【夏の日の想い出・天下の回り物】(6)

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『青い豚の伝説』の後は『キュピパラ・ペポリカ』『マイ・ハッピー・デイ』、『お嫁さんにしてね』『天使に逢えたら』『フック船長』と続く。
 
『フック船長』の途中で鳴りだした目覚まし時計がなかなか止まらない。宮本さんが踏んだり投げたりしても停まらなかったのが、やがて、取り出したお玉で叩いたら停まる。
 
それで品川ありさが「あ、お玉だ」と言うと、そこに多数お玉を持ったスタッフが入って来てステージ上の演奏者に渡す。それでありさが
 
「それでは最後の曲は?」
と言ってマイクを客席に向けると
 
「ピンザンティン!」
という声が返ってくる。そして最後の曲『ピンザンティン』の演奏が始まる。客席でも多数のお玉が振られる。私たちも座ったままお玉を振りながら歌う。酒向さんはスティックの代わりにお玉でドラムスを打っている。鷹野さんはお玉の端で!ベースを弾いている。
 
「サラダを作ろう、ピンザンティン、素敵なサラダを」
「サラダを食べよう、ピンザンティン、美味しいサラダを」
 
会場は興奮の中、幕が降りた。
 

私とマリはずっと座りっぱなしなので、その姿勢がかえってきつく、楽屋で大きく伸びをして軽い体操をする。私はポカリスエットを1本飲む。マリはコカコーラ・ゼロとマクドナルドの“名古屋名物みそかつバーガー”を食べている。ハンバーガーなど食べたらゼロカロリーの飲料でも焼け石に水ではという気もするが、まあ少しはカロリーを控える気になっているのだろう。
 
「風花、ずっと座りっぱなしはかえってきついから、2〜3曲に一回立ち上がって身体を動かしたい。特に第3部は疲れが溜まってきているから辛かった」
と私は言った。
 
「明日以降はそうしようか。ちょっと七星さんとやり方を考えてみるよ」
「うん」
 
会場ではアンコールを求める拍手が続いている。
 
「よし行こうか」
 
私たち2人、スターキッズの5人とキーボードの詩津紅、ヴァイオリンの千里、フルートの世梨奈、クラリネットの美津穂、合計11人でステージに出て行く。拍手が止む。
 
ノーアナウンスで『影たちの夜』を演奏する。私たちは立ったまま歌う。客席も総立ちである。ここまで残っている演奏者がぞろぞろとステージに上がり、思い思いに身体を動かしてダンスする。興奮の中、曲は終了し、拍手が鳴り響く中、私とマリ以外の演奏者は退場する。
 
私たちは
「アンコールありがとうございます」
と挨拶し、ふたりで軽い掛け合い漫才のようなトークをする。
 
「では本当に最後の曲です。『あの夏の日』」
 
私たちが話している間に○○プロの男性スタッフの手でグランドピアノが中央前面に移動されている。私たちは今日はふたりでピアノの前に座り、私の前奏に続いて一緒に歌い出した。
 
この10年間、ほんとにまあ色々なことがあったよね〜と私は思っていた。しかしマリもママになってしまうし、ローズ+リリーがこんな大会場でライブをできるのも今回が最後かなあ、などと私は思う。すると今回のツアーはひとつひとつのライブを一期一会(いちごいちえ)として大事にしていかなければという気持ちになる。
 

美しい和音で終止。
 
そのピアノの音の残響が消えるのと同時に割れんばかりの拍手。
 
私たちは立ち上がって一緒に観客に向かってお辞儀をした。物凄い拍手の中、品川ありさの「本日の公演はこれにて完全に終了しました」のアナウンスが流れ、私たちは退場した。
 

この日の公演は予定通り20時に終わり、出演者一同(但し18歳以上)で20時半から札幌市郊外のジンギスカンのお店で打ち上げをした。
 
「愛のデュエットは直前に組み替えたけどうまく行ったね」
「やはりみんなレベルが高いからだよ」
 
当初はこういう予定だった。
 
Pf.月丘,翼 Recorder/Fl/Cla/ASax.心亜(男装),翼 Vn/Vc/Gt.鷹野,成美 Dr.酒向,レイア
 
ところが翼が男の子だったと知って私は焦ったのである。心亜と組む所は心亜に女装してもらうことにしたのだが、ピアノの所も問題だった。
 
「月丘さんに女装してもらう?」
「それお客さんが逃げ出すから」
などと話していたら
 
「女性のピアニストは多いから誰かと代わればいい」
と七星さんが言うので
「あっそうか」
と私も気付き、風花に交替したのである。しかしそうなると風花がフルートまでは吹けることに気付き
 
Pf/Recorder/Fl.風花,翼 Cla/ASax.心亜,翼 Vn/Vc/Gt.鷹野,成美 Dr.酒向,レイア
 
という組み合わせにした。それで午前中にリハーサルをしたのだが、今度は鷹野さんのチェロが酷く下手だという問題が発覚する。合奏する成美ちゃんが一瞬顔をしかめた。
 
「その演奏はさすがに客に聞かせられない」
 
ということになって宮本さんが代わってくれたのである。彼はチェロの専門家でギターもうまい。ヴァイオリンはそれほどでもないのだが、鷹野さんのチェロより遙かにマシなので、宮本さんで行くことにして、最終的にこうなった。
 
Pf/Recorder/Fl.風花,翼 Cla/ASax.心亜,翼 Vn/Vc/Gt.宮本,成美 Dr.酒向,レイア
 
「済まん。面目ない」
と鷹野さん。
 
「おたかさん、うまく行ってない時は早めに言ってよ。場合によっては誰か人を手配しないといけない場合もあるし」
と七星さんから言われていた。
 
「チェリストはヴァイオリニストほど多くないからインペグ屋さんに頼む場合もすぐ調達できない場合もあるしね」
と風花。
 
「でも鷹野さん、ヴァイオリン族は全部弾けると言っていたのに」
と私は言う。
 
「実はチェロだけが苦手で」
「なるほどー」
 

翌日は日中に移動して函館で公演をした。
 
私たちはこの日から「ずっと座ったままでもきついので何曲かおきに立って歌います」と言い、この日は下記の曲で立った。
 
『振袖』『ダブル』『Heart of Orpheus』『言葉は要らない』『愛のデュエット』、『キュピパラ・ペポリカ』『フック船長』『ピンザンティン』『影たちの夜』
 
