【春白】(2)

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2020年10月17日の短水路選手権の後、筒石とジャネは半年ほど住んだ火牛ホテルから、津幡町内の2DKのマンションに引っ越したのだが、10月21日、南野里美が部屋までデリバリーしてもらった朝ごはんを食べてから、練習に行こうと部屋を出たら、近くの部屋からジャネが出て来た。
 
「あれ?引っ越したんじゃないの?」
「筒石はね」
「ジャネさんは付いてかなかったの?」
「別に。私は水泳一筋だし」
「へー!」
「取り敢えずパリ(オリンピック2024)が終わるまでは結婚なんて考えられないし」
「そんなに待たせるんだ!?」
 
そんなことを言いながら、2人は一緒にプライベートプールに向かった。
 
むろん筒石と一緒にマンションで暮らしているのはマラであり、マソの方は引き続き火牛ホテルに住み込み、練習漬けの日々を送る予定である!
 
ちなみに筒石が半年間滞在した部屋は臭いが酷くて、部屋のクリーニングが大変だった。筒石がカップ麺やお弁当のからを放置していたせいである。結局カビの生えた壁シートを交換したり、傷んだ床板も交換するなどの結構な“工事”が必要になった。無論こういう費用もムーランから日本代表選手へのサービスなのだが、さすがの若葉がぶつぶつ言っていた。
 

ところで、これまで運転免許を持っていなかったジャネが11月から自動車学校に通い始めた。ジャネは右足の足首から先が無いので、警察に相談したところ、障碍者ではあっても身体能力の高い日本代表選手ということで警察は好意的だった。
 
アクセルやブレーキを左足で操作することで運転できそうであれば、AT車でパーキングブレーキは手で操作するタイプの車という条件付きで免許を発行できると言われた。そういう車はわりと普通にあるので、自動車学校にも照会し、そういう車で全ての教習をしてもらえることになった。クラッチ操作ができないので当然AT限定になる。
 
それで“水泳の練習の気分転換”と称して、比較的空いている日中に毎日3時間くらい教習を受けてくることにしたのである。
 
もっとも実際にこの教習を受けに行くのはマラである!
 
マソはそんな教習に行く時間があったら泳いでいたい人である。
 
そしてマラは元々運転が上手いので、教習はどんどん進んでいた。教官からは「あんた運転してたでしょ?」などと言われたが!
 

自動車学校といえば、バイクの免許の教習を受けといてといわれていた浜梨恵真であるが、10月までの内に教習自体はかなりの所まで進んでいた。11月に入ってから突然忙しくなってしまい、とても自動車学校に行ける状態ではなかったのだが、ずっと行っていないと感覚を忘れるということで、週に1回は行かせてもらえることになっていた。
 
実際恵真も、感覚を思い出すことを主たる目的として教習を受けていた。またこの教習でバイクに乗る時間が、多忙な恵真にとって、良い息抜きになっていた。
 
教習に行く日は17時くらいで仕事を終え、ドライバーさんに自動車学校まで送迎してもらう方式である。あくまで公共交通機関の使用は禁止である。
 

ところでこの§§ミュージック・グループ(♪♪ハウス、§§プロ、また事務取扱になっているマリナ・ケイナなども利用する)の輸送部隊として活動している“§§コールセンター”だが、それはこのような経緯で発足した。
 
2020年春にコロナ感染予防の観点から、コスモス・ケイ・紅川の3人は話し合い、契約しているタレントに、信濃町ガールズの子たちまで含めて、原則として公共交通機関の利用を禁止した。
 
その代わり、運送部隊を編成しようと思ったのだが、簡単には優秀なドライバーは見つからないし、車も調達する必要がある。無線装備なども必要だしというので悩んでいた時、女子寮の子たちのために、五反野駅と女子寮との間を運ぶ仕事を委託しているタクシー会社・GN交通からコスモスに照会があったのである。
 
コスモスは、女子寮の子たちの感染防止のため、このGN交通に、女子寮の子たちを運ぶドライバーを限定し、その運転手さんたちは、他の客は運ばないようにできないか、その分、本来得られるはずの収入は保証するから、という相談をしたのである。
 
その時、向こうの社長さんから、ドライバー限定の件はOKであるとした上でその話を聞いたのであった。
 

GN交通の社長さんの古い友人で、都内でTDタクシーというタクシー会社をしている人がいるが、3月以降、売上が激減しており、このままでは経営が行き詰まると言って悩んでいる。いっそ、そのタクシー会社を丸ごと買い取ってもらえたりしないか?というのである。
 
車両数は50台という中堅の会社(GN交通より大きい)でこれまでの年商は3億円、月あたり2500万円くらいだったのが3月が1000万円、緊急事態宣言が出た4月は500万円という深刻な売上減になっていたらしい。
 
タクシー会社を丸ごと買うと、車に無線設備があるし、本部から各々の車に呼びかけることもできる。これは大きいとケイもコスモスも思った。またドライバーは全員二種免許持ちなので、技術的にも安心感がある。
 
まだ紅川さんが東京に滞在していた時期だったので、紅川さんにそちらの社長と会ってもらった。その結果、§§ホールディングがその会社の全株式を取得して子会社化し、債務も全て精算するという話がまとまったのである。それで社名も“§§ミュージック・コールセンター”と改称した。買収額は借金精算分まで含めて2億円である(経常利益が年間2000万円なので普通に計算すると企業価値は1億円)。
 
社長は経営責任を取って退任する(相談役の肩書きを付ける)ものの、社長の息子さんに§§ミュージック・コールセンター配車部長という名目で残ってもらうことにした。
 

紅川は全運転手さんに感染の有無の検査を受けてもらった上で、ひとりひとりの運転手さんと面談し、下記の誓約をしてくれる人だけ残留してもらい、誓えないあるいは自信が無いという人には充分な退職金を払って辞めてもらうことにした(“鬼の紅川”なので解雇通告は割と得意だし、納得して辞めてもらうのも上手い)。
 
