【女子中学生・秋の嵐】(2)

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9月3日(金・のぞく・不成就日).
 
“のぞく”は“除く”で吉凶微妙な日である。あまりよくないが“井戸掘り”には吉!
 
初広は母に付き添われて、この日丸一日病院で検査を受けていた。尿を取り、血圧・体温などを測定の上で採血する。2時間待ちしてMRIを撮ってから精神科に行き、そこで心理テストのようなものを受けた。また心理療法士さんとお話をして、自分史を作った。
 
最後に婦人科!で検診を受けたが、婦人科とか掛かるの恥ずかしーと初広は思った。婦人科では最初に服を全部脱いで、全体観察をされる。その上で、身体のあちこちの寸法を測られた。更に内診!!までされたが、「女の人って、こんな検査されるの?激烈に恥ずかしー!」と思った。
 
なお、初広が自分はバージンではないと申告したので、処女用クスコではなく普通のクスコが使用された。医師はクスコで膣の内部をよくよく観察していた。
 
「これは天然のヴァギナですね。人工的に手術で造ったものではないです」
「そんな手術受けた覚えはないので」
 
内診を終え、椅子を普通の位置に戻す。
 
「でもほんとに先週までは男だったんですか?」
と婦人科医は当惑したような表情で言った。
 
「朝は確かにペニスから排尿したし、バストとかもありませんでした。でも夕方彼女とデートしてセックスしようとしたら、ペニスが無くてこういう形になっていたんです」
 
ほんの1時間ほどの間に男から女に変わっていたと言っても信用されない気がしたので、朝までは男だったということにした。
 
「途中トイレに行ったりはしてません?」
「トイレには何度か行ってますが、座ってする習慣なので気付きませんでした」
「なるほど」
 
本当は性変に気付く2時間前にも立って、おしっこしてるけどね。
 

「あなたの性染色体はXXなので、あなたは元々女性だったのだと思います」
「え〜〜〜!?」
 
(↑単にY染色体が検出できなかっただけだと思う)
 
「それにあなたは心理的にも80%くらい女性です。これまで男として生きてきてやりにくいと思っていませんでした?」
 
それはそうだろうなと思った。これまでは無理に“男をしていた”部分が大きい。
 
「他の男子とあまり話が合わなくて苦労してました」
 
「そうでしょうね。本当は女性なのだから。時々あるんですよ。本来の性とは違う性に似た形で生まれて、多いのは13-15歳くらいの頃に、自然に本来の性別の形に戻ってしまうケースで。あなたのように20歳でこういう現象が起きるのはひじょうに珍しいのですが」
 
「どうしたらいいんでしょう」
「この人は本来は女性であったのが、男と誤認されかねない形で生まれていただけであるという診断書を書きますよ。それを家庭裁判所に提出すれば性別を女性に訂正できますから。それで今後は立派な女性として生きていけますよ」
 
「でも僕が女になってしまったら女性とは結婚できなくなりますよね」
「そうですね。現在日本では同性婚を認めていないので」
「僕の恋人は僕が女であっても結婚したいと言っているんです。結婚するためには男のままでいないといけないですよね」
 
「恋人というのは女性ですか?」
「そうです。でもバイセクシャルなんです」
「なるほど」
「むしろ男より女の方が好きらしいです。だから僕が女になってくれて嬉しいとか言っています」
 

医師はしばらく考えていたが言った。
 
「では戸籍上の性別はそのままにしておいた方がいいかも知れないですね。ただ、あなたが戸籍上は男性なのに、女性的な外見であると、あちこちでトラブルが起きる可能性はありますよ」
 
「それは仕方ないです」
「ではこの人は間違い無く医学的に女性であるという診断書を書きますから、それを携帯して何かトラブルがあった場合はそれを提示して下さい」
「助かります!お願いします」
 

旭川の杉村家。
 
初広(自粛してポロシャツにジーンズのパンツ姿)が町子と一緒に病院から戻ると打ちひしがれている様子の蜂郎は
「どうだった?」
と尋ねた。
 
「この子は性染色体もXXで、元々女性だという診断だった。何かの間違いで男みたいな外見だったけど、それが本来の姿に戻っただけだって。だから赤ちゃんも産めるだろうということ」
 
「赤ちゃんも産める〜!?」
と声をあげて、蜂郎はもう立つ力も無くしたかのようだった。
 
「でもこの子の恋人の西村さんは初広が女であっても結婚したいとおっしゃってるのよ。私、一応、先方の御両親にも会ってきたけど、向こうは男嫌いのこの子がたとえ身体が女であっても戸籍上男性と結婚してくれるなら大歓迎と言って。だから向こうはこの縁談に乗り気なのよ」
 
「それどういう結婚式になる訳?」
「一応世間体で、初広にタキシード着せて、西村さんのお嬢さんがウェディングドレスを着て式を挙げようという話をしている」
 
「それでいいのか?」
「いいんじゃない?性別なんて個人的なことだし」
「でもだったら跡継ぎは?」
「真広が居るから何とかなるんじゃない?」
と町子は言った。
 
(でも数時間後、夢は打ち砕かれることになる)
 

盛岡市のある病院にて。
 
医師はその小学1年生を見た時、普通にスカートを穿いているし、可愛い顔立ちなので、女の子としか思わなかった。それで性別の検査をしてもらいたいと言われて困惑したのだが、脱がせてみると、普通女児には付いていないものが存在した。
 
「君、ペニスはあるんだね。あ、ペニスって分かる?」
「はい。ちんちんのことですよね。無ければいいのにと思うけど」
 
医師はその付近を触っていたが、あることに気付く。
「君、睾丸は?」
「コーガンって何ですか?」
「いや。キンタマというかタマタマというか」
「すみません。よく分かりません」
「えっと、ちんちんの後ろに柔らかい皮膚で出来た部分があるよね。この中に玉のようなものが入ってなかった?」
「え〜〜?そんなの知りませんけど」
(もちろんバッくれている)
 
「もしかして停留睾丸かな」
と医師は呟き、指を入れるようにしてその付近を触っていたものの、見付けることができない。
「君、MRIを撮ってもいい?」
「よく分かりませんけど、お任せします」
 
それで医師はクライアントに服を着るように言ってから、付き添いのお祖母さんと一緒にMRI室に行かせた。
 

そして2時間後。
 
「あなたには睾丸が無いようですね。そんなものを知らないというのであれば最初から無かったのかも。お祖母さんは、クライアントさんのおしめとかを替えたことがありますか?」
 
