【女子中学生・秋の嵐】(6)

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公世もその日、夢(?)を見ていた。
 
夢の中に千里が出てくるので、嫌な予感がする。
 
「きみちゃん、睾丸要らないよね?それと、おしっこは女の子みたいにしたいでしょ?睾丸と、男の子の尿道を取り外してあげるね」
 
と言って、公世のお股から何か取り外して?持ってっちゃった!?
 
「ちょっと、そんなの取られたら困る〜!」
と公世は言ったのだが、千里はもうどこかに行ってしまったようだ。
 
翌朝、目が覚めてから、公世がトイレに行くと、またまたおしっこが“あの位置”から出るので
「またかよぉ!勘弁してよぉ!」
と公世は思った。
 
(性別が安定するようにと、わざわざ2度性転換させたのに!!)
 
ただ、今回はペニスは喪失してないので「前回よりはマシかな」と思った。でもペニスにおしっこの出る穴が無い!そもそも陰茎下部に尿道の分の膨らみが無く尿道(の男子的延長部分)がまるごと無くなっているのが分かる。睾丸については、これも無くなっていたが、睾丸くらいはもうどうでもいいような気がしてきた。(結果的に陰嚢が身体に貼り付くので排尿の邪魔にならない)
 

そういう訳で、“女王様の気まぐれ”?のお陰で、公世はまたまた学校の男子トイレでは個室を使用するようになる。それで男子たちはこう噂した。
 
「工藤さんが小便器の使用をやめて個室を使ってるね」
「やはり工藤さん、女の子になったんだもん。小便器とか使ったらいけないよね。個室を使わなきゃ」
「早くセーラー服に切り替えて女子トイレを使えばいいのに」
 

ちなみに今回の“夢”の裏事情は実はこういうことだった。
 
P大神が、千里が留萌を出た後の後任として少しずつ女性化を進めてきた沙苗が最近成績を上げてきて、彼女まで留萌を出て旭川か札幌の高校に行く可能性が出て来た。それで“後任の予備”と考えていた、セナを早急に本物の女性にしてあげる必要が出て来た。それで操作したものである。
 
美加の女性器は「もしかしたら誰かに移植できるかも」と思い、保管し育成していたものだが、兄(既に姉)に移植することになるとは思わなかった。
 
夢の中の、女王様=P大神、魔女っ子千里ちゃん(千里Gold)=千里γ(P大神しか知らない千里の分身。昨年の分裂以前から大神が密かに使役していた)だったのだが、セナの夢の中では多少?展開が実際の操作とは違っていたようである。
 
ちなみに公世の睾丸と尿道延長が無くなったのは何かの事故であり、P大神は関知していない(セナ自身の霊的能力の影響かも)。
 

2004年12月2日(木)、任天堂は携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を日本でも発売した。
 
2001年に発売されたゲームボーイ・アドバンス(GBA)の事実上の後継機である。これ以降、任天堂のゲーム機は初代“ファミコン”からWii に至る据え置き型のゲーム機から、携帯型のゲーム機にその主軸を移すこととなる。
 
DSは11月21日にアメリカで先行発売されていたが、日本市場ではこの日の投入となった。
 

千里が夕飯を作っていたら、玲羅が来て言った。
 
「ねぇ、お姉ちゃん、DS買ってぇ」
「ディーエスって・・・何だっけ?」
 
千里はゲームなどしないので、言葉が分からない。
 
「任天堂のゲーム機だよ。今日発売されたんだよ」
「今日発売されたんなら、しばらくは手に入らないんじゃないの?」
「確かに品薄にはなってるみたい」
「いくらなの?」
「1万5千円だけど、ソフトも欲しい」
「ソフトが無かったら、ただの電熱器だね!」
 
「マリオとポケモンが欲しい」
「どっちかにしてよぉ」
「じゃポケモン。4800円なんだけど」
「合計で約2万円か。分かった。じゃ買えそうになったらね」
「よろしくー」
 
なんかうちでお金を持っているのは私ということになってるなあ、と千里は思った。お母ちゃんまで私に色々頼んでくるし!
 

千里はこの“ニンテンドーDS”本体及び“ポケモンダッシュ”について、千里自身はとても行列に並んで買うような時間は取れないので、眷属に頼むことにした。ただし男の眷属に頼むと強引なことをしかねないので、女の眷属に頼むことにし、<たいちゃん>に購入作業を依頼した。彼女なら購入できそうな場所を予測して買いに行くことができる。
 
実際彼女は12月10日(金)には購入に成功した(2時間前から並んだらしい。千里は彼女をねぎらい、夕張温泉で過ごす休暇を与えた)。彼女の苦労のお陰で、玲羅はクラスで3番目に早くこの新型ゲーム機を手に入れることができたらしかった(その1番目と2番目の子が凄い)。
 

12月6-8日(月火水).
 
2学期の期末テストが行われた。筆記試験はこのような分担で受けた。
 
R:英語・国語・社会・保健・美術・家庭
Y:数学・理科・音楽・技術
 
アンバランスになったのは、Yがすぐ消えてしまうのでRを無理矢理呼び出したせいである。
 
実技では、家庭・技術・美術は普段の授業での制作で評価するということで、期末テストとして実施されたのは、体育と音楽である。体育は身体能力の高いRが受け、Yが音楽を受けた。
 
例によって、音楽の藤井先生は
「千里ちゃんがリコーダーを吹けないのはノーベル賞クラスの謎だ」
と言っていた!
 
今回はリコーダーで吹くべき曲を代わりにファイフで吹いて評価をもらった。
 
「千里はきっと前世でリコーダーで殴られて死んだんだよ」
「リコーダーを踏んで足が滑って階段から落ちて死んだのかも」
「いやリコーダーの名人に恋人を奪われたのかも」
など、いくつかの説が提示されていた!
 

12月11-12日(土日).
 
