【夏の日の想い出・やまと】(1)

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この物語は時系列的には「影武者」(2016.09公開)の後のストーリーである。
 
2016.7.20(水)に「鴨乃清見の歌を歌いたい歌手募集」という実質的なオーディションの優勝者・山森水絵がリオデジャネイロ五輪をテーマにしたアルバムでデビューした。山森自身はその2日前の18日に、リオ五輪を特集する番組に出演した。この番組では有望選手の紹介などをしながら、山森の曲を流す。
 
この番組のトーク部分で何かスポーツしてた?と訊かれた水絵が
「サッカーのゴールキーパーしてました」
と答えたことから、自らもゴールキーパーだった品川ありさが
「私もゴールキーパーだったよ。今度ゴールキーパー対決しない?」
と言ったら、水絵も
「ぜひさせてください」
と言った。
 
このやりとりは台本になかったものであるが、テレビ局では急遽ふたりの対決を実施し、翌週のバラエティ番組の枠内で放送した。
 

場所はJ1リーグに所属するエールズのホームスタジアムである。メンバーには今回の五輪の代表選手に選ばれている人もあるが、むろんこの時期は日本代表の選手はいない。しかし1軍の選手が6人出てきて見守っている。
 
試合方式は元女子サッカー選手でタレントの長野光子さん(50歳)がシュートするPK 10本の内、何本を停められるかというものである。レポーター役として先日の番組にも出ていた、ゴールデンシックスのリノンが自らもサッカーウェアを着て出てきている。ちなみに、水絵は水色、ありさは赤のサッカーウェアで、長野さんは黒、リノンは黄色を着ている。長野さんは最初4人並んでカメラに映ったところで
 
「あんたたち3人は信号機みたいだ」
などと言う。
 
「じゃ私は青でどんどん通しちゃったりして」
と水絵が言ったので
 
「じゃウェアの色を選んだ時点で勝負が決まっていたりしてね」
とリノンは言っていた。
 
しかし勝負はなかなか見応えのあるものとなった。
 

水絵とありさが1回交代でゴールを守るが、特別ルールでシュートが枠内に飛ばなかった場合はそのままやり直しをすることにする。
 
長野さんはいきなり枠外に蹴って
「今のは水絵ちゃんをびっくりさせたんですよね?」
などとリノンにフォロー!?されていた。
 
そして水絵もありさも最初の5本のシュートを全部止めた。
 
「やるじゃん、やるじゃん、すごいじゃん」
とリノンが2人の肩を叩いている。
 
水絵は8本目を入れられてしまい、マジで悔しがっていた。しかしありさも9本目を入れられてしまい、対決はゴールデンゴール方式の延長戦となる。
 
しかしこの後、どちらも阻止続ける。
 
とうとう20本まで行ったところで、ディレクターさんから、声が掛かる。(この間かなり早送りされている)
 
「長野さん。もうボールに勢いが無くなってる」
「すみませーん。体力不足。もう限界」
 
それで見守っていたエールズの選手に声を掛ける。
 
「申し訳ないのですが、どなたか代わって頂けませんか?」
するとディフェンダーの森富選手が
 
「じゃ僕がやろう」
と言ってシュート役を買って出てくれた。
 

すると現役引退して20年経っている女子選手と、現役バリバリの男子選手ではスピードが全く違う。
 
今度はふたりとも停めきれない。
 
2人とも2本連続で決められた後で、次のボールは森富さんも手加減して蹴ってくれた。すると水絵はこれを美事はじいてゴールを守る。その次のありさは一瞬逆を突かれたものの、ギリギリで片手を当ててボールを逸らした。
 
その次のボールも2人とも阻止する。
 
そしてとうとう25本目の対決。
 
水絵はシュートのボールを弾いたものの、弾いた方角が悪く、ボールはゴールの隅に飛び込んでしまった。
 
「ミスったぁ!」
と本当に悔しそうな表情の水絵。
 
ありさの番になる。もうありさはテレビ番組だということをほぼ忘れてマジ100%である。森富さんのシュート。そこに飛びつく。
 
しかしボールはわずかにありさの腕の上を通過してゴールに突き刺さった。
 

ありさがハアハア大きく息をしながら、いったんひざの所に両手を突いて身体を休めるようにしたあと、歩いて水絵と交代する。
 
ところがここで「ピーッ」という笛が吹かれる。
 
笛を吹いたのは長野さんである。
 
「どうしました?」
とリノンが訊く。
 
「試合終了〜」
「そうなんですか?」
「勝負が付かなかったので両者優勝!」
と言って水絵とありさの手を左右の手で握って高く挙げた。
 
「確かにここまで競り合ったらもういいかもね」
と森富さんも笑って言う。
 
「そういうことで、この勝負は引き分けとなりました!」
とリノンがカメラの傍まで顔を近づけて言う。
 
それでさすがに疲れた表情の水絵とありさが握手し、そのままハグしあった所で、この対決の放送は終了した。
 

ネットの意見。
 
「これ、やらせじゃないよな?」
「これはガチだと思う。どちらも凄い気合い入ってた」
 
「でも引き分けにしたのはうまかった。どちらかが勝てば負けた方のファンが相手を嫌いになったりしかねない」
 
「そういう意味では危険な勝負だったけど、結果的には水絵ちゃんとありさちゃんは、凄く仲良くなったんじゃなかろうか」
 
「ファンもお互い相手を称賛するムードになったよな」
 

2016年8月11日、オーディション番組で選ばれた3人のユニット《三つ葉》の最初のCDが公開され、3人はこれを手売りして3万枚売ることができたらメジャーデビュー、売れなかったら性転換!という課題を与えられた。
 
実際の発売は1回目は8月13日に金沢、2回目は14日に福岡、3回目は20日に札幌と発表されていたのだが、実際には金沢で既に2万枚売れ、残りの1万枚も福岡で売れて、札幌に2000枚買いに行くなどと張り切っていた波歌(しれん)のお父さんは、計画が空振りになってしまった。
 
