【娘たちの予定変更】(2)

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千里たちが連れてこられたのはリトアニア南部のドルスキニンカイ(Druskininkai)という町である。ヴィリニュスから128km、1時間半ほど高速道路A4を走った所にある。実はここで、10-11日の2日間で、日本・リトアニア・ブルガリアの3国のナショナルチームでリーグ戦をすることになっているのである。但しその前の9日にリトアニアと1試合練習試合をすることになっている。
 
8日朝、取り敢えずミーティングが行われる。リトアニアのバスケ協会のルーカスさんという30代くらいの男性が通訳を兼ねて遠征中、日本チームのサポートをしてくれるということで紹介された。
 
中肉中背で、柔らかい曲線的な体型をした人である。
 
「普通の国では1番になったチームが報道されますが、リトアニアでは最下位になったチームが報道されます。なぜなら・・・・ビリニュース(ヴィリニュス)」
 
といきなりダジャレを飛ばして笑わせてくれた楽しい人であった。
 
「私、男ですけど、女の子の秘密のお買い物にも付き合えますから、遠慮無く言ってくださいね」
などとも言っている。
 
ちょっと女性が警戒心を緩めてしまうような雰囲気を持った人だ。
 
「じゃ、女物の下着を買いに行く時は、女装してもらえますか?」
と王子が調子にのって発言すると
 
「おぉ、女装は、私うまいよ。日本に留学した時、常総市(じょうそうし)に住んでいたから」
と返してくる。
 
これでまたみんな苦しそうに笑っている。本当に常総市にいたのかどうかは分からないが、物凄く頭の回転の速い人だな、と千里は思った。
 
「あれ?日本に留学なさっていたんですか?」
「そうそう。日本女子体育大学、略して日女体に通ったから、女体の専門家だよ」
「マジ?」
「いや、女子大はさすがにあり得ない」
 
ちなみに日本女子体育大学の略称は確かに日女体だが「にちじょたい」と読む。ルーカスさんはわざと「にちにょたい」と発音した。
 
「だいたいなんで東京の東側にある常総市に住んで、東京の西側にある日女体に通わないといけないんです?」
「そりゃ、やはりくノ一修行だよ」
「あのぉ、マジでルーカスさん、女の子になりたいとか?」
「女房と娘の許可が降りたら女の子になってもいいけど」
「娘さんいるんですか?」
「日本のラサール高校に入って東大に行きたいと言ってる」
「ラサールは男子校ですけど?」
「そこは男装させて」
 
彼の発言はほとんどがジョークなので実態が分からないが、ラサールなどという名前まで知っているということは、ルーカスさんは本当に日本に住んでいたのかもと千里は思った。
 

この日は取り敢えず丸1日調整日に当てられた。
 
実際時差が6時間ある所から、合計14時間の旅をしてくると身体がかなり疲れているしリズムも崩れやすい。それでこの日は身体をこちらの時間に合わせるのを主目的とし、軽めの練習をすることにした。
 
「割と涼しいね」
「さすが樺太の緯度」
 
という声が出ていたが、実はこの到着した日の前後がたまたま涼しかっただけでこの時期、リトアニアは記録的な猛暑だったらしい。合宿の後半ではその猛暑と対決することになる。
 
この日の練習は基礎トレーニングを主体にして、15時頃、ベテラン対ヤングの紅白戦をして終了した。
 
「軽めと言っても随分早く終わった気が」
「みんなで温泉に行きましょう。この町は保養地として有名なんですよ」
と富永チーム代表が言った。
 
「おお、それはすばらしい」
 
水着を着て入るということで、水着を支給される。ここの温泉は更衣室だけ男女に分かれていて、中は混浴らしい。
 
「よく私に合うサイズの水着があったな」
などと王子が言っているが
 
「外人さん、背が高くて体格の良い人多いもん」
と華香が言うと、納得していた。
 
ひとりが冗談で
「プリン、男子更衣室は向こうだよ」
と言うと、王子本人が
 
「行って来ようかな。どうせ中は一緒なんでしょ?」
などと言って本当に行きかけるので、彰恵が
「いや、さすがに待て」
と言って停めてくれていた。
 
温泉を出たのが17時くらいだが、まだまだ日は高い。
 
「太陽があんなに高い所にある」
「リトアニアの夏は日が沈む時刻が日本よりずっと遅いから、太陽の高さに合わせて行動しようとしたら寝不足になるよ」
 
「うん。旅疲れもあるし今夜は早く寝よう」
 
などと言い合い、多くの子が夕食が終わるとすぐに寝てしまったようである。千里もこの日は20時に寝た。
 

9日。早く寝たせいか朝5時に目を覚ます。後で確認するとちょうど太陽が昇った時刻であった。玲央美は千里より少し早く起きていたようである。 
なにやら紙にマーカーで色分け?しているようだ。
 
「何してんの?」
「ロースター予測」
「ん?」
 
「この赤いマーカーの人は確実」
と玲央美は言っている。マークされているのはこの8人である。
 
PG.羽良口英子 SG.三木エレン SF.広川妙子 PF.横山温美 PF.宮本睦美 PF.高梁王子 C.白井真梨 C.馬田恵子
 
WNBAの羽良口さんは現在の日本女子バスケットのエースである。誰が見ても当確だろう。スペインリーグに行っている横山さん、キャプテンの三木さん、それに外国出身センターの白井・馬田も確実だろう。広川・宮本も安定した実力を発揮しているし国際試合の経験も充分だ。
 
「きみちゃん(高梁王子)も確実?」
「間違い無いと思う。だからわざわざインターハイ直前なのに招集したんでしょう」
「なるほどー」
 
「だから事実上残り4つの席を巡る争い。緑色がボーダーライン。マークしてないのは落選濃厚」
 
マークされているのはこういうメンツだ。
 
PG.武藤博美 PG.富美山史織 SG.川越美夏 SG.花園亜津子 SF.佐伯伶美 SF.佐藤玲央美 PF.寺中月稀 PF.月野英美 C.黒江咲子
 
マークしてないのはこういうメンツである。
 
PG.福石侑香 SG.村山千里 SF.早船和子 SF.山西遙花 SF.千石一美 SF.前田彰恵 PF.花山弘子 PF.簑島松美 PF.鞠原江美子 C.石川美樹 C.中丸華香
 
