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■春虎(3)
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田中は、その日、転勤する同僚の送別会をした後、夜9時頃、ほろ酔い加減で自宅への道を歩いていた。そして交差点で信号を渡ろうとしてギョッとする。
横断歩道の向こうに虎が座っているような気がしたのである。
俺酔ってるのかな?虎なんて居る訳ないよな?
と思うと、彼は商店街に引き返した。そして適当なスナックに入り、席に座ると
「お姉ちゃん、水割り頂戴」
と言って、飲み始めた。
23時頃、スナックがもう閉店だというので店を出る。
あれ〜。なんかまっすぐ歩けないぞ。あはは、これ俺が虎になっちゃったかも。俺も虎なら、虎が出ても恐くないや、と訳の分からないことを考えている。
しかし彼はちゃんと歩くことができず、やがて歩道に座り込んでしまった。
そのまま30分近く座っていた気がするが、なんか寒いなと思った。見ると雪が降っている。きれいだなと思った。
その時、彼はギョッとした。
向こうから一頭の白い虎がこちらに歩いてくるのである。
虎は彼のすぐ近くまで来た。
「なんだぁ、おい虎。俺も虎だぞ。文句あっか?」
と彼は虎に言った。
虎がギロリと田中を睨んだ。
「あ、すみません。ここ、お通りになられますか。私、どきますね」
と言って、田中はこそこそと、這うようにしてそこをどき、車道の端に座り込んだ。
虎は悠々と歩道を通り過ぎていった。
田中はその後姿を半ば朦朧とした意識の中で見て居た。
キキーっと車の停まる音がする。黒と白のパンダ模様だ。
虎だけじゃなくてパンダも出て来た?
と思っていたら、車から警官が2人降りてきた。
「こんな所に座って居たら危ないよ。車に轢かれるよ」
「これはお巡りさん、お務めご苦労様です」
「とにかく車道は危険です。歩道に移動してください」
「いやあ、それがね、虎が歩いて来たもんだから、道を譲ったんですよ」
「虎はあんたじゃないの?」
と若い方の警官が言ったが、年配の霊感が首を振って注意したようだ。
「あんた立てる?」
「どうかな」
と言って、田中は立とうとしたが、足がもつれてまた座り込んでしまう。
2人の警官は
「意識はわりとあるみたいだね」
「でも立てないみたいだ」
などと話し合っている。
年配の警官が言った。
「警察官職務執行法・第3条に基づき、あなたを保護します」
「俺逮捕されるの?」
「逮捕ではなく保護です」
と言って、ふたりの警官は田中の両脇を持ち何とか立たせた。そしてパトカーの後部座席に乗せた。
バッグとスマホが落ちているので、拾ってきて
「これあんたの?」
と尋ねる。
「はい、私(わたくし)のであります」
警官は他に彼の持ち物が無いかその付近を見回した。特に無いようである。
それで若い警官が男の隣に乗り、年配の警官がパトカーを運転して警察署に向かった。
そして、所持品のほか、ズボンのベルト、ネクタイを外して預かり、署内の保護室(通称トラ箱)に入れた。
被保護者が発作的に自殺を図ったりすることが無いよう、細長いものは預かることになっている。女性の泥酔者の場合は、女性警察官がブラジャーまで取り外す。
警察では男に連絡先を尋ねた。
「電話番号は **-**** あれ? **-**** だっけ?あれれ?」
「自宅の電話番号覚えてないの?」
「すんませーん。スマホのアドレス帳からしか掛けないから。お巡りさん、私のスマホ取ってください」
「うん」
それで警官がスマホを渡すと、彼は暗証番号でスマホをアンロックし、アドレス帳を開いて、先頭の所にある“ああんまいはにぃ♥”という所を示した。
(先頭に表示させたい名前の前に“ああ”を付けるのは、よくある手)
「これ僕の可愛い可愛い奥様のスマホ番号でーす」
「はいはい」
可愛い可愛い奥さんがいるなら、こんなに飲むなよなと思う。
「じゃ奧さんに掛けて下さい。本官が代わりますから」
「了解です」
と敬礼して言って男は奧さんに掛けた。5回くらい鳴って電話を取る音がする。
