【春紅】(8)

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青葉の参加する競技は9日で終わったのだが、日本選手権自体は10日まで行われる。10日は青葉は競技が無かったので、1日中、浦和の自宅で泳いでいようと思った。ところが朝9時頃、スマホに着信がある。
 
「こちらはJOCの医学部会の鐘本晴奈と申します。川上青葉さんですか?」
「はい、そうです」
「選手所在アプリでは、現在さいたま市内におられることになっていますが、そこにおられますか?」
 
トップアスリートは“抜き打ちドーピング検査”に応じられるよう、常に自分の所在地を報告しておく義務がある。それで移動したら即アプリのボタンを押すようにしている。青葉は昨年も2度勤務中にいきなり検査を受けさせられた(ほぼ全裸にされるので、恥ずかしい下着は着けてられない!)。
 
「はい。姉の村山千里の家に滞在しています」
「半日ほどお時間を頂きたいのですが、そちらに行ってよろしいですか」
「はい、どうぞ」
 
それで青葉はプールから上がり、服を着て1階で待機する。山本さんは電話の20分ほど後に来た。恐らくは所在アプリの位置を頼りに、近くまで来ていたのだろう。どこかに呼び出すのではなく向こうからこちらの居る場所に来るというのは、本人確認の基本だ。それもあまり時間に余裕を持たせずに。
 
「JOCの鐘本です」
と言って写真入りのIDカードを見せてくれる。
 
「身分証明書の類をお持ちですか?」
「えっと、こちらが水連の登録カード、こちらは勤め先の〒〒テレビの社員証、こちらは運転免許証ですが」
 
「ご本人のようですね。申し訳ありませんが、身体検査を受けて頂きたいのです」
「いいですよ」
 

ドーピング検査ではないのか。何の検査だうろう?と思いながら、鐘本さんの車で移動する。車にはもうひとり吉本さんという女性も乗っていた。その人もIDカードを見せてくれた。着いた所は都内の大学病院である。カルテを渡され、この順番に検査を受けて下さいと言われた。
 
でも鐘本さんと吉本さんも付いてくる!
 
まずは熱を測られる。コロナの折、発熱があると別の検査に回されることになる。採血される。それから血圧や心拍数・酸素量なども測られた。
 
トイレに行きたいとと言ったらトイレの中まで2人が付いてくる!
 
MRIに掛けられる。
 
夜中からずっと泳いでいたこともあり、青葉は眠ってしまったが、それは多分問題無い。
 
それから婦人科に行く。鐘本さんたち2人も一緒に付いてくる。
 
このあたりで青葉も“身体検査”の意味が分かった。きっと私が日本記録まで出して上位に入ったので、代表選手発表の前に、念のため“本当に女か”を確認するのだろう。
 
内診台に乗せられる!
 
もうこの検査も過去に何度もやられたので、恥ずかしさは忘れて検査されていた。クスコも入れられたが、昨夜セックスしてなくて良かった!と思った。もっとも彪志とはする時は必ず避妊具をつけてもらっているので、していても精液が残っていたりすることはないはず。
 

内診をしながら、医師は何だか首をひねっている。
 
内診台を起こす。いったん診察室から出る。5分ほどの後、鐘本さんが呼ばれる。吉本さんを青葉のそばに残したまま、鐘本さんが診察室に入る。10分ほどで出てくる。
 
鐘本さんが言った。
「ちょっと水連まで来て下さい」
「はい」
 
青葉はその前にトイレに行かせてもらったが、やはり2人は付いてきた。要するに、私が誰か似た女子と入れ替わったりすることが無いように、常にどちらかは付いているようにしているのだろう。2人いるのは、片方がトイレに行ったりする時のためだ。
 
鐘本さんの車で、JSOS(Japan Sport Olympic Square)内にある水連事務局に連れて行かれる。
 
会議室に3人で入る。
 
「ちょっとお話ししたいのですが」
「はい」
 
「川上青葉さん、ご本人ですか?」
「はい、そうです」
「生年月日は?」
「1997年5月22日です」
「平成何年ですか?」
「平成なら9年です」
「生まれ年の干支(えと)は?」
「丑年です」
「本籍は?」
「現在の本籍は富山県高岡市に置いています。生まれは埼玉県大宮市、現在はさいたま市の大宮区で、その後、両親が岩手県大船渡市に移転したので本籍地もいったん大船渡市に移動しました。震災で両親を亡くした後、遠縁にあたる高園朋子に引き取られ、高園朋子の居住地である高岡市に本籍も移動しました」
と青葉はよどみなく答える。
 
鐘本さんはパソコンの端末を見ていたが、
 
「間違い無くご本人のようですね。いや実はですね」
と言った。
 
「はい」
 
「大変失礼ながら、あなたは元男性であったのを性別再設定手術を受けて女性になったと記録されているのですが、あなたの身体を診察すると、卵巣・子宮もあり、内診させて頂いた感じでは、膣も天然の膣としか思えないということなので、本当にご本人なのかという疑惑が出て来たのですが」
 
青葉は説明する。
 
「私は生まれた時は確かに男の子と判定されました。それで出生届も男の子として届けられました。当時は確かに男性器があったのです。しかし女の子になりたいという思いが募り、2012年7月に、T大学医学部付属***クリニックで性別再設定手術を受けました」
 
「それは何歳の時ですか?」
「15歳です。この年齢での手術は特例中の特例中の超特例だそうです」
「でしょうね!」
「14歳の時にアメリカの大きな病院で診察してもらい、15歳になったら手術してよいという許可を頂いたのですが、その許可証があったおかげでT大学の倫理委員会でも許可が下りたんですよ」
「なるほどー」
 
「それで私は15歳で女の子に生まれ変わることができて、20歳になるとすぐ特例法を使用して性別変更をしました」
「ええ」
「ところがですね。2019年の7月に、急に身体に変調が起きまして」
「はい」
「身体の調子がおかしい状態が半月ほど続いて、その内、女性器から出血があったので、びっくりして婦人科にかかったのですが」
「ええ」
「ただの生理で何も異常はないと言って、私、笑われちゃって」
「うーん・・・」
「そんな馬鹿なことはない。私は性転換者なので、生理があるわけないと言ったら、精密検査されて」
「うーん・・・・・」
「それで、あなたは間違い無く女性で卵巣も子宮もある。あなたが性転換者のわけがないと言われました」
「うむむ」
 
