【娘たちの卵】(1)

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2014年7月14日(月).
 
西湖がその日学校に出てくると、教室内がざわっとした。
 
「天月さん、今日はスカート穿いてきたんだね」
「う、うん。お母さんがこれ穿いて行けというから」
「ああ、天月さんのお母さん、すごく理解あるみたい」
「これからはスカート穿いてくるの?」
「今週はずっとスカートになるかな」
「いいと思うよ」
「9月からはまたズボンにするから」
「9月からもスカートでいいのに」
 
「天月さん、今日“も”女子トイレ使っていいよ」
と女子の学級委員が言った。
 

翌日は体育の授業があった。この学校では体育の時、女子は女子更衣室に行くが男子は教室で着換える。それで西湖がいつものように教室で着換えようと上着のボタンを外しかけたら、男子の学級委員・赤西が気付いて
 
「天月さん、ここで着換えたらダメ!」
と言う。
「え?」
 
「女子は更衣室に行かなきゃ」
 
と言って西湖の手を握ると(赤西君に手を握られて西湖はドキッとした)教室の外に連れ出す。そしておしゃべりしながら更衣室に向かおうとしていた女子たちに向かって声を掛ける。
 
「誰か!天月さんを連れて行ってあげて!」
 
すると気付いた天童さんが戻ってきた。彼女は元々西湖とわりと仲が良い。
 
「せいこちゃん、一緒に着換えに行こう」
と笑顔で西湖に言う。
「あ、うん」
「迷うことあったら、私に声掛けてよ」
「ありがとう」
 

それで西湖は天童さんや石田さんなど、わりとよく話す女子クラスメイトたちと一緒に着換えて、その日の体育の授業を受けた。この日は男子対女子でソフトボールだったのだが、
「天月さんはこっち」
と言われて、西湖は女子チームに入った。
 
「天月さん、ピッチャーできる?」
「あ、うん。するよ」
 
それで西湖がウィンドミルでピッチャーをやると、西湖は腕力は無いもののかなりコントロールが良い。それで速度は無いもののキャッチャーのリードで丁寧にコーナーを突くピッチングをし、三振の山を築く。
 
実は西湖は父の劇団の芝居で“女子”ソフトボールのピッチャー役をしたことがあり、その時ウィンドミルを覚えたのである。
 
「くそう。天月を女子に取られたのはやばかった」
などと男子たちが言う。
 
「あいつこんなにできたのか?」
「スポーツあまり得意そうにないのにな」
「ソフトボール部に欲しいな」
「それ女子ソフト部になるのでは?」
 
それでもやはり男子は底力が違う。試合は7−4で男子が勝った。
 
「でもいい試合だった」
「天月はこれからいつも女子のピッチャーでいいな」
 
などと男子たちは言っていた。
 
体育の先生は女子でウィンドミルできる子がいないので、西湖をハンディキャップ代わりに女子に回したと思ったようである。
 

授業が終わってからまた女子更衣室に行って着換える。
 
その時西湖は多くの女子が自分を、正確には自分のお股を見ていることに気付かなかった。
 
だいたい着替え終わって教室に戻ろうという時に一部の女子から声が出た。
 
「天月さん、普通に女の子パンティと女の子シャツ着てた」
「これ着ていけってお母さんに言われて」
「いやそれより問題はさぁ」
「何か?」
「パンティに膨らみが無かった」
 
多くの子が頷いている。
 
「膨らみ?」
「天月さん、やはりおちんちん無いの?」
「え、えーっと・・・」
「やはり手術して取っちゃったんだ?」
 
「もしかして先月1週間休んだ時?」
「あれは、タイで『王様と私』のロケハンだったんだけど」
 
「タイで手術したんだ?」
 
なぜそうなる!?
 
「タイって、そういう手術する病院が多いらしいよ」
「もう傷は痛まない?」
 
西湖はこの誤解をどうすれば解けるのだろう?と悩んだ。
 
むしろ誤解されたままの方がいい??
 

その日、千里は《こうちゃん》からの連絡で新幹線で大阪に向かい、大阪市内である人物と会った。
 
「こんにちは。確か紫微(しび)さんでしたっけ?」
と千里は笑顔で言った。
 
「懐かしい名前を。。。それは私があの変態ばあさんの弟子をしていた頃の名前なので、今は《ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子》と名乗っているのですが」
 
と言って名刺を差し出す。
 
「・・・・・」
「どうかしました?」
「お名前が、あまりにも恥ずかしくて発音出来ないんですけど」
「困ったなあ」
 
「略してユメさんでもいいですか?」
「じゃそれでもいいですよ」
と見た感じ50歳くらいの“彼”は言った。
 
「そちらは駿馬(しゅんめ)さんでいい?」
「そんな名前を頂いたこともありましたね〜。でも使ってないので、普通に本名で村山、あるいはユメさんが女の子なら、女同士の名前呼びで千里でもいいですよ」
 
「僕、まだ63cmのスカート穿けるよ」
「穿いて外出します?」
「娘からやめてくれと言われます」
「あははは。でもスカート穿くのなら女の子でもいいですよ」
「じゃ、千里ちゃんとユメちゃんで」
「まあいいですけど」
 

「それで千里ちゃん、凄く強いバスケットチームを持っているという話を聞いたので」
「それって人間の?」
「龍の。兵庫県に拠点があるとか」
「ああ。そちらか」
「人間のチームも2つ持っているんでしょ?」
「ええ。成り行きで。片方は誰かに任せようかと思っているんですけどね」
「あれって維持費が掛かるから、お金持ちに託せばいいですよ。千里ちゃんの周囲の人物ならケイちゃんとか」
「ああ。それは今度提案してみよう」
 

「まあそれで龍たちの方なんですけど、私も半ば成り行きで様々な精霊たちで構成したバスケットチームを抱えているんですよ」
「へー!」
「国籍は韓国、ロシア、エスキモー、チベットと色々なんですけどね」
「ロシアは強そうだなあ」
「元々は2つのチームで韓国国内に拠点があったんですが、オーナーが死んだり逮捕されたりして、拠点の体育館が使えなくなって。私の知人を頼って日本に移動してきた所を私が関わることになって、片方が4人、片方が5人だったので合体させて1チームにしたんですよ」
「なるほどー」
 
