【娘たちの卵】(6)

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龍虎は8月10日にロックギャルコンテストで優勝した後、通学している中学校にも芸能活動と学校生活の兼ね合いについて、担任と学年主任、生徒指導担当、校長と教頭、そしてこちらは田代夫妻も交えて相談し、活動予定表の一週間前までの提出(変更は可能)、送迎する車と運転手の事前届け出など、また校内でのサイン・写真撮影の禁止、携帯電話は授業中切っておくことなどを決めた。また髪型については非常識でない範囲で学校規定を適用しないことにしてくれた。
 

「でもアイドルデビューですか。田代さん可愛いから、そういう生き方もいいと思いますよ」
などと教頭は言っている。
 
「いや、オーディション受けると聞いた時は、そういうの受けたりするのもひとつの経験と思ったのですが、まさか優勝するとは思っていなかったので驚きました」
と田代父。
 
「それでは、学籍簿の方はすみやかに変更しますので、2学期からはセーラー服での通学でOKです。ただ、できたら性別が変更された保険証か何かを今度でいいですから、持って来てもらえますか?」
と校長が言う。
 
「は?」
 
「でも性転換手術はいつなさるんですか?あるいは夏休み中に済ませられたんでしょうか?」
と担任。
 
「ボク性転換とかしません」
と龍虎。
 
「え?アイドルするというから、女の子になるんでしょう?」
と教頭。
 
「いえ。男の子アイドルですよ」
と田代母。
 
「え?そうだったんですか!?」
「てっきり女の子アイドルとして売り出すのかと」
「すみません。勘違いしてました」
と担任も校長・教頭も言った。
 
「でも何度か田代さんがセーラー服を着ているのを見たのですが」
と担任がおそるおそる言う。
「ああ。友だちにうまく乗せられて、着ちゃったりしてるみたいですね」
と田代母は苦笑しながら言った。
 
「いじめではないですよね?」
と校長。
 
「本人はセーラー服着て喜んでいるから問題無いです」
と母が言うと、龍虎は恥ずかしそうに俯いた。
 

9月7日(日)にフレッシュガールコンテストに“間違って参加”し、優勝してしまった佐藤絢香だが、それを聞いた両親は驚愕するものの、両親とも元々ミーハーな性格で、お父さんはE-girlsはじめFlower, DreamなどのファンでDream5もClariSも、ももクロも大好き、お母さんはジャニーズフリークで、特にSexy Zoneの熱烈なファンという人だったので、ふたりとも喜んで娘のアイドル活動に同意してくれた。お陰で契約の話はとんとん拍子に進むことになった。
 
契約書は、法律に明るい伯父にチェックしてもらいたいと母親が言ったので、その人に確認してもらって9月下旬くらいに契約書にサインする予定である。§§プロ側でも常識的な範囲の条文調整には応じるつもりなので、10月以降、絢香がアイドルとして活動することがほぼ確実になった。学校は現在公立中学に通っているので芸能活動は校則で禁じられていない。ただサッカー部は退部させてもらう。また高校は芸能活動に理解のある私立高校に行く方向で考えることにした。
 
「芸名なのですが《品川ありさ》というのを考えたのですが、どうでしょう?」
と紅川社長は提案した。
 
「ああ。地名シリーズなんですね」
と§§プロの過去のタレントの名前に通じている父が言う。
 
「はい。うちは新宿信濃子、上野陸奥子から始まったプロダクションで過去に立川ピアノ、大宮どれみ、日野ソナタ、川崎ゆりこ、といった歌手が売れています。今回のフレッシュガールコンテストの少し前に7〜8月にはロックギャルコンテストというのも実施したのですが、そちらの初代ロックギャルに選ばれた子は、高崎ひろかの名前でデビュー予定です」
 
「なるほどー」
「地名じゃない人もいますよね」
「そうですね。春風アルト、冬風オペラ、秋風コスモス、桜野みちるもよく売れました」
 
「訊いちゃいけないのかも知れませんけど、明智ヒバリちゃん、どうなったんですか?」
とお父さんが尋ねる。
 
「ご心配なさるのも無理無いと思います。実は病気になって現在入院中なんですよ。たぶん年末くらいまでには退院できて、自宅療養して春くらいには復帰できると思うんですが。ただ、プライベートなことなので、できたら人には言って欲しくないのですが」
 
「分かりました。それは誰にも言いません。死亡説も出ていましたが、生きているんですね?」
「はい。間違い無く生きています」
 
そして紅川はおそるおそる両親に意向を尋ねた。
 
「実をいうと、その明智ヒバリでアサインしていたドラマで来月撮影して、年末に放映する予定のものがあったのですが」
「はい?」
 
「もし可能だったら、契約してすぐになりますが、佐藤さんに代わって出ていただく訳にはいかないかと思って。ヒバリちゃんが急に病気になったので、かなりの仕事を、桜野みちる、川崎ゆりこ、神田ひとみ、などに代行させたのですが、手が回らないのが現状で」
 
「それって元々は千葉りいなちゃんにアサインされていた仕事もあったりは?」
とアイドル事情に詳しいお父さんが突っ込む。
 
「面目ない。実はそうなんですよ」
 
千葉りいなはこの夏に引退してしまった。彼女の引退も急だった。彼女は病弱で、実際問題として活動期間の半分くらい、病院のベッドの上に居た。
 
「千葉りいなちゃんは身体が凄い細かったですもん。この子にアイドルとか務まるのかなあと思っていたし、明智ヒバリちゃんは精神的に弱そうだった。入院って、精神病院でしょ?」
とお父さんが言う。
 
「すみません。それはノーコメントで」
「分かりました。それは詮索しません。でもうちの娘は身体も心も丈夫だから、平気ですよ。な?」
 
「うん。私は元気で丈夫なのが取り柄。男の子と喧嘩して負けた記憶無いからお前男だろ?とか言われるし、小学校は皆勤賞だったし、悪口言われても3秒で忘れる」
などと本人も言っている。
 
「だったら今月中に契約が頂けたら、10月からのお仕事に投入してもいいですか?」
「はい。ぜひやらせて下さい」
と佐藤絢香(品川ありさ)は元気よく言った。CDデビューも11月くらいの線で調整することになった。
 
ありさのデビューが早まったのは、龍虎と一緒にロックギャルとしてデビューすることになった柴田邦江(高崎ひろか)は、アクアと相前後してデビューさせたいので、結果的に年末くらいまで使えず、それでオーディション時期としては逆転するものの、こちらを先にデビューさせたいということになったためである。
 