「私が納得できないと言うので、結局紹介状を書いてもらって、S大学病院の朝倉季弘教授の診察を受けることになりました」
「朝倉先生ですか!」
 
「それで朝倉先生の診断では、私は特殊な半陰陽らしいです」
「ほほぉ」
 
「1970年代にアメリカで、性転換手術を受けた女性が妊娠したという報道があって、彼女の手術をしたジョンズ・ホプキンズ大学病院では、彼女が妊娠するというのは100%あり得ないという見解を発表したのですが、実際に彼女は出産してしまったんですよ」
 
「その話は聞いたことがある気がします」
 
「彼女も特殊な半陰陽で、性転換手術を受けた時点では女性的な特徴なんて、見当たらなかったのに、実は未発達の女性器が存在していて、それが身体が女性ホルモン優位になったことで発達しはじめ、妊娠可能になるまで発達してしまったものと考えられるということでした。私の事例も恐らく同様のケースだろうと朝倉先生の診断でした」
 
「そういうことがあったんですか」
と言っているが、鐘本さんは半信半疑のようである。
 
「その件、水連には報告してますか?」
「**部長さんに連絡しましたが、完全な女性になったのなら何も問題無いとおっしゃいましたが」
「そういう記録は記録されてないんですが」
「**部長さんに尋ねて下さい」
 
それで鐘本さんは**部長に連絡する。すると**部長本人が、強化部長も伴って、この部屋にやってきた。
 
「川上さん、ごめんなさい。その件は確かに川上さんから聞いていたけど、性別に変化が生じたわけでもないから、特に報告の必要はないだろうと思いそのままにしていた。それで不愉快な思いをさせてごめんなさい」
と**部長は言った。
 
「じゃ本当なんですね。でもこの件、IOCへの報告はどうしましょうか?」
と鐘本さんが悩むように言う。
 
「朝倉先生にもお話を聞いてきましょうか」
と**部長が言ったのだが、強化部長が言った。
 

「そんな環境的話ばかりでは、ここにいる川上君が本人なのか替え玉なのかという結論は出ない。話は簡単だよ。ここにいる川上君に400mでもいいから泳がせてみればいい。ただし、水着に着替える間も女性のスタッフが付いてて別人とのすりかわりが不可能な状態でね」
 
「そうか!」
 
青葉もそれが単純明快だと同意したので、このメンツで一緒に、北区のJISS(国立スポーツ科学センター)に行き、鐘本さん・吉本さんが見ている前で青葉は水着に着替えた。水着は適当なものを提供してもらった。代金は強化部長さんが出していたけど多分水連かJOCの経費になる。
 
それで400mを泳いでと言われた。
 
タイムは 4:07.73 である。
 
派遣標準記録は超えてないもののOQTを越える記録である。これで泳げる人は今回の日本選手権で上位争いをした6人だけである。しかも青葉は何の準備もない状態でいきなり泳いでと言われて泳いでこの記録を出している。
 
「性別診察を受けた人とオリンピック派遣記録を出した人が同一人物というのはこれで間違い無いね」
 
と強化部長さんも笑顔で言った。鐘本さんも納得している。
 
「済まなかったね。色々変なことを言う人もあるから」
「いえ。全然問題ありません」
「正式には夕方発表するけど、君は代表になるから、オリンピック頑張ってね」
「はい。頑張ります」
と青葉は強化部長さんに答え、エア握手をした。
 
でも強化部長さんの提案は、本当にスポーツマンらしい発想だよなと青葉は思った。彼は1984年ロス五輪に出場した元競泳選手である。
 
「やらせてみればいいじゃん」
という快刀乱麻的な解決策は、現実より資料を優先しがちなデスクワーカーには生まれにくい考え方である。
 
これがもう15時くらいだった。
 
お腹空いた!!
 

日本選手権が終了して2時間後に東京オリンピックに参加する日本代表選手が発表された。女子長距離陣の代表はこのように発表された。
 
400IM 川上・金堂・南野
400m_ 南野・竹下・幡山
800m_ 幡山・川上・金堂
1500m 川上・竹下・幡山
 
結局3位までに入った人が全員代表になった。もっとも5人ともどれかの競技では2位以内に入っていた。今回、青葉とジャネは3種目、リル・金堂・南野は2種目に出場である。
 
今回は青葉は長距離のエースとなったが、次の世界水泳(2022.5福岡/2023ドーハ)やパリ五輪(2024.7)では竹下と金堂がエースになるんだろうなと青葉は思った。私は今回の東京オリンピックで引退するし。ジャネ(1993.08.28生→五輪時点で27歳)もそろそろ年齢的限界だろうし。それに南野・永井(青葉と同学年)がどこまで対抗していけるのか。
 

リオ五輪ではパラリンピックのほうに出たジャネが今回はオリンピックの方に出ることになったというのは、"Footless swimmer goes to Olympic from Paralympic" などといって、世界的に報道されることになった。ジャネは外国人記者に取り囲まれて色々インタビューを受けていた。ジャネも本当に嬉しそうだった。
 
彼女の名前“ジャネ”があまり日本人っぽくないので
「Are you mixed?」
とダイレクトに質問した記者がいたが、ジャネは
 
「No, My parents are both Japanese」
と答えた上で
 
「My name comes from Janet Evans; My parents were both swimmers. and My birthday 28 August is same as Janet Evans」
 
と説明して記者たちが「Oh!」と言って納得していた。
 
Janet Evans (1971.8.28-)は1988年のソウル五輪で400m, 400m-IM, 800m の三種目で金メダルを獲得したほか1500mの世界記録も保持していた。彼女が達成した800mの世界記録はその後、19年間も破られなかった。
 

3月末、§§ミュージックの女子寮では恒例の部屋移動が行われた。昇格試験に合格して入寮する子たちに部屋を開け、更に夏のビデオガールコンテストの上位入賞者の分も開けるため、概ね1フロア上にあげられる。
 
今回とうとう7階が使用されることになった。7-8階には以前はファンクラブや通販などの作業所があったのだが(それで6F以下と別のエレベータで結ばれていた)、その機能は現在は大田区のサテライト(あけぼのテレビ本部)に移動している。またこの機会にエレベータは1-8F全部移動できるように設定変更された。ただし上層用エレベータは建物の外から直接入る(女子寮エリアを通らない)ようになっていたのを、建物の内部からアクセスする形に改修工事が行われた。結果的に女子寮生が使えるエレベータが2基から3基に増えて、朝の“エレベータラッシュ”が緩和されることになった。
 
(ゆりこは「身体を鍛えるため階段を使おう。芸能人は体力が大事」という貼り紙をしている。実際、朝4階以下の子は階段で降りることが多い。上層階で満杯になるので4階くらいまで来た時はもう乗れないのである)
 