「はい。赤ちゃんの頃はよくやってました」
と60歳前後の祖母は答える。
 
「その時に睾丸があったかどうか覚えておられませんか?」
「さあ。ちんちんはありましたけど、睾丸までは記憶が」
 
「他に男の赤ん坊の育児をした経験は?」
「いえ。私は娘しか産んでないですし、この子の上も女の子なので」
 
医師は
「東京の大きな病院で精密検査を受けられたほうがいいと思いますが、睾丸欠損症である可能性と、陰核肥大である可能性と、どちらも考えられますね」
と言った。
 
「うちは貧乏なので、そんな東京とかまで行くお金が無いです」
と祖母は言った。
 
「心理テストの結果は100%女性という判定結果ですし、取り敢えず、クライアントさんには睾丸も卵巣も存在しないので、医学的には中性、そして心理的には100%女性であるという診断書を書いておきますよ」
と医師は言う。
 
すると、祖母と、もうひとり付き添っている、学校の先生は頷きあっていた。
 

札幌。
 
真広はその日。午前中しか授業が無かったので、午後からハンバーガー屋さんのバイトをした。終わってから本屋さんに寄り、数学の専門書と、女性ファッション雑誌を買った。女性ファッション雑誌って、前から買って読みたいなと思っていたものの、「男が女性ファッション雑誌買ってたら変に思われるかなあ」と恐くて買えなかった。でも女の子になったから、堂々と買えると思う。
 
アパート方面に行くバスに乗る。車内でもファッション雑誌を開けて拾い読みした。途中で乗ってきた女性客が、自分の横と、その前に座っている男性の横を見比べて自分の横に座った。自分が女性と見られていることを改めて再認識する。
 
バスを降りてから10分ほど歩き、アパートに辿り着く。階段を登って自分の部屋の前まで行く。
 
ドアの鍵を開けようとしたら、鍵が開いてる!?
 
あれ〜!?ぼく出がけに戸締まり忘れたかなあ?などと思いながら、ドアを開けて、習慣的に「ただいまあ」と言った。
 
そこに居る2人の姿を見て、真広はギョッとして立ちすくんだ。
 
母が
「お帰り、真広。連絡もせずに急に来てごめんね。でも可愛い服着てるね」
と笑顔で言ったのに対して、
 
父は呆然として、言葉を失っていた。
 
蜂郎はこの瞬間、人生の希望を全て喪失して、絶望の底に沈んだ。
 

9月4日(土・友引・みつ).
 
“みつ”は“満つ”で吉日である。
 
古広は母・町子のところに来て言った。
「お父ちゃん、調子悪いみたいだけど、風邪でも引いたの?」
「そうだねぇ。治るような病気ならいいけど」
「え?そんなに悪い病気なの?」
「すぐ死ぬようなものではないから、あまり気にしなくていいよ。それより何?」
 
「いや、実はね。叱られると思うんだけど」
「何やったのよ?」
 
この子、無免許運転でもして捕まったのかしらと母は思った。しかし古広の言葉は思いもよらないものだった。
 
「実はユミちゃんを妊娠させてしまって。中絶の費用、貸してくんない?」
「はぁ!?」
 
町子は、これで蜂郎の“不治の病”が治るかも、と思った。
 

ところで・・・・・
 
現在千里Bが休眠中なので、千里Yと千里Rの日常はこのようになっている。
 
朝:YがC町バス停に出現し、バスでS町まで行き登校して朝の会に出る。
授業:YとRが各々の好きな科目に出る
 
午後:6時間目が終わった次の瞬間YがS町バス停に出現し、C町まで乗ってP神社に入り、20時頃まで居る。Rは終わりの会に出て掃除をし、剣道部の部活をする。その後、買物をしてバスでC町まで戻り、御飯を作って母や妹に食べさせる。Rが自宅に居るので、神社が終わったYは自宅に戻れず途中で消える。
 
(たまにRが部活で疲れて消えてしまい、結果的にYが帰宅する日もある。Yの帰宅はどうしても20時半くらいになるので、そういう日は、小春かコリンが千里のふりをして村山家で御飯を作る)
 
さて。
 
9月10日(金)は、校外学習だったので、朝登校したYがずっとこれに参加していて、Rは消えたままだった(某所で丸一日眠っていた)。この日は千里が遅かったので(小春はYに付いているので)、コリンが千里の振りをしてカレーを作った。
 

そして9月11日(土)のことである。
 
この日は苫前町のスポーツセンター(及び隣接する社会体育館)で、バスケットの留萌支庁・秋季大会が行われる。数子は前もって“千里Yellow”に声を掛けてこの日、助っ人をお願いと頼んでいた。
 
千里と留実子が出れば、きっとR中に勝って地区優勝し、わが女子バスケット部創設以来初めて?北北海道大会に進出できる、と数子は考えていた。
 
ところがである。
 
「足を痛めた〜!?」
「ごめーん。ほんとにごめん」
と留実子が電話の向こうで謝っている。
 
何でも毎日の朝の運動で、ダンベルを持ってスクワットしていた時にうっかり手が滑ってダンベルを足の上に落としてしまったらしい。
 
「湿布してれば1日で治ると思うんだけど」
「そう?お大事にね」
 
数子の頭の中で“優勝→北北海道大会”という構図が崩れかける。
 

「でも千里が出てくれれば」
と思い、数子は母の車で待ち合わせ場所のC町バス停に行き、千里を待つのだが、約束の時間になっても千里は来ない!
 
「なんで千里は来ないの〜〜!?」
 
数子の頭の中でとうとう「優勝」という文字がガラガラと音を立てて崩れていく。
 
数子は蓮菜に電話した。
「今、蓮菜ちゃんどこに居る?」
「P神社に出て来た所」
「千里ちゃん居る?」
「居ないけど、今日はバスケの大会に出るのに、そちらに行ったんじゃないの?」
「それが待ち合わせ場所で15分くらい待ってるんだけど、まだ来てくれないんだよ」
「うーん。ちょっと待って。何とかする」
「うん」
 
「そちらはもう出発して。場合によってはうちのお母ちゃんに連れてってもらうから。受付時刻に遅刻したらやばいでしょ」
「分かった。じゃお願い」
 

蓮菜は考えた。
 
昨日の校外学習に参加した千里は黄色い腕時計をしていた。つまりYellowだ。丸一日稼働して疲れて寝てるのでは?千里って普段は3人で分担して学校に出てるみたいだから、それを1人で1日やったら、疲れて今日はまだ寝てるという可能性がある。
 
Yellowがダウンしている。Blueは絶対に女子の試合には出ない。
 
とすると、Redに頼るしかない。Redは多分昨日1日寝ていたはずだから、今日は充分活動する体力がありそうだ。
 
そこで蓮菜は千里Redに電話を掛けたのである(実はYellow, Red 双方の携帯番号を知っていて、それが“別の千里”と認識しているのは蓮菜だけ)。
 
なかなか出ないが我慢強く待つ。
 
2度掛け直して3度目のコールの5回目の呼び出し音でやっと取った。
「はい」
という声が眠そう!!
 
