【夏の日の想い出・秘密の呪文】(6)
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(C) Eriko Kawaguchi 2021-04-13
アクア主演の映画『君はダイヤモンド』は2月5日(金)に公開されたのだが、その直前2月3日(水)にはこの映画の主題歌『ダイヤモンドの意志』のCDが発売された。この曲自体は10月に発売したアルバム『宝石箱』からのシングルカット(single mix)だが、それに加えて新録音が2曲入っている。
『ダイヤモンドの意志』(single mix)(夢倉香緒梨作詞・大宮万葉作曲)
『誘惑するキャッツアイ』(阿木結紀作詞・醍醐春海作曲)
『マドンナの宝石』(岡崎天音作詞・Ermanno Wolf-Ferrari作曲)
夢倉香緒梨は花ちゃん(山下ルンバ)のペンネームのひとつ、阿木結紀は秋風メロディーのペンネーム、岡崎天音はマリのペンネームである。
『マドンナの宝石(I gioielli della Madonna)』は小学生でも知っている超有名曲だが、元々は同名オペラの第1間奏曲(intermezzo No.1)である。このオペラは現代では2つの間奏曲以外は、ほとんど演奏されることが無い。今回はその曲にマリが歌詞を載せた。
PVは、『ダイヤモンドの意志』は男の子が女の子にダイヤの指輪を填めてあげるシーン(アルバムでもやったもの)を、あらためて収録しているが、演じているのはアクアFとアクアMで建前上は合成ということにしている。
「でもあれ女の子の方は、君が演じてるんだろ?」
と、このPVを見て“彼”は言った。
「外れ」
「そうなの?」
「女の子役が彼で、男の子役がボクだよ」
「うっそー!?」
『誘惑するキャッツアイ』ではまずロングヘアで黒いドレスを着て椅子に座り妖艶なメイクをしたアクアが登場する。彼女(?)が手に持つカクテルグラスには黄色い液体が入っているが、中央に白い部分があり、これを上から撮影するとまさに猫の目のようである。
(黄色い液体は実際にはオロナミンCであり、白い部分はアイスクリームである。小道具さんの力作!この件はビデオの最後にもコメント文で入っており、アクアはアルコールは飲んでいませんと断っている)
左手中指に金のリングを填めているが、そのリングの台座にもカクテルと同じ配色の巨大な宝石が輝いている。これは本物のキャッツアイで、実はアクアの初期の頃からのファンである江藤愛来さん所有の指輪をお借りしたものである。値段は恐らく数百万円する。江藤さんの指サイズなのだが、アクアは細いので無理なく填められた。実は抜け落ちないようにリングストッパーを内側に入れている。
そこにベネチアングラスを着けて顔を隠し?白いフロックコートを着たアクアがやってきて、ドレス姿のアクアの向かいに座る。2人が何か会話しているが声などは無いし、字幕も入らない。でも読唇術のできる人が会話を読み取ったらこういう会話だったというので後で話題になった。
「さすがに疲れたよね」
「11-12月頃よりはマシになりましたけどね」
「松梨詩恩ちゃん、米本愛心ちゃん、羽鳥セシルちゃんにだいぶ代わってもらったから」
「詩恩ちゃんが『死ぬー』と叫んでた」
「でも葉月(ようげつ)ちゃんも数回倒れたね」
「半日くらい寝てたらだいぶ回復しました」
「こないだ社長からお土産にもらった旭川の青葉のラーメン美味しかった」
「へー。名前は聞いたことありますね」
「今度うちに寄ってよ。半分あげるから」
「じゃ今度」
ということで、この会話はアクアとボディダブル役の葉月の雑談であることが判明した!
なお、フロックコートというのは裙が、ひだスカートのようにゆとりのある伝統的デザインのものを着用している。これがフロックコートを見慣れてない人にはワンピースのように見えるので、
「これって女の子同士の会話?」
「結局アクア様は女装しかしないのね」
「アクアは本当に女の子になっちゃったみたいだし」
などといった会話がネットのあちこちで起きていた!
『マドンナの宝石』では。三陸セレン・高島瑞絵・大崎志乃舞と共演している。実はアクアを含めてこの4人はバレエの経験者で、全員トウシューズで踊ることができる。それで白いクラシックチュチュを着けて各々トウシューズで曲に合わせて踊っている。撮影は深川アリーナのステージで行ったが、振付は、私の友人でバレエ団に所属している、橋口帆華に頼んだ。所属バレエ団の許可を取った上で振り付けと踊りの指導をしてくれた。
特にアクアはトウで立って何回転もピルエットをしているので「すげー」とファンのみならず、このPVを見たバレエファンなどからも声があがっていた。むろんこれを踊っているのはアクアFである。
アクアがチュチュを着けていることについては、もう今更なので誰も言及しなかった!