「私は落選濃厚かぁ〜〜!」
と言って千里は大きく伸びをする。
 
「エレンさんは不動だから、千里はあっちゃんを大きく凌駕しない限りロースターには入れない。同程度と思われたら、年齢が上のあっちゃんが優先される」
 
「だよなあ」
と千里は少々不快ながらも同意せざるを得ない。
 
「これが10年後には同程度と思われたら、年齢が下の千里が優先されるようになる」
「あははは」
 
「スモールフォワード、パワーフォワードは合計人数の勝負だろうね」
と千里は言う。
 
「そうそう。ポイントガードとシューティングガードは専門職だから各々のポジションで、武藤さんと富美山さん、川越さんとあっちゃんの争い。だけどフォワードは潰しが効くから、スモールフォワード・パワーフォワードという区別はあまり関係無いと思った方がいい」
 
「センターも似たようなもんだよね」
「うん。ただしセンターはリバウンド取れる人でないといけないから、もしかしたら黒江さんを予備として入れる可能性はあると思う」
 
「黒江さんは日本人センターの中ではいちばん凄いんだけどね〜」
「まあ外国出身センターの背の高さにはとても対抗できない」
「そこら辺も不条理を感じるなあ」
 
「田原監督は、全員最低2試合は出すと言ってたけど、多分千里は3試合出してもらえると思う。全力でスリー放り込みなよ」
 
「うん。あっちゃんの倍入れるつもりで行く」
「その調子、その調子」
 

今日から11日まで3日間の試合会場はドルスキニンカイ市内にある、ドルスキニンカイ・スポーツセンターである。観客席が300くらいの小さな体育館であるが、明日からのリーグ戦のために、リトアニア・ブルガリア・日本の3ヶ国の国旗が既に掲げられている。
 
今日のロースターは朝食が終わった所で監督から発表された。
 
PG.羽良口 武藤 SG.三木 川越 SF.広川 佐伯 佐藤 千石 PF.横山 宮本 高梁 簑島 C.白井 黒江 石川 
千里はロースターに入っていないので、ふっと大きくため息をついたものの、同じく入っていない亜津子と誘い合って体育館の外に出て、石畳の庭で1on1をかなりやりこんだ。
 
10時から1時間公式練習時間だったので、ロースターの15人がコートに入って練習をする。千里たちは最初10分くらいリトアニアの選手の動きを見ていたが、じっとしていると自分もコートに出て行きたくなるので、結局、千里・亜津子・江美子・彰恵・(月野)英美・(寺中)月稀の6人で、また石畳の庭に行き、独自に練習をした。
 
「石畳の石の角に当たるとイレギュラーにバウンドが変わる」
「それがまた面白い所」
「小学生の頃、屋外でバスケやってて、色々面白いことが起きていた」
「雪の上でやると、雪にボールがハマって停まることもあるんだよね〜」
「風が強いとボールが流されることもあった」
「投げた方向と反対側にボールが飛んで行くこともあった」
「ああいうのも楽しいけどね〜」
 
「しかしフル代表のチームに入って行動していると、自分が下っ端だというのがよくよく分かる」
「そうそう。私たちって、中学の頃には既に中心選手だった子ばかりだから、それなりのプライドがある。そのプライドをへし折られるのが代表チーム」
 
「まあでも2年後には中心の少し傍くらいまでは行きたいね」
「うん。今回の世界選手権ではまだダメだろうけど、ロンドンオリンピックには行きたいね」
「まあお互い頑張ろう」
 

昼食を経て13:00から試合が行われた。これはさすがに客席から見学し、応援していたが、千里にはリトアニアの選手たちが割と軽く流しているようにも見えた。もしかしたら調整中?とも感じた。
 
試合は108対84で日本が勝った。
 
7.09 13:00-14:42 LTU 84-108○JPN
 

客席で見ていた千里や亜津子たちは試合の前半終了間際に“トラベリング”問題について話し合った。
 
「随分日本側がトラベリング取られてるね」
「でもあっちゃんはあれ分かるよね?」
「ちーも分かるよね?」
 
「そのあたりが分からん」
と彰恵が言う。
 
「空中でボールをキャッチして、両足同時に着地した場合は、どちらも軸足にすることができる。でも、完全に両方の足が同時に着地というのは意外に難しい。一瞬でも時間差ができた場合は先に着地した方が軸足とみなされる」
 
「軸足が定まっている状態でボールを持ったまま相手と対峙していて、相手をドリブルで抜く時、ボールが床に着くまでは、まだ“ドリブル”は始まっていない。その状態で軸足を離してしまうと、即トラベリングになる」
「『撞き出しのトラベリング』って言うんだよね」
 
「実は日本の審判はこの『撞き出しのトラベリング』の判定の甘い人が多いんだよ」
「それで、この問題を意識していない選手が多い」
「それで国際試合では、けっこう日本人選手はこれでトラベリング取られている」
 
「だけどうちの宇田先生とかは、この問題に凄く厳しかった。ボールが床に着くのより早く足を離してはいけないと、かなり厳しく指導されている。そちらもじゃない?」
と千里は最後は亜津子に問いかける。
 
「そうそう。うちの沢田先生も厳しかった。だからボールが早く床に着くように最初は小さく撞き出すんだよ。そうしないと、トラベリング取られるから」
 
「それ私意識したことなかった」
と江美子が言っている。
「私も」
と彰恵。
 
「ちょっと練習しようよ」
「どこで?」
「庭でやると、ボールがイレギュラーするから、ロビーでやらない?」
「よし」
 
それでこの4人はもうすぐ前半が終わるという時点で近くで観戦していた富永代表に声を掛けて客席を離れ、ロビーに行って練習しはじめた。
 
「今の彰恵のはトラベリング」
「うっそー!?」
 
「あっちゃん、模範演技見せなよ」
「じゃやるから、ちー、ディフェンスはお手柔らかにしてよ」
「OKOK」
 
と言いあって、千里がディフェンスしている状態で、亜津子は江美子からのボールを空中で受けてからわざと左→右と1歩ずつ着地してみせ、その状態で千里と対峙する。
 
千里の左を一瞬にして抜くが、その時、左足が軸足なので最初小さく撞いてから左足を離して突破した。
 
「もうひとつ」
と言って、再度、左→右と着地する。
 
今度は亜津子は千里の右を抜いたが、ボールが床に着く前に右足を離した。 
「そうか。軸足でなければ先に離してもいいのか」
「当然」
 
「じゃ自分がどちらを先に着地したかきちんと意識してないといけないね」
「それ、バスケする場合、基本中の基本なんだけどねー」
「そもそも両足を正確に同時着地させれば問題は生じない」
 
