【夏の日の想い出・秘密の呪文】(4)

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お正月明けてすぐ、羽鳥セシルは事務所の白河夜船社長から言われた。
 
「君が11月9日に撮影した明治ミトラチョコのCMなんだけどね」
「あ、はい」
とは返事したものの、たくさんCM撮影したので、よく覚えていない。
 
「メーカーに、このCMに流れている曲、CDは出てないんですか?という問い合わせがたくさん来ているらしい」
「へー」
 
「それで、折角だからCD出すことにしたから、今日の午前中青山の★★スタジオ鈴蘭に行ってくれる?」
「あのぉ、私、今日は午後からΛΛテレビで“豆腐の角”に生出演することになっていますけど」
「うん。だから午前中に完成させて夕方工場に持ち込んで、明日発売」
「ひゃー!」
 

それでセシルは§§コールセンターのドライバー・森下さんが運転するいつもの黄色い日産の車(リアに225xeという車種?のステッカーが付いている)に乗ると、青山に向かった。
 
受付で尋ねようとして、何と言う名前の部屋を指定されたか忘れてしまっていることに気付く。
 
「すみません。何か花の名前を言われた気がするんですが」
「ここは花の名前の部屋がたくさんあるんですが」
「ありゃ〜!」
「あなたのお名前は?」
「羽鳥セシルと申します」
「少々お待ちください」
と言って受け付けの人は調べてくれた。
 
「2階の鈴蘭ですね」
「あ、そんなこと言われた気がします」
「入館証にシールを貼りますね」
と言って、受付の人はラミネート加工された“羽鳥セシル様”という名前入り入館証を発行してくれて、それに 205鈴蘭 というシールを貼ってくれた。
 

2階ならエレベータを使うこともないだろうと思い、階段を昇る。昇った所にカウンターがあり、警備員の制服を着た女性が座っている。声を掛けた方がいいのかなと思い、
 
「済みません。鈴蘭という部屋に行きたいのですが」
と言う。
 
「右手の廊下の最初のドアですから」
「ありがとうございます!」
 
それで右手の廊下に入り、最初のドアを見る。
 
花の絵が描かれている。
 
これが・・・鈴蘭なんだっけ??
 
セシルは花を見てもその名前が分からない。でもよく見ると部屋の上の方に小さな字で 205 という数字が入っているので、ここなのだろうと思い、ドアを開けた。中に人が居る。
 
「おはようございます、羽鳥セシルと申します」
「お早う。私今日の制作をする幣原咲子です」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
 

それで譜面を渡される。幣原さんが自分でこの歌を1度歌ってくれた。
 
あ、そういえばこの歌、歌った記憶があるなという気がした。
 
それで30分くらい練習する。その間に幣原さんから、わりと“表現面”に関する注意を受けた。「ここはもっと明るく」とか「ここはスタッカート気味でいいから言葉を明瞭に」などと言われる。幣原さんが「こんな感じで」と歌ってみせたりしてくれたが、歌のうまい人だなあと思った。
 
「じゃ伴奏と一緒に歌おうか」と言われる。
 
伴奏は既に収録されていて、それをヘッドホンで聞きながら歌う。セシルはこの音は生バンドっぽいと思った。前回この歌を歌った時は MIDI音源だった気がする。ちゃんとCDを出すので生バンドに演奏させたのだろう。
 
3回歌って、結局2番目の歌唱がいちばんいいので、それを使うと言われた。
 
「いい所をつなぎ合わせたりはしないんですね」
「それは下手糞なアイドルの歌を録らないといけない場合かな。君は上手いからつぎはぎにするより、一続きの歌唱を活かしたほうが、まとまりがよい」
 
「へー」
 

しかしまだ10時過ぎである。わりと早く終わったな、これなら余裕だとセシルは思った。ところが幣原さんは言った。
 
「じゃ2曲目行こうか」
 
セシルはびっくりした。
 
「もう1曲録るんですか〜?」
「聞いてなかった?」
「ただ午前中に録音するからとだけ」
「2曲カップリングしたCDにするからね。実際には各々のカラオケ版も入れて4曲入りにするけど」
 
「すみません。トイレ行って来ていいですか?」
「うん。2階フロントのそばにあるよ」
 
それでセシルは部屋を出て、階段のそばにあるフロントの所に戻る。その横に赤い▲マークがあるので、ここが女子トイレかなと思い、警備員さんに会釈してから、中に入った。
 
ここ広ーいと思った。個室が10個もあった。感染対策も万全で、基本どこにも手を触れずに利用できるようになっている。便座は紙のシートが飛び出してくる。
 
用を済ませてから手を洗って出るが、ふと疑問を感じて警備員さんに尋ねた。
 
「ここって男子トイレはまた別の場所にあるんですか?」
「2階は女性専用フロアだから男子トイレはありませんよ」
「へー!」
「あなたがもし男子なら3階の男子トイレを使ってね」
「取り敢えず私、女子みたいです」
「性別に不安があったらトイレの中で再確認してくるといいよ」
などと警備員さんは笑って言っていた。
 

部屋に戻ってから、幣原さんに言う。
 
「ここは女性専用フロアなんですね」
「うん。実は以前トラブルがあったから、2階は女性専用、3階は原則として男性専用になった(*1)」
 
「へー」
 
トラブルって、レイプ事件かな〜、などと思う。ミュージッシャンって、その辺りの倫理意識の弱い人が多そう。
 
「男女混合ユニットの場合は?」
「性転換しちやえばいいよ」
「あはは」
「女を男にするのは大変だから、男の子を性転換して女の子になってもらった方がいいね。ちんちん切るだけだし」
 
「そうですね」
 
ボク、ちんちん切って女の子になっちゃったよぉ、とセシルは思った。でも性転換手術って凄く痛いのを想像して覚悟してたけど、全然痛くなかったよななどと思う。麻酔掛けてるから平気だったのかな。さすがに麻酔無しでは切らないよね?
 