・絶対安全運転。
・交通法規絶対厳守。
・客の秘密は確実に守る。
・毎日検温報告をすること。
・手洗い・うがい励行。
・外飲みしないこと。
・外食もできるだけ避けること。
・風俗などに行かないこと。
・できるだけ人混みを避けること。
・家庭内でも消毒徹底など感染防止に努めること。
 
日用品の買物は会社で代行して、運転手さんが混雑するスーパーなどに行かなくても済むようにする。独身の運転手さんには会社側で食事やお酒の提供をするので外飲み・外食は控えて欲しいとお願いした。また独身男性には希望すればテンガを無償で提供すると言ったのだが、既婚男性!でも希望した人がいたので渡すことにした。また既婚男性でも食事やお酒の提供を希望する人には支給することにした。
 
テンガの件は置いといても、食事のみならずお酒も提供するという話は好評だった。
 
実際には50人の運転手さんの内、5人だけ辞めてもらうことになり、残りの人たちは誓約書を提出して残留した。外飲みに関しては、実は怖い気がしていたと言っていた人たちも結構いた。また“美少女アイドル”アクアちゃんの事務所というので憧れるという人もわりと居た!
 
車両は全て“ハイヤー仕様”に変更した。行灯を取り外し、料金メーターも外した。その上で、前席と後席との間に透明アクリル板を設置した。車は全て明るいライト・イエローの塗装に変更した。
 
タクシー会社買収以前から独自に雇っていたドライバー15人もこの部門に合流させ、コールセンターはドライバー60人の陣容になった(二種免許を持っていない人には指導した上で1年以内の取得を目指す:客から料金を徴収しないので二種免許無しでも従事可能)が、基本的に各々のドライバーの担当タレントを決めて、接触人数が増えないようにする。むろん給料は固定なので、運ぶ量が少なくても手取りは変わらない。
 
こうして5月中旬から§§ミュージック・コールセンターが稼働開始して、研修生たちまで確実に感染リスクの低い交通手段で運んであげられるようになったのであった。
 
この“コールセンター”を使わずにマネージャーや専任の付き人が送迎するのは、アクア、ラピスラズリ、高崎ひろか、品川ありさ、姫路スピカ、白鳥リズム、それに§§ミュージック社長の秋風コスモス、あけぼのテレビ社長の春風アルトの8組である(他にケイも★★情報サービスの佐良しのぶが運ぶ)。
 

ところであけぼのテレビ社長の春風アルトであるが、1年間に及ぶ夫の上島雷太の謹慎と破産の後、2019年度1年は水戸市内の2DKのアパートで上島雷太と一緒に暮らしていたのだが、何と言っても2DKは狭い。生まれたばかりの美音良が泣いたりしていると、上島は作曲作業になかなか集中できないようである。
 
それでせめて3DKに引っ越そうと言って、物件を探していた。そこに唐突にアルトは“あけぼのテレビ”の社長になって欲しいという話が飛び込んで来たのである。おりしもコロナ流行の中、電車通勤はしたくないし、美音良の世話もある。
 
結局通勤は、コスモスが個人的にルーミーを買ってくれて、それをアルトに無償貸与してくれることになった。§§ミュージックで専任のドライバーも付けることにする。しかしそうなると上島雷太が使用しているアクアと2台駐める場所が必要になる。
 
そこで、雨宮が2台駐められる庭のある戸建てを購入し、その家を上島夫妻に貸すという話がまとまったのである。
 
雨宮は千里を呼び出して、一緒に不動産屋さんに行った。
 
「今日にも入居できる物件で、一戸建てで、小型乗用車を2台、庭に駐められる物件無い?私とこの子が住むのよ」
 
不動産屋さんは、雨宮と千里の関係を判断しかねた。
 
つまり母娘なのか、友人あるいはレスビアンの夫婦なのか判断が付かなかったのである(どれも不正解)。
 
「えっと、お嬢さんですか?」
「あら、息子よ。娘に見える?」
「失礼しました。ご子息様でしたか。まあ自由な時代ですし」
などと不動産屋さんは困ったように言っている。
 
「お父さんの車が可愛いアクアのアクアで、私の車がルーミーなのよね」
「えっと、こちらはお母様ではなくお父さまですか?」
「あら?男性に見えない?」
「失礼しました。自由な時代ですし」
 

というジャブの応酬をした上で本題に入る。
 
「それでご予算は?」
「500万円くらいで無い?」
「500万ですか!?」
と不動産屋さんは思わず聞き返した。
 
しかし、担当者は「あ」と声を挙げる。何か思い至ったようである。
 
「不便な所でもいいですか?」
「大歓迎。隠れ家みたいなものだし」
 
それで不動産屋さんは、実際にはふたりは恋人、ひょっとして不倫関係ではと想像した感じもした。しかし、一軒の平屋建ての住宅を紹介してくれた。
 
図面を見ると確かに庭に何とか車が2台駐められそうだ。
 

 
「小さなおうちね」
「1K4Sなんです」
「こんなにたくさん部屋があるのに1K?」
「事実上の3Kです。でも部屋が現在の基準の“居室”の条件を満たしてないんですよ」
「なるほどそういうことか」
 
それで地図なども見た上で不動産屋さんの車で現地に行ってみる。
 

「周りに何も無いわね」
「ここは昭和の頃に開発されたのですが、バス路線も無く、不便なので引越して行く人が多くて、実は東日本大震災で大半の家が崩れてしまいまして」
 
「でもこの家は残ったんだ?」
「そうです。運が良かったのでしょう」
「そういう運のいい家って好きだわあ」
と雨宮先生が言ったが。千里も同意であった。
 
「ひとつには、途中で改築されていまして、改築された部分が地震に強い2×4(ツーバイフォー)だったからかも知れません」
 
「なるほど改築された部分が元からの部分も支えてくれたんだ?元の部分は木造軸組構法?」
 
と雨宮先生が訊く。専門用語がスラリと出たので、不動産屋さんは、この人はできるなと思ったようである。
 
「はい、その通りです」
「戦後、たくさん家を再建しないといけないのに材木が足りなかったから、細い材木で無理矢理造ったお家ね。だいたいローンが終わるまでには崩れるなんて言われた造り」
 
