【春産】(6)

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その日《千里B》は、2010年に“本人の手描き”でデザインした鳳凰家族の振袖を身につけると、ミラを運転して、その公民館まで行った。2013-4年頃は大活躍したミラであるが、最近は《千里A》が精神力を回復させてアテンザの方ばかり使っているので、ミラは放置されぎみで、《千里B》が使うことの方が多い。しばしばJソフトへの通勤にも使っている。
 
公民館の駐車場にミラを駐め、運転のために穿いていたローファーを草履に履き替え、裾の乱れを直してから公民館に入っていく。
 
案内の掲示を見て、その部屋に行くと、既に5〜6人の女性が居る。が1人を除いて洋装である。しまったぁ。私も洋服で良かったかなと思う。
 
「こんにちは、初めて寄せて頂きます。矢島さんから紹介されて参りました村山と申します」
と《千里B》は挨拶した。
 
「あなた凄い服を着てきたわね」
と言って、唯一和服(付下げ)を着ていた50代くらいの女性が寄ってくる。 
「済みません。何にも分からないもので、お茶なら和服かなと思ってこれ着て着たんですけど、あまりこの席には合わないですよね?」
 
「そうだね。お茶会の時は、亭主する時は色無地、お客は付下げとか小紋、あるいはあまり派手でない訪問着がいいけど、まあ今日はお茶教室だから、何でもいいよ」
 
「じゃ次からは小紋を着てきます」
「でも、あなたこれお母さんか誰かに着せてもらったの?」
「いえ。私ひとり暮らしなので。これもひとりで着ましたけど」
「あなた、振袖がひとりで着られるんだ!」
「はい。和服は割と好きだから。友だちと一緒に振袖着て、劇とか見に行ったりもするんですよ」
 
「すごーい。今時珍しいね。お父さん、どこかの社長さんか何か?」
「いえ。父は高校の臨時講師で、実質失業中みたいなもので。以前は漁船に乗っていたんですが廃船になって。だから家計は母と私の勤めで支えているんですよ」
 
《千里B》は、Jソフトの名刺を渡した。彼女は川島康子と名乗った。 
「自分で稼いでいるんだ!SEかぁ。女性でコンピュータ技術者って凄いね。あなたいくつ?」
 
「25歳ですけど」
「私の息子のどちらかのお嫁さんに欲しい感じだ」
「あはは。私、好きな人がいるので、遠慮させて頂きます」
と《千里B》は言った。
 
この「好きな人がいるので」という言葉は後に康子を誤解させることになったのだが、この時点ではさすがの《きーちゃん》もそこまでは思い至らない。 
「でもこれ不思議な柄ね」
「インクジェットプリンターで印刷したものなので」
「え?これインクジェット?そんなふうには見えない」
「安価に提供するのが目的の呉服屋さんのシステムじゃなくて、むしろ友禅の技術の保存のためにシステムを開発しているコンピュータ会社のシステムで印刷したものなんですよ。だから良い生地を使っているから、お値段は相応しましたよ。インクジェット振袖が安っぽく見える原因の半分は薄くて安い生地を使っているからなんですよね〜。この絵は私が自分で描いたのですが」
 
「すごーい!これ自分で絵を描いたんだ?」
 
「Inkscapeという、お絵描きソフトで描いて、それを印刷してもらったんです。夫婦の鳳凰と、鳳凰の子供2人、男の子と女の子。こういう家族になりたいなと思って描いたんですよ」
 
「うん。この鳳凰一家は幸せそうだね」
と彼女は笑顔で言った。
 

桃川春美の結婚式・祝賀会が終わり、二次会のために移動しようとバスを待っている時、当の新郎新婦がやってきて千里に「醍醐先生、私たちの相性を占ってもらえませんか?」などと言った。
 
「結婚したのに今更相性も無いでしょ?」
と千里が笑って言うが、
 
「本当なら15-16年前に結婚していてもよかったのに、こんなにもつれたのは何故だろうと思って」
などと春美が言うので、千里はパソコンを取り出し、まずふたりのホロスコープを出してみた。
 
春美 1978.02.27 5:56 奥尻島
亜記宏 1972.9.4 2:19 札幌市

 
(内側が春美、外側が亜記宏)
 
「今日結婚式を挙げたのは亜記宏さんの誕生日に合わせたんだ?」
「そうなんです。そうしてれば、この人絶対結婚記念日忘れないだろうし」
「ああ、そういうのって男性はだいたい覚えきれないよね」
「そうなんですよ」
 
千里はふたつの出生チャートを見比べる。
 
「春美ちゃんの火星が、亜記宏さんの月にジャスト重なっている。春美ちゃんは亜記宏さんの奥さんになるべく生まれている感じ」
「わぁ」
「金星も近い位置にある。だから、亜記宏さんにとっては、春美ちゃんは恋人でもあるし奥さんだったんだな」
「なるほどー」
「太陽は乙女座と魚座だから、対抗星座。ふつうは180度って、相性が良くないんだけど、恋人や夫婦としては逆に良い相性なんだよ。つまりふたりは友人としてはあまり良くない相性だけど、恋人や夫婦としてはお互いの欠点を補い合うことができて、良い相性」
「わあ」
「太陽も対抗星座だけど、アセンダントも獅子と水瓶で対抗星座。これって夫婦としては最高の相性だよ」
「へー!」
「恋人としては80点、セックスも80点かな。火星同士が乙女と蟹でセクスタイルだし」
 
「セックスタイルってセックスに良い相性なんですか?」
「いやセクスタイルってのは6分の1という意味で360度の6分の1つまり60度という意味だよ」
「びっくりしたぁ」
 

「強いて気になることといえば、春美ちゃんの土星と亜記宏さんの水星が重なっていることくらいかな。その場合、春美ちゃんの近くにいると亜記宏さんは冷静に物を考えることができなくなったりするんだな」
 
「ということは今みたいに分散して暮らしている方がいいんですか?」
「違うよ。本能的になっちゃうということ」
「あははは」
「心あたりあるなあ」
 
「ふたりが別れた2001年夏頃に土星が双子座にある。すると乙女座にある亜記宏さんの火星、魚座にある春美ちゃんの金星の双方を邪魔する。その結果お互いの魅力を見失ってしまったのかもね」
 
「それが私が振られた原因?」
「影響はあったと思うよ」
 
千里はふたりの過去とこれからを見るのにタロットをケルト十字法で展開した。 
過去:金貨の王子。夜這い。
現在:聖杯の女王。凍結。
未来:正義。判決。
潜在:金貨の王女。隠された事実。
顕在:棒の8。墜落。
鍵:聖杯の2。愛情。
本人:聖杯の6。子供。
環境:剣の8。終戦。
希望:魔術師。無限の可能性。
最終結果:力。努力による思いがけない解決。
 
