【女子中学生・秋の嵐】(4)

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10月9日(土).
 
千里Rは毎月1回の旭川行きをした(9月はお休みしたので8月29日以来)。
 
YとGも月に1度は天子に会いに行っている。Vも2〜3ヶ月に一度は行く。ただ、きーちゃんの所に顔を出すのはRだけである(GがRの振りをして行っていることはある)。
 
今回は11日が体育の日の祝日で3連休であり、それに合わせて3日間の行程になった。9日は稚内の藤原毬毛(桃源)、紋別市のお坊さん・長谷川順恭さんと士別(しべつ)市内で落ち合い、大きな邸宅に行った。
 
「何です?これは」
と順恭さんが顔をしかめている。
 
「みんな油断しないでね」
と桃源が注意を呼びかける、
 
物凄い量の雑霊がいるが、誰も祓おうとしない。“親玉”を刺激しないようにするためである。
 
「ここか」
といって庭の一角にある小さな池のところに行く。
 
「****明王の第3、使うよ」
と桃源が言う。全員頷く。
 
桃源は最初に池の周り12ヶ所に何かを埋めた。順恭さんがスコップで穴を掘り、そこに袋に包んだ何かを桃源さんが入れ、順恭さんが穴を埋める。その作業の間、千里ときーちゃんは強い結界でふたりをガードしていた。ガード無しではこの池のそばには30秒も居られない。
 
作業が終わってから、4人で池を取り囲む。
 
桃源が右手をあげる。全員所定の真言を唱える。“掛かった”感触がある。
 
「成功。封印した」
「お疲れ様〜」
「今回はちょっと手強かったね」
「あんたたち、いつもこんな危ないことやってるの?」
と順恭さん。
 
「世界の破壊を防ぐため」
と桃源。
「世界の平和を守るため」
ときーちゃん。
桃源がこちらを見るので千里は続ける。
「愛と正義の美人集団」
 
すると桃源は「ほほぉ」という顔をして
「駿馬・天野(“てんの”と読んだ)・桃源・順恭、人呼んでシュテントウジ!」
 

「何かその名前でもう10年くらい活動してるみたいだ」
「以前、小登愛(おとめ)ちゃんと瓜生和尚が入ってた時は“愛の桃の木売り”と称していた」
 
今日参加している順恭さんは“瓜生和尚”の従甥に当たり、後継者に指名されていたので、彼の引退後、桃源が何度か組んで仕事をしていた。若いのに結構な法力の持ち主である。しかし大規模案件に参加させたのは今回が初めてだった。
 
「一昨年、函館の案件をした時は、トコロテンだったね」
「釧路の封印は後から“オテントウサン”と名前が付いてた(おとめ・天・桃・サン!)」
「東京でやった案件は、“テントウハイチ”(天・桃・灰麗・千里)」
「以前トーテンポールと名乗ったこともあったね」
 
「名乗ったのは久しぶりだから、しばらくこの4人で行く?」
「でも美人集団と言われると僕はなんか居心地悪い」
「順恭さんは充分美男子」
「でも美人って女じゃないの?」
「順恭さん、女装してもいいよ」
「檀家さんが逃げるからやめとく」
 
「ところでこの雑霊たちはどうする?」
「それは駿馬に任せた」
「え〜〜!?」
「10分で処理できるよね」
「やってもいいですけど、皆さん席を外して欲しいです」
「OKOK。じゃ3人でお茶でも飲んでからまた来るよ」
「はい。その間に処理しておきます」
 
それで、桃源・きーちゃん・順恭は桃源の車に乗ってどこかに行った。
 

千里はこの邸宅全体に霊的なシールドを掛けた。桃源が眷属を残していて、千里が何をするのか覗き見しようとした場合に備えたものである。もっとも本当に眷属を残していたら、その眷属まで処分されてしまう危険があるから、そんな馬鹿なことはしないだろうとは思った。そもそも桃源は他人の術を覗き見するような人ではない。しかし念のためである。
 
そして眷属を呼び出す。
 
「とうちゃん、りくちゃん、こうちゃん、せいちゃん、げんちゃん、びゃくちゃん」
 
戦闘集団である。
 
6人はすぐ姿を現した。
 
「こいつらをよろしく」
「おお、これはごちそうだ」
と言って、彼らはほんの7〜8分で、敷地内に居た雑霊を全部、
 
食べちゃった!
 
「満足満足」
「ごちそうさま〜」
と言って、彼らは帰って行った。
 

千里はシールドを解除した。桃源たちは20分ほどで戻って来た。
 
「すごい。きれいになってる!」
と順恭が驚いたように言った。
 
「どうやったんですか?」
「企業秘密で」
 
桃源が頷くようにしていた。桃源としては東京での千里の様子を見ていて、たぶんこの程度は瞬殺だろうと思っていたので、予想通りという所である。もっとも“この千里”は東京での案件を知らない!
 
千里は釧路での案件以来、2〜3ヶ月に一度、この手の“普通の霊能者”には手に余るような案件の処理をしている(実際にはRとGが半分ずつくらいしている)。その謝礼は物凄い金額であり、それだけで、Yが光辞の朗読のお礼にもらっている金額に充分匹敵する。それできーちゃんは半月後、千里に税務申告に関する注意を与えることになる。
 

9日この後は、きーちゃんの車で旭川に戻り、午後いっぱい龍笛の練習をした。翌日10日は午前中にフルートとピアノの練習をし、午後からは越智さんが来てくださったので、剣道の稽古を付けてもらった。
 
真剣の素振りも見てもらったが
「ちょっと待って。その刀、見せて」
と言われるのでお見せする。
 
「これは村正ではないか!」
と驚いている。
 
文化祭で藁の試斬に使ったのは実はこの村正である。千里もさっすが凄い切れ味!と思った。
 
「辻斬りを働いていた奴から取り上げました」
「この刀を持ったら辻斬りとかしたくなる気持ちは分かるけど、ほんとに人を斬ってたの?」
「暗闇で、男性固有の刀を見せて、若い女の子に悲鳴をあげさせていたようですよ」
「困った辻斬りだな」
 
「そちらの刀は1年くらい使えないようにしておきましたから」
「永久に使えないようにすれば良かったのに」
と越智さん。
「私も同意見」
ときーちゃんも言っていた。
 
越智さんが貸して貸してというので、結局この刀は越智さんに、しばらく?預けることにした。これほどの名刀は、千里が持っているより、越智さんのような人が持っているほうが有意義である。でも代わりに、きーちゃんが持っている“関の孫六”を預かった。
 