「まあそういう説も聞きますね」
とさすがに業界の人は歯切れが悪い。
 
木造軸組構法というのは戦後まさしく大量の住宅需要をまかなうために生まれた手法で通常“在来工法”と呼ばれる。元々の日本の家の作り方“伝統工法”を簡易化したもので、使用する材木も細いし、その弱さを補うために土台に直付けするし、斜めに渡した木材(筋違い)を使ったりしている。土台に固定された家は地震の揺れがまともに伝わるし、筋違いの木材は家が歪むとすぐ破壊されるので、地震にとても弱い。更に釘を多用するのでそこから腐りやすいし、温度変化による木材の伸縮に耐えられない。
 
これが“伝統工法”なら、土台の上に“置く”だけで固定しないので地震の揺れが家に伝わりにくいし、筋違いの無い柱と梁・貫のフレームは揺れに応じて平行四辺形のように動くだけで壊れたりはしない:柳に枝折れ無しの原理。また釘を使わないので木材が温度や湿度で伸縮しても平気である。土壁も自ら崩れることで揺れのエネルギーを吸収する。(崩れた土壁は再度水で練って塗り直しができる)“伝統工法”は高音多湿かつ地震の多い日本で育てられたきた建築法なのである。
 
一方、戦後間もない頃から昭和40年代頃までの“在来工法”の家は、概して技術の低い大工さんにより造られていることも多い(2×4は工務店の技術の優劣が出にくい)。地震に弱すぎるので現在はこの手法での住宅新築は禁止されており、2×4の手法を取り入れた新しい造り方に移行している。阪神大震災の時も崩れた家の大半が“在来工法”で、2×4の家や、古い“伝統工法”で造られた寺社などの類いは多くが耐え抜いたと言われた。
 

「でもさすがに家がぼろっちいわね。今にも崩れそう」
 
「築60年ですから。長くお住まいになるのでしたら、建て替えなさった方がいいですよ。ヘーベルハウスとかでしたら3〜4ヶ月で建ちますよ」
 
「まあそれはぼちぼち考えるわ。急に必要になってね」
「はい。もし工務店とかのご紹介が必要でしたら、お申し付け下さい」
 
などと言いながら中を見てまわる。
 
「襖の立て付けが悪いのは愛嬌ね」
「家のフレームが曲がっていますので」
 
「じゃこれ買う」
「ありがとうございます」
「200万円だったっけ?」
「520万円ですけど」
「あら。150万円くらいにまからない?」
「無理です」
 
しかしそこから雨宮先生は(店に戻って支店長さんまで引っぱり出して)450万円まで値切ったのである。支店長さんが「値引きのこと、人に言ったりSNSに書いたりしないてでくださいね」と言っていた。
 
でも雨宮先生はその場で450万円キャッシュで払い(実は2000万円の現金を用意していた)、その場で鍵を受け取った。本人確認用に住民票や印鑑証明なども用意していた。
 

それで改めて雨宮先生の“アクアのアクア”で現地まで行く。
 
「千里、今更だけど、この家、怪しい所とか無い?」
「ありましたけど処理しましたから大丈夫です」
「ならいいか。まあヤバかったら、あんたが止めるだろうと思ったし」
「私でできる範囲でしたから」
 
2人は再度家の中に入る。
 
(図面再掲)

 
この家は昭和30年代に流行した“廊下で結んで部屋の独立性を高める”という欧米の住宅思想を取り入れた造りになっている。廊下で区切られた結果、部屋の大半(↑の図で左端の後で増築された部屋以外)が窓に面していないので、現在の規準では居室にはカウントできず、1K4Sという凄い間取りになる。しかし事実上3K2Sである。
 
なお西側(図面では上)のトイレ前の廊下の左右に扉があるのは、元々この家の南側(図面では左)の部屋(実は現在の規準では唯一の居室!)は他人に貸していて、トイレはオーナー一家と共用していたからである。不動産屋さんの話では当時はこの南側の部屋に隣接して小さなキッチンもあったが、その後取り壊したらしい(当時の床のコンクリート床面のみ庭に残存)。
 
雨宮先生と千里は再度家の中を見てまわっていた。
 
「でもこんなに狭い台所はさすがにアルトちゃんが可哀想だわ。千里さぁ、この台所と隣接する納戸、それに居間と思われるこの部屋の間の壁を崩して、ひとつのLDKに変更しない?」
 
「ああ。3つ合わせたらギリギリLDKくらいにはなりそうですね」
(実際10.5畳になった。10畳からLDKを名乗ることができる。)
 
「それと大事なのが防音だと思うのよ。ここは居間だから、残りの2つの内、どちらでもいいから防音工事しようよ」
 
「そうすれば、上島さんがピアノ弾いてても、美音良ちゃんがびっくりして泣いたりしないでしょうね」
と千里。
 
「普通は赤ちゃんが泣いてても作曲に集中できる、とか考えない?」
「普通じゃないので。それにそれは防音じゅなくてむしろ遮音ですよ」
 
「細かいことにツッコんでくるし」
「先生の教育がいいので。先生はどう思ったんです?」
「不覚にもあんたと同じだわ」
 

「じゃそれやっといてくれない?3日以内に」
と雨宮先生は言った。
 
「私がするんですか?」
「業者に頼んでいいわよ」
「費用は?」
「奮発して100万円出すから」
「先生にしては上等ですね」
「上島は3月中に今のアパートを出ないといけないのよ。契約が切れるから」
「まあ何とかさせましょう」
「よろしくね」
 