今年、下記の7人が7階の住人となった。以下で年齢は今年度にその年に到達するという意味で、現在はそれより1つ小さい。
 
品川ありさ(22)、高崎ひろか(22)、白鳥リズム(高2)、姫路スピカ(21), 花咲ロンド(22)、石川ポルカ(高3)、原町カペラ(19)
 
「来年は8階に移動かも」
「再来年は?」
「9階が増築されたりして」
 
“売れたらいいな・シスターズ”の3人は
「私たちよりラピスの方を上にすべきでは」
と言っていたが、寮の部屋はできるだけ年齢の近い子を近い場所に集めるというポリシーで運用されているので、若いラピスはその下の6階になった。
 

6階はこの9人である。
 
町田朱美(高1)、東雲はるこ(高1)、七尾ロマン(高1)、恋珠ルビー(中3), 甲斐波津子(高1)・絵代子(中2)、常滑舞音(高1)、悠木恵美(21), 上野美津穂(24.カウンセラー)
 
甲斐波津子・絵代子の姉妹は同室である。東雲はること町田朱美はお互い行き来しやすいように隣室にしているし、東雲はること七尾ロマンという§§ミュージックの(歌唱力上の)女子2トップシンガーを隣室にしたのもお互い刺激になるようにである。常滑舞音と悠木恵美が隣になったのは全くの偶然である(恵美が舞音のマネージャーになったのはこの数日後)。
 
“ヤング§§ミュージック”がこのフロアに集まった形になった。
 
2階から6階にいきなり4フロアも上げられた舞音が
 
「私こんな上の階に来ていいんですか?」
と不安がっていたが、七尾ロマンが
 
「舞音ちゃんは7階でもいいと思う」
などと言っていた。
 

3階から6階に上げられた甲斐姉妹も不安がっていたが、「半分は期待料だね」と姫路スピカが言っていた。
 
「売れなかったら来年下の階に下げられたりして」
「過去にそういう人は?」
「まだ出てないなあ」
「その第1号になるかも」
などと甲斐波津子は本当に不安がっていた。
 
悠木恵美は「私、場違いな気がする」と言ったが、
「むしろ恵美ちゃんをこれより下には置けない」
と川崎ゆりこは言った。彼女は実は7階マイナス1なのである。
 

以下、各階の新しい住人は下記である
 
5階 佐藤ゆか(20)、南田容子(19)、山口暢香(高3)、高島瑞絵(高3), 桜井真理子(20)、安原祥子(19)、三田雪代(19)
 
4階 中村昭恵(高2)、今川容子(高1)、坂田由里(高1)、青木由衣子(高1), 太田芳絵(高3)、斎藤恵梨香(高2)、直江ヒカル(高1)
 
3階 左蔵真未(高1)、山本コリン(高1)、水谷康恵(中3)・雪花(中2), 箱崎マイコ(中3)、豊科リエナ(中2)
 
2階 大仙イリヤ(高2)、鹿野カリナ(中3)、鈴鹿あまめ(中2)、花貝パール(中3)
 
この他の住人としては、母屋に住んでいる、天羽亜矢子(47.寮母)・松梨詩恩(20)の母娘と、副寮母の花ちゃん(23)、そしていまだに部屋がもらえず倉庫!に住んでいる海浜ひまわり(26)である。
 

昇格試験の合格者を受け入れなければならないという事情があるので、移動は引越屋さんのスタッフ、クリーニング・スタッフにも手伝ってもらい、わずか6日間で行われた。
 
3/26 7階清掃
3/27 7階への移動・6階清掃
3/28 6階への移動・5階清掃
3/29 5階への移動・4階清掃
3/30 4階への移動・3階清掃
3/31 3階への移動・2階清掃
 

直江ヒカル(上田信希)は高校の入学式が迫る4月4日になって男子寮から引越してきて、リザーブされていた部屋に入室した。最後まで、男子寮から通うか女子寮から通うか迷っていたのだろう。
 
彼女(ということでいいだろう)が入室すると
 
「取って食ったりしないから安心してね」
 
などと言って、花咲ロンド・桜井真理子・海浜ひまわりの3人が来て、女子寮入寮祝いなどと称して、コーラとケーキで歓迎してくれた(“5人以上”にならないようこの3人で来たようだ)。
 
でもベタベタと、胸に触ったりしていた!
 
「おっぱいは、まだ成長過程なのね」
などと言われる。
 
「ごめーん。男みたいな胸で」
 
「いや。これは胸の小さな女の子を『男みたいな胸だ』とからかう程度のサイズの胸だよ」
と、ひまわりが信希の胸を揉みながら!言った。
 
信希はちょっと後ろめたかった。
 

「でもちんちんはもう取っちゃったんでしょ?」
などとダイレクトに訊かれる。
 
「ごめーん。企業秘密ということにしといて」
 
「睾丸は無いよね?」
「さすがにそれは無い」
と信希も去勢済みであることは認める。
 
「睾丸が無ければ、もう女の子の仲間ということでいいよね」
「うん。問題無い」
と彼女たちは言っていた。
 
でも信希が入寮して3日後には
「信希ちゃん、もうちんちんも無いよ」
「ちゃんと割れ目ちゃんがあった」
「確かに見た」
などという情報が女子寮の住人たちの間で広まっていた!
 
彼女の入寮直前に千里が来て部屋から隠しカメラや盗聴器を大量に回収していったものの、3日もすれば元の木阿弥だったようである。
 

昇格試験に合格した、森村雪子(鈴鹿あまめ)と平良百合(花貝パール)は、いづれも家族に手伝ってもらって4月3日(土)に引っ越して来た。愛知県の森村雪子はお父さんが荷物を知人から借りたミニバンに積んで東名を走ってきたということだったが、宮古島の平良百合については、千里のG450を宮古島空港まで迎えに行かせて、荷物まるごと運んで来た(熊谷からは軽トラで運んだ)。
 
実は昨年夏の恋珠ルビーの引越の時も同様のサービスをしている。
 
鹿屋市(鹿児島県)の松元徳世(長浜夢夜)についても翌日の4月4日(日)にG450で鹿児島空港から荷物を運んであげたが、彼女・・・は実は男子であったことが判明。荷物の搬入先は用賀の男子寮に変更された。
 
「君、戸籍は男でも既にほぼ女の子の身体だよね?おっぱいもあるじゃん。玉も取ってるんでしょ?君なら女子寮に入ってもいいよ。玉が無いのなら、まだ棒の1本や2本残ってても構わないし。女子制服で通える中学校も紹介するよ」
 
と川崎ゆりこは言ったが本人は
 
「さすがに棒2本はありません」
 
と言って、男子寮を選択した。玉の有無についても言葉を濁した。
 
しかしゆりこは彼女を男子寮に入れてしまったことをすぐ後悔するはめになる。
 

引越の時、徳世はスカートを穿いていた。もっともここの男子寮ではスカートを穿いていても全く目立たない。
 
引越を手伝っている大人の女性が2人と高校生くらいの女子が2人いた。
 
「お母さんとお姉さんたちともう1人は叔母さんか何か?」
と寮母の門脇純江が尋ねると
 
「あ、すみません。うちの両親です」
と言う。
 
「え?」
 
「松元徳世の母です」
と45-46歳くらいの女性。
「松元徳世の父です」
と40歳くらいに見える女性(?).
 