「どうも上の世代の選手には、そのあたりをきちんと訓練されていない人もいる感じなんだよね〜」
と亜津子が言う。
「上の世代でなくても、私は適当だったかも知れない。結構アバウトに今の同時の範疇だよねとか思っていたかも」
と彰恵。
 
「でもU18アジア選手権とかU19世界選手権では、そういうトラベリングあまり取られなかったね」
と江美子。
 
「みんな割とちゃんとできていたと思うよ」
「無意識にやっていたのだろうか?」
 
「アジア選手権の審判はわりとこの問題緩かった気がする。でも世界選手権の審判はちゃんと取っていたよ」
 
「ごめん。私は世界選手権で2回トラベリング取られた」
と彰恵が言っている。
 
「あの時、ちょっと不可解だったんだけど、この問題だったのかも」
「私も細かいことは覚えてないけど、彰恵がトラベリング取られたなら、これかも知れないね」
 
千里たちは結局試合が終わる頃まで、ひたすらこの練習をやっていた。途中で華香や福石さんなども来て、その様子を見ていた。福石さんも「自分も危ないかも」と言って、一緒に練習していた。
 

試合が終わった後、今日のロースターになっていた15人はその後休養ということになったようだが、入っていなかった13人で、遠征中確保してもらっている、近くの中学校の体育館に行き、練習をした。ここに試合にも出ていた、玲央美や玲央美の先輩になる石川美樹、そしてレッドインパルスの広川さんなども加わった。
 
やはり主として練習したのが「撞き出しのトラベリング」問題である。 
「あんたたち途中で居なくなったと思ったら、その練習してたのか」
と広川さんが言う。
 
「これ簑島さんにも教えよう」
と言って、ホテルに戻っていた簑島さんを呼び出していた。
 
「**がかなり怒っていて審判おかしいとか言ってたけど、羽良口さんも横山さんも審判が正しいと言っていた。確かに私もそのあたりはアバウトだったかも知れないよ」
 
と広川さんは言う。
 
「外国のチームで戦っている人は、しっかりしているでしょうね」
 
この練習は、やっている内に次第に人数が増えてきて、最終的には28人全員が揃ってしまった。今日審判に怒っていたという**さんも「そうだったのか」と言って、素直にトラベリングにならないようにする練習をしていたが・・・ 
「だめだぁ!これで行こうとするとワンテンポ遅れる!」
などと言っている。
 
「そのワンテンポ遅れないプレイを、はい、亜津子ちゃんやってみよう」
 
と広川さんが言って、亜津子に模範演技をやらせてみる。千里がディフェンス係である。
 
「速い!」
「1個余分な動作が入っているはずが、それが逆に相手に対するフェイントになっているのか」
 
「撞き出した側を突破するとは限らないよ」
と横山さんが言う。
 
「今日のこの後と、明日の午前中もこの練習しよう」
と田原監督も言って、たくさん練習させていた。
 

亜記宏は荘内さんのお孫さん・龍一さんの車に乗せてもらって美幌町のマウンテンフット牧場の入口まで来た。
 
この牧場に来るには、実は車を使う以外の手段が存在しない。網走駅から40km以上あるのでタクシーなどもいきなり頼むと拒否されてしまうし、ちゃんと予約したとしても往復で3万円くらい掛かる。それなら網走でレンタカーを借りた方がマシだが、カードの類いを持っていない亜記宏はレンタカーを借りることができない。それで結局、お孫さんがここまで自分の車で送ってきてくれたのである。
 
「じゃ僕はいったん網走に戻っていますから、帰る時は呼んで下さい」
「すみません。ありがとうございます」
 
亜記宏は龍一さんの車が去って行くのを見送ると、意を決してゲートをくぐり、建物の方へ歩いて行った。
 

メインの棟と思われるところで声を掛けるが誰も出てこない。呼び鈴を押しても反応が無い。亜記宏は近くの別の小さな棟まで行く。牛の乳を搾っている人がいる。声を掛ける。
 
「すみません。こちらに桃川美智さんは、おられませんでしょうか?」
 
彼の声に
「はい?私ですが」
と言って振り向いたのは、亜記宏が3年ぶりに見た、懐かしい妹、そして恋人であった人の顔であった。
 
「あきちゃん!?」
と言ったまま、桃川美智は凍り付いたかのように、亜記宏の顔を見つめていた。 

亜記宏は土下座した。
 
牛舎なので牛の尿の臭いが凄まじい。しかしそんなことは構っていられない。 
「済まなかった。本当に悪かった」
と亜記宏は言った。
 
桃川美智(春美)はしばらく、そんな亜記宏を見ていた。
 
「どうして子供たちを捨てたの?」
と美智は静かに尋ねた。
 
「僕と有稀子だけでも、食べて行くのにギリギリだった。実際あの時期は2日に1回くらいしか飯にありつけない状態だった。それで誰かに託そうと話した。でも1ヶ所に3人も置いたら申し訳ないから、理香子は美鈴さんの所に、和志は美智の所に置き去りにした。実はあの時、何とかして美幌町までいくつもりだったけど、行く手段がなくて困っていた時に、偶然美智たちを見かけたんで、和志に『ママだよ。行っておいで』と言って行かせたんだよ」
 
「織羽は?」
「富良野にいる古い友だちの所に託すつもりだったんだけど、その前にヤクザに捕まってしまって・・・・美智、織羽の行方を知らないか?」
 
「私のお友達が保護しているよ」
「ほんとに!? 良かった。本当に良かった」
と言って亜記宏は泣いているようである。
 
「実はヤクザに捕まって、僕も有稀子も織羽も殺されそうになったんだけど、そこに大姐御(おおあねご)さんみたいな人が来て、まず子供だけは助けてやれと言ったんだよ。ところがその後、ヤクザ同士で話し合っていて、なぜか僕と有稀子も助けてもらえるという話になった。でもとても信じられなかったんで隙を見て逃げ出した。僕たちがいなければ子供だけ殺す意味はないし、かえって助かる確率が高くなると思ったんだけど、純粋に恐かったのもあった。織羽が助かったのなら良かった。僕は一生織羽に頭が上がらない」
 
