【春産】(5)

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9月2日19時。
 
高岡市内の病院に5組の家族が集まった。
 
全員8月26日の午後に産まれた赤ちゃんとその家族である。まず院長から不手際に関するお詫びがあり、次いでDNA鑑定の結果を報告する。鑑定の結果は全員、間違い無く各々の親の子供であることが確認されたということだった。つまり、真純君ということになっている女の子も間違いなく青木夫妻の子供だし、弓絵ちゃんということになっている男の子も間違い無く光島夫妻の子供であることが確認された。
 
この段階で何の問題も無かった3家族は退席する。3家族は交通費の実費の他、迷惑料として病院から一律5万円が支払われ、それを受け取って帰宅した。 
そして残るは青木家・光島家である。
 
鈴子は自分がいったん連れて帰っていた子が間違い無く自分たちの子供であることが確認されたことで、助産婦さんが抱いていた子を、自分が抱きたいと申し出、再度引き渡された。
 
「ゆみちゃん、疑ったりしてごめんね、ごめんね」
と言って涙を流して頬ずりしていた。
 

「ということは、結局性別を間違って報告したということですか?」
と青木夫が言う。
 
「そういうことになります。大変申し訳ありません」
と言って院長、そして関わった2人の産科医が頭を下げた。
 
「産まれてすぐに性別と出産時刻、体重をメモしています。普通そこにお名前も書くのですが、出産が立て込んでいたことから、その名前を記入漏れし、メモをナース室に持ち込んだ看護婦が誤って逆に記載してしまったものと思われます。従って、性別だけでなく、出産時刻と体重も入れ替わっておりました。青木さんの赤ちゃんが16:01 男の子 3225g、光島さんの赤ちゃんが16:03 女の子 3189g と記録されていたのですが、それが逆でした。その後の2人の体重の経過記録を確認しても、青木さんの赤ちゃんが本当は3189g 光島さんの赤ちゃんが本当は3225gであったことは間違いありません」
 
と院長は説明する。
 
「しかし産まれた時刻も2分差、体重も36g差であれば、確かに間違いに気付きにくいかも知れないですね」
と鈴子の夫が言った。
 
この日の話し合いでは、鈴子の夫がひじょうに温和な性格(鈴子に言わせると、『女性的で素敵』)であったことから、どうかしたら喧嘩腰になってしまい大揉めしかねない所が、とても穏やかな話し合いに終始した。
 
「結局は、各々正しい性別で再度名前を付け直すしかないですね」
と青木夫も言っている。
 
光島家の方が穏やかな姿勢なので、青木家の方も結果的に穏やかに対応する感じになった。
 
「でも母子手帳に男の子って書いちゃったよ」
と青木妻は言う。
 
「母子手帳って再発行してもらえませんでしたっけ? これ男と書いたのを女に修正したら、まるで性転換しちゃったみたいですよ。母子手帳なんて18歳になるまで取っておかないといけないのに」
と青木夫。
 
「事情を話せば再発行はできるはずです。妊娠中の経過などの記載事項は当院で責任持って正確に書き写します」
と院長。
 
「じゃうちはそれでいいことにしようよ。まだ出生届出す前だったから実害は無いし」
「男の子だってよろこんでた、おじいちゃんたちはがっかりするかも知れないけどね」
 
と青木夫妻は言っている。
 
「うちは女の子ということで出生届出しちゃったんですが、どうすればいいんですか?」
と鈴子の夫が尋ねる。
 
「法務局に確認しました。半陰陽とかではなく、お産が立て込んでいた状況で単純ミスで性別を誤って出生証明書に記載してしまったということであれば、病院側で診断書と陳述書を書いて出してもらえば、職権で性別と名前は修正可能ということです」
と院長は言った。
 
「それ修正の跡が残らないんですか?戸籍上最初は長女と記載されていたのが長男に訂正されたという記録が」
と鈴子の夫は訊く。
 
「訂正が終わった所で戸籍の再製を要求してください。それで再製された戸籍には性別修正の跡は残りません」
 
「その再製前の戸籍を閲覧されたら?」
「再製前の戸籍は、裁判の証拠として必要な場合などを除いて、何人(なにびと)も閲覧したり複製することはできません」
 
「だったら安心ですね」
と鈴子の夫。
 
「性転換したかのような記載が残ったりしないのだったら、私もそれでいい」
と鈴子も言った。
 
そこでそういう対応を取ることにし、鈴子たちも母子手帳を再発行して記載内容は病院側で完全に書き写してもらうことにした。
 
この2組に関しては出産の時の費用の支払いを無用とすることにして支払ったお金は即座に返金した上で、全てが落ち着いた所で病院側が迷惑料を払うことになった。その額についてはまた後日交渉ということになった。
 

「ふーん。まああまり大騒動にならなくて済んでよかったじゃん」
と鈴子から直接電話で聞いた桃香は言った。
 
「いや、充分大騒動だった」
 
鈴子は顛末をまず優子に電話して報告したのだが、この件、桃香にも話してもいい?と優子が言ったら自分が直接話したいと言って向こうから電話して来たのである。鈴子としてもたぶん何人かに話したかったのだろう。
 
鈴子にしても(実はビアンよりのバイで)女の友人が少ないので、こんな話をできる相手は少ない。結局鈴子は、優子・桃香・季里子・織絵(XANFUSの音羽)・鏡子(浜名麻梨奈)の5人にこの日電話した。織絵と鏡子は高校時代のバンド仲間である。3人は当時Sea-Queenというバンドをやっていたが、桃香が鈴子と織絵に二股したせいで壊れてしまったのである。このバンドは結果的に見ると、XANFUSの源流のひとつということになる。
 
しかし鈴子は話している内に自分の中でも勝手にストーリーが作られていって、最後に浜名麻梨奈に話した内容は、最初に優子に話した内容よりかなり膨らんでしまった感もあった。
 
「だけど性別と名前を変更するのに家庭裁判所に通ってとかになっていたら、もうそれだけで嫌になっちゃってたよ」
と桃香。
 
「ああ。それは大変そう。でも私本当は女の子のほうが良かったんだけどなあ。可愛い服着せられるし」
と鈴子。
 
「別に男の子に可愛い服着せてもいいと思うが」
と桃香。
 
「あ、それもいいかもね。スカートの似合う男の子とかもいいよね」
などと鈴子は言っている。
 
男の娘育成計画??
 