「失礼しました」
 
でもお父さん(?)も女声で話していたし、女にしか見えないし、背丈も160cmくらいなので、門脇純江は、お父さんがMTFあるいは女装趣味なのか、あるいはそもそもレスビアンの夫婦なのか(その場合子供はどうやって作った?)、判断がつかなかった。まあうちも他人の家庭のこと言えた義理じゃないけどねーと純江は思った。
 
女子寮生の間では、松元徳世がスカートを穿いて女子の友人たちと肩を組んでいる小学生時代の写真が入寮した当日夜には回覧されていた!(どこから入手してるんだ!?)
 

ところで、地方ガールズの昇格試験が行われたのは3月29日で、新学期まで時間が無い。そのため転校手続きが実は大変であった。
 
昇格試験は2019, 2020年はいづれも1月に実施したのだが、今年は1月頃コロナの患者数が増えていたので実施を延期していた。そして結果的に年度末ぎりぎりになってからの実施になった。
 
森村雪子は4月から中2、平良百合は4月から中3で、彼女たちはいづれも女子寮のある足立区内の公立中学に転校した。コンテスト優勝者以外のガールズたちは中学生の間は特に希望がない限り公立に入れるし、原則として仕事は授業が終わった後と土日のみである。
 
制服を作らなければならないので§§ミュージックでは電話連絡で保護者に確認の上、転校先の中学に電話して転校手続きのための書類を郵送してもらうようにし、制服のための採寸もその場で§§ミュージックのスタッフが行なって、制服を作ってくれる業者さんに連絡を入れた。制服は4月7日までに出来上がり、彼女たちは4月8日の始業式に新しい制服を着て出ることになる。
 
さて、問題は松元徳世だった。
 
彼女の場合、4月から中学1年生で、中学進学と転校が重なるという面倒なことになった。足立区内の森村たちと同じ中学に連絡して書類を鹿児島県鹿屋市の現住所に送ってもらうようにして、やはりその場で採寸して業者さんに連絡を入れている。つまり・・・この時点で、松元徳世は足立区の中学の女子制服がオーダーされた。
 
彼女が男子であるということが発覚したのは翌日であった。
 
オーディション参加者で、昇格見送りになった子たちは翌日の3/30に各々の最寄り空港まで送ったのだが、合格者3名は色々準備もあるので、3/29その日の内に送り届けている。
 
松元徳世も29日中に鹿児島に帰したので、様々な書類は書いたら郵送してと言っておいた。ところが30日に彼女から連絡があったのである。
 
「女子寮入寮申込書というのがあるのですが、ボク男の子なんですけど、女子寮に入ってもいいんですか?」
 
「は!?」
 
審査をした、コスモスもケイも千里も、彼女が男の子だなんて、思いもよらなかった。性別に敏感な千里でさえ気付かなかった。それで取り敢えず、彼女の入寮先は足立区五反野の女子寮から、世田谷区用賀の男子寮に変更になった。
 
住まいが変わるので、転校先も変わることになる。ガールズ担当マネージャーの佐々木春夏はすぐに世田谷区の公立F中学に連絡を入れ、急な引越が決まったので、4月に新入学の生徒をそちらに入れて欲しいとお願いした。
 
「分かりました。教科書には余裕があるので大丈夫ですよ。男子ですか?女子ですか?」
「すみません。確認してなかったんですが、男子か女子かだと不都合がありますかね」
と佐々木はこの時、わざと本人の性別を曖昧にした。
 
「ああ、それはどちらでも大丈夫ですよ。ただ制服の都合があるかなと思いまして」
「制服は間に合うと思います?」
「男子制服ならよほど特殊な体型でない限り既製服で行けると思います。女子の場合はイージーオーダーになるので、今日のお昼くらいまでに注文を入れないと間に合わないと思います」
 
「もし女子だったらこちらで採寸して業者さんに連絡を入れるので行けますか?」
「お昼前までにお願いします」
「分かりました」
 
それで佐々木は業者さんの連絡先を教えてもらい、そこにすぐ電話を入れた。そして昨日採寸した松元徳世のサイズを伝えてオーダーしたのである。
 
松元徳世が男子制服で通うのか女子制服で通うのかは分からないが、たぶん女子制服を作っても無駄にはならない、と佐々木は判断した。
 
たいたいあの子、採寸の時、結構バストあったよ?あれ男子のワイシャツは入らないと思う。
 
佐々木はここまで手続きをした上で、足立区の中学には1名キャンセルになったことを伝えた。そちらの女子制服については、急いで作ったもらうようにお願いしたのにキャンセルするのは申し訳ないので、そちらはそのまま作ってもらうことにした。
 
もし松元徳世が女子寮に移動したら、使うことになるかも知れないし!?
 

松元徳世は4月4日(日)に両親・姉2人と一緒に引越の荷物を持って出て来た。それでその日、両親と姉たちは近くのホテルに泊まったようである。
 
そして翌5日(月)に、母親(父親だったかも?)が本人を連れて入学予定の中学に出向いた。手続き的には、向こうの教育委員会に連絡して地元の中学への就学を取り消してもらい、あらためて卒業した小学校に中学進学のための書類を作ってもらったらしい。中学に行く時、彼女は薄ピンクのブラウスに紺の膝丈スカート、水色の薄手のニットという格好で、ローファーを履いていた。髪は胸の付近まである長い髪をツインテールにして、各々髪ゴムで結んでいる。そして筆記具だけ、ピンクの学生鞄に入れて持って行った。
 
この格好を見て彼女の性別を“勘違いする”人は存在しないだろう。
 
話し合いは彼女の出身地、家族構成などを確認しただけで、特に何事もなかったらしい。言われていたサイズの写真を提出したので、それで生徒手帳も作ってもらえるということだったらしい。
 
