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■夏の日の想い出・変セイの時(2)
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その日、1日中私は落ち込んだ気持ちでいた。
奈緒から「どうしたの?」と言われたけど「うん、大丈夫」と答えておいた。
「あ、やっぱり体調がよくないのかな。ゆっくり休むといいよ」
「うん。ありがとう」
でもその晩は眠れなかった。東京に引っ越して来てから、1年近く友だちができなかった。それが昨年のお祭りの時のハプニングを機会に、女子のクラスメイトたちとふつうにおしゃべりできるようになった。それから半年ほどの学校生活での充実感。
でもそれは彼女たちが自分を「女の子」と見てくれているからだ。自分がこれからどんどん男性化していったら、やはり彼女たちとの関係はもう維持できなくなってしまうのではなかろうか・・・・
特に声が男になってしまったら。
どうしても彼女たちとの間に壁ができてしまう。
そんな気がした。
それは絶望に近い孤独感に襲われる気分だった。
後から考えても、なぜその日自分がそういう行動を取ったのかは分からない。
ただ気がつくと私は「ちょっと出かけてくる。夕方までには戻る」と母に言って家を出ていた。ズボンの下にスカートを穿いていたので、物陰でズボンを脱ぎ、スカート姿になった。
自分の貯金通帳を持ち出していたので郵便局に行き、貯金を全額下ろした。修学旅行の積立てで、3万円ほどの金額が入っていた。
私はそのお金を持ち電車に乗って東京駅に出た。そしてふらふらと別のホームに移動し、ちょうど来た電車に乗ったが、行き先も見ていなかった。私はぼーっとしていたが、ふと「次は阿豆、次は阿豆」と静岡県の温泉町の名前が告げられる。
あ、ここ以前一度来たな、と思った。
私は電車を降り、駅で運賃を精算して外に出る。
温泉の硫黄の臭いがするが、それは心地よさを感じさせるものであった。
でもこんな所までふらふらと出てくるなんて、まるで私、自殺でもするかみたい、などと思ってからハッとした。
自殺・・・・!?
それは本当にその瞬間まで全然考えていなかったことだった。
そして次の瞬間、この町の外れに、有名な自殺スポットがあることを思い出した。
私って、自殺するためにここに来たのかしら??
そうだなあ。死んじゃってもいいかも知れないという気がした。
男の身体になってしまうって、何だか耐えられない気分だった。
それで苦しむより、まだ男になりきっていない、今の身体のまま死ねたらいいかも知れない。
そんなことを考えつつ、町を歩いていたら、何やら広場で賑やかな声がした。
何だろうと思って近づいて行くと
「素人民謡大会」
という看板が出ていた。へー、民謡大会か。
と思って眺めていたら、
「あ、君、大会の参加者?」
と声を掛けられた。へ?
「参加する人はこのエントリーシートに名前と年齢・性別を書いて、受付に出して」
と言われて、紙を渡される。私は
「はい、ありがとうございます」
と言って受け取った。
ふーん。民謡大会かあ。ちょっと面白いかも、と思い何気なく参加要項を見ていたら
「プロとしてレコード/CDを出したことのない人で、日本国内在住・中学生以上」
などと書かれている。
CDは出したことないけど、中学生以上じゃ出られないじゃん!
と思ったものの、私は何だかこの大会に出たい気分になってしまった。よし、年齢は誤魔化しちゃおう。私、中学生でも通るよね? 中学生でも結構幼い感じの人はいるもん。特にこのくらいの年の女の子って、発達の個人差が大きいから、年齢が分かりにくいんだよね。
それで私はエントリーシートに
《冬子・12歳・女・中学生・東京都》
と書いてから、名前だけじゃまずいよね〜。苗字も無くちゃと思い、いったん《冬子》と書いたところに文字を書き足して《美冬舞子》にしてしまった。曲目は何を歌おうかと一瞬考えたのだが、ここは静岡県だしと考えて『ちゃっきり節』
と書いた。
受付に提出するが、特に年齢確認のためのものとかは求められなかったのでホッとした。割と適当なのだろう。
順番を待ちながら他の人たちの歌を聴く。わあ、気持ち良さそうに歌っている。あ、この人凄く上手い、などと考えながら聴いていたら、いつの間にかさっきまで自分が自殺とか考えていたこともきれいに忘れていた。
やはりご当地ソングだけあって『ちゃっきり節』を歌う人も結構いる。私はそれを聴きながら心の中で自分でも歌って、練習とさせてもらった。小さい頃は他人の歌を聴いてしまうと、ついそれをそのままコピーして歌ってしまったものであるが、今はそのようなことはない。ちゃんと自分の唄い方をすることができる自信があった。
やがて自分の番が来る。私はステージに上がった。
「24番、東京から来ました中学生、美冬舞子と申します」
と言ってから、三味線と太鼓の伴奏を聴いて唄い出す。
「唄はちゃっきりぶ〜し〜〜、男は〜次郎長〜、花はた〜ち〜ば〜な〜、夏はた〜ち〜ば〜な〜、茶のか〜を〜り〜」
と唄ってここで裏声を使い
「ちゃっきり ちゃっきりちゃっきりよ」
と唄う。
高音が出にくくなっているのは意識していたので、この部分は少し慎重に声を出したら、かえって可愛い感じにまとまって自分でも「おおっ」と思った。
「きゃァるが啼くんて、雨づ〜ら〜よ〜」