「ちょっと待って。有稀子って・・・あきちゃん、実音子さんと一緒に逃げてたんじゃないの?」
 
「え!?実音子はもうとっくに死んでいたけど」
 
「うっそー!?」
 

美智は乳を搾らないといけないからといって、その作業を継続し、その後、絞った乳を入れた容器を主棟まで運んだ。加熱殺菌用の機械の中に入れてスイッチを入れる。そして食堂に亜記宏を案内し、お茶を入れて、お菓子も出して来た。
 
亜記宏はお茶は飲んだが、お菓子までは手を出さない。美智は亜記宏に彼と最後に会った、母(弓恵)の四十九日の頃以降のことを尋ねた。それは以前美鈴が調べてくれた話と微妙に違っていた。
 
2001年に亜記宏は実音子と結婚し、2002年に長女の理香子、2003年に長男の和志、2004年に次男の織羽、と3人の子供が生まれた。そして話は2007年、弓恵が亡くなった年の話になる。
 
「あの年の4月に駆志男さん(実音子の兄)が交通事故を起こして亡くなった。同乗していた実音子も瀕死の重傷をおって入院した」
 
「同乗していたのは有稀子さん(駆志男の妻)じゃなくて、実音子さんだったの!?」
「そうだけど」
「お店の従業員さんが若社長と若奥様が亡くなったと言っていたから」
「それ加藤さんでしょ?」
「なんかそういう名前だった」
「加藤さんは駆志男さんを若社長、実音子を若奥様と呼んでいたんだよ」
「あきちゃんは?」
「婿さん」
「なるほどー!」
 
「事故は駆志男さんの車がセンターラインをはみ出して対向車線を走ってきた車に正面衝突した。だから右側の運転席に座っていた駆志男さんが死亡した。左側の助手席に居た実音子は大怪我で済んだ。向こうは外車だったんで運転席が左側だった。それで向こうの人も死なずに済んだ」
 
「それこちらが悪いことになるよね」
「うん。だからこちらが100%悪いことになった。そして困ったことにこの車の保険が切れていた」
「なんで切らしたのさ?」
「金が無かったんだよ。3ヶ月続けて掛け金が落ちてなくて、強制解約になっていた」
「それ凄くまずい。安い保険とかに切り替えても自動車保険だけは掛けておかなきゃ」
 
「うん。だから向こうの治療費とか休業補償を全部こちらが見る必要が出た。そもそも保険の掛け金を払えないほど、当時お店は経営が苦しかった。どこも銀行は貸してくれなかった。それで僕とか有稀子とかが個人的にサラ金から借りてその治療費を払った」
 
「それで借金が増えた訳か」
 
「そんな中、うちの母ちゃん(弓恵)が亡くなった」
「あの時、実音子さんは入院中で来れなかったのね」
「そうなんだよ。子供たちは洲真子さん(実音子たちの母)に見てもらっていた」
 
「そういう話、あの時、してくれればいいのに」
「済まん。やはり僕が美智を裏切って実音子と結婚してしまったことがずっと後ろめたい気持ちがあって。それで美智ともあまり話ができない気分で」
「ふーん。そうなんだ?」
と美智は冷たく言う。
 
「結局母ちゃんの遺産を美智と半分ずつ受け継いで、僕はあの自宅を受け継いだけど、それを売却して向こうの人の治療費、そして実音子の治療費に充てた。美智が受け継いだ楽器類とか楽譜類とかは、あの時美智と連絡が取れなかったから、美鈴さんと話して札幌市内のトランクルームに預けた」
 
「うん。それ後から聞いた」
と美智も答える。
 
「それで駆志男さんが亡くなったことで、店の跡継ぎが居なくなってしまった。実音子のお父さんは、僕に継いでくれないかと言った」
 
「僕は自分が客商売に向いてないのは分かってるから、渋っていたんだけど、入院中の実音子が、あなただけが頼りとか言うからさ、やむを得ず受諾した。それで母ちゃんの四十九日が終わった後、会社を辞めて稚内のラーメン屋に修行に出た。昔気質の厳しい店でさ。修行中は携帯も持てない。休み無し。毎日包丁の背でぶん殴られる」
 
「ああ。昔の板前さんはそうやって鍛えられたんだよ。でも、あきちゃん、昔から料理は上手かったね。私より上手かった」
 
と言いながら美智は今の亜記宏の言葉の中に何か引っかかるものがあるのを感じていた。
 
「確かに、僕と美智が結婚したら、僕が主婦やってもいいよとか言ってたな」
「ふふ。あきちゃんにスカート穿かせてね」
「スカートは勘弁して欲しいけどなあ」
「スカート好きなくせに」
「そんなことはない」
 
少し冗談を言い合ったので、少しだけ美智の気分はほぐれた。
 
「でもその年の11月に結局実音子は亡くなった」
 
その言葉に美智は顔を引き締めた。その時ふと美智はそれって自分が自殺しようとした頃ではなかろうかという気がした。
 
「更に翌年春に、お店でガス爆発が起きた」
「その話は聞いた」
 
「お店を建て直すための融資はどこからも断られた。それで結局お店は閉めることになったけど、そのことと膨大な借金の返済を迫られたことから、実音子の父・騨亥介さんが自殺した。そのショックで実音子の母・洲真子さんが認知症になってしまった。僕と有稀子は話し合って、洲真子さんを入院させた」
 
「それで有稀子さんと恋人になっちゃったの?」
と美智は厳しい顔で訊く。
 
「セックスしたことは認める」
と亜記宏は言った。
 
「結局潰れて『金返せ』という紙が大量に貼られた食堂や実家に、有稀子さんと、理香子・和志・織羽の姉弟、多津美ちゃんが取り残された。僕は修行明けまでは、たとえ親が死んでも途中で抜けることは許されなかったから、ずっと稚内に居た」
 
「有稀子さんのお母さんが見かねて、取り敢えず多津美ちゃんだけは実家に連れて行った。有稀子さんはパートに出ながら、理香子たちの面倒を見てくれていた。その間にも借金取りが頻繁にやってきては、安眠妨害していた」
 