今回は映画の公開に合わせたものということもあり、特に発売日の記者会見は行わず、アクアのメッセージだけを動画投稿サイトに流した。
§§ミュージック社長・秋風コスモス(本名:伊藤宏美)のお父さん伊藤太郎(1954生)は奈良県の生まれである。まるで仮名(かめい)みたいな名前でホテルに泊まると「本名書いて下さい」と言われたりして苦労したらしい。神戸大学を1977年春に卒業後、教師を志望したものの、当時は教員の志望率が高かった時代で、コネとかも無い人には厳しく、結局ポートビア・ランドに就職した。
お母さんの鈴木花子(1957生)は韮崎市の出身である。彼女も「本名書いてください」と言われること多々で苦労していた。高校卒業後、東京で当時は女性の花形職業であったキーパンチャーになった。しかし、仕事先の男性とのトラブルから(「結婚する」と言っていたことから実家にも帰れず)逃げるようにして大阪に移住。飲食店に勤めている時に伊藤太郎と出会った。
ふたりはどちらも「まるで仮名(かめい)みたいな名前」というので意気投合し、1983年に結婚した。結婚したことで花子は親とも和解したが、花子のお祖母さんが病気で倒れたことから「山梨に戻ってきてくれないか」と懇願された。それで1986年、太郎はポートピア・ランドを退職し、花子のお父さんが紹介してくれた甲府市内の学習塾に転職した。元々教員免許を持っていて教えるのは好きだったし、10年近い遊園地での経験もあって生徒たちに人気の講師になる。本人としてもこれは天職かもと思った。
この甲府時代に、1988年、結婚5年目にして最初の子供が生まれる。2人は自分たちが易しすぎる名前で苦労したので、特徴ある名前を付けようというので、秋好(あきこのむ)と名付けた。源氏物語の登場人物(六条御息所の娘で後の梅壺中宮)から採った名前である。
しかし源氏物語でも、みんな桐壺更衣・藤壺中宮や若紫(紫の上)とか夕顔とか葵の上などは分かるものの、秋好まで知る人は圧倒的に少ない。それで、まず「あきこのむ」と読んでもらえない。しばしば“あきよし”とか“しゅうこう”と読まれて男の子思われたりもする。
「男の子にしておくのはもったいないくらい可愛いね」
などと秋好はよく言われていた。
それで両親は考え直し、1991年に生まれた次女には「宏美」(ひろみ)という易しい名前を付けた。
そういう経緯で名付けの気合の入り方が極端に違う姉妹ができたのである。
1997年に太郎が勤めていた学習塾は、大手予備校に生徒を奪われる形で倒産してしまう。転職先を探していた時、上九一色村に新しい遊園地を作るから、遊園地の経験のある人が欲しいという情報がもたらされる。それで太郎は不便な場所とは思ったが、上九一色村に一家で移住し、新設遊園地“富士ガリバー王国”で働き始めた。
ところが太郎自身も案じたように、とっても不便な場所なのであまり客は来なかった。更に何といってもオウム真理教のマイナスイメージは拭えない。それで2001年に倒産してしまう。
転職先を探した太郎は、ポートピアランド時代の友人がサンリオ・ピューロランドに転職していたのに誘われ、そちらに移動した。そして一家はそろってピューロランドのある東京都多摩市に移住した。これが秋好が中1、宏美が小4の時である。
2006年、歌がうまく合唱部でも活躍していた秋好(当時高3)が東京の芸能事務所・§§プロダクションのオーディション(フレッシュガール・コンテスト)に応募し準優勝した。当時は優勝者以外には本来は特に何も無かったのだが、秋好は優勝者とわずか1点差という優秀な成績だったため、練習生になって1年くらいレッスンを受けてからデビューを目指さないかと言われた。それで秋好は§§プロダクションと契約し、毎日学校が終わると小田急で新宿に出てレッスンを受けていた(レッスンは無料だし、定期券代は事務所が出してくれる)。芸名も秋風メロディーと決まった。
10月のある日、メロディーは電車に乗った後で、自宅にその日使う予定だった衣装を忘れてきてしまったことに気づき、実家に電話する。それで妹の宏美がその衣装を持ち、後続の電車で信濃町に向かう。宏美は姉の事務所到着後30分でやってきてくれた。そしてその宏美を見た紅川社長(当時)は彼女を見た瞬間、震撼を覚えた。そして思わず言った。
「ね。君、タレントになる気ない?」
それで結局宏美は§§プロの練習生になったのである。この時、予定では翌年2007年に秋風メロディーがデビューし、宏美は高校卒業後の2010年くらいにデビューさせようという話だった。
2007年3月、自宅に居た宏美は突然紅川からの電話を受けた。
「宏美ちゃん今すぐ新宿に出て来られる?」
「はい。電車で・・・1時間半くらいかな」
「タクシーなら30分で来るよね?」
「多摩市から新宿までタクシーですか!?」
「タクシー代払うから、至急来てくれない?場所は・・・」
実際には、偶然自宅に居たお父さんがバイクで宏美を新宿まで運んでくれた。バイクなので渋滞無縁で新宿まで行くことができ、宏美は30分後に新宿の指定されたスタジオに到着したのである。
そしてスタジオに着くといきなり譜面を渡され、これを歌ってと言われた。
そんな譜面を見て初見で歌うなんて、お姉ちゃんにはできるけど、私には無理だぞと思ったものの、伴奏者がガイドメロディーをキーボードで弾いてくれるのを聴きながらなんとか歌い、録音される。更にはスナップ写真も撮られる。バイクに乗って来ていたから下はジーンズのパンツである(ジャージで来なくてよかったと思った)。それで出来た音源をすぐに工場に持って行ったようだった。
こうしてドタバタで作ったCD『絶叫コレジエンヌ』(酷いタイトルだ)が5万枚も売れるヒットとなってしまう。
実は“コレジエンヌ”(フランス語で女子中学生の意味)なので中学生女子でないといけなかった。発売されたのは宏美の中学卒業式前日だった。実は本来歌うはずだった∞∞プロの女子中学生歌手が録音予定当日に喫煙で補導されて使えなくなり、その代役だった。彼女の日程が元々押していたので日程に余裕が無かった。つまり元々その日1日だけで音源制作してしまうつもりだったのに、その当日に本人が補導されてしまったのである。それで“1時間以内に新宿に出て来られる”女子中生を探したら、卒業式直前の宏美が見つかったという事情だった。そして“コレジエンヌ”という言葉に矛盾が生じないよう発売日を早めて、宏美の卒業式前に発売したのである。
宏美にとって運が良かった(?)のは、この曲は失恋した女子中生が焼き肉をやけ食いして絶叫するという内容なので(なんて歌だ)、少々音を外していても、いかにもヤケクソになっている感じで良かった(一応焼き肉のタレのCM)。またそういうシチュエーションなので服装もスカートよりパンツの方が似合っていたのである。
しかしこの『絶叫コレジエンヌ』のCDにクレジットされた歌手名“秋風コスモス”というのを見て、宏美は『ひっどーい』と思った。あまりにも適当すぎる名前だ。
紅川も
「すまない。もう時間がなくてゆっくり考えてる時間がなくて。君のデビュー曲はあらためて用意するから、その時、ちゃんとした名前を考えるね」
と言っていた。しかし“秋風コスモス”の名前で5万枚も売れてしまうと、もう今更変えられなくなってしまったのであった。宏美はCD発売の翌週にはテレビの歌番組にも出演して生歌唱した(CDの音程が酷いから口パクしても無意味)。そして“正統派美人”の姉に対して宏美は“親しみやすい顔”をしていることもあり、カリスマ的な人気となる。
デビュー曲のジャケ写でジーンズのパンツを穿いていたのは、バイクに同乗するという目的があったからなのだが、それが似合っていたので、彼女はその後もパンツルックでカメラの前に出ることが多かったし、歌番組にもだいたいパンツで出ていた。ライブでもパンツばかりであった。5曲目のジャケ写で初めてスカートを穿いたら
「秋風コスモスが性転換して女の子になってる」
などと言われた。
しかしそういうスタイルだったことから、コスモスは女子のファンがわりと多かった。ライブの観客もだいたい男女半々だった。もっとも当時からライブでコスモスはあまり歌わず、トーク3割・楽器演奏3割・歌4割で、しかもゲストを4人くらい登場させていた。それで2時間のライブで歌は7-8曲しか無かったが、観客は結構楽しんでいた。しかしあまり歌わないのは“本当は男の子なので女の子のような声で歌うのか苦手だから”という噂まであった!
