあ整理出来るものなら、今までにもしてたろうね」
 
事務所に行くと「もう片付いたんですか!」と驚いていた。カードキーを3つ受け取り、空っぽになったエルフを運転して千里は国立市まで行った。
 

国立市のマンションに着くと、ちょうどフィールダーに積んでいた楽器類・CD, 大量のウィスキー、高級っぽい食器などは既に運び込まれ、トレーラーに積んでいたものの内、衣裳ケースなども運び込まれていた。千里はエルフの鍵を和実に返し、レンタルボックスの鍵3個を冬子に渡した。
 
「3個?」
「2個では入らなかった」
「なんか凄いね」
 
「こちらは大型の家具とかは私たちでは無理だった」
「お疲れ様。後は任せて。和実と冬はサイゼリアにでも行っててくれない?」
「いいの?」
と冬子は言ったが、“事情”を察した風の和実は
「じゃ頼もうかな」
と言った。
 
それで2人がフィールダーとエルフを運転して近くのサイゼリヤに行ったので、千里は《とうちゃん》に頼んで4人で軽トラトレーナーに残っている大型の荷物をマンションに運び上げ、配線などもしてもらった。30分ほどで片付いたので千里も軽トラトレーラーを運転してサイゼリヤに行き、引越の打ち上げをした。余分に掛かったレンタルボックスの料金、今日のガソリン代と手間賃を冬子が千里と和実に払ってくれた。
 
「千里を手伝ってくれた男性のお友だちは?」
「彼らにはお酒でもあげておけばいいかな」
「じゃうちのマンションから持って行ってくれない?最近織絵と美来が取りにこないんであふれてた」
「じゃもらって行こうかな」
 
その後で各々の車を運転して帰った。千里は冬子のマンションに寄ってお酒をたくさんもらって帰った。
 

ところで11月上旬の段階で、アクアのプロジェクトはいったい誰が主導しているのか曖昧だった。
 
紅川社長は上島雷太が主導してくれるものと考えていた。上島雷太は★★レコードの加藤課長が暫定的に主導すると考えていた。★★レコードの町添取締役(制作部長)と加藤課長はなぜかローズ+リリーのケイがプロデュースしていると思っていた。ケイはそんな話は全く聞いていなかった。
 
それで11月13日(木)の深夜、上島・紅川・町添の3人が上島宅に集まり、話し合った結果、秋風コスモスをこのプロジェクトのリーダーにすることを決めた。言われたコスモスは
 
「え〜〜〜!?」
と言って驚いていた。それで§§プロのデスクである田所と2人でアクアのスケジュールを管理し、アクアに関して何か話を進める場合はそのどちらかに必ず連絡することと、田所とコスモスは専用の作業用wikiを作って情報を共有することにした。
 
町添部長は
 
「てっきりアクアちゃんって女の子と思い込んでいた。御免御免」
と謝っていた。
 
「声変わりしてないのは、女性ホルモンとか飲んでるんだっけ?」
「飲んでません!」
「じゃ去勢してるの?」
「してませんし、する予定もありません」
「でも将来女の子になりたいんだよね?」
「なりたくないです。ボクは普通の男の子です」
 

2014年11月14日。日本バスケットボール協会は、先月末にF会長が辞任して空席になっている会長を選出するための会議を開いたものの、議論は紛糾して結局新しい会長を選出することはできなかった。
 

11月15日(土).
 
ΛΛテレビの会議室に、多数の役者さんが集まった。ここに龍虎は事務所の田所マネージャー、および先輩の神田ひとみと一緒に出席した。
 
4月から同局で放送されることになった『のんびり病院物語』(仮題)の主な出演者の顔見せが行われたのである。橋元氏は2011年秋に始まり、断続的に複数のシリーズに分かれて放送され、今年2014年秋で最終回を迎えたライダーたちの群像劇『ハートライダー』シリーズのプロデューサーである。
 
あのドラマは出演していた暁昴(最初から最後まで出演したのは彼だけ)や小野寺イルザなどが演じる劇中の人物が各々の到達点に近づき、たぶんそこに到達するだろうという余韻を残して終了した。その終わり方には賛否両論もあったものの、新たな登場人物に視点を移して続けるよりもまだ惜しまれる内に終了したいという橋元氏の美学をテレビ局の社長が受け入れてくれたのである。
 
そして橋元氏は半年間の(表面的)休養期間を経て、4月から新たなハートフルなドラマを作ろうと考え、病院を舞台にした群像劇を制作することにした。橋元氏は若い頃はクイズ番組や深夜バラエティなどを担当していたものの、子供の頃『ぶらり信兵衛道場破り』とか『寺内貫太郎一家』などといった、緩い感じのコメディドラマを見て育った世代で、今回は病院の物語だけど原則として死人は出ない物語にするつもりだし、いわゆる憎まれ役も出さないと語った(ハートライダーでも事故の描写はあったものの物語内で死者は出ていない)。
 
実は若き頃の水前寺清子・佐良直美(二大アイドル競演!)・石坂浩二らが出演した『ありがとう』のイメージがあるのだと言ったが今回集まった役者さんの中でこれを見ているのは、院長役の内海四郎さんと、その友人の会社社長役の鞍持健治さんだけで、ふたりとも「多分再放送を見たんだと思う」と言っていた。
 
そういう訳で主な配役はこの通りである。
 
上原病院
 院長・上原 内海四郎
 ベテラン医師 湖山琢己/中堅医師 山本和歌子/看護長 永山君子
 転任してきた中堅医師・三崎京輔《主演》
 研修医・前山 倉橋礼次郎(新人)/新人看護師・峰子 沢田峰子(新人)
 