それでいったん帰ろうとして、雨宮先生のアクアに乗り込もうとした時、千里は言った。
 
「ここ本当に小型乗用車2台駐まります?」
「1台はそこの奥まで入れればいいんじゃない?」
「それ絶対左右どちらかぶつけますよ。ぶつけなくてもドアを開けられなくて降りれられない」
「ハッチバック車なら後のドアから降りられるかもね」
「なかなか大変ですね」
「だったら駐められるように出っ張りを削ってよ」
「分かりました」
「まあ性転換手術よりは簡単でしょ」
「先生も出っ張りを削りますか?」
「それは困る」
 

それで千里は播磨工務店の白組を呼び、台所をLDKに改造するとともに“防音工事”を施してくれと言った。更に庭を少し広げてくれるように言う。
 
白組のリーダー・白田は千里に言った。
 
「こんなボロ家、どう強化したって、エレキギター鳴らしただけで崩れちゃいますよ。いっそ建て直しません?だいたいこの家の部屋に防音加工したらその防音材料の重みにこの家が耐えられません」
 
防音は吸音板のグラスウール(やロックウール)の力も大きいが、重い建材で揺れのエネルギーを吸収する仕組みが基本である。だから軽量鉄骨の家は防音性が悪い。
 
「私も建て替えを勧めたいけど3日じゃ建て直せないし、まあ何とかしてよ。手段は問わないから」
 
それで播磨工務店・白組はこの住宅に地下室を作ってしまい、そこに吸音板を壁・床・天井に貼って、防音演奏室にしてしまったのである。実際それ以外の方法は無かったと思う。工事が完了したのは3月30日の朝であった。
 
↓がその改造後の1階の状態(1K4S→2LDK1S)である。

 
(上島雷太は1978年生男性で本命卦は巽、春風アルトは1986年生女性で本命卦は坎。いづれも東四命なので、吉方位はふたりとも南・南東・東・北である)
 
●改造のポイント
 
・地下室を造り、行き来するためのエレベータを設置した(階段を設置できる場所が“1階”に無かったため)
 
・台所・納戸・居間を合体させてLDKに改造。
 
・脱衣室が無かったのを設置(洗面台付き)。
 
・表側の廊下を撤去して、庭を広げた。結果的に真ん中の部屋はサービスルームから居室に昇格した!
 
平屋建てなので“2階”のことを気にせず、建物を削ったり伸ばしたりすることが簡単にできた。また内装も少し変えている。
 
・真ん中の部屋・左側(南側)の部屋は畳敷きだったのをフローリングにしてクッション・フロアを敷いた。カーペットより掃除しやすい。
 
・風呂の浴槽はタイル貼りで作り付けの狭く深いものでシャワーも無かったのをホーロー製の広く浅めのものに交換。足を伸ばして入浴できるようにし、シャワーも取り付けた。元々石炭!で焚く方式だったが、給湯機方式(灯油)に変更した(浴室内に設置するタイプのガス窯は中毒が怖いので:上島は曲の構想を考えながら入浴していると異常に気付かない可能性がある)指定水量で自動的に停止するシステムを入れている。追い焚きは電気で可能だが、42度以上には浴槽内の水温が上がらないように制御が入る。
 
・トイレはウォシュレット付きの洋式便座に変更した(下水には既につながっていた)。
 
地下室の防音壁は、コンクリート板・ヘーベル・空気層・吸音板で構成し厚さ50cm近くある。壁のみでなく床・天井にも吸音板を貼っている。床には更に厚いカーペットを敷いた。空堀りとの出入りは気密ドアである。換気は換気扇による強制換気である。
 
地下室の空堀りは東側(図下部)の庭の端に開口しており、地面の開口部にはグレーチングを敷いているのでその上に車を駐めることができる(駐める時に音で左右位置が分かりやすい)。このグレーチングは千里が姫路に建てた家などと同様、下からは簡単に開くが、外から内側に侵入するにはワイヤーを切断する必要がある(消防ならできるはず)。
 

これだけの改造を3日でしてしまうのが、さすが播磨工務店の仕事だが、雨宮先生もこの“大改造”には驚いたようであった。雨宮先生は100万と言っていたのに300万も払ってくれた。
 
アパートからの引越は3月31日に雨宮先生が手配した引越業者にやらせた。
 
それで、あけぼのテレビの社長に就任した春風アルトさんは、この水戸の“小さなおうち”から美音良ちゃんをルーミーのチャイルドシートに載せて出勤してくることになったのである(実際には水戸市在住の元タクシー・ドライバーの女性をアルト専任の運転手としてコスモスが雇った)。
 

少し落ち着いたかなと思われた5月の連休明け、ケイと千里、コスモスの3人はこの上島先生の新居にお邪魔した。
 
「汚くて狭い所で済みません」
とアルトさんは恐縮していたが、
 
「いや、駆け出しの頃に戻った気分でまた意欲が湧いてくるよ」
と先生は言っていた。
 
LDKのダイニングテーブルでお茶(八女茶)とかるかん饅頭を頂いてから、そのLDKの隅にある2人乗りの小さなエレベータで2回に分けて地下に降りた。上島先生とケイ、千里とコスモスという順序である。
 
40坪(*1)の土地の地下に敷地面積の3割くらいに相当する約24畳の広い洋室があり、そこに見慣れたヤマハのグランドピアノ S6A が置かれている。
 
(*1) 15半間×10.5半間=157.5半畳=78.75畳=39.375坪/13.6m×9.5m=130m2
(*2) 6.5半間×7.5半間=48.75半畳=24.375畳/5.9m×6.8m=40.3m2
 

「あれ?このピアノは?」
「山折大二郎君が返してくれたんだよ」
「へー」
「僕がというか実際にはモーリーがこの家を買ったと聞いて、だったらピアノを返さなければといって」
 
このピアノは国分寺の上島先生の旧邸に置かれていたものである。ワンティスがデビューした2001年に購入し、ワンティスの多くの曲を生み出した先生の愛用品である。先生が2018年春に破産した時、雨宮先生が管財人さんから買い取り、山折大二郎の家に「置かせて」と言って置いていったものである(つまり所有権は雨宮先生にある)。
 
上島先生はそのピアノでワンティスの『紫陽花の心』を演奏なさった。千里に視線で促されて、ケイが歌唱した(上島先生は、ピアノも上手いし歌も上手いが弾き語りが苦手である!)
 
