【春紅】(2)

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千里は、現在妊娠6ヶ月目の丸山アイに電話して言った。
「あのさ、例の“生け贄(いけにえ)”ちゃんなんだけど」
「うん?」
「かなり痛がっているみたいなんだけど」
「まあ痛いだろうね。彼女には半年程度は安静にしてもらって。手術代はタダにしておくから」
 
「手術代は私が出してもいいけどさ、あの子、§§ミュージックの今年3人目のデビュー歌手にしようかと、コスモスちゃんが色々工作しているんだよ」
 
「今年は3人も売り出すんだ!」
「ここだけの話、七尾ロマンも恋珠ルビーも初動こそよかったけど、その後が続かなかった。売れてはいるけど、期待したほどではない。同時期にデビューした羽鳥セシルに大きく水を空けられている。それで3人目として、あの子を売り出そうかという作戦が水面下で動いてるんだよ」
 
「なるほどー」
 
「それなのに、身体の痛み抱えていたら困るからさ“何とかして”よ」
「分かった。“何とかする”」
 
「ついでにあの子に何か売れそうな曲、作ってあげてくれない?」
「夢紗蒼依でも良ければ」
 

2021年1月17日9:50 千里は貴司との婚姻届けをさいたま市の緑区役所に提出した。この日時は例によって占星術と十二直により決定している。
 
(1)新月〜満月の間 (2)太陽と月の両方が地上に出ている時間帯 (3)ボイドは避ける (4)十二直の中で婚姻に良いとされる日(たつ(建)みつ(満)たいら(平)さだん(定)とる(執)ひらく(開)。“なる(成)”も悪くは無い)
 
という条件で1月中の適時を調べるとこうなった。
 
2021.01.13(水.赤口.なる) 14:01-16:20
2021.01.17(日.仏滅.たつ) 9:38-20:57
2021.01.19(火.赤口.みつ) 10:32-22:52
2021.01.20(水.先勝.たいら) 10:57-17:27
2021.01.21(木.友引.さだん) 11:23-24:00
 
この中で、1/17を選んだのは、適時の中で午前中に提出できるいちばん早い日だからである。やはりこういうのは午前中に出したい。
 
「仏滅だけどいいの?」
「六曜は全くの迷信。暦の専門家100人に訊いたらまず100人とも六曜は全く無意味だと言うよ」
「そんなものなの?」
 
この日の浦和地方の月出は9:38だったので、それ以降に提出しようということで朝9時過ぎに家を出て、9:40頃に区役所に入った。少し待ち行列があり、受け付けられたのが9:50だったのである。
 
最初は貴司の離婚が11月4日だったことから、3-4ヶ月程度待って3月くらいに届けを出そうかという話もしていたのだが、貴司の“前歴”を考えると、さっさと届けだけでも出した方がいい気がしたので、1月に婚姻届けだけでも出してしまうことにしたのである。結婚式はあらためて3月下旬か4月にすることにした。
 
内輪の結婚式を挙げた2007.1.13から何と14年、結納をした2012.6.6から9年、実に遠回りの婚姻届けだった。その間に2人とも別の人と2度も結婚している(貴司:阿倍子・美映、千里:桃香・信次)。そして子供も2人(京平・緩菜)できちゃったし。
 
(千里はこの時点で緩菜の父親は貴司だと思い込んでいる)
 
千里は婚姻届けの受理証明書をもらうと、感無量で涙が出て来た。
 
「どうしたの?」
「まるで夢見てるみたいで」
「夢じゃ無いよ」
と言って、貴司が千里にキスするので
「こら、人前ではやめろ」
と言ったが、戸籍係の人は笑っていた。こういうカップルはわりといるのかも知れない。
 

2021年1月17日、桃香は“昨夜の疲れが残って”まだ寝ていた千里に「今日、結婚しないか?」と言った。
 
「突然だね!」
「思い立ったが吉日だよ」
と桃香は言って、10時頃千里に振袖を着せて、自分はブラック・フォーマルのドレスを着て、一緒にお出かけした。
 
「正式な式はあらためて春頃にあげよう」
「うん。一応越谷F神社さんにも、春頃になるかもと言っておいたし」
 
2人は近所の氏神様にお参りした、昇殿はせずに拝殿の前でお参りしただけだが、ケチで貧乏な桃香が、お賽銭を千円も入れるので、千里は天変地異でも起きなきゃいいけどと思った。
 
その後、写真館で記念写真を撮り、レストランでテイクアウトのランチを買い車(アテンザ:むろん千里が運転してきた)の中で食べたが、写真館もレストランも、ちゃんと予約してあったので、思い立ったが吉日なんて言ってたけど、計画的だったんだなと千里は思った。(貴司たちはプラドで出かけている)
 
「今夜は初夜だよ。たっぷりセックスしよう」
「昨夜もたっぷりしたじゃん!」
 

その日、浦和の千里の家では子供たち4人に千里がお昼を食べさせていた。
 
この日のお昼はオープンサンドで、薄切りのサンドイッチ用パンを置き、ハム、ポテトサラダ、スライスチーズ、スライスしたウィンナー、トマトなど自由に乗せて食べるよう言った。京平や早月に緩菜はまだいいが、由美はかなり無茶苦茶なことになっていて、これは後で服を洗うのが大変だ、などと千里は思った。
 
4人の現在の年齢はこのようになっている。
 
2015.06.28 篠田京平 5歳6月
2017.05.10 高園早月 3歳8月
2018.08.23 細川緩菜 2歳4月
2019.01.04 川島由美 2歳0月
 
緩菜は実年齢は2歳でも“中身”は27-28歳の女性(実は精神的には4人の中で最年長!)なので、一応実年齢に合わせた行動はしているものの、しっかりしている。由美は普通の2歳である。
 
「彪志お兄さんは朝7時頃出かけたね」
と京平が言う。
 
「彪志お兄さんは多分コロナが落ち着くまではほとんど休み無しだよ」
「大変そう!」
 
「パパは9時半頃出かけた」
と緩菜。
 
「貴司パパは千里2番と結婚するんだよ」
 
「おかあちゃんもでかけたよ」
と早月。
 
「桃香おかあちゃんは、千里1番と結婚するんだよ」
 
京平と緩菜は頷いているが、早月はどうも混乱しているようである。由美はさっぱり分かっていない!
 
