[*
前頁][0
目次][#
次頁]
ある日、雪子はいつものように体育館でミニバスの練習の準備をしていた。その日は梢恵やクリスもまだ来ていなかったのでひとりで4つのゴール全部を引き出した。そして床掃除でもしてようと思い、モップを持ってフロアを走っていたら同じクラスで雪子をよくいじめている女子、多枝と斗美が来た。
「ふーん。雪子、ミニバスに入ったんだ?」
「うん。入れてもらった」
「でもあんた最近、少し生意気じゃない?」
「そうそう。私たちのお使いとかもしないしさ」
雪子はじっと彼女たちを見ている。
「あたしたちさ、ちょっとボールで遊んでて図書館の窓割っちゃったんだよ。あんた代わりに自分が割りましたって言って叱られてきてくれない?」
雪子は1年生の時は何度か似たようなことをやらされていた。しかし今日の雪子は違った。
「そんなことをするいわれはないです」
とハッキリ拒否した。
「あんたそれでいいと思ってんの?」
と言って多枝が雪子を捕まえようとしたが、雪子はさっと逃げた。
「逃げるか!?」
と言ってふたりは追いかけてくるが、雪子は素早い。この夏休みの後半ずっと毎日走っていたし、新学期になってからも昼休み走ってるので、脚力が大幅に上昇しているのである。
二人が体育館の中を追いかけ雪子が逃げるという構図になるが、どうしてもふたりは追いつけない。しかし二人は左右に別れて両側から雪子を体育館の端の方に追い詰めた。
雪子はチラッと出口が細く開いているのを見た。
そこに斗美が
「手間掛けさせやがって」
と言って雪子に突進してくる。彼女が自分のごくごくそばまで来た時、雪子はひょいとその細い隙間からフロアの外に出た。
ガツン!
と凄い音がした。
細い雪子は楽々通れた隙間を、身体の大きな彼女は通過できなかったのである。
「ちょっと大丈夫?」
と多枝が斗美に声を掛けているが、何とか大丈夫そうなのを見て、扉を手で開けてからこちらにやってくる。斗美も立ち上がり頭を手で押さえながらドアを通ってきた。
「なめた真似しやがって」
と言って雪子に迫るが、そこに立ちはだかる影があった。
「クリスちゃん?」
と雪子が声をあげる。
クリスは笑顔で彼女たちに声を掛けた。
「あんたたちもバスケするの?」
「いや、別に私たちは・・・」
「バスケ、楽しいよ。おいでおいで」
と言ってクリスはふたりを片手ずつで掴んで!引きずるようにして体育館の中に入って行った。多枝と斗美も男子なみの体格と腕力があるクリスにはさすがにかなわない。
雪子もそれに続いた。
クリスはどうもその2人がバスケに興味を持って体育館に来たものと思い込んでいるようである。
「いやだからバスケとかしないってのに」
などと言っているがクリスは
「あ、掃除は終わったのね〜」
などと言いながらモップを片付けるとボールの入っている箱をひとりで抱えて出してくる。重いのに腕力が凄い!雪子も走り寄って途中から手伝った。そしてクリスは
「みんな来るまで輪になってパス練習しようよ」
などと言って、ボールを多枝に投げる。ふたりは顔を見合わせていたもののクリスとはさすがに喧嘩したら分が無いと思ったのだろう。雪子の方にボールを投げてくるので雪子は斗美にパスする。それで結局4人で循環パスが始まってしまった。
やがて梢恵が来たが、いつも雪子をいじめている2人がパス練習などやっているのでびっくりする。
「どうなってんの?」
と声を掛けると、多枝が
「やってられるかよ」
と言ってボールを体育館の隅の方に放り投げる。斗美も
「帰ろう、帰ろう」
と言って練習をやめて体育館から出ようとする。
ところがそこにコーチが入って来た。
「君たちは?」
と尋ねると
クリスが
「入部希望者です」
と答える。
しかし多枝と斗美は
「別にバスケとかする気ないですよ」
などと言っている。
コーチはふたりを見て一瞬考えるようにしたが
「君たちちょっとだけやってみない?」
と言って彼女たちをゴールの近くまで連れて行った。
ふたりをゴールのすぐそばに立たせる。
「君たち2人とも結構腕力ありそうだよね。ここからボールをゴールに入れられる?」
「馬鹿にしてるんですか?この距離からなら入りますよ」
「じゃやってごらん」
と言ってコーチがボールを多枝に渡す。それで多枝が投げるが入らない。
「あれ?」