「亜記宏さんが実音子さんと結婚している時期にもふたりって関係あったでしょ?」
「え、えっと・・・・」
「でも春美ちゃん、いまだに亜記宏さんのこと許してないのでは?」
「そうですねぇ」
「でもまだ2人が知らないことがあるんだよ。それが分かれば誤解は解ける」
「そうなんですか!?」
 
「結婚式の場でこれ以上突っ込むのはよくない。近い内にまた私、北海道に来ることになりそうだし、その時、再度セッションをしない?」
 
「分かりました」
 
「大事なことはふたりがしっかり愛し合うこと。それは3人の娘さんたちが望むことでもある」
と千里は言った。
 
「はい、それはしっかりやります」
「うんうん」
 
「ところで、この人、立たないんですけど、いつか立つようになります?」
 
千里は1枚だけ引いた。
 
剣の9。
 
「原因が取り除かれたらちゃんと立つよ」
 
春美は頷き、亜記宏は腕を組んでいた。
 
「あとひとつだけ。この人、女装趣味は無いと主張するけど怪しいと思うんです。実態はどうですか?」
 
棒の女王。
 
「棒付きのクイーン」
「え〜〜!?」
「やはり」
 

二次会が終わった後で、春美が確保してくれていたホテルに移動し、部屋で休んでいたら、丸山アイが来訪した。
 
「で、どうしたのかな?」
と千里は尋ねた。
 
「僕もまだ詳しい話は聞いていないんですけどね」
と前提を置いてアイは話し始める。
 
「鴨乃先生、僕の性別、それからRainbow Flute Bandsのフェイの性別、分かりますよね?」
「だいたい想像はしているけど」
「たぶんその想像で合っていると思うんですけど、僕もフェイもお互いとてもレアな性別だから、それで惹かれあって、結構セックスしてるんですよ」
 
「それってもしかして恋愛というよりセフレという感じ?」
「実はそうなんです。よく分かりますね」
 
「早紀ちゃんが、話している感じに恋愛要素を感じなかった」
「それでフェイが妊娠したらしくて」
 
さすがの千里も考え込んだ。
 
「あの子、妊娠できるんだっけ?」
「僕も知らなかったけど、卵巣と子宮があったらしい。それ知っていたらちゃんと避妊するようにしてたのに」
 
「避妊も何も、早紀ちゃん、睾丸無いでしょ?」
「ありません」
「だったら、早紀ちゃんが妊娠させられる訳無い」
 
「やはりそうかぁ」
 

「真琴ちゃんって、何人かセフレ居たの?」
「いました。僕も手帳で確認したんですけど、8月3日に僕は真琴とセックスしてるんです。でも実は2日と4日にも別のセフレとセックスしたらしくて。そして今胎内の胎児のサイズからすると、その頃に受精したと思われるそうなんですよ」
 
「ああ」
「それで本人も、誰の子供か分からないらしくて」
 
「DNA鑑定すればいいんじゃないの?」
「それ赤ちゃんが生まれた後ですよね?」
「妊娠中にもできるよ」
「子宮内の胎児から細胞を取るの?」
「そんな恐ろしいことしなくても、臍の緒で赤ちゃんとお母さんはつながっているから、お母さんの血液中に胎児のDNAが混入するんだよ。だからお母さんの血液を採取して鑑定すればいい」
と千里は説明する。
 
「そんなことができるんだ!」
「でも早紀ちゃんが父親ということはあり得ない」
「はぁ・・・」
 
「父親になりたかった?」
「僕は生殖能力は放棄しちゃったから、それは諦めていたんですけどね。ひょっとしてと思っちゃって」
「まあ睾丸無しで妊娠させるのは無理だね」
 
「でも僕、戸籍は男だから、認知は可能ですよね?もし他のセフレさんが認知を拒否した場合、僕が認知したいんですけど」
 
「うまくすれば通るかもね」
「男装して届けに行こうかな」
「早紀ちゃんの男装って、マジで男の子にしか見えないから凄いよね」
 
「みんなから褒められます。僕のことtwo-spiritsだと思い込んでいる友人もけっこういるんですよ。僕は恋愛的にはバイセクシュアルだし、機能的にもバイジェニタルだけど、心はほぼ男の子なんですよね。服は女の子の服を着る方が好きだから、女装している時が多いけど」
 
「今日の祝賀会でも振袖着てたね」
「あれ信子に乗せられちゃったんですけどね〜」
 
「そのあたりの実態知っているのは、その信子ちゃんとか、問題の真琴ちゃんとか、もうひとりの早貴ちゃんとか、洋介君とか、義満君とか、雅希君とか、その辺りかな?」
 
「そこまでバレてるのは、やはり鴨乃先生だけだなあ。それで鴨乃先生に相談したかったんですけどね」
 

「それで実際問題として、この赤ちゃんの父親って2日にセックスした人か、3日にセックスした僕か、4日にセックスした人か、先生占ってもらえません?」
とアイは言った。
 
「早紀ちゃん関係無いから気にすることないと思うけどね」
と言いながら、千里は愛用のタロットを取り出す。
 
1枚ずつ並べる。
 
2日。金貨王子:幽閉されているマーリンの許を訪れる悪魔。
3日。金貨の4:堅く守られた城。
4日。金貨王女:マーリンを封印した魔女ニムエ。
 
「あ、これなら僕も分かる」
と早紀は言う。
 
「うん。2日の子だね。だから、やはり早紀ちゃんは父親じゃないよ」
と千里。
 
「そっかー」
とアイは脱力したように言った。
 

「でもそもそも真琴ちゃんのセフレってのも、今早紀ちゃんが言ったような子たちじゃないの?」
「彼が気を許すのもそのあたりって気はします」
と言って丸山アイは少し疲れたように苦笑した。
 
「でもそういう仲良しグループがあるんだったら、みんなで共同で真琴ちゃんのお腹の中の子供を支えてあげればいい。認知はひとりしかできないだろうけど、全員父親役をしてあげればいい。嫉妬とかはないんでしょ?」
 
「うん。セックスはしてるけど恋愛感情は無いから嫉妬もない。僕、信子とも洋介とも仲良いし」
 
「でももしかしたら真琴ちゃんが“お姫様”だったんだ?」
「ああ、あの子は総受けかも」
とアイは感慨深く言った。
 
「あの子、そもそも恋愛をしたことないなんて言うんですよね。実際あの子、ラブソング書かないでしょ?」
「確かに。早紀ちゃんは恋愛の経験は?」
「男の子とも女の子とも経験してるよ」
「早紀ちゃんが作る歌を聞いていると、そんな気はした」
「女の子との恋愛経験を高倉竜名義で出して、男の子との恋愛経験を丸山アイ名義で出してるんですよ」
「うんうん、そんな感じだろうね」
 