「まあ将来まで責任持つなら、それもいいと思うぞ」
「うふふ。可愛い服買ってきて着せちゃおう」
「優子なら、ちんちんをハサミで切り落としている所だな」
「あの子なら、やりかねないよね〜?」
 
「それで戸籍の性別と名前の変更は終わったの?」
「終わった。事前に照会していたこともあったと思うけど、院長と一緒に行って、再度状況を説明した上で、病院側の陳述書と正しい出生証明書を提出したら、即変更してもらった。今、その後、戸籍の再製を頼んでいる所。これは数日かかるらしい」
 
「新しい名前はどうしたの?」
「もう“ゆみちゃん”で慣れちゃったからさ。今更全く違う名前にするのも違和感あるからって最初《ゆみや:弓也》という名前を考えたんだけどね」
「うん」
「それだと手描きで横書きしたとき弛む(ゆるむ)という字に見えるから、やはり《ゆみお》にしようということになって」
「字は?」
「弓男・弓雄・弓夫と3種類考えてみたのよ。すると弓男は画数10画で凶。弓夫は光島弓夫の外格が10画になって凶。で、弓雄だと実は弓絵と同じ画数なんだよ」
「ほほお。じゃそれにしたの?」
 
「同じ画数ならいいね、と言っていたら、うちの旦那が反対して」
「ほぉ」
「同じ画数なら同じ運命になる。光島弓絵という名前で人生のスタートから大誤解されたんだから、その画数はむしろ避けようよということで、結局、弓生という漢字にした。総格24吉、天格16吉、地格8吉、人格13吉、外格11吉。五格が全部吉。光島弓絵は実は地格が15中吉だったんだよね」
 
光島弓絵 総31◎円満順風 天16◎仁心覆幸 地15○恭謙昇運 人13◎和合繁栄 外18○難関突破
光島弓生 総24◎才知豊栄 天16◎仁心覆幸 地8◎質実剛健 人13◎和合繁栄 外11◎成長大樹
 
「なるほどー。でもさ」
「うん?」
「弓生で“ゆみお”と読む名前は、女の子でもあるから性別間違えられるかもよ」
と桃香は指摘する。
 
「別にいいんじゃない?」
と鈴子は言う。
 
「いいのか?」
「本人が女の子になりたいと思った時に名前を変えなくても済むし」
 
「あのさあ、鈴子、マジで男の娘育成計画してない?」
 
「そんなことないと思うよぉ」
 

9月3日(土)東京辰巳。
 
インカレの2日目は、朝一番に男女の200m自由形予選が行われ、杏梨がB決勝、筒井が決勝に進出した。11時過ぎには女子800m自由形の予選が行われ、ジャネ、圭織、青葉の3人が参加して、ジャネと青葉は決勝に進出したが、圭織は予選落ちした。そしてこの日の予選の最後は男女400mメドレーリレーである。女子は3位で決勝に進出したが、男子は16位でB決勝となった。男子は昨日の400mフリーリレーでは予選落ちだったので「やったぁ」と騒いでいた。 
休憩時間にはまた牛丼を食べに行ったが、昨日吉野家にしたので今日はすき屋にした。たくさん食べて戻って来て休憩するが、今日はジャネが青葉と杏梨を誘ってプールに出て疲れない程度に軽く練習した。圭織は「私は寝てる」と言って本当に寝ていたようだ。
 
17:00から競技は再開される。女子200mB決勝に出た杏梨は14位であった。男子200m決勝に出た筒井は6位でメダルに届かなかった。そして18:46。女子の400mメドレーリレーの決勝が行われる。
 
今日の泳者は昨日の香奈恵の代わりに杏梨が入り、背泳:圭織、平泳ぎ:杏梨、バタフライ:青葉、自由形:ジャネとなっている。
 
背泳からスタートするが、また例によってバックストロークレッジを使用するが、みんな予選でも使用しているので、大きな問題は無いであろう。
 
圭織はコンピュータ上の計算で、圭織が背泳を泳ぐのがチームとして最速ということになっているので背泳に配置されているものの、本当は背泳はあまり得意ではない。それで5位で戻って来て杏梨に引き継いだ。杏梨も平泳ぎは決して得意という訳ではないものの頑張る。この付近は必ずしも得意でない泳法で泳いでいるものの、結果的にこの組合せが総合タイムが最速になる組合せなので仕方ない。杏梨は順位を落とさずそのまま5位で戻って来た。
 
青葉がバタフライで引き継ぐ。青葉は元々古式泳法の泳者なので実は西洋泳法は全部得意では無い!自由形も抜き手で泳ぎたいくらいだが、抜き手よりクロールの方が速いからクロールで泳いでいるだけである。そして青葉の泳ぎ方はどれもきちんとしたフォームになっていなくて、不効率な所を筋力ともうひとつ実は「水の気の流れを感じ取りそれに逆らわないようにする」ことでカバーしている。しかし筋力でカバーするのは、バタフライのような動きの大きな泳法では結果的にうまく行ってスピードが乗るようである。
 
そういう訳で青葉は無心に泳いでいたのであまり意識は無かったものの、3位と僅差の4位で戻って来た。
 
ジャネが蒼生恵に義足を預けてスタート台に立ち、青葉のタッチから少し遅れる感じで飛び込む。実はこうしないと、青葉がタッチ板へのタッチが下手糞なのでふつうの選手との引き継ぎの感覚で飛び込んでしまうと、引き継ぎ違反になってしまうのである。この一瞬の間を開けたことで、3位の泳者と距離が開いてしまったものの、ジャネは物凄いパワーで前の泳者を追いかけ、プールの中央付近に達する頃に追い抜いてしまう。更に2位で泳ぐ泳者を追いかける。1位の選手はぶっち切りで先行しており、ジャネとしてはこの2位の選手に追いつき追い抜くのが目標だ。
 
3位の選手を抜いた時点では5mくらいの差があった。それが折り返し点では3mくらいまで縮み、戻ってくる途中、残り25m付近で1m差くらいまで迫る。しかし向こうも何か感じてスピードを上げラストスパートに入ったようである。 
ジャネが必死に追う中、2位の選手も必死で逃げる。そしてゴールには両者、ほとんど同時に着いたように見えた。
 