などと言いながら放り投げるがどうしても入らない。10回シュートして1本も入らなかった。
「君もやってごらん」
と言ってコーチは斗美にボールを渡す。
斗美も10回シュートして1本も入らない。
「森田やってみ」
と言ってコーチが雪子にパスする。
それでゴール真下から雪子がシュートすると10本中7本入った。
「すげー!」
「森田はまだ始めて2ヶ月くらいだよ。君たち腕力ありそうだし、練習すればもっと入るようになると思うぞ」
とコーチは言った。
多枝と斗美は顔を見合わせていたが
「じゃ取り敢えず森田に負けないようになるまではやってみます」
と多枝が答えた。
雪子は自分にとってオアシスとなっていたバスケの時間までこの子たちが来るというのには抵抗があったものの、クリスが
「仲間増えるのいいこと」
と言って笑顔を見せているので、まあ何とかなるかなとも思った。先輩たちのいる所じゃ、この子たちもあまり変なことしないだろうしね。
さて千里は夏休みの間、随分とヴァイオリンを弾いていた。もっともヴァイオリンいうものは結構な音がするので、父が帰宅している時とかは「うるさい」と言われる。それで千里はしばしば外に持ち出して、浜辺などで弾いていた。リサやタマラも興味を持ってかわるがわる弾いたりする。
「でもシサト、ヴィオロンうまいね」
とリサが褒めてくれる。
「シサト、ピヤノは弾かないの?」
「幼稚園の頃、おもちゃのピアノ弾いてたけど、壊れちゃって」
「うちのピヤノドロア(アップライト・ピアノ)でも良かったら弾く?」
「あ、弾きたーい!」
それで千里はリサの家にお邪魔し、彼女の家に置かれているピアノを弾かせてもらった。
「シサト、指はピアノの指になってるね」
とリサのお母さんが言ってくれた。
「小学校の体育館に置いているピアノ時々触ったりしてるからかなあ」
リサのお母さんはフランスに住んでいた頃、ちゃんとピアノを習っていたらしく、千里に指潜り・指換えなどの基本的な技術を教えてくれた。それまで指換えを知らなかった千里は
「すごーい。これ便利!今までこういう時困ってたんです」
と言って感動していた。
ピアノの弾き方については、幼稚園の時に簡単に習っていたものの、当時は楽しくピアノで遊ぼうという感じのお稽古だったので、あまり難しいことは知らなかった。しかしリサのお母さんは千里の演奏を見て
「あんた既にバイエルのレベルは卒業してるね」
と言って、少し難しい教本を渡してくれて、それを見ながら千里は練習をさせてもらった。
この頃はしばしば千里がピアノを弾いて、リサが千里のヴァイオリンを弾いて、あるいはその逆でセッションをしたりもした。タマラやヒメが歌う係だった。千里もリサも「感覚演奏」のようなところがあり即興に強いので、お互いの思いつきで何かの曲を弾き始めても相手はそれにすぐに合わせることができた。歌係のタマラたちが
「Wait, wait, what is this song?」
などと言って焦ったりしていた。
曲は学校の音楽の時間に習っている曲から当時流行っていたブラックビスケット、SPEED、モーニング娘。などの曲、フランス民謡の「月の光に」「王様の行進」、「アヴィニョンの橋の上で」「雨が降るよ羊飼いさん」など、またリサがピアノ教室で習ったという「トルコ行進曲」「バッハのメヌエット」「ハイドンのセレナーデ」「ワルトトイフェルの女学生」などといった曲も演奏していた。
リサと千里はピアノとヴァイオリンを交替で弾いていたのだが、ピアノ譜だけを見ながらヴァイオリンをお互い適当に入れているので「Vous etes assez habile!(あんたたち器用だね)」などととリサのお母さんは言っていた。
「でもシサト、なぜG線だけで弾く?」
「えーっと、他の弦にうつると一瞬音程が分からなくなるもので」
「ああ。それとシサト、左手の使い方が少し変。それ初心者にありがちな間違い」
と言ってリサのお母さんは千里の左手の使い方を少し修正してくれた。最初は凄く違和感があったものの、すぐにその方がうまく弾けることに気づいた。
10月の連休(10.9-11)には、リサのお母さんが、タマラ、千里、ヒメの3人を旭川までパーティーに連れて行ったくれた。旭川周辺のフランス人の集まりがあり、少々ゲストを連れて行ってもよいらしかった。おとなは参加料が要るものの小学生は無料という話だった。
