【春転】(4)

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2021年5月20日(木).
 
この日は数紀の誕生日だったが、数紀は原付の免許を取ってと言われ、学校を休んで、鮫洲の運転免許試験場に行った(男子寮からSCCの運転手さんの車で試験場まで行く)。
 
申請書を書き、用意していた住民票の写しおよび佐々木マネージャーに撮影してもらった写真を提出、生徒手帳(1組になってるけどいいやと思った)を提示して受け付けてもらい、学科試験の行われる部屋に入る。
 
先週の内に言われて小浜との往復の飛行機の中で教本を読んでいたし、今週頭からは木下宏紀にだいぶ指導を受けていただけあって、合格。原付の実技講習を受けた上で、グリーンの帯の運転免許証を手にした。
 
この日の夕方には、ひろか・詩恩の姉2人が男子寮の数紀の部屋まできて、ケーキとコーラ、それにケンタッキー・フライドチキンでお祝いをしてくれた。寮母の門脇さんも「誕生祝い」と言ってイチゴショートを差し入れてくれている。
 
「何泣いてんのよ?」
「いや、お姉ちゃんたち2人に祝ってもらったの初めてだよなと思って」
「そうだね。私が参加したのは初めてだ」
と詩恩。
「私が参加したのも7年ぶりだ」
とひろか。
 
「まあ数紀が東京に出て来たことで三姉妹揃ったからね」
とひろか。
「うん。せっかく三姉妹揃ったし、仲良くしていこうね」
と飛鳥、
 
数紀は2人の姉が“三姉妹”と言ったことについて何も考えていない!
 

2021年5月21日(金).
 
数紀がその日学校に出て行くと、朝礼の時に担任の青山先生から
「柴田さん」
と呼ばれた。
 
「新しい生徒手帳ができたよ」
と言って渡された。
 
「ありがとうございます」
 
「名前や生年月日に間違いがないか確認して」
「はい」
 
それで数紀は新しい生徒手帳の最後のページを開き、確認する。
 
学年組:1年2組
氏名:柴田数紀 性別:女
生年月日:平成17年(2005年)5月20日
 
数紀は組が2組になっているのを見、それから自分の名前と生年月日が正しいことを確認した。それで
「間違いありません」
と答えた。それで暫定的に持っていた1組になっている生徒手帳は先生に返却した。
 

アクアMは『サーファーの夏』撮影中の5月22日、東京アクアティクス・センターに見立てた郷愁村の50mプールで2月のジャパンオープンのシーンを撮影した。その後、この日はSCCの運転手さんが運転する“アクアのアクア”で東京に戻る。実は緑川さんが明らかに疲れていたので共演者の星原琥珀がドライバーを呼ぶのを勧めた。それでドライバーを呼んだついでに琥珀もアクア・緑川と一緒にその車に同乗して東京に戻った。こういう場合マナーとして女性の住所を男性に見せないように男を先に降ろす。それで先に龍虎を降ろしてから琥珀の所に向かう。
 
「代々木かぁ。いい所に住んでるね」
と琥珀が言う。
「静夜ちゃんはまだ吉祥寺?」
「そそ。こんな都心には高くて住めないよ」
「結構稼いでそうなのに」
「うちの事務所、率が悪いし」
などと琥珀は言っていた。彼女の事務所は老舗だからなあと龍虎は思った。
 
撮影が終わったのが21時頃で東京代々木のマンションに戻って来たのが22時半頃である。Fから19時頃に「彩佳が来たからボクは退避する」という“直信”が来ていた。ああ、今日も彩佳とナイトライフしないといけないのか。疲れてるから寝たいのに、などとMは思っていた。むろん彩佳が嫌いな訳ではないが、マジで体力がもたないのである。
 

マンション前で車を降り、半ば放心状態でエレベータで18Fまで上がる。ドアを開けると、彩佳が抱きついてくるが
「キスはうがいしてから」
と言って、先にうがいし、顔も洗う。
 
それから彩佳とキスしたが
「頼むから先に御飯食べさせて」
と言って、彩佳が作ってくれていた御飯を食べた。
 
50mプールでこの日は結局合計3000mくらい泳いだので、かなり疲れている。それで御飯を食べながら、うとうとする。
 
「眠そうね。ベッドに行く?」
「行ってもいいけど、ボク寝たい」
「うん。龍は寝てていいよ。私が全部してあげるからね」
 
ひぇー。
 
それで今夜も龍虎は彩佳と一緒に寝室に行き、眠り掛けながら、たくさん“運動”することになった。確かにほとんど彩佳が“して”くれるのだが、それでも腰の向きを調整する必要があるから“される”側も結構な運動量がある。結構筋力を使う。セックスって女はただ寝てればいいというものではないんだなあ、と龍虎は改めて思っていた。
 
「でも龍のおちんちん、今回はなかなか出張から帰ってこないね、私は龍のちんちんが無いのも見慣れてるけどさ。あれ?もう寝ちゃった?まあいいや、もう1回くらい行こう、龍、万一私の子供妊娠したらごめんね」
 
と言って彩佳は再戦を始めた。
 

この夜はいつもより早い19時頃、彩佳が10階の部屋から登ってきたので、ベッドに寝転がって『わらしべ長者』の台本を読んでいたFは慌てて、和城理紗に声を掛けて浦和の千里さんの家・地下に転送してもらった。八王子でもいいのだが、あちらだと、ごはんに困る、
 
千里さんにメールして「何か食べさせて」と言ったら、京平君が、お盆に載せたパン(ここのパンは毎日この家で焼いている)とシチューにハンバーグ、それに海鮮サラダを持って来てくれた。
 
「京平君ありがとー」
「龍お姉ちゃんも、のんびりしていってね。コーヒーや紅茶も適当に飲んでね」
 
(京平君はFとMを正確に見分けて“龍お姉ちゃん”“龍お兄ちゃん”と言う。さすが千里さんの息子だなと龍虎は思う)
 
「そうさせてもらう。たぶん今夜はここに泊めてもらうから」
 
「うん。2番お母ちゃんに言っとくよ」
 
「今日は2番さんがいるの?」
 
「僕も2番さんと3番さんの見分けがつかないけど、たぶんNTTとかいうところに合宿に行ってるのが3番さんだと思う。2番さんも今フランスに行ってるんだよ。夜中に帰ってきて地下の部屋に入ると思うけど。フランスから“直信”で頼まれたから御飯持って来た」
 