時計を見る。
 
0.01秒差で向こうが速かった。
 
1位** 4:00.50 2位** 4:02.53 3位K 4:02.54
 
と表示されている。そういう訳でメドレーリレーはK大女子チームは3位。昨日と同じ銅メダルということになった。
 
・・・と思ったのだが、
 

いったん表示された時計がすぐに消えてしまった。
 
「何だ?何だ?」
と言っていたのだが、しばらくして再表示された時計に会場がざわめく。このようになっていた。
 
1位** 4:02.53 2位K 4:02.54 3位** 4:07.23
 
となっている。最初に1位と表示された学校の名前が消えてしまったのである。 
あれこれ聞こえてくる声を聞いていたら、第1泳者のスタートの時に、足の先が正しい位置に無かったということのようである。この学校は予選の時と決勝の時とで泳ぐ順番を入れ替えていた。そのせいか決勝の第1泳者がバックストロークレッジに慣れておらず、きちんと指の先がタッチ板に接触していない状態でスタートしてしまって失格になったようである。
 
その第1泳者と思わしき選手が両手を合わせたポーズで「ごめーん」と言って他の選手に謝っていた。
 

そういう訳でK大は繰り上がりで2位になり、今日は銀メダルをもらった。 
「昨日銅メダルで今日は銀メダルなら明日は金メダルだな」
などと圭織は言っている。
 
「青葉とジャネさんの引き継ぎ、-0.03秒だ」
と表彰式の後で、蒼生恵が機械計時のデータをもらってきて見て言う。 
「ギリギリかぁ」
と杏梨が言う。
 
リレーの引き継ぎでは時間差が-0.03秒よりも速かった場合は引き継ぎ違反になる。2013年の世界水泳選手権男子メドレーリレーではアメリカがぶっち切りの1位だったのに引き継ぎが-0.04秒であったため失格になり、繰り上がりで日本が銅メダルを取っている。
 
「見た目ではジャネさんの飛び込みが遅い気がしたのに」
と蒼生恵。
「青葉はタッチ板へのタッチが下手すぎるんだよ。それ考慮して飛び込んだから良かった」
とジャネが言う。
 
「ああ、それでか!」
と蒼生恵が納得したように言う。
 
「いや、昨日の400mフリーリレーの時も、ジャネさんの飛び込みが他の競技でのスタートより遅い気がして。やはり足が少し不自由だからタッチの様子を確認しづらくて慎重にスタートしているのかなとも思っていたんですが、青葉に配慮してわざと遅らせていたんですね」
 
「ああ。私の足のせいだと思われていたかな」
とジャネ。
「ごめん。私もそう思ってた」
と圭織。
 
「私はインターハイ予選で青葉の次の泳者だったけど、引き継ぎのことは何も考えていなかった。たぶん私のスタートが遅いからだろうな」
と杏梨は言う。
 
「圭織さんと杏梨の引き継ぎは0.31、杏梨と青葉の引き継ぎは0.17」
と蒼生恵は言う。
 
「私の反応が遅すぎるのか〜!?」
と杏梨。
 
「杏梨の引き継ぎは慎重すぎる気はしていたけど、今日の段階ではあまり意識しなくていいと思う。急いで飛び込もうとして引き継ぎ違反になる方が恐い」
と寛子が言う。
 
「でも青葉のタッチの下手さは短時間でも少し改良できる可能性あると思わない?」
と圭織。
 
「つまり青葉のタッチが上手ければジャネさんも速く飛び込めたから、こちらが0.1秒くらい速くゴールして金メダル取れてたかもね」
と寛子。
 
「よし。だったら、青葉はタッチの練習を徹底的にやろう」
と圭織が言い出す。
 
「それいつやるんですか?」
「今夜、都内か埼玉あたりで、どこか空いてるプールが無いか、蒼生恵ちゃん探してみてよ。料金はいくら掛かってもいいから」
と圭織。
 
「分かりました。すぐ探します」
 
「今夜ですか〜!?」
と青葉は悲鳴に近い声をあげた。
 

ともかくも青葉たちは今日は銀メダルをもらった。昨日は銅メダルだったので1ランクあがった気分であった。
 
なおA決勝で失格が出たため、この日の女子メドレーリレーではB決勝のチームの順位が1つ繰り上がって、8〜15位となった。
 
なお男子B決勝ではK大男子チームは5着となり12位であった。(男子A決勝でも1人背泳のスタートが違反を取られて失格し、繰り上がりが起きた) 

蒼生恵はネットで検索して見つけた公営プールにひたすら電話を掛けまくった所、千葉市内のプールで21時まで使えることが分かり、混雑状況を訊くと「5〜6人しか居ませんよ」ということ。またタッチ板と計時システムが借りられることも分かったので、そちらに行くことにした。辰巳駅から50分ほどで移動できるので、圭織・ジャネ・杏梨・青葉の4人で、水着の上にジャージを着た状態で会場を出て辰巳駅まで走り、そこから有楽町線・京葉線で千葉に行った。プールに到着したのが19:50頃であったが、プールの管理人さんは 
「21:10くらいまではいいよ」
 
ということだったので、その1時間20分くらいの間に、青葉にタッチの仕方を徹底的に訓練させた。クロールとバタフライでは全然違うので明日のレース用に今日はクロールでのタッチの仕方に絞って練習する。
 
圭織が模範演技をしてみせた上で、杏梨が手を取りながら青葉に身体でタッチの仕方を覚え込ませる。
 
青葉もこうしっかりとタッチについて訓練したのが初めてだったので、教えられる内にかなりうまくなってきた。
 
そこで今度は青葉のタッチと同時にジャネが飛び込むという引き継ぎの練習をする。機械計時の引き継ぎ時間を確認しながら調整する。
 
「だいぶ普通の選手との引き継ぎに近い感覚になってきたよ。明日はそれを信用して飛び込むからね」
「分かりました!頑張ります」
 

9月3日。横手市では全日本クラブ選抜の1回戦・2回戦が行われた。40 minutesは1回戦では東北2位の宮城県のチームを破り、2回戦では北信越1位の長野県のチームに勝って明日に勝ち残った。ローキューツは初戦は九州1位の宮崎県のチームに勝ったものの2回戦で中国1位の山口県のチームに敗れた。江戸娘は初戦で四国1位のチームに敗れた。
 
それでローキューツと江戸娘のメンバーは明日の決勝戦を見たいという数名を除いて今日で帰ることにした。
 
江戸娘は午前中で負けたのですぐ旅館にキャンセルの連絡をしたのでキャンセル料は不要と言われたが、ローキューツは午後の試合での敗戦だったのでキャンセル料が発生した。千里は預かっている冬子(ローキューツのオーナー)の財布から支払いを済ませておいた。
 
