【春白】(4)

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緒方美鶴は女子寮の部屋で姉と一緒に朝御飯を食べながら、“あの日”のことを思い起こしていた。
 
姉に連れられて、新宿の病院に行った。30分くらいで終わる“簡単な手術”を受けて、美鶴は男の子を辞めることができた。
 
朝御飯の後、歯を磨き顔を洗う。姉と一緒に女子制服を着て学校に出かけるが、スカートに冷たい風が吹き込んできて、パンティにも当たる。芯まで冷えるけど、この感覚は女の子ならではのものだよなと思い、あらためて、男の子を廃業できて良かったという思いがした。
 
最近“本物の”おっぱいも少し膨らんで来たし。
 
早く完全な女の子になりたいけど「その手術は18歳過ぎてからね」と姉からは言われている。18歳過ぎると戸籍上の性別も変更できるし(*7)と思うと、美鶴は早く18歳になりたい気分だった。
 
(*7)2022年4月1日から成人年齢は18歳になるので、2004年度以降生まれの人は高校3年で成人となり性別の変更も可能になる。美鶴は2007年度生。2022年以降は、高校卒業前に性別が変更可能になるので、高3の夏休みに性転換手術を受けて、2学期からは女子制服で通学し、正式に女子として高校を卒業する人も出るだろう。
 

中学1年生の緒方美鶴(後の"Aeyo")は、女の子になりたいという気持ちが募り、姉に相談した所「大きな病院で“性同一性障害”の診断をしてもらいなさい」と言われた。姉が母も説得してくれたので、夏休みの間に埼玉県にある、性別に関して詳しい病院を受診。合計8回に及ぶ受診で、性同一性障害であるという診断書をもらった。また女性ホルモンも処方してもらい、この結果男の子を廃業することができた。
 
性同一性障害の診断書をもとに母親が通学している中学と交渉し、美鶴は2学期から女子生徒として通学することができるようになった。女子制服を作ってもらい学校に登校できたのが物凄く嬉しかったし、クラスメイトたちも美鶴の性別変更を受けいれてくれた。
 
美鶴の姉・飛蝶は7月に東京の芸能事務所・§§ミュージックのオーディションを受けて上位入賞。8月から東京で暮らすようになっていた。美鶴は10月用事があって姉を訪ねたのだが、その時、事務所の副社長・川崎ゆりこに目を留められスカウトされてしまった。それで美鶴は姉の飛蝶と一緒に、§§ミュージックの女子寮に住み、“信濃町ガールズ”本部メンバーになって研修生としてレッスンを受けながら、他の歌手のバックで踊ったりコーラスを入れたり、あるいはドラマや映画の端役に出たりすることになった。
 
取り敢えずローズ+リリーのアルバムでコーラスをしたし、§§ミュージックで制作中の長時間ドラマ(事実上の映画)『とりかへばや物語』にも端役で出演した。平安時代の物語と聞いて十二単(じゅうにひとえ)とか着られるのかなと思ったら農民役だったけど!それでもセリフのある役だったからいいことにした。
 
学校も姉(中3)が2学期から通い始めた東京の中学の1年生に編入させてもらいこちらの中学の女子制服(東京の中学だけあってオシャレ!)を着て通学している。こちらでは美鶴の性別のことを知る生徒は居ない。普通に女子中学生をしているので、最初の頃はかなりドキドキしたが、1月もすると開き直りが出て来た。それ以前にまだ完全な女の子の身体にはなっていないのに女子寮に住んでいることも、最初はいいのかなあと思ったが、こちらも完全に慣れてしまった。
 

青葉(主人公のはず)は10月24日に、巨大熊の事件を解決した後、11月6-8日にはホンダジェットで能登空港から関空に飛び、和歌山市で社会人選手権に出た。その後、能登空港経由で羽田まで飛ぶ。11月9-13日の5日間は、ケイ及びラピスラズリと一緒に〒〒テレビで放送している『作曲家アルバム』の取材撮影で、5人の作曲家さんの御自宅を訪問した。
 
今回訪問したのはワンティスのメンバー、上島雷太、雨宮三森、水上信次、三宅行来、海原重観、の5人である。残りの4人の内、下川圭次はアレンジャーであり、作曲しないこともないが年間10曲程度なので、現在のワンティスの事実上のリーダーである雨宮と相談の上、今回は訪問していない(雨宮と話したことが“筋”の上で大事)。山根次郎はほとんど作曲しない。過去にJASRACに登録された山根作品は5曲しか無いのでやはり雨宮の意向を確認してパスである。長野支香は全く作曲しない(作詞はする)のでパス。中村将春は親交の長いケイが本人に打診した所「僕はオリジナルメンバーではないから後で」ということだったので今回の一連の訪問には入れなかった。後日訪問する予定である。
 

青葉はもちろんこちらに居る間は、浦和のマンション(まだ一戸建てへの移動前)に寝泊まりした。青葉がいる間の部屋割はこのようになる。
 
Room.1 千里・京平
Room.2 青葉と彪志
Room.3 桃香・早月・由美・緩菜
 
千里の長年の思い人(千里的見解では常に夫であった)細川貴司は11月4日に法律上の妻であった(三善)美映と離婚したと聞いていたので、もう同棲しているのだろうと思ったら
「ああ。貴司さんはまだ川口市のマンションにいるんだよ」
と桃香が言っている。
 
「なんで一緒に暮らさないの?こちらに居るのは緩菜ちゃんだけ?」
と訊くと
「部屋が足りないから」
という話である。また、貴司さんは現在まだ川口市の会社に勤めており、一応退職の方向ではあるが、在職中は川口市にいた方が通勤に便利である。
 
(↑の部屋割りなら、貴司さんがRoom.1に入れば全然問題無い気がするので、桃香姉の話はさっぱりわからんと青葉は思った)
 

結局、貴司さんも入れて暮らせる広い家を探すという話だった。
 
「しかし年に2度も引っ越すの大変だね」
「全く全く。住民票の移動も大変だぞ。ここは何世帯かが同居していることになってるから」
「確かに!」
 
千里姉は、貴司さんとの結婚を見据えて、川島から村山への復氏届を提出したので、戸籍上はこのマンションにはこのような6家族が同居していることになっている。
 
村山千里
川島由美(住民票の上では千里と一緒)
篠田京平
高園桃香・早月
細川緩菜(住民票の上ではまだ川口市)
鈴江彪志
 
むろん青葉はまた別の戸籍・住民票だが、取り敢えず青葉の住民票は高岡市にある。
 
また青葉は千里がとうとう1人に統合されたと聞いていたのに、明らかに複数の千里が行動しているようなので、その点もどうなってんだ?と思った。もっとも千里姉はそもそも7-8人居るのでは?という疑惑があったから、その中の2人か3人が統合されても、まだたくさん居るのかも知れない。
 