院長の友人
 黒間 鞍持健治(会社社長)
 
上原院長の子供 友利恵(高3)神田ひとみ 佐斗志(中3)アクア(新人)
黒間社長の子供 純一(高3)岩本卓也  舞理奈(中3)馬仲敦美
 
ドラマのメインストーリーは前山と峰子の恋の行方なのだが、サブストーリーとして、各々同級生同士である純一と友利恵、佐斗志と舞理奈が微妙に気になる関係、という設定である。
 

アクアはこの集会の集合時刻2時間前に神田ひとみ・田所と一緒に来ていた。さすがに1番乗りであった。
 
「少し早かったかな。あんたたちトイレ行っておいた方がいい」
と田所は言ったが、ひとみは大丈夫ですと言った。それでアクアはひとりでトイレに行った。
 
男子トイレに入ろうとしたら、そこから出てきた中年の俳優さんから注意される。
「君、こちらは男子トイレ。女子トイレは向こう」
「済みません!」
それで女子トイレに入る。何だかいつものパターンだなあ、とアクアは思った。
 

30分ほどして新人の倉橋礼次郎が来た。彼は既に3人も居るのを見て
「負けたぁ!」
と言った。
 
神田ひとみ・アクアともに名刺を出して、倉橋と交換し、
「お互い頑張りましょう」
と言った。
 
倉橋は大学のコント研究会に居て、大学卒業後は会社勤めの傍ら、都内のアマチュア劇団に参加していたのを、今回オーディションで優勝し、このドラマでプロの役者としてデビューするということだった。彼はコントをやっていただけあって、話が面白い。ひとみもアクアもお腹が苦しくなるくらい笑っていた。
 
「倉橋さん絶好調ですね」
と自分も笑っている田所が言うと
 
「いや、こんな素敵な女性が3人もいたら、調子良くなりますよ。やはり舞台で演じていても女性客が多いとみんな好調になりますから」
などと言っている。
 
女性3人と言われたので「あっ」と田所が気付き、訂正しようとした所にもう1人の新人、沢田峰子が到着する。
「きゃー。もうこんなに来てる。済みません。遅くなって」
と言って名刺を配る。
 
「おお、あなたも新人ですか」
「私はこないだまでプログラマーやってたんですが、オーディションで優勝したのでそちらやめて女優に転職です」
「演劇の経験は?」
「私、中学・高校で英語部に入っていて、毎年英語劇してたんですよ」
「それはどうかした演劇部に居た人より鍛えられている」
「そんなことは言われました。演劇部はわりとイデオロギーがあったりするけど、英語劇って純粋エンタテイメントなんですよ」
「そのあたりは倉橋さんがなさっていたコントと共通する所がありますね」
と田所は言っていた。
 
その後、続々と役者さんたちが到着するので、ひとみ・アクア・倉橋・沢田は一緒に来た人たちに挨拶していった。こういうパラパラ人がやってくるパターンの場合、来た人に即挨拶していけばいいので楽である。これが最初からたくさん集まっていたりすると、誰に先に挨拶して、その次は誰で、というのがひじょうに難しい。序列を間違うと機嫌を損ねることになる。
 
この日はうまい具合に適当な間隔で人が到着して、田所を含めた5人は次々と挨拶に回っていたが、結果的には田所はアクアの性別を説明する機会を逸した。
 
鞍持健治からは
「おや、さっき見た子だね」
と言われ
「その節は済みませんでした」
とアクアは答えた。
 
「今度から間違わないようにね」
「あ、はい」
と言った上で
「ただ・・・」
と言って、アクアは自分の性別を説明しようとしたが、そこにプロデューサーたちが入って来た。
 

橋元プロデューサーは今日呼び出した人が全員揃っていることを確認した上で、ドラマの趣旨を説明する。
 
基本的には、アメリカの『奥様は魔女』とか『フルハウス』などのようなシチュエーション・コメディに近いと説明した上で、今日来ている人の役柄が紹介される。大御所の内海四郎さんなどは、何も言わずに名前を紹介されたら手を振っただけだが、主役の三崎さんは
 
「未熟者ですが、主役をさせて頂くことになりました。皆さんの暖かきご指導を賜りますようお願い致します」
と緊張した面持ちで挨拶した。
 
大人の役者の最後に、新人の倉橋、沢田が紹介される。ふたりともかなり緊張した様子で挨拶した。その後、10代の4人が紹介された。岩本は子役の頃からの俳優で現在19歳だがキャリアは10年以上ある。続いて紹介された馬仲敦美はアイドルとして売っているが、ドラマは中高生向けのものに数回出た程度で、こういうおとな向けのドラマに出演するのは初めてである。神田ひとみは2012年のフレッシュガールコンテストに優勝し、2013年にデビュー。ドラマはゲスト出演で何度か出ているものの、レギュラーは初めてである。そして最後にアクアが紹介され
 
「上原家の息子で神田が演じる友利恵の弟・佐斗志を演じさせて頂きます、新人のアクアです。神田と同じ事務所の後輩です。まだ右も左も分かりませんが、足手まといにならないよう一所懸命頑張りますので、よろしくお願いします」
と挨拶した。
 
これに対してざわめきがある。
 
みんなが疑問を感じたのである。内海四郎さんが発言した。
 
「橋元さん、確認なんだけど“友利恵の弟”じゃなくて“妹”だよね?」
「いえ佐斗志は友利恵の妹ではなく弟です」
「弟なら、なぜ女の子の女優に男の子役をさせるの? まだ声変り前という設定?」
「あ、いえ、アクア君は男性ですが」
 