これで随分楽になった。どの曲で立つかは次の公演でも少し調整した。
 
セットリスト↓
『ヴィオロンの涙』『郷愁協奏曲』『ふるさと』『硝子の階段』『振袖』『坂道』『かぐや姫と手鞠』『紅葉の道』『雪虫』『ダブル』『灯海』『夜ノ始まり』(休憩)『同窓会』『花園の君』『Heart of Orpheus』『雨の金曜日』『砂の城』『言葉は要らない』『Long Vacation』『愛のデュエット』(幕間)
『コーンフレークの花』『青い豚の伝説』『キュピパラ・ペポリカ』『マイ・ハッピー・デイ』『お嫁さんにしてね』『天使に逢えたら』『フック船長』『ピンザンティン』
(アンコール)『影たちの夜』『あの夏の日』
 

私たちはこの後、10日に東京に戻り、12日の千葉公演をする。そして9月15日には埼玉公演があった。この日は午前中に大宮サウンドシティでKARIONのライブを行い、夕方からは大宮アリーナでローズ+リリーのライブというダブルライブである。正直体力が足りないなあと思いながらも私は朝、恵比寿のマンションを出て佐良さんの運転するリーフで大宮駅そばのサウンドシティに向かった。
 
ところが私の記憶はここで途切れている。
 
ふと気がつくと、私はどこかの楽屋で横になって寝ていた。が近くにいるのがどうもKARIONのスタッフではなく、ローズ+リリーのスタッフっぽい。
 
「あれ?私どうしたんだっけ?」
「冬、疲れてるでしょう?まだ寝てていいよ」
「今何時?」
「2時すぎだけど」
「え!?KARIONのライブは?」
「とっくに終わってるよ」
「まさか、私KARIONのライブ欠席しちゃった?」
と言って青くなる。
 
「何言ってるの?。冬、そちらを終えてからこちらに来て、疲れたからと言って寝てたじゃん」
と風花は言う。
 
「だったら私、KARIONのライブに出たの?」
「普通に歌ってたし超絶ピアノプレイしてたじゃん」
とどうもKARIONのライブから流れて来たっぽい川原夢美が言う。
 
「うっそー!?」
「まさか記憶が無いの?」
「無い」
「やはりかなり疲れているね」
「マジで明日からKARIONの蘭子は立体映像にした方がいいかも知れない」
「今日のKARIONライブは全部カラーのホログラフィにできる形で撮影したらしいから、明日は無理だけど、来週以降ならホログラフィで出せるらしいよ」
「ちょっと待って」
 

それでこの日、私は蘭子としてKARIONのライブに出た記憶のないまま、ケイとしてローズ+リリーのライブに出たのである。
 
この日のローズ+リリーの幕間ゲストはKARIONだが、この“KARION”は全てが立体映像であった。ただし“リアルのKARIONの4人”は会場の駐車場に駐めている“電脳車”の中に居て、そこで立体映像の動きや、お客さんの反応に応じて声だけ出しているのである。この電脳車はKARIONの幕間パフォーマンスをする時はずっと会場そばに居る。
 
これをやっている間、美空と私は会場を出てそちらの車に移動するのだが、タイミング的には美空は『Long Vacation』を演奏し終わったところで移動し、私はその次の『愛のデュエット』が終わってから移動する。
 
しかし実際には私は会場を出た後、その車には入らず「V1作戦」で麦山さんという女性の車に乗っている。
 
「適当に走り回りますから寝ててくださいね」
というので後部座席で服を着替えて寝せてもらっていた。
 
それで電脳車では私と声が似ている代役さんが和泉たちと一緒に声を当てているのである。
 

16日は福島、17日は仙台で「ダブルコンサート」をしたのだが、その両日も私は朝KARIONライブのためにホテルを出ているのに、お昼過ぎまでの記憶が途切れているという状況であった。私は朝私をホテルからKARIONの会場に連れて行ってくれる佐良さんに尋ねてみた。
 
「私、昨日ちゃんとKARIONの会場に入りました?」
「入って行ってましたけど、何か?」
 
何かが起きているような感じではあったのだが、どうも私以外何も変なことは感じていないようである。和泉にもさりげなく訊いたのだが、やはり私はちゃんとKARIONのライブに出て、そのあとローズ+リリーのライブ会場に移動しているらしい。
 
私は和泉が当初言っていたように、KARION出演分を全部代替されているのではという気がした。
 
私は美空に電話して立体映像に声を当てている代役さんについて訊いてみた。すると、年齢は30代くらいだと思うが、色々な声色を出せて、冬子の声を出すのもうまいよ、などと言っていた。
 
つまり、KARIONライブに出た蘭子と、ローズ+リリーの幕間演奏で立体映像に声を当てた人物は別人のようである。
 

私は考えるのを辞めた。
 
実際問題として1日にKARION、ローズ+リリー2つのライブを掛け持ちするのは体力的に厳しいと思っていた。2014年のダブルツアーは何となくノリでやってしまったものの(2013年が比較的ゆとりのあるスケジュールだったこともある)、今年はこれまでの疲れが取れていなくて正直ローズ+リリーのツアーだけでもきつかった。それを、8月いっぱい事実上の休暇のようなものになったおかげで何とか体力回復したのである。
 
「とにかく自分に与えられたものを頑張るだけだ」
と私は思い、KARIONライブについては、考えないことにしようと思った。
 
実際今回のツアーでは
 
「ケイちゃん、苗場の時よりは随分元気になっていた」
「蘭子ちゃんも、凄く元気だった」
 
という声が随分あったのである。
 
「ケイ、KARIONと2回歌ってよく頑張るなあ」
という声には罪悪感を感じたが。
 
おそらくは私の体力がまだ回復していないので2回公演ではどちらも演奏品質が落ちてしまうと危惧した和泉が、丸花さんあたりと共同で代理作戦をしているのだろうと考えた。実際丸花さんからは「何でも相談してね」と言われたし「昔は一緒に悪いことしたね」などとも言われている。
 
ただ幕間のKARIONパフォーマンスについては世間的には、立体録画したものを流していて客席とのやりとりもサクラだろうと思われていたようである。リアルなのにと美空は文句を言っていたが。さすがにあれを生でやるのは体力の限界を越える。
 