(これは11/5に京平の介入で“連動”が途切れた後なので、千里は桃香やアクアへの影響を考えずに分離したり統合したりできるようになっていた)
 

ラピスラズリとの取材は、中学生のラピスラズリが学校を終わってからになるので、日中青葉は松本花子の拠点・大田ラボに行ったり、同じ区内のあけぼのTV、信濃町の§§ミュージックに行ったり、新橋の◇◇テレビ・青山の★★レコードや新宿のTKRに行き、また水連からも「東京に来たら顔見せて」と言われていたので、本当に顔だけ出して来た。アクアや西湖とも会い、青葉が(一応)オーナーである千葉の花丘玉依姫神社にも顔を出した。
 
青葉は空いた時間に郷愁プール(車で1時間半)か深川アリーナ(渋滞に掛からなければ車で1時間)で泳ぐつもりだったが、全然泳げなかった!
 
「ちー姉、自宅にプールを設置する予定は?」
「場所さえあれば作ってもいいけどなあ。バスケットコートと」
「ああ、ちー姉、かなり作ってるよね」
 
千里は「体育館建てたい病」にかかっているかのように、多数の体育管を建設している。
 
2012.09 常総ラボ
2012.10 市川ラボ
2014.08 花丘ラボ(花丘玉依姫神社地下シュート練習場)
2016.12 深川アリーナ
2017.07 千城台体育館
2017.10 姫路に地下バスケ練習場付きの家を建設
2018.12 小浜ラボ(ミューズタウン内)
2019.07 板橋ラボ(シュート練習場)
2019.12 津幡アリーナ
2020.04 仙台ラボ(クレール青葉通りビル内)
2020.08 織姫・牽牛ツインアリーナ
 
この他、体育館ではないが2019年6月に郷愁村に50mプールを建設している(50mプール以外の郷愁村アクアリゾートは若葉が建設したもの)。なお、2019年初に竣工した体育館“福島市ムーランパーク”は若葉が単独で建てたもので、千里は関わっていない。また小浜スーパーアリーナも若葉(ムーランリゾート)が建設したものである。
 

11月9日から13日までラピスラズリとの取材をして、14日には、またホンダジェットで送ってもらって高岡に帰ることにするが、雨宮先生から連絡があり、羽鳥セシルと会っていくことにする。
 
青葉は9月に能登と旭川に雨宮先生が連れて撮影に来た羽鳥セシルと会い、その後でセシルに提供する曲を頼まれていたのだが、雨宮先生はその時のことをきれいさっぱり忘れていたようで、セシルも青葉も呆れた。酔うと記憶の無くなる人であるが、どうも酔ってなくても記憶が無くなることがあるようである。
 
「私の記憶装置は真空管メモリみたい」
と言っていたが、それ一体いつの時代の話だ!?
 
セシルはかなり疲れているようだった。千里姉の話では、アクアが1人になってしまったので、これまで2人で分担してしていた量の仕事ができなくなってしまった。それで、ケイとコスモスが話し合い、アクアのレギュラー以外の仕事をいったん全部外すことになった、
 
それでその仕事を、ラピスラズリ・白鳥リズム・姫路スピカ・松梨詩恩・米本愛心などにも代わってもらったのだが、彼女たちは、元々みんな多忙だったので、あまり多くは代替できない。それで1月デビュー予定だったセシルはまだスケジュールが空白だったので、彼女にアクアMがこなしていた仕事の半分くらいを代わってもらったらしい。
 
青葉はセシルの手を握って、彼女の体内の疲労や不安を解消してあげた。それでセシルは元気を回復した。青葉はセシルのヒーリングを毎晩“オート”で掛けているヒーリングタスクに加えることにした。それで毎晩セシルは青葉にヒーリングしてもらえることになったのである。
 
なお青葉は前回セシルに会った時も彼女が完全な女性であることを認識していたので、今回のヒーリングで彼女に卵巣や子宮があるのを見ても何も驚かなかった。雨宮先生が彼女を“男の娘”だと言っているのはジョークだと思っている。
 
(前回青葉がセシルと会ったのは9/12で、セシルが“仮名Mさん”に連れられて病院で性別検査を受けたのは8/20である。セシルが使用していたブレストフォームは“仮名Mさん”が男子寮の適当な部屋(誰の部屋かは知らない)に投入してきた)
 

青葉は11月14日(土)に北陸に戻ると、その日の内に『作曲家アルバム』の長江ディレクターと打ち合わせながら、取材したビデオの大まかな編集をする。放送してよいか悩むような話題が結構出てくるので、青葉はケイに電話して確認しながら編集を進めた。
 
また『金沢ドイルの北陸霊界探訪』についても、12月ではなく11月の内に放送しようということになり、編集を進めていたので、その件では神谷内ディレクターから色々相談された。
 
青葉の次の大会参加は春から延期になっていた日本選手権(12/3-6)なので、それに向けて津幡のプライベートプールで泳ぐ。それ以外は11月16日以降、毎日午前中にニュースを読む仕事をした。先週一週間はお休みしていたので、その間は昨年度いっぱいで退職して、嘱託扱いになっていた元アナウンサーの人に代わってもらっていた。地方局はスタッフが少ないので、こういうのもわりとあるらしい。
 

西湖は2020年1月5日に突然2人に分裂した後、時々1人に戻ることがあったが、大抵は数時間でまた2人になっていた。1人が男の子で1人が女の子だったので女の子(F)が学校に行き、男の子(M)が女装して仕事に行くという分担をすることで、死にそうなくらい忙しい生活から何とか脱出できて、アクアが3月に高校を卒業したことによる仕事の増加にも対応することができた。
 
同じように分裂状態にある龍虎(アクア)の場合は、アクアMとアクアFの各々の自己認識が明確なのだが、西湖の場合はそれが混濁している感じで、時々1人になった場合、自分がどちらなのかよく分からず、ちんちんが付いているかどうか確認して「あ、今回はFが残った」とか「ちんちん付いてるから僕はMか」などと考えている状況である。
 
(2020年)11月3日の夕方。西湖はまた1人になったのだが、今回は1人の状態が長かった。1日以上経った11月4日の夜にやっと2人に戻る。1人しかいないので4日は学校を休んでいたので、明日はまた分担して学校と仕事に行けるね、などと言っていたら、5日朝にまた1人になってしまった。
 