ちなみにこの子たちの、大人たちの呼び方:
 
●京平・緩菜
千里:お母ちゃん(1番・2番・3番)
桃香:お父ちゃん
貴司:パパ
彪志:彪志お兄ちゃん
青葉:青葉お姉ちゃん
 
阿倍子(京平のみ):ママ
美映(緩菜のみ):ママ
 
ちなみに千里2と千里3の区別は、京平・緩菜にもよく分からない。2人がお互いに、よく相手のふりをしているので、京平たちでさえきれいに欺される。初期の頃は“女の人か男の娘さんか”で京平には区別できていたものの、3番が1番の力を利用して本当の女性になってしまった後は、全く区別できなくなってしまった。
 
●早月
千里:ちーかあちゃん
桃香:おかあちゃん
貴司:たかしおじさん
彪志:たけしおにいちゃん
青葉:あおばおねえちゃん
季里子:ママ(最近“キーママ”から“キー”が取れた)
 
●由美
千里:おかあちゃん
桃香:ももかあちゃん
貴司:(たかし)おじさん
彪志:(たけし)おにいちゃん
青葉:(あおば)おねえちゃん
季里子:ママ
 
●来紗・伊鈴
季里子:ママ
桃香:パパ
夏樹:おとうちゃん
 
子供たちの会話を聞いていると、だいたいおとなは訳が分からなくなるが、子供たち同士で会話が本当に通じているのかは、よく分からない。
 

2021年1月17日の朝一番、千葉市緑区役所に季里子と桃香が赴き、必要書類を提出または提示して、パートナーシップ宣言をした。
 
この制度は千葉市では2019年1月29日に始まった。つまり前回2人が結婚した時はまだこの制度は無かった。
 
必要な書類は、パートナーシップ宣誓書、運転免許証(住所確認+本人確認)、戸籍謄本(独身であることを確認するため)である。
 
宣誓書は左側に桃香、右側に季里子が名前を書いた。
 
この日に届けたのは、桃香が「思い立ったが吉日」と言ったからである。一週間前に電話してこの日に提出を予約しておいた(本当は頭の中が混乱しないように“もうひとりの桃香”と日付を合わせたのである:もうひとりの桃香が貴司たちと同じ日になったのは実は千里3の要請:やはり混乱しないように!)。
 
「この日仏滅だけど」
「私は唯物論者だ。そんなものは科学的根拠が無い」
「桃香らしいね。じゃ17日に届けよう」
 
と言ってふたりは17日に予約を入れたのである。
 
桃香はこの宣言のため12月中に自分(と早月)の住所を浦和のマンションから千葉市の季里子の家に移動していた。つまり実は桃香は住民票の上では浦和の新しい家には移動していない。そして年内に運転免許証の住所記載も変更しておいた(裏書き対応)。つまり桃香は法的には埼玉県民から千葉県民になった。
 
一方、季里子は夏樹と結婚していたので親とは別の住民票になっていたのだが、その住民票に桃香と早月が同居人として掲載されることになった。この住民票には、来紗・伊鈴も記載されているので、桃香はまさにこの2人のパパになったし、早月は来紗たちの妹になった感じである。
 
2013.06.03 来紗(小1)
2014.08.10 伊鈴(年長)
2017.05.10 早月(3歳)
 
なお、桃香は夫婦別姓主義者なので、苗字の統一はしない。でも子供たちについては、将来、早月を季里子の養子にして3人の苗字を統一しようと言っている(朋子・千里3!の承認済み)。早月が幼稚園に入るまでにする予定だが、今すぐ実行しないのは季里子が桃香の浮気に警戒しているためである。
 
「あら、今日は早月ちゃん、連れてこなかったの?」
と季里子の母から言われる。
 
「すみませーん。早月はまだ当面浦和に置いておきますが、こちらにも頻繁に連れてきますので。早月は由美を妹として可愛がっているから」
 
「由美ちゃんも一緒にこちらに住んでもいいけど、2人とも連れてくると、千里ちゃんが寂しいだろうしね」
とお母さん。
 
「みんな一緒に暮らす訳にもいかないですし」
などと桃香が言うと、ギロリと季里子が睨んだ。
 

そういう訳で、この後、早月と由美は土日には季里子の家に行き、そちらに泊まるようになる(やっと4分割した子供部屋が本来の形で使用されるようになる)。
 

 
↑の図で○は西四命で吉となる方位、×は東四命で吉となる方位である。
 
季里子の家の住人の本命星↓
真栗 1960.11.21 巽(西)
呼子 1961.10.13 震(西)
季里子 1988.07.10 震(西)
桃香 1990.04.17 坎(西)←男命で見た場合
来紗 2013.06.03 坎(西)
伊鈴 2014.08.10 艮(東)
早月 2017.05.10 艮(東)
由美 2019.01.04 兌(東)
緩菜 2018.08.23 乾(東)
 
(参考)
京平 2015.06.28 震(西)
夏樹 1982.06.22 離(西)←男命で見た場合
 
おとなたちは偶然にも全員西四命で、子供たちは来紗以外が東四命である。
 
部屋を4分割(真栗と桃香の共同作業)した時、来紗は「私この部屋がいい」と言って、南の部屋を取ったが、実は子供たちの中でこの部屋が吉となるのは、来紗のみであった。なお京平もここが吉だが、京平はこの家に泊まることはまず無い。京平は2階の空き部屋(事実上物置と化している)に置かれている“鏡”を通っていつでもここに来ることができる。しばしば来紗がこの部屋で「京平ちゃーん」と呼んで、京平を召喚!?している。来紗・伊鈴の方が京平より年上だが、2人はしっかりした京平を頼っている。来紗は「やはり男の子は頼り甲斐があるなあ」などと思っている。
 

なお、娘たちを千葉に連れて行く時、貴司には「早月のお父さんの家に連れて行く」と言っておいた。早月の父親は実際は千里なのだが、誰も(千里に精子があったなんて)信じてないので、好都合だった。千里1までこの説明を信じていた!!(千里1は自分の睾丸の行方を忘れている)
 
この往復のために、千里3!が専任のドライバーとして、さいたま市内に住む、東野穂佳さんという30代の女性を雇った。桃香の運転する車なんかに子供を乗せるわけにはいかない、としてこのミッションに協力したのである。
 
東野さんには「桃香はいつも女装しているけど実は男で!、前の奥さんである季里子さんの所に娘たちを会わせるため連れて行く」と説明している。実際問題として正確な説明は不可能である。でも桃香が男というのは「確かに結構男っぽいですもんね」と言って信じてしまったようである。
 
東野さんはタクシー運転手をしていたのが、コロナの影響で会社が倒産し、フリーになっていた。二種免許持ちなので安心である。原則として金曜の晩に千葉に搬送し、日曜の晩に浦和に戻す。往復に使うのは、早月が大いに気に入っている“アクアのアクア”である。早月は
 
「私、アクアちゃんみたいな可愛い女の子になりたいな」
などと言っている!
 
