【春銀】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-11-28
聖子(西湖F)はこの日、古典の授業を受けていた。今日は山上憶良(やまのうえのおくら)の和歌を鑑賞する。
「銀(しろがね)も黄金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝、子に如(し)かめやも」
と先生は歌を読んでから解説した。
「この歌は、こういう歌の反歌として書かれている」
「瓜喰めば子ども思ほゆ、栗喰めばましてしぬばゆ。いづくより来りしものぞ。まなかひに、もとな、かかりて、安寝(い)し寝(な)さぬ」
(原文は河出書房新社・日本古典文庫「万葉集」より802-803)
「瓜を食べれば子供のことが思われる。栗を食べるとなおさら思い出させる。子供というものは一体どこから来たものなのだろうか。目の間にいたづらにちらついて、安眠しようとしても眠れない」
「そしてこの歌を受けて、反歌として、銀(しろがね)も黄金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝、子に如かめやも、と来るわけだ」
「この歌を解釈してみろ」
とまで言った時、先生は紀子がよそ見しているのに気付いた。それで指名する。
「立花」
「はい」
と返事をしたものの、紀子は焦っている。
「どこ?」
「ここ」
と隣の子に教えてもらった。
「えっとえっと、白銀(はくぎん)も黄金(おうごん)も玉も、何だというのだ?価値が無い。それより価値の高い宝、子供には、及ぶべくもない」
「うん。ちゃんと解釈できてるな。感心感心」
と先生が褒めたので、紀子はガッツポーズをしている。しかし先生はふと気になった。そして質問するが、先生は10秒後に質問したことを後悔することになる。
「ここで“玉”というのは何のこと?」
「え?金の玉だから睾丸ですか?」
教室内は爆笑になった。
「まあ、男には、金や銀に並んで大事かも知れんな」
と先生も笑いながら言ったが、紀子本人はなんでみんな笑ったのか理解できてない!
聖子は思っていた。
Mちゃん、睾丸をどうするか悩んでるみたいだけど、スパッと取っちゃえばいいのに。そのままにしておけば、声変わり来ちゃうよ。
2020年9月5日(土).
最近、あけぼのテレビでは、土日の夕方は結婚式のライブ中継が行われることも多いのだが、この日は赤口の三隣亡であまり良い日柄でもないことから結婚式は無かった。代わりにこの日、アクア主演の“アニメ付き朗読劇”が放送されることが1ヶ月くらい前から予告されていた。
30分間1話完結の朗読劇(有料放送で定額会員なら試聴可)で、今回取り上げるのは『星の銀貨』(Die Sterntaler)である。原題は stern(ステアン) が星、taler(タラー)は銀貨である。talerは英語のドル dollar の語源になったとも言われる。
今回のアニメのキャラクターデザインは、明智ヒバリ画伯!で、主人公の女の子は、アクアそっくりの可愛い顔で描いてくれた。ナレーション担当は今井葉月である。実は葉月はアフレコなども上手く、朗読がとても上手いので起用している。アクアも朗読が上手いが葉月もそれに負けずに上手い。
ある所に貧乏なお母さん(cv:秋風コスモス)と娘(cv:アクア)がいました。
お母さんが病気になり、娘が看病していたものの、お母さんはどんどん重くなるばかりです。
「私、町に行ってお医者さん呼んで来る」
「お医者さんなんて、お金が無きゃ来てくれないよ」
「後できっと返しますからとお願いしてみる」
それで女の子は家を出ました。
歩いている内にお腹か空いて倒れそうになりました。実は病気のお母さんに栄養を付けてもらおうと、食べ物は全部お母さんにあげていて、娘は自分ではもう3〜4日何も食べていなかったのです。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
と通りがかりの女の人(cv:高崎ひろか)が言いました。
「すみません。しばらく何も食べていなかったものですから」
「だったら、このパンをあげるから食べなさい」
と言って、女の人が娘にパンをくれました。
「ありがとうございます!あなたに神の恩みがありますように」
と言って、娘はパンを受けとりました。
でも娘はもらったパンをちぎって半分だけ食べ、残り半分は明日のために取っておこうと思いました。
少しだけお腹が満ちて元気の出た娘が歩いていると、ふらふらした足取りで歩いて来た男(cv:西宮ネオン)がいました。
「おじさん、どうしたんですか?」
「もう2日も何も食べてなくて死にそうなんだ」
「なんて可哀想に。このパンをあげますから食べてください」
と言って娘は自分が半分取っておいたパンを全部あげてしまいました。
「おお、何て親切な少女なんだ。ありがとう。神の恩みがありますように」
と言って、男はパンをもらい、おいしそうに食べました。
娘が歩いていると、裸でふるえている少年(cv:篠原倉光)がいました。
「君どうしたの?」
「着るものが何も無くて、凍えています」
「なんて可哀想に。私の上着をあげますから着てください」
と言って娘は自分の着ていた上着を脱いで少年にあげてしまいました。
「おお、何て親切なお姉さんなんだろう。ありがとう。神の恩みがありますように」
と言って、少年は娘から上着をもらって着て、ほっとした顔をしていました。
娘が歩いている内に日が落ちてしまいます。町までは3日くらい掛かります。今夜はどこで寝よう?などと娘は考えていました。その時娘は、また裸でふるえている少年(cv:木下宏紀)を見ました。
「君どうしたの?」
「着るものが何も無くて、凍えています」
「なんて可哀想に。私のスカートをあげますから身体に掛けてください」
と言って娘は自分のスカートを脱いで少年にあげてしまいました。
「おお、何て親切なお姉さんなんだろう。ありがとう。神の恩みがありますように」
と言って、少年は娘からスカートをもらってポンチョのように着、ほっとした顔をしました。
娘はキャミソールだけになってしまいました。