翌日まで残ったのは江戸娘の青山玲香と六原塔子、ローキューツの原口姉妹、風谷翠花、水嶋ソフィア、黒川アミラ、須佐ミナミであった。
 
千里は旅館でのキャンセル料の支払いを済ませた後、40 minutesの財布を浩子に預けて、今日で帰る江戸娘・ローキューツのメンバーと一緒に横手駅に向かった。 
横手駅でやはり今日2回戦で負けて帰る所であった、北海道のクロックタワーのメンバーと一緒になる。
 
「あれ?村山さんとこ負けたの?」
「いえ、40 minutesは勝ってます。でも私、この春に40 minutesは辞めたんですよ?」
「えー!?」
「うっそー!?」
 
「40 minutesのオーナーとしては残っているので今日は顔を出したんですけど、明日は友人の結婚式が札幌であるので、私、今からそちらに移動するんですよ」
 
「あら。だったらもしかして同じルートかな?」
「私は新幹線で新函館北斗まで行って、函館に1泊しますけど」
「同じルートだ!」
 
「今の時間からなら、秋田空港から新千歳に飛ぶ手もあるんですけどね」
「それはブルジョワのコースだな」
 
といった声があがっている。
 
それはこういうルートである。
 
横手18:05-19:13秋田19:25-20:00秋田空港20:35-21:30新千歳22:00-22:39札幌 
クロックタワーはこういう連絡で札幌に帰ろうとしている。
横手18:05-18:22大曲18:49-19:48盛岡21:38-23:33新函館北斗10:24-14:41札幌 
但し、千里は新函館北斗を6:28に出る朝一番のスーパー北斗に乗り、札幌には9:48に到着する予定である。桃川春美の結婚式は式が11:00から、祝賀会が13:00から行われることになっている。
 

「私は飛行機で飛んで今日中に札幌に着いても結局札幌で1泊することになるから、それなら函館泊で新幹線にした方がずっと安く済むんですよね〜」
と千里が言うと
 
「函館の旅館は予約してるの?」
と訊かれる。
 
「いえ。直前まで予定がハッキリしなかったので、これから予約するつもりだったんですよ」
「だったら、私たちと一緒に泊まらない?」
「いいですよー」
 
「ついでに40 minutes辞めたのなら、うちのチームに入らない?村山さん、確か旭川だったよね?」
「生まれは留萌ですけど、旭川の高校出たんですよね」
「そうだ。旭川N高校だった!」
「覚えていていただいて光栄です。でも私Wリーグに入っちゃったんですよ」
「そっちに行ったのか!」
「残念」
「ああ、でも村山さんならWリーグに行った方がいいかもね〜」
と彼女らは言っている。
 
「やはり日本代表でオリンピック行くほどの人だしね〜」
「フル代表は久しぶりでしたよね」
「ええ。また拾ってもらいました。昨年のアジア選手権直前のエレンさんの引退で補欠からの昇格ですけど」
「いや、さすがにエレンはもう限界だろうとみんな言ってたから」
「エレンが辞めたら、やはり村山さんがボーダーラインの選手の中では実力が飛び抜けていたからね」
「むしろ花園亜津子より凄いのではという意見もあった」
 
「評価してもらってありがとうございます。名刺お配りしますね」
と言って、千里はその場に居るクロックタワーの選手・スタッフ全員に自分のレッドインパルスの名刺を配った。
 
「すごーい!舞通に入ったのか!」
「来月開幕なので、よろしくお願いします。12月10-11日には旭川で試合やりますので、お時間が取れたらどうぞ」
「おお。しっかり営業している」
 

そういう訳で、横手駅から大曲駅、新幹線に乗り継いで盛岡駅まではローキューツ、江戸娘、クロックタワーの選手が入り乱れて色々交歓をしていたものの、その後は東京に戻るローキューツ、江戸娘のメンバーと別れて、千里は函館までクロックタワーの選手たちと一緒に行動し、函館での宿も彼女たちと一緒に泊まった。
 
その夜もう寝ようとしていたら桃香から《千里今どこ?》というメールがある。 
《今、函館。明日は札幌》
《いつ東京に戻る?》
 
《明日、札幌でお友達の結婚式に出て、5日には東京に戻るよ。北海道のお土産は何がいい?男山とか?》
 
《あ、いや日本酒はやめとこうかな》
《だったら富良野ワインとか?》
《いや、しばらくお酒は控えようかなと思って》
 
《酔って何か失敗した?女の子妊娠させちゃったとか?》
《えーっと、当たらずとも遠からずかな》
《へー。まあ桃香は少し飲み過ぎな感はあったね。じゃロイズの生チョコか白い恋人でも買っていこうか?》
《白い恋人はいつももらってるから、たまには生チョコもいいかな》
《OKOK》
 
《ところで千里、好きなお酒とかあったっけ?》
《私はあまりお酒は飲まないよ〜》
《お茶とかコーヒーとかで好きなのは?》
《そうだなあ。ニルギリの上等なやつとか》
《それ何だっけ?コーヒーの銘柄?》
《紅茶だよ。タミル・ナードゥ州の西の方で生産されてるんだよね》
 
《えっと、日本国内、できたら東京で買いたいんだけど》
《東京なら、レピシエというかルピシアにもあるし、ニルギリはGclefにもあったと思う》
《ごめん、それどこにあるの?》
《ルピシアは自由が丘、ジークレフは吉祥寺だよ。細かい住所は覚えてない》《分かった。その先は調べる》
《でもどうしたの?桃香。何か私のお気に入りの食器壊したとか?》
《いや、そういうのではないんだけど、話がある》
《まあいいや。じゃ5日にその話聞くね》
《うん》
 

真琴は紹介状をもらって、東京都内の大学病院に来ていた。小さい頃から何度も来ている病院ではあるが、過去の治療とは直接関係無いので、紹介状が無いと6000円余分に払わなければいけないかもということで、最初に受診した病院の先生が念のため紹介状を書いてくれた。但し実際には受付の所にいた顔見知りの事務員さんが「あら、久しぶりね〜」と言って声を掛けてきたので、結局紹介状は不要だったようだ。
 
尿と血液を採られ、血圧、体重、なども測られる。そして真琴をよく知っている婦人科医・朝倉の診察を受けた。
 
「確かに妊娠しているみたいだね。子宮内を観察したいんだけど、この時期はまだ経腹では検査できないんだよね。経膣検査させてもらっていい?プローブ(prob)って機械を膣の中に入れるんだけど」
 
「先生ならいいよ」
と真琴は言って内診台に乗った。
 
「知らないお医者さんに、あまりあの付近見せたくないんだよ」
「まあ気持ちは分かるよ」
 
「でもこれに乗るの久しぶりだなあ」
「“性転換手術”をした後以来かな」
「そうそう」
「真琴ちゃん、もうバージンじゃないよね?」
「バージンなら妊娠しません」
「まあ普通そうだよね」
 
