【娘たちの予定変更】(6)

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9月13-14日に行われた大阪府総合選手権で貴司たちのチームMM化学は準優勝。10月末に和歌山県で行われる近畿総合選手権の切符をつかんだ。
 
船越監督になってから1年目の2007年に大阪3部で優勝して2部に昇格。貴司が加入した2008年は準優勝で入れ替え戦にも敗れて昇格できなかったものの2009年には2部優勝で1部昇格。この時期MM化学は順調に成績を上げて行っていた。来月には今年のレギュラーシーズンのリーグ戦も始まる。
 

9月13日(月)から17日(金)までの平日5日間について、千里はまたジョイフルゴールドの方に寄せてもらって、練習させてもらうことにした。
 
千里がその件で玲央美と話していたら
 
「僕もそれに参加できないかな」
と留実子が言い出した。
 
「ああ。るみちゃんならいいと思うよ」
と千里は言う。更に星乃まで
「藍川さんの指導って一度体験してみたい」
と言い出すが、
「ステラもOKだと思うよ」
と玲央美は言う。
 
それで玲央美は藍川さんに電話しようとしたのだが、その時、ふと近くにいる渡辺純子に気付いた。
 
「あ、だったら、純も参加させよう」
と玲央美が言い出す。
 
「え?」
と純子が驚いている。
 
「純ちゃんはU18の合宿があるのでは?」
と千里。
 
「うん。だからその後、こちらで鍛える」
「なるほどー」
 
「どう思います?高田コーチ」
と玲央美は少し離れた所に居た高田コーチに訊く。
 
「そうだね。花和君にしても渡辺にしても、少しレベルの高い所で鍛えた方がいいかもね。竹宮君にしても君のレベルが上がれば、ロースターの子たちも目の色が変わる」
と高田さんが言う。
 
それで高田コーチはあちこちに電話を掛けていたのだが
 
「渡辺君は13-15日にU18の合宿が入っているけど、これを免除して13日から17日までジョイフルゴールドとの合同練習。学校の許可も取った」
と高田さんが言うので
「え〜〜〜!?」
と純子は驚いている。
「U18は来年の世界選手権に向けての練習だから、それより目の前のU20アジア選手権に向けて少し強化した方がいいだろうと、U18の丸田監督も言っていた」
 
「あははは」
「花和君も少し鍛えようか。森下君もこちらに来るよね?」
と千里に訊く。
「ええ。13-17日は、うちの溝口麻依子共々、そちらに行かせてもらいます」
と千里は答えた。
 
「みんな頑張るなあ」
などと早苗が言っていたら
 
「早苗もこちらに来る?」
と玲央美が声を掛ける。
 
「え〜〜〜!?」
「敵情視察ってことで」
「それはいいけど私も解剖されそう」
「そのあたりはお互い様で」
 
早苗がそれでキャプテンに連絡していたが、キャプテンは驚いたものの、監督に確認してOKを出してくれた。
 
「たくさんスパイして来いと言われました」
「OKOK」
 
早苗は山形D銀行に所属しており、山形D銀行もKL銀行(ジョイフルゴールド)も、来週の全日本実業団競技大会に出場する。その直前に早苗がKL銀行の練習場に1週間滞在するという、凄い話なのである。
 
なお、このジョイフルゴールドの練習に参加するU20のメンツに関しては高田さんが交渉して、引き続きNTCに宿泊して良いことになった。千里もそれでNTCに引き続き泊まるが、自分のアパートに戻った方がよほど近い玲央美まで、「自分のアパートよりこちらの方が快適だし」と言って、どさくさに紛れて一緒に宿泊するようにしたようである。
 

13-17日の間、そういう訳でジョイフルゴールドの練習場でU20の千里・留実子・純子・早苗・星乃に雪子、ローキューツの麻依子・誠美が、かなり濃厚な練習をした。緩慢なプレイなどしたら、藍川真璃子が厳しい声を飛ばすので 
「これU20の合宿より厳しい」
と星乃が言っていた。
 
「でもU20の合宿はフル代表の合宿よりユニバーシアード代表の合宿よりきついと言われていた」
 
「なんて恐い世界だ」
「まだ死人が出る前提じゃないだけマシ」
「それどこのファシズム国の話よ〜!?」
 
ジョイフルゴールドのベストメンバーと、U20+ローキューツ(玲央美はU20に入る)とで練習試合もたくさんやったが、9月から女子選手として試合にも参加できることになった昭子がどんどんスリーを放り込むので「すごい」と早苗が声を漏らしていた。
 
「今度の全日本実業団で、どうやって昭ちゃんを封じるか考えてるでしょ?」
と玲央美が早苗に言う。
 
「あの子、動きに穴が無い。厳しい」
と早苗が言っていたら、それを半分くらい耳にした星乃が
 
「あの子、手術で、ちゃんと穴は作ったらしいよ」
と言うので
 
「何の話をしている!?」
と早苗が呆れて言っていた。
 

渡辺純子が本来参加するはずだったU18の合宿は9月13-15日に行われた。これは6月にU18アジア選手権に出たメンバーに10名を追加して来年のU19世界選手権に向けての強化を図るものである。
 
この3日間、渡辺純子は昼間は三鷹の練習に参加したものの、夜間(9.12-14の夜間)NTCの体育館を使って湧見絵津子・加藤絵里・鈴木志麻子とライバル4人でかなり遅い時間まで自主的な練習をしていたようである。
 
千里もNTCに泊まり込んでいるので絵津子と会ったが
 
「国体の予選に勝った私が代表に呼ばれず、負けた純子が呼ばれたのは日程の問題で仕方ないとは納得するけど、何か割り切れないものを感じる」
 
と千里にだけ胸の内をさらけ出した。
 
「今回の事件はみんな不条理を感じているよ。U20の日程が変わってしまったのはインドの総選挙の影響で、選手の安全を考えると仕方ないけどね。白井さんの件は完璧に強化部の不手際だから。帰化なんてその人の一生のことなのに。結果的に彼女はどこの国の代表にもなれなくなった。再度アメリカ国籍を取り直してアメリカA代表を目指す手はあるけど、彼女は29歳だから、そんなことしている間にとても代表には呼んでもらえない年齢になってしまう」
 
「可哀相」
 
「でも正直、華香も使えなくて11人で戦ってくれなんてことになっていたら、残された11人にとっても辛すぎたね」
 
と千里は言った上で
 
「えっちゃんは、この鬱憤をぶつけて国体は優勝して、宇田先生を胴上げしなよ」
と絵津子に言った。
 
「千里先輩の時に続く胴上げですね」
「それが私たちが優勝した時は、宇田先生、恥ずかしがって胴上げ辞退したんだよ。結果的に暢子と私も胴上げしてもらえなかった」
「うーん・・・」
「だから今回は宇田先生がたとえ恥ずかしがっても、やっちゃいなよ。そしたらえっちゃんも当然胴上げされる」
 
