【夏の日の想い出・影武者】(4)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-09-11
私が近藤さんとアイコンタクトし、近藤さんの合図で楽器が鳴り始める。物凄い音量のサウンドに会場は総立ちになり、手拍子が始まる。
『門出』を演奏する。
金管楽器の心地よいファンファーレに続いて、木管楽器と弦楽器のコラボが美しいハーモニーを奏でる。ドラムスとベースがリズムを刻み、ギターや琵琶も装飾音を付加する。
そして私とマリの歌が始まる。
観客の内、ローズ+リリーのファンはおそらく2割程度であろうが、その人たちや、こういったライブに慣れている人たちが中核になって手拍子の輪が広がっていく。
鴨乃清見ブランドの千里の渾身の作である。曲は深い迷いの淵から浮上したかのように、ひたすら明るい和音で貫かれている。これだけ明るい和音のみを使って曲が成立するというのが、この曲を最初聞いた時の驚きであった。
ただ曲は度々転調する。
この転調の時の音が物凄く取りにくい。
千里自身が作ってくれた編曲ではマリは必ず何かの楽器音あるいは私の声を聞いてから声を出せばいいようになっているが、私はまだ楽器が鳴っていない間に声を出さなければならない箇所がいくつもある。音感が良くなければ歌えない曲である。更にこの曲は、私の声域、マリの声域、ともに限界まで使っている。歌手の能力を酷使する曲だ。
友人たちの中でこの曲をまともに歌えたのは、和泉、アスカ、青葉、そして松原珠妃の4人だけだった。珠妃は歌うことは歌えたものの高い方は声がややかすれ、「久々に限界を感じた」などと言っていた。しかし彼女のことだからその内しっかり歌えるようになっているだろう。
しまうららさんなどは譜面を見て即「ギブアップ」と言ったものの、保坂早穂さんは、普通の人が聴いたら充分歌いこなしているように聞こえる程度の歌を歌った上で、「上の方も下の方も声が出ない!私、修行の旅に出なきゃ」と言っていたらしい。
演奏が終わる。
物凄い拍手がある。
私は演奏者を紹介する。
「リードギター・近藤嶺児、セカンドギター・宮本越雄、ベース・鷹野繁樹、ドラムス・酒向芳知、マリンバ・月丘晃靖、オルガン・山森夏樹」
「トランペット・香月康宏、トロンボーン・杉江諒太、フレンチホルン・一橋輝良、ユーフォニウム・元山一、チューバ・広瀬和昭」
「ヴァイオリン。野村美代子・鈴木真知子・伊藤ソナタ・桂城由佳菜・前田恵里奈・佐藤典絵」
「龍笛・大宮万葉、篠笛・鮎川ゆま、笙・若山鶴海、琵琶・若山鶴風、胡弓・若山鶴宮」
「フルート・田中世梨奈・久本照香・松川杏菜、クラリネット・上野美津穂、バスクラリネット・野乃干鶴子、ソプラノサックス・日高久美子」
「そしてアルトサックス・近藤七星」
演奏者の紹介の締めに名前を呼ばれた七星さんが軽くピンクゴールドのサックスで1フレーズ演奏して拍手をもらう。
「そして、歌は私、ケイと」
「私、マリ」
「ローズ+リリーです!」
ここでまた大きな拍手があった。
「それでは次の曲、振袖」
ダンサーの凛子とビビが振袖を着てステージに登ってくると私たちの左右に立つ。暑いのにご苦労様である。一部奏者の楽器持ち替えがある。美耶(若山鶴宮)はさっきは胡弓を弾いたのだが、この曲では三味線を弾く。月丘さんはマリンバの前からキーボード群の所に移動した。実際にはこの曲ではクラビノーバを弾く。田中さんがフルートからピッコロに持ち替える。またゆまは先ほどの曲ではドレミ調律の篠笛を吹いたのだが、この曲では和音階の篠笛を吹く。
『門出』がひたすら長調の主和音・属和音・下属和音で構成した曲であるが、『振袖』はGO!GO!7188風の疑似和音階ロックである。実際にはドレミファソラシの7音全部使っているのだが(更にソ#も使う)、しばしばヨナ抜きっぽい音階進行がある。
しかしサウンドは、きらびやかである。ここ数年のローズ+リリーの曲ではよく使われている重厚なオーケストラ風の音に仕上げてある。
しばしば国内外のネットで書かれている「ボーカルが無くても大丈夫」な感じの曲である。しかし私たちはそのボリューム感のある音を背景に、しっかりとこのキラキラした曲を歌っていった。
演奏終了とともに拍手がある。私は
「ダンサー・松野凛子・竹下ビビ」
とふたりを紹介し、そのまま少しMCを入れた。この間に和楽器奏者さんたちとヴァイオリン奏者さんたちがステージから降りる。
「それでは次の曲、コーンフレークの花」
拍手とともに、男性からの歓声が随分あがった。
演奏を始める。
和楽器を多用した『門出』『振袖』と違って、今度はサンバのリズムの曲である。
マリはもう襲われたことは忘れたかのように楽しそうにこの曲を歌っている。凛子とビビも、振袖を着たまま、笑顔で踊っている。
曲が進行していく中、ダンサーの2人はステージ上に置かれている薔薇の花と百合の花の衝立の裏側に回ると、そこで待機している美容師さんの手で急いで振袖を脱ぐ。その下には長襦袢代わりにスリップドレスを着ている。その格好で同時に衝立の外に出て行く。
ここで男性の観客から大いに歓声が上がった。
今回この衝立は実は「更衣用」に置いておいたのである。
ダンサーのふたりは曲の終盤には再度衝立の後ろに行き、私とマリが最後の音符を歌い、曲がコーダになったところでビキニ姿で登場し、またまた男性の観客の歓声があがっていた。
曲が終わると、凛子たちは観客に手を振って再び衝立の裏側に行き、今度はチアリーダーのような格好をして出てきた。
「今の曲はサンバのリズムで作られているのですが、サンバと言えばブラジル。ブラジルといえば、もう目前に迫ったリオデジャネイロ・オリンピックですね。ということで、『スポーツゲーム』」
この曲にサックスの四重奏が入る。ソプラノソックスを持った日高さん、お揃いのピンクゴールドのサックスを持った青葉と七星さん、そしてテナーサックスを持った鮎川ゆまが前面に出てきて、私たちの横、マリの向こう側に並んだ。