ローズ+リリーの2年ぶりのツアーは10月14日東京・深川アリーナで終了した。この公演では幕間ゲストに桜野みちるを招いたが、この日はみちるは完全にこちらを食っていた。
 
司会役の品川ありさが私に言った。
 
「紅川会長がみちるさんの結婚を認めてくれたのは、やはり一時期はみちるさんだけで§§プロが持っていたからなんでしょうね」
 
「そうだと思うよ」
と私も言う。
 
今でこそ若い元気のいいタレントが10人以上いる§§グループだが、桜野みちるが2010年にデビューした後、品川ありさが2014年秋にデビューし、続いてアクアが2015年正月にデビューするまで、その間にデビューした海浜ひまわり・千葉りいな・神田ひとみ・明智ヒバリが連続してコケて、§§プロは結構苦しい内情だったのである。当時、もう秋風コスモス・川崎ゆりこもピークを過ぎており、桜野みちる1人であのプロダクションは支えられていた。
 
品川ありさのデビューが成功する直前まで、紅川さんはあのプロダクションを畳もうかと思っていたのである。
 
紅川さんはその恩があるから、みちるのわがままを受け入れたのだろう。
 
「やはり私は契約通り26歳までは結婚できないですよね?」
などとありさが言うので
「それ19歳が心配することじゃないよ」
と私は言った。
 

「だけど§§ミュージックって1999年組が多いよね?」
「そうなんですよねー。私と高崎ひろか、西宮ネオン、花咲ロンドと1999年が4人いるんですよ」
「その子たちが26歳になる2025年はひとつの区切りかもね」
「ネオン君は30歳まで結婚不可らしいです」
「まあ男の子は仕方ない」
 
「そうだ。知ってます?葉月は26歳まで“男性との”交際・結婚・妊娠が禁止らしいです」
「ああ、聞いてる。でもあの子見てたら、それでいい気もしてくる」
「本人も性別意識が揺れているみたいですね〜」
「取り敢えず女装には完全にハマっているよね」
 
「なんか男物の服は全部捨てたとか」
「女子高に入っちゃったから、今更男ですとは言えなくなっちゃったみたいで」
「ああ。女子高生として普通に生活して下着姿とかも見せていたのに、男でしたなんて言ったら、同級生に殺されますね」
「そうそう」
 
「じゃ葉月はもう性転換しちゃうしかないのかなぁ」
と言うありさは半ば面白がっている感じだ。
 
「高校卒業したら外国に移住する手もあると思うよ」
と私が言うと
「なるほど!」
とありさは納得していた。
 
「それで身体も直して、一人の日系女優として新たな1歩を歩み始めるんですね?」
 
「いや、そういう意味ではないんだけど」
 

今回のツアーのラストの少し前、2018年10月7日千里1の夫であった川島信次の百箇日法要が行われたが、千里1はこの法要の後、千葉市内の信次の実家を出て、世田谷区経堂の桃香のアパートに転がり込んだ。千里と桃香の共同生活は2015年春以来、3年半ぶりである。
 
千里1は四十九日の後、緩菜ちゃんの誕生以来、日増しに気力を取り戻して行っていたのだが、この時期にはかなり元気になっていた。作曲能力はまだ戻ってきていないものの、編曲はできるということで、雨宮派の作曲家の作品の編曲をするようになったようである。
 
それと同時に千里1はレッドインパルス2軍に復帰して午前中は横浜市内の2軍練習場で汗を流し、午後から編曲作業をしているようであった。私は彼女がバスケットの能力を復活させていくのと連動して音楽的能力も復活させてくるのではないかと思った。
 

「レッドインパルスへの復帰は実はワールドカップが終わるのを待っていたんだよ」
と後で千里2は言っていた。
 
「9月30日まで千里3がスペインのカナリア諸島でワールドカップやってたからね。カナリアにいるはずの千里の別人格と首脳陣が思っている“十里”が日本国内の練習場に姿を見せたら変だから」
 
「それ疑問に思っていたんだけど、パスポートとかどうなっているの?スペインに行っていた3番さんは自分が結婚しているなんて知らないんでしょ?」
と私は尋ねる。
 
「実は元々村山千里の戸籍が2つあったんだよ」
「え〜〜!?」
 
「仮にM戸籍、F戸籍と私は呼んでいるんだけど、婚姻届けを出したのはM戸籍。だからM戸籍では川島千里になっているけど、F戸籍は村山千里のまま。だからパスポートも2種類存在する。私も3番も村山千里のままのF戸籍に基づいて発行されたパスポートを使っている」
 
「2人でひとつのパスポートを共用して矛盾は起きない?」
「いや。矛盾を起こさないようにやりくりするのが大変なんだよ」
「大変だろうね!」
 
「1番にはさっさと村山の氏に復して欲しいんだけど、さすがに一周忌くらい終わるまでは無理だろうな」
「川島のお母さんの感情に配慮したら、そうなるだろうね」
 

2018年10月11日に若葉が3人目の子供・政葉(ゆきは)を産んだ。この子は実はこの物語から60-70年後の世界で重要な役割を果たすことになる《やまと》の祖母になるという意味で血統的に重要な子なのだが、私はこの子の父親について、生まれた当日まで知らなかった。
 

 
若葉の出産に実際に立ち会ったのは、若葉の母、友人の麻衣、野村治孝・貞子夫妻、紺野吉博であった。治孝は若葉の第一子・冬葉(かずは)の父である。ただし人工授精であり、ふたりは恋愛関係などがあったわけではない。紺野君は第二子・若竹(なおたけ)の父である。ふたりは当時恋愛関係にあったし、紺野君は若葉と別れた後も、あれこれ若葉をサポートしてくれている。彼は若葉の会社ムーランの株主にもなっている。男性恐怖症の若葉が紺野君とはよく一緒に同衾しているようであるので、周囲は事実上ふたりが夫婦であるとみなしている。本人たちは「別れた」と言っているものの。
 