「それでぶっちゃけ、市川ドラゴンズとうちとで、定期的に練習試合しない?」
「いいですね。彼らも対戦相手を探していたんですよ」
「ええ。ある人物を通して、そんな話を聞いたので」
 
「それって、長崎出身の女子東大生なのでは?」
「まあ“彼”のことはあまり話すと怖いので」
 
ふーん。この人でも“早紀”ちゃんが怖いのか。
 
「でも練習試合は歓迎です。やるよね?こうちゃん」
と千里は確認する。
 
「うん。そろそろ練習だけでは飽きて来たと言っていたから」
「じゃ、毎月1回、場所は双方の練習場所で交互にというのでどうです?」
「いいですね。ユメちゃんのチームの拠点はどこですか?」
「埼玉県の行田(ぎょうだ)市」
「面白い場所に」
「たまたま安い土地があったので衝動買いしちゃったんですよ」
「ああ。私も衝動買いです」
 
それで千里はユメ子と握手し、相互のホームを訪ねて練習試合をしていくことを決めたのであった。
 

2014年7月20日(日).
 
武漢でのアジアカップを戦っていた男子日本代表(Aチーム)は成田空港到着の便で帰国した。記者会見などが終わって解散した所を千里はキャッチした。
 
「お疲れ様」
と言って軽くキスする。
 
「いつ大阪に帰るの?」
「明日(祝日)にしようかな?」
「じゃ今夜は泊まり?」
「泊まろうかな?」
 
なお、ゴールデンシックスの制作の方だが、千里は初日の15-16日には顔を出したものの、その後は「忙しいからよろしく〜」と言って離脱している。日本時間の深夜にスペインでチームの練習をしているので、深夜遅くまでになりやすい音源製作にはあまり関われないのである。
 

貴司と千里はインプレッサに乗り、成田空港から1時間ほど走って常総ラボに行った。
 
「なんか居室が出来てる!」
「ここも貴司のおうちのひとつということで」
「あはは」
 
駐車場の一角を改造して宿泊室を作ってしまったのである。むろん使用しない時は、ここも休憩室として解放してもよい。ただ、冷蔵庫・電子レンジ・IH・洗濯機・乾燥機などもあって、幅広いベッドやワークテーブルなどもあり、けっこうな生活感がある。むしろ管理人室という感じである。
 
貴司が遠征で使った着替えは洗濯機に入れて回す。事前に食料品などを買っていたので、それで御飯を作って一緒に食べる。紅茶を入れ、買って冷蔵庫に入れておいたケーキも出して食べる。
 
そして食べ終わった所で2階のフロアに行ってふたりでたくさん練習をし、汗を流した。
 
「くやしい。6位なんて」
「貴司がスターターになれるくらいレベルアップすれば5位になれるかもね」
「それでも5位か!」
 

遠征疲れもあるので、その日は21時で練習を終え、一緒に寝るが、例によって5cm開ける。
 
「このベッド横幅がある」
「5cm空けて寝られる幅のを選んでみました〜」
「それ寂しい」
「まあ今日はぐっすり寝なよ」
「そうしよう」
 
翌7月21日も朝御飯を食べながら貴司は言った。
 
「今回もやはり着床しなかったよ」
「これ卵子と子宮の双方に問題がある気がする」
「それを確信した。自分の精子が少し弱いかもという気もしていたけど、武彦君の精子でもダメなら、やはり阿倍子の側にかなりの問題がある」
 
「離婚する?」
「そうしたら、あの子はきっと自殺する」
「そう言われると、私も何とか彼女に京平を産んでもらおうという気がしてきたよ」
「何かアイデアがあるの?」
「誰かは詮索しないで欲しいんだけど、私の親族で精子の強そうな人がいるからさ。その人の精子を使ってみてくれない?」
 
「千里の親族なら構わない。僕の別の従兄のものということにして持ち込むよ」
「うん」
 

この日も断続的に休憩を取りながら、夜遅くまで練習した。その日も常総ラボに泊まり、翌7月22日朝、貴司をインプレッサで羽田空港まで送っていった。
 
羽田6:15-7:20伊丹(8:34心斎橋)
 
なお千里は7月21日はスペインでは練習日なので、日本時間の7.21 21:00 - 7.22 4:00に練習していた。それで日本に戻ってきてから貴司を送っていくのでは間に合わない。それで朝羽田まで貴司を送っていたのは、実は《こうちゃん》である。千里はグラナダのアパートで1時間仮眠してから、羽田に転送してもらい、それで貴司を見送った。見送った後は、スペインのアパートに戻してもらい、5時間ほど寝た。
 
翌7月23日、台湾で8月9-17日に開催される男子ウィリアム・ジョーンズ・カップの代表選手が発表され、貴司はメンバーに入っていた。千里は電話を掛けて「頑張ってね」と言った。
 

第1回ロックギャルコンテストの二次審査(都道府県予選)をパスしたのは全国で120人くらい居たのだが、主宰者は三次審査(ブロック予選)に進む前に保護者が実印を押した芸能活動同意書の提出を求めた。彩佳はこれを母親からあっさり拒否されてしまった。
 
「あんたがアイドルとかになれる訳が無い」
「まあ自分でもちょっと無理かなという気がした」
 
一方龍虎の方は、長野支香があっさり承諾書を書いてくれた。
 
「あんたはその内やりたいと言うと思ったよ」
と支香は言った。
 
「友だちがオーディション受けてて、ボクはその付き添いみたいなもんなんだけど」
「わりとこの世界、付き添いで受けた子の方が大物になる」
「へー。そういうもん?」
 
ところがその彩佳が親からNGが出たというので、龍虎は「うっそー!?」と叫んだのであった。
 

そういう訳で実際に三次審査に参加したのは70人ほどに留まった。その三次審査は次の日程で行われた。括弧内は各ブロックの合格予定者数である。
 
7.05(Sat) AM 沖縄(1) PM 九州(2)
7.06(Sun) AM 中国(1) PM 四国(1)
7.12(Sat) AM 北海道(1) PM 東北(2) 7.13(Sun) AM 北陸(1) PM 東海(3)
7.19(Sat) 9:00 大阪(3) 12:00 近畿(2) 7.20(Sun) 9:00 東京(4) 12:00 関東(3)
 