「やがて、やっと僕は1年間の修行が終わって、ラーメンの調理人としての免状をもらって、理香子たちの所に戻った。しかし莫大な借金があるから店の再建は困難だった」
 
「それで逃げ出したの?」
「金を借りた先にヤクザ絡みの金融があったみたいで、身の危険を感じた。それで5人で逃げ出した。最初は釧路の友人の所に身を寄せた」
 
「釧路に行ってたんだ!?」
「でもどこからかぎつけたのか、ヤクザがやってきた。友人に迷惑は掛けられないから逃げ出して、苫小牧の友人の所に行った。でもそこもかぎつけられた」
 
「なんで自己破産しないのさ?」
「当時はそこまで頭が回らなかったし、弁護士入れたらヤクザは手を出せないというのを知らなかったんだよ」
「うーん。。。」
「実は今破産の処理をしている所。1年くらい掛かると言われている」
「ああ・・・」
 
「それで結局、今年の1月に美鈴さんの所に行って、寝ている理香子を置いたまま、他の4人で逃げ出した」
 
「理香子ちゃん、起きたらお父ちゃんも弟たちも居なかったというので泣いていたってよ」
「済まん。それで続いて美幌に行こうとして網走で美智を見かけたから、和志をそちらに行かせた」
 
「2人までは託したものの、織羽を託す先がなかなか思いつかなかった。織羽は特にちょっと特殊なんで、預ける先を選ぶんだよ。だけど、富良野に住んでいる僕の元同僚が、その方面に理解があったのを思い出したんで、そちらに行こうとしていて、ヤクザに捕まって、湖に沈められそうになった。でもそこで、大姐御(おおあねご)のような人に助けられたんだよ」
 
亜記宏はその時の状況を説明した。それは天津子から聞いた話とほぼ一致していた。
 
「結局僕と有稀子は織羽を置いたまま逃げ出してしまった。その後、山の中の小屋に居た、世捨て人みたいな女の親子に助けてもらって。その娘さんの方に子供が心配だと言われて、付いてきてもらって、僕とその娘さんの2人で僕たちが殺されそうになった、湖の畔まで行った。誰も居なかったけど、布にマジックで書いたものを小枝に付けて雪に刺したものがあってさ。『子供は無事だから安心して』と書かれていた。それで僕は織羽が無事だと判断した」
 
美智は、天津子が念のためそういうメッセージを残してくれたんだなと考えていた。しかし天津子は『大姐御』か!と思うと少し楽しくなった。あんな可愛い女子中学生なのに。
 
「その後、僕と有稀子は、バラバラに行動することにした。だから僕は有稀子の行方も分からない。もしかしたら実家に戻ったかも知れない」
 
「有稀子さんの実家がどこにあるか分かる?役場に移転届けが出てないみたいなんだけど」
 
「分かると思う」
と行って、亜記宏はぼろぼろになった住所録を出した。その住所録の先頭に美智自身が3年前まで住んでいたアパートの住所とともに書かれていたのを見て、美智は心が温まる思いだった。しかもそこには『真枝美智』という名前が記され、更にハートマークまで赤いペンで書かれていたのである。
 
有稀子の実家の住所は、ふつうにカ行の所に川代竜太の名前で記されていたが2回も修正の跡があった。その最初のものが、美鈴さんが調べてくれた、住民票上の住所である。住民票を放置したまま、2度も引っ越したということだろう。
 
美智はその住所を書き写した。
 
「2月の段階ではそこにいたはず。その後更に引っ越していたら僕も分からない」
「取り敢えず連絡を取ってみる」
 
「それで僕の方は、道内のあちこちで色々仕事をしていたけど、どれも長続きしなくて。すぐ首になるんだよ」
 
「まあ、あきちゃんは不器用だし、腕力も無いし」
「腕力の無い男って、そもそも男扱いしてもらえないんだなというのをまざまざと思い知らされた」
 
「男がダメなら女になる?」
「いや。だからそれは勘弁してよ」
 

「それで結局、枝幸町で行き倒れになった所をラーメン屋のおやじさんに助けられてさ」
 
「へー!」
「僕がラーメン作れると分かったら、調理係として雇ってくれたんだよ」
「良かったじゃん」
 
「それで常連客の税理士さんに勧められて、破産の手続きをすることになった。今その申請書を札幌の弁護士さんに書いてもらっている所」
 
「そういう状況か」
 
「それで子供たちのことなんだけど?織羽の行方も知っているなら、3人がどうしているか知ってる?」
と亜記宏が尋ねる。
 
「子供たちが心配?」
と美智は尋ね直した。
 
「もちろんだよ。理香子、和志、織羽のことを忘れたことは一度もない。美智のこともね」
 
美智は最後の言葉にドキっとした。
 
「でも実音子さんのことも有稀子さんのことも好きだったんでしょ?」
 
「実音子が好きだったことは認める。有稀子とは・・・厳しい環境の中で一緒に逃避行したから、つい何度かセックスしてしまったことは認めるけど、実際問題として、あれは恋愛ではなかったと思う」
 
「そもそもなんで有稀子さんも一緒に逃げないと行けないわけさ?」
 
「それはちょっと理由(わけ)があって。その問題については済まないけど、あらためて後から説明させて欲しい」
 
実は有稀子は、理香子・和志・織羽の3人が自分の遺伝子上の子供であったのでその3人の保護者として同行していたのだが、その問題については亜記宏は翌月に再度会いに来た時に美智に説明することになる。
 
「まあいいけど」
 
「でも僕は今でも美智のことが好きだよ」
 
その言葉に美智(春美)は心臓の音が高まるのを感じた。美智はしばらく亜記宏の顔を見つめていた。
 

「でもさ、私、今でも凄く怒っているんだけど。母さん(弓恵)の四十九日の後で、私が高校大学の間、母さんに養ってもらった間の生活費・学資400万円を返せってしつこくメールしてきたのは何なのさ?随分酷いこと言ってくれたよね。この恩知らずとか、オカマ野郎とか」
 
と美智は思い出したようにマジで怒って言った。
 
「何それ?」
と言って亜記宏はきょとんとしている。
 
「え?私の携帯にあきちゃんの携帯から、執拗にそういうメールが入るから、私ほとんどノイローゼになったんだよ」
と美智は文句を言う。
 
「知らない。マジで知らない。僕がそんなこと言う訳ない。美智は母ちゃんの娘なんだから、養育費とか学費とかを返す必要なんか無いし、僕が美智のことをオカマ野郎とか言う訳が無い。僕は美智のこと、女の子だと思っているし、可愛い妹だと思っているし、そして実音子と結婚している間も、実は美智のこともずっと好きだった。実音子には嫉妬されていた気もするけど」
 