「全国大会で優勝して胴上げされたら凄くいい気分でしょうね」
「インターハイで純ちゃんが胴上げされるの見てたでしょ?」
「凄く悔しかった」
 
「うん。だから頑張れ」
「はい!」
と絵津子は元気に答えた。
 

千里たちのジョイフルゴールドとの合同練習は17日の17時頃までたっぷり練習して、いったん解散となった。
 
U20は次は22日から合宿・遠征となる。
 
この連休、ジョイフルゴールドは大会に出て不在である。
 
留実子と純子はその間いったん地元に帰ってもいいのだが、4日間で北海道まで戻ってまた出てくるのも辛い。それで結局高田コーチの許可を得て、NTCに居残りし、一緒に21日のお昼くらいまで自主練習することにした。
 
この練習にジョイフルゴールドの練習に参加していた縁で、星乃・麻依子・誠美が付き合ってくれることになった。しかし奇数になってしまうので留実子が雪子を呼び出し、6人での練習になった。
 
麻依子はNTCに入るのは初めてである。高校時代にトップエンデバーに招集されているが、その時はこのNTCではなく羽田空港の体育館を使用している。麻依子はNTCの施設を見て
「きれーい」
と言っていたらしい。
 
「溝口さんもU20代表候補に招集されていいくらいの実力を持っている」
と麻依子と手合わせした星乃が言っていた。
 
「そうですね。私の感覚ではあと2メートルくらい日本代表に手が届かないんですよ」
「2メートルか。私はどのくらいかなあ」
「竹宮さんは既に届いている気がする」
と麻依子は言っていた。
 

千里は17日の17時で三鷹の体育館を引き上げ、いったん北区の合宿所に戻った。シャワーを浴びてから、女の子らしい服に着替えると、スカートも穿いてからメイクまでする。そして荷物は合宿所の駐車場に駐めているインプに放り込んでそのまま放置し!歩いて合宿所を出ることにする。洗い物は今回《すーちゃん》に頼んでアパートに持ち込み洗ってもらうことにした。
 
ロビーの自販機でコーラを買っていたら玲央美と遭遇する。玲央美は荷物を3つ持っている。引き上げる所のようである。
 
「デート?」
と訊くので
「和服の着付けの練習」
と千里は答える。
 
「和服かぁ。そうだ成人式はもしかして振袖?」
「振袖買ったよ。11月に仕上がり予定。レオはどうするの?」
「成人式かったるいなあと思っているんだけどね。兄貴がお金出してやるから振袖作ろうと言っていたんだけど、要らないと言った。もしかしたらレンタルして着るかも知れないけど」
 
「私くらいの身長でも既製品は寸が足りないよ」
 
玲央美は「え?」という顔をする。
 
「もしかしてレンタルでは無理?」
「無理だと思う。でも玲央美の収入があれば買えるでしょ?」
「うーん・・・どうしよう?
 
「注文するんだったら、早く注文しないと間に合わないと思う。あれ縫製にどうしても3ヶ月掛かるから。むろん今から生地を染めるのは間に合わない。既製の生地を縫うだけなら何とかなるけど、身長が高い子の振袖を作る場合、普通の生地では布が足りないんだよ。身長が高い人のために特に長く作られた生地を使う必要があるけど、そういう生地は少ない。需要が少ないから」
 
「それ全く考えてなかった」
 
玲央美は悩んでる。
 
「今貯金が50万くらいなんだけど、それで買える?」
「玲央美の身長に合うものでは微妙だと思う」
「いくらくらい?」
「70万か80万か」
「なんて高いんだ! やはり振袖諦めようかなあ」
 
「インクジェットなら半額か3分の1の価格で買えると思う。でも、玲央美は私たちの年代のトップ・バスケガールだからさ。見た目が安っぽいインクジェットの振袖とか着ている所の写真が出回るのはよくないよ。ああ、さすがトップアスリートと言われるものを着なくちゃ」
 
「私年俸600万だよ〜」
「19歳で600万はかなりの高年収だよ。人気を付けなきゃいけないんでしょ?」
「うむむむ」
 
「冬のボーナスで出せない?」
「冬のボーナスが出れば払えると思う。でもそれからではさすがに間に合わないよね?」
「たぶん一部前金で入れておけば、残りは受け取る時に払えばいいと思う」
「だったら買っちゃおうかな」
 
「うん」
 

玲央美が、千里が頼んだ店でいいと言うので、そちらに行くことにする。玲央美の合宿の荷物はバッシュなどの入っているメインのバッグ以外は「置かせて」と言って、千里のインプに取り敢えず放り込んだ。千里は念のためインプの合鍵を1つ玲央美に渡しておいた。
 
桃香との待ち合わせはどっちみち23時!なので、玲央美とふたりでタクシーに乗り、先日千里が振袖を買った渋谷の呉服屋さんに行った。幸いお店はまだ開いていた。
 
「あら、村山さん、いらっしゃい」
と鈴木さんがにこやかに言う。
 
「この子、まだ振袖頼んでなかったんです。この子に合うサイズで、今からオーダーして間に合うものありますか?」
と千里は訊いた。
 
鈴木さんは玲央美を見ると
「すみません。身丈や肩幅を測らせて下さい」
 
と言って最初に玲央美の肩から足首までの高さ、肩幅、腕の長さなどを測る。そして
「ちょっと待ってね」
 
と言って電卓で計算してから、端末で生地を調べているようだ。
 
「お客様の身長に合う振袖を作れる生地の在庫は全部で20個ほど在庫が存在します」
「わあ、良かった」
 
「でも期日的に今日くらいが限界でした。こういう長い生地は縫製できる人も少ないので、特に厳しいんです」
「在庫のあるものの中でこの子に似合うものを、見立ててあげてもらえませんか?私は目利きの自信が無いので」
 
「はい。見てみましょうね」
 
玲央美の写真(+くるりと回る動画)を撮り、それを元にシュミレーターで玲央美の身長に合わせられる「長い生地」で、縫製が年内に間に合うものをひとつひとつ画面上で着せていく。モニターで様子を見る。
 
「このシミュレーション凄いですね」
と玲央美は感心している。
 
12月までに間に合う生地全20種類を着せてみる。またその内8個は尺違いの“通常サイズ”のものであればお店にも在庫があったので、実物を玲央美の肩に掛けてみたりもした。
 