「僕と真琴は凄く似た立場だと思うけど、僕は両性タイプで真琴は無性タイプなのかもと思ったことはあります」
「うん。真琴ちゃんはフェイという芸名の通り、妖精なのかもね」
 
「でも両性タイプの僕は生殖能力無くて、無性タイプの真琴に生殖能力があったというのが、ちょっとショック」
 
「早紀ちゃんも妊娠しちゃったりして」
「妊娠してみたーい!」
と彼は笑顔で言った。
 
千里はそこでカードを1枚引いた。
 
力。ライオンと戯れる女性の絵である。
 
「早紀ちゃん、女の子の母親か父親になるかもね」
「マジですか〜?」
 

「ところで大学はどうすんの?化学科だったよね?そのまま大学院まで行く?」
「理学部はほとんどの子がそのまま修士まで行くんですよね。だからその流れで僕もあと2年学生生活するつもり。鈴木社長にも一応修士まで行きたいと言ってはいるんですよ」
 
「じゃあと2年間は学生との二足のわらじで頑張らなくちゃ。ただ修士論文を書く間、5月頃から11月頃までは、ほとんど時間無くなるよ」
 
「そうか。鴨乃先生も理学部で修士まで行ったんでしたね」
「うん。だから曲も書きためておいた。もっとも私はしばしばバスケットの活動で凄まじく忙しくなるから、いつも曲はストックがあるんだけどね」
「じゃ、僕も来年は頑張って書きためておかなくちゃ」
「うん。頑張ってね」
 

横手市で行われていた第5回全日本クラブバスケットボール選抜大会では、40 minutesが優勝、2位ミヤコ鳥、3位セントールで、この3者が全日本社会人選手権に進出することになった。
 

9月5日の朝、千里が朝食を取って、部屋に戻りかけた時、青葉から電話があった。 
「青葉たくさんメダル取ったみたいね。おめでとう」
と千里がいきなり言うと
「わ、もしかして速報サイト見てくれた?」
と青葉は逆に尋ねる。
 
「もちろん。リレーの金銀銅も凄いけど、個人で取った800m自由形の銅が一番凄いよ」
「うん。実は私もそれがいちばん嬉しい。リレーはやはりジャネさんの力が大きかったもん」
「あの人も凄いね〜」
 
「それで、ちー姉、今どこにいるんだっけ?」
「今札幌。これから東京に移動する」
「何時頃着く?」
「青葉もしかしてまだ東京にいるの?インカレは昨日で終わったよね?」
「昨夜の高速バスで帰るつもりだったのが、面倒な頼まれごとしちゃって」
 
「青葉はすぐ火中の栗を拾うからなあ」
「反省している。でも、私以外には頼れる人居ないと言われて。でもこの件はさすがの私も、ひとりだけでは自信が無い」
 
「呪詛か何か?」
「その手のものは無い。実は妊娠した男の娘の妊娠維持と出産をサポートしてくれないかと言われて」
 
千里は当惑した。偶然そんなレアな話が2つ重なる訳が無い。
 
「それ、もしかして成宮真琴ちゃんの件じゃ無いよね?」
「なんで分かるの〜!?」
「実は彼のボーイフレンドから昨日、その件で相談された」
「うっそー!?」
 
「どっちみち、ふたりで少し情報交換した方がよさそうだね。午後の便で帰ろうかと思ってたけど、今からすぐ新千歳に向かうよ」
 
「ありがとう!」
 

桃香は9月5日(月)も、まだ体調が回復しないと言って会社を休むと、午前中、自由が丘に出かけ、ルピシア本店に行ってみた。
 
ずらーっと茶葉の入った丸い缶が並んでいるが、さっぱり分からない。お店の人に「ニルギリの特上品ありますか?」と聞いて、出してもらったが、わずか50gで2300円というのに、内心「ぎゃー」っと思った。桃香は紅茶をたしなむ趣味はない。せいぜい買っても100円ショップの10個入りティーパックくらいである。
 
ともかくもそれと、ケーキを4個(2つずつ食べるつもり)買い、自宅に戻った。あまり動き回っていて、会社の人に見られたりしたら、病気ということで休んでいて何だ?と言われかねないので、おとなしくしておくことにする。 
しかし自宅に戻ってしまうと暇なので、鈴子に電話してみた。
 
「へー。じゃ、向こうの子供は真純のままで出生届出したんだ?」
「そうそう。向こうも《まぁちゃん》とか呼んでいたんで、今更名前は変えられないということで。それであらためて考えてみると、真純(ますみ)って、男でも女でも行ける名前だから、女の子だけど真純のままでいいんじゃないかってことにして、それで届けたらしい」
 
「まあ確かに、マスミって名前も男女あるよなあ」
「さすがにこちらは、ユミエで男って訳にはいかないからユミオにしたけどね」
「うんうん」
「向こうのお母さんと色々話している内になんか仲良くなっちゃったよ。こちらで買っちゃった女の子用の服と、向こうで買っちゃった男の子用の服も交換しようよと言ってるのよ。元々身体のサイズがほとんど変わらないし」
 
「ああ、それもいいよね〜」
「向こうも女の子だけど、男の子みたいに育ててもいいかなあ、などと思っていたらしい」
「ああ、そのあたりは結構考えたりするものかもね」
「こちらはまた可愛い服買ってこようかと思ってるし」
「やはり男の娘育成計画か」
 

千里はお昼過ぎに東京に戻ると、都内の料亭で、青葉と会い、お互いの持っている情報を交換した。
 
「これ真琴さんと2人だけにしてもらって話し合ったんだけど、その8月2,3,4日にセックスした相手は、2日が雅希さん、3日が早紀さん、4日が洋介さんという人らしい。困ったことに全員AB型だし、真琴さんがRh(+)ABだから、子供の血液型だけでは誰の子供かは分からない」
 
「逆に誰が認知しても矛盾が起きない」
「そうなんだよ」
 
「それでこの中で一番可能性の薄いのが3日にセックスした早紀さん。この人は本人は去勢済みと言っている。それを信用していいかは分からないけど」
 
「うん。みんな嘘つきだから」
「自分の性別に関しては嘘をつくよね」
 
「青葉だって本当は幼稚園に入る前に去勢してるのに中学の時に睾丸が自然消滅したなんて、あり得ない嘘ついてるし」
と千里が言うと
 
「ちー姉はどうなのさ!?」
と青葉は言う。
 
一瞬お互い微妙な微笑みで見つめ合う。
 
「まあいいや。後の2人は?」
「4日にセックスした洋介さんは確実に精子を持っている。実際この人は人前にはほとんど男装で出ていて、普通の男性として生活している」
「ふむふむ」
 