千里とコスモスが拍手する。
 
「お粗末でした」
「いえ、素敵な演奏でした」
 

ケイはふとある事に思い至り“千里に”尋ねた。
 
「ねぇ、このビアノ、どうやってここに入れたの?」
 
このピアノ(Yamaha S6A) は 154cm×212cm×102cm というサイズである。エレベータは2人しか乗らないサイズの65cm×65cmというサイズである。当然エレベータには入らない。この部屋には階段が無い。空堀りには非常用の階段があるが、幅は1m弱しかない。どうにも入らない気がする。
 
「分解して空堀りから降ろしたんだよ。グランドピアノって分解するとわりと小さくなるから」
と千里は答えた。
 
「ああ。ワンティスのライブでも余興で使用していたピアノを解体してまた組み立てたりしてみせたことあるよ」
と上島先生は言っていた。
 
でも嘘くさい!
 

実際には、播磨工務店のメンツは、この家を隣の空き地に“よけておいて”、一晩で深さ5mの穴を掘り、鉄板を熔接して山留めし地下室のフレームを造ってから、コンクリートや石膏ボード・吸音板などを貼り付けて地下室を造り厚手のカーペットも敷いた。
 
そしてここでピアノを搬入した!!
 
ついでに本棚なとを作り込む部材も搬入している。
 
その上で天井を造り、家を戻した。
 
実はここまで27日の夜、一晩で作業している。
 
夜中に作業しているので「家を持ち上げて隣によけたり」「家をまた置いたり」という作業は誰にも見られていない。万一誰か見てもいつも見ていた家が隣に建っていたら異変に気付かない、
 
28日はヒーターと換気扇で接着剤の臭いを抜く作業をしながら、地下室班は本棚などを組み立て、トイレ・簡易キッチンの作り込みと配管などの作業をし、一方地上班は台所・納戸・居間の間を崩したり、表側の廊下を撤去したりの作業をする。28日夜の間にエレベータの設置、ボイラーの設置などをする。このあたりや電気関係は、ちゃんと日本の法律に基づく資格を取得しているメンバーが指揮して作業している。
 
29日は引き続きヒーターと換気扇で接着剤の臭いを抜く作業をしながら、トイレの便器をウォシュレットに交換したり、キッチンのシンクやお風呂場の浴槽を新しいものに交換して給湯器と繋いだり、また居室の床を畳からフローリングに変更したりといった作業をした。最後に29日夜に庭にアスファルトを敷き、庭灯や周囲の街灯を立て、30日早朝にゴミなどを片付けて、千里に引き渡したのである。
 
彼らがさすがに疲れていた(多分3日間一睡もしてない)ので、ふすま紙を貼り替えたり、照明器具を交換したり、クッションフロアを敷いたり、お風呂場にもバスマットを置いたり、庭に駐車位置の目安となる白線を引いたりする程度の作業は千里が自分の眷属(とうちゃん・げんちゃん・りくちゃん・びゃくちゃん・すーちゃん・てんちゃん)に命じてやらせた。
 
実は空堀りに階段をつけるのを忘れていて!、30日に雨宮先生に言われてから、慌てて30日夜の間に設置した。引越は(2020年)3月31日に行われた。
 

なお、ワンティス時代から愛用していたピアノを上島に返してくれた御礼に春風アルトは山折大二郎に「私のお小遣いから」と言い、少し小型になるが、同じヤマハのGB1K (146cm×151cm×99cm) をプレゼントした。山折は感激して泣いていたらしい。
 
ちなみにアルトさんはこのピアノを99万9800円(税込109万9780円)で購入しているので、このプレゼントには贈与税は掛からない。
 
雨宮先生は
「雷ちゃん、いい弟子を持ったね」
と言っていた。
 
まあ確かに雨宮先生には、ほとんど信者に近いような弟子は存在しない。
 

青葉は(2020年)10月17-18日、東京の辰巳国際水泳場で短水路の日本選手権に出た後、翌週10月24日には、金沢市近郊のL温泉に“幽霊時計”の取材に行っていて、“熊のお化け”および“本物のヒグマ”に遭遇するという事件に遭う。
 
幸いにも“熊のお化け”は青葉により退治され、“本物のヒグマ”は危うく襲われる所だったものの《姫様》の通報で駆け付けてくれた千里姉のお陰で捕獲することができた。
 
青葉はそういったイベント以外では毎日津幡のプライベート・プールで泳いでいたのだが、11月7-8日には、第3日本社会人選手権水泳競技大会が、和歌山市の秋葉山公園県民水泳場で行われるので、これに参加した。
 
津幡グループから参加するのは、高校生の竹下リルを除く4人(青葉・ジャネ・筒石・南野)と、〒〒スイミングクラブ“部長”(本当は社長)の皆山幸花である。
 
またホンダジェットを派遣してもらったので(§§ミュージックとしてはアクアのメインライターである青葉が万が一にもコロナに感染したら困る)、能登空港から関西空港へ運んでもらい(ビジネスジェット専用ターミナル“玉響”(たまゆら)を使用する)、そこからレンタカーのエスティマ・ハイブリッドを幸花が運転して会場に入った。関空から会場までは1時間弱で到着した。
 
「でも玉響(たまゆら)といったら、写真によく写る“あれ”よね?」
「あれは普通に写真に写るものと思っていたから、それ心霊写真ではとか言われて、え〜!?と思いましたよ」
 
