【娘たちのエンブリオ】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-12-28
千里はそういった経緯を2時間ほど掛けて説明した上で、こう言った。
「彼女にもよく関わってよく一緒に遊んであげている私の友だちからの提案なんだけどさ」
「彼女?」
「あ。間違い。彼ね」
「いや。“彼女”でいいよ。デビュー前にちょっと手術して女の子にしてあげようよ」
などと政子は言っている。
「それで龍虎のデビュー前に、関係者一同で、高岡さんのお墓、夕香さんのお墓、そしてふたりが亡くなった中央道の事故現場に、お参りできないかって。ただ、これ誰に話を持って行けばいいか分からなくて。龍虎の“親代わり”がたくさんいるから。誰と最初に話すかで墓参りのメンツも変わりそうな気がするんだよ」
と千里が言うので、冬子は少し考えてから
「まずは親権者である長野支香と話すべきだと思う」
と言った。
冬子が支香に連絡してみると彼女は今香港に居るものの、明日朝帰国するということだった。それで帰国したら恵比寿のマンションに来てもらうことになった。千里もそのくらいの時間帯にまた出てくることにする。実際千里は夜間はスペインに行くので、レオパルダの練習が終わってから仮眠して11時頃また出てきた。
(10月28日)お昼頃やってきた支香は言った。
「龍虎にケイちゃんも関わっていたのは知らなかった」
千里が墓参りの相談が、龍虎にいつも関わっている友人からあったと説明すると
「ああ。佐々木川南(かな)ちゃんでしょ? あの子、ホントに龍虎と仲がいいみたいで、いつも自分の“実の妹”のように可愛がっているんだよ」
などと言っているが、わざわざ“妹”と言っているようだ。
それで冬子・千里・支香の“3人”で話し合った(政子は茶々を入れるだけ)結果、慰霊は2度に分けた方がいいということになった。
「1度目は初仕事の前に内輪の人間で。この時は志水さん、田代さん両方の里親も誘う。2度目はいわば公的なメンツで、ワンティスのメンバーにできるだけ全員出席してもらう」
「うん。その線でいいと思う。田代さん夫妻と志水さんは特に確執のようなものはないよね?」
「それは無い。志水さんは今でも月に1〜2度は田代家を訪問して一緒に御飯食べたりしている。龍虎は志水さんのことも『お母さん』と呼ぶし、田代さんの方も『お母さん』と呼ぶ」
と支香。
「だったら問題無いね」
「ただ、私と春風アルトさんの間にはどうしても緊張関係がある」
と支香は説明する。
「まあそれは仕方ないでしょうね」
長野支香は一時期上島雷太と恋愛関係にあって、それがスクープされて大騒動となり、その余波で、深夜ほんの8時間ほどの間にアニメの第1回放送直前、その主題歌を差し替えるなどという離れ業をすることになった。しかし結果的にはその騒動がローズ+リリーの活動再開のきっかけとなったのである。
「だから龍虎の行事とかに、私が出る時はアルトさんは来ないし、アルトさんが顔を出す時は私は遠慮する」
「大変だ」
「じゃ内輪の方は田代さんと相談して詳細を詰めるよ。公的な方は上島君と相談してみる」
「分かりました。それでお願いします」
それで支香は龍虎のスケジュールを確認するため§§プロの田所さんに連絡してみたのだが、龍虎のスケジュールは12月以降全ての土日が空いていないし冬休みも完全に埋まっていると言われた。
「アクアの写真とか歌唱とかを見聞きして、どこのテレビ局も物凄く興味を持っているらしい。それと、春からのドラマに出演が決まった」
「わっ」
「でも慰霊の話をしたら、1月3日は空けられるかもということ。これ紅川さんが調整してくれるって」
「助かります。じゃ、公的慰霊はその1月3日で、私的慰霊は11月中がいいかな?」
「うん。紅川さんもその線を推奨してた。やはり公的な慰霊については上島君に音頭を取ってもらうのがいいだろうと紅川さんも言ってた」
白浜藍子がその日何気なくスマホのスイッチを入れ、スワイプでログインすると勝手にmixiアプリが立ち上がった。白浜のスマホはスワイプした時にしばしば勝手に何かが立ち上がることがある。自分の操作が悪いのか、設定の問題なのかはよくわからない。しかし立ち上がっていたので友人たちの書き込みを眺めていたら料理下手な人の話題で盛り上がっていた。それを見ている内に、白浜自身も書きたくなり、「仲良し友人」限定になっていることを確認の上
「私、あまりにも料理が下手すぎて、お嫁さん首になっちゃった。料理教室行こうかな」
と書き込んだ。
するといつもmixiに常駐している友人が
「あらあ。残念だったね。でもそれお嫁さんになる前に料理教室に行くべきだった」
と書き込んでくれて、ちょっとだけ心が温かくなった。
スマホを落として母に「買物行ってくる」と言うとメモを渡されたので、母のモコを借りて買い物に出かける。ところでがスーパーに向かう途中でスマホに電話が掛かってきた。その着メロがXANFUSの"La Boum"であるのに驚く。それは斉藤邦明からの電話なのである。
白浜は車を脇に停めて電話に出た。
「おはようございます。白浜です」
「お久しぶり、白浜さん」
という声は社長では無かった。
「奥様?」
それは斉藤社長の奥さんだったのである。奥さんは初期の頃&&エージェンシーの事務をしていて、白浜は入社した頃、奥さんから色々仕事を習った。
「夫はアメリカに行っているんだけど、秘密のミッションなんで電話は置いていったのよ。それでmixi見て気付いたんだけど、あなた離婚したの?」
「はい。首になっちゃいました。私お料理できないし、家事ができないし。お義母さんにも、子供たちにも嫌われて、流産を機会に離婚になってしまって」
「あなた流産したの?」
「はい。年齢的に子供産めるのは最後のチャンスと思っていたから悲しかったです」
「今何してるの?」
「実家に居候していますが、弟夫婦が同居してるから、私お邪魔みたいで・・・」
「だったら東京に戻ってらっしゃいよ。私も斉藤が1ヶ月半留守にしてるから何か一人暮らしは御飯作るのもおっくうでさ」
「私料理できません」
「うん。だから食べてくれるだけでいいよ」
「はい!でも社長の留守に居候みたいなことしていいんでしょうか」
「あなたちんちん付いてないよね?」
「付いてないです。義母からは付いてたけど手術して取ったのではと疑われましたが、妊娠したので、やはり元から女だったのかと言われました」