「そして2日の相手の雅希さんがいちばん分からないと言うんだよね、この人、見た目は完璧な女の子で、本人は自分は生まれながらの女で戸籍上も女だと言っている。世間的にも普通に女で通っている。中学や高校の卒業アルバムも見せてくれたらしいけど、ちゃんと女子制服で写っている。この人が男装すること知っている人は凄く少ないらしい。そしてあの付近も絶対に誰にも見せないけど、真琴さんは何度もこの人を自分のヴァギナに受け入れているらしい。ちー姉“ミューチャル・セックス”って分かる?」
 
「分かるよ。カタツムリ方式だよね」
「うん。カタツムリは雌雄同体だから、ミューチャル・セックスするんだよね」
「鎌田敏夫の『新里見八犬伝』で犬坂毛野がそれやってたね」
「それ読んだことないや。読んでみようかな」
 
「読まない方がいいよ。あまり女の子に勧められる小説ではない。薬師丸ひろ子主演の映画原作になってたから読んだ人結構いると思うけど、女性読者の場合は読んで後悔した人や途中で読むのやめて捨てた人の方が多いと思う。滝沢馬琴の南総里見八犬伝とは無縁の、ほとんどエロ小説だから」
と千里は言う。
 
「うーん・・・・」
と悩むような声をあげた上で
 
「まあそれで結局、雅希さんに精子があるかどうかもよく分からないらしい」
 
と青葉は説明した。
 
「今更だけどそういう話、私に言ってよかったの?」
 
「ちー姉には話していいと許可もらった。それが分からないと正直、私にしてもちー姉にしても、完全にサポートしきれないよね?」
「うん。遺伝子的に誰の子供かというのを把握しているかどうかで、フォーカスの絞り方の精度が変わる」
 
「青葉、その3人の中の誰が父親か占ってみた?」
「ちー姉は?」
「もちろん占ったよ。それが依頼だったから」
「だったら、お互いの占いの結果を紙に書いてせーので見せない?」
「やってみるまでもない気はするけどね」
 
それで青葉と千里は各々紙に書いて見せた。
 
青葉の紙には“雅希”と書いてあり、千里の紙には“2”と書いてあった。 
「じゃこの紙は廃棄ということで」
「うん」
 
ハサミで細かく切り、細片はビニール袋に入れて千里がカバンに入れた。確実に消滅する場所に廃棄する。
 

青葉と千里は一時間ほど2人だけで話した後、真琴本人にも来てもらうことにした。真琴はその件で朝から事務所の野坂社長、およびRainbow Flute Bandsのサブリーダーである三影さんと話し合っていたらしく、一緒に来ていいかということだったので、OKする。料亭の人に3人追加で来るのだけどいいかと言うと「追加承りました。すぐご準備しますね」と女将がわざわざ部屋まで来てにこやかに言った。
 
「ちー姉、このお店結構来るの?」
「雨宮先生に連れられてかなり来た」
「なるほどー!」
 
30分ほどしてその3人が来る。三影さん(芸名:ポール)はこういう場所はあまり経験が無いようで、キョロキョロしていた。彼は戸籍上も生物学的にも女性であるが常時男装しているし、男性ホルモンを飲んでいるので、声変わりもしているし、ヒゲも生えている。むしろヒゲは彼のシンボルマークである。ただし手術はしていないので、実はまだおっぱいもあるらしい。生理はむろん止まっているので生殖能力は無い。
 
「まあ密談するにはこういう場所がいちばんいいんですよ。こういう老舗の料亭は教育がしっかりしているから、そもそも客の話を聞かないようにするし、万一聞いても絶対に話しませんから」
と千里は言った。
 

「前回妊娠中ずっとサポートして出産に至らせた人は、hCGホルモンの出が物凄く悪くて、過去に結婚していた男性との間で何度も人工授精や体外受精まで試みたのに妊娠維持が全然できなかったんですよ。それで今の旦那さんと結婚してから、他の女性から卵子を借りて体外受精して、その胚移植から出産時までずっと私と姉の2人で彼女の健康状態とホルモン状態を管理して、脳下垂体を刺激して、hCGホルモンを出し続けさせて、出産まで辿り着きました」
 
と青葉は説明する。
 
「それは医学的なケアではなく、霊的なケアなんですね?」
と野坂さんが訊く。
 
「そうです。法的にはただの祈祷ですし、いわばおまじないのようなものです。ですから、本当は私などが関わるより、ちゃんと病院に入院して、そこで来年の2月末まで過ごして、帝王切開した方がいいです。入院していてもベッドの上で作曲とかはできますよ」
と青葉は言う。
 
「それではスタジオでの制作とかに関われないから、結果的にはRainbow Flute Bandsの活動は完全に停止してしまう。“フェイ”のマルチ楽器プレイと歌声無しでうちのバンドの音源は制作できない。正直、マコには中絶しちゃえよと言いたいくらいだけど、そんなことしたら、こいつが精神的にダメージを受けて、全く曲が書けなくなっちゃうと思う。だから仕方ないから、妊娠した以上、出産まで辿り着かせるしかないと俺は思っている」
 
と三影は言った。
 
「僕も中絶してくれと言いかけたんだけど、三影君に中絶した場合の成宮さんの精神状態の問題を指摘されて、妊娠出産を維持するしかないかという方向に決心した所です」
と野坂社長。
 
「まあ、マコには違約金1億円課すという線で」
と三影は言っている。
 
「うん。そのくらいみんなに迷惑掛けちゃうと思う。だから分割でも良ければ1億円払うよ」
と真琴は言う。
 
「いや、成宮さんの妊娠という事態は想定外だったので、妊娠を禁じる条項とかも契約書には無いんですよ。結婚は28歳になるまで禁止していたんですけどね。だから違約金を取る根拠が無いです」
と社長。
 
「だから自主的に1億円払うという線で」
と真琴。
 

「そういう訳で、本来のコースである病院に来年2月末まで入院させるという選択はあり得ないので、川上さんたちのサポートで、妊娠維持が可能なら、それをお願いしたいです。費用はいくら掛かっても構いません」
と野坂社長は言う。
 
「最初にお断りしておかなければならないのは、さっきも申しましたように、私たちのサポートは法的には祈祷と同じです。何らの科学的根拠もありませんし、私たちは成宮さんの妊娠維持を保証することはできません」
と千里は言った。
 
「それは構いません」
と野坂社長は言い、真琴と三影も頷いている。
 
「そして私たちがサポートしていても、様々な突発的できごとのために流産してしまう可能性はあると思います。ですから、出産に辿り着く可能性は50:50(フィフティ・フィフティ)だと思いますが、それでもやりますか?」
と青葉。
 