などとジャネと青葉が言い合っているのを幸花は聞こえないふりをしていた。確かに青葉と一緒にいると、わりとよく玉響(オーブ)が自分で撮った写真にも写ることがある。それまでは見たこともなかったのに。
 
(筆者も玉響の写っている写真は多数持っていますが、見て気味悪く思う人もあるかも知れないので、ここに掲載するのは控えます。でもあれは決して悪い性質のものではないと思います)
 

今回の大会も前回の短水路日本選手権と同様、青葉は女子800m自由形と、400m IM(個人メドレー)に出場する。
 
スケジュールは短水路日本選手権と同様に、この2つの競技はいづれも1日目に行われる。午前中10:37に400m IM予選、お昼すぎ14:00に 800m(タイム決勝)があって、15:13に 400m IMの決勝がある。
 
全て全力で泳ぐのは無理なので、400m IM予選は、決勝に進出できる程度の少し手抜きの泳ぎをし、800mを泳いだ後は仮眠して400m IM決勝に出た。
 
それにしても800mを泳いだ1時間後に400m IMというのは仮眠はしても体力が回復しておらず、疲労感の残る中での決勝だったが、何とか精神力で泳ぎ切った。
 
結果はどちらも優勝で2つの金メダルをもらった。
 
800mはジャネが僅差の2位である。短水路選手権ではジャネが1位で青葉が僅差の2位だったので、しっかりリベンジした。3位は南野さんである。
 
400m個人メドレーは2位が南野さん、3位は彼女のライバル・ 永井さんであった。短水路日本選手権でメダルに届かなかった彼女が今回は銅メダルを手にしたものの「今回リルちゃん来てないしなあ」とやや不満そうだった。
 

帰りも8日の夕方、関空から能登空港までホンダジェットで送ってもらった。
 
但し、関空から能登空港まで飛んだ後、筒石・ジャネ・南野はそこで降りるが、青葉はそのまま羽田まで運んでもらった。
 
そして11/09-13の5日間は、ラピスラズリ・ケイと一緒に『作曲家アルバム』の作曲家さんの取材をした。
 
これまでの作曲家アルバム(取材日/放送日)↓
1.21/4.05 東堂千一夜
1.22/4.19 東城一星
1.31/5.10 木ノ下大吉
2.02/5.24 東郷誠一
2.08/6.07 山本大左
2.09/6.21 すずくりこ
3.14/7.05 松居夜詩子
6.05/7.19 海野博晃
6.06/8.02 後藤正俊
6.07/8.23 田中晶星
8.01/9.06 山上御倉
8.02/9.20 吉住尚人
8.03/10.04 吉野鉄心
8.04/10.18 関沢鶴人
10.03/11.01 八住純
10.04/11.15 蔵田孝治
 
今回の訪問先は、上島雷太!、雨宮三森!!、そして水上信次、三宅行来、海原重観とワンティスの5人である。いつもは中学生のラピスラズリが動ける週末に取材していたのだが、年末が近づいて来て、ラピスラズリが多忙なので、毎日放課後に各先生を訪問することになった。これで2月7日放送分までを確保できることになる。
 
しかし水上先生と三宅先生はいいとして、他の3人は大変そう!と青葉もケイも思ったのであった。
 

さて、『作曲家アルバム』で上島先生のお宅を訪問するに当たって、実は1月の時点で少し議論があった。
 
「さすがに2DKのアパートは映せないと思うのですが」
「20歳前後の駆け出しの作曲家ならあり得るけどね」
「どこかホテルか何かででもインタビューする?」
「いや、作曲家さんの創作環境を見てもらうのが番組の趣旨だし」
 
などと言っていたのだが、本人が一戸建てに引っ越すことになり、番組制作班は正直、助かった!と思った。
 
3月末に上島雷太の引っ越しの話をコスモスから聞いたケイは、〒〒テレビの制作に協力している◇◇テレビのスタッフと一緒に現地に行き、上島が1年間住んでいたアパートを本当に撮影させてもらう。美音良ちゃんが寝ている傍で、ヘッドホンをつないだポータブルキーボードを弾きながら五線紙に音符を記入していく上島を撮影したりした。更には引越業者さんが2DKの荷物を運び出し、とても小さな“大古住宅”に運び込む所まで撮影させてもらっておいた。
 
そして11月に今回の訪問となったのである。
 

いつもの撮影のように、ケイ・青葉・ラピスラズリの4人、および〒〒テレビのカメラマン・ディレクター(青葉と一緒に能登空港からホンダジェットで飛んできた)と水戸市に向かう。
 
その付近一帯空き地だらけ(というより周囲に全く家が無い)なので、適当に車を駐めて降りる。
 
青葉は明らかに千里姉の手で強い結界が張られているのを感じ取った。
 
しかしラピスラズリの2人は困惑している。とても“大作曲家”の御自宅には見えないのである。通りがかりに見たらきっと廃屋と思うだろう。
 
青葉がピンポンを鳴らすと、春風アルトさんが出てくる。ラピスラズリの2人も、
 
「お早うございます、社長」
と、笑顔で挨拶する。
 
「今日は私は非番だから、ただの主婦で」
などと言って、一行を家の中に案内する。
 
「ここは3DKくらいですか?」
と町田朱美が尋ねた。
 
「2LDKだね。敷地が40坪、建坪は21坪かな。
とケイは答えた。
 
玄関入ってすぐの所のLDKの中を通り抜け、エレベータに行く。
 
「凄い。エレベータがある」
「実はこのボロ家の下に地下30階の大邸宅があるのよ」
「ほんとですか?」
と東雲はるこが驚いたように尋ねる。
 
「まあジョークだけどね」
「本当だったら、秘密基地みたいで面白いですね」
と町田朱美。
 
「中で改造人間造ってたりしてね」
とケイ。
 
「男の娘を女の子に改造してたりして」
「そういう秘密工場を造ろうと言っていた人がいましたけど」
「ああ、だいたい誰かは想像がつく」
 

エレベータは2人しか乗れないので、最初にアルトさんとカメラマンが一緒に下に降りて、その後、ラピスラズリが降りてくる所、ケイと青葉が降りてくる所を、先に地下に行っているカメラマンさんが撮影した(実はその後ディレクターもひとりで降りている)。
 