「何〜〜〜〜!?」
とあちこちで大きな声があがる。
 
「性転換したの?」
「してませーん」
「これから性転換するの?」
「性転換とかしません。私、ふつうの男の子です」
 
「いや、女の子にしか見えない」
 
「この子がテレビ局で男子トイレに入ろうとしていたら、私きっと『あんたそっち違う』と言って、女子トイレに連れ込んでしまうと思う」
 
と永山君子さんが言うと
 
「いや、実はついさっき僕は『こちら違う』と言って、この子を男子トイレから追い出して女子トイレに行かせた。君もちゃんと言えばいいのに」
と鞍持健治。
 
「済みません。鞍持さんのオーラが凄かったので、圧倒されて言われた通りにしました」
とアクアが言うと
 
「ああ。この子は人のオーラが分かる子だよ」
と内海さんがフォローしてくれた。
 
「オーラというのでは、この子も、いい役者になるオーラ持っているよ。この子使うのはこのお芝居に凄くプラスになると思うけど、男役では可哀相だ。本人の法的な性別はこの際どうでもいいから、実態上の性別通り女の子役をさせてあげなよ」
などと鞍持健治さんは言っている。
 
「私もそう思う。この子を男の子ですといって男役をさせたら視聴者からなぜ女優さんに男役をさせているんですか?と問い合わせが殺到するよ。女の子役をさせた方が問題は少ない」
と山本和歌子さん。
 
どうも全員アクアを「女の子になりたい男の子」だと思っている感じだ。
 
「いえ、そう言われても本人は男性なので」
と橋元プロデューサーは言ったが
 
「もし本人が女の子役をしたいということであればシナリオを書き直してもらいますが」
などと付け加えた。
 
「希望しません。私、男なので、男の子役をしたいです」
とアクアは困ったような表情で言い、神田ひとみは笑いをこらえきれない様子だった。
 

11月16日(日).
 
阿倍子の胎内の子供はこの日で8週目、つまり3ヶ月目に突入した。2年前、貴司を千里から奪うことになった妊娠ではちょうどこの頃、胎児(正確にはこの段階ではまだ胎芽)は死亡してしまったのである。
 
それを考えていると、阿倍子は急に不安になってしまった。
 
心細い気持ちから貴司に電話してみると、今日は大阪実業団のリーグ戦なので帰宅出来ないと言う。貴司が来られないというと、阿倍子はますます不安になり、それで何だかお腹が痛いような気がしてきた。そして痛い気がしてくると実際に苦しくなってきたのである。
 
誰か助けて・・・・。
 
トイレから出た後、立てなくなり、阿倍子はキッチンの床でうずくまっていた。そんな時、ピンポンと音がする。
 
あ・・・きっとヘルパーの忌部さんだ。
 
彼女の穏やかな表情を思い浮かべると、阿倍子は急に救われたような気がした。何とか頑張ってエントランスを開ける。玄関も開けてそこに靴を挟む。
 
そこまでした所で阿倍子は急速に意識が遠くなっていった。
 

ふと気が付くと、どうも病院のようである。
 
「あ、よかった。気が付いた」
と言っているのは忌部さんである。
 
「びっくりしました。入ったら台所に倒れておられたので、救急車を呼んでこちらの病院に運んでもらったんですよ」
「すみません!」
「自分の車で運ぼうかとも思ったのですが、女手ひとりではとても無理だから救急車に頼りました」
 
阿倍子は心配そうに訊いた。
「あの・・・赤ちゃんは?」
 
「先生が診察してくださいましたが、大丈夫だそうですよ。2〜3日入院して落ち着いてから退院した方がいいだろうということです」
「分かりました。ありがとうございます。赤ちゃんが無事なら嬉しい」
「ご主人も試合が終わったらすぐこちらにいらっしゃるそうですよ」
 
実際には《いんちゃん》は阿倍子が倒れているのを見て《くうちゃん》に頼み《びゃくちゃん》を転送してもらった。《びゃくちゃん》が応急処置をした上で《くうちゃん》に阿倍子と《いんちゃん》を病院に転送してもらった。病院の入口の所からは病院のスタッフが処置室へ運んでくれた。また《びゃくちゃん》から千里への連絡で、千里は青葉に電話して緊急にリモートで阿倍子のメンテをしてもらったのである。それで大事を避けることができた。青葉は「あと10分遅かったら危なかった」と言っていた。
 
阿倍子は結局一週間入院してから24日(月)に退院した。
 

「話を聞いてヒヤッとしたよ。でも明後日退院できるって良かったね」
と千里は貴司とディナーを食べながら話した。
 
「大事を取って1週間入れておいた。忌部さんから連絡もらったのが試合直前だったけど、一応無事ということだったから、試合を優先させてもらった」
「貴司が抜けたらあのチームやばいからね」
「うん。役者は親の死に目にも逢えないという言葉があるけど、スポーツ選手もそうだと思う」
と貴司は言う。
 
11月22日(土)、千里と貴司はいつもの大阪市内Nホテルで一緒にディナーを食べていた。顔見知りのソムリエさんが
 
「来月は結婚記念日ですね。こちらへいらっしゃいますか?」
と笑顔で尋ねたが
「すみませーん。来月は東京に行っているんですよ」
と言うと、
「それでは来月分の前祝いで」
と言って、特別なシャンパンを選んでくれた。とても美味しかったが、貴司は値段を心配していた(1万円だったのでホッとしていた)。
 

