【春産】(2)

前頁次頁目次

(E)Eriko Kawaguchi 2017-03-26
 
「赤ちゃん、私が抱っこします」
と言って青葉が赤ちゃんを受け取った。青葉はかなり衰弱しているこの赤ん坊に、そっと、そっと、パワーを注ぎ込んであげた。身体をスキャンしてみるがどこか傷んでいるような所はないようだ。
 
警備員さんは部屋の鍵をいったん閉めたあと、車に戻る。
 
「杏梨、免許持ってたっけ?」
「ううん」
「だったら、杏梨、赤ちゃんの方を頼む。警備員さん、病院に連絡してください。私が運転します」
と青葉は言った。
 
「OK」
と言って杏梨が赤ちゃんを受け取る。
 
「じゃお願いします。ここなら多分、医大に運ぶのが早い」
と警備員さん。
 
「ですね。そちらまで運転します」
 
と言って青葉は言って運転席に就き、車を出す。助手席に警備員さん、2列目に赤ちゃんを抱いた杏梨と、ジャネ・筒石が乗る。この2人はさっきまでビールを飲んでいたので運転できない。
 
警備員さんが医大病院の救急受付に連絡すると、取り敢えず見ましょうということになった。青葉の運転で、車は5分もしないうちにK医大病院に着く。救急入口の所に車を着ける。赤ちゃんを抱いた杏梨、青葉と警備員さんが中に入る。すぐに救急処置室に赤ちゃんは運び込まれた。
 
当直医は既にスタンバイしてくれている。警備員さんが簡単に状況を説明する。 
「分かりました。かなり衰弱しているようですが、心音はしっかりしています。取り敢えず点滴しましょう」
と言って、処置を始めた。
 
そして青葉も引き続き赤ちゃんにパワーを注ぎ込み続けた。
 

「ねえ、これちょっと考えたんだけど」
と筒石さんが言う。
 
「これもしかして、女の幽霊が毎晩俺の所に来て、赤ん坊に飲ませるものを求めていたのかなあ」
 
「そうだと思いますよ」
と青葉は言った。
 
「飴買い幽霊の話と同じですね」
と杏梨。
 
「でも俺、幽霊なんて信じてないのに」
と筒石は言ったが
 
「だけどコンちゃん、4月には幽霊の女と付き合っていて、セックスまでしたのでは?」
などとジャネが言う。
 
「う、そうだった! 俺幽霊に好かれるんだろうか?」
「それはあるかもね〜」
と言ってジャネは笑っている。
 
“マソ”も完璧に開き直っているなあと青葉は思った。
 

それで15分ほどした時に、応援の警備員さんが救急入口の所に到着した。 
「アパートの方の作業をしたいのですが、どなたか向こうにご同行頂けませんか?」
と言われる。
 
「俺は行ったほうがいいだろうな」
と筒石さん。
「コンちゃんだけでは、たぶん警察は信用しないよ。私は赤ちゃん助ける方では役に立たないから私も行ってくる。赤ちゃんの方は青葉と杏梨ちゃんお願い」
とジャネさん。
 
「分かりました。必要なら私も呼び出してください。それと私の身分に関しては高岡警察署の春脇警部補に照会してください。そしたら信用してもらえると思います」
と青葉は言い、何度か微妙な事件で関わりになって、青葉が捜査協力したこともある、刑事さんの名前と電話番号を自分の《心霊相談師・川上瞬葉》という名刺の裏に書いて渡した。
 
「分かった。この人に連絡することになるかも」
 

それで青葉と杏梨が赤ちゃんの方には付いていた。緊急対応してくれたのは内科医だったのだが、20分もしないうちに産科医も来てくれて、一緒に応急処置をしてくれた。
 
「何とか危機は脱したようですね」
と病院に来てから1時間ほどした所で2人の医師は言った。
 
「この子、産まれてから数日だと思うけど、いつ産まれた子か分かりますか?」
と産科医が訊く。
 
「ある理由で8月10日と断定できます」
と青葉は答える。
 
全国公が17-18日に行われた。その前夜16日夜に、女の幽霊は「お金が無くなった」と言って、タダでスポーツドリンクを恵んでもらっている。その前は毎日10円玉を筒石に渡してスポーツドリンクをもらった。つまり女の幽霊は10日から15日に掛けて“三途の川の渡し賃”の6枚の十円玉を使用したのである。従って、女が亡くなったのは10日と考えられるのである。
 
昔は三途の川の渡し賃に1文銭を6枚棺桶の中に入れて埋葬していた。現代では1文銭の代わりに十円玉を6枚入れることが多い。この女性は正式に葬儀をされた訳ではないが、やはり慣習に従って十円玉6枚を使うことができたのだろう。
 
「すると、この状態で8日間生き抜いたのか。凄いな」
「母親は産むのとほぼ同時に亡くなったか、あるいは死後出産したものと思われます」
「しかし何も摂らずに生きていたとは思えないのだが」
 
「先生は科学者ですから、信じられないかも知れませんが、母親が幽霊になって近所の住人にスポーツドリンクを恵んでもらっていたんですよ」
 
と言って、青葉は筒石が言っていた話をした。
 
「うーん・・・・」
と言って、産科医も内科医もうなっている。
 
「飴買い幽霊のような話か」
「はい。実はその住人の話をきいて、これは絶対赤ん坊がいると思って、その幽霊の帰る場所を見て、この子を発見したんです」
 
「君も幽霊を見たの?」
と医師が訊くので、青葉は杏梨に
 
「見えなかったでしょ?」
と訊く。
 
「私には見えなかった」
と杏梨は言う。
 
「普通の人には見えないと思います。私は霊能者なので、霊体の存在だけはキャッチしました。それでその霊体の動きを見ていたのですが、対応していた住人さんだけに、その女の姿が見えていたようです」
 
「いわゆる、見入られた状態だね」
「だと思います。それで、その住人が貧乏性なのでスポーツドリンクを通常の倍くらいに薄めていつも飲んでいて、それで母親の幽霊にもその習慣でふつうの半分の薄さのスポーツドリンクを渡していたんです」
 
