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■春虎(8)

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3月中旬のことだった。投資課の沢本課長が唐突に言った。
 
「そういえば、吉田さんって、なんでスカートじゃなくてズボン穿いてるんだっけ?」
 
「スカートとか穿きたくないです」
と邦生は答える。
 
すると、他店から転任してきたベテランの長野珠枝が
「あら、女子がズボン穿いてもいいと思いますよ。女はスカート穿けというのは差別ですよ」
と援護(?)してくれた。
 
すると、男性ではあるが性別問題に理解のある花畑係長が
「まあ窓口係ではないし、ズボンでもいいんじゃないですかね。ズボン穿いてると“できる女”に見えるから、かえって顧客が安心しますよ」
と言った。
 
そして邦生のことを前から知っている三村小梢も
「彼女、渉外課の時もパンツスタイル・ノーメイクでお客様を訪問して、特に女社長の会社とかに気に入られて大きな商談もまとめてるんですよ」
と言った。
 
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(↑“彼女”と言われている)
 
すると沢本課長は
「そういうスタイルもいいも知れないね」
と言って、邦生のスラックス制服・ノーメイクでの勤務は容認されることになった。
 
邦生はどうしてもスート穿けと言われたらどうしよう?と思ったので、ホッとした。
 
でも彼の“男子の社員証”は異動とともに無効になっちゃった!
 
女子の社員証は所属を渉外課から投資課に書き換えてもらったのだが、男子の社員証は「もう要らないんじゃない?」などと他店に4月1日付けで転任予定の長谷課長から言われて無効化された上で回収されてしまった!
 
そういう訳で、邦生は3月8日以降は、男子更衣室・男子トイレには入れなくなってしまったのであった!(実用上何も問題無い気がする)
 
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「何とかスカート勤務は免れたよ」
などと、夕方、邦生がマンションで言うと
 
「スカートで勤務すればいいのに」
などと真珠は言った。
 
「勘弁してよ〜。俺男なのに」
 
それを最初に主張すればいいのにと真珠は思う。
 
「でもブラジャーは着けたら?」
「なんで〜〜!?」
 
「だって女子更衣室で着替えてるんでしょ?胸が無かったら事情知らない人に変に思われるよ。ブラジャー着けてれば一応胸があるように見える」
 
「俺男なのに」
「でもみんな女だと思ってるんだから、それに合わせたほうがいいよ。今更男ですなんて言ったら、痴漢の重罪人として、逮捕されて名前も全国に報道されて懲役10年食らうよ」
 
「嘘!?」
 
(女子更衣室などを窓の外から密かに覗き見したような場合は軽犯罪法違反に問われ、1ヶ月未満の拘留または1万円未満の科料であるが、邦生は全然“密かに”覗いたりはしてないので、これには該当しない。女子更衣室などに男子が勝手に入った場合は、刑法の不法侵入罪に問われ、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金となるが、邦生はそこを使えと言われて使っているので不法侵入に問うのは困難。邦生が男であるのに女と偽って女子更衣室の使用許可を得たとすれば詐欺罪に問われ、10年以下の懲役に処されるが、邦生は再三自分は男だと主張しているのに、勝手に女と思われているので、これにも該当するとは思えない)
 
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「別にブラジャー着けるデメリットなんて無いんだから、着ければいいのに」
「そうだなあ」
と邦生も迷ってしまう。
 
「でも上半身裸とかになった時にブラジャーの跡が見えてしまう」
「上半身裸になる機会そのものが無いし、そもそもくーにんは女子水着の跡が付いている」
 
「うっ」
 
「だから今更だよ」
「着けてもいいかなあ」
「ブラジャーしてると身体が引き締まる感じでいいって、男性のブラジャー愛好者の多くが言っている」
「ああ、確かに引き締まる感じはするかもね」
 
と言ってから、邦生は唐突に思った。
 
「ねぇ、筒石さんも津幡ではいつも女子水着で泳いでいるけど、大会では男子水着だよね。筒石さん、女子水着の跡が付いてる状態で、大会に出てるのかな」
 
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「筒石さんはそんな細かいこと全く気にしないと思う」
「確かにそうだ!!」
 

「町中に虎ねぇ」
 
とたまたま編集部に寄ってくれた、神谷内さんが言った。
 
「何かあるんですか」
「歌舞伎の傾城反魂香(けいせい・はんごんこう)をちょっと思い出した」
「何ですか?それ」
とみんな訊く。
 
「物語の筋を説明するには、土佐派と狩野派というのをまず説明する必要がある」
と神谷内は言うが、どうもみんな全く分からないようである。
 
「この2つは日本画の二大潮流と言われる。土佐派は南北朝時代から始まり、室町時代末期には一時衰えたものの江戸中期に復興した。狩野派は土佐派より遅れて室町時代中期から始まり、信長・秀吉・家康に愛され、ちょうど勢いが衰えた土佐派に代わって日本画の中心となった。そのまま幕末まで続いている」
 