「ちんちん切断機もフロントにはあるから」
「まじですか?」
 
セシルはちんちんを入れたらスパッと切断する機械とかを想像した。
 

(*1) ★★スタジオの部屋構成はこのようになっている。
 
8F 青龍(せいりゅう)・玄武(げんぶ)
7F 白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく)
 
↑大物アーティスト専用。2021年現在ここを使用できるのは、ローズ+リリー、アクア、ハイライトセブンスターズ、レインボウ・フルート・バンズ、など8組のみである。
 
6F 麒麟(きりん)・鳳凰(ほうおう)
5F 若鷹(わかたか)・孔雀(くじゃく)・紅鶴(べにづる)
4F 雷鳥(らいちょう)・小鳩(こばと)・雲雀(ひばり)・郭公(かっこう)
 
一般アーティストの録音用だが、6階は制作部長の許可証が必要である。将来7階以上に上がりそうな有望アーティストにしか貸さない。鳳凰は可愛い部屋で女性アーティストに人気がある。5階以下では紅鶴(フラミンゴのこと)も女性には人気である。
 
3F(男性専用) 松(まつ)・桐(きり)・杉(すぎ)・檜(ひのき)・桜(さくら)・桂(かつら)・楠(くす)・柳(やなぎ)
 
2F(女性専用) 百合(ゆり)・菖蒲(あやめ)・牡丹(ぼたん)・雛菊(ひなぎく)・鈴蘭(すずらん)・秋桜(こすもす)・花梨(かりん)・水仙(すいせん)
 
ドアには花や鳥の絵だけ描かれていて分かりにくいので、村上社長の時代に各部屋に部屋番号が記入され、少しだけ迷子が減った。入館証にシールを貼るのはその前の松前社長の時代に導入されたシステムである。
 

幣原さんは男女混合ユニットだったら性転換してと冗談を言っていたが、実際はその場合は3Fに案内している。別に性転換は必要無い。3Fには男子トイレも女子トイレもある。
 
元々2Fは主として女性アーティストに、3Fは主として男性アーティストに貸していたのだが、“事件”後、2Fは女性専用に変更され、トイレも女子トイレのみになり(トイレが広くなったので好評)、警備員まで置くようになった。
 
もっともキャロル前田は2Fの常連である。彼が率いるアドベンチャーのメンバーもまとめて2階に案内される。
 
「あのぉ、ボクたち男の子なんですけど」
「でもちんちん無いんでしょ?君たちは女子トイレも使っていいから」
と言われて、ドキドキしながら2F女子トイレを使っているらしい。
 
取り敢えずキャロルもアドベンチャーのメンバーも他の女子トイレ利用者(多分ほとんどが女子)との間にトラブルが起きたことは無い。
 
それどころかキャロルは女子トイレの中で若いアイドル女子からサインをねだられたこともある。
 
「キャロルさん好き。セックスしてもいいけど」
「ごめーん。ボクもう男性機能無いから」
「ちんちん取っちゃったんですか?残念!」
 
ちんちんはまだあるのだけど、話が面倒なので細かい説明はしない。
 

ところで2019年6月の株主総会の株主動議により★★レコードから追放された村上前社長・佐田前副社長の一派が彼らの派閥の中心人物であった無藤鴻勝氏(元大阪支店営業部長)と一緒に設立しわずか半年で倒産したMSMであるが。
 
多数のアーティストが★★レコードからそちらに移籍したものの倒産のおかげで活動不能状態に陥っていた。彼らは★★レコードに各々数億円レベルの損害を与えたので、その違約金を払わない限り、★★レコードに戻ることもできないし、他のレコード会社も彼らを拾えない(拾うと★★レコードに高額の違約金を払う必要が出る)。一部のアーティストは、MSMの経営陣を詐欺罪で告発したものの検察は容疑不十分として起訴猶予になる。民事で訴訟を起こした人もあったが、それについては後述する。
 
アーティストの中で唯一、自力で出戻りしてきたのはロックバンドのアイダラコンであった。
 
彼らは加藤制作部長のところにきて、土下座して謝り、違約金を払うと言った。加藤は町添社長とも相談の上、規定通りに計算して、彼らに約8億円の違約金支払いが必要であると言った。実際彼らの移籍で生じた損害はツアーの中止に伴う会場のキャンセル料、イベンターが被った損害の補填、発売予定だったCDの廃棄費用、それを発売できなかったことによる売上見込みの消失、空振りになった広告費、音源制作費、様々なキャンペーン中止に伴う、提携先に与えた損害など、明確なものだけでも6億円を越えている。
 
彼らはそれを銀行から借りて支払ったので、★★レコードは彼らと再契約。いったん廃盤扱いになっていた彼らのアルバムも全復活してファンに喜ばれた。
 
銀行が彼らに8億貸したのは、彼らなら★★レコードと再契約すればそのくらい返せるだろうと見込んだからである。もし他のレコード会社と契約した場合は、過去のアルバムが発売できないので無理であった(多くのアーティスト同様、彼らもやはり初期のアルバムに名作が多い)。
 
彼らはコロナの影響でスタジオなども閉鎖される中、リーダーの米沢さんが栃木の山の中にある300万円!?の廃屋を買い、そこをメンバーの日曜大工でスタジオに改造(ホームセンターで防音板を買ってきて貼り付けた)して、そこに泊まり込んで音源制作をした。
 
そして2020年6月にアルバムを発売することができた。ファン待望の2年ぶりのアルバムだったこともあり8万枚ほど売れた。また、あけぼのテレビでネットライブをしたら、12万人も聴いてくれた。このアルバムの売上とネットライブで得られた収益から、彼らは1.3億円を銀行に返済して残債は6.7億円になった。
 

MSMの社員の多くは他の業界に転職したもようである。彼らは★★レコードには戻れないし、同じ業界への転職も事実上不可能であった。
 
滝口さんはコンビニのオーナーになったが、3年で倒産したらしい。彼女の性格で客商売は無理だろうとケイや和泉は思った。土居さんは、しまむらに就職した。彼女の場合は成功したようで、1年後には店長になる。ケイや和泉、美空は時々彼女のお店に寄って普段着を買ったりしていた。
 
多くのアーティストがずっと活動できない状態になっている中、救済に乗り出した人たちがあった。★★レコードの鬼柳営業部次長、TKRの松前社長、太荷馬武・MHメディアプレス営業部長(元★★レコード制作部次長)たちである。鬼柳さんは★★レコードのメインバンク・◇◇◇銀行の出身なのでその人脈から銀行も動かした。
 

 
そして共同で“湯河原レコード”を設立したのである。
 
この名前は本社を神奈川県湯河原町に置いたからである。土地の安い所を探したら、ここになった。
 
湯河原町の場所を知らない人のために説明すると小田原市の西側、箱根町の南側にある町である。小田原とか箱根といったら静岡県?と思う人もあるかも知れないが、小田原市(しばしばニュースなどで“静岡県小田原市”と書かれた記事も見るが)も箱根町も神奈川県である。この湯河原町までが神奈川県で、西隣の熱海市は静岡県になる。
 