「私、携帯変えちゃったから今この携帯には入ってないけど、あの頃の携帯まだ取ってあるから、充電してこのSIM向こうに入れて起動してメール見せようか?」
 
「いや、その時期は僕は修行中だから、そもそも携帯も持っていない。そんなの持つのは禁止だったんだよ」
 
「じゃ携帯はどこに置いていたの?」
「何か緊急の連絡が入った時のために入院中の実音子に預けていた。あっ・・・」
と亜記宏は“真実”に気付いてしまった。
 
「まさか・・・・あれ。もしかして実音子さんのしわざ?」
と美智も気付いて言った。
 
「あり得る気がする。実音子は美智に凄く嫉妬していたから」
「でも嫉妬で400万円要求する訳?」
 
「実家に莫大な借金があるのが分かっているから、母ちゃんから美智が受け継いだ遺産が目当てだったのかも。僕があそこの土地家屋を売却した代金が400万円だったから、それと似た額を受け継いだと思ったかも知れない。僕は美智が受け継いだものについては実音子には何も言ってないんだけど」
 
「でも私はそもそも、遺産をお母ちゃんからもらったこと自体を知らなかったんだよ」
「え?そうだったの!?」
 
「その話は美鈴さんに聞いてもらえば分かる。どっちみち、私、美鈴さんに連絡するよ。たぶん、どこかで会おうという話になると思う。亜記宏、美鈴さんやミラさんに会うよね?ふたりとも無茶苦茶怒ると思うけど」
 
「会う。その覚悟はしてきた」
 
「織羽も呼ぶね」
「織羽は・・・どこに居るの?」
「旭川だよ。その亜記宏を助けてくれた大姐御さんが保護している」
「え〜〜!?」
 

15時半頃、スクールバスで、しずかが帰宅した。
 
「ただいまあ。おなかすいた。おやつない?」
と食堂に入ってきて言ってから亜記宏を見て驚く。
 
「パパ!かえってきたの?」
と笑顔で言う。
 
「うん。帰って来たよ。おかえり、和志」
と亜記宏は言った。
 
「そのなまえではよんでほしくないなあ。それとパパ、ママのことすてたでしょ?そのことで、かっちゃんも、わたしもおこっているんだよ。おりーはなにもかんがえてないみたいだけどさ」
と、しずかは言う。
 
「ごめん。謝る」
「パパ、ママとなかなおりした?」
としずかは訊く。
 
美智は微笑んで言った。
「なかなおりしたよ」
 
「だったら、パパがわたしのこと“しずか”とよんでくれるなら、わたしもパパをゆるしてあげる」
 
「やはりお前はそちらに行ってしまったか。いいよ。しずか。お前スカート穿いて赤いランドセルしょってるけど、女の子として学校に行ってるの?」
と亜記宏は言う。
 
「だってわたしはおんなのこだもん」
としずかは言った。
 

リトアニアで合宿している日本代表フル代表。
 
9日の試合の後、7月10日は午前中は昨日の練習の続きをして、午後からはちょっと息抜きに買物に出た。ルーカスさんが案内してくれるが、念のためこちらの通訳の角川さんも一緒である。角川さんは英語の通訳であるが、ロシア語もある程度できる。リトアニアでは、年配の人にはロシア語が、若い人には英語が通じることが多い。
 
土産物店に塩が売ってある。
 
「ドルスキニンカイというのは元々塩の町という意味なんですよ。リトアニア語で塩のことをドルスカと言うんです」
とルーカスさんが説明してくれる。
 
「ちなみに僕はチェブラースカもミニスカも大好き」
 
とルーカスさんはあくまでダジャレで行く。
 
ちなみに“チェブラーシュカ(Чебурашка)”のはずだが、ダジャレのためには少々の言い換えはする。
 
「ルーカスさん、ミニスカ好きですか?」
「もちろん。ミニスカ穿いてる女の子も好き」
「ルーカスさん自身はミニスカ穿かないの?」
「一度ミニスカ穿いてみたら、次穿いたら離婚って女房に言われた」
 
このあたりもジョークなのかマジなのか良く分からない人である。
 

その後スーパーに行くと、みんなおやつの類いを買っていた。
 
「男子チームを案内すると、ビールとか買う人多いけど、やはり女の子はおやつに走るよね」
などとルーカスさんは言っている。
 
「ビールの美味しいのあります?」
とベテランの簑島さんが訊く。
 
「このあたりが美味しいよ」
とルーカスさんが教えてくれるので、簑島さんは4本ほど買っていた。 
今回の遠征では、飲酒は禁止されているが、お土産に持ち帰るのは良いことになっている。ただし千里や王子など、未成年メンバーはお土産に買うのも禁止である。
 

この日の夕方は、今日から始まったリーグ戦の初戦、リトアニア対ブルガリアの試合を観戦した。
 
試合が終わったのは21時頃だが、千里は眠かったのでホテルに戻るとすぐに寝た。
 
7月11日はリーグ戦の2戦目のリトアニア対日本、3戦目のブルガリア対日本が午前と午後に続けて行われる。ロースターは朝食の後、同時に発表された。 
■リトアニア戦(10:00-)

PG.武藤 富美山 SG.花園 村山 SF.広川 佐藤 早船 前田 PF.横山 高梁 花山 鞠原 C.馬田 黒江 中丸  
■ブルガリア戦(19:00-)

PG.羽良口 武藤 SG.三木 花園 SF.広川 佐伯 早船 山西 PF.横山 宮本 高梁 月野 C.白井 馬田 中丸  
千里は午前中のリトアニア戦でやっと出番である。しかも亜津子と2人で選ばれている。メンバー表を見て、千里は静かに闘志を燃え上がらせた。
 

午前中のリトアニア戦では、千里は1,3,4ピリオドに、亜津子は2ピリオドに出すと言われた。これは亜津子が夕方の試合にも出るため、体力を温存させるためである。今日の試合は2試合両方に出るメンバーが何人もいるので、体力の維持に配慮して出番を調整するようである。
 
「じゃ、あっちゃんの3倍出るから6倍スリーを放り込もう」
「どういう計算なんだ?」
 
実際この日の千里はとにかくどんどん積極的にスリーを撃った。スリーポイントラインの内側でパスを受けても、わざわざドリブルで外に出てからシュートする。そしてそれを全部ゴールに放り込む。
 