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「それでこの話は室町時代中期、土佐派の頂点とも言われる土佐光信と、狩野派・2代目の狩野元信の関わりを物語にしたもの。ただし物語は完全な創作で事実とは全く違う」
 

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「土佐光信(物語の中では土佐将監)の娘・遠山は狩野元信と恋仲になり、彼に土佐派の秘伝を伝え結婚の約束をする。ところが元信は銀杏という女に口説かれてそちらとも結婚の約束をしてしまう」
 
「それは酷い」
 
「やがて元信はお家騒動に巻き込まれて捕らえられるが、絵に描いた虎が絵から出て来て彼を救った」
 
「へー」
「描いた虎が具現化したのか」
 
「やがて元信は銀杏と祝言を挙げようとするが、そこに遠山が現れる」
 
「修羅場だ!」
と女子たちは全員楽しそう!?である。
 
「遠山は言った。銀杏との結婚は認めるが、その前に自分と7日間だけ結婚させてくれと」
「諦めが良すぎる〜」
とみんな言うが、明恵だけ悲しい目をしていた。
 
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「銀杏はそれを認めてあげた。それで遠山は7日間だけ愛しい彼と夫婦生活を送る。でも実は彼女は既に死んでいて、ここに現れた遠山は幽霊だったんだよ」
 
「え〜〜!?」
 

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「夏野(明恵)ちゃん、この話知ってた?」
「いえ。でもそんな気がしました」
 
「悲しい話だ」
 
「傾城(けいせい)は遠山のことで、反魂香(はんごんこう)というのは、そのお香を焚くと、その中に亡くなった人の姿が見えるといわれるお香」
 
「題名でネタバレしてる!」
 

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「それで話は元信が助け出される時点まで戻る。ここで唐突に、土佐光信が住む村に、虎が出没するという話が出てくる」
 
「それ元信さんが描いた虎なのでは?」
「実はそうなんだよ。その話を聞いた、光信の弟子・修理之助がこういうことを言う」
 
「『ヤア虎といふ獣が日本に出たためしなし』。つまり彼は日本に虎なんて居る訳がないから、この虎は現実のものではないと考えた。そして誰かが描いた虎が絵から抜け出たのだろうと言って、絵筆を取ると、その虎を絵筆で描き消してしまった」
 
「へ!?」
「消せるもんなんですか?」
「塗り潰したのかもね」
「なるほどー」
 

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「だからS市に出没してる虎もひょっとしたら、名人級の人が描いた虎が絵から抜け出してるものだったりしてね」
 
「だったらそれを塗り潰せば解決ですか?」
「でも名人級の人が描いた虎は塗り潰すのは惜しい」
「うん。絵の中に追い込んで、抜け出せないように、鍵を掛けるとか」
「どうやって〜?」
「そこは金沢ドイルさんに登場して頂いて、真言を唱えて封印してもらわないと」
 
「やはりドイルさん連れてこないと解決しないかも」
 

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約3週間にわたる勉強を経て、邦生は3月28日(月)から、花畑係長や長野珠枝がお客様役を務めて、様々なお客様の相談に乗るロールプレイング訓練を始めた。
 
邦生は元々人と話すのが好きで、渉外課での1年半の経験もあるので、結構そつなく“相談”をこなした。どちらからも
「優秀、優秀」
と褒められた。
 
「君、素質あるよ」
と言われる(自信を持つことは大事なので、おだてている)。
 
むろん銀行なので、法的な規制もあり、証券会社ほど様々な商品は扱わない。株とかやりたいという客には証券会社を紹介する。銀行では主として投信を勧めることになる。ただ、それ以前の段階の投資の基本のような話、また様々な投資商品の全体的な説明やリスクの話などはする。「卵はひとつの皿に盛らない」といった所から始める必要がある。投資したものは減ったり無くなったりすることもあるというのは預金しか経験したことのない人にはカルチャーショックである。銀行にこの手の相談に来る人は完璧な素人が多い。外貨預金とFXがごっちゃの人、更には仮想通貨ともごっちゃの人がザラである。
 
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「でも投資の様々なことを知ってる。よく勉強したね。投資の格言もスラスラ出て来ていたし」
と係長から言われる。
 
命金には手を付けるな
“もう”は“まだ”なり、“まだ”は“もう”なり。
頭と尻尾はくれてやれ
売るべし、買うべし、休むべし
休むも相場
などなどである。
 
「はい。友人から投資ゲームを勧められてスマホで仕事の合間に見てるんですよ。現実の相場と連動していて。最初FXのロスカットで5万円失いましたが、その後取り戻して、今最初の1000万円が合計1050万円くらいになった所かな」
 
「3週間で50万増やしたら優秀だ」
 
「ビギナーズラックでしょうけどね。これリアルのお金だったらいいのにと思うくらいですけど、ゲームだから思い切って投資できるんでしょうね」
 
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「うん。リアルのお金で投資するのは、やはり勇気要るよね」
と係長は言っていた。
 