困っていたら“いつも”部屋に置いている鏡の中から出てきているおキツネさんたちが京平さんという、偉いおキツネさん?を呼んできてくれて、彼からもらったペリドットの指輪をつけて2人になれるようお願いすると2人になることができた。ただし指輪を使えるのは日に1度だけで分裂してから9時間経つと合体してしまうようだった。
 
それで西湖は毎朝8時に指輪で分裂し、女の子の側が学校に行き、男の子の側は午前中休んでいて、午後から仕事に行くという生活をするようになった。Fは午前中で学校を早退して(仕事に行く振りをして)自宅に戻り、仕事に行っているMと分担して自宅で台本を読んだり歌やピアノの練習をしたりしている。
 
そして17時頃になると自宅にいる側が消えて仕事に行っている側に統合される。この時、統合されて男の子になっているか女の子になっているかは不定なのでトイレなどで確認している。突然自宅から消えるので、Fは火を掛けたまま自分が消えたりしないよう、調理したりする場合は必ずタイマーを掛けるようにした。(その後、和城理紗に相談したら、理紗のお友達が、強制的にタイマーが掛かるように改造してくれた)
 
11月22日の夕方、いつものようにFは用賀の自宅に居て、Mは郷愁村で『とりかへばや物語』の撮影をしていた。そろそろ17時だよなあと思ってアクアさんがトイレで中座した(アクアさんは何故か必ず17時頃に中座する気がしている)のを機に、自分も「ちょっとコーヒー飲んできます」と言って中座し、実際には控室棟の個室更衣室(*8)に入った。
 
(*8)感染拡大防止の観点から、控室棟は、多数の個室更衣室(約3畳+洗面台付き)から構成されており、大部屋の楽屋は作られていない。清掃消毒部隊が巡回していて、使用済みの更衣室は清掃・消毒して「消毒済」と書かれたテープを貼る。新たに更衣する人は、必ずこのテープを破って入室する決まりである。部屋の共用も、ラピスラズリの2人、上田兄弟(姉妹?)、緒方姉妹のみに許可されている。
 
荷物は別途ロッカー(出演者全員分用意されている:スマホによる電子ロック方式)に預けることになっている。但しトリプル主演のアクア・ありさ・ひろかの3人だけは各々の専用控室を持っている。
 

17時になると、自宅に居たFが消えてこちらに統合される。それで撮影現場に戻ろうとしたら、控室を出た所で突然また2人に分離するので慌てて控室の中に引き返す。
 
「どうなってんの?」
「分からない。取り敢えず衣装つけてるボク、撮影現場に行って」
「OK」
 
と言って、狩衣を着けている西湖が現場に向かった。
 
「理紗さん」
と言って、和城理紗(ワシリーサ)を呼ぶ。理紗は撮影現場に居たのだが、すぐ飛んできてくれた。
 
「どうしたの?早く戻らないと、撮影再開されるよって、なんで普段着なのよ?」
と理紗が言う。
 
「違うよ。いったん1人に戻ったのにまたすぐ分裂したんだよ。だから狩衣衣装着けたボクは現場に行ったよ」
 
「そうなんだ!どうしたんだろう?」
「分からない」
「じゃ、君は五衣唐衣裳(いつつぎぬ・からぎぬ・も (*9))を着けた方がいい」
「うん。手伝って」
「OK」
 
(*9)いわゆる“十二単”(じゅうにひとえ)。
 
それで残った方の西湖は和城理紗に手伝ってもらい、五衣唐衣裳を着けた。
 
急いで着けたので、結局西湖はどちらがFでどちらがMか分からなかった(五衣唐衣裳を着けているとお股に触るのは不可能なので確認できない)が、後で服を脱いでみたら、狩衣を着けていたのがFで、後で五衣唐衣裳を着けたのがMだった。つまり、いったん合体したことでMの着ていた衣装がFに移動したようだった。
 

この後、数日間、西湖は17時になるといったん合体するのだが、1分以内に再度分離するという新しいパターンになった。なお17時に分離した後は、夜中までそのままで、寝ている間に合体しているので、毎朝また指輪で分離することになる。
 
ところが数日経ったある日からは、この17時の“いったん合体”が起きなくなる。そして朝分離したままずっと夜中まで2人のままとなる。でも寝ている間に1人になっているので、朝やはり指輪で分離する。
 
「なんでこんなに長時間別れて居られるんだろう?」
「よく分からないけど、助かるね」
とFとMは言い合い、11/3以前のように、Fが学校に行き、Mが(女装で)仕事に行く生活に戻ることができた。夕方からはFも撮影に参加する。
 
ちなみに朝起きた時にMが残っているかFが残っているか(ちんちんがあるか無いか)は不定で、触ってみないと分からない状況だった。
 
「なんか、ちんちんとかあっても無くても、どっちでもいい気がしてきた」
などと西湖は呟いていた。
 
ただし西湖は11月1日に去勢してしまったので、男の子の状態でもタマタマは無かった。でもタマタマは恐らく数年前にほぼ機能停止していた気がするので、タマタマが無いことについては特に何とも思わなかった。ほとんど機能停止していた睾丸が今更声変わりを起こしたのが驚異的である。
 
ただ、去勢したせいなのか、年末頃までには、西湖Mの方も乳首が大きくなり、少し胸が膨らみ掛けているような気がした。
 
和城理紗さんによれば、2人は体液を共有しているので、これまでFの卵巣から出る女性ホルモンとMの睾丸から出る男性ホルモンがバランスしていたのが、睾丸が無くなったことで女性ホルモンだけになった。そのせいで、Mの身体の女性化は避けられないだろうという話だった。
 
「ちんちんも縮んでいくと思うよ。恐らく2〜3年後には皮膚に埋もれて、無いように見える状態になると思う。その頃には胸も膨らんでいるだろうからタック無し・ブレストフォーム無しで女湯パスしちゃう。デビュー頃のアクアちゃんの状態」
 
と彼女は言った。
 
でもそれも特に問題無い気はした。
 
「ボク、やはり女の子になってもいい気持ちになっちゃったかも。でも和紗さん(桜木ワルツ)と結婚する約束しちゃったしなあ・・・」
 

その日、門脇瀬那は、クラスメイトの緋代ちゃんに誘われて、ソフトボール部の試合に出た。メンバーが本当に9人ギリギリしか居ない。瀬那がソフトボールはルールとかもあまりよく分からないと言い、試しに“遠投”しても実際には20mくらいしか届かなかったので、外野は無理だねと言われてセカンドをすることになった。グラブは緋代ちゃんの予備のを借りた。ユニフォームとかもなくて、体育の時のジャージ(一応校名が入っている)でプレイする。
 