「千里さあ、数子ちゃんから頼まれたんだけどね。今日バスケの大会があるのに、るみちゃんが怪我して出られないらしいのよ」
「ありゃ。どんな怪我?」
「ダンベル持ってスクワットしてて、うっかりダンベルを足に落としたらしい」
「るみちゃんが使うダンベルなら重そうだ」
「そんな気がする。それで絶対的に戦力が足りないらしいのよ、千里、助っ人してあけられない?」
「いいよ。どこであるの?」
「千里が7月に剣道の大会で行った、苫前町のスポーツセンター」
「ああ。あそこか。分かった。多分10分くらいで行けると思う」
「よろしく」
 
それで電話を切った。
 
10分で行くと言ってたけど、あの子、テレポーテーションでもできるのかね?
 
できると思わないと説明のつかない事例は過去に何度もあったけど。
 

それで実際には、(休眠場所に居た)千里は蓮菜との電話を終えてすぐに、苫前町のスポーツセンターに姿を現したのである。一度行ったことのある場所なので、1発で出現できた。
 
A大神から連絡を受けたコリンは慌てて千里の着替えを用意し、大神から千里Bのバッシュももらい、自らも苫前町に飛ばしてもらって、千里Rに渡した。
 
「さんきゅさんきゅ」
 
それで千里は更衣室でスポーツブラを着けスポーツソックスにバッシュを履くと、軽く屈伸運動や筋を伸ばす運動などをして、チームメイトの到着を待った。
 
やがて、久子と友子・雪子が到着し、1年生3人(雅代・泰子・伸代)の車も到着する。久子が数子の携帯に電話する。
 
「え?千里もうそちらに行ってるんですか?すみません。こちらはあと10分くらいで到着すると思います」
 
それで久子は、8人(久子・友子・数子・千里・雪子・雅代・泰子・伸代)の名前を記載したエントリーシートを提出した。
 
「数子ちゃんも、もうすぐ到着するみたいだからユニフォーム配るね」
と言って友子がまずは第1試合で使う、ホーム用の白いユニフォームを配った。
 
「あれ?ユニフォームができたの?」
と千里が言っているので、久子が呆れて
 
「3年生の誰かの保護者さんが寄附してくれてユニフォーム作ったんだよ」
と説明する。
 
「3年生って、どなたなんですか?」
「私も友子も知らない。だから3年男子の誰かの保護者かも」
「男子なのに、女子のユニフォームを寄付してくれるって奇特ですね」
「性転換して女子選手になるつもりだったりして」
 
「佐々木さんあたりですか?」
という声が複数から出る!
 
「細川さんもかなり怪しい気がする」
などと千里が言っているので
 
「ほほぉ」
と久子・友子が少し呆れている(数子はまだ到着していない)。
 
「佐々木君でも細川君でも歓迎だけど、3年生はこの大会でもう引退だね」
「優勝すれば来月の北北海道大会に行けるけどね」
「それは性転換予定の誰かさんのために、頑張らねば」
 
なお、番号を空けてはいけないので、春には留実子が付けていた6番を今日は千里が付けることになった(千里は春は12番)。急遽、裁縫の得意な友子が番号の付け替えをしてくれた。(留実子のユニフォームは千里には大きすぎる)
 
4.久子(ヒサ)SF 5.友子(トモ)SG 6.千里(サン)SG 7.数子(カズ)PF 8.雪子(スノー)PG 9.雅代(マサ)SG 10.泰子(ヤス)SF 11.伸代(ノブ)C
 
やがて数子が到着するが
「千里、ありがとう!来てくれて」
と言ってハグしていた。
 

開会式では、まずR中男女キャプテンから優勝旗の返還が行われた。大会長の挨拶などの後、選手宣誓に行く。
 
ここでいつもはR中の男女キャプテンがするのが、今大会はそうではなかった。
 
春にR中女子がファウルが多すぎるとして厳重注意をくらった(新人戦の時も注意されていたのに)ことから、R中は選手宣誓を辞退した(させられた)。それで抽選によって宣誓する学校を決め、男子はM中、女子はC中のキャプテンが前に出て共同で選手宣誓をおこなった。
 

さて今回の組合せはこのようになっている。ちょうど8校の出場なので、全校1回戦からである。1回戦→準決勝→決勝と進む。
 
2004 Autumn Basketball
H┳┓
M┛┣┓
E┳┛┃
R┛ ┣
S┳┓┃
T┛┣┛
C┳┛
K┛

 
1回戦、T中学との試合が始まる。留実子が居ないので、千里がティップオフをすることになった。相手は身長170cm、千里は166cmで、4cmくらいの身長差があるが、千里が高い跳躍力を見せてボールを雪子の所に飛ばした。それで試合はS中の攻撃から始まった。
 
留実子が居ないので、代理センターの伸代がリバウンドやブロックで頑張るが、やはり留実子ほどはできない。しかし、こちらは雪子の巧みなゲームメイク、距離が7m以上あってもほとんど外さずにゴールに放り込む千里のスリーが冴え、数子と泰子も頑張って得点して、71-48の大差でT中を下した。
 
「取り敢えず1勝」
「これでBest4だ」
 

準決勝以降、女子はスボーツセンターに隣接する社会体育館に舞台を移す。準決勝の相手はK中であった。
 
この試合、S中は体力の無い雪子を休ませ、久子がポイントガード役を務めた。また友子も決勝戦に備えて休ませたので、準決勝は6人で戦うことになった。しかし残りの6人はみんな充分な体力があるので、1年生の3人を1人ずつ交替で休ませ、久子・数子・千里は出っ放して頑張り、63-50でK中に勝った。
 
そして決勝戦の相手は例によってR中である。
 
この試合ではR中がホーム、S中がアウェイ扱いになるので、両チームとも決戦前にユニフォームを着替えた。実は決勝戦前に着替えられるように組合表を調整してあったのである(R中とS中をシードするついでにそうなる位置に置いた。それ以外は純粋な抽選)。
 
試合前にR中は何か話し合っていた。恐らく、こちらに留実子が居ないようなので、その対応をどうするか急遽話し合ったのだろう。
 
ティップオフはR中の173cmほどあるセンターさんと166cmの千里でやる。7cmも身長差があれば普通は勝負にならないのだが、それでも“この千里”は強烈なジャンプをして、ボールを確保。雪子の所に飛ばして、こちらが攻める。これは速攻になったので、向こうが防御態勢を整える前に千里がスリーを入れ、試合は0-3から始まった。
 
R中が攻めて来るが、やはり留実子の穴は大きい。相手センターには数子がマッチしているのだが、簡単に振り切られて中に進入され2点を奪われて2-3.
 
