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■少女たちの国際交流(2)

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「あんた算数と音楽がダメね」
と小学3年生の千里は1学期の通知簿を見た母から言われた。
 
「うーん。割り算がよく分からない」
と千里は答える。
 
「あんた九九(くく)は全部言える?」
「言えると思うけど」
「じゃ7の段を言ってみて」
「しちいちがしち、しちにじゅうに、しちさんにじゅう、しちしにじゅうろく、・・・」
 
「ちょっと待て。『しちにじゅうし』でしょ?『しちさんにじゅういち』、そして『しちしにじゅうはち』」
 
「あれ〜〜?」
 
「あんた夏休みの間に九九を全部覚え直そう。九九が分からなきゃ割り算ができるわけない」
「そういうものなの?」
「当然」
 

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「音楽はなんでダメなんだっけ?」
「ハーモニカが全然吹けない」
「ハーモニカは私も苦手だなあ」
「なんか吸ったり吐いたりというのがどうにも覚えきれなくて」
「ああ、それで分からなくなるよね」
 
と母も言っている。どうも母もハーモニカはそのあたりで挫折しているようだ。
 
「何か楽器をひとつでもできるようになれば、自信持てるから、自信持てると他の楽器にも挑戦できるようになるんだよねー」
 
「ふーん」
「あんた、幼稚園の頃はおもちゃのピアノよく弾いてたね」
「うん。あれ凄く好きだったけど、お父ちゃんが踏んで割っちゃったし」
「まあ人が通るような所に置いておくからだけどね」
「お父ちゃんからもそう言われた。あれ壊れたの凄く悲しかった」
 
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「新しいの買ってあげようかとも思ったけど、あれはあくまで幼児用だったからなあ。そうだ。あんたヴァイオリンとか弾いてみない?」
 
「バイオリン?」
「私が昔買ったのがあるのよ」
と言って母は押し入れの中を探し始めた。それは10分ほどで見つかった。
 
「あったあった」
と言ってヴァイオリンのケースを出してくる。
「これ昔通販で買ったのよ。3万円もしたんだよ」
「すごーい!」
 
3万円のヴァイオリンというのがあり得ないほどの安物だというのは当時の千里には分かっていない。
 
母はケースからヴァイオリンを取り出すと、調子笛を吹きながら調弦する。
 
「その笛の音と同じ高さにするの?」
「うん」
「ちょっと音が違うよ」
「あれ?そうだっけ」
「どの音に合わせるの?」
「太い弦から順にソレラミ。その笛に書いてある記号ならGDAE。音階で5つ行った所なんだよ。ソラシドレ、レミファソラ、ラシドレミ」
「へー」
 
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それで千里は調子笛を吹いては、ヴァイオリンの糸巻きを調整して指で弦をはじいてみて、同じ高さの音が出るようにした。
 
「これで合ったと思う」
 
「じゃね、これをこう構えて」
と言って母はヴァイオリンの持ち方を教えてくれる。
 
「それで弓を弦に直角に当てて。そうそう。それで引いてごらん」
 
千里が弓を動かすと、きれいな音が出る。
 
「おお、すごい。最初からそんなにきれいな音が出るって千里、あんた天才かもよ」
「そうかな?」
 
母に褒められたので気を良くした千里は左手の押さえる場所を移動しながら「咲いた咲いたチューリップの花が」と演奏してみた。
 
「うまーい」
と母は褒めてくれた。
 
「でもその音が出る場所がすぐには分からない。ちょっと探すような感じになる」
「最初から分かる人は居ないよ。たくさん弾いている内にどのあたりを押さえればいいか分かるようになるんだよ」
 
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「これ、どこを押さえたらどの音が出るって印とか付けちゃダメなの?」
「ヴァイオリンの音の高さはその日の温度とかでも変わるから」
「へー」
 
「それにヴァイオリンの弦って演奏している内にどうしても弛んでくるんだよ」
「なるほどー」
 
「だから印を付けて覚えた人は、温度とかが変わった時に対処できないし、長い曲を演奏していると、少しずつ音程がくるってくる」
 
「じゃ、ちゃんと感覚で覚えないといけないんだ?」
「そうそう。それで頑張ってごらん」
「うん!」
 
その夏、ヴァイオリンは千里にとって、楽しいオモチャになった。
 

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留萌はニシンで栄えた町である。明治中期頃からニシンの漁獲量が増え、町は大いに潤って「ニシン御殿」が多数建つことになる。この頃のニシン漁のことを歌ったのが、あまりにも有名な『ソーラン節』である。ただしこの歌が生まれたのは留萌より南西の積丹半島付近とされる。
 
しかしニシンは大正期頃から漁獲高が減り始め、戦後間もない頃になると全く穫れなくなってしまった。代わって注目されたのがスケトウダラであるが、これも次第に漁場が北に移動していき北海道沖では穫れなくなってしまう(*1)。
 

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(*1)史実ではこのスケトウダラが穫れなくなっていった時期はだいたい1980年代後半なのですが、この物語ではスケトウダラ船団の廃船を2005年頃としています。史実としても2000年6月に留萌の底引き網漁船が全て廃船になっており、物語の中で2006年春に千里の父が乗っていた船が廃船になる展開にしているのはこの事件を少し年代をずらして物語に組み込んだものです。
 
武矢は1977年春に中学を卒業してスケトウダラの船に乗った設定です。
 

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それで留萌近辺の2010年代の漁業はエビ・タコ・ホタテなどが中心になっており、特にホタテの稚貝の養殖はここが北海道の中心地になっている。ここで育った稚貝が各地に運ばれて、北海道のホタテ養殖が成り立っているのである。
 
