【夏の日の想い出・やまと】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-02-24
『神秘の里』の音源制作はグランドオーケストラのメンバーが土日しか稼働できないので、時間的には7月中旬まで掛かった。
その最中、7月1日。この日の『ときめき病院物語II』の放送で純一が友利恵を押し倒し、佐斗志は舞理奈と同じ部屋で一晩過ごすという展開がある。政子は興奮して放送直後にアクアに電話してあれこれ妄想じみたことを言っていたのだが、翌日政子は珍しく朝8時に起きた。
いつも昼過ぎまで寝ている政子としてはひじょうに早い目覚めである。そして
「ちょっと変わった詩ができた」
と言って私に見せる。
エメラルドの太陽の、光が響いてくる/
ヒスイの砂浜の、ざわめきが見える/
アメジストの海に、泡立つ波が甘くて/
スミレ色のパパイヤ、白く流れる。
夜になると空には、ダイヤモンドの月が/
アクアマリンの星たちと一緒に/
柔らかに輝く。/
「何この無茶苦茶な色彩は!?」
と私は呆れて声を挙げた。
「だってそういう夢を見たんだもん。冬、これに曲を付けてよ」
「だめだよ。こんなの発表できないよ。発表したら、薬でもやってたんじゃないかって、マーサ、警察につかまるよ」
「薬なんかやってないから捕まらないよ。尿検査でも何でもしてもらえばいいし」
そんなことを言いながら朝御飯を食べている内に、霊能者の中村晃湖さんが来訪した。マンション内に霊的攻撃の仕掛けがされてないかのチェックを定期的にお願いしているのである。
彼女と少し話していたら、そこに青葉も来て、ふたりは一緒に怪しいDMやプレゼントを見つけてくれた。怪しい品は中村さんが持ち帰り処分することになるのだが、この時、中村さんは、自分と青葉と千里が全員親戚であることが分かったという話をしていた。
数代前にウメさんというイタコあがりで一般の人と結婚した人がおり、千里と中村晃湖さんはその人の曾孫、青葉は玄孫になるらしい。だから千里と中村晃湖が又従姉妹で、青葉はふたりの「又従姉妹違い」になるということだった。
この時、政子は、青葉に今朝書いた『エメラルドの太陽』の詩を渡した。
「冬に曲付けてよというのにダメだって言うのよ。青葉曲付けてくれない?」
と言っている。
青葉もその詩の内容に困惑していたようで、
「これ誰が歌うんですか?」
と訊くと、政子は
「アクアだったら歌ってくれないかなあ」
などと言っていた。
青葉は東京で起きた奇妙な事件を処理するために出てきていたのだが、実は先日青葉が東京に出てきて政子と一緒にドライブした時にもその怪異に出会ったということであった。それで政子は当時のことを再度青葉に説明していた。
青葉はその事件の解決のためしばらく東京に滞在し、一方私と政子はその間に伊勢に行き、二見浦で夫婦岩の所から太陽が昇ってくる、美しい日出を見た。政子はこれに感動して『二見浦の夜明け』という、とても美しい詩を書いた。
私はこれに曲を付けたが、詩が美しかったおかげで曲もとても良いものができた。そこで私はこれを『やまと』に入れることにし、代わりに『若狭湾の夕日』は外すことにした。
7月11日、オリンピックに向けての合宿の合間にうちのマンションを来訪した千里が「ローズ+リリーのアルバム以外の仕事はごく少数の例外を除いては全部外した方がいい」とアドバイスした。
千里が例外と言ったのはアクア・貝瀬日南の2つである。
それで花村唯香についてはEliseに丸投げ、SPSには「悪いけど余裕が無いから自分たちで曲書いておいて」と言い、青葉に「うちのアルバムの曲は書かなくてもいいから代わりに鈴鹿美里と槇原愛を頼む」と言い、スリファーズに関しては、雨宮先生!に連絡して、東郷誠一先生から曲を頂けないかと打診し、こちらの状況をおおむね把握していた先生から了承を得た。
それで何とか自分たちのアルバムに集中できる体勢ができたのが苗場ロックフェスティバルに出演する直前の7月20日頃であった。
ちょうど京都の祇園祭の時期なので『祗園祭の夜』のPVの素材作りに、撮影隊に京都に行ってもらい祇園祭の映像を収録してもらった。このPVには§§プロの西宮ネオンと、まだデビュー前の姫路スピカの2人に浴衣姿で出演してもらったが、この曲の音源制作は後回しである。
7月17日、リオデジャネイロ五輪に出場するバスケットボール女子日本代表が直前合宿先のブエノスアイレスに行くのに、成田空港からニューヨーク行きの便で旅だって行った。
これには千里も参加しているし、佐藤玲央美などとも交流があるので、私は成田まで彼女たちを見送りに行き激励した。
マンションに戻ると、青葉からFAXが届いていて
「鈴鹿美里と槇原愛の件は了解しました。北川さんが入院中ということで、結局氷川さんに連絡して、そちらの計画は進めることにしまた。それと先日の『エメラルドの太陽』に曲を付けたのですが」
と言って、取り敢えず手書きの譜面を送ってきてくれていた。青葉は歌詞の一部を「こう修正しませんか?」と提案していた。私も、もしこれをどこかに出すとしたら、最低この程度は修正しないと、あまりにもやばすぎると思った。青葉が修正した歌詞はこうである。
エメラルドの太陽の、輝いている海で/
ヒスイの砂浜に、ざわめきが広がる/
アメジストの海に、泡立つ波は優しく/
スミレ色のパパイヤ、そよ風に揺れる。
夜になると空には、ダイヤモンドの月が/
アクアマリンの星たちと一緒に/
きれいに輝く。/
青葉の意図は「五感の混乱」の修正であるというのがすぐに分かった。「光が聞こえる」とか「ざわめきが見える」というのは、政子にとっては普通の感覚の内なのだが、一般的な人にとってはLSDでもやらないと体験しない感覚である。その付近の混乱を修正して「普通に」変えてみたのだろう。
政子は不満を言うかも知れないけどね!
