【娘たちの卵】(4)

前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6 
 
龍虎は夏休み中はバレエのレッスンに行く回数を増やしたこともあり、8月中旬頃には完全にトウで立って演技ができるようになった。先生たちも龍虎の上達のスピードには驚いていた。
 
「年末で辞めるって惜しいわあ」
「でも芸能デビューって凄いね。龍ちゃんなら凄く可愛い少女アイドル歌手になれるよ」
と言ってから
「あれ?少年アイドルだっけ?」
と訊かれる。
「女の子アイドルになってもいいよと言われましたけど、男の子として活動したいですー」
と龍虎は答えた。
 
「ちんちん無いし、おっぱいあるんだから女の子に準じていいと思うけどなあ」
などと日出美は言っていた。
 

夏休み中は例によって蓮花がオーストラリアの別荘に行っていて欠席なので、『白鳥の湖』冒頭の人間のオデットが魔法を掛けられて白鳥に変身するシーンは日出美と龍虎で練習していた。ベニヤ板で作った岩の書き割りの後ろに日出美が入り、その影に隠れていた龍虎がパ・ド・ブレ(細かく足を動かす動作)で躍り出る。
 
日出美がロマンティックチュチュで人間体のオデットを演じ、龍虎がクラシック・チュチュで白鳥体のオデットを演じるのである。
 
夏休みの段階ではまだ書き割りが作られていないので、カラーボックスを1個置き、それを岩に見立てて練習した。
 
「ドラゴンジュニアフェスティバルでは日出美ちゃん頑張ってね」
「龍ちゃん、1月までしてくれたらいいのに」
「ごめんねー。今年は台湾に行って公演というからボクも楽しみにしてたんだけど」
 
結局年末の発表会では龍虎と蓮花のダブルキャストでやるが、ドラゴンジュニアバレエフェスティバルでは、日出美と蓮花のダブルキャストで演じることになる。オディールを蓮花、4幕のオデットは日出美が演じるが、1〜2幕のオデットをどちらが演じるかはまだ決めていない。
 
「でも蓮花ちゃん、まだ15回くらいしか回転できないって言ってた。オーストラリアに行ってる間にも練習するとは言ってたけど」
 
「まあ年末までに32回できるようになればいいんだけどね」
 

ライブの途中で錯乱した様子を見せたヒバリは幕を下ろした後、数人の男性スタッフの手で控室に連れ戻された。水を飲ませたり、月原が手を握ってあげたりしている内に本人も少し落ち着いたものの、今度は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って泣き出す。しかしまだ表情は少しボーっとしている。
 
八雲が東京にいる紅川社長と電話で話してライブの中止を決めた。紅川自身もすぐこちらに向かうということだった。
 
「病院に連れて行きましょう」
と言った月原マネージャーに対して、腕を組んで考えていた★★レコードの八雲礼朗は言った。
 
「いや。病院に連れて行ってはいけない」
「え〜〜!?」
「ちょっと電話します」
と言って八雲はある所に電話して少し話していた。
 
ちなみにここはヒバリが安心できるように“女性のみ”にしていて男性スタッフは遠慮しているのだが、概して八雲は女性だけの場に居ても全く違和感が無い。ヒバリは公演前には八雲の“鍋シャツの中に手を突っ込んで”「これDカップくらいありません?」などと言って無邪気に笑っていた。
 
しかし八雲はあの時点で既にテンションが高すぎたかも知れないと考えていた。シャツの中に手を突っ込んできたのは、ヒバリの他にはステラジオのホシくらいだ。
 
「月原さん、ヒバリちゃんのおしっこをふたのできる紙コップに取って欲しい」
「おしっこ!?」
 
八雲は更にテーブルの上にある飲みかけのコーヒーも見た。
「これはヒバリちゃんの飲みかけ?」
「はい」
「これもふたをして東京に持って行こう」
「へ!?」
 
「これは明らかに薬物中毒の症状なんだよ。彼女、誰かに盛られたんだと思う。病院に連れて行けば、彼女を診察した医者は警察に通報する義務が出る。そうすれば彼女のタレント生命は終わってしまうし、下手すれば§§プロが潰れる」
 
と八雲は言った。
 

その日、夜21時すぎに、日登美と鏡子は、横浜網美と新宿の居酒屋で会った。
 
横浜網美の説明はこうであった。
 
元々&&エージェンシーは歌手の麻生有魅子の個人事務所として設立され、当時のマネージャーだった悠木稀治が60%、麻生自身が40%出資して設立された。1995年に悠木稀治が亡くなった時、株式は娘の栄美が35%、弟の朝治が25%を受け継いだ。ふたりは自分たちは芸能界のことはよく分からないからと言って、斉藤邦明を社長として雇った。
 
今年2月に麻生有魅子が、6月に悠木朝治が亡くなった。麻生有魅子が所有していた株は20%を娘の麻生杏華が、10%ずつを弟の麻生二郎と甥の麻生道徳が引き継いだ。悠木朝治が持っていた株は息子の悠木朝道が引き継いだが、実は悠木朝道は悠木栄美と結婚している。栄美が35%, 道徳が25%持っているので夫婦で60%の株を持っていることになり、重要事項以外の多くの事案をふたりだけで決定できる。
 
┌麻生一郎──道徳(10)
├麻生有魅子─杏華(20)
└麻生二郎(10)
 
┌悠木稀治─栄美(35)
│      ‖
└悠木朝治─朝道(25)
 
そしてその悠木朝道氏が8月18日に突然来社して斉藤社長を解任し、自らが社長に座ったのである。
 
「私、凄く不安。新しい社長さん、どうも経営についても音楽についても業界の習慣についても素人っぽいんですよ。白浜さんがいれば何か相談できるんですけど」
「白浜さん、結婚退職しちゃったもんね!」
 
長らく&&エージェンシーのデスクをしていた白浜藍子は6月に退職し、7月に郷里の四国で結婚したのである。
 
現在、新社長が雇った原田さんという人がデスクに座ったものの、彼女は地方のイベンターで仕事をしていた人で、中央のプロダクションの仕事は全く経験が無く、作業漏れが大量に発生して、その度に横浜がフォローに走り回っている現状らしい。
 
「それは大変だけど、網美ちゃんが頑張るしか、この状況を乗り切る方法は無いよ。新しい社長さんとデスクさんが慣れるまで辛いだろうけど頑張って。何かあったら、私たちもできるだけのことはするから。人脈は結構あるし」
 
「済みません、お願いします」
 

その日、XANFUSの楽器担当4人(通称"Purple Cats")mike, kiji, noir, yuki(太田美紀子・若村貴子・升山黒美・黒井由妃)は事務所に呼び出されて出てきたが、いきなり新社長の悠木朝道から
 