「もうしばらくはヘルパーさんに常駐してもらった方がいいよね」
「そうだと思う。お金は掛かるけど仕方無い」
 
家事代行サービスの料金は買物代行を含めて1日8時間(10:00-18:00, 10:00-は買物時間)+交通費込み15000円で毎日頼んでおり、月平均46万円掛かる。それプラス買物の代金が月4万ほど掛かっている。貴司の給料では厳しいと思ったので、千里が半額の25万出しているほか、新大阪と甘地の間の定期券代9万円も出してあげている。それで貴司の個人負担は25万円だが、実際にはこれを払い、他に光熱費・電話代・病院代などを払うと既にマイナスになってしまう。貴司はこれを夏のボーナスを取っておいたものを取り崩して払っている。12月のボーナスも同じ用途になるはずである。外食もできずお昼が食べられないと言ったら、千里がお弁当を作ってくれるようになった(貴司は朝晩市川ラボで食べる限り食費が掛からない。それで貴司は三食千里の手料理を食べている)。
 
しかし結果的には貴司は浮気が出来ない!!
 
千里は貴司の浮気を封じるには経済封鎖!するのが一番効果があるのかもという気がしてきた。
 
家事代行は、平日は白鳥さん、休日は忌部さんが来る。家事代行という名目ではあるが、実際には掃除や洗濯で2時間、昼と夜の食事作りと片付けで2時間くらいしか実働時間は無く、あとは阿倍子の話し相手である。しかし《びゃくちゃん》《いんちゃん》が話し相手になってあげたことで、随分阿倍子は精神状態が安定している感じではあった。
 
千里と貴司は11月22日(土)はNホテルのディナーを食べた後、市川ラボに移動して午後いっぱいバスケの練習をして過ごした。居室で夕食を取りながらイチャイチャするが、不妊治療が終わっていつ射精してもいいので、貴司は本当に嬉しそうにしていた。でもこれって私と一緒に居るのが嬉しいのか、射精できるのが嬉しいのか、怪しいよなと千里は思ったりもした。
 
この週は大阪実業団のリーグ戦は無い。千里は11月22日午後(日本時間で22日の22-24時)に試合があったので貴司が市川ドラゴンズの人たちと練習している間に行ってきた。
 
23日は丸一日市川ラボで練習三昧で過ごし、夕方から貴司がドラゴンズの練習に参加している間は千里は寝ていた。24日朝、甘地駅で「いってらっしゃい」と言ってキスで送り出してから、千里は東京に戻った。
 

10月28日から愛車カイエンとともに北海道に来たゆみは、苫小牧で千里の知人という天野貴子という女性と会い、北海道の道を走るのに必要な装備を一緒に買いに行き、防寒具なども買った上で雪道運転の手ほどきを受けた。そしてのんびりと北海道の旅を楽しんだ。
 
10.28(火) 18:30 大洗港発。
10.29(水) 13:30 苫小牧港着。天野貴子と落ち合い装備を調える。雪道の練習。苫小牧泊。
10.30(木) 支笏湖まで往復。苫小牧泊。
10.31(金) 苫小牧→日高。
11.01(土) 日高牧場見学。
11.02(日) 襟裳岬に行く。十勝泊。
11.03(月) 帯広に移動。
11.04(火) 釧路に移動。
11.05(水) 根室に移動。
11.06(木) 納沙布岬で色丹島を見る。
11.07(金) 知床に行き知床五湖を見る。網走泊。
11.08(土) サロマ湖を見てくる。
11.09(日) 屈斜路湖・摩周湖を見て阿寒湖泊。
11.10(月) 四谷勾美の運転で層雲峡へ。
 
天野貴子こと《きーちゃん》は千里に頼まれて、足になってくれる《せいちゃん》と一緒に、ゆみの近くに居て陰からサポートしている。10日はゆみがR241/R240/R39で、阿寒湖から美幌を通り層雲峡方面へ行こうとしていたが、その道はゆみの腕では厳しいと判断。ゆみに電話して知り合いに運転させると言い、急遽《こうちゃん》を呼び寄せ、運転してもらった。女子の車を運転するので《こうちゃん》には女装をさせておいた。途中宿がいっぱいで、同じ部屋に泊まることになったが
 
「万一手を出そうとしたら去勢するからね」
と《きーちゃん》は釘を刺す。
「そんな節操も無く手を出したりしないよ。俺は女性の扱いは心得てるよ」
と《こうちゃん》は言っていたが、念のため《せいちゃん》と交替で見張っていた。
 
11.11(火) 層雲峡見学。
11.12(水) 四谷勾美の運転で旭川に移動。旭川泊。
11.13(木) 旭川見学。チェリーツインのメンバーと遭遇。少女Yの運転で美幌へ。マウンテンフット牧場泊。
 
チェリーツインのメンバーとの遭遇は千里も驚いたと言っていた。結局ゆみは同じ石北峠を行きは“女装男子”のこうちゃんの運転で、帰りは“男装女子”の少女Yの運転で越えることになった。
 
11.14(金) 桃川春美の運転で旭川に戻る(旭川紋別自動車道経由)。旭川泊。
11.15(土) 理歌の運転で旭川→稚内 稚内泊。
 

利尻礼文を見たいと言っていたので、札幌在住の理歌(貴司の妹)に頼み、往復運転してもらった(玲羅は織絵をサポート中)。
 
11.16(日) 稚内。野寒布岬と宗谷岬を見る
11.17(月) 稚内650-840利尻1610-1650礼文 礼文泊(理歌の伯父宅)。
11.18(火) 礼文1710-1905稚内 稚内泊。
11.19(水) 理歌の運転で稚内→留萌。留萌泊。
11.20(木) 理歌の運転で留萌→札幌 札幌ホテル泊。
 