青葉の歌詞修正は細かな字句の修正ではなくかなり大胆なもので、おそらくは政子がイメージした情景を自らの頭の中に展開して、そこから文字を再度書き出したのではないかと思われた。つまり青葉もこの異様な色彩情景をリアルに体験してみたのだろう。そのあたりは青葉の精神力のなせるワザだ。
私がその譜面を見ていたら政子が起きてきた。そして五線譜を見ると
「あ、これこないだの歌だ」
と言って喜んでいたものの、歌詞の修正箇所を見て
「何よこれ〜?」
と言っている。
「だってそこは修正しないとやばすぎるよ」
と私は言う。
それでも政子は不満な様子である。ところがそこに秋風コスモスが来訪した。
「実はひじょうに申し訳ないのですが、アクア主演の『時のどこかで』の件で」
と言っている。
「それどうかしたの?」
コスモス自身がうちに来訪してわざわざその話を出すということは、主題歌か何か書いてということか? しかも日程的にかなり厳しい話ではと私は思った。
「映画の主題歌は実は鴨乃清見さんに書いて頂いたんです。これは山森水絵ちゃんが歌います」
「あ、そうか!歌ってたね!」
彼女が歌う主題歌に乗せた映画の予告編(トレーラー)は、つい数日前からテレビCMで流れている。
(この曲は7月6日の午後、合宿中の千里の所に突然書いてくれと連絡があり、それで夕方までに書き、徹夜で音源制作してCDマスターを7日朝工場に持ち込み、その音源を使用したトレーラーが7月8日からテレビに流れるという鬼畜なスケジュールだったことを後で千里本人から聞いた)
「しかし挿入歌をアクアに歌わせたいという話が出ていまして」
「それいつまでに必要なんですか?」
「実は7月23日夜までに音源制作を終えて24日朝からプレス始めないと間に合わないんです」
やはりかなり厳しい話だ。23日夜までにということは22-23日に制作することにしてスコアを21日中に用意する必要がある。そのためには19日までには曲を完成させる必要がある。つまり2日で書かなければならない!
「あれ?待って。アクアは苗場ロックフェスティバルには出てなかったっけ?」
「23日に出ます」
「それで音源制作を23日までに済ませるの〜?」
「映画の撮影中なんです。23日だけ開けてもらったので、苗場に出て、音源制作して夜中までに撮影現場に戻る必要があります」
「なんて鬼畜な」
「そのアクアのCDのカップリング曲は醍醐春海さん、じゃなかった東郷誠一先生に今書いて頂いている最中で」
「2曲入りなの〜?ってか醍醐は今朝ニューヨーク経由でブエノスアイレスに行っちゃったけど」
「機内で書いてブエノスアイレスからFAXかメールするとおっしゃってました」
千里も全く休む暇が無いな!と私は呆れる。しかし機械音痴の千里が果たしてアルゼンチンからFAXやメールを送れるだろうか?
私がつい千里のことまで心配していたら、政子が言った。
「でもちょうどアクアに歌わせたいと言っていた曲があるのよ」
「わあ、それは凄い!」
とコスモスが喜ぶ。
「これなんだけどね」
と言って政子がさっき青葉がFAXしてきた譜面を見せると
「うーん・・・・」
と言って悩んでいる。
「アクアに可愛いビキニの水着とか着せたらいいんじゃないかなと思うんだけどね」
などと政子は言っている。
「ごめんね。それはさすがに出せないよね。明日くらいまでに何とか書くから」
と私は言ったのだが
「いや、これは使えるかも」
とコスモスは言う。
「ほんと!?」
と言って政子は喜んでいる。
「ちみなにそれ作曲者の青葉が勝手に歌詞を改変しちゃったのよ。元々の歌詞はもっと良いんだよ」
と言って、元の詩を書いた紙を見せる。
コスモスは微笑んで答えた。
「マリさん、すみません。この作曲者さんが改訂した歌詞で行かせてください」
「え〜〜!?」
と政子は不満そうだ。
「実はアクアの芳山和子じゃなかった和夫が、タイムトラベル中に時空の狭間みたいな所に迷い込んで、漂っているシーンがあるんですよ。そこに流すのにこの曲はピッタリなので」
「ああ、そういう状況なら使えるね」
「じゃこれ頂いていいですか?」
「いいよ〜」
「アレンジはこちらでさせてもらっていいですよね?」
とコスモスが言う。
「うん。下川工房の仕事の速い人にやらせれば3日くらいでスコアができると思う。今、その楽譜のデータあげるね」
と私は言って、私は別途青葉からメールされてきている楽譜のデータをUSBメモリでコスモスに渡した。
ちなみに、私が心配したように千里は現地からネットに接続することができず、チームメイトの鞠原江美子に接続作業をしてもらったらしい(やはりソフトハウスに勤めてるなんて絶対嘘だ)。
彼女が書いたのは「もっとオブリガード」という曲で、ポルトガル語(ブラジルはポルトガル語)のオブリガード(Obrigado ありがとう)と音楽用語のオブリガート(Obbligato対旋律:カウンターメロディ)を掛けていて、この曲ではエレメントガードのギタリストがひたすらオブリガートを演奏するようになっていた。
「アクアが2人のユニットならデュエットで編曲したかったけどね」
と千里は後で言っていた。
苗場では(数ヶ月の突然の休養から復活した)ステラジオの物凄くパワフルなステージを見たのだが、その時、私は和泉から言われた。
「冬、KARIONの方は何とかするからさ、今年後半はローズ+リリーのアルバム作りに専念しなよ。本気出さないと、復活したステラジオに負けるよ。私も負けてられないから、旅行にでも行って詩を書きためる」
それで私はKARIONに関しても和泉にしばらくお任せし、貝瀬日南に渡す曲もストックの中から使うことにして、ほぼローズ+リリーに関する作業に集中できる体勢ができたのである。