「ちんちん付いてない人、意図的に機能喪失させた人の同居は全然問題無いよ」
奥さんが白浜の口座に交通費を振り込んでくれたので、白浜は翌日東京に戻り、斉藤社長の留守宅にしばらく居候することになった。
その斉藤邦明は9月にアメリカである女性と会った。
斉藤の渡米の目的は表面的には実はマンハッタン・シスターズの制作を実質主導することであった。それまでプロデュースしていた人物が実は麻薬所持で捕まり降板したのである。そこでこのグループの設立初期にまとめ役になった雨宮三森に照会があり、雨宮は∞∞プロの鈴木社長に相談した。それでちょうど&&エージェンシーの社長を解任された斉藤に、今回のアルバムの制作を主導してもらうことにしたのである。
ただ鈴木は斉藤氏に別の密命も託していた。それは明智ヒバリの事件から浮かびあがってきた薬物汚染の鍵を握るかも知れない人物が8月下旬、アメリカに渡航したままずっと帰国しておらず、しかもこの人物は今回逮捕されたマンハッタン・シスターズの前プロデューサーとも親しかったのである。
斉藤はその人物との接触を試みた。最初は警戒していた彼女も、悪いようにはしないからと言われ、何とか心を開いてくれた。それに実は生活資金も底を尽き掛けていたのである。斉藤は彼女に当面の生活資金も提供することを約束した。
斉藤は彼女と弁護士も交えて話し合い、9月下旬、DEA(アメリカ麻薬取締局)と司法取引することに同意した。彼女はこの罪状が明らかになった場合、日本に帰国すると逮捕される可能性があった。しかし少なくともアメリカ国内では情報提供の見返りとして訴追されないことになった。
彼女の証言を元に更に内偵を進めたDEAはアメリカあるいはメキシコで密造されたと思われるデザイナーズドラッグがアメリカ国内のみならず日本や韓国にも輸出されているルートを摘発。10月下旬に2人の売人を逮捕。更に彼らの携帯電話の電話局に残っていた通話履歴から製造元まで特定することに成功していた。そしてDEAから情報を提供された日本のNCD(厚生労働省麻薬取締部:麻薬Gメン)と警察庁は密輸の元締めになっていた暴力団組長を逮捕。その周辺調査から11月上旬、女性歌手Y、元野球選手K、など5人を逮捕した(ニューヨークルート)。
一方国内では∞∞プロの調査部は10月の段階でNCDと接触し、事実上の司法取引をして、こちらの調査内容を全て開示する見返りに、ヒバリを含む数名の使用者について、事情聴取まではするものの、悪質でないと判断されれば起訴しないという“口約束”を得た。それで入院中のヒバリを含めて全員が任意の事情聴取に応じた。全員が書類送検の上、起訴猶予処分となった(東京ルート)。こちらは一切報道されなかった。
しかしこの事情聴取の結果警察は、鈴木社長と同様に、ある女性歌手とその夫の作曲家に対する疑惑を深めた。それが11月中旬のことで、警察は更に2人の周辺調査をして証拠固めを進めた。
照屋清子(明智ヒバリ)はしばらく福岡近郊の精神病院の閉鎖病棟に居たのだが、何度か軽いフラッシュバックはあったものの、2ヶ月ほどで症状は納まった。ヒバリ本人も、入院しているということは忘れて、のんびりと過ごし、今年前半のハードスケジュールを回顧していた。
それで12月くらいで退院かなあ、と思っていた時、唐突に彼女が昔から抱えている“発作”が起きたのである。それで清子は医師から統合失調症の疑いを持たれ、入院が延びてしまった!
変な薬を飲んだことで発作が誘発されたかなと清子は思った。ラブドラッグは覚醒剤系(正確には幻覚剤)なので、脳の働きが活性化され、この発作を起こしやすくする。清子は正直ライブの最中に突然おかしくなったのも、薬の作用なのか自分の抱えている発作なのか、微妙だと思っていた。
それで統合失調症の薬を渡されるのだが、清子はこの薬は飲みたくないと思った。
基本的に“お薬”は脳を活性化させる覚醒剤系(“冷たいの”)と、逆に麻痺させる麻薬系(“熱いの”)に大別される。
覚醒剤の傍系として、幻覚剤や興奮剤などもある。MDMA(エクスタシー)などのラブドラッグやマジックマッシュルームは1960年代にヒッピーの間で流行ったLSDやシティハンターに出てきたPCP(エンジェルダスト)などとともに幻覚剤に分類される。幻覚剤には神経伝達物質のセロトニンと似た構造のものが多い。神経伝達が過剰になることで幻覚が生まれるのである。
興奮剤は幻覚剤や覚醒剤に比べると害が少なく作用も穏やかなので多くが合法である。これにはカフェイン・エタノール(酒精)・エフェドリン(麻黄)・大麻(マリファナ)・ニコチンなどがある。麻黄は葛根湯などの風邪薬に使われている。実はラブドラッグの重要な成分でもある。大麻は現在合法な国と違法な国がある。
統合失調症は簡単に言うと脳の暴走なので神経伝達物質セロトニンの働きを抑える系統の薬が処方される。しかし清子は自分の場合これを飲むと、今度は躁鬱病を誘発する気がした。清子は自分の精神がとても微妙なバランスの上に立っていることを自覚している。
それで飲みたくないのだが、監視されているので飲まない訳にはいかない。飲まずに居たら、きっと身体を取り押さえられて無理矢理にでも飲まされるだろう。
どうしよう?と思っていた時、部屋の中に唐突に女性の姿が現れた。最初これは幻覚か?と思った。
「その薬飲まない方がいいよ」
と彼女は言った。
「私も飲みたくないけど、どうしよう?」
と清子。
「私が処分してあげるよ。カメラに背を向けて死角で私に渡して」
彼女はまさに監視カメラの死角に立っているのである。それで清子はそうやって薬を渡した。
「この薬を飲むとどんな感じになるか分かるよね?」
「だいたい想像が付く」
「だったら、そういう演技をしてなよ。あんた女優でしょ?」
「ドラマにも何度か出た。あなた名前を教えて」
「私は貴里子。きりちゃんでいいよ」
「ありがとう。きりちゃん。私いつ頃ここを出られるかなあ」
「その内、紅川さんが様子を見に来ると思うんだ。その時、一時外出できるように頼みなよ。理由は適当に考えて。沖縄に行くといいことがあるよ」
「分かった。やってみる。でも沖縄かぁ。私のお祖母ちゃんが沖縄出身なんだよ」
「知ってるよ。久高島でしょ?紅川さんも沖縄の宮古島だしね」
「そういえばそうだった」
「じゃね。また薬が渡されたら、心の中で私を呼んでね」
それで彼女の姿は、すーっと消えた。
10月30日(木).