「僕、病院の先生からは可能性は1%、病院での完全管理下でも3割と言われた。5割の可能性があるならお願いしたい」
と真琴。
 
青葉は「不確か」という意味で「50:50」という言葉を使ったのだが、余計に期待させてしまったようなので、どうしようかと思った。しかし千里の顔を見ると頷いているので、このままでいいかと考え直した。
 
「それで実際問題として、どの程度、こいつ活動できます?」
と三影が訊く。
 
「ライブやテレビ出演での演奏などは絶対にやめてほしいですが、スタジオ制作なら、規則的な生活リズムと定期的な食事を守り、睡眠時間も毎日8時間取り、スタジオでも2時間に1度くらいは休憩して徹夜などはしないという条件で行けると思います」
と青葉は言った。
 
「それなら何とかなるかな」
と社長と三影はお互いの顔を見ながら言った。
 
「あと、スタジオでの制作中、タバコは他のメンバーの方も我慢して欲しいのですが」
「タバコ吸うのは俺と漢太カ(キャロル)だけだけど、俺は我慢する。漢太カにも言いくるめて、スタジオ内では我慢させる」
「もちろん本人は、酒タバコはNGで」
「それは当然だな」
 
「ここだけの話にしますが、“草”とか“お薬”とか使いませんよね?」
「使わない、使わない。まだ人間やめたくないから手を出さない」
「だったら行けると思います」
 
「そしたらRainbow Flute Bandsのライブは来年の5月か6月くらいまでお休みで、その間、アルバムの制作をやろうか。逆にこれまでライブが多すぎてじっくりアルバム制作ができなかった面もあるし」
と三影は言う。
 
「うん。それもいいかも知れないね」
と社長も言った。
 
5人はこの日話し合った内容を覚え書きとしてまとめ、コピーを2部作り、全員署名して青葉と野坂社長が1部ずつ持つことにした。
 

この会談を受けて、青葉と千里は真琴と一緒に朝倉医師の許を訪れ、日々のメディカルチェックの方法について打ち合わせした。その結果、真琴は毎朝の尿を採取して大間産婦人科に持ち込むこと、安定期に入る11月上旬までは毎週1回、その後も2週間に1度診察を受けることを決めた。この病院が選ばれたのは院長が朝倉医師の後輩であるのと、真琴の現住所に近いからである。制作が立て込んで都心に寝泊まりする時は、尿は事務所のスタッフが運んでくれることで、野坂社長の了承を得た。
 
そこまで話がまとまった所で朝倉医師は病院を出て真琴と一緒に、あきる野市役所に向かった。もう夕方の受付時間ぎりぎりになったが、母子手帳の交付を申請する。しかし真琴が住民票で男性として登録されているので、窓口の人は何の冗談ですか?と言った。
 
しかし朝倉医師が自分の身分証明書を提示した上で、真琴の性別について説明し、戸籍上は男性ではあるものの、元々卵巣と子宮を持っていたこと、そして間違い無く妊娠していること、出産までの間に家庭裁判所の審判を経て戸籍を女性に修正予定であることを話すと、最初課長さん、その内、部長さん、最後は助役さんまで出てきて、2時間近い話し合いの末、母子手帳を無事発行してもらうことができた。
 
「大変だったね〜」
「先生に来て頂いて助かりました。あれ、僕ひとりではとても説得しきれませんでしたよ」
と真琴は疲れたように言った。
 

朝倉医師と真琴はそのまま大間産婦人科に向かう。もう病院は閉まっているのだが、ここに青葉と千里、野坂社長と三影、それに松井医師も集まり、大間院長も一緒に、再度この後の方針について確認した。
 
「その以前、川上さんがコントロールして出産に至った子というのはお元気ですか?」
「元気いっぱいに育ってますね」
と青葉。
 
「あの時は、本人のホルモン状態だけじゃなくて、風邪引いたりしないようにとかもかなり気を遣ったね」
と千里が言う。
 
「うん。ただあの人は元々身体が弱くてあまり外出とかしなかったから、それで風邪の感染を防げた面もあった」
と青葉。
 
「確かに不安定な妊娠をしていると風邪でも致命傷になりかねませんよね」
「そうなんです。これはガラス細工を10ヶ月間ずっと自分の手で持って立ち尽くすような作業なんです」
 
「ああ、なんとなくイメージがつかめた」
 
「風邪が流行する季節は、人混みなどに絶対出ないようにしてください。またメンバーの方も、風邪気味とかの時は絶対にスタジオに出てこないようにして感染防止に気を配って下さい」
 
「けっこうそのあたりも大変そうだね」
「そういう要素を含めて、成功する確率は半々ということなので」
「それに成宮君のムラ気の分を入れると1%まで低下する、というのが朝倉先生の見立てなんですね?」
と社長。
「それがいちばん危ない気もする」
と三影は言っている。
 
社長は考えて言った。
 
「都心のスタジオで制作するとどうしても人混みにさらされてしまう。郊外のスタジオを使おうか」
「それがいいかもですね。郊外にも結構良い技術者のいるスタジオはありますよ」
 

「じゃ、そういうことで2月か3月くらいまで、しっかり頑張ろう」
と朝倉医師は言った。
 
「はい」
と真琴も神妙に答える。
 
「後は誰に認知してもらうかだな」
と真琴は最後に言った。
 
「その3人には今どういう話してるの?」
と三影が訊く。
「正直に8月の上旬のセックスで妊娠したこと。その時期に3人とセックスしていて、その3人の中の誰かが父親だと思うということは話した。3人とも今は驚いているみたいで、反応はこれから」
と真琴。
 
「本当は誰が父親か分かっているんじゃないの?」
と千里は言った。
 
「そのあたりは色々戦略が」
と真琴。
「その父親が確定してから、記者会見する?」
と社長。
「そちらは時間が掛かるかも知れないから、今週末くらいに記者会見はやっちゃいましょう」
と真琴。
「分かった。それで手配する」
と社長は言った。
 

フェイの件で打合せがかなり遅くなってしまったため(フェイの体調を考えて打合せは22時で打ち切られた)、青葉はこの日高岡に戻るのは諦め、千里と一緒に経堂に移動し(立川から南武線で移動したので意外に早く着いた)、閉店直前の小田急OXで食材を買ってから帰った。
 
桃香は台所のテーブルの所で眠っていたようだが、千里が鍵を開けたので起きたようである。
 
「ただいまあ」
「あれ?青葉も一緒?]
「私が受けた仕事と、青葉が受けた仕事が、途中で合同になってしまって」
「へ?」
「取り敢えず疲れた。一応食材は買ってきたけど桃香何か買った?」
「あ、えっと、ニルギリの紅茶とケーキを4個」
「4個って誰か来てるんだっけ?」
「いや2個ずつ食べようかと」
「だったら1個ずつ食べて、残りの1個は3分割すればいいね」
 