新潟は北陸に、長野と山梨は関東ブロックに組み込まれている。
 
なお、大阪予選と近畿予選、東京予選と関東予選は、各々、同じ会場で連続して行われる。なお、7月19日までの合格者は全員7月20日午後に東京に集め、最終的なエントリーの意思確認のための簡単な面接をすることにしている。
 

7月20日、龍虎は、彩佳・宏恵・桐絵の3人に付き添われて関東予選に出て行った。
 
その時点で各ブロックの予選を勝ち抜いた17名の合格者が決まっている。
 
予選は一般公開されていないのだが、出場者1人につき3人まで付き添いができるので、その枠を利用する。同じ場所で東京地区予選、関東地区予選が続けておこなわれ、東京地区予選も座席に空きがあれば入れるということだったが、龍虎たちがわりと早く行ったので、全員入ることができた。
 
ステージ上に審査員が並んでいる。立川ピアノ、日野ソナタ、秋風コスモス、ロックシンガーの堂本正登、漫画家の酒元ミル九、シックスティーンの編集長、§§プロ社長、という紹介があった。酒元ミル九は昨年から誠英社の少年雑誌に掲載され始めた作品が中高生男子に大人気となっている。まだ19歳の若い作家である。23歳の秋風コスモスを入れていることなどを見ても、若い感覚を取り入れようとしているのだろう。
 
各審査員が何点を付けたか、そもそも合計何点だったかも非公開である。公開すると、厳しい点を付けた人が恨まれるかも知れないし、正直な採点をしにくいからだろうと彩佳は思った。
 

まずは東京予選が始まるが、すっごい可愛い子ばかりである。
 
「すげー!」
「ハイレベル!」
といった声を龍虎たちはあげていた。
 
彩佳は、音を外す子がひとりもいないのが凄いと思った。本当にちゃんと歌える子を採ろうとしているようだ。それなら龍虎はかなり有利だぞと思う。
 
「こんなに可愛いくて歌の上手い子ばかりなら、ボクは無理っぽい気がする」
と龍虎は言うが
「自信持ちなよ。龍も充分可愛いし、歌はこれまで見た範囲では龍よりうまい子はいなかったよ」
「そうだっけ?」
 
と言ってから龍虎はふと言った。
 
「でも東京予選に出てきたの、女の子ばかりで男の子がいなかったね」
 
彩佳たちは素早く視線を交わす。
 
「男子でうまい子がいなかったのかもね」
「なるほどー」
 

東京地区予選の合格者4人が発表され、全員退場した後、観客もいったん入れ替えられてから関東予選が始まる。
 
参加者は12名である。関東7県+長野から17名以上は合格した人がいたはず(彩佳が埼玉3位だったので)だが、自分も含めて5人以上が親の同意書をもらえなかったのだろうと彩佳は思った。この中から3名ほどが本選に進む権利を得ることになる。
 
課題は3分間の歌唱と1分間の自己アピールである。二次審査の時は予め指定されていた20曲の中から1曲その場で指定されて歌うというのだったが、今回は各自3曲を伴奏音源付きで用意しておき、その場で3曲の中の1曲を指定されて歌うことになっている。龍虎は彩佳の勧めで
 
ローズ+リリー『夜宴』
遠上笑美子『魔法のマーマレード』
しまうらら『ギター・プレイヤー』
 
を準備することにし、伴奏音源については彩佳が川南に
「誰かこういうの作れる人知りませんか?」
と訊いたら
「あ、それなら専門家がいるから任せて」
と言って、数日で作ってきてくれた。龍虎はその音源を聴いて
 
「すごーい!かっこいい!」
と思い、その音源を流しながらたくさん練習して、今日の本番に臨んだ。
 

龍虎は12番の番号札をもらった。
 
1番の子から順にパフォーマンスをしていくが、伴奏音源に関しては、ピアノあるいはエレクトーンのようなもので演奏したものを使っている子と、CDから切り出したと思われる音源を使っている子がいた。今回は二次審査と違って、途中で審査を打ち切ることはない。歌唱と自己アピールを全員最後までやらせる。
 
11人のパフォーマンスが終わり、龍虎の番となる。
 
「12番、田代龍虎です。よろしくお願いします」
と挨拶すると
「では、しまうららさんの『ギター・プレイヤー』を歌って下さい」
と指定される。
 
龍虎が係の人に伴奏音源を入れたCDを渡すが、その間に彩佳が龍虎の所に走り寄り、愛用のギター Yamaha LS56 を渡す。
 
審査員たちが「おぉ」と声を挙げて笑顔になった。
 
それで龍虎は伴奏音源が流れる中、実際にギターをピックで弾きながら『ギター・プレイヤー』を歌った。3分間あるので特徴的なギターソロも生で演奏する。そこだけで思わず会場から拍手が来る。
 
伴奏音源は2:50にまとめられているので、そこでジャン!というギターの音とともに歌唱を終了する。ストップウォッチを持っていたスタッフが、その数字を審査員たちに見せている。感心している風の審査員が多い。
 
実は伴奏がちゃんと3分以内に納められている参加者は少なかったのである。時間オーバーして注意されたり、短すぎたりする例が続出していた。
 

自己アピールの時間となる。
 
龍虎はギターを彩佳に渡すと、いきなりバク転をした。
 
審査員たちがどよめく。
 
「自己アピールではまず自分に注目を集めろ、と知り合いのお姉さん(川南)から言われたので、バク転をしてみました」
 
と龍虎は言った。
 
「私は背も低いし、腕力とかも無いですけど、歌とお芝居がとっても好きです。もしタレントさんになれたら、歌って踊れるアーティストになりたいと思います。今毎週ピアノとヴァイオリンにバレエを習っています。ピアノは昨年の関東**コンテストで3位に入りました。ヴァイオリンはスズキのメソードを高等部まで終了しています。バレエでは眠れる森の美女の青い鳥とフロリナ姫、くるみ割り人形の、スペイン・アラビア・中国、更に金平糖の精とかも踊りました。そういった力を基礎として、実力のある歌手・俳優になれたらと思います」
 