「あんたどこに居るの?」
などという女性の声。
「ああ。すまない。ぐりぐりしてあげるから勘弁して。実は警察に捕まっちゃって」
「え〜〜〜!?」
「失礼」
と言って、警官はスマホを取る。
「こちらS警察署ですが」
「はい!」
「御主人がお酒に酔って車道に座り込んでおられたので保護しました。引き取りに来て頂けますか」
「分かりました。すぐ行きます。ご迷惑おかけします」
奧さんは20分ほどで駆け付けてきた。凄い美人だった。彼女は男を引き取り、警官に何度もお詫びの礼をしていた。
「帰るよ」
と夫に言って車を出す。
「ごめんねー。ぐりぐりしてあげるから勘弁して」
「それ人前で言わないで欲しい」
「だって、**ちゃん、とっても可愛いんだもん」
「はいはい」
と妻は呆れている。可愛いと言われるのは嬉しいが。
「でもなんでこんなに飲んだのよ?」
「いや、**君の送別会で少し飲んだ後、帰ろうとしてたらさ、目の前に虎がいたんだよ」
「虎!?」
「それで虎なんて居るはずがない。何かの間違いだろうと思って、適当なスナックに入って飲み直した」
「それで自分が虎になっちゃったんだ?」
と妻は呆れ果てて言った。
泥酔者の保護は、警察の業務のひとつにもなっており、多くの警察署は、犯罪をおかした疑いのある人を留め置く“留置場”とは別に泥酔者用の“保護室”を持っている。これを俗称トラ箱と言い、留置場を意味するブタ箱とは区別される。
かつては、東京では警察署のトラ箱だけでは足りず、都内4ヶ所(鳥居坂・日本堤・三鷹・早稲田)に“泥酔者保護所”まで設けられ、年間1万人以上の泥酔者を保護していた。しかし時代とともに保護する泥酔者の数が減ったたことから、2007年までに全て閉鎖された。
「そういえばライオン以外のネコ科の動物って、パッと見た目にはオスメスの区別が付きにくいですよね」
と双葉は言った。
「うん。虎とか豹の性別は少なくとも素人には区別つかない」
「家猫もお股見ないと分からない」
「さすがに虎を捉まえてお股見ることはできない」
「性区分については、むしろライオンだけが特殊だよね」
と真珠も追認する。
「性的二類とか言った?」
「性的二形! (sexual dimorphism)」
「ライオン以外では、鹿や牛などは、オスだけに角がある」
「トナカイだけが例外。トナカイはオス・メスともに角がある。しかもオスは冬の間は角が抜け落ちているから、クリスマスにサンタの橇(そり)を引くトナカイに角があったら、それはメス」
「うっそー!?」
「ルドルフはきっと女の子」
「鳥や昆虫には、オスメスで大きく見た目の違うものが多いね」
「孔雀とかは極端だよね」
などと言っていたら、
「シモンちゃんの男の娘疑惑」
と真珠が言う。
「何それ?」
と初海が訊くので説明する
「茨城県下妻(しもつま)市のマスコットキャラクターは、当地に多く棲息している蝶々のオオムラサキをモチーフにした“シモンちゃん”。このシモンちゃん、見た目は女の子っぽいんだよね。ビスチェ付けてるし。でもこの子の羽根には紫色の部分が広がる。この紫色の羽根を持つのは、オオムラサキの中でもオスだけなんだよ。だからシモンちゃんは間違い無く男の娘だとネットでは言われている」
「最初から男の子キャラに設定してたら何も問題無かったのに」
「同感。オオムラサキのこと知らない人がデザインしたんだろうね」
「人間も見た目だけでは性別分からないよね」
「いや、元々は、おっぱいや、ちんちんで区別できてた。だから人間は充分性的二形だと思う」
「でも衣服でそれを隠しちゃったのか」
「昆虫なんかでも性別を偽るやつって時々いるんだけどね。小型のオスがメスの振りして他のオスを誘惑したり」
「ほほぉ!」
「人間は衣服を着けることで、男の娘がやりやすくなったんだろうね」
「ライオンだって仮面をかぶったら、オスメスの区別がつかない」
「ライオン仮面??」
「仮面を外されて性別がバレそうになったら、危うし!ライオン仮面」
「どこかで聞いたようなタイトルだ」