3人のメジャーデビューは決定し、デビューCDはステラジオの作品と東郷誠一先生の作品(本当に書いたのは青葉)をカップリングすることになった。
 

2016年9月4日(日)大安、チェリーツインのドラマー(キーボードを弾くこともある)桃川春美が長年の彼氏・真枝亜記宏と結婚式を挙げた。
 
彼氏と言っても実は春美のお兄さんである。ふたりは兄妹ではあるものの血はつながっていないので結婚可能である。春美は高校生の時に両親を亡くして亜記宏のお母さんの養女になったものの、入籍はしていなかったので苗字は桃川のままであった。当時彼女は本名の「春道」の下の「みち」を取って「桃川美智」あるいは「真枝美智」と名乗っていたのだが、2007年に自殺未遂を起こした後、秋月義高・大宅夏音に助けられた時、名前を聞かれたのに「桃川春道」と名乗ったのが「桃川春美」と誤って聞き取られたまま、桃川春美の名前で美幌町のマウンテンフット牧場に居座ってしまった。
 
それで彼女のことを知る人の中には彼女を「春美ちゃん」と呼ぶ人と「美智ちゃん」と呼ぶ人があったのだが、本人も迷った末、姓名判断では「春美」の方が良いことから、戸籍上の性別変更をする際に名前を「桃川春道」から「桃川春美」に変更することにしたらしい。
 
彼女はMTFで高校時代までは男子制服で通学していたものの大学に入って以降はずっと女性の格好で過ごしていた。高校1年の時に去勢し、自殺未遂をする直前の2007年には陰茎も切断しているが、性転換手術を受けたのは結局2014年の正月になったらしい。ただ彼女は性転換手術を受けたこと、そして戸籍を女性に変更していたことをごく最近まで誰にも言っていなかったので、正直私も彼女から「今度結婚式を挙げるんですけど、もし良かったら招待状を出したいのですが・・・」と聞いた時、驚いた。
 
「もしかして戸籍を直されたんですか?」
「実は2年前の2014年2月27日に直したんです」
「そうでしたか!」
「これ元々の誕生日なんですけどね」
「それは凄い」
「性別変更の申請をした時、これもしかしたら誕生日前後に認可されるかもという気がしたんですけど、ジャストになりました。ですから36歳の誕生日から私は法的にも女になったんです」
「うまく行きましたね〜」
 

結婚式・祝賀会(会費制)は札幌市内のホテルで行われた。
 
札幌が選ばれたのは彼女一家の住所事情がある。
 
春美は美幌町のマウンテンフット牧場に次女のしずかちゃんと一緒に住んでいる。一方、亜記宏はひとりで稚内市内に住んでいてラーメン屋さんを経営している。ふたりは毎月1回、ラーメン屋さんの定休日(第3水曜日)にデートしているものの、春美さんがチェリーツインの仕事などにぶつかり会えない月もあるらしい。
 
ふたりの間には3人の子供がおり、長女の理香子は函館市で亜記宏の従姉にあたる餅屋美鈴さんの所で暮らしている。そして三女の織羽は旭川市内の神社で暮らしている。つまり家族5人が稚内・美幌・函館・旭川と4ヶ所に別れて暮らしている。
 
彼女たちは結婚後もこの別居生活ならぬ分散生活を続けるらしい。
 
「私はチェリーツインの活動があるから、美幌を離れる訳にはいかないんです。でも彼も創業40年のラーメン屋さんを経営して地元のお客さんたちに愛されているから、稚内を動けないんです。娘たちも各々の育ての親と仲良くしてるし友だちもたくさんいるから、そこから動きたくない、ということで分散生活。まあ私は月に1度は函館と旭川に行きますけど」
と春美さんは言っていた。
 
「彼氏の所は?」
「それは当然向こうが私の所に来ます。通い婚です」
「なるほどー」
 
また亜記宏は札幌生まれで大学生の時まで札幌で暮らしていたし、春美も高校から大学までを札幌で過ごしている。それで友人も札幌近辺に多く、本人たちの集まりやすさと、関係者の多さで札幌が結婚式の場所に選ばれた。
 

私は旭川の神社から、織羽を連れてきた人物を見て、びっくりした。
 
「天津子ちゃん!」
「おはようございます、ケイさん」
と彼女は笑顔で挨拶した。
 
「なんか複雑な家庭っぽいけど、天津子ちゃんも関わっていたんだ」
「うん。この子は私の娘〜。物凄く優秀な巫女」
と天津子は言うし、織羽も
「私のお母ちゃんは、格好いいんだよ。悪霊やっつける呪文たくさん習った〜」
などと言っている。
 
おそろいの黒いビロードのドレスを着て並び仲良くしている理香子・しずか・織羽の3人の娘(中2・中1・小6)は戸籍上は亜記宏と前妻・実音子の子供ということになっているものの、遺伝子上は桃川春美の子供らしい。今回の結婚に伴い、春美は3人を自分の養女にもしたので、法的にも親子になった。
 
理香子は育ての親である美鈴さんを「お母ちゃん」と言い、春美を「ママ」と呼ぶ。織羽も天津子のことを「お母さん」と呼び、春美を「ママ」と呼ぶ。
 

なお、桃川さんは結婚して法的な苗字は真枝になるものの、チェリーツインでの名前は桃川春美のままにするということだった。
 
「実際には、ご友人たちにはけっこう真枝美智で通っていたみたいですね」
チェリーツインの大宅さんが言っていた。
 
「事実上夫婦をしていたからですか?」
と政子が訊くが
 
「いや、事実上の兄妹だったから」
「あ、そうか」
 
「大学にも戸籍名は桃川春道、でも通称は真枝美智と登録していたから、大学の友人はみんな真枝さんと思っていたらしい」
と大宅さんは説明する。
 
「へー。でもいつ頃から恋愛関係にあったんだろう」
と私が疑問を呈すると
 
「春美ちゃんが両親を亡くして真枝家に住むようになった頃から相思相愛だったらしい。それもあって亜記宏さんのお母さんは春美ちゃんを正式には入籍しなかったんだよ。兄妹になってしまっても結婚は可能だけど、世間的には兄妹の結婚に抵抗感を感じる人がいるから。でも亜記宏さんは2001年に他の女性と結婚する道を選んで、春美ちゃんは失恋してしまう。でも2011年に、10年ぶりに仲が復活したんだよ」
と大宅さんは言った。
 
その話を千里はじっと何か考えるかのように聞いていたが、思い直したように言った。
 
「もっとも彼氏との関係が復活する前に、彼氏の子供たちが自分の娘になっちゃったんだけどね」
 
「そうそう。あの3人にすごく懐かれてしまって」
と大宅さんは言っていた。
 
「当時は自分の遺伝子上の娘だなんて、つゆ知らなかったんだけどね」
と千里。
「自分の知らない内に子供ができているって凄いよね」
と大宅さん。
「でも最近は、あの3人は自分が産んだと彼女、主張してるね」
と私。
 