ゆみ(本名:優美香)は自分が育った家庭ほど複雑怪奇な家庭はそうそう無いのではと思っていた。
 
ところが、美幌から旭川まで運転してくれた桃川春美と彼女の“兄でありかつ夫”である亜記宏さん、そして3人の子供たちとの関係は昨日聞いたばかりなのに、今日それを他人に説明する自信が無いほど複雑だった。更に利尻・礼文までの往復の間に理歌から聞いた、醍醐春海のプライベートな事情も、また複雑だと思った。
 
桃川春美と亜記宏は元夫婦かつ現夫婦。いわゆる元鞘婚である。亜記宏の3人の子供との関係は法的には叔父と甥姪であるが、3人は春美を「お母さん」と呼ぶ。そして実は遺伝子的には本当の親子である。
 
醍醐春海(千里)と貴司の関係も元夫婦でありかつ現時点ではほぼ夫婦でもある。貴司は事実上、ふたりの妻を持っている。法律上の妻が妊娠中だが、卵子を提供したのは千里であり、その子供が産まれると、法的には阿倍子の子供として戸籍に記載されるものの、遺伝子上は千里の子供である。しかもその子供の名前は千里と貴司の話し合いで既に決めてしまっているらしい。
 
理歌や貴司の祖父母の話も考えさせられた。祖父は前妻さんとの間に5人、理歌の祖母との間に3人の子供を設けた。但し祖母の最初の子は、祖母がまだ高校生だった頃に、レイプされて出来た子である。高校生なので妊娠出産がバレると退学になるから、ちょうど夏休みだったこともあり病床にあった前妻さんの子として入籍された。つまり戸籍上の母と実母が異なる。
 
この3つのケースは全て戸籍上の親と遺伝子上の親が異なるケースである。また1人の夫に2人の妻がいたケースでもある。
 
ゆみの父もふたりの妻を持っていて、ゆみは第1の妻の連れ子であり、妹の遠上笑美子は父と第2の妻の間の子供であった。
 
ゆみは、春美や理歌の話を聞いていて、ひょっとすると、自分と似たように家庭的問題で悩んだり苦しんだりしている人はたくさんいるのかもという気がしてきた。それとともに今年自分が苦悩の淵に沈んでしまっている問題は大したことない気さえしてきたのであった。
 
“あのこと”さえ自分の心の奥に封印してしまえば。
 
どうせ誰も知らないんだし。
 

11.21(金) 札幌でゆみと音羽が出会う。
11.22(土) 青葉が札幌に来る(小松8:20-9:55新千歳)
 
青葉は10月20-26日に織絵のヒーリングをしたのだが、今度はゆみのヒーリングをしてくれないかと言われ、11月22日からまた札幌に行った。
 
ゆみは今年春に起きた“事件”について誰にも話していなかったのだが、青葉に初めて話してしまう。しかし青葉はその辛い記憶を“修正”してくれた。すると物凄く心が楽になった。そして実際、青葉が修正してくれた記憶の方が実際の出来事のような気がしてきてしまった。
 
セッションが終わった後で、玲羅が青葉の育った家庭(?)についても言及した。青葉と実姉の未雨が、両親からほぼネグレクトされていて、ふたりで御飯を作って食べていたと言うと、ゆみはうちもそうだったと言った。ゆみの母も不在がちで何日も帰ってこないことがあり、ゆみがしばしばインスタントラーメンとかホットケーキを作り、世都子とふたりで食べていたのである。
 
しかし青葉は言った。
 
「結果、生きてこられたんだから、たいしたことないですよ。世間には親から放置されて死んでしまう子もたくさんいますよ」
 
似たような体験をしている青葉からそんなことを言われると、ゆみも本当にそれは大したことではない気がしてきた。
 

ところで、ゆみと織絵は意気投合して『Take a chance』という歌を一緒に作っていた。それを青葉(大宮万葉)に見せて、編曲してもらえないかと頼むが、青葉は「姉の方が早いです」と言い、千里に連絡した。千里はOKOKと言って一晩で編曲してくれた。実際にはこの日千里はスペインで試合(日本時間22:00-24:00)があったので、大半の作業をしてくれたのは《わっちゃん》であり、明け方仮眠から起きた千里が最終調整をしている。
 
千里は「いいスタジオ知ってるよ」と言い、旭川のスタジオを紹介。ふたりはそこでこの楽曲を吹き込んだ。結果的に青葉がディレクター役をした。
 
11.23(日) 旭川でXAYAの録音。鈴木社長に会う。
 
スタジオの技術者・荒木さんはAYAがデビューした時に『スーパースター』の最終調整をした時の技術者さんだった。それで彼は
「ゆみさんに会えて光栄です」
と言って感激していた。
 
そしてこの荒木さんとの会話から、青葉たちは『スーパースター』の調整をした鴨乃清見が実は千里であることに気付く。
 
「醍醐春海さん、きっと私にデビュー当時の初心に帰れって意味で、ここのスタジオを紹介したんだと思う」
とゆみは言った。その日は織絵・ゆみ・青葉、それに玲羅の4人でゆみのデビュー時の大騒動の話、そして幼い頃の話まで、しんみりと聞いた。玲羅はゆみに言った。
 
「お父さんのお墓参りしてきませんか?色々あったろうけど、死んだらみんな仏様ですよ。それで心の区切りを付けましょうよ」
 
「そうだね。。。そうしようかな」
 

その日の夜ゆみたちがホテルで夕食を取っていたら、同じレストランの少し離れた席に∞∞プロの菱沼伊代と丸山アイ、★★レコードの八雲の3人がやってきた。実は丸山アイはデビュー曲の発売を控えて、キャンペーンで全国を回っている最中だったのである。
 