それで私はてっきり政葉(ゆきは)も紺野君の子供だろうと思っていたのである。
 

夕方、出産した若葉本人から私に会いたいので来てくれないかという連絡があり、私は何だろうと思って病院に行った。この時、病室には他に誰もいなかった。
 
「出産お疲れ様」
「何度やっても産む時は命懸けって感じ」
「だろうね。私には体験できないことだけど」
 
「取り敢えずその子を抱いて欲しい」
と若葉が言うので、私はそっと抱き上げた。産まれたての赤ちゃんを抱くのはとっても怖いのだが、気をつけて気をつけて抱く。
 
「可愛いね」
「可愛いでしょ?」
 
「うん。とうとう若葉も3児の母になっちゃったね。同い年なのに凄いなあ」
などと私は言う。
 
「冬だって2児の母じゃん」
 
私はギクっとした。
 
「もしかして政子のお腹の中の子の父親、知ってた?」
「当然」
 
「そっかー。あれ、政子が勝手に私の精子で人工授精してたんだよ」
「まあ、そんなこともあるだろうね」
「でも私の子供はその子だけだけど。2児って?」
 
「そこに1人目がいるじゃん」
と若葉は言った。
 
「へ?」
 
「その子は冬の子供だよ。だから政子ちゃんが産むあやめちゃんのお姉ちゃん」
「え〜〜〜!?」
 
私は唐突に昔のおとな向けの雑誌に載っていた漫画で10年ぶりに再会した女性が連れている子供を見て「結婚したの?」と訊いた男性に
 
「ううん。この子はあなたの子供よ」
と言っている場面を連想した。
 
(どうしたらそういうことが起きるのか当時は理解不能だった)
 
「どういうこと?」
と私は尋ねた。
 
「冬の精子で人工授精したから」
「紺野君の子供じゃないの〜?」
 

「高校1年の時、冬がもう性転換すると言うから、その前に精子を保存しようと言って4本保存したじゃん」
 
「あ、うん」
「あの精子は私と冬の共有物だったからね。だからこの1月に、その1本を使わせてもらった」
 
「うっそー!?」
 
私の同意書は?と聞きたい気分である。
 
「ところがその後、6月に《冷凍精子使用のお知らせ》なんてハガキが病院からうちに舞い込んだからさ」
「あぁ・・・」
 
「それで誰かが冬の冷凍精子を使ったことが分かった。その後、政子ちゃんが妊娠を発表したから、政子ちゃんも冬の冷凍精子で妊娠したんだなと察した。実際あれを使用できるのは《冬彦の妻》だけのはずだから、それって私と政子ちゃんにしかできないことなんだよね」
 
「あの精子は一部が私と若葉の夫婦のもの、一部が私と政子の夫婦のものとして病院には登録されていたみたいなんだよ」
 
「冬の奥さんって他にはいないんだっけ?」
「居ないよぉ」
「怪しい人が何人かいるんだけどなあ」
「それ若葉のタロットで占われたことがあったような・・・」
 
「それでいくと冬はあと2人くらい子供ができるかもね」
「うーん・・・・」
 
と悩んでから私は言った。
 
「分かった。私は若葉とキスもしてるし、ほとんどセックスに近いこと何度かしているし、若葉に対しては責任があると思っているから、その子は認知するよ」
 
「女性が認知するのは不可能だと思う」
「うーん。。。そうかも知れない」
 
「実は(紺野)吉博にかなり言われてさ」
「うん」
「若竹はやはり彼に認知してもらおうと思っている」
「いいんじゃない?」
「それでついでに冬葉と政葉も彼に認知してもらおうかと」
「彼の子供じゃないじゃん」
「それでも彼は3人とも自分の子供のようなものと言っている。だから3人とも自分の子供にしたいと言うんだよ」
 
「若葉がそれでよければいいと思うよ。私は異論無い。たぶん野村君も異論無い」
 
「私、結婚というものには拘束されたくないから、彼と法的に婚姻するつもりは無いんだよ」
 
「婚姻すればいいのに」
「でも子供の父親になってくれるというのは受け入れてもいいかなあという気もしてきてて」
 
「いいじゃん、父親になってもらいなよ」
「冬はそれでもいい?」
「いい。でも私もその子の誕生日とかには贈り物をするよ」
「うん。贈り物は歓迎」
 
そういう訳で私は、あやめの父になる前に政葉の父になってしまったのである。もっとも若葉は「あやめちゃんの母」「政葉の母」という意識でいればいいよと言ってくれたので、私もそう考えることにした。母が2〜3人いてもいいよね?
 

若葉が政葉を産んだ翌日、10月12日に今度は高校以来の友人・仁恵が最初の赤ちゃんを産んだ。仁恵は昨年6月に結婚していた。
 
「なんかこうやって同世代が結婚して子供産んでいると無言の圧力を感じる」
などと親友の琴絵が言っていた。
 
「コト、彼氏は?」
「そんなのがいたら、圧力を感じるなんて言わないよ」
 

2018年10月20日(土).
 
この日はローズ+リリーのライブは行われずKARIONのライブのみが旭川で行われたのだが、私は前日の19日(金)に旭川に入った。ただこの時、18日(木)に麦山貴里子から電話が掛かってきて「旭川へは新幹線乗り継ぎでお越し下さい。チケットも取っていますから」と言われる。それで私は和泉に都合で別行動になると連絡し、19日朝から東京駅に出かけた。
 
すると東北新幹線の乗り口の所に麦山が居て
 
「これチケットです。行く途中、このタブレットに入っているkarion2018summerという動画を見ていってください」
と言って、チケット、タブレット、ヘッドホンを渡された。
 
「ありがとう。この計画を進めてくれた人に御礼を言っていたとお伝え下さい。やはりダブルライブは体力的に無理だった気がします」
 
「はい、お伝えします。焦らずに精神力を回復させてくださいね」
「はい」
 
「それとこれは朝御飯のお弁当とお茶です」
「何から何までありがとう!」
 
それで6:32の《はやぶさ1号》グランクラス1Aの座席に乗り込む。グランクラスはAの座席は独立シートで、BCは並びのシートである。1人旅の時はこのAの座席が気楽で良い。
 

チケットはこういう連絡になっている。
 
東京6:32(はやぶさ1)10:57新函館北斗11:09(スーパー北斗9)14:41札幌15:00(ライラック23)16:25旭川
 
10時間掛けての旅である。のんびり行くかと思い、私はお弁当を開け、お茶を一口飲んでから、お弁当を食べながらタブレットにヘッドホンを接続し、指定の動画を再生した。
 
これは・・・・
 
私は息を呑んだ。
 
KARIONの楽屋の様子が映っているのだが、日時も表示されている。2018/09/15 9:00という表示だ。これはKARION大宮公演の時の映像だ。私はこの日佐良さんの車に乗って自宅を出たものの、そこから先の記憶が途切れている。佐良さんによると私はちゃんとKARIONの会場に入り、そこで歌って、また佐良さんの車でローズ+リリーの会場に入って「寝る」と言って寝ていたらしい。
 