「わあ、ありがとう!」
 
なるほどそれで京平君が持って来てくれたのか。しかしオリンピックも近づいてきてるし、本物の代表さんは大変だなと思う。NTTはNTCのことかな。ドラマの撮影でその隣のJISSには(Mが)入らせてもらったけど。感染対策で厳戒態勢なので、アクアと星原琥珀、カメラマンの3人だけが入場許可された。入口で洗濯済みの服に着替え(着替える場所はアクアMと琥珀/男性カメラマンが別室:つまりアクアは基本的に女子扱い!)、靴も用意されてた使い捨てのスリッパに履き替えた。ずっとJISSのスタッフの人が付いていて、絶対にどこにも触らないで下さいと言われた。。
 

龍虎Fは千里家の地下で、持って来てもらった御飯を食べた後、食器は取り敢えず地下ラウンジのキッチンで洗っておいた。ずっと台本を読んでいたが、23時頃には眠くなったのでお布団を敷いて寝た。
 
朝は5時頃目が覚めた。少し泳いでこようかなと思う。ボクが泳げば、その分Mの練習にもなるし。
 
それでコーンフレークに牛乳を掛けて食べて軽いカロリー補給をした上で、水着(ここに自分のを置いてる)に着替えて、地下プールに降りて行く。浄水装置のスイッチを入れて龍虎Fは軽く1時間ほど泳いだ。
 
浄水装置はタイマーオフにしてから上に戻り、シャワーを浴びる。やはり運動した後のシャワーって気持ちいい。濡れた水着を水着入れに入れて裸のままラウンジに戻ったら、ちょうど千里さんが朝御飯を持って来てくれた所だった。
 
「きゃっ」
「おはよう。女同士恥ずかしがることないよ」
「そうだね」
と言って、龍虎は取り敢えず自分の部屋に入り、適当なTシャツを着た。
 
「ごはんありがとうございます」
「ここも龍ちゃんのおうちなんだから、遠慮無く使ってね」
「うん。でもさあ」
「どうした?」
 
「ボク、一昨年は6500万円、去年は2億円出して、マンション2個も買ったのに、彩佳が来てる日はボクはどちらのマンションでも寝られないのって、何か凄く割に合わない気がするんですけどぉ」
 
「まさに、廂(ひさし)を貸して母屋(おもや)を取られるだね」
と言って、千里は笑っている。
 
「だったら、マンションもう1個買っちゃう?」
「え〜〜〜!?」
 

龍虎Fは千里とそんな話をしたことで、3月に《じゅうちゃんさん》に八王子で適当な土地を買って、家を建てて欲しいと頼んでいたことを思い出した。マンション買うより、八王子にまともな家が確保できたら、それでいい気がする。
 
でもあの件、その後、全然報告を受けてないけど、どうなってんだっけ?
 

5月27日に『夏の飛び魚』の撮影が完了したので、その後、龍虎Fは《じゅうちゃんさん》に連絡を取ってみた。
 
「ああ、すまん。連絡入れてなくて。取り敢えず土地は1000坪の土地を八王子市内に確保した」
「ああ、市内で1000坪も取れたんだ?」
「まあ八王子なんて山ばかりだしな。今の場所からも車で5分くらいで行くぞ」
「わりと近いんだねー」
「家も取り敢えず余ってる3LDKの家があったから1個置いといた。後はおまえの好きなようなデザインのを建ててやるから、時間があった時に間取り考えて指示してくれ」
 
「分かった。ありがとう。土地代いくらだった?」
「2000万だったから払っといた、都合のいい時に俺に払ってくれ」
「すぐ払うから口座番号教えて!」
 
それで龍虎は彼の口座に即2000万円スマホから振り込んだ。名義が「徳都縦久:とくとじゅうく」だった。なんか偽名っぽい名前だなあと思った。
 

「もう夜中だから着金は明日になると思う」
「OKOK。一度見てもらった方がいいけど、夜中じゃよく分からないだろうし、明日の朝にでも見に行くか?」
 
「うん。朝9時までなら動ける」
「じゃ6時に代々木に迎えに行くよ」
「あ、今夜はボク、川口市の友だちの家に居るんだよ(正確には今向かう所)」
「じゃそこ行くから住所教えろ」
 
まあ《じゅうちゃんさん》ならいいかなと思ったので、龍虎は理史のマンションの住所を彼に伝えた。
 

翌日5月28日(金)朝、龍虎Fは理史と2人でマンションの下まで降りた。《じゅうちゃんさん》が運転するハリアーがやってくる。
 
「友だちと一緒に見ていい?」
と龍虎が彼に言う。
「ああ、お前が囲う愛人の1人か」
「“愛人の1人”〜?」
と理史が声を挙げる。
 
「九重さん、ボクが部屋の3つある家を建ててといったら、勝手に愛人3人囲うのか?とか言うんだよ」
と龍虎Fは言った。
 
「龍は男の子3人と同時に付き合うほども時間が無いと思う」
「ボクも、そこまでのパワーないけどね」
 
「男の子、女の子、男の娘1人ずつ囲ったらどうだ?」
などと、《じゅうちゃんさん》はまだ言っている。
 
まあ実際男の子(M)、女の子(F)、男の娘(N)の3人で住むためのものだけどね。
 

それで彼の車の後部座席に龍虎Fと理史が並んで乗り、八王子の市街地から少し離れた場所に行った、
 
「ここは前の場所と2kmくらいしか離れてないね」
と龍虎はGoogle Mapを見ながら言った。
 
「わりと近いだろ?気に入ったら、即ガレージだけでも移動してやるよ」
「それは頼もうかな」
 
それで《じゅうちゃんさん》は竹藪を抜けた所にあるその“家”の前面に車を駐めた。
 

3人が車を降りる。
 
「どれがボクのおうち?」
「全部だよ」
「なんで4つもあるの〜?」
 
「お前、去年『とりかへばや物語』やってたじゃん。右大将の邸宅が本殿の周囲に東の対(たい)、西の対、北の対、と3つの対を建てて、そこに3人の愛人(右大臣の娘・吉野君の皇女・(前)皇太子)を住まわせていたろ。それを真似たんだよ」
 

 
「4つの建物を建てて渡り廊下で結んだんですか」
と理史が感心している。
 
「本殿の東側に『とりかへばや物語』にあったように池を造って、釣殿造ろうとしたんだけど、池が出来てることに気付かなかった奴が車ごと池にダイブしたから危険かもというので撤去した」
 
「その人大丈夫でした?」
と理史。
「平気平気。みんな丈夫だし」
と《じゅうちゃんさん》。
 
遊んでるな〜、と龍虎は思う。きっと誰かがハマるのを期待して待ってたんだ。
 
「でもほんとに愛人囲ったりする訳じゃ無いから、こんなにあっても困るんだけど」
と龍虎は言った。
 
「これもう4軒とも家は完成してるんですか?」
と理史が訊く。」
 
「いや。住めるのはこの本宅だけ。あとの3つはハリボテだよ」
「ハリボテなんですか〜?」
「ベニヤ板で、外側を作っただけ。こんなイメージでどうだというので作ってみた」
「九重さんって、お茶目ですね」
と理史。
 