千里Rはきーちゃんとの音楽レッスン、越智さんからの剣道の稽古を受けに旭川に出たが、今回は公世を連れて行った。
 
公世が千里(R)に相談したのである。
 
「ぼくの男性器がおかしなことになってるんだけど、千里ちゃん、これ何とかする方法分からないよね」
「見せてみて」
「え?でも」
「女の子同士じゃん。恥ずかしがらないで」
 
女の子同士というのには異論があるものの、見てもらわないと始まらないので、恥ずかしかったが、多目的トイレの中でズボンとパンツを脱いで見せた。
 
「不思議なことになってるね」
「それで立っておしっこできなくて困ってる」
「11日に私、きーちゃんに会いに行くから、その時、公世もおいでよ。きっと何とかしてくれるよ」
「ほんと?」
 

それで12月11日、公世は千里と一緒に朝一番の高速バスに乗り、旭川に出たのである。
 
瑞江に迎えに来てもらい、9時半頃にきーちゃんの家に入った。
 
まずは公世を、きーちゃんに見せる。
「なぜこんな不思議なことに!?」
と、きーちゃんも困惑した。
 
「どうも公世の身体に干渉している人があるみたい」
「公世ちゃんが立派な女の子になるまで干渉は続くかもね」
「女の子になりたくないです」
 
「じゃ私が公世ちゃんを一度完全な女の子に変えるから」
「え〜!?」
「その後で、再度男の娘に戻してあげるよ。そしたら普通の男の娘になれるはず」
「分かりました。それでお願いします」
 
「ただ一度女の子に変えたら24時間経たないと男の娘に戻せないのよ。だから今女の子に変えて、明日のお昼頃に男の娘に戻すというのでいい?」
 
千里はその“24時間”ってどっから出て来た設定?と思うが、きっときーちゃんは公世に女の子の身体を丸一日体験させて、女の子になりたい気持ちを増幅させたいのだろうと解釈する(正解!)
 
「それでいいです。お願いします」
と公世が言うので、公世はNo.3の部屋に入れられ、まずは眠らせた上で、女の子への性転換を掛けた。これで公世は(きーちゃんが知る範囲でも)3回目の女の子への性転換である。これだけ頻繁に体内に卵巣が存在していると、女性ホルモンの分泌量もかなりになるかもという気はした。身体の基本部分の女性化が進むかも知れないし、それは精神にも影響を与えるかも。それで自分で進んで
 
「ぼく女の子になりたくなった。きーちゃんぼくを女の子に変えて」
と言い出してくれないかなあ、ときーちゃんは妄想した(ほとんどビョーキ)。
 
公世が寝ている間に、まずは龍笛の練習をした。
 
お昼頃、公世が起きてくる。
「女の子の身体はいいでしょ?」
「これはこれでいいけど、ぼくは男の子でいたいから」
「分かってるよ。明日ちゃんと男の娘に戻してあげるから」
「お願いします」
 
でも「せっかく女の子になってるんだから」と言われて、物凄く可愛い服を着せられた。
「さすがに恥ずかしい」
「誰にも見られないから平気だよ」
 
でも、きーちゃんは公世がスカートを穿いていてもちゃんと転ばずに歩けるので感心していた。
 
お昼を3人で一緒に食べた後、午後は公世は勉強をしていて(勉強するのが偉い!と千里は思った)、千里はきーちゃんからフルートとピアノを習った。「スカートだと冷えやすいから」と言われて、公世は可愛いキティちゃんの膝掛けを掛けてもらった。
 

夕食はコリンが作ったが、公世も手伝った。
 
「きみよさん、すごく料理の手際がいい」
「母ちゃんや姉ちゃんに言われて小さい頃からだいぶやらされていたから」
「へー。立派な主婦になれますね」
「いや、主婦になるつもりはないけど」
「独身主義なんですか?」
 
あれ〜?湖鈴(コリン)さんってぼくの性別知らなかったっけ?と公世は思ったが、もちろん湖鈴(コリン)はわざと言っている。
 
夕食後はお風呂に交替で入った。公世はお風呂上がりに、ベビードールを着せられてしまった。
 
「恥ずかしいですー」
と抵抗したが
「だって女の子になってる内に体験しておかなくちゃね」
などと言われる。
 
結局そのまま各々の部屋に入って休む。
 
公世はNo.3の部屋で自分のベビードール姿を鏡に映して「恥ずかしいけど、可愛い!」と思った。
 
しばらくその姿を鑑賞してから、ベッドに潜り込む。
 
ドキドキ。
 
していいよね?
 
などと自分に言い訳するようにしてから、女の子だけにある器官を指でいじる。
 
気持ちいい!!
 
この気持ち良さを味わうと、もう男の子には戻りたくないような気持ちにさえなる。
 
公世は極上の快楽を感じて、そのまま深い眠りに落ちていった。
 

翌日は結局ベビードールのまま朝御飯を食べたが、その後、スポーツブラを着けた上で“普通の”白い!道着と袴に着替えた。千里も白い道着と袴に着替える。
 
それで10時頃、越智さんが来る。
 
「ああ、今日は工藤さんも来たのね」
 
「夏には本当にご指導ありがとうございました。お陰で敢闘賞を取れました」
と公世もあらためてお礼を言った。
 
それで越智さんは2人に稽古を付けてくれた。
 
(つまり公世は今日は女の子の身体で稽古をした!)
 
「村山さんは見る度に成長してるけど、工藤さんも夏に比べてかなり成長したね」
と褒めてもらった。
 
「毎日5kmのジョギングと腕立て伏せ100回してるからかも」
「そうそう。そういう基礎トレーニングが大事なんだよ」
 
公世も越智さんとの稽古では色々細かい点を指摘されるので、物凄く参考になる。越智さんの指導も定期的に受けたいなあと思った。
 

お昼をみんなで一緒に食べてから越智さんは帰っていく。千里はお祖母ちゃんの家に行くから夕方落ち合おうと言って離脱する。それで公世はきーちゃんと2人になる。
 
「公世ちゃん、もうずっと女の子のままでいいという気持ちになってない?」
「すみません。男の子に戻して下さい」
「女の子の身体のほうが気持ちいいのに」
とは言ったものの、きーちゃんは公世をNp.3の部屋で眠らせると、男の娘への性転換を掛けた。
 
夕方、瑞江が千里と一緒に車で迎えに来てくれたが
「せっかくだから、女の子の服で留萌まで帰りなよ」
と言われ、凄くうまく乗せられたので、つい同意して、可愛いワンピースを着たまま、彼女の車に乗った。
 
瑞江はそのまま留萌の工藤家まで送ってくれた。公世が可愛い格好で帰宅したので、母や姉からは
「きみよも、ようやく女の子としての自覚が出てきたみたいね」
などと言われた。
 

2004年12月14日(火).
 
千里たちが6時間目の授業を受けていた14:56.
 