なお、11日は朝から天子の所に行き、1日一緒に過ごした。
 

さて、北海道では七五三は一般に10月15日(を中心)に行う。これは11月15日になるともう真冬で、寒すぎるからである。今年は10月15日が金曜日であったため、参拝客は10月9-11日の土日祝にする人たちと、10月16-17日の土日にする人で分散した。しかしどちらにしてもこの時期の参拝客は多くなった。
 
P神社では、千里・恵香をはじめ、蓮菜・沙苗・セナなどの中学生が大忙しとなった。Q神社でも、千里・京子・映子・循子の笛担当巫女だけでなく、臨時のバイト巫女さんたちも忙しく駆け回った。
 

10月9-11日(土日祝)の連休。
 
今年も全道中学バスケット新人ワークスが札幌で開かれた。
 
昨年は11月1-3日の連休に開催されたのだが今年は11月に連休が無い!しかしこのイベントは3日連続の休みでないとできないので、今年は10月の開催となった。
 
数子は蓮菜に連絡した。
「どちらかの千里ちゃん、出てくれないかなあ」
「今回は無理だと思う」
「そうなの!?」
「七五三の参拝集中日だから、イエローもブルーも動けない。レッドは旭川に行くみたいな話してたよ」
「3人全滅かぁ!」
「神社の行事とぶつかると厳しいかもね」
「分かった。今回は千里抜きで頑張る」
 
一方留実子も野球の大会とぶつかり、旗手になったばかりの留実子は
 
「選手権とかでなければ応援団に行きたい」
 
ということで欠席。結局、数子と1年生4人というわずか5人で行くことになった。ただこれでは交替要員が居ないので、数子は同じクラスの尚子と志保に助っ人をお願いし、7人で札幌に行った(この大会はバスケ協会に登録がなくても、当該校の2年生以下の女子生徒で、事前提出した名簿に記載された者なら参加できる)。2人は「交通費宿泊費タダで札幌に泊まりがけ旅行」という言葉に乗せられ、参加してくれた。
 
結果は3日間で6試合4勝2敗で、女子参加67校中19位という、そこそこの成績となり、こういうチームで参加してこれだけの成績をあげたことについて数子や雪子は結構な手応えを感じた。1年生たちが力を付けてきていることを如実に示しており、三井先生も「あなたたち頑張ったね」と言っていた。
 
やはり昨年秋以降、まともな練習場(ハーフコートだけど)が得られたのが大きいよなあと数子は思っていた。それまでは練習場所がなく、男子がウォーミングアップしている間だけコートを使えるという不便な状態だった。
 
なお男子は1勝5敗の118校中89位。昨年事情!により“ほぼ女子だけ”で参加した時よりも成績を落として伊藤先生が難しい顔をしていた(貴司が抜けた穴が大きすぎる)。
 

ところでこの連休、前述のように実は野球の大会も開催されていた。新人戦の留萌支庁大会で、参加校は8校である。1回戦→準決勝→決勝と進む。
 
1回戦の相手はT中だったが、試合が始まる前に軽い?揉めごとがあった。
 
試合開始前に軽く練習しようとしていたら、
「そこ、女子マネージャーさんはグラウンドに入らないで」
と審判さんが言う。
 
“司は”当惑する。女子マネの生駒さんはベンチでセーラー服を着てスコアブックの用意をしている。“彼女は”グラウンドに入っていない。
 
「君だよ、君」
と審判さんが司の前まで来て言ったので、“司は”やっと自分が女子マネジャーと誤解されたことに気付く。
 
「すみません。ぼく選手ですけど」
「女子の選手登録は禁止されてるんだけど」
「ぼく男子ですー」
「嘘ついてはいかん」
 
(この場面は、白石麻衣とか橋本環奈クラスの容姿の子がユニフォーム着てて「ぼく男子ですー」と可愛い声で言っている状況を想像してもらえるとよい。審判が信用する訳がない)
 
それで他の選手が集まって来て、
「福川さんは確かに男子です。女子ではありません」
と証言してくれる。 強飯監督まで出て来て
「福川は確かに男子です」
と言う。
 
「ほんとですか?」
と審判は半信半疑である。
 
「福川君、生徒手帳持ってない?」
「荷物に入ってます」
と言って、司はベンチまで行き、自分の荷物から生徒手帳を取ってきて審判に提示した。そこには学生服を着た司の写真がプリントされており、性別も確かに男と記載されている。
 
「うーん。学校にも男子として登校しているのなら、取り敢えずこの試合の出場は暫定的に認めます」
と審判さんは言った!
 

試合では、T中はS中の新エース・前川の多彩な変化球に全くバットを当てることができず、一方では1年生で4番に抜擢された阪井君がタイムリーを打って2点を取り、エース前川のホームランも出て3対0で勝利した。
 
しかし試合後、主催者側から
「福川さんが本当に男子なのか病院で検査を受けて診断書を出して欲しい」
と言われ、病院も指定された!
 

それで司は強飯監督に付き添われて指定された病院に行った。尿を取り、身長と体重、(着衣で)身体のサイズ:TB/UB/W/H,肩幅・足サイズを測られ、血液も取られて全体のレントゲンにMRIまで取られる。最後は泌尿器科医の前で下半身裸になって身体を見てもらった。
 
(上半身着衣で良かったぁと思った。上半身の服を脱ぐとブラ跡を見られる!)
 
「君、女子用のパンツ穿いてるの?」
「サポーター代わりですー」
「ああ、そういうことか!」
と、この点は納得していたようだ。これは実際男子選手で女子用ショーツをサポーター代わりにする人はいる。なんといっても安いし!
 
「身体の骨格は女性型だけど、男性器はあるんだね」
「ぼく男の子ですから」
「発毛はしてるね」
「小学5年生頃から生えて来ました」
 
でも『発毛が女性型だなあ』と医師は内心思っている。
 
「身体のサイズも女性体型だけど、バストは無いんだね」
「男の子におっぱいはありません」
「MRIを見る限りは卵巣や子宮は無いようですね」
「女の子ではないので」
 
「でも君、雰囲気が凄く女の子っぽいね。女の子になりたい男の子?」
「別に女の子にはなりたくないですー」
「でもスカートくらいは穿くよね(誘導尋問)」
「スカートくらいは普通に穿きますよ(きれいに誘導に引っかかる)」
 
司はまずいこと言ったかなあと思ったが、医師は逆にそれで納得していた。やはり女性指向があるから男性化を意図的に停めているのだろうと判断したようであった。
 
「足にスネ毛とか無いけど、剃ってる?」
「ぼく男性ホルモン弱いみたいで、スネ毛は生えないです」
「確かに君は男性ホルモンの数値が低いね。ヒゲは生えてる?」
「ヒゲもまだ生えてません」
 
(本当は6月以降、生えなくなった)
 