一方私の横にはトランペットを持った香月さんと七美花、トロンボーンの杉江さんが並ぶ。七美花は龍笛や笙も天才的だが、トランペットも物凄くうまい。
この曲はそのトランペットとトロンボーンによるファンファーレから始まるイントロにサックス四重奏が応え、以下、トランペットとサックスが掛け合いをしながら演奏が進む。金管木管のコラボが(自分で言うのも何だが)格好いい曲である。
それに月丘さん・山森さんのキーボードが彩りを添えている。
時々、月丘さんがキーボードの手を休めて笛でピー!という音を入れる。これは実際にスポーツの試合で審判が使っている笛である。
凛子とビビはこの曲では最初ボンボンを持って踊っており、まさにチアリーダーという感じであったが、途中で凛子がボンボンは床に置いて前転・後転などを始める。ビビが脇から持って来た踏み台を使って後方宙返り半回転ひねりの大技を見せると、観客がどよめいた。
体操競技としては初級レベルの技だが、それでもチアリーダーの衣装でやると結構アピールする。更に2人はバドミントンを始めたが、そこにバスケットボールをドリブルする背の高い人物が入ってきて、凛子たちのそばで華麗なボール裁きをすると、これもまた歓声があがっていた。
演奏が終わってから私はパフォーマーを紹介する。
「トランペット・香月康宏・若山鶴海、トロンボーン・杉江諒太、ソプラノサックス・日高久美子、アルトサックス・近藤七星・大宮万葉、テナーサックス・鮎川ゆま」
「チアリーディングと体操っぽいことしてくれた人、松野凛子・竹下ビビ。バスケの素敵な技を見せてくれた人、女子プロバスケット選手の渡辺純子さん」
私のこのアナウンスに一瞬観客がざわめく。
ここでざわめくのは織り込み済みだったので私は渡辺さんにマイクを向けた。
「あ、どもー。私の性別に疑念を抱いた方もあったかも知れませんが、取り敢えず戸籍上は女みたいです。高校時代に、一度女子校の寮に住んでいる友人を訪ねていったら『ここは女子校の寮なので男子は入れません』と言われました」
と彼女がソプラノボイスで言うと、客席がドッと沸いていた。
彼女はさすがバスケット選手だけあって身長も高いし、ベリーショートの髪型なので、大半の観客には男子選手に見えたのである。高校時代は女子選手なのに丸刈りにしていたらしく、女子トイレや女湯で悲鳴をあけられたことは数知れないらしい。
この後、私たちは再び和楽器をフィーチャーして『灯海』を演奏し、続いて楽器を二重化した『ダブル』を演奏する。箸休めにシンプルなサウンドにアレンジした『たまご』を歌い、それから弦楽器の魅力をたっぷりと見せる『花園の君』を奏した。
その興奮がさめやらぬうちに私は告げる。
「そろそろ残りも少なくなってきました。この苗場だから歌う曲『苗場行進曲』」
拍手を受けたあと酒向さんのドラムスが単純なマーチのリズムを打つ。そして私たちはこの曲を歌う。
マリもかなり気分が高揚している感じだ。
曲が始まると、上手からユニフォームを着た20人ほどの女性の一団が登ってくる。これも毎度おなじみになった演出である。選手たちが曲のリズムに合わせて行進する。客席の手拍子もタンタンタンタンとシンプルなマーチのリズムを刻んでいる。
最初のサビが終わって2番に入った所からは、1人ずつボールを端から端までドリブルで走って行っては次の人にパスするというパフォーマンスをし、これにも大きな拍手が送られていた。
そしてやがて終曲。
私は彼女たちを紹介する。
「プロバスケットボールWリーグのレッドインパルスの選手の皆さんでした。『スポーツゲーム』の所で華麗なボール裁きを見せてくれた渡辺さんもこのチームの選手です」
と私が言うと、渡辺純子が手をあげる。それにまた拍手が起きていた。
その渡辺さんが寄ってきてユニフォームのポケットに入れていたお玉を私とマリに渡す。
「そういう訳でとうとう最後の曲になってしまいました」
と言って私がお玉を振ると、客席から
「ピンザンティン!」
という声が多数返ってくる。
そしてこういうやりとりをしている間に、ステージにはヴァイオリン奏者たちが入って来ていた。
「ありがとう!そういう訳で最後の曲『ピンザンティン』です!」
私が第1ヴァイオリンの野村さんとアイコンタクトを取り、ヴァイオリンがソドレ・ミーファラソファミ・レーシミー・ラララシドドシラ・ソーというこの曲のサビを演奏する。
2度繰り返した所からドラムスが入り、短い前奏を経て私たちは歌い出す。
客席でもお玉を振ってくれている人がたくさんいる。さきほど行進してくれたレッドインパルスの人たちも一緒にお玉を振っている。更に今日伴奏に参加していた人で、この曲の演奏には参加していない人たちも下手からお玉を持ってあがってきて一緒に振る。更にスタッフさんの一部もお玉を振っている。
マリも本当に楽しそうに歌っている。私もそれを見ていて本当に楽しい気分になる。
大きな盛り上がりの中、曲は終曲を迎えた。
4万人の観客が一体となった、割れるような拍手、そして多数の歓声の中、私たちはステージを降りた。
すると拍手がアンコールを求める拍手に変わる。私とマリは進行係さんが右手でOKサインを作るのを見てステージに上がっていく。
拍手が普通の拍手に変わる。
「アンコールありがとうございます。本当にアンコールされるのって気持ちいいですね。マリひとこと」
と言って私はマリに振る。
「苗場はとっても好きです。去年は食べ損ねた***さんの焼きそばに今年はありつけて凄く美味しかったので満足です」
とマリが言うと、客席は大きな笑い声である。マリはなぜみんなが笑っているのか分からない様子。
私たちが話している間にスターキッズがスタンバイする。
「それでは『影たちの夜』」
大きな拍手の中、伴奏がスタートする。
