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■春虎(5)

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(C) Eriko Kawaguchi 2022-10-22
 
信貴山に行った翌日(2/19 Sat)、明恵と真珠は車中泊した桂川PAで、朝御飯をテイクアウトしてきて車中で食べた。その後、名神を走って京都南ICで降り、貴船神社に向かって。ここの駐車場に駐める。そしてここから山道を15分ほど歩いて鞍馬寺に向かった。
 
「これ幸花さんと来てたら絶対本人は途中でへばってるよね」
「うん。途中で座り込んで『ここで待ってるから、あんたたちだけで行ってきて』とか言われてる。初海ちゃんも音を上げてる」
 
「私たち2人のコンビでないと辛かったね」
 
最強の男の娘コンビ?
 
でも2人とも男性時代に比べて、物凄く筋力・体力が落ちているのは日々感じていた。真珠は男性時代は懸垂10回くらいできていたが、今は全くできない。やはり男性ホルモンの作用は物凄く大きいみたいと2人とも思う。真珠はいつも元気そうに見えるが、けっこう気合いでもたせている部分が大きい。
 
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「私たち大学卒業した後、この番組に関われるかどうかは分からないけど、後釜には男の娘を誰か引き入れたいね」
「H高校のMH同好会も無くなっちゃったしなあ」
 
MH同好会というのは、Mistery Hunting 同好会で、不思議なものを探究する同好会だったが、部員のほとんどがMTF/FTMで、部活時には学籍簿と違う性の制服を着ている子も多く、実はMG (Misterious Gender) 同好会ではと揶揄されていた。
 
この同好会で明恵や真珠の後輩だった、間島和栄(-1)、米山舞佳(-2)などは、時々、編集部に顔を出してくれるものの、明恵・真珠のように常駐している訳ではない(バイト代も大して出ないのに常駐しているこの2人が異常)。
 
米山舞佳の学年の子たちが2021年春に卒業した後は、性別問題に理解のあった顧問の先生が他校に転出した上に、部員も2人になってしまい、同好会が維持できなくなって解散したらしい。
 
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ちなみに舞佳はバイト代を貯めて、昨年12月に去勢手術を受けた(明恵たちも「おめでとう」と言って、お祝いを贈った)。彼女は大学(金沢市内のS大学)には、入学時以来、普通に女の子の格好で通学している。彼女の女子トイレ使用については、大学側も「問題無い」と言ってくれている。そもそも女の子にしか見えないし!
 

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明恵と真珠が、わざわざ貴船神社に駐めて山道を歩いているのは、ひとつには鞍馬寺には駐車場が無いので、隣の貴船神社の駐車場を借りたのである。この2つは比較的近くにあるのでセットでお参りする人も多い。
 
なお、この貴船神社前からの山道は“修行の道”と呼ばれている。参拝客の大半は叡山電鉄・鞍馬駅から仁王門を通りケーブルカーで登る“安楽の道”を通る。実は2人がここを歩いているのは、“修行の道”を通れという幸花の指定だったからである!2人は歩いている所を交互に撮影しながら歩いて行っていた。
 
やがて鞍馬寺に到着する。お寺には、事前に神谷内さんが電話で取材の申込みをして了承を得ていた。それでも2人は、お参りをした上で、テレビ局の名刺を出して、あらためて取材の許可を取った。
 
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(真珠が正式にADとして採用されたのは3月4日付けだが、それ以前から真珠は石崎部長からADの名刺を渡されていた:無給だったけど!)
 
この鞍馬寺にも多数の虎さんが居るので、これを撮影させてもらった。ここの狛虎は、普通の狛犬などと雰囲気が似た、古風で格好良いデザインだった。
 
源義経の逸話で有名な鞍馬寺を創建したのは、鑑禎(生没年不明)という帰化僧である。彼は唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟で、彼と一緒に中国から渡ってきた8人の僧の中のひとり。8人中の最年少だった。
 
鑑真が天保宝字7年(763年)に亡くなった後の、神護景雲4年(770)、鑑禎は山城国の高山に霊地があるという夢を見て、そちらに向かう。そして翌朝、彼はある山の上に神々しい白馬が宝の鞍を背負って山にふたをするようにしているヴィジョンを見て、その山に登る。
 
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その夜、彼は夜叉に襲われるが、一心に三宝を念じると、朽ち木が倒れかかって夜叉を倒した。朝になって見ると、朽ち木と思ったのは、毘沙門天の像であった。そして、この毘沙門天に助けられたのが、寅の月・寅の日・寅の刻だったので、虎を毘沙門天のお使いとして共に祭るようになった。
 