湯河原温泉がある町である。
 
ここで建面積わずか20坪ほどの中古住宅を3月に500万円で購入。ここを本社とした。
 
実を言うと、アーティストを本社の近くに住まわせようという構想があり、その場合、首都圏から外れた町にそういうものを作ると、コロナの折、嫌がられるだろうということから、東京・神奈川・千葉・埼玉の範囲で探していて、ここを見つけたのである。町長さんに内々に打診して感染対策を条件に“口頭”での承認も得ている。
 
しかしいきなり大都会の一等地に広いオフィスを借りたMSMとは対照的である。
 

新会社の役員については、結局鬼柳さんがトップになることになり、★★レコードを退職して、社長になる。副社長として、★★レコード初代社長・星原博秋の娘で、2019年株主総会でクーデターを演出した鈴木片子さん、専務として松前さんの腹心でTKR社長室長の溝口海夢が入る。
 
鬼柳に心酔していて「愛人にして欲しい」といつも言っている、佐田ゆうき(佐田博栄前副社長の息子(?))も当然付いていったが、佐田さんの息子(?)というのは、とても便利な存在なので、営業部長に任命され張り切っていた。
 
実際各アーティストと交渉した時に、佐田が「父が迷惑掛けました」と挨拶すると、向こうが結構軟化したのである。みんな★★レコードには顔向けできないと思っているが、佐田さんの息子さん(娘さん?)ならと話を聞いてくれた。元々、佐田副社長がMSM幹部の中では唯一“音楽の分かる人”だったのもある。村上社長なんて、演歌とフォークの区別が付かない人であった。
 
資本金は、TKR社長の松前さんが個人で2000万円、★★レコードが2000万円、松前さんのコネ(仙台のTKRスタジオ絡み)からムーランが2000万円(若葉の感覚では普通の人が1円くらい出資する感覚)、◇◇◇銀行とMHメディアプレスが500万円ずつ、∞∞プロの鈴木社長、○○プロの丸花社長、ζζプロの兼岩会長、それに§§ミュージック会長として私が250万円ずつ出資して合計8000万円の資本金で設立した。
 
MHメディアプレスには大手レコード会社の多くが出資しているので、これは結果的にはレコード業界全体で彼らを救済しよういうプロジェクトなのである。
 
この会社は★★レコードが25%出資する実質的な関連会社である。そのため実は★★レコードが所有する様々なシステムをそのまま使うことができた。特に制作や販売に関するシステムは、ゼロから作ろうとすると膨大な時間と費用が掛かる。それを安価な使用料を払うだけで利用できたのである。これもMSMとは大きく異なる点であった。
 

湯河原レコードは2020年4月3日に設立された。
 
最初の段階では鬼柳・鈴木・溝口・佐田と他に4人★★レコードやTKRから移籍した社員の合計8人だけで営業開始に向けての準備を進めた。音源制作はスタジオを作るのには高額の初期費用がかかることから、★★スタジオを利用させてもらうことにした。但し本社の中古住宅の近くに、練習用のスタジオを2棟建てた。正確には、町の好意で貸してもらった土地にユニットハウスをポンと置いて、自分たちで防音板を貼り付けたものである。ここはあくまで練習用であり、音源制作は東京の青山で行う・・・はずだったが、自分たちで録音までするからと言って、ここでマスターを作ってしまう人たちも現れることになる。
 
CDのプレスはMHメディアプレス(愛知県常滑市)が行うほか、ネットで★★チャンネルでもダウンロード販売する。CDの流通は★★レコードに全面的に委託することにした。
 
それでだいたい準備ができた所で★★レコードの分裂から1年少し経った2020年8月に社員も12人まで増やして本格的な活動を始めた。
 
色々なものを★★レコードから提供してもらっても、新しいレコード会社を始めるにはそのくらいの期間が必要だったのである(実際の準備はMSMの倒産直後から始めている)。
 
村上さんたちのようにいきなり何百人もの社員を雇ったら、させる仕事も無いまま、給料や家賃だけ払い続けることになる。あれは下手な経営の見本である。
 

鬼柳社長は佐田営業部長を伴い、1年前の分裂騒ぎの際に★★レコードを飛び出してしまったアーティストの中で、現在でも何らかの活動を続けている人たちの所を訪問してまわった。彼らは本当に困っていたので、多くが関心を示した。
 
2019年の7-8月に★★レコードからMSMに移籍したアーティストは100組ほどあったが、その半数は既に解散していた。セミプロ状態に戻りライブハウスなどで活動していたバンドもあったが、コロナの影響でライブハウスが使えなくなり、活動は停滞していた。
 
結局可能なら復帰したいと鬼柳たちに表明したアーティストは30組ほどだった。
 
ちなみに佐田ゆうき営業部長の“素性”を知らない人たちは
「へー。女性の営業部長さんですか。凄いですね」
などと言っていた!
 
鬼柳が「性別曖昧な格好は混乱をもたらすからスカート穿いてろ」と言ったので、ゆうきは「ボク女装はしないんだけど」と言いながらも可愛いスカートを穿いていた(ちゃんと持ってる:スカートは200枚あると言ってた←枚数がありすぎ!)。鈴木片子副社長からは「可愛いよ」と言われて照れていた。
 
「ボクをいつでも押し倒していいからね」
「だからそんなことしないって」
 

ただ復帰の条件はなかなか厳しい。
 
資金的な負荷(違約金の支払い)と作業する人の問題で、復帰させるアーティストは月間4組までとすることにした。復帰作のアルバムができても、多い場合は順番待ちである。
 
それぞれのアーティストの過去の営業成績に応じた違約金の支払いが必要で、その支払いは湯河原レコードが代行するのだが、各アーティストにはその補償をしてもらう必要がある。
 
バンドが自作曲を演奏してCDを制作した場合、作曲印税と演奏印税を合わせると、出荷額の8.1%をアーティストは受け取ることができる。湯河原レコードはその半額を向こう1年間にわたり、レコード会社に納めるよう求めた。またライブ収入に関してもギャラの半額を納めるよう求めた。
 
それをいわば保険料のようにして、直接の違約金支払いを免除しようということなのである。ただ、それでは生活できないアーティストも多いので、半額徴収期間の1年間に限り、メンバー1人につき15万円/月を限度に生活費の融資をすることにした。返済は出世払いで請求もしない(10年で時効!):他社に移籍しない限りは!!
 