「私、妊娠することないからって、ボーイフレンドに生で入れさせてたのに」
「卵巣も子宮もあるんだから、妊娠する可能性はあったよ」
「でも今まで生理無かったんだよ〜」
「要するに初めての排卵が受精しちゃったんだね」
「そういうこともあるのかぁ」
 
「セックスしたのいつか分かる?」
「たくさんしてるからどれが当たったのか分からない」
「ああ」
 
朝倉医師はプローブにゼリーを塗りコンドームに包んで、真琴のヴァギナにゆっくりと挿入する。
 
「セックスしてるみたい」
「リラックスしてるね。これ痛がる人もいるんだよ」
「ああ。緊張したりすると広がらなくて痛いかも」
 

「ちゃんと子宮に着床してるよ。見てごらん」
と言ってモニターに映った子宮の内側を見せる。
 
「ちっちゃい」
「2.5cmくらいだね。たぶん6-7週目って所。だから逆算すると受精したのは8月上旬と思うけど、その頃にセックスした覚えは?」
 
「ちょっとスマホ見ていい?」
「いいよ」
 
それで真琴は内診台に乗ったまま、近くのバッグからスマホを取り出すとスケジュール表を見ていた。
 
「8月2日、3日、4日に別々のボーイフレンドとセックスしてる」
 
実際には3人ともボーイフレンドというべきかガールフレンドというべきか微妙だよなと真琴は思った。
 
「マコちゃん、ボーイフレンド3人もいるの?」
「えっとセックスする男の子(の機能がある子)は5人かなあ」
「さすがに遊びすぎ」
「ごめんなさい!」
 
「じゃ誰が父親かは君にも分からないね?」
「分からない!」
「これあと1週間くらい経ったら、マコちゃんの血液の中に含まれる胎児のDNAで親子鑑定できるけど、やってみる?費用は相手が3人なら40万円くらい掛かるけど、マコちゃんならそのくらい負荷にならないよね?」
 
このあたりは長い付き合いなので遠慮が無い。
 
「うーん。。。DNA鑑定はいいや。3人と話し合えば、その中の誰かが認知してくれると思う。僕もその3人も全員AB型で、僕はRh(+)だから、子供の血液型が認知してくれる人と矛盾することもないし。認知したいって子が複数いたらじゃんけんで。それに僕が複数のボーイフレンドやガールフレンドとセックスしてるのは分かっているから」
 
「えっと、マコちゃん、ボーイフレンドだけじゃなくてガールフレンドもいるんだ?」
 
「僕は個人的には男の意識の方が強いんですよ。でも服装は女の子の服が好きだから、女装男子に近いんですよね〜」
 
「それは小さい頃から言ってたね。だから実生活は女の子で、戸籍は男の子でということにしたんだもんね。でも女の子と普通にセックスできる?」
 
「できるよ〜」
「それは凄いね。だって女性ホルモン飲んでるよね?」
「ちゃんと日々規定量飲んでるよ(ということにしとこう)。だから女性ホルモン優位だよ」
「それで女の子とできるのはやはり凄い。男の子ともふつうにできるでしょ?」
「僕の外見を気にしない子なら。僕のボーイフレンドはむしろ面白がっている感じだけどね。双方同時射精に挑戦してみるんだけど、やはりそれは難しい」
「凄いことやってるね〜」
 
と朝倉医師は少し呆れたような顔で言った。
 

内診台から降りて、普通に椅子に座って医師と話をする。
 
「だけど僕、男の戸籍のまま子供を産んだら、戸籍上の扱いはどうなるんだろう?」
「悪いこと言わないから、戸籍の性別を女に直しなよ。君は女だっていう診断書書いてあげるからさ。別にちんちん切れとは言わないよ」
 
「やはり、そうしないと無理かな」
「裁判で4〜5年争う気が無ければ。もし裁判起こした場合でも、最高裁まで行っても、君の希望通りになるかは分からないし君の性別に関する情報が、ほぼ全公開されちゃうよ。君、凄く傷付くことになると思うよ」
 
「そうだなあ。朝倉先生がそう言うなら女になっちゃおうかな。不本意だけど」
 
と真琴は朝倉を見ながら言った。
 

「ねえ、先生。長い付き合いだから、教えてよ」
と真琴は言った。
 
「この赤ちゃんが生きたまま出産に至る確率は?」
 
朝倉はしばらく考えていた。
 
「1%くらい」
「やはり」
「マコちゃんの性格の問題がある」
「性格?」
 
「この子を出産に至らせるためには出産させても何とかなる8ヶ月目に入る来年2月まで、日々の厳密なホルモンのコントロールが必要だと思う。でもマコちゃん、ベースが男の子だから、そのコントロールを自力でする能力が無い。でもホルモン剤渡しておいても、マコちゃんの性格なら、絶対忘れたりして飲まない日とか規定と違った量を飲んだりする日が出る。だいたいペニスが勃起するなんて、それ絶対3日くらい女性ホルモンさぼってる」
 
「バレてるなあ・・・」
 
「ひとつの手はこのまま入院して出産まで完全に医師の管理下でホルモンの調整をすることだけど。それでも生児を得られる確率は3割くらいだと思う」
 
「それは無理。事務所の社長も真っ青になるし、メンバーが御飯食べられなくなる」
 
「でも多分この機会を逸したら、君、赤ちゃんを産む機会は一生無いよ」
「それはそんな気がする。おそらく僕は何度もは妊娠できないと思う。先生、入院したりせずに、そのあたりのコントロールをきちんとする手はない?毎日病院に来てねというのも無しで」
 
朝倉はまた考えていた。
 
「ちょっと相談してみたい人がいる。2〜3日待ってくれる?」
「うん」
 
「ところでこれ、出産する場合は帝王切開だよね?」
「それしかないね。君のヴァギナは赤ちゃんの頭を通せるほど広がらないんだよ。そもそも君の子宮もそんなに大きくないし、8ヶ月まで持ち堪えたら、その時点で帝王切開して出そうよ」
 