「君喉仏も無いよね。精通は来てる?あ、精通って分かる?」
「オナニーは時々するし、射精もしますよ」
「どのくらいの頻度でそれしてる」
「月に1〜2回かなあ」
 
医師は納得するように頷いていた。
 
(本当は6月以降一度も射精していないが、このくらいはしていることにしておいた)
 
ペニスと睾丸のサイズも計られたが、司の男性器は小学1-2年生くらいのサイズらしかった。つまり幼児サイズである。
 
勃起したサイズも測られたが、射精してみてとか言われたらどうしよう?と思ったもののそれは要求されなかったのでホッとした(M検じゃあるまいし目の前で射精させられることはあり得ない)。
 
結局医師の診断は
「思春期の到来が遅れていて男性的な二次性徴がまだ明確に発現しておらず、ホルモン的にはまだ中性だが、男性生殖器は存在し、女性生殖器は存在しないので医学的には男性」
というものであった。
 
主催者側は「なるほど。まだホルモン的に中性なのか」ということで納得してくれたようであった。この件は翌日以降のS中の試合の審判に「個人情報なので部外秘」という断り書きを付けて伝達されたので、翌日の試合以降は、この手のトラブルは、(あまり)無かった。
 

10日に行われた2回戦の相手はC中であった。審判には司の性別の件が伝達されていたものの、相手のC中から
「なんで女子が選手のユニフォーム着てるんですか?」
と言われる。しかし審判が
「彼女は医学的には男子に分類されるという診断結果がでていますので、参加が認められています」
と言い、C中も「まあいいか」と思ったようである(“彼女”と言われている)。
 
この試合では前半4回までを前川が投げた。前川君は荒れ玉なので四球と死球に振り逃げのランナーまで出したが、後続を断って0点に抑える。
 
荒れ玉のせいもあり、ファウル打球の跳ね返りが司の股間を直撃した事故もあったが、司が全く平気な様子なので
 
「女子がキャッチャーやると“玉衝突問題”には強いんだなあ」
などとC中の選手が言っていた!
 
5回からは慣らす意味も兼ねてS中1年生ピッチャーの左腕・山園君が投げた。C中は前半は前川の変化球にやられ、後半は一転して山園君の速球にバットが合わず、2人でC中打線をノーヒットに抑えた。
 
この試合では6回にこちらの阪井君が今日もタイムリーを打って2−0で勝った(勝ち投手は山園君になる)。
 

そして11日は決勝戦となる。夏大会の決勝と同じR中とである。R中は司を夏の大会でも見ているので、彼の性別については特に何も言わなかった。もっともR中のベンチ内では
 
「なんでS中は女子が入ってるんですか」
と1年生が尋ね
「女子とはいえあなどれない選手だよ、男と同じと思った方がいい」
と2年生が答えていたとか!?
 
この試合で先発した前川は夏大会の時はR中打線を完璧に押さえ、R中は前川が投げている間、ひとりのランナーも出せなかった。しかし、R中は何度もは、やられないということで、変化球打ちをかなり練習してきたようである。
 
それで変化球に慣れていると前川のボールは基本遅いので、全部打たれてしまう。
 
それに後から先輩の横井さんに指摘されたのだが、前川君は変化球を投げる時のモーションが各々明確なので、彼のモーションを見て、かなり球種が予想できるというのである。
「恐らくR中は夏の大会のビデオを見て、前川をかなり分析していたのだと思う」
 

初回から2者連続ヒットの後、3番にデッドボールを与えてノーアウト満塁である。ここで4番の当たりは大きなライトフライとなって犠牲フライでまず1点。更に1アウト13塁から5番のレフト前タイムリーヒットで2点目。1アウト12塁。ここで6番にフォアボールを与えて1アウトフルベースとなった所でピッチャーを交替させる。
 
念のため前川をライトに入れ、1年生ピッチャーの山園を出す。そしてここは山園が二者連続三振でピンチを切り抜け、初回のR中の得点は2点に留まった。
 

この後、R中のエース・岡田、S中の1年生左腕・山園の投げ合いで試合は進む。どちらも好投して、ランナーは出るものの得点は取れない。途中R中が出したランナーを司が物凄い牽制球でアウトにしたのが2度あった。
 
そしてとうとう最終回7回の表。R中の先頭打者が打った球はピッチャー・ライナーとなったが、山園は反射的にこの球を(利き腕の)左手で捕っちゃった。
 
バッターはアウトなのだが、山園が手を押さえている。
 
内野陣が集まる。
「山園君大丈夫?」
「骨折とかはしてないと思うんだけど・・・」
 
とにかく投げられない状況なので交替させる。すぐ治療した方が良さそうなので山園は下げてすぐ病院に連れて行き、ライトに入っていた前川をマウンドに上げる。ライトには1年生の田中が入った。
 

しかし前川は1回と同様、R中に打たれる。2連打の後、続けてタイムリーヒットでとうとう3点目を失う。更にランナー12塁である。
 
監督は審判に伝令を走らせてピッチャーの交替を告げた。
 
「福川さん、福川さんがピッチャーをやってって。監督が」
と伝令の1年生が言う。
 
「え〜〜!?」
「いや、福川さんは小学校の時はピッチャーだった。できるはず」
と前川君が言う。
 
「実際俺たちだと、そもそもセットポジションとかも分からないから、簡単にボーク取られそう。ここは経験者の福川さんしか居ないよ」
 
それで司は前川君のグラブを借り、小学5年生の時以来、3年ぶりにピッチャーズマウンドに立ったのである。1年生キャッチャーの宇川君がマスクをかぶり、前川はライトに戻る(彼の打順が裏にあるため)。
 

投球練習で軽く5球投げたが、懐かしい感触だなあと思った。あまり自信無いけど、他に出来る人がいないから自分がするしかない。
 
それでR中の4番打者と対決する。
 
まずは速球を全力で投げ込む。相手が振り遅れていた。
 
「すげー!女の投げる球とは思えん。気合入れなきゃ」
などとバッターは呟いていた!
 
(1年生キャッチャーの宇川君は「福川さん牽制球も速いもんなあ。やはり女子のソフトボールでは強い選手が居なくて面白くないから男子の野球部に入ってるのかなあ」などと思っている!)
 
司が再度全力投球。今度は相手は微かに当てた。ファウルで0−2.
 
さすがR中の4番である。物凄い対応能力だ。この人とは2度対戦したら次は確実に打たれるなと司は思った。
 
次のボールは先の2回と同じフォーム・腕の振りで投げる。
 
相手のバットが空を切り、三振!
 