しかし私の記憶は車に乗った所で途切れていて、ローズ+リリーの楽屋で目が覚めるまで5時間ほどの記憶が無いのである。
 
そしてこのビデオは私が記憶を失っていた間のKARIONの楽屋の様子が映っているようなのである。
 
これは私の位置から撮影しているようで、和泉・小風・美空が映っている。多分、アクセサリーなどに偽装した小型カメラによる隠し撮りなのだろう。トラベリングベルズのメンツや、夢美や保津美(エルシー)たち追加伴奏者の姿も見える。私の声も聞こえる!おそらく過去に何度か代理してもらった、私のそっくりさんなのだろうが、声もそっくりである。
 
ビデオはその後KARIONのライブの様子となるが、全て蘭子の視線から撮影されている。ビデオは曲の演奏途中を飛ばして、曲と曲の間のおしゃべりなどを収録している。かなりの手間を掛けて編集してあるようだ。それで2時間のライブを楽屋の様子の分まで入れて1時間ほどで全部見ることができた。
 
この日のビデオが終わると次は2018/09/16日付のビデオが始まる。この日のビデオは昨日のビデオよりかなりハショられている。特にライブの部分は短い。おそらく前日と同じような話をした所を省略したのだろう。
 
それで結局私は新幹線、そしてスーパー北斗の車内でここまで11回分のKARIONライブの楽屋とステージ、そして途中何度かあった打ち上げの様子まで見ることができたのである。
 
つまりこれで今日和泉たちと会って話が合わせられるということか!
 

夕方、旭川駅で降りた私はタクシーに乗って前泊するホテルに向かった。
 
(午後の飛行機1400->1540で東京から飛んできた)和泉たちと合流し、食事をしながら明日のライブについて打合せするが、私は新幹線やその後乗り継いだ特急の車内で見たビデオのおかげで、彼女たちと話を合わせることができた。14日の東京国際パティオの公演で起きた小さなトラブルに関しても、ちゃんと対策を話し合うことができた。
 
話がだいたいまとまった所で小風が言った。
 
「今日の冬は冬子Cみたいね」
「へ!?」
 
「冬子って5人くらい居るんでしょ?私たちは取り敢えずローズ+リリーのライブに出ていた冬子を冬子B、KARIONのここまでのライブに出ていた冬子を冬子Cと呼ぶことにした」
 
「AとかBとかCって、私はひとりしか居ないけど」
 
「うんうん。そういうことにしておいていいよ」
「前から冬って数人居るよなあとは思っていたんだよね」
 
「でも今回のダブルツアーで少なくとも3人以上居ることは分かった」
「KARIONのライブに出ていた冬子は凄く元気だった」
「ローズ+リリーに出ていた冬子は少し疲れていた。世間ではさすがに1日に2つのライブに出たら後の方はきついよなと言ってたみたいね」
「え〜〜!?」
 
「でも苗場で見た冬子よりはまだ元気だった」
 
「だから苗場に出たのがA、今回ローズ+リリーのツアーをしたのがB、KARIONのツアーをしたのがC」
 
「実際、私がローズ+リリーの楽屋でそれとなく振った話題への反応からこの冬子はKARIONのライブに出た冬子とは別人だと確信したし」
と美空が言っている。
 
あ・・・それは多分モスバーガーのどれが好きかという話だと、今なら分かる。
 
「えっと・・・」
と私がどう答えるべきか悩んでいると
 
「まあいいよ、いいよ。冬子って3人くらい居ないとどう考えても作曲量とかがあり得ないしね」
と小風が言う。
 
「でも今年の作曲ペースを考えると、やはり冬子は10人居ないとありえないという気もしている」
 
「あはは・・・」
 
「私たちはどの冬子ともお友だちだからね」
 
えーん。私、これどう言い訳すればいいんだろう?
 

「だからこういう企画を今度しない?」
などと和泉が言う。
 
「ずっと昔言ったこともあったけどさ、冬がピアノとヴァイオリンを弾きながら私たちと一緒に歌うのよ」
 
「ピアノを弾いているのは水沢歌月で、ヴァイオリンを弾いているのは唐本冬子で、歌うのが蘭子だね」
 
「今度の曲のPVでやらない?他の冬子を呼んできて一緒に合奏」
「無理だよぉ、私ひとりしか居ないのに」
 
「今更隠さなくてもいいのに」
 

しかしこの日、久々に私はKARIONのメンバーとして2時間の歌唱をし、とても充実した気分だった。
 
確かに1人で毎日2回公演していたら身体がもたなかったよなという気はして、お膳立てしてくれた人(やはり丸花さん?)に私は感謝した。
 

旭川から戻ってきた10月21日、私は政子から信じがたい話を聞いた。
 
「和実がね。妊娠したんだって」
「へ?和実って、淳と結婚している和実?」
「もちろん」
「妊娠ってどういう意味よ?」
「赤ちゃんができたんじゃないの?和実の子宮の中に」
「和実、子宮があるの〜〜〜?」
 
それで電話で淳と話したのだが、淳の話はさっぱり要領を得なかった。それで和実に直接電話をしたのだが、和実の話は何だか難しすぎて、さっばり理解できなかった!
 
千里2が解説してくれた。
 
「要するに和実は完備ハイティング代数的に妊娠しているんだよ」
「意味が分からないんだけど。ハイティ??」
 
「ブール代数は分かるでしょ?」
「高校時代に習った気はする。排他的論理和とかドモルガンの法則とか」
 
「ブール代数は、全てが真か偽か確定する、神のような世界の論理なんだよ。でも人間の世界では真か偽かさっぱり分からないものが多いじゃん」
 
「確かに」
「そういう論理を数学的に理論化したのがハイティング代数」
「それが和実の妊娠とどう関わっている訳?」
 
「排中律というのがあるんだけど、これがその全ての物事は真か偽かであってどちらでもないということは無いっていう公理」
「うん」
 
「でも現代では真とも偽とも決定できない命題が存在することが証明されていて、排中律は否定されている」
「それはそうだという気がするよ」
「ハイティング代数の世界は、そもそも排中律なんて成立しない。人間の論理だから、人知で決定できないことがたくさんある」
「まあ神様には分かっても人間には分からないことは多いだろうね」
 
「ところがハイティング代数の世界では『真か偽かである』という命題の真理値は1になってしまうんだな。『真である』、『偽である』という命題の真理値はどちらも1ではないのに」
 
「ごめん。意味が全く分からないんだけど」
 

私は和実が曖昧な状態で妊娠しているのなら、ファジーのようなものかと尋ねたのだが、ファジーは真理値が[0,1] = {x|0<=x & x<=1}という実数区間を取る論理で、それに対して完備ハイティング代数(cHa)は完備ブール代数(cBa)から少し仮定を減らしたものなのだと言っていた。
 
結局よく分からなかった!
 