実をいうと以前はフレッシュガールコンテストからの登用者は1年程度の訓練期間を経てデビューさせていたのだが、相次ぐ主力アイドルのリタイアで、§§プロはこの時期、綱渡りの運営になっていたのである。そして品川ありさはその救世主になってくれた。
 

桃香がその日千里のミラを勝手に使って季里子の家に行き、ベビー用品を含めて色々お使いを頼まれたので、イオンまで往復して来た。
 
「桃香さん、すみませんね」
と言うお母さんもニコニコである。すっかり季里子の“夫”並みに扱ってもらっている感じだ。
 
それで一緒にお昼を食べていた時、桃香に電話が掛かってくる。銀行からで、残高不足で自動引き落としのが落とせないということである。
 
「すみませーん。すぐ入金に行きます」
と答えて、どこかに残高の残っている口座は無かったかなと思い、バッグから通帳を取り出そうとした。その時バッグがひっくり返ってしまったのだが、そこに青い宝石ケースがあった。しかも宝石ケースは落ちた拍子に開いてしまう。
 
「あら、それは?」
「えーっと」
「これ、2年前にもらった結婚指輪だ」
と季里子が言う。
 
それは実は季里子に贈った結婚指輪が返却された後、改鋳して千里の指サイズに合わせて千里に贈ったものの、そちらも破談になって千里から返却されたものである。
 
「そ、そうだね。ちょっとサイズ変更したけど」
と桃香が焦りながら言うと
「でもMO to CHの刻印はそのままだ」
と言われる。
 
「そうだね」
 
「填めてみていい?」
「えーと。まあいいかな」
 
それで季里子が填めてみると、ピッタリである。
 
「すごーい。私の今の指サイズに合わせて調整してくれたのね?」
 
季里子は自分のためにサイズ直しをしてくれたものと思い込んでいる。
 
「そう?ピッタリだった?」
「ありがとう。だったらこれ私、もらってていい?」
「うん。まあいいかな」
 
それでこの指輪は季里子が持つことになってしまったのである。季里子のお母さんもニコニコしていた。
 
なお残高不足の件だが、結局季里子のお母さんが1万円貸してくれたので、それを持って銀行の支店まで行って来た。お母さんには今月中に返しますと言っておいた。
 

2014年9月13日。千里はインプレッサに乗って東京北区のナショナル・トレーニング・センターのアスリート・ヴィレッジに行った。玄関から出てきた貴司を乗せて、平塚市に向かう。
 
貴司は現在日本代表合宿の最中なのだが、大会があるので抜け出していくのである。行程約70km, 1時間半の短いデートで、平塚市のサンライフアリーナに行く。ここで9月13-15日の日程で「全日本実業団バスケットボール競技大会」が開かれる。先週は全日本クラブバスケットボール選抜大会が行われた会場である。
 
貴司たちのチームMM化学は昨年秋の近畿実業団バスケットボール選手権大会で2位になり、この大会に出る資格を得た。この大会で6位以内に入ると11月に山形で開かれる全日本社会人選手権に出場することができる。
 
千里は控室まで付いていき、チームに差し入れなどもした。
 
初日は関東のチームと当たったが、接戦の末3点差で勝利する。2日目の準々決勝は九州のチームと当たったのだが、これを大差で落としてしまう。3日目の5-8位決定戦では北陸のチームと当たって、これもかなりの接戦だったのだが、最後は貴司のブザービーターで1点差逆転勝ちした。
 
これで貴司たちのチームは5-6位となり、チーム創成以来初めて全日本社会人選手権の切符を掴んだ。なお、準々決勝で貴司たちのチームに勝った九州のチームが優勝したので大会規定でMM化学は5位の扱いになった。
 
打ち上げには千里は出席は遠慮して先に帰ったものの、ビールを1箱差し入れておいた。チームは平塚市内で打ち上げをして、最終新幹線(平塚20:08-20:56品川21:27-23:45新大阪)で大阪に戻った。そして貴司は16日朝一番のピーチ便で韓国の仁川(インチョン)に渡った。
 
KIX 7:50 (MM1) 9:35 ICN
 
なお、男子日本代表の他のメンバーは昨日15日に成田から仁川に渡航している。
 
また女子代表の方はこの時期、合宿の合間になっていたので、この実業団競技大会にジョイフルゴールドは、玲央美と、この大会のために帰国した王子も参加して出場。圧勝で優勝した。むろん11月の全日本社会人選手権に出てくる。
 

9月22日(月).
 
G峠の問題の神社の周囲に掘られた8ヶ所の穴に“立山森の輝き”が植樹された。この作業には魚重さんの頼みで青葉も立ち会った。それで万一の雨に備えて置いていたプラスチック製の帽子と、プラダンは青葉が自分で回収した。
 
雨はあの後、山のこの付近には一度も降らなかった。周囲に雨が降ってもここには降らなかったのである。
 
この日は旧暦8月29日で2日後は朔である。青葉は植樹が黒分(満月から新月までの期間)の内にできて良かったと思った。白分(新月から満月までの期間)は物事を成長させる。黒分は物事を収束させる。
 
植樹が終わってから、今度は先日目印にパイプを差していた所を掘ると本当に豊かな地下水が湧出した。
 
「これは凄い。本当に湧出しましたね!」
と魚重さんは驚いているようであった。あの時千里は2mくらいと言っていたが、実際には1.5mほどで地下水に到達した。
 
取り敢えずここには水道の蛇口を取り付け「飲めません」の札を付けておいたが、後で水質検査をすると飲んでも大丈夫な水質であることが分かった。
 
「トンネルの怪異の方はその後いかがですか?」
「全く起きていません。どうもあれで解決したようです」
「それは良かった」
 
怪異が実際に消えたこと、そして青葉たちが言ったように半月間雨が降らなかったこと(実際には千里は1週間は雨は降らないと言っただけだが)、そして言った通りの場所から地下水が湧出したことで、魚重さんは完全に青葉たちの処置を信用してくれたようであった。
 
湧出した地下水は神社の手水舎とトイレの手洗いに利用し、排水はここまでの道を舗装した所に沿って設置するパイプに流して冬季は融雪に使用し(北陸では水で道路の雪を融かす方式が一般的)、融雪装置を使用する必要の無い夏季には500mほど下にある池に導くことになった。既に舗装(アスファルト)は3割できているのだが、工事は神社そばに作る予定の駐車場まで含めて冬になる前に終わらせると言っていた。北陸は冬になると道路工事は困難になる。
 