「大人用のスポーツドリンクはそのまま飲ませると乳児には濃すぎるんだけど、確かに2〜3倍に薄めると、何とか飲めるんだよ」
と産科医が言った。
 
「たぶん現代では飴買い幽霊の昔話で赤ちゃんに舐めさせた飴以上に赤ちゃんに優しい飲み物でしょうね」
 
「まあできたら赤ちゃん用に調整されたスポーツドリンクの方がいいんだけどね」
 

警察はアパートから発見された女性の遺体を結局、赤ちゃんが収容されたのと同じK医大病院に運び、司法解剖した。その結果、女性は何らかの外傷で亡くなっていたことが分かった。死亡したのは、夏季で腐敗が進んでいたこともあり精度が低いものの、8月9-11日頃と推定された。青葉が推測した8月10日というのが医師の見解とも一致したことになる。
 
「外傷というと、殴られたりしたものですか?」
と尋ねられて、解剖医はかなり悩んだ末に
 
「たぶん車にはねられたのではないでしょうか。もしかしたら接触した程度だったかも知れません。それで本人も平気な気がして自宅まで戻ったものの、そのあと急変したといった状況かも知れません」
 
と言った。
 
それで亡くなったものの、そのショックでお産が始まり、出産に至ったのであろうということであった。
 
警察はそのはねた車の捜索、そして彼女の縁故者の調査とを並行で進めた。 
予想通り、警察は筒石の話を最初信用せず、彼が死んだ女性と何か関わりがあったのでは、あるいは筒石が彼女の恋人なのではと疑った。しかしジャネが 
「彼がその女性と関係あった訳がありません。私がこの人の恋人ですから」
と言ったので、その疑いは晴れる。
 
念のためジャネが渡したメモに基づき、捜査班は高岡警察署の春脇警部補に連絡を取り、青葉が「本物の霊能者でしばしば警察の捜査にも協力してくれている」ということが分かる。そして青葉にも事情を聞いた所で、やっと県警は筒石の関与に関する疑いを解いてくれた。
 
「亡くなった池川さんには、家族が居なかったようなのですよ。戸籍を確認したのですが、ご両親も亡くなっておられるし、ご兄弟もおられないようで。そのご両親にも兄弟がいないようで」
 
とこの事件の担当者になった金沢西警察署の40歳くらいの巡査部長・橋本さんは青葉に言った。どうも青葉が霊能者と聞いて、何か青葉から情報が引き出せないかと、こちらにも状況を説明してくれたようであった。
 
「すると赤ちゃんはどうなるのですか?」
「取り敢えず退院したら乳児院に引き取ってもらう方向で交渉しています。一方で、この女性の彼氏について、女性の勤め先とかで訊いても誰も知らないようで。そもそもこの人が妊娠していたこと自体を誰も知らなかったようなのです」
 
「それはまた凄いですね」
「もともと太った体格だったので、目立たなかったようですね」
「あぁ」
 

青葉が病院とアパートと警察の間を何度も往復して、くたくたになって自宅に戻って来たのは19日も夕方である。
 
「疲れたぁ」
とさすがの青葉も言って、居間の畳の上に大の字になった寝転がる。
 
「あらあら。でも本当にお疲れさん。青葉にしては女の子らしくない格好だ」
と母が青葉をねぎらうとともに少しだけ注意する。
 
「1時間くらいなら性転換して男に戻ってもいい」
「手術しちゃおうかしら」
「お母ちゃん、手術できるの〜?」
 
「でもあんたテレビにまで出てたね」
「うん。発見者さんにインタビューさせて下さいとかテレビ局さんが言ってたし。発見者グループでそういうのに応じて、言っていいことといけないことを区別して話せるのは私だけだと思ったら応じた」
「どうもややこしい状況だったみたい」
 
「うん。あれはまともに話すと発見者が色々疑われる」
「あんた、そういう微妙な話の対応が割とうまいもんね」
「鍛えられてるからね」
 
やっと起き上がってから、母が甘い紅茶を入れてくれたので、もらって飲んでいたら、青葉のスマホが鳴る。見ると桃香の昔の恋人で、この春に青葉の通学服選びに協力してもらった優子さんである。あの時、何となくノリで携帯の番号を交換しておいたのだが、まさか電話が掛かってくることがあるとは思いも寄らなかった。
 
「はい」
「う、うまれそうなの。ごめん。助けてくれない?」
 
「行きます!」
 

それで青葉は疲れているだろうしということで、朋子が自分のヴィッツで走ってくれた。青葉が助手席に座り、優子と連絡を取りながら詳しい住所を聞く。《蜻蛉》をサポートのため先行してそちらに飛ばした。
 
青葉たちが行くと、優子は既に破水しているようであった。
 
「ご両親は?」
「お盆なんで、福井の母の実家に行っているんです。私がまだ大丈夫だよと言ったもので」
「予定日はまだだいぶ先だったんですか?」
「9月16日だったの」
「まだ1ヶ月先の予定だったのか!」
 
「とにかく病院に運ぼう。かかりつけの産婦人科は?」
「○○産婦人科というところで。そこのバッグの中に診察券が」
 
それで後の便を考えて、優子のソリオの後部座席に、青葉の自宅から持参したブルーシート(未使用)を敷き、その上に優子を乗せて、その病院まで行った。優子を車に乗せるのは
 
「お母ちゃん、ちょっと目をつぶってて」
と言って、海坊主に抱かせて運び入れた。
 
車内からその病院に
「今にも産まれそうなんで、お願いします。今そちらに連れて行きます。既に破水しています」
と連絡する。
 
そして車を病院の玄関につけると中の受付に行って、来たことを言う。 
すると看護婦さんたちが出てきて、男性のお医者さんが優子を車の座席からストレッチャーに移し、そのまま分娩室に運び入れた。
 
赤ちゃんは1時間もしない内に産まれた。結果的にはかなりの安産であったようだ。
 
元気な女の子の赤ちゃんだった。
 
「私、男嫌いだから、万一男の子が生まれたら、性転換して女の子に変えちゃおうかと思ったんだけど」
などと優子が言うので
 
「そういう冗談が出るなら大丈夫だね」
と医師は笑って言っていた。
 
しかし優子の場合は、冗談ではなかったかも知れない!
 