突然の揺れが襲った。
 
「皆さん落ち着いて!」
と先生の声が飛ぶ。
 
「机の下に入って頭を守りましょう」
と先生が言うので、全員床に座り込むようにして机の下に入る。
 
色々物が倒れる音がするが、みんなその揺れが終わるのをじっと待った。
 
後にマスコミが「留萌支庁南部地震」と名付けた地震である(気象庁は命名していない)。震源地は留萌支庁南部(小平町大椴付近)の深さ8.6km. M6.1 であった。各地の震度は、震源となった小平町で震度6弱、近隣の苫前町旭で震度5強、羽幌町南3条で震度5弱を観測している。留萌市は震度3とされているが、S中は市街地よりは震源に近いので4近く揺れたかも。
 
この地震による死者はなく、下記の軽傷者が報告された。
 
小平町5名、苫前町2名、羽幌町1名
 
震度6揺れた地震で死者が無かったのは運が良い。
 

揺れが終わるのと同時に校内放送が流れる。
 
教頭先生の声だ。
「皆さん落ち着いて行動してください。校舎はゴジラが蹴飛ばしたりしない限り崩れません。順番に校庭に避難しましょう。貴重品以外は何も持たないで。まずは1年生から。2年生・3年生はお兄さん・お姉さんだから少し待っててね。全学年同時に避難すると混雑して将棋倒しとか起きたらいけないから、順序を守りましょう」
 
ゴジラが蹴飛ばしたりしない限りというので、結構笑いが起きていた。
 
こういう時にジョークが言えるというのは凄いなと千里は思った。
 
ところが、この1年生の避難中に、再度強い揺れが来たのである(15:01の余震)。
 
廊下で順番に校庭に向かおうとしていた1年生たちから悲鳴があがるが、廊下で避難状況を見ていた教頭が
「その場にしゃがんで、手を頭に乗せて」
とすぐ大きな声で指示したので、全員すぐその姿勢を取り、何とかパニックは避けることができた。
 
2〜3年生は再度机の下に潜った。
 
この余震がやんだ所で避難を再開。15:25くらいまでには全校生徒が校庭に避難することができた。
 
各クラスのクラス委員と体育委員に全員居るかどうか確認するように指示がある。クラス委員だけでも良さそうだが、こういう時は神経がたかぶっているので数え間違いが起きやすい。それで二重にチェックさせるのである。実際人数が合わずに数え直しているクラスも結構あった、よくあるのが自分を数え落としているパターンである。15:40頃までに全員の無事が確認される。この後、原則として保護者に迎えに来てもらって下校ということになった。
 
その時点で既に学校まで来ている保護者も多かったので、順次名簿に誰に引き渡したかチェックしながら引き渡していく。
 
千里の母は最初に小学校に行って玲羅を引き取り、その後、中学に来た。千里はチラッと留実子を見た。
 
「先生。花和さんの御両親は昼間は動けないと思います。私と一緒に下校にさせて下さい」
「ああ、近所だったっけ?」
「はい、すぐ近くです」
 
それで母に留実子も一緒に引き取ってもらうことにして、引き渡し名簿の留実子の所にも母にサインしてもらい、一緒に帰宅した。留実子の母にはメールをしておいた。
 
「ありがとね」
「いつものこと、いつものこと」
 

この日は部活も休止となった(翌日今週いっぱい休みと通知)。
 
またP神社での勉強会も中止にすることを蓮菜と花絵さんの電話連絡で決定し、花絵さんが参加者全員にメールを送って通知した。メールで連絡の取れない子も、だいたい常識で考えて休みだろうと判断したようであった。あらためて翌日「今週いっぱいは休み」というのを各学校の校内で伝達した。
 
余震はこの日の夕方17:54, 深夜の2:29にも発生。翌日(12/15 Wed) は通常通り授業は行われはしたものの、余震の不安を抱きながらの授業となった。この日は休んでいる子も結構いた(15日は休んでも欠席にしない処置)。
 

S中はまだ町の中心部に近いので、比較的被害が少なく、せいぜい花瓶が倒れて割れたりした程度だったのだが、市の北部で震源に近い、C町ではボロ家の壁が崩れたものなどもあった。P神社も結構片づけが大変だったらしいが、おキツネさんたちが頑張って片づけてくれた。
 
千里の家では不安定な置き方をされていた茶碗などが落ちて割れる被害があったものの、母と千里・玲羅の3人で何とか当日の内に片づけることができた。小春の家はそもそも大して物が無いので、小春とコリンの2人で何とか片づけた。W町のGとVの家、病院跡、は留萌市街地の西部、また天野道場は、留萌市街地の東部にあり、いづれも震源から遠いので、ほとんど被害は出なかった。早川ラボは、わりと震源に近いが、たまたま来ていた朱雀によれば結構揺れたものの、新しい建物なのだし、基本的に物が無いので、被害も無かったらしい。
 
千里の父の船は火曜日地震の直後に操業を打ち切り、その日の深夜帰港した。それで母は真夜中に車で迎えに行ったが、帰宅するなり2:29の余震が来たので、思わず悲鳴をあげた。翌日朝は父が寝ていたので、千里は堂々とセーラー服で家を出たものの、帰りは小春の家で体操服に着替えてから帰宅。玲羅が呆れたような顔をしていた。
 

12月19日(日).
 
沙苗が、“天野道場”での練習を終えた後、今日はまだ時間の余裕があるからバスで帰ろうと思い、市街地の方へ歩いて行っていたら、Q大神に呼び止められた。
 
「沙苗、お前の身体を少しメンテしてあげるから、いらっしゃい」
「はい」
 
それで沙苗は、Q大神に連れられて、Q神社の深部に入り、言われるままに横になった。
 
「お前の女性器を1年分くらい進化させてあげるよ」
「ありがとうございます」
 
沙苗はそれで眠ってしまった。起きた時は、自宅で寝ていた。
 

12月21日(火).
 
この日の昼休みの放送室担当は千里だった。千里は
 
「本当に悲しいできごとでしたが、ワンティスの高岡猛獅さん・長野夕香さんが亡くなってから、もうすぐ1年になります」
 
と言って、発売がずっと延期になっている、ワンティスのアルバム『ワンザナドゥ』の音源を再度流した。
 
校内の反響は大きかった。
 
(千里も先生や生徒たちも物凄く貴重な音源を流している/聴いているという意識が全く無い!)
 

12月22日(水).
 
沙苗は母と一緒に札幌に行き、S医大で診察を受けた。
 
沙苗の身体は10月末の検診と11月末検診の間で、女性器が急成長するという変化があったのだが、今月の検診では11月の検診の時より更に女性器は成長していた。
 
「先月ほどの急成長ではないけど、先月より明らかに育っているね」
「やはり内面の女性化が進行しているんですね」
「どうもそんな感じだね」
 
今後毎回MRIを撮って、状況を把握することにした。
 

12月22日(水).
 
天皇誕生日の祝日の前日(平日)、留萌市のクリスマスイベントが市民体育館で行われる。今年もS中合唱同好会がこれに参加する。
 
さて、このイベントは毎年恒例にはなっているものの、そんなに人が来るイベントではなく、あまりにも観客席に人が少ないのは寂しいというので、漁協や農協の関係者、あるいは近くの中学校の生徒などが動員されて客席に座っていたりする。それでも客席が半分も埋まるかどうかというのが例年である。
 
しかしこの年は違っていたのである。
 
合唱同好会のメンバーが学校が終わった後、バスで市民体育館まで行くと、体育館前に長蛇の列ができている!
 