「うちは貧乏部だから」
などと言っていたが、お金をあまり掛けずにするのはいいことじゃないかなと瀬那は思った。
 
内野に居るので結構ボールが飛んでくる。ボールの所まで辿り着けずに後に逸らしてしまったのは幾度もあったが、ゴロはしっかりグラブを地面に着けてキャッチしたので、トンネルはせずに済んだ、1度ダブルプレイに絡んだ。ゴロを捕ってショートの子にトスしてフォースアウト。ショートからファーストに送られてバッターランナーもアウトで、これは気持ち良かった。
 
打つ方では「三振でいいよ」と言われて、本当に1回目も2回目も三振したが、3度目にいわゆるテキサスヒットを打つことができて、1塁に出た。次の子が三振スリーアウトだったので二塁には行けなかったが、塁に出たのも気分良かった。
 
試合は12対0で負けた。
 
「いつもこんなものだから」
などとみんな言っていたが、たくさん汗を流してわりと気持ち良かった。
 
「また3月に大会あるからよろしく」
と言われる。
「この程度でも良ければ」
と瀬那も答え、また声が掛かったら出ることになるかも知れない。
 

行き帰りは、チームメイトの咲美ちゃん・菜香ちゃんと一緒に緋代ちゃんのお母さんの車に乗せてもらったのだが、車の中では、身体の大きな菜香ちゃんが助手席に乗り、咲美ちゃん・緋代ちゃんと瀬那が後部座席に乗る。するとお互いに身体が接触するのだが、この程度は瀬那も徳島の中学の時に“鍛え”られていたので平気である。
 
しかし緋代ちゃんはスポーツ少女っぽく、わりと筋肉質だが、咲美ちゃんは脂肪が多くて、凄く女らしい身体付きだなあと思った。それでつい正直に
 
「咲美ちゃんって、凄く女らしい身体付きだね」
と言っちゃったら、
「瀬那ちゃんも女らしさ向上中だと思うよ」
と緋代ちゃんから言われた。
 
「うん。発育途中という感じ」
と助手席に乗っている菜香ちゃんも言っている。
 
「私なんか、男子は女子チームに入れないよと言われたこと何度もある」
などと菜香ちゃんは言っている。
 
「中1だとまだ“女になりかけ”の子も多いよね」
と咲美。
 
「瀬那ちゃんもかなり脂肪付いてきてるもん」
と咲美ちゃんから肩とか胸!とか触られる。、
 
「きっと来年の夏頃までにはかなり女らしい身体に進化していると思うよ」
と彼女は言った、
 

確かに瀬那自身も、最近かなり女性的な身体になってきつつある気もした。やはり“手術”したおかげかなと思う。
 
あの日、お姉ちゃん(元お兄ちゃん)に連れられて、新宿の病院に行った。
 
そしてうまく唆されて“手術”を受けて、自分は男の子を辞めた。でもこうして女の子をしていられるのも、こちらの中学に転入する前に、自分を男にしてしまいかねない危険な物体を除去したお陰だよね、と瀬那は思った。
 
取っちゃったこと、両親には言ってないけど、お母ちゃんは察している気もする。
 
手術した直後は、本当に手術して良かったのかなあとやや後悔したけど、スポーツの大会に女子として出場するのに、あんなの付いてたら違反っぽいもんなあと思う。女子の試合にキンは持ち込みキンシだよね?アレが無いから、自分としても女子の試合に出ることにあまり罪悪感は感じなくても済む、などと瀬那は思った。
 
できたら“タマ”だけじゃなくて“タケ”も取りたいけど、まだそれには心の整理が必要かも知れない気がしている。一応お姉ちゃんは、18歳になったらお嫁さんになれるようになる手術も受けさせてやるよと言ってくれている。それまでに気持ちの整理はつくかな?でもお嫁さんになるために必要な器官が自分の身体にあるのって、どんな感じなんだろう?瀬那は男の子に抱かれる自分を想像してドキドキしていた。
 
でも今まだ自分に付いているはずの器官、最近かなり縮んで来ている。実際問題として、現状は小さすぎて“タック”ができない。毛の中に埋もれているし、掴むどころか日によっては摘まむこともできなくなっていたりする。その時は、自分で触ってみてもどこにあるかよく分からず、結果的におしっこがどこから出てくるか分からない。その付近一帯からにじみ出てくる感じになり、拭くのが大変!「瀬那、既に女湯パスする」なんて、お姉ちゃんからは言われたし。
 
このままどんどん小さくなって消滅してくれたりはしないものだろうか??(既にほとんど消滅していたりして)
 

(2020年)11月19日(木)、恵真は早朝の仕事が入っていて、朝5時にマネージャーさんが迎えにくることになっていた。それで4時に起きるつもりだったのだが、連日たくさん仕事をしているのでスマホのアラームにも気付かす眠っていた。
 
すると恵真はトントンと肩を叩かれた。
 
「エマちゃん、時間だよ、起きなきゃ」
 
と声を掛けてくれたのは、5-6歳くらいの和服の女の子であった。
 
「君誰?」
「私はサユだよ。そうそう。今日ナンバーズ買うなら8052を買ってね」
 
というと、その女の子は“鏡の中”へ戻って行った。
 
これが恵真と“おキツネさん”たちとのファースト・コンタクトだった。
 

この日恵真はパスポートを受け取る日だったので、昼間1時間ほど空いたのを利用し、仕事に付きそってくれていたマネージャーの村田さんに車で送ってもらい、新宿のパスポートセンターに行った。
 
申請した時の控えを出し、手数料を払って、パスポートを受け取った。
 
村田さんが待っている駐車場に向かおうとしていたら、宝くじ売場があった。今朝“サユ”さんに言われたことを思いだし、恵真はナンバーズの8052を買った。
 

19日にサユさんが出て来て以来、“鏡の中”から色々な子が出てくるようになる。
 
「エマちゃん、疲れてるでしょ?御飯買うの行って来てあげるよ」
「そう?じゃ頼もうかな」
と言ってお金を渡してからふと思う。
 
「そうそう。私のお弁当と朝御飯のほかに、君たち用に、お稲荷さんを20-30個買っておいでよ」
「いいの?」
 
などと言うと、お稲荷さんをどうもお店にあった分全部買ってきたようで、何だか大勢出て来て、みんなで美味しそうに食べていた。
 
これ以来、このマンション近くにあるコンビニでは、毎晩、深夜にお稲荷さんが売れるので、たくさん仕入れてくれるようになった!
 