「私がご両親とか彼氏とかに連絡しますよ」
と朋子が言うので、優子は
 
「済みません。お願いします」
と言って連絡を頼んだ。
 
それで朋子は福井に行っている優子の母にまずは連絡した。向こうはびっくりしたようで「すぐに戻ります」と言っていた。その後、朋子は赤ちゃんの父親で優子の“元彼”という川島信次に電話した。
 
朋子はこの時、話した相手のことを覚えていたので、1年後に彼が千里の婚約者として登場した時かなり驚いた。そしてその時はたぶん桃香との関連で千里と知り合ったのだろうと思っていた。
 
(実際には桃香は優子の元彼=この子の父親の名前を聞いていない)
 
朋子は結局、信次に子供がいることを千里本人が自分で気付くまで千里に話さなかった。そして青葉はこの時、優子のスマホの画面を見なかったし朋子は名前を発音しなかったので、赤ちゃんの父親の名前が川島信次ということを青葉も全く知らなかった。
 

青葉は何とかして、亡くなった池川さんの彼氏を見つけてあげたいと考えた。それで色々考えた末、金沢市内の「飴買い幽霊」の伝説の残っている5つの寺を回ってみることにした。
 

 
地図に5つの寺をプロットしてみると、瑞泉寺(白菊町)、西方寺(寺町五丁目)、立像寺(寺町四丁目)の3つはすぐ近くであることが分かる。先日行った道入寺(金石西三丁目)は海岸近く、もうひとつの光覚寺(山の上町)は旧国道8号線(現在は国道359号)城北大通り沿いにある。
 
近くにある3つは瑞泉寺から西方寺へが600m, 西方寺から立像寺までが500mほどである。この3つのお寺がある地域は、寺町寺院群と呼ばれている。
 
加賀前田家では、前田利家公自身もさんざん手を焼いた仏教勢力を管理するため近辺のお寺を金沢城下周辺の3つの地域に集め、まとめて管理した。それがこの寺町寺院群、それから金沢市東部の卯辰山寺院群、そして金沢市南東部の小立野寺院群である。光覚寺は卯辰山寺院群である。
 
青葉はこの日、アクアに最近購入したルノーの軽量折畳み自転車Ultra Light 7(7.5kg 14inch)を積んで行った。金沢市中心部の駐車場に車を駐め、自転車を降ろして、まずは寺町まで走る。
 
最初にいちばん北側の瑞泉寺に行った。ここは真宗大谷派のお寺で、寛永年間(1624-44)に創建されている。ここの伝説は調べてみたもののよく分からなかった。 
続いて西方寺に行く。
 
実は金沢市内に西方寺というのは3つある。この寺町寺院群の西方寺、卯辰山寺院群の西方寺(森山1丁目)、そして小立野寺院群の西方寺(扇町)である。扇町と森山のは真宗大谷派であるが、寺町の西方寺は天台真盛宗のお寺である。西方寺という名前自体は、わりとありがちな名前なので、多分偶然の一致だろうと青葉は考えた。
 
寺町の西方寺は、元々は福井県越前市にあったのを天正12年(1584)にそこの住職を金沢に招聘したため結果的に金沢城付近に移転。その後更に元和2年(1616年)にこの地に移転した。
 
ここには「飴買い地蔵」の伝説が残る。
 
妊娠中の女性が亡くなり葬られたのだが、墓の中で子供が産まれてしまった。それに気付いたこのお寺のお地蔵さんが飴を買いに行って、その子供に与えていたというのである。それがやがて、このお地蔵さんは子供を助けてくれるという話から、更にこのお地蔵さんの顔を削って!子供に飲ませると、子供の病気が治るなどという噂までたち、随分削られてしまった。まるでアンパンマンである。お陰でこのお地蔵さんは現在、目も鼻も耳も無く、のっぺらぼうになってしまっている。
 
青葉はこのお地蔵さんにもお参りしてきた。
 

更に2分ほど走って立像寺(りゅうぞうじ)まで行った。ここは日蓮宗のお寺である。元々は富山にあったお寺で、天正11年(1583年)に現在の片町付近に移転。更に元和2年(1615年)に現在地に移転したらしい。ここは金沢市最古のお寺とも言われている。
 
ここの伝説もよくは分からなかった。
 
立像寺から光覚寺(こうがくじ)までは4km弱である。青葉は自転車で走っていくが、町の中心部を突っ切るため信号が多く、けっこう時間が掛かった。30分ほど掛けて到達する。
 
ここは浄土宗西山禅林寺派のお寺である。現在は卯辰山寺院群にあるのだが、最初は金沢城の北側・大手門付近の塩屋町と言われた場所にあり、その後、現在地に移転したらしい。塩屋町というと、実は例の俵屋さんのある小橋の近くなのだが、塩屋町にあったのは江戸時代初期で、俵屋の創業は江戸時代末期なので、さすがに両者に直接関わりがあったとは思えない。なお現在の光覚寺は俵屋から1kmほどの距離になる。
 
ただ、5つの寺の中で、この寺が俵屋にいちばん近いのは確かである。 

青葉は俵屋にも行ってみることにした。国道を渡り、狭い道を下っていく。ここがずっと下り坂になっており、どうもこの坂が「あめや坂」のようである。右手に小学校を見る。夏休み中だが、野球部の子たちが練習しているのを見た。多分この小学校付近から光覚寺の所までが、あめや坂だったのだろう。現在は途中が国道で切断されてしまっている。
 
子供たちの練習を見ていて、そういえば、こないだまで高校野球もやっていたよな、というのも連想した(実はまだ開催中だが野球に興味のない青葉は既に終了していると思い込んでいる!)。今年の富山県代表は富山第一で富山商に勝って甲子園進出。1回戦は勝ったものの2回戦で広島新庄に敗れた。また、石川県代表は松井秀喜の母校・星陵高校で、能登の航空石川を破って甲子園に進出したが1回戦で市立和歌山に敗れてしまった。石川県大会の決勝を戦った航空石川(別名二高)も7年前に石川県代表になっている強豪高である。そういえば航空石川は女子バスケも強かったな、というのまで青葉は考えていた。 
唐突に青葉は星稜高校に行った、中学の同級生・奥村君に連絡を取ってみたくなった。電話してみると、向こうはびっくりしていた。何と言っても電話したのは3年半ぶりである。
 
