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■春乱(6)

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翌5月11日朝、青葉は8時半頃目を覚ました。
 
「ああ、起きた?まだ寝てていいよ」
と朋子が言っているが時計を見て青葉は
「起きる」
と言ってベッドから出た。
 
顔を洗ってくる。
「お母ちゃん、朝御飯食べた?」
「まだ」
「じゃ一緒に食べに行こうか」
「うん」
 
それで1階に降りて、ラウンジで朝食を食べていたら千里が
「疲れた疲れた」
と言ってやってきた。
 
「ちー姉、今日のバスケ練習は?」
と訊いてみる。
 
「今日はさすがに辛かったから1時間早めに切り上げさせてもらった」
「練習してたんだ!」
「まあそれがお仕事だからね」
 
朋子は夜中にジョギングでもしていたのだろうか?と思ったようである。
 
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3人で一緒に病院に行ったが、赤ちゃんは既に桃香と同じ病室に入れられていた。朋子が抱きたがっていたので抱かせる。流れで青葉と千里も抱っこした。
 
「それでさ、赤ちゃんの名前だけど」
と桃香が言う。
 
「うん?」
「ずっと考えていた」
 
「何という名前にするの?」
 
「さつき。早い月と書く」
「それ5月に産まれたから早月(さつき)?」
「そうそう。5月中に産まれたら早月、男でも女でもその名前で。万一4月中に出てきていたら卯月(うづき)、6月に出てきたら水の月と書いてみづき」
 
「単純すぎる!」
と朋子も呆れたものの、(父親である)千里が
「いいと思うよ」
と言ったのでそれで決定した。
 
「ちなみに水の月と書く『水月』はクラゲとも読むけど」
 
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と青葉が指摘すると桃香はそれに気付いていなかったようで
 
「うっそー!?」
と叫んでいた。
 

翌12日(金)朝には出生証明書を先生が書いてくれた。普通は退院の時に書いてくれるケースが多いのだが、桃香が「親族が東京に居る内に手続き関係を進めたいので」と先生に言ったので、週末に掛かることもあり、この日に書いてくれたようである。
 
千里は出生届の父親欄には自分の名前を書いていいよと言ったのだが、桃香は空欄にしたいと主張。それで千里も桃香がそう言うのならそれでもいいと言って、空欄のまま出生届を記入した。
 
(実際問題として父親欄に戸籍上女性である人の名前が書かれた出生届が受理されるものかどうかは微妙である。かなり揉めることは必至)
 
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青葉に留守番してもらい、千里と朋子で車に乗って、まずは桃香の住民票がある世田谷区の区役所に届を提出(届出人は千里)。母子手帳にもスタンプをもらってきた。父親欄が空欄であることについて尋ねられたが、現時点で認知されていないのでと答えた。これは記入漏れではないかという確認だけだったようである。また、千里自身の本人との関係も訊かれたので「同性の夫婦です」と千里が言うと、係の人は「了解しました」と答えてそれで受け付けてくれた。そのついでに「ご存知かも知れませんが」と言って、世田谷区で実施している同性パートナーシップ制度のパンフレットももらった!
 
なお、桃香は事前に戸籍を親の戸籍から独立させて単独の戸籍を作成していたので、そこに長女として入籍されることになる。
 
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区役所が終わった後、今度はそのまま千代田区内にある、健康保険組合事務所に行き、朋子の手で出産育児一時金の申請をおこなった。桃香の法的な親族は朋子のみなので、これは朋子がいる内にやっておかないと桃香本人が動けるようになるまで申請ができなくなってしまうところであった。
 
桃香は昨年秋まで在籍した会社の組合健保を任意継続しており、42万円の一時金に加えて10万円の付加給付も出るという話だった。
 

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ふたりはそのまま近くの飲食店で早めの昼食を取ってから病院に戻った。これが13時頃である。青葉に
 
「お昼ごはんまだだったら食べておいでよ」
と言ったのだが、冬子から相談したいことがあると言われたらしく都心に出るということだった。
 
それで千里が青葉を恵比寿まで送って行くことにした。千里も仕事があるので帰るつもりだったということで、今日は後は朋子にお願いして、ふたりで一緒に病院を出て、駐車場に駐めているオーリスに乗る。
 