龍虎のメッセージは出てきたところから0:59で終了した。これもストップウォッチで測っていた人が、それを審査員に見せていたが、みんな驚いていたようである。
 
これは彩佳たちにストップウォッチで計測されて何度も練習し、文章の量も調整した結果である。ただ0:56で終わるつもりが3秒長くなってしまった。無論その程度の誤差が出ても1分をオーバーしないように0:56でまとめていた。
 
「ありがとうございました。席でお待ち下さい」
と進行係の人に言われた。
 

審査員たちがいったん別室に入るが、1分ほどで出てきた。ほとんど議論が無かったことをうかがわせる。
 
「合格者は12番・田代龍虎さん、10番・****さん、7番・****さん。以上3名です」
 
と読み上げられると、彩佳たちが「やったぁ!」と叫んだ。
 

14時から、全国の合格者24名のフロック予選の時の歌唱がビデオで披露された後、面接が行われる。龍虎たちは会場近くのマクドナルドでお昼を食べてから戻ってきたが、これは本当に意思再確認が中心なので、1人5分ほどの短いものということであった。
 
龍虎は最初に名前を呼ばれた。
 
「本選に参加しますか?」
「参加します」
「本選で優勝したら、うちの事務所と契約しますか?」
「します」
 
質疑は実質それだけで終わってしまった!
 
「ギターもうまかったね。だいぶ練習した?」
「はい。この曲は発表された時から『かっこいい!』と思ったので、たくさん練習していました」
「でも凄くいいギターを持って来たね。お父さんか誰かの?」
と訊かれて、龍虎は突然涙があふれてきたので、面接者(紅川社長)が驚く。
 
「どうしたの?」
「済みません。取り乱して。実は父は私が小さい頃亡くなっていて、あのギターは父の友人だった人からプレゼントされたものなんです」
 
「そうだったの!苦労してるね。あ、それで君の保護者欄の名前・・・」
「実は私は里子なんですよ。田代龍虎は通称で、戸籍上は長野龍虎なんです」
「ああ、そういうこと」
 
この時紅川は《長野支香》という名前を見て、どこかで見たような名前だなとは思ったものの、まさかワンティスの長野支香だとは思いも寄らなかった。
 
「保護者欄に名前を書いてくださった叔母は仕事が忙しくて、出張とかも多いので、小学2年生の時から、私は今の両親のもとで暮らしているんです」
「ああ、それでかなぁ。君、凄くしっかりしていると思った」
 
「ありがとうございます」
 
「そうそう。君が使用した伴奏音源もすごくよくできていたね」
「あれは古い知り合いのお姉さんが、そういうの作るのうまい人がいるから、と言ってちょうど3分以内に収まるように作ってくださったんですよ」
 
「ああ、それで。セミプロか何かなのかな」
「そのあたりはよく分かりません」
「いや、時間も余韻を入れて3分以内になるように作られていたし、出来がプロ級と思ったからね」
 
「何か人脈の多い人みたいです」
「へー。それは凄いね」
 
そんな話をしていたので、龍虎は結局10分くらい面談していた。
 
龍虎はそれで解放されてたくさんの記念品をもらい、彩佳たちと一緒に帰ったのだが、龍虎の後は、ほとんどの子が本当に5分くらいで終わったようである。7〜8分掛かったのが、九州代表の川内峰花と北海道代表の柴田邦江だった。主宰者側としては龍虎を含めてこの3人が大本命である。
 

7月22日(火).
 
アジアカップから帰国した貴司を迎えて常総ラボで週末を過ごした後、千里は22日の(日本時間)夕方、東京の帝国ホテルに行った。この日は、冬子と政子、千里と蓮菜、和泉・美空・小風、それに★★レコードの氷川さんが会食することになっていたのである。
 
先日政子が「帝国ホテルのディナー、私も食べたかった!」と言ったので、冬子の提案で、蓮菜が参加出来る日を選んで設定した。それに「葵照子・醍醐春海ペアにはお世話になっているし、一緒に」と和泉が言ってKARIONのメンバーも加わった。
 
ちなみに費用は★★レコード持ちである。
 
でなければ政子と美空という最恐ペアを帝国ホテルなどには連れて行けない!
 

千里と蓮菜はDRKの活動のことから説明を始め、Lucky Blossomのこと、雨宮先生との関わりなどを話した。それに冬子が情報を補足していく。
 
・DRK (Dawn River Kittens) に千里・蓮菜・美空が所属していた。
・∞∞プロの谷津貞子がDRKをスカウトしようとするが、勉強が忙しいので、私たちよりいいバンドを見つけられる場所を教えますと千里が言って占い、谷津はラッキーブロッサムを見つける。
 
・そのフロントマンが鮎川ゆま。
・ラッキーブロッサムの編成のことで千里が呼ばれ、ゆまの先生である雨宮三森がその場にいたことから、雨宮と千里の関わりができた。
・その縁で千里は雨宮からの紹介で作曲の仕事をすることになる。
・雨宮が「醍醐」「葵」という名前を付けた(照子・春海は自分たちで名乗る)。
・DRKの中で結果的に1本釣りされたのが美空で、KARIONの前身メテオーナに参加した。
・DRKの大半のメンバーが高校を卒業した後、北海道・東京・大阪で各地域に行ったメンバーがDRKの後継バンドを結成したが、その中で唯一生き残っているのがゴールデンシックス。
 
・鮎川ゆまと冬子(ケイ)は、ドリームボーイズのダンサー仲間
・鮎川ゆまと近藤七星は大学の同級生
・千里(醍醐春海)の妹が青葉(大宮万葉)
・青葉は鮎川ゆまにサックスを習っている。
・千里、鮎川ゆま、ケイは皆、雨宮先生の弟子
 
「ゆまさんって、色々な人とつながっているんですね」
「今頃はくしゃみしてますね」
 
「結果的にはKARIONもDRKの流れを汲むユニットと言える訳か」
「メンバーだった美空ちゃんが参加していて、メンバーだった葵・醍醐ペアの曲をしばしば歌っているから、充分DRKの遺伝子を持っている」
 