それで数子がスローインして今度はS中の攻撃である。雪子がドリブルしながら攻め上がるが、向こうはこちらの選手に選手を貼り付けなかった。
 
へ?
 

と思う。
 
向こうの5番を付けたスモールフォワードの人が千里にピタリと付いたほかは、残りの4人がダイヤモンドのような形に並んだ。
 
何?なんでこの人たち、こちらの選手に貼り付かないの?と千里は混乱した。
 
「ゾーン・ディフェンスだ!みんな相手選手全員の動きを見て!」
と久子が大きな声でみんなに注意した。
 
ゾンディー・フェンスって何??とバスケット用語を知らない千里は混乱する。
 
千里が混乱しているようなのを見て、雪子は数子にボールを送る。数子が中に進入しようとするが、その付近の壁が厚くなり、進入は困難である。友子にパスする。友子がスリーを撃つが外れる!
 
R中が攻めて来る。また6番を付けた向こうのセンターの人がこちらの防御網を強引に突破してシュート。入って2点。4-3.
 
ここで監督の三井先生がタイムアウトを要求。選手を集めた。
 
「みんなが混乱しているようなので止めた。詳しくは、はい、雪子ちゃん」
と三井先生は最も理論に詳しそうな雪子を指名した。
 

「R中はダイヤモンド1というゾーンディフェンス(*24)を組んでいます。通常はバスケットでは相手の1人にこちらの1人が貼り付くマンツーマンというディフェンスを使うのですが、もうひとつ、誰が誰とマッチすると決めずに、このエリアは誰が守るというように、場所に選手を貼り付ける防御態勢を取るチームもあります。これをゾーン・ディフェンスと言います。ゾーンは相手チームに卓越した選手がいるような場合に有効です。たとえば、うちのチームで留実子さんだけが入ったような体制だと、ゾーンにかなりやられてしまいます」
 
という所で雪子は言葉を切る。時計を見ながら話す。
 
「でもゾーンの弱点はスリーなんです。エリアを守っていても遠くから撃つスリーには無力です。そこでスリーを撃つ選手に1人、防御力にすぐれた器用なプレイヤーを貼り付けて、残りの4人でゾーンを組むというやり方があります。これをダイヤモンド1と言って、今R中が取っているのがこの体制です。ですから、みなさんは普段と勝手が違うかも知れないけど、普通に攻めて下さい。ただファウルに気をつけて下さい。結果的に中への進入はかなり難しいです。千里さんはダイヤモンドの4人のことは考えずに、自分に貼り付いている5番さんを振り切ることだけ考えて下さい」
 
ここでブザーが鳴るので、全員コートに戻る。千里は頭の中の混乱は収まったものの、まだ実はよく分かっていない!でも、雪子は「5番を振り切ることだけを考えて」と言ったなというのを頭に置いた。よし、瞬発力の勝負だ!
 
(*24) S中は上の大会に行ったことがないので未体験だが、実は昔は中学生の強豪校にはゾーンを採用する学校が異常に多かった。ゾーンディフェンスはゲームの面白みをそぐのでNBAでは昔から禁止されていた。日本でも2016年度から中学生以下では禁止された。ゾーン的な動きを取ると反則を取られる(スクリーンプレイにスイッチで対応する場合などは問題無い)。
 
そもそも若い世代はそのようなこざかしいテクニックを覚えるより、基本的なマッチングテクニックを鍛えるべきであり(3年後の千里や暢子たちが到達した境地)、個人の身体能力を強化しない限り本当に強いチームは作れないというのが基本的な考え方である。
 

それで千里は試合再開後、大きく動き回る作戦に出た。コートの奥まで走りこんだかと思うと、手前の方に戻る、千里は左から攻めることが多いのだが、右側にまで走っていく。そして急に停まって反対に走り出したりする。これはこちらと向こうの体力勝負である。
 
これをやっていると、向こうのフォローが間に合わず、相手との距離が瞬間的に空くことがある。するとそこに雪子から矢のようなパスが来て、千里は即スリーを撃つ。今日の千里は極めて正確にゴールにボールを放り込む。全く外さない。
 
それでも、やはりゾーンの堅い守りを他の選手はなかなか突破できない、雪子は友子が使えそうな時は友子にもボールを回すが、あいにく友子は千里のように百発百中とはいかない。ゴール成功率は3割程度である(それだけ入れば普通かなり優秀なシューター)。しかも今日は留実子が居ないで、リバウンドはほとんど相手の6番に取られてしまう。
 
それで第1ピリオドは32-9という悲惨なスコアとなった。
 

第2ピリオド、R中は4・6〜8番の4人を下げて、11〜14番の4人を入れてきた。ゾーン要員を交替させたのである。
 
しかしこの4人はスターターの4人ほどはうまくなかった。雪子が巧みなパス回し(フェイントを含む)で攪乱すると、簡単にゾーンに穴が空いてしまい、こちらはどんどん“普通に”得点をあげることができた。また彼女らはS中のディフェンスを突破できなかった。
 
わずか2分で32-21となるので、向こうは慌てて試合を停めて、結局スターターに戻す。すると、こちらはまたR中のゾーンに阻まれて得点ができなくなってしまう。また、点差はじわっじわっと開いていった。
 

友子、数子、1年生の3人に諦めの気持ちが生じてくる中、久子、雪子、千里の3人は全く諦めていなかった。
 
久子と雪子が考えていたのはこういうことである。
 
「ゾーンは運動量が激しい。交替せずに最後まで持つ訳が無い。しかし交替すれば簡単にこちらに突破されることを向こうは認識したから交替できない。更には千里に貼り付いている選手は後半になったらダウンする」
 
千里の場合は“なーんにも考えていない”!ので全く諦めの気持ちは無かった。
 
前半を終えて点数は52-27である。
 
第3ピリオド。千里をひたすらマークしていた5番さんが下がった。代わって9番を付けた選手が千里に貼り付く。番号からすると“6番目の女”という感じである。かなり優秀な選手なのだろうと思ったが、5番さんとは全く役者が違っていた。千里はいとも簡単にこの人を振り切るので、雪子がどんどん千里にボールを回し、千里がスリーを量産する。
 
慌てて向こうはその9番がわざとファウルして選手交代。10番の人が出てくるがこの人も全くかなわなかった。仕方なく、この人もわざとファウルをして時計を停め選手交代。結局5番さんが戻って来た。
 