「今、どこにいるんだっけ?」
「僕、K大に入ったんだよ」
「え〜〜!?じゃ私と同じ大学か。どこの学科?」
「川上もK大なの?僕は計算科学コースなんだけど」
「数物科学類?」
「うん。将来的にはSEになりたいなと思って。川上はどこ?」
「私は法学類」
 
「弁護士になるの?」
「ううん。公共政策コースで、マスコミ、実際にはテレビ局のアナウンサーか記者を狙っている」
「川上は美人だから、裏方の記者ってのはありえない。記者採用だとしてもたぶん頻繁にレポーターとして画面に映されるよ」
「実はその線も狙っている。アナウンサーってあまりにも狭き門だから」
 
「なるほどー。そうだ、川上、ちゃんと女子大生になれた?」
「うん。私は学籍簿上女子になっているよ」
「戸籍上の性別は変更したんだっけ?」
「それは来年の5月までできないんだよ」
「大変だなあ」
 
ここで青葉は悪戯心が起きた。
 
数物科学類なら、杏梨と同じ学類じゃん。
 
「奥村君、今、何かクラブ入ってる?」
「何も。僕、学費稼ぎで毎週3日居酒屋さんのバイトしてるから、とてもクラブ活動までできないよ」
 
青葉はさっきから奥村君と話していて微妙に感じていた違和感にやっと思い至った。彼は中学時代は自分のことを「俺」と言っていた。しかし今彼は「僕」と言っている。3年の間に何か心境の変化でもあったのだろうか。それとも普段は「俺」と言っているものの、しばらく会っていなかった自分と話しているので少し遠慮して「僕」になっているのだろうか。ただ青葉は彼の口調自体が凄く柔らかなのも感じていた。
 
「奥村君って、中学の時、水泳部だったよね?」
「あ、うん。でも高校3年間は全然やってないし。高校時代はひたすら受験勉強してた」
「たいへんだったね〜」
 
などと言いながら、杏梨に奥村君を勧誘させちゃおう、と青葉は考えていた。 

「でもどうしたの?急に」
「いや。今ちょっと調べ物をしていて、小学校のそばを通ったら、小学生が野球の練習しててさ。それでそういえば今年の甲子園代表は星稜高校だったなと思って、それで奥村君のことを連想して、何となく電話してみたくなった」
 
「寄付のお願いと、甲子園に行っての応援する人の募集もあった」
「ああ」
「まあお世話になったしと思って、でも金無いから5000円だけ寄付した。甲子園まではとても行けないから応援はパス」
「いや5000円でも充分ありがたいと思うよ。5000円を1000人が寄付すれば500万だもん」
「うん。実は僕んとこに電話掛けてきた人もそんなこと言ってた」
「なるほどー」
 

奥村君との電話を切った後、そういえば、うちの高校は今年どうなってたっけ?と唐突に考えた。それで水泳部顧問の金子先生に電話してみる。
 
「今インターハイで広島に来ているんだよ。今日から4日間なんだけどね」
と金子先生。
「きゃー!すみません。確か寄付のお願いの葉書が来ていた気がしたのに、まだ全然寄付してなかった」
と青葉はマジで謝りながら言う。
 
「えーっと、今からでも寄付してくれるなら歓迎」
「だったら取り敢えず10万くらい振り込みましょうか?」
「そんなに大丈夫!?」
「私、昨年は凄い額の税金取られたんです。今年もかなり払わないといけないから。学校に寄付すれば、税金安くなるもん」
 
「ああ。でもそんなに寄付してくれるなら、今からでもどこかのプールを練習用に借りようかな」
「借りて下さい。かかった費用、全部私が出します。直接先生の口座に振り込んでもいいですよ」
「よし。すぐ借りられるプールがないか調べてみる」
と金子先生は言っていた。
 

青葉は自転車で俵屋さんまで行き、そこで「じろあめ」を買い求めた。それをリュックに入れて、車を駐めた駐車場まで更に自転車で戻る。自転車を車の荷室に入れていた時、金子先生から電話があった。
 
「隣の廿日市市のプールに2時間枠が幾つか空いていた。1枠2万円するんだけど」
 
「だったら、その貸し切り料金と部員さんの往復運賃で4日分20万くらい振り込みますよ。先生の口座番号教えてください」
「分かった。じゃ後日そのあたりのお金の流れはきちんと整理することにして」
 
ということで先生が教えてくれた口座に、青葉は電話を切るとすぐにスマホを操作して念のため30万円振り込んだ。それであらためて先生に電話して予備も含めて30万円振り込んだことを告げた。
 
「余った分はその後の水泳部の強化費用に使ってください」
「分かった。活用させてもらうよ。領収書は学校に戻ってから校長と話して発行するから」
「分かりました」
 
「でもこれ凄く助かるよ」
「いや、昨年は私、インターハイ行ってても現地であまり練習できなかったし」
「それもごめん!」
 

「だけど、どうして突然思い出したの?」
 
「いや、話せば長くなるので、先生、プールを先に予約してください」
と青葉は言った。
 
「分かった」
 
それでいったん電話を切った。
 
青葉は帰ろうかとも思ったのだが、運転中に電話が掛かってくると対応できないので、そのまま運転席で待っていた。先生からの電話は15分後に掛かってきた。枠を4日間で6枠押さえたと言っていた。
 
それで青葉は、まずは10日ほど前に起きた(と思われる)交通事故の結果、車に接触した女性が死亡したが、その女性が死後出産して赤ちゃんを産んでいたのを青葉を含む、大学の水泳部のメンバーが発見したのだと「前提状況」を説明した。 
それで死亡した女性に身寄りが全く無いので、ともかくも彼女と付き合っていた男性=たぶん赤ちゃんの父親を探していること。それでヒントを求めて市内を自転車で移動していた時、たまたま小学生が野球の練習をしているのを見て、それで甲子園を連想し、そこからインターハイのことを思い出して、そういえばそろそろインターハイではなかったかと思って連絡したのだと言った。 
「なんか複雑な状況で思い出してくれたんだね」
「すみませーん!」
「いやでもこちらは助かった。しかしそちらも大変だったんだね」
「うまく見つかればいいんですが」
 
「しかしそれってさ、彼氏の方もその時、一緒にはねられたってことはないのかね?」
「あっ・・・」
 
「そちらもどこかで死んでいたりして」
「ちょっと待って下さい」
 
青葉はスマホをいったん助手席に置くと、バッグから愛用のタロットを取り出し1枚引いた。
 
剣の4!?
 