さて、最初に予定していた10曲(2曲は『神秘の里』『二見浦の夜明け』と入れ替え)に加えて、千里・ゆまから2曲もらい、あと2曲上島先生と青葉からももらう予定だったのだが、上記の事情から青葉には代わりに鈴鹿美里と槇原愛の曲を書いてもらうことにしたので、代わりに1曲必要になった。私は『トンネルを抜けたら』を復活する線、あるいは別の曲を入れる線を検討していたのだが、そんな中、上島先生から連絡がある。
「ごめん。今とてもローズ+リリーに渡して恥ずかしくないレベルの曲が書けない」ということであった。先生のオーバーワークは分かっているので、これは諦めるしか無い。
そういう訳でこの段階で12曲になってしまったので、いっそ12曲でリリースすることも検討し始めた。
ところが、ここで思いがけない人たちから楽曲を頂くことになった。
私たちは7月22-24日に苗場ロックフェスティバルに参加したのだが、この時宿舎にしたホテルで、食事の時、偶然リダンダンシー・リダンジョッシーのメンバーと一緒になった。
「どうもごぶさたしてます」
と向こうのメンバーが挨拶する。
「ステージ見たよ〜。相変わらず気持ちいいパフォーマンスするね」
と私は言う。
「ありがとうございます」
「でもデビューからもう2年も経ってしまったのが信じられない感じです」
とサブリーダーの詩葉ちゃんが言う。
「なんかあっという間だったね〜」
と三郎も言っている。
「来年春で正隆君たちは大学は卒業でしょ?そのあとどうするの?」
「もうバンド専任ですね」
「卒業できなかったとしても退学して専任です」
「卒論は書いてる?」
「何とか頑張ってますが、それより単位落とさないかヒヤヒヤしてます」
「わあ、頑張ってね〜」
そんな話をしていた時、バンドの全ての曲を書いている鹿島信子が何か思いついたように言った。
「ローズ+リリーさん、もしよかったら、私の書いた曲とか歌ってもらえませんよね?」
「何かいい曲あるの?」
「ツインボーカルが絡む曲を書いたんですけどね。うちでまともに歌える女子メンバーがいないんですよね〜」
「うん。うちの女子メンバーはnobu以外全員歌が下手」
「だから管楽器吹いてる」
などと小枝と花純が言っている。
「実はこの曲、2年半前に、おふたりと一緒に出雲に行った時、美保関で書いた曲がベースなんですよ。その時は単純な曲で、このままでは使えないなあと思っていたのですが、昨年偶然牡鹿半島に行った時に、すごくきれいな朝日を見て、その時に、唐突にあの時書いた曲を改造する意欲が湧いて、それで書き上げたんですが、女声のツインボーカルが欲しくて」
「まあ正隆が性転換して女声を身につけるといいという説もあった」
などと三郎が言っている。
「性転換するのは構わないが、性転換するのと女声が出るようになるのとは別だから」
と正隆が言うので
「性転換してもいいの!?」
と突っ込まれている。
「信子の女装は可愛くなること俺初期の頃から知ってたけど、正隆の女装はあまり一般的な鑑賞には耐えんから」
などと清史。
「じゃ、東京に戻った後でいいから、そのスコア見せてくれない?」
「はい、お持ちします」
それでリダンダンシー・リダンジョッシーの信子からもらったのが
『Twin Islands』という曲である。
この曲は美保関から見える2つの島“地の御前”と“沖の御前”をイメージしたものだが、その日の日出前に東の空に輝いていた、水星と火星もイメージしたものだと信子は東京に戻ってから訪ねて来た、私のマンションで説明した。
「水星は地平線の近くに、火星は結構上空にあって、それが岸のすぐそばに見える地の御前、遠くの沖に見える沖の御前と、シンクロしている感じがして、詩を書いていたんですよ。でも当時はあまりいいメロディーが浮かばなくて。実際には牡鹿半島で、鮎川港の目前にある網地島と、フェリーに乗ってから見えてくる金華山を見た時に思いついたんですよね」
「うん。違う所で、こないだの曲の続きだ!と思うもの見つけることはよくあるんだよ」
と私は言った。
それで結局信子やリダンリダンのリーダー中村さんなどとの話し合いで、結局この曲はリダンダンシー・リダンジョッシーの伴奏で私とマリが歌うことになった。この曲では自分たちのバンドではボーカル&ベース担当の信子も、歌わずにベース演奏のみで参加する。
この曲の制作が8月上旬に行われた。
「だけど結局、信子ちゃんの性別問題って、ファンの間でも何にも話題とかにのぼらなかったね」
と収録が終わった後、私のマンションに全員を呼んでの打ち上げで政子が言った。
「デビューする時はけっこう不安だったんですけどね〜。その問題に関してはネットとかでもほとんど書き込みが無かったですね。結構拍子抜けしました」
と本人。
「こちらで公開した情報は、半陰陽であったこと。デビュー前に精密検査を受けたら女だという判定になったから、性別の訂正を裁判所に申請して認められたということ、手術とかはしていないこと」
「中高生時代の学生服写真も流出したけど、半陰陽なら仕方ないという空気になった気がする」
「生理があって、お医者さんは妊娠可能だと言っているというのも公表しているから、それでほぼ女と思ってもらえたんだと思う」
「チンコを目撃しているのは俺たちだけだし」
「でも信子ちゃん、修学旅行とかはどうしたんだっけ?」
「小学校の時は直前に風邪引いて参加できなかったんですよ」
「ほほお」
「中学の時は個室にお風呂が付いていたからそこで入っているんで、誰も私の裸を見てないんですよね」
「なるほど」
「高校は受験校で修学旅行はありませんでした」
「なんかうまく出来てるね」
「でも個室の風呂があっても中学生なら他の奴の入浴中とか襲撃しない?」
などと三郎が訊くが
「他の子はやられてたけど、私はやられなかったよ」
と信子は答える。
「それはやはり襲撃してみて、ちんちん付いてなかったらやばいと思われたんじゃないかね」
「あははは」
「ヴィジュアル的なものも大きいと思う。信子は女にしか見えないから」
と清史が言う。
「ファンレターは大半が男性からだから、ふつうに女だと思われているんだと思うよ」