しかしコスモスグッズは飛ぶように売れ、写真集(最初の2冊は全てパンツルック)も増刷、増刷。握手会には長蛇の列ができる。そして2007年末の音楽賞にまでノミネートされた。
この時期、§§プロは、満月さやか・秋風コスモス・浦和ミドリという音痴歌手3人が人気を得て、紅川社長は業界の人たちから白い目で見られるハメになる。実は∞∞プロの鈴木社長や、親友のΘΘプロ春吉社長からも苦言を呈された!
本命だったはずの秋風メロディーのデビュー話がなかなかまとまらず、初代川崎ゆりこ(私のこと!)は(当時私の父が物凄く多忙だったこともあり)保護者との話し合いがなかなか持てなかったし、結局私がデビュー辞退した後の2代目川崎ゆりこ(現)は、夏風ロビン問題の処理で紅川さんが時間的にも精神的にも余裕が無くてなかなかデビューできず当時本当にこの“音痴3人組”が事務所を支えていたのである。
その後デビューした(2代目)川崎ゆりこは歌がうまいことから「§§プロの良心」と言われ、続いて桜野みちるが出て高い歌唱力と優しい性格から多くのファンを得て§§プロの“第3黄金期”を生み出す。この時代にスタッフも少し増えた。しかしその後、海浜ひまわり・千葉りいな・神田ひとみ・明智ヒバリと4人連続で失敗して紅川さんは経営者としての自信を失う。しかし2014年にオーディションに合格したアクア・品川ありさ・高崎ひろかの3人が全てを変えた。
そのアクアがデビューしたのは、2015年3月4日(水)なのだが、秋風コスモスはその直前の3月1日、紅川に呼ばれた。
「宏美ちゃん、新しい仕事の話があるんだけど、やってくれないかなあ。簡単なお仕事なんだよ」
「はい。何でしょう?」
「§§プロの社長をやってほしいんだよね」
「え〜〜〜〜!?」
そういう訳でコスモスは2015年4月§§プロダクションの社長になってしまった。相性の良い参謀役として、コスモスは川崎ゆりこ(本名:蓮田エルミ)に副社長になってもらった。
実際には、ゆりこに「新しい名刺ができたよ」と言って
《株式会社§§プロダクション・副社長・川崎ゆりこ》
という名刺を渡しただけである!!
(コスモスの名刺も“株式会社§§プロダクション・代表取締役社長・秋風コスモス”と書かれていて、本名の伊藤宏美は書かれていない!)
しかしその後、コスモスはこの会社を5年で100倍の年商の企業に成長させたのであった。コスモスに社長をやらせるといいと紅川さんに言ったのは私なのだが、「あの子は大当たりだったよ」と紅川さんは言っていた。紅川さんは2019年春に経営から完全に退き、私がオーナーを引き継ぐことになった。
さて、秋風コスモス(伊藤宏美)は2021年1月21日にWooden Fourの木取道雄と電撃結婚したのだが、道雄はコスモスの食事係・掃除係・運転手役をすると記者会見で言っていた。
一応コスモスには専任ドライバーの美坂美知代もいるのだが、実は忙しすぎて担当者を2人にしてもらえないかという要望が出ていた。それで結局、道雄はその“増員”代わりにされた(保険などの問題で道雄に形だけでも§§コールセンターの契約社員になってもらった)。
だいたい朝、京成関屋駅近くにあるコスモスのマンション(自己所有)から道雄の運転するロードスター(コスモス個人の車)で信濃町の§§ミュージック本社あるいは、大田区のサテライト(=あけぼのテレビ本部)に出社しては、午前中はだいたい道雄がコスモスの移動に付き合う。仕事で使うのは、BMW 225xe iPower White(コスモス専用車)である。そして午後の移動を美坂さんにお願いする。
「君の運転手役をしてあげるよ」というのは道雄としてはわりと軽い気持ちで言ったのだが、最初の一週間で、もう目が回る思いになった!
「伊藤ちゃん、よくこんなにたくさん仕事こなしてるね」
「きつかったら言ってね、木取ちゃん。増員してもらうから」
ということで、午前中だけの担当なのにとっても疲れるのであった。
(ふたりは結婚したのに苗字(旧姓)で呼び合っている)
道雄は午後はだいたい、あけぼのテレビ内で部屋をもらって休憩しているのだが、しばしぱ姉のメロディーの彼氏(薫たちの父で事実上の夫)などが来て「道雄君、ちょっと手伝って」などと言われ、結構な雑用をしていた。雑用には、男手の少ない会社なので力仕事が結構あるが、あけぼのテレビの歌番組でギターやキーボードを弾いたり、司会!?をしたりというのも含まれる!!
「これ衣装ですから」といって渡された衣装が女物だった!ということも時々あったが「時間無いからそれで」と言われて、結局女物の服を着て司会をする羽目になったこともある。(ネットではほぼスルーされていた)
だいたい帰りにまた宏美を自宅マンションに送って行くが、深夜(概ね2時過ぎ)になることが多い。また夜8時以降の移動は美坂さんは返して道雄が担当することにしていた。
それで2人は新婚というのに、“何も”せずに寝てしまうことが多かった。
「私きついから寝ちゃうけど、好きにしていいからね。但し避妊具だけは付けてね」
「いや、僕も疲れたからそのまま寝る」
実際疲れてとても立たないことが多かった。隣で宏美がすぐ眠ってしまうので眠っているのにやっちゃうのは悪い気がして、ひとりでして寝ようかと思うものの、いくら触っても大きくなってくれないのである。しかし宏美はどう見ても自分の数倍仕事をしているので、ほんとによく身体が持つなと思っていた。
むろん朝は早めに起きてちゃんと朝御飯を作ってから宏美を起こしている。
秋風コスモスが結婚を発表した翌週・1月28日、今度は姉の秋風メロディーが報道各社にFAXを送り、長年の恋人(というかほぼ夫)であった、バインディングスクリューの田船智史と婚姻届を出したことを発表した。田船智士があわせて、2人の子供・薫と夕霧(どちらも胎児認知済み)の入籍届けも提出したことも明らかにした。
ふたりの仲は、バインディングスクリューのファンにはだいたい知られていたので「おめでとう」メッセージが多数寄せられたものの、こちらは記者会見を開いてという要求はなかった。一応翌日の新聞には小さく!報道されていた。見出しは「人気バンドのリーダー結婚」というもの。コスモスの結婚記者会見がスポーツ新聞各社の1面トップだったので、メロディーは少し嫉妬したようで、ぶつぶつ言っていた!!