なお、ムーランの協力で湯河原町内に寮を作ったので、そこで生活してもらうと生活費が大幅に節約できる。それを聞いて、多数のアーティストが東京から湯河原に引っ越してきた。入寮希望者が多かったのでムーランは結局寮を年内に3棟建てて、ひとつは女性専用・男子禁制にした。
 
「男子が女子寮に入ろうとしたら、レーザー光線でアソコを燃やしますのでご注意を」
と若葉は言った。みんな冗談だろうとは思ったが、試してみる勇気のある男子はいなかった。
 

この“湯河原レコード”による復帰大作戦は2020年9月から始まり、2020年内に16組のアーティストが現役復帰を果たした。
 
★★レコードとしては回収が困難と思われていた違約金を少しでも回収することができたし、いったん廃盤扱いにしていた、彼らの★★レコード時代のCDを再発売したり、ネットストアに登録したりすることもできて、ひじょうに美味しい取引となった。
 
違約金は湯河原レコードと★★レコードの交渉の結果、正規の金額の半額で勘弁してもらえることになった。アイダラコンの違約金も半減され、4億円が彼らに返還されたので、彼らはそのまま銀行への返済に回し、借金はあっという間に2.7億円まで減った。
 
MSM幹部に損害賠償を求めていた人たちは、軒並み訴訟を取り下げた。そんな勝訴しても実際には取れそうにないお金を求めて法廷闘争をするより、湯河原レコードを利用して活動再開させる方が得策と判断したのである。
 
9月に湯河原アーティストの第1号として復帰した歌手・きゃんてぃの場合、この1年間に作り溜めていた曲ですぐにアルバムを発売した所、32万枚も売る大ヒットになった。それを背景にあけぼのテレビでネットライブをしたら、チケットが40万枚も売れた。きゃんてぃはアルバムの印税とネットライブのギャラの半額、3億3900万円を湯河原レコードに納めた。きゃんてぃに関する違約金として湯河原レコードは★★レコードに3.5億円(本来7億になるのを半額)を支払っていたのだが、そのほとんどを最初のアルバムと1回のライブで取り戻すことができた。
 
9月に復帰した他の3人も年内に違約金のほとんどを取り戻すことができて、その後のアーティストの違約金支払いに回すことができた。
 
湯河原レコードの営業拡大に伴い社員も増えて2020年末の時点では社員が20人になった。春から夏に掛けて★★レコードやTKRから湯河原レコード移籍した社員は、最初は鬼柳さんとの個人的な関係から「悪いけど当面は月給20万くらいで我慢して」と言われてその覚悟で働いていたのが2020年12月の給料は30万ほどあったし、ボーナスも60万ほど出た。
 
「おかげで子供を安心して大学にやれる」
「おかげで住宅ローンが組める」
「おかげで女房に性転換手術を受けさせられる」
 
などという声もあがっていたとか!?
 
(夏はボーナス代わりに“ポチ袋”と称して一律20万円が支給されていた)
 
鬼柳社長としては、社員はせいぜい40-50人くらいまでしか増やすつもりは無い。TKRやライミューズなど、★★レコード系の他のレコード会社同様、少数精鋭で営業活動した方がメリットが大きいと考えている。
 
(ここまで長い前提の説明)

湯河原レコードは、最初は★★レコードからMSMに移動したアーティストの救済から始めたものの、彼らの多くは既にピークを過ぎたアーティストであり、将来的には先細りになってしまう。それで鬼柳社長と佐田営業部長は、新人の開拓にも力を入れた。
 
飛び出したアーティストの訪問が一段落した11月から彼らは湯河原から少し足を伸ばして、三島市や下田市、また更に静岡県内で活動をしていた人たちをホームページなどを頼りに訪ねては、演奏を聴かせてもらった。
 
その結果、いくつかのバンドや歌手を発掘したのだか、2人は、やがて、湯河原レコードの柱となってくれるアーティストを発見するのである。
 
女子高校生バンド"KYR”(キール)であった。この名前は浜松市に拠点を置く楽器メーカー、河合とヤマハとローランドの頭文字を並べたものである。実際彼女らはこの3つのメーカーの楽器を使用して演奏をしていた。編成はギター・ベース・キーボード・ドラムス・アルトサックス・ホルンという6人構成で、ベースの子がメインボーカル、ギターの子がサブボーカルで、コーラスはキーボードの子とドラムスの子が入れる。(サックスとホルンはコーラスするのは無理)
 
使用楽器
 
Gt Yamaha PACIFICA212VQM
B_ Yamaha BB234
KB Kawai ES110
Dr Roland VAD306
Sax Yamaha YAS-380
Horn Yamaha YHR-567
 
彼女たちは最初は湯河原が本社のレコード会社なんてと思ったものの、★★レコードやTKRが設立した会社と聞くと、興味を持ってくれた。
 

実は私は(2020年)11月22日(日)に鬼柳さんから連絡を受け、ちょっと見て欲しいバンドがあると言われた。今日ならいつでもいいですよと言ったら、鬼柳さんはメンバー6人を(機材も一緒に)ワゴン車に乗せて東京まて連れてきた。
 
それで私は彼女たちの演奏を見ることになったのである。
 
彼女たちは私が見ているので緊張したようだが、演奏を聴いた私は
 
「いいですね」
と言った。それで彼女たちはホッとしたようで顔を見合わせて笑顔になっている。
 
「ただ、誰かプロにアレンジさせた方がいい」
と言う。
 
「ああ、確かに構成がちょっと冗長ぎみだよね。ちなみにケイちゃんはそのあたりするの無理だよね?」
「申し訳無いですけど、時間が無いです。でも誰か心当たりを当たってみますよ」
「助かる」
 

それで私が連絡を取ったのは、古い友人である、カチューシャの鳥野干鶴子である。
 
カチューシャというのは下記3組の合体バンドである。
 種田広夢(トレショトカ/Vo)
 線香花火 鳥野干鶴子(バラライカ/Vn/Gt)+竹原杏菜(バヤン/Fl)
 シレーナ・ソニカ 磯崎穂花(Dr)+喜多優香(B)
 
シレーナ・ソニカはローズクォーツの2代目代理ボーカルである(2013.8-2014.3).
 