彼女が歩いている内に、すっかり暗くなってきます。どこか森の中で木の洞穴でも見つけなきゃと思いながら歩いていますと、またまた裸でふるえている少年(cv:白鳥リズム)を見ました。
「君どうしたの?」
「着るものが何も無くて、凍えています」
娘は考えました。自分が着ているのはもうキャミソールだけです。これをあげてしまうと、自分が裸になってしまいます。でももうすぐ夜になるから、誰にも見られないよね、と考えます。それで娘は言いました。
「なんて可哀想に。私のキャミソールをあげますから身体に掛けてください」
「おお、何て親切なお姉さんなんだろう。ありがとう。神の恩みがありますように」
と言って、少年は娘からキャミソールをもらって着、ほっとした顔をしました。
娘は完全に裸になってしまいました。ちなみに昔はパンティなどというものは誰も穿いていません。娘は森の中で寝られそうな場所を見つけるつもりだったのですが、歩いている内に森を抜けてしまいます。そこには大きな湖がありました。
「そうだ。この湖を突っ切ったら、確か町はすぐそばだ。私どうせ裸になっちゃったし、この湖を泳いで渡ろう」
それで娘はもう暗くなっていたのですが、向こうの方に町の灯りが見えるのを頼りに、湖を泳いで横断し始めました。
最初は町の向こうにある山の形なども見えていたのが、どんどん暗くなり、山などは見えなくなります。でも町の灯りが頼りになり、娘はそちらに向かって頑張って泳ぎました。
そして完全に暗くなり、もう町の灯りさえ、乏しくなってきた頃、娘はやっと向こう岸まで辿り着きました。
「やった!町はもう近くだ。この辺りで少し寝て、明日の朝一番に町のお医者さんの所に行こう」
と娘は思いました。
でも湖に入っていたので娘はずぶ濡れです。
「ちょっと寒いかも」
と娘は思いましたが、ふと空を見あげると、満天の星空です。
「きれーい」
と娘は呟きました。
そしてあまりに美しい星空に見とれていたら、その夜空に輝く星が落ちてきたのです。
「わっ」
と思っている内に落ちてきた星は全部銀貨になって娘の周囲に落ちていました。
「すごーい」
と娘はびっくりして見とれていました。
そしてふと気付くと自分がごく普通の服とスカートを着ていることに気付きます。服の下にはキャミソールも着ているようです。身体も髪も濡れていません。
そこに1頭の鹿(cv:品川ありさ)が出て来て娘に言いました。
「それは、自分も貧乏なのに、人にたくさん親切をした君への神様からの贈り物だよ。全部持って行きなさい」
「そんな。私はこんなにたくさんもらうほどのことはしてません。それに私が銀貨をもらうのなら、最初に私にパンを下さったお姉さんにこそあげるべきだと思います」
「あの女性にも銀貨を10枚あげたよ」
「そうなんですか!」
「君はパンをあげた男、上着をあげた少年、スカートをあげた少年、キャミソールをあげた少年、と4人助けたから、銀貨を40枚取るといい。この布袋をあげるから」
「分かりました。ありがとうございます、鹿さん」
それで娘は鹿からもらった布袋に、銀貨を40枚だけ拾って入れました。
鹿は娘に夜風を避けて眠れる場所を教えてあげたので、娘はそこですやすやと眠りました。
そして娘はその銀貨を持って翌朝、町のお医者さんに行き、銀貨を渡して、母の病気を診て欲しいと言いました。お医者さん(cv:姫路スピカ)は銀貨を10枚だけ取り
「残りは何かの時のためにどこかに隠しておきなさい」
と言いました。更に
「君はお腹を空かせてないかい?」
と言い、パンと暖かいスープをくれました。娘はそれを食べて生き返るような気持ちでした。
そしてお医者さんは、娘を馬車に乗せると、一緒に娘の住む村まで行き、お母さんを診てくれたのです。
お医者さんの処方した薬のおかげでお母さんは随分良くなりました。その後、お母さんは何度もお医者さんに診てもらい、1年ほどの間にすっかり良くなりました。娘はその間の治療代に更に銀貨20枚を払いました。
お医者さんは娘に
「君も少し悪い所がある」
と言い、娘もお医者さんの治療を受けました。娘はその治療代に銀貨10枚払いました。
娘は、自分の治療が終わった所で、お医者さんの口利きで、町の商家で働くようになりました。娘が可愛いし心優しいので、お客さんたちにたくさん愛されます。お給料をもらって娘はたくさんお金を得ることができました。やがて娘は暖簾分けして支店を任せられるようになりました。そして田舎のお母さんも呼び寄せ、幸せに暮らしたそうです。
おしまい。
女性の視聴者からの意見。
「やはり最近は結婚して幸せになりました、じゃないんだね」
「女も自立しなきゃね」
「女の服をもらうのがみんな男の子なのか」
「木下クンがスカートをもらったの意味深だなあ」
「木下クンは絶対スカート似合うよね」
「木下クンの女装見たーい」
一般の視聴者からのツッコミ。
「裸になったアクアにおっぱいがあった件」
「ボクが演じたのは女の子役なので」
とアクアのお答え。
「娘はお医者さんに何を治療してもらったんだ?」
「やはりお股にあった余計なものを取ってもらったのでは?」
「これもやはりアクアが性転換したことを発表するための地ならしかも」
「12月30日に発表して、今年から紅白では紅組から出るという噂もあるな」
「ボク性転換なんかしてませんよー」
「いや、今更そんな嘘を言わなくてもよい」
今回の接続回線数はあけぼのテレビ分だけでも、リアルタイムで250万回線に達し、技術陣をヒヤヒヤさせた(あけぼのテレビの同時接続能力は300万回線)。★★チャンネル、ЮЮネットも入れて、タイムシフトで見た人まで入れると1000万回線を突破している。
今回のアニメ付き朗読劇が好評だったので、この後、高崎ひろか、品川ありさ、ラピスラズリ、白鳥リズム、姫路スピカなどの主演で、またアニメ付き朗読劇が放送されることが予告された。10月までの放送は既に決まっており、次のように発表された。
09.19(土)『注文の多い料理店』(高崎ひろか主演)
10.18(日)『ちびくろサンボ』(品川ありさ主演)
10.24(土)『幸福な王子』(ラピスラズリ主演)
だいたい月2回くらいのペースでの放送になるようである。
このラインナップを見てのネットの意見。
「服を脱いで裸になる話ばかりではないか?」
「きっと川崎ゆりこの趣味だ」
「この後、きっと、裸の王様とか、人魚姫があるのでは?」