また体操服・スクール水着、音楽の授業で使うアルトリコーダー、美術の授業で使う水彩絵具などを学校の購買部で購入してきたと言っていた。家庭科で使う裁縫セットは小学校の時に使っていたものでよいらしい。また学生カバンに校章を押してもらわないといけないので、学校に行った帰り、そのお店に寄って押してもらってきたらしい。
 
「スクール水着って男物?女物?」
と門脇純江は念のため尋ねた。
 
「私、男物の水着なんて着られませんよぉ」
「あ、そうだよね」
 
確かにこの子、結構胸があるように見える。本物かフェイクかは分からないけど。
 
しかし、松元徳世は女子として中学に通うつもりのようである。性別については彼女の場合“疑われようもない”ので、きっと学校の先生たちも、彼女がまさか男子とは思いもよらなかったのではと思った。
 
「そういえば小学校から渡されていた書類で性別が間違ってたから、その場で修正してもらいましたよ」
「ああ、たまにそういうことはあるんだろうね」
 
まあ彼女を見たら、書類が間違っていると思うだろうね!
 
でも結局女子として通学するのなら、最初から女子寮に入っても良かったのでは!??
 
彼女の両親とお姉さんたちはその日の夕方、郷愁飛行場から鹿児島空港にHonda-Jet で移動した。松元徳世も見送ったが、お姉さんたちが「この飛行機かわいい!」とはしゃいでいた。
 
彼女は4月7日夕方、制服を頼んでいた業者さんで真新しいセーラー服を受け取り、翌日の入学式にそれで普通に参加した。
 
そういう訳で彼女は男子寮から女子制服で通学する寮生の第1号となった。(2ヶ月後には、もう1人増える)
 

川崎ゆりこは、男子寮で「部屋移動」をさせることにした。
 
松元徳世が入寮する以前の部屋割はこのようになっていた(6階の聖子と明日香は別)
 
201 菱田ユカリ(中2)
202 須舞恵夢(中2)
203
204 末次一葉(中3)
205 上田信貴(高1)・上田雅水(中2)
 
301 弘原如月(高2)
302
303 篠原倉光(高2)
304
305 木下宏紀(19)
 
501 西宮ネオン
 
川崎ゆりこは実に計画的な移動を仕掛けた。最初に4月2日(4階の工事が終わった翌々日)に男子寮に来ると“新しい寮生のために部屋を空けたい”と言ってこの日は、まず3階の住人を全員そのまま4階の同じ番号の部屋に移動させた。作業は便利屋さんを手配して手際よく行っている。
 
401 弘原如月(高2)
402
403 篠原倉光(高2)
404
405 木下宏紀(19)
 
そして3階の部屋のクリーニングもさせる。当然、翌日4月3日は1階の住人を2階に移動させるものと、多くの子が思った。ところが4月3日のゆりこの指示は意外なものだった。宏紀は「やられた〜!」と叫んだ。
 
このような移動をさせたのである。(★=移動者)
 
201 菱田ユカリ(中2)
202 須舞恵夢(中2)
203
204
205
 
301 (後述)
302
303 篠原倉光(高2)★
304 末次一葉(中3)★
305
 
401 弘原如月(高2)
402 (松元徳世)
403
404 上田信貴(高1)・上田雅水(中2)★
405 木下宏紀(19)
 
なんと篠原君は1日だけ4階に移動して翌日には元の部屋に逆戻りである。まだ開けてなかった段ボールをそのまま3階の元の部屋に運び戻された。彼は「非道い!」と叫んでいた。結局部屋移動しなかったのに、段ボールに詰められてしまった本とか衣服・食器を元の場所に戻さなければならない(木下君と弘原君が手伝ってあげた)。
 

「異義があります」
と木下宏紀は言った。
 
「何だね?」
とゆりこが尋ねる。
 
「男の子を2-3階にして、女の子・男の娘を4階にしたんだと思いますけど、ボクは男の子です」
 
「君は睾丸もペニスも存在しないから女の子の一種。女子寮に移動でもいいよ。君のために7階に1つ部屋を空けているから」
 
「ボク、睾丸も、ちんちんもありますけど」
「却下」
 
ということで木下宏紀本人は不服だったようだが、彼はまんまと川崎ゆりこに欺されて“女子フロア”として設定された4階に移動されてしまったのである。篠原君はこの作戦の巻き添え・犠牲者である。
 
そして松元徳世は当然4階に入れられることになり、402に入居した。
 
徳世の両親やお姉さんたちは、スカート姿の木下宏紀や、セーラー服姿の上田雅水が挨拶するのを見て、
 
「なるほど2-3階が男子で4階が女子なんですね」
と何だか納得していたようである!
 
(やはり、そもそも女子寮に入れても問題無かった気がする)
 

如月に関しては、なぜ彼は4階になったのだろう?と疑問を持つ子が多かった(これを知っていたのは、寮生では木下宏紀と上田信希だけ)。
 
彼は普通に男の子に見えるし、スカート姿なんてめったに見ないし、男声使いである。寮生で男声を使うのは、弘原君・篠原君とネオンだけだ。
 
ゆりこはその件は詮索しないようにとみんなに言ったが、それで彼は実はFTMなのでは?という説まで飛び交っていた!
 
なお、上田信貴はどっちみち移動するならと言って、翌日、段ボールに詰められた自分の荷物をユキちゃんにワゴン車で運んでもらい、女子寮に移動した!女子寮には“信貴”ではなく“信希”の名前で入寮し、ホームページの記載も“上田信貴・男”から“上田信希・女”に変更してもらった。
 
彼女は自分の荷物を全部移動したのではなく“わざと”一部残していった。特にフェミニンな服とか、少し大きなサイズの可愛いデザインのブラ(新品)を置いていった。弟(妹?)の雅水がそれを着てみたくなるようにである!
 