龍虎が10月23日に申請したパスポートは10月30日以降受け取り可能と受領証に書かれていたので、この日龍虎は学校が終わった後、パスポートセンター熊谷支所に行き、受領証に印紙と県証紙を貼って提出。受け取った。この時窓口の人が申請した時と同じ人だったので、一瞬
「あなた女性では?」
と言われたものの
「あ、こないだの子か!」
と気付いてくれたようで、無事、渡してくれた。
龍虎は紅川社長からすぐにESTAを取ってと言われた。写真集の撮影先はハワイになったらしい。ESTAは母がやり方を知っていたので帰宅してすぐやってくれたが、母が操作しているのを見て、これ自分にはとても無理!と思った。
「ここの質問は全部ノーにすればいいのよ。うっかりイエスにすれば拒否される」
「知らずにイエス選択したらアウトか・・・」
「一応24時間経ったら再申請できるけど、申請する度に14ドル(1500円)掛かる」
「大変だぁ。でもこれ1回取っておけば何年か有効なの?」
「2年間有効。但しその間に結婚したり、改名したり、性転換した場合は取り直しが必要」
「結婚や改名する予定は無いなあ」
「性転換する予定は?」
と母から訊かれて龍虎は悩んだ。
「ボク性転換することは・・・無いよね?」
「あんた性転換したいの?」
「別にしたくないけど、みんなボクに女の子になりなよと言うんだもん」
と龍虎が言うと、母は笑っていた。
「でも実際問題として、別にちんちん無くてもいいんでしょ?」
と母は訊いた。龍虎は少し考えてから答えた。
「無くてもいい気はするけど、たとえちんちんが無くてもボクは男だよ」
「うん。それでいい」
と母は笑顔で答えた。
10月30日(木).
冬子はパープルキャッツが伴奏して音源製作をしている新人歌手・丸山アイの制作現場を訪れた。
丸山アイが両声類だというのは升山黒美(noir)から聞いていたのだが、彼女はその場で「女性ポップス歌手」丸山アイと「男性演歌歌手」高倉竜に変身!?してみせた。切り替えに1分くらい掛かるのだが、その1分で、完璧に雰囲気が変わってしまうのである。丸山アイの時はどこにでもいる普通の少女なのだが高倉竜はかっこいい男性である。顔や体型が変わるわけではないのに、丸山アイは女の子にしか見えず、高倉竜は男にしか見えない。
「アイちゃんって男の子なんですか?女の子なんですか?」
と冬子は担当している谷津さんに尋ねたが
「私も教えてもらってないのよ!」
と彼女は言っていた。
なお高倉竜はCDのみで活動する歌手で、ライブも行わないし、いっさいビジュアルは公開しない方針である。
丸山アイの方は音源製作が終わった後、11月下旬くらいに全国キャンペーンツアーをする予定らしい。
10月31日(金)はFIBAが指定していた改革の締め切り日であったが、日本バスケットボール協会には何も動きは無かった。そもそも会長不在で執行能力はゼロに近い状態になっており、何かができる状況でも無かった。
これで日本は資格停止を含む何らかの制裁をくらうのは確実となった。
日本バスケットボール協会はビッグリップを迎えた。
11月1日(土).
龍虎の中学では文化祭が行われた。文化祭は教室での展示等と体育館での発表に別れている。多くの文化部では拠点にしている特別教室(美術部は美術室、科学部は理科室、家庭部は調理室、パソコン部はコンピュータ室、書道部は会議室、JRCは少人数教室B、などなど)で展示をしている。各クラスでは、多くの場合、何かのテーマに沿った研究発表あるいは模擬店を実施した。
龍虎たちの1年3組では最初「街の地図」作りをしようということになったのだが、何と1年5組とテーマがかぶった。それでクラス委員がじゃんけんをしたところ、3組は負けた!ので模擬店をすることになった。
「ジャンケンに負けた伊東はウェイトレスをすること」
「それお客さんが逃げてくから会計係で勘弁して」
体育館のプログラムはこのようになっている。
09:00 吹奏楽部演奏
09:40 1年生各組合唱(6分×6組)
10:30 演劇部「きりんの手紙」
11:10 2年生各組合唱
12:00 有志バンド演奏(15分×4組)
13:00 ダンス部発表
13:20 太鼓部発表
13:40 3年生各組合唱
14:30 英語部「物を言わぬ姫」
15:10 コーラス部演奏
15:40 職員有志(16:00終了)
龍虎は9:52-9:58に1年3組の合唱に出て行き15:10からのコーラス部演奏にも出る。クラスの模擬店は11:00-15:00の間に運用するので、クラスの合唱が終わった後、準備をすればよい。
コーラス部の方は8−9月に行われたコーラス大会でも歌った曲に加えて親しみやすい曲を2曲歌って合計4曲の演奏である。
今年のコーラス部は市の大会で優勝、埼玉県大会でも2位に入り、関東甲信越大会に出場したものの、そこで上位には入れず、全国大会には行けなかった。
クラスの合唱は9月になってからHRの時間に練習をしてきた。模擬店の企画はクラス委員を中心に数人の女子が中心になって企画をまとめていたようである。
飲み物を入れる程度以外の調理は禁止なので、紅茶やコーヒーと、乾き物のお菓子のセットが中心になる。でもミスドのドーナツが仕入れられることになって、これは結構売れるかもという声が出ていた(収益は生徒会の予算に組み込まれる。損失が出ても生徒会が補填する)。
龍虎たちは金曜日には体育館にパイプ椅子を並べ、明日の模擬店用のデコレーション作りなどもした。
当日は朝HRが行われた後は9:40まで自由行動となるので彩佳たちと一緒に吹奏楽部の演奏を聞いていた。その後体育館の端に集まり、順番を待って1年2組の後、ステージに上がって遠上笑美子の『魔法のマーマレード』を歌った。その後は教室に戻り、全員で机をアレンジして模擬店の準備をする。
「ウェイトレスは誰々がするんだっけ?」
「麻耶ちゃん、彩佳ちゃん、富菜ちゃん、麻由美ちゃん、に私。でも他の子もやっていいよ」
「取り敢えず富菜ちゃんが休んでいる訳だけど」
「うっ。誰か代わって」
「それなら龍ちゃんだな」
「え〜〜〜〜?」
「龍ちゃん、ウェイトレスさんの衣裳着たいよね?」