「ドラえもんの『なぜか劇がメチャクチャに』だな」
なお『ちびくろサンボ』について、秋風コスモス社長は特にコメントして述べた。
「ちびくろサンボの物語は、元々インドの物語であり、サンボはタミール人の男の子です。タミールは日本ととても文化的に近く、タミール語と日本語はよく似ていると言われますし、タミールでは日本と同じ長粒種のお米が食べられています。タミールではサンボというのは割とポピュラーな男の子の名前です」
「アメリカでこの物語が紹介された時、インドの竹林で虎が出てくる話が、黒人の男の子が森に入っていく話に改変されました。虎の絵が変なのですが、これはアメリカの当時の絵本制作者が虎という動物を見たことがなかったためらしいです。アメリカで出版された絵本ではイラストもステレオタイプ的な黒人の絵が描かれたりしたことから、後に黒人差別ではないかという批判が起き、日本では一時全ての本が絶版になってしまいました。しかし元々の原作はインドの物語であり、黒人差別など全くありえなかったのです。今回は元々の原作をベースに、絵もインド的なもので制作中です」
恵馬は朝起きてからパジャマを脱ぐと、まずじっと自分の下着を見詰めた。そして「このままでいいや」と言って、学生ズボンを手に取ると、そのまま穿いた。そして上半身にブラウスを着るかワイシャツを着るか、物凄く悩んだが、やがてブラウスの方を手に取った。そして少し苦労しながらボタンを填め始めた。
恵馬が1階に降りて行き、食卓に座ると、高3の姉が恵馬の顔をじろじろ見た。
「どうかした?」
「あんた、その顔で学校に行く気?」
「え?何か変?」
「お母ちゃん、ちょっと直してあげてよ」
「うん、そうだね。ちょっと、まーちゃん、そこに座ってて」
「うん」
それで母は自分のバッグから何かスティック状のものを出すと蓋を開けて引き出す。
マスカラ??
母は恵馬の眉毛の所にそれを塗りつけるようにしていた。
「まあこれでいいかな」
「うん、そんなものかな」
「眉を描いたの?」
「これ繊維入りの眉マスカラだから。水で洗ったくらいでは落ちないから」
「落とす時はどうすればいいの?」
「クレンジングで落ちるよ」
「だったらいいか」
それで恵馬はその日学校に出かけたが、友人たちや先生などからは特に何も言われなかった。
なお、恵馬の学校の男子夏服は、ワイシャツにネクタイである。ネクタイはネクタイピンできちんと留めることになっている。すると、ネクタイがボタンの部分を隠してくれるので、右前のボタンか左前のボタンかは、一目見ただけでは分からない。袖の形を見たら実はワイシャツとブラウスの違いは分かる(ワイシャツは袖の角が角張っている。ブラウスは丸く曲線になっている)のだが、先生はそこまで見ないだろうというのに恵馬は賭けた。
ただ女子のクラスメイトにはバレないかな、と少しヒヤヒヤだったのだが、特に何も言われなかった。
恵馬はこの日、トイレはむろん男子トイレを使うのだが、小便器は使わずに個室を利用した。女子用ショーツを着けていても、上から出せば小便器は使えるのだが、立ってすることに抵抗を感じたのであった。
なお今週は体育は無かった。あまりに熱いのでこんな時に体育なんてしたら倒れる人が続出するという職員会の話し合いで、体育の時間は他の授業に振り替えられた。
こういう生活が終業式の行われた7月31日(金)まで5日間続いた。母は毎朝眉毛を描いてくれた。
ブラウス、それにショーツは、少し迷ったが、洗濯機に入れて普通に洗った。洗濯が終わったら、洗濯物を自分で干したが、ブラウスとショーツに関しては、さりげなく2階に持って行って、自分の部屋に干した。夏でもあるので、だいたい朝までには乾いていた。
日本水泳連盟は2020年春以降の大会を延期・中止にしていたのだが、コロナ対策の手法がだいたい確立してきたことから、8月28日の早慶対抗水上競技大会から大会の実施を再開した。ただしこの大会は無観客で行った。
今年のインカレは例年より1ヶ月遅れの10月1-4日にやはり無観客で実施することが8月23日に発表された。青葉が卒業したK大学は昨年シード権を取っているので、出場できる。
青葉は10月17-18日の短水路日本選手権に出場するので、それに向けて日々練習を重ねている。昨年10月の短水路日本選手権以来、1年ぶりの大会になる。
みんな各々の環境で日々練習はしているものの、大会からずっと遠ざかっている。“大会感覚”を取り戻さなきゃね、などと青葉は南野さんともジャネとも話した。
ところで今年1月の卒論の締め切りまでに卒論を提出せず、留年していた南野さんだが、コロナ下で行動が制限されているしということで、ずっと津幡に滞在して練習をする傍ら、書き掛けであった卒論を書き上げて提出。審査にも合格した。
それで結局他の人たちから半年遅れで9月に卒業できることになった。
「良かったね。これでNN社(STスイミングクラブの運営会社)に入社するの?」
と青葉は訊いたが
「いや、その話は完全に消えている」
と彼女は言った。
「だからこのまま〒〒スイミングクラブにお世話になるよ。石崎さんも歓迎するって言ってくれているし」
「それもいいかもね」
「今は練習に便利だから、ずっと火牛ホテルに滞在しているけど、オリンピックが終わったら、津幡か金沢あたりにアパート探すかも」
「結構北陸が気に入った?」
「気に入った。お魚美味しいし」
「お魚は美味しいよねー」
ところで、経堂のアパートが千里たちが浦和に引っ越してから、明日香が4月5日に入居するまで空き家になっていたので、その間、鏡の番人として《げんちゃん》に住んでいてもらったのだが、今度は尾久の筒石のマンションが、筒石たちが東京方面のプールが閉鎖されたのに伴い、練習場所を求めて津幡にやってきて、結果的に彼の尾久のマンションが空き家になってしまった。
そこで千里は《げんちゃん》に、経堂のアパートから尾久のマンションに移動してもらい、4月上旬以降はそちらに住んでもらっている。
「ちなみに女装する?」
「だが断る」
しかし《げんちゃん》が尾久に住んでいると、こちらの鏡を通して出入りする緩菜のお友達たち(北海道のキタキツネの子たちが多い)が、筒石のように様々な用事でこきつかわれたりしないし、油揚げやお稲荷さんも供えてくれるので、好評だった!