「時間は約束しているの?」
と千里が訊く。
 
「いつでもいいらしい。ずっとマンションにいるらしいから」
と青葉。
 
「じゃお昼食べてから行こうよ」
「そうだね」
 
そこでインターチェンジに乗る前にモスバーガーに寄って一緒にお昼を食べた。
 
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「ちー姉、お母ちゃんともお昼食べたのでは?」
「モスくらいは入る」
 
「ちー姉って昔は少食だったよね」
「まあそういう時期もあったね。日々激しい運動していると食べ過ぎということは無いみたい。青葉は今体重どこまで来た?」
「今56kgくらいかな。ちー姉は60kgにしていいと言っていたね」
「ちゃんと身体を鍛えている前提でね」
「なんかここの所、あまり運動ができてない」
「それはいけない」
 
「ちー姉は毎日どのくらい練習してるの?」
「うーん。。。平均すると9時間くらいかなあ。夏の間はね」
「やはり結構な量してるね。冬は?」
「バスケット自体の練習時間は変わらない。むしろ試合が多いから時間的には減る。でも出羽の修行に参加すると毎日16時間くらい歩くからね。あれで鍛えられるね」
 
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「あれってそんなに歩くのか・・・」
 
「青葉も参加してみる?参加したければ話してあげるから。青葉なら問題無く参加させてもらえると思う。だいたい2時間歩いて1時間休憩の繰り返し。これを毎回8度。最後は湯殿山の温泉に入って身体をほぐす。くたくたになるから、あの温泉が物凄いご褒美になる。私は毎年100回参加することを義務付けられているけど、普通の人は一冬(ひとふゆ)に10回か20回くらいの参加」
 
「私一度だけ夏山の修行に参加させてもらったけど、あれ凄い速いペースだよね。私正直ずっと付いていく自信無いと思った」
 
「2時間歩いて1時間休みだから、遅れた人はその1時間の休憩の間に追いつけばいいんだよ」
「もっともその分休憩時間が短くなると」
「まあそれは仕方ない」
 
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「それで休憩時間にも追いつけなかったら、放置だよね」
「今は優しいから放置だね。昔は谷底に突き落としていたらしいから」
「まだ命が惜しいからやめとこう」
 

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食事の後は、千里の車に乗って恵比寿に向かう。それで今から行くと青葉が冬子に連絡した。
 
「電車で来るの?」
「あ、いえ車です」
「ああ、アクアで来たの?」
「いえ。千里姉の車に同乗してきているのですが」
「あれ?千里も一緒?」
「はい」
「てっきり今アメリカかと思った!もう帰国したんだ?」
「そうですね。明日帰国するから、今ここにいるみたいですね」
と青葉が言うと、運転している千里がおかしそうに笑っていた。
 
「よく分からないけど、千里もいるなら一緒に来てくれない?」
 
千里姉の顔を見る。頷いている。
 
「分かりました。一緒にお伺いします」
 
それで恵比寿のマンションに行き、駐車場の入口を開けてもらって、ふだん政子のリーフを駐めている場所に駐めさせてもらった。
 
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政子はアクアのファンクラブ幹部会議?に行っているらしい。
 
松浦紗雪(会員番号1)・マリ(同2)・春風アルト(同4)・富士宮ノエル(同10)・佐々木川南(同21)・白浜夏恋(同22)・XANFUSの光帆(同77)・KARIONの小風(同123)といったメンツが自称“幹部会議”である。
 
いかにしてアクアを拉致して去勢してしまうか!などという相談をしているらしい。
 

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上に上がって冬子を見ると、どうもかなり精神的に追い込まれている感じである。冬子は七星さんと話し合いをしていたようだが、ふたりとも暗い雰囲気だった。
 
「赤ちゃん、男の子だった?女の子だった?」
と冬子が訊く。
 
「女の子でした。名前は、早い月と書いてサツキです」
「ああ。桃香らしい名前の付け方だ」
と言い、冬子は
「誕生祝い用意してなかった。後で用意して渡すね」
などと言っている。
 