とマネージャーの内海さん。
「性別問題で悩むより楽曲を発表してみればいい。音でファンは判断する、と醍醐春海先生が言ってくださったそうですが、まさにそうなったのではないかという気がします」
とリーダーの正隆は言う。
「まあ五十嵐浩晃が20歳近くになるまで、法的には女性だったなんてのも話題に上ることはほとんど無かったし」
などと演奏には参加しないもののアドバイザーとして立ち会ってくれたスターキッズの近藤さんが言っている。
「あれは単純ミスだからね」
と七星さん、
「信子の性別もきっと単純ミス」
とリダンリダンの詩葉。
「時々自分でも本当に2年前まで私は男だったんだっけ?と思うんですよね〜」
と信子が言うと。
「信子の中学高校時代の同級生とかも、信子が実は女の身体なのに男を装っていた、みたいに思い込んでいる人が多いみたいだよ」
と花純は言っていた。
このリダンリダンとの制作をする前、苗場ロックフェスティバルが終わった直後、私たちは『やまとなでしこ恋する乙女』と『行き交う船たち』のPVを撮影するために北海道に飛んだのだが、この時、チェリーツインの桃川さんに、20年来隠遁生活を送っておられた東城一星先生を紹介された。
東城先生は師匠にあたる東堂千一夜先生からの草書体で書かれた手紙を私が「解読」してあげたことに感動し、私たちが歌えるような曲を書いてみたいとおっしゃったので「ぜひ書いてください」と言っておいた。
PVを7月下旬に撮影した『行き交う船たち』(『東へ西へ』と改題)の実際の音源制作は、リダンリダンとの『Twin Islands』の制作の後、8月中旬に、スターキッズ&フレンズ+αの伴奏で制作した。
+αというのは、実は小風と美空およびトラベリングベルズのメンバーである(αがかなり多人数)。
この曲はPVが演歌っぽくなったのに悪のりして、近藤さんとTravelling Bellsの海香さんにアコスティックギターのツインギターを弾いてもらい、鷹野さんと私でヴァイオリンを入れて、昭和歌謡っぽいサウンドにしている。また、汽笛や鳥の鳴き声をシンセサイザに仕込み、小風と美空に「好きなタイミングで鳴らして」と言って、入れてもらった。
私がローズ+リリーの制作に集中し、和泉はあちこち旅行して詩作を続けているので(一部メロディーまで書いている)、小風と美空の2人はほぼ放置されているし、トラベリングベルズもあまり仕事が無い状態にある(お給料はちゃんと払っている)。
「母ちゃんがKARIONって解散したんだっけ?と訊いてきた」
などと小風が言っていた。
そういう訳でここまでで出来たのが
『だるまさんのように』5月
『やまとなでしこ恋する乙女』(醍醐)Golden Six6月上旬
『かぐや姫と手鞠』(鮎川)Red Blossom 6月下旬
『神秘の里』6月下旬〜7月中旬
『Twin islands』(鹿島)Redundancy-Redunjoccy 8月上旬
『東へ西へ』8月中旬
という6曲である。
この時点でまだ手を付けてないのが『秘密のかまくら』『二見浦の夜明け』 『祇園祭の夜』『日御碕の夕日』『同行三人』『コスモスの園』『その角を曲がればニルヤカナヤ』の7曲と、もし東城先生から良いのがいただけたらその曲、いただけなかった場合、このアルバムに入れるには品質不足と思われた場合は『さくら協奏曲』を入れる予定であった。(その場合、東城先生の曲はシングルに入れる)
8月下旬。唐突にスイートヴァニラズのEliseが連絡してきて
「ローズ+リリーに似合いそうな曲ができたから、歌ってくれ」
と言ってきた。
スイートヴァニラズは予定外だったのだが、彼女たちの曲は元々ローズ+リリーやKARIONと親和性のあるものが多いので、頂くことにした。これも伴奏はスイートヴァニラズ自身にお願いすることにした。
「これ印税でもらえる?」
「印税方式でも演奏料方式でもいいですよ」
「印税の方がたくさんもらえそうだから、それで」
「了解です」
これが『巫女巫女ファイト』という軽快で楽しい曲であった。
「これPVはケイとマリに巫女の衣装着せて踊らせるに限る」
などとEliseが言っているので、まさにそういうPVを作ることになった。撮影は千里が副巫女長をしている越谷市のF神社が協力してくれて、拝殿前の広場で撮影させてもらった。
Eliseは演奏を収録するスタジオに瑞季ちゃん(2歳半)を連れてきていたが、彼女らが演奏している最中は、七星さんや風花が、そのお世話をしていた。
この曲が入ったことで、どれかを外すことになるのだが、私は考えた末、『同行三人』を外すことにした。
9月上旬、北海道で桃川さんの結婚式に出た私は、東城先生と再会したが、先生は『赤い玉・白い玉』という意欲的で前衛的とも思える曲を私に渡した。ひじょうに面白い曲だったので、制作中のアルバム『やまと』に入れさせて欲しいと先生に言い、承諾を得る。
制作に関しては、桃川さんとの話し合いの結果、チェリーツインの伴奏で収録することにし、その収録作業は9月下旬にまたあらためて私たちが北海道に行って行なうことにした。
桃川さんの結婚式に出た後、私たちはそのまま沖縄まで飛行機を乗り継いで移動した。この時、千里を「北海道まで来たついでに」と半ば強引に連行した。そしてこの地で『その角を曲がればニルヤカナヤ』という曲のPV撮影と音源制作を行った。
これは昨年6月に沖縄に行った時に書いた曲であり、この時に関わりあいになった、明智ヒバリ、および木ノ下大吉先生に演奏に参加してもらった。またヒバリは自身が管理しているウタキでの撮影も許可してくれた。
ヒバリちゃんには、サビの部分で、私たちの歌に重ねて沖縄歌謡に独特の突吟(ちちじん)の入ったサブメロディーを歌ってもらった。またこの曲のイントロとエンディングのピアノを木ノ下先生に弾いてもらった。
私は東城先生が書いた『赤い玉・白い玉』の譜面を木ノ下先生にお見せした。
「懐かしい!確かに東城の字だ」