そしてその列の管理をしているスタッフがたくさん居る!
 
「何の騒ぎ?」
と言いながら、千里たちは会場入口まで行く。そして入口の所で
 
「済みません。行列の最後に並んで下さい」
と言われる。
 
「私たち出演者です」
と言って、藤井先生が身分証明書を見せて、やっと中に入れてもらった。
 
そして普段は、出演まで1階の客席に座っているのだが、この年は
「すみません。出演者の方は、出番まで2階席で待機して下さい」
と言われた。
 
プログラムを見て驚きの声があがる。
 
17:25 F幼稚園
17:35 お元気会集団演技
17:45 N小学校合唱サークル
18:00 松原珠妃オンステージ(1)
18:30 V小学校吹奏楽部
18:50 S中合唱同好会
19:05 S高校チア部
19:20 Herring & seagull
19:40 留萌商工会女声合唱団
19:55 クリスマスツリー点灯式
20:00 松原珠妃オンステージ(2)
 
「松原珠妃?」
「あの『黒潮』の?」
「まさか」
「あんな大歌手がこんな田舎に来る訳無い」
「きっと同じ名前の別の歌手だよ」
「去年も矢野顕子と聞いてびっくりしたら別の矢野秋子だったし」
などと合唱同好会のメンバーは言っていた。
 

しかし千里たちが2階席から見ていたら、本当に松原珠妃・本人が登場するので
「うっそー!?」
という声があがる。
 
「本物だ」
「いや、そっくりさんかも」
などという声。
 
しかし松原珠妃は笑顔でステージに登場すると、『黒潮 (Hawaian version)』、『ハワイアン・ラブソング』『17歳』『夏少女』、そして新曲『ドテ焼きロック』の5曲を熱唱した。この『ドテ焼きロック』がとてもコミカルな歌詞で、会場全体が異様に盛り上がった。
 
「私、お好み焼き食べたくなった」
「たこ焼きでもいいけど」
という声があがる。
 
実はこの曲の1番と2番の間、2番と3番の間に「タコヤキ・タマゴヤキ、オコノミヤキ・イカヤキ、タイ焼き・回転焼き、ホットケーキ・クレープ」という“こなもん連呼”が入っていたのである。
 
ちなみに“イカ焼き”というので、千里たちは、イカを1匹丸ごと串に刺し、タレを付けて焼いたものを想像したのだが、この歌詞に出てくるイカ焼きというのは関西で見られる“粉もん”であり、お好み焼きに似た食べ物である。半円形や長方形に畳んで食品パックに入れたりして屋台などで売られている。
 
また“タマゴヤキ”というのも、たこ焼きに似た料理(熊谷真菜は『たこやき』の中で、これがたこ焼きのルーツではと推察している)で、関西以外では“明石焼き”と呼ばれているものである。これも千里たちは、卵を焼きながらくるくる巻いた方を想像している。
 

裏事情を言うと、こういうことであった。
 
2003年はデビュー曲『黒潮』で日本の歌謡史に残る特大セールスをあげた松原珠妃も、2作目の『哀しい峠』は全く売れず、業界では「一発屋だったな」という見方が支配的になっていた。それでこの年末年始、珠妃はほとんどスケジュールが入っていなかったのである。ただ12月24-25日は、『黒潮・ハワイアン・バージョン』を出した縁で、スパリゾートハワイアンズでライブをする予定になっている。しかしそれ以外では、ライブとかテレビ出演とか、あるいはディナーショーなどの予定も全く無かった。
そんな折、たまたま留萌市長が予算の陳情などもあり、東京に出張していて、広告代理店の人と話していた時にその話題が出たのである。
 
「うちも町の振興のためには大規模なイベントとかやって人を呼びたいけど、大きなイベントやるにはお金もかかるから大変ですよ」
 
「大きなイベントをやる場合も、やはりコアになるものが必要でしょうね。地方の自治体さんのイベントを見ていると、地元の老人会の踊りとか、幼稚園児の合奏とかそういのうが続いて、それもそれなりに良いのですが集客力はありません。よその町からでも見に行ってみようかなと思うような目玉が無いと厳しいですね」
 
「そうですねえ。うちも年末のクリスマスのイベントでは、演歌歌手とかアイドルとか呼んでるんですが」
 
「どういう人を呼びました?」
「去年が矢野秋子」
「シンガーソングライターの矢野顕子ですか?」
「いえ。マリンシスタというアイドルグループのメンバーなのですが」
「ああ、そちらですか」
「一昨年とその前が色鉛筆の広中恵美、その前が演歌歌手の稲原越子」
「全く集客力ありませんね」
と広告代理店の人はハッキリ言う。
 
「やはりこのクラスじゃダメですか」
「もう少し名前の通っている人が使えるといいんですけどね」
「例えば松原珠妃みたいな?」
と市長は言った。
 
すると広告代理店の人は何か考えている。
「彼女は日程次第では取れますよ」
「え〜〜〜!?でもギャラが高いですよね?」
「交通費宿泊費別で50万とかではどうです?」
「そんなに安くていいんですか?」
「今月まではこの予算で行けます。多分1月か2月になったら1桁上になります」
 
この代理店の人は松原珠妃の次のシングルがヒットしそうという裏情報を得ていたのである。
 
「出します!」
「何日が都合がいいですか?」
「12月の下旬ならいつでも」
 
ということで、平日ではあるが、12月22日に松原珠妃が留萌に来ることになったのであった。
 
彼女は12月23日には、一部のファンからの熱心なお誘いで、札幌でライブをすることになっていた。それでそのついでに前日の22日に留萌に来てくれることになった。
 

この日は市民体育館は満杯。会場に入りきれない客が出たため、整理券を配って入れ替え制を実施!1回目のライブを観られなかった人が2回目で観られるようにした。それでも入りきれない人たちには「良かったら明日の札幌ライブを」と案内した。
 
結果的にチケットがたくさん余っていた翌日の札幌ライブのチケットが当日券でソールドアウト。札幌の会場は(なにせファンのボランティアによる運営だったので)整理のスタッフなども用意していなかったのをレコード会社がイベンターさんに無理をお願いして人を手配し、並んでいる人の整理作業に当たってもらった。
 
留萌市側は、松原珠妃のような大物歌手に来て頂くのに万が一にも閑散とした会場にしてはいけないというので、大都市・旭川のミニコミ誌に広告を出したり、そちらの地域ケーブルテレビでもCMを流してもらったりし、バス会社と交渉して、当日は旭川からの臨時バスまで運行してもらったりしている。また来場者全員に留萌の海産物(洋菓子と交換可能)のお土産付きである!(珠妃のギャラ以上に費用が掛かっている気がする)それでこの日は旭川からやってきた客が多かった。
 