桜坂は店の内部を色々点検していたが、調理器具などの大半は少し掃除・補修すれば使える気がした。ただ建物は結構傷んでいる所もあり、開店までには結構な補強・改装・改造が必要だなと思った。
昔は「汚い店こそ美味いんだ」などと言う客も居たが、今の時代にはそんな考えは通用しない。衛生的であることは飲食店としての最低条件だ。しかもコロナ下で店を再開するのであれば、換気にこだわり、清掃・消毒もマメにしなければ人は来ない。だからテーブルや椅子も清掃消毒しやすいものに交換する必要がある。
食器とかも全て新しいものに交換する必要があるし、トイレなどは全面改装の必要がありそうだ。ただ、コロナ下ゆえに、新しいテーブル・椅子は当面は従来の半分の数でいい!その分テイクアウトで稼ぐつもりでいなければならない。お弁当の職場への配達なども必須だろう。
「多分トイレの改装だけで退職金が吹き飛ぶな」
と彼は嘆いた。
彼は外に出て改めてお店を見た。
「店の看板からして傷んでるしなあ。まあこれはオープンまでに直せばいいか。まずは内部の改修だなあ」
それは1月31日に、青葉・千里・明恵・真珠が、S市の人形美術館に行き、霊的な処理を済ませて、金沢に戻る車の中で話が出た。明恵が運転していて助手席に真珠、後部座席に千里と青葉が座っていた。
「え?虎の子っ書いて“おまる”と読むの?」
と真珠が言う。
「実際にはその前に“御”を付けて“御虎子”と書くことが多い」
と千里。
「なんでですか?」
「当て字だよね。“まる”というのは古い言葉で通常漢字では“放る”と書いて、大小便をするという意味の動詞。“お”は婉曲表現の接頭辞」
「へー」
「“おまる”って丸いから“おまる”と言うのかと思ってた」
「丸いという字を使って“御丸”と書く人もあるけど、そっちはほぼ誤字」
「なるほど」
「でも虎の子がなんでトイレなんですか?」
「虎子と書いて“おまる”と読むようになったのは少し後の時代で昔はこの字で“おおつぼ”と読んでいた。実際、平安時代の貴族の女性たちは壺を使っていたみたいだよ。壺を服の中に差しこんで、下着だけ外して用を達する」
「十二単(じゅうにひとえ)を脱いでたら、その間に漏らしちゃいますよね」
「でも“つぼ”というのはまた謎の読み方ですね」
「中国語で“虎”と“壺”が同音“フー”だからだと思う」
と千里は言った。
「へー!」
「どう思う?青葉?」
「それはあり得ると思う。中国でも虎子(huxi)は排泄用の入れものを意味する、もしかしたら最初は“壺子”と書いていたのを、婉曲表現として類音の虎に書き換えたのかも。中国人の生活史学者さんの見解を聞きたいけど」
「今青葉さんの発音が壺と虎で違ってた」
「だから類音と言った。日本語ではどちらも“フー”だけど“壺”は第二声で"hú"で、“虎”は第三声で"hŭ"なんだよ」
「よく分からないけど、発音が違うのは分かった」
と真珠。
「一般には虎の子に似ているから虎子と呼んだというのだけど、虎の子供に似ているとは思えない」
と千里。
「確かに小便用の樋箱は無理すれば虎に見えないこともないかも知れないけど、壺は虎に見立てるのは苦しい気がする」
と青葉も言う。
「おまるが小判に似ているから、小判は虎の子だろうから、虎子、なんて説もネットには流布してるけど、全く時代が合わない。小判が生まれたのは江戸時代で、虎子は平安時代から使われていた」
「すると“壺子(huxi)”が“虎子(huxi)”と書かれるようになった可能性はあるね」
「ちなみに狐も“フー”だよね。これは第二声で壺と同じ音。“虎の威を借る狐”は中国語では、狐假虎威(Hújiăhŭwēi)と言って、実は類音の言葉遊びになっている」
「へー!!」
「つまりダジャレだったのか!」
「time and tide wait for no man」
「Friend in need is Friend indeed」
「Genius is 1% inspiration and 99% perspiration」
「なんでみんな、そんなのがスラスラ出てくるの〜?」
と真珠が叫んでいた!
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