しかし順調にいけば来年5月くらいには和実は出産することになるらしい。
 
男の娘だったのに!
 
(但しフェイの時のように8ヶ月で帝王切開して取り出す可能性もあると言っていた。もっともフェイの場合は普通の女性の子宮の半分サイズの子宮だったのでそういう処置をとったのだが、和実は子宮そのものが無いはずなのに!?)
 
どうやって和実が妊娠したのかもよく分からないのだが、淳が性転換手術を受ける前夜、ふたりは避妊具をつけずにセックスしたらしい。そのたった1度のセックスで和実は妊娠したようだということのようである。
 
性転換直前のセックスで妊娠って・・・政子のお腹の中にいる赤ちゃんと同じじゃんと私は思った。もっとも、今政子のお腹の中にいる赤ちゃんは、私が去勢手術の前夜にたった1度だけ政子とセックスした時の精液を、政子が自分のヴァギナの中からスポイトで吸い上げて、冷凍保存しておいたものを、今年6月に人工授精であらためて膣内に投入した結果妊娠したものらしいが(*1).
 
しかし考えてみれば代理母さんに産んでもらった希望美ちゃんも、和実の卵子と淳の精子の掛け合わせで受精卵を作ったのだから、元々和実は妊娠する能力があったのかも知れないと私は思った。
 
(*1)政子の説明が適当すぎるのでこの時点では私はそう思っていたのだが、実際には人工授精ではなく体外受精であったことを後から知ることになる。
 

今年のローズ+リリーのカウントダウン・ライブは9月8日に発表して、翌週末9月15日に抽選発売したのだが、締め切りとした9月24日(振)までに9万席分の申し込みがあり、抽選で5万席分を当選として通知した。
 
(今回は会場のキャパ自体には余裕があるので全員当選にしても良かったのだが、それだとセットにする旅館が確保できないのである。宿泊を考えると5万人が限界だった)
 
やはり最初は動きが鈍かったものの、動画サイトに転載されたミニアルバム発売記者会見でのマリの立体映像が、とても映像には見えないくらいリアルっぽかったこと、ローズ+リリーのライブ幕間でのKARION立体映像も良い出来であったことから、結構楽しめるかもということで、申し込み受付期間の後半に申し込み数が伸びた感じであった。結果的には倍率1.8倍である。
 

会場となる小浜市郊外の特設会場は、作曲家《夢紗蒼依》を運営しているAI-Museが所有することになった施設である。
 
昨年の秋から準備を進めて2018年春に運用開始されたAI-Museのシステムは電気を大量に使用することから、南九州の原子力発電所のある某市にあった4haの廃工場跡を買い取り、その工場の床を強化してスーパーコンピューターのラック74台を並べたものである。夏にはスーパーコンピュータの2号機が完成して、ラックは150台になり、凄まじい電力を消費しながら平均1日4曲の作品を生み出している。
 
しかし私たち(私・千里2・若葉・丸山アイ)は危惧したのである。
 
現在の日本の原子力発電の事情では、いつここの発電機が停止するか分からない。また市長や知事の交代で発電所の操業が困難になるリスクもある。そうなった場合、こんな大量の電気を食うプロジェクトは運用が厳しい。
 
そこで全く別の場所に第二生産工場を建設することにしたのである。
 
場所としては多数の原発が稼働している福井県の若狭湾沿岸地域が良いだろうということになり、土地を探してもらった所、小浜市に工場を建てようとして計画頓挫した10haの土地があり、所有している地元の不動産会社と交渉した所、即現金でもらえるのなら15億円で売っていいということだったので、買っちゃったのである。ここは都市計画は無指定なので、何を建ててもよい。
 
ただ住宅地に近いので深夜にあまり騒音を立てることができない。それで検討した所、スーパーコンピューターと空調システムは地下に作ってしまうことにした。地下といっても元々斜面の土地なので、斜面の下の方を少しだけ掘って壁を作り込んでしまい、そこを埋めてしまえば結果的に地下になる。
 

「スーパーコンピューターって物凄い熱が出るんでしょ?」
と若葉が言った。
 
「うん。だから空冷では無理だから水冷したり液体窒素とかで冷やす」
と私は説明する。
 
「だったらその熱でスーパー銭湯とか作れる?」
「スーパー銭湯〜〜!?」
 
「だって10haって少し土地がありすぎだもん」
「まあ確かにスーパーコンピューター自体は1セット200平米、2セットでも400平米あれば充分なんだよ」
「それも地下だし」
 
「そうなんだよねぇ」
「スーパー銭湯って営業許可取るの簡単だよね?」
「まあ温泉よりは遙かにハードルが低い」
 
「じゃ作っちゃっていいよね?」
「アイちゃんにも声掛けておいてね。千里は大丈夫だろうけど」
「千里は言っておいても忘れてるし」
「まあ確かにあの子はそういう子だ」
 
「そうだ。10haもあったら、10万人コンサートとかできない?」
「誰が10万人も観客を集めきれるのさ」
「アクアなら行ける」
「行けるだろうね」
「ローズ+リリーも今年までは行ける」
「でもマリが妊娠中で。秋のツアーの時期もやや微妙なんだよ。今から計画立ててたらどうしても12月くらいになっちゃうし」
 