かえって地元の留萌では当日までほとんど知られていなかった!
(市のホームページに掲載しただけ)
 
車で来た人のために、急遽ジャスコと交渉して、そちらの駐車場を使ってもらえるようにし、ジャスコとの間にシャトルバスを運行した。
 
しかしこのライブは2回とも満員御礼になり、翌日の札幌ライブも旭川組が札幌に押し寄せて盛り上がった。そして、12/24-25のスパリゾートハワイアンズでのイベントも大盛況となる。これらの反響を受けて、年末に福島と北海道のローカル局が共同で、急遽、珠妃のスタジオ1時間ライブを制作して放送することになり、年明け以降の珠妃復活の先駆けとなっていく。
 
留萌はこの復活劇のスタート地点になったので、珠妃はずっと後になってもあの日留萌での2回のミニライブは忘れられないと語る。
 
ちなみにこの時期『ドテ焼きロック』の歌詞や構成は、作詞作曲者・蔵田孝治の気まぐれで頻繁に変わっている。それで、『ドテ焼きロック』留萌バージョン、札幌バージョン、常磐バージョン、年末スタジオライブ・バージョンは全て微妙に歌詞等が異なっていたらしい。この歌はお正月の特別番組に突発出演した時にも歌っているが、それは「蔵田先生のご指示で札幌バージョンで歌ったと思う」と珠妃は言う(最も歌詞の品が良かった:恐らく本当に指示したのは加藤主任!)。この曲は最終的には『鯛焼きガール』と改題されて2月に発売され80万枚のセールスをあげることになる。
 

千里はずっと2階席からイベントを見ていたのだが、トイレに行きたくなったので行ってくる。トイレ近くで、歩き方に特徴のある男性とすれ違いそうになった。
 
「あれ?四つ子の貞子の子だ」
と男性が言った。
 
“この千里”は何のことやらさっぱり分からないのでぽかーんとしている。
 
男性の方が戸惑って、
「えっと、君、大中愛子ちゃんとかじゃなかったっけ?」
と尋ねた。
「大中愛子は私の従姉です。私は村山千里です」
「従姉妹だったのか!君たちよく似てるね」
「はい。並んでるとよく双子と思われるんですよ」
 
「ちなみにぼくのこと分かる?」
 
千里は考えた。
「水泳の北島康介選手?」
 
蔵田孝治は大笑いして
「従姉妹さんともどもいいセンスしてるよ」
と言って、千里の肩を数回叩く。
 
千里は実際は誰だっけ?と考えたものの分からなかったので、いいことにした!
 
「でも君も髪長いね」
「はい。るろうに剣心の緋村剣心を演じるために髪を伸ばしました」
「貞子よりはいいかも」
「貞子って?」
「リングって映画に出てくるキャラだけど知らない?」
「知りません」
「でも緋村剣心なら剣を扱えなきゃ」
「私、剣道初段ですよ」
「へー!」
と言ってから、男性は言った。
 
「君、試斬りとかできる?」
「藁の試斬りはしたことあります。人間の試斬りはしたことはないです。お望みなら、北島さんの身体を4つくらいに分割してもいいですけど。4つに分れたら4倍の速度で泳げるかもですよ」
「それは遠慮しとくわ。試斬の藁とかすぐ準備できる?」
 
千里は後ろに気配をやる。
「できます」
 
「それやってくんない?」
「いいですよ」
「じゃちょっとこっち来て」
 

それでこの日2度目の松原珠妃のステージの前に、緋村剣心のコスプレをした千里が登場。<こうちゃん>に用意させた巻藁をスタッフさんに立ててもらい、千里は“関の孫六”を使用して、これを4ヶ所で斬った。
 
歓声があがる。
 
それで退場しようとしたら、刀を持った<こうちゃん>が登場する。どうも斎藤一のコスプレ(のつもり)のようだ。
 
「寸止めで」
などと言っている。
「いいよ」
 
それで2人は剣を抜いて向かい合う。<こうちゃん>が斬りかかってくる。
 
待て?こいつ本気じゃないのか?
 
千里は反射的にその刀を自分の刀で受け止めると跳ね上げ、刀を彼の首筋にピタリと寸止めした。
 
つもりだったけど、ちょっと切れた!
 
しかし観客からは凄い拍手があった。
 
松原珠妃が登場する。
 
千里たちは退場し、スタッフが藁を片づけた。
 
珠妃は予定に無かった曲『HEART OF SWORD 〜夜明け前〜』を歌う。アニメ『るろうに剣心』の曲(T.M.Revolution)である。
 
歌い終えてから
「格好よかったですねー」
と言う。少しトークしてから、その後は第1部と同じ構成で歌を歌った。
 
この日、蔵田孝治は『美少女剣士・にしん伝説』という曲を書き、この曲は『鯛焼きガール』(『ドテ焼きロック』から改題)のカップリング曲として収録されることになる。
 
「にしんを名刀・月光で4つに斬ったら、4倍速で逃げてった」などという歌詞が入っている。千里との会話からインスパイアされたものである。なおサビの歌詞で「にしん、にしん」という所が「にんしん、にんしん」に聞こえると言われた。さすが蔵田である。この曲は例によってピコ(冬子)が“清書”したので、実は千里と冬子の初の合作であった。
 

12月24日(金).
 
天皇誕生日の翌日・クリスマスイブ。S中では終業式が行われ、学校は1ヶ月弱の冬休みに突入した。
 
年末年始になるので、神社は忙しい。P神社では、千里や蓮菜をはじめ、普段この神社に集まっている中学生たちが巫女衣装を着て、祈祷や販売のお手伝いに忙しくしていた。昇殿して祈祷する人も多いので、恵香・千里・小町の3人で交替で笛を吹いていた。
 
Q神社の方は主として高校生のバイトさんを入れてやはり祈祷や販売のお手伝いをしてもらっている。笛は、京子・映子・千里の3人で主として回したが、手が足りなくなり、循子もかなり吹いた。なおここに出て来ている“千里”はむろん星子の代理である。
 

冬休みに突入するので“早川ラボ”を開けることにした。
 
C町の通常の道路から早川ラボ方面に行く町道は冬季は除雪しないので通行不能になっている。しかし千里の眷属たちは除雪車を持ち込んで12月22日から2日がかりで除雪を行い、車が通れるようにしてくれた。
 
道路からラボへ入る細い道路もカムフラージュの樹木を取り外し、除雪もして通れるようにした。雪の壁の中を通過してラボまで行く感じである。
 
排水路が凍結してしまうので、昼間だけでも流れるように(勝手に!)ラボから川に至る水路に電熱線を張り、雪防止のためふたまでかぶせたようである。この工事はどうも10月の内にやっていたようだ。電熱線は、取り付け道路と駐車場にも埋め込んでいる(でないと夕方帰ろうとして脱出できなくなる危険がある)。なおトイレの汲み取りは9月に一度やってもらっているので、この後は春まで大丈夫のはず(北海道東北の便槽はだいたい半年程度もつ容量がある)。
 
「千里さん、今月に入ってから、ヒグマ2頭、エゾシカ1頭を捕獲して、お肉はこの雪の天然冷蔵庫に埋めてますから、練習期間中の食料には困りませんよ」
などと九重は言っていた!
 