ちなみにコスモスとメロディーの両親は、妹が多忙で結婚式ができないというのはやむを得ないとしても、せめて姉には結婚式をして欲しかったようだが、メロディーは「子供も2人いて今更だし」と言って結婚式・祝賀会などはしないと言った。一応両親は、道雄の親御さんの所、智士の親御さんの所にお土産を持参して挨拶に行ったようだが、男の側から訪問しないといけないのにと、双方とも恐縮していた。なお、道雄と宏美の結婚で苗字は伊藤を使用する件は道雄の両親も承諾済みである。
(智士の親御さんの所にはメロディーが薫を産む前にも一度挨拶に行っているし、その後、毎年お歳暮や年賀状なども送っていた)
なお、コスモスたちの父は2019年に65歳でピューロランドを定年退職している。現在は多摩市内の公園の管理人を委託されているが、掃除したり遊具の点検をしたり程度の、のんびりとした仕事のようである。給料は大したことないが、親孝行なコスモスが毎月仕送りをしており、贅沢する性格でもないので、芸能人姉妹の親としての最低限の体面が保てる暮らしができている(親不幸なメロディーは全く送金していない!)
2021年2月15日(月)、§§ミュージックは、今年もロックギャルコンテストは三密回避のため実施しないこと、代わりに今年も(第2回)ビデオガールコンテストを実施することを発表し、概略の実施要項も公表した。
応募資格:日本に住んでいて、2021年4月1日現在12歳以上17歳以下の未婚女子。
日本語ができて、歌やダンスをするのに健康上の問題がない人。外国籍の場合は永住権か就労ビザを所有していること。また芸能活動に関する保護者及び学校の許可が得られること(芸能活動を許容する学校に転校する意志がある場合を含む)。東京周辺に住んでいるか移住が可能であること。また他の芸能事務所やレコード会社と契約したことがないか、過去に契約していた場合は現在当社及びTKRとの契約が可能であること。
応募締切:2021年5月6日30:00(5/7 6:00AM)までにスマホやパソコンで登録を終えること。サイトにアクセスしてメールアドレスを入力すると応募コードを発行するので、3分以内(厳守)の本人単独での歌唱パフォーマンス(他の人が伴奏するのは可)をデジタルビデオやスマホで録画し、応募コードを使って、ネット上で登録して下さい。
一次審査 審査は順次進め、結果は6月7日(予定)にまとめて応募者へのメールで通知します。一次審査を通過するのはだいたい100名前後になる予定です。
一次審査を通過した人が二次審査に進出するには、誓約書と、保護者が署名した芸能活動許可証、住民票または在留カード等の写しの提出(郵送)が必要です。
二次審査(6月下旬予定) 二次審査参加者を成績が均衡するように8つのグループに分け、リモート・リアルタイムでパフォーマンスをしてもらいます。質疑応答をする場合もあります。各グループの上位2名(特に惜しい場合3名)が本選に進出します。
本選(2021.7.17 Sat)二次審査通過者全員を最寄りの空港から専用機にて1ヶ所に集め、会場となるホテルの部屋にてリアルタイムでパフォーマンスをしてもらいます。優勝者は第2代ビデオガールの称号が与えられるとともに、§§ミュージックと契約して頂きます。2022年1-4月頃に歌手デビューとなります。
本選で10位以内に入った人には、信濃町ガールズ本部メンバー(研修生)への加入を勧誘しますが、加入するかどうかは任意です(東京周辺に住むことが条件です。寮に住むこともできます)。また二次審査参加者は、希望すれば信濃町ガールズの地方メンバー(練習生)に加入することができます。
(2021年)2月27日(土).
課題となっていた、四国の§§ミュージック研修所がオープンした。これで全国の地方信濃町ガールズが専用の練習施設を持つことになった。
場所は、高松市と坂出市の境界線近く(最寄り駅は国分駅)で、スーパーの跡地(約40m×50m = 600坪)に、ユニット工法で3階建ての施設(建坪:約10m×40m = 120坪)を建築したものである。約40m×40m ほどの庭に普通乗用車を60台ほど駐めることができる(EV充電設備付き)。娘(一部息子)を車で送迎する保護者も多いので、充分に駐車場が確保できる土地を探したが、土地の購入価格は1200万円と格安であった。一応四国中を巡回する送迎バスを当面運行するので、それに乗って集まってもらえばいいことになっている。
二重壁、強制換気、ノンタッチでドアの開閉が出来るシステムなど様々な感染防止対策が施されている。その分かなり電気も食うが、屋根には太陽光パネルを敷き詰めていて、ここで使用する電気は全て太陽光発電でまかなうことができる。
1階に事務室・多数の個別練習室・定員50人のスタジオがあり、2-3階には図書室(多数のCDも揃える予定)と、遠方から来る練習生のために宿泊設備もある。本来は1階のスタジオが練習用なのだが、地下に実は20m×40m = 240坪・客席800の小ホールを作り込んでおり、当面は密にならないようここで練習をする。
木曜日に建築会社から引き渡され、その後、最低限の備品を持ち込みオープンと(いうことに)した。当日は社長のコスモスがホンダジェットで高松空港まで飛んで、式典に参加している。早速、この日から信濃町ガールズの練習に使用された。コスモスは子供を送ってきた親たちと(個別に)歓談していた。
2021年3月1日(月).
多くの高校で卒業式が行われ、§§ミュージックの契約タレントも6名が高校を卒業して、以降タレント専業になることになった。
森下比南代(原町カペラ)は、制服(もちろん女子制服)を着て、卒業式に出席し、校長の式辞を聞いている間、「今年は少しは売れるといいなあ。大学に進学しなかったことを後悔しなくて済みますように」
などと祈っていた。
先輩たちの中で、西宮ネオンさんと花咲ロンドさんが大学進学したけど、ネオンさんは忙しくなり大学を中退してしまった。花咲ロンドさんはまだ在学中だが、それだけ仕事が無い!ということである。
でも制服着るのも今日が最後だ、と思うと感慨深いものがあった。この制服は4月にこの高校に進学する信濃町ガールズの子に譲る予定である。
南田容子は森下比南代と同じ高校で一緒に卒業式を迎えたのだが、来年度はリセエンヌ・ドオも「事務所から思い出してもらえる」といいなあ。などと思っていた。昨年春に“デビュー”ということになったものの、以降出したCDは春に出した『倶利伽羅峠の歌』だけである!