なおこの水は飲んでみると結構美味しかったので、最終的には「名水」として評判になり、汲みに来る人まで出るようになった。
 
青葉のアドバイスで旧神社に通じる道はわざと土砂などを積み上げ、進入できないようにした。あちらには「変なものが暴れないように」と称して自作(作ったのは彪志)の祠を置かせてもらった。が、実は青葉の後ろに居候している《姫様》の別荘にするのである。ここは昼間は新幹線の通過でうるさいので、夜間だけ行くと《姫様》は言っていた。
 
実際これまで数日に1度起きていたトンネルでの怪異も半月にわたって消えているので、あちこちに飛ばされていた運転士さんたちも新幹線乗務に職場復帰させる予定らしい。
 

千里は昨年のLFBのシーズンでは、12人のロースターの中でだいたい10番目か11番目くらいの選手の扱いだったのだが、昨年よく頑張り、スリーポイント成功数でリーグ5位になる活躍もあって、今季はだいたいチーム内で7-8位くらいの選手の扱いになっていた。昨年千里と一緒に昇格したシンユウがスターターのボーダーラインで「スーパーサブ」として使われている。今年はカナリア諸島出身のカーラもトップチームに上がってきた。
 
シーズン開幕は10月15日である。
 

9月18日から21日までは世界選手権に出る女子Aチームが東京NTCで合宿を行い、22日にトルコへ出発した。世界選手権は9月27日から10月5日までトルコのアンカラで開催される。
 
アジア大会に参加した女子Bチームは一次リーグは免除で、準々決勝からの試合になった。その準々決勝でインドに勝ち、準決勝で韓国と当たったが、これに敗れてしまう。そして三位決定戦では台湾に勝ち、日本はこの大会3位となった。
 
この問題について日本国内では選手選考に問題が無かったか?と協会を批判する声があがった。もっともこの時期日本バスケットボール協会は混乱の極致の状態にあり、その批判の声を受け止めることさえできない状況だった。
 
FIBAから指定された回答期限があと1ヶ月に迫る中、bj側との話し合いは全く進展していなかった。そして日本バスケ協会の一部には「締め切りまで待って、その後FIBAの指示に従えばよいのでは?」という信じがたい意見まで浮上していた。
 
アジア大会で男子の方はこちらも一次リーグは免除で2次リーグからの参加となった。グループF(日本・カタール・クウェート)で日本はカタールに敗れ、クウェートには勝ったもののF組2位で3次リーグに進む。ここで日本はイランに82-59で負け、中国に72-79で勝ち、モンゴルに70-96で勝ち、G組2位で決勝トーナメントに進む。そして準決勝で韓国と当たるがこれに敗れ、3位決定戦に回ってカザフスタンに勝ち、最終3位でこの大会を終えた。
 
男子の方はまあまあの健闘であった。
 

9月27日(土)に帰国した貴司は、阿倍子から「お母さんの病状説明を一緒に聞きに行って欲しい」と言われ、名古屋で落ち合うことにする。27日は新横浜のいつものホテルに千里と一緒に泊まり、28日の午前中に名古屋に移動。お昼すぎに新幹線で大阪から出てきた阿倍子と会う。そして病院に行き、医師の説明を受けた。
 
貴司は、この人がひょっとしたら阿倍子の実父かもという人か、と思いながら医師の説明を聞いた。言われると顔の作りが似ているような気もしないではない。
 
正直「病状説明」と聞いて、かなり状態が悪いのではと覚悟していたのだが、むしろ以前より良くなっているということだった。特に腎臓が奇跡的に機能回復してきていることから、塩分の禁忌が無くなったらしい。透析も7月からは月1度にしたという。
 
それなら通院でもいい?でも退院した場合、どこに置くことになるのだろう?と貴司は悩んだ。
 
「そう遠くない時期に退院出来ます?」
と阿倍子は訊いたのだが
「それなんですけど、退院なさった場合に、誰か食事の管理ができます?」
と医師は逆に阿倍子に質問した。
 
「カロリー計算しないといけないんですよね?」
「はい。そうです。お母さんの場合、1日のカロリーを1300kcalに抑える必要があります。それを越して食事をした場合、命の保証をしかねます。ご家庭ではきちんとカロリー計算した食事を規定量守って与えるとともに、お菓子などを含めて全ての食品を鍵の掛かる棚に保管すること。冷蔵庫も施錠すること、お母さんを絶対にひとりにはしないことなどが必要です」
 
「冷蔵庫の施錠ですか?」
「ホームセンターなどにキットが売ってますよ」
「じゃそれ買ってくるかな」
 
「でも母は、すぐ買い食いするんですよ」
「病院ではそれを看護師たちにもヘルパーたちにも強く言い聞かせて、絶対に余分なカロリーを取らないようにさせています。自販機とかでジュースを買えないよう、財布も通帳も私がお預かりしています」
 
まあボーイフレンドが管理してくれるのなら問題無いだろう。
 
「私、自信無い」
「僕も仕事の関係でほとんど家に帰られない状態だからなあ」
 
「だったら、まだ当面入院しておいてもらいますか」
「すみません。個室代はずっと払っていきますので」
 
多人数いる病室に入れると、他の入院患者から食べ物をもらったりするので、個室に入れているという事情もある。
 

それで病院を出るが、何だか物凄い雨である。タクシーを呼んで名古屋駅へと言ったのだが
「お客さん、新幹線なら停まっていますよ」
と言われる。
 
「え〜!?」
 
何でも台風が接近していて名古屋直撃コースらしい。
「バスとかも運行を見合わせているみたいだから、どこか泊まった方がいいです」
 
それで貴司は何度か泊まったことのある栄(さかえ)のホテルに電話してみると幸いにもツインの部屋が取れた。
 
「運転手さん、栄の**ホテルへ」
「分かりました」
 

それでホテルに行きチェックインするが、着替えが無いことに気付く。
 
「スーパーにでも行って買って来よう」
と言って出かける。雨もかなり強くなってきているが、ホテル近くのコンビニで傘を買い、それを差してスーパーまで行く。何とか着換えを買うことができた。
 
「お腹も空いたね。お総菜でも買っていく?」
「それよりどこかで一緒に食事したいな」
「だったら、さっきサイゼリヤの看板があったね」
「あ、サイゼリヤ好き」
 
それで買物の荷物を抱えたままサイゼリヤに行くことにした。お店は混んでいたものの、空席があるので、そちらに向かう。ところが途中で阿倍子が濡れた床に滑ったのか、転んでしまった。変な所を打ったようで阿倍子は立てないようである。
 