東野さんには、金土は季里子の家から歩いて5分ほどの所にアパートを用意したのでそちらで待機してもらう(季里子の家の近くは2019年の水害で壊滅したため、家の再建を諦めて引っ越した人がかなりあり、空き地も多いが賃貸アパートもわりと建っている。
 
この“ミッション”には結構な費用が掛かっている。
 
東野さん本人は20代の頃結婚していたが現在は独身である。1人娘の水蘭(みらん:現在は小学生)ちゃんを育てている。タクシー会社が倒産した後は、コンビニのバイトをしていたのだが、感染が怖いので、充分な給料を払うのでといって、そちらは辞めてこちらの専任になってもらった。ついでにワクチンも打っておいた!
 
(保険の問題があるので、フェニックス・トラインの社員にした。保険と年金は高額の国民健康保険・国民年金を払っていたので、助かったと言っていた)
 
仕事は早月と由美の送迎だけなのだが、それだけでは暇すぎるし、こんなにたくさんお給料をもらう訳にはいかないと言うので、千里は彼女に譜面の整理作業をしてもらうことにした。Cubaseをインストールし44鍵のMIDIキーボードも取り付けたパソコンを貸与し、主として手書きの譜面を入力してもらう。
 
結構音感が良いようだったので、録音から譜面(バンド譜やビアノ譜)に起こす作業もしてもらうことにした。これが割と助かった。試奏用に88鍵のフル・キーボードも貸与した。
 
「指がビアノの手ですね」
「小学生の時までピアノ習っていたので」
「それは心強い」
 
それで音感も良いのだろう。
 

ところでアクアのアクアを季里子の家に駐めようとすると、実はわりと苦しい。季里子の家は建坪 14坪(4間×3.5間)の 4LDK (子供部屋を仕切った結果7LDKと化している) で、敷地面積は 32坪(8.4m×12.5m) である。
 
ここの庭に普段は季里子の父の車 Mazda6 sedan (4.865m×1.840m) と季里子の車 Mazda Axela Hybrid (4.580m×1.795m) を並べて駐めている。特に駐車枠は引いてないが、こんな感じである。
 

 
ここに“アクアのアクア”も駐める場合は3台並べるのでこうなる。
 

 
3台の車幅の合計は、Mazda6 1.840m + Axela 1.795 + Aqua 1.715 = 5.35mとなり、庭の幅(隣地とのフェンスの厚さを引いて)8.2mから引くと残り2.85m 車同士の間隔は71cm程度になる。
 
この幅で(速やかに確実に、斜めにせずにまっすぐ!)駐められるのは季里子のみである(東野さんも当然できる)。季里子の父は怪しい(入れられたとしても時間が掛かる)し、母は自信が無いと言う。桃香がやったら絶対“両側に”ぶつける。
 
ただ交通量のある時間帯にこの“入れ直し”をやると、交通の妨害になり迷惑である。
 

早月たちを千葉に連れて行くのはパートナーシップ宣言した次週の土日(1/23-24)から始めたのだが、その前、年末年始にも、千里が小浜に行くのもあって、千葉に連れて行っている。12/31に緩菜まで入れて娘3人を連れて行ったのだが(*7), 大晦日の交通量の多い時期に車の“入れ直し”をやったのでなかなか大変だった。
 
(*7)京平は年末年始は貴司・彪志と男3人、浦和の家に取り残された(青葉も来たが、ほとんど仕事で出ていた:本当は地下ラウンジに居た/桃香は寝正月だったし、“女”にはカウントできないかも)。
 
桃香は京平に「スカート穿いて女の子パンツ穿くなら連れて行ってもいいよ」と言ったが、京平は断った。彼は昨年春以来彪志と一緒に暮らしていて、かなり男としての自覚が出て来ており、あまりスカートを穿かなくなっている。トイレも物心ついて以来座ってしてたのが最近は立ってする。下着も以前は結構女児用ショーツも穿いていたのが、最近はもっぱら男児用トランクスである。
 
(でもプリキュアのトランクスが売ってない!とか文句言ってる)
 
この年末年始の時は、千里はむろん現地に行ってないのだが、ドライバーの東野さんから話を聞いて、考えた(東野さんの娘は事前に千葉のアパートに連れていっており、母娘は千葉で正月を迎えた)。
 
「現地見られるかなあ」
「季里子さんが了承すれば」
 
「よし行ってみよう」
 
それで千里は季里子の家に行ってみたのである。
 

「季里子ちゃん、こんにちはー」
と明るく挨拶するが向こうは敵対的である。
 
「何しに来たのよ?」
「ちょっと庭を見せて」
「はあ?」
 
千里は季里子が見ている前でレーザーメーターで庭の寸法を測ってメモしている。そして頷いている。
 
「一体何なの?」
と季里子がきつい調子で言う。
 
「ここさ、早月たちを車で連れて来た時に、車3台駐めるの大変でしょ?」
「まあね。正月はそれに姉貴まで来たけど、東野さんが芸術的に4台並べて駐めてくれて助かった」
 
「ここに4台駐まったんだ!」
「私には無理。入れるのも出すのも東野さんにお願いした」
 
お姉さんの車の車幅を仮に1.7mとしても、4台駐めた場合、車間は23cmになる。物理的には可能であるが、さすが東野さんである。
 

庭の寸法を測っていた千里は
 
「ここにごく普通に4台駐められるようにしてあげるよ」
と季里子に言った。
 
「は!?」
「早月が来る度に苦労するのは申し訳無いし、立体式駐車場を作ってあげるよ」
「そんなことしてもらう筋合いは無いけど」
「だって早月も由美も私の子供でもあるからね」
「まあそれは否定しないけど」
 

「だから季里子ちゃんと桃香の結婚祝いにプレゼントしてあげる」
 
「立体駐車場なんてかなり値段がする気がするけど」
「実は余ってるのが1個あるのよ。サイズ計ってみたら、うまい具合にここに納まるから、ここに持って来ていい?」
 
「まあ余ってるのなら、置いてもいいよ」
「じゃ作業させるね。1日で設置できると思うから」
「分かった」
 

季里子は「立体式駐車場」と聞いて。よく会社の駐車場などに設置されている機械式2段のものを想像していた。しかし実はそうではなかったのである!
 
その日、季里子が勤務先から戻り“いつものように”アクセラを庭に駐めたら母が
「今日、工事の人が来て、駐車場作っていったんだけど」
と言う。
「え?どこに作ったの?」
と尋ねる。
「使い方説明されたんだけど、私よく分からなくて」
「うーん・・・」
 
千里に電話するのは不愉快なので、母が渡されたという分厚いマニュアルを読む。取り敢えず制御用アプリがあるようなので、AppStoreからダウンロードする!
 