以上は『鞍馬蓋寺縁起』に見る創建縁起である。(鞍を付けた馬がフタをしていたから“鞍馬蓋寺(あんばがいじ)”)
 
なお、770年は戌年であるが、もし寅の月・寅の日・寅の刻というのであれば、それは神護景雲4年1月の2日,14日,26日のどれか(Greg 2/6,18,3/2)の午前4時頃ということになる。
 
この時期の京都地方の日出は7時頃なので、天文薄明が始まるのも5時頃。4時であれば、まだ完全に“夜”の時間帯である。
 
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鞍馬寺(くらまでら)の本尊は“尊天”と言い、毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊の三位一体の仏である。ここで護法魔王尊というのは650万年前に地球に降臨した神でその身体は異世界の物質でできており、永遠に16歳の身体であるという。
 
この護法魔王尊はインド神話のサナト・クマーラと同一視されることが多いがサナト・クマーラは1850万年前に地球に渡来したとされる(鞍馬はクマーラの転化??)。
 
ちなみに、ミトコンドリア・イブは16万年前である。また神武天皇は東征に出発する前に「天孫(迩迩芸命:ニニギノミコト)が地上に降り立ってから179万2470余年」と言っている。
 
ホモ・サピエンスの最も古い化石は30万年前であり、ミトコンドリア・イブは現生人類の歴史の中で中点くらいにあることになる。ヒト属の中で最も古いとされるホモ・ハビリスがアウストラロピテクスから別れたのがだいたい200万年くらい前と思われ、神武天皇の言う天孫降臨の年代はだいたいこの時期と一致する。
 
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(但しホモ・ハビリスは現生人類の祖先ではなく、現生人類はホモ・ハビリスより少し後に共通祖先から分岐したホモ・エレクトス(旧名:ピテカントロプス)から進化したものと思われる)
 
650万年前というと、二足歩行を始めたとされる最も古いヒト亜科・オロリンが登場した頃である。オロリンはアウストラロピテクスより現生人類に形態が似ており、ひょっとするとこちらこそ現生人類の祖先である可能性もある。
 
※ヒト略史
 
2000-1600万年前 ヒト上科でヒト科とテナガザル科が分岐 ★サナト・クマーラ
1300万年前 ヒト科でヒト亜科とオランウータン亜科が分岐
650万年前 ヒト亜科でヒト族とゴリラ族が分岐 ★護法魔王尊
500万年前 ヒト族でヒト亜属とチンパンジー亜属が分岐
200万年前 アウストラロピテクスからホモ・ハビリスが分岐 ★天孫降臨
30万年前 ホモサピエンスの最古化石
(15万年前にミトコンドリア・イブ)
7.5万年前 インドネシアのトバ火山噴火が氷河期を引き起こし、世界人口が100分の1に減少
 
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鞍馬寺のご本尊(毘沙門天・千手観音・護法魔王尊)は秘仏で60年に一度丙寅の年(次は2046年)にご開帳されるが、ご本尊の代わりの像“お前立ち”が本尊の厨子前に常に安置されている。
 
この中の護法魔王尊のお姿は、ヒゲをたくわえ鼻が大きく背中には羽根があり、錫杖を手にしており、その姿は天狗を思わせる。それで元々鞍馬寺の天狗というのは、護法魔王尊のことなのではという意見もよく見られる。中年男性っぽく見えるけど、永遠の16歳!!
 

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明恵と真珠はお寺の人に鞍馬寺の創建縁起を聞き、また境内でたくさん撮影をさせてもらった。
 
お昼頃撮影を終わり、また山道を15分ほど歩いて貴船神社まで戻る。車の中でお茶を飲み、買っておいたおにぎりを食べ一休みしてから貴船神社にお参りする。
 
ここで神社の人を捉まえ、〒〒テレビの名刺を見せて「一応、事前にもご連絡させて頂いたのですが」と言って、改めて境内撮影の許可は求めると「ああ、聞いてますよ」と言って、快諾してくれた。それで2人はここでも撮影させてもらった。
 
2人が撮影していると
「わざわざ金沢からいらしたんですか」
と神職さんが声を掛けてきた。
 
「はい。バラエティ番組なんですけど」
と真珠が言うと
 
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「やはり丑の刻参りとかの取材ですか?」(*8)
などと小さな声で訊かれる。
 