結局、R中でS中のメンツを圧倒できるのはスターターの5人のみであることが明確になったことになる。
 
それで千里と相手5番さんとの勝負が再開される。ハーフタイムと合わせて14分ほど休んでいたことになるが、休憩は充分ではない。しかし9番さんや10番さんよりはかなりマシである。
 
千里のスリーは前半よりは多いものの、第3ピリオドの最初の4分間ほどではなくなった。この後、しばらく点差がほとんど変わらない状態で試合は進行した。
 

第3ピリオドを終えた所で点数は64-48と16点差であった。第3ピリオドで25点差を16点差まで9点も詰めたことになる。もはや勝負の行方は分からなくなった。
 
第4ピリオドになる。そして、久子や雪子が予想した通りのことが起きた。ここまで3ピリオドで合計22分間ほとんど交替無しでゾーンを構成してきた各選手が、疲労により、足が充分動かなくなる。そこにこちらが投入した元気の余っているS中1年生がパワーで進入し、ゴール近くからシュートを決める。
 
ゾーンというのは、敵を外に置いている時はいいのだが、中に進入されると、その瞬間マンツーマンに切り替えないといけないので、その切り替えにまた運動量が消費される。つまり進入されにくい態勢であるゆえに進入されるようになると運動量が倍増してどんどん体力を消耗し疲労が重なる。
 
第4ピリオドの途中、3分過ぎて残り5分となった頃、とうとうその疲労限界を越えた。
 
相手のゾーンはザル同然となり、どんどんこちらの1年生に進入されるので、R中はやむを得ずまたファウルで試合を停め、ゾーンを組んでいた4人を丸ごと下げ、9-12番の4人を投入して今度はゾーンではなくマンツーマンで対応させた。これで疲れ切ったスターターよりはマシになったものの、このレベルにはS中の1年生たちも結構対抗できる。
 
そしてさすがに相手の5番さんも疲労限界に達して千里はかなりの頻度でフリーになる。
 
点差がとんどん縮んでいき、残り1分44秒で決めた千里のスリーでとうとう72-73とこちらが逆転した。向こうはスターターを復帰させた。これもマンツーマンで守る、もう疲れ切った身体ではゾーンを組むのは無理だった。こちらも次にR中が得点した所でスターターに戻す。
 
ここからは双方“ノーガードの殴り合い”のような死闘になった。逆転また逆転のシーソーゲームが展開される。どちらも疲労限界をとっくに越えている。
 
74>73
74<75
77>75
77<78
79>78
79<81
 
とスコアは進み、千里の81点目のスリーが決まった後の残り時計はわずか5秒である。R中はスローインする選手がハーフライン付近に居るシューターの所にボールを送ったが、シューターさんもとてもそこから先にドリブルなどしていく時間は無い。彼女は思いっきり山なりのボールをゴールめがけて投げた。
 
彼女が投げてすぐにゲーム終了のブザーが鳴る。
 
そしてボールは・・・・
 
入っちゃった!!!
 

R中の選手たちが歓喜の渦である。
 
S中のメンバーは千里と雪子以外の全員が立てなくなり、その場に座り込んでしまった。
 
審判さんがS中の選手に整列するよう促す。千里は近くに居た数子の手を握って立たせた。何とかキャプテンの責任を思い出した久子が友子の手を取って立たせる。それでS中は整列し、審判さんの
 
「82-81でR中学校の勝ち」
という声に
 
「ありがとうございました」
と挨拶する。そして誰からともなく、R中のメンバーたちとハグしあった。
 
春の大会は、お互い後味の悪い終わり方になっていたが、今回の試合は双方完全燃焼のわだかまりの残らない試合となった。
 
負けちゃったけど!
 

「悔しいよぉ」
と数子が控室で泣いていた。
 
R中とS中の対戦スコア
新人戦 R 63-60 S
春大会 R 46-45 S
夏大会 R 82-81 S
 
「来年は北北海道大会に行こうよ」
と千里は彼女に声を掛けた。
 
「1年生4人が成長してくれたら、充分行けるな」
と久子さんが言った。
 

大会が終わって着替えてから、保護者の車に分乗して帰る。
 
数子はキョロキョロした。
「ねぇ、千里を見なかった?」
「見てませんよ。私も話したかったのに」
と1年生の雅代。
 
「帰り、うちの車に乗らないかと誘うつもりだったのに」
「朝も単独で来ておられたし、誰か送ってくれた人の車に乗られたのでは?」
「そうかもね。だったら大丈夫か」
 
ということで数子は来た時と同様に母の車に1人で乗って、留萌に帰還した。(本来は千里と留実子が同乗する予定だった)
 
むろん千里Rは疲れたから消えちゃった!
 
コリンはぶつぶつ言いながら、Rが放置していった荷物をまとめると、バスで留萌に戻った。
 

女子バスケット部では9月13日(月)に次の部長を決めたが、この日の部活に出てきていた2年生が数子1人だった(留実子は休んでいた。結構重傷だったのかも)ので、自動的に数子が新しい部長と決まった。そもそも他に出て来ていたとしても、応援団と兼部の留実子、気まぐれの千里にはさせられないので、数子がやるしかなかった。
 
「私と1年生4人だけで5人しか居ないと、なんか去年の春と似たような状態だ」
などと数子は言っていた。
 
なお男子では、貴司たち3年生が引退して、田代君が部長を継承した。彼も勉強ではいつも蓮菜と2位争いしているのにバスケでも頑張っており凄い。
 

S中では今年は9月13日(月)から衣替えとなった。それ以前にも9月になったらもう冬服でもいいことになっているので、結構冬服セーラー服を着ている子はいた(男子も学生服をワイシャツの上に着てよい)。
 
雅海は学生服を着てきていたがみんなから
「なぜセーラー服ではない?」
と非難されていた。結局、彼は学生服で、女子トイレ・女子更衣室を使用することになる。
 
留実子は当然学生服を着て出てきていた。彼(でいいと思う)は男子トイレを堂々と使用しているが(鞠古君と連れションしていることがある!)、更衣室は保健室の清原先生の指導により女子更衣室を使用する。つまり、男子制服で女子更衣室に入ってくるのが、雅海と留実子の2人である。
 
セナや沙苗は何の問題もなく、セーラー服姿で登校してきた。(セナはまだ結構ドキドキしている)
 

「でも雅海ちゃん、少し胸膨らんできてない?」
と女子更衣室で言われた。
 
「お姉ちゃんにメジャーで測られてAAAAカップだと言われた」
「微妙なサイズだ」
「トップとアンダーの差がゼロなのがAAAAAだよ」
と沙苗が言う。
 
「じゃ、やはり少し膨らんで来てるんだ!」
「ぼく男物のワイシャツが入らなくなった」
「ああ、それで最近ブラウス着てるのね」
「もうワイシャツ着る必要は無いと思う」
と蓮菜。
「ブラウス着てるのならついでにセーラー服着よう」
と優美絵。
「なかなか勇気持てなくて」
 