しかし千里が小さい頃、まだ沖合の漁船が盛んに活動していた頃は、多くの男衆たちが北海道西岸に集まり、またたくさん人が集まってきているのを目当てに商売などする人たちも集まってきて、留萌界隈は夕張などの炭鉱の町同様に活気あふれる町であった。その集まってきた人たちの中には本州や九州などから、はるばる来た人たちもあったし、外国出身の人も混じっていた。
 
誰に対しても優しい性格である千里は幼い頃、近所に住む外国出身の子供たちに何だか頼りにされてしまうことも多かった。彼らとの会話は様々な言語をミックスした会話になりがちだった。
 
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「Go to seashore and play?」
「Oui oui allons」
「pangingisda?」
「Que bom」
「じゃ釣り竿持ってくるよ」
 
実際問題として子供たちはお互いが言っていることを半分も理解していなかったので、ひとりだけ釣り竿ではなくバドミントンのラケットを持ってくるなど、トンチンカンなことが起きてしまう場合も時々あったが、身振り手振りなども加えてお互いの意志を伝え合っていた。
 
どうにもならない時には英語・フランス語までは分かる年上のコハルが教えてあげることもあった。
 

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この時期に千里によく馴染んでいたのは、アメリカ人(でも国籍は日本)のタマラ(珠良)、スーダン系フランス人(でも国籍はやはり日本)のリサ(梨紗)、純粋な?フィリピン人だけど両親はもう10年も日本で暮らしているという勲男、日系ブラジル人(日本とブラジルの二重国籍)のヒメ(姫)といったあたりであった。特にタマラとは幼稚園の時からの同級で千里といちばん仲が良かった。
 
他にリサも小学1年生の時から一緒だったので、千里はタマラやリサと会話する内に、けっこう英語やフランス語を覚えていった。ヒメと勲男は3年生の春に転校してきた子である。それまでヒメは留萌郡の別の町、勲男は旭川に居たらしい。
 
このグループはよく一緒に鬼ごっこなどをしたり、リサちゃんのお母さんなどに付き添ってもらって釣りに行ったり、あるいは冬の間は室内で本を読んだり歌を歌ったりしていた。勲男君が多少乱暴な所があり、しばしばヒメちゃんが泣かされるのを体格の良いリサちゃんがかばってあげるなどという構図ができていた。千里はだいたい傍観者だったが、タマラは勘が悪く、そもそもいじめに気づいていないことも多かった。
 
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「でもこの5人、たぶん男の子2人と女の子3人だと思うんだけど、ちょっと見ると男の子1人と女の子4人に見えるね」
 
などと学校の先生などは笑って言っていた。
 
「Well, who are boys?」
「Isao et ....」
「Hime?」
「Eu sou uma menina!」
 
といった感じで、みんな首を傾げていた。千里は内心冷や汗を掻いていた。コハルがおかしそうな顔をしている他はみんな分かっていないようだ。
 
なお、この時期の千里の格好は中性的な服装のことが多く、まだ堂々とスカートを穿いて出歩いたりまではしていなかった。でもトイレの場所を尋ねると間違い無く女子トイレを案内されていたし、タマラたちと遊んでいる時も、ちゃっかり女子トイレを使っていた。
 
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この集まりには各々の同郷の子(多くは外国籍)が参加することもあったし、ヒメの妹・オトメや千里の妹・玲羅などが顔を出すこともあった。しかし玲羅はこのグループで交わされている会話がさっぱり分からない。
 
「今、リサちゃん何て言ったの?」
「玲羅の絵がアドラーブルだって」
と千里は答える。
 
「アドラーブルってどういう意味?」
「どういう意味って、アドレしたいくらい良いってこと」
「アドレって?」
「うーん。日本語では何て言うかなあ」
「要するにお兄ちゃんも意味分からないの?」
「意味は解るけど、いちいち日本語に直して考えないし、日本語では何て言うんだっけ?」
「そんなこと私に訊かれても分からない」
 
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そんな感じになってしまうので、結局玲羅が参加するのは、釣りに行く時とか、イースターとか七夕などでおやつやごはんなどを食べるような場合で、あまり話さなくても何とかなる場合が主であった。
 

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一方、この年の夏休み、雪子はずっとミニバスの練習に参加していた。
 
雪子は背が低いので、もともと背の高い子が多いバスケのチームの中にいるとちょこまかしている感じでそれがかえって対峙する相手にはやりにくく感じるようであった。
 
「コーチ、この子、この小ささが逆に武器になってますよ」
と河合君などが言い、熱心に雪子にドリブルのテクを教えてくれて雪子はそれをどんどん覚えていった。
 
雪子の上達を見てコーチは8月の大会にBチームの一員として試合に出してくれた。ミニバスは1チームに最低10人必要(登録人数はこの大会では最大18人になっていた)なので初心者でも出場機会をもらえるのである。
 
雪子はまだ2年生でもあるし、コートに出してもらっても大したことはできなかったのだが、一度こぼれ玉を確保してドリブルで独走して相手ゴール近くまで行くことができた。自分ではとてもシュートできないので5年生の鈴木君にパスし、彼がきれいにシュートを決めて得点に結びつけることができて大満足だった。このプレイは後でコーチからも褒められた。
 
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「お前、ドリブルのセンスあるよ。これで走るのが速くなると凄く強くなる。お前ジョギングとか毎日するといいよ」
などとコーチから言われるので
 
「はい!」
と笑顔で答え、雪子はこのあと本当に毎日近所を走り回るようになり、また8月下旬になって2学期が始まっても昼休みにずっと校舎の周りを走っていた。雪子は教室にいるといじめられやすいので、教室外に出て走ることで、それからも逃げることができ、一石二鳥だった。
 

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