「というより本人はそれを信じ込んでいる気もする」
と秋月さんが言う。
 
「あの子、思い込みが激しいから」
と大宅。
「うん。あの子は想像や妄想と現実がしばしば混線している」
と秋月。
 
「でも、いいんじゃない?実際けっこう母親してるし」
と大宅は言う。
 
「うん。母親をするのは快感なんだよ」
と千里が言うので、私は、千里は京平君にかなり頻繁に会っているのではという気がした。
 

「だけど今回は千里もうまく谷間に入ったね」
と私は彼女に言った。
 
「うん。先月オリンピックが終わって、来月からはWリーグが始まるから、今月だけ動けるんだよ」
 
「クラブチームだったら、今日はやばかったね」
「そうそう。今日は全日本クラブバスケットボール選抜大会やってるから」
 
千里が3月まで在籍していた40 minutesはその大会に出ている。3位以内に入れば11月の全日本社会人バスケットボール選手権大会に出て、そこで2位以内になるとお正月のオールジャパンに出場する。雪子や暢子など、3月までの千里のチームメイトたちは、そこで千里の所属しているレッドインパルスと戦い、勝ってやると張り切っている。
 

今回の祝賀会は、出席者も多岐にわたっていた。
 
稚内のラーメン屋さんからは従業員の人たちと更に常連のお客さんまで来てくれていた。美幌町のマウンテンフット牧場からはオーナー夫妻ほかスタッフ数人に利用者さんまで2人来ている。春美さんの出身地・奥尻島からも古い友人が何人か来ている。函館には美鈴さんの親族が多いので、そちらから結構来ている。他に親族として川代さんという母娘が来ていたが、そちらとの関係は「説明困難」と言っていた。しかし理香子が「多津美ちゃんは私たちの従妹、でも実は妹〜」と、その母娘の娘について言っていた。その多津美(小4)も理香子のことを「お兄ちゃん」と呼んでいた。
 
「しずかと織羽にも私のことお兄ちゃんと呼べというのに、お姉ちゃんとしか呼ばない。多津美はちゃんとお兄ちゃんと呼んでくれるから好き〜」
などと理香子は言っていた。
 
理香子は今日はドレスを着ているものの、結構「男の子になりたい」らしく、「長男」と名乗ることもあるものの、女の子の服を着ること自体には抵抗感は無いという。スカートもたくさん持っているらしいし、ふだんもセーラー服で学校に行っていると言っていた。
 
彼女は、中学では女子サッカー部もあるにも関わらず男子サッカー部に入り、エースストライカーになっていて、全国大会まで行ったらしい(中高生のサッカーでは男子チームに女子が入ってもよいことになっており、実際結構な数のそういう選手が存在する。逆に女子チームの男子選手は少なくとも公式大会参加は不可)。理香子はサッカーする時は男物の下着を着け、男子のチームメイトと一緒に平気で着替えているという。彼女は下着は男物と女物が半々と言っていた。
 
もっともサッカーする時は春美が買ってあげている、スポーツ用品メーカーのプロ仕様のしっかりしたスポーツブラを男物のアンダーシャツの下に付けている。彼女のプレイはそのブラに助けられている面も大きいと春美は言っていた。
 
「あれ付けてると、おっぱいが無くなったかのように軽快に身体が動くんですよ」
と理香子は言っていた。
 
それを聞いた政子が
「男の子でもショーツの下にしっかりしたアンダーショーツ付けると、まるでおちんちんが無くなったかのように軽快に動けるらしいよ。外見的にも付いてないみたいに見えるらしい」
などと言い出すので
 
「女子中生の前で何を言っている?」
と注意しておいたが、理香子は
 
「ええ。その話は聞いてます」
などと言っていた。
 

祝賀会には、むろんチェリーツインのメンバーは全員来ている。ふだんふらふらとしていて居場所が不明確な秋月・大宅のふたりも今日はブラックスーツを着て裏方として頑張っているし、桜川陽子(少女X)は振袖姿で祝賀会の司会をし、普段は男装していることも多い桜木八雲(少女Y)も今日は少女Xとおそろいの振袖(柄が同じで色違い。Xは赤でYが青)を着て、祝賀会の発起人に名を連ね、会計を担当するとともに、招待客に挨拶をして回っていた。
 
芸能関係者の結婚式では、祝賀会の会費以外に一般常識と懸け離れた額の祝儀を置いて行く人がいるので、彼女のような芸能関係者が会計に入っていないと対処しきれない。
 
チェリーツインの関連でζζプロから、兼岩会長、青嶋部長、同じ事務所のしまうらら、松原珠妃、谷崎潤子・聡子姉妹、丸口美紅、遠上笑美子、そしてリダンダンシー・リダンジョッシーの8人などが来ている。
 
私がちょっと驚いたのが、丸山アイである。彼女(彼?)は今日は振袖姿の女装で、祝賀会のピアノ演奏係をしていたが、アイはζζプロではなく∞∞プロの所属である。
 
「アイちゃん、チェリーツインに関わっていたんだっけ?」
「関わっているか関わってないか微妙」
 
とアイが言っていたら、リダンリダンの信子が近づいて来て、背中からアイの首の所に抱きつき
 
「アイはチェリーツインのライブに1度参加したことあるんですよ。アイとしてのデビュー前だけど」
と信子が言っている。
 
「へー」
「ぼくがピアノ弾いて、春美さんがドラムスという構成で演奏した」
とアイは言っていた。
 
春美はチェリーツインのキーボード奏者だが、けっこうキーボードをサポート・ミュージシャンに任せて自分はドラムスを打つこともある。
 
「でもアイちゃんと信子ちゃんって仲良かったんだ?」
と私は訊く。
 
「お互いデビュー前からの親友なんですよ〜」
と信子が言っている。
 
「そうだったんだ!」
「同じ2014年組だしね」
「あぁ」
「ぼくと信子と、フェイの3人は同い年なんです」
とアイが言う。
 
「フェイだけ2013年デビュー。よくその3人とあと数名の匿名人物で会ってるよね」
「へー。そんな関係が」
「会う場所はどこかの女湯で」
「うーん・・・・」
 
もしかしたらクロスロードと似た集まりができているのかな?と私は思った。
 
「アクアが高校生なら仲間に引き込みたい所だけど。女湯入りたいでしょ?とか言って」
 
「それは勘弁してやって〜」
と私は言っておくが、あの子、女湯に味を占めている気がするなあとも思う。
 
「唆して性転換手術受けさせよう、なんてよく言っているんだけど」
「ああ、そう言う人は多い」
「騙して性転換手術受けさせよう、なんていう意見もある」
「ああ、うちのマリもよく言ってる」
 