実は、これはチェンジアップであった。速球と同じモーションで投げるが、球の握り方が違うので球速が遅い。それで速球のつもりでバットを振るとタイミングが合わず、当てることができなかったのである。
 

これで2アウト12塁となる。バッターは5番である。
 
まずは速球を投げるが、これはわざと高めに外して投げた。相手は空振りでまず1ストライク。次の玉は普通のカーブで外角ぎりぎりに投げたがボールの判定。バッターもよく見てカウントは1−1。次もまた同じようなコースに投げる。バッターは見送ったが、これはストライク!それでカウントは1−2となる。バッターが「入ってたかぁ!」という感じで首を振った。
 
セットポジションを取る。その時、目の端で2塁ランナーの離塁が大きいことに気付く。
 
矢のような牽制球を投げる。
 
セカンドが取ってタッチアウト!
 
これでスリーアウトとなり、R中の7回表の得点は1点に留まった。
 

しかし点数は3−0である。
 
S中が最後の攻撃に入る。打順は6番の前川からである。
 
彼はこの試合、投球でみんなに迷惑掛けたから、ここは何とか塁に出るぞという気持ちで無茶苦茶気合が入っていた。
 
岡田君の外し気味のカーブを思いっきり引っ張る。ボールがショートの奥深い所に転がる。前川は必死で走って、最後は滑り込んで1塁に生きた。
 
7番だが、代打の2年生・東野君が出ていく。
 
彼がバントをする。R中はこれだけ点差がある所でしかも代打がバントというのは全く想定外で無防備だった(無防備なのを見てバントした)。それで対応が遅れた。東野君が転がしたボールをキャッチャーが取って・・・2塁に投げた!
 
しかし前川君はまた滑り込んでセーフ!
 
結局キャッチャーの野選(フィルダーズチョイス)でノーアウト12塁になってしまう。
 
8番の司が出ていく。「8番ピッチャー福川さん」と場内アナウンスで言われて、司はなんだか面はゆい気分だった。ピッチャーとコールされたのも3年ぶりだ。
 
気分良く座席に立つ。相手ピッチャーの最初のボールが外角低めにきたのを思いっきり振った。
 
ボールは右中間に転がる。2塁ランナーの前川君が笑顔でホームイン。1塁走者で俊足の東野君が全力疾走し、ホームでクロスプレイになったもののセーフの判定。あっという間に3−2と1点差に迫った。打った司も2塁に到達した。
 
司のタイムリー2塁打であった。
 

9番の所に代打の1年生・梶屋君を出す。彼はバッティングはいいのだが、実は送球が下手糞なのである。それで守備に使えない。だから逆に代打の切り札であった。彼は1球空振りした後、R中エース岡田の2球目をジャストミート。
 
ボールは切れながらも伸びていった。
 
そして
 
レフトポール際、ぎりぎりのスタンドに入った。
 
三塁塁審がぐるぐる腕を回す。
 
劇的なさよならホームランであった。
 
打たれた岡田君がショックでマウンドに座り込んでしまった。
 
司は大喜びで三塁を回り、同点のホームを踏む。
 
そして梶屋君がダイヤモンドを一周して、逆転のホームイン。チームメイトにもみくちゃにされた。
 
整列する。
「4-3でS中学校の勝ち」
「ありがとうございました」
と双方挨拶した後、握手を交わした。
 
この試合の勝ち投手は司になったので、S中はこの大会、1回戦・準決勝・決勝を全部違う勝ち投手で勝ったという珍現象が起きていた。S中応援団は毎試合、応援を行い、団長の河合君の声が枯れていたが勝利に全員歓喜していた。留実子はずっと応援団旗を掲げ続けた。
 
しかしこれでS中は8年ぶり(だったらしい)に留萌地区大会で優勝し、下旬に行われる北北海道大会に進出した。
 
なお、病院に連れて行かれた山園君だが、骨には異常はなく、一週間くらい湿布していれば治るだろうということだった。つまり北北海道大会には間に合うので、彼がエースということになるかも知れない。
 

10月12日(火・みつ).
 
家庭裁判所からの通知が届き、真広の性別が女性に訂正された。これで真広は蜂郎の長女ということになる。
 
なお、女に性変してしまった初広、20歳をすぎたら性転換手術を受ける予定の古広はいづれも女性と結婚予定なので、法的な性別を変更/訂正できない。
 
つまり蜂郎の子供は法的には男の子2人、女の子1人ということで確定した。
 
母は真広に言った。
「あんた突然女の子になって、女の服が足りないんじゃない?」
「うん。実はかなり少ない数で回してる」
「じゃ少し服を買ってあげるよ」
「ほんと?助かるー」
 
それで水曜日の午後、札幌まで出て来た母が真広を三越に連れて行こうとしたら
 
「そんな高い所の服じゃ普段に使えないよー」
と言って、結局、しまむら(*26)に母を連れて行く。
 
「ここ安いね!」
と母が逆に感動していた。
 
「ユニクロは有名だけど、男性向けの服が中心だし、同じ服を大量に作って売るから、他の人とダブりやすいんだよね。しまむらは女性用の服が中心だし、同じデザインのものは少ししか売らないから、めったにダブらない。私はこちらの方が好き」
「へー。私もファンになってしまいそう」
と母は感心していた。
 
(*26) 札幌のしまむらがいつできたかは確認できなかったが、しまむらの企業サイトに、2002年に47都道府県への出店完了と書かれているので、2004年に“北海道内”のどこかにはしまむらがあったのは確実。
 

たくさん買ったので、母も持ってくれて一緒にアパートに帰る。それで服を収納しようとするが、入らない!
 
「あんた男物は捨てちゃいなさいよ。どうせもう着ないんだから」
「そだねー」
 
それで母と2人で男物の服の中でどう見ても今後着ないものは全部廃棄することにした。ただあまり傷んでないものは
「リサイクルショップに持ち込むよ」
と真広が言い
「こんなの買ってくれるところがあるんだ!」
とそれも母は驚いていた。
 
母は庶民的な生活の経験が無い。
 
「でもあんた、たんすの中に、女物は少ししか無かったね」
「女の子になっちゃってから、慌てて買ったからね」
「それまで女装してなかったの?」
「してみようかなあと思ったことはあったけど、しはじめると自分に歯止めが掛からない気がして我慢してた」
 
「初広のタンスの中ってほぼ女物ばかりで、男物がほとんど無かったから呆れた」
「お姉ちゃんは、たぶんそちらだと思ってたよ。だいたい女装したいから、わざわざマンション借りたんでしょ?」
「そうだったのか!私、全然気付かなかった」
 