私は中学生時代に、干鶴子・杏菜と同じオーケストラに所属していたので古い付き合いである。
 
トレショトカというのはロシアのパーカッションで、富山県のこきりこで使用する“板ざさら”にもちょっと似た系統の楽器である。多数のウッドブロックを連ねた形をしている。それに干鶴子・杏菜のバラライカ・バヤンを加えて、この5人でロシア民謡・ロシア歌曲などを演奏する。全国の小中学校などを巡って公演をしていたのだが・・・コロナの影響で2020年春以降、全く学校訪問ができない状況に陥っている。つまり現在は開店休業状態である。
 
彼女たちにKYRのビデオを見せると、
「この子たちいいね」
と気に入ってくれた。それで彼女たちが浜松に行って、KYRの子たちを指導してくれることになったのである。私は湯河原レコードの承認も取って、KYRとサマーガールズ出版との間で契約を結ぶことにし、カチューシャのメンバーの滞在費を含む制作費をサマーガールズ出版で出すことにした。
 
「物は相談」
と干鶴子は言った。
「何か?」
「カチューシャって事務所が無いのよ。冬ちゃん、私たちを拾ってくれない?」
「いいよー」
「ついでに資金的な支援もしてくれると嬉しいな」
「んじゃ、最低報酬補償方式で」
 
それで私はカチューシャをサマーガールズ出版と契約させた。そしてその後、§§ミュージックの歌手たちの伴奏(手が足りてない)にも借り出すことにした。彼女たちは突然忙しくなって、嬉しい悲鳴をあげていた。彼女たちは平日は§§ミュージックで伴奏の仕事をし(実は信濃町バンドのメンツにもカウントしている)、土日に浜松に行く。
 
種田広夢以外の4人は既婚者なのだが、この結果彼女たちの夫は放置されることになる。君たちが離婚になっても、私は責任持たないからねー、と取り敢えずは言っておいた。
 

KYRの制作に関する費用は先行して出して制作作業を進めてもらっていたのだが、ローズ+リリーの白石マネージャーが彼女たちの保護者と会い交渉を進めて、契約書に保護者がサインしたのが12月25日のことである。私は小浜から戻った1月2日に、東京で彼女たちおよび保護者たちと深川アリーナの食堂で会って、会食をした。ここは各々のスペースがアクリル板で区切られ強制換気もされている。基本的に会食禁止になっている中で★★レコードが認定した数少ない会食OKの場所である。保護者たちは食事を給仕する“プラスチックスタイル”のメイド服を着たスタッフにも驚いていた。
 
参加したのは、45人乗りの大型バスに乗せて連れてきた、キールのメンバーと保護者(15人)、カチューシャの5人、私と鬼柳社長・佐田営業部長、契約交渉をまとめた白石マネージャーという24人になる。結構な大人数で、私もこの人数で食事するのは久しぶりだった。
 
それでこの日の話し合いで、キールのデビューアルバムは1月20日(水)に発売されることが決まった。音源制作自体は既に完了しているのだが、それまでにPVの制作もすることになった。
 

1月2-5日は、青葉・ラピスラズリと一緒に“作曲家アルバム”の作曲家さんを訪問した。お正月で本来はラピスラズリは忙しいのだが、冬休みで学校が休みであるのを利用したものである。また2月には青葉が水泳のジャパンオープンに出るので、それを避けて1月に取材することにした。
 
最初は前回のワンティス出身の作曲家の続きで、1人残っていた村中ハル(中村将春)さんを訪問した。学生時代に大学生バンドでギターを弾いていたが、クリッパーズの結成時に誘われてベーシストとして参加。クリッパーズ解散後は一時期新潟でレストランのスタッフをしていたが、後に音楽学校の講師として音楽業界に復帰。2013年にワンティスが活動再開した時、ギタリストとして加わったのである。
 
ちなみに本名が中村なのに、作曲家名が村中になるのは、UNICORN / VANILA の川西幸一が、西川幸一とも名乗る(どちらが本名か分からなくなっている人が多い)のに倣ったものらしい。
 
中村さんは常識人なので、取材はとても平和に進行した。
 

その後は、女性作曲家が3人続いた。
 
1月3日は香住零子さんを訪問した。
 
彼女は多作だし、書くジャンルも広い。また楽曲スタイルもバリエーションが多い。ある意味、千里と似たタイプの作曲家だよなと私は思っている。
 
実際彼女のヒット曲もこれまで、アイドル、ロックバンド、フォークグループ、演歌歌手など多岐に及んでいる。実はピアノソナタもこれまでに3曲書いている。実に多才な人である。
 
私たちはその様々な作品に触れながらインタビューを行った。
 

1月4日に訪問したのは吉原揚巻さんである。
 
彼女は作曲家としてのキャリアは長く知名度は昔からあったものの、爆発的なヒット曲に恵まれなかった。2016年に奈川サフィーに提供した彼女のデビュー曲が50万枚を超える大ヒットとなって一流作曲家の仲間入りをした。その後も、奈川サフィーや最近ではUFOのメインライターとして活躍している。
 
ラピスラズリの2人はUFOの歌はよく聴いているので
「第三種接近遭遇好きです」
などと朱美が言って
「あれ、私も気に入っているのよ」
という吉原さんの反応を引き出していた。
 
「あの曲の冒頭の電子音でレミドソー・ソーってのが印象的ですよね」
「あれはね・・・ケイちゃんなら知ってるよね?」
と吉原さんは私に振ってくる。
 
「あれは異星人との第何種遭遇というのを映画化した『未知との遭遇』という映画で使用されたUFOとの交信音なんだよ」
と私は教えてあげた。
 
「え〜?そうだったんですか!」
と朱美は本当に驚いていたようである。
 
「まあ、UFOが歌った曲は異星人ではなく異性人との第三種遭遇を歌ったものですね」
と青葉は笑顔で言っている。
 
「ちなみにその音が『007ムーンレイカー』では、細菌兵器の研究室に入る時の暗証番号として利用されていた」
と私は補足する。
 
「へー!すごい」
と朱美。
 
むろん彼女たちはそちらの映画も知らないであろう。『未知との遭遇』は1977年の映画、『ムーンレイカー』も1979年の映画で、彼女たちが生まれたのより25年以上前である。
 
青葉はそれは知らなかったようで「へー」という顔をしていた。
 

1月5日は、私はとても頭が痛かった。
 
スイート・ヴァニラズのElise だったのだが、事前に電話してLondaにも付いていてもらうことにした。でないと、絶対飲んだくれてインタビューに答えるに決まっている。
 
当日、青葉・ラピスラズリと一緒にEliseのマンションを訪問すると
「ケイ、待ってたぞ」
とまるで酔っているような雰囲気。
 
Londaをチラッと見ると
「少なくとも私が来た昨日の夕方以降は飲んでいない」
と言っている。
 
それ以前のアルコールが残ってないか?
 