「これメイドさんみたいで可愛いよ」
「えっと。。。」
そういう訳で龍虎はウェイトレスの衣裳を着せられ、髪にはホワイト・ブリムまで付けられてしまった。ちなみにこの衣裳は実は龍虎が春風アルトに頼んで揃えてもらったものであった。
「可愛い!」
「やはり龍ちゃんはこういう傾向よね」
「これで売上げが2割増える」
などと言われた。
「ちなみにトイレは女子トイレ使ってね」
11:00に模擬店を開けた後、4時間も運用するので、ウェイトレス役の子は途中で適宜交替して、結果的にはクラスの女子(12名)はほとんどやったのだが、龍虎は最初から最後近くまで、ずっとやっていた(途中2度トイレに行っただけ)。
模擬店は15時までだが、15:10からコーラス部の発表がある。それで模擬店は14:30であがらせてもらい、音楽室に集合することにする。龍虎の後は桐絵がやってくれるので、移動黒板を置きカーテンを引いている一角で着換える。
「あれ?ボクの学生服が無い」
「え?」
それで桐絵と、龍虎と同じコーラス部で、一緒に音楽室に行く予定の宏恵も探してくれるが、マジで見当たらない。
「どうしよう?」
「龍。集合時間に遅れたらやばいよ。取り敢えず私の制服着ていかない?」
と桐絵が言う。彼女は今制服を脱ぎ、龍虎が今まで着ていたウェイトレスさんの服を着ようとしている所である(龍虎・彩佳・宏恵・桐絵の4人の間では服の貸し借りは抵抗感が無い。またお互いの下着姿を見るのも全く平気である)。
「それがいいと思う。時間が無いもん。戻ってきてから探そう」
「うん。そうしようか」
それで龍虎は不本意ではあったのだが、桐絵が脱いだ制服を着て、宏恵と一緒に音楽室に向かったのであった。桐絵の方が身体は大きいので桐絵の制服を龍虎は着ることが出来る。ウェストが大きすぎるのは安全ピンでブラウスに留めておく。
それで龍虎は桐絵のセーラー服を着て音楽室に入り、ソプラノの列に並んだのだが、龍虎は女子制服とか着てきて何か言われるかなと思ったものの・・・
何も言われなかった!
コーラス部の他の生徒たちも先生も何も言わないので、龍虎としては拍子抜けである。それで練習してから体育館に向かう。英語劇が終わり、急いで大道具の撤収が行われる。5分ほどで片付き、コーラス部に引き継がれる。ピアノを男子部員たちがステージ脇から押し出す。ピアノはステージの左(下手)端に。そして、中央に指揮台を置く。
歌唱する部員が入る。ソプラノ・アルト・テノール・バスの順に並ぶ。ピアノのそばがバスである。龍虎はソプラノなので一番向こうの方(上手)に並ぶ。
実は8−9月の大会では龍虎は学生服でソプラノの列に並んだので、周囲が全員セーラー服の中でひとりだけポツンと学生服の子がいる状態になり、それを見た観客からけっこうなざわめきが起きていた。しかし今日は龍虎もセーラー服を着ているので全く違和感が無い。
それで顧問の須賀先生が出てきて指揮台の所に立ち、演奏が始まる。歌うのは大会でも演奏した『どっこ沼』『桜の季節』、その後、教科書にも載っている『浜辺の歌』、そして『踊るポンポコリン』で盛り上げて終了した。
そのまま解散となるので、教室に戻る。
「ボク、セーラー服を着ていたのに何で誰にも何も言われなかったんだろう?」
などと龍虎が言うと
「それは龍がセーラー服を着ていて全く不自然さが無いからだと思うよ」
と宏恵は言った。
「人は不自然な物を見ると気付くけど、自然なものには反応しないんだな。普通の男の子がセーラー服を着てたら違和感あるから『何でセーラー服なの?』とか訊かれると思うけど、龍はセーラー服を着てるのが自然なんだもん」
「うーん・・・」
「ついでに言うと、龍は学生服を着ていると違和感がある」
「ボク、コーラス大会の市大会でも県大会でも関東甲信越大会でも、どうして学生服着てるんですか?と訊かれた」
「まあ訊きたくなるね」
教室に戻ると、もう模擬店は終了し、片付けが進んでいる。龍虎と宏恵もそれを手伝う。その片付けがかなり進んだ所で
「ここに誰かの学生服がある」
という声がある。
「ボクのかも」
とセーラー服姿の龍虎が寄ってみる。
「ああ。田代というネームが入っている」
「でも田代さん、もうこれ着ないんでしょ?」
「え?なんで?」
「11月からはセーラー服を着てくるという話を聞いていたから、朝は何で学生服着ているんだろう?と思ってた」
「龍ちゃん、セーラー服やはり似合うよ。週明けからはそれ着て来るの?」
などとみんな言っている。
「別にセーラー服を着てきたりしないけど。さっきはどうしても見つからなかったから、これ桐絵から借りた」
と龍虎は説明する。ちなみに桐絵は体操服を着ている。
「だけど今度アイドルデビューするんでしょ?」
「話聞いてすごーいと思った」
「ロックギャルコンテストって全国規模のオーディションで優勝したのよ」
「よかったら、後でもいいからサインちょうだいよ」
「ごめーん。校内ではサイン禁止なんだよ」
「でも龍ちゃん可愛いもん。普通に女の子アイドルできるよ」
「それで学校でもセーラー服で通学するんでしょ?」
「女の子アイドルなのに学校に学生服で通学してたら変だもんね」
「学籍簿もちゃんと女子に変更されたんだよ。ほらこれ新しい出席簿」
と言ってクラス委員の花菜が今日11/1の日付が入った出席簿を見せる。この学校は男女混合名簿なのだが、名前だけでは性別が分かりにくい子も結構居るので、男子には◇、女子には▲のマークが入っている。これまで龍虎の所には◇のマークが印刷されていたが、この出席簿では▲マークになっているのである。
龍虎はうっそー!?と思った。
「ああ、やはりちゃんと女の子に修正されたのね」
「戸籍上も女の子になったの?」
「戸籍の性別は性転換手術しないと変えられないんじゃないの?」
「性転換手術は夏休みに済ませたと聞いた」
「ゴールデンウィークに済ませたんじゃなかった?」
「でもセーラー服姿はこれまでも何度か見たね」
「やはり学生服は不自然だったもんね」
「だいたい学生服の下にはワイシャツじゃなくてブラウス着てたし」
「別に女の子にはならないよぉ。手術もしてないし、なるのは男の子アイドルだよ。これまで何度か着てたセーラー服も借り物だよ」
