【夏の日の想い出・影武者】(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-09-12
場面は北海道のラベンダー畑である。
和夫はそこに、自分自身と神谷真理子・浅倉吾朗の3人がいるのを見る。あれ?深町君は?と思うものの、そこにはその3人しかいない。
「何で深町君いないの?」
と和夫がつぶやいたところで画面はブラックアウトする。
どこか未来的な雰囲気の部屋にいた。
そこに白いドレスの少女が入ってくるが、これがアクアである。
思わず政子が「きゃー!可愛い!」と叫んでしまったのを私は慌てて口を押さえた。
「あら、あなた誰?お兄ちゃんのお友達?」
とドレス姿のアクアが言う。
「僕は芳山和夫」
と和夫が言うが
「あら、まるで男の子みたいな名前ね」
と少女は言う。
「私はニナ・ソゴル。ケン・ソゴルの妹なの。お兄ちゃんったら、どうも古い時代にタイムリープしたみたいなんだけど、肝心のタイムリープ刺激薬を忘れて行っちゃってさ。これ無しでどうやって戻って来るつもりなのかしら。もし、まだラベンダーが存在した時代まで行っているのなら、その成分を抽出して作る方法あるんだけどね。やり方は高校の化学でも習っているし」
と少女が言う。和夫は訳が分からないという顔をしながらも言った。
「その薬を分けてくれない?」
「うん、いいよ」
と言って少女が和夫に薬のアンプルの入った箱を1箱渡した。
この場面、少女と和夫は向かい合っており、カメラは決して同時にふたりの顔を映さない。片方は実際には今井葉月が後ろ姿だけ演じている。
「でも、あなた私にちょっと似てる。お兄ちゃんってシスコンだからなあ。お前が妹じゃなかったら恋人にしたいとか言ってたこともあるし。結局私に似た彼女を見つけたのね」
「えっと僕男だけど」
「うっそー。お兄ちゃんったら同性愛に走っちゃった? あ、それともあなた性転換して女の子になる予定?私はそれでもいいけど。従弟のユキちゃんは12歳の誕生日に手術して女の子になったけど、凄い美人でボーイフレンドもいるみたいだし」
「うーん。性転換かぁ。どうしよう?」
と和夫は困ったような顔をして言った。
画面がブラックアウトする。
和夫は不思議な色彩の空間に落ち込んでいた。そこで浮遊しているかのようである。身体も不規則に回転して、どちらが上か分からない感じになる。自身の服装まで、ワイシャツ姿、セーラー服、学生服、女子高生のようなブレザー&スカート、背広姿、ドレス姿、警官のような服、看護婦のような服など様々に変化する。緑色の太陽が昇ってきて、紫色の海に青い砂浜が広がる。やがてその太陽が沈むと、今度はブリリアンカットのダイヤモンドのような月が昇ってきて、水色の星が多数輝いている。
この場面の背景に挿入歌『エメラルドの太陽』が流れる。
そこに深町君がどこからともなくやってくる。
「ここは時間の狭間だよ。あの日、金曜日の理科実験室に行くんだ!」
と彼が言う。彼は泳ぐようにして、どこかに消えて行く。
「金曜日、理科実験室」
と和夫がつぶやくように言うとまた画面がブラックアウトする。
場面は理科室である。和夫・吾朗・深町の3人が掃除をしている。吾朗が文句を言っている。やがて掃除が終わり
「じゃゴミは僕が捨てて来るから、浅倉と深町はもう手を洗ってくるといいよ」
と和夫が言う。
ふたりが出て行く。実験室で音がする。和夫はドアを開けた。
「やはり君だったのか」
と和夫が言う。
そこに立っていたのは白衣を着た深町であった。
そこから映画は10分以上、和夫と深町ふたりだけの会話が続く。深町は自分は本当はケン・ソゴルという未来人でタイムリープしてきたのだが、時間跳躍の刺激薬をうっかり忘れてきてしまい、仕方ないので、この時代にはまだ存在していたラベンダーの花を取ってきて、それをもとに自分でその薬を調合しようとしていたのだと言う。
それでほぼ完成していた時に和夫に見つかり、びっくりしてその薬の入った試験管を落としてしまったのだと。その薬を嗅いで、和夫はタイムリープの起きやすい状態になっているものの、これは一週間程度もすれば収まっていくから、あまり心配する必要は無いと語る。
「僕、君の妹さんに会った。これを渡してくれと言われた」
と言って和夫はケンに薬の入った箱を渡す。
「ニナに会ったの?凄い。でもこれ助かる」
とケンは喜ぶ。
「いや、実際問題として自分で調合した薬の品質が不安定で、どの程度の時間を跳躍できるか自信が無かったんだ。でも僕の作った薬であの時代まで飛べたのなら、問題無かったのかな」
とケンは言う。
「行くの?」
「うん。ごめんね。そしてありがとう」
「僕の記憶を消していったりするの?」
「未来の世界でも人の記憶を消したりはできないなあ。ただ、深町一彦という人物は本当は幼い頃に死んでいたんだよ。それを催眠術であたかも生きているかのように周囲の人にだけ思い込ませていた。その催眠術は、もう僕を保護してくれたご両親、そして浅倉君や先生たちからは解いた。だからこの一週間の記憶は、夢か何かと思うだろうね。でも君に掛けた催眠術は解かないことにする」
「どうして?」
「だって催眠術と関係無く、君は僕の存在を知ってしまったから。だから催眠術を解いても解かなくても同じことなんだよ。それに君はこのことを人に言いふらしたりはしないと思うし。それに僕、君のこと好きになっちゃったし」
「僕男だけどぉ!」
「君女の子になる気ない?もう一度僕の時代まできてくれたら、僕の時代の医療技術では女の子になって子供も産めるんだよ」
「でも僕はこの時代の人間だから」
「そうだね。でも僕は君のこと好きだよ」
そう言ってケンは和夫と見つめ合う。ふたりの顔が近づく。
ケンがキスしようとした時
「待ってぇ!僕男だってのに」
「僕の時代では性別なんてあまり気にしないんだけどなあ」
「僕は気にする!」
「じゃ握手」
「うん。握手」
それで和夫とケンは笑顔で握手した。
「じゃ行くね」
「また会うことある?」
「うん。多分」