大西香緒(三田雪代)は別の高校で卒業式を迎えた。中学3年の時にロックギャルコンテストで上位入賞して信濃町ガールズに入った。でも「3年経ってもデビューできなかったなあ」と思っていた。そして香緒は“上が居なくなってきた”ことを感じていた。
田中優子は卒業式に出席しながら希望に満ちあふれる気分だった。高校1年の時(2018)にロックギャルコンテストに出て、東海ブロック4位で本戦出場を逃したが、信濃町ガールズの地方メンバーにはなれるよということだったので入団した。当時は“地方メンバー”というのは、その地区で§§ミュージックの歌手のライブがある時にバックで踊ったりコーラスを入れたりするだけの仕事で、普段の活動というのは特になかった。でもバックで踊るだけでも楽しかったし、博多で毎年行われる新年会(2019.1/2020.1)には全国の信濃町ガールズが集まってほとんどお祭り気分だった。
アクアとか姫路スピカさんとかのバックで踊っている内に自分もステージのフロントに立ちたいという思いが募り、去年(2020.1)の春に内部昇格試験を受けて合格。4月に東京の高校に転校して信濃町ガールズの本部メンバーになった。本来高校生は“信濃町ミューズ”なのだが入って1年はガールズでやってもらうということで1年間高校生ガールズをやった。コロナ下でライブパフォーマンスは無かったが、東京にいると音源制作の手伝いをしたり、テレビ番組にも出たりしてワクワクした。安原祥子という芸名も頂いた。4月からは“ミューズ”になる。その内デビューの話とかもあるといいなあ、などと期待している。
木下宏紀は、寮の部屋で朝食を食べた後、歯磨きをし、顔を洗って化粧水を顔によく浸透させた。新しいパンティとブラジャーにキャミソールを身につけ、ブラウスを着た。
しかし今日でとうとう卒業か。まあデビューはできそうにないし、高校卒業したら楽器の練習もっとたくさんして、スタジオミュージシャンとか目指そうかなあ、などとも考える。
しかし制服着るのも今日が最後だな、と思いブラウスの上にその制服を着ようとしたら・・・
無い!?
なんで〜!?
いつも掛けている部屋の鴨居に掛かっていないのである。
「どこかに放置したっけ?」と思って部屋の中を探すが、どうしても見つからない。
宏紀の心の中にひとつの疑惑が浮かび上がる。
昨日の夕方、母が寮の部屋を訪ねてきた。
「とうとう卒業だね。芸能活動しながら、よく頑張ったね」
などと言われ、卒業祝いももらった。
それで母が買ってきてくれた松花堂弁当を一緒に食べ、夜9時頃、母は帰っていった。
まさかその時、男子制服を持ってっちゃったとか?
どうしよう?と思いながら、宏紀は鴨居に掛かっている“別の制服”をじっと見ていた。
トントンと部屋の戸がノックされる、
入ってきたのは親友の篠原倉光である。
「あれ?着替え中だった?ごめん」
「ううん、いいよ」
と言って彼を中に上げる。
「いや『緑の海岸線』の譜面がどこか行っちゃってさ。コピーさせてもらえないかと思って」
「ああ、いいよ。ちょっと待って」
と言って宏紀は本棚の中からファイルを取りだし、『緑の海岸線』の譜面を出して彼に渡した。
「サンキュサンキュ」
「コピー取ったら部屋の中に放り込んどいて。鍵は掛けてないから」
「了解〜」
女子寮もそうだが、外部から人が侵入するのは困難なこともあり、鍵など掛けてない子が多い。
篠原は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、制服着ないのかなと思って」
「それがさ」
と言って、宏紀は男子制服が見つからないことを話した。そして恐らくは昨夜訪ねてきた母が持ち去ったのではないかと。
篠原は言った。
「そこに掛かってる女子制服を着ていけば?お母さんも、木下君が最後くらいちゃんと女子制服で卒業式に出る気になるように、男子制服持ってっちゃったんじゃない?木下君、実際もう女の子の身体なんでしょ?だいたいブラウス着てるしブラも着けてるし」
宏紀はマジで悩んだ。そして再度女子制服を見た。もう出なければならない時間は迫ってきている。
その日、天月西湖は朝起きてから朝食を作って食べた。
トイレに行って来てから大きく溜息をつく。
11月以来4ヶ月間ほどお世話になったペリドットの指輪をバッグから取り出すと神棚の前に置いた。そして拍手を打ってから
「ありがとうございました」
と言った。
軽くシャワーを浴びる。自分の身体をよく確認する。身体を拭き、ブラジャーをしてパンティを穿き、キャミソールを着てブラウスを着る。
襟元にリボンを結ぶ。
やはりリボンとかできるのは女の子のいいところだなと改めて思う。。
女子制服のスカートを穿いてブレザーを着る。髪をブラシでとき、唇に軽くリップを塗ると、鏡の中で笑顔を作った。
「でも3年間女子高生しちゃった」
と呟くが3年間女子で通せたのが我ながら信じられない。ボク元々女の子になりたい気持ちがあったのかも?と思う。
そして見送ってくれているおキツネさんたちに
「行ってきまーす」
と言うと、部屋を出てエレベータで1階に降りた。
学校はマンションから歩いて5分程度なので、むろん歩いて学校ら向かう。3月の風がスカートの中に吹き込むと「寒いなあ」と思う。女の子はよくみんなこの寒さに耐えてるよね?