マニュアルに手書きされているid番号の内のひとつを登録する。
 
いつの間にか庭灯まで作られているので、それは別途玄関の所に設置されているスイッチで点灯させる。
 
「この庭灯は自動にしといた方がいいみたいね」
「あ、そんなこと工事の人も言ってた」
 

まず自分のアクセラは正しい位置に駐まっていないことを認識するので、いったん出してから、庭にLED灯で表示されている枠内に駐め直した。このLED灯で指示されている駐車枠が2つある。
 
自分のスマホにダウンロードしたアプリで“上昇”スイッチを入れる。
 
自分のアクセラを駐めた部分の地面が上がり始める、
 
「なるほどこうなっていたのか」
 
約2.5mほど上がって停まる。
 
「ピット式だったのか」
 
普通の地上2段式の場合は、上の段に駐めた車を出すには、いったん下の段に駐めた車を出さなければならない。そうしないと下の車は潰れる!しかしピット式なら、下の車は地下に降りていくので、上の段の車だけを出すことができる。つまりその段が地下に降りていた状態だったようである。
 
LED灯で指定された駐車枠が2つある。ということはそちらも昇降するのだろう。多分マニュアルに書かれていた、もうひとつのidで動くのだろうと判断する。それで4台駐められることになる。千里さんは「4台駐められるようにしてあげる」と言ってたもんね。
 
しかしよくまあ1日でこれだけの穴を掘ったものだ。
 
だけどこれ多分1基150万はするんじゃないかなあと季里子は思った。
車の販売店に勤めているので、このタイプの駐車場を斡旋したことがある。その時、確か150-200万程度だったように思うのである。
 
「2基で300万くらいになると思うけど、ほんとに良かったのかなあ」
などと呟いたのだが、手元のアプリでは「上昇」「下降」2つのボタンが有効になっていることに気付いた。
 
あまり深く考えずに季里子は「上昇」ボタンを押してみた。
 
車庫が上昇!し始める。
 
「嘘!?まだ上に上がるの!?」
 
車庫は更に2.5mほど上がって停まった。つまり最初の地面は5mほど上がったことになる。家の屋根と同じくらいの高さになっている。
 
「じゃ、もしかして1基に3台駐められる訳〜!?」
と季里子が言うと
 
「工事してた人は下の2つのスペースに駐めるの推奨と言ってた。一番上は雨風に曝されるからって」
 
「それ気にしなかったら6台駐められるんだ?」
「そうなるみたい。あとパーキングブレーキ掛けるの絶対忘れないでって。台風の時も最上段に車を乗せたまま昇降させないようにって」
「5mから車が転落したら怖いね」
と季里子も言った。
 
普段地下に降りている部分には壁があるが、最上段、つまり地上に出ている部分には壁が無いから、風の影響を受けやすい。確かに台風の時は恐い。
 

翌日明るくなってから再確認すると、LED灯で指定された駐車スペースは右側(家から見ると左)のは幅3.6m 長さ5.4mほどあり、大きな車を駐められる。もうひとつのは幅3.2m 長さ4.5mで小型乗用車(5ナンバー)用のようである。季里子は、父の車と自分の車は右側に入れて、早月たちが乗ってくる“アクアのアクア”は左側に駐めればいいなと思った。もっとも普段はどちらの車庫も全部下におろしておいて、庭に駐める感覚で良いだろう。
 
車のサイズ
Mazda6 sedan 4.865m×1.840m×1.450m
Mazda Axela_ 4.580m×1.795m×1.455m
Aqua of Aqua 4.060m×1.715m×1.500m
 
(↑そういう訳で“アクアのアクア”は実は3ナンバー車だが、むろん小さい方の車庫に充分入る)
 
しかし、これどう考えても全体で500万円はかかってる、と思ったものの、もう値段のことは考えないことにした!
 
「夜はLEDで分かりやすいけど、昼間も分かりやすくするのに、ペンキとかで線を引くか、柵でも作った方がいいかも知れないけど、好みにもよるので必要なら呼んでくださいと工事の人は言ってたけど」
と母が言う。
 
「うーん。それは桃香に作業してもらうからいいや」
と季里子は言った。正直これ以上千里さんに負担を掛けるのは不愉快だ(気の毒ではない)。桃香に柵でも作ってもらうかな。
 

その日、美映が夫のレヴォーグを運転して買物に出かけ、戻って来たら家の傍に見慣れないものが建ってる。
 
「あ、これが車庫か!」
と声をあげる。いったん降りてから、ボタンを押して前面のシャッターを上げる。内側の幅や奥行きなどを確認する。それで慎重に車を中に収めた。
 
ちゃんと車止め(夜光式反射板付き)まで設置されているので、後の壁にぶつけてしまう心配も無い。換気扇も付いているので夏はこれを掛けておけばあまり熱くなりすぎないようにもできるようだ。屋根には小型の太陽光パネルが1枚置いてあり、換気扇の分の電気はこれで起こすのかなと思った(他に車庫内の灯りと庭灯もこれで灯す。美映は気付かなかったが冬用のヒーターもあり実は既にこの日は作動していた)。
 
「これイナバの物置かな?でも家の玄関からここまで屋根も作ってあるし、雨に濡れずに車と出入りできるのか。これイイネ!」
と美映は満足した。
 
「千里さんありがとね」
と東の方に向かって言ってから、美映は買物の荷物を家の中に運び入れた。
 

その日、この業界で30年というベテランマネージャーのHは秋風コスモスとの秘密の対談を終えてから、上機嫌で自宅に向かった。
 
1年前、所属歌手の営業方針を巡って経営者と対立し、結局退職することになった。一応形の上では円満退職であり、慰労金ももらった。守秘義務を守る限り、他の事務所に移籍するのも構わないと言われた。
 
その後、1年間はこれまでずっと休みの無い生活をしていたので、身体を休めるとともに充電期間として使用した。そろそろ1年経つし、また活動したいなと思っていた(この業界では、退職後1年間は活動を自粛する習慣がある)
 
そして数日前、コスモスから接触があったのである。
 
彼女が社長を務める事務所は最近かなり規模を拡大している。タレントの数は数十人いるようで、その数だけならもう大手の事務所に肩を並べるかも知れない。多数のベテランマネージャーとも契約しているようだ。さすがにコスモスは名前だけの社長で実質会社を動かしているのは、業界の伝説的マネージャーであり、主任マネージャーの肩書きの玉雪梓紗あたりだろうとHは思っていた。またこの会社の活動資金は、恐らくレストラン・チェーンのムーランから出ているのではと想像していた。
 