「げんちゃんさん、ずっとここに住んでて欲しいなあ」
「筒石がこちらに戻るまでだよ」
「その時は、げんちゃんさんのおうちに鏡を持って行ってくれない?」
「女装してもいいよ。可愛い女の子の服を調達してきてあげるし」
「お化粧も教えてあげるよ」
「だが断る」
「げんちゃんさん、美男子だし。ごつくなったりしないように睾丸抜いてあげようか?」
「だが断る」
(誰もげんちゃんとセックスしてあげると言う子がいない。げんちゃんも、キツネの子供たちにまで欲情したりはしない。でもそれで女の子に興味が無いのかもと思われていることを、げんちゃんは知らない!)
西原はその日、高岡市のカ少し先で仕事をした後、国道415号で、羽咋(はくい)市の自宅に向かっていた。
高岡方面から羽咋に行く場合、国道8号で津幡まで行き、のと里山海道(全線無料)を北上する道と氷見まで能越自動車道(無料区間)または国道160号で北上してから国道415号で山越えする道がある。
その日、西原は国道8号の車の流れが遅かったので415号を通ろうと思い、高岡ICから能越道に乗って北上した。
国道415号は、能越自動車道の氷見−七尾間が開通するまでは、能登半島の富山県側と石川県側を行き来する主要3道(国道160号越え・県道18号荒山峠越え・国道415号熊無峠越え)の中では、もっとも楽に走れる道ではあったが、それでも初心者ドライバーや、田舎道に不慣れなドライバーには、かなりきつい道である。
西原は仕事が終わった後で疲れが溜まっていることもあり、缶コーヒーを飲んだり、クールミントガムを噛んだりして意識を明瞭に保ちつつ、スピードも控えめにして、慎重に運転していた。
熊無峠のドライブインでいったん休憩し、トイレに行ってくる。草餅とコーヒーを買って車に戻る。疲れているなあと思ったので、後部座席に行き30分ほど仮眠した。それですっきりしたので、いったん車外に出て少し体操してから運転席に就いた。
もう日没を過ぎたのでエンジンを掛けたらライトを点けて出発する。石川県側に降りていく。大きなカーブを慎重に曲がり、あくまでスピード控えめに走って行く。しかしその西原の車を、この見通しの利かない道で、強引に追い越して行ったスポーツカーがあった。
乱暴な運転するなぁと思う。西原はあくまで慎重に走って行っていたが、5分と走らない内に、さっきのスポーツカーが道路外に逸脱して中破しているのを見た。
ハザードを点けて停止する。
懐中電灯を持ち、車を降りて近寄る。
「大丈夫ですか?」
男女2人が乗っている。
「大丈夫みたい」
「でも車から出られない」
「ドアが開かなくて」
「窓が開かない?」
「ボタン押すけど、動いてくれない」
「窓割るハンマー持ってるけど、割ってもいい?」
「お願いします」
それで西原は自分の車に戻ると、軍手をはめ、常備している窓割りハンマーを持って来た。
「窓から離れてて」
「はい」
それで西原が思いっきりスポーツカーの助手席の窓を叩くと、窓はあっさり割れた。数回叩いて全部ガラスを割った。
「これでここから出られないかな」
「やってみます」
それでまずは助手席側の女性が脱出。続いて、運転席にいた男性も脱出した。
「JAFを呼びましょう。JAF入ってる?」
「それが入ってなくて」
「その場でも入会できるよ。呼んでもいい?」
「はい」
それで西原は男女に万一のことがあったらいけないから、車から離れるように言い、JAFに電話して連絡した。
「すみません。お手数おかけして」
「いや、お互い様だし。無事で良かったです。怪我してない?」
「ちょっと足が痛いけど、血とかは出てないみたい」
「打ち身かなあ」
西原は“女性”と思っていた側(スカートを穿いている)の声が男声であることに気付いた。男の娘だったのか。でもこんなに可愛かったら、自分でもデートしたくなるかもと思った。
それで3人で少し話していた時のことだった。
車から煙が出てくるのに気付いた。
「危ない。離れよう」
それで急いで3人が車から離れると、そのスポーツカーは大音響を出して爆発炎上したのである。
男女が呆然としている。西原も無言だった。
「車から脱出した後で良かった」
と燃え上がる車を見ながら、女が言った。
「うん。外に出られなかったら、俺たち死んでた」
と男も言った。
「でもどうしたんです?カーブを曲がりきれなかった?」
と西原は彼らの気分を紛らすためにも訊いた。
「それが脇道からいきなり車が飛び出してきたんですよ。ライトも点けてなくて。その車を避けようとして、反対側の道路外に逸脱してしまって」
「脇道?」
「そこの脇道ですよ」
それで西原が懐中電灯を持ったまま、言われた所に行ってみる。暗いのでよくは分からないものの、確かに脇道っぽいものはある。割と急な下り坂になっている。しかし、ほんの10mほどで行き止まりになっているようである。
ここから車が出て来たとすれば、どこかから来た車ではなく、ここで休憩か何かしていたか、あるいは山菜採りでもしていたのだろうか?と西原は疑問を感じた。
そして思った。この子たちが自分を追い越して先に行ってなかったら、自分が事故を起こしていたかも知れない、と。
「純粋坂道というのを結構見つけたんですよ」
と真珠や明恵の後輩、H高校のミステリー・ハンティング同好会の現部長・米山君(米山さん?)は言った。
彼は学校の頭髪規定を守って男子の髪の長さだが、眉毛は細くしているし、今日はスカートを穿いてきている。優しい顔立ちなので、ベリーショート髪の女の子にも見える。今は脱いでいるが、ここに来る時は可愛い麦わら帽子をかぶっていた。
「純粋坂道?」
と神谷内は尋ねた。
「田舎道に結構あるんですよ。田舎道の国道や県道はわりと頻繁に線形改良が行われているんですよね。それで新しいまっすぐな道が通った時、曲がりくねったり、カーブが急すぎたり、或いは細すぎる旧道は、住宅とかのそばを通っている場合はそのまま町道などに格下げして残すんですが、そうでない場合、小さなものは駐車帯やCB (Chain Base:チェーン装着場)などにする場合もありますが、大きなものは危険なんで廃道にして埋めちゃったりするんですよ。そのままにしておいたら崖崩れとかあった時に危険だから」