「阿倍子さん、阿倍子さん、大丈夫?」
と声を掛けるが、何だか痛そうである。
 
その時、近くのテーブルで食事をしていた女子高生がこちらに来て、阿倍子を抱えて立たせてくれた。阿倍子もいったん立つと何とかなるようである。
 
「ここに座らせなよ」
と別の女子高生も席を立つので、最初に助けてくれた女子高生と貴司とで協力して何とか阿倍子を席に座らせた。
 
「ちょっと見せてください」
と言って、女子高生が阿倍子のスカートをめくり打った場所を見ている。
 
「ストッキング下げていいですか?」
「はい」
 
どうも内出血しているようである。別の女子高生がマキロンを持っていたので患部に掛けて取り敢えず消毒する。そして最初に席を立った女子高生はそこに自分の手を当てて、目を瞑った。
 
「何か痛みが取れていく感じ」
と阿倍子が言う。
 
「この子はヒーリングの達人なんですよ」
と別の女子高生が言った。
 
「へー!」
 
それで実際5分もすると、阿倍子はだいぶ楽になったようである。
 
「嘘みたいに楽になりました」
と阿倍子。
 
「あとはふつうの湿布薬を貼っておけば明日の朝くらいまでには完全に痛みは取れますよ」
と女子高生が言う。
 
「助かりました。あ、私こういうものです」
と言って貴司は自分の名刺を彼女に渡した。
 
「あ、どうもです。名刺を切らしておりまして」
などと彼女は言っている。
 
「私たちは通りがかりの富山県の女子高生ということでいいかな」
と別の子が言った。
「まあ男子高校生じゃないよね」
「富山からいらしたんですか?」
「そちらは大阪からいらしたんですか?」
などと言っていた時、貴司が渡した名刺を覗き込んだ、女子高生の1人が
 
「あ、あなた、バスケット日本代表の細川貴司選手ですよね?」
と訊いた。
 
「はい。でも社員選手なんで、バスケット選手という肩書きの名刺は作ってないんですよ」
と貴司は答える。
 
「サインもらえませんか?」
と女子高生が言うので、
「いいですよ」
と言って貴司もサインに応じ、彼女の手帳にサインを書いてあげた。
 

青葉は実はこの日名古屋近くの町でコーラス部の大会があり、出てきていたところを貴司たちと同様、台風で足止めを食らい、高岡に戻れなくなって1泊することにしたのである。そして夕食を取りにサイゼリヤに来ていて貴司たちと遭遇した。
 
青葉は最初見た時からそのカップルの男性の方に見覚えがある気がしていたのだが、美津穂が「バスケット日本代表の細川貴司選手」と言ったことで、ハッとした。これこないだちー姉が写真を見せてくれた「10年付き合った彼氏」じゃん。
 
この人がちー姉の思い人か!そしてこの女性がその不妊治療をしている奥さんか。
 
こないだ、ちー姉は自分に奥さんの体外受精が成功するように手伝って欲しいと言った。それに対して、青葉は会ったことのない人をリモートでメンテすることはできないと言った。すると千里は「それまでに会えるようにする」と言った。
 
そして、今自分は細川さんと奥さんに会っている。治療もしたので青葉の手はこの奥さんの固有データを覚えた。
 
これって偶然の遭遇じゃない訳??
 
チラット後ろに意識を持っていくと《姫様》が楽しそうにしている。
 
要するに、このような遭遇が起きることをちー姉は予測していたから、あの時「会えるようにする」と言ったのか。ちー姉って予定調和が凄すぎるよ!
 

2014年9月27日から10月5日までトルコのアンカラで行われた女子の世界選手権。
 
日本はグループAで、ブラジル・チェコ・スペインと同じ組であったが、この予選リーグで日本は全敗。予選敗退という悲惨な成績に終わった。U20アジア選手権とぶつかり選手を分割した2010年の大会でも10位だったのに。
 
あの時活躍した高梁王子は今回召集されていない。
 
今年の日本女子代表チームはAチーム・Bチームともに不本意な結果となった。
 

2014年10月5日および11日に千葉県バスケット秋季選手権(総合予選)で、ローキューツは優勝して、関東総合へ駒を進めた。
 

2014年10月5日(日).
 
貴司たちは10回目となる体外受精を行った。
 
《きーちゃん》は10月4日(土)に札幌へ行き、またまたスクーリングで札幌に出てきている武矢と同じホテルに泊まった。そして10月5日早朝、武矢が半覚醒の状態で小春が採取した精液を持ち、飛行機で大阪に向かう。
 
千里は10月4日の午後インプレッサに乗って兵庫県市川町に赴いた。市川ラボで貴司と一晩一緒に過ごして明け方貴司の精液を採取する。貴司は眠ってしまうので、千里自身は豊中市内で待機していた《いんちゃん》と位置交換してもらう。
 
千里は豊中市の病院に行き、卵子の採取をしたが、例によって
眷属たちをできるだけ遠ざけている。
《きーちゃん》は精子採取のため札幌。
《すーちゃん》は千里の身代わりでスペイン。
《びゃくちゃん》は常総ラボ。
《いんちゃん》は市川ラボ。
《てんちゃん》はこの日はファミレスの夜勤明け。
《げんちゃん》と《せいちゃん》は市川町のアパートの改修作業。
 
それで残っていたのは《とうちゃん》《りくちゃん》《こうちゃん》《たいちゃん》《わっちゃん》である。
 
卵子の採取をする時そばに居たのは《たいちゃん》と《わっちゃん》だけで《とうちゃん》たち3人は廊下で待機していた。全員千里の「大神様の操作で誰かの身体を重ねられた」という説明を信用している。
 
何度もやるとバレる気もするのだが、多分今回で卵子採取は最後だと千里は思っていた。
 

卵子の採取が終わったら《いんちゃん》と交替で市川ラボに戻る。やがて目を覚ました貴司と一緒にA4 Avantに乗り、千里(せんり)まで行く。千里が降りて代わりに阿倍子を乗せて産婦人科に行く。精液を提出するとともに、阿倍子を入院させる。
 