そこに松野凛子と竹下ビビ、鮎川ゆま、更に青葉とその友人たちが階段を駆け上ってきて私たちの後方に並び、この曲の振り付けで踊り始めた。凛子とビビは今日ずっと着ていたチアリーダー風の衣装、ゆま・青葉たちも伴奏者の白いポロシャツの衣装のままである。ここでダンスが入る予定は無かったので、ノリで出てきたようだ。
この曲は2012年春に発表したもので、結果的にはこれがローズ+リリーの復活につながった曲である。
あれから4年。2012年はまだ限定的な活動だった。2013年は08年組を立ち上げ、前半は『Flower Garden』の制作に没頭、そのあと5年ぶりのツアー、初の海外公演(台湾)を実施。2014年は「KARIONは4人だった」という衝撃の発表をして、春にはローズ+リリーとKARIONのダブルツアーを実施。その後『雪月花』の制作を急いでいたが、これを千里の助言でやり直し。昨年のアルバムに負けないハイクォリティの作品に仕上げることができた。
2015年は『The City』のロケハンに海外の都市を回ってきたいと言ったら、いつの間にかそれがローズ+リリー初のワールドツアーの企画になってしまい、私自身が驚いた。そもそも『The City』はアルバムの制作方針が認められるまで度重なる会議に出席する羽目になり、甚だ精神的に疲れた。
世間の評価は十分高かったし、販売成績も前作・前々作ほどではないにせよ充分大きい。
しかし私は心のどこかに微妙な違和感を持っていた。
営業側の思惑に振り回されるのはたまらんと思った私は、今年はレコード会社の内紛が起きている間に、次のアルバムは日本の美を歌う『やまと』というのをマスコミやネットをうまく利用して既成事実を積み上げて、精神的ゆとりの無かった町添さんたちに認めさせてしまった。
しかしこちら主導で進めた以上、ある程度の結果を出さないと来年からまた厳しいことになる。
歌いながらそんなことを考えている内に曲は最後までたどり着く。最後は踊っていた凛子とビビが私とマリに抱きつくようにした。そして青葉たちも一緒に肩を組んで一列になり、凛子が号令を掛けて!一緒にお辞儀をした。
観客は大きな拍手をした後、私たちが退場する前から、もうアンコールの拍手を始める。すると進行係の人が場内アナウンス用のマイクを使って
「あと1曲歌ってもいいですよ」
と言った。
時間節約のためであろう。
鷹野さんと月丘さんがYAMAHAの高級電子ピアノCP1(サマーガールズ出版の備品で普段は風花の執務室に置いている。今日は月丘さんが主として弾いていた)をスタンドごとステージ前方に運んで来た。近藤さんが椅子を持って来て置く。そしてスターキッズも今踊っていた人たちも手を振ってステージから降りていく。私はそのCP1の前に座り、マリは私の左側(客席から見たら右側)に立つ。
ミードドミ、ミードドミ、ファソファミ・レ・ミ
というブラームスのワルツのモチーフを私が弾き始めると大きな拍手がある。
『あの夏の日』を歌う。
観客はこの曲は手拍子を打たずに静かに聴いていてくれる。
私とマリは思えば幼稚園の頃から何度もあちこちで遭遇していた。それが高校の書道部でお互いを認識する形で再度出会い、高校1年のキャンプで私たちは親友になった。
これはふたりが初めて共同制作した歌である。
一応歌詞はマリ、曲はケイが書いたものではあっても、実際にはお互い共有したイメージの塊のようなものから、私とマリが分担して彫り出したような曲である。
この歌をライブで歌う度、私は原点に戻る気持ちになれる。
そうだ。新しいアルバム『やまと』は原点に戻るような音作りをしたい。
私はその時、そう思ったのであった。
私の指が最後の和音を弾く。私とマリの声がハーモニーを響かせる。
長い音符を歌ってディミニュエンドしていき、やがてピアノの音と私たちの声が同時に消え、一瞬の静寂が訪れる。
そして次の瞬間、突然の大きな拍手が沸き起こる。
私は椅子から立ち上がり、キーボードの前に回る。マリも付いてきて私の後ろを通過して私の左手に来る。
ふたりで手をつないで一緒にお辞儀をし、今年の苗場でのパフォーマンスは終了した。
最後まで見たい人とすぐ帰って休みたい人、更には今夜は会場で徹夜したい人もあるので、一応夜1時!からホテルで打ち上げをすることにした。休みたい人はホテルでお弁当とお茶あるいはお酒を渡すことにして解散する。ゆまとビビが徹夜で最後までイベントを見ると言っていた。
近藤さんなどは
「疲れたから即帰るけど、仮眠してから打ち上げには出るから」
などと言っていた。七星さんが
「私は起こさないから、打ち上げに出るなら自分で起きてね」
などと言っていた。
私は政子、青葉、七星さんに加え、この演奏を楽屋で聴いていた美空、小風、花野子・梨乃、と8人でその後のGステージ、Dream Waves(日本)と今年のヘッドライナー、ジャムジャム・クーン(アメリカ)の演奏を見た。
「Dream Waves、以前見た時より凄く進化してた」
と小風が言う。
「うん。日本人アーティストのトリを取るだけのことあると思った」
と梨乃も言う。
「あそこは★★レコード時代はいまいちだったけど、メジャーと手を切ってインディーズに行ってから良くなったと思う」
と花野子。
「自分たちで好きなように制作できるようになったからかもね。私もインディーズになってからのアルバムの方ができがいいと思うよ。低予算だったのに」
と私は言う。
「うん。本来なら経験豊かなレコード会社のA&Rが、品質を上げたりあるいはよく売れるようにアーティストを導いていかないといけないんだけど、実際には、そういうセンスのいいA&Rって、多くないんだよ。単に威張っている人と、思いつきで口を出してアーティストに混乱をもたらす人がとにかく多い」
と小風。
「★★レコード時代は誰が担当してたんだっけ?」
「**さん」
「あぁ・・・・」
「例のワンティスの名義偽装問題に関わっていた人か」
「私も集団アイドル時代に関わったことあるけど、悪い意味でサラリーマン的な人だったね」
などと小風は言っている。