「なるほど」
「ところがしばしばそういう旧道の先端の10mとか20mくらいだけ残してある場合もよくあるんですよね。それで結果的に、どこにも行けない純粋坂道が生まれるみたいなんです」
「ああ」
「だいたい入口に“この先行き止まり”と書いてあります。知らない人が入りこむと、それも危険だから」
「何故残すんだろうね」
「さあ。取り締まりのパトカーの隠れ場所ですかね?」
それはユニークな意見だが、あながちあり得ないこともない気もした。
「金沢市周辺の田舎道でそれっぽいものを4個見つけましたよ」
と言って、彼(彼女?)は写真を見せてくれた。
「これも純粋階段とか、純粋門とかと一緒に取材していいですね」
と幸花も言った。
「じゃ、皆山(幸花)さん、夏野(沢口明恵)さん、伊勢(真珠)さんの3人で取材プランをまとめてくれない?1ヶ所3分として30分用に10ヶ所くらい取材すれば、まあ番組としてはまとまるかな」
「了解でーす。じゃ明恵・真珠と3人で計画立てますね」
「私完全にスタッフ扱いされてる気が」
と真珠。
「いや、君は間違いなくゲストだから」
と幸花。
「ほんとですか?」
「まあ何も言わなくてもいつもここに来てるしね」
と親友の明恵は指摘する
「ここは青葉が差し入れしてくれるから、いつもおやつがあるしね」
と幸花は言っていた。
恵馬は、結局次の日曜日、先週約束(?)した通り、##駅前までやってきた。今日は母にも「少し遅くなるかも」と言って出て来ている。
“仮名A”さんは先週も乗っていた豪華なフェラーリに乗ってやってきた。
「“仮名E”ちゃん、女の子の格好してくれば良かったのに」
「下着は上下とも女の子のをつけてますけど、スカートは恥ずかしくて」
「女の子はスカート穿くのが普通なんだから、恥ずかしがることないのに」
「一応、先週着せて頂いた服はこちらに持って来ました」
と言って紙袋を見せる。
「ブラウスとかは家に置いたままですが」
「取り敢えず、うちに行こう」
「はい」
それで一緒に“仮名A”さんのおうちに行く。先週はあまりよく分からなかったものの、ここは川崎市北部のようだと思った。新宿からは30分、今日待ち合わせた##駅からも30分で行ける。
おうちの中に入り、美味しいハーブティーを頂いた。
「このハーブティーは女性ホルモンの生産を活性化するのよ」
「卵巣が無いと無理な気がします」
「あんたわりと冷静ね。気に入ったわ」
「そうですか」
「脱いでみて」
と言われるので、上着とズボンを脱ぎ、下着姿になる。
「パンティが盛り上がっている」
「パンティだけでは押さえきれないんですよ。こぼれないようにするのが精一杯で。ガードルつけるときついし」
「盛り上がるようなものを取っちゃう?」
「高校卒業したくらいにまた考えるというのではいけませんか?」
「まあいいわ。足のむだ毛は剃ってるのね」
「昨夜剃りました」
「よしよし」
それで恵馬は「きついかも知れないけど」と言われてガードルを穿いた上で、今日は真っ白い夏っぽいミニドレスを渡された。
「あのぉ、これボトムは?」
「それはワンピースだから、それだけ」
「丈が短くて、パンツ見えそうです−」
「まあそのくらい短いのがミニスカートだからね」
今日もきれいに顔をメイクしてもらった。
顔の産毛を剃られ、化粧水→乳液→ファンデと塗られた後、アイメイク、チーク、そして口紅と入れられる。口紅は今日はリップスティックだけ使用した。
「今日は女の子らしい声を出す練習しようよ」
「それって練習でできるもんなんですか?」
「もちろん。男の声と女の声は、実は喉の使い方が少し違うだけ。男は習慣で太い声を出しているだけなんだよ。だから女の声を出す練習すれば出るようになる」
「へー」
それで恵馬はピアノのある部屋に移動した。凄く立派なグランドピアノだ。
「スタインウェイですか!」
「コンサート会場とかではもっと大きなものを使うけど、狭い個人宅に大きなビアノ置いても仕方ないから。これはパーラーグラウンドA-188だよ」
「お値段は1千万円くらい?」
「ピンボーン。あんたいい勘してるよ」
「そうですか?」
それで恵馬は最初Aさんのビアノに合わせて普通に「アーアーアーアーアー」といった感じで声を出して声域を確認される。そして、普通に出ていた最高音の更に上を裏声で出すように要求された。
「アー。あぁ変な声になっちゃう」
「変じゃないよ。それずっと出していたら、安定してわりといい感じの声になるから」
「へー」
それで恵馬はこの日は裏声でももクロの『境界のペンデュラム』を歌ったのである。
この曲は本来B3-D5の音域があり、実は恵馬は普通にこの音域の声が出る(このくらいの音域はテノール歌手なら充分出る)。しかし仮名Aさんは敢えて、その1オクターブ上で裏声で歌うように要求した。
「あんた上手いじゃん」
「自分でもわりと上手い気がしました」
「あんた歌手デビューする?紹介してあげるけど」
自分が歌手?そんなことができるんだろうか?歌手なんて、夢のまた夢だと思っていた。
しかし恵馬は急に不安になった。
「あのぉ、それ男の歌手ですか?女の歌手ですか?」
「そりゃ女の歌手に決まってる」
「やはり」
しかしこの日は裏声で他にもいくつも、ももクロの歌をわざとオクターブ上で歌うという練習をした。
「あんたこの歌歌える?」
と言われて、仮名Aさんは"Amazing Grace"を歌った。
「オクターブ上でですか?」
「それはさすがに無茶」
それで恵馬は歌える範囲で実声、出ない所は裏声でこの歌を歌った。
「あんた本格的に歌が上手いよ。あんた1年以内に女の子歌手としてデビューさせてあげるから」
あはは。あのぉ、それ冗談だよね?