3月18日の『霊界探訪』で流した「虎情報求む」というメッセージには10件以上の反応があった。その中である程度信頼できそうと思われるメッセージも5件あった。いづれもS市で、時期的にはこの1月以降、時間帯は20時から深夜1時くらいの時間帯に集中していた。また目撃場所を(以前に認知していた3件と合わせて)地図にプロットしてみると、商店街とその少し西側の領域に集まっていた。
 
「君たち、この虎が出現したポイントを撮影してきてよ。ついでに付近に何か怪しいものが無いか取材してきて。ずっと通りの風景を撮影していくとか」
と幸花は言った。
 
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「じゃ撮影してきますけど、やはりドイルさんに来て欲しいです」
「その件は千里さんに少し訊いてみよう」
と幸花は言っていた。
 
しかし取り敢えず撮影してくることにし、明恵・幸花・初海はまた放送局の車でS市まで行った。これが3月22日の午後で、例によって初海はすぐホテルに入り、明恵と真珠はまだ寒い中、夜間の撮影を行った。今回は着ぐるみではなく、白い虎の置物(中空のぬいぐるみなので軽い)を置いて撮影した。でも5ヶ所の撮影をするのに結局1時から4時頃まで3時間ほど掛かった。
 

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「疲れた」
「もう町の様子撮影するの明けてからで」
「ホテルに戻って寝よう」
「うん」
 
それでふたりはホテルに戻り、毛布をかぶって寝る。ところが寝入りばなにグラっと来る。
 
「地震だ」
「震度3くらいかなあ」
「そういえばS市は群発地震が続いているんだよね。渡辺さんも言ってた」
「恐いね。噴火とか来ないよね?」
「噴火につながる動きではないだろうと大学の先生が言ってたよ」
 
それで再度寝た。
 
S市近郊には、数万年前に噴火したH山がある。この山を突っ切る広域農道(現在は冬季なので閉鎖中)を通ると多数の火山岩・火山礫・火山弾っぽい岩があるのを見ることができる。ここは有史以降は噴火の記録が無いが、数年前からS市周辺で続いている群発地震はこのH山の周辺を震源として発生している。
 
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ふたりは(3/23 wed)7時頃目が覚め、近くのコンビニまで行って朝御飯を買ってきて食べた。(基本的に外食禁止なのでホテルのモーニングが食べられない)
 
「さあ街の様子を撮影して行こう」
「まだきついー」
 
などと言いながら9時過ぎて通勤の人が減ってから町の様子を撮影して回った。2人は「これ日中に撮影して正解だったかも」と言い合った。夜間だと営業しているお店としてないお店の区別がつかないが、昼間だとそれが明確に分かる。
 
2人が歩き回っていた時、一軒のお店の前に出た。
 
とても広い駐車場を持っている。50-60台駐められそうだ。最初スーパーかとも思ったが、どうも飲食店っぽい。
 
「ここ閉鎖してるのかなあ」
「営業しているようには見えないよ。だいたい看板の所にブルーシート掛かってるし
 
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などと言っていたら、そのお店から出て来た人物が2人に声を掛けた。
 
「あれ?北陸霊界探訪さん?」
「桜坂さん!」
 

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それは「いしかわ・いこかな」の桜坂プロデューサーだった。
 
「君たち何かの取材?」
「実は最近、S市内で夜中に虎が出没しているというう噂があって」
「それは恐いね!誰かペットとして飼ってた虎が逃げ出したのかなあ」
「いやそれがどうも現実の虎では無いっぽいんですよ」
「へー」
「それでうちの番組が調べてるんですけどね」
「なんか雲を掴む話だなあ。頑張ってね」
「でも桜坂さんの郷里ってS市だったんですか?」
 
「うん。秋に親父が亡くなってね。この店もしばらく閉鎖されてたんだけど、55歳の料理長さんから、自分は他に芸が無いので給料安くてもいいから再開してくれないかと言われてさ。そんな時にちょっと社長とやりあっちゃって。あ、これ内緒ね」
 
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「みんなきっとそういうことだろうと噂してました」
 
「ま、それで一応社長とは和解したけど、この機会にテレビ局やめてこの店を継いでもいいかなと思って退職した」
「そういうことだったんですか」
 
「まあ僕は経営だけ見て、料理とかについては料理長の井原さんに任せる」
「へー」
 

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「ところで今番組の資料として、町並みを撮影しているんですが、このお店も撮影していいですか」
「ああ、いいよ、いいよ。看板まで壊れてて恥ずかしいけど。できたら、4月中には看板も直して再開予定ってテロップでも入れといてよ」
「分かりました」
 
それで真珠たちはこのお店の外観、ついでに改装作業が進む店内まで撮影させてもらった。
 
2人が桜坂さんと少し立ち話していたら、またグラグラグラっと来た。
「わっ」
 
「今のはかなり揺れた」
「早朝のより大きかった」
「震度4来たね」
 
「君たち大丈夫?」
「はい、大丈夫です。びっくりはしましたけど」
「最近地震が多いのが本当に困るよ。その内でかいのが来ないか心配で」
「去年の秋にも一度強いのが来ましたね」
「うん。あれで収まってくれるかと思ったんだけどね」
 
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