カメラの画面は地下の20畳のラウンジを映す。
 
「すごーい。広ーい」
と町田朱美。
 
「大きなグランドピアノがある」
と東雲はるこ。
 
その大きなグランドピアノの前に座る上島がラピスラズリの『この胸のときめき』を演奏する。ラピスラズリの2人がその伴奏に唱和する。
 
この曲は12月16日発売予定の曲で、実は2人はまだ練習中であり、音源が確定していない。この番組の放送は12月6日放送の予定で実はフライングになるが、前宣伝になるとしてレコード会社は使用を許可している。
 
(更にこの上島のピアノで2人が歌うバージョンがCDにサービスで収録されることになった)
 

「君たち上手いね」
 
演奏が終わってから上島先生が感心したように言った。
 
「ありがとうございます」
 
青葉たちは、先生が2018年度に沖縄に1年間居た間にしていた泡盛造りのこと、沖縄の音楽などについて、また結婚11年にして初めて生まれた子供である美音良ちゃんのこと、また最近プロデュースすることになったWindFly20や、ついでに面倒を見ているという噂もある ColdGly5 のことなどを中心に尋ねた。
 
(実際は上島が本当にプロデュースしているのは上島の娘2人が参加しているColdFly5のみで、WindFly20を実際にプロデュースしているのはローズクォーツのタカである。上島は名前だけなのだが、このことは非公開である)
 
「だったら、この家は雨宮先生の所有なんですか」
「そうなんだよ。僕の昨年度の収入は400万しか無かったから、とても買えなくて、でも2DKで子供を育てながらの制作活動には限界があったからね。いづれ収入が回復したら雨宮から買い取るつもりだけど」
 
「2DKのアパートでは楽器の音出せませんもんね」
「うん。やはりヘッドホンで聞くのとリアルに音を出すのとでは違うんだよね」
 
「ここなら大丈夫でしょうね」
「元々地下は音が漏れにくいし、防音工事してあるし、更に周囲に家が無いからね」
「素敵な制作環境ですね」
 

インタビューしている間に、青葉は、東雲はるこの様子がおかしいことに気付いた。
 
「はるこちゃん、もしかしてトイレ?」
「すみません!」
「行っておいでよ。それから続きを撮影しよう」
 
「トイレはそこだよ」
と上島さんが指を指すので、はるこはトイレに入った。
 
ところがなかなか出て来ない。
 
町田朱美が
「済みません。様子見てきます」
と言って、トイレの前まて行きドアをノックする。
 
「岬、お腹の調子でも悪い?」
と声を掛ける。
 
ところが返事が無い。
 
すると上島さんが立って来た。
「向こう行っちゃったんじゃないかな?」
「向こう?」
 

「このトイレの向こうにも部屋があるんだよ。両方の部屋から共用するようになっているから」
と言って、上島さんが“トイレのドアを開ける”。
 
ドアはロックされておらず開いた。
 
トイレの中には誰も居ない。上島さんはトイレの中に入り“向こう側のドアを開けた”。
 
町田朱美も上島さんに続いて中に入りトイレを通り抜けて“向こう側の部屋”に行く。
 
ここも今居た部屋と同じくらいの広さがある。向こうと同様にグランドピアノも置かれている。その部屋の中で東雲はるこが心細そうな表情で立っていたのが、こちらを見てホッとした表情をした。
 
「茜!」
と声を挙げる。
 
「こちらは別の部屋だよ」
と上島先生。
 
「そうだったんですか!みんなどこ行っちゃったんだろう?と思った」
と東雲はるこ。
 
そこにディレクターさんが入ってくる。
 
「今のシーン再現ドラマ行こう」
「え〜〜!?」
 

「まあ地下室は50畳くらいの広さがあるけど、広すぎて使いづらいから2つに切ったんだよ。向こうは主として楽器や譜面の置き場として使っている。まあ気分転換に向こうで作曲作業する時もあるけどね」
と元の部屋に戻ってから上島さんは説明した。
 

 
「確かにたくさん楽器や本棚が置いてありましたね。CDもたくさんあったし」
 
「両方の部屋を行き来するのは、もしかして、このトイレ経由ですか?」
 
なおトイレのロックは連動していて、片方のドアでロックすると他方もロックされ、片方で解除すると他方も解除される。千葉の花丘玉依姫神社の社務所のトイレ(社務所内からも外からも使える)などと同じ仕組みである。
 
「外側の廊下(空堀り)を通っても行けるよ」
「直接行き来するドアは無いんですね?」
「この地下室を造った人の遊び心みたいだね」
と上島さんは笑っていた。
 
本当は造り忘れたのでは?と青葉は思った。しかし町田朱美は
 
「本当に秘密基地みたいですね」
と感心したように言っていた。
 

ところで秋風コスモスは、歌手としては、極めて音痴なことで有名!で、彼女の“ライブ”では、ひたすらおしゃべりをして、ごくたまに「疲れたからこのあたりで1曲」などといって息抜きに歌を歌うというパターンが定着している。ファンもコスモスのトークや毎回工夫をこらした手品や豪華ゲストのパフォーマンスなどを目当てにライブ参戦している。
 
(コスモスのライブに登場機会の多いイリュージョニスト“シンデレラ日美子”のパフォーマンスは評価が高い:彼女はコスモスの中学時代の親友だが、現在は結婚していることもあり、コスモスのライブ以外ではあまり見る機会が無い)
 