また、恵真がこの部屋でフルートを吹いていると、いつも数人のおキツネさんが出て来ては恵真の演奏に聴き惚れているようだった。恵真はその小さなお客さんたちを前に本当にフルート奏者になった気分でフルートを吹いていた。
 

11月22日(日)早朝には、U高校での友人、桜井一希・広中汐里・辰吉望海が、一希のお母さんと一緒に尾久のマンションを早朝訪れてくれた。恵真は仕事に出なければならないので、1時間ほどおしゃべりした後、彼女たちをマンションに置いたまま(早朝出て来て眠いだろうから仮眠しててと言った)、仕事先に向かったが、久しぶりに友人たちと会えて嬉しかった。
 
恵真のスマホの番号とメールアドレスは偶然知っていた人が掛けて来たりすると面倒なので、11月16日に念のため変えていたのだが、一希たちには新しい番号を母から教えてらった。
 
この日、恵真が出かけた後、部屋で仮眠していた一希は、鏡の中から出て来た2歳くらいの女児と“トリ”という名前の、おキツネさん?に頼まれ、“りゅうこ”さんという18-19歳くらいの女の子に、ペンダントを渡すお手伝いをした。一希がペンダントを渡した女の子は、ちょっと人気アイドル“アクア”に似ている気がした(一希はアクアの本名を知らない)。
 
一希がおキツネさんたちを手伝うことができたのは、一希がお稲荷さんを買うのに自分のお金も出していたからである。
 
しかしこの一希のしたことが、アクアの仕事の負荷を下げ、結果的にはそのアクアの仕事の代理をしているセシルの負荷も下げることになるとは、一希は思いもよらなかった。一希はむしろ夢でも見たのではと思っていた。
 

2020年11月、§§ミュージックのメンツの大半が年末の長時間ドラマの撮影に取られている間も様々なイベントが目白押しであった。
 
10.25(日)品川ありさライブ from 織姫
10.28(水)ラピスラズリファーストアルバム発売『紫色の光』
10.28(水)経堂のアパート崩壊。
10.30(金)彩佳たちのマンション崩壊
11.01(日)西湖去勢。アクアの睾丸が唐突に消失。
11.02(月)『君はダイヤモンド』クランクアップ
11.03(火)アイ暴走。千里2と3が合体。アクア・西湖・桃香も道連れ統合
11.04(水)貴司が美映と離婚。緩菜は浦和へ。
11.04(水)恵真の戸籍訂正と改名が認可。
11.05(木)京平が西湖にペリドットの指輪を渡す。
11.07-08 青葉、和歌山で社会人選手権に出る
11.08(土)恵真突然徴用される。一週間家に帰れず
11.09-13 青葉、ラピスラズリと作曲家アルバム
11.11(水)ラピスラズリアルバム『懐メロVol.1』発売
11.12(木)千里が浦和の一戸建を買う。
11.14(土)青葉が恵真と会う。
11.15(日)恵真、尾久に引っ越し。
11.16(月)恵真、C学園に転入。プラチナのフルートを預かる。
11.15(日)アニメ付き朗読劇『裸の王様』(白鳥リズム)
11.16(月)紅白出場者発表
11.18(水)コスモスの『オフボーカルベスト』発売
11.19(木)恵真がサユに起こされる。パスポート受取る。宝くじ買う。
11.20(金)郷愁飛行場オープン
11.21(土)アニメ付き朗読劇『赤ずきん』(姫路スピカ)
11.22(日)緩菜が一希に助けてもらい龍虎にスピネルのペンダントを渡す。
11.23(月祝)高崎ひろかライブ from 牽牛
11.25(水)アクア『361歩の迷宮(ラビリンス)』発売
11.27(金)映画『ヒカルの碁2』公開
11.29(日)少年探偵団初回撮影(アクアは欠席)
11.30(月)貴司がTT事務機を退職。
 

11月27日の映画『ヒカルの碁2』公開に際しては、例によって舞台挨拶は控え、代わりに、アクアおよび監督の挨拶ビデオをネットに流した。またアクアと西湖の記念対局をあけぼのテレビでリアルタイムで放送したが、ふたりとも強いので囲碁ファンの間で「ふたりともすげー。ほんとにプロ試験に出られるレベルに近いじゃん」と言われていた。
 
この対局はコミ無しの葉月先手だったが、それでもさすがにアクアの中押し勝ちとなった。
 
なお主題歌の『361歩の迷宮(ラビリンス)』は映画公開2日前に発売された。青葉は金沢の〒〒テレビのスタジオから記者会見にネット参加した。
 

11月3日にいったん統合されてしまったアクア(龍虎)と葉月(西湖)だが、京平と緩菜の兄妹の介入により、結果的にはまた2人に分離してお仕事することができるようになった。
 
このことを知るのは2人の“交替”を処理している和城理紗と千里に、一連の分裂劇の“黒幕”丸山アイの3人のみだが、コスモスもすぐに気付いた。でも気付かないふりをしていた。コスモスとしてはアクアの売り方として、これまでのような何にでも出る方法はやめて、原則レギュラー限定にして“アクア”の価値を高めたいと思っていたので今回の事件は好都合だったのである。ラピスラズリという、アクアに次ぐスターが出て来て、アクア以外でも稼げるようになったのも背景にある。
 
山村(こうちゃん)は全く気付いていない。アクアは統合され、Fが残ったと思い込んでいる。
 
なお、京平が西湖に渡した指輪が9時間しか効かないのに、緩菜が龍虎に渡したペンダントが12時間効くのは、使用者である龍虎の方が西湖より霊的なパワーが大きいからである。
 
しかし2人が再分離したことで『とりかへばや物語』の撮影はどんどん進み、12月上旬に撮了することができた。12月上旬にはこのようなイベントがあった。
 
12.01(火)マリナの連絡係・愛華出産
12.01(火)ホンダジェット納入。
12.03-06 第96回日本選手権水泳競技大会
12.06(日)ミューズ飛行場オープン
12.06(日)姫路スピカライブ from 小浜(スピカは郷愁から小浜へ飛ぶ)
12.06(日)少年探偵団2回目の撮影
12.13(日)(貴司の妹)理歌の結婚式
12.14-18(月火水木金) 花ちゃん5日間ライブ
 

ホンダジェットはカラフルなノーズのバリエーションがあるのだが、春からずっと§§ミュージックが長期レンタルしているのはブルーのノーズの機体だった、12月1日に納入された§§ミュージックで購入した機体はレッドノーズの機体である。
 
その購入したばかりの機体はお披露目と記念飛行が終わると郷愁飛行場から能登空港までフライトする。そして“津幡組”の、青葉・ジャネ・筒石・南野・竹下リルおよび、青葉たちの後輩、福山希美・広島夏鈴の合計7名を載せて郷愁飛行場まで飛んだ。希美と夏鈴が
「可愛い飛行機だ」
と言って喜んでいた。もっとも
「こんな遊園地の飛行機みたいなので本当に飛ぶんですか?」
と少し不安がってはいたようである。
 