と言って、木ノ下先生は感動しておられるようだった。
「しかし幻想的な詩だ」
と木ノ下先生。
「不思議な情景ですよね」
赤い玉と白い玉が各々振動している内にぶつかって砕け散り、赤い粉と白い粉になってしまう。ところが赤い粉と白い粉はリズミカルに振動する内にやがて再び集積して、元の赤い玉と白い玉に戻る。
「あいつ、クスリをやっているということは?」
「それは無いと思いますが。そんなものが入手できる環境とは思えませんし」
「あいつ、まだあの小屋に住んでいるの?」
「自給自足、悠々自適の生活だそうですよ」
「嘘だ。息も絶え絶え、気息奄々の生活だと思う」
「まあ色々大変そうではありました。でも釣りはだいぶ上手くなられたようですよ」
「釣りしないと蛋白質が摂れんからな。熊とかはすさがに捕まえられんだろうし。しかし俺もあいつも世捨て人だなあ」
「木ノ下先生もまた曲を書かれませんか?」
しばらく木ノ下先生は考えておられた。そして部屋の奥にある琉球王朝っぽい文机(古いウタキにあったものがバラバラになっていたのを修復した物らしい)から1枚の紙を取り出して、私たちに見せてくださった。
「実は去年、ヒバリちゃんがノロとして覚醒した時に、これを書いた」
と先生はおっしゃる。
これは凄い曲だと私は思った。横から見ている千里も大きく頷いている。
「この曲を東城先生にお見せしてもいいですか?」
「あんた、俺とあいつを競わせようとしてる」
「おふたりとも、まだまだ行けますよ」
木ノ下先生はまた考えておられたが唐突に言う。
「鴨野君、君の龍笛を聴かせてよ」
「いいですよ」
と言って千里は龍笛で美しい曲を吹いた。
この曲は・・・・『悲しきドラゴン』だ!山森水絵のデビューアルバムに収録した曲だが、元々はトラベリングベルズの元リーダー相沢孝郎さんの弟さんの百日祭に千里が即興で吹いた曲である。
先生は涙を流しておられた。木ノ下家の離れで文書の整理をしていたらしいヒバリもこの音を聴いてこちらに出てきて、じっと千里の演奏を見ていた。
演奏が終わると先生は言った。
「やはり音楽っていいね」
「ええ。音楽はすばらしいです」
と私は言う。
ヒバリも頷いている。
「じゃ、その曲はさ、ローズ+リリーで歌って、その音源を東城に聴かせてやってよ」
「分かりました。それではこの曲、頂きます」
それで私たちは木ノ下先生から頂いた『青い炎』という力強いパワーがみなぎる曲を今回のアルバムに入れることにした。
そういう訳で今回のアルバムには現役から遠ざかって久しかった東城先生・木ノ下先生というおふたりの大作曲家の作品を収録することになった。
この曲の制作にもヒバリと木ノ下先生に参加してもらった。結局沖縄では『その角を曲がればニルヤカナヤ』『青い炎』の2曲の音源制作をおこなうことになる。
今回の制作に参加したのは、ヒバリと木ノ下先生(ピアノ)のほかは、Gt.近藤 B.鷹野 Dr.酒向 Marimba 月丘 KB 詩津紅 Sax.七星 Vn.鈴木真知子 Fl.風花 明笛/龍笛 千里 というメンツであった(スターキッズや真知子ちゃんたち、録音担当の有咲は、東京から直接沖縄に入っている)。
『ニルヤカナヤ』は沖縄っぽくするのに、ヒバリの突吟と三線(さんしん)、千里の明笛(みんてき:沖縄ではファンソウと呼ばれる)を入れてもらっているが、『青い炎』では千里は龍笛を吹き、ヒバリは木ノ下先生と連弾のピアノで参加している。
今回千里が使用した明笛(みんてき/ファンソウ)は、私が2007年に唐津で地元の祭り囃子の人にもらった唐津版ではなく、ヒバリが今回の制作のために調達してくれた小浜島(こはまじま)産の沖縄版である。《はいむるぶし》で有名な小浜島は真竹の名産地で、良い笛が作れるのである。この沖縄版の明笛は唐津版のものとは同じ明笛でも少し構造が異なっている。
9月中旬には先行してPVの素材だけ撮影しておいた『祇園祭の夜』の音源制作を行った。例によって私の親戚を動員して和楽器の音をたくさん入れている。
続けて『日御碕の夕日』を制作したが、この曲はアコスティック楽器のみで制作した。AcGt.近藤 Vn.鷹野 Va.香月 Vc.宮本 Cb.酒向 Pf.月丘 Fl.七星 というスターキッズ&フレンズのアコスティック・バージョンで演奏する。この曲は最初『龍宮の日暮れ』というタイトルだったのを『日御碕の夕日』に改題していたのだが、政子の提案で結局『暮れゆく龍宮』と改題することにした。PVは撮影班に実際に日御碕に行ってもらって、日御碕神社の境内で撮影させてもらった。
このビデオに出演してもらったのは、ムーンサークルのセレナとリリスで、ふたりには童話の絵本に出てくる乙姫様のような衣装を着けてもらい、境内で扇を持って舞ってもらった。この舞は実際に現地のお祭りで舞うものを教えてもらい使わせてもらったのだが、ふたりが飲み込みが早いので、指導してくれた地元の女子高生たちが感心していたらしい。
そして9月下旬には、三度北海道に行き『赤い玉・白い玉』の音源制作とPV作成をすることにした。
私はこの制作に、千里・青葉の姉妹、七美花・ゆまを連れて行くことにした。そして現地で旭川から天津子にも来てもらった。天津子は当然織羽を伴ってやってきて、織羽としずかは姉妹の交款をしていた。
「今日は地球最後の日になるかも知れん」
と網走のスタジオで録音を担当する有咲は言った。
「念のためこのスタジオは丸ごと借り切って、他の人に影響が出ないようにしている」
と私。
「本当は20km以内立ち入り禁止にしたい気分だ」
とゆま。
私は東城先生の書いた前衛的な曲を「ねじ伏せて」普通の鑑賞が可能な曲にするためには、こういう難解な曲をしっかり吹きこなせる技術力の高い人たちに演奏してもらう必要があると考えて、このメンツに集まってもらったのである。
楽器の担当はこうなった。
Gt.秋月義高(紅ゆたか) B.大宅夏音(紅さやか) Dr.桃川春美