入院中だ!!!
 
「今タロットカードを引いたら、入院中というカードが出ました」
「なるほどねぇ。だったら病院を探してみた方がいいかもね」
 
「ちょっと警察の人に言ってみます」
「うんうん」
 

それで青葉は橋本さんに連絡してみようと思ったのだが、金子先生との電話を切った後、奥村君から伝言が入っているのに気付く。
 
電話してみる。
 
「今思い出したんだけど、今朝、金沢市内で女性が死亡していて赤ちゃんが残されていたのを大学生数人が発見して病院に運んだというニュースが流れていたけどさ。あの時、インタビューに応じてたのが、顔は画面上隠してあったけど、なんか話し方が川上に似てる気がしてさ」
 
「うん。あれは私。でも大変だったよ。それで実は今、その女性の彼氏、そしておそらくその生還した赤ちゃんの父親になる人を探しているんだけどね」
 
「実はさ、僕の住んでいる伯母ちゃんちの近くのアパートで一週間くらい前に自殺騒ぎがあってさ」
 
「え?」
 
「30歳くらいの男がガス自殺しようとしたんだけど、ガスの臭いがするのに気付いた隣の住人さんがガス会社に通報して、それでガス会社の人が緊急だからというので窓ガラスを破って進入して、結果的に救出したんだよ」
 
「それ凄く迷惑。ガスが上の階に漏れて、上の階の住人がガス中毒になる場合もあるし、万一引火して爆発したら、周囲がみんな巻き添えになる」
 
「僕もそれ思った。でも川上、よく下の階じゃなくて上の階に被害が及ぶって分かるね」
 
「都市ガスはメタンで分子量16だから空気より軽い。プロパンガスは分子量44だから空気より重い。空気の平均分子量は28.8。高校で習ったでしょ?」
 
「習うけど、みんな忘れているよ」
「かもねー」
 
「でさ、その自殺しようとした住人は、ガス中毒で入院していたんだけど、昨日意識回復して『彼女が死んでしまったから自分も死のうとした』と言ったらしいんだよ」
 
「ちょっと待って」
 
「警察がその死んだ彼女ってどこにいるんだ?と訊こうとしているけど、まだ本人の意識がクリアじゃなくて、なかなか話が通じないみたいなんだよ」
 
「それどこの警察署?」
「僕の住んでいるのは森本でさ、だから金沢東警察署の管轄だよ」
 
管轄が違うのか〜!と青葉は思った。池川さんの事件は金沢西警察署の担当である。
 
「それたぶん関係していると思う。すぐこちらの事件の担当さんに連絡してみる」
と青葉は言ったのだが、奥村君はそれを停めた。
 
「それって川上がこちらの事件に気付いた経緯を説明できないよ。だから僕が警察に連絡しよう。あの自殺未遂の人が言ってた《死んだ彼女》って、例のテレビで報道されている死後出産の女性のことではないですか?って」
 
「確かにこちらからの説明は難しいかもね。分かった。お願い」
「了解」
 
それで奥村君はすぐに東警察署に電話して、情報提供したようである。 

この事件は、K大病院に入院している男性・島下さんに警察が聴取した所、彼女の名前が池川魅好であることが確認され、ふたつの事件がつながった。彼が自殺未遂を起こしたのは11日で、彼は10日の夜8時頃、彼女のアパートに行ったら、彼女が死んでいたので、呆然としてそのまま自宅に帰り、それから自分も死んで彼女の後を追おうとしたらしい。
 
彼が9日夜から10日朝に掛けて泊まり込みで魅好さんとデートしていたことから、池川さんの死亡日が10日であることが確定した。
 
島下さんは、死亡した池川さんが、死後出産し、その子供が元気であることを聞かされると、物凄く驚き、だったら自分は早く身体を回復させて、その子のお世話をしてあげなければと言っているらしい。入院中も自分は死にたい、彼女と同じ所に行きたいとさんざん言っていたのが一転して、生きる希望ができたようであった。
 
ともかくも赤ちゃんは引き取り手が見つかり、乳児院に入れられる事態は避けられることとなった。島下さんはその子に「マミ」と名付けたいと言ったので結局、島下さんのお父さんの手で出生届が出されることとなった。
 
この子の法的な処理は結構面倒である。
 
ふたりは法的に婚姻しておらず、池川魅好は両親(ふたりとも死亡済み)の戸籍に入ったままになっている。それがマミちゃんの出産で、魅好さん単独の戸籍がいったん作られた上で、マミはそこに入籍されることになる。しかし同時に魅好さんの死亡で、結局マミはその新しく作られた戸籍にひとりだけ取り残されることになる。
 
ここで島下さんはマミを認知した(島下さんの父親が代理で届けを出した:実は認知するのに母親の同意は不要である!)ので、島下さんとマミちゃんの間に法的な親子関係が生じる。その上で島下さんは、いったん戸籍を親の戸籍から分籍した上でマミちゃんの入籍届を出す。するとこれでやっと、島下さんの子供としてマミちゃんが入籍された戸籍が出来るのである。ただしこの入籍には裁判所の許可が必要である。そこまでの処理にはおそらく1〜2ヶ月掛かることが予測された。
 

青葉は20日夜、単身でアクアを運転し、東海北陸道を南下した。東海環状道、伊勢湾岸道、東名阪/名阪/西名阪、京奈和道とひたすら走り続けて21日朝、高野山の★★院に到着する。
 
「凄い派手な車だな」
と瞬醒さんが言った。
 
「瞬醒さん、乗ってみます?」
「性転換したんですか?とか訊かれそうだからやめとく」
 
青葉はこの春以降、4回ここに来ているのだが、毎回レンタカーで来ていて、この車を乗り付けたのはこの日が初めてだったのである。
 
(無藤宅への攻撃魔法、SDカードの処分、スマホの処分、カーナビの処分)
 