「メテオーナの元メンバー2人がチェリーツインに参加してるけど、このユニットには、蔵田先生、雨宮先生、それに私が関わっている」
と千里。
 
「その2人が抜けた後、メテオーナは千代紙と合体してKARIONになった」
「ホントに複雑に絡み合っている」
 

話は盛り上がり、美空と政子の食も進み、ふたりの食べっぷりに蓮菜は驚くというより、呆れていた。
 
「美空ちゃんや政子さんにディナーをおごる時は、その前にラーメンでも食べさせておこう」
と蓮菜は言ったが
 
「あ、ここに来る前にまぁりんとふたりでラーメン3杯ずつ食べてきたよ」
と美空が言ったのには、もう絶句していた。
 

7月25-27日には苗場ロックフェスティバルが開かれた。これに千里も演奏参加することになった。もっとも最初は参加する予定など全く無く、蓮菜に誘われて観客としてチケットを買って行ったのである。
 
演奏者の多くが24日に苗場最寄りの町、越後湯沢に入っている。千里は蓮菜と一緒に26日に苗場に入り、普通の入場者として中に入り、KARIONの楽屋に陣中見舞いに行った。
 
この時、千里は七星さんから
「醍醐さんの龍笛をぜひ聴きたい」
と言われ、七星さんから言われては仕方無いかと吹いてみせる。
 
七星さんは驚いた様子で
 
「私は龍笛という笛の音を勘違いしていたよ」
と言った。
 
「まあ篠笛みたいな吹き方をなさる方が多いですね」
と千里も笑顔で言った。
 
千里の演奏を聴いた和泉は『雪のフーガ』に含まれるフルート三重奏を吹いてくれないかと言い、これを七星さんと千里に風花の3人で吹くことになった。
 

そういう訳で千里はチケットを買って観客として入って来たにもかかわらず、苗場のステージに立つことになった。パフォーマー用のタグは加藤課長に頼んで発行してもらった。
 
更に美空は千里に『夕映えの街』の背景で舞を舞ってくれないかと言い、なぜか持って来ている巫女衣装(用意が良すぎると言われる)で舞った。
 
その後でその巫女衣裳を脱いで、普段着のままフルートを吹く。これは急に言われたので、日常作業用に持っていた Yamaha YFL-221 を使用した。
 
その演奏を終えた所にバスケットのゴールが持ち込まれ、なぜか来ている薫が千里にボールをパスする。千里はフルートを SHIN の所に投げるとそのボールを受け取りドリブルを始める。そのドリブルに合わせてトラベリングベルズが伴奏を始め『恋のブザービーター』をKARIONは演奏した。この時、フルートを受け止めてしまったSHINは、そのまま千里のフルートでこの曲を演奏した。
 
そして曲の最後には運び込まれているゴールめがけて千里がシュートをし、これが美事にゴールするので、会場では大きなどよめきが起きた。
 
美空は
「バスケットボールU18元日本代表シューターの村山さんでした。拍手!」
と千里を紹介した。
 
なお薫が居たのは、この年、ローキューツがローズ+リリーの『苗場行進曲』でユニフォームで行進するパフォーマンスをしたためである。ヒナさんの性転換手術後のお見舞いの場で冬子と薫が遭遇した縁で引き受けたらしい。
 

ステージが終わった後で、“フルートをパス”した件についてSHINが言っていた。
 
「フルートが飛んできてびっくりしたけど、俺の手の中にフルートの側から飛び込んで来たんでキャッチした」
 
「SHINさん、それ、twitterに書いといてください。あれ楽器を粗末に扱ったと誤解する人がいたらいけないから」
と美空が言う。
 
「それでも万一落としたら大変なのに」
と冬子が言うが
「まあ白銅製フルートだからね。総銀フルートならさすがに投げない」
と千里は言っている。
 
「千里は世界一のシューターだもん。あの距離ならストライクで渡せるよ」
と便乗して控え室に付いてきている薫が言う。
 
「そういえば、元日本代表とか言ってたね」
と冬子が訊く。
 
「千里は2008年からU18,U19,U20,U21と毎年日本代表になっているし、2011年にはU21とフル代表も兼任した」
と薫が言う。
 
ああ、薫も私が昨年日本代表やったの知らないなと思う。それで千里は
 
「古い話だよ。過去の栄光だよ。2012年は途中で代表から落とされたし、その後は代表候補にも呼ばれてないし」
 
と笑顔で言っておく。
 
「それって女子の代表だよね?」
と冬子が確認するが
「千里が男子の代表になる訳無いです」
と薫は言う。
 
「でも2008年から日本代表してたって、大会はどこであったの?」
と冬子は訊く。
 
「U18はインドネシア、U19はタイ、U20はインド、U21はアメリカ。2011年のフル代表アジア選手権は日本の長崎県だよ」
「じゃ海外渡航する時はパスポート使っているよね」
「そりゃパスポートも無しに出入国したら密入出国だ」
と言いながら、最近はそれが日常茶飯事だな、と千里は思う。
 
「パスポートの性別は?」
「内緒」
「うむむ」
 
美空はクスクスと笑っている。
「千里も冬も多分本当は生まれた時から女の子だったんだよ。男の子の振りしてただけ」
 
「いや、それは違う」
と冬子も千里も言った。
 

27日には昨日のKARIONと同様、午後1番にローズ+リリーのステージがあったが、このライブを千里は美空に誘われて楽屋で聴いていた。その後は撤収作業になるので、どさくさに紛れて会場を出て、千里は東京に戻った。
 
越後湯沢16:08-17:20東京
 
そのまま東海道新幹線のホームに移動し、大阪から来た貴司を迎える。
 
新大阪16:10-18:43東京
 
キスして迎える。
「これお夜食に買っておいた」
と言ってパンの包みを渡す。
「ありがとう」
 
改札を出て駅前からタクシーに乗り、一緒に北区のNTCまで移動する。明日から男子の代表合宿が始まるのである。
 
そしてNTCの選手村前で
「合宿頑張ってね」
と言って送り出した。千里はそのままタクシーで赤羽駅まで行き、葛西に帰還した。
 
なお女子代表の方は7月25-30日の日程で、秋田・山形県上山市・仙台で壮行試合をやっている最中である。
 

2014年8月1日(金).
 