ふたりが微笑んで見つめ合うシーンで映画は終了する。そしてラベンダー畑の中で、夏服セーラー服姿のアクアが主題歌の『∞の鼓動』を歌いながら歩いている場面に重ねてエンドロールが流れる。
(主題歌は本来は山森水絵の担当で映画の冒頭には山森の歌で流れたのだが、このエンドロールではアクアが歌っている。3オクターブ使う難曲だが、アクアもかなり広い声域を持っているので充分この曲が歌える。実を言うと北海道にロケに行った段階で『∞の鼓動』は出来ていたものの『エメラルドの太陽』はまだ出来ていなかったという事情もある)
政子がこのシーンを見て「きゃー!アクアちゃん可愛いぃ!」と声をあげるのをまた口をふさぐ。近くに座っているFM局の顔見知りのナビゲーターさんがその政子の様子を見て、笑いをこらえるのに苦労していた。
8月5日。
その日発売された週刊誌のタイトルを見て、私は頭を抱えた。
『ローズ+リリーのマリ、恋愛発覚。吉本選手は影武者、こちらが本命』
という文字が躍っていたのである。
取り敢えずコンビニに行ってその週刊誌を(お店にあった分全部)買ってきて中身の記事を読んでみる。それでどうしたものかと思っていたら、6時半頃、町添専務から電話が掛かってきた。
「週刊誌見た?」
「マリに記者会見させましょう。それで問題は収まるはずです」
「ほんとに?」
「先方もその気は無いと思いますよ。こないだはメッセージ発表で済ませたけど、2度目なので、ちゃんと記者会見して質問に答えた方がすっきりすると思います。先方はメッセージのFAXでもいいですけど。向こうとの事前交渉はお願いできますか?」
「分かった」
なお雑誌はその日の昼頃までに主要都市のコンビニ・書店から全部消えてしまったらしい。
それでその日のお昼から、★★レコードで記者会見を行うことになったが、この時点でマリ本人は何が問題なのか認識していない。記者会見には私とマリ、氷川さんと加藤次長が出席したものの、加藤さんと氷川さんは視線を合わせるのを避けていた。
「マリさんと新田金鯱さんが交際しているという報道があったのですが、事実でしょうか?」
と代表の記者さんが質問する。
「その雑誌の記者さんの思い違いではないでしょうか。マリが誰か男性と交際しているような事実はありません」
と氷川さんが代わって答えた。
「マリさんは新田さんとお会いになったんですか?」
「こないだから5回くらい会いましたよ」
とマリはあっけらかんと答えるので記者席がざわめく。加藤さんは心配そうな顔をしているが、私も氷川さんも余裕で微笑んでいる。
「どのような状況でお会いになったんでしょう?」
「最初に会ったのは、去年、盛岡に行った時なんですけど、わんこそばの大会があっていて、その会場で会ったんですよ」
「わんこそばですか?」
「私は126杯しか食べられなかったんですけど、新田さんは140杯食べて優勝したんです。この時は吉本さんも一緒で彼は118杯でした」
記者席から笑い声が出る。どうも大半の記者はこういう展開を予測していたようである。新田さんの大食いも昔から有名である。現役時代から大食い番組に出演したこともあった。
「その後、どこで会われましたか?」
「広島でお好み焼きの食べ比べでまた遭遇したんです。ミニお好み焼きを食べる競争なんですけど、私が48枚、新田さんは60枚で、また私が負けたんです」
「マリさんが負けるって手強いですね」
と記者さんが笑顔で言う。
「そうなんですよ。それでリベンジしたいから、蟹に付き合いませんか?と私から誘って。札幌で蟹対決しました」
「豪華ですね」
「この時は私が勝ちました」
「それは良かったですね」
「この対決は柔道の吉本さん、プロレスの高橋さんも一緒で4人でやって、私が足60本で優勝。新田さんは59本の1本差。吉本さんは50本、高橋さんが54本です」
記者の間からは笑いが漏れている。
「そのあと、先日の苗場でまた新田さんと会って、そうめんの食べ比べしたんですけど、またまた私が負けたんです」
「あらあら」
「そのあと先週は東京でしゃぶしゃぶの食べ比べをして。私に同行したお友達に数えてもらったんですけど、これは引き分けでした」
そのしゃぶしゃぶ屋さんに居る所を盗撮されて記事になったのである。
「ああ、お友達と一緒だったんですか?」
「そうですよ。なんか私が男の人と一緒にいる所を去年何度か盗撮されたというので、私をひとりにしないようにとお偉いさんから指令が出たみたいで、私たいてい誰かと一緒に出かけるんです」
とマリが発言するとまた記者席には笑いが起きている。加藤次長が頭を掻いているので、その仕草で★★レコードの上層部の指令と多くの記者が想像したようである。
「それでその日もお友達と一緒に行ったんですけどね」
とマリは言う。
どうも★★レコード内で状況を確認した所、写真を撮られたのは、政子に付いていた★★レコードの奥村さんがたまたまトイレに立っていた時らしい。食べている最中にどこかに行くことはあるまいというのでトイレに行ってきたようであるが、そんな場面を盗撮されるというのは想定外だったろう。しかし盗撮した人はマリに同行者がいたことも認識していたのではないかという気がする。それを記事にしたのは、やや悪質である。
奥村さんは話を聞いて青くなり、始末書を書きますと言ったが、町添さんも村上社長も彼女に落ち度は無いと言った。
「ではデートではないですね」
「はい。私だってデートは男の人とふたりきりで会いたいです」
「誰かいつも付いているのなら、そういう時はどうなさるんですか?」
「恋人ができた時に考えます」
マリはその後、新田さんとは次はちゃんこで勝負だ、という話をしており、駿河湖が所属する荒岩部屋にお邪魔して駿河海をはじめ部屋の力士たちも参加して食べ比べをする話になっていると言う。
「駿河湖さんとは何か関係が?」
「駿河湖さんともよく鹿鹿鹿ラーメンとかで会うんですよ」
この発言にまた記者席は笑いが起きていた。
加藤次長が
「その話が楽しそうなので◇◇テレビの***の枠内でレポートすることになりました。新田さんや吉本さんも参加する予定になっています」
とコメントした。