「水見の術をしたいんです」
「そんなの、わざわざここまで来なくても自分ちで出来るでしょ?」
「修行不足なもので」
 
青葉は池川さんをはねた車を見つけたいと考えていた。そこまでしないと、この事件は完全には解決しない。はねた車は自分が彼女に致命傷を与えたことに気付いていない可能性が高い。
 
そして実は今回わざと自分の車で来たのは、水見の術をするには意識朦朧の状態に自分を導く必要があるので、身体を疲れさせておいた方がいいからであった。
 

★★院の奥にある瞬嶽師匠も使っていた水盤を使わせてもらう。
 
「それに水を張るのは10年ぶりだ」
「10年前はどなたが使われたんですか?」
「瞬角だよ」
「あぁ」
 
瞬醒さんがろうそくを用意してくれたので、それを今回の目的に合わせた配置に並べる。法衣に着換えてから、ろうそくに火を点ける。
 
水盤に水を入れる。
 
池川さんの持ち物として持って来た彼女の髪飾りをその前に置く。これは亡くなった彼女の髪に付いていたもので、つまり事故に遭った時にも身につけていたと思われるものである。橋本さんに頼んで借りてきたが、用事が済んだら島下さんに返却して良いと言われている。
 
特別な真言を唱える。
 
それと同時に自分の意識をハイパー状態にシフトする。
 
「*・・・*・・・*・・・*」
 
青葉は数字を4つ言ったが、青葉自身はそれを記憶に留めることができない。代わりに瞬醒さんが記録してくれた。
 
青葉はそのまま自分を睡眠に導いた。
 

目が覚めると、さきほどの部屋に寝ているが、毛布を掛けてもらっている。水盤とろうそくも片付けてある。
 
法衣を脱いで普段着に戻り、池川さんの髪飾りはバッグにしまう。瞬醒さんの部屋に行く。
 
「おはようございます。毛布、ありがとうございました」
 
「うん。おはよう。記録したよ」
と言って瞬醒さんがメモを見せてくれた。
 
「ありがとうございます」
と言って青葉は笑顔でそのメモを受け取った。
 
青葉は橋本部長刑事に連絡した。
 
「漠然としたもので申し訳無いのですが、****という数字が浮かんだんです。これだけでは対象が広すぎると思いますが」
 
「いや、そこから頑張って探してみるよ。車種とかは分からないよね?」
 
「そうですね・・・」
と言った時、唐突にヴィジョンが浮かんだ。これは・・・・
 
「白い・・・・****」
と青葉は言った。
 
「済みません。こちらの精度は低いです」
と青葉はいそいで付け加えたが
 
「いや、だったらまずはその車種で調べてみる。それで見つからなければ車種を広げてみる」
と橋本さんは言った。
 

県警では放送局に頼み、8月10日に現場付近で女性に接触した車を探しているという情報を流してもらっている。
 
この事件は、死亡した女性がその後、子供を出産したという特異な状況であったため、テレビ局はこの件にかなり興味を示しており、全国放送でも放送されている。接触した車を探しているという情報も県警は北陸3県で流してもらえたらと思ったようだが、全国で流れた。
 
車が人と接触して、ぶつかった人の方が「大丈夫、大丈夫」と言ってそのまま立ち去ってしまうというのは、わりとよくあることである。しかし事故に遭った直後は神経が興奮しているので、本人もダメージがよく分かっていないことも多い。あとで気分が悪くなって、病院に駆け込んで、受付で状況を話している内に突然倒れてそのまま死亡、などというケースも結構ある。
 
だから接触事故が起きた場合は、本人が大丈夫と言っていても救急車を呼ぶのが正しい対応である。
 
また、後で本人が痛みを訴えて病院に行ったり、あるいは死亡してしまった場合に、ドライバーが警察にそのことを届けていなければ、法的には、ひき逃げ事件になってしまう。
 
それを避けるには、本人が「病院には行かなくていい」と言って立ち去ってしまった場合でも、ドライバーは警察に事故を届けておかなければならない。先に届けていれば、後で何かあった場合も、普通の人身事故として処理される。 
今回の場合、既にひき逃げ事件になってしまっている訳だが、それでも警察の捜査で車両が特定されるのを待つのと、今からでも本人が名乗り出るのとでは、裁判での扱われ方は随分変わってくる。
 

桃香は優子が出産したことを母から訊き、彼女に電話をした。
 
「出産、おめでとう」
「ありがとう。私も女だったんだなあ、とあらためて感じたよ」
「彼氏は来てくれた?」
「今こちらに向かっている最中らしい。出生届も自分が出してきたいからそれまで待っててくれなんて言ってる」
 
「結婚するの?」
 
「しないしない。それはお互いにそのつもり。私は男を愛せないし、あいつは女を愛せないから最初からその結論は動かない」
 
「複雑だなあ。子供の名前は決めたの?」
「“かなで”と言うんだけどね」
「どんな字?」
「演奏の奏に音(奏音)」
「読めん。その字なら頑張って読んでも『かなね』だ」
「そう簡単には読めない名前を付けたいのだ」
「本人が可哀相だぞ」
「その程度でめげるような子にはせん」
「まあ、私の子供ではないけど、彼氏が到着したら、再度話し合えよ」
「話はしてもいいが、そう簡単には譲らん」
 
「しかし優子が母親かあ。私も母親になりたいなあ」
「誰か種を入手するあてあるの?」
「いや、種は確保しているんだよ。実は数日前に人工授精した」
「おぉ」
「でも実は父親の承認を取っていない」
「それ揉めるよ〜」
「うん。だから妊娠が確定するまでは何も言わない」
「まあいいけどね。私の種じゃないよね?」
「優子、精子あるんだっけ?」
「射精の経験は無いんだけどね」
「私もそれは経験無いなあ」
 

「でもその子、戸籍上の扱いはどうなるわけ?」
と桃香は尋ねた。
 
たぶん優子が今回するのと同じことを、桃香は10ヶ月後にすることになる。 
「事前に私、親の戸籍から分籍しておいたんだよ」
「ほほお」
「それで私が戸籍筆頭者の戸籍が作られているから、単純にそこに入籍されるだけ。これが、まだ分籍前だったとしても強制的に分籍されて私が筆頭の戸籍に入籍される。先に分籍しておけば作業が単純化される」
 