「それは気にしないで下さい」
と青葉は言っておく。
 
「それで用件なんだけどね」
「はい」
「忙しい所申し訳無いんだけど、今年のローズ+リリーのアルバムに可能なら2人とも2曲ずつもらえないかと思って」
 
「2曲ですか!時期は?」
「1曲はできたら来月くらい、もう1曲は8月くらいまでにもらえると嬉しい」
「私はいいですよ」
と青葉は言って千里を見る。
「私もいいよ。何曲構成のアルバムにするの?」
「10曲」
「10曲の内4曲も私たちの作品にしていいわけ?」
 
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「実は・・・」
と言って冬子は事情を説明した。
 
元々冬子は今年のアルバムは『Four Seasons』というものにするつもりで楽曲の選定やアレンジを進めていたらしい。ところが製作会議で
 
・英語タイトルの『The Cities』の成績が良くなかったので日本語タイトルにして欲しい。
・発売時期は12月では遅すぎるので11月上旬発売で
 
というのを求められた。それで新たなタイトルとして村上社長から『郷愁』という提示があり、それが賛成多数で決まってしまった。
 

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「音楽分からない人は黙ってお金の計算だけしていればいいのに」
と千里がストレートな文句を言った。
 
「私も不満だけどレコード会社の方針には逆らえない」
と冬子は言う。
 
「製作会議のメンツって誰々なの?」
 
「★★レコードの村上社長、佐田副社長、氷川係長、◇◇テレビの響原部長、○○プロの浦中副社長、△△社の津田社長、UTPの須藤社長、サマーガールズ出版の風花、そして私」
 
「酷いメンツだ」
と千里は言った。
 
「氷川さんは立場上上司に反対できない。津田さんも浦中さんに反対できない。風花ちゃんは弁が立たない。孤立無援じゃん」
と千里は続ける。
 
「あの会議だけで疲れた」
と冬子。
 
「でもアルバムの構想はもう半年掛けて進めていたのを最初からやり直さなければいけないので従来のような12-14曲入りのは無理だとして10曲構成にすることを何とか了承してもらった」
 
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「それで時間が無いのか」
「そうなんだよ。11月上旬発売なら10月上旬までにミクシングまで終わらせる必要がある。つまり9月までに完成させなければならない。正直4曲くらいしか書く自信が無い。何とか5曲は自作曲でいきたいんだけど」
 
「だったら、私3曲書くよ」
と千里は言った。
「その内2曲をまるでケイが書いたみたいな作品に仕上げる」
「えー!?」
「アクアに渡した『ボクのコーヒーカップ』みたいな感じね。だからケイの名前をクレジットしていいよ」
「あはは」
 
「その時間内で完成させるなら冬は作曲より歌唱に集中すべきだもん」
と千里が言うと
「私もそう言っていた所なんです」
と七星さんが言った。
 
『ボクのコーヒーカップ』は千里がおふざけで書いた「まるでケイの作品みたいに見える曲」である。マリがアクアに『おちんちんが無くなっちゃった』という曲を渡そうとして拒否されたので、代わりに渡してしまったのである。すると
 
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「昔のケイっぽいね」
「こういう傾向のケイの曲好き」
「これきっと高校時代に書いたまま公表の機会を逸していた曲では」
 
などと評され、カラオケでの人気が凄かったのである。
 
「青葉もやってみない?」
と言っていきなり千里による『ケイ風作品の作り方』の講義が始まる。
 
まずケイらしい楽曲構成に始まり、ケイ好みの間奏の作り方。“ブルーノート”ならぬ独特の“グリーンノート”と千里が仮に呼んでいるコード進行、サビとメインテーマとの関わり、そしてケイが昔よく使っていたメロディパターンを4種類示す。
「特にこのAのパターンはケイの初期の作品に頻出していてファンの間でもケイ・パターンと呼ばれているんだ」
と千里は説明する。
 
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七星さんが大きく頷きながら聞いていた。そして言った。
 
「だったら私も自分の曲1曲に加えて、このやり方でケイ風の作品を1つ試作してみるよ」
 
「あははははははは」
と冬子は乾燥した笑いを発していた。
 

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