その後マリは食べることに関していろいろ楽しくお話をした。せっかく出てきた記者さんたちも、それを聞いて頷きながらメモしていた。
同時刻に新田金鯱さんも事務所で記者会見をしたが、内容的にはマリが話したのと、ほぼ同じであった。ただ彼の会見では、マリが言ったのの他にケーキの食べ比べもして、これはマリが勝ったということであった。
「結局、僕とマリさんはただの食べ友達ですね」
と彼は笑顔で言う。
「吉本宏太さんとかとも会うんですか?」
「ええ。僕や柔道の吉本、相撲の駿河海、プロレスの高橋、あと大食い番組に一時期よく出ていたタレントの神崎バレンちゃん。このあたりが食べ仲間なんですよ」
と彼は楽しそうに語る。
「新田さん、マリさんのこと個人的に好きではないんですか?」
と記者が聞いたが
「すみません。マリさんは素敵な女性だとは思いますが、僕は今恋愛をするつもりは無いです。今やっているドラマに当面は全力投球です」
と彼は元野球選手らしいことばで締めくくっていた。
こうして今回のマリの恋愛騒動は、空振りに終わったのであった。
スター発掘し隊の8月11日の放送で、三つ葉の初CD『恋のハーモニー』(ステラジオ作詞作曲)が公開された。これを手売りで3万枚売ることができたらメジャーデビュー、売れなかったら性転換ということになっている。
この日の放送では女性から男性への性転換手術の仕方について、実際にそういう手術を行っているH医師が出演して三つ葉の3人に説明していたが、3人とも口を押さえて「きゃー」とか「いやー!」などと悲鳴を上げていた。性転換して男になった人の性器の写真も3人にだけ見せていた。
「おっぱいも取っちゃうんですか?」
とシレン。
「男性はおっぱいは膨らんでないので」
とH医師。
「性転換しちゃったら、お嫁に行けなくなりますかね?」
などとコトリが発言する。
「男はお嫁に行かんよ」
と司会者の殿山。
「性転換したらやはり男になるんですか?」
とヤマトが訊く。
「あんたが先に前もって男に性転換していたら、その後の性転換で女になるだろうけどね」
と昼村。
手売りの1回目は8月13日に金沢、2回目は14日に福岡、3回目は20日に札幌で行われることになった。シレンが北海道の出身、コトリが長崎県、ヤマトが石川県なので、まず最初の3回は各々の出身地の近くの大都市でやろうということであった。その後は21日大阪、27日名古屋、28日東京と予定されているが3万枚に到達した所で販売会は終了する。
「シレンちゃんのお父さん、札幌に2000枚買いに行くと行っていたよ」
とその日マンションに来た桃香は言っていた。
「2000枚で120万円か。凄いなあ。でも桃香の親戚だとは知らなかった」
「従姪になるんだよね。私の従姉の娘。実は東京に出てきたので、色々世話を頼むと言われていて、何度かご飯食べさせに連れて行ったよ。学校の保護者面談にも親の代理ということで出て行ったし」
と桃香。
「いや、近くに年の近い親戚がいると心強いよ」
「でもあそこ両親とも舞い上がっているっぽい」
「歌手の親って両極端だよね。舞い上がるタイプと関係無いみたいな顔してるタイプと」
「モーニング娘。でも初期メンバーが5日間手売りで5万枚って課された時、メンバーのお父さんが大量に買ってたよね」
と政子が言う。
「うん。確か大阪で中澤さんのお母さんが100枚買ったので、負けじと札幌で安倍ちゃんのお父さんが1000枚買って行ったと思う」
「頑張るなあ」
「でもシレンちゃんって難しい字を書くよね」
と政子が言うと
「あそこの姉弟は全員難しい」
と桃香は言って、シレンの姉弟の名前を書いてみせる。
「いちばん上が月音と書いて『だいな』、2番目が波歌で『しれん』、一番下の弟は、太陽と書いて『みとら』」
「うーん。。。。」
と声を出して私は悩んでしまった。
「『だいな』は月の女神・ダイアナの略か」
「そうそう」
「『しれん』はシレーヌ、歌う人魚。英語読みすればサイレンだよね」
「それそれ」
「『みとら』はゾロアスター教かな」
「うん。ゾロアスターでもヒンドゥーでも太陽神らしいね。ミトラ教というのもあって、キリスト教の源流のひとつらしい。そもそもマイトレーヤってミトラのこと。まあ日本では弥勒菩薩だ」
「桃香にしてはよく知ってる」
などと政子が言うと
「青葉に習った」
と桃香は言っている。
「そのあたりは古代宗教のミッシングリングだからなあ」
「あの時代の宗教はお互いに複雑に影響し合っているみたいだね」
「昔の将軍様にミトラっていたよね?」
と政子が言い出す。
「ああ。ちょっと待って」
と言って私は電子辞書で確認して言う。
「鎌倉4代将軍の九条頼経だね。幼名が三寅。頼朝の直系男子が実朝暗殺で居なくなってしまったので、その後継として迎えられた。頼朝の妹の曾孫にあたる人で、2代頼家の娘・竹御所と結婚する。ふたりの間に子供が生まれていれば、一応頼朝直系の血筋が女系にはなるけど続いて行っていたはずが、竹御所は最初のお産で母子共に死亡してしまうんだよ。それで直系は完全に絶えてしまった」
「まあ鎌倉政権って実は北条政権だから、将軍はどうでも良かったけどね」
と桃香。
「北条は平氏だから、結果的には源平の戦いの最終勝者は平氏だったんだよね」
と私。
「ところで3万枚完売できなくて性転換ってことになったら、ご両親どうすんの?」
「お前が息子になったら俺の後取りになってくれとお父さんは言っているらしい。性転換の記念に六尺ふんどしをプレゼントすると言っていたって」
「どこまでマジなのか分からない話だ」
「千里は万一の場合は自分がお金出して友達を総動員して3万枚買ってあげるよと言っていたが、3万枚って何万円だっけ?」
「私も1万枚くらい買ってあげるよ」
「それは助かるかも」
「しかし千里も今年は本当に忙しそうだ。今月下旬に帰国して9月いっぱいくらいは少し時間があると言っていたが」