「そっかー。だったら私も分籍しておくかなあ」
「うん。いいんじゃない?」
 
優子も桃香も千里もずっと後まで気付かなかったのだが(知っていたのは朋子だけ)、実はこのような複雑なことが起きようとしていた。
 
波留=信=======優子
  ┃次=千里=桃香┃
  ┃ ┃  ┃  ┃
 幸祐 由美 早月 奏音
 
___遺伝子父・母 |法的父・母
水鳥幸祐 信次 波留|信次 波留
川島由美 信次 桃香|信次 千里
高園早月 千里 桃香|信次 桃香
早花奏音 信次 優子|信次 優子
 
奏音(2016.8)、早月(2017.5)、由美(2019.1)、幸祐(2019.4)という4人の姉弟は全員違う戸籍に入っており、しかも誰1人として法的な父親である信次の戸籍には入らなかった。
 
信次は男性同性愛者で女性恐怖症であったにも関わらず、4人の子供の父親となった。但しこの4人の中で信次が生前にその顔を見ることができたのは奏音のみであり、生前に認知したのも奏音のみである(千里と信次の結婚式の時に桃香は早月を朱音に預けていたので、信次は早月を見ていない)。
 
信次に子供(奏音)が既に居ることを千里が知らなかったのは、信次が千里との婚姻前に一度転籍していたことと、千里は夫の預金口座の取引履歴など見たりする性格ではないので、毎月10万円もの養育費が優子に送金されていたことに気付かなかったせいである。そもそも千里は莫大な財産を持っているので信次の収入自体に全く興味が無かった。そして千里に子供(京平と早月)がいることに信次が気付かなかったのは、千里の戸籍には一度もその名前が記載されていないからである。
 
要するにどちらも隠し子である!
 
千里は早月の遺伝子上の父、由美の法的な母であるが、京平と緩菜の実母でもある(遺伝子上の母かつ出産の母、そして生まれる前から本人と母になってあげる約束をしていた存在)。ただし、戸籍上に千里の子供として記載されたのは、養子にした由美と緩菜である。
 

千里たち、バスケット女子日本代表は8月24日に帰国した。その日は都内の合宿所に泊まり、翌日の午前中に解団式をした後で、文部科学省に行き、遠征の報告をした。BEST8は顕彰の対象ではないものの、松野大臣からはねぎらいのことばがあり、キャプテンの広川妙子が4年後の雪辱を誓った。
 
青葉は25日の夕方、千里に電話してみた。
 
「それで結局、ジャネさんは筒石君の恋人になっちゃったの?」
「取り敢えずお部屋の掃除だけしてあげたようです。お友達ならいいよと言っているみたい」
「マラさんがセックス我慢できる訳無いから、きっと済し崩し的に恋人になっちゃうよ」
「なんか吉備津の釜みたいな話になりつつあるなあ」
 
「島下さんの容態は?」
「私もだいぶメンテしてあげたんだけど、退院するにはまだ1ヶ月くらいかかりそう」
「ガス中毒は時間が掛かるもんね。赤ちゃんは?」
「そちらも週に2回くらい通ってメンテしてるんだけど、退院は9月末くらいといわれている。親子が一緒に治療受けられるようにというので、島下さんもK大病院からK医大病院に転院させてもらったんだよ。それで同じ病室にしてもらっているんだ」
 
「それは良かった」
「私もメンテに行く手間が省けて助かる」
「確かに確かに」
 

「ちー姉は、はねた車を見つけきれないよね」
「私は超能力者でも何でもないから、そんなの見つけきれない」
「あのさあ、そういう素人ぶるのって話が面倒になるから」
 
「長野県**市の修理工場に8月11日頃、入庫した車を調べてごらんよ」
「長野!?」
 
警察も北陸三県の修理工場にはかなり照会していたようだが、長野県までは調べていなかったかも知れない。
 
「分かった。すぐ刑事さんに連絡してみる」
 
「たださあ」
と千里は青葉に警告するように言った。
 
「あまり優秀な霊能者であることを見せると、青葉、このあと頻繁に呼び出されることになるよ」
 
「うっ・・・」
 
「だから匿名で密告しなよ」
 
「・・・・そうしようかな」
「警察への電話は声も録音されるだろうから、公衆電話から玉鬘ちゃんとかに話させるといい」
 
「・・・・・」
「どうしたの?」
「ちー姉、どうして私の眷属の名前知ってるのさ?」
「さあ。今ふっと思いついたからそういう名前を出しただけだけど、それ青葉の眷属の名前なの?お友達の名前かと思った」
 
ちー姉ってこれがあるんだよなあ! 天然のチャネラーなんだ!玉鬘などという使用頻度が低く、しかも実は人に聞こえる声を発することのできるレアな眷属のことを知っていた訳ではないんだろうな、と青葉は思った。
 
でも「お友達の名前かと思った」なんてのは絶対嘘だ!
 
あくまで素人を装うんだから。
 

千里は桃香が1ヶ月ちょっとぶりに会ったのに、セックスを求めないのを不思議に思った。今恋人がいるのかな?などとも考えるが、千里は取り敢えずそれを調べたりする余裕は無かった。
 
バスケの活動にしばらく専念していたおかげで、作曲依頼がたまっていた。これを千里はチームの練習に出ながら、カラオケ屋さんなどに入り浸ってこなしていた。また、4チーム共同で建設中の体育館に関する様々な打合せにも出たりしていた。建設は思った以上に早く進んでおり、11月中旬に竣工する見込みということであった。千里は自分以上に忙しそうなケイは置いといて、藍川真璃子、KL銀行の部長さんなどと連絡を取りつつ「決断待ち」になっていたものをどんどん決裁していった。
 
千里は《くうちゃん》に頼んで、《すーちゃん》と2人だけの空間を作ってもらい、須佐ミナミの件で少し話した。
 
「確かにあまり長くやると、須佐の身元に疑問を抱く人もあるよね」
「うん。だから須佐は今年1年だけということで」
「まあローキューツも今年度から、揚羽が実質的な中心になったことでチームとしてのまとまりもできてきている。すーちゃんが抜けても何とかなるだろうね」
 