今年のインターハイ・バスケットボール競技の開会式が行われた。競技は2日から7日まで行われるが、男子は船橋市、女子は八千代市の男女分離開催である。
 
旭川N高校は3年ぶりのインターハイであるが、3年前までと同様に、女子部員全員28名を連れて千葉に出てきた。2011年までは2007年から5年連続出場したので部員数も増えていたのだが、2012-2013年にインターハイ・ウィンターカップの出場を逃すと、やはりインターハイに出た旭川L女子校の方に実力のある新入生が流れてしまい、結果的に部員数も減少して3学年で28名しか居ない。
 
今回千里はこの28名の部員の宿泊費・食費・交通費相当として300万円を寄付しているので、それで学校も全員を連れてくることができた。またインターハイの期間中、千城台体育館を自由に使ってもらっていいことにしたので、早朝から深夜まで、美月や英美などが熱心に練習していた。
 
部員の他に、宇田先生、南野コーチ、白石コーチ、保健室の大島先生、それに朝日校長が来ているが、先生たちの費用は学校から出ている。実は選手12人分の交通費と宿泊費も学校から出ているのだが、千里の寄付があったので、それは諸経費用に転用させてもらうと言っていた。
 
ちなみに校長の朝日先生は、千里が在学していた当時は教頭だったが、今年校長に昇格。健康不安を抱えていた元校長は現在副理事長になっている(でも若い奥さんとの間に子供も産まれたばかりである)。
 
N高校遠征組では、関東周辺にいるOGに声を掛けて、練習相手になってもらうことになり、これに川南・夏恋・暢子・雪子、蘭・司紗、松崎由実、原口揚羽・紫の姉妹、ソフィア、越路永子、夏嶺夜梨子などが応じた。
 
「千里は来られない?」
「ごめーん。忙しい。でもどこかで顔を出すね」
「宇田先生が『こんな凄い先輩が居たんだぞ』というので、もらったメダルとか賞状とか後輩に見せてやってくれてと言ってたぞ」
「じゃ、そういうの持って行くよ」
 

8月2日(土)の日本時間で午前4時頃までグラナダで練習をしていたので、その後、グラナダのアパートで6時間ほど寝てから、葛西で待機していた《すーちゃん》と位置交換してもらう。それでのんびりと朝御飯?を食べてから、メダルや賞状、記念品などを適当にセレクトしてカバンに入れる。そして千里は葛西の駐車場に駐めているインプレッサに乗り、八千代市に向かった。この日の試合スケジュールはこのようになっている。
 
1 9:30 GHIJK
2 11:00 GHIJK
3 12:30 GHIJK
4 14:00 GHIJK
5 15:30 GHIJK
6 17:00 GH
 
G,H:八千代市市民体育館 I:八千代松陰高校 J:秀明八千代高校 K:東京成徳大学
 
旭川N高校の試合は第5時間帯、15:30-17:00 八千代松陰高校である。それで千里は途中で《こうちゃん》と運転を代わり、会場前でおろしてもらった。どこか適当な場所に駐めておき、終了した頃に迎えに来てもらう。
 

会場に着いたのは14:00頃であった。
 
会場に入っていき、旭川N高校の選手たちの居る場所を見つけて寄って行く。
 
「こんにちは〜」
と千里が声を掛けると、暢子が
「重役出勤だな」
と言った。
 
「村山君久しぶり」
と宇田先生も笑顔である。
 
それで千里が持って来たカバンを開けて、中の賞状やメダルなどを見せると
 
「すごーい」
という声があがる。
 
「インターハイの銅メダル2枚、ウィンターカップの銀メダル、国体優勝の賞状、U18アジア選手権の金メダル、U19世界選手権7位の賞状、U20アジア選手権の金メダル、U21世界選手権の銅メダル、2013年アジア選手権の金メダル」
 
「スリーポイント女王の賞状がたくさん・・・」
「ああ。たくさんあるね」
と千里も笑顔である。
 
「みんなも頑張れば取れるよ。取り敢えずこの大会優勝しようよ」
「優勝!?」
 
どうも誰もインターハイで優勝などということを考えもしていなかったようである。
 
「よし頑張って暢子先輩たちも取れなかった金メダルを取って帰りましょう」
と調子の良い2年生の美月が言う。
 
すると暢子が
「なぜ貴様はそこでわざわざ私の名前を出す?」
といって、また美月にヘッドロックを掛けている。
 
「痛い、痛い、試合前にやめて下さーい」
 

しばらくバスケの理論的な話などしていた時、OGたちの現在の所属の話になる。
 
「私は関東実業団のBC運輸。今日は来てないけど胡蝶ちゃんもチームメイト。関東の実業団ではMS銀行に行った不二子ちゃん、KL銀行に行った昭子ちゃんと永子ちゃんもいるけど今日は来てない」
と夏恋が言った。
 
「私も関東実業団のJP運輸だけど2部だから1部のチームに行った夏恋たちの方が凄い。同じチームに田崎舞さんもいる」
と川南。
 
「あと私たちは関東のクラブチームだな。千葉のローキューツに所属している子と東京の40 minutesに所属している子がいる。40 minutesは今年登録したばかりの新しいチームでまだ実績がないけど、ローキューツは全日本クラブ選手権を三連覇しているしオールジャパンにも2012年に出ている」
と暢子が言う。
 
「誰かWリーグに行った人は居ないんですか?」
という質問がある。
「Wリーグに行ったのは蒔田優花さんだけかな。私たちより9年上。オールジャパンでMVPも取っている」
「すごーい!」
 
「それ以降はWリーガーは出ていないかも」
と川南が言うと、またまた美月が
「なーんだ」
と言うので、暢子に「貴様なぁ」と言われてヘッドロックを掛けられ、みんな呆れて見ている。
 
福井英美が少し寂しそうな顔をしていた。
 

あと10分くらいで試合が始まるという時、千里がロビーで電話をしていたらその福井英美がトイレに行くのかこちらに出てきた。少し緊張したような顔をしている。やばいなと思う。
 
千里は電話を「また後で」と言って切ると、英美の所に歩み寄った。
 
「英美ちゃん、初戦は緊張しやすいけど、今日の相手は負けるような相手じゃないからさ。普段通りの気持ちで頑張ろう」
「はい。深呼吸したりして自分を落ち着かせています」
 