その結果、その通常サイズであればお店にもあった、青い加賀友禅風の生地が合いそうだという結論に達する。価格はセット価格で72万円である。玲央美の身長に足りる生地自体が、どうしても割高になってしまう。
 
「支払いなんですが、一部だけ今払っておいて、残りは12月にとかできますか?」
「はい。大丈夫ですよ。いくらくらい入れて頂けます?」
千里は鈴木さんの《思考》を読んだ。
「この価格なら15万程度入れておけば行けます?」
と千里は訊く。
「はい。そのくらいお預かりしていれば大丈夫です」
と鈴木さんは笑顔で言った。
 
もう金曜日の18時以降で銀行振り込みが使えないので、千里が取り敢えず現金で15万円払った。週明けに精算することにする。
 
「結構な額の現金をいつも持ち歩いておられるんですか?」
と鈴木さんが訊く。
 
千里は15万払うのにバッグの中からいったんかなりの厚みの札束を出してからその中から15枚数えて渡した。
 
「いつも50万円+2000ドル・2000ユーロは入れているんです。私の上司が、突然『ちょっとニューヨークまで来て』とか言ったりするもので」
と千里が言うと
「あんたも大変ね〜」
と玲央美が言っていた。
 
「U20で優勝して、明日の大会で優勝して、11月の大会でも優勝して、お正月の大会に出場できたらボーナスで払える気がする」
などと玲央美は言っている。
 
「まあ足りなかったら貸しとくよ」
 

「ところで私が頼んだものも佐藤のも《友禅風》となっていましたが、友禅風って実際問題として、友禅とは何が違うんですか?」
と千里は質問した。
 
「これは型押しなんですよ」
「なるほどー。でもそれって、お店によっては手描き友禅と称して売っている所もありますね?」
 
「そういう店はありますけど、うちでは型押しは手描きとは呼べないという考えから『友禅風』と呼んでいるんですよ」
 
「なるほどですね」
 
「お誂(あつら)え品を制作しているのは既製品の製作を最低3年以上は経験した職人さんですから、充分な品質を持っていると自負しております。ただ、手作業での制作ですので、ひとつひとつの生地にどうしても微妙な差が出て、全く同じ振袖は絶対に生まれません」
と鈴木さんは答えた。
 
千里たちはしばらく振袖の制作技法やこのお店の制作システムなどについて話をした。インクジェットについても尋ねたが、鈴木さんはこんなことを言っていた。
 
「近年インクジェット印刷の振袖がかなり広まっていて、レンタルの振袖は大半がインクジェットになっていますが、どうしても平面的な薄っぺらい感じになってしまうんですよね。現時点では当店ではお客様にお勧めできる商品では無いと判断しているんですよ」
 
「じゃ将来的には取り扱われる可能性もあるんですね?」
「インクジェットの技術があがって、充分な品質が出るようになったら可能性はありますね」
 
鈴木さんは奥から大手和服チェーンで販売されているインクジェット印刷の振袖(30万円)と、この店で販売している最低価格の振袖(40万円)とを並べてみた。 
「並べてみると差が歴然としている」
と玲央美が言っている。
 
「インクジェットはお安いものでしたら15-16万円という信じたい価格のものもありますね」
 
「それってレンタルするのと価格が変わらないのでは?」
 
「インクジェットに関していえば、レンタルの価格と買った価格の標準的な価格差は5万円程度と言います。レンタルといっても成人式の時しか貸せないから、花嫁衣装などと違ってひとつの商品を何人にも貸して元を取れない。1回のレンタルで元を取らないと商売にならないんですよ」
 
「なんか借りる意味が無い気がしてきた」
「実はそうなんですよね」
 

千里たちは振袖について色々談義をした。鈴木さんは販売価格1200万円という超高級の生地も奥の棚から出してきて見せてくれた。
 
「1200万円というのが凄すぎてよく分からないけど、物凄くいい生地だというのは、見た瞬間思った」
などと玲央美は言った。
 
結局1時間ほど、おしゃべりに近い会話をしてから帰りがけ、最後に鈴木さんは言った。
 
「でも佐藤さんも、凄く女の子らしい声が出せますよね。最近の男の娘さんって、そのあたりが凄いですね」
 
多分鈴木さんとしては「褒めた」つもりだ。
 
しかし千里と玲央美は顔を見合わせて、笑ってしまった。
 
鈴木さんがキョトンとしていた。
 

お店を出たのはもう閉店時刻の20時近くであった。
 
渋谷駅の方に坂を降りて行っていたら、駅近くでケーキ屋さんのまだ開いている所があったので、そこでお土産用にマカロン10個入りを買った。「これ美味しそう」と言って、玲央美も3個入りを買っていた。
 
その後、玲央美と一緒に焼肉屋さんで夕食を取る。
 
「焼肉屋さんって、これからHする恋人同士みたいね」
「うーん。私に彼氏がいなければレオちゃんと結婚してもいいけど」
「そうだなあ。千里のことは割と好きだよ」
 
何かそれ以前にも言われたぞと千里は思う。
 
「レオは女の子が好きなの?」
「いや、恋愛とか考えたことない。私よりバスケの強い男の子に出会えたら結婚するかも」
「きみちゃんも似たこと言ってたけど、それは難しいなあ。少なくとも日本には居ないと思うよ」
「まあコミュニケーション取れる国の人ならいいかな」
「レオって、色々話せるよね。英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、は話している所を見たことある」
「千里もそうだと思うけど、ヨーロッパ系の言葉は、どれかひとつ覚えれば応用が利くんだよ。中国語だけは別」
「うん。中国語は難しい。私も中国人が話しているの聞いてて半分くらいしか聞き取れない」
「半分聞き取れるのは、かなりできる部類という気がする」
 

たくさんおしゃべりして、お肉も沢山食べて、22時頃に別れた。
 
「じゃ大会頑張ってね」
「そちらも着付けの練習頑張ってね」
 
玲央美が去って行く後ろ姿を見ながら、千里は《せいちゃん》に頼み事をする。《せいちゃん》は『OKOK』と言って、千里から分離して“ミッション”に必要な道具を取りに行った。
 

千里自身は山手線で上野駅に移動する。
 
桃香とは翼の像の前で待ち合わせしていたのだが、なかなか来ない。念のため駅構内の全体に感覚を広げてみると、微かな気配を感じる。的を絞っていくと、ジャイアントパンダの所に桃香の波動を感じた。それで行ってみたら居た。 
手を振る。
 
桃香はスカートを穿いてメイクもした千里を見ると「おお、可愛い」と言った。 
一緒に23:33発の夜行急行《能登》に乗る。
 
普通の人が東京から富山・金沢方面に行くとなると、飛行機で羽田から富山空港・小松空港に飛ぶか、上越新幹線と特急《はくたか》を越後湯沢で乗り継ぐことを考えるのだが、貧乏性の桃香にはそのような発想は全く無い。
 
「新幹線はブルジョアの乗り物、飛行機はお金持ちの乗り物」
などとこの頃、桃香は言っていた。
 
そういう訳で、高速バスか《能登》である。
 
ただ今回千里は「教えてもらうから交通費は私が桃香の分まで出すからね」と言っておいたので、新幹線+はくたかで手配するつもりだったのだが、桃香はそんなのもったいないと言う。私が出すと言っているのに〜と思うものの、桃香が納得しないようなので、結局《能登》を使うことにした。
 
《能登》を使うと乗車券(488.2km)が7670円、急行料金1260円、指定席料金510円で合計9440円である。これが新幹線+はくたかなら、特急料金4590円になるので、3000円くらいの節約になる。
 
但し体力は使う!
 