それで4人が八雲たちに見つからないようにとこっそりレストランを出たらホテルの入口で∞∞プロの鈴木社長と遭遇する。鈴木は偶然旭川に来ていたので、丸山アイたちの激励もしようとやってきたらしい。鈴木は4人をスナックに誘った。ゆみは今日録音したばかりの『Take a chance』を鈴木社長に見せた。鈴木は面白がり、このユニットに"XAYA"と命名。そして織絵に自分のプロダクションと契約しないかと誘った。
 
ゆみは、にわかに、やる気を回復し、明日東京に戻ることにした。
 
11.24(月) 車を置いたまま東京に戻る。
11.25(火) ローズ+リリーの『Step by Step』の音源制作に参加(27日まで)
 

XANFUSのドームツアーは11月14日の北海ドームを皮切りに、15日博多ドーム、16日愛知ドーム、21日埼玉ドーム、22日京阪ドーム、23,24日関東ドームと続いたが、客はほとんど入っておらず、しかも料金が高すぎるアリーナ席はガラガラで、客の大半がスタンド席にいるので、たったひとりでバックバンドも無しで(ガラクン氏の曲は人間が演奏するのは不可能)遙か彼方に居る観客に向かって歌うことになった。光帆は泣きたい気持ちを抑えて、こんな状況の中、来てくれたファンのために熱唱した。
 
このツアー中の12月22日に&&エージェンシーはXANFUSに2人メンバーを追加すると発表した。
 
メンバー選定のオーディションなどは行われた形跡が無く、その新メンバーというのがどのようにして選ばれたのかは全く不明であった(後に別の会社がおこなったオーディションの最終選考落選者から“1本釣り”されていたことが判明する)
 
悠木朝道社長はXANFUSのドームツアー最終日に2人をお披露目するつもりだったのだが、当の2人が拒否。更に横浜網美が「こういう形で2人を露出させたら元からのXANFUSファンが猛反発して震来ちゃんや離花ちゃんのタレント生命まで絶たれてしまいます」と言って、一歩も引かぬ姿勢で議論し社長を説得した。悠木もその勢いに負けて諦めたのである。また朝道氏は出演拒否した震来・離花に対して命令違反として年内の無給を宣言していたが、横浜はこれも撤回させた。
 
「17歳の女の子を高校も辞めさせて上京させ仕事させると言っておいて実際に給料は払わないなんて詐欺ですよ」
 
と言われると、押し切ることはできなかったが、朝道氏は怒り心頭に発した感じで、横浜を睨み付けていた。
 
横浜は懐に辞表を入れていたのだが、網美さんが居なくなったら、いよいよこの会社が空中分解して、他の所属タレントさんたちが路頭に迷うと、本来は横浜の上司である筈のデスク・原田智佳に乞われて、辞表の提出は見送った。
 

そして関東ドームでのライブが終わった翌11月25日、XANFUSをプロデュースしているガラクン・アルヒデトと、その妻で歌手の鉄金ウランが違法ドラッグの所持および使用の疑いで警察に逮捕された。ふたりとも尿反応が出た。
 
鉄金ウランは明智ヒバリの夏のツアーに同行して、幕間で歌を歌っており、ヒバリともずっと接触があった。鈴木社長たちが割り出した「疑いの濃厚な3人」の内のひとりであった。
 
ガラクン・アルヒデトが逮捕されたことから、その周辺の人物として、光帆はもちろん、XANFUSに追加された震来と離花、悠木社長をはじめとして横浜網美、原田知佳、など、&&エージェンシーのスタッフや所属タレント全員が任意での尿検査を求められた。
 
震来と離花はおそるおそる応じていたし、経理助手の日野奈美(19)などは「私逮捕されちゃうの?」などと言って泣きながら応じていたが、むろん全員陰性である。
 
しかし悠木社長は
「なんでそんなものに応じないといけないんだ?俺を疑っているのか?」
 
などと言って任意の検査を拒否。その態度があまりにも不自然と思われたことと社長のデスクそばのゴミ箱からラブドラッグのPTP包装の殻が見つかったことを証拠として逮捕状が取られて逮捕され、尿検査と頭髪検査の令状(正確には“捜索差押許可状”、つまり体内を捜索する!)が取られた。病院の医師により尿と頭髪が採取されたが、どちらも陰性だったので逮捕後48時間で刑訴法203条の規定で送検された後、嫌疑不十分で不起訴となり釈放された。
 
PTP包装の殻に微かに残っていた粉末はMDMAであることが鑑定で明らかになったものの、恐らくガラクンあるいはウランがそこに捨てたのか、あるいは彼らのポケットから落ちて床に落ちていたものを誰かが近くのゴミ箱に入れたのかも知れないですね、と検察官は推測した。
 
朝道氏本人は警察では厳しく追及され、病院ではペニスからカテーテルを挿入され、膀胱から直接尿を取られたので
 
「こんなの人権侵害だ。捜査官も医者も訴えてやる」
などと息巻いていた。
 

★★レコードはガラクン・アルヒデトが作詞作曲して発売中であったXANFUSの『DANCE HEAVEN』の回収、および発売予定であった『あの雲の向こう』の発売延期を決定した。実際には★★レコードは買い占めとオークションへの高額出品を防止するため、逮捕前日に回収してしまっている。
 
悠木朝道社長が逮捕されていた2日間&&エージェンシーには「自分は名前だけの副社長と思っていた」と言う、朝道氏の従妹で妻の悠木栄美副社長が出社(栄美さんは任意の検査に応じていた)。それでなくてもガラクン・アルヒデトの逮捕で放送局やレコード会社、イベンターなどから殺到する問い合わせに対処した。
 
横浜網美も原田知佳も、栄美副社長の執行能力に感心していた。栄美副社長は必要な所には自ら出向いて沈静化に努め、事態は1日で収拾してしまったのである。
 
その栄美副社長は経理担当の日野に命じて会社の帳簿を開けさせ閲覧。腕を組んで考え込んでいた。
 

11月25日(火).
 