この日千里はスリーを全部で14本も放り込んだ。対する亜津子はこの試合では3本に留まった。
 
「6倍いかなかったね」
「残念。責任取って性転換するね」
「それ全然責任取ることにならない」
 
「でも私のスリーが2本しか入らなかったら、千里が7倍で、千里の予告をクリアしていた」
と亜津子は言う。
 
「その場合は、あっちゃんが性転換するということで」
「あまり男にはなりたくないなあ」
 
「亜津子ちゃんは小さい頃、よく男の子と間違えられていたらしい」
とチームメイトの武藤さんがバラす。
 
「それがコンプレックスで、小学生の頃は可愛い服、可愛い服って着ていたんだけど、『最近は男の子でもスカート穿くのね』とか言われるんだよ」
と亜津子。
 
「いや、それ言われていたメンツはここには多いと思う」
「ミニバスの試合に出ていて、そちら男女混合チームですか?とかも結構言われたよね」
「ああ、言われた言われた。この大会は女子の大会なので、男子メンバーは遠慮してもらえませんか?とか」
 

午後は夕方の試合に出ないメンツだけ中学校の体育館で練習をした。千里がひたすらスリーを撃っているので、川越も一緒に練習しようと声を掛けようとしたものの、千里の雰囲気に鬼気迫るものがあり、川越は千里に声を掛けることができなかった。
 
結局、川越は玲央美を誘って、2人でスリーの練習をした。
 
「あ、でも村山さん、返球する人がいないと不便じゃないかな」
と川越は玲央美に、ふと思いついたように言ったのだが、玲央美は
 
「村山の場合、返球係が要らないんですよ。見ててください」
と言うので、川越は千里の練習を見てみた。
 
シュートする。同時にゴールに向けて走り出す。入ったボールが真下でバウンドするので、それが1回だけバウンドしたところでキャッチして、そのままドリブルでスリーポイントラインの所まで行く。
 
シュートする。外れる。リングの所でバウンドして横に転がっていったが、壁に当たると、跳ね返って千里の所に転がってきた。
 
シュートすると同時に走り出す。きれいに入ったので、真下に落ちてきたのをワンバウンドで掴んでドリブルしてスリーポイントラインに戻る。
 
何度か続いて入った後、バックボードに当たって跳ね返る。ボールはそのまま千里のいる所に戻って来る。
 
「もしかして、村山さん、入る場合だけゴールにダッシュしてます?」
 
「ええ、村山とか花園クラスのシューターは撃った瞬間入ったかどうか分かるんですよ。だから入った時はゴールへダッシュする。そして1バウンドで確保する。2バウンド以上しないように素早い動作を課している。でも入らなかったら勝手にボールが戻って来るから、それを待つ」
 
と玲央美は言った。
 
「へー」
と言って川越はしばらく見ていた。その内「え?」と声をあげる。
 
「ね、ね、外れたボールが全部村山さんとこに戻って行く気がするんだけど」
と川越が玲央美に訊いた。
 
「そうなんですよ。村山が撃って外れたボールはなぜか本人の所に戻るんです」
と玲央美は答える。
 
「なぜ〜〜!?」
 
「本人はそれが物理的な法則で当然だと思っているみたい。作用反作用の法則とか言ってました」
「いや、物理的な法則に反している気がする」
 
「ね?」
と玲央美は半ば呆れるかのように川越に言った。
 

この日の試合結果はこのようになった。
 
7.11 9:59-11:40 LTU 67-102○JPN
7.11 19:00-20:17 BUL 50-97 ○JPN
 
この結果このリーグ戦は日本が2勝0敗で優勝となった。
 
日本はこの遠征でのトータル3勝0敗である。
 

試合が終わってから、ホテルに戻り夕食をとった後、花園亜津子・寺中月稀・佐伯伶美・石川美樹の4人が富永チーム代表に呼ばれた。
 
「何だろうね?」
と千里は隣の玲央美に訊く。
 
「あのメンツならU24の活動のことだと思うけど」
「あ、そうか。まさか向こうの合宿に参加するために緊急帰国しろなんてことじゃないよね」
「まさか」
 
彼女たち4人を除いた、他のU24代表は現在18日までの予定で東京で合宿をしているはずである。U24は7月26-30日に台湾で行われるウィリアム・ジョーンズ・カップに参加することになっている。
 
U24は世代的にはユニバーシアード代表のU24(Univ)と重なっているのだが、大学には行っていないメンバーで構成されている。次世代のフル代表を育てるためのカテゴリーである。これにはローキューツの森下誠美なども入っていて、彼女はそのため今年は頻繁にローキューツの練習や大会を休んでは代表合宿に参加していた。
 

やがて打合せが終わったようである。亜津子と美樹が厳しい顔をして食堂にやってきた。千里たちはふたりに声を掛けた。
 
「どうしたの?」
「ウィリアム・ジョーンズ・カップへの参加がキャンセルになった」
 
「え〜〜〜!?」
 
「なんでキャンセル?」
「正式には明日発表されるけど、日程が変わっちゃったんだよ」
「嘘!?」
 
「本当は今月26日から30日まで行われるはずだったのが、台湾側の都合で15日から17日に変更になった」
「こちらの遠征やってる最中じゃん」
 
「だから、緊急帰国して台湾に行ってくれという話かと思った」
と亜津子。
「でもそうではなく、日本の参加自体をキャンセル」
と美樹。
 
「うーん・・・」
 
「U24の主力の内4人がフル代表候補にもなっている。兼任してないのは誠美とか中橋知子さんとか」
 
「それどちら優先するかが難しいね」
と玲央美が言う。
 
「協会としてはフル代表が何といっても優先。基本的に上の世代のカテゴリーが優先。だけど、こないだのU18アジア選手権で高梁王子をU20の強化遠征優先にして出さなかった結果、中国に大敗したじゃん。もし今度のジョーンズカップで韓国とかにまで負けたりしたらまずい。と言って私たち4人を緊急帰国させるのは、せっかく強い所とやって強化している最中なのにもったいない。そもそもリトアニアから台湾までは移動に2日掛かる。明日12日に出発しても台湾到着は14日。そんなハードな移動をしてきた翌日に試合なんて、さすがに私も自信無い」
 