千里もさすがに合宿の疲れもあり熟睡していた。
 

9月18日。
 
千里は《能登》の車内で目が覚めると、自分の身体が男に戻っているので、思わずぎゃっと声を出しかけた。
 
《いんちゃん》に尋ねると、実は千里の「男の子」の時間があと2ヶ月弱ほど残っていること。その時間がこれから来年の6月頃までの間にほぼ消費されることを《いんちゃん》は説明した。
 
『千里は来年の6月に去勢手術を受けることになっているから』
『やっとかぁ』
『その後は再来年に性転換手術を受ける直前、男の子の身体に戻る』
『あはは。男の子の身体でないと性転換手術受けられないよね』
『女から男にされちゃったりして』
『それは困る』
 
《いんちゃん》もジョークを言うんだな、と千里は考えていた。
 
『そういう訳で、桃香のお母ちゃんに着付けを教えてもらう間は男の子の身体になっているから』
 
『それも気が重いなあ』
 
なお男の子の身体に戻っても、タックはされているので、普通に裸になってもおちんちんが存在するようには見えない。むしろ女の子のお股に見える。 
しかし千里は男の子の身体に戻ってお股に変なものがくっついていることより、腕とか足が細くて、それが物凄く頼りなく感じた。
 
『男の子の身体って頼りないんだね』
『・・・・千里はやはり面白い』
 
『そう?ところで、これいつ女の子に戻るの?』
『3日間だけだよ。高岡から戻ったら元に戻るよ』
『良かった。これからアジア選手権に参加しないといけないのに』
『大会の時は間違いなく女の子だから大丈夫だよ』
 

急行《能登》は朝6:03に高岡に着く。ここで6:54の氷見線に乗り継いで7:06に伏木に着く。伏木駅からは15分ほど歩いて、桃香の実家に到達する。 
桃香の自宅は住宅街の中で、細い路地を入った先にある、狭い土地にギリギリまで建てられた木造二階建ての家である。建蔽率が高すぎるし接道義務も満たしていないので、いわゆる建て直し不能物件だ。この家が最初に建てられたのは桃香によると多分明治40年頃で、その後度重なる改築が行われているらしい。居間として使っている部屋がその明治40年頃のもので、他は昭和34年頃に改築した部分がほとんどだと言っていた。
 
台所は昭和45年の改築。お風呂は昭和52年の改築で、どちらも朋子の姉(戸籍上は従姉)喜子の好みが色濃く反映されているという。
 
喜子が結婚して子供を産んだ直後はここに7人も住んでいたのだが、朋子の祖母トラが亡くなった後は、朋子と幼い桃香が2人で取り残されてしまった。そして今は桃香も家を出て朋子がひとりで住んでいる。
 
 博文=トラ

 1896┃1902

 1940┃1994

┏━━┻━━┓  ┏━┻┳━┓

鐵國 湯川芳晴=敬子 義子 路子

1920   1926┃1934 1930 1928

1991   1965┃   2008

┃   ┏━━┻━━┓

喜子 朋子=光彦 典子

┃48 1960┃1955 1963

鮎子  桃香1992

1977  1990

 

千里は桃香が自分の鍵を取り出して玄関を開けようとしているのを見て、《とうちゃん》に『よろしく〜』と言った。結局《とうちゃん》《こうちゃん》《りくちゃん》の3人で『処理』してくれたようである。
 
桃香はなかなか鍵が見つからないようである。あれ?これも違うなどとやっている。その内、ドアが内側から開けられた。
 
「おかえり」
とまだ40歳くらいにも見える女性が笑顔で言った。
 
「母ちゃん、ただいま。電話で言ってた友だち連れてきた」
「いらっしゃい」
と言って、桃香の母は千里を見て挨拶する。
 
「お邪魔します」
と言って千里もぺこりと挨拶をして中に入った。
 
桃香の母は入って来た千里を見て、なぜか微妙な顔をしながら
 
「美人のお友達ね」
 
と言った。しかし桃香が
 
「この子、男の娘だから」
 
と言うと
 
「うっそー!?」
 
と驚いた。そしてなぜかニコニコ顔になった!?
 
ここで千里はほぼ逆の認識をしていたのだが、千里を見た時、朋子はてっきり桃香が「女の恋人」を連れてきたと思い、この子と結婚しますとか言わないよね?マジで女同士の結婚式とか挙げないよね?と思ったのである。ところが男の子だと聞いて、桃香が初めて男性に興味を持ったのかと「淡い期待」をしたのである。この際、千里が女装していることなどは、朋子にとっては「些細なこと」であった。 

中に入ると、桃香は
「あれ?この居間、蛍光灯替えた?」
などと訊いた。
「ううん。別に。あら?でもなんか急に明るくなった気がするね」
と朋子は言った。
 
千里がお土産に渋谷のケーキ屋さんで買ったマカロンを出すと
 
「凄く美味しそう!」
と言って、お茶を入れるのにヤカンでお湯を沸かし始める。
 
「朝御飯代わりかな」
などと桃香は言いながら、そのあたりに転がっていた雑誌を開いて読み始める。千里はさりげなく席を立って、
 
「お茶これでいいですか?」
と言いながら棚に置いてあるオレンジペコーの缶を取る。
 
「うん、それにしよう」
と言って朋子が缶を受け取る。千里がさっとスプーンを食器棚から取って渡す。 
「ありがとう。あなたよく気がつくわねぇ。凄く女の子らしい感じ」
などと朋子は言っている。
 