「君たちとの契約を解除する」
と言われた。
 
「以降XANFUSの伴奏は打ち込みで行くから」
と悠木は言った。
 
「それはXANFUSの音楽ではありません」
とリーダーのmikeが言う。すると悠木氏はカチンと来たようである。
 
「うちの事務所のアーティストがどういう路線で行くかは事務所が決める。バックバンド演奏者ごときが口答えするな。すぐ退出しなさい」
 
それで4人は無言で挨拶もせずに社長室を出た。
 
社長室を出た4人に若い社員、原田が声を掛けた。
 
「お疲れ様です。何か急な話で申し訳ありません。契約解除の違約金を払うよう言われております。現金で用意しておきました。金額を確認して受領書に印鑑を頂けますか?」
「OKOK」
 
それで4人は各々計算書を見て金額を確認の上、印鑑を押した。
 
「私も6人で生バンドで演奏するXANFUSが好きなのに。社長さんの考え方は私もよく分かりません。唐突に思いがけないこと言われるので、横浜さんと2人で右往左往している状態で」
 
などと言っている。本来そういう内輪な話を人にすべきではないはずだか、よほど混乱しているのだろう。
 
「あんたも大変みたいね!」
「いえ。私がドジなもので横浜さんにご迷惑ばかりかけていて」
「まあ頑張ってね」
とkijiが笑顔で言った。
 

貴司は8月18日に台湾から帰国した後は、一週間市川ラボと大阪の会社を往復する日々を続けていた。24日にアジア大会の選手が発表され、貴司はこれに入っていた。それで翌日25日から29日まで東京のNTCで合宿。その後8月30日から9月6日までオーストラリア遠征に参加した(*3)。遠征が終わると9月9日からまた国内合宿が始まる。
 
(25日の合宿に入る時、東京駅から合宿所まで、千里のインプで送ってもらった)
 
貴司たちが成田から出発する8月30日は、千里は福岡でKARIONライブをやっていたので見送ることはできなかったが、電話して「頑張ってきてね」と言った。
 

(*3)本当は代表発表は8月26日、合宿が27-31日でオーストラリア遠征は9月1-8日、国内合宿は9月11日からだったのですが、物語の都合で日時を2日ずらしています。
 

9月2日(火).
 
千里が銅剣の制作を頼んでいた工房から、完成したという報せが週末に来ていたので、千里はこの日、それを取りに行った。これを受け取るために千里は大宮でローズ+リリーの打ち上げが終わった後、9月1日の朝からずっと絶食している。(ミネラルウォーターだけ飲んでいる)
 
そして受け取った日の深夜。千里はその銅剣を持って玉依姫神社に行った。社務所内のシャワールームで水を浴びて潔斎すると、裸の上に白い衣裳を着た。
 
ここは社務所自体は20時で閉めてしまうが、その後も0時近くまではデートするカップルが絶えない。暗くすると危険なので(犯罪などの他、崖からの転落も考えられる)街灯は朝まで点けたままであるが、ここに更に防犯のため監視カメラも設置している。
 
実はデートレイプされそうになった女の子を、神社の招き猫が飛び出してきて助けてくれたという投稿が『関東不思議探訪』のサイトにあり、それで谷崎潤子が《招き猫さんにインタビュー》なんてのもやっていた。それで『招き猫が守ってくれる神社』などという噂まで立っていた。
 
それを聞いた千里は、助けてあげたのはきっと“ルパン”だなと思った。聡子ちゃんも一度ここに来ればいいのに。
 
千里は社務所内の、千里だけが鍵を持っている特殊操作卓を開け、大元の電源ブレーカーを切った。
 
監視カメラは停止するし、街灯も駐車場まで含めて消える。トイレの灯りも消える。周囲は真っ暗になる。この日の千葉地方の月入は22:37なので、辺りは星明かりのみになる。
 
千里はいったん鳥居の所まで行き、深く礼をしてから参道を進む。そして祠の前で2拝2拍1拝して、銅剣を祠の前2mの場所に置いた。
 
特殊な祝詞を唱える。
 
その上で目を瞑ってじっと待つと、雷のような光が銅剣に落ちたのを感じる。
 
「もう良いぞ」
と《姫様》が言ったので、千里はそれをこの為に用意した麻のバッグに格納し、更にこの為に用意したアルミ製の箱の中に格納した。
 
その後千里は箱をインプレッサの荷室に納め、その周囲に特殊な結界を張る。その上で社務所に行き、ブレーカーを戻して街灯や監視カメラを復活させた。その上で普通の服に着替え、奉納されたまま放置されていたのを真知が回収してくれていたお菓子の箱をひとつ開けると、コーヒーも入れて食べた。コーヒー代100円は料金箱に入れておく。
 
「お腹空いた〜!」
と千里は声を挙げたが
「まあ、絶食潔斎していないと、あれはお主が危険だからな」
と《姫様》は言った。
 
「このお菓子行けますよ。姫様も、いかがです?」
と言って差し出すとお菓子がすーっと消える。
 
「あ、美味しい美味しい」
と《姫様》も気に入ったようであった。
 
この日千葉市内では落雷を見たという人が多数いたが、気象台では雷雲の発生は観測していなかった。
 

2014年9月6-7日(土日).
 
神奈川県平塚市のひらつかサンライフアリーナで、第3回全日本クラブバスケットボール選抜大会で行われた。ローキューツは決勝戦で長崎カステラズと激戦を演じたものの、最後は“ラッキーガール”水嶋ソフィアのスリーで逆転。1点差で勝利して優勝した。
 
ローキューツ、長崎カステラズ、札幌スノーフェアリーズの3チームが全日本社会人選手権に進出する。スノーフェアリーズには留実子が所属している。
 
なおこの大会は2月に行われた関東クラブ選手権の上位チームが出場しているので、4月に登録した 40 minutes は今年はまだ参加できない。
 

さて、9月7日から9日まで、千里は物凄い大移動をしたのだが、それはこのように始まった。
 
9月7日(日)はKARIONツアーの最終日で12:00から14:20頃まで横浜エリーナでライブが行われた(前日は名古屋でライブをしている)。終了後は会場近くのホテルで打ち上げをした。それが終わると千里は、新幹線で東京駅に出て、インプレッサを持って来てもらった《こうちゃん》に拾ってもらう。
 
「じゃ成田までよろしく〜」
「へいへい」
 
貴司たちは9月6日のタウンズビルでオーストラリア遠征を終え、次の便で帰国した。
 
TSV 9/7 915-1010 CNS 1320-2000 NRT
 
成田空港で解散式があり、それが終わった所で千里が貴司をキャッチする。龍良さんと前山さんを見掛けたので会釈をしておく。
 
「お疲れ様。帰ろ」
「うん。どうやって帰る?もう新幹線は無いし」
「インプレッサ持って来たから、それでドライブデート」
「千里体調は?」
「夕方から少し寝てたから大丈夫だよ」
「だったらいいか」
「貴司は寝てて」
「そうする」
 