千里は今リオでバスケットの一次リーグを戦っている最中なのだが、どうも桃香はその話を聞いていないっぽい。それで私もそれについては特に言わないことにした。国内のWリーグは10月に始まるのでそれまでは少し余裕があるのだろう。私は彼女にKARIONのシングル用の曲を1曲とローズ+リリーのアルバム『やまと』用の曲を1-2曲頼んでいる。それは9月くらいまでに書くと言っていた。また年末くらいまででいいから、KARIONの次期アルバム用の曲も2-3曲お願いしている。しかしどうも桃香は千里の作曲活動のことも知らないようである。
「桃香はお仕事の方は?」
「少し休職させてもらおうかなと思っているんだけどね」
「体調でも悪いの?」
「そうではないけど、ちょっと計画していることがあって」
桃香の「計画」の内容について私は3ヶ月ほど後に知ることになる。
8月11日(祝)にアクア主演の映画『時のどこかで』が公開されたが、初日は主演のアクア、共演の黒山明・広原剛志・元原マミ・木田いなほの5人で一緒に各地の映画館を周り挨拶をしていた。この映画はアクアの人気、そして1ヶ月前からの盛んな宣伝もあって、初日動員51万人(興行成績7.2億円)という恐ろしいレコードを叩き出した。
「アクアは元々が歌手より俳優志向だったし、今後も歌手より俳優を主軸に活動していくことになるんでしょうね」
と私は週明けに★★レコードに行った時、加藤次長と話した。
「あれだけ歌が上手いから、惜しいんだけどね。本人は最初から俳優になりたいと言っていたし。今は年間3〜4枚のシングルを出しているけど、20歳くらい過ぎたらそちらはペース落としていくことになるかも知れないね」
と加藤さんは言っていた。
「どっちみち声変わりが来たら、歌手としての人気はどうしても曲がり角になると思いますよ」
「まあそれは仕方ないね。去勢する訳にもいかんし」
と加藤さんは言っているが、本音は去勢してしまいたい所のようだ。
「でもこないだはステージで倒れてしまったけど、彼の負荷は周囲が考えてあげないといけないですよ」
「うん。今回は急に映画の企画が浮上して大変だったんだけど、コスモス君も紅川さんと共同で、この先はこんな無茶なスケジュールは組まないようにして欲しいとテレビ局側に申し入れたらしい」
「彼は芸能界の宝ですから。無理させて潰したらいけないです」
「しかし三つ葉の方も好調なスタートで助かった」
と加藤さんは言っていた。
「2000枚買うと張り切っていたシレンのお父さんは空振りになりましたね」
と私は笑って言った。
「うん。金沢と福岡で完売しちゃったからね。相対的な価値は下がったと言っても、まだまだテレビの影響は大きいんだなというのを思い知らされたよ」
と加藤さんは言っている。
「でもシレンちゃんのお父さん、性転換する羽目になったら男になった記念に六尺ふんどしをプレゼントするとも言っていたそうですよ」
「あんな可愛い子が男になっちゃいけないよ」
と加藤さん。
「アクアもあんな可愛いのに男になっちゃいけない。女の子にしてあげてという嘆願が大量に来ているらしいですが」
「アクアの場合は、男なのか女なのか微妙に曖昧なのがいいのであって、本当に女の子になっちゃったら、人気急落するだろうけどね」
「それは本人も別に女の子になりたい訳じゃ無いから大丈夫ですよ。まあ女装には味をしめてるし、テレビの企画とかでもどんどん女装させるだろうから、そのあたりはかまわないんですけどね」
この日私はローズ+リリーのアルバム『やまと』の発売時期、次のシングルの発売時期、ローズ+リリーのツアーの時期などについて話しに来ていた。町添常務が多忙なので、佐田副社長、加藤次長、森元課長、氷川さん、およびUTPの大宮さんと打ち合わせたのだが、こちらの希望を大筋で承認してもらった。
会議の中で加藤次長と氷川さんの様子もさりげなく観察していたが、先日のマリの記者会見の時よりは、不自然さが減少しているようである。
会議が終わってから帰ろうとしていたら、大林亮平とばったりと遭遇する。私は会釈だけしてオフィスを出ようとしたのだが
「あ、ちょっと」
と呼び止められたので、一緒に近くの小会議室に入る。氷川さんがお茶とケーキを持って来てくれた。大林君は甘党なので、ケーキを美味しそうに食べている。
「こないだ苗場で夜中に僕の部屋の前まで来たの、もしかしてケイちゃんかなと思って」
「起きておられたんですか?マリが夜中居なくなっていたので探していたら、あそこに辿り着きましたが、大林さんなら問題無いのでそのまま帰りましたよ。実際朝までにはマリも戻って来ていたし」
「いや、足音がしたので気づいて。部屋の前で止まって、でもまた遠ざかっていったから、ちょっと気になって。でもやはりケイちゃんだったのか」
「マリは何も言ってなかったんですけど、凄腕の霊能者さんがたまたまうちの伴奏者の中に居たので、その人に頼んで探してもらったんですよ。それで大林さんと分かったので」
「その人、凄いね!」
「でも新田さんとの『恋愛報道』では、ちょっと助かったと思ったんだよ」
と大林君は言う。
「あれのお陰でマリと僕が会っている所を誰かに見られて、マリちゃんが男の人と一緒だったとか噂立てられても、ああ、新田さんかあるいは誰か大食い仲間だろうと思ってもらえるし」
「大林さんも何度か大食い番組に出ましたね!」
「うん。Wooden Fourでファミレスのメニュー食べ尽くしとかもやった」
「あれ無茶な企画ですよね」
「全く全く。あのあと一週間は水しか飲まなかったよ」
「ひゃー」
「体重戻すのに1ヶ月かかったし」
「お疲れ様です」
「でも結果的には新田さんたちが影武者になってくれるようなものかな」
と私は言う。
「そうそう。実は僕もそれ思った。僕の影武者になってくれるって」
「結婚するんですか?」
と私は彼に訊いた。
「分からない。どっちみちマリはまだ契約上結婚できないんだよね?」
「それは構いませんよ。場合によってはレコード会社に違約金払いますし」
「いやあ、違約金といえばここだけの話、本騨が5000万円、星歌ちゃんは2億円の違約金を払ったんだよ」
「まあ仕方ないですね」
「星歌でさえ2億円なら、ローズ+リリーは恐ろしい金額にならない?」
「逆に年齢が高いから大丈夫と思いますよ。星歌ちゃんまだ19歳だったもん。でも最悪は分割払いしますから、お金のことは気にせず結婚したかったらしてあげて下さい」