そういえば、アイもフェイもアクアに女性ホルモンを(騙して?)飲ませた前歴があったなと思い起こす。
 
「アクアには『誰でもできる自己去勢』という本を渡しといた」
「ぼくはDian35を1年分渡しといた」
などと2人は言っている。
 
アクアが男の子の身体のまま成人するのはほとんど困難かも知れないなと私は時々思う。
 

★★レコードの担当・坂上さんと忙しいはずの加藤次長まで来ていた。もっとも加藤さん自身は「森元(課長)が忙しすぎて死にそうな顔をしていたから代わりに僕が来た」などと言っていた。
 
この他、関わりのある人として、私と政子、千里、雨宮三森先生、KARIONの和泉などが来ているが、私が最も驚愕したのが、雨宮先生と一緒に来場した東城一星先生であった。
 
「東城先生、いらっしゃったんですね!」
と私。
「雨宮に強引に連れてこられた」
と東城先生。
 
「下界に降りてきたのは20年ぶりらしい」
と雨宮先生。
 
「下界の様子はどうですか?先生」
「SFの世界に来た気分だ」
「そうかもですね!」
 
東城一星先生は少なくとも戸籍上は男性であるが、この日は、女性用の礼服を身につけお化粧もしておられた。但し下はスカートではなくズボンである。
 
「僕は性別が無いからね。だから性別が曖昧なジーンズとかで来ようかと思ったんだけど、男の礼服か女の礼服かどちらかは着てくださいと雨宮が言うから、女性用のズボンタイプにした。でも女性用の礼服着るならお化粧もして下さいと言われて化粧までさせられた。まあどうせ僕は男子トイレは使えないしね。女子トイレ使うのはちょっと勇気いるけど」などと先生はおっしゃっていた。
 

東城先生は実際には道内某所で自給自足の生活をなさっており、先生の住まいには電気もガスも水道も電話も無いし、先生は携帯電話も持っておられない。住所も存在せず、郵便でさえ届かない。
 
先生は時々訪れる雨宮先生や桃川春美から世間の様子を聞いていた(以前は木ノ下先生もよく来ていたという)。今回はその桃川との絡みで、20年ぶりに山を下りてきたということであった。
 
東城先生の来場には驚いた人が多く、兼岩会長に捉まって昔話に花を咲かせておられたし、加藤次長なども「やはり僕が来てよかったようだ」と言って、随分先生と話し込んでおられたようである。
 
もっとも東城先生は
「僕はもう化石みたいな存在だよ。DAWもMIDIもダウンロードもボカロイドも3DもVRもブルーレイも分からないから」
と言って、加藤さんから
「分かっておられるじゃないですか!」
と言われていた。
 
実は桃川さんが先生のご自宅(というより小屋)を訪れるたびにyoutubeの動画を見せたり、Cubaseで打ち込みで音楽を作っていくところとかPremiereとかFlashとかで動画を作っていく所を実演してみせてくれている。それで先生は最近のテクノロジーのことも知っているのだが、桃川さんが先生の所に連絡係として行くようになる前は、携帯電話もメールも知らなかったらしく、初めて携帯電話を見た時はトランシーバーかと思ったらしい(圏外だったのを桃川さんが行くようになってから東堂千一夜先生がお金を出して近くに基地局を建ててもらったらしい)。
 

流行作曲家の系譜。
 
1960-1980年代に鍋島康平先生(1926-2009)が多くの作詞家と組んで多数のヒット曲を出した。この鍋島先生の直接の弟子に当たる人で現在も活動している主な作曲家は東堂千一夜先生(1943-)とスノーベル(雪鈴:ゆきみすず・すずくりこ)である。
 
東堂先生は鍋島先生の最後の直弟子と言われる。スノーベルは鍋島先生の弟子ではないのだが、ペアで歌手として活動していた時代、鍋島先生や東堂先生から曲を頂いていたので、結果的には鍋島先生の弟子格に当たる。
 
東堂千一夜先生の主たる活動時期は1980-1990年代で、多数の作詞家と組んでいるが、馬佳祥先生(1936-)とのペアが特に有名である。
 
鍋島康平
 ┣━━━━━┓
東堂千一夜 ゆきみすず
 ┣━┳━━┓
東城 木下 ワン
一星 大吉 ティス
 ┃
東郷誠一
 
東堂先生の直弟子の中で最も活躍したのは木ノ下大吉先生(1957-)であるが、先生は2010年に突如失踪。その後自宅には戻ったが、引退を表明。いったん郷里の熊本に戻った後、沖縄に移住した。
 
ワンティスは発売したCDのタイトル曲はワンティス自身の作品であったが、c/wに東堂千一夜先生の作品を使用していたので東堂先生の「弟子格」とされる。ワンティスのメンバーでは、上島先生・雨宮先生・三宅先生・水上先生・海原先生が現役の作曲家として活動。また下川先生は多数のアレンジャーを雇って「下川工房」を運営し、楽曲のアレンジ作業で大きなセールスをあげている。
 
東堂千一夜先生の孫弟子に当たるのが東郷誠一先生(1965-)だが、東郷先生は2010年代以降で上島先生に次ぐ作曲量の多さで知られる。もっとも実際に東郷先生自身で書いているのはその1割程度(1割でもかなり多い)で、残りは「東郷ブランド」の作品とその筋ではみなされている。
 
実際に東郷ブランドの作品を書いているのは野潟四朗・香住零子・田辺龍行・吉原揚巻・樋口花圃・三田夏美・醍醐春海などの面々である。この他にも東郷誠一の名前で楽曲を提供しているのは常時20人程度、全部で100人くらいいると言われる。
 