「それは素晴らしい。冬ならではだね」
 
どうもここの“害獣防止壁”には毎月2〜3頭の害獣(ヒグマ・エゾシカ)が掛かり、眷属たちはその度に焼き肉パーティーをしていた様子である。お肉の地下貯蔵庫までできていた。秋の間は太陽光パネルが生み出す電気で冷蔵していたようだが、冬になると、通電しなくても天然の冷蔵庫になったようだ。捕獲したまままだ解体してない獣は雪にそのまま埋めていたようである。
 
「いっそ、このあたりでヒグマの養殖をするとかはダメですかね」
「それは人間の被害が出る恐れがあるからやめよう」
と千里は言っておいた。
 
しかしこの九重の思いつきは違う形で1年ほど後から起動することになる。
 

12月25日に冬休みの集中練習参加組が集合した。
 
玖美子と柔良は学習塾の合宿に参加するということで、どちらも札幌に行ったらしい。
 
残りは、千里・公世・弓枝・沙苗・清香だが、これに今回は如月とR中の田詩歌(*31)も参加した。恐らく、千里たちの世代が卒業した後は、彼女たちが中核になる。
 
(*31) 中国名:田詩麗(ティエン・シーリー)だったが、一家丸ごと日本への帰化が認められたので、以降、日本名:田詩歌(でん・しいか)を名乗ることになった。彼女はこれまで国籍は台湾だったが、小学1年生からずっと日本の学校に通っていたので、日本人と同じとみなされ、大会参加資格があった。
 

「なんか凄い所に練習場所がありますね」
「集団行動を守ってね。ひとりでラボの外に行って、ヒグマに食われても責任持てないからね」
「分かりました!」
 
「でも全員女子だと、気楽ですね」
などと新入りの詩歌が言っている。
「そそ。裸で歩き回っても平気だし」
と清香。
 
練習メニューは夏と同様に、朝海岸に集合して、5kmのジョギングをした後、保護者の車に分乗して、早川ラボに移動し、夕方までである。この時期は留萌の日没は16時くらいなので、16時終了ということにしている。朝は日出が7時頃なので、朝8時集合ということにした。ジョギングをしてラボに入るのが9時頃で、休憩をはさみながら7時間、実質は5時間くらいの練習である。
 
なお冬なので、床暖房(オンドル!)が入っている。おがげで、足袋で練習していても冷たくなかったし、部屋全体も暖かく、汗をけっこう掻いた。むろん、どんどん水分補給をしていた。練習疲れで仮眠している子もいたが床が暖かく快眠できたようだ。
 
お昼は連日、熊肉パーティー・鹿肉パーティーで、みんなもりもり食べていた。
「熊肉美味しい」
「熊肉は美容にも良いらしいよ」
「それはたくさん食べなきゃ」
 
清香はまたシャワーを浴びた後、裸で素振りをしていて、おっぱいの揺れ具合を(柔良が居ないので)詩歌にチェックさせていた。
 

千里の父たちの船は12月23日の祝日も休まず、24日のお昼まで操業して、24日(金)の夕方帰港した。この後、1月3日まで休み、4日(火)から出港である。
 
今年は正月休みが短いが、最近漁の成績が良くないので、少しでも多く操業しようということになったようだ。父たちの船は今年も24日の帰港の時に大漁旗を立てていなかった。ほんとに漁獲量が減っているようである。
 
12月25日から1月3日までは父が自宅に居るので(何日かは福居さんの所や岸本さんの所などに出掛けて飲んでいたらしい)、玲羅は父と話すのを嫌がってずっとP神社に出ていた。それで、恵香にこれ幸いと雑用で使われていた。昇殿祈祷の笛も何度か吹き
 
「これで千里が高校進学で留萌を出た後も安心だな」
と花絵さんから言われていた。
 

12月24日の夜中、富山県内の急カーブの多い道で、1台のセダンがカーブを曲がりきれずに街路樹に激突。車は大破。乗っていた7人!?は車外に投げ出されるという事故があった。
 
偶然にも事故直後にパトカーが通り掛かり、すぐに119番通報した。
 
「お巡りさん」
と中でも特に酷い怪我をしている青年が警官に声を掛けた。
 
「俺助からないよね」
「そんなことない。すぐ救急車が来るから、それまで頑張ってなさい」
「さすがに俺ダメだと思うんだ。だから死ぬ前にお巡りさんに聴いて欲しいことがある」
「なんだね」
と言って、警官は録音機を作動させた。
 
「俺さ、1年前の12月26日の夜、友だち何人かと中央道を走っててさ」
「うん」
「駒ヶ岳SAで休んでたら、すっごいポルシェが停まってるのに気付いて」
「うん」
 
「これすげーなー、とか何人かで集まって見てたんですよ」
「うん」
「で、誰も乗ってないみたいだったから、誰からともなく運転してみない?という声があがって。それで俺が運転席に乗って、友だちの女の子が助手席に乗って、車を出しちゃったんですよ」
「勝手にか?」
 
「すぐ先の恵那峡SAまで運転して放置すればいいと思ったんですよ。それで2人で乗って運転して駒ヶ岳SAを出たんですよね。さっすがポルシェで凄い速度が出て、その内直線の長い下り坂があるから、調子に乗ってアクセル踏んでスピードは250kmを越えて。あれはほんとに別世界だった。でもふと後ろを見た助手席の女が『ちょっとこの車、後部座席に人が乗ってる』と言って」
「うん」
「俺、全然気付かなくて。空っぽの車だとばかり思ってたんですよね。だけど人が乗ってたら、これ誘拐罪になるんじゃない?とか女が言って」
「うん」
 
青年はかなり苦しそうだが、おそらく罪の意識がこの告白を頑張ってさせているのだろう。
 
「そんなこと言われて焦ってしまって。そんな時、突然目の前にカーブが現れて。なんかほんとに突然カーブが出現した感じだったんですよ」
「うん」
 
250km/hで走ってて、しかも深夜ならカーブはまさに突然出現するだろうなとは思ったが、警官は余計なコメントはしないほうがいいと思って何も言わなかった。
 
「それで俺曲がりきれなくて、ステアリング切ったけど、車がスピンして。俺も女も投げ出されたけど、偶然にも中央分離帯に乗って。俺と女は助かったんですよ。でも後部座席に乗ってた人は路面に叩き付けられたみたいで。身体揺すってみたけど反応無かったです」
 