アクアがハワイで撮影してきた写真集の編集がまとまり、紅川社長は印刷を30万部指示した。ふつうのアイドルの写真集はトップクラスでもだいたい10万部程度である。まだデビュー前のアイドルの写真集をいきなりこんなに印刷するというのは、ほとんど博打にも思えたが、紅川は絶対行けると確信していた。
 
もっとも今年は鹿島信子がグアムで撮った写真集が53万部も売れている。
 

11月26日(水).
 
回答期限の10月末までに何も回答をしなかったことから、FIBA(国際バスケットボール連盟)が日本バスケット連盟を資格停止処分にしたことが明らかになった。
 
この結果、日本はFIBAが主宰する国際大会に出場することができないのみでなく、海外遠征、外国のチームを日本に迎えての親善試合なども全てできなくなってしまう。早急に解決しなければ、せっかく参加資格を得たU19女子世界選手権や、ユニバーシアード、アジア選手権(リオ五輪予選)などにも参加することができない。
 

11月28日(金).
 
神田ひとみはこの日、仕事の予定がなくオフだったのだが、朝から厳しい顔で事務所に出てきた。田所が
「どうかしたの?」
と尋ねると、「社長は何時頃出て来られますか?」と訊く。
 
「何か急用?電話してみた?」
「電話では話しにくくて」
「何か大事な用事なのね?」
 
それで田所は紅川に連絡する。紅川は高崎ひろかを連れて放送局に行っていたのだが、打合せの相手は好人物で怪しい噂は無い森原プロデューサーだった。しかも彼は
 
「急用でしたら行って下さい。僕は中学生の女の子を取って食ったりはしませんから」
と言い、放送局の女性社員を呼んで同席させた。それで紅川もひろかに
 
「悪いけど、この後、君がきちんと話を聞いておいて」
と言って戻ってきた。
 
それで
「何かあったの?」
と心配そうにひとみに声を掛け、田所と一緒に会議室に入る。
 
それで神田ひとみは言った。
 
「社長、申し訳無いのですが、私、結婚したいんです」
「は!?」
「相手は俳優の国東春馬で、私たち深く愛し合ってるんです」
「何〜〜〜!?」
 
17歳の神田ひとみが結婚すると言い出すなど、紅川にとっては、あまりにも想定外の出来事であった。
 

2014年11月29-30日。
 
水戸市の青柳公園市民体育館で関東バスケットボール総合選手権(オールジャパンの予選)が行われた。
 
千葉代表のローキューツは準決勝で大野百合絵などがいる神奈川代表のJ大学に敗れた。また東京代表の江戸娘は同じく準決勝で茨城代表のS学園に敗れた。S学園の監督はU18-U21で千里たちのチームを率いた篠原萬里雄氏である。
 
この大会にはローキューツの新しいオーナーになった冬子が行ってくれたのだが、冬子に引き継いだ旧オーナーの千里も顔を出した。篠原が率いるS学園は決勝でJ大学に敗れてしまったものの、彼は客席に千里がいるのに気付く。
 
それで篠原さんは千里の所に走って来て言った。
 
「村山君、今どこに住んでいるの?」
「うーん。。。住所不定かなあ」
 
実際、自分は東京・葛西のマンションに住んでいるのか、兵庫の市川ラボに住んでいるのか、千葉の桃香のアパートに住んでいるのか、グラナダのアパートに住んでいるのか、自分でも分からない気がした。
 
「日本国内だよね?」
「半分くらいは日本ですよ」
「ああ。海外と行き来してるんだ?仕事は?」
「取り敢えずこの3月までは大学院生かな」
「大学院に在籍してるんだ!日本の大学?」
と篠原さんは嬉しい声をあげた。
 
「はい、そうです」
「大学のバスケチームにいるの?」
「いえ。東京都内のクラブチームに所属しています」
「じゃ日本バスケ協会の登録があるよね?」
「ありますよ」
 
篠原さんはとても嬉しそうだ。
 
「君のプレイを見たいんだけど。ちょっと表彰式が終わるまで待って、その後、僕に付き合ってくれない?」
「いいですけど」
 
実は篠原さんは今年、ユニバーシアード女子代表の監督も兼任していた。それで千里は2011年8月11日にユニバ代表から落ちて以来、3年ぶりに代表復帰することになるのである。
 

11月29日、札幌で42日間過ごした織絵は、ゆみが帰京する時に置いていったカイエンを運転して苫小牧まで行き、車ごと大洗行きのフェリーに乗り込んだ。
 
苫小牧11/29 18:45 - 11/30 14:00 大洗
 
ガラクンの事件で警察から任意の尿検査を求められた織絵は札幌の警察署に出頭して検査を受けた。それが報道されたので、織絵が札幌に居ることが一般の人の知る所となった。また美来が明日契約解除を申し出ることになったので、これが潮時だと思ったのである。
 
大洗に到着した織絵はカイエンで東京方面に走り、夕方16時すぎに東京に戻った。
 
ちょうどそのくらいの時刻に、XANA『Take a Chance』が大手動画サイトに公開された。たちまち物凄いアクセスになる。
 
実は先行して東京に戻っていたゆみが、自分の所属する$$アーツの前橋社長から11月30日の夕方以降なら公開してよいという許可を取っていたのである。ゆみは24日に東京に戻り、前橋社長の許に行きこの半年間の勝手な行動を謝罪した。一応ゆみは12月いっぱいまで休養して1月以降の活動は後日相談ということになったらしい。
 

2014年11月30日(日).
 