「実はこないだプロポーズした。指輪も渡した」
「そうだったんですか!」
「でも結婚したくないと言われた」
「あらら」
「指輪は返されても困ると言ったら、だったら指には填めないけど単純に預かっておくと言われた」
「マリらしいなあ」
「それで僕とは永遠の恋人でいたいというんですよね」
「あの子の感覚もよく分からないなあ。実は前の恋人にもそんなこと言ってて、捨てられちゃったんですよ」
「なるほどねー。でもその内気が向いたら僕の赤ちゃん産んであげるからと言うから、じゃ、そのうち種を蒔かせてもらうよと言っておいた」
「いいんじゃないですか?私も応援しますよ」
「ありがとう。あの子がその気になるまでは確実に避妊するから」
その日私が家に戻ると、政子は『時のどこかで』のパンフレットや同時発売されたサウンドトラックなどを眺めている。
「あれ?映画見に行ってきたの?」
「うん。面白かったよー」
「こないだ見たのと何か変わってた?」
「大筋では変わってないけど、原爆投下直前の広島に飛んだ時のセリフが変わってた」
「へー」
マリによると、松田未知(浅倉吾朗の祖母)と芳山和夫の会話がこのようになっていたらしい。
「あなた、まるで男の子みたいな話し方するのね。そういう子嫌いじゃないけど。私、川島芳子さんにも憧れているし」
「僕男だよー」
「もしかして、変な男の人に乱暴されたりしないように男装してるの?」
「別に男装じゃないけどなー」
「だってあなた声が女の子の声だし、そもそも男の子なら、みんな丸刈りにしてるし」
「ああ、そういう時代か・・・・でも、僕の性別は今はどちらでもいいよ。もし生き延びたいなら、僕と一緒に来てよ」
「何だか大袈裟ね、男装少女さん」
「川島芳子は男装の麗人として有名だったからね」
と私は言う。
「女優さんか何かだっけ?」
「清国皇帝の親戚だよ」
「ああ、中国の人なんだ?」
「中国というより満州人だよね。でも日本人の養女になって川島姓を名乗ったんだよ」
「へー。やはり男の人になりたかったのかな?」
「そのあたりの事情はどうもよく分からない。ある日突然髪を短く切って『永遠に女を精算し、男として生きる』という決意文書を発表したらしい。それが格好良いといって真似する女性が相次いだとか」
「おお、素晴らしい!やはりアクアもそろそろ永遠に男を精算して女として生きればいいのにね」
「なぜそこに行く?でも川島芳子さん、そもそも日本人の養子になった時に最初は良雄という名前をつけられたという説もある。もしかしたら男の子として育てたかったのかも」
と私が言うと
「そういう話、私大好き」
と政子はキラキラした目をして言った。
「スター発掘し隊」の8月18日の放送では、用意していた3万枚が13日の金沢と14日の福岡だけで売り切れてしまい、三つ葉のメジャーデビューが決定したこと、20日以降の発売会は中止になったことが発表された。
「あんたら男にならなくて済んで良かったな」
と殿山が言う。
「男子制服作らないといけないの大変だなと思ってました」
とシレンが言う。
「私たち、東京に出てくるのに転校先の学校の女子制服、作ったし」
とコトリ。
「ああ、学校ごとに制服違うから、女子は大変だよな。全国同じ制服ならいいのに」
と昼村。
「それで性転換したら、また男子制服になるし」
とヤマト。
「男女で違うから大変ですよね。男女で同じ制服ならいいのに」
と金墨円香。
「いや、それは良くない!」
と殿山。
「あんた男子にスカート穿かせんの?」
と昼村。
「それもいいんじゃんいですか?中学の間は男女ともセーラー服で、高校になったら男女とも学生服とか」
と円香は平気な顔で言う。
「それは絶対変だ」
と殿山は言っている。
番組は約30分間に渡って発売会の様子を映した後、こういうスタジオでのやりとりを映した。それでその後いよいよ三つ葉の3人が、彼女らをプロデュースする「大先生」と対面することになる。
3人は番組プロデューサーの名古尾、「使い走り」の毛利、アシスタントの円香、ΘΘプロのターモン舞鶴と一緒にその大先生のご自宅に行く。
カメラは車内での3人の様子を映し、そのあと玄関を入る所から映す。立派な引き戸である。訪問の意を告げると「今家内が出かけてるから、勝手に居間まで入って来て」というインターホンの声。
この声でネットでは「大先生」の正体が分かった人がかなりあったようで実名がツイッターに多数書き込まれる。
3人が靴を脱ぎ、きちんとそろえて家に上がる。そして3人が廊下を進んでいき、「失礼します」と言って障子を開ける。
3人が驚いた顔をする。
そこに居たのは1980年代に多数のヒット曲を生み出した作詞家の馬佳祥であった。最近では、他局の鑑定番組で、音楽関係のグッズの鑑定人として出演しているので、若い世代にも顔が知られている。
「3人とも頑張ったね。こんな可愛い子が男の子になっちゃったら、世界の損失だったよ」
などと馬佳祥は言っている。
それで3人はひとりずつ笑顔で馬佳祥先生と握手してから応接室のソファーに座った。先生は名古尾さん、毛利さん、ターモンさん、ついでに円香とも握手して全員着席する。
「冷蔵庫にケーキとお茶が入っているから誰か持って来て」
と言うので、毛利さんが
「私が行ってきます」
と言って席を立つ。するとシレンも
「私も手伝います」
と言って一緒に席を立った。そして少し反応が遅れて
「私も」
「私も」
と言ってヤマト、そしてコトリも席を立った。
それで4人で手分けしてケーキとお茶を持って来て配る。お茶を注ぐグラスはこの部屋の棚にあるのを取って、と先生が言うのを今度は円香が立って配った。先生がケーキに口をつけてからシレンたち3人は視線をやりとりし、名古尾さんが頷くのを待って自分たちもケーキに口を付ける。
このあたりも台本無しの撮影だったのだが、シレンたちはこの手のマナーは既に叩き込まれているようである。
「でも馬佳祥先生のお宅って、トロフィーとかゴールドディスクとかが沢山飾ってあるのかと思いました」
とシレンが発言する。