それより少し前に《きーちゃん》が武矢から採取してきた“千里の精子”を持ってきて病院のスタッフに渡した。
 
5:20■小春が武矢を射精させる。
5:30■きーちゃんが精液バッグを受け取る
6:15■きーちゃんが札幌を出る。 札幌6:15(AirPort60)6:53新千歳
6:00○市川町で貴司を射精させる。
6:30○千里が豊中市の産婦人科に入院。
7:30○千里の卵子採取(局所麻酔)。
7:35■きーちゃんが新千歳を発つ CTS 7:35(JL2000)9:30 ITM
9:00○千里が退院。市川に戻る。
9:30■きーちゃんが伊丹到着
10:15■きーちゃんが理歌の振りをして精液を届ける
10:30○貴司が目覚め、一緒にブランチを食べる
11:00○貴司と千里が市川町を出発(千里が運転)
12:00○貴司と千里が千里到着。千里が降りて阿倍子を乗せる。
12:30○貴司と阿倍子が産婦人科到着(貴司が運転)。
14:00○阿倍子の卵子採取(静脈麻酔)。退院は翌日。
 
受精は12:30に貴司が自分の精液のバッグを持って病院に到着した時点でDHを、14:00頃に阿倍子の卵子が採取出来たところでWCを受精させた。
 
DH.卵子提供者から採取した卵子×貴司の精子
WC.阿倍子の卵子ד理歌”が持ち込んだ精子(実は千里の精子)
 
こういう組み合わせにすることで、どちらの受精卵が定着しても、子供は貴司か阿倍子かどちらかの遺伝子を受け継ぐことになる。これを“理歌”が持ち込んだ精子と卵子提供者から採取した卵子で受精卵(DC)を作れば夫婦どちらの遺伝子も引き継がないことになってしまう。
 
そしてこれは医者も貴司も知らないことだが、DCの組み合わせでは千里の精子と千里の卵子を掛け合わせることになってしまい、大いに問題があるのである。
 
それでこの組み合わせは絶対に間違わないように行う。今回阿倍子からは3個、千里からも3個の卵子を採取している。
 
貴司は受精が終わるとA4 Avantで帰宅した。
 

千里(せんり)で降りた千里(ちさと)はピーコックで買物をしてマンションに入り、貴司が(A4 Avantで)病院から戻ってきたのを待ち、一緒に夕食を取ってお泊まりデートをする。寝室ではなく隣の客間を使う。むろんセックスはしないのだが、射精はさせてあげる。
 
そして10月6日(月)は「あなた、いってらっしゃーい」と言って、貴司を送り出した後、自分が居た痕跡を消してからマンションを出、A4 Avantを運転して市川ラボに行き、そこで自分のインプレッサに乗り換えて東京に戻った。
 
貴司は午後3時で会社を終えるとチーム練習は休ませてもらって病院に行き、阿倍子と一緒にタクシーでマンションに戻る。その夜は久しぶりに貴司もマンションで朝まで過ごした。
 

ところで市川ラボをインプレッサで出た千里は、少し考え事をしたかったので自分で車を運転して東京に戻ろうとした。ところがふと気付くと、いつの間にか北陸道を走っていた。米原JCTで直進して名古屋方面に進まなければならない所をうっかり分岐して北陸道に入ってしまったようであった。
 
あれ〜?なんで間違ったんだろう?と思う。
 
ま、いっか。ついでだから高岡に寄って行こうと思う。取り敢えず賤ヶ岳SAで停めて青葉たちへのお土産にお菓子を買ってから高岡まで行ったが、月曜日なので朋子は会社に行っているし、青葉は学校に行っている。それでお菓子はメモを付けて居間のテーブルに置き(千里は一応ここの鍵を持っている)、桃香の好きな鱒寿司でも買って帰るかと思い、8号線を富山方面に向かって走った。富山空港近くの笹義で“ますの寿し”の輪っぱを1つ買う。ここが桃香のお気に入りのお店なのである。
 
それで帰ろうとしていた時、千里は竹刀を持った中学生くらいの少女を見た。そして反射的に言っていた。
 
「ね、君、今日は学校無いの?」
 
彼女は千里を見ると逆に訊いた。
 
「お姉さん、補導員か何か?」
 
「ううん。私は通りすがりのバスケットボール選手」
「へー! バスケットするの?」
 
彼女は果たし合いをして来た所だと言った。
 
「ちなみにこの竹刀は念のため持って行っただけで、実際には素手で倒したよ」
「偉い偉い。喧嘩は道具使っちゃいけない。お互い素手でやるもんだよ」
「お姉さん、話分かるね」
 
それで気を良くした彼女は状況を説明した。自校の女子生徒が他校の男子生徒にレイプされた件で両者の中学の番長同士の争いになったが、女が被害者だったのに男同士で決着つけられるのは不愉快だと言って、彼女が向こうの学校の番長と果し合いをして倒してきたらしい。
 
「へー、男の子に勝ったんだ?」
「私はそこら辺の人間の男には負けないよ」
「まあ、そういうのもいいんじゃない?」
 
「やっぱ、お姉さん、話が分かる人みたい。名前教えてよ」
「私は千里。君は?」
「私はアキ」
 
と少女は言った。
 
そして彼女は自分にバスケットを教えてくれないかと言った。何となく意気投合したので千里も「いいよ」と言い、近くの体育館まで彼女を乗せていき、空いていたので1時間借りる。それでアキの方を振り返って「借りたよ」と言うと、そこにはバッシュを持った、何だか儚げな少女が居た。顔はさっきまで居た少女と同じだが、雰囲気がまるで違うのである。
 
「君、アキちゃんだよね?」
と千里が尋ねると
 
「えっと・・・・私ハルです。ここどこ?」
などと彼女は訊く。
 
「市民体育館だけど」
「私、なぜここに居るの?」
 
ちょっと待て。この子、私に拉致されたとか騒ぎ出さないだろうな?と千里は焦る。
 
「君がバスケの練習をしたいと言うから連れてきたんだけど。君もバッシュ持ってたんだね」
 
「あ、このバッシュお姉ちゃんのだ」
などと彼女は言っている。
 
千里はもしかしてこの子、さっきアキと名乗った子の双子の妹で「お姉ちゃんのバッシュ」ってそのアキの方のバッシュなのかな?と思った。
 
「バスケの練習する?」
「してみたい!」
と彼女が言うので、千里は微笑んで
 
「1時間借りたから。それで少し練習してから、お昼には君を学校に送り届けるよ」
と言った。
 
それで千里はこの左倉ハルちゃんと一緒に1時間ほど汗を流した。彼女はバスケの初心者だったが、ひじょうに良い運動神経を持っていた。
 
「ハルちゃんはバスケは何でやってみようと思ったの?」
「お姉ちゃんがバスケ強かったの。もう死んじゃったんだけどね」
「へー!」
 
お姉ちゃんが死んじゃったって・・・まさかさっき私が最初に話した女の子がその死んだお姉ちゃんで、幽霊だったんじゃないよね?と千里は冷や汗を掻いた。
 
しかし千里はこれを機会にこの左倉ハルちゃんを度々指導してあげることになったのである。もっとも学校があっている時間に教えたのはこの時だけで、次回からは学校が終わった後にしている。そして彼女はみるみる上達していき、その上達スピードに千里は驚くことになる。
 