「そうだね。8ヶ月子は育つと言うし。それに経膣出産より楽そうだからいいことにしよう。手術されるのはもう今更だし」
 
「確かに君、これまでに何度手術というものを受けたんだろうねぇ」
と朝倉は同情するように言った。
 
この日真琴は「必ず書いてある日に書いてある分飲むこと。また他のホルモン剤は飲まないこと」と朝倉医師自身の字でマジックで書かれたホルモン剤の処方薬の袋をもらった。
 

9月4日(日)。
 
インカレは最終日である。
 
この日は朝からまず男女の400m個人メドレーの予選があり、青葉はA決勝、圭織がB決勝に進んだが、猿田は予選落ちとなった。その後男女の100m背泳の予選があったが、寛子も諸田も予選落ちした。その後男女の200m平泳ぎの予選があり、香奈恵と中原がB決勝に進出した。
 
青葉は400m個人メドレーでのゴールタッチを褒められた。
 
「あれで0.3秒速くなったと思う。昨日の青葉ならB決勝行きだったね」
とジャネが言った。
 
予選の部の最後には男女の800mフリーリレーが行われる。女子は昨日のメドレーリレーと同じ、圭織/杏梨/青葉/ジャネ、というメンツで出て、3位の成績で決勝に進出した。男子も15位の成績でB決勝に進むことができた。
 
「青葉のタッチが速かったから私は安心してスタートできた」
とジャネが言っている。
「予選での引き継ぎ時間は、圭織さんから杏梨へが0.28秒、杏梨から青葉が0.14、青葉からジャネさんへが0.05でした」
と蒼生恵。
 
「ジャネさん、ほんとに超反応だ」
と杏梨。
 
「杏梨ちゃんはタッチしてから飛び込んでるからね。あれは見込みで身体を倒していってタッチする瞬間に蹴るんだよ」
とジャネ。
「それ高校の時も言われたけど、フライングしそうで恐いんですよ」
と杏梨。
「スタートの時は身体を動かしたらフライングだけど、引き継ぎの時は足がスターティング・ブロックを離れた瞬間を計時されるから」
と圭織。
 
「まあそれは帰ってから練習しようよ。今日まではむしろフライングにならないように、確実な引き継ぎをしよう」
とジャネは言った。
 

15:25まで休憩であった。一昨日は吉野家、昨日はすき家に行ったが、今日はまた吉野家に行った。どちらの牛丼が好きかについては、メンバー間で結構意見が別れた。
 
食事から戻ってから青葉とジャネはプールに入って軽く調整するように練習したが、圭織は仮眠していた。杏梨は「泳いだら疲れるし、寝たら消化不良を起こしそう」と言って、サブプールの座席に座って身体を休めていた。 
インカレの最後の決勝戦が始まる。
 
最初は昨日予選が行われた女子800m自由形の決勝が行われる。これにジャネと青葉が参加した(この種目はB決勝は無い)。
 
決勝は予選の成績によって次のようにレーンが割り振られる。
 
4-5-3-6-2-7-1-8
 
決勝では0レーンと9レーンは使用されない。ジャネは3位だったので3レーン、青葉は7位だったので1レーンである。
 
飛び込んでスタートするが、1往復してきた所で、もう予選1位の永井さん(4), 2位の北里さん(5)、3位のジャネ(3)、7位の青葉(1)の4人と、他の4人との差がくっきりとできて、この4人の争いという様相を呈した。
 
青葉はひとりコースが離れているものの、2コースの人が大きく遅れているので3コースのジャネの動きがハッキリ分かる。それでその動きを見ながらペースをキープできるので、あまり無理もせず集団に付いていくことができた。 
そのまま500mくらいまで進んだが、ここで左端を泳いでいる北里さんが仕掛け、それに永井さんが続き、ジャネが続き、それに青葉が続くという感じで、一瞬斜形に並ぶような形になったものの、ジャネが更にスピードを上げ、それに青葉が続いたので、今度は\/\のような形に並んだ。ジャネが先頭、少し遅れて北里、そのふたりに挟まれるようにして頭一つ遅れて永井、それとほぼ同じ位置で青葉である。
 
700mを過ぎて最後の往復に入った所で永井がスパートして先頭に立つが全員それに付いて行く。そして750mの折り返しの所で4人がほぼ横一列に並んだ。壁を蹴ってラストスパートである。
 
4人はほとんど並んだまま必死に泳ぐ。一時青葉が頭一つリードしたかに見えたが、ジャネが根性で追いつき、永井もそれに続く。結局その状態でゴール。 
全員時計を見る。
 
1.HATAYAMA 8:35.18
2.NAGAI___ 8:35.32
3.KAWAKAMI 8:35.33
4.KITAZATO 8:35.34
 
ジャネが他の3人を頭ひとつ近くリードしている。そして2〜4位の3人はわずか0.02秒(距離では3cm)の間にひしめいている。物凄いレースであった。 
しかしこれでジャネは金メダル、青葉は銅メダルを獲得した。
 

男子1500mが終わるのを待ち一緒に表彰式が行われたが、プールサイドから退場してから、圭織や杏梨たちが寄ってきて「おめでとう」と祝福してくれる。その時、杏梨が言った。
 
「見てた感じでは青葉の方が永井さんより一瞬ゴールが速かった気がしたんだけどなあ」
「それはやはり永井さんの方がタッチが上手いからだよ」
「そっかー」
「でも昨日の青葉なら、北里さんに負けていたろうね」
 
「そもそも青葉が予選7位だったのも、タッチの問題だったかもね。予選通過の成績って、4位以下はほとんど差が無かったもん」
 

16:06から女子400m個人メドレーのB決勝が行われ、圭織はトップで泳いで9位となった。続いてA決勝が行われ、青葉は4位で惜しくもメダルを逃した。1時間半ほどおいて男女200m平泳ぎのB決勝・A決勝が行われ、香奈恵は13位、中原は12位であった。
 
そして大会の最後に男女800mフリーリレーのB決勝・A決勝が行われる。 
18:21。女子のA決勝が行われ、これに青葉たちK大女子チームが出る。予選3位だったので午後1番の800m決勝で優勝したジャネが泳いだのと同じ3レーンだ。青葉は幸先良いなという気がした。
 

第1泳者の圭織はもうこれが水泳選手としての実質最後のレースなので、終わったらもう泳げなくなってもいいくらいの気持ちで泳いだと言っていた。彼女は2位で戻って来た。1位との差は2mくらいである。続いて杏梨が泳ぐ。杏梨はこのレースではかなり早めに身体を動かし始めて引き継いだ。必死で1位の泳者を追いかける。その差を1mくらいに縮めて戻って来た。青葉が飛び込む。200mなので体温維持のことは考えずにひたすら効率優先で身体を動かす。それでぐいぐい前の泳者を捉え、1位とほぼ同時に戻って来た。ジャネが飛び込む。物凄く力強い泳ぎで一気に1位だった泳者を追い抜くと、どんどん差を広げて行く。折り返しで少し詰められたものの、その後はまた距離を開けていく。 
結局2位に1mほどの差を付けてゴール!
 