「私も何人かのアーティストの音源制作で関わったけど、日和見で、言うことがコロコロ変わるから、何度も何度も無意味なやり直しをさせられた」
と七星さんも厳しい。
「まあローズ+リリーは秋月さん、氷川さんと良い担当さんに当たってるよ」
と私が言うと
「KARIONはさぁ」
と小風が言い出すので
「こーちゃん、その先は言っちゃダメ」
と私が釘を刺した。
「はーい」
と小風は気の無い返事をした。
ジャムジャム・クーンは昨年はラストひとつ前だったのだが、今年はこのフェスの最後を飾ることになった。演奏自体は昨年聴いた時も凄いと思ったが、今年は更にパワーアップした感じであった。
「ドラムスが昨年と変わったよね?」
「うん。去年は白人の人だったけど今年は黒人さんだよ」
「このドラマーさんは以前、ショートノーズに居た人だよ」
「あぁ!」
「ショートノーズは今年も来てたよね?」
「昨日のFステージに出てたよ。ショートノーズはドラマーとギターが何度も交代してるんだよね。現在は名前の権利関係で揉めてショートノーズ・ロングデッキと名乗っている」
「日本にもショートノーズってバンドがいたよね?」
「いや、あれはロングノーズ」
「あ、そうだったっけ!?」
「ロングノーズって天狗様か何か?」
と政子が訊く。
「スポーツカーとかの、車の前が長い形」
「へー」
「パワフルなスポーツカーはロングノーズ・ショートデッキといって前が長くて、後ろが短いのが特徴だった。ショートノーズは自虐的にパワーが無い車という意味なんだよ」
「なるほどー」
「日本のロングノーズはLong Nose 長い鼻という言葉に引っかけて、Wrong Knows 間違って知っていると綴っていた」
「やはり自虐的なんだ?」
「後ろ向きの命名ってわりとありがち。運気を落としていると思うけどね」
「そしてその日本のロングノーズの最後のマネージャーが∴∴ミュージックの畠山社長だよ。元々∴∴ミュージックはロングノーズのメンバーだった前川優作さんの個人事務所として設立された会社」
と私が青葉や政子に説明するように言うと
「え〜〜!?知らなかった」
と小風が言ったので、七星さんが呆れたような顔をしていた。
ローズ+リリーのライブに出演したのはレッドインバルスのメンバーを除けば33人で、関係者としてこれに風花・夢美・響美・窓香・琴絵・仁恵、そして氷川さんを入れて40人だったのだが、ビビ・ゆまに結局凛子、それに苗場大好きの風帆叔母もイベントを明け方まで見ると言い、ヴァイオリン奏者の人たちや管楽器奏者さん、またオルガンの山森さんは先に休んだということだったし、現役高校生の七美花と日高・久本も乾杯だけで寝るように言ったので、打ち上げ参加者は22人になるところを、KARIONとゴールデンシックスのメンツ8人、KARIONのマネージャー花恋、ゴールデンシックスのマネージャー菱沼さん、更に帰ろうとしていた加藤次長まで「まあまあ」といって連れてきたので、結局参加者は33人である。
私が音頭を取って乾杯した後、(高校生たちを退出させてから)自由に食べて飲んでということになる。
政子が菱沼さんに寄って行く。
「菱沼さん、菱沼さん」
「お世話になっております、マリさん」
「菱沼さんって、丸山アイちゃんも担当してますでしょ?」
「専任担当は五田で、私は総括担当ですけどね。ゴールデンシックスが忙しいから、アイちゃんまで手が回らないんですよ」
「あの子売れてるもんね〜。ところでアイちゃんって、実際は女の子なんですか?男の子なんですか?」
「丸山アイというキャラクターは女の子ですよ」
と菱沼さんは言う。
「で、本人の性別は?」
「さあ、そのあたりは個人情報なので」
「じゃ、アイちゃんはトイレはどちら使うんですか?」
「女の子である以上、女子トイレですよ」
「うむむ。では高倉竜さんは?」
「さあ。私は高倉竜の担当では無いので」
「じゃ、アイちゃんは温泉とかはどちらに入るんですか?」
政子があまり絡んで菱沼さんが困っているようだったので
「マリ、いいかげんにしなさい」
と言って、私は政子を菱沼さんから引きはがしてきた。
「話が核心に入るところだったのに」
と政子は不平を言っている。
それで諦めるかと思ったら、今度は政子は青葉の所に行く。
「ね、ね、青葉、昨日フェイちゃんと会ったんだって?」
「ええ。アクアが倒れたのを次の出番のあの人が心配してお見舞いしてくれたんですよ」
と青葉は答える。
「フェイちゃんって男の子だった?女の子だった?」
と政子は訊くが青葉は腕を組んで悩んでいる。
「間近で見ても分かりませんでした」
と青葉。
「青葉にも分からないことあるんだ!」
と言ってから、
「でもチャクラの回転の向きを見たら分かるんじゃないの?」
と言う。
男女でチャクラの回転方向が逆になるというのは過去に青葉から聞いたことがある。
「それが分からなかったんですよ」
「回転はしてたの?」
「してますよ」
「でも向きが分からないことってあるの?」
「プロペラが高速回転している所を見るとですね。残像の関係で右回転に見えたり、左回転に見えたりすることってあるでしょう?」
「ああ、あれ不思議だよね」
「フェイさんのチャクラって、そんな感じに似ているんです。どちらに回っているのか分かりませんでした」
「フェイのチャクラってそんなに高速回転してるんだ?」
「ビジネスセンスの高い人とかスポーツマンとかには時々います。芸術家の場合はむしろ普通の人より遅い人が多いです。フェイさんって、その内、優秀なミュージック・プロデューサーになるかも知れませんね」
と青葉は言った。
「やはり裸にしてみるしかないのかなあ」
と政子は言うが、近くで話を聞いていた花野子は
「マリちゃん、裸にしても性別が分からない人を間近に見てきたのでは?」
と突っ込むと。
「う・・・・・」
と声を出していた。
「千里は女湯にしか入ったこと無いと言ってましたけど、たぶんケイさんもじゃないかな」
と花野子。
「うーん。小学校にあがった後は女湯にしか入ってないよ」
