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(C)Eriko Kawaguchi 2016-04-29
森田雪子は道北の小さな山村で生まれたが、雪子が小学1年生の時に留萌支庁の小さな漁村に引っ越して来た。お父さんが勤めていた製材所が倒産した後、お父さんは漁船に乗る道を選択したのである。
北海道は広く(面積としては九州より広い)、言葉も地域によってかなりの差異がある。それで雪子は最初の頃この新しい町で使われている言葉がよく分からなかった。そのことから孤立するようになり、中にはあからさまに雪子をいじめる子もいた。それで雪子は小学1年生の頃、随分寂しい、そして辛い学校生活を送っていた。
そしてそれは小学2年生の6月だった。
学校が終わって帰ろうとしていた時、教室で何か話している女子が2人いた。それは梢恵ちゃんとクリスちゃんであった。
クリスちゃんはお父さんが外国人で男の子並みに背が高い黒い肌の女の子である。彼女は日本語もややあやふやで、結果的に他の子との交流があまり無いものの、雪子が教室の中で「孤立」しているとしたら彼女の場合は「孤高」を保っている感じがあった。雪子は自分もあんな風に堂々としていられたらいいのにと彼女に憧れていた。
「ワタシ、セ・タカイカラ、オトコノコ、オモワレテルコトアル」
などと言って自分でそういうのを話のネタにしている。
「クリス、本当はおまえ男だろ?チンコあるんじゃね?」
などと男子がからかうと
「チンチン10本アッタヨ」
などと平気で答える。
「10本もあるのか!?」
「ケースケ、ナンボンアル?」
「俺は1本だ」
「ワタシ10ポンアッタカラ11本キッテ、オンナノコニナッタヨ」
「なんで10本しか無いのに11本切れるんだよ?」
「アト1ポン、ケースケのチンチン、イマカラキッテアゲル」
などと言って、からかった男の子のちんちんをつかんじゃう!
「やめろ!チンコ切られたくない!」
と言って男の子が慌てて逃げて行く。
クリスちゃんはまだ2年生なのに、本来は4年生以上らしいミニバスのサークルに入っている。梢恵ちゃんもそのミニバスに入っていて、同じサークルなのでクリスちゃんは梢恵ちゃんとだけは結構よく話している感じだった。梢恵ちゃんは幼稚園の頃から英語を習っていたということで、どうもふたりは日本語と英語を交ぜて会話している雰囲気だった。
その日、ふたりが何か話しているのを何気なく見ていたら、やがて梢恵ちゃんがこちらに来て雪子に言った。
「雪ちゃん、あんた、この後何か用事ある?」
「ううん。何も無いけど」
「じゃさ、ちょっとミニバスの手伝いしてくれない?」
「手伝い?」
「今日参加人数が少なくてさ、球拾いが居ないのよ。それでシュート練習とかで外れたボールが転がっていったのを取って来るのを手伝ってもらえないかと思って」
雪子はこの学校に来てから、何かに誘われたことが1度も無かったので驚いたが、また嬉しかった。それで
「いいよ」
と笑顔で答えた。
それで3人で体育館の方に行く。クリスちゃんが何か英語で言ったのに対して梢恵ちゃんも何か英語で返事していた。するとそれを受けてか梢恵ちゃんが雪子に訊く。
「雪ちゃん、バスケットしたことある?」
「ううん。何かボールを輪っかの付いた網に放り込むんだよね」
「そうそう。基本的にはそれが分かっていればいい」
「あのボールを撞きながら走るのが格好いいなあと思ってた」
「ドリブルと言うんだよ」
「へー」
3人が体育館に行った時、まだ誰も来ていなかった。
「ゴール引き出すよ〜」
と言って梢恵ちゃんが言うので一緒に用具室に入る。長い鉄の棒が4本あるので3人で1本ずつ取る。
「こういう感じでやるんだよ」
と言って手近なゴールで梢恵ちゃんが手本を見せてくれる。