ああ、やはりかなり緊張しているなと思う。
 
「そうだ。さっきの場では言わなかったけどさ。これが私の現在の所属チーム」
と言って、千里はレオパルダ・デ・グラナダの選手証を見せた。
 
「これは・・・スペイン?」
「そそ。スペインLFBの1部に所属するチーム」
「え?でもなんかクラブチームに入っていると言いませんでした?」
 
「バスケは結構シーズンの違うリーグに二重在籍する人が多いんだよ。私は春から夏に掛けて、日本の40 minutesに所属して大会とかに出て、秋から冬に掛けてはスペインのリーグに出る。日本で大きな大会がある時は、その時だけ帰国する」
 
「え〜〜〜!?」
「湧見昭子の所属しているジョイフルゴールドに所属する高梁王子もアメリカのNCAA(エヌ・シー・ダブルエー)のチームを兼任しているね」
 
「すごーい」
「スペインには去年の春から日本バスケ協会の強化選手として派遣されていて1年だけ滞在して、今年は日本のWリーグに入ってと言われていたんだけど、今バスケ協会は凄い内紛中でさ」
 
「あれ、ひどいですね」
と英美も顔をしかめる。
 
「それで私の扱いが宙ぶらりんになっているから、結局今年は暫定的に派遣されたチームでそのままプレイしながら、日本バスケ協会の籍を確保するのにクラブチームに入ったんだよ」
 
「そういう事情があったんですか」
「英美ちゃん。君はできる。そして君は今年はまだほとんど警戒されていない。これはチャンスなんだよ。インターハイの得点女王とリバウンド女王を狙いなよ。北海道の女王になったから、次は日本の女王になる番だよ」
 
「頑張ります」
と英美は熱い情熱に満ちた目で答えた。
 

その日の試合では英美が爆発して1人で30得点取り、過去にBEST8になったこともあるチームを完全粉砕した。圧勝して2回戦に駒を進めた。
 
千里は満足した顔で喜んでいるチームを見ると、夏恋に
「先に帰るね」
と声を掛けて、会場を出る。校門の近くで待っていたら5分ほどで《こうちゃん》が車を持ってくる。
 
「ありがとう。私が運転するね」
と言って運転席に座り、車を出す。
 

それで葛西方面に戻ろうとしていたら、少し先を青葉が歩いているのに気付き、車を停めてクラクションを鳴らす。
 
青葉と他に見たことのあるお友だちが3人居る。美由紀ちゃんと奈々美ちゃんと・・・えーっと、もう1人は・・・日香理ちゃんだ!
 
「どこまで行くの?」
と千里は訊いた。
 
「東京に出てどこかホテルに泊まろうと思ってたんだけど」
と青葉は言う。
 
「取り敢えず晩御飯でも食べない?」
と訊くと
「おごってくれるなら大歓迎です」
と美由紀が言った。
 

それで4人を乗せて少し走った所にあった回転寿司屋さんに入った。
 
なんでも奈々美の高校のバスケ部がインターハイに出場して、12人枠に入れなかったバスケ部員の奈々美たちは応援に行くことにしたものの、3人も欠席者が出て、どうしようと思っていた所、偶然高岡駅で青葉たち3人に会ったので徴用したということらしい。
 
「でも私も高校時代、奈々美ちゃんたちの高岡C高校と対戦したことあるよ」
と千里は言った。
 
「ちー姉って、その時選手だったんだっけ?」
と青葉は混乱して尋ねた。
 
「そうだけど」
「女子だよね?」
 
「高岡C高校も強いのは女子だけでしょ?」
と千里。
「そうなんですよ。男子はいつも地区予選1〜2回戦負けで、まだ県大会にも進出したことないんです」
と奈々美が言う。
 

「お姉さんも、もしかしてバスケの応援ですか?」
と奈々美は訊いた。
「そうそう。うちの高校が来てたから。会場は松陰高校体育館」
 
「勝ちました?」
「うん。勝ったよ。奈々美ちゃんたちは?」
「途中まではいい勝負してたんですけどね。後半投入された相手の1年生が凄くて。負けちゃいました」
「それは残念だったね」
 
「奈々美ちゃん、バスケットやってるのなら、これ見せてあげる」
 
と言って千里はバッグの中からさっき後輩たちに見せたものを取り出して渡した。
 
「なんかメダルがたくさんある!」
「賞状もいっぱい」
 
「嘘。インターハイの銅メダル?」
「ウィンターカップの銀メダル!?」
「アジア選手権の金メダル!?」
「うっそー!?世界選手権の銅メダル!??」
 
「賞状は国体優勝の賞状に始まって、スリーポイント女王の賞状がいっぱい」
「うん。いっぱいありすぎて、私も全部は覚えてないかも」
 
「全日本総合バスケットボール選手権大会。これなんか凄そう?」
「通称オールジャパン。バスケットの全ての連盟の日本一を決める大会だよ。高校生・大学生・教員・クラブ・実業団・プロ、全てが出場する」
「そんな大会でスリーポイント女王って、日本一のスリーポイント・シューターということですか!?」
 
「というか、これ Three point goal leader 2011 FIBA U21 Women's World Championship って、つまり世界チャンピオンじゃん」
「あくまで21歳以下のね」
 
「すごーい」
「奈々美ちゃん、普通の子の中では背が高い方だけど、バスケット選手としてはそんなに長身という訳では無い。でもドリブルは必ずしも得意ではないと言ったよね。そういう子が生きる道がスリーだよ」
と千里は言った。
 
「そうかも・・・」
と奈々美も言う。
 
「スリーをたくさん練習しなよ。奈々美ちゃんだと多分スモールフォワードという感じかな」
「ええ。私は2番(シューティングガード)というより3番(スモールフォワード)だと思います」
 
「スモールフォワードってゲームの鍵を握るんだよね。自ら得点もする。攻撃の起点にもなる。そしてスリーも放り込む。オールマイティ・プレイヤー」
 
「私のプレイを見た先輩が『あんたは3番向きの性格』と言ったんです」
 
「そのスモールフォワードが高確率でスリーを入れることができたら、何といっても、24秒のバイオレーションを避けることができる」
 
「そうなんです!それ言われました」
 
どうしても攻めあぐねた場合、24秒で時間切れになる前にスリーを撃つことが多い。そこでどのくらいの確率でゴールできるかは、勝負の分かれ目になる。
 
「だからスリーを入れられるスモールフォワードは貴重。たくさん練習するといいよ」
 
「頑張ります」
と奈々美は明るい声で言った。
 

青葉は唖然としていた。
 
ちー姉って・・・女子バスケット選手だったの〜〜〜?
 