木下宏紀が「お早う」と言って教室に入っていくと、みんなが自分を見ている。
「どうかした?」
と、わりと仲の良い彩莉奈ちゃんに訊く。
「いや、ヒロちゃんは今日は女子制服を着てくるか男子制服を着て来るかってみんなで賭けをしてたんだけど、負けたぁ」
などと言っている。
「ヒロちゃん、ほんとに男子制服でいいの?私、洗い替え用の女子制服持って来たから貸してあげようか?」
と女子のクラス委員・令美花が言う。
「男子制服で出るけど」
「ヒロちゃん、卒業写真は一生残るんだよ。考え直しなよ」
「そんなこと言っても・・・」
と宏紀は困ったような顔をした。
西湖はいつものように教室に入っていくとクラスメイトたちと「お早う」「お早う」と言い合った。
「聖子ちゃん、忙しいのに最後まで退学せずに頑張ったね、偉いよ」
と一番の友人であった、立花紀子に言われる。
「紀ちゃんも大学に合格するなんて凄いよ」
と西湖は言う。
「どこに合格したんだっけ?」
とその話は聞いていなかった菊池由美奈(女優の稲川奈那)が尋ねる。
「鳥取環境大学」
と紀子が答えると、誰もその大学を知らないようである。
「私立?」
「公立だよ(*1)」
「へー!」
(*1)私立大学だったが、経営難に陥り、2012年に救済のため公立化された(ここが無くなると鳥取県内の大学は鳥取大学のみになってしまうため)。
「共通テストの成績では、ここと北見工業大学の二択でさぁ」
「紀ちゃんに理系なんて無理」
「カーリングで有名になったから北見工業大学もいいなあと思ったけど、私、連立一次方程式解けないから無理かもと思って、鳥取環境大学にした。北見工大なら国立なんだけどね」
「環境大学って何するの?」
「環境アセスメントとか、そういう関係の仕事じゃないの?よく分からないけど」
「でもよく鳥取まで行こうという気になったね」
「テレビ番組の罰ゲームで一度大田市(おおだし)まで行って、鳥取もいい所だなあと思ったし」
「待て。大田市は島根県だぞ」
「え?そうだっけ??」
「紀ちゃん大丈夫〜?」
「私立は受けてないの?」
「一応滑り止めに東京国際大学と玉川大学も受けてどちらも合格した。入学手続きもしてる。ちょっと入学金は痛かったけど」
「玉川大学は分かる」
「演劇舞踊学科だよ」
「演出家とかになるコース?」
「よく分からない。音楽科が第1志望だったけど、第2志望の演劇に回された」
「まあ音痴だから無理も無い」
「私、歌手なのに〜」
「でも東京国際大学ってどこにあるんだっけ?」
「川越市」
「東京じゃないじゃん!」
(東京国際大学は“中東和平”:中央学院・東京国際・和光・平成国際の一角)
「本部は高田馬場にあるんだよ」
「ほぉ」
「そこが手狭になったから川越市に新しいキャンパスを作ったんだよね。でも池袋に22階建ての新しいビルを建ててる。そこが完成したらそちらにまた移転する予定」
「高層ビル型の大学かぁ」
「都会の真ん中に広いキャンパス取れないもんね」
「だけど“国際”大学とか英語のレベル高いんじゃないの?紀ちゃん大丈夫?」
「大丈夫と思うけどなあ。受験に向けて整序問題の本1冊あげたよ」
「紀ちゃん、アメリカの首都はどこ?」
「え?ニューヨークでしょ?」
「うーむ・・・」
「あれ?ロサンゼルスだっけ?」
「She will make him a good wife.を日本語に訳して」
「彼女は彼を良い奥さんにするでしょう。性転換させるのかな?結婚前に性転換ってわりとあるらしいよね。セックスしようとしたら両方凸で、これでは結合できないというのでジャンケンで負けた方が凹に改造してから結婚」
みんな頭を抱えている(聖子は訳が分からない)。
「ブラジルの公用語は?」
「ブラジルはブラジル語じゃないの?」
「うむむ」
「違った?英語だっけ?」
「ダメだこりゃ」
「あれ〜?」
「よく公立大学に通ったな」
「紀ちゃん、悪いこと言わない。玉川大学に行きなよ」
「なんで?せっかく公立にも合格したのに」
「環境アセスメントとか、きっとたくさん歩き回って、物凄く体力使うよ。紀ちゃん体力無いじゃん」
「それはそんな気もしてきた」
「だいたい鳥取とかに行ったら、Flower Lights 続けられないのでは?」
「あ、Flower Lightsは今月いっぱいで解散だって」
「解散なの?」
「事務所が倒産しちゃったらしいよ。コロナで全然活動できなかったから」
「それは気の毒に」
「今月のお給料もらえるのかなぁ。実は1月以降、遅配になってるんだよね」
「それ困るね」
「どこかの事務所が引き受けてくれないの?」
「何人か1本釣りされた。ピカちゃん(川中光梨)はWindFly20に入る」
「WindFly20に行けば彼女なら中核メンバーになるだろうね」
「どうもモナちゃんが抜けたのの補充みたい」
「なるほど。モナちゃん無しじゃ音源制作できないもん」
「私はどこからも声掛けられてない」
「いや、それは大学進学するというので遠慮したんじゃない?」
「どっちみち鳥取の大学に行きながら東京で芸能活動するのは無理」
「そうかなあ。だったら、折角通ったけど公立諦めて玉川大学か東京国際大学にするかなあ」
「玉川大学がいいと思う」
と全員が言った。
やがて卒業式が始まる。今年は三密回避のため、会場の体育館に入るのは卒業生とその担任のみで保護者は遠慮してくださいということになっている。在校生も(代表以外)出席しない。
教頭先生の開式の辞の後、国歌を斉唱した録音が流れる。その後、校長先生が壇上に登り、「1組○名、2組○名、・・・」と各クラスの人数だけ読み上げられる。そして「卒業生総代・森村亜由美」と生徒会長も務めた子が呼ばれ、その子だけが校長の前に行き、卒業証書を受け取った。
その後、校長の式辞、PTA会長の祝辞、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞、と続き、校歌を斉唱した録音が流れる。教頭の閉会の辞があり、卒業式は30分ほどで終わった。
その後各教室に帰り、担任からひとりずつ卒業証書が手渡された。西湖は出席番号3なので、「青島瀬梨香」「浅井童夢」と呼ばれた次3番目に「天月聖子」と呼ばれ、“天月聖子殿”と書かれた卒業証書を受け取った。
全員証書を受け取った後、担任から短い言葉があり、それで解散となる。終わったののは10時半頃だった。
この日は仕事も休みにしてもらっているので、西湖は卒業証書やその他学校に置いていた荷物なども持ち、歩いて自宅のある橘ハイツに戻った。
鏡の前に朝置いた指輪は無くなっていたので溜息をつく。
取り敢えず制服を脱ぎ、ブラウスも脱いで下着だけでベッドに潜り込み、ぐっすりと寝た。疲れが溜まっていたせいか、起きたのはもう夕方である。人の気配がする。
「かずちゃん?」
「あ、目が覚めた?まだ寝てていいよ。御飯もう少しかかるから」
「うん」
それで結局更に1時間ほど寝た。
夕飯にちらし寿司(すし太郎)が作ってある。白身魚のフライに、お魚のすりみの味噌汁もある。
「卒業おめでとう」
と桜木ワルツ(吉田和紗)が言う。
「ありがとう。あ、その・・・今日から末長くよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「あの、これ」
と言って西湖は青い宝石ケースを出す。
「え?見ていい?」
と和紗。
「うん」