《じゅうちゃんさん》は褒められたと思ったようで、喜んでいる。
 

「この本宅だけでいいと思うなあ。これ水道とか電気とかは?」
「上下水道はもうつないでる。代金は和紗に言って、お前の口座勝手に登録したぞ。電気は太陽光パネルを屋根に並べたから、東電と契約しなくても電気は使える。ガスは危ないからやめとけ。調理はIHを使えばいい」
 
「それがいいかも」
と龍虎も言った。
 
家の中に入ってみる。
 
「広ーい」
と龍虎は声を挙げた。
 
「物凄く広いLDKですね」
 
幅は2間(けん)=3.6m 程度だけど、向こうの端まで20mくらいある。
 
「広すぎて落ち着かないかも知れないから、真ん中で2つに分割できるようになっている。こちらがLDKで向こうはラウンジだな」
 
「なるほどー」
「トイレはここと・・・向こうの端にあるのもトイレかな?」
「そうそう」
「お風呂はどこ」
「各部屋に付いてる」
「へ〜〜!」
 
「この家はアメリカンスタイルだから、各部屋にトイレとバスルームが付いてるんだよ」
と言って、《じゅうちゃんさん》は手近の部屋を開け、中に2人を案内する。
 

 
「ほらここが洗面台兼脱衣所で、こちらがトイレ、こちらがお風呂」
「お風呂は日本式ですね」
「これ建てたのは日本人だからな」
「へー」
 
充分浸かって入れる深さのホーロー製バスタブが埋め込まれている。かなり広いし、シャワーは2個設置されている。2人で一緒に入れるようだ。
 
「まあこの家屋は余ってたの置いただけだから、お前の好みであらためて建てるぞ」
と《じゅうちゃんさん》は言ったが、龍虎は理史と顔を見合わせる。
 
「わざわざ建て直さなくても、このままでいい気がする」
「そうか。じゃこのまま使うか」
 
「でも、こんなのどこに余ってたの?」
「知り合いの金持ちだよ。崩してマンション建てると言ってたから、崩す前にもらっていい?と聞いたら、どうぞどうぞと言うから、もらってきた」
「許可を取ったんなら、いいや」
 
理史はその建物を解体移築したのだろうかと考えたが、龍虎はその崩す予定だった建物をひょいと抱えて飛んできて、ポンと置いたんだろうなと想像した。山を崩したり、川を堰き止めて湖を造ったりするのが趣味な人たちだからなあ。
 
「10年くらい放置されてたから、だいぶ痛んでたのを補修したけどな」
 
元々痛んでいたのをきっと抱えて飛んでくる最中にも更に痛んでる。でも彼らが補修したのなら、雨漏りとかもしないだろう。人間とは違って微細なパーツのずれをちゃんと見抜く力を持っている。
 
「じゃその移築費と補修代を払うよ」
「要らん要らん。こういうのは俺たちの趣味だから気にするな」
 
「そういえば、楽しいから建設するんだと言ってたね」
「千里にはだいぶ甘えて色々建築させてもらったけどな」
「それで千里さん、あちこちにたくさん体育館を建ててるんだ?」
「うん。ああいう大きな建物を建てるのは楽しい」
 
「まあ趣味ならいいか。借りにしとく」
「OKOK」
 

龍虎は理史と一緒に家の中を見て廻り、それから表に出て“ハリボテ”の建物の中身を見たりしていた。しかし龍虎はふと気付いた。
 
「ね、この西の対(たい)との渡殿(わたどの)って、どこからアクセスするんだっけ?」
 
北の対・南の対は、LDK/Loungeから(ドアを設置すれば)アクセスできる。しかし西側は個室で埋まっていて、通路的なものがない。
 
「うーん・・・・」
と《じゅうちゃんさん》は考えていたが
「無理だな」
と言った。
 
《じゅうちゃんさん》らしいなと龍虎は思った。彼は2階建ての家を建てて階段を作り忘れたこともあると千里さんから聞いた。
 
「物置か何かにするかなあ」
 
「どっちみち本殿以外の3つの建物は不要という気がする」
と理史。
 
「折角の力作だけど、北の対(たい)を崩して、そこにガレージを置けばいい気がする」
「うん。そうするか」
 
「南の対は使い道無いかな」
「歌や演劇の練習室でも造ったらどうだ?その内、お前赤ん坊産んだら子供が寝てる所では楽器の音出して練習できないぞ」
「ああ。それは使い道があるかも知れない」
と龍虎は言ったが、理史は何だか照れてる。
 
ボクが赤ちゃん産んだらという話で、照れたな?と龍虎は思った。
 

「じゃ、そのあたりをまた調整しとくよ。そのあとで登記する」
 
本当にこれ登記できるのか?と龍虎は疑問を感じたが、彼らには何かやり方があるのだろう。建築確認とかも取ってないと思うけど、持って来てポンと置いたのなら、イナバの物置みたいな扱い?
 
「じゅうちゃんさん、そのあたりの作業代と言っても受け取らないだろうから、みんなのお酒代で300万くらい出すよ」
「おお、それは歓迎だ」
と彼は嬉しそうに言った。
 

5月24日(月).
 
数紀や篠原倉光などが通う世田谷区のM高校では、体育祭が行われた。コロナの折、保護者の来場は無しとなり、そのため日程も平日になった。時間も午前中だけに短縮されている。実は昨年は体育祭そのものが中止になったのだが、今年は感染対策に充分気をつけて短時間で済ませようということで規模を縮小して実施することになった。感染を起こしかねない玉入れや騎馬戦・借物競走などは実施しない。
 
一週間前(5/17)、数紀はクラスの女子たちから
「かずちゃん、チアやってよ」
と言われた。
 
「ボクがチアガールなの〜?」
「だってかずちゃん、ダンス凄いうまいよね」
「そうかなあ」
「こないだの体育の時間もいちばん目立ってたもんね」
「でもボクあまり練習時間取れないけど」
「かずちゃんならたぶんちょっと練習するだけで覚えちゃうと思う」
 
「24日の午前中、お仕事は大丈夫?」
「うん。特に学校休んでとかは言われてない」
「じゃよろしくー」
 
と言ってチアの赤い衣装が入ったビニールを渡された。
「今日練習があるの?」
「練習は水曜日からだけど、それまでに各自で洗濯しておいて欲しいのよ。感染対策」
「分かった。中身は・・・上着とスカートか」
「うん」
「これ結構短いスカートだね」
「チアは当然スカートの中が見えるからアンダースコート穿くんだけど、色は黒で統一しようと言ってるのよ。黒のアンダースコートとか持ってる?」
「うん。黒は持ってる」
「じゃ水曜日はこれ洗濯したのとアンダースコートよろしく」
「OKOK」
 