「だからカウントダウン・ライブをやればいいんだよ」
「マリが無理」
 
「マリちゃんはホログラフィで」
「へ!?」
 
「あのスーパーコンピュータがあれば、そのくらいできるんじゃないの?」
「待って。それアイちゃんと山鳩さんと一緒に会議してみよう」
 

それで結局、私と若葉、千里、アイ、山鳩の5者会談をしたのである。
 
冒頭山鳩さんは
「無理です」
と言い切った。
 
「あの程度のスーパーコンピューターの処理速度ではとてもホログラフィーのリアルタイム計算は不可能です」
 
「あのスーパーコンピューターでも無理なのかぁ!」
 
「ホログラフィーの計算ってどのくらいの演算能力が必要なの?」
と私は尋ねた。
 
「画素数にもよりますが、仮に150万画素としても理化学研究所の京(けい)の10倍くらいのパワーが必要だと思います」
 
「京(けい)って何Flopsだっけ?」
「1京flops、つまり10の16乗Flopsですから、普通の言い方だと10P(ペタ)flopsですね」
「AI-Museのマシンは?」
「1号機が95TFlops、2号機が492TFlopsですから、京の20分の1の速度です」
 
(1P flops = 1000T flops = 1000,000G flops)
 
「ということは1万画素くらいでフレイムレートを落としたりディファレンシャル(前の画像とほとんど変わっていないところを計算しない手法)を使ったりしたら動かせる?」
 
「ディファレンシャルは既に計算に入っています」
「既に考慮済みかぁ!」
 
「アニメならその程度の画素数でもいけますが、人間の画像で1万画素は見るに堪えないと思います。アナログテレビだって30万画素ですよ」
 
「じゃかなりボケた画像になってしまうか」
 

「別にリアルタイムでなくてもいいんじゃない?」
と千里が言い出した。
 
「ん?」
 
「ローズ+リリーって歌に集中するから、あまり大した振り付けが無い。だからマリちゃんの動きってパターンが限られていると思う。その全パターンを予め立体画像として計算しておけばいいんだよ」
と千里2が言った。
 
私はこれ“千里2”じゃなくて別の誰かが来ているのではという気がした。千里がこういう技術的な問題を指摘するのが信じられん。
 
「それはいけるかも知れないね」
「口の周りだけリアルタイムで撮って映すとか。あるいは顔の部分だけ」
 
「それならMuse-3のパワーでも行けるかも知れないなあ」
 
「だったら演奏予定曲目のマリちゃんの振り付けを今のまだ妊娠周数が少ない内に全部踊らせて3D録画しておく。その立体映像を計算してストックしておく。そして本番では顔だけ1万画素くらいで撮影してリアルタイム変換する」
と私はまとめた。
 
「それなら行ける?」
とアイが山鳩さんに尋ねる。
 
「行けるかも知れません。フレイムレートは30fpsではなく20fpsくらいに落とす必要があるかも知れませんが」
 
「Muse-3はMuse-2より少し速くなるよね?」
「Muse-2が3.7GHzの素子を使って492Tflops出ているのですが、Muse-3は最高5GHzの素子を使うので単純計算では660Tflopsくらいになる可能性はあります。ただ相互作用の問題があるので550から600Tflops程度に留まるかも知れませんが」
 
「でも顔だけリアルタイムにして画像をはめ込む場合、顔とそれ以外の部分が一瞬ずれたりしない?」
と若葉が心配する。
 
「それは大丈夫です。そんなみっともない真似はしませんよ」
と山鳩さんが言うので、そのあたりはお任せすることにした。
 
そういう訳で11月に運用開始する小浜市のMuse-3を使用してカウントダウン・ライブをしようという話が8月上旬にまとまり、過去にローズ+リリーのカウントダウンを何度も仕切っているTKRの松前社長(★★レコード相談役)を中心にイベントの詳細が詰められた。松前さんが小浜市側とも協議してくれてタイムスケジュールや地元住民との協議も進めてくれたし、旅行代理店を使って温泉宿泊を確保していく。また温泉宿だけでは足りないので、いつものように体育館に簡易ベッドを並べて客を収容する計画も進めた。
 
このあたりは佐田副社長も巻き込んで、彼直属のメディアミックス推進室のスタッフにも大いに動いてもらった。
 

「よし。ミューズ温泉を年末までにオープンさせるぞ」
と若葉は言った。
 
「間に合うの〜?」
「大丈夫、大丈夫。ユニット工法ならあっという間に旅館くらい建つ」
「それ何人くらい収容できる?」
「うーん。Muse Park側に8畳の部屋を横に10個並べたら、反対側には20畳の大部屋が6つ入るかな。3階は8畳の部屋を20個にすると、全部で360畳。日本旅館は1人2畳で計算するから180名収納」
 
「じゃその旅館も180名で宿泊確保にカウントしていい?」
「そうだね。これ2つ建てたら360名収容できるけど、いくらお金が余っているといっても、さすがに2つも建てるのは意味が無い気がする」
 
「同感」
 

「体育館建てていい?」
と千里は言った。
 
「は?」
「土地はたくさんあるんでしょ?だったらそこに50m×50mくらいで体育館1個建てちゃう」
「こんなところに建てて何に使うの〜?」
「ああ、使い道はいくらでもあるから」
 
「まあ好きなように。それどのくらいの期間で建てられるの?」
「過去の経験からすると、だいたい3ヶ月」
「もしかしてカウントダウンライブに間に合う?」
「間に合う」
「だったらそこに簡易ベッド並べて宿泊所にしてもいい?」
「いいよー」
「何人入る?」
 
「フロアは30m×40mくらいになると思うから大雑把に計算して300-400人は収納できると思う」
 
「それをチケットのセット売りに入れていい?」
「いいよー。御飯は若葉の作る旅館に食べに行けばいいね」
「うん。それで何とかなる気がする」
 

そういう訳で、会場そばの旅館と体育館で500人くらい収納できることになり、実際にチケットを販売した時、ここが真っ先にソールドアウトしたのである。
 
会場のレイアウトはコンピュータとの「ケーブルの長さ」の問題でステージを電算室のある坂下側に設置するので、ちょうどホールのように後ろの人ほど高い場所で見ることになる。
 
敷地面積は10ha(250m×400m)あるのだが、5万人を収容するパーク部分は160m×160mで設計した。ここは勾配が3%なので客席の最後尾はステージのところから4.8m高い。この「ミューズパーク」部分に騒音防止のために高さ5〜10mの防音壁を建て、更に防寒と防音を兼ねてテント布(防炎加工済)を天井に張ることにした。これはあくまで「仮設物」なので1月中には全て撤去することを条件に市側の許可を取った。
 