だってだって、高校時代、バスケやってたから頭は丸刈りにしていたとか言わなかった?? それって男子選手ってことだよね?女子選手が丸刈りを強要される訳が無い。
 
でもでも、スポーツの世界で性別の取り扱いは物凄く厳しい。オリンピックでもしばしば半陰陽の選手が問題になる。少なくとも睾丸が存在すれば絶対に女子選手になることはできない。ちー姉が高校時代から女子選手だったとしたら、その時点で少なくとも睾丸は無かったことになる。
 
でもでもでもでも、私、2011年にちー姉の睾丸を活性化させて、それで精液を冷凍保存したよ!?ちー姉の高校時代は2006年から2008年。これ絶対おかしい!!
 

青葉が悩んでいる間に、お店のスタッフさんがオーダーしたティラミスを持ってきたが、千里がそのスタッフさんに手を振っている。
 
「あれ〜、千里だ」
「浩子ちゃん、久しぶり」
 
「お友達ですか?」
「そうそう。バスケットのチームメイト」
「高校時代の?」
「ううん。大学生の時、クラブチームに入っていたんだよ」
「へー」
 
「浩子ちゃん、こちらはうちの妹の青葉、それから妹の友だちの奈々美ちゃん、美由紀ちゃん・日香理ちゃん」
「そしてこちらは、千葉ローキューツというチームの元キャプテンで石矢浩子さん」
 
「いや、名前だけのキャプテンで申し訳無い」
などと浩子は言っている。
「でもチームを率いてオールジャパンに出たからね」
「あれは一生の想い出だよ」
 
そんなことを少し話していたのだが、すぐに他で呼ばれて浩子は飛んで行った。
 

「ちー姉って、バスケは高校時代だけじゃなかったんだ?」
と青葉は尋ねた。
 
「私も大学に入ったらバスケやめるつもりだったんだけどね〜。でも何もしていないと身体がなまるから個人的に体育館で練習していたんだよ。そしたら浩子ちゃんに会って、誘われて彼女たちのクラブに参加したのよ」
と千里は説明する。
 
「今もそのチームに所属しているの?」
「ううん。もう2年前にやめたよ」
 
「女子のチームだよね?」
と青葉は確認した。
 
「彼女、男に見える?」
「女性に見えたけど」
 
青葉はもっと千里を追及したい気分だったようだが、この場ではやはりまずいかと考えたようで、その日はそれ以上はその件は話題にしなかった。
 

結局その日は全員で桃香のアパートになだれ込み、毛布や布団を奪い合ってごろ寝した。
 
「可愛い女の子がたくさん」
と偶然こちらに来ていた桃香が言ったが
 
「高校生に手を出したら淫行で捕まるよ」
と千里は釘を刺していた。
 

千里は冬子から電話を受けた。
 
「急な話で申し訳無いんだけど、今月16日から来月7日までのKARIONのツアーに横笛系奏者として参加してもらえないかと思って」
 
「横笛というと?」
「篠笛、フルート、アルトフルート」
「それならいいよ」
「それとできたら『夕映えの街』での巫女舞と、『恋のブザービーター』でのドリブル&シュートパフォーマンス」
「それもいいけど、フルートを投げずに済むようにして」
「それ花恋に取りに行かせるよ」
 
「それならいい。ちなみにKARIONのライブなら昼間だよね?」
「うん。13時から15時半くらいまで」
 
「日中ならOK。夜20時以降はちょっとまずいんだよね」
「夜間、何かお仕事とかあるの?」
「夜間道路工事のバイト」
「え〜〜〜?」
 
「でも急だね」
 
「実はフルートで予定していた人が指を怪我してしまって」
「ありゃー。それは大変だね。そういうことならいいよ」
「助かる!もしよかったら8月9日・土曜日、横須賀のサマーロックフェスティバルにも出てもらえないかな。これも日中」
 
「土曜日なら大丈夫だよ。9月までなら土日は夜でもOK」
「へー」
「土日は道路工事が休みだから」
「ホントに道路工事してるの〜〜?」
 

男子日本代表は7.28-8.02に第4次合宿、8.04-8.06に第5次合宿を行った。つまり8月3日は休みだったが、そのままNTCに居残りする選手も多かった。貴司は朝から千里に選手村前までインプレッサで迎えに来てもらい、常総ラボに行った。そして一日ひたすら練習した。
 
「貴司、かなり気合いが入っている。これならウィリアム・ジョーンズ・カップ良い成績残せるかも」
 
「それがさぁ。また龍良さんが怪我しちゃって」
「え〜〜!?」
「昨日1人、緊急召集された」
「彼が居ないと日本は辛いね」
「実力では彼にかなうような人がひとりも居ないからね」
「貴司頑張りなよ」
「さすがに彼には追いつけない」
 

夕方一緒に居室に行き、汗を流す。先に千里がシャワーを浴びるが、身体を拭いただけで、裸のまま戻って来る。貴司はゴクリと唾を飲み込み、急いでシャワーを浴びて、適当に身体を拭いて戻って来る。
 
千里が触ると触った瞬間射精した。
 
しっかり射精バッグに取る。
 
「じゃ、これ大阪に持って行くね」
「すまん。頼む」
 
「NTCまで送っていくから座席で寝てるといいよ」
「そうする」
 
千里が精液バッグを保冷バッグに入れる。ふたりとも服を着る。貴司がなごり惜しそうだが、少しだけ揉んであげて「また今度ね」と言ってキスをする。貴司をインプレッサの後部座席に乗せ、千里はNTCまで走った。実際貴司はずっと寝ていた。
 
彼を選手村の玄関に置き、東京駅で保冷バッグを持った《げんちゃん》を降ろしてから、千城台に戻って旭川N高校の合宿に合流した。《げんちゃん》は新幹線で大阪に行き、貴司の同僚を装って病院に精液を届けてくれる。
 
 
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【娘たちの卵】(1)