1時間くらい歌の練習をした後でAさんは言った。
「あんた凄く可愛いから、写真撮ってもいい?」
「うーん。まあいいですよ」
女装写真撮られて、これを流出されたくなかったら言うことを聞けとか言われて売春宿に売られたりして?とか変な想像をして少しドキドキする。
「じゃ、ちょっとお出かけしよう」
「ここで撮るんじゃないんですか?」
「やはり、あんたみたいないい被写体を撮るなら、いい場所で撮らなくちゃね」
それで恵馬は、裾の短いワンピースで、まるで下半身は下着以外何も着てないかのような感覚のままフェラーリに同乗した。助手席に座っていて、足がほとんどまるごと見える。実はパンティ・・・ではなくてガードルも少し見えている。こんな服を着て出歩いていて、猥褻物陳列とかで捕まらないだろうかと不安になる。
1時間ほど走った所で、小高い丘の上に素敵な邸宅があった。
「なんか立派なお屋敷ですね」
「旧吉崎邸だよ。知らない?」
「知りません」
駐車場にハリアーが駐まっていて、そこから25-26歳の双子の姉妹が降りてくる。人に見られるのは恥ずかしい!と恵馬は思ったが、仮名Aさんはお互いを紹介する。
「紹介するね。こちらアナちゃんとオナちゃん、こちらは“仮名E”ちゃん」
「初めまして、仮名(かめい)Eです」
「初めまして、アナです」
「初めまして、オナです」
「お股に穴が空いているからアナ、女だからオナね」
「え〜〜〜!?」
「元はお股に棹(さお)があったからサオ君と、男だったからオト君だったけど、もう全て終わったからアナとオナに改名した」
「全て終わった?」
「性転換手術を受けて棹(さお)の付いた男だったのが、穴の空いた女になったからね。戸籍上の性別も女性に訂正済み」
この人たちが元は男だった?信じられない!と恵馬は思った。
美人だし、おっぱいもある(ように見える)し、声も女の声だし。
「おっぱいもあるんですね」
「もちろん」
「ちんちん、無いんですよね」
「昔は付いてたけど、取っちゃったからね」
「仮名Eちゃんも、ちんちん取っちゃうんでしょ?」
「え?」
ちんちん取っちゃう?ボク、そんなことするのかなあ、と恵馬はドキドキして考えた。
「今日は写真撮影とかやめて、性転換手術を受けに行く?」
性転換手術!?
どうしよう?ボク、女の子になっちゃったら、お母さんに叱られるかなぁ。
と恵馬は悩んでしまったが、“仮名A”さんが
「せっかく今日はここを貸し切ってるから、写真撮影をして、性転換手術はまた今度にしよう」
と言ったので、恵馬は少しホッとした。
「先生、仮名(かめい)Eちゃんって長いです。もう少し短い名前にしましょう」
「じゃ、あんたたちが何か可愛い名前考えてあげて」
「頭文字がEになるように、エルベとかは?」
「エルベ川のエルベ?」
「そうです、そうです」
「東ヨーロッパと西ワーロッパの境界線だな」
「へー」
「世界初の性転換者、リリー・エルベの名前だ(*1)」
「誰です?それ」
(*1)一般に彼女が世界初の性転換者と思われているが、彼女の前に半ば実験台として、性科学研究所で助手をしていたドーラ・リヒター(Dora Richter)が性転換の治療を受けている。リリー・エルベ(Lili Elbe)は1930-1031にかけて、睾丸除去、卵巣移植、陰茎切断、陰嚢除去、子宮移植の手術を受けたが、子宮移植の予後が悪くて1931,9.13に亡くなっている。ドーラ・リヒターは、1922年に睾丸除去、1931年の早い時期に陰茎切断、6月に人工膣の形成の手術を受けている。睾丸除去以降にバストが発達して女性的な体付きになってきていると記録されているので、卵巣移植の手術も受けていたことが想像される。リリー・エルベは卵巣を腹部の筋肉部分に埋め込んでおり、ドーラも同様の移植方法だったかも知れない。
性科学研究所(Institute for Sexual Research)には、ドーラを含めて6人の“女の子になりたい男の子”が助手として勤務しており、実際問題として様々な実験台を務めていたものと思われる。同研究所は1933年にナチスを信奉する青年達により襲撃・破壊されており、その後の、ドーラを含む6人の男の娘たちの消息は不明である。
「エルベも境界線っぽくていいけど、もっと可愛い名前がいい」
と仮名Aさんが言う。
「じゃ、エヴァとか、エミリーとか、エヴリーヌとか」
とアナ・オナが候補をあげる。
「3文字がいいな」
「じゃ、エルザ、エリザ、エリカ、エルダ、エレン、エレナ、エンマ」
エンマという名前にどきっとする。それだとほとんど“エマ”で本名だよぉ。
恵馬は正式な読み方は「けいま」であるものの自分では、自分の名前は“えま”であるという意識がわりと強い。
仮名Aさんは言った。
「じゃセシリアで」
「え〜〜〜!?」
「3文字じゃないじゃないですか」
「頭文字Eじゃないじゃないですか」
とアナさん・オナさんが非難する。
「EからCに進化したのよ」
と仮名Aさんは堂々と言った。
それで恵馬は以降、セシリアと呼ばれることになる。
仮名Aさんは車に積んでいたバッグの中から巨大なカメラを取り出した。こんな凄いカメラを持ってるなんて、ひょっとして写真家さんか何か?などとも思う。アナ・オナのふたりは自分たちが乗って来たハリアーから巨大な銀色の板のようなものを取りだした。
「何ですか?それ」
「レフ板(ばん)を知らない?」
「光を反射して、明るくするためのものだよ」
「へー」
しかしそんなものを使うって、やはりこの人、プロのカメラマンなのかしら。ボク、写真集が出たりして!?どうしよう?女の子の格好で写った写真集とか出たら。変態とか、オカマとか言われたりして?」
急に不安になった恵馬だったが、あれ?と思った。
ボク、小さい頃からオカマって言われてたから、今更かも!
