広告:メイプル戦記 (第2巻) (白泉社文庫)
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■続・トワイライト(6)

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被災地支援活動は4月もどんどん規模が拡大していった。最初の頃はトヨエースとデュトロを1日交代で使っていたのだが、そのうち昼間はデュトロで、夜はトヨエースでと、1日2便の物資配送をしなければ追いつかなくなってしまった。しかしドライバーを引き受けたいというボランティアの申し出もあり、信頼できる人かどうかを吟味した上でお願いして、ドライバーは4月下旬には20人になっていた。その中には石巻と女川で被災して半月ほど避難所暮らししていた人も1人ずつ居た。なお和実は学校が始まってしまったので、遅番の勤務になり平日は東北方面に行くことができなくなった。その代わり土日は連続で淳と一緒にドライバーを務めた。
 
毎日メイド喫茶に寄せられる募金や救援物資、また口座に直接振り込んで来られる金額も、和実はたぶん最初だけけっこうな金額がきても、その内少しずつ減ってくるだろうと思っていたのに、むしろ増加傾向にあった。定額小為替を郵送してくる人もいて、その中には消印が石巻市内のものもあった。和実は胸が熱くなった。支援する地域も最初は石巻や牡鹿半島付近までだったのが悲惨な状況だった南三陸町や気仙沼市まで拡大していた。雰囲気的に当初の予定だった5月10日で終了というわけにはいかない感じになってきた。
 
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配送・会計・全体の管理をやりながらメイド喫茶のチーフとしても活動していた和実もついに限界を感じるようになり、大学の同級生で当初からこの活動に買い出し組として参加していた美優と晴江に会計部分をお願いすることにした。
 
和実、淳、店長、麻衣の4人で話し合った結果、支援活動はとりあえず8月末まで延長することにした。配送用の車が課題であったが店長の従兄のデュトロは若干の借り賃を払って8月まで使えることになった。淳の兄のトヨエースは毎日は勘弁してほしいものの水曜の夜と土日全日は無料で使っていいことになった。そこで5月10日以降は月火木金はデュトロ、水曜はトヨエースを使い、土日は2台配送をすることにした。
 
なおボランティアの期間延長で、和実のアパートを倉庫代わりに使うのも期間延長となった。淳のアパートに和実と胡桃が同居する状態はお互いのプライベート空間の遵守が確立してしまっていたので、もうこのままでもいいかという雰囲気になっていた。2DKの6畳の部屋を淳と和実が使い4畳半の部屋を胡桃が使っていた。ダイニングを共用空間として使い、各々の部屋には無断では入らない暗黙の了解ができていた。ただし和実の衣装ケースの一部は胡桃の部屋に置かれていたので、和実は勝手に入って使っていた。
 
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メイド喫茶は繁盛していた。4月上旬の売上げは、前月比倍になっていた。スタッフの負荷が上がっていたので、メイドさんを6人新たに採用した。経験者3人、新人3人である。その経験者のひとりは盛岡のショコラという和実が高校生時代に勤めていた店で最初の頃、和実を指導していた佐々木悠子さんだった。和実は感激して悠子に抱きついてキスしようとして、コラコラと停められた。
 
悠子は和実が高3の4月に家業の旅館業を手伝うためショコラを辞め、その後和実が悠子に代わり1年間チーフを務めたのだが、実家の旅館が今回の地震で被災して営業不能になり、ショコラも営業できる状況ではなかったので、ショコラの店長から紹介されて、この店エヴォンに入るため東京に出てきたということだった(ショコラの店長とエヴォンの店長は大学の同じゼミの先輩後輩らしい。ふたりの専攻は西洋貴族史!という話だった)。悠子はメイド喫茶の現場には2年ぶりの復帰だった。そもそも彼女はショコラ以前にこの店で働いていたのであったが、5年も前なので、その時の彼女を知っているのは店長だけである。
 
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店長は利益の1割をこの支援活動に寄付してくれた。和実もチーフ手当の分を支援活動に寄付した。また先に設定していた「震災ランチ」が好評だったので、店長は気をよくして夕方のサービスタイムに「震災ディナー」を設定した。今まで提供していた3ランクのディナー(1050円,1575円,2625円)に +250円で、デザートに豆腐プリンを付け、1食ごとに500円を支援活動に寄付するというもの。
 
「店長、これは分かります」と麻衣。
「ん?」「『豆腐食う』で『東北』でしょ?」
「ふふふ。それに250円で『ふっこう』なのだよ、麻衣くん」
「あああ。でもこれディナーの華と光はいいけど、萌は原価割れしません?」
「はははは。早く東北が復興するといいね」
 
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スタッフを6人増員したものの、今までのスタッフで辞める人が2人出たので忙しさは必ずしも改善されなかった。店長は更に募集広告を出した。また、スタッフの急増で固定経費が上がっていることについては和実が心配した。
 
「店長、スタッフ増やしましたが、売り上げがまた元の状態にまで
戻っていっちゃった場合はどうしましょう?」
「その場合は支店を作っちゃうさ」
「それでスタッフ分割ですか!」
「いや違う。ここのスタッフが日替わりで支店の方にいくようにする。すると、本店でも支店でも、全メイドを見ることができる。そうしないとメイド個人のファンに悪いからね」
「ああ、それはいい方法ですね」
 
「支店を作る時は悠子ちゃんに支店長してもらおうかと思っている」
「わあ、支店長兼メイドさんというのもいいですね!」
「いや、使える男のスタッフがいないからさ。この店はなぜか男の子のスタッフが定着しないんだよね。2〜3ヶ月単位で辞めちゃう。以前から支店を作る構想はあったんだけど任せられそうな人がいなかったんだ」
「えっと、私男の子で取りあえず1年続いてますが」
「だから君は女の子だって。面倒だからもう性転換しちゃってよ」
「はーい。そのうち」
 