それで貴司に後部座席に座ってもらい、千里が運転席に就いてしばらくおしゃべりしていたものの、貴司は
「ごめん。寝る」
と言って東京を過ぎたあたりで眠ってしまったので、千里も運転を《こうちゃん》に任せて意識を眠らせた。
 
一方《きーちゃん》はこの日夕方の便で北海道に飛び、札幌市内のホテルで一泊した。
 

青葉はこの日9月7日、コーラスの大会に行っていて、先日KARION金沢ライブでも会った魚重さんと再会した。魚重さんは、青葉が凄腕の霊能者であるというのを聞き、今うちで抱えている問題を見てくれないかと依頼した。
 
それは来年春の開業に向けて試運転を続けている北陸新幹線で困った問題が起きているというのである。富山県と石川県の県境にあるG峠を通るトンネルで多数の運転士が
 
「人をはねた」
「大型の動物のようなものをはねた」
 
と言って、緊急停止させているという。
 
ところが実際に車両を点検しても、人どころか動物をはねたような跡も無い。
 
それで最初は運転士が「酔っていたのでは?」とか「疲労運転では?」と言われて、ローカル線や閑職に飛ばされたりしたものの、あまりにも続くのでこれはおかしいということになったらしい。
 
専門の技術者にトンネルを総点検させたものの、怪しい所は見つからなかった。そこでこれは「霊現象では?」ということになり、これまで数人の神主や僧に祈祷をさせたものの一向に改善が見られず、頻繁に人をはねたといって緊急停止する例が続いているらしい。
 
魚重さんは、それと先日青葉が割ってしまった素焼きの皿を持って来た巫女さんのような人と何か関わりがあるかもと言った。その人は地元ではわりと知る人がいる、G峠近くの神社の名物巫女さんらしい。ここは神社本庁にも登録の無い神社で、もう長いこと、神職も不在になっているのだが、いつの頃からかその人が神社の守りをしていたらしい。その神社はトンネル工事の都合で移転させる必要があり、この人に連絡を取ろうとしたが、どうしても所在が分からず、仕方ないので地元の他の神社の神職さんに頼んで、神社の移転作業はしたらしい。
 
「取り敢えずその神社を見せて下さい」
 
と青葉は言い、魚重さんの案内で行ってみたが、新しい“移設先”の神社は“空っぽ”であった。
 
「もしかしてこれは引越が失敗しているとか?」
「あり得ますね。古い神社の跡地にも行ってみましょう」
 
それで行ってみると、何か小屋のようなものが建っている所がある。ここで魚重さんが車から降りようとしたのを青葉は止めた。
 
ここは夜間に降りるのは危険すぎる。何さ?あの小屋の裏手にあるものは!?
 
「ここは夜間は降りない方がいいです。私も今日は準備が足りません。いったん引き上げましょう。そしてまた明日の午後にでも来ませんか?」
 
「分かりました!」
 
それでその日、青葉たちはいったん引き上げたのである。
 

「くそ〜負けた」
と呟いて、龍虎は可愛いシンデレラのようなドレスを着て熊谷市の太陽ホールの座席に座っていた。
 
2014年9月7日(日).
 
龍虎はピアノ教室の発表会に来ていた。この日をもって龍虎はピアノ教室をやめるので、これが最後の発表会である。
 
「でも、龍ちゃん、身長も伸びたし、指も長くなったね」
と先生が龍虎の手に触りながら言った。
 
「でもボク、やっと9度届くようになっと所なんですよ」
「あなたの身長で9度届くのは凄いと思う」
と先生。
「私の手と合わせてみようよ」
と龍虎の隣に座っている彩佳が言うので、合わせてみると、龍虎の方がぐっと大きい。
「あれ〜。似たような身長なのに」
 
「龍は身長が私よりずっと低い時も私と大差無い手の大きさだったもん」
「それと手自体のサイズに加えて、どのくらい広げられるかというのもあるよね」
と先生は言う。
「そうそう。龍の指は去年は私と同じくらいだったよ。でも去年の段階で龍は8度届いていたけど、私は届いてなかったもん」
「そういえばそんなこと言ってたね」
 
「田代さんは手が柔らかいから広く届くんだと思う」
と先生の向こう側に座っている長崎君(小6)が言う。
 
「ちょっと手を合わせてみる?」
「うん」
 
それで合わせると彼の手の方が大きい。
「僕の方がたぶん1cm近く大きいと思うけど、僕は8度しか届かない」
と彼は言っている。
 
「長崎君は指の体操とかしてると9度届くようになると思うな」
と先生。
 
そんな話をしていた時、ふと彩佳は気付いた。
「長崎君の指って、人差指より薬指の方がずっと長いんですね?」
「ん?」
 
彩佳の手も龍虎の手も、人差指と薬指はほとんど同じ長さである。ところが長崎君の手は薬指が長くて人差指が短い。比率的に言うと人差指の長さ比率は彩佳や龍虎と同程度だが、薬指が長くて中指にかなり近いのである。
 
「そういえばそうだね。やはり遺伝的なものかな?」
と長崎君が言っていたが、先生がこう言った。
 
「それは遺伝もあるけど、男女差も関係していると思うよ」
「男女で指の長さに違いがあるんですか?」
「そうそう。人差指と薬指の長さの比を指比(しひ)というんだけど、これが男性では小さく女性では大きい。つまり男性の方が薬指が長い。
 
「へー!」
「彩佳ちゃんや龍虎ちゃんの指は人差指と薬指がほとんど同じ長さでしょ?これは女性の指なんだよ。長崎君の指は薬指が長い。これは男性の指」
 
「そんな所に男女差が出るんですか?」
 
「これはお母さんのお腹の中に居た時期に男性ホルモンをどのくらい浴びたかで変わるんだって。だから男女の双子の場合、女の子はその兄弟の男性ホルモンをどうしても少し浴びてしまうから、男性と同様に薬指が長くなりやすい」
 
「へー!!」
 
「女の子になりたい男の子が最近増えているみたいだけど、そういう子の多くが薬指が短くて女性的な指をしている」
 
「なるほどー!!」
と彩佳は龍虎の指を見ながら、納得するように言った。
 

それで今朝の“攻防”はこのようであった。
 
龍虎は教室の先生には
「中学生になったから制服で出ます」
と言っておいた。龍虎はそれで学生服で出るつもりだった。しかしそれを前夜部屋に掛けておいたら絶対に他の服に置換されている。そこで壁にはダミーの学生服(既製品)を掛けておいた。それは思った通り、朝にはセーラー服に変わっていた。それで龍虎はそのセーラー服を着て
 