「それでどうしたの?」
 
「人を殺してしまったという意識でもうパニックになってしまって。でもそこに後続の友だちの車が来たから手を振って停めて。それで友だちが、取り敢えず三角表示板立てて、遺体が車道にあったのを、みんなで路側帯に寄せて、それでそのまま逃げました」
 
「通報しなかったのか」
「通報したら捕まると思ったから」
「車は燃えてた?」
「いえ。特に燃えたりはしてなかったです」
 
警官は一緒に乗っていた女友だちや事故処理?を手伝った友人たちのことを聞こうとしたものの、いつも適当に集まって適当に遊んでるからお互いの名前や連絡先も知らないと言っていた。同乗した女とはその晩セックスしたけど、その前にも後にも会ったことがないと言っていた。
 

警官は東京の警視庁捜査一課、特捜係まで出張してきて、この内容を文章に起こした調書とその時の録音を担当刑事に提出した。ここは未解決事件のフォローをしている部署である。
 
「結局青年は救急車が到着する前に息を引き取りました」
と富山県警の巡査は、警視庁の刑事(警部補)に報告した。
 
「他の6人は軽傷だったのに、この青年だけがこの程度の事故ではあり得ないほどの酷い重傷でちょっと不思議だったんですけどね」
と巡査は付け加えた。
 
「この事件、事故処理をしている最中に、青年が告白したのは、例の高岡猛獅さんたちの事故なのではと気がついて」
 
「状況が一致してるよね。引き続きこの件は捜査を継続しているから、大いに事件の全容解明に寄与すると思うよ」
と刑事は言った。
 
「青年の最後の告白が役に立てば何よりです」
「うん。ありがとう。わざわざ富山からお疲れ様」
と刑事は巡査の労をねぎらった。
 

巡査が帰ってから、刑事は呟いた。
 
「結局誰かが、高岡・長野の車を運転して事故現場近くまで行った。ところがこの車が乗り逃げに遭った。そして乗り逃げした運転技術の未熟なドライバーが事故を起こして、2人は死亡した。これで事件は全て合理的に説明できる。魔法とか呪いとか考えなくてもいい」
 
取り敢えず小登愛死亡の件は置いておく!!
 
刑事は大きく手を上にやって伸びをすると付け加えた。
 
「ただ、困ったことは、この車を勝手に運転して事故りました、という告白がこれでもう3件目だということだよ(まだ増えたりして)。3件とも、事故死した青年(男2女1)の最後の告白で、追聴取が不可能というのがね〜」
 
似たような証言が3つある場合「どれかが真実です」などという主張は裁判では通らないので、何か傍証などが無い限り、結果的にどの証言も採用できないことになってしまう。つまり1は1だが、2や3は0に等しい。
 
告白した3人が全員「事故の規模からはあり得ないほどの重傷だった」という報告があったことも取り敢えず気にしないことにする!
 

刑事は再度椅子に座るとしばらく考えていた。
 
「恐らくは、八王子から事故現場近くの駒ヶ岳SAあるいは座光寺PAまでは、誰か高岡さんか長野さんの知人で信頼できる人が運転したんじゃないのかなあ。事務所関係者にはひととおり事情聴取してるし、音楽外の友人か親戚かもしれん」
 
刑事の頭には、夕香の妹の支香、元バンド仲間の崎守英二、また高岡猛獅の親戚の高岡亀浩(白河夜船)などの顔が思い浮かぶ。
 
「ところが休憩している内に車を乗り逃げされた。そこまで運転してきた人物は自分が事故を起こしたと疑われることを恐れて黙っているのではなかろうか」
 
現場から公共交通機関を使って大阪に行くと昼頃の到着になる。だから乗り逃げされた人物は翌朝までに大阪には到達できなかったはずだ。つまり翌朝大阪に居た事務所関係者・レコード会社関係者、また東京に残っていた関係者も除外される。それを考えると、マニュアル車の運転ができて当日の行動が不明(本人は昼まで寝ていたと言っている)の亀浩は結構怪しい気がする。
 
でも決め手が無い。
 
コーヒーを入れて一杯飲む。
 
「結局、憶測では報告書にならん」
 
と、ひとこと言う
 
「事件からとうとう今日で一年か」
と刑事は呟いた。
 

12月24日(金)夕方。
 
クリスマスなので、真広と“桂花”(けいか)は待ち合わせしてデートをした。札幌駅前で待ち合わせ、“女2人”で楽しくクリスマス・ディナーを味わい、レンタカーで借りたカローラでドライブを楽しんだ。
 
車は初めてのデートではBMW E46 Cabriolet を使ったのだが
「レンタカー代にお金掛けるより他に使おうよ」
という真広の提案で、2度目のデート以降、安く借りられるし運転もしやすいカローラとかスターレットとかを使っている。
 
21時頃、海の見えるレストランで軽いお夜食?を食べた後、小樽郊外の予約していたホテルの駐車場に車を駐める。チェックインしてお部屋に入る。今日は女2人の名義で予約していたのでツインの部屋だが、ふたりで協力してベッドをくっつけた。
 
「これダブルベッドより広い。お得だね」
「ダブルベッドって狭いからいいんじゃないの?」
「あ、そういうことか!」
 
交替でお風呂に入ってから、ベッドに入る。
 
「今日はどちらが女の子になる?じゃんけん?」
「じゃんけんだと、まぁちゃんが必ず勝つじゃん!」
 
実はこれまで真広の5勝0敗なのである!
 
つまり真広のヴァギナを使って2人がセックスしたのは最初のデートの時だけ!!
 