と私が答えると
「小学校にあがる前は?」
と政子は訊く。
「覚えてないけど、男湯に入った記憶は存在しない」
「なるほどねー」
「まあ冬はこの時代から女の子タレントとして活動していた訳だから、実際いつ頃から女の子してたかは分からないよね」
と政子は言って、バッグの中から、私が「ピコ」の名前で松原珠妃の写真集に出た時の写真のコピーを取り出す。以前はスマホに入れていたのがしばしば壊れて写真ごと蒸発してしまうので、この手の写真は紙で持つようにしたようである。
結局花野子もこちらに寄ってくる。
「ケイさんは民謡やってたから、小さい頃からカメラの前にも立っているんでしょう?」
と花野子。
「カメラの前に立ったのは、記憶が明確な中では小学2年生の時に歌番組のコーラス隊で出た時だと思う」
と私。
「やはり古い」
「小風もそのくらいの頃からカメラの前に出てたんじゃなかった?」
と政子は少し離れた所で夢美と話していた小風に声を掛ける。
「私は小学3年生の時にスカウトされて、あの時期は何度かアイドル歌手のバックとかでライブに出てるよ。テレビ局で演奏したこともあった」
と小風が言う。
「花野子も何度か一緒にくっついて来たね」
と小風が付け加える。
「うんうん。保坂早穂さんからもらったサイン、宝物にしてるよ」
と花野子は言うが
「私、あれ無くしちゃった」
と小風は言っている。
「あれ?お友達だったんだっけ?」
と政子が言う。
「うん。学童保育のね」
と小風。
「へー!」
「私が小学2年生の2月だから、1999年の2月かな。うちが熊本から東京に引っ越して。父ちゃんの会社が倒産して知り合いを頼って東京に出てきたんですよ。それで家計が苦しかったから、共働きで、それで私は学童保育に行ったんですよね。でも私、当時熊本弁だったから、東京の子供たちと馴染めなくて。そしたら、4月に小風がやはり水戸から引っ越してきて、学童保育に入って。それで転校生同士で仲良くなったんですよ」
と花野子が説明する。
「うちは水戸で家を建てたら即、東京に転勤させられたんだよ」
と小風。
「酷い」
「いや、概してサラリーマンは家を建てると転勤させられる。ローン抱えていて絶対仕事辞められないから」
と梨乃が言う。
「そしたら莫大な借金作って建てた家に自分では住めないのか」
「まあ、ありがち」
「それで少しでも早く借金を返そうというので、お母ちゃんも仕事に出たんだよね。それで私は学童保育に行くことになって、そこで花野子と出会ったんだよ」
と小風。
「転校生同士で仲良くなって、一緒にお絵描きしたり、学童保育所の遊戯室に置いてあるピアノを弾いたりして遊んでたね」
「うん。私はそれにハマってピアノを覚えたんですよね」
と花野子。
「管理人の女先生がけっこう花野子に教えてくれていたね」
「うん。小風はあまり性(しょう)に合わなかったみたい」
「私は鍵盤楽器にはあまり関心が無かったんだよねー」
「けっこう私がピアノ弾いて小風が歌を歌ったりしてた」
「やってた、やってた。町でスカウトされた時も正確には2人まとめてスカウトされたんだけど、花野子のお父さんは子供をタレントにできるか、と言ってハンコ押さなかったから」
「あれ、やりたかったんだけどねー」
「でも結局よく私に付いてきてた」
「うん。実は一緒にライブに出たこともある」
「ほほぉ!」
「なんか芸能歴の長い人が随分いるな」
と夢美が言っている。
「夢美も小学1年生の頃から大会荒しだったね」
と私は言う。
「うん。当時もらった賞状とかトロフィーとか大量に押し入れにある」
と夢美。
「押し入れなの?飾らないの?」
と政子が訊く。
「別に飾ってどうこうというものでもないしね。過去の栄光より自分を研鑽して未来を切り開くことが大事」
と夢美。
少し離れた所で氷川さんと話していた和泉がこちらを見て頷くようにしている。
「青葉ちゃん、千里はあちこちの大会でもらった賞状とかメダルとか記念品とか、飾ってる?」
と花野子が訊く。
「段ボール箱に放り込んでますよ。一応シリカゲルとか入れて」
と青葉は答える。
「なるほどー」
「世界選手権とかアジア選手権でもらったボールペンとか時計とかを普段使いにしているし」
「ああ、あの子らしい」
「時計は時を刻むために生まれて来たんだから、時計として使ってあげなきゃかわいそうとかも言ってました」
と青葉が言うと
「その考え方に賛成」
という声が数ヶ所から出ていた。
男性陣は飲んで夜を明かす雰囲気であったが、女性陣は大半が宴会が始まってから1時間ほどで三々五々に引き上げた。
女性陣で最後まで残ったのは氷川さんだったようである。
私と政子も2時頃宴会場を出て自室に戻り、シャワーを浴びて寝たのだが、ふと夜中起きてみると、またマリがいない。着替えて出て行ったようなので、やはりあの人の部屋に行ったのかな、と思って私は先日から書きかけの曲の楽譜を書き進めていたのだが、喉が渇いたので、ロビーに行ってコーヒーか紅茶でも買ってこようと思った。
それで鍵を持って部屋を出て、エレベータで1階に降りようとしたのだが、途中の8階でドアが開く。するとそこに
「あ、ケイちゃん、悪いけど乗せて」
と言って加藤次長が走り込んで来た。
「どうしました?」
と言った時、廊下の角に下着姿の!?氷川さんが姿を現した。加藤次長は急いでエレベータの「閉」ボタンを押した。
ゴンドラが下に降り始める。
「何かあったんですか?」
「ごめんごめん。これ忘れて。氷川にもよくよく言っておくから」
「まあ、いいですけど」
よく見ると加藤次長は下半身が猿股姿である。
「部屋に戻れます?」
「いや。今夜は南の部屋に泊めてもらう」
「ああ、それがいいかも」
と私は微笑んで言った。
加藤さんの焦ったような顔を見ると、たぶん氷川さんが加藤さんを誘惑したんだろうなと私は思った。加藤さんは浮気などする人ではないが、氷川さんは昔から加藤さんを尊敬していると言っていた。むしろ憧れ以上のものを持っているようにも見えた。おそらく仕事の打ち合わせと称して加藤さんの部屋に行き、隙を見て襲いかかり、無理矢理ズボンを脱がせたのではと私は状況を想像した。