「ありがとうございます」
と千里は微笑んで言った。
 
「うん。この子は男の子ではあっても、すごく女らしいんだよ」
と桃香は言いながら雑誌を読みつつ、テーブルの上の菓子入れから煎餅を1枚取ると食べ始めた。
 

やがて紅茶が入り、朋子はミルクティー、桃香はミルクは入れないものの砂糖たっぷり、千里はストレートで飲む。それでマカロンの箱を開け、適当に取って食べる。
 
「これ美味しい」
 
千里が目に付いた店に入って買ったものだったのだが、マカロンはとても美味しかった。
 
「これ高かったでしょう?」
「うーん。いくらだったかなあ」
「これ1個400-500円くらいしそう」
「ああ。普通のケーキの値段だなと思った記憶はあります」
「やはりねぇ」
 

マカロンを食べた後、朋子が「実は朝御飯も作っていたんだけど」と言うと、千里が「じゃ、そちらも頂きましょう」と言うので、冷めてしまった鰤の照焼きをレンジで温め直し、お味噌汁の鍋も火を点ける。ジャーの御飯を盛る。千里は食器棚から茶碗を3つ出した。
 
色鍋島っぽい赤と青の唐子模様の茶碗に盛ったものを朋子の所に、放射線状の模様の小石原焼きっぽい茶碗に盛ったものを桃香の前に、そして花鳥模様の藍鍋島っぽい茶碗(しばらく使ってない雰囲気だったのでいったん洗った)に盛ったのを千里自身の席の所に置く。暖めていたお味噌汁は山中塗っぽい椀の黒いのに盛ったものを朋子の所に、茶色いのに盛った物を自分の所に、合鹿椀っぽい男性的な椀に盛ったものを桃香の所に置く。
 
そしてお箸は輪島塗の箸が何本も立っている箸立てから、緑色のを朋子の所に、黒いのを桃香の所に、赤いのを自分の所に置いた。
 
お魚を皿に盛っていた朋子が皿をテーブルの所に置いてから気付く。
 
「あら、茶碗とか箸とかは桃香が教えてあげた?」
と朋子が言う。
 
「いや、私は何も言ってない」
と桃香。
 
「あ、済みません。違ってました?」
「もしかして知らずに適当に置いた?」
「何となくここかなぁという感じで置いたのですが」
「私のと桃香のは大正解」
「わあ、良かった」
 
「千里ちゃんの所に置かれている茶碗・お椀・お箸は、2年前に亡くなった私の伯母が使っていたものだけど、構わなければ、千里ちゃんが使っていいよ」
 
「じゃ、使わせて頂きます」
と千里は笑顔で言った。
 
「じゃ、千里がうちに来た時はそれを使うということで」
と桃香が言ったのに、朋子がピクッとしたような気がした。
 
(朋子は桃香の言葉から、この子を頻繁にうちに連れてくるつもり→やはり恋人なのか?→やはり双方ウェディングドレスの結婚式?と発想が飛躍してややショックを覚えたのである) 
「でも桃香さんの持ち物はだいたい男性的なものが多いから、結構見当が付きますよ」
と千里は言う。
 
「そうそう。この子、男っぽいものが好きなのよ」
と朋子は言った。
 
「1万円くらいで性転換手術が受けられるなら男になりたいのだが」
などと桃香は言っている。
 
「料金だけの問題な訳?」
と朋子は呆れたように言う。
 
「女から男への性転換手術は料金が高いんですよ。どうしても200万くらい掛かっちゃうみたいですね」
と千里。
 
「そんな高い手術はパスだな」
と桃香は言った。
 

御飯が終わった後、茶碗を片付けて、千里が洗う。千里が洗剤を最小限に使う洗い方をしているのに朋子は感心していた。洗い終わった食器を拭いて食器棚に戻すが、千里は正確に元あった場所に戻す。
 
「あら、よく置き場所が分かるわね」
と朋子。
「出した所に戻しただけですよ」
と千里。
「そんなの私なら忘れてしまう」
とまだ雑誌を読んでいる桃香が言った。
 

その後で、玄関のそばにある座敷に移動して、着付けの練習を始める。 
(北陸の家は、玄関の横に座敷があり、引き戸を開けることで、玄関を通らずに直接そこにあがることができるようになっている形式のものが多い。ここでお祭りの時に通りかかった知人に声を掛けて座敷にあげ、接待できるようになっているのである) 
最初に千里はパッドを外すように要求された。和服はできるだけ寸胴体型のほうが着せやすいので、凹凸のある体型の場合はそれを補正しなければならないと言う。 
千里はこんなに胸の無い身体って、なんか懐かしいと思ってしまった。胸にパッド入れていた時期も懐かしい。
 
千里の下着姿を見て朋子が何だかがっかりしたような口調で言う。
 
「パッド外しても胸少しあるのね」
「あ、はい。ずっと女性ホルモン飲んでいるので」
 
朋子が更にがっかりした表情になる。
 
「おちんちんはもう取っちゃってるの?」
「いえまだ付いてますが隠してます」
と千里は答えた。
 
「あら、付いてるのなら問題ないわね」
と朋子が少し明るい様子になって言うので、どういう意味だろう?と千里は訝る。桃香は
 
「へー。隠せるものなのか」
などと他人事のように言っていた。
 

9月18日は1日中着付けの練習をした。
 
お昼は千里が「ありあわせの材料で作っていいですか?」というので朋子が任せると、千里は冷蔵庫の奥の方にあった賞味期限の切れた魚肉ソーセージを朋子に確認してから使い、キャベツの微妙に残ったもの、タマネギの芽が生えかけていたものなどを使って、炒め物を作った。
 
「おお、美味しい美味しい」
と言って桃香が食べている。
 
「千里ちゃん、お料理上手いし、こういう材料をうまく使うのって主婦の鑑(かがみ)だわあ」
と朋子も褒めている。
 
「千里、私の嫁さんにならんか?」
などと桃香は言う。
 
「ごめーん。私、好きな人がいるから」
と言ったら、朋子はまたがっかりした表情を見せた。
 
「千里ちゃんの好きな人って、女の子、男の人?」
と朋子は訊く。
 
「えー?男の人ですよぉ。私レスビアンじゃないし」
と千里が発言するので
 
「えーっと・・・・」
と朋子は考えている。
 
桃香は(当時はまだ千里に恋愛感情を持っていなかったので)「そういえばバレンタインの時、男の子にチョコ贈っていたなあ」
などと単純に言っていた。
 

晩ご飯は千里と朋子が着付けの練習をしていたので、桃香が買物に行ってきたものの、桃香はカップ麺を3個に、お総菜のトンカツとフライドチキン、菓子パンをたくさん、さきイカ・サラミソーセージ、そしてキリンラガービールを1箱買ってきた。
 
「桃香は少なくとも主婦にはなれないようだ」
と朋子が呆れたように言っていた。
 
「じゃ明日は千里が買物に行くということで」
とさっそくビールを開けて飲みながら桃香は答える。
 
「うん。いいよー」
と千里は笑顔で答えた。
 

夜は、桃香の部屋に布団を2つ敷いて千里と桃香が寝ていたのだが、千里は夜中に何か異様な気配を感じて目を覚ます。
 
触られている!?
 