うん。なかなか勇気が出ないよね、とセナは思っていた。でも雅海ちゃん、女性ホルモンを飲むようになったのかな。女の子になるんだという決断だけはした訳だ。
 
(セナは女性ホルモンなど“飲んでない”のに既にAAAカップくらいのサイズまで成長してきている)
 

司は母から
「衣替えだよ。今日からはちゃんとセーラー服着て行きなよ」
と言われた。でも
「学生服で行くよー」
と言う。
 
母はむしろ困惑しているようであった。
 
「そうそう。新しいシャツ出しとくね」
「ありがとう」
と言って、司は母が渡してくれた新しい“シャツ”を男物下着の上に身につけ、学生服をその上に着て、スカート・・・ではなくズボンを穿いて学校に出掛けて行った。実はスカートを穿いていったん玄関を出たので、母は
「あの子、学生服にスカートなの?」
と思ったが、30秒で帰ってきて
「間違えたぁ!」
と言って、ズボンに穿き換えて再度出掛けた。
 
「下をズボンに交換するんじゃなくて上をセーラー服に交換すればいいのに」
 

公世は朝起きると、鴨居に掛かっているセーラー服に「今日から衣替えだよ。これ着て行こうね」と書かれた紙(姉の字)を見るが、黙殺して普通に男物?の灰色アンダーシャツの上に“ワイシャツ”?を着る。そしてズボンを穿いてから朝食の席に行った。
 
「あら、今日はセーラー服の下はズボンにするの?」
などと母から言われる。
「セーラー服とか着ないよぉ。学生服を着るよー」
 
母は首を傾げていた。(高校生の姉は早朝補習で既に出ている)
 
ちなみに8月に栃木に行っていた間に実行されていた“男物処分”で処分を免れていた学生服ではあるが
「臭いが酷い」
と言われて、結局廃棄されてしまい、新しい学生服を買ってもらっている。
 
公世は朝食が終わると“ワイシャツ”の上に、その新しい学生服を着て
「いってきまーす」
と言って、学校に出掛けた。
 

9月18-19日(土日).
 
プロ野球選手会はストライキを敢行した。
 
これは近鉄バッファローズの経営難問題に端を発する、プロ野球再編騒動での経営側の不誠実な態度に対する抗議であった。
 
巨大な累積赤字を抱え、もはや球団維持が困難になった近鉄は、最後の手段として球団をオリックス・ブルーウェーブに売却して両球団を合併させるという道を模索。両者の間で秘密の交渉が進められていたが、2004年6月13日の日経新聞の報道でこの交渉が明るみになった。
 
更に、親会社ダイエーが深刻な経営難に陥っている福岡ダイエーホークスがらみでパリーグの他球団の間にも新たな合併の道が模索されていることも公表される。そしてパリーグが4球団になってしまったら(両リーグの球団数を揃えるため)巨人はパリーグに移籍したいという巨人球団首脳の発言もあり、多くのプロ野球ファンがプロ野球の行方に大きな不安を覚えた。
 
ファンや選手を無視したこれらの動きに対して選手会は団体交渉を申し入れ、球団の合併は1年保留して、その間に経営改善のための策を講じることなどを提案したものの経営側はほぼ無視する姿勢であったため、とうとう選手会はストライキに踏み切ったものである。
 
この日本のプロ野球存続に関わる重大な局面で根來泰周コミッショナー(元・東京高等検察庁検事長)は、スト後の9月16日、新規加入球団を募集するという私案を提示した。このコミッショナーの個人的提言によって、パリーグの球団が1つか2つ消滅しても、新球団の参加により、結果的に12球団制が維持される可能性が出て来た。
 

9月19日(日).
 
三連休の中日、松戸市内の∧∧∧音楽教室・常盤平(ときわだいら)店のミニサロンで、松戸市内の∧∧∧音楽教室合同発表会が行われた。
 
(三連休の中日に発表会をするのは前日頑張って練習できるようにである!)
 
休日なので例によって英世は来られなかったものの、照絵はメゾピアノの可愛いドレスを着た龍虎を連れていった(照絵自身はイオンのワンピース!)。
 
龍虎はピアノの前に座ると、小さな指で『さんぽ』を、はずむむように両手弾きし、大きな拍手をもらった。龍虎は演奏後、立ち上がると、笑顔を作り、スカートの裙を持って右足を後ろに下げ、左足を少し曲げるポーズ(カーテシー)で聴衆に挨拶した。「可愛い!」という声があがっていた。
 
照絵は、この子、いつの間にこんなポーズ覚えたんだ?と思った。
 
(この演奏は照絵が携帯で撮影したものがずっと残ることになる。アクアの最少年齢・動画映像である。動画内で、龍虎がカーテシーの時左足を軸足にしているのが確認できるので、少なくとも“この龍虎”は右足が利き足であることが分かる)
 
ちなみにこの日、照絵はドレスとボーイズスーツを目の前に並べ
「龍ちゃん、ドレスとスーツ、どちら着る?」
と訊いたら
「こっち」
と言って、ドレスを選んだので、それを着せて連れてきた。
 

9月21日(火).
 
三連休明けのこの日、沙苗は1ヶ月遅れで夏休みの宿題を提出した。もっとも、音楽・美術の宿題と読書感想文は8月30日に提出済みで、5科目のプリント関係が残っていた。
 
「遅れたけど頑張ったね」
と先生は褒めてくれた。
 
(セナはギブアップしてバッくれようとしている:ただし音楽のリコーダーはウェルナーの『野ばら』を吹いて「まあいいでしょう」ということになった。また美術の宿題は、沙苗に励まされてP神社の“3燈台”の絵を描きこちらは褒められた(大神様が大サービスで点灯を許してくれた)。読書感想文は「どうしても感想を思いつかない!」と言っていた)
 

9月24日(金・おさん).
 
“おさん”とは“納ん”でつまり、年貢の納め時!
 