「じゃ発表会行ってくるね」
と言って出かけるが、彩佳の家に行く。ここで龍虎の身体に合うオーダーメイドの学生服を預かってもらっていたのである。
 
ところが
「え?また来たの?」
と彩佳に言われたのである。
 
「へ!?」
「だってさっき龍やってきて『着換えさせてね』と言って、セーラー服を脱いで学生服を着ていったじゃん」
「うっそー!?」
 
それで龍虎は
「やられた〜〜!?」
と叫んだのである。それでどうしよう?と言っていた時に、彩佳の家に川南がやってくる。
 
「あ、いたいた。たぶんアヤちゃんちに行ったと思いますよとお母さんが言ってたから来てみた」
と川南は言っている。
 
「いや、ここんところ私も忙しくてさ。龍の最後のピアノ発表会だから、ぜひとも可愛い服を着てもらおうと思ってオーダーしていた服をまだ取りにいってなくて。ほら可愛いだろ?」
 
と言って川南が見せたのがシンデレラみたいなプリンセス・ドレスだったのである。
 
「龍、セーラー服にする?お姫様ドレスにする?」
と彩佳が訊く。
 
「待って。30秒考えさせて」
 
それで結局、龍虎は川南がせっかく大金出してオーダーまでしてくれた服を着ることにしたのである。
 
「龍ってやはり優しい性格だと思うよ。そういう龍って好きだなあ」
と彩佳は言ったが、さりげなく『好き』と言われたことに龍虎は気付いていない。
 
(龍虎の学生服は帰宅すると部屋に戻っていた)
 

今回の発表会で龍虎が弾いたのはチャイコフスキー『くるみ割り人形』から『花のワルツ』である。昨年弾いたドビュッシー『夢想』同様、技巧的には決して難しい曲ではないが、龍虎の持つ情緒性・表現力を魅せることのできる曲でもあり、何と言っても楽しい曲である。
 
やはりこういう曲を美しく弾きこなすのが自分の方向性だよなあと思いながら龍虎は弾いていた。冒頭のハープ部分はピアノで弾くとなかなか大変なのだがここを難無く魅力的に弾き、ソドミ・ファーミ・ミーという主題に入ると、弾いている本人も気分良くなっていく。この曲は実はエレクトーンでも弾いてみて、豊かな音色で弾く練習もしている。ピアノでの演奏はそれをモノトーンの世界に投影したものだが、弾いている龍虎の頭の中では、エレクトーンで弾いた時の音が同時に鳴り響いていた。そして昨年・一昨年にバレエでこの曲を踊った時のことも思い出していた。あれは楽しかったなあと思い起こす。そういう全ての気持ちが龍虎の両手から表出して行った。
 
やがて終曲。
 
物凄い拍手が来た。
 
龍虎は立ち上がると、観客に向かって、お姫様っぽい挨拶をしてからステージを降りた。
 

先生が「お勉強が忙しくなるから辞めるというのがもったいない。この曲でコンテストにも出ればいいのに」と言っていたが、多分自分がこれから入って行く世界は「順番」をつけられる世界ではなく「個性」を評価される世界だと、龍虎は思っていた。
 
先生には6年弱の指導の御礼をよくよく言って別れた。
 
発表会が終わって自宅まで帰ると、
「上島さんから明日の夜、ちょっと来てという連絡が来ていたよ」
と父が言った。
 
「契約関係で色々話し合いたいんだって」
「分かった。じゃ明日学校が終わった後、そちらに向かおうかな」
 

2014年9月7日(日).
 
中学3年生の佐藤絢香は、その日新宿に出てきていた。
 
絢香は身長が176cmもあり、その長身を見込まれてサッカー部のゴールキーパーをしている。中体連で一度は県大会まで行ったこともある。
 
サッカー部では重宝がられているものの、実際には絢香は自分の身長にかなりのコンプレックスを持っていた。
 
「男の子だったら良かったのにね」
などと言われたことは随分ある。実際彼女はクラスの全男子より背が高い。フォークダンスをしていて、男子の腕の下をくぐれずにぶつかってしまったことも何度もあるし
 
「佐藤さんは男子の方で踊って」
などと言われることも多々であった。
 
「手の形が男だ」
と言われたこともある。それでクラスの他の男子や女子と手を見比べてみたのだが、多くの女子は人差指と薬指の長さが揃っていたり、人差指の方が長かったりするのだが、全ての男子が人差指より薬指の方が長かった。実は絢香の指も、人差指より薬指の方がずっと長いのである。
 
「一度精密検査受けてみたら?」
「実はお前男かも知れんぞ」
と男子たちから言われたのは結構ショックだった。
 
そんな精密検査なんて受けて、
「あなたは男です」
と言われたらどうしよう?
 
などと悩んでしまう。
 
そんな時、ひとりの女子が言った。
「女の子でもモデルさんとかは、身長高い人多いよ。170cm代のモデルさんとかザラにいるし」
「そうそう。身体が大きい方が華やかになるから、背の高いモデルさんは喜ばれるんだよ」
と別の女子も言う。
 
「絢香ちゃん、モデルさんになったら?」
 
「モデルかぁ」
 
「一度オーディション受けてみない?ほら。今度の日曜日に新宿で、kankanのモデルオーディションがあるよ」
「へー」
「絢香ちゃん、顔は可愛いもん。モデルさんになれるかもよ」
 

そんなことを言われて、絢香はこの日新宿に出てきたのである。モデルのオーディションなら水着審査もあるらしいということで水着も持っている。参加するのに必要だからと言って、母に「芸能活動許可証」を書いてもらった。
 
「あんたがモデルねぇ」
「背が高いからモデルにはいいよと友だちから言われたんだよ」
「ああ。それはあるかもね」
 
ところが絢香にはひとつ困った性質がある。
 
それは方向音痴だということである!
 