ということで数紀はスカートの衣装をつけることに何の抵抗も示さなかったし、アンダースコートを持っていることも明らかにしたので「やはりね」と女子たちは噂した(普通男子はアンダースコートなど持っていない)。
 

水曜日(5/19)の昼休み。
 
「かずちゃん練習行こう」
「どこで着替えるの?」
「ここ(教室)で着替えるよ」
「更衣室閉鎖されてるし」
 
それで全員、教室後方の空きスペースに集まる。
 
リーダー格の由美ちゃんが「男子は前の方向いててね」と声を掛けて着替え始める。
 
「ボク後向いて着替える」
「かずちゃんなら気にしなくていいのに」
 
それで数紀は窓付近に行き、教室の外側を向いた状態で、制服の上着とズボン、ワイシャツを脱いで、チアの上着とスカートを身につけた。アンダースコートは実は朝から穿いて来ていた。
 
ちなみに男子用ボクサーの上にアンダースコートを穿くと、ボクサーがはみ出してしまう!ので、5秒ほど悩んだ末に、数紀は女子用ショーツの上にアンダースコートを穿いて今日は出てきている。実はアンダースコートを着けたまま出て来たのは、着替える時にショーツを穿いてるのを見られないようにである。
 
(でもアンダースコートからパンツがはみ出てないことで、男子下着ではないものを着けていることがバレバレ)
 
なお、そういうのを着ていると必然的に小便器が使用できないが、数紀は元々小便器を使用しないので全く問題無い!
 

数紀がチアの衣装に着替えた所に、芙実ちゃんが後から抱きついてくるので、数紀は思わず「わっ」と声をあげた。抱きつかれた時に胸も触られた気がしたが、気にしないことにする。実は今日はショーツを穿いた解析学的延長?でブラも着けていた。
 
「着替え終わったね」
「うん」
 
「おお、可愛い可愛い」
とみんなから言われる。
 
「さ、行こう行こう」
と芙実ちゃんが数紀の手を握って、一緒に練習場所に向かった。
 
普通の男子なら女の子に手を握られたらドキドキするのだが、数紀は詩恩のスタンドインで女子生徒の役をたくさんして、共演者の女子と手を握ったりハグしたり!するのに慣れているので、特に何も感じない(既に女性に対して不感症になっている:不感症はたぶん幼い頃から)。
 

運動会の応援は「縦割り」なので、各学年の1組(白)・2組(赤)・3組(青)・4組(黄)・5組(緑)が一緒にチームを組む。2組のチアは赤い上着と赤いスカートである。
 
数紀たちは3年2組の女子たちから基本的な動きやフォーメーションを教えてもらった。
 
それで少し練習していたら、3年生が数紀に目を留める。
 
「あんた、凄く動きがいいね」
「この子、アイドルの卵なんですよ」
と芙実ちゃんが言う。
 
「それでか。あんた前面で踊ってよ」
 
それで数紀は最前列に上げられたのだが、最終的には前面中央で踊ることになった。数紀の隣で踊ることになった子には見覚えがあった。
 
「お早うございます、東野ミリオさん」
 
WaterFly20のメンバーで東野ミリオである。彼女は2年生だ。ドラマの撮影で一緒になったことがある。
 
「お早う、って、あんたは松梨詩恩ちゃんの妹さんか!東京に出て来たんだ?」
 
弟なんだけどなあ。でも訂正するのも面倒だ。
 
「覚えていてくださってありがとうございます。柴田数紀です。先日水森ビーナという芸名を頂きました」
「おお、可愛い名前だ」
 
という芸能人同士の挨拶は置いといて、彼女はさすがに上手いので、数紀は彼女に負けないように一所懸命踊った。
 
「あんたたち2人とも凄いよ。これは応援合戦はうちが優勝するかもね」
と3年生のリーダーの女子が笑顔で言っていた。
 

数紀はその後、金曜日(5/21)の練習にも参加した。
 
土日はCMに出たり、先輩たちの音源制作のコーラス要員などの仕事をしていた。土曜(5/22)の午前中は羽鳥セシルちゃんが主演するお菓子のCMに共演(女子高生の制服っぽいのを着た)し、午後は水谷雪花・鈴鹿あまめと3人で常滑真音ちゃんの歌のコーラスを入れた。これは数紀でも充分出る音域だったので、普通に歌うことができた。
 
日曜(5/23)は午前中にアクアちゃんが主演するソーラーパネルのCMに共演した。なんか貫頭衣みたいなのを着た。原始時代っぽい雰囲気。アクアは女神様みたいな衣装だった。真っ白いドレスである。上半身は絞っているので結構バストが目立つ服だ。腰から下は大きく広がる。あと何の意味があるのか知らないが、おでこの所にヘッドライトのようなものをつけていた。
 
午後からは姉・高崎ひろかの音源制作でコーラスを入れた。これは長浜夢夜(松本徳世)ちゃんと2人だった。昨日のはユニゾンで歌ったのだが、今日はパートが分かれている。夢夜がソプラノパートを歌い、数紀がメゾソプラノを歌う、夢夜ちゃんは睾丸を取っているだけあって、伸び伸びとしたハイソプラノの声が出ている。「凄いなあ」と思いながら、一緒に歌っていた。
 
そういえば、自分も小学生の頃、姉たちから「あんたの声が声変わりするのはもったいない。声変わりする前に睾丸取っちゃおうよ」と随分言われたなと思い出していた。
 
ボクもあの時、睾丸取ってたら、夢夜ちゃんみたいな感じになってたのかなあなどと数紀は思っていた。でもそうしたら今は女子高生になっていたんだろうかと思うとドキドキした。
 

月曜日(5/24)は体育祭の本番だった。
 
「あれ?ミリオちゃんは?」
「なんか急に仕事が入ったらしい」
「え〜?」
「だから、今日はフロントは数紀ちゃん1人でお願いね」
「ひゃー」
 
数紀の左側は3年生のリーダーの人でこの人は結構うまい。右側は同じクラスの由美ちゃんで、彼女はバレエ経験者らしく、手足の先がピシッと伸びて美しい。それで数紀を中心にこの3人が実質的なフロントになってこの日のパフォーマンスをした。
 
数紀が2組の前面で踊っていると、3年2組の篠原倉光が目を留めて
「なんか凄い動きのいい子がいると思ったら、数紀ちゃんか」
と言う。
 
「どうもどうも」
「でも数紀ちゃん、スカート穿くのは平気なのね?」
「え?スカート穿いたら、何か問題あるんですか?」
と数紀はキョトンとして訊いているので、篠原君の方が返答に困った!
 