8月11日に電車内の痴漢(強制猥褻)で逮捕された都内の予備校講師(だった!)Xが18件に及ぶ、強姦罪(既遂が5件あった)・強姦未遂罪・強制猥褻罪で起訴された。
 
逮捕の報道を見て「自分もやられた」という訴えが100件を超える大事件となった。起訴までに時間が掛かったのは、その全ての事件の取り調べをしていたからである。本来は逮捕してから起訴までは23日間以内に行わなければならない。
 
・逮捕後48時間以内に釈放するか送検するか決定
・送検後24時間以内に釈放するか勾留請求するか決定
・勾留後10日以内に釈放するか起訴するか決定
・但し勾留は1度だけ10日間延長できる
 
再逮捕再勾留禁止の原則:1つの事件で同じ人を再度逮捕・勾留することはできない。
 
だから通常は逮捕から23日以内(の平日)に起訴される。しかしこの男の場合、2つの理由でこれが長引いた。
 

ひとつは、この男のように余罪が多数ある場合、勾留期間が終わった後、別件で逮捕してまた勾留するという手段が存在するので、それを使ったことがあげられる。
 
実際、事件報道後に被害の申し出があった案件だけでも100件を超えていたので、このひとつひとつについて取り調べをするのは大変な作業だった(他県からも派遣してもらって性犯罪案件に慣れている女性捜査官30人!で対応した)。
 
それで23日間ではとても調べきれなかったという問題があった。
 
そしてもうひとつの理由だが・・・
 
送検された後、検事の取り調べを受けている最中に男は
「玉が痛い」
と訴えた。
 
「急に痛くなったの?」
「1ヶ月くらい前から痛かったんですけど、警察で取り調べ受けてる最中にかなり痛くなってきて」
「なんでそれ取り調べの警察官に言わなかったの?」
「言ったけど、我慢してろと言われたんですよ」
と男は検事に文句を言った。
 
それで取り調べを中断して病院を受診させた所、左右の睾丸がどちらも破裂!していることが判明した。
 
「これは命に関わります。すぐ摘出しましょう」
と医師は言った。
 
「取っちゃうの〜?」
「既に壊死が始まってます。これはとても危険です」
「玉取るなんて嫌だよぉ」
「睾丸は両方とも既に死んでます。放置しておくとあなたの命にも関わりますよ」
 

ということで男は泣く泣く両方の睾丸を摘出されてしまったのであった。
 
「俺、痴漢とかレイプとかしようとして、女から反撃されて股間蹴られたこと何度もあったから、その時に潰れたのかなあ」
などと、手術後、男は男性看護師に泣きながら言っていたらしい。
 
(女性看護師を付けるのは危険なので、男性看護師が対応している)
 
看護師は「天罰だな」と言いたかったが、下手なこというと暴言だとして後で訴えられかねないので何も言わなかった。
 
しかし男は、睾丸が既に死んでいるにも関わらずも痴漢行為を続けていたことになる。(ひょっとすると1個は真広のキックで潰れ、1個は千里に握り潰されたのかも?だとすると男の娘2人に潰された!?)
 
ちなみに和久俊三さんの「赤かぶ検事」では去勢している男が起こしたレイプ事件のケースが取り上げられたことがある(元恋人が去勢後もセックスしていたことを証言して性交能力があったことが証明される)。実際睾丸が無くても勃起は可能なようである。射精はもちろん睾丸とは無関係に可能である(精子が入っていないだけ)。
 
話が逸れすぎるが、某youtuberのように性転換手術をして女の股間になっていてもクリトリス刺激で射精できる人さえある(むろん彼女の場合、“女性射精”の別名がある“潮吹き”ではなく通常の男性の射精である)。
 

話を戻して、男はこの治療で3日間入院した(その間は勾留の執行停止となり、取り調べも中断される)
 
8.11(Wed) 逮捕
8.13(Fri) 送検
8.14(Sat) 勾留開始
8.15-17 治療のため勾留停止
8.27(Fri) 勾留延長
9.06(Mon) 勾留終了。別件逮捕・勾留開始
9.16(Thu) 勾留延長
9.24(Fru) 起訴
 

なお、男は提示された100件を超える事件についてほとんどの事件で犯行を認めた。
 
痴漢案件に関しては本人も記憶が曖昧なものもあったが、レイプについては男が“レイプ日記”を付けていたため、被害者の訴えが全て日記で裏付けられた。
 
日記の最後の記事が「留萌で女子高生を犯(や)ろうとしたが惜しくも逃げられた。顔面蹴られたの痛かったけど興奮した」(!?)という7月25日の件であった。むろんこの事件は千里の告訴を受けて、起訴した事件に含まれている。
 
男は千里に「こんなことしたのは初めてなんだ」と泣きながら訴えていたが、実は逆にそれが最後の強姦事件となったようである(ほんとにあの時千里に握り潰されたんだったりして)。
 
日記にあるものの内、警察に被害の申し出があったものは(告訴保留されたものを含めて)3割ほどにすぎなかった。泣き寝入りしたレイプ被害者がかなりいたことになる。
 
男がほとんどの案件を認めたため、取り調べ自体は比較的スムースに進んだ。「毎週火曜と木曜に15時頃、##線で女の子のお尻に触るのを楽しみにしてた」!などと男は言い、その条件に当てはまる調書にはどんどん署名捺印した。
 
しかしあまりにも件数が多くて時間が掛かった。
 
裁判で全てについて検証を行うのはあまりに大変なので、特に悪質なもの18件(全てのレイプ・レイプ未遂を含む)についてのみ起訴することにした。
 

起訴された後は、裁判が終わるまで拘置所に勾留される。
 
軽微な事件であれば保釈されるのだが、被告人が常習犯であったことから、検察官は、保釈すればまた犯行をおかす可能性があるとして保釈に反対した。裁判官はその主張を認め、保釈申請を却下した。
 
弁護人は、被告人が睾丸を除去したので、今後性犯罪をおかす可能性は無いと主張したが、検察官は被告人が、睾丸の機能喪失後も性犯罪を続けていたとして、睾丸の除去によって被告人の性向は変わらないと主張。それが認められた。
 
(服役しても性向は変わらない気がするが、強姦罪の最高刑は懲役20年で、更に併合罪になるため最高30年くらう可能性があり、出所した頃はもう年齢的に性欲が減退している可能性はある)
 

2004年9月25-26日(日).
 