Pf.古城美野里 Vn.鈴木真知子 Fl.秋乃風花
笙.今田七美花(若山鶴海) 龍笛.村山千里・川上青葉・海藤天津子
AltoSax.近藤七星 SopSax.鮎川ゆま
Vo.ケイ・マリ
Cho.桜木八雲(少女Y)・桜川陽子(少女X)
応援! 気良星子・気良虹子
鑑賞! 真枝しずか・真枝織羽
いきなりモニター用のスピーカーが2個壊れる。
想定内なので即交換する。
練習している間にProtoolsのDSPチップが数個飛ぶが、有咲は平然と交換する。サポートを兼ねて立ち会ってくれているスタジオの技術者さんが目を丸くしている。
「持ち込みの機材で録音作業させてくれとおっしゃった意味が分かりました!」
などと言っている。
「DSPチップとかメモリーチップとかって結構相性がありますからね〜」
秋月さんや大宅さんのギター・ベースの弦が切れるし、真知子ちゃんのヴァイオリンの弦も切れる。
更にスタジオの防音ガラスまで割れるが、予め「ガラス代金と別に拘束時間分の報酬を払うから、ガラス屋さんを待機させておいて欲しい」と言っておいたので、短時間でガラスを交換して作業を継続できた。
店長さんが「何事?」と言って来たが、同席していた技術者さんが
「店長、この音は少々物が壊れても聴く価値のある音です」
と言うので、しばらく同席していたが
「これ、みんなに聴かせていいですか?」
と私たちに訊いてきた。
「どうぞ。でもスマホとかで録音しようとしたら確実にスマホが壊れますよ」
「それは大丈夫です」
「できたらスマホ自体、電源落としておいたほうがいいです」
「そうします!」
それで結局その日出勤してきていた技術者さん全員で聴いていたが
「凄い演奏だ」
とみんな言っていた。
「なんか凄い体験をしている気がする」
と秋月さんも言っていた。
「僕たちここに居ていいの?という気になる」
と大宅さんなどは言うが
「こういう曲は自分は一流だと自負しているようなこだわりのある演奏者には無理なんですよ。どんな要求にでも対応できる柔軟な演奏者でないと、こういう斬新な曲はちゃんと演奏できないと思うんですよね」
と七星さんが言うと納得して演奏していたが収録が終わった後で
「要するに僕たちは二流なのかな?」
などと言って悩んでいた。
「透明な女優と呼ばれる人たちいますけど、今回のような曲にはまさに透明な演奏者が必要だったんですよ。何の役をしてもその役者本人にしかならないタイプの役者は困る。その役柄に応じて自分を変えていける人が欲しかったんですよね。チェリーツインの演奏って、そういう自由さがあるでしょ?」
と私が言うと、
「そういえばそうかな?」
などと言い合っていた。
この日の夕方、春美の夫、真枝亜記宏が稚内から出てきていたが、亜記宏は春美、青葉、千里、天津子と5人でチェリーツイン専用宿舎の一室に籠もって、かなり長い話をしていた。
その間、しずかと織羽は政子とおしゃべりしていたが、“男の娘”ネタで盛り上がっていたので、教育に良くないなあと思って聞いていた。
5人が宿舎から本棟に戻って来た時、青葉も千里も天津子も物凄く厳しい顔をしていた。春美も亜記宏もかなり泣いた跡があった。
そして春美は言った。
「ケイさん、明日『赤い玉・白い玉』の収録をやり直しましょう」
「え〜〜〜!?」
春美は確定させていたスコアに手を入れたい所があると言った。このスコアは東城先生が書いた譜面をいったん春美がチェリーツインの編成に合わせて編曲したものに、私が管楽器部分を追加してまとめあげたものである。
春美が説明した改変方針には、賛否の意見が分かれた。
「これは演奏が難しすぎる。MIDIで打ち込むのなら分かるけど、生演奏でこんなことができるか?」
と大宅。
「こういう進行にすると、聴く側としても難解になりませんかね?」
と陽子。
「いや、私はこの曲を編曲する時に優しくしすぎたと反省した。せっかく東城先生が意欲的な作品を書いたのに、私の解釈では平凡すぎるんだよ」
と春美。
ふだんは制作にあまり口を出さない氷川さんも議論に入って、私たち(主として紅姉妹・チェリー姉妹・桃川・七星・私・風花・氷川)は激論した。
「結論が出ない。これはもうケイちゃんが決めるしかない」
と最後に氷川さんが言った。
「じゃ桃川さんの言う方針で」
と私は言った。
「よし。じゃ頑張るか」
と大宅。
「スコアは手分けして調整しよう」
と風花。
「それ私たちがやります」
と陽子が八雲とお互い頷きながら言う。
「私もスコア調整に参加するから、ケイちゃんや七星さんは寝ていた方がいい」
と氷川さん。氷川さんはCubaseをかなりいじれる。そこらのセミプロよりはかなり詳しい。
「じゃ、スコアの変更は桜姉妹たちに任せて、俺たちは3〜4時間練習するか」
と秋月は言った。
「ギターとベースの追加演奏者を呼び出します」
と私は言った。
「楽器は私が手配します」
と氷川さんも言った。
このスコアではギターもベースも1人で演奏するのは、ほぼ不可能なのである。それで2人で分担して演奏するのだが、同じ楽器、同じ弦・ピックを使わなければ音がそろわない。
私が緊急に呼び出したのは、むろん近藤さんと鷹野さんである。ふたりは朝一番の飛行機(羽田710-850女満別)で飛んできてくれた。スコアは昨夜の内に手書きの暫定版をFAXしておいたのだが
「なんつー鬼畜なスコアだよ」
と2人は言っていた。
「これ音源収録の時はまだいいけど、ライブの時はどうすんのさ?」
と鷹野さんが言う。
「今回のアルバムでは、それほぼ考えていませんね」
と私。
「ライブの時は私が悩むことになりそうだ」
と風花。
そういう訳で、翌日網走のスタジオ(予備にこの日まで押さえていた)には、昨日より3人多い状態(亜記宏も応援に加わる)で演奏と収録が行われ、再度スピーカーやチップの故障、ガラスの破損などが相次いだのであった。この日はこのスタジオに在籍している技術者さんがほぼ全員出てきて一緒に聴いていた。