しかしHはコスモスと会ってみて驚いた。彼女がただのお飾りではないかも知れないと認識する。お馬鹿なアイドルをしていた時代と違って、物凄く頭の回転が速い。ひょっとして、アイドル時代はお馬鹿な振りをしていただけでは?とも思う
 
それで、まだ中学生の新人女性歌手の売り出しという話だった。その子のマネージングをする人がいないので頼めないかという話である。その子が歌っているビデオも見せてもらったが、逸材だと思った。歌唱力はまだまだだが、中学生では仕方ない。それにアイドルで重要なのは歌唱力より魅力である。この子はそれを強く持っている。
 
「ただこの子、実は男の娘なんですけどね」
「そういう冗談はやめてください」
 
しかしコスモスとは色々話し、かなり意見の一致を見た。それで近日中に契約しましょうといって、今日は引き上げたのである。
 
前の事務所を辞めてから1年はライブとかに行けないので、たくさんCDを買って色々な音楽を聞いた。特にインディーズのCDを大量に聞いた。自分の感覚は決して古くはなってないと確信した。
 
しかし女子中学生歌手の売り出しとなると15年ぶりくらいだ。少し武者震いがする。
 
彼は夕食を食べようと思って、お弁当を買いに出た。妻とは、あまりにも仕事が忙しくてすれ違いになり、10年前に離婚している。お弁当屋さんで唐揚げ弁当を買った後、お酒も欲しいなと思ってドラッグストアに寄る。そしてラガービール500mlを3缶買った。若い頃は一晩でウィスキーをボトル1本空けたりしていたが、もうそこまでの体力は無くなった。でも毎日ジョギング10kmしているし、仕事をする体力はあるつもりだ。
 
彼はお弁当とビールを持って自宅に向かった。信号が青だった(と思った)ので道路を渡る。この時左右を確認しなかったことを彼は後悔することもできなかった。
 
キキー!という鋭い音がした。
 
彼がそちらを見た時、すぐ目の前に大型トラックが居た。
 
「え!?」
と発した言葉が、彼の“最期の言葉”になった。
 
翌日新聞の社会面の隅の方に「元芸能マネージャー死亡」という小さな記事が載った。本人が“赤信号を無視して”いきなり飛び出してきたことがトラックのドライブレコーダーで明確だったので、運転手はほぼ責任を問われずに済んだ。前の会社を退職してから1年間無職だったこともあり、警察は自殺の可能性も考えたようである。
 
この事件について、テレビなどは元の所属事務所に忖度して、ほとんど取り上げなかった。
 

千里は元々浦和の家には車を8台駐められるように、(地下が)3段の立体駐車場を作ってと播磨工務店の九重(*8)に頼んだのだが、九重は「3段」と聞いて、地上部を含めて3段、つまり地下は2段のものと思い込み(ふつうそう思う)、6台駐められる車庫を作ってしまった。それで千里は取り敢えず立体駐車場のそばにイナバの物置の車庫を置いて7台までは駐められる状態にしていた。
 
(*8)毎度アクア(龍虎)に色々悪いことをしている《じゅうちゃん》である。中学生時代のアクアは《こうちゃん》と《じゅうちゃん》の共同作業で、ほとんど女の子に近い状態に改造されてしまった。もっとも彼は結構アクアに雑用で、いいようにこき使われている感もある。
 

12月下旬、千里は彪志から
「浦和の家にプール作るのは無理ですよね」
と言われて、そういえば青葉から、新しい家に可能だったらプール作ってと言われていたことを思い出した。それですぐプールの部材などは発注したものの、工事方法で悩んだ。《こうちゃん》と九重を呼んで話し合う。
 
「プールを家の地下に作りたいんだけどさ、作ってしまうと立体駐車場のピットがもう拡張できなくなってしまうと思うんだよ」
 
「拡張するつもりがあったら、プール作る前にやるべきだね。その更に地下深くにプールは作ればいい」
 
「だったら悪いけど、それしてくれる?そして駐車場の柱を下方2.5mくらい延長して」
 
ところが九重は言ったのである。
「延長するのは難しい。熔接とかした場合にどうしても微妙なずれが生じる。強度も落ちる。最初から10mの鉄骨を使わないと安全性が確保できない」
 
「つまり全交換ということ?」
「それしかないと思う」
「今の駐車場に800万掛かったのにぃ」
 
「千里、お金持ちだろ。変な所でケチると後悔するぞ」
と《こうちゃん》が言う。
 
「分かった。全交換でお願い」
 
それで九重は、他の播磨工務店のメンバーも連れてきて、現在の3段の立体駐車場をいったん撤去。(プール制作作業用も含めて)今より更に10m下まで地面を掘り、一番下の基礎から支える鉄骨構造を作り、その上に新しい駐車場のフレームを造り込んだ。
 
イナバの駐車場も作業の邪魔になるので一緒に撤去したのだが、これは元のフレームと一緒に“どこか適当な場所”に置いたらしい。
 

それで千里は、この余ってしまった3段式駐車場のフレームを季里子の家に持って行き、イナバの駐車場は美映の所に持っていったのであった。
 
元の駐車場のパーツで地上部分の壁と屋根は再利用したので、季里子の家の駐車場・地上部分には壁と天井が無い。でもあの狭い庭に屋根・天井のある車庫を設置すると、家から外が見えなくなってしまうので、むしろ無いほうがいいかも知れない気もした。
 
千里は新しく浦和の家に作った駐車場については1000万円払ったものの、元の駐車場フレームを季里子の家に移設する作業、イナバの車庫を美映の家に置いてくる作業については
 
「あんたがきちんと私に確認しなかったのも悪い」
と言って、タダで作業させた。
 
九重はぶつぶつ言いながらもちゃんと作業してくれたようである。
 
(お弁当は出してあげたし、最後はご褒美にお酒も出したら喜んでいた)
 

その日、帰宅した西湖は郵便物の中に家庭裁判所から来ているものがあることに気付いた。何だっけ?と思って開いてみた。
 
「は!?」
 
そこには
 
「天月西湖の性別を女に訂正することを認める。あわせて名前を聖子に変更することを認める」
 
という文面が書かれていたのである。
 
「嘘!?ボク女の子になっちゃったの!??」
 

甲斐絵代子は結局1月中に3回(12/28のも含めて4回)、中村晃湖さんにヒーリングをしてもらってかなり楽になった。
 
2度目のセッションの直後、1月6日には生放送の歌番組スタジオμに出演し、羽鳥セシルの伴奏(フルート)を吹いた。このフルートは、つい前日、姉が「早く元気になろうという気持ちになるように」と言って買ってくれたばかりの総銀のフルートである(持った時「重い」と思った)。まだ1日しか練習していなかったが、何とか無難に伴奏を務めることができた。
 