S中では文化祭が行われた。
 
「え〜〜〜!?女装カフェ!?」
 
「それって男子が女装するの?」
「もちろん。女子が女の服を着ても女装にはならない」
 
「去年1組がやったね」
「2組は“女子が”メイドに扮した」
 
「3組は漁業に関する展示やったけど、あまりお客さん来なかった」
「あれ、準備に凄い手間暇掛けたのに」
「やはり模擬店の魅力にはかなわない」
 
ということで女子全員の賛成と、一部男子の「面白そう」「女装してみたい」1?と1いう声もあり、2年1組は女装カフェをすることになった。『留萌の森林について』という研究展示をする案は却下された。
 

基本的には女子たちは厨房で調理を担当し(但し法令により包丁で材料を切ったりする作業は禁止なので、あらかじめ素材は用意しておく)、男子が女装で接客するというコンセプトである。
 
「ぼく女装するの?」
と不安そうに雅海が言ったが
 
「まさみちゃんは女の子だから、厨房担当でよろしく」
「良かったぁ」
「厨房内ではセーラー服着ててね」
「え〜〜〜!?」
 
「ぼくも女装するんだっけ?」
と困惑気味の公世。
「きみよちゃんも女の子だから、厨房でよろしく」
「そちらか」
 
「だって、きみよちゃんが女装で接客したら、『女装カフェ』と言うけど、女の子も混じってるんだと言われるし」
「まあ料理はわりと好きだからやるよ」
「セーラー服着てね」
「拒否」
ということで、彼は体操服で参加することになった。
 
「あれ?きみよちゃんは体操服なの?じゃぼくも体操服で」
と雅海が言ったが
「まさみちゃんはセーラー服でなきゃダメだよ」
と言われて、結局セーラー服を着るはめになる。
 
「どっちみち、きみよちゃんも当日は女子トイレ使ってね」
「嫌だ」
 

上原君や中山君についても“女装”が成立するかというのが女子たちの間で議論されたが
 
「ぜひ女装でウェイトレスさんしたい」
と本人たちが言うので、女装してもらうことにした。
 
厨房に入ると結果的にセーラー服を着せられるし、セーラー服よりはウェイトレス衣裳の方がマシと思ったか!??
 
「僕も女装するの?」
と転校生の児玉君が不安そうに言うので、セナが
 
「児玉君、きっと可愛くなるよ」
と励まして?いた!?
 
実際彼は結構な美少女になった!
 
なお“男子が着られるサイズの”ウェイトレスさん衣裳は昨年1年1組が使用したもの(実は蓮菜・玖美子・千里・沙苗・田代君・鞠古君の6人がお金を出して買い、学校に寄付している)が保管してあったので、それを流用することにした。
 

日程では25日は展示関係が行われ、クラスで展示をやった所と、多くの文化部があちこちの教室で展示をしていた。展示をしたのはこういう所である。
 
1年3組:アイヌ文化
2年3組:炭鉱の歴史
3年2組:新エネルギーの比較
3年3組:近世の文学
各種表彰(1-1教室)
科学部(理科室)
パソコン部(PC室)
囲碁部(2-1教室)
将棋部(2-2教室)
茶道部(被服室)
書道部(1-2教室)
美術部(美術室)
手芸同好会(3-1教室)
工作同好会(3-2教室)
 
千里や公世が取った賞状・トロフィー・メダルも1-1教室に展示された。バスケ部や野球部・ソフト部の地区大会の賞状も展示されている。
 
囲碁部・将棋部は、来客した人と囲碁・将棋の対局をしていた。
 

囲碁部には、すっごい強い人が来た。最初副部長の松原君が対応したものの「すみません。もっと強い人呼んできます」と言い、千里が連行されてきた。
 
それで対局したが、物凄い激戦になった。20人くらいのギャラリーが出来た。最終的には千里が投了したものの、“峰山”と名乗ったその女性は
 
「あんた中学生なのにすっごい強いね」
と感心していた。
 
「アマ五段くらいの方でしょうか?」
と千里が訊く。相手がかなり手加減してくれていたのを感じたので、恐らくそのくらいの実力の人ではと感じた。
 
「四段なんだけどね。君は三段くらい?」
「試験受けたことがないので。自分では初段くらいかなと思っていたのですが」
 
(初段の松原君が千里に1子置いて対局しているので初段ということはあり得ない)
 
「二段か三段を申請していいよ。明日、私の師匠を連れてくるから対戦してみてよ」
「あ、はい」
 
それで明日、千里とその“お師匠さん”の対局が行われることになった。
2日目の26日は模擬店と体育館でのパフォーマンスである(教室の展示も模擬店とぶつからない教室のものは継続。各種表彰は校長室、書道部は少人数教室に移動した)。
 
1-1:(普通の)喫茶店
1-2:丼屋さん
2-1:女装カフェ
2-2:カレー屋さん
3-1:ラーメン屋さん
 
丼屋さんは海鮮丼をしたかったようだが、衛生上の問題で却下され、天丼・親子丼・カツ丼・牛丼で行くことになった。
 

体育館での演目は、このような演し物(だしもの)が組まれていた(時刻は目安)。
 
_8:58 開会の辞
_9:00 □応援部
_9:21 ▲柔道部
_9:37 □演劇部
10:18 ▲体操部
10:39 □吹奏楽部
11:09 昼休み
12:00 ▲有志演奏1
12:11 ▽有志演奏2
12:22 ▲有志演奏3
12:33 □チア部
12:54 ▲剣道部
13:10 □合唱同好会
13:31 ▲バスケット部
13:52 □英語部
14:33 ▽先生合奏
14:49 □PTA合唱
15:05 全員合唱
15:10 閉会の辞
 
演し物は、ステージ上で行なうもの(上記□)と、体育館の後方に取ったスペースで行なうもの(上記▲)があり、だいたい交互に使用するようにして、インターバルを空けずに実施できるようにしている。(▽:ステージ下)
 
千里は午前中最後の吹奏楽部の演奏と、午後の剣道部のパフォーマンスに参加する予定である。“女装カフェ”は女装する男子たちは忙しいものの、女子はわりと人数に余裕があるので、10時すぎに抜けさせてもらい昼休みは少し手伝って、昼休みが終わる前に剣道着姿に着替える予定である。
 

体育館でのパフォーマンス先頭は応援団である。
 
応援団も3年生が引退して団長が交代している。2年生の河合君が応援団長になったが、留実子は旗手に任命された。それで生徒会副会長の開会の辞に続くパフォーマンスでは重さ15kgほどの応援団旗をしっかり掲げていた。
 
応援団旗はそれ自体の重さは15kg程度(男子でも非力な人には厳しい)であるが、野球やサッカーなど屋外の応援で掲げる時は、風に煽られると30-40kgの負荷となる。むろん、一瞬たりとも降ろすことは許されない過酷な任務である。相当の筋力と精神力のある人でないと務まらないお役目だが、留実子は海岸で強風の吹く中、3時間不動で団旗を掲げ続けて合格をもらい、旗手に任じられた(もう一人挑戦した男子は2時間で身体が揺れ始めてストップが掛かり不合格)。
 
千里や蓮菜に嬉しそうに話していたが、さすが留実子である。
 
留実子は応援団での活動では丸刈りの頭を曝しているので、女子だとは思わなかった人が大半だろう。
 
 
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【女子中学生・秋の嵐】(2)