遠足の途中ではぐれて先生たちが手分けして探してくれたこともある。電車の乗り換えも苦手で、東京に出るのに茅ヶ崎で熱海方面に乗ってしまったこともある。
 
「絢香ちゃん、タクシーの運転手にだけはなれないね」
などとよく言われる。
 
それで新宿駅で降りた後、会場の《新宿文芸ホール》というのに辿り着けないのである。方向音痴の彼女のために友だちが地図をプリントしてくれていたのだが、地図を見てもまず自分がどこにいるのかがよく分からず、目的地に行くのにどちらに向かって歩けばいいのかも分からない。
 
そういう訳で既に30分以上、新宿でうろうろしているのである。
 
「困ったなあ。これじゃ遅刻しちゃう」
と思っていた時、目の前に《新宿文化ホール》という看板を見た。
 
「あ!ここだっけ?」
と思い、絢香は中に入った。行事予定を見ると7階会議室で『フレッシュガールコンテスト・オーディション会場』と書かれている。
 
「オーディション会場と書かれているからここかな?」
と思い、絢香は7階に上がった。
 

エレベータを降りてキョロキョロしながら歩いていると、何かテーブルを片付けようとしている人たちがいる。
 
「済みません。オーディション会場ってこちらですか?」
と尋ねた。
「そうですけど、もう受付締め切りましたよ」
とそこに居た女性は言った。
 
ああ!やはり自分が迷子になっている内に遅刻しちゃったのかと思い、絢香はがっかりして
 
「すみません。お騒がせしました」
と言って、帰ろうとした。
 
しかしその時、向こうから見覚えのある女性がこちらにやってきた。あれ、これはテレビによく出ている、えっとえっとえっと、秋風コスモスちゃんだ!と思った。すっごーい!こんな有名タレントさんが来ているなんて。ゲストか何かで呼ばれたのかな?と思った。
 
絢香が感動してじっと彼女を見ていたら、コスモスは尋ねた。
 
「あなたは参加者?」
 
「え、えっと。オーディションに来たんですけど、私新宿駅で降りたあと、道に迷ってしまってなかなか辿り着けずに遅刻してしまいました。それで仕方ないので帰ろうと思っていたところなんです」
 
「あら、遅刻しちゃったの?」
と言って彼女は机を片付けていた人たちに声を掛ける。
 
「何分遅刻?」
「9:30締め切りだったんですが、その方が来られたのは9:33でした」
「あら、3分くらいならオーディション受けさせてあげられない?」
 
「はい。コスモスさんがおっしゃるのでしたら」
 
それで絢香は受付をしてもらい、写真を貼った履歴書と、芸能活動許可証を提出して、267番という番号札をもらったのであった。
 
絢香はコスモスによくよく御礼を言った。
 

それで絢香は会場内に入り、空いている席に座った。
 
「それでは番号順に1分間のパフォーマンスをして頂きます」
と司会の女性が言った。
 
「こちらで番号をお呼びしますので、指定された部屋に入ってパフォーマンスをして下さい。パフォーマンスの内容は歌でもダンスでもスピーチでもマジックでも何でもいいですが、銃を乱射したり、爆弾を破裂させるなど危険なことはご遠慮下さい」
と言うと、思わず爆笑となった。
 
「1番さん、Aの部屋へ。2番さん、Bの部屋へ。3番さん、Cの部屋へ」
と言われる。どうも3つの部屋で分散して審査するようである。司会の人は更に
「4番さん、Aの部屋の前で待機して下さい。5番さん、Bの部屋の前で待機。6番さん、Cの部屋の前で待機」
と言った。
 
どっちみち時間が掛かりそうなので、絢香は会場内に居たスタッフに許可を取ってトイレに行って来た。それで戻ってくる時にちょうど部屋のドアが開いてがっかりしたような顔をした女性が出てき、彼女はそのままエレベータの方に行った。
 
ああ。不合格ならそのままお帰りになる訳だ、と思う。
 

どうも合格した人はこの部屋にまた戻ってきているようである。番号札にあかね色のリボンを付けている。これが一次審査合格の印なのだろう。
 
1時間半ほど掛けて自分より前の番号の参加者が全員呼ばれ、最後に絢香の番になる。Cの部屋の前で待機していたら、前の人が歌っているのが聞こえてくる。下手くそだ。ところがその人はあかね色のリボンを付けてもらって出てきて、嬉しそうな顔でさっきの部屋に戻っていく。
 
あの歌で合格するのか?
 
絢香は俄然自信が出てきた。呼ばれて中に入る。3人の審査員が座っている。
 
「267番、佐藤絢香です。西野カナさんの『Darling』を歌います」
 
と言って歌い始めた。すると審査員たちが顔を見合わせているので
何だろう?と思った。
 
1分ほど経ったところで
 
「はい、そこまでで結構です」
と言われる。
 
「控室に戻って少しお待ち下さい」
と言われてあかね色のリボンを付けてもらった。
 

この一次審査に残ったのは全部で30人ほどであった。
 
10分ほど待ったところで司会の人が入って来て
「次は水着審査をします。各自ご持参の水着に着替えて下さい」
と言われた。
 
どこか更衣室があるのかなとも思ったのだが、どうもここで着換えるようである。まいっか、女ばかりだしと思って服を脱ぎ、水着をつけた。絢香は服を脱ぐ時、周囲から視線を感じた。ところが絢香がパンティを脱いだ時、ほっとしたような空気を感じた。あ。もしかして私が男の子ではないかと疑ったのかな?ちんちん付いてないのを見てほっとしたのかと思い至った。
 
着替え終わってからガーンと思う。
 
周囲の女の子たちはみんなすっごく可愛い水着を着けている。ビキニの子が全体の7割くらいである。それに対して、絢香が着ているのは学校の水泳の授業で使っているスクール水着である。
 
きゃー。こんな可愛い水着着て来なきゃいけなかったのか!?ああ、私もう落ちた、と、この時絢香は思った。
 

新しい番号札が渡される。水着に付けられるようシール方式になっている。絢香がもらった番号は31番であった。ビキニの子はたいていパンティの右か左にそのシールを貼り付けている。たまに胸の方に付けている子もいる。絢香はどうせ落ちるんだろうから少しでも目立った方がいいと思い、お股の真ん中に貼り付けた!
 
だいたい3分間隔くらいで次の人が呼ばれているようである。ということはまた1時間半掛かることになる。今が11時だから12時半くらいか。朝御飯も食べずに出てきてしまったので、お腹空いたなとは思うものの、さすがの絢香も水着審査の前に御飯を食べようとは思わない。
 
少しずつ水着で待機している女の子が減っていく。先頭で行った女の子は番号札の所に銀色のリボンを付けて戻ってきたが、その後はしばらく戻って来る子が出ない。30分後くらいに2人目が戻ってきた。やはり銀色のリボンを付けていて嬉しそうである。戻ってきた子は普通の服に着替えている。リボンの付いたシールは手に持っているようだ。結局絢香の前に戻ってきたのは7人だけだった。
 
最後に絢香も呼ばれてAの部屋に入る。控室で配られた紙には
 
『部屋に入ったら端まで往復してきてから真ん中に立ち、審査員の質問に答えて下さい』
 
とあった。それで絢香は一往復すればいいのかと思い、部屋の中に入ると端まで歩き、それから入口の所まで戻ってから再度中央の所まで行き、審査員の方に向き直った。審査員は今回7人居る。
 