「桃香?」
と千里が小さく声を出すと、桃香はいきなり千里にキスしようとした。 
慌てて身をかわす。
 
桃香が
「少しくらいいいじゃん。やらせて」
などと言って、更に千里に抱きつき、自分の下にしようとしているので千里は“身の危険”を感じて立ち上がる。
 
「ちょっと外に出てるね」
と言って、毛布とバッグを持って部屋の外に逃げ出した。
 
えーっと、この後どうしよう?と思ったら《たいちゃん》が
『そちらの隣の部屋に寝られるよ』
と言うので、そちらに入って乱雑に物が置かれているのの隙間を見つけて横になり、毛布をかぶって寝た。《たいちゃん》はこの部屋の押し入れから布団を1枚出してきて、千里に掛けてくれた。
 
『りくちゃん、私を守って』
『OKOK。あの子をこの部屋には入れないから』
 
それで千里は安眠したが、部屋の戸を開けようとする音が聞こえていたような気もした。
 
ちなみにこの部屋は、昔朋子の姉・喜子が使っていた部屋(喜子が大阪に移動した後は、朋子の妹の典子が使っていた)で、長く空き部屋になっていたが、約半年後には青葉が使うことになる。
 

翌日も1日着付けの練習をする。千里はどんどん上手くなっていった。お昼前に千里が朋子のヴィッツを借りて買物に行って来たが、千里はフクラギ(ブリの小さいの。関東ならイナダ、関西ならヤズ)を1匹丸ごとの他、野菜、竹輪、ウィンナー、食パン、ジャムなどを買ってきた。
 
「あら、丸魚なんだ」
「包丁とまな板貸してください。今、おろしますから」
と言って、それをあざやかに三枚に下ろす。そして片身をスライスしてお刺身にしてお昼御飯用に出した。
 
「残りは晩ご飯に焼魚か煮魚にしましょう」
 
「なんかお魚屋さんみたいにあざやかにおろしたね」
「あっという間だった。凄く速い」
 
「私の父が漁師なので、漁師の娘なら魚くらいおろせなきゃと言って小さい頃から母に仕込まれたんですよ。だから鮭・鱒とかホッケみたいに寄生虫のいる魚でもちゃんと寄生虫を取り除いておろせますよ」
 
「それは凄い」
と朋子。
「やはり私の嫁にならんか?」
と桃香。
 

2日目の午後は桃香が出かけて、どうも友人(恋人?)に会ってきたようであった。その間も千里は朋子と一緒に着付けの練習を続けていた。
 
その晩千里は「私こちらで寝るね〜」と言って、最初から隣の部屋で寝た。《りくちゃん》が守ってくれたので、熟睡することができた。
 
3日目の午前中まで着付けの練習をして、街着・浴衣に関しては、だいたい着られるようになった。応用で付下げなども借りて着てみたものの、うまく着られた。
「千里ちゃん、物覚えがいいよ。どんどんうまくなる」
と朋子は千里を褒めてくれた。
 
お昼御飯は、昨日買っておいたウィンナーをボイルして、昨日買ったジャガイモや人参などで作ったポテサラと一緒に食べる。
 
「桃香じゃなくても、私が千里ちゃんをお嫁さんに欲しくなった」
と朋子から言われる。
 
「だって初日の桃香の買物なんて5000円使っても晩ご飯1回分しか無かったのに、千里ちゃんの買物は1500円で、昨日のお昼・晩・今日の朝・昼と4回分の食材になっている」
と朋子。
 
「実を言うと、そのあたりが私は苦手だ」
と桃香も言っている。
 
「すみませんけど、私、他に好きな人がいるので」
と千里は言った。
 

午後少し練習した後で。桃香と朋子も適当な和服を着て、3人でお出かけした。朋子のヴィッツに3人で乗り、朋子の運転でイオンモールまで行くが、時間によってはそのまま高岡駅に行って帰るかもということで荷物も持っていく。 
イオンモールの駐車場に車を駐めたあと
「そういえばここにも着物屋さん、あったね」
などと言ってエスカレーターで2階に上る。
 
エスカレーターを登った所には喜久屋書店がある。朋子は左方向の通路に進もうとしたのだが・・・・桃香が
 
「あっ、ちょっと待って」
と言って、書店の方に行き、なにやら雑誌を読み始める。
 
すぐ終わるかと思ったが動かない!?
 
「桃香、桃香」
と朋子が声を掛けるものの
「ごめん。適当に散歩してて」
などと言う。
 
「お母さん、お茶でも飲んでましょうか?」
と千里が誘い、桃香を放置して結局フードコートに行く。
 
「何か適当に買ってきますね」
と言って千里はマクドナルドに行き、ホットミルクティーとホットコーヒーを買ってきた。
 
「どうぞ」
と言ってホットミルクティーを朋子に勧める。
 
「あら、ちょうど私、紅茶が飲みたいなと思ったのよ」
と言って朋子は受け取った。
 

結局、この日桃香は2時間以上本屋さんから動かなかったので、千里と朋子はフードコートで、たこ焼きなどもつまみながらおしゃべりをしていた。 
「そういえば言葉が標準語っぽいけど、東京近辺の人だったっけ?」
「いえ。北海道なんですよ。北海道の内陸部の言葉って、関東の言葉に近いんです。微妙にイントネーションが違うんですが」
「へー!そうなんだ。あなた色白だもんね〜。やはり北国育ちか」
「富山も雪が深そうですね」
「ああ。北陸も意外に雪が多いのよ」
 
しばらく話している内に朋子は言った。
 
「あなたの身体を見ていなかったら、あなたが男の子だというのが信じられない。話している感覚が女の子と話している感覚でしかない」
 
「そうですね。私、自分が男だと思ったことは、生まれてこの方無いので」
「なるほどね〜!」
 
「だから私は桃香さんの女友だちということにしておいてください」
と千里は言ったのだが、
「そこが問題なんだけど」
と朋子が言う。
 
「はい?」
「桃香は女の子が好きだから、あの子、恋人以外の女の友だちってほとんど居ないんですよ。千里ちゃんはそっちじゃないよね?」
 
「すみません。私は女の子には興味無いので。それに私、交際中の男性もいるんですよ」
 
「そっかー。じゃ恋愛の可能性は無いか!」
と朋子は嘆くように言った。
 
「でも確かに千里ちゃんくらい女の子らしいと、付き合ってくれる男の子もあるかもね」
 
その時、千里はやっと朋子がここまで自分のことを桃香の恋人と誤解していたことに気付き、冷や汗を掻いた。
 
「えっと・・・・桃香さんってFTMではなくてレスビアンでいいんですかね?」
と千里が訊くと朋子は急に不安になったようである。
 
「私実はそのあたりの区別がよく分からないのよ。あの子、ちんちんはあってもいいとよく言っている」
 
「え〜っと、一昨日の晩、私の布団に潜り込んできたのって、まさか・・・・」
「うーん・・・千里ちゃん、貞操大丈夫だった?」
「お股に触られてキスされそうになったけど、寝ぼけているんだろうと思って自主的に隣の倉庫のような部屋に毛布持って避難しました。実は昨夜は最初からそちらで寝せてもらいました」
 