この移動があった翌日、如月は、これまでめったに見せていなかったスカート姿でキュアルームに姿を見せ、居合わせたセーラー服姿の須舞恵夢(山鹿クロム)と菱田ユカリ(三陸セレン)から
 
「可愛い!」
と歓声をあげられていた。
 
「ボク、あまり人前で女の子の格好したことがなくて」
などと如月は言っている。
 
「寮内はみんな男の娘ばかりだから、恥ずかしがらなくていいですよ」
 
「だよねぇ。ゆりこ副社長から、睾丸取っちゃった以上、もう女の子になるしかないんだから、勇気出してカムアウトしなさいって言われたからこれで出て来た」
 
やはり睾丸取ってたから4階に入れられたのか、と恵夢もユカリも納得する。
 
「きっとこの寮にいる人は3年以内には全員女の子になっちゃう気がする」
などとユキさんが言っている。
 
「ここは第2女子寮と化したりして(既に4階は女子寮化したし)」
「取り敢えず寮内だけでも、スカート穿いて出歩きましょうよ」
 
「そうだなあ。じゃ時々でもスカート穿いて部屋の外にも出ようかな」
「みんなでスカート穿けば恐くないです」
「でもボク、女の子の声がうまく出せないし」
 
「ボイストレーナーさんとかに通うといいよ。ゆりこ副社長に言えば紹介してくれるよ」
とユキさんが言った。
 
「ちょっと聞いてみようかな」
と彼も言っていた。
 

さて、帯広市内の私立高校に入学予定の柴田数紀は、4月3日に「制服が仕上がりました」というハガキをもらい、母から2万円預かって、イオンまで取りに行った。
 
「はい、柴田数紀さんですね。こちらですよ」
 
と言われて渡され、代金を18000円払った。あれ〜制服代は15000円と言ってなかったっけ?と思ったが、消費税かなと思った。
 
(15000円に消費税をプラスしても16500円にしかならない。小学生でもできる計算)
 
「着てみます?」
「うーん。いいかな」
「じゃもし合わなかったら言ってくださいね。無料でお直ししますから」
「分かりました」
 
それで自宅に戻り、おつりを母に返す。
「18000円だった」
「あら、高かったのね」
と母も言う。
 
「身体に合わせてみた?」
「着てみますかと言われたけど、別にいいですと言った」
「合わせとかなくちゃ、あんた女子体型だから、男物の服はウェスト合わせるとヒップが足りなくて、ヒップ合わせるウェストが緩すぎるし」
 
「そうだった」
 
それで袋から制服を出してみた。
 
数紀も母も無言になる。
 
たっぷり3分くらい経ってから、母が言った。
 
「あんたスカートで通学する?」
 
数紀は困ったような顔で
「どうしよう?」
と言った。
 
悩むのか!?
 

§§ミュージックで部屋の移動が一段落し、4月4日までに新入団員の3人も入居してきて、落ち着いたかなと思った、4月5日(月).
 
「自分みたいなのが6階だなんて落ち着かない」
などと言っていた、悠木恵美がコスモスの所に来て言った。
 
「社長、お願いがあります」
 
この時コスモスは、その部屋位置の問題か、あるいは寮を出たいとか、或いはひょっとして信濃町ミューズを辞めたいとかの話かと思った。実は彼女は今年初め頃から、あまり遠くない内にミューズを卒業したいと言っていたのである。その時はバンドか何かでもしたいのかなとコスモスは思っていた。彼女はギターとキーボードはそこそこ弾く。
 
彼女は2017年のロックギャル・コンテスト9位で信濃町ガールズに入団した。この年の優勝者は石川ポルカで、上位入賞者には中村昭恵・三田雪代といった、その後、女優志向が強くなった子が出ている。この年は川崎ゆりこの言う“不作”な年で、確かに飛び抜けて歌の上手い子が出なかった。悠木恵美もそこそこ歌は上手いが、歌手をさせるには力不足で、デビュー機会の無いまま3年半が経過している(歌も楽器も“そこそこ”なのがこの子の問題)。
 
現在、悠木恵美は信濃町ミューズ最年長の20歳(ちなみに最古参は木下宏紀)で、今更アイドルとかもできないので、もし音楽の世界で生きていくなら、本格的なポップシンガーかロックミュージシャンなどを目指すしかない。むろんその道はアイドルより厳しい。
 
そんなことを瞬間的にコスモスは考えたのだが、悠木恵美の“お願い”というのは意外なことだった。
 

「常滑舞音ちゃんにはマネージャーが必要ですよね。それを私にやらせてもらえないでしょうか」
 
「へー!」
 
甲斐絵代子は元々夏頃にデビューさせるつもりでマネージャーの人選を進めていたのだが、常滑舞音は唐突に売れてしまったので、そのあたりのバックアップ体制も何もできていなかった。現在は取り敢えずリセエンヌ・ドオや大崎志乃舞を担当していた村上麗子が、そちらをほぼ放置して、常滑舞音に関する処理をしている。
 
「舞音ちゃんって凄い努力家だなあと、彼女が入団してきた時から思ってたんです。彼女は未完の大器なんですよ。多分これまであまりしっかりした音楽的教育を受けてなかったんじゃないのかなあ。だから入団後どんどん力をつけてきた。彼女オーディションの時『今12番でも12ヶ月後には1番になります』と言ったらしいですけど、年末くらいの段階で既にロマン、ルビーに次ぐ3番手くらい。1月か2月にはルビーも追い越してしまったと思ってたんです」
 
「うん。舞音の成長は凄い」
 
「だから彼女の曲が大ヒットした時、彼女なら当然かもと私思ったんですよ」
「そういう意見は実は数人から聞いた」
とコスモスは楽しそうに言う。
 
それを言ったのは、実は七尾ロマンと恋珠ルビー、それに町田朱美である。3人とも自分たちの強烈なライバルを冷静に評価していた。
 
「私、自分自身は全然売れてないけど、3年半この世界でお仕事してきたから、その経験から彼女を色々手助けしてあげられないかなと思ったんです。営業の仕事自体は未経験なので、力不足と思いますけど、頑張りますから、やらせてもらえませんか」
 
コスモスは感心した。
 
悠木恵美は、自分のタレントとしての道が明るくないからというので消極的にマネージャーに転向しようとしているのではない。自分の“売り”をちゃんと主張しているし、かなり意欲を持っている。
 
「分かった。じゃ営業面はまだ確かに経験不足だから、現在舞音ちゃんの面倒を見ている村上麗子と当面は二人三脚でお仕事してもらおうか」
 
「ありがとうございます!」
 
「ただ、うちの給料ってあまり高くないから、マネージャーになると毎月の収入はたぶん今までの4分の1くらいになっちゃうよ」
 
「構いません。私、贅沢しないし」
「じゃ村上ちゃんと話してもらおう」
と言って、コスモスは村上麗子のスマホに電話を入れた。
 
「じゃ信濃町ミューズは卒業ということで」
「はい、それで」
と答えてから悠木恵美は言った。
 
「寮は出ることになりますよね?」
 
まさかこの子、そちらが主目的じゃないよねとコスモスは心の中で苦笑する。
 
「コロナが落ち着くまではそのまま入ってなよ」
「そうですか。ではそうします」
と、そちらは不満っぽい!
 