Aさんの手でメイクを直してもらってから、中に入る。口紅はさっきはリップスティックだけだったが、今回はきれいに紅筆で縁取りをしてから塗られた。
貸し切ったという通り、この4人以外には誰も居ない。
こんなお屋敷貸し切るとか、レンタル料金が凄い気がする。でもAさん、お金持ちっぽいから、そのくらいいいのかな?などと思った。
恵馬はお屋敷のあちこちでポーズを取るように言われ、写真を撮られた。アナさん、オナさんがセットするレフ板がちょっとまぶしい。意外に思ったのが、笑顔を要求されないことである。
「記念写真じゃないから、別にスマイルしなくてもいいよ」
と言っていたが、記念写真じゃないなら、何の写真なんだろう?と疑問に思った。やはり写真集作るのかなあ?今着衣だけど、この後ヌードとか要求されたりして?
撮影の途中でトイレに行きたくなった。
「トイレに行ってもいいですか?」
「いいけど、ちゃんと女子トイレに入りなさいよ」
「え〜〜〜?」
「だって、その格好で男子トイレに入ったら不法侵入で逮捕されるわよ」
「そうですか?」
それで恵馬はトイレの場所を教えられてそこに行く。男子トイレと女子トイレが並んでいる。恵馬は結構悩んだ末に、思い切って女子トイレのドアを開けて中に入った。
そこは異世界だった。
見慣れた小便器が全く無い。個室のドアだけが並んでいる。それは初めて見る女子トイレという世界だった。
恵馬はおそるおそる一番手前の個室のドアを開けて中に入った。ここから先は特に難しいことはない。便座除菌クリーナーをトイレットペーパーに噴射し、便座を拭く。
スカートをめくり(実際にはあまりにも短いスカートなので、めくるまでもない気がした)、ガードルを下げ、ショーツを下げて座った。
おしっこは普通に出来る。ただ前に飛び出したりしないように、恵馬はおしっこの出てくる器官を指で下に押し向けた。このやり方って自分はいつ覚えたんだろう?と思ったがよく分からなかった。結構前からしている気がした。恵馬はわりと昔から、小だけの時も時々個室を使っていた。
終わったらトイレットペーパーを少し取って、おしっこの出て来た付近を拭く。男の子みたいに小便器でする場合は、振ってしずくを落としたりするけど、あれって完全にはしずくが取れないよなと思う。男の子もちゃんと拭けばいいのに、などと変なことを考えた。
睾丸を体内に押し込み、ちんちんは後にやってショーツを上げる。お腹に力を入れて睾丸が下に落ちないようにしている間にガードルを引き上げてしっかり押さえる。実はここ1週間ほどの間に少し試行錯誤していて覚えた技である。横になって収納する時ほどうまくは行かないが、取り敢えず間に合わせにはなる。
スカートの乱れを直して、流した上で個室を出た。手を洗って撮影現場に戻った。
これが恵馬の女子トイレ初体験であった。
女子トイレの中にいる間は誰か入ってきて「男が女子トイレにいます!」とか叫んで、警察に通報されないだろうか?などと不安を感じていたので、外に出たらホッとした。
撮影は2時間ほど掛かったが、途中で「お召し替えしよう」と言われて、白い清楚?なミニドレスから、女学生のような、紺のブレザーとタータンチェックのミディスカートに着替えた。先週着せられたのとはまた別の女学生っぽい服である。更にもう一度着替えて、グレイの細ボーダーのふんわりブラウスと最初に穿いたのよりは少し丈の長いミディの紺のフレアースカートを着せられた。
「あまり長時間拘束してもいけないから、今日はこれで終わりにしようか」
「はい」
それでフェラーリで先週と同様、家の近くまで送ってくれることになる。結局最後に撮影に使った、ブラウスとミディフレアの服のままである。
「また来週は別の服を着て、別の場所で写真撮ろうよ。あんた可愛いから、色々な背景で色々な服を着せてみたい」
とAさんは言っていた。
「でも純粋に写真撮るだけなんですね」
「純粋じゃなかったら何なのよ?」
「風俗とかに売り飛ばされたりしないよな?とか思っちゃった」
「何、売り専したいの?したいのなら紹介してもいいけど」
「病気が怖いからいいです」
「まあ高校生は風俗とか売春はやめといた方がいいよ」
「そうですね」
「そうそう。先週はパンティ9枚渡したけど、今日はこの紙袋にキャミソールとブラジャーも5枚ずつ入れといたから。ずっと着けてるといいよ。それなら毎日着ても洗い替えがあるでしょ?あと今着ている服もあげるから」
「ありがとうございます」
それで今日も**駅前で降ろしてもらい、恵馬は紙袋を持って歩いて家まで帰った。先週は誰か知り合いに会ったりしないだろうかとビクビクしていたのだが、今日はわりと余裕があって、恵馬はのんびりと散歩するように歩いて帰宅した。
家は鍵が掛かっているので自分の鍵で開けて中に入る。母が居て
「お帰り、まーちゃん」
と言った。
「ただいま」
と今日は平常心で答えてから、恵馬は2階の自室に行こうとした。
「あ、まーちゃん」
「うん?」
「可愛いよ」
と母は言ってくれた。
「えへへ、ありがとう」
と恵馬は照れ笑いをしてから、上にあがった。
秋風コスモスは悩んでいた。
年末の紅白歌合戦について、ここ数年はアクア・品川ありさ・高崎ひろかの3人が出場するというのが定着していた。しかし今年はラピスラズリの人気が凄まじい。彼女たちを出さない訳にはいかないだろう。
放送局側から先日「そちらの事務所から出場者を3組推薦してください」と言われた。つまり、アクアとラピスラズリを確定として、あと1人、ありさか、ひろかか、どちらを出場させるか、事務所で決めてくれということだろう。