それで桃香が「千里が最初の1個選んで」などというので、イチゴケーキを取り、青葉がモンブランっぽいのを取り、桃香がオレンジムースっぽいものを取って、抹茶ムースをペティナイフで3分割した。紅茶は千里がお湯を沸かしてティーポットで入れ、ロイヤルコペンハーゲンのティーカップ(5個セットで買ったが1個割って4個残っている)を3個出して注ぐ。桃香は砂糖と牛乳を入れたが、青葉と千里は何も入れずにそのまま頂く。
 
「これ凄くいい茶葉だ」
と千里が言った。
 
「そのあたりはさっぱり分からないけど美味しい」
と青葉。
 
「なんか美味しいなというのは分かる」
と桃香。
 
「ニルギリは元々ミルクティーにするのにいい紅茶なんだよ。だから桃香の飲み方が正解」
「おぉ、そうだったか」
 
「ただ、これかなりいいお茶みたいと思ったから、そのまま味わってみた」
と千里は言っている。
 
「ちー姉、確かニルギリの産地のタミル・ナードゥ州は行ったことあったよね?」
 
「うん。昔バスケットの大会で行った。ただ私が行ったのはチェンナイと言ってニルギリの産地・西ガーツ山脈からは数百キロ離れているんだよ。でもいい所だった。タミル人って日本人とわりと近いんだよね」
 
「へー!」
「タミル語は日本語や朝鮮語と同系統」
「おぉ!」
「なんか風土も日本人には馴染みやすい所だったよ。主食はお米だし、あそこのお米はジャポニカ種に似て粒が短いし」
「一度行ってみたい気もするね」
と青葉は言っている。
「英語がわりと通じるみたいだから、あまり不安は無いと思うよ」
「ほほお」
 

「それで話って何?」
と千里は桃香に訊いた。
 
「あ、えっと・・・」
と言って桃香はチラリと青葉を見る。
 
「ああ、少し席を外しておこうか? ファミマにでも行ってくるよ」
と言って、青葉は席を立ち、出かけて行った。
 
「で何?」
と千里が言うと、桃香はいきなり土下座する。
 
「何よ?何よ?」
と千里は戸惑っている。
 
「実は、赤ちゃん作ったんだ」
と桃香が言うので、千里は
 
「桃香、やはり誰か妊娠させたの?」
と訊く。
 
「あ、えっと・・・誰かというより私が妊娠した」
と桃香は床にそのまま女の子座りして言う。
 
「へー! 別に私に謝る必要なんて無いのに。私たちはお互い恋愛自由というのは最初から言っているし。だから私は桃香の恋路は邪魔してないし、桃香も私の恋愛は邪魔しないし」
 
「いや、それはそうなんだけど・・・」
「でも桃香が妊娠するようなことするって珍しいね。相手は誰?私が知ってる人?」
「そうだな。結構知ってる人かな」
「相手とは結婚するの?」
「いや、それが結婚できない人で」
「不倫?」
「いや実は・・・・相手は女の子なんで」
「なぜ女の子との間で子供ができる?」
 
「千里、私が女の子を妊娠させても不思議じゃないのに、女の子との間で私が妊娠するのは不思議なのか?」
「桃香は精子ありそうだもん。桃香ってきっとどこかで誰か孕ませてる」
 
「いや、その私の相手の子は昔は男の子だったので、その時に冷凍保存していた精子で妊娠したんだよ」
と桃香は言った。
 
千里は腕を組んで顔をしかめた。
 
「ねぇ、その精子って、まさか」
「済まん。千里の冷凍精子を無断で使った」
 
「ひっどーい!それ使うなら、事前に言ってよ」
と千里はマジで怒っている。
 
「いや、事前に言うと、千里は嫌だと言うと思ったんで」
「うん。嫌だ。私、父親にはなりたくない」
「認知はしなくていいから」
「認知・・・私、できるんだっけ?」
「うん。実はそのあたりはよく分からん」
 
「男の子が妊娠したり、女の子が妊娠させたりという状況は、法律は想定してないだろうからなあ」
「それで・・・産んでもいい?」
と桃香は恐る恐る訊いた。
 
千里は頬杖して考えた。
 
「まあ出来ちゃったものは仕方ないけど」
「済まん。それで、申し訳無いけど、今週末くらいに一緒に産婦人科まで来て欲しいんだけど」
「なんで?」
「いや、その精子提供者と一緒に暮らしていると言ったら、お産の時にサポートしてくれますか?と訊かれたんで、サポートしてくれると思うと言うと、じゃ今度一緒に来院してくださいと」
 
「ねぇ、それ人工授精だよね?」
「うん」
「人工授精の時、精子提供者の同意書とか要らないんだっけ?」
「ごめん。偽造した」
「ひっどーい!」
 
「申し訳無い」
とまた桃香は土下座している。
 
「土下座はいいよ。赤ちゃんに悪いよ」
と千里は言った。
 
「そ、そうだな」
と言って桃香は起き直る。今度はお姉さん座りする。
 
千里は手帳を見た。
「私はこの後、4月前半くらいまで、基本的に週末は全部塞がっているんだよ。だから、行くとしたら月曜から木曜の間。但し今度の12日はダメ」
「じゃ・・・13日の火曜日とかいい?」
「14日の方が助かる」
「じゃ14日水曜日で」
「分かった。予定を入れておく」
 
それで千里は手帳に記入していた。桃香は今度はどういう理由で休みを取ろうかと悩んでいた。
 

フェイ(真琴)は9月10日に妊娠したことと、Rainbow Flute Bandsのライブ活動を1年程度休むことを記者会見して発表したが、父親については非公開ということにした。
 
実際には、真琴のボーイフレンド(ガールフレンド?)の中で洋介ことハイライト・セブンスターズのヒロシが認知したいと言ったので、フェイはそれを受け入れることにした。
 
彼は実は8月4日に真琴とセックスしており、本当はこの子供の父親ではない。しかし洋介はたとえそうだとしても自分が法的な父親になりたいと言った。丸山アイ(早紀)も認知したいし、むしろ真琴と結婚したいと言ったのだが、早紀は睾丸がないので、後で揉めるしということで、遠慮してもらった。結婚したいという気持ちについては、ありがたくそのことばは受け止めるけど自分は誰とも結婚するつもりはないのでと言って、柔らかく断った。
 