と龍虎は言うものの
「セーラー服、ちゃんと作るまで、取り敢えず誰かから借りておくのね」
「龍ちゃん、おっぱいはあったしね」
「うん。いつもブラジャーしてるね」
「だから、性転換手術しなくても、既にほぼ女の子になっていた気がする」
「龍ちゃんにちんちんが無いことと、おっぱいがあることはQS小出身の多くの女子がお風呂で確認している」
「体育の時間に着換える時、龍ちゃんのパンティには膨らみが無いもん。ちんちんが無いのは明らかだよ」
「胸も間違い無くあるし」
「割れ目ちゃんが無かったのを作ったんだっけ?」
「ヴァギナが無かったのを作ったのでは?」
「卵巣とか子宮を移植したんだっけ?」
などと友人たちの声。
「そんなの作ってない、移植とかしてない」
「じゃ12月までに手術するの?」
などと言われる。
龍虎はこれ、どうすれば、みんなに男の子アイドルだというのを理解してもらえるのだろう?と悩んだ。彩佳や桐絵は大笑いしているし。。。。
11月2日(日),3日(祝)の連休に、2つのバスケットボール大会が開かれた。
秋田県酒田市では第10回全日本社会人バスケットボール選手権大会が開かれた。この大会で男子上位2チーム、女子上位3チームはお正月のオールジャパンに出場することができる。
男子では貴司たちのMM化学が出場する。女子では玲央美たちのジョイフルゴールドが出場する。
一方、東京では東京都バスケット秋季選手権の準々決勝〜決勝が行われる。千里たちの40 minutesはここに出場する。ジョイフルゴールドもこの大会には参加申し込みだけしていたのだが、日程がぶつかってしまったので、こちらは棄権している。先週は2軍に相当するジョイフルダイヤモンドから数名、審判やTOをするのに来ていた。
なお、両者のスケジュールはこのようになっていた。
■全日本社会人選手権
11/2 10:00 男子1回戦(ABCD) 11:40 男子1回戦(ABCD) 15:30 男子2回戦(ABCD)
11/3 9:30 男子準決勝(AB) 11:10 男子交流戦(ABCD) 12:50 男子3決(A) 14:40 男子決勝(A)
11/2 13:30 女子1回戦(ABCD)
11/3 9:30 女子準決勝(CD) 12:50 女子3決(B),交流戦(CD) 14:40 女子決勝(B)
■東京都秋季選手権
11/2 10:00 女子準々決勝(AB) 11:30 女子準々決勝(AB)
11/3 10:00 女子準決勝(DE) 13:00 女子決勝(D)
千里は実は11月1日にもスペインで試合をしている。これが終わったのが現地の20:30で日本時刻では11月2日4:30である。さすがに日本で朝6時に対応出来ないので《すーちゃん》にインプレッサでみんなを吉祥寺の武蔵野体育館まで運んでくれるように頼む。吉祥寺に到着したのが8時頃だが、すーちゃんは麻依子から
「今日はどっちが出るの?」
と訊かれて
「ちゃんと千里本人が出ると思います・・・たぶん」
と答えた。
千里本人はグラナダのアパートで11/2 1:30(日本時間の9:30)頃目が覚めて酒田市に行っている《いんちゃん》と交替する。彼女はふだん市川に居てもらっているのだが、貴司が酒田に行ったのでそれに合わせて一緒に酒田に行っている。
それで千里はそれでアリーナに出て行く選手たちを「頑張ってね」と言って見送る。そして吉祥寺の《すーちゃん》と交替した。麻依子が「遅刻。罰金10万円」と言ってコツンと頭を叩いた。
貴司たちの試合は11:10頃終わった。貴司たちは勝った。それを《すーちゃん》から聞いた千里は
《勝利おめでとう。次も頑張ってね》
とメールを入れておいた。ついでに《すーちゃん》に頼んで、肉まんを差し入れた。
11:30からは千里たちの試合である。相手は大学生チームだったが、快勝した(12:40). 今日はこれで終わりなので、みんなで一緒に食事をしてから、14時頃、みんなを各地まで送っていく。
全員を送り終えた所で近くのスーパーの駐車場に入れて駐めて《すーちゃん》と交替する。貴司たちの試合はもう始まっている。貴司たちはこの試合でも終始リードを許して苦しんだものの、最後の最後に石原主将がファウルをもらい、フリースローを2本決め同点に追いついた。延長戦である。ここで双方死力を尽くした戦いになるが、最後は貴司がブザービーターとなるスリーを決めて逆転。準決勝に進出した。
千里はフロアを出てきた貴司にキスをして祝福。
「明日も頑張ってね」
と言った。チームにはローソンのLチキを人数分差し入れておいた。
その後、千里は《すーちゃん》と入れ替わり、車を駐めていたスーパーで買物をして葛西に帰って寝た。1日にプロの試合と、アマの試合ではあってもノックダウン方式なので落とせない試合をやるのはなかなか大変である。なお、この日は《いんちゃん》はスペインに行きっぱなしだが、彼女はスペイン語が分からないので、ずっとアパートに閉じこもっていたようである。
翌日11月3日。この日の試合会場は江東スポーツ会館である。いつも練習をしているS体育館からも近く、みんな普段の足で集まれるので送迎の必要は無い。それで朝適当に集まってから、《すーちゃん》と入れ替わりで酒田に行き、9:30からの試合に出る貴司に「頑張ってね」と言った。
「千里どこに泊まったの?」
「千葉だけど」
「秋田にいるじゃん」
「これは立体映像なのよ。じゃね」
と言って会場の外に出てから、《すーちゃん》と交替した。
そして10時からの準決勝に出るが、これも快勝する(11:10). しかし貴司たちは負けていた。今日は千里たちはこのあと決勝戦に出るので悪いが仮眠させてもらう。《残念だったね。3位決定戦頑張ってね》とメールした上で、下着を交換して控室の隅でひたすら寝た。
貴司の3位決定戦は12:50、千里たちの決勝は13:00から始まった。
決勝の相手は江戸娘である。例によって、こちらの技術力と向こうの若さの勝負になる。パワーとスピードはどうしても向こうが上だが、テクニックや試合経験はこちらが上である。最後まで接戦が続いたが、最後は向こうの足立理絵が暢子のブロックを絶妙にかいくぐってシュートを決める。これが決勝点となって江戸娘が1点差勝ちをした。