私は自販機で紅茶を買って14階に戻り、作曲の続きをしていたのだが、4時半になった所で寝た。朝7時に起きると政子は戻っていた。
ローズ+リリーのステージに乱入した女だが、柔道の吉本宏太選手のファンということであった。何でも吉本選手とマリが「デート」している所を見て頭に血が上り、殺してやろうと思ったということであった。
吉本選手とマリは、吉本選手が所属するA金属の広報部および★★レコードを通じて共同でメッセージを発表し、ふたりはただの「食べ仲間」で、巨大などんぶりで有名な都内の鹿鹿鹿ラーメン、巨大ハンバーガーで有名な千葉のロット、メガ盛りスパゲティで有名な横浜のパスタ・ド・ナポリなどでしばしば遭遇して、一緒におしゃべりしながら食事をしたことはあるものの、交際の事実は無いとした。
アクア主演の映画『時のどこかで』は予定より2日遅れて、8月2日の夜遅く何とかクランクアップした。そしてその翌日!8月3日に、雑誌編集者やラジオ局のナビゲーターを主たる対象としたこの映画の内々の試写会が行われた。
クランクアップしてから編集していたのではとても間に合わないので、編集の作業は撮影クルーとは別班で進められていたのだが、それにしてもまだかなりこのあと編集が行われるかも知れないという状態である。また一部アフレコが終わっていないため、音声の無い場面や代役さん(主としてアクアのボディダブルの今井葉月)の声が残っている箇所もありますという、本来ならとても人に見せられる状態ではなかったのだが、それでも雑誌の記事に書いてもらったり、ラジオで話してもらったりしなければならないので、この時期に試写会を強行したのである。
私と政子も関係者ということでこの試写会に行ってきた。
場面は北海道のラベンダー畑で始まる。ここは芳山和夫(アクア)・神谷真理子(元原マミ)・浅倉吾朗(広原剛志)の3人が
「きれいだねぇ」
「香りが強烈」
などと言っている所に、深町一彦(黒山明)が登場するシーンである。
ここは実際に7月上旬にこのメインキャスト4人だけ連れて北海道富良野市まで日帰り!で行って撮影してきたものである。
なお深町の名前は原作では一夫なのだが、主人公の芳山和子を和夫に改変してしまった副作用で、深町一夫の方も一彦に改変したのである。
帰ろうかという時に、深町が帰りのロープーウェイのチケットが無いと言い出す。アクアの和夫が「先生、済みません。深町君がチケット無くしたそうです」と言い、福島先生が声だけで「深町君、何やってんの。でも大丈夫だよ。団体で来ているから、話せば乗れると思う」と返事するが、ここに福島先生役の沢田峰子は顔を出していない。スケジュールの都合がつかずに北海道まで行けなかったので、アフレコで声だけ入れたらしい。
なお、この場面は原田知世版「時をかける少女」へのオマージュである。
その後、場面は金曜日の放課後の理科室になる。原作はまだ土曜日半ドンだった時代なので土曜日の昼過ぎの理科室であるが、現代に合わせて金曜日ということになっている。
ここで芳山・浅倉・深町の「男3人」で理科室を掃除している。
「こんな広い部屋をたった3人で掃除するなんて無いよなあ」
と吾朗が文句を言っている。
「せめて女が1人くらいいればいいのに」
「芳山、いっそ女にならない?」
「僕がセーラー服着て通学してきたら、みんな気持ち悪がるよ」
という和夫の発言に
「いや、芳山はセーラー服が似合う気がする」
と浅倉・深町が一致した意見。
その瞬間、ワイシャツ・黒ズボン姿のアクアと、夏用セーラー服を着たアクアの映像が短時間で数回切り替え表示される。
浅倉と深町が想像した和夫の女装姿ということのようだが、アクアの女装を最初から提示するのは、ファン向けのサービスだ。
「後はゴミ捨てだけだね」
と深町。
「じゃゴミは僕が捨てて来るから、浅倉と深町はもう手を洗ってくるといいよ」
と和夫が言う。
「そうかい?じゃ後は頼む」
と言ってふたりは教室から出て行く。
それでアクアの和夫がゴミを集めていたら、隣の理科実験室で何か音がする。
「あれ?誰かいました?」
と言って、和夫は実験室とのドアの方に行く。
「福島先生ですか? こちら掃除は終わってゴミ捨てるだけですけど」
と和夫は言ってドアを開けた。
その瞬間、ガチャーンという薄いガラスの割れる音がする。
「誰?」
と言って不安そうな顔をした和夫が実験室を見るが誰もいない。テーブルの上に試験管がいくつか並んでいて、床にも割れた試験管がある。その割れた試験管から何か白い気体のようなものが立ち上がっており、和夫はそれを見つめたまま崩れるように倒れた。
実験室で倒れている所を発見された和夫は、吾朗が抱きかかえて保健室に連れていく。
「お姫様だっこされてる」
と政子が嬉しそうに小さな声をあげたが、35kgのアクアはある程度の体格の男性になら、充分抱えられる。実は浅倉吾朗役のオーディション条件は35kgのアクアを抱えられることということだったらしく、受けに来た俳優さんたちはアクアに見立てた35kgのおもりを抱えて10m歩くというのを実演したらしい。吾朗役を射止めた広原剛志君は高校のラグビー部に入っていたらしくたくましい腕である。彼は実際この撮影ではアクアを抱えて30mくらい歩いて保健室のセットのベッドの上にアクアを置いた。
福島先生もやってくるが、吾朗はあらためて、あんな広い理科室を3人で掃除させるなんてひどいですと文句を言い、先生も「ごめんねー」と言っていた。
体調が悪いと言って土日を和夫は寝て過ごした。
「あら、生理が重いの?」
と母親が心配するが
「僕、生理は無いけど」
と和夫。
「生理が無いって、あんた妊娠したんじゃないよね?」
と母親。
「僕男の子だから、生理もないし妊娠もしないよー」
と和夫。
「そうだったっけ?」