4月から延期されていた、第96回日本選手権水泳競技大会に参加する。東京五輪(もし開催されれば)で使用される、東京アクアティクス・センターが会場になる。いつも大きな大会で使用されている辰巳国際水泳場のすぐ近くに作られた施設である。誰が企画したのか知らないが、何もすぐそばに作らなくてもいい気がする。
 
オリンピックの代表選考については、この大会ではなく2021年4月開催予定の日本選手権で行われる予定である。
 
今回の“津幡組”は深川アリーナに泊まり込む。25mプールではあるが24時間泳げるプールがある理想的な環境である。12月2日の練習日も、あまり密な所に長く居たくないので、短時間で引き上げてきて、ひたすら深川で泳いでいた。
 
ちなみに郷愁飛行場から深川アリーナ、深川アリーナと東京アクアティクス・センターとの間は、この期間レンタルしているマイクロバスを使用する。参加者7名が距離を空けて座れるようにである。ドライバーは§§ミュージックコールセンターの人である。
 
また、今回ホンダジェットは7名しか載らないので、選手以外のスタッフ、部長の幸花とトレーナーの布恋・百合花・裕夢の4名は交替で車を運転して東京に来ている。裕夢は唯一の男子・筒石のトレーナーとして連れて来たのだが、例によって「あなた女性ですよね。このADカード違いますよ」と言われていた!
 
ちなみに入場から退場まで、泳ぐ時以外は常にマスクの着用が必要であり、チーム共有のトレーニンググッズやマッサージベッドなども使用禁止(個人専用は可)である。ミーティング禁止。食事をする時は必ず個別に取り“みんなで一緒に食事”は禁止。また電子笛以外のホイッスルは禁止であり、大きな声でコールするのも禁止。今回は表彰式も行わない。むろん無観客である、ADカードを持たない人の入場は不可である。
 
入場時に健康チェック表(毎日)・感染防止対策チェックリストを提出しなければならない。要項では、マスクを椅子などに置いてはいけない。必ず自分の服のポケットなどに入れること、などいった注意まで書かれていて、運営側もかなり神経をとがらせている。こんな大会でクラスターでも発生したら、コロナの後遺症で五輪に参加不能になったり、選手生命に影響が出る選手が発生する危険もある。
 

青葉は(女子の)800m, 1500m, 400m-IM に出場する。今回の日程はこのようになっていた。
 
12/03 参加競技無し
12/04 10:00 400m-IM予選
11:12 800m予選
17:04 400m-IM決勝
12/05
16:40 800m決勝
12/06
15:10 1500m タイム決勝最終組
 
青葉は12/03は競技が無いので、ずっと深川で泳いでいた。
 
なお深川でも食事は各々の個室にムーランからデリバリーしてもらっている。
 

12月4日、§§ミュージックコールセンターのドライバーさんが運転する車で朝から会場に出て行く。午前中、400-IM, 800mと泳いで順当に決勝に進出する。会場をいったん出て、車の中で着替えて食事をして仮眠する。
 
夕方、400m個人メドレーに出場する。この競技にはジャネは出場しない。青葉は予選3位だったので、第3レーンで泳ぐ。4レーンは予選1位の金堂多江:高3)である。
 
スタートの号砲が鳴り、一瞬間を置いてから飛び込む。金堂・竹下が先行し、その後、青葉・南野・永井に新鋭の広井片恵(高1)が続く。広井さんは福岡からの参加である。福岡からお父さんの運転する車で来たらしい。全くお疲れ様である。
 
バタフライではあまり差が出なかった。背泳に行くが、これは他の選手の様子はよく分からない(“感じ取ろう”とすれば分かるが、そういう能力は競技中は使わないことにしている)。でもターンの時の見た感じでは永井さんが少し遅れたようである。
 
平泳ぎになる。青葉と南野さんがペースをあげ、広井さんは少し遅れる。竹下リルが先行し、金堂は少し遅れる。青葉と南野が金堂に追いつく。
 
そして最後の自由形。青葉がスパートを掛ける。南野も続く。ふたりともリルを追い越す。最後は青葉と南野里美との勝負である。2人はほぼ並んでいる。デッドヒートが続く。あと10m。最後のスパート。
 
そしてタッチ。
 
微妙かな?
 
時計を見る。
 
0.02秒差(距離で3cm差)で青葉の勝ちであった。161cmの青葉と174cmの里美では腕の長さも5-6cm違うので、彼女に勝つには、6cm分=0.04秒差が必要で、それには微妙な気もしたのだが、何とか勝っていた。0.02秒のリードは距離的には3cm, 腕の長さまで入れると9cmくらい勝っていたことになる。
 
青葉は第6レーンの里美と“リモート握手”してから退水した。なお3位は竹下リルで、津幡組がメダル独占である。
 
この日はその後、ドーピング検査を受けて深川に戻った。
 

12月5日は夕方からなので、2時間前の15時前に会場に入る。この日は事前ドーピング検査が行われたので、それに応じてから本番用の水着を着けた。(本番用の水着は簡単には着脱できないし、着られる回数があまり多くない)
 
この競技はジャネも出場する。事実上彼女との勝負である。
 
号砲の後、最初からスパートするかのように飛ばす。青葉やジャネにとって800mは“短距離”なのである。今日はこの競技だけなので、昨日と違って、たっぷりスタミナがある(昨日は予選を2つもやって疲れていて全力出なかった)。2人以外の選手は大きく離される。2人は追いつ追われつ全力で泳いでいく。
 
そしてスパート。
そしてタッチ。
 
時計を見る。
 
0.02秒負け!
 
青葉は2位だった。
 
しかし、ジャネは身長178cmなので、腕の長さでは向こうが7cmほど長い。この時間差だと青葉の方が早いように見えたので、例によってビデオを確認して、ジャネの優勝が認定された。
 
青葉はジャネとエア握手をした。
 

12月6日は、15:10から1500mのタイム決勝最終組である。この日は事前ドーピング検査は無かったので、競技の後かなと思う。競技の後だとお茶とか飲んでも、なかなかおしっこが出ないのよね〜と思う。特に1500m泳いだ後は身体にかなり水分が足りなくなる。
 
そんなことを考えながら30分前に水着を着る。800mと400m-IMは同じ水着を使ったが、今日は新品を使用する。
 
スタート台に立つ。
号砲が鳴る。
一瞬置いてから飛び込む。
 
例によって青葉とジャネの競争である。青葉は無心に泳いだ。ジャネの位置がどのあたりにあるかも考えずにひたすら泳いでいた。
 
水中のカウンターが1になる。あと1往復。スパートを掛ける。
 
初めてジャネを意識した。彼女は青葉より僅かに早く折り返した。
 
更にスパートを掛けて、全力で泳ぐ。
 
あと10m。
あと5m。
 
タッチ!
 