「避難して正解だったかも」
「あははは」
 

「でも微妙な話するけど、千里ちゃん、マジでパンティに男の子の形が出ないよね」
「あれタックという技法で隠しているんですよ。全部体内に押し込んで、出てこないように接着剤で留めちゃってるんです」
「へー。でもそれだとおしっこする時に困らない」
「おしっこは普通にできるんです。おちんちんの先だけ、ちょうど女の子のおしっこの出てくる場所くらいの位置に出るように、うまく処理する方法があるんですよ」
「それ凄いね」
 
「これ考案した人は凄いと思います。これで私みたいな子が世界中で何万人も幸せな気持ちになれていますよ。手術してないのに、見た目女の子とほとんど変わらないし。ここだけの話、実は女湯にちゃっかり入っちゃったこともあります」
 
「うっそー。でも千里ちゃんなら誰も女の子じゃないとは疑いもしないかもね」
 
「私、彼氏と何度かセックスしましたけど、一度も彼氏に自分のおちんちんを見せてませんよ」
 
などと言いながら、ここまで言っちゃって、後で《千里》に叱られないかななどと思ったりする。
 
すると朋子はごくりと唾を飲み込むようにした。
 
「実はその付近が訊きたかった。彼氏がいると言うけど、相手はゲイなのかなあとか」
「彼はノーマルだと思います。私以外で過去に付き合った子はみんな普通の女の子みたいだし」
 
「へー。それとそのセックスどうしてるんだろうとも思ったのよ。大学生がセックス無しで恋愛を維持できるものだろうかと思って。でも、セックスって、やはりあそこ使うの?」
と朋子が小さい声で訊く。
 
「すまたです」
 
「ほほお」
「足の挟み加減で圧力を変えられるから、相手は凄く気持ちいいらしいです。下手くそな女の子より気持ちいいという説もあるんですよ」
「なるほど」
「これがあちらの場合は、そういう加減が難しいみたいですよ」
「あ、そうかも」
 

桃香はいつまで待っても本屋さんから動かないようである。それでとうとう朋子は
 
「お腹空いた!」
と言って桃香に
 
「私たち、中華料理食べるけど」
と電話して言うと、やっと来た。
 
それで結局1階の中華料理屋さんに行き、一緒に中華料理を食べた。お勘定は「たくさん教えて頂いているので」と言って『千里』が払った。
 
朋子は千里がお金を払っている時、あら?昨日見た財布と違うけど、財布を何種類か使い分けているのかしら?などと思った。
 

結構遅くなったのでこのまま高岡駅に行くことにする。
 
夕食を取った後、食料品売場で夜食と飲物と買う。それからイオンモールを出て、高岡駅まで送ってもらった。
 
とってもまともに特急《はくたか25号》に乗車する!!
 
千里は千葉でチケットを手配した時、東京から高岡に行くのに夜行急行《能登》を使うので、帰りも《能登》かと思って、旅行代理店の人に言ったら
「9月20日の上り《能登》は運行されません」
と言うのである。
 
《能登》はこの3月のダイヤ改定で金曜土曜限定の運行になってしまったらしい。 
(ちなみに、北陸本線は富山金沢方面が上り・直江津方面が下りだが、急行能登は高崎線の上り・下りに合わせてあり、金沢行きが下り・上野行きが上りである) 
《能登》が帰りは使えないようだと言ったら、桃香は
「ああ。普通列車を乗り継げばいいんだよ」
 
と言って、時刻表を見ながら10分ほどで、こういう乗り継ぎを書き出した。 
越中大門1841-1855富山1911-2111直江津2117-2126犀潟2227-2317六日町007-019石打

石打607-652水上655-800高崎819-1005上野
 
「ちなみに、犀潟から六日町まで《ほくほく線》を使うのがミソで、これ長岡経由にすると470.5km 7350円になるけど、ほくほく線経由だと、JRが356.8km 5780円+ほくほく線950円で6730円になって620円もお得なんだよ」
 
と桃香は得意そうに解説した。
 
「ほくほく線って第三セクターでしょ?それなのにその前後のJR区間を通算していいの?」
「ほくほく線(北越急行)跨ぎは特例でOK」
 
「へー。でもこれなんで始発が高岡じゃなくて越中大門なわけ?」
「高岡にすると360.5kmになって運賃計算区分が1つ上がってしまうのだよ。どうしても高岡から行きたければ、高岡−越中大門は180円で乗れる」
 
この手の「途中で区切った方が安くなる区間」というのはJRには割とある。 
千里は「へー、そんなこともあるのか」と思いながら眺めていたのだが、やがてこの連絡の重大な問題点に気付いてしまった。
 
「これ改行されているからすぐには気付かなかったけど、この石打駅で6時間近く待つのって、駅の待合室とかで仮眠できるの?」
 
「石打駅は夜間は無人になるからそんなの使えないよ。でも駅舎の中には居れるから問題無い」
「今の時期に越後の山の中はかなり寒いと思うんだけど」
「毛布持っていけば平気」
「24時間営業のファミレスとかは?」
「こんな山の中にある訳無い」
「旅館とかは〜?」
「そんなのに泊まるのはもったいない」
 
千里はさすがに切れた。
 
「悪いけど、新幹線使わせてもらう」
「もったいない」
「桃香がお金出すんじゃないから、いいじゃん!」
 
ということで帰りは強引に“ごくまともな”はくたか+上越新幹線の越後湯沢乗り継ぎにしたのである。
 
ちなみに新幹線と特急を乗り継ぐ場合、特急の方は特急料金が半額になるので高岡−上野は4830円で済む。
 
そういう訳で
 
高岡18:47(はくたか25)20:59越後湯沢21:09(Maxとき350)22:28東京
 
という連絡で、とってもまともな時間で東京に戻れることになった。
 

特急《はくたか》の車内では、最初はおしゃべりなどしていたものの、桃香は途中で眠ってしまったようであった。それで千里が車窓の外の夜景を見ながら、頼まれている曲の歌詞などノートに書いていたら、桃香が頭を千里の肩に乗せてきた。
 
千里は困ったなあと思いながらも詩の推敲に集中していた。時々桃香の手が千里のお股とかに来るのは容赦無く払いのけた!
 