コスモスのCDはシングルの場合、歌入り2曲と各々のOff Vocal版2曲が入っている。
 
普通の歌手の場合、多くの人がCDをリッピングして自分のパソコン・カーナビ・携帯プレイヤーなどに取り込む場合、歌唱入りのバージョンたけを取り込み、オフボーカル版(インストゥルメンタル版)は取り込まない。
 
ところがコスモスのファンの多くは、歌唱入りのものは“取り込まず”!オフ・ボーカル版だけを取り込んでいる。川崎ゆりこなども、コスモスのCDはそうしていることを知って、コスモスが怒った!などという事件が過去にあったが、コスモスももう慣れてしまい、その程度のことでは怒らなくなっていた。
 
§§ミュージックの歌手は多数いるので、その発売日はできるだけ衝突しないように分散している。特にメインである、アクア・品川ありさ・高崎ひろか・ラピスラズリ・姫路スピカ・白鳥リズムの6組については絶対に同じ日にならないように調整する。
 
ところが2020年11月18日(水)は、たまたま誰もCD発売の予定が無かった。それで川崎ゆりこは、とんでもないアルバムの発売をする企画を立てたのである。たいていのことで動じなくなっていたコスモスもさすがに「え〜〜〜!?」と嫌そうな顔をした。
 

それは『コスモス・オフボーカル・ベスト』というアルバムである。
 
つまりコスモスがこれまでに発表したCDの中で、ファンの間でも評価の高い14曲の“オフボーカル版”を集めたアルバムである。
 
つまりコスモスが歌唱している音源は一切含まれていない!
 
それでも演奏者として“秋風コスモス”とクレジットしていることについて雑誌社から電話で質問を受けた川崎ゆりこはこう答えた。
 
「音源制作の時、コスモスは大抵伴奏のピアノを弾いていますので」
 
コスモスの伴奏音源はその度に適当にミュージシャンを集めて制作している。近年では実はドラムスは桜野レイア、ベースは山下ルンバが弾くのが定着している(ギターは不定)。しかしピアノは、デビュー以来、多くの楽曲でコスモス自身が弾いているのである(米本愛心が弾いたものも多い)。
 
コスモスいわく
「ピアノって、その鍵盤を叩けばちゃんとそのピッチの音が出るから好き」
 
似たようなことを実はローズ+リリーのマリも言っている。マリはデビューの頃から随分歌も進化したが、コスモスの歌は全く進化してない!
 

しかしそういう訳で、今回発売されたアルバムでは全ての曲でコスモスがピアノを弾いていたのである(実はそういう音源を集めた)。
 
だからこれはコスモスのピアノ演奏アルバムである!
 
そしてこのCDがFMで紹介されたりしたこともあり、コスモスのアルバム初ゴールドとなってしまったのであった!
 
(シングルでは、2016年の『メタルシティ/佐久間川の川辺』が、放送局に銃を持った男が乱入してアクアを人質にしようとした時、コスモスが身代わりになってアクアを逃がしたことからコスモスの人気が高まり、その影響でゴールドになったのがある:もっともコスモスは折角話題になった曲だからと言って、桜野みちるにカバーさせたら、そちらがコスモス版の倍売れて、桜野みちるの初プラチナになった。なお『メタルシティ』はコスモスの姉・秋風メロディーの作品、『佐久間川の川辺』は明智ヒバリの作品で2人とも大いに印税で潤った)
 
おかげでコスモスは在来局の音楽番組にまでお呼びがかかったが、コスモスは『餃子と焼売』(海浜ひまわりの作品)で、むろん歌唱はせずにしっかりビアノ演奏をしていた!(ドラムス:桜野レイア、ベース:山下ルンバ、ギター:海浜ひまわり、という豪華な演奏陣であった)
 

(2020年)11月10日は、青葉・ケイ・ラピスラズリは、川崎市内の雨宮三森の自宅を訪問した。
 
ケイも青葉も、10月に訪問した蔵田孝治の時以上に気が重かった!
 
上島雷太が不祥事で影響力を大きくダウンさせた結果、雨宮先生は現在、東郷誠一先生と並ぶ、最も音楽業界に影響力を持つ作曲家である。しかし東郷誠一先生ほど大事にされていない!のはこの先生の性格ゆえである。
 
この日は雨宮先生が暴走しないように、一番弟子で雨宮グループの元締めである新島鈴世さんが来ていて、取材陣一行を玄関で迎えてくれた。
 
「でも広いおうちですね」
と町田朱美が感心したように言った。
 
「まあ色々な女の子を連れ込むのに色々な趣向の部屋を造ったから」
という発言は編集でカットされた!
 

「だけどホント色々な趣向の部屋があるのよ。良かったら映して」
などと言うので、屋敷の中を歩き回る。確かに純和風の部屋から英国貴族風、現代アメリカ風、ロマノフ王朝風?、など様々な部屋があるので、町田朱美が純粋に感心していた。
 
「あら?この部屋は?」
 
それは中央にベッドがあり、上に豪華なシャンデリアが掛かっている。
 
「ここは秘密の手術室よ」
「手術なんですか?」
「怪奇蜘蛛人間を造ったり、怪人イカデビルを造ったり」
「すみません。それ何でしょうか?」
 
さすがに今の中学生に50年前の番組のネタは分からない。
 
「男の娘の改造もやってるわよ」
「それ男の子を男の娘に改造するんですか?それとも男の娘を女の子に改造するんですか?」
 
「朱美ちゃん、女の子に改造してあげようか?***もう要らないでしょ?」
 
と雨宮先生が言う(***の部分は編集でピー音で消された)ので、青葉が
 
「その前に先生を女性に改造しましょう」
と言った。
 
「それは絶対嫌。私は男やめる気はないから」
と先生。
 
「既に男はやめてる気がしますけど」
と新島さん。
 
「先生もそろそろ年貢の納め時だと思いますけどね」
とケイも言っていた。
 

雨宮先生の取材は、大いに脱線しながら(後で編集の時にディレクターを悩ませることになる)、2時間ほど続いた。
 
 
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【春白】(2)