翌週には、年内に歌ったロッテ・ショコエールのCM曲をCDとして発売することになったということで、音源制作をした。プロデューサーの野潟四朗さんの指導は厳しかったが、何とか歯を食いしばって、音源を完成させた。
 
この音源制作で物凄く頑張ったら、なんかお股の痛みは気にならなくなり、4回目(最後)の中村晃湖さんとのセッションでは
 
「これもうほとんど痛くないでしょ?」
「はい、痛くないです」
などという会話をした。
 

1月30日(土)には、今度は中高生向けのファッションブランドのCM曲を歌うことになった。作詞作曲は夢紗蒼依(むさ・あおい)先生である。ただ夢紗蒼依先生は多忙(年間700曲くらい書いているらしい。よく書けるものだ)なので、代わりに丸山アイ先生が音源制作の指揮を執ってくださるということだった。
 
絵代子は「野潟さんほど厳しくなければいいなあ」と思いながら、信濃町ガールズの先輩・悠木恵美さんに付き添ってもらって都内のスタジオに出かけた。
 
スタジオの入口で派手に転ぶ。
 
「君大丈夫?」
と大きなお腹を抱えた25-26歳くらいかなという感じの女性が声を掛ける。
 
「はい。大丈夫です。誰かに足をつかまれたような気がしたけど、きっと気のせいです」
 
「気をつけようね」
 
その声を掛けてくれたのが、丸山アイ先生だった。
 
「もしかして妊娠中ですか?」
「うん。今7ヶ月」
「こういう所に出て来ていいんですか?」
「平気平気。私は予定日の前日までは働くつもり」
「せめて半月くらい前からはお休みなさった方がいい気がします」
「みんなそう言うのよ」
 

それで丸山先生の指導で音源制作をしたが、丸山先生はとても優しい先生で「良かったぁ」と思った。時折ジョークを交えて指導する先生の話は分かりやすいし親切で、絵代子は伸び伸びと歌を吹き込むことができた。先生は自称が“ボク”である。でもこの先生にはボクという自称が似合う気がした。
 
野潟先生は最終的に3本録った歌唱の良いところを繋ぎ合わせて販売音源を完成させると言っていたが、丸山先生はそういう編集がお嫌いらしく、絵代子の歌唱を1本丸ごと使うとおっしゃった。しかしそのため、かなりの回数歌うことになる。野潟先生との制作では3時間ほどで1本の音源を作ったが、丸山先生との制作では、結局、丸一日かけて、やっと「OK」の出る歌唱となった。
 
「明日はカップリング曲ね」
「はい、頑張ります」
と言って、絵代子は笑顔で丸山先生と握手した。力強い握手で、何だか元気をもらったような気がした。
 

しかし充実した制作をしたせいか、これまで結構痛みを感じていたあの付近が、この日以降、全く痛まなくなった。やはりこういうのは中村晃湖さんが言っていたように精神的なものが大きいんだろうなと絵代子は思った。
 
更に「自分は女の子」という確信が持てるようになったせいか、バストまで急成長したようで、今まではAカップのブラを着けていたのだが、Aではきつい気がした。姉に言ったらメジャーで測ってくれたが、「これはもうBカップだよ」と言われる。それで翌日は姉のブラジャーを借りて音源制作に出かけた。
 
やはり悠木恵美さんに連れられてスタジオに行く。そしてこの日も丸一日かけて2曲目の音源を作った。時間がかかるので体力的には疲れるものの、凄く充実した気分だった。(帰りに西友に寄ってもらい新しいブラジャーを取り敢えず5枚買った)
 
でも先生によって、やはり音源制作の方針って色々なんだろうなと絵代子は思った。
 
「ところで君、男の娘なんだって?」
「はい。実はそうなんです」
「ボクも男の娘なんだよ」
「冗談はやめてください。男の娘が妊娠する訳無いし」
「そうかな。でも君もきっとその内、赤ちゃん産むと思うよ」
 
丸山アイ先生にそんなことを言われると、ひょっとして私産めるかも、という気がした。
 

コスモスは丸山アイに言った。
 
「音源制作の指導ありがとね。とにかく今手が足りなくて。助かったよ」
「あの子、歌唱力はまだまだだけど、光るものを持っている。伸びると思うよ」
「うん。川崎ゆりこは実にいい子を見つけてくれたと思う。ところでさ」
「うん」
「甲斐絵代子のマネージャーをしてもらうつもりでいたベテランマネージャーさんが亡くなっちゃってさ」
「ありゃ。コロナ?」
 
「交通事故。私御香典持ってったよ。耳が少し遠いし色覚異常も抱えてるみたいだったけど、音源制作はセンスのいい若い人にしてもらって、営業だけなら行けると思ったんだけどねー。前の事務所と少しトラブってたみたいだけど、鈴木社長の睨みがあれば文句言われることはないし」
 
「鈴木さんの存在は大きいよね。でも人の運命は分からないよねー」
 
「アイちゃん、もし誰かあの子のマネージャーできそうな人でフリーの人がいたら紹介してくんない?この際、ポップスを理解できる人なら年齢はあまり問わないから。性別も女癖の悪い人でなかったら、男でも女でも男の娘でも女の娘でもいいよ。人間を取って食わなきゃ、精霊とかでもいいし」
 
「分かった。気をつけておくよ」
「ごめんねー」
 
電話を切ってから丸山アイは呟いた。
「コスモスちゃんにはバレてないみたい。危ない、危ない」
 
しかし§§ミュージックのスタッフには、龍とか天女とか、猫とかキツネとかカエルとかアナグマとか、色々いるよな、人のこと言えんけどなどと思う。
 
コスモスという子は、仕事さえできれば本人の属性は全く気にしないタイプのようである。そういう子は好きだ。だからこそ平然と2人のアクアを使いこなし、3人の千里、(多分)5人くらい居るケイと普通に付き合っているのだろう。
 
アイはコスモスに器の大きさを感じた。
 
全く会社を100倍に成長させた訳だよ。
 
なお甲斐絵代子のマネージャー選びは難航し、決まるのは5月の連休明けにずれ込む。
 

アクアは(2020年)12月30日に『少年探偵団IV』の主題歌を含む21枚目のCD『探偵王子/自由に生きよう』を発売し、ほんの1ヶ月後の2月3日には2/5に公開される映画『君はダイヤモンド』の主題歌・挿入歌『ダイヤモンドの意志/誘惑するキャッツアイ』(22枚目のシングル)を発売した。
 