しかし町田朱美も、この手の人間は、雨宮先生や海野博晃さんなどで体験している。
 
「Elise先生、そのイヤリングが素敵です」
などと笑顔で言うので
「おお、君は物の価値が分かるね。これティファニーのイヤリングで50万円したんだよ」
とEliseはご機嫌であった。
 
このタイプの人は、根は単純なので、相手の表情が読みにくい、後藤正俊さんや東郷誠一先生みたいなタイプよりは、扱いやすい。それで町田朱美もかなりうまくEliseを扱って、色々話を引き出してインタビューしていた。もっとも調子に乗りすぎて、電波に乗せるにはヤバい話も出て来たので、そのあたりは青葉と話し合って後で編集カットさせてもらった。
 
しかし朱美はEliseに随分気に入られていたようである。
 
「あんた彼氏いるだろ?妊娠しないように確実に避妊させろよ」
などともアドバイスしていたが、むろん編集でカットした。
 
私やコスモスは町田朱美と彼氏(平野啓太)との交際については、黙殺している(黙認ではない)状況である。
 
青葉は1月2-5日は日中は§§ミュージックでコスモスなどと話したり、太田ラボで松本花子の打ち合わせをしたりして、毎日夕方から、私・ラピスラズリと一緒に作曲家さんの家を訪問した。そして1月6日の午後、ホンダジェットで能登空港に飛んで富山に帰還した。
 
浦和の家には小型の水泳練習場があるらしく、取材の仕事をしながらも毎日3時間くらい泳いでいたらしい。オリンピック選手も本当に大変である。
 

「美鶴ちゃん、少しは体調良くなった?」
と美鶴は川崎ゆりこ副社長から声を掛けられた。
 
「はい、もう元気です」
「だったら、私と一緒に来て」
と言われて、緒方美鶴(甲斐絵代子)は、ゆりこ副社長と一緒に出かけた。
 
副社長が運転する白いBMW 225xe iPower(エンブレムは事情により、日産のものを取り付けて偽装されている)に同乗する。
 
「実はさ、12月5日に歌ってもらったロッテ・ショコエールのCM曲なんだけどね。一応CDにして1000枚だけプレスしてロッテの本支店に配布したらしいんだけど、『この曲、市販してないんですか』という問い合わせが沢山来ているから、一般発売することにしたんだって。それで今日は再度あの曲を歌ってくれない?」
 
「はい、分かりました」
 
それで新宿のXスタジオに行った。先月はここに体操服で来ちゃったな、などと思い出す。
 
でもあの時は***があったんだよなあ。今は無くなってしまった。でも無くなって女の子の形になったのはいいことなので、深くは考えないことにしている。
 
何か「性転換手術証明書」とかいうのも置いてあったし!?
 
ただ痛みが辛かったのを、カウンセラーの上野さんが中村晃子さんとかいうヒーラーの人を呼んでくれて合計3回もヒーリングしてもらったら、随分痛みが取れた。中村さんはこういう痛みを取るのが凄くうまいらしい。
 

スタジオの中に入ると、あの時楽曲の指導をした野潟四朗さんがいる。
 
「おはようございます、野潟先生。お世話になります」
と挨拶する。
 
「おはよう、えよちゃん。話は聞いてると思うけど。あの曲を再度録るから」
 
「はい、聞いております」
 
「あの時は1時間で音源を作らないといけなかったから結構妥協したけど、今日は妥協無しで行くから」
「分かりました。頑張ります。よろしくご指導ください」
「うん」
 
それで美鶴は野潟さんの指導で再度あの歌を歌ったが。本当に野潟さんの指導は厳しかった。特に16分音符で細かく動く時に音程が微妙にずれる点を指摘され、かなり練習させられた。厳しいので思わず涙ぐみそうになる所を我慢する。でも3時間掛けて仕上げた歌唱は自分で聴いても「凄くよくできてる」と思うものであった。自分自身がこの3時間で凄く進化した気がした。
 
そこまでできた所で野潟さんが
「いい出来になった。絵代子ちゃんも頑張ったね」
と言ったので、美鶴はここまで我慢していた涙があふれてきて
「本当にありがとうございました」
と御礼を言った。
 
「本番」と言われてから3回録った。どれもいい出来だという気がしたが、最終的にはこれらを再度聴き比べて、一番良い部分を繋ぎ合わせる編集をして完成品にするという話であった。通常、商業的に販売する作品はそうやって作るらしい。
 
それで今日は終わりかなと美鶴が思った時、野潟さんは衝撃的なひとことを言った。
 
「じゃ2曲目行こうか」
 
え?え?え?
 

ところで1月1日夜、私が突然思いついて書いた『マチカ・マチリカ』だが、私は次のアルバム『ラブコール』に入れるつもりでいたのだが、譜面を見ていた八雲(旧姓氷川)さんは言った。
 
「これシングルにしましょうよ」
「え〜〜!?」
「だって、シングルは昨年3月の『君に届け』から出してないし」
 
★★レコードとしては FMIから9月に発売した『龍たちの讃歌』は無かったことになっている。
 
「でもカップリング曲は?」
「そうですね。『ラブコール』に入れるつもりだった『星空のプロムナード』とかはどうですかね?」
「星空か・・・・」
と私は呟いた時、唐突に2014年2月に書いた『アクロス・ザ・スノー』のことを思い出したのである。
 

この曲の譜面はアルバム『アクロス』の準備のために発掘して(実は青葉に見つけてもらった)既にCubaseに入力してある。それを開いて私は八雲さんに聴かせた。
 
「これもシングルとして売れる曲だ」
「これをマチカ・マチリカと組み合わせましょうか」
「じゃ両A面で」
 
それで私は松本花子(岡原世奈)に依頼してアコスティックのケイ風作品として作ってもらった『Shika-Goロード』というコミカルな曲と合わせて3曲入りシングルを制作することにした。
 
演奏はスターキッズのアコスティック・バージョンを使用し、3曲とも電気楽器を(ベース以外)使用しないアレンジでまとめた。収録は1月中に行い、PVも制作した。
 
『アクロス・ザ・スノー』のPVは北海道で撮影した。私と政子、撮影担当の美原友紀さん、鱒渕マネージャー、一緒に映る役として、常滑舞音・甲斐波津子も入れて、6人でホンダジェットで旭川空港まで飛んだ。そして層雲峡で撮影した。本当に雪が降っていて、結構ハードな撮影だった。
 
その後『Shika-Goロード』を和歌山県四箇郷村で撮影する。
 
これは「鹿Go(鹿が行く)」「アメリカのシカゴ(Chicago)」「四箇郷村」を掛けているのである。
 
それでホンダジェットは私たちを乗せて、旭川空港から関空まで飛んだ。その後レンタカーで現地に入る。偶然にも鹿を目撃したので、美原さんがすかさず撮影してくれた。
 
それで野生の鹿が映った素敵なビデオを撮ることができた。
 
最後に『マチカ・マチリカ』は都会的な風景なので、和歌山まで行ったついでに和歌山市街地で幾つかのシーンを撮影した。これに後はスタジオで撮影した映像を入れてPVを完成させるのだが、美原さんは奈良公園の鹿を撮影するため奈良に向い、関空から郷愁へのフライトは5人になった。
 