そして、東堂千一夜先生の弟子で、東郷誠一先生の師匠に当たるのが東城一星(とうじょう・いっせい)先生である。東城先生は実は東堂先生の最初の弟子である。1980年代に、主として東堂千一夜先生のゴーストライターとして多くの作品を実際に書いていて自身の名前でも幾つかのヒット曲を出しているのだが、1992年に酔って有名女優をレイプしたとして訴えられ、その件自体では当該女優と和解して女優が告訴を取り下げたので刑事罰には問われなかったものの、作曲家を引退。その後消息不明になっていた。
 
東城先生の引退で、それまで東城先生が担当していた歌手への楽曲提供は半分を弟弟子の木ノ下先生(35)が、半分を東城先生自身の唯一の弟子であった東郷誠一先生(27)が引き継いだ(年齢はいづれも当時)。
 

私たちが東城先生と会ったのは、この結婚式の1ヶ月ちょっと前であった。
 
私と政子は制作中のアルバム『やまと』の中の曲、『行き交う船たち』と『やまとなでしこ恋する乙女』のPV撮影のため、苗場ロックフェスティバルが終わった翌日の7月25日(月)の夕方、北海道に飛んだ。
 
札幌で1泊した後、26日最初に政子が2年前に『行き交う船たち』の詩を書いた忍路(おしょろ)に行き、そこで撮影しようとしていたら、何だかご近所の人が寄ってくる。何してるんですか?と訊かれるのでプロモーションビデオの撮影をしてますと言うと、だったら船に大漁旗立てましょうなどと言われ、えらい騒ぎになってしまった。
 
それで大漁旗を立てた漁船が本当に『行き交う』状態で、お母さんたちが手を振ったりする中、私たちは歌うことになり、とっても賑やかなビデオになってしまった。半ば演歌の世界である。サイン色紙を書こうとしたら「ぜひこれに」と言われて、真っ白い大きな布に書くことになり、大漁旗と一緒に船に掲げられていた!
 
この曲は氷川さんの提案で『東へ西へ』と改題することにしたが、後でよくよく地図を見たら、忍路漁港を行き交っていた船たちは南へ北へと移動している!
 

午後いっぱい掛けて私たちは車(プリウスα−7人乗り)で美幌に移動したが、撮影班の内高倉・工藤の2人は忍路に残って夕日を撮影した。漁協の人たちに「ここの夕日がきれいだよ」と言われて、かなり「怖い感じ」の場所まで連れて行かれたものの。本当に美しい夕日が撮れたようである。彼らは夜中にもう一台の車(アクア)で走って美幌に来た。
 
先行して美幌のマウンテンフット牧場にお邪魔した私たちは「ようこそ。こんな所まで」と言われて、チェリーツインのメンバーから夕食に石狩鍋をごちそうになったが、政子が「美味しい美味しい」と言ってたくさん食べていた。
 
その後、中学生の桃川しずかにセーラー服(撮影用衣装)姿で出演してもらって『やまとなでしこ恋する乙女』の撮影を行った。この撮影はチェリーツインが練習用に使っている防音工事のされているサロンにブルーバックのスクリーンを取り付けて行った。
 
また翌27日は小清水町の原生花園に彼女を連れて行き、ひとりで歩いている所、友人役に調達した網走のローカルアイドルグループに所属する古都紘子ちゃんと一緒に歩いたりおしゃべりしているシーンを撮影した。
 
ふたりの衣装はセーラー服を着せたものと、浴衣を着せたもの、振袖を着せたものの3パターン撮影しておいた。
 
また網走市内のスタジオで、ふたりがドレスを着て、しずかがヴァイオリン、紘子ちゃんがピアノで合奏しているシーン、ふたりが振袖を着て、しずかが篠笛、紘子ちゃんが三味線で合奏しているシーンも撮影した。ただしヴァイオリンとピアノの合奏は本物だし、しずかの篠笛も本当に吹いているのだが、紘子ちゃんの三味線だけはフェイクである。
 

撮影は27日午後に終了したので、私たちは女満別→羽田の最終便(20:20-22:20)で帰ることにしたが、マウンテンフット牧場のオーナーが
 
「まあまあ」
と言って、私たちと撮影隊を焼肉で歓待してくれた(昨日歓待してくれたのはチェリーツインで、今日は牧場のオーナー)。
 
しかしこんなにしてもらっては向こう側の負担が、撮影場所の借り賃として払った金額を超えてしまいそうだ(逆にその金額を使い切りたいのかもという気はした)。ちなみに桃川しずかに払った出演料はこれとはまた別である。
 
「お肉たくさん頂きます!」
と言って政子は嬉しそうに美幌和牛のお肉をたくさん食べていた。
 
「北海道はお魚もお肉も、本当に美味しい」
と政子はご機嫌である。
 
氷川さんは桃川さん・少女Y(桜木八雲)と3人でなにやら話し込んでいる。七星さんと政子は少女X(桜川陽子)・気良姉妹にオーナーの妹さんと女6人でどうもファッションや食べ物の話題で盛り上がっているようだ。気良姉妹は自分では声を出せないものの、人の話を聞くのは問題無いし、筆談で意志表示できるので結構ちゃんと会話が成立するようである。撮影係の★★レコードの3人はどうも仕事を半ば忘れてしまっているようで、紅姉妹とオーナーの男6人でなにやら危ない話で盛り上がり、お酒も進んでいるようであった。また紘子ちゃんは風花とオーナーの奥さんと3人で色々話をしていたが、紘子ちゃんはどうも中央に進出する足がかりを模索している感じであった。
 
ということで、消去法で私は桃川しずかと一緒になった。私がこの子を最初に見た時は小学1年生くらいで、あの頃はやや中性的な雰囲気もあったのだが、今やとても可愛い女子中生となっている。
 

「しずかちゃんって、結構昔からチェリーツインのビデオに出てるよね」
「私もそういうの好きだから、結構『出る出る』とか言って出ていたんですよ。でも小学生の内は、友だちとかから何か言われたらいけないと言われて顔は出してなかったんですよね。今回初めてお母ちゃんから顔出しOKが出ました」
と彼女は響きの豊かなメゾソプラノボイスで言う。
 
母親(父親?)の桃川春美が音楽系の大学を出て楽器メーカーで仕事をしていたほどの音楽の才能のある人だし、お祖母さんは高校の音楽の先生だったと聞いた。チェリーツインが練習用に使っているサロンに置かれているグランドピアノなどもそのお祖母ちゃんの遺品らしい。しずかはこのピアノを小さい頃から自由に弾いていた。やはりそういった遺伝と環境もあるのか、彼女も音楽的な才能は高いようである。今回の撮影で彼女のヴァイオリンと篠笛を聴いたが上手かったし、別途歌も聴かせてもらったが、今すぐ歌手デビューしてもいいくらい上手いと私は思った。
 