しかしその間に1月20日には北里ナナ名義で『ロマノフの夢/氷の宮殿』を発売している。前者は『少年探偵団』の挿入歌、後者は家電メーカーのCM曲である。アクアは多忙な日程の中を縫うようにして1月上旬、根室市に行き、このCMを撮影している。
 
根室市郊外に氷のブロックで家を作っており、そこで太陽光パネルで起こした電気で、エアコン!?、LEDの室内灯、こたつ、テレビ、パソコン、炊飯器、電子レンジ、ホットプレートなどを使っているという図である。
 
リハーサル役の葉月、それに一緒に出演する信濃町ガールズの、常滑真音(中3), 鹿野カリナ(中2), 水谷姉妹(中2,中1) の4人は、前日にG450で撮影スタッフと一緒に郷愁飛行場から中標津空港まで飛んだ。レンタルしたマイクロバスで1時間半ほど走って現地に入り、リハーサルしながら、構成を調整している。
 
当日はアクアが緑川志穂マネージャーと一緒にホンダジェットで中標津空港に飛び、レンタカーを緑川が運転して、現地に入った。
 

「これ凄いね!」
とアクアは感嘆の声をあげた。
 
「3日くらいしかもたないらしいです。絶対にスケジュールがずらせない撮影ですね」
と前日に現地入りしていた吉田和紗(桜木ワルツ)マネージャーが言う。
 
渡された防寒コートを着る。
 
「この防寒コート可愛くない?」
「可愛いですよね!」
と舞音が言う。この子、ローズ+リリーさんのライブの時も思ったけど、結構目立つ子だよな、とアクアはこの時思った。
 
アクアはアクアのイメージカラーであるアクア(水色)の防寒コートを着ているが、葉月も含めて他の6人は様々な色のコートを着ている。
 
葉月:バイオレット、舞音:ピンク、カリナ:オレンジ、水谷姉:薄茶色、水谷妹:ライトグリーン、柴田数紀:黒
 
リハーサルの時は、葉月のポジションは和紗(桜木ワルツ)が演じたらしい。演技のできるスタッフはこういう時に重宝する。
 
なお、柴田数紀は高崎ひろかの弟である(妹ではない)。帯広市在住なので、呼び出して参加させた(帯広から根室までは北海道の地図で見ると近そうに見えるが車で4時間掛かる。彼は父の車で連れてきてもらった)。
 
この撮影では(アクアも“北里ナナ”として撮影されているので)柴田君は黒1点だったのだが、CM公開後
「あの黒いコート着てた女の子可愛いね」
「信濃町ガールズの新人かな?」
などとネットで噂されていた。ちなみに川崎ゆりこが
「君、信濃町ガールズに入らない?」
と誘ったものの
「信濃町ガールズに入ると、去勢しないといけないんでしょ?まだ男の子をやめたくないからパスで」
などと言っていた。
 
どうも世間では色々誤解されているようである。
 
でも彼は次は5月には小浜市まで呼び出されてアクアの写真集撮影に参加することになる。
 

それで休憩をはさみながら丸1日かけて様々なシチュエーションの演技をした。
 
氷の家の中で、こたつを囲んでトランプをしたり(柴田君がひとりで負け続けた)、アクアと葉月でパソコン同士のネット碁をしたり(碁が少し分かるらしい柴田君が「ふたりとも強ーい」と感心してた)、最後は全員ソーシャルディスタンスを取った上でめいめいの前に小型のホットプレートを置いてジンギスカンをしたが、美味しかった。これは舞音とカリナが競うようにたくさん食べていた。
 
これは実際のCMではシリーズとして5〜6回掛けて放送するらしい。
 
「でも氷の家の最大の欠点はトイレですね」
「ああ、外から見えるトイレは困るよね」
 
今回の撮影では、トイレは現場近くにある建設会社のトイレを使用させてもらっている。(カリナがトイレに入り便器に座る所までは撮影したが、むろん彼女はそこで排泄はしていない)
 
「でも氷の家でエアコンの暖房掛けていいのだろうかと不安になるね」
「実際は融けてもすぐ再凍結するから問題無いみたいですね」
「外気温が(氷点下)12度ですからねー」
 

青葉(主人公である)は、2月4-7日に東京アクアティクス・センターで開かれたジャパンオープンに参加した。今回“津幡組”は2月2日の節分に、Do228で能登空港から郷愁飛行場に移動してきて、マイクロバスで東京に移動し、深川アリーナの宿舎に入っている。
 
ただし青葉だけは、千里姉の専任ドライバー矢鳴さんに郷愁飛行場まで迎えに来てもらい、浦和の家に入った。ここに泊まって毎日、辰巳のアクアティクス・センターに出かける。彪志と同じ部屋には泊まるが、こういう時は大会が終わるまでセックスはお預けである。なお他の選手たちは深川から、§§ミュージック・コールセンターのマイクロバスで辰巳に移動する。
 
浦和の家に着くと
「青葉、プールできたよ」
と千里姉が嬉しそうに言った。
 
早速見せてもらう。
 
1階から“滑り台”を滑り降りて、地下のシュート練習場に行く。壁の隠しドアを開けて、秘密の空間に入る。
 
ここでお正月に来た時は、左側壁の隠しドアを開けて、地下ラウンジに入ったのだが、今回は右側の壁の隠しドアを開けて、別の空間に入る。
 
「ここにバスルームがあるから、泳いだ後はここで身体を洗って」
「分かった。だったら着替えとかはこの付近に置いとけばいいのかな」
「そういう考え方もある」
 
それで青葉はここで練習用の水着に着替えてしまった。千里姉も競泳用の水着に着替える。
 
「青葉って、男子用水着を着たことはないよね?」
「内緒。ちー姉こそ、男水着は着たことないでしょ?」
「秘密」
 
ふたりは意味ありげな視線を交わす。
 
ともかく2人で正面のエレベータを降りる。
 

「すごーい」
 
そこには2コースの25mプールがあった。自動計時装置付きだし、背泳用のスタート器具(バックストロークレッジ)も取り付けられるようになっている。しかもこれはスタートした後、自動で引き上げられると千里姉は説明した。つまり一人で練習している時もこれを使ったスタート練習ができることになる。(大会などではスタッフが引き上げる)
 