しかしプライベートジェットを使ったとはいえ、1日で北海道・和歌山まで行って東京に戻るというのは、なかなかハードで、私は関空から郷愁へのフライトではひたすら寝ていた(補助席に座って熟睡していた)。ローズ+リリーのデビューまもない頃、1日で札幌と福岡を掛け持ちした時のことを思い出していた。
 
でも若い2人は窓の景色を見てキャッキャッと喜んでいたようであつた。
 
常滑舞音は、先日小浜に行く時はGulfstream G450, 戻る時はAirbus A318に乗っており、今回はHonda-Jet で、三種類の飛行機を体験したことになる(3月にはまた別の機体を体験することになる)。
 

(2021年)1月13日に発売された羽鳥セシルの『ミトラ・シトラ・ゴトラ/雨のある街』はプロモーションのCMなどは全く打ってはいないものの、チョコのCM自体が結果的に曲のプロモーションにもなって、一週間で8万枚売れた。週間ランキングでは、恋珠ルビーの『サンバ・シャポン』に続く2位となっている。
 
1日に発売された『ココと子ギツネのロンド』は、アクアの曲に次いで2位だったし、私っていつも2位なのかな、などとも思ったが、1月(ひとつき)に2枚シングルを発売するというのは異例なので、幾つかのマスコミが♪♪ハウスに電話で質問してきた。白河夜船社長は、『ミトラ・シトラ・ゴトラ』については、メーカーさんの意向で急に発売が決まったものである、と説明した。
 
「メーカーさんは1月6日に発売したかったみたいですが、お正月で工場が動いてなかったので、結局1月13日になったんですよ」
 
1月6日に発売された七尾ロマンのCDなどは年内に生産されていたものである。
 
「でも、ミトラ・シトラ・ゴトラって、まるで呪文みたいですね」
「呪文ですよ」
「そうなんですか!?」
「ミトラはゾロアスター教の神様で太陽神です。この神は仏教に取り入れられて弥勒菩薩(みろくぼさつ)になりましたし、西洋では“マイトレーヤ”の語源となりました」
 
「へー」
 
「シトラはエジプトの神様で、別名オシリスとしても知られています」
「オシリスは聞いたことありますね」
「天空でいちばん明るい星、シリウス星の語源にもなった神様ですよ」
「へー」
「ゴトラはインドの神様で月の神様なんです」
「へー!」
「正式名はゴトラマシュリーというのですが、短縮形のゴトラ神として一般には信仰されています」
「ほほぉ」
 
「ですから、ミトラ・シトラ・ゴトラというのは、太陽の神、シリウスの神、月の神に祈る、強力な呪文なんですよ」
 
「本当ですか?」
「嘘です」
 
「うっ・・・・」
 

このやりとりは、記者が録音していて、白河社長に公開していいかと尋ねたら「どうぞ、どうぞ」というので公開した。するとネットで結構話題になっていた。
 
結果的には、この白河社長のジョークがプロモーションにもなったようである。
 
しかし悪乗りした製菓メーカーは、セシルと一緒に、同じ事務所の中学生女子3人(広沢ラナ・水野雪恵・神田あきら)に、太陽神・月神・シリウス神に扮してもらい、新たなCFを作成して公開したら、これがまた受けてCDも更に売れた。
 

1月20日(水). 湯河原レコードの新人アーティスト“KYR”(キール)のデビューアルバム『КЯР』(キャル)が発売された。
 
予算が無い中、ネット広告を中心とするプロモーション、浜松から発信するということで、地元メディアにも取材してもらったりした結果、最初の週だけで3万枚と、まずまずの出だしとなり、デビューは成功した。この週のアルバムランキングで1位になった。
 

1月20日(水)、Ye-Yo(甲斐絵代子)が歌う『美味しい時間/飴のある町』が発売された。“Ye-Yo”というのは、制作を指揮した野潟四朗さんが
「甲斐絵代子は硬いからニックネームを付けよう」
と言って、“エーヨ”と命名したのである。
 
野潟さんは最初「Aejo」と書いたが、川崎ゆりこが「読めません」と言ってYe-Yoに改訂された。
 
この曲はセシルのCM曲同様、歌自体についてのプロモーションは全くしていなかったのだが、お菓子(ショコエール)のCMがプロモーションになり、最初の週だけで5万枚を売って、シングルの週間ランキング1位を取った。
 
§§ミュージックはマスコミから取材を受けた。
 
「デビュー予定とかは聞いていなかったのですが、§§ミュージック今年3人目のデビュー歌手ですか?」
 
「いえ、彼女はデビューした訳ではありません。たまたまCM曲が売れただけです」
とコスモスは説明した。
 
コスモスは補足説明する。
 
「信濃町ガールズの子たちは、ドラマの端役とか、雑誌の表紙とか、様々な商品のCMとかに出たりしています。それでCM曲を歌うこともありますし、それがCD化されたこともあります。実際、山下ルンバは正式には2019年にデビューしたのですが、2014年以来CM曲やキャンペーン曲で、デビュー前に12枚のCDを出しており、その合計売上枚数は30万枚ほどに達しています。ただ今回みたいに話題にはならなかっただけです」
 
とコスモスは説明した。
 
「ではYe-Yoちゃんの正式デビューは?」
 
「現時点では白紙です。今年はうちの事務所は七尾ロマン・恋珠ルビーと同時に2人の新人を出したので、正直、それ以上に売り出す余力が無いんですよ」
 
「彼女はテレビなどに出したりしますか?」
「それは多分出ることになると思います。名前を随分覚えてもらいましたから良い機会です」
 
とコスモスは甲斐絵代子のプロモーションについては、積極的な姿勢を見せた。
 

ところで、Ye-YoのCDが発売された翌週くらいになって、ネットを中心に話題になり出したことがあった。
 
セシルが歌った明治ミトラチョコのCM曲CDは
『ミトラ・シトラ・ゴトラ/雨のある街』
であり、Ye-Yoが歌ったロッテ・ショコエールのCM曲CDは
『美味しい時間/飴のある町』
となっていて、カップリング曲が同音だというのである。
 
「この“ある”は別の意味だよね」
「漢字で書くと、セシルのは“雨の或る街” One Rainy Street、Ye-Yoのは“飴の有る町”Town full of Sweets」
 
「作者は、セシルのは夢紗蒼依作詞作曲、Ye-Yoのは松本葉子作詞・松本花子作曲」
「ライバル同士の作品だ」
「タイトルは似てるけど曲調はかなり違う」
「セシルのは聴かせる歌曲という感じで、Ye-Yoのは可愛いアイドル歌謡」
 
「でもミトラチョコとショコエールは似てるよね」
「パッケージも似てるし、お菓子自体も似ている」
「ライバル同士のお菓子だって、こないだワイドショーで言ってたよ」
 
「セシルとYe-Yoもライバルだったりして」
 
このあたりから、2人の“ライバル伝説”が始まるのである。
 

1月21日(木・友引・さだん).
 