朝一番に&&エージェンシーに出てきた吉野美来(光帆)は契約解除申入書を提出した。&&エージェンシーのアーティスト契約は1年単位で、毎年4月の更新だが、来年4月以降は契約を延長しないというものである。この申入書は契約更新の3ヶ月前、つまり12月末までに提出すればよい契約になっている。
 
美来の契約解除申し入れで、4月以降のXANFUSは追加が発表されたものの、まだお披露目もされていない震来と離花の2人だけが残ることになった。ただしプロデューサーのガラクン・アルヒデトが逮捕されてしまったので、下手するとXANFUSはそのまま消滅ということになる可能性もあった。
 

11月28-30日、金曜から日曜に掛けて、神田ひとみの“結婚問題”について、§§プロでは断続的に話し合いを続けた。
 
紅川社長は激怒した。ひとみは違約金は払っていいから結婚を認めて欲しいと言った。紅川の頭の中では、海浜ひまわり・千葉りいなの突然の引退で空いた穴を何とか穴埋めしようとしていた所で明智ヒバリのダウンで更に穴が空き、それを神田ひとみ、桜野みちるに、新人の品川ありさの活躍で何とか穴埋めできてきて、何とかなるかなと思っていた所の、神田ひとみのこの始末である。
 
後日紅川は「もう逃げ出したい気分だった」と述懐している。
 
話を聞いて驚いたひとみの両親が急遽上京。また相手の国東春馬、その事務所社長さんも来て謝罪した。国東は土下座して紅川に謝罪した。しかし「結婚はさせて欲しい。違約金は払う」と言った。向こうの事務所社長は、自分が一時的に違約金を立て替えてもいいと言った。更には偶然、アクアの件で書類を持って事務所に来ていた春風アルトも何なら違約金は自分が肩代わりするとも言った。
 
紅川は最終的に神田ひとみの結婚を認めてあげることにした。違約金も無しでいいと言った。向こうの事務所社長あるいは春風アルトが肩代わりすれば、結局ひとみと春馬は長期ローンでそちらに返済していくハメになる。紅川としても別にお金が欲しい訳では無い。
 
結局年末に結婚と引退を発表し、2月上旬に大会場で引退ライブをすることになった(最終的に3月1日に関東ドームになった)。
 
神田ひとみは『のんびり病院物語』に上原友利恵役で出演予定だったが、これは何とかスケジュールを調整して、高崎ひろかに代役を頼むしかないかなと紅川はこの時考えていた。品川ありさの方はもうスケジュールがいっぱいだし、1月からの中高生向けドラマにも出演する予定なのである。
 

「茉莉花ちゃん(春風アルトの本名)、ボクはもう疲れたよ。茉莉花ちゃんが社長を代わってくれない?」
 
と他の人が居なくなった後で、紅川は言った。
 
いつも強気の紅川がこんな弱音を吐くって珍しい、とアルトは思った。やはり春に海浜ひまわりの引退、夏に唐突な千葉りいなの引退、明智ヒバリの錯乱、と続いて、かなり心労が重なっているのだろうと思った。しかし神田ひとみの引退は、相次ぐ主要タレントのリタイアで、ひとみにもかなり負荷が掛かっていたせいもあるかもという気がした。
 
「まだ引退するような年ではないですよ。ただ心労の重なることは多かったですね。でもあと10年は頑張って下さい」
「10年したら社長引き受けてくれる?」
「その時私がまだ生きていたら検討します。何かパーっとすることでもして気分転換しませんか?」
「気分転換か・・・」
「性転換でもいいですが。スッキリするらしいですよ。あのあたりが」
「スッキリするだろうね!でもさすがに性転換はしたくない」
 
と言ってから紅川は心配そうにアルトに訊いた。
「実際問題として、長野龍虎はやはり女の子になりたいの?」
 
するとアルトは言った。
「あの子が女の子に性転換したら、代わりに私が男の子に性転換してもいいですよ」
「君が性転換したら、上島君が困らない?」
「その時は上島も性転換させましょう。浮気できなくなるし」
 

思わず紅川が笑った時、
 
「こんばんわぁ」
と言って、中学生くらいの少女が事務所に入って来た。
 
「おはようございます。アポイントはありましたでしょうか?」
と言って春風アルトが笑顔で受付に出る。今日はもう遅いので事務のスタッフは全員帰っている。
 
「あ、すみません。私、こちらでお世話になることになった柴田邦江の妹なのですが、姉はまだ仕事中でしょうか?」
 
「ああ。柴田さん(高崎ひろか)の妹さん?柴田さんは今レコード会社に行っているんですよ。多分この時間なら直帰になると思うんですが、寮の方に一緒に行きましょうか?」
とアルトは応じる。
 
ところがそこに紅川が出てきた。
 
「あなた、柴田邦江ちゃんの妹さん?」
「はい」
「中学生?」
「はい。中学1年生です」
「君、タレントさんになる気無い?」
「え!?」
 
 
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【娘たちのエンブリオ】(4)