リサのお父さんがルノーのトゥインゴの運転席に座りお母さんが助手席、子供4人が後部座席に乗るのだが、車に乗る前にリサのお母さんが
「あんたたち、ドレス着なさい」
と言って可愛いドレスを4つ渡してくれた。
「タマラは赤が似合いそう。ヒメは青が似合う。シサトは緑かな。私は黄色を着よう」
と言ってリサが割り当てを決めてしまう。
「そういえば、リサはなぜチサトのこと、シサトって言うの?」
とヒメが尋ねる。
「ああ、フランス人はそういう発音になるだけだよ」
と千里が解説(?)すると、ヒメは
「ふーん・・」
と言っていた。
その場で4人とも着替える。
「千里、男の子みたいなパンツ穿いてる」
などとタマラから言われる。
「これ楽だよー」
と千里は言っておいた。
車の中でヒメが言った。
「でもこないだイサオがチサトは男だって言ってたね」
「私、男だけど」
と千里が言うと
「それ冗談きつい」
と千里とは既に5年ほどの付き合いのタマラが言う。
「私シサトと一緒に何度か温泉に行ったけど、千里おちんちん付いてないよ」
「なーんだ。冗談か」
「千里が男の子のわけないよねー」
などとタマラとヒメは言っていたが、千里は内心ちょっと罪悪感を感じていた。
旭川市内のホテルで開かれていたパーティーは、あまり堅苦しくない感じで、食べ物やおやつもたくさんあって、なかなかいい感じだった。子供向けにソフトドリンクもたくさん置いてあるので、そういうのを飲みながら料理や甘い物を食べながら、千里たち「女の子4人」はおしゃべりしながら歩き回っていた。
ゲームコーナーがあり、
「君たちやってみない?」
とスタッフの人に誘われる。
ボウリングのコーナーでは全員3本ともガーターで残念賞の一口チョコをもらった。輪投げのコーナーではタマラは4個とも外れ、ヒメとリサが1個だけ1点の所に入れ、コハルは2点の所に1個入れたが、千里は4個とも一番遠い所にある10点の所に入れて40点満点で賞品のクレヨン12色セットをゲットした。
「千里すごーい」
などと4人から言われる。
「私、幼稚園の頃、輪投げ得意だったんだよねー」
「へー」
「うちの父ちゃんが輪投げを作って私と千里にくれたんだよ。それで練習してたんだけど、千里は上達したけど、私はダメだった」
とタマラが解説した。
「コハルもだいぶやってたよね?」
とタマラはさらに言う。
「うん。私もあまり上達しなかった。千里は輪投げの才能があると思う」
とコハルも言う。
「オリンピックに出られるかな?」
「オリンビックに輪投げあったっけ?」
千里はスタッフの人が賞品の棚から輪投げの賞品のクレヨンを取って渡してくれた時、その隣にあった妙な形をしたものに目を留めた。
「Qu'est-ce que c'est a cote de lui(隣にあるのは何ですか)?」
と係の人に尋ねる。
「フルート・ドゥ・パン(パンフルート)だよ」
「それは何をしたらもらえるんですか?」
「バンドー・フレシェットだよ。これ難しいよ」
「やってみたいです!」
フレシェットというのは英語でいえばダーツである。千里はスタッフの人から説明を受ける。
「ここでバンドー(鉢巻き)で目を隠して見えないようにして、この小さな矢を手で持ち、あの的(まと)に向かって投げる。3本の矢が全部真ん中に当たったら、賞品のフルート・ドゥ・パンがもらえる」
「やります!」
と言って千里は係の人から目隠しをしてもらった。
1つ目の矢を渡される。的の方角だけ教えてもらう。これは教えてもらわないと人のいる方に投げちゃう人がいるからかなと千里は思った。
左手で矢を持ってから気持ちを集中する。すると的が見えるような気がした。その中央に向かって投げる。
「当たり! 君凄いね」
と係の人がいうので当たったようだ。よし、この感覚で投げればいいなと千里は考える。2本目の矢をもらう。さっきと同じ感覚で投げる。
「また当たり!」
そして3本目。
「惜しーい!」
ありゃ〜、外れたか!? と思って目隠しを外すと、矢は中央の円をほんの1cmほど外れてひとつ外側の円の所に当たっていた。
あぁ残念!と思ったのだが係の人が言う。
「君、小学生?」
「小学3年生です」
「小学3年でここまで当てるって凄いよ。おまけして賞品あげるね」
「ありがとうございます!」