この日のプログラムはこのようになっている。
 
8:30 開会式(入場行進は省略)
8:40 1年生マスゲーム
9:10 100m競走(1→3年)
10:00 2年生マーチングバンド
10:30 運動部クラブ対抗リレー
10:50 3年生フォークダンス
11:20 応援合戦
11:50 学年縦断クラス対抗リレー
12:00 閉会式
 
フォークダンスでは手を繋がない!リレーに出る選手はプラスチック手袋をつけるなどの感染対策をしている。ゴールテープも使わない。賞状は後日渡し。時短のため、徒競走は例年200mだったのを100mに短縮している。また 800m, 1500m などの長距離走も外された。保護者が来場しないので、保護者参加種目も無い。
 
開会式は各クラスの代表だけが校長先生の前に並んで行われた。
 
数紀は1年生のマスゲームに出た後、100m走に出たが1年生は先に終わるのでその後は校庭の隅でチアの衣装に着替えて(他の子も隅の方で着替えていた:男子は後向くの禁止らしい)、2〜3年の走者に声援を送った。2年生のマーチングバンドでは、音楽に合わせてチアはみんな踊っていたし、クラブ対抗リレーでも声援を送った。
 
3年生のフォークダンスが始まろうとしていた時、芙実ちゃんから
「次は応援合戦だから、その前にトイレ行っとこうよ」
と誘われる。
 
「そうだね」
数紀は何も考えずにそう返事して、一緒に校舎の方に行く。それで中に入り、トイレの前で「じゃ後で」と言って、男子トイレに入ろうとして所で、芙実ちゃんにキャッチされる(また胸を触られた)。
 
「待て、どこに入る?」
「え?男子トイレに」
「スカート穿いてて男子トイレは無いわあ」
「え?でもボク男子だし」
「それ怪しい気がしてるんだけど。だってかずちゃんって触った感じが男の子の感触じゃないもん」
「そ?そう?」
 
「取り敢えずスカート穿いてる時は女子トイレ使いなよ」
「え〜〜?」
とは言ったものの、結局彼女と一緒に女子トイレの中に入り列に並ぶ。数紀が何の戸惑いもせずに、さっと行列に並んだのを見て、芙実と、1つ前に居た公佳が視線を交わして頷いていたが何だろうと思った。
 
結局3人でおしゃべりしながら待ち、公佳・数紀・芙実の順で個室に入るが、出る時は芙実の方が先に出た。数紀は待ってくれてた2人に「お待たせ」と言い、一緒に校庭に戻る。
 
「やはり、かずちゃん女子トイレに慣れてるね?」
「そんなことないと思うけど」
「男子トイレには待ち行列とかあまり無いでしょ?」
「そうだっけ?よく分からない」
「女子トイレ内でも全然緊張もせずに普通におしゃべりしてたし」
「緊張するもんだっけ?」
 
芙実と公佳が緯線を交わしている。
 
「男子が噂してたけどさ、かずちゃんは、男子トイレで小便器を一切使わないって」
と公佳が言った。
 
「ボク、座ってするのが好きだし」
「実は立ってできないのではとみんな言ってる」
「えーっと」
 
「やはりかずちゃん、女の子なのでは?」
「うーん・・・・」(←なぜ否定しない?)
「女の子だったら、女子制服着てくればいいと思うなあ」
と公佳は言っていた。
 
「女子制服持ってないの?」
「それは持ってるけどね」
 
芙実と公佳が頷いている。
 
「だったら着て来るといいよ。先生たちもきっと認めてくれるよ」
 
なお、数紀がチアの衣装をつけて女子トイレを使用したが、数紀は明らかに女子トイレ慣れしていたということ、更に数紀は女子制服を所有している、という情報がその日の内にクラスの女子全員に伝搬していたことを数紀は知らない。
 

その後、組対抗の応援合戦が行われ、数紀はチアリーダーのフロント中央で熱いパフォーマンスをした。
 
その数紀の活躍もあり?2組がこの応援合戦には優勝した。
 
やったやったと言って、数紀は思わず隣の由美ちゃんと抱き合ってしまい、その後あわてて「ごめん」と言って離れた。「謝ることないよ。女の子同士じゃん」と由美ちゃんは笑顔で言っていた。
 

2021年5月25日(火).
 
常滑真音初主演『舞音の招きマネキン』のドラマ第1回が放送された。
 
タイトルも見ずに何気なくテレビを点けていた人は、てっきり花咲ロンドが主役かと思うのだが、見ている内に、主役は、何のセリフも発せず、何も表情を変えない“舞音マネキン”であることに気がつく。
 
そしてブティックを舞台に繰り広げられるコメディ(?)とそれを陰で演出している舞音マネキンに引き込まれていく。
 
放送が始まった9:05くらいの段階では3%しか無かった視聴率が、終了する9:50頃には15%まで増えていて、これまで常滑舞音を知らなかった人にも「この子、何か不思議な子だ」といった印象を与えることになる。
 
この放送をきっかけに、ドラマの主題歌にもなっている『舞音の招きマネキン』のセールスがまた押し上げられることになった。このCDは5/24-30の統計で70万枚に到達する。この週だけで18万枚売り、週間ランキングの2位であった。
 
1位については↓に述べる。
 

2021年5月26日(水).
 
常滑真音の5枚目のシングル『プレルージュ/ガラスのエンブレム/風読みシンドバッド』が発売された。
 
これは6月5日(土)に放送予定のアクア主演2時間ドラマ『シンデレラ』の主題歌・挿入歌と、K化粧品から新発売された新しい女子高生向けカラーリップクリーム“プレルージュ”のCM曲なので、商品の発売にも合わせてCDリリースされたものである。
 
『シンデレラ』の放送が6月5日(土)だから、6月2日(水)に発売する選択もあったのだが、その日はアクアのシングル『Natator Aqua/綺羅星の如く』が発売されるので、アクアの発売が優先され、舞音のCDは1週間前倒しにされたのである。
 
取り敢えず舞音のCDは初日で15万枚売れ、ゴールドディスクとなり、またデイリー・ランキングの1位も取った。また5/24-30の週間統計では25万枚でランキングトップだった。
 
そして実はこの週は『マイルドな夜明け』も12万枚売れていて、これが3位となっていた。
 
つまり・・・この週は舞音のCDが1位・2位・3位を1人で独占したのである。(1『プレルージュ』2『招きマネキン』3『マイルドな夜明け』)
 
「おまえ独占禁止法違反や」
とベストソング(1人で3曲続けて歌った)の司会者ブリックリンからド突かれた。
 
この時、舞音はいきなりド突かれたのでよろけそうになり、後で「舞音ちゃん可哀想」とネットで非難の声があがる。それで翌週謝るという事態もあった。でも再度ド突かれた!舞音も今度は持ちこたえて「修行してきたな」と言われる。すると即「ミズノのシューズで鍛えました」と返したので「ちゃっかり宣伝してる」と言われる。
 