∞∞プロの鈴木社長と§§プロの紅川社長はその日も秘密の会談を持った。2人はこの所頻繁に会って話をしている。
 
「そういう訳で残ったのはこの3人なんですよ」
「これは3人ともヒバリちゃんにかなり接触を持っているよ」
「でしょ?しかも薬物検査に協力してもらえない。忙しいと言われて」
「忙しいとは思えないけど」
「そうなんだよ。だから今この3人の身辺調査を進めている」
「すみません。本当にお手数をお掛けして」
 
「いや。これはもう§§プロだけの問題ではなくなった。実はこれを機会にうちの系列の全てのプロダクションで全タレントの薬物検査を進めた所、薬物使用者が5人も見つかったのですよ」
「そんなに!?」
 
「その内の2人は知っていて使用していた。僕自身が面接して話した。彼らは二度と使わないと約束した。だからそれを信じることにした。彼らは半年間の謹慎にするけど、その間も給料は出す」
「優しいですね」
 
「残りの3人は本人も知らなかったというんだな。どうもヒバリ君と同じケースのようなんだよ」
 
「うーん・・・」
「その子たちの周辺調査も進めているんだけど、結果的にね」
と言って鈴木社長は1人の人物の名前が書かれた紙を見せる。さっきヒバリの周辺に居たと言っていた3人の内の1人である。
 
「この人はこの3人とも接触があるんだな」
「ホンボシなのでは?」
「その可能性が濃厚だと思う。彼女にはちょっと怖い思いをしてもらった方がいいかな」
「・・・・・」
「ああ、今の聞かなかったことにしてね」
「ええ」
 

桃香は、2年ほど前(実は千里との“結婚”が破綻した直後)から断続的に続いていた真利奈との関係が、彼女の帰郷で消滅してしまい、公的?には別れて友だちに戻っている季里子との関係だけを維持していたのだが、彼女は出産直後で性的な関係は結べない。千里も忙しくしていて、なかなか会えないことから、その日は久しぶりに都内のガールズ・オンリー・バーに出かけてみた。例によって入店時に、性転換した元男と思われて一悶着あるが、店内に居た常連客が桃香を知っていて、間違い無く天然女と証言してくれたので中に入ることができた。
 
その日はわりと豊作で、数人の女の子と楽しく会話することができて、桃香もここしばらく溜まっていた“浮気心”を解消することができた。3人の女の子と会話し、その3人目が帰宅してしまったので、こちらもそろそろ引き上げようかなあと思っていた頃、身長は167-8cmと長身であるものの、すっごく可愛い雰囲気の女の子が入って来た。桃香はすぐにその子の隣に座った。
 
「こういう所初めて?」
などと声を掛けると何だか恥ずかしがっている。かなりウブな子のようだ。
 
「カクテル分かる?」
「実はそれあまり詳しくなくて」
と話す彼女のトーンは思ったのより低い声である。
 
「じゃ教えてあげるよ」
と言って、割と人気のあるカクテルについて桃香は解説してあげる。それで彼女は結局チャイナブルーを頼むことにした。
 
「きれ〜い!」
と言って喜んでいる。
「度数も低いから飲みやすいと思うよ」
それで彼女には甘口のカクテルをいくつか勧めて、ファッションのこととか、音楽の話題とか話していたのだが、彼女が結構洋楽、特にガールズバンドに詳しいので、わりと意気投合する。
 
しかし調子に乗っておしゃべりしながら適当にカクテルを頼んでいたら、酔ってしまったようである。トイレに行って来たが足取りが怪しい。
 
「ごめーん。飲ませ過ぎちゃったかな」
「いえ。私も調子に乗って飲み過ぎたみたい」
「ひとりで帰れる?」
「はい。大丈夫です」
と言ったものの、彼女の足取りは怪しい。
 

「送っていくよ。下心無しで」
と桃香は言い、彼女が飲んだ分も一緒に精算してお店を出た。
 
「どこに住んでいるの?」
「千葉市なんですけど」
「私も千葉市だよ。じゃ一緒に電車に乗っていこう」
「すみませーん」
「でも千葉のどの付近?」
 
千葉方面なら、総武線に乗るか、京葉線に乗るか、あるいは京成に乗るか、場所次第で変わってくる。
 
「緑区なんですよ。京成の学園前という所が最寄り駅なんですが」
「ああ。だったら京成で行けばいいね」
と言って桃香は彼女と一緒に京成上野駅まで行った。津田沼で、ちはら台方面に乗り換えられるはずである。桃香は彼女を学園前まで送っていった後、西登戸駅まで戻れば自分のアパートまで歩いて帰れる。
 
それで一緒に電車に乗る。幸いにも座席が空いていたので並んで座った。ふたりでお店の中での会話の続きのような感じで、ケイティ・ペリーが昨年出したアルバム『Prism』のことなど話していた。やがて津田沼駅に着くので乗り換える。席を立った時、彼女が一瞬ふらっとしたので慌てて支えた。
 
しかしその時桃香は彼女の身体に触って「え!?」と声を出してしまった。
 
取り敢えず電車をおりる。
 
「えっと君さ、もしかして」
「ごめーん。あのお店では私の性別内緒にしてくれる?あそこ結構気に入っちゃったし」
「まあいいけどね」
 
まあこの子なら女にしか見えないから問題ないだろう。
 
そして彼女は言った。
 
「ごめんね。桃香さんにお手数掛けちゃって」
 
「・・・・」
「え?どうかした?」
「私、本名、名乗ったっけ?」
 
あの店ではレスビアンの子が多いこともあり、本名はあまり名乗らない習慣がある。
 
「あ・・・」
「ちょっと待って」
と言って、桃香は彼女の顔をあらためてじーっと見た。
 
「あ!」
桃香はようやくその人物の“正体”が分かった。
 
「全然気付かなかった!あんた、夏樹さん?」
 
それは季里子の前夫・古庄夏樹だったのである。あまりにも可愛くメイクしていたしロングヘアだし、今夜は女声を使っていたので、全く気付かなかった。
 
「ごめーん。見逃して。季里子にも内緒にしてくれない?」
「じゃ季里子は知らないの?」
「うん。多分」
 

「ちなみにおっぱいはあるの?」
「内緒」
「ちんちんあるの?」
「内緒」
「たまたまあるの?」
「内緒」
 
「なぜ内緒にする〜〜?」
 
だけど彼、季里子との間に子供作ったんだから、睾丸はあるよね?ね??ね???
 