洋介も早紀も真琴に指輪をあげたいと言った。最終的に真琴は双方の了承を得た上でどちらの指輪ももらうことにした。
 

本当の父親である雅希も話を訊くと認知していいと言った。
 
「でも雅希は戸籍はどっちなの?マジな話」
「どうしてそうなっちゃったかについては説明すると物凄く大変なんだけど、本当に私は戸籍上女なんだよ」
と雅希は言う。
 
「だったら、認知できないよ」
「性別変更すれば認知できると思う。そのための診断書は取れると思う」
 
「だって、女の戸籍で、女として生きて来たんでしょ?他の子が認知してくれると言っているから、雅希はいいよ。それに雅希が男だったなんていったら僕の妊娠以上の大騒動になる」
 
彼女はしばらく考えていたが言った。
 
「分かった。じゃ認知は他の子に任せるけど、養育費は出す。それと違約金払わないいけないでしょ?それも私が出すよ」
 
「じゃ違約金1割だけお願いしようかな。残りは僕が自分で払う」
と真琴は言った。
 
彼女の収入ではさすがに1億円は厳しいはずだ。
 
「じゃ残りはツケということにして」
 

しかしその後、早紀の提案で、真琴・洋介・雅希・早紀の4人が集まって直接話し合った結果、認知するのは洋介に任せるものの、3人ともこの子の父親と思うことにすること、違約金はこの4人で分担(比率は年収比例)すること、出産費用や養育費、それに青葉と千里に依頼した妊娠中の体調コントロールの依頼費も4人で分担することを決めた。また洋介と早紀が指輪を贈ることを聞くと雅希も指輪を贈りたいといい、それも受け入れることにした。
 
「マコ、指輪豊作だね」
「えへへ。3つ並べて左手薬指に付けちゃおう」
 
「だけどこの4人が一度に集まったのは初めてだよね」
「個別にはお互い会ってるけどね」
 
「そうだね。私は君たちのCBFにも出席してないし」
と雅希。
「まあ女の子はわざわざ女湯に入る会に加入する必要は無い」
と洋介。
「私はさすがに男湯に入ったことはない」
と雅希。
 
「実はふだん男湯に入るのは洋介だけだよね?」
と真琴。
 
「まあ普通は男湯に入るよ」
と洋介。
「ごめん。僕はマジで男湯にも女湯にも入る」
と早紀。
 
「ああ、早紀なら男湯にも入れそう」
「真琴はおっぱい大きいから男湯は厳しいでしょ?」
「深夜には男湯にも入ったことあるよ」
「それ危ないよ〜」
「うん。真琴は着衣で男装していると充分男に見えるけど、裸になったら女の子にしか見えないもん」
「それについてはやはり早紀が凄い。裸でも男・女、どちらも自由自在だから」
「その仕組みについて一度追及してみたいのだけど」
「勘弁して〜」
 

「ところでアクアの勧誘の方は進んでる?」
と雅希が訊いた。
 
「あと一押しだと思うんだけどなあ」
 

9月10-12日に八王子市で開かれた全日本実業団バスケットボール競技大会はJoyful Goldが優勝。2位が熊本のクレンズ、3位山形D銀行で、この3者が11月の全日本社会人選手権に進出する。
 

9月14日。桃香は生理が重いのでと言って会社を休み(かなりごちゃごちゃ文句を言われた)、朝から千里と一緒にあきる野市の大間産婦人科を訪れた。 
この日は下北沢から京王井の頭線で吉祥寺に出るルートを使った。経堂から秋川への移動は、南武線を使うルートといったん新宿まで出るルートがすぐ思いつくのだが実はこういうルートもある。
 
秋川駅でタクシーを捕まえ、桃香が目的地の病院名を言った所で千里はびっくりする。
 
「桃香、なんでこんな遠い病院にしたの?」
「うん。ここが長野の水浦産婦人科と協力関係にあるからだよ」
「へー!」
 
要するに非常識な妊娠に理解があるのかな、と千里は思った。
 
それでふたりで一緒に病院に入っていくが、千里は先週ここに数回来ているので、受付の人が「あら?」という顔をした。
 
診察室に一緒に入る。大間先生も一瞬「あれ?」という顔をしたものの、特に何も言わずに桃香の診察をした。
 
今日も経膣でプローブを入れる。
 
「かなり大きくなってますね」
「動いてますね」
「ええ。もう心拍がありますね」
「いわゆる魂が入った状態ですね?」
「そうです。昔からこのくらいの時期に赤ちゃんには魂が入ると言われていたのですが、医学的に言うと、心臓が形成されて稼働し始める時期なんですよ」
と大間先生は言う。
 
この日千里は医師の前で、確かに自分の子供なので、ちゃんと面倒を見ること、性別を女性に変更しているので認知はできないものの、父親として責任を持つこと、桃香の出産に関しても全面的にサポートすることを言った。
 

病院を出た後は、書いてもらった妊娠診断書を持って小田急豪徳寺駅まで移動し、世田谷区役所に隣接した総合支所に行って、妊娠届を書いて母子手帳をもらった。診断書は見せたものの特に必要無いと言われた。このあたりは自治体によって様々のようである。
 
「そちらは妹さんですか?」
「この子の父親なんですが」
「ご冗談を」
 
区役所を出てから桃香が千里に小声で言う。
 
「ね、ね、赤ちゃんの心臓が動き出した記念に今夜はセックスしない?」
「当面セックスは拒否。私、怒っているんだからね」
「ごめーん」
 
「ついでに他の女の子とのセックスも禁止。この時期にセックスするのは、赤ちゃんによくないよ。隣の部屋で地震が起きてるようなもので、びっくりしちゃうもん」
「そういえばそうか」
と桃香も少し自省しているようであった・
 

貴司たちバスケット男子日本代表チームは9月9日から18日までテヘランでFIBA ASIA Challengeという大会に出ていた。この大会は直接はワールドカップ進出には関係無いものの、この大会で上位5位に入ったチームが所属する“サブゾーン”に来年のアジアカップの枠が追加されることになる。つまりここで上位に入ることによって、アジアカップ、ワールドカップに(そして結果的に東京五輪にも)行きやすくなるという仕組みである。 
貴司たちは6日に成田からテヘランに移動したが、頼まれたハガキは到着してすぐ空港内のカウンターで切手を買って出し、そのあとホテルに着いてからフロントで切手を買って出した。ホテルで買った切手の方が安かったので何でだ?と思った。
 
この大会では貴司も12日のイラク戦に出してもらい貴重な勝ち越し点を挙げてチャンスに強い所を見せた。日本は何とか決勝トーナメントには進出したものの、ヨルダンに敗れて5−8位決定戦へ。インドに辛勝して5−6位決定戦に進み、最後は中国に敗れて6位に終わった。この大会の最終順位はこうなった。 
1位イラン(西アジア、2位韓国(東アジア)、3位ヨルダン(西アジア)、4位イラク(西アジア)、5位中国(東アジア)、6位日本(東アジア)、7位インド(南アジア)8位台湾(東アジア) 
結果的に西アジアが3つ、東アジアが2つ枠を増やすことができた。これで日本がアジアカップに出場できることはほぼ確実になった。結果的に見ると5−8位決定戦で南アジア枠のインドに日本が勝ったのが大きい。最終戦は同じ東アジア枠の国同士の戦いなので、枠争いには無関係である。
 