ここで舞音はミズノのスポーツ用品のCMに出ている:この音楽番組のスポンサーにミズノのライバルになるような企業が入ってないことを瞬間的に判断している。
 

舞音のCDは、ひじょうに短い間隔でリリースされているが、舞音自身はもっとたくさんの歌を歌っている。
 
『招き猫』で注目されたことから、舞音は現在、多数の企業からCMに出てくれというオファーが殺到しており、舞音は4-5月は数日おきに新曲を歌っている。それを全部はいちいちCDにできないので、これは6月くらいにアルバムにしてまとめて出そうかという話になっていた。
 
そんな話も進む中、5月28日(金)、舞音の専属バンド“招き猫”が発足した。これは、信濃町ガールズ最古参の木下宏紀が提唱したもので、彼がリーダーに指名された。メンバーは下記である。
 
Gt "Hiro" 木下宏紀(2002) (KB.Sax.Vn.Fl) Leader
Dr "Kura" 篠原倉光(2003) (Gt.B.KB.Vn.Fl)
B_ "Lucy" 平田留美(1997) (Gt.KB.Mar/Vib,Tp,Tb)
Pf "Basa" 谷口翼(1998) (Fl.Cla,Sax,Tb)
 
木下・篠原は信濃町ミューズ卒業となる。また篠原は“春日ライト”の芸名を返上したので、バンド内では本名で活動する。
 
それで6月に制作しようと言っていた上述のアルバム(多数のCM曲をまとめたもの)は彼らが全て伴奏することになった。制作手順は舞音が多忙すぎることと、レコード会社から伴奏と歌は別録りと指定されていることから、↓の手順で行う。
 
舞音が自らキーボードを弾きながら仮歌を作る→それを聞きながらバンドで伴奏制作→それに舞音が歌を乗せる。
 
仮歌制作と伴奏制作では、醍醐先生または、その代理で名寄多恵(若生暢子)あるいはイリヤ工房の本山隆信さんが監修してくださる。雨宮先生は主としてPV制作に顔を出す!
 
舞音は正直、名寄先生とも本山さんとも価値観が近いので、ホッとした。
 

柴田数紀は衣替えを前にした5月下旬の金曜日、教頭先生の所に呼ばれた。
 
「転校から半月くらい経って、少しこちらの生活に慣れた?」
「はい、おかげさまで。みんな親切ですし」
「友だちはできた?」
「はい、何人か」
 
芙実ちゃんとか由美ちゃんとか、公佳ちゃんとか、仲よくなったしと思う。
 
「そうだ。君にこれを渡しておく」
 
と言って、教頭は数紀に書類を渡した。
 
《1年2組柴田数紀は、女子制服での通学を認める。M高等学校長》
 
と書かれている。
「えーっと?」
「今は遠慮して男子制服で通っているみたいだけど、遠慮せずに女子制服で通ってもいいからね」
 
「特に女子制服で通いたくはないですけど」
「何なら来週の衣替えから、夏服の女子制服を着たら?」
 
本来衣替えは6月1日だが、今年は5月31日が月曜日なので、31日からフライングして夏服を着てくる子もわりと居る。特にこの高校は“緩い”高校なので、そのあたりが自由である。
 
「えーっと、女子制服を着た方がいいのでしょうか?」
「それは君の気持ちに任せるよ。好きな方を着ていいからね。女子制服は持ってるんでしょ?」
 
「ええ、それは持ってますけど」
と数紀が答える、教頭は大きく頷いていた。
 
(普通の男子生徒は女子制服など持っていない)
 
「どちらを着てもいいから、制服を変更するの遠慮しないでね」
「はい」
「女子制服を着てきた日は女子トイレを使っていいから」
「分かりました」
 
と言って、数紀は職員室を出たが、
「ボクやはり女子制服で通学しないといけないのかなあ」
と悩んだ。
 

なお、数紀は、男子制服の夏服もオーダーして既に受け取っている。これを頼む時、邦江姉が付いていき
 
「この子は女子体型なので、ウェストとヒップの双方を測ってそれに合わせてください」
 
と特に指定した。そうしないと、ウェストだけ測って通常の男子体型で制作すると、絶対にヒップが入らない。でも受け取った時、洋服屋さんは
「時々女子でズボンを穿く人もいるんですよね」
 
と言っていたので“女子体型なので”と邦江姉が言ったことばを洋服屋さんは“女子なので”と聞いたようである。だいたい数紀の容貌なら何も言わなくても普通に女子と思われる。
 
そして実は、数紀は最初に女子制服を頼んでいるので、洋服屋さんのデータベースでは数紀は女子として登録されていることに数紀も邦江も気付いていない!
 

5月29日(土).
 
舞音はこの日はまたもや新規のCFの撮影を放送局のスタジオでおこなった。
 
ドラマ撮影のためにスタジオ内に作られている“通り”のセットを使用して、街角で撮影しているかのような雰囲気のビデオを撮ったのである。共演者はそのドラマに出演している中高生タレントの人たちであった。音楽教室のCMなのだが、元々その音楽教室がこのドラマのスポンサーなのでセットと出演者を流用したのである。舞音はこのドラマにも出てくれと言われているが、忙しすぎていつになるかは分からない。
 
朝から撮影をしていて午後2時頃終了する、舞音はそのまま音楽スタジオに行き、今撮影したCM用の歌も録音した。これは既に伴奏は作られていて、舞音が歌を乗せるだけになっていた(でもテンポが遅すぎると思ったので、少しアップテンポに変更させてもらった)。
 
音源制作の指揮をしてくださったのは、名寄多恵(若生暢子)先生である。醍醐先生がオリンピック直前で忙しいので、代わりに名寄先生が指導するというのはここ数回あった。名寄先生は作詩家集団“松本葉子”の中心人物の1人で、醍醐先生とはバスケットの元チームメイトだそうだ。名寄先生はスポーツウーマンらしい、さばさばした性格で、話していて気持ちがいい。
 
なおこの曲は、今夜プレスして明日全国各地に発送するらしい。舞音の音源制作はこういう恐ろしいスケジュールで進んでいるものが多い。
 
15時頃から結局20時近くまで掛けて歌唱し、名寄先生のOKが出る。すぐに技術者さんにミックスダウン・マスタリングを指示していたようである。
 
舞音はそれが終わるのを待たずに、西岡空世(悠木恵美)マネージャーの運転する車で東京ヘリポートに移動する。
 

過去に何度か乗った、Ecureuil-2が待っている。
 
「あれ?§§ミュージックのマークが入ってる」
 
「ヘリコプター頻繁に使うから1機買ったらしいよ」
「ひゃー、うちの事務所お金あるんですね」
「舞音ちゃんが稼いでいるからだよ」
「え〜?大半はアクアさんの稼ぎでしょ?」
 