時計を見た。
 
やった!優勝!
 
今度は0.03秒こちらが上だった。ジャネはその時計を見ると、青葉の顔も見ずさっさと退水してしまう! このあたりがジャネらしいよなと青葉は思った。
 
ドーピング検査を受け、今大会2つ目の金メダルを受け取り、記念写真を撮って会場を出る。いったん深川に戻るが、ジャネは居ないようだ。きっとホテルか何かにでも泊まったのだろう。
 
能登空港への飛行機は明日飛ぶので、今日はこの後自由時間である。
 
(12/6に姫路スピカが小浜へ飛んでいるが、それは千里姉のG450を使用している。青葉たちはホンダジェットである)
 
青葉は浦和に移動して、彪志と甘い一夜を過ごした。そして12/7 千里姉に熊谷まで送ってもらう。
 
「ちー姉、結局今何人いるんだっけ?」
「こないだも言ったように、私はひとりに戻ったよ」
 
嘘だ!絶対。
 
郷愁飛行場で他のメンバー(ジャネを含む)と合流して、一緒にホンダジェットに乗り、能登空港まで飛んだが、今日のジャネはわりと饒舌だった。
 

12月6日『少年探偵団IV(フォー)』の第2回目の撮影が行われた。
 
先週の撮影はアクアが出席できなかったので、代役さんで撮影している。後でアクア本人の映像と差し替えが必要である。今回は昨日『とりかへばや物語』の撮影が終わったということで、本人参加となったので、アクアがスタジオに姿を見せると歓声があがっていた。
 
今日の撮影には羽鳥セシルが出演するが、これは代役としてではなく、最初からこの役はセシルで撮ることになっていたのだとセシルは言われた。
 
しかもヒロイン役である!
 
実はセシルのデビューにぶつけ、そのプロモーションとしてプッシュして出演させてもらったらしい。
 
怪人二十面相から「“ロマノフの小枝”を7月18日に頂きに参ります」という予告状が届く。
 
予告状を受け取ったのは、作曲家・細野洋介氏(87.演:東堂千一夜−実年齢は77歳)である。
 

洋介氏の父親・細野洋一氏(1900年生)は、ロシアに留学していたが、おりしもロシア革命が勃発する。皇帝一家は拘束され、1917年8月シベリア西部トボリスクに身柄を送られたが、1918年5月エカテリンブルクに移送された。そして1918年7月17日午前2時頃、ボリシェヴィキ(革命政府)により一家全員殺害された。殺害されたのは、当時激しい内戦が起きていたため、反革命側に皇帝もしくはその子供を奪われると、向こうがその人物を立ててこちらが正統な政府と主張する危険があったためとされる。
 
この時、洋一氏は皇帝一家が軟禁されていたエカテリンブルクに居たが、国内情勢が厳しいので、ロシアを脱出してトルコに行こうと考え、馬車なども手配していた。そしてもう町を出ようとしていた時に、1人の医師のような風体の50歳くらいの男と、15-16歳の少女が飛び込んで来て
「パマギ・ナム(私たちを助けて)」
と言ったのである。
 
男性は見た感じの通り医者で、少女は彼の娘であると言った。
 
洋一はとっさの機転で、医師に女装するように言い、農婦のような服を渡した。そして彼にヒゲを剃るように言った。少女は逆に男の子の服を着せて男装させた。
 
彼の“母親と息子”ということにしたのである。
 

馬車は出発する。途中検問があったが
 
「私は日本人で、母親・息子と一緒にイランに行く所だ」と答えた。母親と息子がロシア人っぽいが、先にイランに行っている妻がウクライナ人だからと答えたら通してくれた。それに検問をしている兵たちは、どうも中年男性と少女を探しているようだった。変装ざせておいて良かったと洋一氏は思った。
 
1ヶ月ほど掛けてトルコに脱出することに成功したが、エカテリンブルクを出た後は、あまり大した検問は無かった。しかし念のため、医師にはずっと女装させ、少女にはずっと男装させておいた。そもそも少女は最近、はしかをしたらしく、療養のために髪を短く切っていたし、年齢も若くてそんなに胸が大きくなかったので男装させやすかった。
 
トルコのリゼで別れたが、その時、男装の少女(名前は聞いていないがナーシャと呼ばれていた)から
「たすけてもらった御礼に」
と言って、そのフルートをもらったのである。
 

洋一氏は帰国後東京音楽学校(現・東京芸大)の教授となり、同僚の女性講師(1908-1998)と結婚する。彼女がフルートの名手でこの洋一氏がロシアから持ち帰ったフルートを吹き、東京音楽学校管弦楽団でも演奏していた。
 
彼女が亡くなった後は、洋介氏の奥さん(1940-)が使用していたが、孫娘の聖知(セシル)がフォーレ国際フルートコンクールに入賞したことから、彼女に譲った。それで現在このロシアゆかりのフルートは聖知(18−セシルの実年齢は15歳)が吹いているということなのである。
 
このフルートが“ロマノフの小枝”と呼ばれるようになったのは、ロシアの19世紀の画家ユーリー・ミハイロヴィッチが描いた、アレクサンドラ・フョードロヴナ(ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の皇后)の姿を描いた『小枝』(ヴェータシュカ:Веточка)という作品の中に、このフルートと似たフルートが描かれていることによる。
 
それでこのフルートはロマノフ王朝由来のものではと言われ、一時期、洋一氏が革命のどさくさに盗んだのではと疑われたが、洋一氏は助けた少女から渡された手紙を公開した。その手紙はドイツ語(の亀甲文字!)で書かれたもので、実は洋一氏はこの亀甲文字が読めなかったので内容が分からなかった。それでも洋一氏は、万一このフルートの由来について疑われた場合の用心にとこの手紙をもらったので、何かそのことについて書かれているのではと思い公開したのである。
 