中には大きなダイヤが乗ったプラチナリングがある。
「サイズは合うと思うけど」
「じぉせいちゃんが填めて」
「うん」
指輪はきれいに和紗の左手薬指に填まった。
「ありがとう。キスしていい?」
「うん」
それで2人はキスしたが、舌を入れられるので西湖は「きゃーっ」と思った。
和紗が「お稲荷さんも作ったよ」
と奥の方に呼びかけると、おキツネさんたちがぞろぞろ出て来て、
「西湖ちゃん卒業おめでとう。西湖ちゃんと和紗ちゃん、結婚おめでとう」
と言ってから、大皿3つに大量に並べられた稲荷寿司を美味しそうに食べ始めた。
卒業で“解禁”になったので、今日からワルツはここで一緒に暮らす。彼女は2018年に歌手デビューして以来住んでいた板橋区のアパートも解約した。数日中に彼女の荷物がここに届くはずである。
夜のことを考えると少し気が重いが、ワルツはちんちん立たなくても大丈夫と言っていた。そうだなあ。“立たない”のはまだ許容範囲かもね、などと西湖は考えていた。
なお、ここは3LDKなので南側の部屋を和紗専用にすることにしている。
元々は北西の部屋に“鏡”が置いてあり、西湖はそこで寝ていたが、数日前、千里さんが男性3人を連れて来て、簡単な改造をしたのである。鏡を北西の部屋ではなく南西の部屋に移動し、今まで鏡を置いていた北西の部屋を2人の寝室にするように千里さんは言った。千里さんはついでに北西の部屋に豪華なキングサイズのベッドを設置していった。このベッド設置に、千里さん以外に男性が3人必要だったようだ。
(旧レイアウト:再掲)
天月西湖は2002年生で、男だとしたら本命卦は兌、女なら艮で、どちらにしても東四命なので、吉方位は北東・北西・西・南西。実際西湖の寝室は北西にあった。
一方、吉田和紗は1998年生・女なので、本命卦は巽であり西四命。吉方位は北・東・南東・南である。
すると3つの部屋は各々にとってこういうことになる。
北西 M最吉 F大吉 和小凶
南西 M大吉 F最吉 和大凶
南_ M大凶 F小凶 和大吉
これを見ると、ふたりの共同寝室にするのは北西の部屋がベストであることが分かる。また和紗の個室は南の部屋が良い。結果的に西湖(聖子)の個室は南西部屋が良いことになるので、ここに鏡を移動することにした。それでこれまで南西部屋と南の部屋はWTC(ウォークスルー・クローゼット)でつながっていたのを壁を設置して通れないようにした(鏡の後ろは壁でなければならない)上で、新たにできたクローゼットに鏡を置いたのである。千里が男性を連れて来て工事させたのはこの壁を設置してWTCを通り抜けられなくする改造である。
木下宏紀は男子寮の自室に戻ると、ふーっと大きく息をついた。
男子制服を脱ぎ、きれいに畳む。取り敢えずベッドに潜り込んで少し寝た。目が覚めると2時だ。そろそろ篠原君帰ってるかなと思う。普段着のカットソーとアクリルの膝丈スカートを穿くと、篠原君の部屋に行き、ノックする。
「お帰りー」
「お帰りー」
「これありがとうね」
と言って“篠原君が貸してくれた”男子制服を返した。彼は在校生(2年生)で卒業式には出席しないので、今日は体操服で登校してくれたのである。
「それからこれよかったら」
と言い、これまでしばしば着て、寮内はそれでウロウロしていたものの、結局一度もこの服では外に出なかった、女子制服を入れた紙袋も彼に渡した。
篠原君は一瞬悩むような顔をしたものの
「もらっとく」
と言って、女子制服を受け取った。
「ウェストはアジャスターを調整すれば穿けると思う」
「了解」
木下宏紀はW59, 篠原君はW63だが、その程度は許容範囲のはずだ。今日借りた男子制服はベルトでずれ落ちないようにしていた。
「写真とか撮った?」
と訊かれると、宏紀は照れ笑いした。
「どうしたの?」
「写真は撮ったんだけどね」
と言って、スマホに入れている、クラスメイトが撮ってくれた写真を見せる。
「結局女子制服着たの〜?」
「ごめんね。折角男子制服貸してくれたのに。クラスメイトにうまく乗せられちゃって」
「まあいいんじゃない?どっちみちこれからはフルタイム女の子生活するんでしょ?」
「どうしよう?男子制服も無くなったから、部屋の中から男物が全く無くなった。ズボンが全く無いし」
「木下君、女の子なんだからいつも女の子の格好してればいいのに」
「ボク男の子なんだけど」
「そんな嘘言っても誰も信じないって」
と篠原君は呆れたように言った。
でもズボンが全く無いのは放送局とか行くのに困るなどと言っていたので、取り敢えず適当なレディス・パンツを2つ貸してあげた。助かると感謝していた。
「取り敢えずフェリシモでパンツ3〜4本頼むよ」
うっかりスカート頼んじゃったりして?
常滑舞音が歌う、常滑焼(とこなめやき)のキャンペーンソングは2月中に完成し、3月3日(水)に発売された。実を言うとこの日は、高崎ひろかのCDの発売とぶつかっていたのだが、こちらはそれほどは売れないだろうと思って同じ発売日にしたのだが、一週間前の時点でAmazonから「予約が3万件入っているがこちらに在庫が5000しか無いので用意して欲しい」という連絡が入り、私たちは仰天した。私とコスモスは話し合い、無駄になってもいいからと、思いきって20万枚プレスすることにした。いくつかのプレス工場に分散し、割増し料金を払って頑張って量産してもらった。金曜日には大手CDショップからも「予約が全国で1万件入っている。今3000しかないのでもっと納入して欲しい」と連絡がある
そして当日、高崎ひろかのCD『春風のプロローグ』が初日10万枚に対して、常滑舞音の『とことこ・なめなめ・招き猫』が9万枚も初日に売れて(実は売切れ)、私たちは肝を潰した。翌日以降も私たちは各CDショップにどんどん納入した。実は車を走らせたり、G450とA318まで飛ばして、全国各地のプレス工場から各地のショップまで、TKRの社員が運んだ。
そして一週間の統計でも高崎ひろか18万枚に対して常滑舞音16万枚。いづれも§§ミュージックで1位・2位独占である。万が一にもひろかを抜いたら申し訳ないので、本当に肝を潰した。ひろかは笑っていたが内心は穏やかではなかったのではという気がする。
要するにいきなりゴールドディスクになってしまったのである。
後から状況を確認すると、常滑市出身の“新人歌手”が歌う、常滑焼のキャンペーンソングというので、常滑市の商工会関係者がかなり頑張って宣伝したらしい。それを見た人たちが、どんな子だろうと思いネットで検索すると、ブルボンのクッキーのCMを歌う常滑舞音のビデオがひっかかり
「可愛い子じゃん」
ということで、口コミで更に噂が広がり、実はそちらのCM曲のCDも品切れが相次いでいたことも後で判明する。
そういうわけで、ネットショップとリアルショップで合計6万枚の予約が入っていたらしい。
このCDは最終的には50万枚越えのダブルプラチナを達成。実際に常滑焼の売上げも上昇して、2021年のRC大賞・企画賞を獲得する。
歌番組からもお声が掛かり、たまたま空いていたカチューシャのメンツに伴奏させることにして送り出した。カチューシャは経験豊かな子が多いので、歌番組にしかも生で出るなんて初体験の舞音にも安心だろうし思ったが、舞音は全くあがりもせず、堂々と生歌唱した。本当に度胸の据わっている子である。この番組の録画がしばらく常滑市役所のロビーのテレビに繰り返し流れていたらしい!