なお、貴司たちは3位決定戦に勝った。しかしこの大会で男子は2位までしかオールジャパンに行けないのである。あと少しであった。千里は《すーちゃん》に頼んで残念会用にサイダーを1箱差し入れておいた。その後、《いんちゃん》と位置交換して、《すーちゃん》がスペインに行き、《いんちゃん》は貴司たちと同じ便で大阪に戻った。
なお《きーちゃん》は現在、AYAのゆみをガードして北海道に行っている。
東京の江東スポーツ会館では、40 mintuesのメンバーがフロアから引き上げてくると、そこに冬子がいた。冬子は麻央たちの報告で千里のチームがこの大会に出ると聞き、近くでもあるし、見に来たのである。
「お疲れ様。惜しかったね」
と冬子が言うので
「来てたんだ?」
と白々しく千里は答える。
実は北海道から戻ってから冬子が自分に尾行をつけるかも知れない、という付近から千里の遠大な計画が作動していたのであった。
「こちらもまだまだだったね」
メンバーの中の数人が、冬子の正体に気付いたようで
「もしかしてローズ+リリーのケイさん?」
と言って騒ぐ。
「千里、こんな有名人と知り合いだったの?」
「まあ郵便配達人と大邸宅に住む貴婦人という感じ」
と千里が答えると、冬子は言った。
「その郵便配達人が実は郵便会社の社長だったりする感じだね」
結局冬子も残念会に連れて行く。この費用を冬子が持ってくれた。
「薫ちゃんたちのチームは出てなかったんだね」
と冬子が尋ねた。
「ローキューツは千葉だから」
「あっそうか!」
「向こうは千葉県秋季選手権で既に優勝して関東総合への出場を決めている」
「おお、凄い」
「まあね。それで今思いついたんだけど、冬、バスケットチームのオーナーにならない?」
「へ?」
「実は千葉ローキューツもこの東京40minutesも私が活動資金を出している。40 minutesは当初引退した選手とか、所属チームが無くなった選手とかが集まって、身体がなまらないようにとか言って始めたんだけど、結構強い人が揃ってきて、このままだと来年くらいは、関東大会で、うちとローキューツがぶつかる可能性も出てきたんだよね。それで両方私がオーナーだとやりにくいから、冬にローキューツの方を引き受けてもらえないだろうかと思って」
「それどのくらい掛かるの?」
「給料とかも無いし、手弁当だから、年間の純粋な経費は連盟への登録料と大会の参加費で10万円くらいだけど、千葉ローキューツは全国大会にも出るから実は年間150-200万くらいの遠征費が掛かっている」
「200万くらいなら出していいよ。じゃ、私がローキューツのオーナーになろうか?」
「助かる。儲けにはならないけど」
「いや、今年はけっこうローキューツさんにステージのパフォーマンスに協力してもらったし、その縁ということで」
「じゃ、後日、薫や監督さんとのセッティングをするよ」
「よろしく」
そういう訳で千里は羽衣の元弟子“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”に勧められたように、ローキューツのオーナーを冬子に引き受けてもらったのであった。
11月5日(木).
龍虎のデビュー前、龍虎の個人的な関係者の慰霊の旅をすることになった。参加したのは下記14名である。
龍虎、上島夫妻、長野支香、田代夫妻、志水照代。村山千里、佐々木川南、白浜夏恋、若生暢子。唐本冬子・中田政子・秋風コスモス。
コスモスは多忙すぎる紅川社長の名代である。支香と春風アルトが同席することになったが、田代幸恵が「亡くなった人の前では誰もが皆等しく仏徒です」と言ったので、アルトさんも容認した(支香の側はそもそもアルトを拒否していない)。
一行は朝東京駅に集合して東海道新幹線で名古屋に行き、在来線で尾張一宮駅まで行く。駅から4台のタクシーに分譲して、高岡猛獅のお墓まで行った。
お墓を掃除し、水を掛け、花と線香を備える。他に誰もお経が唱えられないというので、暢子に言われて千里が“般若心経”を唱えたが、上島はポカーンとしていたし、政子は笑い転げていた。しかしコスモスは表情ひとつ変えず合掌していた。それを見て冬子は、この子凄い!と思った。
待ってもらっていたタクシーで尾張一宮駅まで戻る。東海道新幹線でいったん東京に戻ってから更に東北新幹線で仙台まで行く。仙台駅で長野夕香・支香姉妹の母・松枝が待っていて、一緒に長野家の墓に行った。こちらでもお参りするが、コスモスがぽつりと言った。
「津波は生きている人も死んだ人も全部飲み込んでしまった」
それを聞いて、千里は、この子、いつも明るく振る舞っているし、どちらかというとお馬鹿さんみたいなキャラを演じているけど、その内面には闇を抱えているのでは?という気がした。
ここでも千里が“般若心経”を唱え、松枝さんが笑いをこらえきれずにいた。
仙台からの帰りの新幹線では、龍虎(それまで学生服を着ていた)はうまく乗せられて女性用のフォーマルドレスを着せられてしまう。それでこの後はこの服でと言われていた。
東京駅に着いた後は、大半のメンツはレンタカーで借りたクラウン・マジェスタに乗って八王子のホテルに入った(深夜出発するので足を確保しておく)が、龍虎、上島、冬子、千里の4人だけが別行動になり、山手線で目黒に移動して東急で田園調布まで行って、★★レコードの星原相談役の屋敷を訪れた。
2003年12月27日AM4:51、龍虎の両親、高岡猛獅と長野夕香は中央道で事故死したのだが、その時高岡が運転していたのがPorsche 996 40th anniversary editionであった。ところが事故の後、テレビで無責任な芸人のレポーターや自称評論家たちが、290km/hも出るような車を市販するのがおかしいなどと連日ポルシェを批判していた。