「将来、タレント活動とかするつもりはあるの?」
「してもいいけど、大学出てからにしなさいと母からは言われているんです。でも高校生くらいになったら、バンドか何かでもしたいんですけどねー」
 
「うん。そういうのもいいと思うよ。頑張ってお母ちゃん説得しなきゃ」
 

「ところでケイさんって、小学生の内に性転換なさったんでしょ?どこで手術なさったんですか?やはりロシアとか?」
 
「なんかそういう話が勝手に一人歩きしてるけどね〜。まあ小学生の頃から女性ホルモンをしていたことまでは否定しないけど性転換手術を受けたのは大学生になってからだよ」
 
「ああ、そういうものですか」
 
「小学生の内に性転換って人はごく稀にいるけど、半陰陽だということにして手術しちゃったケースが多いみたい。色々ごまかしているがゆえに、あまり表舞台にはそういう情報は出てこないけどね。正規の医療として性転換手術を受けた人はどんなに若くても15歳が下限だと思う。普通は特例で16歳。15歳というのは、何かよほどの特殊事情があった場合だろうね」
 
「ああ、やはりそのくらいの年齢が下限かあ」
 
「性転換に興味あるの?しずかちゃん男の子になりたい?」
 
「男の子もいいし、おちんちんってあると便利っぽいけど、女は捨てられないなあという気もするんですけどね」
 
「私の周囲には割とそんな感じの女の子も多いよ」
 
「でも自分の性別の生き方に迷っている人って、みんな迷っている内にどんどん否応なく、男か女に身体が作り替えられていくんですよね〜。思春期に」
 
「うん。本当にあれは残酷だし、それで絶望して死んじゃう人もいるね。不可逆な変化が起きてしまうから」
 
「私もおっぱいだいぶ膨らんじゃったから、もう男の子にはなれないなあなんて思ったりしますよ」
 
「まあ女の子としての人生も悪くないと思うよ」
と私は彼女に優しく言った。
 

20:20の飛行機に乗るので19:20くらいまでには空港に着きたいということで、18:50に牧場を出ることにした。
 
今回の北海道遠征に参加しているのは、私・政子・風花・七星・氷川の5名と★★レコードの本社所属の佐久間さんで、これに北海道支店の高倉さん・工藤さんも入れると合計8名である。
 
使用している車は、北海道支店のプリウスαとアクアで、当初は高倉さんと工藤さんが、これで東京から来た6人を送った後、網走市内で1泊してから明日札幌に戻る予定だった。
 
ところが佐久間さんも工藤さん・高倉さんもうっかり?お酒を飲んでしまったので(氷川さんから注意されていたが、色々お世話になった牧場のオーナーから勧められて断れなかったのもあるようである)、結局、工藤・高倉の2人はこのまま牧場に泊めてもらい、空港へは桜川陽子と桃川春美が6人を送ってくれることになった。
 
撮影用の機材や撮影済みデータの入ったディスク、私たちの服などを乗せたプリウスαは陽子が運転し、これに佐久間さんと氷川さんに風花が乗った。
 
残りの3人(私・政子・七星)は、桃川さんが自分の車(Nissan Juke 1618cc Turbo CVT 4WD)で送ってくれることになった。
 
それで出発したのだが・・・・
 
少し走った所で桃川さんが言い出す。
 
「ちょっと寄り道しませんか?」
「え?どこに?」
 
「飛行機をキャンセルしてもらうだけの価値のある場所です」
と桃川さんは言った。
 
「いいですよ」
と私は答え、氷川さんに「急に思い立ったことがあるので、寄り道していきます。申し訳ありませんが私たち3人分の航空券はキャンセルしてください」
とメールした。
 
桃川さんの車は、いったん美幌町中心部まで出たものの、左折して西へ進路を取った(女満別空港に行く場合は直進して北へ行く)。
 
「七星さん、巻き添えにして済みません」
と私は言ったものの
「いや、多分物凄いものが見られると踏んだ」
と七星さんは言っている。
 
「ええ。近藤さんにも会う価値のあるお方だと思います」
と桃川さんは言う。
 
「人に会うんですね?」
「はい。この場所を知っていてたどり着けるのは木ノ下大吉先生、雨宮三森先生、そして私くらいだと思います」
 
私は助手席の七星さんと顔を見合わせた(私と政子が後部座席に座っている)
 
車は最初はまあまあの道を走っていたものの、その内町道か農道かという感じの細い道になり、やがて明らかに林道という感じの凄い道に入る。
 
「この道は冬期は車では通れなくなるんです」
と桃川は言っていた。
 
「ああ、無理でしょうね」
「冬にあそこに行くには冬山登山の装備が必要です」
「ひゃー」
 

それで到達したのが、小さな小屋であった。
 
車のヘッドライトで見ると、小屋の回りには白菜とか大根、大量の小枝などが積まれている。
 
桃川は車を小屋のそばに駐めると、私たちと一緒に降りてから、小屋のドアをノックした。
 
「春美ちゃん?どうぞ」
という中年男性の声がする。
 
「おはようございます」
と言って桃川は中に入る。
 
私たちは中を見るも暗くてよく分からない。しかし「おはようございます」?中にいるのは芸能関係者??などと思いながら私たちが顔を見合わせている間に、桃川は車に積んでいたポータブル発電機!(ガソリンで発電して50/60Hzの交流波を出すタイプらしい)を作動させ、灯りを付けた。
 
中には性別のよく分からない50代くらいの人物が居る。その人物は桃川が点けた灯りの中で私たちを見ると、
 
「おお。ローズ+リリーか。もうひとりの女性は悪いけど分からない」
と言った。
 
私たちは
「おはようございます。ローズ+リリーのケイです」
「おはようございます。ローズ+リリーのマリです」
「おはようございます。ローズ+リリーのサウンド・プロデューサーの近藤七星です」
ときちんと挨拶した。
 