ちなみにこの曲のc/w曲は「マネがマネのマネをした」という曲で、常滑舞音がエドゥアール・マネ(1832-1883)の『笛を吹く少年(Le Joueur de fifre)』のコスプレをしているところをPVにしている。
漢字?で書くと「舞音がManetの真似をした」となる。この曲は作曲は松本花子だが、作詞は松本葉子ではなく“名寄多恵”になっている。実は千里の親友・若生暢子さんのペンネームである。どうも松本花子プロジェクトには千里や青葉の友人がかなり多数関わっているようである。
マネ(Manet)の絵に描かれた少年が吹いているのは、絵のタイトルにもなっているファイフ(フランス語ではフィーフル(fifre) 英語:Fife)である。日本ではファイフというとヤマハやアウロスのプラスチック製ファイフをよく見るが、舞音が撮影時に使用したのはフランスの街の雑貨屋さんで千里が買って来た(いつ?)という木製のファイフで、本当にマネの絵の雰囲気が出ていた。
舞音は実際にこのファイフを吹いており、そのメロディーが曲の間奏に取り込まれている。舞音は篠笛やフルートが吹けるので、このファイフもすぐ吹きこなしてしまった。この木製ファイフは撮影終了後、そのまま舞音に進呈した。
舞音は翌週はこの『マネがマネのマネをした』の方でまた歌番組に呼ばれて、やはりカチューシャの伴奏で生歌唱してきた。むろん笛を吹く少年のコスプレで出演しているし、間奏でファイフの生演奏もしている。
さて表題曲の『とことこ・なめなめ・招き猫』では、「ダルマは高崎、タヌキは信楽(しがらき)、招き猫は常滑(とこなめ)!」という歌い出しで、舞音が最初はダルマのコスプレ、続いてタヌキ(金玉付き!)のコスプレをして、最後は白い招き猫(左手を挙げる)に扮している。
更に2番では「サルボボは飛騨、黒田武士は博多、招き猫は常滑!」と歌い、またまたサルボボのコスプレ(菱形の腹掛けにちゃんちゃんこ:アイドルにさせる格好ではない)、大杯(*1)と槍(日本号のレプリカ *1)を持った黒田武士のコスプレ、そして最後は黒い招き猫(右手を挙げる)にコスプレしている。
(*1)大杯・槍(日本号)ともにΘΘプロ春吉社長の私物。杯は京漆器の特注品、日本号も古い武具のレプリカを作っている職人さんに特注したもの。値段は聞き出せなかったが、多分、両方合わせて300万円くらいか?
このPVを見た人たちは
「この子、既にアイドルを捨てている」
「女を捨ててるな。金玉まで付けてたし」
「もう人間を捨ててるかも」
と、体当たりの演技に感心するというより呆れていた。
歌のラストではアマビエに扮していた(常滑焼のアマビエは実在する)が、常滑市長さんはかなりこのPVが気に入ったようであった。
「コロナが落ち着いたら、ぜひ常滑市でライブを」
などと言っていた。
ちなみにこのPVを監修したのは雨宮先生である!
さるぼぼのコスプレは、レオタードの上に着せるつもりが、雨宮先生はそれでは偽物だと言い、ヌードの上に着せることを主張した。私たちは難色を示したのだが、舞音本人が「面白そうだからやります」と言って、雨宮先生の指導で(着けさせたのはコスモス)本当にヌードの上に衣装をつけた。
雨宮先生は腹掛けだけのつもりだったが、それだとバストが見えてしまうので、私たちの申し入れで、ちゃんちゃんこを着せた。
「ちんちんがあればこぼれるんだけど、あんた付いてないから、こぼれないね」
「小さい頃いじってたら叱られて切られちゃったので、こぼれません」
「それは残念」
先生も舞音が気に入ったようで
「あんた私の愛人にならない?」
などと誘惑(?)していたが、コスモスから「カエルちゃんに言い付けますよ」と言われると「恐いこと言わないで」などと言っていた。雨宮先生は三宅先生以上にカエルちゃんが恐いようである。
(夢路カエルは最近どうも完全に雨宮先生の“妻”の地位を獲得してしまったようである。三宅先生は雨宮先生の“夫”である。更に私の理解を超えるのだが最近、カエルと三宅先生は仲が良い!)
常滑舞音がゴールドディスクを取ったことについて記者から取材された。
「常滑舞音ちゃんのCDがゴールドディスクになっていますが、これは単にキャンペーン曲が売れただけなのでしょうか?」
と訊かれて、コスモスはこう答えた。
「そのはずだったのですが、ゴールドディスクまで取って、そういう話にもできませんね。常滑舞音はもうデビューということでよいと思います。近い内に彼女とは契約をB契約からA契約に切り替える話し合いをしたいと思います」
それで常滑舞音は今年3人目のデビュー歌手となったのである。一度に3人デビューするのは、2016年の西宮ネオン・姫路スピカ・花先ロンド、2019年の山下ルンバ・桜野レイア・原町カペラ以来3度目となる。
そしてこの常滑焼のキャンペーンソングが売れたため、常滑舞音の1枚目のCD、ブルボンのクッキーのCM曲『ちょっとだけ甘い時間』も買い求める人が出て来て、レコード会社は慌てて追加プレスすることになった。
また、常滑舞音が結果的にデビューということになったのに刺激され、Ye-Yo(甲斐絵代子)のファンたちが「エーヨをデビューさせよう」と言って、大量に買う騒ぎになる。それで『美味しい時間/飴のある町』の方も追加プレスするはめになる。
このCDはこれまで4万枚売れていたのだが、3月下旬にはこちらも10万枚を突破してしまった。
記者からインタビューを受けたコスモスは半ば困ったような表情で
「はい。10万枚を超えた以上、彼女もデビューということで。近い内に彼女もB契約からA契約に変更することを打診します」
と答えた。
そういう訳でこの年は一挙に4人もデビューすることになったのである。
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【夏の日の想い出・秘密の呪文】(6)