ところで・・・街着が破けちゃったの、どうしよう!?
 

千里が高岡に行っていた(?)9月18-20日、玲央美たちはひらつかアリーナで全日本実業団バスケットボール競技大会に出場していた。関東1部リーグで4位となり、この競技大会への出場権を獲得していたのである。
 
この競技大会の出場チームは当時は10チームで、この年までは少しややこしい方式で大会は行われていた(翌2011年以降は単純トーナメントに変更)。 
ランク1位vs2位→勝者A、敗者B

ランク3位vs4位→勝者C、敗者D

 
下位の6チームは3チームずつに分かれてリーグ戦をして各々の勝者E・Fが決勝トーナメントに進出する。
 
A━┓

E┓┣┓

D┻┛┃

C┳┓┣

F┛┣┛

B━┛

 
玲央美たちは下位なので初日は関東1位・関東5位のチームと1日でリーグ戦を行った。14:20からの関東1位のチームとの試合では向こうはこちらには楽勝と思っていたようで、最初は控えの選手を出してきた。
 
実は今年は玲央美がずっと日本代表の合宿をやっていて、リーグ戦にはあまり出ていなかったので、向こうは玲央美を知らなかったのである。ところが玲央美が相手選手を蹴散らして得点をあげるし、性別問題でリーグ戦の時期はまだ“去勢手術証明書の日付”から2年経っていなくて出場しておらず、今月からやっと女子選手として出場できることになった昭子が美しくスリーを決めるので、いきなり大差ができる。
 
慌てて主力を投入するも、玲央美・昭子・ローザ・ナミナタといった面々は簡単に停められる相手ではない。結局はまさかのダブルスコアでジョイフル・ゴールドが勝利した。
 
「ここに勝つなんて、とてもうちのチームとは思えん。雲の上のチームと思っていたのに」
などと、この試合にマネージャーを買って出てベンチに座っている元山佐知香が言った。
 
「いや。ここはWリーグ下位のチームとほとんど差の無いチームだったよ」
とキャプテンの伊藤は言った。
 
17:40からの第2試合も関東5位のチームに快勝してジョイフルゴールドは決勝トーナメントに駒を進めた。
 

順調に勝利して明るい雰囲気で会場から引き上げようとしていた時、玲央美はどこかで見たことのあるような顔を見かけて、走り寄った。
 
「こんにちは、確か細川さんでしたよね?」
「あ、はい?」
「千里の友人で佐藤玲央美と申します」
「ああ!あの佐藤さん!千里がよくあなたのことを話していますよ」
 
「細川さんのチームもこの大会に出たんですか?」
「いや今年はまだ出ていないんですよ。うちは今期1部に昇格したばかりで。来年は来たいですけどね。今日は見学に来ていたんです」
 
「そうですか」
「10月に行われる近畿実業団バスケットボール選手権大会で優勝すれば来年のこの大会に出場することができます」
 
「大変ですね!でも頑張ってください」
「ありがとうございます」
と貴司は玲央美に笑顔で挨拶をしていた。
 

貴司の所から離れてチームの所に戻ると、たちまち訊かれる。
 
「あの人、まさか玲央美の彼氏?」
「違うよ。あれは千里の彼氏」
「おぉ!!」
「結構いい男じゃん」
「昭ちゃんはあの人知っているよね?」
と玲央美は昭子に振る。
 
「はい。元々同じ中学の先輩らしいですよ。千里先輩がまだ去勢から2年経ってなくて男子の試合に出ていた頃、細川さんのチームとインターハイ予選で激突して、その時、コート上で熱烈なキスをしたらしいです。1万人の観客の見ている中で」
と昭子は言う。
 
「すげー!」
「大胆〜!」
「まああれは、北海道の高校バスケ史上の事件として有名だからね」
と玲央美。
 
「でも北海道に1万人も観客の入る体育館って、あったっけ?」
「見ていた観客の数は年々数が増えて行っている気はする」
「ふむふむ」
 
「あと千里先輩が高校1年の夏休みにタイで性転換手術を受けた時は細川さんが付き添ってくれたそうですよ」
「へー。じゃ男の子時代から恋人なんだ?」
 
「でも千里先輩、高校1年の夏休みに細川さんの子供を産んだという噂もあるんですよね」
「え〜〜!?産める訳?」
「性転換手術を受けたという話と子供を産んだという話はまるで違う」
「どちらもあの付近が物凄く痛いのは共通かも」
 
「私はその子に会ったことあるよ」
と玲央美。
 
「え!?じゃ本当に産んだんだ!?」
「じゃ性転換したんじゃなくて出産したのか!?」
「千里ちゃんが育てているの?」
「その子はまだ生まれてないんだよ」
「はぁ!?」
「あの子は時系列通りに生きてないんだよなあ」
「どういう意味?」
 
「普通の人はシュートした後ボールがゴールする。でもあの子は先にゴールしてからシュートする」
「それ納得しちゃうかも」
 
「あの子は作曲するけど、だいたい最初に完成形が見えている。それを後追いで書き上げていく」
「それ天才なのでは?」
 
「あの子は性転換済みだけど、実は性転換手術はまだ受けていない」
「ん?」
「あの子が産んだ子が2人居るみたいだけど、あの子が出産するのはもう少し先」
「うむむ」
 
「でも千里先輩ってしばしば試合前にその試合の結果の点数を言い当てるんですよ」
と昭子が言う。
 
「普通の人の時間って川のように流れているんだけど、あの子の時間は池のように行ったり戻ったりしている」
と玲央美は独り言のように言った。
 

「だけど、あんないい男が彼氏だと、千里も大変だね。もてるんじゃない?」
「それも問題みたい。あの人、わりとガードが甘いから、うまく誘うとデートの約束とかしてくれたりする」
「え〜〜〜!?」
 
「ところが、あの彼氏が誰とデートしようとしても、そこに必ず千里が現れてそのデートをぶち壊すんだって。ある筋から聞いた話」
 
「それ、千里が彼氏に盗聴器か何か仕掛けているのでは?」
「噂によると、彼が大阪に居て、千里が高校時代に旭川に居た時でも、突然2時間前に約束したデートを千里はぶち壊したらしい」
 
「どうやって大阪に行く訳?」
「物理的に不可能な気がする」
「千里はどこでもドアでも持っているのか!?」
 
「まあ千里の実態には色々不思議なことが多いよ」
 
 
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