このあたりのセリフのやりとりも、アクアのファンの女の子たちへのサービスという感じである。政子も隣で
「アクアは絶対生理あるよね」
などと言って楽しそうにしている。
月曜日、和夫は学校に出て行くものの、あまり調子が良くない。数学の授業で当てられるも、黒板の前で問題が解けずに窮してしまい、その問題は結局、神谷真理子が解いた。
その日の晩地震があり、その後、吾朗の家の隣で火事が起きる。和夫は夜ではあるものの、吾朗を心配して走って現場まで行く。すると現場には青紫の花模様の浴衣を着た深町も来ていた。
幸いにも火事はすぐ消し止められ、吾朗も
「参った参った。うちは無事だったから助かったよ。心配して来てくれてありがとう」
とふたりに言った。
そして翌火曜日、和夫は寝過ごして、食パンを1枚テーブルの上から取ると
「遅刻、遅刻」
と言って駆けだしていく。
《食パンをくわえて駆けていく少女》というモチーフのパロディだ。そして途中で吾朗と会い
「浅倉君も遅刻?」
などと言いながら、一緒に走って行く。交差点で信号が青になると同時に左右も見ずにふたりは飛び出すが
「危ない!」
という声が掛かった。ふたりの目の前に大型トラックが迫っていた。
「きゃー!」
という声を和夫があげるとともに、画面はブラックアウトする。
ハッと和夫がベッドの上で起き上がる所に場面は移動する。
「夢?びっくりしたー」
と和夫は言っている。時計を見ると7時半なので、普通に着替えて出て行き、朝ご飯を食べて学校に行く。
吾朗と会ったので
「昨夜は火事大変だったね」
と言うが、吾朗は
「火事?何それ?」
と言う。
深町も出てきたので、深町にも言うが
「火事なんて知らないけど」
と深町。
「芳山、お前夢でも見たのでは?」
と吾朗に言われる。
「あれ〜?だって、深町君も格好良い青紫の浴衣着てたし」
「浴衣?ぼく、そもそも浴衣を持ってないよ」
「え〜〜!?」
和夫は首をひねる。そして数学の時間に小松先生から当てられるのだが、和夫は驚く。それは昨日自分が当てられて答えに窮した問題だったのである。
和夫が黒板に出て行き、解いてみせると
「おお。凄い。良く解けたな」
と言われる。
席に戻って隣に座る神谷から
「芳山君、凄いじゃない。あれを即解けるって、最近数学よく勉強してるのね」
と言われた。
「え?だってあの問題、昨日も出たじゃん。昨日は神谷さんが解いたけど」
と和夫が言うと
「え?昨日って、昨日は日曜じゃん」
と神谷に言われ
「え?今日は火曜だよね?」
と和夫は訊く。
「今日は月曜だけど」
「え〜〜〜!?」
そして和夫はその日、月曜日の時間割に沿って授業が行われていくのを見る。その授業の内容が全て昨日聞いたものばかりであった。
放課後、和夫は吾朗と深町に「相談したいことがある」と言って呼び出し、今日1日、自分が昨日体験したことをそのままリピートしていることを話す。吾朗は「お前、頭がおかしくなったんじゃないの?病院に行ってみない?」と言うが、深町は「それっていわゆるデジャヴかも知れない」などと言って理解を示した。
「確かに世の中には時々不思議なことってあるからな」
と吾朗は語る。
「俺のばあちゃんが子供の頃、不思議なことを体験したらしい」
「どんな?」
「ばあちゃんは戦時中、お母さん、つまり俺の曾祖母さんと一緒に長崎に疎開していたんだよ。お父さん、つまり俺の曾祖父さんは赤紙で招集されて中国方面に行っていたらしい。お母さんはそれで長崎三菱造船所に勤めていた。それでその日の朝、疎開していた家の裏の崖が崩れてさ」
「あらら」
「その日は木曜日で平日だったけど、これでは仕事とか学校とかに行く段ではないといってふたりで片付けとかすることにしたらしい。その内お母さんが、何か道具を借りてくるといって親戚の家に行って、俺のばあちゃんがひとりで手で拾える程度のものを片付けていたんだけど、かなり陽が高くなってきて、たぶん10時55分頃、白い服を着た女の子が現れてさ『もし生き延びたいなら、私についてきて』と言ったんだって」
「ねえ、その日ってさ」
と和夫が訊く。
「うん。その日の11:02に長崎市は原爆が落とされて壊滅したんだよ」
と吾朗が言う。
「それでばあちゃんはその女の子に付いて行った。ふたりは町の防空壕まで行った。でもふと気づくとその女の子は居なかったんだって」
「それで助かったのか」
と深町が言う。
「うん。その直後ピカッと空が光って。びっくりして俯せになったんだけどその直後、もうこの世の終わりかと思うほどの凄まじい音と光があって。ばあちゃんは気を失っていたらしいけど、気がついてから防空壕の外を見たら、もう地獄絵図だったらしい」
「わあ・・・・」
「とても外に出る勇気が無くて、呆然としていたという。幸いにも防空壕だから、食料や水の備蓄があってそれで数日生き延びていたら、救助隊の人たちが来て発見してもらって、それでばあちゃんは生還したんだよ」
「良かった」
「でもちょうどその原爆が落とされた日、ばあちゃんのお父さんは中国戦線で戦死していたらしい」
「ありゃあ」
「だから、ばあちゃはあれは自分のお父さんが女の子の姿になって自分を助けてくれたんじゃないかって、いつも言っていたよ」
「ほんとに不思議なこともあるもんだね」
と深町は言うが
「ちょっと待って。なんでお父さんが女の子の姿になる訳?」
と和夫が疑問を提起する。
「うん。それがよく分からないけど、もしかしたら、お父さんは来世で女の子に生まれ変わったのかもと言っていた。ただその自分を導いてくれた女の子は、男の子と思えば男の子だったかも知れないという。でもやはり女の子に見えたんだよねと言っていた」
「なるほどね」
この会話を聞いて、政子はまたニヤニヤとしていた。
どうもこの映画は随所にこの手の「ファンサービス」が入っているようである。
3人は色々話し合っていたが、結局は和夫の夢が正夢になっただけなのではという話になる。