§§ミュージック社長・秋風コスモスが突然結婚を発表した。
 
これには誰もが度肝を抜かれた。
 
コスモスはこの日の朝、各報道機関にFAXを送り
「私、秋風コスモスは本日結婚しましたので、ご報告します」
とだけあり、相手が誰かということさえ書かれていない。
 
コスモスが男性と付き合っていたなどとは私は初耳だった。千里、ゆりこなどにも尋ねてみたが、誰も交際を知らなかったようである。
 
記者会見を開いて下さいという声が圧倒的であったので、あけぼのテレビで記者会見を開くことになった。FAXには結婚相手の名前が書かれていなかったので多くの記者が芸能人ではない人なのだろうと思っていたのだか、記者会見でコスモスと並んで座っているのが、Wooden Fourの木取道雄だったので、これまたみんなびっくりする。
 
基本的にはリモート記者会見なのだが、報道陣を代表してΛΛテレビの宮嶋容子アナウンサーがリアルで会見に出席して、色々質問をすることになった。
 
「先日、七尾ロマンの発売記者会見で『私にエンゲージリング下さる方歓迎です』と言ったら、彼がダイヤの指輪をくれたので結婚することにしました」
と言って、コスモスは左手薬指につけた1カラットほどのダイヤのプラチナ・リングを見せる。
 
「今朝頂いたFAXでは、お相手が木取さんだということが書かれていなかったのはなぜでしょうか?」
と記者が尋ねる。
 
「はい。FAXを送った後で結婚相手を決めましたので」
「え〜〜?」
と宮嶋が驚きの声をあげるが、木取が訂正する。
 
「あれ酷いです。何で僕の名前が書かれてないのよ?と訊いたら忘れてたと言うし」
 
「入籍は済ませられたのでしょうか?」
「朝一番に婚姻届を提出しました。FAXは提出時間くらいに送信されるように設定しておきました」
 
「結婚式のご予定は?」
「あげるつもりはありません」
「実際彼女はあまりにも忙しくて、結婚式あげたり、新婚旅行とかするのは無理みたいです。実はその代わりと言って、昨日2人でホンダジェットに乗って、北海道まで往復して、向こうではスーパーでマトンを買って、§§ミュージックの研修所のキッチンで、ジンギスカンを作って食べました。もちろん燃料代・パイロット代は僕が払いました」
 
「素敵な新婚旅行じゃないですか!」
「日帰りでしたけどね」
 

「妊娠はなさってますか?」
「当面妊娠の予定はありません。私は忙しいから、赤ちゃん欲しかったら、木取さんが産んでねと言っています」
 
「どうやったら僕にも赤ちゃんが産めるのか研究中です」
 
さすがに記者団の間で苦笑が漏れる。
 
「ではコスモスさんはお仕事は続けられるんですね?」
「もちろんそうです。結婚ごときで仕事は放棄出ません」
 
「でも僕は仕事をやめさせてもらうことにしました」
と木取道雄が言うので騒然とする。
 
「おやめになるんですか?」
 
「僕は伊藤さんのサポート役に徹することにしました。多忙で過労ぎみの彼女に代わり、運転手役、そして御飯を作ったり洗濯したりする作業に徹します。うちの事務所の社長に話して、3月一杯で契約解除させてもらうことにしました」
 
ここでリモートで接続している中に(Wooden Fourリーダーの)大林亮平の姿があることに数人の記者が気付く。コメントを求められた亮平は語る。
 
「実は先月、彼から相談を受けました。Wooden Fourはコロナの影響で昨年春以降、全くグループとしての活動ができない状態になっています。かろうじて、僕と本騨と森原の3人は各々俳優として、いくつかのドラマにレギュラー出演していたのですが、実は木取だけが演技が苦手というのもあって、そういうのにはほとんど出ていませんでした。年末にΛΛテレビさんで放送された長時間ドラマ『とりかへばや物語』に4人そろって出演できたのが、よい想い出になりました。それてWooden Fourは3月いっぱいで解散することになりました」
 
この大林の爆弾発言で記者も視聴者も騒然とした。
 
その後、多数の質問があるが、コスモスと木取道雄、時には大林亮平が丁寧に答えていった。
 
その内、ひとりの記者から質問がある。
 
「さっきから気になっていたのですが、コスモスさんは彼のことを“木取さん”と呼び、木取さんはコスモスさんのことを“伊藤さん”と呼んでいますよね。普段は何と呼び合っているんですか?」
 
「木取さんと言っていますけど」
「伊藤さんと言っていますけど」
 
「あのお、ある程度親しくなったら下の名前で呼び合いませんか?」
「そうですか?私たちは苗字で呼び合っていますけど」
 
「婚姻届では、どちらの苗字を使うことにしたんですか?」
「僕が苗字を変えました。それで今日からは伊藤道雄になりました」
「それでもコスモスさんは彼のことを木取さんと呼ぶんですか?」
「はい、そうですけど。戸籍上も苗字はバラバラのままにできたらいいんですが、そうできないので、便宜的に法的な苗字を変更しただけですから。基本的には彼は木取道雄だと思っています」
 
「伊藤さんは多数の会社の役員として名前を連ねているので、名前を変更するとその変更の手間と費用が膨大になるみたいです。それで『僕が苗字を変えるよ』と言いました。やはり日本は江戸時代までと同様に夫婦別姓の方がいいと思います」
と木取道雄は言う。
 
記者会見は1時間ほど続いたのだが、要するにコスモスは今までの生活を全く変えないこと、木取道雄がコスモスの専任ドライバー、兼、食事・洗濯・掃除係になるということのようであった。
 
ともかくもこれでWooden Fourは全員結婚したことになるが、3月で解散である。3月31日はネットライブ・あけぼのテレビ方式でさよならライブをすることも発表されたが、その前に3月上旬には“Flower Four”として、震災イベントに登場することになる。
 
「ちなみに来年以降のFlower Fourは?」
「“彼女たち”に訊いてみないて分かりませんけど、きっと彼女たちは活動を継続すると思いますよ」
と木取道雄は答え、大林亮平も
「彼女たちはまだまだやると言っていたよ」
と言った。
 
つまり男の子4人のWooden Fourは解散するが、女の子4人のFlower Fourは存続していくということのようであった。
 
 
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【夏の日の想い出・秘密の呪文】(4)