それに反発したのがポルシェのファンで何台もポルシェを持っていた音速通信の重富社長であった。重富氏は上島に接触してきて、毎日ポルシェが馬鹿にされていて悔しい。偶然にも自分は高岡が持っていたのと同型の 40th anniversary edition を持っている。これを上島に譲るから、それでポルシェの良さをアピールしてくれないかと言ったのである。しかし当時の上島雷太にはこの限定品ポルシェを買うだけのお金が無かった。その時話を聞いた★★レコードの星原会長(当時)が重富氏からこの車を買い取り、上島雷太に託したのである。
上島や星原は協力してくれるテレビ局を巻き込み、上島が様々な歌手・俳優などと一緒に 996 40th anniversary edition に乗って日本各地を旅する番組を放映。この番組は3年間続き、この車に対するイメージは大いに上昇したし、ポルシェの日本での売れ行きも上昇したのであった。ポルシェ・ジャパンは感動してこの番組に感謝状を贈り、ポルシェの最新型を1台プレゼントすると言ってきたが、そういうのをもらったらワイロもらって番組を作ったみたいに思う人も出るだろうからということで放送局も上島も辞退したのである。
そのポルシェ996 がこの星原さんの家のガレージに駐めてあり、ワンティスのメンバーには、いつでも乗りに来てと言ってある。それで雨宮や海原などが時々来ては借りてドライブしている。
今回の慰霊の旅ではこのポルシェに龍虎を乗せることにしたのである。
いわゆる「霊的な重ね書き」である。
よくない記憶を良い記憶で置き換えてしまうのである。
星原さんの家ではかなり長時間話し込んだ。その後、ポルシェを借りて八王子のホテルに移動する。むろん運転するのは千里である。千里は星原さんや娘の鈴木片子さんに国内A級ライセンスも見せた。「ハートライダー」の関わりで千里はしばしばサーキットも走っている。鈴木片子さんはハートライダーに出ている千里を知っていたが、冬子は知らなかったようで
「そんなのに出てたの!?」
と驚いていた。
この日は早めに各自ホテルで仮眠して、夜中過ぎに3台の車(千里が運転するポルシェ996と、コスモス・夏恋が運転するマジェスタ(途中で田代父・川南に交替)で八王子を出発した。
Porsche 千里・上島・龍虎・冬子
Majesta1 コスモス・アルト・政子・川南・暢子
Majesta2 夏恋・支香・田代夫妻・志水
現場を知っているのは上島と支香だけで、それで先頭をポルシェ、2番目をコスモスが運転するマジェスタ、最後尾を支香が同乗している夏恋運転のマジェスタが続くという並びで走った。
事故現場までは約250kmである。11年前に高岡夫妻はこれをわずか1時間半で走り抜け、そのまま天国まで走って行ってしまったのだが、今回は安全運転で走るので早い時刻の出発となった。深夜なので、運転手とおしゃべり相手係以外は、だいたいみんな寝ていたようである。おしゃべり係は
コスモス:アルト
川南:暢子
夏恋:支香
涼太:幸恵
が務めている。
しかし千里は自分も寝るつもりなので「おしゃべり相手不要」と言い、みんなが眠ってしまった頃合いを見て、千里も《こうちゃん》に運転を任せて意識を眠らせておいた。
事故現場の直前のPAで時間調整する。そして2014.11 06 4:50頃、事故現場近くの非常駐車帯に3台の車はハザードを焚いて停車した。ちょうど天文薄明が始まった所である(*1).
「長時間停められないからみんな急いで」
と言って全員降りる。龍虎が持って来た花束を置く。
「その先にある急カーブの所が現場なんだよ」
と上島が言う。龍虎が手を合わせている。
「4時51分」
という上島の声に全員合掌して黙祷を捧げた。
1分間の黙祷の後、花束も回収し、急いで車に戻り出発する。
3台の車は事故現場からほんの1分も走ると、次のPAに入った。
駐車場に車を駐め、PAの端まで歩いて行く。再度事故現場の方を向き、千里の《般若心経》に合わせて合掌した。
(*1)2014.11.6のこの地点での天文薄明は4:49. 事故当日2003.12.27のこの地点の天文薄明は5:23頃であり、事故当時はまだ暗かった。
サービスエリアで朝御飯を食べ、2時間ほど休憩してから、次のインターで降り、逆向きに乗って東京に戻った。八王子でお昼を一緒に食べてから解散する。大半の人は鉄道で帰るということで、夏恋と川南がマジェスタを返却に行った。
一方ポルシェ組の4人は給油してから星原相談役の家まで行った。
「いい慰霊の旅が出来ました。ありがとうございました」
と上島が代表して言い、それで少し世間話などしてから帰ろうとしたのだが、星原は言った。
「僕ももう先が長くないと思う。それで相続とかになった時に面倒なことが起きないように、このポルシェを買い取ってくれないかな」
最初上島に買い取ってという話かと思ったのだが、そうではなく龍虎に買い取ってもらえないかという話だった。
「済みません。おいくらなのでしょう?」
と龍虎が驚いて訊く。
「君の言い値で売るよ」
「上島先生、これどのくらい値段するものなんですか?」
「オークションに出せば5000万円だと思う」
「僕、そんなお金無いですよぉ」
星原さんは言った。
「一般の人に売るなら5000万円もあり得るけど、元々のオーナーの娘に売るのだから、1000万円という線でどうよ?」
星原さんはわざと“娘”と言っているのか、うっかり“娘”と言ってしまったのか微妙な所である。龍虎は女性用のワンピース型の喪服を着ている。
「むしろそれ未満では申し訳ないですね」
と上島。
「1000万円でもお金無いです」
と龍虎。
そこで上島は
「僕が龍虎にお金を貸して、それで龍虎が買うというのでは?」
と提案した。
「それならいいです。でも1000万円でも返せるかなあ」
「たぶん最初に出すCDの印税で、そのくらい楽に払える」
と千里が言った。
龍虎はその千里の意見には懐疑的ではあったものの、上島の提案に乗って、龍虎が上島から1000万円借りて星原相談役から買い取ることで話はまとまった。
車は実際には龍虎が自分で運転することはない(18歳になって免許を取っても事務所は絶対に運転を禁止するだろう)ので、千里が預かっておくことにした。実際問題として、龍虎が乗る場合も千里がドライバーを務める確率が最も高い。
翌日11月7日(金).