しずか・織羽はなかなか会えない父親と久しぶりにゆっくり1日過ごすことができて、かなり充実していたようであった。その亜記宏自身、胸のつかえが取れたような、晴れ晴れとした顔をしていた。
私たちが東京に戻ったのは、9月26日の午前中である。何となく青葉と千里も一緒に私のマンションに入る。そして政子は「疲れた。眠い。起きたら焼肉が食べたい」と言って眠ってしまった。
結果的に私と千里と青葉の3人で居間でお茶とお菓子を頂きながら会話することになる。
「桃川春美の演奏が初日と2日目ではまるで違っていた。一体何があったの?」
と私は千里たちに訊いた。
しかし青葉は
「守秘義務があるので話せません」
と、にべもない。
「まああの2人の間の誤解が9年ぶりに解けたこと。それがあの演奏に現れたんだろうね」
と千里は言う。
「悲しい話でした」
と青葉は厳しい顔で振り返るように言う。
「誰が悪かったわけでもない。人間の愛の営みの悲しさだね。だけど春美さんが生き延びたのはあの人の守護霊の強さだという気がするよ」
と千里が言うと
「あの人の守護霊はある意味、脳天気。だから厳しい状況にあっても何とかなると思っている。そういう人って運命に翻弄されてもわりと平気」
と青葉は言っている。
「ああ、確かにあの人は楽天的な性格だよ」
と私は言った。
「でも青葉、自分も同じ立場だというのを言わなかったね」
と千里。
「言ったほうが良かった?」
と青葉は尋ねる。
「ううん。彼女は慰めも同情も必要無い。彼女に必要なのは、希望と意欲だけなんだよ。だって3人の子供の母親だもん。頑張らなくちゃ」
と千里が言うので、私は微笑んだ。
桃川春美は北海道南西沖地震(1993)の津波で家族親戚を大量に失った。青葉は東日本大震災(2011)の津波で家族や祖父母を一気に失った。しかもどちらもMTFである。ふたりの立場が似ているなというのは私もこれまで何度か思ったことがある。
「とうとう法的にも親子になったんでしょ?」
「うん。結婚に伴って3人を養女にしたから。法的には養女であっても遺伝子的には親子だというのは本人たちが分かっているから全く問題無い」
そんなことを言った時「実子なのに法的には養子」という面倒な状況に私自身も千里も数年後に心悩ませることになるとは、知るよしもなかった。
「春美さんが自殺未遂をしたのは2007年11月12日の夕方。そして亜記宏さんの前の奥さん・実音子さんが交通事故に伴う半年ちょっとの入院生活の末亡くなったのが同じ11月12日の夜。このことを千里姉が調べてくれたので、事情が分かりました」
と青葉は言っている。
「自殺未遂の日付は春美さん本人も、彼女を救出した紅姉妹も覚えていなかったんだけど、私の友人(歌子薫)が、自殺未遂する直前の春美さんに会っていて、彼女がその日付を手帳に書いていたから、その手帳を発掘してもらって日付が確定できた。実音子さんの死亡日時はちゃんと記録されているから」
と千里は解説した。
「まさか、春美さんの自殺未遂って、奥さんの呪いなの?それで呪い返しで奥さんは亡くなった?」
と私は訊く。
千里と青葉は顔を見合わせている。
「私のことばから、冬子さんがそういうことを想像なさったのは、冬子さんの霊感のなせるワザとは思いますが、私はそれにコメントはできません」
と青葉は言った。
「結局あの3人の子供って、遺伝子的には誰と誰の子供なの?」
と私はファンの方から頂いた「薩摩大使」を出して来て、お茶を入れながら訊いた。
「その件は春美さんがけっこう周囲に話していますから、それで想像できると思いますが」
と青葉は言いながら薩摩大使を1切れ取って食べて
「あ、これ面白ーい」
と言う。
「遺伝子的な父親は春美さん?」
「遺伝子的に親子だと主張していますし、春美さんは遺伝子的な母親になる能力はないので、消去法で、そういうことになります」
と言いながら、青葉は悩むような顔で千里をチラッと見た。
「遺伝子的な母親は?」
「あの3人と多津美ちゃんが実は姉妹だという話から想像がつくと思います」
「まさか、遺伝子的な母親って、多津美ちゃんのお母さん?」
青葉は大きく息をつく。
「つまりですね。亜記宏・実音子夫妻は、どちらも生殖細胞を作る能力が無かったんですよ。あの3人の誕生は、双方の親、亜記宏さんの母の弓恵さんと、実音子さんの母の洲真子さんが主導したものでした。どちらも故人ですから今更追及もできませんけど。あの3人の遺伝子上の両親が、自分たちの子供が生まれているなんて全然知らないままに、あの3人は生まれていたんです」
と青葉。
「という話も、春美さんや理香子ちゃんが話している内容をよくよく聞いていると、自然に分かる」
と千里は言っている。
「多分バレない内に、というので年子でさっさと3人作ったんだと思います」
と青葉。
「しずかは春美さんに似て何にも考えてない所がある。織羽は全てを知っているけど語らない。結局理香子が話してくれる」
と千里。
「春美さんは高校時代に去勢手術を受ける前、念のためと言われて精液の保存をしていた。有稀子さんと駆志男さんの夫婦もなかなか子供ができずに不妊治療をしていて、それで卵子を採取して冷凍したものがあった。それを勝手に使っちゃったんですね」
と青葉。
「全く他人の精子を勝手に使うなんて酷いよね」
と千里が言うので私は吹き出した。
「千里、まだ桃香のこと怒っているんだ?」
と私は言う。
「当然。こないだからセックス拒否してるし」
と千里は言うが
「桃姉に言っておいたほうがいいよ。出産まではセックス禁止って。胎児によくないから」
と青葉は言っている。
「悪いけど、青葉、桃香が出産するまで、桃香の身体のケアをしてやってよ。桃香はRhマイナスだから、血液型不適合を起こす可能性があるから」
「うん。気を付けておくよ。まあ最初の妊娠だから大丈夫とは思うけどね」