これまで「ちゃっきり節」を唄った人は、みんな1番を唄ったところで停められたので自分もそうだろうと思ったのだが、まだ唄ってよいような雰囲気である。それで続けて
「茶山、茶どこ〜ろ〜、茶は縁どころ〜」
と2番も唄い出す。2番以降の歌詞は3年くらい前に1度聴いたことがあっただけだったが、その微かな記憶を掘り出しながら唄う。
何かサービスで2番まで唄わせもらえるのかなと思ったが、2番を唄い終わってもまだ停めが入らない。それで
「駿河よい国、茶の香がにほうて」
と3番を唄い出す。さすがに3番までかなと思ったら、まだ停めが入らないので更に4番も唄う。
結局5番まで唄ったところで
「はい、結構です」
と言われた。
お辞儀をしてステージから降りる。観客から暖かい拍手が来て、拍手されるっていいな、と私は思った。
その後で唄う人たちを会場の客席パイプ椅子に座って聴いていた時、スタッフの腕章を付けた人が私に近づいて来て訊いた。
「ね、ね、あなたプロじゃないですよね?」
「あ、はい。素人です」
「唄とか三味線とかの名取りじゃないよね?」
「はい、名前は頂いていません」
「どこかの事務所と契約してたりはしない?」
「してません」
「CD出したこともない?」
「はい、ありません」
「了解です。失礼しました」
私は年齢や性別を疑われたりしないかと、そちらの方が気になっていたので、それを訊かれなかったことでホッとした。
やがて出場者全員の歌唱が終わり、審査が行われている間、ゲストの民謡歌手の人が唄う。『武田節』と『下田節』を唄ったが、すご〜い! うま〜い!と思った。『武田節』の中の「鞭聲粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河をわたり」
という詩吟部分も格好いい〜!と思ったし、小節(こぶし)の回し方が物凄く心地良い。あそこまで回すには物凄く喉を鍛えているはずだ。
と思った時、ふと考えた。
声変わりって、つまり声帯が伸びるんだよね。でもギターやヴァイオリンの弦を途中で押さえて鳴らせば高い音が出るように、もし声帯が伸びちゃったとしても、長い声帯を短く使えば高い音は出るはず。
それでは、なぜ昨日の朝から高い声が出にくくなったか?
それは伸びた声帯に筋肉の成長が追いついてないからだ。
だから、多少声帯が伸びたとしても、その分喉の筋肉の方も鍛えたら、ちゃんと高い声を出すことはできるのではないか?
私はそれを思いついた時、一筋の光明を見たような気がした。
ゲストの歌手が唄い終わり、審査委員長さんがステージに上がった。
「それでは審査結果を発表します。まず1位、○○○○さん」
それは私より3人くらい後に唄った30歳くらいの女性だった。その人も凄く巧い!と感動しながら聴いていた。『磯節』を唄った人だ。大きな拍手に包まれてステージに上がり、記念品のトロフィーと賞金10万円をもらっていた。
きゃー、優勝すると10万円か。凄いなあ。
「次は2位、****さん」
この人の唄は聴いていない。おそらく私がここに来る前に唄った人なのだろう。この人も拍手の中、ステージに上がり、記念品の盾と賞金5万円をもらっていた。
わあ、いいなあ。私も少し民謡練習しようなかなあ。喉の鍛錬には良さそうだし。そしてこういう所で入賞できるようになれるのを目標にして。
そんなことを考えていた時、司会者さんが次の名前を読み上げる。
「そして3位、美冬舞子さん」
え?
拍手が湧き起こるが誰も動かないので司会者さんが再度呼ぶ。
「美冬舞子さん、おられませんか? 帰られたのかな?」
そう言われて私は
「済みません。居ます!」
と大きな声で言い、ステージに駆け上がる。
うっそー! 3位? 信じられない!!
審査委員長さんから、記念品のメダルと賞金3万円を頂いた。
きゃー、こんなにもらっちゃったよ。いいのかなあ。
1位の人を中心に、2位の人が左、3位の私が右に並んで、会場に向かってお辞儀をすると、再び大きな拍手が来た。
そして私は昂揚する気持ちを抑えながらステージを降りた。
その日の帰り道の記憶は飛んでいる。飛び込みで参加した民謡大会で思いがけず入賞して、賞金までもらっちゃって、心ここにあらずの状態だったのだろう。
取り敢えず私は翌日、貯金の引きだした額と同じ額をまた郵便局に入れておいたが、それでも27000円ほどが手許に残った。凄ーい。これ秘密のお小遣いにしよう、と考える。
でもああいう大会に出るのっていいなあ。賞金がもらえたということ以上にステージで唄ったことの快感が忘れられない気がした。
また大会は無いかな?
うちの母の姉妹は全員民謡の名取りである。母も三味線の先生の資格を持っているのだが、少なくとも私が物心付いて以降、母が民謡を唄ったり、三味線を弾いている所を見たことがないし、そもそも家に三味線は無かった。
しかしそれでも一応何とか会という民謡の団体には所属しているので毎月その機関誌が送られて来ている。母はそれを開封もしていなかったが、私は時々それを読んで、母の姉たちの活躍を見ていた。
私はその機関誌の最新号を開いてみた。
あるある。
全国の民謡の大会のリストが載っている。次週の日曜は甲府で大会がある。確認してみると飛び込み参加可能だ。出場資格を見るとプロでない人で10歳以上となっている。よし、これなら堂々と参加できるじゃん! 甲府まで行って来よう。
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