「今年度で高校・短大・大学を卒業する子で、こちらに勧誘できそうな子を紫ちゃんに言ってだいぶ調べさせているんだよ。紫にケイさんとも話してもらって、充分優秀な子なら初年度からプロ契約してもいいということにしているし」
 
「うん。強力なメンバーが入ってくれば、すーちゃんも抜けやすくなるよね。その手の交渉を紫にやらせるのもうまいよ」
「取り敢えず私の後任のガードフォワードは旭川N高校の江向音歌を」
「取れる?」
「あの子、福井英美の影に隠れて目立たないんだよ」
「それは言えてる。でもあの子はラッキーガールだし」
「そうそう。それがいいなと思っているんだよ」
 
それで“須佐ミナミ”は今年度いっぱいで退団させる方向で進めることにした。彼女をローキューツに入れたのは、今年のローキューツの戦力が見劣りしていて《クロスリーグ》のレベルについて来れない可能性があると考えたからである。ローキューツがクロスリーグで全敗ということになると、このリーグの存在意義自体に問題が生じる所であった。プロと対等に戦えるクラブチーム・実業団チームが3つ欲しかったのである。
 
「でも楽しかったでしょ?」
と千里は誘導するように言ったのだが、《すーちゃん》は千里の意図に気付いていない。
 
「うん。私も本格的にバスケやったのは、15年ぶりだったから。最初忘れていた感覚がやっている内にどんどん研ぎ澄まされてきたんだよ。まだ2〜3年やりたいくらいだよ」
と《すーちゃん》は言う。
 
「だったら来期は私の影武者ができるな」
「え〜〜〜〜!?」
 

最近《千里A》が全然会社に出てきてくれないので、週90時間くらいJソフトで仕事をしている《千里B》こと《きーちゃん》は、ここ1ヶ月ほど全く休み無しで働いて、かなり疲労が蓄積していた。(眠くなったら《千里C》こと《せいちゃん》に任せてひたすら寝ている。《せいちゃん》も週60時間は働いている。つまりふたり合わせると週150時間勤務である!)それでその日も端末の前でついうとうととしてしまった。開いているソースにfffffffffffffffffffffffみたいなのが20-30行入ってしまっているのを慌てて削除する。
 
それを見ていた矢島係長(10月から課長に昇進予定)が千里に声を掛けた。 
「村山さん、しばらく全く休んでないでしょ?」
「さすがにちょっと疲れが溜まっている気がします」
 
「だったらさ。今日は**証券の後の作業、私が見てあげるから、今日はもうあがって、何なら温泉とかにでも浸かっておいでよ」
 
「いいんですかぁ?でも矢島さんは?」
「私は先週1回休ませてもらったからね。そうだ、ついでに気分転換にさ、お茶とかしてこない?」
 
「お茶って、カフェとかですか?」
「違う、違う。茶道だよ」
「そっちのお茶ですか!」
 
「千里ちゃん、和服自分で着れると言っていたよね?」
「ええ。訪問着や振袖くらいなら着れますよ」
「振袖がひとりで着れる人は凄いよ。それで和服着て、お茶とか立ててたら、だいぶ気分転換もできるんじゃないかな? 私の知り合いが関わっている茶道教室があるから行ってみない? 明日は有休にしてあげるからさ」
 
「そうですねぇ」
 
そんなのするより寝ていたいよぉ、とは思ったもののたくさんお世話になっている矢島さんの提案は無碍に出来ない。
 
お茶って・・・・確か50年くらい前に女子高生に擬態して茶道部に入った年があったな、と《きーちゃん》は考えていた。
 

ここの所忙しすぎたよなあ、などと思いながら龍虎はその夜遅く、旅館の大浴場の浴槽に身体を沈めていた。深夜なので他に全く客が居ない。
 
ゆっくりつかっている内に、疲れが出たのか、ついうとうととしかかったようである。
 
危ない危ない。お風呂の中で寝たら風邪引いたりしかねないし、下手すると水死なんてこともあるよなと思い、龍虎はあらためて100くらい数えてからあがろうかなと思った。
 
ところがそこに2人の客が入ってくる。
 
龍虎はぎょっとする。
 
ふたりがあきらかに女体を龍虎の前に曝していたからである。
 
「あ、アクアちゃんだ」
と丸山アイが言った。
 
「なんでこっちに入っているのさ」
とヒロシが言った。
 
「ハイライト・セブンスターズのヒロシさん!?ヒロシさんって性転換してたんですか?」
 
「まさか。これはフェイクだよ」
「びっくりしたー!」
 
「アクアちゃんだって、その姿を見られたら、アクアちゃん、いつの間に性転換したんですか?と言われる」
 
「そうかなあ」
「だって、おっぱいあるし、おちんちん無いし」
「フェイクですよぉ」
 
「女性は女湯へと言われるかと思ったのに今日は誰も脱衣場に居なかったんですよ」
などとアクアは言い訳する。
 
「それでさ、今女湯は誰もいないんだよ」
「はい?」
「3人で向こうに入りに行かない?」
「え〜〜〜!?」
 
「ついでに君もぼくたちが作っているクラブに入らない?」
「クラブ・ドゥ・バン・ファム」
「何ですか?それ?」
「日本語で言えば女湯クラブかな」
「へ?」
 
「女湯に入ろうよというクラブ。むろん女性たちに騒がれないように。女湯に入っている女性たちに溶け込んで、まさか女ではないとは疑いもされないように、邪魔にもならないように、目立たず静かに入ることを是とする。アクアちゃん、女の子の裸見ても何も感じないでしょ?」
 
「はい。ぼくは女の子の裸には何も感じないし、そもそも女の子に興味無いです」
 
「だったらこのクラブに入れるね」
「あとで入会案内送ってあげる」
「入会案内なんてあるんですか?」
「取り敢えず今夜は女湯に移ろうよ。さあ、行こう行こう」
 
「ちょっと待ってくださーい。アイさん、ぼくに女湯に入っちゃだめだよとか言っていたのに」
 
「君が女の子の裸見ておちんちん立っちゃう子ならダメだけどね」
 
「アイさん、結局おちんちんあるんですか?」
「秘密」
 
それで龍虎はふたりに拉致されるように男湯から連れ去られてしまった。 
 
前頁次頁目次