Rh(-)の女性はRh(+)の子供を妊娠すると血液型不適合を起こすが1度目だけはあまり大きな問題にはならない。2度目のRh(+)の子供の妊娠が危険である。これは一種のアナフィラキシー・ショックである。通常は抗体ができないように出産または流産後2日以内にガンマーグロブリン注射をするのだが、気付かない内に1度流産していたような場合が怖い。ごく初期の流産は少し重い生理程度に誤認される場合がある。
なお、実際問題としてこの時、桃香が妊娠していた子・早月はRh(+)であった。桃香がRh(-)B型、千里はRh(+)AB型で、早月がRh(+)B型である。
「まあそういう訳で、私こういう曲を書いたから、良かったら使ってくれない?」
と言って千里は私に五線譜を渡した。
「『寒椿』か・・・・」
「寒椿は冬の厳しい環境の中で赤い花を咲かせる。ほんとに不幸の連続を生きてきた春美さんを見てて思いついたんだよ」
と千里は言う。
「彼女は名前は春の桃だけど、確かに彼女のこれまでの人生は冬の寒椿かもね」
「あと普通の椿は花が丸ごと落ちるでしょ?だから首が落ちるみたいと言われて昔の武士には嫌われていた。ところが寒椿はサザンカとのハーフだから、サザンカ同様に花びらは1枚ずつ落ちていくんだよね」
「しぶとい訳か」
と私は言う。
「そうそう。彼女は周囲の人にどんなに酷いことをされても、明るく生きて来た」
「まあ生来、明るい人という気もするよ」
「そんな人が自殺をしようとしたこと自体が異常だよね」
「確かにね」
しかし・・・と私は考えた。
「でも、今回のアルバムには既に醍醐春海さんからは1曲もらっているんだけど」
「うん。だからこの曲は“鴨乃清見”で」
「なるほど〜!」
「演奏もそちらでよろしく」
「分かった」
そういう訳で千里から今度は“鴨乃清見”の名前でもらった『寒椿』を9月下旬から10月上旬に掛けて制作したが、近藤さんや鷹野さんは
「こんな難しい曲を連続で弾かせるケイは鬼だ」
などと冗談(と取らせてもらった)を言いながら演奏をしていた。
龍笛パートは風花が仮に吹いて制作を進めておき、千里がバスケットの練習が終わった後、夜間にスタジオに来訪して風花の演奏を聴きながら入れてくれた。
10月3日。アクアが主演する連続ドラマ『時のどこかで』(原作:筒井康隆『時をかける少女』)の放送が始まった。
配役は映画と同じで、芳山和夫:アクア、神谷真理子:元原マミ、浅倉吾朗:広原剛志、ケン・ソゴル=深町一彦:黒山明、福島先生:沢田峰子、といった面々である。生徒役の子もスケジュールが合った子を中心に映画に出ていた子の半分くらいが出ている。例によって西湖(今井葉月)はまたまた女生徒役で出演している。
「せいこちゃん、テレビ局の俳優データベースには少女俳優として登録されていたりして」
などと政子がからかうものの、本人はまんざらでもない様子だ。
「トイレに入る時、自分のかっこうを確認してから入るようにしてますけど、それでも、うっかり間違っちゃうんですよ」
などと言っている。
「こないだも、学校でうっかり女子トイレに入っちゃって」
「どうした?」
「『天月君、ここ女子トイレだけど』と言われて『うん、そうでしょ?』と返事したら、女子たちが悩んでいて、その内気付いて『あ、間違った』と言って出ました」
「それ絶対、ふだんは女装していると思われている」
「実はまだぼくが今井葉月だってのには気付かれていないんですよね〜」
「まあそれは時間の問題だな」
「でも、おっぱいくらい大きくしちゃわない?」
「ほんとに大きくしたくなっちゃったらどうしよう?と思いますよ」
「その内、アクアを口説き落としておっぱい大きくさせるから、そしたら、せいこちゃんも大きくしなよ」
「うーん・・・・」
と西湖はマジで悩んでいる。
「そうだ。ぼくの名前なんですけどね」
と西湖がいう。
「うん?」
「今井葉月(いまい・ようげつ)がどうも『いまい・はづき』と読まれている感じがあって、来るファンレターが全部男の子からなんですよ」
「ん?」
と言って私と政子は顔を見合わせた。
「なるほどー!」
「だったら、せいこちゃん、『はづき』を正式な読み方にしちゃおう」
「え〜〜!?」
「ついでに性転換しない?」
「そこまでする勇気はさすがに無いです」
「でも女の子になりたくない?」
「今の所、そのつもりはないですー」
「でも女の子の服、着るの好きでしょ?」
「それは個人的にハマっている気もします」
「やはり」
「あくまで否定するアクアより素直だ」
ドラマは基本的には映画の続きではあるのだが、映画を見ていない人のためにこの日は映画のストーリーがダイジェストで繰り返された。
和夫が理科準備室で何かの気体を嗅いでしまい倒れる。和夫はその後、吾朗の近所の火事を見て、翌朝大型トラックに轢かれそうになったところでタイムスリップして前日の朝に戻ってしまう。全く同じ1日を繰り返した末、福島先生に相談するが、福島先生は「その理科準備室に戻る必要がある」と言い、和夫を驚かせてタイムスリップさせた。
長い物語なので、今日はここまでである。
「来週は、吾朗のおばあちゃんが長崎で原爆にあった話になるのかな?」
と政子は言うが
「木田いなほちゃんは、吾朗のおばあちゃん役じゃないらしいよ。別の役柄で出演するという話。だからあの話はしないと思う」
「そうなの?」
「あまり完全に映画通りにやってしまうと、映画見る価値がないじゃん」
「でも、ニナ・ソゴルは出るよね?」
ニナ・ソゴルはケン・ソゴルの妹で、映画ではアクアが演じた。
「アクアがドラマの記者会見で『ぼくは女役しません』と言ってたよ」
「え〜?つまんなーい」
実はその記者会見を受けてネットでは「アクア様は女の子役でも『時どこ』に出演させてください」という署名運動が始まったようで、既に数万人の賛成票が投じられている。
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【夏の日の想い出・やまと】(3)