と母は言っていたが、まあおっとりした性格の母じゃ気付かないだろうなと、真広は思った。
 

だいたい片づけ終わった所で母は言った。
 
「でもあんた、いい服もひとつは持ってた方がいい」
 
それで真広をあらためて三越に連れて行き、アニエスベーの手頃な価格の可愛い上下を2組、買ってくれた。
 
「このくらいなら普通に着れるでしょ」
「そだねー」
「やはりデートに誘われた時に、しまむらしか無いとやばいよ」
「確かにそうかも」
 
それで三越内のカフェでお茶を飲んでから母は言った。
 
「じゃちょっと振袖買って帰ろうか」
「え〜〜〜!?」
 

土曜日、蜂郎と町子は、真広に可愛い振袖(水曜に札幌三越で買ったもの)を着せ、蜂郎の弟の松郎の家(名寄市)に連れて行き、松郎夫婦やその息子たちに紹介した。
 
「この子、元々性別がやや曖昧な所があったんですが、医師の診察を受けたらむしろ完全な女性だと言われて、裁判所に申請して性別を訂正したんですよ」
と蜂郎は説明した。
 
「真広ちゃん、男の子にしとくのもったいないと思ってたけど、本当に女の子だったんだ?」
と松郎の長男・統太(とうた/修士2年)が驚いたように言う。
 
「私も、男として育てられたけど、私、ちんちん無いのに男なのかなあ?と思ってたのよね。生理もあるし。そしたらお医者さんが、君は間違い無く女とおっしゃるから、法的な性別を訂正してもらった」
と真広(大1)。
 
「そりゃ、ちんちん無くて、生理あるなら間違い無く女だよ」
と三男の吉尉(よしやす/大2)。
 
「小さい頃はクリちゃんが少し大きかったんだよ。それをちんちんと見間違えられたのかもね。でも小学校にあがる頃には割れ目ちゃんの中に隠れるようになってたよ」
「やや男性ホルモンが強かったのかもね」
「たぶんそうだろうとお医者さんも言ってた」
 
「僕は小さい頃、真広さんに会った時、優しいお姉さんだなあと思ってたから後で男の子と知って、え〜〜!?と思ってた」
と四男の和典(かずのり/高3)は言っている。
 
「わりと私、そう思われてる」
 
叔父夫婦・従兄弟たちと2時間くらいおやつなど食べながら話したが、みんな“女と確認された”真広を普通に受け入れてくれているようだった。
 
ただ四兄弟の中で、過去の親戚の集まりなどで、いちばんよく話していた桂助(けいすけ/大4)はあまり発言せず、しばしばこちらを見詰めていたのは、「けいちゃん、私の性別に疑惑を持ってるのかなあ」と少し不安を感じた。
 

翌日には今度は蜂郎の妹・浪子叔母さんの家(深川市)にも行き、浪子さんと夫の菊地さん、およびその子供たちとも話した。こちらもみんな驚いていたが、
 
「あんたは女の子にしてあげたいくらい可愛いと思ってたけど、実は元々女の子だったのね」
などと浪子叔母さんからは言われた。
 
次女の萌絵ちゃん(高1)など
 
「私、母さんから、初広さんか真広さんを口説き落として結婚しろとか言われてたのに、これで安心して自由に恋人探せる」
などと言っていた!(浪子さんは笑っていた)
 
「初広兄はもうフィアンセが居るから」
と真広は言っておいた。
 
「ま、さすがに性転換して男になって真広ちゃんを嫁さんにしろ、とまでは言われないだろうしね」
と長女の芽衣(高3)は言っていた。
 
「でも真広ちゃんバイでしょ?」
と芽衣。
 
「ちょ、ちょっとー」
 
「真広ちゃんは女の子からのバレンタインも、男の子からのホワイトデーもたくさんもらってるタイプと見た」
「すみません。ノーコメントで」
と真広はこの日は逃げておいた。
 

真広は性別の訂正が戸籍・住民票に反映されるのを待って、健康保険証カード(被扶養者証)の変更、運転免許証の登録の変更(内部的な記録の変更なので、免許証の表面は特に変わらず)、などをおこなった。
 
運転免許センターでは「性別変更届け」を書いて、真広はちょっとドキドキした。
 
大学にも「性別変更届け」を提出した。
 
氏名:杉村真宏
旧性別:男
新性別:女
変更理由:戸籍上の性別が訂正されたため
 
学生課では
「性転換手術を受けられたんですか?」
と訊かれたが、
「いえ、違います」
と言って、半陰陽による性別誤認の訂正であると説明し、裁判所からの通知と、訂正済みの戸籍謄本を提示して理解してもらった。学生課長さんが対応してくれて、翌日には性別が女になった新しい学生証を渡してくれた。
 
これで真広は正式に女子学生になった。
 
クラスメイトたちに新しい学生証を見せると
「おめでとう!!」
「正式に女の子になったのね!」
「よし、まっちゃんの性転換記念パーティーだ!」
 
と言われて、真広のアパートにクラスメイトの女子4人がワイン2本とビール1箱!に、大量の食料を持ち込み、徹夜で飲み明かして祝ってくれた(全員未成年だと思うのだが・・・)。
 
酔った勢いで裸に剥かれて再度女であることを確認された!
 
「こないだお風呂でも見たじゃん」
「さすがにお風呂では“精査”できなかったから」
「ちょっと、そこはやめてぇ!!」
 

2004年10月13日(水).
 
株式会社ダイエー(ダイエー本体)は産業再生機構に支援要請を行い、事実上経営破綻した(12月28日支援決定)。ダイエーはあまりにも巨大すぎて、倒産させると社会的な影響が甚大すぎるし、通常の会社再建方法も採ることができないので、こういう特殊な対応になったのである。
 
産業再生機構は2003年から2007年まで4年ちょっとだけ存在した特殊会社で大きな企業の再建専門の機構である。ダイエーとカネボウが手がけた案件の中のメインであるが、他にミサワホーム、宮崎交通、スカイネットアジア航空、パソコン教室のアビバ、ライオンズマンションの大京などの案件も取り扱った。
 
このダイエー親会社の経営行き詰まりで、ダイエー球団の売却あるいは他球団への合併もあり得る事態となった(“ロッテ・ホークス”ができるという噂もあった)。
 

10月13日(水)には2学期の中間テストが行われた。千里たちは例によって、国語・社会・英語はR、数学・理科はYが受けた。
 

10月20日(水).
 
天売島(羽幌町所属)の天売小中学校・新校舎が完成し、入校式が行われた。
 
この式典には、天売島関係者、羽幌町関係者だけでなく、OB/OGや様々な関わりのある人も出席している。昨年までここで教壇に立っていた、千里たちの担任・吉永先生も出席して祝辞を述べ、昨年の教え子たちと久しぶりの再会を喜んだ。
 

2004年10月20日(水・ひらく)13:09.
 