ヘリコプターには、スタンドイン役の南田容子ちゃん、メイク担当の重信さん、が既に乗っていた。西岡空世を含めて4人で熊谷の郷愁飛行場まで飛ぶ。
 

Honda-JetOrangeに乗り換える。
 
「あ、こないだと同じ機体だ」
「どうも当面、Redはアクア、Blueはラピスラズリ、Orangeは舞音ちゃんで固定するつもりみたい。機体運用の都合で入れ替わったりはするけどね」
 
「へー!なんかVIPみたい」
「舞音ちゃんは既にVIPだと思うけど」
「Viper(マムシ・ハブの類い)だったりして」
「それ戦闘機(*10)の方でしょ?」
 
(*10)ヴァイパー(Viper)は、ジェネラル・ダイナミックスの戦闘機 F16 の愛称。
 
F4 Phantom2
F14 Tomcat
F15 Eagle
F16 Viper
F22 Raptor
 
三菱重工製で航空自衛隊が2000年以降使用している F2 はこの F16 をベースにしていて“零戦”(ゼロせん)のスピリットを受け継ぐものとして、ヴァイパーゼロ "Viper-Zero" の愛称を持つ。
 

「また半田市に行くんですか?」
と舞音は尋ねた。
 
「今度は北九州空港」
「九州ですか!」
 
「こないだの朝日に向かって走るのが好評だったから、また同じような絵を撮りたいということなのよ。それで明日の日出は東京だと4:26、愛知でも4:39で、その時間帯は高校生の舞音ちゃんで撮影することができない。それで福岡まで行く」
 
「西に行くほど日出が遅くなるんでしたっけ?」
「地球儀を回している所に懐中電灯を照らしている様子を想像するといいね。東の方から光が当たっていく。だから西に行くほど日出は遅い」
 
「へー(実はよく分かっていない)」
 
「明日5/30の北九州の日出はこうなってる」
と言って、西岡空世(悠木恵美)はプリントされたものを見せてくれた。
 
天文薄明 3:26
航海薄明 4:04
夜明 4:31
日出 5:07
 
「だから、5:07に舞音ちゃんが東に向かって走っている所を撮影する」
「天文薄明って何でしたっけ?」
 
「夜が明ける前に最初に空が明るくなり始めるでしょ?あたりはまだ暗くても。あれが天文薄明」
 
「ああ」
 
「夜明けというのは、まだ日は昇ってなくても充分明るくて、灯りなしで屋外で活動できるようになる状態。航海薄明というのは、船が航海していて、水平線が視認できるようになった状態」
 
「いろいろあるんですね」
「もうひとつ市民薄明あるいは常用薄明というのもあるけど、夜明けとほとんど時間が変わらないからあまり使われない」
 
「なるほどー」
 
「というのを、醍醐春海先生から昨日教えてもらった」
と空世。
 
「わぁ」
 
「醍醐春海先生も一緒できたらよかったんだけど、オリンピック前で時間があまり取れないみたいで」
 
「それで今日も名寄先生が代わってくださったんですよね。醍醐先生はバスケット女子代表なんでしたっけ?」
 
「代表候補ね。選手枠は12人だけど4月に合宿を始めた時は30人だった。今16人まで絞られてきたらしい」
 
「30人招集されて、1人また1人と落とされていくんですか」
「うん。厳しいね。歌手のオーディションより厳しいと思う。実力だけでなく“結果を出せる”ことが求められる。各ポジション毎の枠も決まってるし」
 
と空世が言うと、舞音も容子も腕を組んで考えた。
 

この日は北九州空港に近いホテルで休む。
 
そして前回同様午前3時に起こされる!
 
今回の撮影場所は、その北九州空港と本土を結ぶ道路上である。撮影は4時頃から、舞音と同じバイクスーツを着た南田容子をスタンドインにして始まる。これで構図やシナリオを確認・調整していく。
 
舞音はその間、空世の車の中で少し眠らせてもらった。
 
4:45頃から舞音を使った撮影が始まる。ただし例によって放送に使用するのは5時以降に撮影したものだけと言われる。
 
「あれ、スクーターに招き猫マークが入ってる」
「それ、タクトマネーと言って、舞音ちゃん仕様のスクーター。今回はこれの発売記念のCMなんだよ」
「すごーい!」
 
5:07 舞音が走行する向こうから太陽が昇ってくる。先月撮影した時より、気のせいか強い太陽という気がした。
 
撮影はこの道路で6時頃まで続けられ、その後、空港の駐車場で少し追加の撮影をする。
 

全ての撮影が終わったのは、7時すぎである。撤収してホンダジェットに乗り込む。
 
「しかしこれ来月も似たようなCMをもし撮影するなら、次は沖縄あたりにでも行かないといけないですかね」
 
「来月でもここで撮影できるよ」
「そうなんですか?」
「来月下旬が夏至で、もう太陽の高さがあまり上がらなくなってるからね」
と言って、空世は、紙に円を描いてみせる。
 
舞音は空世がフリーハンドできれいな円を描いたのが凄い!と思った。
 
「円というのは横の方は傾斜が急だけど、頂上付近は傾斜が緩やかでしょ」
と言って、空世は円にボールペンを当てながら説明する。
 
「あ、そうか」
「だからこの後、7月上旬くらいまでは日出時刻はあまり変わらないよ。8月下旬にもなればもう東京で撮影できるようになる」
 
「へー(実は分かってない)」
 

ホンダジェットは9時頃に離陸許可が出て、10時半頃に熊谷に到着した。舞音はずっと寝ていた。その後、東京に戻り、当然午後からもまた別の仕事があった!
 
なお、舞音は今回CMした舞音仕様のスクーター“タクトマネー”を1台メーカーさんから頂いてしまった。でもコスモス社長から
 
「路上で乗るの禁止」
と言われてしまう。
 
「路上で乗らないのなら、どこで乗れと?」
「まあ安全な構内で練習するのはいいよ」
 
ということだったので、舞音はバイク歴8年の田崎システム課長の指導で、週に2〜3回(舞音のスケジュール次第)、あけぼのテレビの駐車場でこの“タクトマネー”に乗る練習をすることになった。“タクトマネー”はあけぼのテレビの駐車場に駐めっぱなしになる。
 
ところが、それで初日、舞音が“タクトマネー”を始動してそれに乗り、構内を走って田崎さんの所に行くと
 
「あ、そのスクーターは停めてそこに置いてて」
と言われる。
 
「君はこれの練習をしよう」
と言って、別の車体を指さされる。
 
「スクーターに見えませんけど」
「250ccバイクだよ。君には夏休みにでも二輪の免許取って欲しいからスムーズに免許取れるよう練習しよう」
 
「わぁ」
 
それで舞音は週3日くらい、250ccに乗る練習をすることになったのであった。
 

2021年6月1-13日。女子バスケット日本代表候補の第5次合宿がNTCで行われた。今回招集されたのは16名で、前回より1名減っていた。残り落とされるのは4名ということになる。
 