「今浄水装置動かすね」
と言って、千里姉は機械室のような所に入り機械を作動させた。機械の駆動音がする。
 
「ここって出入りはこのエレベータだけ?」
「そそ。一応非常口はある」
と言って案内してくれる。
 
「この梯子(はしご)を昇るのか」
「私や青葉にとっては何ともないよね」
「これ地上まで何メートル?」
「ほんの10mくらいだよ」
「私やちー姉でないと無理だね」
 
「まあここに入れるのは、私と青葉の他は、冬子とアクアくらいだから」
「アクアちゃんには無理な気がする」
「まあその時は誰か助けてくれるさ」
「そうね。誰かね」
 

それで早速このプールで泳いだが、専用のプールはなかなか気持ちいい。千里姉は1時間ほど泳いだところであがったが
「用事がある時は私が2番を呼んでね。お腹空いたら、ラウンジまで行けば何か食べ物あるし」
などと言っていた。
 
つまりここに入れるのは千里姉の2番さんと3番さんだけのようである。やはり1番さんは霊的な力が少ないから“霊的認証”を通れないのだろう。
 
あれ?でも冬子さんやアクアも通れるんだっけ?と疑問を感じたが、まあいいことにして、青葉は練習に集中した。
 

このプールでたっぷり泳いだお陰もあり、青葉は出場した3種目、800m, 1500m, 400mIM の全てで金メダルを取った。
 
他の子は大会が終わるとDo228で石川県に戻ったが、青葉はこの後、『作曲家アルバム』の取材で、ラピスラズリ、ケイと一緒に作曲家さんたちを訪問した。今回訪問したのは、ラララグーンのソウ∽(“そうじ”と読む)さん、元ロングノーズの堂崎隼人・前川優作・松崎連鹿(3人まとめて)、元モンシングの堂本正登さんの3組であった。
 
初日に訪問したソウ∽さんのお宅には相棒のキセ∫(“きせき”と読む)さんも来ていて、事実上セット取材になった。
 
↓ラララグーンのメンバーの名前と読み方
ソウ∽(そうじ)
キセ∫(きせき)
ルイ≒(るいじ)
ハル√(はると)
ショ÷(しょう)
 
「大宮万葉さん、久しぶりだね。その節は本当にお世話になった」
とソウ∽さんは笑顔で青葉を迎えてくれた。
 
「あれはソウ∽さんはもうスランプの出口まで来ていたんですよ。私はちょっとその背中を押しただけです」
「その一押しが難しいからね」
とキセ∫さんは言う。
 
あの時は、ある事件の処理をしている最中に偶然立ち寄った富山県の水仲温泉でスランプに陥っていた、ソウ∽と、(ステラジオの)ホシの2人をまとめてスランプ脱出させたのである。でも青葉は今も発言したように、2人とも既にスランプの出口まで自力で来ていたのだと思っている。
 
ラピスラズリには、例によってラララグーンのヒット曲を歌わせたが
「ぜひ君たちのアルバムにでもいいからこの曲を」
と言われてしまう。かくして、ラピスラズリの『ナツメロ』シリーズ用の楽曲は溜まっていく。
 

ソウ∽が作曲する時の“謎の記譜”という話が出てくる。ソウ∽さんは作曲する時に独自の略記法で楽譜を書き、その略記した記述は、キセ∫さんにしか読めないと言う。だからキセ∫さんはソウ∽さんの清書係である。
 
「どんな記号なんですか?」
と町田朱美が尋ねるので
 
「これ今度出す予定の曲の元原稿」
と言って、キセ∫さんが出してくる。一応カメラはこれを映すのは控えた。
 
ラピスラズリの2人は首をひねっている。
 
しかし青葉はケイと顔を見合わせた。
 
「これ読めますよね?」
「私も読めると思った」
 
「嘘!?じゃちょっと五線紙に書いてみてよ」
とキセ∫さんが言うので、青葉がバッグから五線紙を出し、2枚ケイにも渡して、各々、ソウ∽さんの書いた“記号の列”を楽譜に直して行った。
 
青葉が書いたものと、ケイの書いたものを合わせてみる。
 
ほぼ一致している。1ヶ所だけ、青葉が下のドを使った所で、ケイは上のドを使った所があっただけである。
 
「どうでしょう?」
 
「パーフェクトだよ。どうして君たちこれが読めるの?」
とキセ∫さん。
 
「自分で作曲する人なら、わりと読めると思います」
「基本はABC譜ですもんね」
「それの物凄い変形ルール」
「でもだいたい見当が付く」
「伴奏は代表的なパターンに数字が入ってますね」
「そうそう。C1ならミソドミソド、C2ならミソドミレドと判断した」
と青葉とケイは言い合った。
 
「なぜ分かる〜!?」
 
「私、高校生の頃は蔵田孝治さんの清書係してましたけど、蔵田さんの記号はこんなもんじゃなかったです」
とケイが言う。
 
「小節数が足りなかったりしてたと言ってましたね」
「足りないのはさすがに書けないでしょ?」
「それでも書いてましたよ。そういうのはだいたい4小節前の繰り返しで、最後だけ終止形に変えるんです」
 
「俺も面倒くさくなったら小節飛ばそうかな」
「やめてくれ。俺にはとても補充できん」
 
もっともこの付近は“楽屋ネタ”になるので、放送ではカットした。
 
(ラピスが首をひねったあたり付近までで停めた)
 

その夜、アクアFと松田理史は羽生PAで落ち合った。
 
「じゃ一緒にドライブしようよ」
「うん。ボクたちの初デートだね」
「そうだね」
 
「ドライブしてから、食事してホテルだよね?」
とアクアが言うと
 
「ホテルはもし気分が盛り上がったらということで」
 
と理史は言っている。自分がマクラを好きになってしまったのは確かだ。でも実はまだ彼女を抱く勇気が出ないのである。今夜してしまうのだろうか?とドキドキしている。
 
彼はこれまで女の子とデート自体したことがない。一応避妊具は用意したが、買う時に物凄くドキドキした。一度付けて練習もしてみたが、凄く変な気分だった。付着したゼリーはお風呂に1度入っただけでは完全には取れず、しばらく変な感触だった。
 
「こないだも、ボクを抱いて良かったのに。コンちゃんはボクが持ってたし」
 
何でも念のためと言われてマネージャーから渡されているらしい。
 
「何もしないって最初に誓ったからそれを守った」
「サトシも堅物だね〜。取り敢えずドライブしよう」
「うん」
 
「どちらが運転する?」
「龍ちゃんに任せた。僕はとてもこんな凄い車運転する自信無い」
「普通のMTが運転できれば何も変わらないのに」
と言いながら、アクアは理史に助手席を勧め、自分が運転席に座って、ポルシェをスタートさせた。
 
「ボクの身体に触ったり、悪戯してもいいからね」
「事故を誘発したら恐いからやめとく」
 
 
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【春紅】(2)