天野産業株式会社(後に朱雀林業と合併)が、旭川市で設立された。千里の事実上の最初の会社である。千里が未成年で役員になれないので、この会社の取締役は、社長が天野貴子(帰蝶)、副社長が祐川紡貴(月夜)、無役の取締役として鶴岡の藤島月華にお願いしている。月華は名前を借りただけで、この会社の運営には関わらない。でも唯一の人間の取締役だったりして!?
 
この会社で、千里、道場管理人・忌部繭子(太陰)、道場主・道田大海を雇用することにした。
 
(千里の業務は何だ??)
 
この日、きーちゃんは夕方留萌まで来て、剣道部の練習を終えて帰ろうとしていた千里(千里R)をキャッチ。
 
「これあんたの社員証と健康保険証。渡しておくね」
と言って渡した。
 
「でも私、お母ちゃんの被扶養者の保険証持ってるよ」
「それはとっくに無効になってるはず。あんたの収入は被扶養者にできる金額を遙かにオーバーしてるから」
「え?そうなの?」
「税務申告も忘れないようにしてね」
と言って、きーちゃんは帰って行った。
 
税務申告のことを丁寧に教えなくても、注意だけしておけば、千里ならそのくらい何とかするだろうというのが、きーちゃんの考えである。千里は“絶対に甘やかしてはいけない”と、きーちゃんは思う。
 
そして千里(R)は
「ゼームシンコン?って何だっけ??」
と悩んだものの、分からないので、いいことにした!
 

税務申告の問題については、実は千里GがA大神様から注意されていたので、Gは千里名義の口座をひとつHY銀行に作り(星子に親の振りをしてもらった)、これまでのメイン口座である∂∂∂銀行の口座からそちらに概算の納税予定額を移動している。常用口座のS銀行は触っていないし、そもそも千里Rも千里Yも自分の収入がどのくらいあり、どのくらい口座残高があるかは全く分かってないので、この操作には全く気付いていない。確定申告は星子に計算をしてもらう予定である。
 

10月20日(水).
 
大型の台風23号(トカゲ)が四国に上陸。その後、近畿地方から関東地方に抜け、四国・近畿・東海を中心に、死者不明者98人という大きな被害を与えた。
 
特に兵庫県では河川の氾濫・決壊が相次ぎ26名もの死者出している。京都でも15名が死亡しているが、立ち往生したバスの乗客37名がバスの屋根で一晩過ごし全員救助されるというのもあった。
 
富山県では帆船・海王丸(展示されてるものではなく現役のほう)が座礁したが乗っていた人たちは全員救助された。
 

10月23-24日には、P神社で秋祭りが行われる予定だったが、(北海道には目立った被害は無かったものの他地域での)台風の被害を受けて1週間順延され、10月30-31日に行われることになった。
 

2004年10月23日、新潟県でM6.8、最大震度7の地震が発生した。新潟県中越地震(*27) である。更には震度6クラスの余震が続き、死者68名という大きな被害が出た。
 
今年はこのように自然災害が相次いだ。
 
後述するが年末には北海道でも大きな地震が3つ続く。
 
(*27) 名前が紛らわしいが、3年後の2007年のは「新潟県中越沖地震」である。
 

2004年10月24日(日・みつ).
 
中村裕恵と義浜ハイジはこの日15:10、旭川市役所に婚姻届を提出した。
 
但し、実際に提出したのは、代理人となった、和峰弁護士である。弁護士さんの提出なので、時間外窓口の人が緊張したが
「提出したい時刻と式を挙げたい時刻がぶつかるので代理しただけ」
と理由を述べると、向こうも
「ああ、そういうことですね」
と理解してくれた。
 
実は、この日の結婚に適した時刻が14:44(月出)-16:29(日入)で、時間帯が狭く、届けを出すのも式を挙げるのもこの時間内にしたかったので、提出は弁護士さんに代理を頼むことにしたのである。
 
窓口の担当者は新郎新婦の名前が「裕恵」「ハイジ」とどちらも女名前なので、
「すみません。同性婚ですか?」
と確認する。
 
「中村裕恵は名前は女性名ですが、法的な性別は男性です」
と弁護士は答え、戸籍謄本を示す。
 
「ああ。名前だけ女性的な名前に変更したんですね」
「そうなんですよ。色々複雑な事情はあるのですが、現時点では間違い無く法的には男と女です」
「分かりました。これで受け付けます」
と課長さん?まで出て来てくれて言った。
 

和峰弁護士は婚姻届が受理された所で電話連絡を入れ、富良野市内のホテルで2人の結婚式が挙行された。
 
「あんたたち結局どちらの苗字を名乗るんだっけ?」
「妻の苗字を使うことにした」
「妻というと裕恵ちゃんの中村?」
「法的な妻であるハイジの義浜」
「・・・・・」
「どうしたの?」
「あんたたちの関係がよく分からん」
「ぼくたちも実はよく分からない」
 
それで柚美の通学ドライバーは、“義浜裕恵”が務めることになったのである。
 
柚美と古広、更についでに初広と真広まで、裕恵の関係者として結婚式に出席してくれた。
 

結婚式の形式は、人前式の形で行われた。司会は話を聞いて来てくれた、裕恵の高校時代の同級生・多美さんが引き受けてくれた。彼女は札幌で5年ほどラジオ局のアナウンサーをしていたので、実は結婚式・祝賀会の司会を頼まれることも多いらしく、そつなく進行させてくれた。
 
結婚式の出席者は、裕恵の両親、兄・姉およびその配偶者、杉村三姉妹!に柚美、ハイジの関係者として天野貴子・祐川紡貴(月夜)、頭数が足りないからと徴用された千里(実はG)、ハイジが8月から勤務し始めた会社の課長さん、更にわざわざ東京から来てくれた左座浪源太郎である(ハイジの関係者はこの5人)。
 
左座浪には、司会者の多美さんが「プロレスラーの左座浪さんですよね?サイン下さい」などと話しかけ、左座浪も笑って色紙にサインを書いてあげていた。左座浪は「だったら、あんたのサインもちょうだいよ」と言って、結局サイン交換になった。
 
「可愛いサインだね!」
「久しぶりに書きました」
 
このメンツに、裕恵の高校時代の友人女性3名も参加してくれて祝賀会を行った。
 
服装は「平服で」ということにしたので、貴子や杉村三姉妹に柚美も普通のワンピースで参加した。裕恵の元友人たちも普通の服である。千里もセーラー服ではなく、普通のワンピースにした。
 