ところがその晩、本当に地震が起きる。和夫は、この後きっと火事も起きると思い「ちょっと浅倉君ちに行ってくる」と言って飛び出した。和夫が現場にたどり着いた時は、まだ何も起きていなかった。
しかしそこに火の手があがる。和夫は119番しようとスマホを取り出したのだが、その前にそこに通りかかった男性が
「火事だぁ!」
と大きな声を出し、その男性が119番した。
その後、大きな騒動になり、多数の野次馬も駆けつけてくるのだが、深町もやってくる。
「深町君、浴衣着てる!」
と和夫が言う。
「うん。実は今日お母さんがさ、いい感じの浴衣があったから買ってきたよと言って、それをさっき着たばかりだったんだよ」
と彼は言っている。
翌朝、和夫が起きたのはまだ早い時間だったが、ハッと交差点でトラックに轢かれそうになったことを思い出す。
「しまった!昨夜吾朗君に会った時、事故の話もしておくべきだった!」
と言って朝ご飯を急いで食べて家を飛び出した。
問題の交差点まで来た時、まだ吾朗は来ていなかった。それで吾朗を待つことにするが、そこに神谷がやってくる。
「芳山君、どうしたの?」
「浅倉を待っているんだよ」
「何か用事があるんだっけ?」
「いや、特に用事は無いんだけど」
「別に芳山君、浅倉君のことが好きな訳じゃ無いよね?」
「僕、男だよー。男の子を好きになる訳ないじゃん?」
「別に男同士で恋愛してもいいと思うよ。でもむしろ芳山君、女の子になりたいのかな、と思うこともあるんだけど」
「別に女の子になりたくはないよー」
「女の子になりたいというのも悪いことじゃないからね。みんなに言うのが恥ずかしかったら、私だけに打ち明けるといいよ。女装に協力するよ」
「ありがとう。でも特に必要はないから」
「ああ、普通に女装してるのか」
「してないよー」
政子はこのやりとりをニヤニヤしながら見ていた。
神谷が去ってから少しして、やっと吾朗がやってくる。遅刻しそうになって小走りのようだ。
「浅倉君!」
「芳山、どうしたの?」
「待ってた」
「なんで?まさか愛の告白とかじゃないよな?」
「そんなんじゃないよー」
「とにかく急ごう。もう遅刻しそうだぞ」
と言って吾朗は信号が青になると同時に歩きだそうとするが、それを和夫が腕をつかんで止める。
「行っちゃダメ!」
「どうしたんだよ。お前マジで俺のこと好きなの?俺男同士の恋愛って困るんだけど。お前が女になるなら考えてもいいけど」
そんなことを吾朗が言った次の瞬間大きなエンジン音と「きゃー」という悲鳴が聞こえる。ふたりのすぐそばを大型トラックが走り抜けていき、続いてどかーんという凄い音が聞こえた。
結果的に和夫と吾朗は一緒に遅刻することになったが、その件で相談がしたいと和夫は福島先生に言った。それで放課後、和夫と吾朗は福島先生の所に行き、生徒相談室で3人で話すことになった。
「そんな凄い事故だったの?」
「トラックが最初に道路脇のクッションドラムをはね飛ばして、それが当たったサラリーマンが死亡、横断歩道の主婦を轢いてこの人も死亡。そのあと洋品店に突っ込んで、お店の人が2人死亡。運転手本人も死亡だそうです。他にもけが人が10人くらい」
と吾朗は語る。
「あんたたち、よく助かったね」
「でも、実は私たちも死ぬはずだったんです」
と言って、和夫はここまでのできごとを語った。
話を聞いた福島先生は
「それはタイムリープだと思う」
と言った。
そして和夫に
「君は金曜日のその理科実験室に戻らなければならない。そうしなければこの問題を解決することはできないと思う」
と言った。
「でもどうやって戻るんです?」
「その能力はふだんは眠っていると思うんだ。しかしそこから逃げ出さなければ死ぬ!と思った時、その能力は発動するんだろうと思う」
と福島先生は言う。
ともかくも、少し考えてみよう。でも今日はもう遅いから帰りなさいと言い、福島先生は和夫と吾朗を連れて一緒に学校を出た。そして学校近くの工事現場を通りかかった時、先生が突然和夫を突き飛ばした。
「危ない!上から鉄骨が落ちてくる!」
と福島先生は叫んだ。
「きゃー!」
と和夫は叫び、場面はブラックアウトした。
アクア演じる芳山和夫はどこか知らない場所に立っていた。
「ここはどこだろう?」
と独り言のように言ってから、近くに落ちていた新聞を拾う。
「え?昭和20年8月9日??」
和夫は町を歩き回るが、眼鏡橋、オランダ坂などの名所が出る。なお眼鏡橋は画像を加工して、1982年大水害に遭う前の、古い姿に変えてある。
「ここは長崎か?」
と和夫がつぶやく。
やがて和夫は坂を登った所で崖崩れが起きた場所に到達した。崩れた家の所でひとりの少女が片付けをしている。和夫は何気なく腕時計を見た。時計に10:55という数字が見える。
和夫がハッとする。
「その日の11:02に長崎市は原爆が落とされて壊滅したんだよ」
と吾朗が語る場面がプレイバックされる。
和夫はその少女の所に駆け寄った。
「ねえ、君」
と声を掛ける。
「はい・・・どなたでしょうか?」
「防空壕はどこ?」
「えっと、そちらの道を少し行った所なんですけど」
「僕と一緒に来てくれない?」
「最近越して来た子? でも私、今忙しいからひとりで行けない?行ったら分かると思うけど」
すると和夫はその少女の手を取り
「もし生き延びたいなら、僕と一緒に来て」
と言った。
和夫の勢いに負けて、少女は一緒に防空壕への道を行く。
「あなた、まるで男の子みたいな話し方するのね。そういう子嫌いじゃないけど」
などと少女は言っている。
この場面は実際には、今回の映画の撮影をおこなった埼玉県某市近郊の田舎道で撮影している。
ふたりが防空壕にたどりつく。和夫は先に少女を中に入れ、外側から近くに置いてあった戸板を入口に立てた。
直後、和夫は空が光るのを見る。
そして画面がブラックアウトする。
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【夏の日の想い出・影武者】(4)