そのトイツ語の手紙に書かれていたのはこういう文章だった。
 
我が命を助けてくれたホソノさん(Сударь(*10) Хосоно:この部分だけロシア語)に感謝の印として母から譲られたフルートを差し上げます。
 
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
 
アナスタシアというのは、1918年7月に殺害されたはずのロシア皇帝皇女である。そして洋一氏が聞いていた少女の名前・ナーシャはアナスタシアの愛称である。
 
しかし元々アナスタシアについては生存説が昔から結構あった(2020年現在では死亡説が有力)。それでこの手紙は信じられた。洋一氏は正式にこのフルートを贈られたものとみなされる。ロマノフ朝ゆかりのものということでユーリー・ミハイロヴィッチの絵のタイトルから、“ロマノフスカヤ・ヴェータシュカ”(ロマノフの小枝)と呼ばれるようになったのである。
 

(*10)ソビエト連邦時代は“同志”を意味するтоварищ(タバーリッシュ)が敬称として使用されたが、それ以前の帝政ロシア時代は、Сударь(スダーリ)/ Сударыняという英語のMr./Mrs.に相当する敬称が使用されていた。この単語は現代では、英語などの小説をロシア語に翻訳したものにのみ登場する。タバーリッシュ(同志)はソ連崩壊とともに使われなくなり、それ以降は(ソ連時代からあるにはあった)господин(ガスパジーン)/госпожаという敬称も使用される。
 
もっとも、ロシアでは人を呼ぶ時は、名前+父称で呼ぶのが普通に丁寧な呼びかけである。例えばフィギュアスケートのアカチエワならソフィア・ドミトリエヴナと呼ぶのが、日本なら「アカチエワさん」と呼ぶ程度に相当する。ガスパジーンはそんなに使用頻度の高い単語ではない。
 

というところまで、前提の話が既に別のグルーブの役者さんたちを使って既に撮影されている。アナスタシア役は日本に定住しているロシア人の少女俳優を使った。今日はその続きで現代の物語である。
 
セシルはこの日小道具に使うことになっているフルートを見せられるが、警備員さん付きである!
 
「あ、それ見るの楽しみだった」
と言って、小林少年役のアクア、明智探偵役の本騨真樹、二十面相役!の大林亮平まで寄ってくる。
 
監督がケースを開けると、真っ白いフルートが姿を現す。
 
「美しい!」
という声があがる。
 
銀白色の管体の先端(唄口がある側の端)に、赤い宝石・青い宝石が埋め込まれている。
 
「そのルビーとサファイアは本物?」
「実は合成ルビー、合成サファイアなんですよ。本物でこの大きさはレアだし、実際にあったとしてもさすがにこの番組の予算を遙かに超えます」
 
「でもまるで本物みたいに見える。色合いが凄くいい」
と文代役の山村星歌が言っている。
 
「専門的な話になりますが、この合成ルビー・合成サファイアは、フラックス法という手法で作られたものです。最低でも数ヶ月、このサイズのものになると半年くらい掛けてゆっくりと結晶を成長させています。その間、高温高圧を維持しなければならないので、物凄く製造費用が掛かります。品質の悪い天然物より、かえって高いんですよ。普通に出回っている合成ルビーは、ベルヌーイ法といって、もっと簡単に作れるものですね。フラックス法で作った合成石は天然石との区別がひじょうに難しいです。並みの鑑定者なら天然石と間違いかねないと言われます」
 
と小池プロデューサーが説明した。
 

「だったらこれ1500万円くらい制作費したでしょ?」
と山村星歌さんが言う。
 
「まあ値段は聞かぬが花だよ」
と河村監督。
 
「でもどうして上が空いてて、真ん中付近にサファイア、下にルビーなんですか?」
という声が出ていた時、
 
「トリコロールか!」
とアクアのマネージャー・山村勾美さんが声をあげた。
 
「そうなんですよ」
と河村監督が説明する。
 
「このフルートはプラチナの白い管体に、赤いルビーと青いサファイヤが埋め込まれています。白は白ロシア(ベラルーシ)、青は小ロシア(ウクライナ)、赤は大ロシア(ロシア)を表す“スラブ三色”でロシア帝国の国旗なんだよ」

 
「今のロシアもこの国旗ですよね?」
「そうそう。ソ連時代は、鎌と槌に五芒星が描かれた旗を使用していた。五芒星は五大陸を表していて、五大陸を全てソビエト化(共産化)しようという危ない思想だね(この方針はレーニンの後継者となったスターリンにより放棄された)。でもソ連が消滅して、ロシアに戻って、元の旗が復活したんだよ」
 
「なるほどー」
 
「キイは赤いんですね」
 
「キイはレッドゴールドを使っています。実は白だけで作るとテレビに映りにくいという問題がありまして」
 
「ああ、そうか」
 
「それにレッドゴールドは硬いから、可動部に使うのにはわりと適していて。横に青い線を入れたのも同じようにテレビ映りの問題です。青い線はただのペイントですが、ウルトラマリンの顔料を使用しています」
 
と河村監督が言うと
 
「つまりラピスラズリか!」
 
と声があがる。ラインまで贅沢な一品なのである。
 

「セシルちゃん吹ける?」
と監督から尋ねられる。
 
「多分吹けると思います(ハッタリ)」
と言うと、セシルはフルートを手に取る。いつも練習で吹いているプラチナフルートとほとんど同じ重さだ。これならいけると思った。
 
フルートを構えて、通称“バッハのメヌエット”を演奏する。
 
ソー・ドレミファ・ソ↓ドッドッ、ラー・ファソラシ・ド↓ドッドッ
 
という曲である。バッハの作品と思われ、BWV Anh. 114 という番号も付いているが、近年の研究により、実はクリスティアン・ペツォールトの作品であることが分かっている。このあたりの事情は通称“ハイドンのセレナーデ”が実はロマン・ホフシュテッターの作品であったことが分かったのと似ている。“ハイドンのセレナーデ”もセシルのレパートリーである。
 
この手の作者が誤解されていたものとしては『アルビノーニのアダージョ』もある。長らく「トマゾ・アルビノーニ作曲/レモ・ジャゾット編曲」と言われていたが、実はアルビノーニのモチーフは使用されておらずレモ・ジャゾット作曲であったことが判明している。
 
他にヴァイオリニストのクライスラーは楽曲に“ハクをつける”ため自作曲を大量に有名作曲家の作品と称して演奏しており「○○作曲クライスラー編」と言われていたものが、実はクライスラーのオリジナルであったことが判明したものも多い。
 

セシルの演奏が終わる。
 
凄い拍手である。
 
セシルはフルートを持つ手をスカートの上に置き、丁寧にお辞儀をした。
 
「安いドラマなら、フルートも安物、演奏は吹き替えなんだろうけど、本物のプラチナ・フルートで、本当に吹ける人が演じるというのは素晴らしい」
 
などと明智役の本騨さんが言っている。
 
「まあアクア君のドラマだから予算が出るんだよ」
と小池プロデューサーが言っていた。
 
 
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【春白】(4)