「まあそうだけどね」
「携帯のストップウォッチを作動させて、好きな所で停める。偶数だったら、まあちゃんが女の子、奇数だったら、ぼくが女の子というのではどう?」
「いいよ」
 
それで“桂花”がストップウォッチを作動させる。
 
真広がストップ!と言い、“桂花”が停める。
 
12.5秒である。
 
「けいちゃんが女の子と決定」
 
“桂花”は溜息をついている。
 
「女の子の役がしたい癖に」
と真広は言って、
「さあ、お嬢ちゃん、ぼくにお股を開きなさい」
と“桂花”に命じた。
 
「優しくしてね」
「大丈夫だよ。いつものように気持ち良く逝かせてあげるから」
と言い、真広はバッグから取り出した器具に楽しそうに避妊具を取り付けた。
 
「いい声で鳴けたら、ご褒美のクリスマスプレゼントで女性ホルモン注射もしてあげるね」
 
「待って、それは。まだ男を辞めたくない」
「女の子になりたい癖に」
 
なお、念のため桂助は11月下旬以降、毎週金曜日に精液の冷凍を作ったので現在、冷凍精液が4本できている。4本目の冷凍精液ができた時、真広は彼に「これでいつでも性転換できるね」と言い、彼もドキドキした顔をしていた。
 

12月26日(日)は佐藤小登愛の一周忌であった。
 
小樽の佐藤家では、お坊さんを呼んでお経をあげてもらった。法事はほぼ家族だけでおこなった。夏の初盆には従姉で帯広に住む音香が来てくれたのだが、彼女は妊娠中ということで、移動を避け、お花代だけ送って来てくれた。
 
「音香ちゃんは赤ちゃんできるのか。うちの小登愛もあのまま結婚していてくれたら、今頃は孫の話ができてたかも知れないのに」
などと、最近ようやく普通の生活ができるようになった母親が悔やんでいた。
 
「あれはお姑さんが酷かったみたいだからね」
と長男の理武は言う。
 
「我慢が足りないのよ」
などと母はまだ文句を言っていた。母の考えでは、女は嫁いだ家の習慣を覚えるため、何を言われてもそれに従うべきだということらしい。(でも父の両親は日高町に住んでいるから、母は“姑との同居”を経験していない)
 
玲央美(中2)はそんな母の言葉を聞いていて、私は高校は絶対札幌に出ようと思っていた。
 
この母の傍に居たくない!
 
姉の亜梨恵が高校を出たら札幌に出てしまったのも同じ理由だろう。母は地元・小樽で就職させたかったようだが。
 

12月27日(月)は高岡猛獅・長野夕香の一周忌であった。
 
関係者がみんなミュージシャンで日曜より平日の方が動きやすいため、そのまま月曜日に都内の斎場で、合同の一周忌法要をおこなった。
 
これに出席したのは下記である。
 
ワンティス関係
上島雷太・雨宮三森・海原重観・三宅行来・下川圭次・水上信次・山根次郎・長野支香・本坂伸輔
 
事務所関係
左座浪源太郎・鮫島知加子
 
親族関係
高岡亀浩・槇子、高岡越春・尚子
長野松枝
 
亀浩の妻・槇子はライブハウス“ムー”のオーナーの娘で、彼女は父の名代も兼ねて出席した。この時期、ムーにはまだ浜梨紘子(恵真の母)も務めているが(恵真の)妊娠で産休中である。恵真は2005,2.25の生まれ。
 
レコード会社からは誰も来なかった。加藤銀河は出席したかったが、担当者(太荷馬武)を差し置いて出る訳にもいかないので遠慮した。
 
志水夫妻は龍虎を連れて斎場の前まで行き、外で合掌してから帰った。その姿には左座浪だけが気付いた。英世は志水英世・照絵名義と、高岡龍虎名義でお布施を事務所宛に送ってきていたので、お返しだけしておいた。
 

前日の12月26日に、◇◇テレビがワンティスの特集をして、ワンティスのシングル曲のPVをまとめて一挙放送したら、かなりの視聴率となった。
 
上島・雨宮・海原をスタジオに呼び(3人とも喪服)、保坂早穂(やはり喪服)がインタビューをしていた。
 
その保坂早穂がワンティスと一緒に演奏した『空っぽのバレンタイン』の映像も流れたが、この反響も大きかった。
 

千里Vは旭川に出て天子・瑞江と一緒に年末の買物をし、鏡餅を飾って、1日がかりでおせちを作った。(昨年はGが作った)
 
村山家の鏡餅は、同じ28日に千里Yが小春に頼み、買ってきた。ついでに、数の子、かまぼこ・伊達巻き、お餅、またお正月っぽい料理なども買ってきてもらった。
 
29日の朝、武矢はみんなに「みんなで一緒に温泉に泊まりがけで行かないか」と言ったが、母は「私は明日まで仕事」、千里と玲羅は「神社が忙しいから出てる」と言って、全員に振られた。
 
結局、福居さんを誘って、市内の温泉に行ったようである。
 

母は12月30日のお昼過ぎまで仕事をして、仕事納めをして14時頃に解放された。それで町でケーキを4個買って来たが、家には誰も居ない。
 
千里が16時半頃帰ってきて「あ、ケーキ食べる」というので、母と千里の2人で1個ずつ食べた。その後千里は「疲れたから寝る」と言って眠ってしまった。武矢は温泉から17時頃に帰ってきたが「ケーキは要らん」と言って、いつもの寝場所で眠ってしまった。
 
↓村山家の各自の寝場所(再掲)

 
18時半頃、“千里”と玲羅が神社から帰ってきた。津気子は「え?」と思って奥の部屋を見ると、寝ていたはずの千里が居ない。
 
「あ、ケーキがあるの?」
と言って、2人はケーキを食べている、
 
津気子は少し悩んだものの、
「まっいっか」
と呟いた。
 
「来年はいいことあるといいね」
と千里は言っていた。
 

31日は、朝7時すぎに、千里が起きてきて、ひとりで朝御飯を食べ
「練習に行ってくるね」
と言って、出掛けていった(実は今日は天野道場に行った)。津気子はまだ寝ている。
 
8時半頃、“千里”と玲羅が起きてくる。
 
津気子はもう気にしないことにした!
 
2人は津気子と一緒に朝御飯を食べ、8時半頃
「神社に行って来ます」
と言って出かける。
 
出がけに千里が
「お母ちゃん、これ早めのお年玉」
と言って、ポチ袋をくれたので、津気子も10時には寝ている武矢を放置して、ジャスコまで車で行き、ショッピングを楽しんだ。
 

千里は13時頃“ひとりで”帰ってきて。
「今日はお昼までで切り上げた」
と言っていたが、津気子が買ってきた唐揚げを摘まむと
「美味しいね」
と言って食べていた。そのあと
「少し寝てる」
と言って、奥の部屋に行くが、寝る前に、津気子に
「これお年玉」
と言って、ポチ袋をくれた。
 
うーん・・・・・。
 
もらっとこ!
 
そして18時半頃、“千里”と玲羅が神社から戻って来て、岸本さんの所に出ていて戻って来た武矢と4人で年越しそばを食べた。
 
千里は「明日もあるから寝る〜」と言って、御飯が終わると寝てしまった。玲羅も父と話したくないので「私も寝る」と言って、奥の部屋に行ったが、どうも先日千里に買ってもらったDSでずっと遊んでいたようである。
 
結局、津気子と武矢の2人で紅白を見た後、年越しとなった。武矢は
「今日はいいよな?」
と言って、ずっとサッポロビールを飲んでいた。
 
2005年が明ける。
 
 
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【女子中学生・秋の嵐】(6)