シューター3人はまだ3人とも残っているが、WNBAの亜津子が落とされることはないだろうし、自分とナナちゃんの争いかなぁ〜?という気がしていた。彼女はこの春から、千里・亜津子と一緒に練習している中で明らかに成長している。3人の中でマッチングがいちばん上手いようだったので、千里(千里3)は彼女と1on1をする時は、一時的にマッチングのうまい千里2と交替して練習させた。しかしそのお陰で、ナナは急速にマッチングに強くなってきて、代表候補内では、他のポイントガードやフォワードも彼女に翻弄されるようになってきた。つまりナナに勝てるのは千里2だけ。亜津子でさえも「あんたすげー」と脱帽の様子であった。
 
「自分のライバルに塩を送っている気もするけど」
と千里は内心呟いていた。
 
「ナナちゃん、コロナが落ち着いたら海外に行きなよ。ナナちゃんの年齢でWNBAとかで揉まれたらもっと伸びる」
と千里は彼女に言った。
 
「WNBAとか、そもそも入れてくれませーん」
 
「あるいはスペインに行く?スペインに私がコネ持ってる女子プロバスケットチームがあるんだよ。スペインは教育リーグもあるから、最初そこに入れてもらって、活躍すれば一軍に上げてもらえるよ」
 
「それはちょっと興味あるかも。でも私スペイン語分からない」
 
「勉強すればいいじゃん」
と言って、千里は彼女の部屋に、スペイン語入門の本とCDに西和辞典を持っていってあげた。
 

2021年6月2日(水)、アクアの24枚目のシングル『Natator Aqua/綺羅星の如く』 (両A面)が発売された。3(+1)曲入りのCDで下記の曲が入っている。
 
『Natator Aqua』
『綺羅星の如く』
『太陽がいっぱい』
『英光に向かって泳げ』(Bonus Track)
 
ここで『Natator Aqua』と『英光に向かって泳げ』は、アクアが出演するドラマ『夏の飛び魚』の主題歌および挿入歌、『太陽がいっぱい』はアクアが出演するソーラーパネルのCM曲である。
 
一方『綺羅星の如く』は、アクア自身がモデルとして出演しているK化粧品の新製品“綺羅めくパウダー”という微粒子ファンデーションのCM曲である。そちらは北里ナナ名義で出すと音源制作/CF撮影の時は言われていたのに、実際にはアクア名義でドラマの主題歌とカップリングして発売されてしまった。アクアは「あれ〜?」と思った(川崎ゆりこに欺されただけ)。
 
この“綺羅めくパウダー”のCMでは、アクア自身がこの微粒子ファンデーションを付け、更にアイメイク・チーク・口紅・グロスと塗られて、美しくなる様がCFとしてまとめられている。
 
「アクア様美しい!!」
「私のお嫁さんになって欲しい」
と女性ファンたちが大騒ぎしていた。
 
このCDのジャケットは『夏の飛び魚』仕様の、アクアが上半身裸で男子水着を着けている写真のもの、『太陽がいっぱい』仕様のアクアが天照大神(あまてらすおおみかみ)に扮しているもの、『綺羅めくパウダー』仕様の、アクアが美しくお化粧している写真のものとがあったのだが、『綺羅めくパウダー』仕様のものが圧倒的に売れることになる。
 
『太陽がいっぱい』仕様のものも結構売れたが、『夏の飛び魚』仕様のものは店頭で売れないまま不良在庫となり、TKRでは結局それを回収して『綺羅めくパウダー』仕様のものと交換する羽目になった。アクアのCDを売れないまま引き上げたのはデビュー以来初めてのことであった。
 
数千万円の回収費用(最終的には§§ミュージックが負担した)が生じたので
「もうアクアは女の子ということにしちゃおうよ」
という意見がTKR内部では出ていた。
 
一方、K化粧品ではこの微粒子ファンデーションも、舞音がCMしたプレルージュも売れに売れて、この年の2大ヒット商品となった。プレルージュはキャンペーングッズ(招き猫模様のボールペンで"pre-rouge"のロゴも入っている)欲しさに男子まで買っていると言われた。また7月に後述(多分再来週くらいに書く)の理由でファンの大量買いまで発生した。
 

2021年6月3-6日、水泳のジャパンオープン2021が、千葉県国際総合水泳場で開かれた。“津幡組”は千里のG450で能登空港から郷愁飛行場まで運んでもらいこの大会に参戦した。今回の大会で女子長距離陣はこのようなスケジュールで進んだ。
 
6.3 10:00 400m予選 16:32 400m決勝
6.4 10:18 400-IM予選 11:48 800m予選 17:14 400-IM決勝 6.5 16:32 800m決勝
6.6 15:00 1500m Time決勝最終組(他の人は12:02)
 
青葉は400m, 400m個人メドレー、800m, 1500m の4種目に出場し、400m個人メドレー、800mで金メダル、400mと1500mで銀メダルを獲得して“エース”の貫禄を見せた。400mの優勝者は金堂、1500mの優勝者はジャネである。今回も金堂を含めた“津幡組”が上位を独占した。
 
400m 金堂 川上 南野 竹下 幡山
400im 川上 竹下 南野 永井 金堂
800m 川上 竹下 金堂 幡山 南野
1500m 幡山 川上 南野 金堂 竹下
 
津幡組以外で唯一上位に入ったのが400m個人メドレーで金堂を抜いて4位に食い込んだ永井さんである。日本選手権の後相当奮起したのだろうが「メダル取れなかったし」と悔しそうだった。3位の南野との差は0.1秒で惜しかった。
 
南野さんは今回「私はブロンズコレクターだぁ」と嘆いていたが、成長著しい金堂・竹下との争いの中できっちりメダルを3個取ったのは凄い。
 
今回青葉が一番きつかった(はずな)のは、6月4日で、午前中に400m個人メドレーと800mの予選を泳いだ上で、夕方、400m個人メドレーの決勝を泳いだ。水連は過密日程であまり記録が出ないのではと心配したようだが、青葉はきっちり自身の持つ日本記録に迫る好タイムで優勝した。これで水連側の懸念を拭い去った。
 
水連内部には、川上と幡山に3種目出させるのは負荷が大きいから、各々どれか辞退させて2種目に絞らせるべきではという意見もあったようである。しかし全力で4-5km泳げる体力を持つ青葉やジャネにはこのくらいは平気なのである。
 
 
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【春転】(4)