龍虎は学校をこの日午前中だけで学校を早引きし、成田空港に向かった。
熊谷13:38-14:43上野/京成上野15:00-15:44成田空港
上野駅の翼の像の所で、§§プロの田所さんと落ち合う予定だったのだが、実際行ってみると、来ていたのは秋風コスモスであった。
「田所が急な腹痛でダウンしたのよ。それで私がマネージャー代わりで出てきた」
とコスモスは言う。
「わっ!今日はマネージャーさんなんですか!」
「沢村さんはパスポート持ってないというし。私は去年の春にやはりハワイで写真集を撮ったから、その時のパスポートもESTAもまだ有効だったんだよね」
「わぁ。どんな感じの写真集撮ったんですか?」
「やはり水着の写真が多かったよ。一部ムームーの写真も撮った」
「へー。凄い」
話している内にローズ+リリーの2人も来る。今回はケイがプロデューサー役らしい(マリはおまけらしい)。そして★★レコードの富永純子が来るが、★★レコードが予約していたチケットが性別Fになっていたということが発覚する。慌ててカウンターに行き、性別を変更してもらった。
「ごめーん。私、どこかで勘違いしていたみたい。てっきり町添から100年に1度の美少女と聞いた気がしたんだけどなあ」
と富永。
「100年に1度の美少年なのではないかと」
「でも私、女の子アイドルと思っていたから、可愛い女の子の衣裳をたくさん調達して、ハワイに送っておいたんだよ」
と富永は言っている。
「アクアの方を100年に1度の美少女に改造してしまいましょう。ちょっと病院に連れて行って」
などとマリは言っている。
「時間があったらそれでもいいけど、明日・明後日で撮影しないといけないし」
などと富永は言っている。
「少女に改造するのは勘弁して下さい」
と龍虎は言っておく。
それで富永は現地スタッフに電話して、龍虎の身体に合う男の子の格好いい衣裳をできるだけたくさん調達して欲しいと連絡していた。
ハワイに着いたのは同じ11月7日の朝6:55である。
NRT 11/7 18:55 (UA880:B777) 11/7 6:55 HNL (7h00m)
ここで先行してハワイ入りしていた写真家の桜井さん、映像作家の美原さんと落ち合う。ふたりは龍虎を見て「凄い美少女だね」と言っていたのだが、富永が急遽用意させた衣裳を見て顔をしかめる。
「なぜこんなに男っぽい服ばかりなの? もっと可愛い服は無かった?」
「すみません、この子、男の子なので」
「何ですと〜!?」
と桜井さん・美原さんが同時に声をあげた。
龍虎は困ったような顔、コスモスは例によってポーカーフェイスだが、政子は笑いをこらえきれない様子だ。
「美少女アイドルの写真集を作ると聞いたんだけど?」
「私も100年に1度の美少女と町添さんから聞いた気がする」
「済みません。町添は何か勘違いしていたみたいで」
と富永が謝る。
ふたりとも可愛い女の子を撮るつもりでいたので、構想が全部崩れてしまう。
「ちょっと待ってよ。私、女の子の写真撮るつもりでイメージワークしてたのに」
「済みません。性別を変更してください」
「面倒だから、本人の性別を変更してよ」
「今病院に連れて行って手術してたら、撮影が間に合わないので」
「仕方ないな。じゃ30分待って。考え直す」
「はい」
ということで龍虎は病院に連れて行かれて強制的に性別変更されることもなく、30分後に撮影は開始されたのであった。
龍虎は「男性用の服」が全くサイズが合わないので「女性のコスプレ用」のアロハシャツやホワイトスラックスを着せられていた。
「じゃ水着撮影行ってみようか」
ということでトランクス型の水着が用意されるが、コスモスが中止を要請した。
「アイドルの生バストを曝すわけにはいかないので」
「えっと、この子、男の子じゃないんだっけ?」
「うーん。そのあたりはひょっとすると女の子かも知れないということで」
「だったら、女の子水着を着けさせよう」
「それは公開できないので」
「公開しなきゃいいんでしょ?私が頭の中でストーリーを練るのに、この被写体には水着を着せたい」
ということで結局、龍虎は女の子水着を着せられてしまう。すると
「可愛い!」
という声があがる。
「あんた、やはり女の子なの?」
「男です〜」
「女の子水着を着てこんなに可愛くなる男の子なんてあり得ない」
「だいたい、男の子が女の子水着を着たら、お股に膨らみができるはずなのになぜできない?ちんちんもう取っちゃった?」
「付いてますけど小さいんです」
「胸もあるし」
「この子、大きな病気をしていて、その治療の副作用で少し胸が膨らんでいるんです」
「まあいいや。だったら、実は女の子の身体なのでは?というのは内緒にしておいてあげるよ」
などと言いながらも桜井はたくさん写真を撮っていたが、どう見ても男装の写真より女装の写真に熱が入っていた、結局、ムームー、キャビンアテンダントの服、それに日本の女学生用セーラー服まで着せられていた。
翌日は、ビデオを撮影したが、女の子がモンスターに襲われている所にアクアが駆けつけて来て助け出すというストーリーで撮影することになる。ところが急にそんな話を決めたので、出演者が必要である。これを現地スタッフの人が何とかかき集めてくれたのだが、襲われる女の子役を誰にするかで議論する。
身長154cmの龍虎とバランスが取れる女の子が今回来ているメンツの中に居ないのである。ケイが167cm, マリが164cm, コスモスが157cmなので、コスモスにやってもらおうかという話になりかかった所でマリが言った。
「その女の子役もアクアがすればいい」
「なるほど!」
そういう訳で、アクアは襲われている女の子、駆けつけて助ける王子様?の両方を演じることになったのである。撮影時はコスモスがボディダブルを務める。
この撮影は途中で構想が膨らみ、アクアが馬に乗って駆けつけるシーンまで撮ったので、結局11月9日昼頃まで掛かった。帰国を1日伸ばすことにして、様々な楽器を演奏しているアクア、ハワイのあちこちの観光地を歩くアクア、更にはマノア滝まで往復するアクアまで撮影した。最後はカハナモクビーチで夕日の中のアクアを撮影した。
11月10日(月)朝のアクアの寝起きまで撮影して、一行は帰途に就いた。
HNL 11/10(Mon) 9:35 (JL785:B787-8) 11/11(Tue) 13:30 NRT
その日はもう龍虎の学校には間に合わないので、間に合わないのならついでにと言われて、都内のスタジオで、★★レコードの氷川が用意していた衣裳をつけてたくさん追加撮影をした。
「町添も加藤も女の子と信じていたみたいだけど、私はあれ?と思っていたのよね」
などと氷川さんは言っていた。
しかしこの追加撮影でも、龍虎はノリ?で、ビキニの水着まで着けさせられた。
「普通に女の子アイドルの水着写真にしか見えない」
「これを写真集の表紙にしない?」
「それは紅川さんから叱られます」
一応中学生タレントを使用してもよい時間制限の夕方8時には撮影を終え、氷川が付き添って熊谷市の田代家まで送っていった。
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【娘たちのエンブリオ】(3)