「こちらは作曲家の東城一星先生」
と桃川が紹介するので、私たちは驚愕した。
 

「全く恥ずかしい話なんだけど、僕は昔事件を起こしてね」
と東城先生は、桃川が持って来たハーブティーを飲みながら語り始めた。
 
「この子たちがまだ生まれる前かなぁ?」
と桃川を向いて訊くが
 
「たぶんギリギリ生まれた後ですけど、物心は付いてないですよ」
と桃川。
 
「それで1年間の謹慎を師匠の東堂先生から言い渡されたんだけど、あの事件には色々納得のいかないことが多くて。僕自身人間不信に陥ってさ」
 
「それで、最初は道内のあちこちを転々としていたんだけどね。畑正憲さんが住んだことで有名になった嶮暮帰島(けんぼっきとう)にも数ヶ月居た。でも最終的にここに落ち着いた」
 
「ここは私有地ですか?」
「そうそう。ここは法的には山林で、所有者は実は藤吉真澄(木ノ下大吉の弟)の友人なんだよ」
 
「へー!」
 
「あの事件の後、私が人間不信に陥っていて静かな所で少し心を休めたいと言っていたら、静かな所ならありますよ、といってここに小屋を建てて貸してくれた。ここは3坪以内の工作物で、基礎工事とかもせず地面に直接置いている状態だから『建築物』ではないらしい。だから税金も払ってない」
 
「3坪以内だと建築物ではないんですか!」
と私たちは感心したように言ったが
 
「この小屋が建てられた時の基準ではそうね」
と桃川が補足する。
 
現在では、古いコンテナを置いたまま物置に使っているケースなど、地面に固定されていないものでも、長期間その場所に置かれているものは建築物に準じて扱うことになっている。
 
「まあ税務署の人が来たらそれなりに対応するが、税金払えと言われたら大根で物納するかな。ここの家賃も大根で納めているし」
と先生は言っている。
 
「先生はほぼ完全に自給自足生活なんですよ。畑を耕して野菜を育て、夏の間に溜めた野菜と川や湖で釣った魚で冬はだいたいしのいでおられるんです」
 
「凄い生活送っておられますね」
「肥料も堆肥を自給してるしね」
「なるほどー」
 
「冬の間の暖房の燃料は夏の間に集めた小枝とかでほぼまかなっている。非常用にと、桃川君が木炭もたくさん置いて行ってくれているから、取り敢えず凍死の心配は無いかな」
 
「しかし夏の間にけっこうしっかり準備をしてないと冬は過ごせませんね」
「昔の人間はみんなそうしていたのだと思うよ。備蓄の燃料と食料が無くなったら死しか無かったと思う」
と先生は言う。
 
「それは私たちが忘れてしまっていた大事なことですね」
と私は言った。
 

「この小屋で生活を始めた頃、ぼくはここで『究極の一曲』を書きたいと思ったんだよ」
 
「究極の一曲ですか!」
 
「でもさ」
「はい」
 
「ここで暮らしていたら、もう生きていくだけで精一杯で、そんなのどこかに行ってしまった」
と先生。
 
「まあ、そんなものですよ。こういう場所で生きておられるだけで凄いと思いますが」
と七星さんが言う。
 
「でも『究極の一曲ができるまでは山を降りない』とみんなに言い訳はできる」
「なるほどー」
 
「師匠が年に1度くらい手紙を書いてくるけどね」
「東堂先生も心配しておられるんですね」
「ただ師匠の手紙は読めん」
「へ?」
 
「この子たちに見せてあげてください」
と桃川が笑いながら言っている。
 
それで東城先生が見せてくれた「手紙」は美しい草書体の連綿で書かれていた。私はそれを見て読みあげた。
 
「親愛なる東城一星君。北海道の空は今は泣いているかい?それとも笑っているかい?」
 
私がすらすらと手紙を読んでいくので、東城先生も桃川も驚いている。
 
「なぜ読める?」
 
「草書連綿は規則に従って文字を崩しているだけなので、その規則がちゃんと分かっている人には何の問題もなく読めるんですよ」
と私は言う。
 
「私たち書道部だしね〜」
と政子も言う。
 
「凄い」
「雨宮も木ノ下も読めなかったのに」
 
「続きを読んでくれる?」
「はい」
 
それで私は続きを読む。
 
「君がカイの地に籠もってから、もう二十四年が経った。世間では実写と見分けがつかないようなコンピュータ・グラフィックスの映画とか、そこらへんの歌手よりもずっと上手い人工音声の歌なども作られているが、僕は古い人間だから昔ながらに手で五線譜を書き、生の歌手に歌わせているよ。君なら下手くそな生の歌手が好きかい?それとも自分の指定通りに歌ってくれるロボット歌手でヒット曲を目指すかい?東郷などはこういうハイテクノロジーを面白がって、いろいろ新しい挑戦をしているが、東城のやり方も見てみたいなあ・・・・」
 
結局私はここ10年ほどの東堂千一夜先生から東城一星先生への手紙を全部読み上げた。東城先生は涙を流しておられた。
 
「ぼくは全く返事を書いてないのに」
と言っておられるが
「仕方無いですよ。これ知らない人には読めませんよ」
と私は言った。
 
「なんかまた曲を書いてみようかなあ」
と先生はポツリと言った。
 
「このカイの土地で、24年間暮らした先生にしか書けないものがきっとありそうですね」
と私は言った。
 

桃川さんの結婚祝賀会に出てきた東城先生は、長く人里離れた所で暮らしていたとは思えない、穏和な表情であった。兼岩さんから
 
「日本語忘れてない?」
と言われると
「うん。忘れた。朝の挨拶って『印税払え』だっけ『酒酒酒』だったっけ?とか考えちゃったよ」
などとジョークで返していた。
 
あの小屋で、私と政子・七星・桃川と5人で朝まで語り明かしたのがほんの1ヶ月ちょっと前だったのだが、東城先生は私の顔を見ると
 
「これ約束したもの」
と言って、紙を1枚私に渡してくれた。
 
私はその場で譜面を読ませてもらって、これは凄い曲だと思った。むろん『やまと』に収録するレベルに達している。
 
「ありがとうございます。年末か年明けに発売するので、印税は早くて3月、遅くて6月頃以降に」
と私は言った。
 
「いやあ、五線譜の書き方なんて忘れてないかと思ったけど、だいぶ思い出せた」
「良かったですね」
 
東城先生から渡された紙には『赤い玉・白い玉』という幻想的な曲が書かれていた。C-Dm-Em-F-G7-Am-Bb-Cというスケール的コード進行を持つ意欲的な構成で、私は東城先生が随分と「やる気」を回復させているのではと思った。
 