しかし、品川ありさ・高崎ひろかは、CDなどの売上にしても、ファンクラブの会員数にしても、ファンレターの数にしても、ほとんど並んでいる。どちらか1人だけというのは、決めにくい。
コスモスが悩んでいたら、川崎ゆりこが言った。
「ありさ・ひろかをまとめて1組で出しますかね?“ひろかりさ”とか命名して」
「いや、それは彼女たちのプライドが許さない」
とケイ会長は言った。
「私もそう思う」
とコスモスは言う。
「アクア、ありさ、ひろかの3人とも紅白は卒業させて、代わりにラピスラズリ、白鳥リズム、姫路スピカという方法は?」
とゆりこ。
「ありさとひろかをペアにして出すよりはマシな方法だけど、自分たちはお払い箱にされたような気分になると思う」
「だったら、恨みっこ無しで、ファン投票で決めます?§§ミュージック総選挙ですよ」
とゆりこは言った。
「物凄く不本意だけど、それをやるか」
とコスモスは言った。
そこで§§ミュージックは告知したのである。
9月9日に発売する§§ミュージックのコロナ対策支援CD(売上1枚につき300円を医療従事者への支援基金に寄付する)に投票券を封入し、その投票券からネットで投票してもらい、その上位の“数組”に§§ミュージック2020 Award のメダルを授与するというものである。
「紅白に推薦する」と言ってしまうと、まるでこちらが紅白の出場者を決めているかのように思われたらいけないので、極力そういうことを想像させるような表現は避けている。しかしファンの中には結構それを想像した人もあったようである。
この支援CDでは17組のアーティストの歌唱が収録されている。
アクア、品川ありさ、高崎ひろか、西宮ネオン、姫路スピカ、白鳥リズム、花咲ロンド、桜木ワルツ、石川ポルカ、山下ルンバ、桜野レイア、原町カペラ、ラピスラズリ、リセエンヌ・ドオ、大崎志乃舞、今井葉月、川崎ゆりこ。
むろん、これ以外の信濃町ミューズや信濃町ガールズの子に投票してもよい。
投票には投票券のQRコード以外にスマホの電話番号(ショートメールの受信用)も必要であり、これによってひとりで何枚もCDを買って多重投票することはできない仕組みにしている。
いくつか質問があった。
「メダルということなら、金メダル・銀メダル・銅メダルの3枚ですか?」
「そうとは限りません。メダルを何枚設定するかは実は現時点では未決定です」
「金銀銅以外にもメダルが設定される可能性はあるんですか?」
「プラチナ・メダル、パラジウム・メダル、あるいはダイヤモンド・メダル、サファイア・メダルなどが設定されるかも知れません」
「一度投票したんですが、訂正できますか?」
「一度だけに限り変更できます。最初に投票した時と同様にして投票してください。結果は電話番号単位で最終投票先を集計しますが2度以上の修正はできません」
§§ミュージックは同時に、年越しイベントの実施を発表した。
例年は、ローズ+リリーの年越しイベントが行われ、§§ミュージックの多くの歌手(実際問題として紅白に出ない子)がその前座を務めてくれていたのだが、今年はどっちみち大規模イベントができないということもあり、ローズ+リリーは年越しイベントをする予定が無い。
そこで§§ミュージック総出演による無観客・ネット中継方式のライブを実施することにしたのである。これはあけぼのテレビ、★★チャンネル、ЮЮネットの3つのネットを通して中継される。特別視聴料5500円(税込み)を徴収する。
会場は深川アリーナを使用し、例によって、多数のモニターを並べ、また視聴者のところに設置したマイクの音も拾って会場に流す方式である。
深川アリーナには前後ふたつのステージを設営して交互に使用し、反対側のステージで演奏中に今使用したステージの清掃・消毒を行う。清掃・消毒の担当は例によってルンバ隊である。
18組のアーティストをAグループとBグループに分け、Aグループは1時間、Bグループは30分ずつの演奏とする。グループ分けは下記である。
●Aグループ(8組)
アクア、品川ありさ、高崎ひろか、西宮ネオン、姫路スピカ、白鳥リズム、ラピスラズリ、川崎ゆりこ。
●Bグループ(10組)
花咲ロンド、石川ポルカ、原町カペラ、桜木ワルツ、山下ルンバ、桜野レイア、リセエンヌ・ドオ、大崎志乃舞、今井葉月、秋風コスモス。
それで合計13時間要するので、お昼の12時から始めて夜の1時までの13時間の放送とする。トップバッターは花咲ロンドであるが、ラストの2021年1月1日0:00-1:00はもちろんアクアである。そのひとつ前、カウントタウン役には姫路スピカが指名された。これはラピスラズリは中学生、白鳥リズムは高校生で、どちらも深夜には使用できないという背景もあった。ありさ・ひろか・ネオンはその誰をカウントタウン役にしても、他のファンから苦情が来るので、敢えて5番手か6番手くらいの位置づけになるスピカを使うのである。
もしスピカが紅白に出ることになった場合は、川崎ゆりこがカウントタウンを務めることにした。
Aグループの子の数名が紅白にも出ることになるが、そちらの出演時間が決まったところで、それとぶつからないように、演奏時間を調整する予定である。つまり紅白の予定が決まるまで、こちらの演奏順は確定できない。
あけぼのテレビは通常16:00-17:00は放送休止するのだが、この日は特別にぶっ通しの放送になる。
なお、例年カウントダウンイベントをしていたローズ+リリーは1月1日にあけぼのテレビで、同じ深川アリーナを使用してニューイヤーネットライブを行う予定である。
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【春銀】(1)