男子日本代表は9月20日(火)に帰国する。
 

その20日。
 
大阪千里のマンションで、阿倍子は少し体調が良かったので、今日は貴司が帰ってくるし、お部屋の掃除でもしようと思って、京平を最近はもう使っておらず物置と化しているベビーベッドの上に座らせた上で朝から全室に掃除機を掛けていた。
 
居間の掃除をして、寝室の掃除をして、貴司が寝る場所として使っている書斎(バスケット関係の雑誌や書籍、ビデオなどを納めた棚が3つある)の掃除をしていた時、阿倍子はその紙袋に気付いた。
 
それは本棚の裏にひっかかるようにして途中で止まっていた。元々は棚の上にあったのかも知れないが、何かの拍子に落ちかけて、壁との隙間で途中停止したようである。
 
何だろうと思って開けてみると女物の下着が入っている。
 
阿倍子はかぁっと頭に血が上った。
 
千里に電話する。
 
「おはよう。阿倍子さん」
「千里さん、やはり貴司と浮気したのね?」
「え?何の話?」
「だって、貴司の部屋に女物の下着があったよ」
「嘘!?」
 
千里は確かに貴司にパンティを2枚あげた。でもそれはテヘランに持っていったと思っていたのに。
 
「ねえ、阿倍子さん、そこに何の下着があるの?」
「パンティ2枚とブラジャー1枚」
 
やはり変だ。ブラジャーはあげていない。もっとも貴司が勝手に持っていった可能性はあるが。
 
「ねえ、そのサイズは?」
「えっと・・・・パンティはL、ブラジャーはA95かな」
「それ私のサイズじゃないよ。私、パンティはMだし、ブラジャーはD70だよ」
「千里さんのじゃ・・・・ない?」
「だいたいA95って何?そんなブラを着ける女性がいるとは思えない。普通はアンダーが95もあって、カップがAってあり得ないよ。もしかして着けてたのは男じゃないの?」
「まさか、貴司が女装に使ったのかしら?」
「貴司ならパンティはLでも入らないと思う」
「確かに」
 
「ねえ、私もその下着見たい。そちらに行っていい?」
「あ、うん。千里さん、今どこ?」
「東京にいるけど、新幹線で駆けつけるよ。1時くらいまでには着くと思う」
「分かった」
 

それで千里は《すーちゃん》に今日のレッドインパルスの練習の代役を頼み(そんなの無理だよぉと言うのを強引に押しつけた)、《こうちゃん》に新横浜駅に運んでもらうと、9:29の《のぞみ》に飛び乗った。11:40に新大阪に到着。12時すぎに貴司のマンションに到着した。エントランスの所で阿倍子のスマホに電話を掛け、中に入れてもらう。
 
「これ私の趣味じゃないよ。私、こんなフリルの付いたパンティとか穿かないよ」
と言って千里はスカートをめくって今穿いているパンティを見せてあげる。 
「私バスケットするから汗掻くでしょ?だからコットンのシンプルなのを穿くんだよ」
「確かにこういうの千里さんの趣味ではない気がする」
「ブラも見せてあげようか?」
と言って、服をめくってブラのサイドベルトをひっくり返してタグを見せてあげる。
 
「ほんとD70だ。確かに千里さん、おっぱい大きいからAカップなんて入らないよね?」
「うん。Aなんてつけてたのは中学生頃だよ」
 
と千里が言うと、阿倍子は何か考えているようだった。
 
「ということは、これは千里さんのではない。そして私のでもない」
「貴司が着けるには、パンティが小さすぎる。これではおちんちんを収納できないよ」
「あの人、ブラを着けるとしたらいくらだろ?」
「貴司は胸囲は102-3cmあったはず」
「じゃA90ではホックが留められないね」
「だと思う」
 

ふたりは顔を見合わせた。
 
「結論。これは貴司の浮気相手の下着だ」
と千里は言った。
「やはりそういうことになるよね?」
と阿倍子。
「それも多分これ男の娘だよ。A90が入るというのは結構細身の男の子だと思う」
「あの人、男の娘と浮気したりするんだっけ?」
「あいつけっこう、そのあたりが怪しいよ」
 
「貴司、何時頃帰宅するかな」
「それまで一緒に居ていい?」
「うん」
 
千里はたぶん初めて阿倍子と握手した。京平がどうなってんだ?という顔をしていた。
 
「ママとちさとおばちゃんってなかよし?」
と京平が訊く。
「今日だけはね」
と千里は笑顔で言った。
 

貴司たちは朝成田に到着したものの、そのあと記者会見や挨拶まわりなどを経て、13時過ぎに解散した。
 
14時の新幹線に乗り、16時半頃新大阪に到着する。地下鉄に乗り継いで17時すぎ、ちょっと疲れたなと思いながらもマンションに帰着する。そして玄関を開けてギョッとする。
 
阿倍子と千里が並んで座ってこちらを怒ったような顔で見ているのである。こんな情景が存在し得ることを貴司は想像もできなかった。
 
「貴司、そこに座って」
と千里が言う。
 
「あ、うん」
と言って、貴司は靴を脱いでから床の上に座る。
 
「これ何?」
と阿倍子が言って、問題の下着を見せる。
 
「あ・・・」
と言って貴司は焦っている。
 
「自分で白状する?それとも私に拷問されたい?」
「拷問?」
「おちんちんに包丁を突きつけて正直に言うまで力を緩めない」
「千里の力で押しつけられたら、ほんとに切れちゃうよ!」
「切られたくなければ正直に言うのね」
と阿倍子。
「もっとも正直に言っても罰として切り落とすかも知れないけど」
と千里。
 
「待ってくれ〜!」
 

すると京平が言った。
「パパ、おちんちんきるの?」
「もしかしたらね」
と千里。
「おんなのこになるの?」
「もしかしたらね」
と阿倍子も言った。
 
「パパ、スカートはく?」
「はくことになるかもね」
「ぼくもスカートはいてみたいなあ」
「京平、スカート穿きたかったら今度買ってきてあげようか?」
と千里が言うと
「うん」
と京平は嬉しそうに答えたが、阿倍子はやや不快そうな顔をして
「スカートくらいママが買ってあげるから」
と言った。
 
しかし京平は急に不安になったようで言った。
「ぼくもおちんちんきるの?」
 
「京平は子供だからちんちん付いててもスカート穿いていいんだよ」
と千里がいうと
「よかった」
と言って京平は笑顔になった。
 
 
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