実は・・・安中榛名の場合も松島の場合も「雪」だけを心配すればよかったのだが、昨年は熊本で計画が進んでいたので「雨」が降ったらどうしよう?と言っていたのである。夏の雨ならよいが、冬の雨は観客の健康に極めて重大な影響を及ぼす。結果的にドームになったので良かったのだが、今年の会場も雨を心配する必要があった。
 
それで仮設の屋根を作ってしまおうということになったのである。費用は掛かるものの「お金が余って余って困っている」人がバックにいるので心強い。
 
今回はたくさん土地が余っているので送迎用のバスを全部駐めておくことができる。こういう運用ができるのは3年前の安中榛名でのカウントダウンライブ以来になる。送迎のバスについては地元のバス業者が一括で請け負ってくれた。
 
出店(でみせ)についても敢えて地元の商工会に投げることにした。それで地元の飲食店や若い人のグループが出店を出してくれるようである。地元だけではまかないきれないので、地元商工会は福井県・滋賀県・京都府内に広く呼びかけてけっこう京都や大津などからも来てくれることになったようである。
 

アクアは結局9-10月にミニアルバムの制作をして、映画公開のタイミングと少しずらし、11月中旬に発売した。収録曲は下記である。
 
『6人のカノン』(加糖珈琲/Johann Pachelbel)6人のアクア
『五足の靴』(琴沢幸穂)アクア・桜野みちる・品川ありさ・高崎ひろか・川崎ゆりこ
『四季の歌』(松本葉子/松本花子)
『三毛猫のワルツ』(岡崎天音/大宮万葉)アクア・今井葉月・桜木ワルツ
『龍と子供』(Leonard Lipton/Peter Yarrow/日本語歌詞:鴨乃清見)
『1人のアクア』(森之和泉/水沢歌月)
 

『6人のカノン』は9月上旬に撮影した3人のアクアのヴァイオリン合奏に3人のアクアの合唱を合成したものである。この曲は映像と一緒に見ることに価値がある。アクアの特に女性ファンを熱狂させた曲であった。
 
「アクアだらけだ!」
 
「やっぱり男の子アクア様より女の子アクア様の方が可愛くていいなあ」
「3人ともドレスでも良かったのに」
 
「これ実はアクアは六つ子でした、というカムアウトだったりして」
「実際アクアの忙しさは、アクアって4〜5人いるのでは?と思いたくなるほどだからなあ」
 
「多分、男のアクアと女のアクアと、男の娘のアクアと、女の息子のアクアと、無性のアクアと両性具有のアクアがいるんだよ」
「いや、それ信じたくなる」
 
『五足の靴』は与謝野鉄幹・北原白秋・木下杢太郎・平野万里・吉井勇の5人による九州紀行『五足の靴』にインスパイアされて琴沢幸穂(千里3)が書いた曲だが、実際には歌詞の内容はカナリア諸島の紀行文になっている。実際に千里3がワールドカップでカナリア諸島に行ってきたので、その時に書いた詩がベースになっているらしい。
 
この曲はアクアが先輩たちと一緒に歌っている。川崎ゆりこ、桜野みちるは元からの§§プロのタレントだし、品川ありさはアクアより2ヶ月ほど早くデビューしている。高崎ひろかはアクアが選出された第1回ロックギャル・コンテストの準優勝者(アクアが男の子だったので実質的な優勝者)である。
 
『四季の歌』は松本葉子・松本花子から提供してもらったが、とても可愛いアイドル歌謡である。PVでは春の桜模様の振袖、夏の花火やスイカをあしらった(男性用)浴衣、秋の紅葉などをあしらった涼しげな(男性用)小紋、そして冬を表す雪の結晶や雪だるまなどの模様の(女性用)訪問着を着ている。
 
リリース後、多くの女性ファンから「夏の浴衣と秋の小紋も女性用着ればよかったのに」と言われたビデオであった。
 
『三毛猫のワルツ』はアクアがミニアルバムを制作すると聞いたマリが「ぜひ歌って欲しい」と言って歌詞を書き、青葉に曲を書いてもらったものである。アクアがメインであるが、今井葉月と桜木ワルツの声も入っている。
 
『龍と子供』はPPMことピーター・ポール&マリーの名曲『パフ・マジックドラゴン (Puff, the Magic Dragon)』に鴨乃清見(実際には千里2)が新たな日本語歌詞を付けたものである。パフというドラゴンと少年の交流を歌った曲だが、この曲を見た時、山村さんが涙を浮かべていたのを見て私は驚いた。およそ人前で涙など見せる人ではないのだが、あるいは若い頃に愛唱した曲なのだろうか。
 
アクアの歌い方もとても哀しみをたたえていて、リリース後、なぜか泣けてくるという意見が多数あった。
 
この曲は野上彰の歌詞でNHKの「おかあさんといっしょ」の中でも歌われているし、芙龍明子の歌詞で小学校の音楽の教科書にも載っている。また過去に「Tom and Susie Song」として中学校の英語教科書(CROWN)に掲載されたこともある。山村さんはもしかしたらその「Tom and Susie Song」を歌っていた世代かな?という気もした。
 
『1人のアクア』は「森之和泉/水沢歌月」とクレジットしたが、実際にはほぼ私の作品である。ただし私が書いた後で、ゴールデンシックスの花野子に頼んで添削してもらった。かなり直されたものの、彼女は元の曲のイメージを大切にした改訂をしてくれるので、私も満足のいく作品に仕上がった。私が10月に書いたのはこの1曲のみである。
 
この曲ではエレメントガードを使わずに今井葉月にピアノを弾かせてそれでアクアが歌ったし、その様子を撮影したものをPVとしても公開した。
 
演技では色々なキャラクターを演じるけど、本当のボクは1人と歌う歌詞で、アイドルの心の孤独のようなものを独白したような歌詞である。実際アクアはこの曲を見た時、泣いてしまった。そのアクアに同調して伴奏できるのは葉月だけだと思ったので、私は葉月に伴奏させたのである。
 
彼女(彼?)は実はピアノがかなり上手いのである。元々お母さんが所有していたアップライトピアノを小さい頃から勝手に弾いていたらしいが、お母さんからはしばしば
 
「あんた女流ピアニストになれるかもね」
と言われていたらしい。
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【夏の日の想い出・天下の回り物】(6)