「僕はそういう過去の栄光には興味無いんだよ。僕は常に未来を見ている。頂いたトロフィーの類いや、全部で100枚くらいあるゴールドディスクは全部土蔵に放り込んであるよ」
「土蔵ですか」
「土蔵は火事になっても残る可能性が高いから、実はいちばん良い保存場所なんだけどね」
「確かにそうですよね」
「それで君たちもメジャーデビューすることになるから、その楽曲については若い人に書いてもらった方がいいだろうということで、1曲は先日の曲を書いてもらったステラジオに、もう1曲は80年代に僕と何度もコンビを組んで曲を書いてくれた東堂千一夜君の孫弟子に当たる東郷誠一君に頼むことにした」
「東郷先生は今旬の作曲家さんのひとりですからね。毎年数十曲のヒット曲を書いておられますし」
と名古尾プロデューサーが言う。
ネットでは早速突っ込みが入っていた。
「ヒットしているのは『東郷誠一ブランド』の曲だよな」
「本人は50代だけど、実際に書いているのは20-30代の作曲家が多いから」
「実際に書くのは東郷Cかな。東郷Eかな?」
「東郷Hあたりじゃない?アクアにも書いているし」
東郷ブランドの曲は大半が「埋め曲」なので、実際にはステラジオがメインだが、復帰したばかりで自分たちのアルバムも制作中のステラジオに2曲は無理なので、1曲は「東郷ブランド」を使うのだろうというのがネットの論客たちの大方の見方であった。
「しかしステラジオと東郷誠一ブランドで曲を書いて、現場の制作は毛利が指揮するのなら、大先生は何をするの?」
「さあ・・・」
番組は馬佳祥先生と三つ葉の3人たちの会話を5分ほど流したのだが、最後、もう番組の残り時間がほとんど無くなったところで、馬佳祥は
「ところでここで重大発表があるんだけど」
と言った。
そして番組は「重大発表!?」というテロップを流したところで終了する。
「ああ、結局三つ葉のデビュー曲は青葉が書いたんだ?」
その日私は、ローズ+リリーのアルバムに入れる曲の件で青葉と電話していてその話も聞いた。
「本当は千里姉が受けたんですよ。でも8月20日までは全く時間が取れないから頼むと言われて。歌詞は葵照子さんが当直医の勤務の合間に書いてくれたらしくて、その歌詞を私の感覚で自由に修正していいからという条件で引き受けました。実は姉も言っていたんですけど、この三つ葉に渡す曲はできるだけ若いセンスで作りたいからって。だから結構修正させてもらいました」
「それでいいと思う。それでこのまま東郷誠一の影のひとりとして定着することになったりしてね」
「え〜〜〜!?」
「今東郷ブランドの中の人は東郷Cこと香住零子さん、東郷Dこと田辺龍行さん、東郷Eこと吉原揚巻さん、東郷Fこと樋口花圃さん、東郷Gこと三田夏美さん、東郷Hこと醍醐春海。この6人がメイン。実際に書いているのは40人くらい居るんだけど、この6人は作品数が多い。でも青葉の書く曲が増えると、東郷Jあたりとしてネット住民に認定されるかもね」
「あははは」
「ところで青葉、うちのアルバムの制作での演奏に参加する時間は取れる?」
「インカレが9月4日までなので、その後でしたら、いいですよ。大学も9月いっぱいまでは休みなので。10月以降は土日限定にしてください」
「OKOK」
「スター発掘し隊」の翌週8月25日の放送では馬佳祥先生が
「ところでここで重大発表があるんだけど」
と言った所からの続きである。
馬佳祥先生は
「実を言うと、僕はただの影武者なんだよ」
と告白する。
「え〜〜〜!?」
ここでカメラは名古尾プロデューサーにズームアップする。
「この問題に関しては私から視聴者の皆様にお詫びしなければなりません」
と名古尾さんは言う。
「一部週刊誌の報道などにもありましたが、この番組は当初別の者が制作担当して始まりました。ところがその者が4月下旬に急に退職して私が引き継ぎました。また、その直後に今度はその前任者とタグを組んで企画を進めていたレコード会社の担当者が、癌で入院、翌週手術ということになりまして、療養のためプロジェクトから離脱しました。そういう訳で、元々番組を進めていた者が誰もいなくなってしまったのです」
「いや、あの時期はこの番組どうなるんだ?と正直私も不安でした。でも名古尾さんはそれを見事に立て直したと思います」
と金墨円香は名古尾を擁護する。
「オーディションの選考自体も本当は前任のプロデューサー、レコード会社のその担当さん、そしてある中堅ミュージシャンさんの3人で行うと企画書では書かれていたのですが、実際にはそのミュージシャンさんは前任のプロデューサーが辞任する前の段階で、体調不良ということで辞退なさっていたのですよ。しかし放送日程はずらせないので、オーディションの選考は実は別のミュージシャンの方に急遽お願いしました。この方は、今たいへんな売れっ子の方で、この人のセンスであれば間違い無いと思いました。実際、三つ葉の3人は本当にいい子だと思います」
「しかし、そのミュージシャンさんに、このままプロジェクトに入ってもらえないかと打診したものの、今多数のアーティストを抱えていて、とても無理ということでした。そこで、私たちはその方の師匠にあたる方から推薦して頂いた毛利五郎さんに制作をお願いすることになったのです」
「ところが、番組ではそれを決める前の段階で『大先生がプロデュース』すると発表してしまっていたので、それとの整合性を取るために、馬佳祥先生に大先生の役を演じて頂けないかと打診し、ご了承を得ました」
と名古尾プロデューサーは事態の経緯を説明した。
「まあ、そういう訳で、僕は影武者の大先生だったんだけど、一応それでもわずかだけどプロデューサーとしての報酬はもらったし、制作現場にも何度か足を運んだから、僕がプロデュースしたというのも、嘘ではない。だけど、実際の制作過程は、毛利君、それから彼の友人の松居美奈さん、それと3人に技術指導もした相馬晃君の3人で進めている。だから、今後は三つ葉の制作は、毛利君が正式にプロデューサーになって進めるといいと思う」
と馬佳祥先生は語った。
「じゃ、毛利さんは使い走りから大先生に昇格ですか?」
と円香が尋ねる。