「お名前は?」
「佐藤絢香です」
「住所は?」
「神奈川県海老名市**2丁目・・・」
「あ、市まででいいですよ」
「はい、すみません」
「年齢と学年は?」
「15歳、中学3年生です」
「身長・体重とスリーサイズは?」
「176cm 65kg B100 W63 H88 少し上げ底するとCカップです」
「今回のオーディションに参加した動機は?」
「私、背の高さがコンプレックスなんですけど、背が高い人はモデルさんとかだと重宝されるよと聞いたので」
 
「生年月日は?」
「1999年4月12日17:26海老名市です」
「星座は?」
「太陽は男らしい牡羊、月と水星は女らしい魚、金星は美人の牡牛、火星はセクシーな蠍座です」
「干支(えと)は?」
「年の干支は己卯(つちのと・う)、月の干支は戊辰(つちのえ・たつ)、日の干支は甲午(きのえ・うま)、時の干支は癸酉(みずのと・とり)です」
 
絢香が星座を火星まで、干支を年だけでなく時まで、しかも十二支だけでなく十干まで答えたので、審査員たちが顔を見合わせている。実際問題として、年齢を訊いた“少し後で”星座・干支を言わせるのは年齢詐称チェックのためである。
 
「占いが好きですか?」
と真ん中に座っている40代後半かな?という感じの男性が尋ねた。
 
「亡くなった曾祖母が占い師をしていて、私のホロスコープとか四柱推命とか詳しく話してくれました。曾祖母によると、私はこれといった取り柄がない普通の女の子だが、赤ちゃんたくさん産めそうだから、早く結婚した方がいいということなんですが、困ったことに、私、背が高いのもあって、男の子に声を掛けられたりしたこと1度もありません」
 
審査員たちが顔を見合わせながら笑っているようだ。えーい、もうやけくそだ。開き直っちゃる!と思う。
 
「でも君、凄い所に番号札を貼り付けたね」
「はい。みんな可愛い水着着てきているのに、私、何にも考えてなくて学校で使っている水着を着てきてしまったので、少しでも目立つようにここに貼ってみました」
と絢香が答えると、また審査員たちが笑っている。
 
「今までモデルをしたり、テレビに出演したりしたことは?」
「幼稚園の時、餅搗きをしている所をテレビ局が取材に来ました。それくらいです」
「どこかの芸能スクールとかに通った経験は?」
「ありません。幼稚園の時にピアノ教室に通っていましたが、小学校に入る時にやめてしまいました」
「クラブ活動とかしてますか?」
「はい、サッカー部をしています」
 
これには審査員たちは大きく頷いていたようである。
 
「好きな歌手とか居ますか?」
「西野カナさん、可愛くて大好きです」
「そういえば一次審査でも西野カナさんの歌を歌ったね?」
「はい。西野カナさんが出てくる番組はできるだけ見てます」
 
「学校の教科で好きなのは?」
「音楽と体育です。私、数学も理科も社会も苦手で、家庭科は料理の才能無いと友だちから言われましたけど、歌うのと身体を動かすのは大好きです」
 
「英語はどのくらいできますか?」
「英検の3級はとりましたけど、外人さんとリアルで話したことがないので、どのくらい使えるかは分かりません」
 
「好きな漫画は?」
「『ちはやふる』とか好きです。百人一首に私も挑戦してみたんですけど、全然覚えきれなくて、ダメでした。坊主めくりばかりやってました」
 
「最近見た映画は?」
「幕末高校生見ました」
 
「学校の授業ではよく質問とかする方ですか?あまり発言しない方ですか?」
「しばしば眠っていて、先生によってはチョーク投げつけられます」
 
審査員さんたちが笑っている。
 
「生活リズムは朝型ですか?夜型ですか?」
「夜型です。朝に弱いです」
「遅刻は多い方ですか?」
「今日は遅くなって済みません。あまり遅刻はしないんですが、方向音痴なもので」
 
また審査員さんたちが笑っている。どうせ落ちるだろうけど、せっかくだからkankanのオーディション二次審査まで行ったと人に言えるように堂々とやろう、と思う。
 
「レストランに入った時、みんなと同じ物を頼むタイプですが、違う物を頼むタイプですか?」
「同じか違うとか関係無しに、自分の好きな物を頼みます」
 
この答えに審査員たちが顔を見合わせて頷いていた。
 
更に色々質問される。他の人は3〜4分くらいだったみたいなのに、なんか時間が掛かってる気がするな。それとも面接受けてると時間の経ち方が早く感じられるのかな?、などと思いながらも笑顔で答えている。最後の質問を終えてから、審査員たちが何だか頷きあっている。それで
 
「では控室に戻って普通の服に着替えてください」
と言われた。
 
え?嘘?二次審査合格?
 
銀色のリボンを30歳くらいの女性が付けてくれようとしたが・・・
 
「これあなた自分で付けて」
と言われた。
 
あはは、やはりこの場所はまずかったか。でも二次審査通過って凄っ!
 
それで絢香はリボンを自分で番号札の上に付けると
 
「ありがとうございました」
と審査員たちに礼をして部屋を出て、控室に戻った。もう全員普通の服に着替えている。自分も水着を脱いで着てきた服に着替えた。
 

お弁当とお茶が配られる。
「次の審査は13時半から始めます」
と言われた。また新しい番号札1〜8が配られた。
 
絢香はお弁当を開けて食べたが、美味しかった。まだ暖かい。この時間に合わせて調理したのだろうか。食べ終わってからこの弁当のからはどうすればいいんだろう?と思っていたら4番の番号札を付けた人が
 
「これ隅のテーブルにまとめておきましょうか?」
と言って、からを集め始めた。隣の3番さんと5番さんのからをもらう。絢香も席を立ち、隣の7番さんのからをもらい、1番さんのをもらおうとしたら彼女は全然手をつけてない。
「ごめんなさい。これから食べられるんですね?」
「いえ。食べません。片付けていいです」
と1番さんは言っている。
 
「あ、だったら私もらってもいい?」
と2番の人が言うので
「いいですけど」
と1番の人もいい、2番さんはそのお弁当を自分のバッグに入れてしまった。
 
それで4番さんが3つ、絢香が2つ、2番さんも2つ弁当のからを持ち、隅に置かれたテーブルの上にまとめて置いた。ペットボトルのからもこの3人で集めて弁当のからの隣に置いた。
 

この様子が実は室内に置かれたカメラで全部審査員がいる部屋で見られていることを、参加者たちは全く知らなかった。
 
「2番・8番に+10点、4番に+20点かな」
などと立川ピアノが言っていた。
 

13:35くらいになってから女性が入って来て、
 
「最終審査を始めます。こちらにおいで下さい」
と言われ、小さなホールに案内された。二次審査の時に見た審査員さんより数が少し増えている。ステージ上にはバンドもスタンバイしている。ギター、ベース、ドラムス、キーボードにフルートが加わっている。
 