「足のムダ毛と顔のムダ毛と脇毛は全部レーザー脱毛してる」
「なるほどね〜」
「喉仏は数年前に削っちゃったし」
「あ、そういえば喉仏が目立たないなと思ってた」
「この髪の毛は自毛だよ。普段はワイシャツの中に入れて隠してる」
「凄い」
「下着は女物しか持ってない。実は季里子と結婚生活している時は男物つけてたから自分でも全然落ち着かなかった。会社にもブラジャー着けて出て行く」
「へー。でもウェスト細いね。66cmくらい?」
「これウェスト61cmのスカートだよ」
「負けたぁ!」
 
桃香は71cmのズボンを穿いているのである(桃香はスカートを持っていない)。
 
「ちなみに女の子名前は?」
「えっと。モニカかな。こういうのもある」
と言って見せてくれるのは MONIKA KOSHO という名前の入ったクレカである。
 
「こんなのよく作れたね〜。でも由来は?」
「えっと・・・そういう名前のポルノ女優さんがいたもので。Gカップで、この胸すげーと思っていたんだよね」
 
「あまり人には言えない由来だな」
 

10月11-13日の連休に、足立区にある§§プロの研修所で、デビューを控えている、佐藤絢香(品川ありさ:フレッシュガール2014)と柴田邦江(高崎ひろか:初代ロックギャル)が集中研修を受けていた。ふたりとも中学3年生である。
 
今回の研修は、10月10日(金)の夕方から始まり、13日(月)の夜遅くまで合計36時間の講義が行われ、14日(火)早朝に開放されるという高密度授業である。神奈川県在住の絢香は火曜日朝の授業に間に合うが、北海道在住の邦江は結局火曜は学校を休まざるを得ない。金曜も学校を休んで出てきている。一応、彼女は11月までに都内の私立中学に転校する予定である(そこから同系の高校に内部進学できる)。
 
実はこの研修所は寮も兼ねており、邦江は東京に出てきたら高校を卒業するまではこの寮に住む予定である。寮には他にも数人の(地方から出てきた)研修生が住んでいる。防音の音楽練習室が4つと講義室が1つ、居室が10個あるが、食事は隣の棟の、紅川社長の自宅で、社長の奥さんの手料理を食べるシステムになっている。プロの料理人を雇った方が美味しい料理を食べられるだろうが、10代の子には家庭の感覚を味あわせたいという紅川夫妻の考え方なのである。§§プロの先輩・神田ひとみ(17)も昨年まではここに住んでいた。現在住んでいるのは研修生だけである。
 
佐藤絢香と柴田邦江は初日、お互い紹介しあって握手をした。
 
「わあ、あなたが初代ロックギャル?フレッシュガールコンテストの最終選考まで残った人でロックギャルコンテストでも最終選考まで行ったという人が言ってたのよ。凄い可愛くて歌の上手い子が優勝したって」
と絢香が言うと
 
「いや、それ私じゃないのよ。私は準優勝なのよね」
と邦江は言う。
 
「へ?なんで?」
「優勝者はなんか参加資格が無かったらしくて」
「あらら」
「だから私が繰り上げで初代ロックギャルになったけど、優勝者は別途第1回ロックギャルコンテスト優勝者としてデビューさせるらしい」
 
「資格が無かったって、年齢が足りなかったのかな?」
「応募資格は、芸能事務所と契約していない12-19歳の女性ということだけど、20歳すぎには思えなかったからまだ11歳だったのかも」
「他の芸能事務所と契約していたとかは?」
「それなら別途デビューにはならないだろうし」
「あ、そうか。女性ではなかったとか?」
「まさか。あの子が男だったら、私、裸で山手線一周しちゃう」
 
(と言ってしまったことを高崎ひろかは後悔することになる)
 
「じゃやはり年齢かなあ」
「かもね」
「でもそういう子なら、別の名目でデビューさせたいだろうね」
 
「今回彼女も来るのかなと思ってたけど、来てないみたいね」
 
今回の講師は、ベテラン歌手の立川ピアノ、芸能学校講師の下條泰美がメインで、それに作詞家のゆきみすずが4枠、日野ソナタ、春風アルト、秋風コスモス、川崎ゆりこ、桜野みちるも1枠ずつ登場する。ほか若干の外部講師も頼んでいるが、全員女性である。この研修所は基本的に男子禁制になっている。
 
しかしとにかく高密度の授業なので、ふたりとも「頭が爆発する!」と叫んでいた。
 

10月10日(金).
 
10月5日に体外受精させて育てていた胚を阿倍子の子宮に移植することになった。今回、作成した受精卵は6個とも育っていた。それでその内の2個(WC群とDH群から1個ずつ)を子宮に投入し、残り4個は冷凍して、今回失敗した場合には来月それで胚移植をすることにする。
 
千里は前日に産婦人科に連絡し、自分の卵子が子宮に投入される現場の近くに居たいという希望を伝えた。それで貴司や阿倍子と顔は合わせないものの、病院の2階の病室で待機していていいことにさせてもらった。そこで朝から新幹線で大阪に向かい、お昼前に入院させてもらった。この費用は千里が負担する。
 
阿倍子はいつものようにお昼前に起きて、のんびりとお昼を取る。阿倍子はあまり料理も得意ではなく、しかも“ほぼ一人暮らし”状態なので、しばしばお昼はカップ麺なのだが、今日は赤ちゃんを身体に迎え入れる日だしと思い、出前でカツ丼を取って食べた。
 
15時過ぎに貴司が戻って来る。A4 Avantにふたりで乗って病院に行く。それで色々検査を受けて17時頃、胚移植を実行することになる。この時刻は医師が2階病室にいる千里にもメールで伝えてくれた。
 