「僕はまだ大先生ではないから小先生くらいで」
と毛利さんは語った。
番組の冒頭10分ほどを使ってこの「お詫び」が放送された後、場面はデビューに向けて、ステラジオおよび東郷誠一さんから提供された曲を三つ葉の3人が練習している風景に移る。
インディーズで発売した『恋のハーモニー』の制作にも参加したバンドの人たちが演奏するのに合わせて3人が歌う姿が映る。
「バンドメンバーさんで、ベースの人、もしかして性転換しました?」
と円香が練習風景を見ている毛利さんに訊く。
「いや、性転換したのではなく別人です。前回制作のとできるだけ同じメンバーでやりたかったのですが、ベースの人が今回は都合がつかないということで、他の人にお願いしたんですよ」
と毛利さんは言っている。
馬佳祥先生が名前をあげた松居美奈・相馬晃も姿を見せているが、ネットでは
「松居さんって美人〜」
という声があがっていた。
「友人って言ってたけど、毛利とどういう関係?」
「同じ雨宮の弟子だよ。相馬は関係が分からん」
「強いて言えば、雨宮の弟子の鮎川ゆまの元同僚」
放送時間を35分ほど使ったところで、突然名古尾プロデューサーが横縞の囚人服のようなものを着せられ、後ろ手に手錠を掛けられた姿でデンチューの2人に連行されてくる場面となる。
目の前に巨大な衝立のようなものが置かれている。上の方に大きな穴、下の方に小さな穴、その中間に少し横にずれて中くらいの穴がある。
またまたフロックコートにシルクハット、付けひげをつけた金墨円香が登場する。
「それではただいまより、大先生なる架空の存在をでっちあげて視聴者を騙した罪で名古尾プロデューサーを処刑する」
と円香は言う。
「それあんたも共犯じゃん」
と名古尾は抗議するが
「私は台本通りに言っただけで犯行の意思は無かったから刑法第三十八条により無罪」
などと円香は言っている。
「デンチュー君、処刑台の調子はどうかね?」
と円香が言うと、デンチューの2人が3つの穴に大根を1本ずつ差し込む。殿山がスイッチを入れると、大きな音がして、大根が切断されて下に落ちた。
名古尾さんが嫌そうな顔をしている。
「切れ味は良いようだね。もう一度やってみよう」
と言って再度やると、中間の穴に差した大根は切れずに、上の大きな穴と下の小さな穴に差した大根が切れた。
「これ切れなかったけど」
「時々切れないこともあるみたいです」
「では上の大きな穴に名古尾君の首、下の小さな穴に****、真ん中の穴には大根を入れなさい」
****のところはピーで消されている。
「ちょっと、ホントにやるの?これマジで死ぬじゃん」
と名古尾さん。
「時々切れないこともあるから、運が良ければ助かる」
と円香は言っている。
「首が切れなかったら命は助かる。***が切れなかったら男は辞めなくても済む。大根が切れなかったから、今夜の焼き魚に大根おろしは無しだ」
「ちょっと待ってぇ」
と言っている名古尾さんの首をデンチューの2人が処刑台の上の穴に押し込む。更に
「ファスナー降ろして」
などという殿山の声の後
「ちょっとぉ、それ触るのやめてぇ。僕の大事なものなんだから」
という名古尾さんの声。ここはカメラは写さない。
そして真ん中の穴に大根が差し込まれる。
「名古尾君、何か言い残すことは?」
「え、えっと。女房に昨日の肉じゃがは美味しかったと」
円香が
「では伝えよう」
と言い
「では処刑」
と言って、ボタンを押す。
大きな音がする。
大根が切れて下に落ちる。
しかし名古尾さんの首は無事である。
「助かったぁ!」
と名古尾さん。
「なんだ、男も辞めることにはならなかったのか。名古尾さんスカート似合うと思ったのに」
と昼村が言う。
「勘弁してよぉ」
と名古尾プロデューサー。
カメラが移動して処刑台の下の方の穴も写す。
そこには名古尾プロデューサーの革製の財布が差し込まれていた。
ここまででもう8:40を過ぎている。
そのあと隠し撮りっぽい場面に移る。
制作室でまだ囚人服を着たままの名古尾さんと毛利さん、それに円香の3人がサイダーで乾杯している。視点が移動しないので、スタジオ機器に紛れて隠し置いたCCDカメラで撮っているようである。
「いや、何とかここまで来たね」
「でもこれからが大変ですよ。今回はさんざん盛り上げたから3万枚売れたけど、次は普通の発売方法で5万枚は売らなきゃ許されない。できたらランキングのトップ」
「****があれだけ番組で盛り上げているのに、全然ランキング1位を取れずにいるからなあ」
ピー音で消されているが、視聴者は容易にキャッツファイブを連想したであろう。
「なんか運が悪いですよね」
「でも私、5月の時もネットでは去勢執行女とか書かれましたよ。今回の番組が流れたら、また書かれそう。これじゃお嫁に行けなくなっちゃう」
と円香が言うが顔は笑っている。
どうも円香も隠し撮りされていることに気づいてない雰囲気だ。
「じゃ9月で降板する?」
「いえ、ぜひ10月からの新番組にも出させて下さい。三つ葉の3人は可愛いし。こうなったら開き直って、番組の中では名古尾さんの去勢に燃えることにしますから」
「僕は去勢されたくないけど」
と名古尾さんが苦笑している。
ネットでは円香が「10月からの新番組」と発言したことに注目が集まった。いわば「自己リーク」するために、この部分を編集で残したのだろう。
「でも毛利君もほんとに色々やってるよね」
「4月の段階では仕事が全部途切れてしまって、1ヶ月近く何も仕事してなかったんですよ。まあ作曲はしてたけどね。それでこのオーディションの話が持ち込まれてきて、やりますやりますって返事したんだけど、その直後に山森水絵って新人さんのアルバム作るから、その制作してって雨宮先生から言われて、そのあとアクアの2枚のレコードの制作もやったし」
「アクアの制作は大変だったみたいね」
「時間は無いけど、絶対に品質は落とさないでとレコード会社の担当さんから厳命がありましたからね。だから僕の耳が納得するまで練習させて何度も録り直しましたよ」
と毛利さんは言う。