文句無しの泳ぎで、K大女子チームは金メダルを獲得した。
 
水中のジャネが、前に泳いだ3人および介添え役の蒼生恵と握手する。水の外にいる4人が抱き合って喜んだ(蒼生恵はジャージが濡れてしまうが気にしない)。 
なお引き継ぎ時間は、圭織と杏梨が0.26秒、杏梨と青葉は0.11秒、青葉とジャネは-0.02秒であった。
 

結局この大会でジャネは400m自由形と800m自由形で金メダル、400mリレーで銅メダル、400mメドレリレーで銀メダル、800mリレーで金メダルと5つのメダルを取った。内3つが金メダルである。
 
K大は「団体参加」しておらず「個人出場」なので、得点は関係無いのだが、得点に換算すると、ジャネ1人で40点、リレーの分が106点で大活躍である。青葉も31点、圭織が13点、杏梨と香奈恵と寛子が7点ずつ。女子は211点分も稼いでいる。これは6位相当で、もし団体出場していたら来年のシード権を取れた得点であった。
 
そのことに気付いた記者さんが数人居たようで、角光監督と女子主将の圭織にインタビューしていた。
 
「まあシード権獲得は来年のメンバーに期待しておきます」
と圭織は誇らしげに答えていた。
 
シード権を持たない学校が、インカレに団体出場するには、中部予選で2位以内に入る必要がある。しかし来年はジャネも圭織も抜けてしまうので、その成績をあげるには優秀な1年生が数人入ってくることに期待するしかないな・・・・と考えてから青葉は、あれ〜?私辞めたいのに〜!と思った。 
なお、男子B決勝に出場したK大男子チームは15位となった。男子の“得点”はこれで筒井27 中原11 リレー12の合計50点である。
 

9月4日の11:00から、札幌市内のホテルで、真枝亜記宏(44)と桃川春美(38)の人前結婚式(司会役:山本オーナー)が行われた。2人の間の子供である、理香子・しずか・織羽の3姉妹(中2・中1・小6)も可愛いドレスを着て、一緒に並んで祝福を受けていた。
 
チェリーツインはインディーズのアーティストで、★★レコードに委託流通しているだけなのだが、制作部の加藤次長まで来ていたし、同じ事務所のしまうらら、リダンダンシーリダンジョッシーなど、事務所の兼岩会長、KARIONの和泉、ローズ+リリーのケイ、丸山アイなどが来ていた。
 
その丸山アイは千里の所に寄ってきて
「鴨野先生、ちょっと個人的なことで相談があるんですけど、あとでちょっと占いをしてくれません?」
と言った。
 
「うん、いいよ。じゃ、あとでね」
と千里は答えた。
 

祝賀会が始まる少し前に、千里が天津子と“青葉の噂話”をしていると、会場にざわめきがあった。見ると、雨宮先生が50代後半くらいの女性(?)を連れて入って来たのである。
 
「誰だっけ?」
と近くに居たケイに訊くと
「東城一星先生」
と答えるので、千里はびっくりした。
 
千里がびっくりしたのは、消息不明と聞いていた東城先生がこういう場に出てきたこと、そして東城先生の顔をケイが識別したことである。
 
「どっかで会ってたの?」
「1ヶ月くらい前に会ったんだよ。桃川春美の紹介で}
「春美ちゃんが東城先生知ってんだ?」
「連絡係をしていたんだよ。以前は雨宮先生、その前は木ノ下先生が連絡係だったんだけどね」
「へー!」
 
「なんせ冬の間は冬山登山の装備が必要な所に住んでいるから、冬山登山のできる人にしか連絡係が務まらない。食料や燃料が切れたり、暖房器具とかにトラブルがあった場合は、冬山突破しないと先生を救助できないからさ」
とケイが言う。
 
「壮絶な生活をしているなあ」
と千里が言っていたら、天津子が
 
「あの人、男?女?」
と訊く。
 
「東城先生は以前は男だったけど今は無性。男性器取っちゃったから」
とケイが答える。
「それ女になりたい訳では無くて?」
「純粋に男を辞めたかったみたい。女優さんを強姦したと言って訴えられて社会的な地位を失ったから。実際には決して性交はしていないと本人は言っていた」
 
「それもう20年以上前の事件でしょう。そもそもレイプとか痴漢とかは水掛け論になりやすいし。今更無実だと証明するのは困難だろうね」
と千里。
 
「うん。それで先生もその件は諦めているみたい。でもそんな疑いを掛けられたのが悔しくて、自分はもう子作りも終わっているし、というので取っちゃったらしい」
とケイ。
 
「それはまあ大胆なことを」
と天津子は言っている。
 
その東城先生がこちらを見ると、やってきてケイに譜面を渡した。
 
「これ約束したもの」
 
ケイが受け取り譜面を読んでいる。千里も見せてもらったが、ちょっと変わった曲だと思った。
 
「不思議なコード進行が使われている」
「うん。でも物凄いエネルギーにあふれている」
「これさ、私と青葉と天津子ちゃんに龍笛吹かせない?」
と千里は提案した。
 
「それは凄いな。だったら七美花を連れてきて笙を吹かせよう」
とケイ。
 
「それって、人類が滅亡するかも知れない演奏だね」
とケイの向こうにいるマリが言った。
 
「地球が爆発するかもね」
と千里も言っている。
 
「こちらは誰だったっけ?」
と東城先生が言っていた所に、新郎新婦が揃ってやってくる。
 
「あれ?君は?」
「その節は本当にありがとうございました」
と言って新郎が深くお辞儀をする。
 
「やはりあの時の浮浪者か」
「はい。あの時期はもう浮浪者に近い格好だったかな」
 
「私も助けて頂いてありがとうございました」
と言って、川代有稀子が近づいて来て、東城先生に言う。
 
「あれ?君たち夫婦じゃなかったんだっけ?」
「一緒に逃げていた子供たちの親ではあったのですが、私と亜記宏さんの間には夫婦関係とか恋愛関係とかは無かったんですよ」
と有稀子が言う。
 