彼女の部屋を6階に決めたのは川崎ゆりこだが、正直、このベテランのガールズをあまり下の階には置けなかったのである。5階のメンツにも、彼女の代りに6階にあげられそうな子が居なかった。
 

3月にアクアでカワサキのバイクのCMを撮った時、実はアクアにはホンダからもバイクCMのオファーが来ていた。しかし両方受けることはできないので、先着優先というのと『少年探偵団』で北里ナナがカワサキに乗っていたという縁もあったので、カワサキの方を受けることにした。そしてホンダの方は、誰か他の人に代えてほしいとホンダ側に要請。そのホンダの人が指名したのが、実は舞音だったのである。
 
最初は舞音にすぐバイクの免許を取らせてという話もあったのだが、それだとかなり時期がずれる可能性がある。彼女は現在既に多忙なので、教習所に通う時間が取れない。そこで、バイクの講習に通っていて、後は卒業試験を受けるだけになっていた羽鳥セシルに250ccのCMはさせて、舞音はスクーターに乗せようという話が3月中旬まとまった。
 
それにしても舞音が16歳にならないと免許を取れないので、舞音には4月12日の誕生日が来たらすぐ免許を取ってもらうことにし、1週間前から、新マネージャーの悠木恵美から交通法規を学ばせた。そして4月12日に鮫洲の運転免許試験場に行って一発で原付試験に合格。真新しいグリーンの運転免許証を手にした。
 
そして悠木恵美には実技指導もさせることにし、毎日夜間にあけぼのテレビの広い駐車場でスクーターの乗り方の練習をさせた。舞音は仕事がかなり忙しくなってきていたのだが、高校生で仕事は10時までに終わるので、当面それをできるだけ9時までに終わらせるように調整して、その後1時間くらい練習してもらったのである。
 

舞音のデビューシングル(ということになったもの)は、1月頭に1時間でCF撮影し(私服で出た!)、1時間で音源制作してブルボンのクッキーのCMになった『ちょっとだけ甘い時間』(松本葉子作詞・松本花子作曲・愛野礼奈編曲)という曲である(1曲入りシングル)。愛野礼奈というのは編曲用コンピュータの名前で要するにフルオートで作成された曲である。音源制作の時プロデューサーのような人もおらず、付き添ってくれた原田友恵マネージャーが
 
「ああ、ちゃんと歌えるようになったね。これでよしとしよう」
 
と言った所で完成だった。つまり歌唱指導なども全くされていない。伴奏もMIDIの再生そのままだった。
 
ブルボンのこのクッキーのCMはこれまで多数の“アイドル未満”の10代女子がCMをしており、テレビ放映版では出演者名も表示されていない(メーカーサイトには表示されている)。このCM出演の出演料は芸能人として最低ランクのわずか30万円(舞音の取り分は6万円)である(+CD印税)。
 
(§§ミュージックでは、B契約はギャラ配分は8:2(業界での一般的比率)だが、12万円の最低保証がある。A契約は6:4(業界最高水準)だが、最低保証は無いので、仕事が無いとゼロになる)
 
普通ならこの程度の曲をいちいちCDとしてはプレスしない(実際過去にこれに出演して歌を歌った子たちはそんなもの出してない)が、§§ミュージックはTKRの専用レーベルMarine Recordを持っていて自由にそのレーベルでCDを出せるので、Marine Recordから1月下旬、CMの放映開始に合わせてCDがリリースされた。この手のものは大して売れないが、仙台・津幡・鳥栖にある§§ファン/TKRサウンズの店頭に置けば買っていく人も出る可能性があるので100枚だけプレスした(プレスする場合の最低枚数)。またアマゾンにも一応登録して3枚だけ納入しておいた。
 
舞音があけぼのテレビで日舞の名取公演をした2/14以前の売上枚数はわずか14枚(店頭在庫分を除く)だった。
 
「10枚越えたのは売れた方」
などと原田友恵マネージャーは言っていた。
「ちなみにこれの印税は?」
「えっとね」
と言って原田は電卓を叩く。
「63円だね」
 
(500円×0.9×0.01×14 = 63円)
 
「あはは。夢の印税生活には遠いなあ」
 
「まあ印税で左うちわの生活ができるように頑張ろう」
「はい」
「3月締めで4月末受取りだから5月のお給料と一緒に振り込むよ。まあ3月末までにはもう少し売れるかも知れない」
 

などと言っていたのだが、3月3日発売の「とことこ・なめなめ・招き猫」が凄まじいセールスとなると、この曲も売れて、レコード会社では慌てて大増産することになる。むろん§§ファンだけでなく、一般のCDショップにも大量に置くことになる。
 
そしてブルボン側から、あのCMの舞音版 ver.2 を制作したいという話が来るのである。今回は広告出演料が500万円で契約もA契約に切り替わったのでもらえる率も高くなり、舞音の取り分は200万となって前回の33倍である。
 
メーカーとしては舞音が話題になったことでこのお菓子の売り上げも上がったので500万くらい払ってもいいのである。500万というのはデビューしたばかりの新人にしては高めだが「折角売上を押し上げてくれたこの子を他のメーカーには取られたくない」という思惑からこの価格が設定されたものと思われる。
 
またテレビの広告もいったん他の子でのCMが流れていたのを、舞音版に戻して放送しており、再放送料として100万円(舞音の取り分は40万円)も頂いた。
 
前回は私服で撮影1時間・音源制作1時間だったが、今回は衣装も花ちゃんが自ら数点選んでくれて、撮影は伊豆で行なうということだった。SCCの運転手さんの車に3時間揺られて伊豆半島の白浜まで行き、海岸の美しい白浜をバックに様々な服に着替えながら4時間ほど掛けて撮影した。共演者はモデル会社に登録している下田市内の女子高生4人を起用した。しかし短い夏向きのスカートが多くノースリーブもあって寒かった!。舞音は普通の服だけだが、共演者の女子高生たちは水着にもなっていたので風邪引いたりしないかと心配になった。
 
この撮影をしたのが4月17日(土)だが、先行して楽曲の制作も進めた。
 
CM曲『風のいざない』は松本葉子作詞・松本花子作曲だが、編曲が本山隆信とイリヤ工房のアレンジャーさんの名前がクレジットされており、音源制作でも本山さんが直接指導してくださった。練習に4/14の放課後3時間ほど掛け、録音は翌日行われた。合計5時間ほど掛けての制作だった。本山さんは
 