「アイドルのCDには、しばしばやっつけ仕事って感じの出来のがあるけど、それをやったら耳の良い人に見捨てられるからね」
と名古尾さん。
「三つ葉も妥協しませんよ」
と毛利さん。
「でも鴨乃清見さんも雨宮グループなのね?」
「そうですよ。でも彼女は専業作曲家ではないので、今月まで本業の方で海外出張してまして。それで今回は私が中心になって進めることになったんです。そちらはトナカイちゃんとあと奥原さんって若い子と」
「トナカイって、AYAの『Maze City』の作曲者?」
「うん。ここだけの話だけど、実はAYAのインディーズ時代の曲を書いていたアキ北原のお姉さんなんですよ」
「ああ、じゃ姉妹で作曲家なんですか?」
「そうそう。妹のアキさんは亡くなっちゃったんですけどね」
「亡くなられたんですか?」
「遺族の意向で発表してないんですけどね。それでメジャーデビューして以降は雨宮先生の盟友の上島先生がプロデュースしてくださったんですよ」
と毛利は言っている。
こういうのを編集カットしなかったというのは、戸奈甲斐こと北原春鹿さんやご両親の許諾を取ったんだろうなと私は思った。
「そうだったのか。初めて知った。でもこちらもレコード会社の担当さんが癌で亡くなったし」
と円香は言ったが
「死んでない、死んでない」
と名古尾さん。
「え?そうだったの?てっきり癌で急死したとばかり」
「あと1ヶ月発見が遅れていたら、もう手の施しようが無かったらしい。でも何とか病変部も切除して、今は療養中。業務復帰には1年くらいかかるかもという話だけどね」
「でも死ななかったのなら良かった」
と円香は言った。
「しかし毛利さん、そんなに掛け持ちでやっていたら、全然家にも帰られなかったのでは?」
と名古尾さんが言う。
「マジで帰ってません。もう自宅は4月下旬から放置です。今日はこのあと4ヶ月ぶりの我が家を見に帰ります。ちょっと怖いですけどね」
「ネズミとかごきぶりが大量発生していたりして」
と円香。
「洗濯してなかった服とか洗ってなかった食器とかはきっとカビだらけですよ」
と名古尾。
「いや、だからマジで怖いです。そもそも家が無かったらどうしよう?という感じで。幸いにも、家賃は忙しくなるかもということで前もって10月分まで払っていたから、誰か別の人が住んでるなんてことはないと思うんですけどね」
と毛利。
「だったら大丈夫かな。ちゃんと家があるといいですね」
と名古尾は言った。
誰も居ないスタジオでの会話が5分ほど続いた後、隠しカメラが毛利を追う。毛利が数ヶ月間、制作の都合でスタジオや事務所、放送局などで寝泊まりを続けた結果、着替えの服などがたくさんできていたので、局の若いADさんが荷物持ちを買って出てくれたのだが、そのADさんがどうもアクセサリーか何かに偽装した小型カメラで隠し撮りしているようである。
鉄道を乗り継いで横浜市内のやや不便な地域に到達。駅から10分ほど歩いて毛利さんの自宅まで行く。
「新番組、結構いけると思うんですけどね」
と毛利さん。
「あの人選はいけると思いますよ。でも私も出演者聞いてびっくりしました」
とADさん。
「そもそも名古尾さんはバラエティ畑の人だもん。バラエティ仕立てにしちゃった方が、彼もやりやすいでしょうし」
と毛利さん。
そんな会話をしながら、毛利さんはやがて
「ああ、そこを曲がった所です。すみませんね。個人的なことにまで手助けしてもらって」
と毛利さんはADさんにお礼を言う。
「いえ。僕も同じ横浜市内ですし。帰宅のついでですよ」
とADさん。
それでふたりは角を曲がったのだが、その前にあったものを見て、毛利さんが呆然とした顔で立ち止まる。
「何これ?」
そこには真新しい8階建てのマンションが建っていた。
「俺のアパートが無い!?」
と言ったまま毛利さんは絶句している。
そこにどうも仕込んでいたようで、70歳くらいの老人が出てくる。それを見て毛利は
「大家さん!? これどうしたんです?」
と訊いた。
「あれ?毛利さん、あんた生きてたの?」
「生きてますけど」
「もう長いこと帰宅してないんで、おそらく亡くなったのだろうと思って、あのアパートは崩して、新しくマンションを建てたんだよ」
と大家さんは言う。
「うっそー!?」
ここでテレビの画面には「建て直し前/建て直し後:劇的Before/After」というテロップが流れ、古いアパートの写真と現在のマンションの映像が左右に並べて表示された。
ネットには「このアパートは酷ぇ」「これ無理に崩さなくても自然崩壊したのでは」などという意見が書き込まれた。
「俺どうすればいいんですか?」
「まだ空いてる部屋はあるけど、そこに入る?」
「入れてください!あ、でも家賃いくらかな?」
「月20万だけど。このマンションの最上階で4LDK」
「ひぇー!?月20万ですか?今までの20倍?」
「敷金は余分にもらっていた家賃と前のアパートの敷金を振り替えるから1ヶ月分追加で入れてもらえたらいいよ。礼金も要らないし」
毛利さんが絶句していたら、ADさんがカバンの中から札束を取り出す。
「それではこれ敷金と12月までの家賃で100万円です」
と言って大家さんに銀行の封がしてある札束を渡す。
「ありがとう。じゃ契約成立ね」
と大家さんはニコニコ顔である。
「ちょっと待って。これどうなってるの?」
と毛利さんが言うと、ADさんはカバンから
《どっきり・びっくり・ショー》
と書かれた幕を取り出して大家さんに持たせ、毛利さんと並ばせ、あらためてカバンから取り出した小型のビデオカメラでふたりを撮影していた。
ここで今週の番組は終わったが、画面の隅に吹き出しが出て毛利と円香が映る。
「これどっきりはいいけど、マンションに建て替えられちゃったのはマジ?」
と毛利が言うのに対して
「マジです」
と大きなハサミを手にした円香が断言し、
「新しいマンションに移るついでに、毛利君もチョキンと切って新しい身体にしてあげようか?」
と付け加えて今週の放送は終了した。
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【夏の日の想い出・影武者】(5)