裕恵の元友人たちは裕恵の身体にあちこち触り、特に股間の突起物が無くなっていることをスカートの中に手を入れてしっかり確認!した上で
 
「あんた、女湯で悲鳴上げられたら、この子確かに女ですと証言してあげるね」
などと言っていた。
 
新婦新婦!の服装だが、結婚式の時は、ハイジがタキシードを着て、裕恵がウェディングドレスであった。ふたりは婚姻届けでは、裕恵が夫で、ハイジが妻になっているが、結婚式では性逆転した。しかし結婚式に続く祝賀会では、ハイジにもウェディングドレスを着せて、ウェディングドレス同士で並ぶ記念写真も撮ってもらっていた。
 
ホテル側は最初予約を受け付けた時は、2人の外見を見て男性同士の結婚かと思ったようだが「最近は色々なケースがありますから大丈夫ですよ」と理解を示してくれていた。でも祝賀会の最後では双方ともウェディングドレスになったので、担当者が首をひねっていた。
 
しかしそういう訳で、左座浪は、高岡の重要な関係者である、義浜配次と中村裕太がともに女性になりしかも同性婚したことを知る、数少ない人物となったのである。
 

ハイジは結婚式・祝賀会が終わった後、普段着に着替えて一息つき、紅茶を飲んでいた。ふと小登愛のことを思い出す。彼女は
 
「死んでから266日くらいで完全消滅するかも」
などと言っていた。2003年12月26日の266日後は、日付計算サイトで計算してみたが、2004年9月17日であった。その日何かあるかなと思っていたが何も無かった。ハイジが小登愛と最後に会ったのは、満願の日7月11日に徳島の宿で「結願(けちがん)おめでとう」と言ってくれた時である。あの時は、まだ9月までは会えるだろうと思い、何でもないことしか話さなかった。
 
でもその後出てこなくなったということは、つまり後は自分で何とかしろということかなあとも思った。きっと本当に“同行二人”してお遍路の間、自分を守護してくれていたのだろう。
 

結婚式の夜は式を挙げたホテルのデラックス・ダブルルームで“初夜”を迎える。
 
「優しくしてあげるからリラックスして」
とハイジは裕恵に言い、まずはクリトリスをゆっくりと刺激する。
 
「なんか物凄く気持ちいい」
「女の子の身体は男の身体の10倍気持ちいいんだよ」
「そうだったのか」
 
裕恵が充分気持ちよくなっている様子なのを見て、ゼリーを投入して湿潤させた上で、ゆっくり入れてあげる。
 
「これも気持ちいい気がする」
「これが女の悦びだよ」
「ぼく女になってよかったかも」
「ヒロちゃんは元々女の子だったんだよ」
と言ってハイジは彼女にキスしてあげた。
 
そういう訳で、裕恵はバージンを新妻のハイジに捧げたのである!?
 

10月24日(日)の夕方。(お留守番前半戦)
 
この土日は秋祭りが延期になったので、千里たちは普通の勉強会をしていた。それが夕方に終わり、みんなが帰る。千里は特別メニューで花絵さんから渡された小6〜中1の問題をやっていた。
 
それも終わって、20時前に帰ろうとしていたら、大神様から呼び止められる。
 
「千里、今年も留守番を頼む」
「神様会議に出られるのは、秋祭りの後じゃなかったんですか?」
「本当は昨日・今日が秋祭りの予定だったから、今夜から行くことになっていた。だから今から伊勢に行ってくる」
 
「来週の秋祭りは?」
「お前が代行してくれ」
「それはさすがに無茶です!」
「まあ仕方ないから、次の土日は会議を抜け出してくるよ」
「お願いします」
「じゃよろしく〜」
と言って、大神様は出掛けてしまうので、千里(千里Y)は、ふっと息をつき、勝手に神社深部に入って、3つの燈台の火が燃えている向こう、大神様の居所の隣の座に座った。これから約1週間ここでお留守番をすることになる。但し、昼間は学校に行くので、小町に代行してもらい、千里の担当は夜間である。夜間は、お願いごととかで祈願に来る人もめったに居ないので、千里の主たるお仕事は、おかしなのが神社の敷地内に入ってこないよう監視しておく業務である(ほぼ夜間警備員!)。このお仕事を千里は2000年以来毎年している。
 
「小春」
と言って、小春を呼ぶ。ここに入れるのはP大神の(一部の)女性眷属、千里と蓮菜、小春と小町くらいである。
 
「私、お留守番で一週間自宅に帰れないから、小春私の振りして帰っておいて」
「それは去年と同様に代理さんが帰るから大丈夫だよ」
「そうなの?じゃその代理さんによろしくー」
 
実際には普段でもYはめったに自宅に戻ることはなく、自宅にはたいていRが帰っているのだが、たまにRが練習で疲れすぎていると勝手に消えてしまい、Yが帰宅する日もある。しかし今週はRが勝手に消えたりしないように、よく言っておかなくちゃ、と小春は思った。
 

10月28日(木).
 
沙苗はまた母に付き添ってもらい、札幌に行ってS医大を受診した。
 
「ほぼ完全な女性の形になってきたね」
と主治医は言った。
 
尿道口はもうほぼ女性の通常の位置に近い所まで到達した。平均的な位置よりは少し前よりだが、このくらいの位置にあるのは変位の範囲内ということである。沙苗も、おしっこの出方が凄くストレスの無い感じですと述べた。小陰唇はほぼ完成しかかっている。普通の女性の形になるのは時間の問題だし、これを誰か知らない医師が診たら、普通の女性の外陰部としか思わないだろうと主治医は言った。
 
「今日は生理3日目くらい?」
「はい、そうです。28日に生理になりました」
「生理もほぼ順調に来ているようだね」
「そうみたいです。8月下旬だけが来なかったのですが」
「まあそういう時はありますよ。特に初期の内は乱れがちなんです」
 
沙苗の生理:5.11 6.7 7.5 8.3 (8.31) 9.28 10.26
 
(8.31の生理が来なかったのは、8.15に、排卵しそうになっている卵子を貴子が採取して、帯広に持ち込み、音香の夫の精子を受精させたため。つまり妊娠したから生理が来なかった!!)
 
「もう君は完全な女性だね」
と主治医が笑顔で言うと
 
「はい!」
と沙苗も明るく答えた。
 

10月30-31日、P神社の秋祭りが1週間遅れで実施された。
 
P大神様は10月29日の深夜に戻って来たので、千里はホッとして、消えちゃった!
 