梢恵ちゃんは棒の先の?みたいな形をしているフックを器具の中央の丸い穴に差し込むと下の方のコの字の形になっている所を持ってぐるぐると回す。するとそれに合わせて壁にピタリと付いていたゴールが少しずつ引き出されていく。
「へー。そうやって動かすんだ?」
「お金持ちの学校だとボタンを押せばいい所もあるみたい」
「なるほどー」
それで3人で残りの3箇所に散り、全部のゴールを引き出した。雪子はあまり腕力が無いので少し時間が掛かっている。自分の分を終えた梢恵が見に来てくれた。
「こんなんでいいかな?」
「あ、少しボードが斜めになってるね」
と言って梢恵はフックをゴールを支えている腕の一部に引っかけると横に引っ張って、ゴールのバックボードがコートに対してまっすぐになるように調整した。
「まっすぐにはなったけど、中心線からずれてる気がする」
「まあそれは愛嬌で」
棒を用具室に片付けたあと、モップを持ってフロアの掃除をした。モップを持ったまま走るのだが、まだ身体の小さな小学2年生にはなかなか大変である。
「これきつーい」
「まあこれも練習の一部」
掃除が終わった後は3人で軽くアキレス腱を伸ばしたり手を振ったりする運動をした。
「上級生が来るまでもう少し時間があるかな」
と言った梢恵ちゃんは、雪子にバスケットの基本的なルールを教えてくれた。
「基本的にはボールを運んでいって、ゴールに放り込めばいい。そしたら2点入る」
「1点じゃなくて2点なんだ?」
「うん。他にフリースローというのがあって、これは1点」
「へー」
「細かいルールは色々あるけど、ボールを持ったまま3歩以上歩いたらトラベリングと言って反則。だからドリブルしながら走る」
「なるほどー!」
「ドリブルをやめた後、再度ドリブルしてはいけない。ダブルドリブル」
「じゃ、ずっと続けてないといけないんだ?」
「そうそう」
「何か面白そう」
「ドリブル、ちょっと練習してみない?」
と言うので、雪子はまずはボールを撞いてみる。最初、ボールが自分が思った以上に高く跳ね返ってくるのでびっくりする。
「これ、凄く高く跳ね上がる」
「ああ。鞠撞きの鞠とかよりは随分よく弾むよ」
「へー」
それで何とか安定して撞けているので、そのまま少し歩いてみる。
「あ、うまい、うまい。そのまま走ってみよう」
走ってみるとボールが向こうに行きすぎたり、逆に思ったほど進まなくて走る速度を落としたりしなければならなかったりするものの、雪子は何とかコートの端から端までドリブルで走ることができた。
「うまいよ、雪ちゃん。才能あるかも」
と梢恵に言われて、雪子はちょっと嬉しくなった。
やがて上級生も来て、コーチの先生も来て練習が始まった。最初に体育館の中を5周走るのは雪子も一緒にやらされる。その後ラジオ体操、柔軟体操、ストレッチなどもする。
それからドリブルしながらコートを10往復などとやっていたが、梢恵は半分の5往復にしてもらっていた。雪子は初めてだからということで3往復で勘弁してもらったが、3往復もするだけでも、かなり辛い。しかしそれだけドリブルしながら走っている内にドリブルの要領がかなり分かってきた。
上級生が7−8往復した頃、雪子はやっと3往復してゴール下まで戻って来た。
「雪ちゃん、この3往復する間に随分ドリブルが上手くなった」
と梢恵から言われた。
やがてシュート練習が始まる。Bコートの2つのゴールを使い、上級生がどんどんシュートするのの、外れて飛んで行ったボールを拾ってくる。雪子と梢恵が各ゴールの球拾い係になった。クリスは3〜4年生たちと一緒にシュート練習に参加する。背が高いので彼女は別格なのだろう。梢恵が3〜4年生のゴールに付き、雪子が5〜6年生のゴールに付いた。5〜6年生は上手い子が多いから取ってくる回数も少ないだろうからと梢恵に言われた。
5〜6年生の所に付いているとみんな体格のいい子ばかりである。男子にはもう見上げるほどの高さの子もいる。こちらにはコーチさんが付いて、色々指示を出していた。