千里は青葉に電話した。青葉は学校から帰って宿題をしていたようである。
 
「今から胚移植やるんだけど、お願いできる?」
「うん。そこ大阪だよね?」
「正確な位置を言うね」
と言って千里は青葉に緯度・経度を伝える。青葉はその場所をGoogle Mapで確認。地図上に病院の名前が入っているのを見る。
 
電話を繋いだまま先日の新幹線トンネルの怪異のその後について色々話していたが、30分ほどして
 
「胚移植を始めるみたい」
と千里が言う。
「OK。奥さんの波動を捉えた」
と青葉。
 
「今、奥さんはベッドに横になった。足を広げて楽にしてと言われている所」
 
この時、千里自身もベッドに横になって下着を脱ぎ、足を広げる。
『小春?』
『挿入される直前に入れ替えるから』
『よろしく』
 
「お医者さんが培養した受精卵を吸い上げたチューブを・・・・今膣に挿入した」
と千里が青葉に伝えた瞬間、千里はショックが来るのを感じる。
 
この瞬間、小春が阿倍子の女性生殖器(卵巣・卵管・子宮・膣など)と、千里の女性生殖器を交換したのである。これは妊娠が成功した場合は出産後(後産の後)、失敗した場合は次の生理の時に自動的に元に戻る。
 
そして阿倍子の生殖器が自分の体内に入った瞬間、この人が妊娠出来るわけないと千里は確信した。この生殖器はあまりにも機能が低すぎる。卵巣も子宮もよくない。膣もまるで性転換手術で大腿部の皮膚など伸縮性の無いものを材料にして作った人工膣みたいに出来が悪い。これではセックスした男性は充分な快感を得られないだろうと思った。きっとコンニャクの方が気持ちいい。
 
まあどっちみち出産まで貴司はセックス無しだな。
 
なお、体液循環上は阿倍子の体内に入れられた生殖器はあくまで千里の身体の一部として動作する。結果的に千里の脳下垂体の管理下になる。また受精卵投入用のチューブが自分の体内に入ってきているのを千里は感じていた。これって一種のセックスだよね?貴司との2年ぶりのセックスだ。
 
そして私は貴司の精液を受け入れて妊娠する。
 
この初めての妊娠を体験する女性生殖器は千里が小学4年生だった2000年9月に骨髄液を取られて、それからIPS細胞を作成し、小春の体内で2年半育ててから千里に再移植されたものである。IPS細胞としてリスタートしてから14年。つまり女子中学生が妊娠するようなものだ。
 
千里は万感の思いのあまり涙がこぼれた。《たいちゃん》が心配するようにこちらを見ていた。
 

青葉は千里を通して伝わってくる「情景」が物凄くビジュアルであることに驚いていた。まるで青葉自身がその場にいるかのように「見える」のである。やはりちー姉って凄い霊的能力を持っているみたい、と思っている。
 
「今、受精卵が投入された」
と千里。
「誘導するよ」
と青葉。
 
青葉にはその瞬間、チューブの先から飛び出した受精卵が2個見えた。しかし1個は明かな欠陥品だ。精子か卵子かどちらかが極端に品質が悪かったのだろう。育つ訳が無い。しっかりしている感じの1個に意識を集中して、その受精卵が無事、子宮粘膜に着陸するのをサポートした。
 
「30分くらい安静にしているように言われている」
「1時間安静にしておいて欲しいんだけど」
「伝える」
 
それで千里は医師に電話して「奥さんに1時間以上安静にしてもらって欲しい」と伝えた。結局阿倍子は2時間ほど休んでから帰宅することにしたようである。
 
その間、青葉は千里との電話を通じてずっと阿倍子の生殖器(実は千里の生殖器)に気を送り続けてくれた。千里は下着は戻したものの、ずっと阿倍子同様、病室のベッドで寝ていた。1時間ほどで着床した受精卵は安定したので青葉のサポートは終了し、千里の現場中継も終了した。
 
「青葉、ありがとう。お疲れ様」
「ちー姉もずっと中継しててお疲れ様。でもこれは成功したと思う」
「良かった」
 
「でも、ちー姉、あの後考えていたんだけど、元彼が奥さんとの間に子供を作るのをサポートしても平気だったの?私なら凄く辛いと思うのに」
 
「私の子供だからね」
 
実際卵子は千里の物、着床した子宮も千里の物である。更に精子は貴司のものだから、これは貴司と千里の“愛の結晶”なのである。京平、お母ちゃん頑張ってあんたの身体を作るからね、と千里は考えていた。
 

青葉はこないだからずっと疑問に感じていたことを言ってみた。
 
「もしかして、使用した卵子は奥さんのじゃなくて、ちー姉の卵子?」
「私に卵子があるわけ無い」
「じゃ精子がちー姉の?」
 
「過去の試みで、貴司の精子と阿倍子さんの卵子では受精卵が育たないのが確認済みなのよ。それで生殖細胞を他の人から借りることになった」
「だから体外受精なのか」
 
「受精卵は2個投入したけど、1個はダメだったでしょ?」
「うん」
「そちらが阿倍子さんの卵子と私の精子を掛け合わせたもの」
「ああ」
「だから、着床したのは貴司の精子を使用したものだよ」
「その卵子は誰のもの?」
「内緒」
 
なぜそれを内緒にする!?
 
姫様が笑っている。それで青葉はその卵子はやはり千里の卵子だと確信した。なぜ千里に卵子があったのかは分からないけど。
 
「だけど、ちー姉がそばに居ることを、よく奥さんが承知したね。夫の前妻なんて普通なら不愉快な存在だろうに」
 
「私は病院内には居たけど、別室だよ。胚移植をしたのは1階の処置室。貴司はその外の廊下。私は今2階の病室に居る」
 
「だって細かい状況をレポートしてくれてたじゃん」
「そりゃ、こんなに近くに居たらそのくらい見えるよ」
「ふつうの人は壁や床の向こうの様子なんて見えないんだけど!?」
「そうだっけ?」
 

阿倍子と貴司がA4 Avantに乗って帰宅した後、千里も退院することにし、精算して病院を出た。貴司には今日1日阿倍子さんに付いててあげて言ってある。千里は少し不愉快な思いが湧き上がってくるのを抑えて、新幹線で帰京した。
 
阿倍子の女性器はこれから出産までの10ヶ月間千里の体内に置かれたことで物凄く機能回復することになるのだが、そのことを千里も阿倍子も知らない。
 
なお妊娠するのはあくまで千里なのだが、どうしてもホルモンが漏れていくので阿倍子もHCGホルモンが高い状態になる。
 
 
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【娘たちの卵】(6)