「この子、最近消えてる時間が長い気がするけど、大丈夫かな」
とP大神様は心配していた。
 
「学校でも少しずつ消えている時間が長くなってきつつあるんですよ」
と小春も言った。
 
Bが5月にほぼ消えてしまって以来、RとYが半々くらいで授業を受けていたのだが、10月頭頃から、英語と音楽はほぼRが出るようになり、全体的に見てRが6割くらいの授業を受ける感じになっている。先日はRが数学の授業を受けて「分かんなーい」と悩んでいた。(Rは最近、分数で悩んでいる)
 

10月30日0時、宮司の手により、社務所の囲炉裏で絶えることなく維持されている神火が、いったんカンデラに取られ、そこから神殿に設置された三台の燈台に移される。これから秋祭りが始まる。
 
この神殿の火は明日の夜まで、3人の不寝番(ねずのばん)が消えたりしないように交替で見守る。今年、この役目をしたのは、昨年もこの役目をした杉本さんと花絵、それに梨花さんの婚約者・望田さん(28)の3人であった。
 
一応期間中は1人ずつ交替で仮眠を取り、最低2人が火を見守っているようにする。仮眠は取れるとはいっても基本的にきつい仕事なので“身内”で引き受けることにしている。
 
昨年不寝番に参加した和弥は今年は宮司の補佐を務める。彼は現在伊勢・皇學館の3年生である:神職の資格を取れるのは2006年3月だが、彼は常弥が元気であれば、更に2年間大学院にも通う予定である。
 

神殿の燈台に火が灯ると、続けて境内に昨日の内に設置していた多数のLEDランプも点灯されて、神社は灯りに包まれる。
 
朝9時、神職が、和弥の太鼓、千里R!の龍笛に合わせて祝詞を上げ、姫奉燈が神社を出発する。今年、この姫奉燈を先導する巫女は、千里・広海・純代・守恵の4人が務めた。千里(実はR)は
 
「昨年しなかったから2年ぶりだなあ」
などと発言したが、
 
「何言ってんの?あんた去年もしたじゃん」
と純代さんから言われて
「嘘!?」
と驚いていた。むろん昨年この姫奉燈の先導役をしたのは千里Yである。
 
今年は千里Yが一週間の“お留守番”でクタクタに疲れているため、小春の誘導で、千里RがP神社のお祭りにご奉仕することになった(実は昼間のお留守番をしていた小町もきつい)。
 

「うっそー!?私が扇を持って先頭歩くんですか?」
と千里は焦る。
 
「他の3人は全員1度先頭を務めているし」
と広海さん。
 
秋祭り復活後の姫奉燈・先導巫女 (L:先頭)
 
1994 文代L 梨花 花絵 小春
1995 花絵L 梨花 美輪子 小春
1996 美輪子L 花絵 梨花 小春
1997 梨花L 乃愛 美輪子 小春
1998 乃愛L 洋子 美輪子 小春
1999 洋子L 守恵 美輪子 小春
2000 守恵L 朱理 美輪子 小春
2001 朱理L 純代 守恵 美輪子
2002 純代L 守恵 広海 千里
2003 広海L 純代 守恵 千里
2004 千里L 広海 純代 守恵
 
※1999年は乃愛が風邪を引いて欠席。守恵が急遽旭川から呼び出されて参加した。守恵は蓮菜の従姉で、それ以来毎年このお祭りのためにわざわざ旭川から来てくれている。現在は旭川の大学生である。
 
「でも3年間メンツが変わらないのは、初めてだね。2年連続同じというのは以前1度あったけど(1995-1996)」
「守恵ちゃんが大学を卒業するまで、あと2年はこのメンツで固定かもね」
「来年は守恵ちゃんが2度目の先導役かな」
 
「そういえば蓮菜ちゃんはなぜやったことが無いんだ?この神社の主(ぬし)みたいな顔してるのに」
「あの子は非処女だから」
「中学生のくせにもうセックスしてるの?」
「あの子は小学生の頃からしてますよ」
「ま、はしたない!」
 

姫奉燈(車輪付き)は、4人の巫女が先導し、赤い服を着た氏子さんたちの手で曳かれて、町内を巡回する。
 
先導巫女−宮司−姫奉燈を曳く氏子さんたち−姫奉燈−宮司補助者(和弥)−末尾巫女
 
という並びで歩き回るのである(末尾巫女は梨花と花絵)。
 
巡回経路には1日目の日中に、氏子さんたちや子供会の手で、多数のランタン型LEDランプが設置される。夕方になるとこのLEDランプが点灯されて美しい風景になる。それでこの美しさが“留萌の灯りフェスティバル”などと言われて、結構見に来る人もあるし、テレビ局も取材してくれる。昔は蝋燭を使用したランタンだったのだが、火事の危険性と資源節約の問題から1994年に復活した時には蛍光灯や一部電球に変更され、更に省エネとバッテリーの“もち”のため、2002年全面的にLEDに変更された。
 
現在、火を使用するのは神社神殿の燈台のみである。
 
LEDになって、それ以前より明るくなったとして好評である。
 
拝殿では夕方から4回、先導役4人の巫女による巫女舞が奉納される。これの太鼓は巫女長の梨花さん、龍笛は恵香が吹いた。
 

翌日(10/31)も朝9時に千里の龍笛に合わせて宮司が祝詞をあげ、4人の巫女に先導されて姫奉燈が町内を巡っていく。鳴り物や歌も無い、静かなお祭りである。夏祭りが“陽”であるのに対して秋祭りは“陰”なのである。
 
夕方からまた4回、巫女舞が奉納される。
 
21:00に最後の巫女舞が奉納された後は、境内の参拝客も帰っていく。出店も店仕舞いである。神殿の燈台にはこれ以上燃料を追加しない。
 
宮司、和弥さん、花絵さん、梨花さんの4人だけが、拝殿で静かに火を見守る。
 
やがて3つ目の燈台の火が消える。最後に消えるのは必ず奥の側の神座に近い燈台の火である。この火が消えた所で、小町を呼んで笛を吹かせ、和弥が太鼓を叩いて、宮司が締めの祝詞を奏上する。
 
これで2日間にわたったお祭りは終了で、境内のLEDランプも落とされる。
 
なお町中のランタンは、明日、氏子さんが軽トラを運転して回収しに回ってくれることになっている。
 

千里Yは起こされた。
 
(A大神が休眠しているYをそのまま転送し、そこでP大神が起こした)
 
「あれ?大神様。お早うございます」
「秋祭りが終わったから、私はまた伊勢に行ってくる、また留守番を頼む」
「あれ〜。終わっちゃったんですか?私、姫奉燈の先導役頼まれていたのに」
「それは君が眠ったまま務めてたよ」
「うっそー!?」
「じゃ、留守番よろしく」
 
ということでP大神様は飛んで行ってしまった。
 
「私、いつまで留守番すればいいんだっけ?」
と思いながら、神座の横に座る。
 
「おはよう、千里。食事を用意したよ」
と言って、カノ子が食事を持って来てくれたので、千里はそれを食べながら、まだボーっとしていた。
 
 
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【女子中学生・秋の嵐】(4)