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和実たちの活動は任意団体なので、認定NPO法人のように、そこへの寄付は税金の控除対象にはならない。そこで認定NPO法人格を持っている団体からうちの団体の名義を貸そうかと接触してくるケースが数件あったが和実は丁重にお断りした。この活動自体で認定NPO法人格を取る手も考えたのではあるが手続きに時間や手間ががかかりすぎること、「寄付金」として認定されない1000円未満の寄付金や匿名寄付金の占める割合が大きく認定NPO法人の資格を取れない可能性があること、そして認定された頃には活動終了していそうであることから、申請はおこなわないことにした。ただボランティア保険などに加入したほうがいいという判断から、その加入資格を得るため、社会福祉協議会への加入を申請することにした。
 
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「私最初はね」と胡桃がある日言った。「ちょっとふたりの監視役をするつもりでいたの。淳さんが和実に悪影響を与えている気がしたら、和実を連れてここを出ようと。でもふたりが凄く仲が良くて、淳さんがとても和実のことを大事にしてくれてること分かったから、もう私ふたりのこと応援しちゃう」
「お姉ちゃん・・・・」
「もしふたりが結婚するなら、例えばこういう手もあるよ。まず和実が性転換して戸籍を女にしちゃう。それで入籍する。そのあとで淳さんが性転換しても戸籍はそのままにしておけば、結婚は維持できる。淳さん実態と戸籍の性が不一致で少し不便かも知れないけど」
「ええ、実は私もその手を考えていました」と淳は言った。
「その場合、私は体を女にしていても男装で今の仕事を続ければいいし」
「でもよかったら、結婚するのは和実の大学卒業後にして頂けます?」
「ええ。私もそのつもりです。今は学業優先です」
こうしてふたりは「恋人」から「婚約者」になった。
 
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ただ、和実が27-28歳くらいまでに性転換手術を受けなかった場合は、ふつうの同性愛カップルのように養子方式での入籍も検討しようという話もした。
 
4月のゴールデンウィーク突入直前、盛岡のショコラが営業再開したという連絡が入った。和実は悠子、エヴォンの店長と一緒に盛岡まで行きお祝いをしてきた。むろん行きがけの駄賃で物資の配送をしたのは言うまでもない。当然帰りは青森での救援物資募集とぶつけている。エヴォンの店長は悠子(ショコラの店長の従妹でもある)をそちらに返さなくていいか?と尋ねたが、岩手や宮城で被災して職を失った子を対象に募集を掛けているから、悠子は東京で5年くらい修行して来いと言った。
 
5月上旬、淳と和実は茨城県内で被災者支援のボランティア活動をしている自主グループから臨時に頼まれて物資を水戸市とひたちなか市に届ける作業をしていた。6号線を走り那珂川を越えた。
 
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「このあたりだったね。和実を拾ったのは」と淳が言った。
「あの時に2ヶ月後の今の状況は想像できなかった」
「私もだよ。でもなぜあの時和実を乗せる気になったのか分からない」
「私もね。淳の前に乗せてくれてた車は日立市まで行く車だったんだけど、さっきの川を渡った所に喫茶店があったでしょう。可愛い!と思って写真撮りたいからここで降ろして下さいと言って降りたのよね。それで写真撮り終えてから、またプレート持って立ってたら、すぐに淳の車が来て停まってくれたの」
「やはり、私達何かに動かされている感じだね」
「かもね」
「和実と会ってなかったら、私は地震のあとそのまま東京に帰って、ボランティアなんてしてなかったろうし」
「私も淳と会えてなかったら、石巻の避難所で一週間くらい暮らしてから男装で盛岡に戻ってしばらく東京に出てきてなかったかな。いやそもそも私、生きてなかったかも知れないんだよね」
 
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「え?」
「あの日仙台に出たのはね、次東京で淳に会った時に仙台のおみやげでも買っといてあげようかな、なんて思ったから。姉ちゃんのアパートに居たらきっと津波にやられてた。それで、これ・・・・今までタイミングを逸して渡しそびれていたのだけど・・・・」
淳は車をいったん道路脇に停めてそれを受け取った。
「くじらのイヤリング?」
「うん。材質もくじらの歯。くじらは仙台じゃなくて鮎川だけどね。
でも加工したのは仙台市内のお店みたい」
「付けてみる」
「あ、けっこう似合う。似合うかどうか自信無かったんだけど」
「鮎川も今回の震災でひどい被害出たしね」
「これ出してなかったのは、タイミングを逸したこともあるけど、これ地震の直前に買ったの。だから、これ売ってくれた人・・」淳が和実の唇に指を当ててそれ以上言わせなかった。
「大丈夫だよ。私達は様々な人達の命の重みを受け止めて、生きて行く。だから私はこのイヤリング大事に使うよ」
「うん」
淳は和実に熱いキスをした。
「さ、出発」
といってエンジンを掛ける。ふたりともシートベルトをする。
 
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「でもやっぱり、私達ってさ、神様に動かされているよね」
と淳は本気で思いながら言った。今までずっと『何か』と言っていたのを初めて『神様』と言ってしまった。
「私達みたいな変なカップルを使ってくださるって、神様も寛容なのね。でもひょっとしたら、ふつうのカップルと違う部分を多くの人達のために奉仕して補いなさい、ということなのかも」
と和実は言った。「補ったら私達に子供ができたりして」「あ、それいい!」
 
「でも早くみんなが元気になれるといいね」
「うん。でも元気になりつつあるよ。それは頻繁に被災地に行って感じてる」
淳は和実のことばに頷き、彼方に淡い光が灯る思いがした。
 
 
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