「今から封筒を配りますが、まだ開けないで下さい」
と言われて封筒が配られる。
 
「1番の人封筒を開けて下さい」
と言われるのと同時にステージ脇から秋風コスモスが出てくる。そしてバンドの演奏に合わせて歌い始める。
 
ほんっとにこの人下手くそだなと思う。オーディション受けられるようにしてくれたから悪く言えないけど。
 
コスモスの歌が終わると
「2番の人、封筒を開けて下さい。1番の人はステージに上がって渡された譜面の歌を歌って下さい。譜面は持って行っていいです。なお、バンドの中でフルートの人は歌と同じ音で演奏しますので、メロディーが不確かな時は、フルートの音を頼りにして下さい」
と言われた。
 
1番の人がステージに上がり、バンドの演奏とともに歌い始める。この人はうまかった。初見演奏なのに音の高さもリズムもほとんどずれずに歌う。この人すごー!と思った。
 
「ありがとうございました。座席に戻って下さい」
と言われ、金色のリボンを付けてもらった。
 
「3番の人、封筒を開けて下さい。2番の人ステージに上がって下さい」
 
それで2番の人が上がるとバンドはさっきの曲とは別の曲を演奏し始める。要するに前の人が歌っている間に、新しい曲を覚えて歌わなければならないということのようである。最初にコスモスさんが歌ったのは、1番の人が静寂な環境で譜面を見たら他の子より有利になるから、条件を揃えるためだったんだ。
 
しかしkankanのモデルを選ぶのに、こういう音楽的な素養を見るって不思議、などと絢香は思っている。
 
2番の人は音程はかなり外していたものの、何とか頑張って歌い終えた。この人も金色のリボンを付けてもらった。3番の人は譜面が読めなかったようで、全然音の高さを合わせることができない。メチャクチャになって最後は泣き出してしまった。それで
 
「お疲れ様でした。ちょっとこれを飲んで落ち着いてから帰りなさい。寄り道せずにまっすぐおうちに帰ってね」
 
などと言われていた。泣き出したので、落ち着かせるために飲み物をくれたようであった。まっすぐ家に帰りなさいというのは、万が一早まったことをしたりしないためだろう。
 
4番の人も譜面が全く読めなかったようである。しかし彼女はフルートが演奏している音とは違う音程で堂々と笑顔で歌った。まるで彼女の歌っているメロディーが本当のメロディーであるかのように。この人凄っと思う。彼女は金色のリボンを付けてもらった。
 
それでこれは音楽のコンテストではないのだ、ということを絢香は認識した。これは対応能力を問うテストなんだ。
 
5番の人は最初は調子良く歌っていたものの、途中で分からなくなったようで歌を中断してしまった。彼女が歌を中断してもバンドは淡々と演奏を続ける。それで彼女は続きを歌おうとするものの、今度は今譜面のどこなのか分からないようである。少し歌ってみて「あ、違う」などと言って、結局歌えなかった。それでこの人は
 
「お疲れ様でした。寄り道せずに帰ってね」
と言われた。
 
プロのステージでいちばんやってはいけないことは途中で中断してしまうことである。間違ってもいいから最後まで続ければ何とか場を保つことができる。
 
6番の人、7番の人は何とか最後まで歌ったが、6番の人は金色のリボンをつけてもらったものの、7番の人は「帰っていいですよ」と言われた。ふたりの差は何だろうと考えたが分からなかった。
 
絢香の番になる。絢香は音楽は得意なのでむろんちゃんと譜面を読んでいた。それでしっかりとバンドの演奏に合わせて今見たばかりの曲を歌うことができた。1番の人が凄い顔でこちらを睨んでいる。なんでこんなに睨まれるの〜?と思いながら絢香は歌っていた。
 
終曲。絢香は「ありがとうございました」と観客席、バンドの人たちに挨拶した。
 
絢香も金色のリボンを付けてもらい、座席で待っていてと言われた。
 

「みなさんお疲れ様でした。しばらくお待ち下さい」
と司会の人が言って、審査員たちが別室に移動する。絢香たちは30分ほど待たされた。
 
バンドの人たちも下がってしまったので、ホールには司会の人の他は、1番・2番・4番・6番と8番の絢香、参加者5人が取り残されている。
 
「皆さん、オーディション何回くらい受けた?」
と4番の人がみんなに尋ねる。
「私は3度目」
と2番の人。
「私は5回目」
と6番の人。
「1番さんは場慣れしてるみたい」
 
「私はこの手のオーディションは3回目だけど以前2年ほどモデルしてたから」
と1番の人。
「なるほどー」
 
「でもみなさん、すごーい。私オーディションなんて初めてで、もう失敗ばかりで」
と絢香は言った。
 
「うん、初めてだというのは分かった」
と4番の人は言う。
 
「あなたは?」
と2番の人が4番の人に訊く。
「私は2度目。実は夏にあったここの『ロックギャルコンテスト』にも出たんだけど、最終選考の24人まで行って落ちた。これその時の番号札」
 
と言って彼女は《20》という数字の入った番号札を見せる。裏に、《§§Production Rock-Gal contest 2014 Final Stage》という文字が入っている。
 
「最終選考って凄い。あれ全国で予選やったから応募者が凄い数だったみたいなのに」
「その場では誰が優勝かって発表しなかったんだけど、この子が優勝間違い無いって子がいたよ。物凄い美少女で、それに歌も物凄く上手かった」
 
「へー!」
「あの子は売れると思うよ」
「凄いね」
 
「あんな凄い子が発掘できるなら、実質東京周辺の子しか参加出来ないこのフレッシュガールコンテストはもう来年以降実施しないんじゃないのかな」
 
と4番の人が言うので、絢香は「へ?」と思う。
 
「あのぉ、これkankanのモデルオーディションじゃなかったんでしたっけ?」
 
「はぁ!?」
 
「これは§§プロと誠英社が共催するフレッシュガールコンテストなんだけど」
「うっそー!?」
 
「間違えて違うオーディションに参加してしまったのか」
と4番の人が呆れたように言う。
 
2番の人がスマホで何か見ている。
 
「ああ。今日は近くでkankanのモデルオーディションもやってる。向こうは新宿文芸ホールだ」
「あれ?ここは?」
「新宿文化ホール」
 
「違う場所だったの〜〜!?」
「あんた方向音痴?」
「はい。初めての場所には友だちと一緒でないと、なかなか辿り着けません」
 
「いや、あんたの場合、kankanのモデルオーディションなら一次審査で落ちているかも」
「うん。モデルオーディションは専門学校に行っていて訓練受けているような子ばかりくるもん。私一度参加して場違い感を感じた」
「このフレッシュガールコンテストはアイドルのコンテストだから総合力の勝負」
「へー!」
 
「審査に時間が掛かっているでしょ。これ絶対揉めてると思う」
と4番さんは言う。
「やはり?」
と2番さん。
 
「これ、1番さんと私の勝負だよね?」
と4番さんが言うと
「いや、1番さんと私の勝負だよ」
と2番さんは言っていた。
 
ふたりとも本気ではなく冗談で言っているようなので、絢香は吹き出してしまった。6番さんも笑っている。やはり1番さんの優勝だよね!
 