「双方とも親ではあっても、夫婦じゃないってことがあるんだ!?」
「そのあたりは複雑すぎて説明しようとすると、数時間かかりそうで」
と春美が言っている。
 
「それであの時、そもそもこの2人をヤクザから救ってくれたのが、そちらにいる女子大生さんなんです。海藤昇陽さんです」
と春美。
 
「へー!そうだったのか」
 
「そしてこちらはその古い親友で、作曲家の鴨乃清見さんです」
と春美は紹介した。
 
「君が鴨乃清見か!」
と東城先生は驚いたように言った。
 
「そしておふたりとも、恐らく日本で五指に入るほどの龍笛の名手です」
と春美は言ったのだが
 
「春美さん、それは大げさすぎ」
と天津子が言う。
 
「たぶん龍笛の腕では、天津子ちゃんが日本で20番目、青葉が25番目くらいで、私が50番目くらいだよね」
と千里。
 
「もう少し上の気はするけど、まあ五指ってことはないね」
と天津子は言った。
 
結局東城先生のリクエストに応える形で、天津子も千里も祝賀会では、龍笛の演奏を披露した。天津子の演奏中にはウェディングキャンドルが爆発し、千里の演奏中には会場のピアノの弦が切れる(これも爆弾でも落ちたかのような物凄い音がする)程度の事故はあったものの、この日は停電したり、窓ガラスが割れたりといった事故は無かった。
 
弦の切れたピアノだが、元々楽器メーカーに勤めていてピアノの調律もできる新婦の桃川春美が応急処置で切れた弦を外してしまったので、丸山アイもその鍵を使う時に指の打鍵の強さを調整して弾くという器用なことをして余興の伴奏を続けた。
 
東城先生は
「マリちゃんが、人類滅亡かもと言った意味が少しだけ想像が付いた」
などと言っていた。
 
なお、春美は祝賀会終了後、知り合いの楽器屋さんに電話して交換用の弦を持ってきてもらい、二次会の途中を抜け出して、自分で修理して再調律してしまったので、ホテルの人が感心していた。
 
春美が二次会を抜け出している最中は、しずかを代わりに新郎の横に座らせておいたので「私、お嫁さんになっちゃった」などと、しずかは嬉しそうにしていた。
 

9月4日、インカレの閉会式が19:30に終わった後、ジャネはパラリンピックに出るので、そちらの打合せに出るため水泳連盟の方に移動した。選手団の大半は既に先月中にブラジルに渡っているが、ジャネはインカレ終了後ということになっていたため、明日日本を出国する予定である。介添え役にはお母さんが同行する。実はお母さんはインカレを客席から見ていた。
 
それ以外のメンバーは夕食を取った後、22:45渋谷発の高速バスで金沢に帰る予定である。それで夕食も渋谷で取ろうと移動していたら、青葉のスマホに青葉の性転換手術をしてくれた松井先生からメールが入っていることに気付く。電話が欲しいということなので電話する。
 
「携帯つながらないから家にお母さんに連絡したら東京に居るというから。今どこ?」
「辰巳から渋谷に移動中しようとしていた所です。今まだ辰巳駅です」
「だったら、行き先をちょっと変えてくれない?}
「えーっと、どこに?」
「秋川駅まで来て欲しいんだけど」
「すみません。わかりません」
「立川までは来れる?」
「はい。それは分かります」
「そこから五日市線に乗り継いでもらえばいいから」
「あのあたりですか!」
 
それで青葉は圭織と角光先生の許可を得て別行動を取ることにする。
 
他のメンバーは辰巳(有楽町線)永田町(半蔵門線)渋谷
 
という移動だが、青葉だけ永田町まで行かずに有楽町で降りてJRに乗り換える。 
辰巳(有楽町線)有楽町(山手線)神田(中央線特快)立川(青梅線)拝島(五日市線)秋川 

秋川駅には松井先生が車で迎えに来てくれていた。
 
「急に呼び出してごめんね」
「いえ。でも何でしょうか?」
「去年さ、青葉ちゃん、言ってたじゃん。脳下垂体のコントロールが物凄く下手な女性の妊娠をずっとサポートして出産まで至らせたって」
 
青葉は後悔していた。脳裏に千里の渋い顔が浮かぶ。松井先生だからと思って気を許して、京平君誕生までの話をしたのだが。しかし、そもそもは松井先生に頼んだ和実の“卵子採取”が千里姉の“卵子採取”にヒントを得たものなので、その関連で話してしまったのである。
 
「もしかして、似たように脳下垂体のコントロールの下手な女性の妊娠をサポートしてくれという話ですか?」
 
「物凄く大変なのは想像が付く。何度もは呼び出さないと誓う。でも女性ならいいんだけど、妊娠しているのは男の子なのよ」
 
「なんで、男の子が妊娠するんですか〜?」
「男の子だけど卵巣と子宮があるから」
「半陰陽ですか?」
「半陰陽の一種だけど、限り無く男の子に近い」
「ホルモンは?男性ホルモン取ってます?」
「元々睾丸と卵巣の両方を持っていた。本人の意識は男の子なんだけど、女の子みたいな生き方をしたいというから、戸籍は男の子のまま実質女の子として暮らしてきている。睾丸は既に除去済み。でも卵巣が物凄く弱いから人工的に女性ホルモンを摂取している」
 
「それでよく妊娠しましたね!」
「妊娠したのは本当に奇跡だと思う。でもせっかく妊娠した以上、可能なら産みたいと本人は言っている」
 
青葉は考えた。
 
「外性器は・・・・女性型に整形済みですか?」
「男性型に整形済み。但し睾丸と陰嚢は無し」
「それでどうやって妊娠したんです!?」
「ヴァギナだけは開けておいたんだよ。だって卵巣と子宮がある以上、生理が起きる可能性があったから。もし起きた時に排出する通路が無いと困るでしょ。でも本人はこれまで1度も生理を経験していない」
 
「どういうことです?」
 
「要するに最初の排卵が受精しちゃったんだな」
 
青葉は半ば困惑していた。
 
「それ物凄い奇跡なのでは」
「うん。これは奇跡だし、今彼のお腹の中にいる子供は奇跡の子供だよ」
 

やがて、松井医師が運転する車は、1軒の産婦人科に到着した。もう時刻は22時過ぎである。正直お腹が空いた。病院は当然閉まっているが、松井医師がインターホンで告げると玄関が開けられ、中に招き入れられる。
 
診察室に入って行った青葉は思わぬ人物の顔を見た。
 
「やっほー。大宮万葉さん、また会ったね」
 
と笑顔で手を振っている。
 
「レインボウ・フルート・バンズのフェイさん!?」
と青葉は戸惑うように言った。
 
 
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