「いえ、高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)(*7)の聖地をレポートしたいと思いまして。『金沢ドイルの霊界探訪』という番組なのですが」
 
(*7) 龗は雨冠の下に口を3つ横に並べ、その下に龍を書く難しい字で「おかみ」と読む。手元の新選漢和辞典では意味として(1)龍 (2)神 といった意味を挙げている。まさに龍神だと思う。この神の名前は、古事記では、高淤加美神・闇淤加美神と書き、日本書紀では高龗神・闇龗神と書く。いづれも「たかおかみのかみ」、「くらおかみのかみ」と読む。
 
ペアとなる龍神様で、高い峰の上におられるのが高龗神、暗く深い谷底におられるのが闇龗神である。古事記には“淤加美神”の娘に日河比売(ひかわひめ)という女神があり、日河比売の孫の孫が大国主神(おおくにぬしのかみ:だいこく様)であるとしている。この淤加美神というのが、高淤加美神なのか闇淤加美神なのかは不明。
 
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高淤加美神・闇淤加美神は一般に水の神様:罔象女神(みずはのめのかみ)と共に祭られることが多く、この京都・貴船(きぶね)神社と奈良県の丹生川上(にゅう・かわかみ)神社は、淤加美神の聖地である。
 
(*8) この貴船神社の裏手では、古くから“丑の刻参り”をする人が多い(むろん神社では禁止している:木も傷めるのでよくない)。しかしここは行ってみれば分かるが物凄い急傾斜地に建っており、こんな急斜面の地で、真夜中に、全力疾走(服の裾が地面に着かない速度で走らなければならない)して、藁人形に釘を打ち付けるとか、通常の視力と運動能力では、ほぼ不可能である。それをやってしまう人というのは、もう既に心が逝ってしまっていると、筆者はあの斜面を見て思った。
 
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真珠が番組名を出したら
 
「ああ!金沢ドイルさんの!」
と神職さんは、おっしゃる。京都でもこの番組を知っている人が居たようである。
 
「噂に聞いてますよ。あなたが金沢ドイルさん?」
と明恵に尋ねる。やはり霊感体質の人間を見分ける力があるようである。
 
「いえ。私はドイルの弟子の金沢オイルです」
(自分でオイルと言っている)
 
「ああ、お弟子さんですか。でもあの人凄いね」
「なんか遙か高い山を見上げる感じで」
「ああ、お弟子さんからはそう感じるかもね」
 
などと言って、この後、神職さんは明恵たちに色々この神社のことを解説してくれた。真珠はそれを撮影していたが、せっかくこれだけ親切に話してくれたらこの解説も1〜2分は流さないとまずいなと考えていた。
 
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貴船はいちばん上まで往復してきて(さすがに足が痛くなった)、結局15時頃に駐車場に戻った。それで足にアンメルツをたっぷり塗り、1時間ほど仮眠してから帰ることにする。
 
(筆者は実は先に貴船神社の一番上まで往復して来たので、それで疲れ果てて、鞍馬山までの往復の道は断念しました。ここ行かれる方は、先に鞍馬山まで行ったほうが良いかも?貴船の方は広い道で単に傾斜があるだけです)
 

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帰りは京都市街地まで出て、京都南ICから名神に乗ると、大津SAで駐めて、朝まで寝た!
 
(2/20 Sun) 爽快に目が覚めてから、トイレに行き、御飯をテイクアウトしてきて車内で食べる。その後、名神・北陸道を走って、途中、女形谷(おながたに)PAで休み、お昼過ぎに金沢に帰ってきた。
 
真珠が邦生に電話していたので、ヴェゼルを駐めたTimes駐車場からマンションまで、邦生が2人の荷物を持ってくれた。
 
「何か食べる?寝る?」
「寝る!」
 
ということで2人はぐっすり寝ていた。
 

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夕方目を覚ます。
 
邦生がケーキと大量のお肉を買ってきてくれていたので、まずはケーキを食べてから、ホットプレートでお肉を焼いた。2人とも300gくらい食べていた。
 
「でもお疲れだったね」
「疲れたぁ」
 
「ところで、くーにん、四輪を買う気無い?」
「今俺、金無ぇ」
「だよねー」
 
「まこちゃんが買ったら?」
「それもいいかなあ」
「どんなのが好き?」
「90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)とか」
「そんなの売ってくれないよ!」
 

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