この曲は結局チェリーツインに伴奏してもらって『やまと』に収録することになる。
 

2016年9月10日、日本国内のポップスファンの多くが驚愕するニュースが流れた。
 
レインボウ・フルート・バンズのフェイが妊娠出産のため、1年間休養するというのである。
 
レインボウ・フルート・バンズはメンバー全員がセクマイ(性的少数者)というバンドで、どういうセクマイなのかは公表していないものの、ファンの推察で次のようなことがほぼ確実と言われていた。
 
バス:キャロル(ゲイ)
テノール:マイク(FTM・手術しているかどうかは不明)
テノール:ポール(男装者・男性ホルモン常用)
アルト:モニカ(MTF・手術済)
アルト:アリス(女装者・思春期前から女性ホルモン常用)
ソプラノ:ジュン(レスビアン)
 
そしてもうひとりのソプラノであるフェイだけが、性別が良く分からないとされていた。中高生時代の友人などに取材しても「あの子は女の子だよ」という話と「あの子実は男」という話の両方が同数程度出てくる。中高生時代の写真にしても、男子制服姿、女子制服姿の双方の写真が存在し、そのどちらも全く不自然さがないのである。
 
ひょっとしたら半陰陽なのではないか?と推測する人もあったが、よく分からない感じであった。
 
しかし妊娠したということは、取り敢えず生物学的には女性であったということになるのだろう。
 
正直フェイの過去の言動からは、手術済みのMTFなのではと思わされるものもあったので、私はてっきりMTFかと思っていたのだが、どうも逆にFTXか何かだったのだろうかと私は考えた。
 

フェイはレインボウ・フルート・バンズのリーダーなのだが、サブリーダーのポール、そして事務所の野坂社長とともに記者会見したが、フェイは平謝りの状態であった。
 
「きちんとすべきことをしてなくてこういう事態になってしまい、大変申し訳ありません」
とフェイは神妙に謝った。
 
「妊娠なさったということは、フェイさん、女性だったんですか?」
と記者は、みんなが一番聞きたかったことを聞く。
 
「実は、私、少なくとも戸籍上は男なんですよね」
とフェイが言うので
 
「え〜〜〜!?」
という声が上がる。
 
「もしかして女性半陰陽ですか?」
 
「生まれた時の医師の診断では、停留睾丸の男児ということだったんです。それで男児として出生届を出したんですが、私自身の意識としては女の子だったんです。それで親も私が女の子として行動するのを許してくれていたので、小さい頃の友人は私のことは、女の子あるいはオカマちゃんと思っていたと思います。当時はまだおちんちんがあったので」
 
「あったので、ということは今はもう無いんですか?」
「はい。手術して取っちゃいました」
 
記者がざわめく。
 
「フェイさんのお股はでしたら現在女性の形なのでしょうか?」
「そうです。割れ目ちゃんもあるし、ヴァギナもあります」
「そのヴァギナというのは、人工的に作ったものですか?」
「いえ。ヴァギナは生まれた時からありました。だから自分ではこの穴って何だろう?と小さい頃は思っていたんですよ」
「割れ目ちゃんはあったんでしょうか?」
「ありませんでした。おちんちん取った時に、作ってもらいました」
 
「じゃ、ほぼ性転換手術を受けたようなものですね?」
「はい、まさに性転換手術だと思います。手術が終わった後の自分のお股見てきゃーっと思いましたよ。まるで形が変わっちゃったから。ちんちん無くなったのはちょっと悲しかったし。でも慣れたら、これって凄くいいですね。記者さんも、一度性転換してみません?」
 
「いや、遠慮しておきます」
とここまで多数の質問をしていた男性記者が言う。
 
「戸籍はその時直さなかったんですか?」
と別の記者が訊く。
 
「父が戸籍直すのは20歳過ぎてからにしてくれと言ったので20歳になってから直すつもりだったんですが、20歳すぎても結局放置していました」
 
「睾丸はどうなさったのでしょう?」
「停留睾丸と思われていたのが、実は片方は本当に睾丸だったのですが、もう片方は卵巣だったんですよ」
 
記者がまたざわめくが頷いている人もある。これは時々ある事例である。
 
「それでおちんちん取る時に、一緒に睾丸の方は除去してもらいました。それで卵巣だけ残ったんですが、この卵巣は実際には機能していないと言われました。それでホルモンニュートラルは色々問題が起きるからということで、女性ホルモンの補充療法を受けてました。だから実は、私、生理も一度も経験したことないんです」
 
「じゃ生理の経験も無いまま、初めての排卵が受精してしまったということですかね?」
と女性の記者から質問がある。
 
このあたりのメカニズムは男性の記者にはよく分からない所だろう。
 
「たぶんそういうことになるんだと思います」
 
「その子供の父親は誰ですか?」
 
「申し訳ありませんが現時点では非公開にさせてください。その件に関してはちょっと諸事情により調整中なので」
 
「芸能人、あるいは有名な方ですか?」
「すみません。現時点ではそれも含めて非公開にさせてください」
 
「妊娠は間違い無くしてるんですよね?」
「お医者さんに確認してもらいました。出産予定日は4月26日です」
 
「母子手帳はもらいましたか?」
「はい。頂きました」
と言って、フェイは母子手帳を見せる。成宮真琴というフェイの本名が記入されている。
 
「すんなりもらえました?」
「私が戸籍上男性なので、最初ふざけないでと言われましたが、医師の妊娠診断書を見せた上で、自分は半陰陽なのでと言ったら部長さんが出てこられて、話し合いの上で発行してくれました。戸籍の訂正はこの後すみやかにするつもりですので、出産までには戸籍上の性別も女性になっていると思います。ですから男が出産したという事態にはならないはずです」
 
「男性が出産したら戸籍上どうなるんですかね?」
「市役所の人も分からないと言っていました。多分どこにも前例は無いのではないかと思います」
 
「レインボウ・フルート・バンズの活動としてはどうなるのでしょう?」
「大変申し訳ないのですが、来年の7月いっぱいまでライブ活動をお休みさせて頂くことになりました」
 
「ライブ活動のみ休養ですか?」
「アルバム制作は進めます。むしろアルバム制作に集中することになると思います」
 
 
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【夏の日の想い出・やまと】(1)