「君は上手いから短時間で完成域に到達するし、つぎはぎ編集とかせずに歌唱をまるごと使って音源化できるから、こちらは凄く楽だよ」
と言っていた。
 
この曲がバイクのCM曲『マイルドな夜明け』とカップリングして発売されることになる。『マイルドな夜明け』は翌週、月火の2日間かけて制作された。
 
この間、悠木恵美は毎日舞音を学校まで迎えに行き、車で仕事場に連れて行き、音源制作や撮影に付き合い、仕事が終わったら寮まで連れ帰っている。
 
恵美はこれって結構重労働だぞと思った。
 
村上麗子は恵美に午前中は寝ておくように言い、またきつかったらいつでも自分が交替するから、絶対に無理せず特に過労運転は絶対しないよう言った。辛かったら§§ミュージック・コールセンターのドライバーを遠慮なく呼びなさいと言う。恵美も過労運転などした場合、重大な事故を起こしかねないし、舞音に怪我でもさせたら数億円規模の損害が出ることを理解するので、そういう時は必ずドライバーを呼びますと誓った。
 
また花ちゃんのアドバイスに従い、ガールズの子の誰かを一緒に連れて行き、撮影中・出演中は、その子に代わりに付いててもらうようにもした。恵美はひょっとしたら、2〜3年後に自分と同じ道を歩むことになるかもと思う“あまり売れてない子”を指名して連れて行ったが、彼女たちは付き添いでもらえるお手当が美味しいようだった。舞音自身が特に何人かの子を指名することもあり、相性がいいのかな?と恵美は思った。
 

4月23日(金).
 
この日は§§ミュージックの報酬振込日であった。舞音は最近仕事の量が等比級数的に増えてきているので、もう報酬の額とか考える余裕もなくなってきつつあった。取り敢えず、学校があるので朝8時過ぎに甲斐波津子(緒方飛蝶)・山本コリン(魚中広菜)と一緒に学校に出かける。この日はゴールデンウィーク前で仕事が立て込んでいるので、申し訳ないが午前中だけで早退してくれということだった。それで4時間目の授業が終わるとお弁当(女子寮で配給されている)を持ったまま迎えに来てくれた悠木恵美(西岡空世)のAudi A3 ETRON Whiteに乗り、放送局に向かった。車内でお弁当を食べる。
 
この車は先日まで今井葉月の専用車だったが、葉月が“アクアのアクア”Leoをもらったので、こちらは常滑舞音用に転用された:事務所の期待が大きいことが分かる。
 
放送局で午前中に行われたリハーサルに代理出演してくれていた木下宏紀から引き継ぎを受ける。こういう学校の時間とぶつかるリハーサルにはだいたい高校を既に卒業している、木下宏紀・三田雪代・佐藤ゆかなどが使用されている。彼女たちは実は舞音と身長も近い。体格が近いことはリハーサル役の必須条件である。なお、南田容子は昨日“お花見”番組のレポートから戻った所なので、4/28までは特別休暇をもらっている(休んでいても給料が出る)。
 
木下宏紀は番組の流れを簡単に説明した上で、司会者やディレクターさんからの指示についても伝達する。ちなみに木下宏紀は桜の柄の可愛いドレスを着ている。舞音の本番衣装と同じ物である。リハーサルではカメラの調光などの確認もあるので、基本的に本番と同じ衣装を使用する。
 
だいたい説明を受けた所で舞音は言った。
 
「でも、宏紀ちゃん、その衣装つけてると可愛い」
 
(“ちゃん”は芸能界では一般社会の“さん”に相当する普通の敬称である。ガールズたちは先輩・後輩の別なく“ちゃん”で呼び合う)
 
「舞音ちゃんが着るともっと可愛くなるよ。やはりこういう衣装は女の子が着けないとね」
「・・・宏紀ちゃんも女の子ですよね?」
と舞音は不思議そうな顔をして尋ねる。
 
「ボクは男の子だけど。だから男子寮に住んでるし」
 
「え?でも性別変更は終わってるんでしょ?女子制服着てる卒業式の写真見ましたよ。女子寮の7階に1つだけ空いている部屋は宏紀ちゃんの部屋だから、5月から女子寮に移動してくると聞きましたけど」
 
(女子制服を着た宏紀の卒業式の写真は女子寮の全員が見ている。宏紀が性別変更が完了していて、女子寮に移動予定という情報の発信源は姫路スピカ。でもスピカの情報源は篠原倉光!)
 
「ボクは身体にはメスを入れてないし、女子寮に移動する予定も無いよ」
 
「え〜?そうなんですか」
 
「7階の空き部屋は、舞音ちゃんのためにリザーブされてるものだと思うけど」
 

そんなことを言っていた時、別の番組に出演する白鳥リズム(秋田利美)が通りかかる。どうも彼女もゴールデンウィーク前で忙しいからと学校を早退したようである。
 
「おーい、舞美、過労で倒れてないか」
と言って首から抱きつく(濃厚接触)。
 
「利美(りみ)ちゃんこそ、大丈夫?たくさんレギュラー持ってるのに」
「既に出演番組数自体では舞美の方が多くなっている。レギュラーの数もあっという間にボクを超えるさ」
とリズムは言う。
 
「そうそう、今月は報酬いくらだった?先月よりかなり増えたでしょ」
と利美が訊く。
 
「あ、まだ見てないや」
「今月は1000万超えたんじゃない?」
と宏紀。
 
「まさか。幾らなんでもそんな凄い所まではいかないでしょ」
「いや、あれだけ仕事したら2000万は行ってると思う」
とリズム。
 
「まっさかぁ」
「舞音ちゃんの争奪戦が激しくなってるから、ギャラ相場が急騰してる。多分もうラピスより高くなってると思う」
「え〜〜?」
 
「舞美ちゃん、振込額確認してみたら」
と宏紀が言うので、スマホで銀行のアプリを開いてみる。
 
「わぁ凄い」
と舞音が言う。
 
「3000万くらい行ってた?」
 
「そこまではないけど残高が490万もある」
と舞音は言いながら、もう少しあってもいい気がするけどなあと思った。
 
(先月の報酬280万は花ちゃんの助言で、生活費に20万だけキープして別口座2つに140万,120万と分けて移動していたので、残高≒振込額のはず。なお、分割するのは税金支払いに備えるため)
 
「それはあり得ない。そんな少ない訳が無い」
と宏紀が言う。
 
「ちょっと見せて」
とリズムが言うので、舞音は彼女に自分のスマホの画面を見せた。
 
「舞美ちゃん、数字を読み違ってる」
「え?」
 
「これ4900万じゃん」
とリズムが言うと、
 
「うっそー!!?」
と言って、舞音は絶句した。
 
 
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【春紅】(8)