4番さんは小鳥さんという名前らしかったが、結構話題が豊富で、彼女が中心になっておしゃべりが続き、待っている間も結構楽しかった。彼女はてっきり絢香より年上と思ったのだが、自分より1つ下の中学2年生と聞いて驚いた。
 
彼女は気配りが凄く、絢香や2番さん・6番さんを笑わせるし、孤高癖?のある1番の人もつられて笑ったりしていた。
 
やがて審査員さんたちが戻ってきた。難しい顔をしている。やはり相当な議論があったのだろう。
 
「それでは優勝者を発表します。優勝は8番の佐藤絢香さんです」
と40代くらいの男性が言った。
 
「うっそー!?」
と思わず絢香は叫んだ。
 
2番さん・4番さん・6番さんが笑顔で拍手をしてくれた。
 

2014年9月8日(月).
 
千里と貴司が乗る車は《こうちゃん》の運転で東名・名神をひた走り、明け方、桂川PAで休憩した。ふたりともトイレに行ってくる。ふたりで後部座席に乗る。ドアをロックする。車に目隠しをする。貴司がドキドキした顔をしている。
 
「ヘイ、マイダーリン、いいことしようか」
と千里は言って、貴司のズボンとトランクスを脱がせる。準備万端である。そして千里がそれに触ると、1往復もしない内に貴司は射精してしまった。
 
しっかり精液バッグに取る。
 
「今回も一瞬だったね」
「もう少し楽しみたかったのに!」
「終わっちゃったものは仕方ない。じゃ豊中まで行こうか」
「お楽しみとかは無いの〜?」
「また今度ね」
 
名残惜しそうにしている貴司を放置して千里は目隠しを外し、運転席に座ってインプレッサのエンジンを掛けた。
 
それで豊中市の産婦人科まで運転して行った。
 
貴司が精液のバッグを病院に預ける。それで千里は車を大阪市中心部に向け、朝6時頃、会社の前で降ろした。
 
「じゃ、また1ヶ月後に」
と言ってキスして別れた。
 

この日の朝、スクーリングに来た札幌市内のホテルで寝ていた村山武矢は夢魔に襲われる夢を見て、その夢から逃れようと自分を覚醒させた。
 
が・・・快感が継続している。
 
「千里!?」
 
下半身が顕わになっていて、そこで千里が自分のアレを握って動かしているのである。
 
「お父ちゃん、お早う。今逝かせてあげるね」
と“千里”は笑顔で武矢を見て言った。
 
「え、えっと・・・」
 
武矢は1ヶ月ほど前にもやはりスクーリングに来た時に、千里の手で逝かされたような夢?を見ていた。これも夢??
 
と思っている内に快感が上昇して臨界に達し、精液が射出される。“千里”はそれを何かビニール袋のようなもので受け止めた。
 
「じゃ、私行くね」
と言って、“千里”はスッと姿を消した。
 
「え!?」
 
武矢はしばらく考えてから
「これはきっと夢だ。寝よう」
と言って、目を瞑った。
 
「しかし不覚だ。2度もこんな変態的な夢見るなんて。俺、息子に欲情してるんだろうか?」
 

その人物は《きーちゃん》が泊まっている部屋に姿を現すと
「はい、これ」
と言って精液バッグを渡した。
 
「ありがとう。でもよく好きな男でもない人のちんちん触れるなあ」
「千里の精液を採取しただけだよ。私、千里のこと好きだもん」
「ああ。やはり好きなんだ?」
「私の命を助けてくれたんだもん。千里がもし男の子だったら、結婚したかったくらい」
「まあ千里は女の子だから仕方ないね」
「うん。だから私は別の人のものになりたい」
「小春ちゃん、その件で何かたくらんでない?」
「べ、別に」
と小春は焦って答えた。
 
「でもありがとう。すぐ大阪に運ぶよ」
「うん」
 
それで《きーちゃん》は飛行機で大阪に飛び、豊中市内の産婦人科に精液バッグを届けた。
 
新千歳9:30-11:25伊丹11:44-11:55千里中央
 
例によって理歌の振りをして届けたが、阿倍子はまだ来ていないということだった。
 

朝6時に貴司を会社前で降ろした千里は豊中市の病院に戻り、そのまま入院した。取り敢えず尿と血液を採取して検査に回される。体温・血圧・血糖値などを測定され、心電図も取られる。7時頃、医師の診断を受け、卵巣の状態もチェックされた。このような早朝の作業になったのは「他の患者にも見られたくない」というこちらの希望に合わせてもらったからである。
 
「排卵寸前の状態のようですね。採取やっていいですか?」
「お願いします」
 
それで千里は処置台に寝る。エコーで卵巣の位置を確認しながら局所麻酔を打ち針を差し込む。痛いなと思う。でも京平の身体を作るためだと思い我慢する。
 
「1個取れました。もう1個取っていいですか?」
「お願いします」
 
それでもう一度針を刺され卵子の採取が行われた。結局千里の卵子は3個採取されたが、針を刺しても卵子が取れないこともあり、結局針は6度刺している。この過程がマジで痛かった。
 
「痛くなかったですか?」
「凄く痛かったです」
「静脈麻酔でやる方法もあるのですが、次回やる場合はそちらにします?」
「いえ。局所麻酔でいいです。この方が元気な卵子が取れそうな気がするから」
「分かりました。ではもし再度やる場合も局所麻酔で」
 
1時間ほど病室で休んでから退院した。
 
「今日は激しい運動はしないようにして下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
 

この日のタイムスケジュール
 
_5:30 千里と貴司が豊中市の産婦人科に到着。貴司が精液バッグ提出。
_6:00 貴司を大阪市内の会社前で降ろす。
_6:30 千里が豊中市の産婦人科に入院。
_7:30 千里の卵子採取(局所麻酔)。
_9:00 千里が退院。
12:10 きーちゃんが精液バッグを届ける
13:00 阿倍子がタクシーで病院に入る
14:00 阿倍子の卵子採取(静脈麻酔)。退院は翌日。
 
きーちゃんは病院を出ると新幹線で東京に戻った。
 
 
前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6 
【娘たちの卵】(4)