「2日がかりの移動したら調整日に2日欲しい。時差も凄いし」
「それ移動にも時間が掛かるし、その2日間練習ができないというのも痛いね」
「そうなんだよ」
 
「それで結局、私たちはこのままフル代表の遠征を続けて、ジョーンズカップの方は参加をキャンセルということになった」
 
と亜津子は説明した。
 
「つまり万一私たち抜きで惨憺たる成績になったらやばいから、負ける可能性のある勝負は避けようということ」
 
と美樹が補足した。
 
U24のこの4人以外は現在東京で合宿中で18日まで合宿が続く予定だったのだが、明日12日に不参加を公表するので、今日までで合宿も打ち切りになり、結局U24の今年の活動はこれで終了になるらしい。
 
「ウィリアム・ジョーンズカップは、若い世代とはいえ、アメリカと対戦できる良い機会なんだけどなあ」
と玲央美。
 
「そうなんだよねぇ。それが一番大きい。私もアメリカと闘(や)りたかったよ」
 
と言って、亜津子は不快そうな顔をしていた。
 
「でも実際、こういうものの日程をきちんと管理できているのって、日本とかアメリカとか、イギリス・フランス・ドイツとか、少数の国だけみたいだよ」
 
とU24(Univ)の方と兼任している月野英美が隣のテーブルから移ってきて言う。 
「台湾は割とそのあたりしっかりしているイメージあったんだけどなあ」
「うん。半月ずれるだけで済んだから、まだいい方なんだと思う。どうかした国なら、1年くらいずれても、誤差の範囲という認識の所もある」
 
「そういうおおらかなのが、本当はいいのかも知れないけどね」
 
そういう訳で、U24チームはせっかく今年の春結成されたのに、大会には参加しないまま、今年の活動を終えることになってしまった。もっともU24(Univ)の方も、本番は来年で今年は大会に出ない。
 

12日は昨日がダブルヘッダーだったこともあり、休養日となり、ウォータースライダーなどのある“ウォーターパーク”に行くという話であったが、千里は玲央美・亜津子と一緒に監督に直訴し、ウォーターパークには行かずに自主的な練習をさせてもらった。これに彰恵・江美子・美樹・英美・一美・王子・華香も参加して、10人での練習になった。10人という人数になったので、このメンツで紅白戦もした。
 
SG亜津子 SF一美 SF彰恵 PF王子 C美樹

SG千里 SF玲央美 PF江美子 PF英美 C華香

 
戦力がほぼ均衡するように組み分けしたので、かなり接戦になって、良い汗を流すことができた。1on1も様々な組合せでたくさんした。監督・コーチはルーカスさんや角川さんたちも含めてウォーターパークに行っているのだが、富永チーム代表が顔を出して色々声を掛けてくれた。
 
この後チームは13-14日の2日間も、このままドルスキニンカイで、紅白戦を中心とした練習を続けた。
 
千里はフル代表合宿とU20代表合宿の「密度の差」を感じていた。もしかしたらチーム代表や監督の方針が反映されているのかも知れないが、U20の合宿は物凄く濃厚で、空き時間というものが、ほとんど無かった。しかし特に今回のフル代表遠征は、空き時間だらけである。結局その時間を何人かに声を掛けて自主的に練習している。
 
また、この3日間の練習は、東京の合宿所でやっているのと変わらない感じで、リトアニアに来ている意義を感じなかった。これが先日のU20ロシア遠征とかU18の時のオーストラリア遠征では、練習パートナーが確保されていて、その人たちとひたすらやり合うことができた。
 
そんなことをふと玲央美に漏らしたら、玲央美は一言
 
「年齢の差じゃないの?」
と言った。
「ん?」
 
「私たちがやっている量の練習はたぶんベテラン選手には体力的に無理」
「うーん・・・・」
「だから逆に私たちの年代は自主的にたくさん練習を加えていいんだよ」
「それはあるかもね〜」
「この後もどんどん練習入れようよ」
「OKOK」
 

15日はホテルをチェックアウト。荷物を持ったまま練習場に行き、午前中と昼過ぎまで練習をした上で、15時にバスに乗り込んで、いったん首都で空港もあるヴィリニュスに戻ることになる。17時頃ヴィリニュスに到着してホテルにチェックインした。
 
それで18時から食事ということだったのだが、18時にレストランに行ってみると、まだ食事の準備ができてないと言われる。19時に来てくれと言われたのでいったん引き上げる。ついでにホテル近くのスーパーに行って食料を買い出してきて、若手は何となく広川さん・簑島さんの部屋に集まって、おしゃべりしながら、おやつを食べる。買ってきた食料だけではなく、広川さんたちの備蓄食料まで食べちゃう!
 
それで19時になって「だいぶお腹空いたね〜」と言いながらレストランに再度集合したのだが、今度は19:30まで待ってくれと言われる。「え〜!?」と言いながら、今度は武藤さんと亜津子の部屋に行く。そこの食料を食べ尽くし!19:30に下に降りて行く。まだ食事が無い!
 
「いったいいつできるんですか?あなたたちは既に1時間半私たちを待たせている」
と通訳の角川さんが英語で強く言っている。
 
「済みません。あと45分待って下さい」
とレストランの人は片言っぽい英語で答える。
 
しかしこの調子では45分待っても本当に食事が出てくるかあやしい。
 

それで富永チーム代表の決断で、今夜のこのレストランでの食事はキャンセルすることにした。ホテル近くにある中華レストランが問い合わせるとこの人数で入れるようである。
 
そこでぞろぞろとその中華レストランに行く。
 
「やっと御飯が食べられる〜」
という声が出ている。
 
「お腹空いたぁ」
と江美子が言っているが、既に菓子パンを4つと板チョコ半分にポテチを1人で全部食べている。千里もパンを2つ食べている。
 
それで席についてメニューを見るのだが・・・・
 
分からない!
 
メニューはリトアニア語と英語で書かれているのだが、その英語から料理の内容が想像つかないのである!?料理の写真とかは載っていないし、あいにくルーカスさんはもう帰ってしまっている。
 
ここで中国出身の馬田さんが活躍する。
 
お店の料理人さんが中国人であることに気付き、その人に尋ねて、ひとつひとつの料理を解読していく。
 
「これは豚肉のカキ油炒め」とか「これは麻婆豆腐」とか「これは要するに焼きそばのようなもの」とか解説してくれるので、それでやっとみんなオーダーすることができた。もっとも高梁王子などは「私は何でも食べるから」といって、とっても適当に注文していた!
 
 
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