雪子がこぼれ玉の方に歩いて行ってボールを掴み返したら、コーチから注意された。
「こらボール拾い、ちゃんと走ってボール取って来い」
「はい、済みません!」
「それからボール投げるのは片手投げじゃなくて両手でパスの要領で」
と言われるが分からない。
すると近くに居た河合というネームの付いたユニフォームを着ていた男の子がお手本を見せて教えてくれた。
「なるほど!そうやって投げるんですね?」
「君、バスケ初めて?君は腕が細いから片手投げじゃあまり届かないよ。こうやって両手で押し出すようにして投げた方が届くし、方向も狂わないと思う」
「ありがとうございます!」
それで次からは走ってボールを取りに行き、走って戻ってチェストパスの要領でボールを返したら、またコーチに注意される。
「こらぁ、ボール拾い、ラグビーじゃないんだぞ。ボールを持って走ったらトラベリング! ドリブルして戻って来い」
「すい、済みません!」
それで雪子は走ってボールを取って来て、ドリブルで戻って来てからボールを返す。するとこれがかなりの運動量である。5〜6年生は8人居て、左右に別れて4人サイクルでシュートを撃っている。見ているとかなりの確率で入るし、外れてもゴール近くで掴めることが多いので結果的には10回に1回程度ボールを拾いに走って行くことになった。帰りはドリブルして帰ってきてパスするがこれが結構息が上がる。30分ほどのシュート練習で、雪子はもう足がガクガクになる感じだった。
シュート練習の後は2チームに分かれて紅白戦をした。雪子は梢恵と2人でスコア係をしたが、梢恵が細かいルールを都度教えてくれるので、雪子はこの日の試合見学だけで、かなりルールを覚えた。
「片足を動かさなければもう片足はいくら動かしてもいいのね?」
「おもしろいでしょ。誰かが屁理屈言ったのが、正式ルールに採用されちゃったんだろうね。軸足のことピボットとも言うんだよ」
「あ、バスケットって15点取ったら勝ちとかじゃなくて時間いっぱいするのね?」
「そうだね。バレーとか卓球とかは何点取ったら勝ちだけど、バスケットは上限が無いから、どうかすると24分の間に100点とか点数入っちゃうこともあるよ」
「ひゃー」
「S小とか強いよ。S小が春にH小とやった試合が108対0だったんだよ」
「それって途中で打ち切ったりしないの?」
「最後までやるのがルール、最後まで手を緩めないのがマナー」
「そういうものなのかあ」
「春の大会ではうちはS小とは当たらなかったけど、そこそこ強いM小に50対20で負けた」
「大差だね〜」
紅白戦が終わった後は、また長い棒を出してきてゴールをたたみ、そのあと、またモップを持ってコートを走って掃除する。今日最初にやった時はモップを持ったまま走れず歩くようにして掃除していたのだが、今度は何とか少し走れた。
「これきついけど、何だか面白い」
「でしょ? 中高生の大会とかだと、掃除係の子が横一列に並んで同じ速度で走って掃除するんだよ。すごくきれいだよ」
「へー。掃除も大事なんだね」
「うん。だってちゃんと掃除してないとコートの状態が悪くなるしね」
「確かにね」
そんな話をしながらモップを用具室に戻そうとしていたら、シュート練習の時に雪子にパスの仕方を教えてくれた河合君が雪子に声を掛けてくれた。
「君、今日1日で凄く上達したね。才能あるよ。また来週も頑張ろうね」
「はい、ありがとうございます」
と雪子は笑顔で返事したが、梢恵から言われる。
「雪ちゃん、来週も参加する?」
「あ、参加していいかなあ」
「うん、歓迎歓迎。2年生は今私とクリスに2組のリル子の3人だけだからさ」
と梢恵が笑顔で言った。
そのリル子ちゃんが今日は休みだったので代わりに雪子が誘われたようである。しかし雪子はこの後ずっとミニバスの練習に参加するようになり、この日を境に孤独で辛い学校生活から抜け出したのである。