【春拳】(6)

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青葉はその日和実と一緒に赤ちゃんを何度か見に行ったりしてから16時頃、病院を出て、フリードスパイクを運転して東京に戻った。21時に東京駅前で彪志を拾う。
 
「ごめんねー。オドメーター、800km越しちゃった。まだ彪志もそんなに沢山運転してなかったのに」
「青葉が使ったんだからいいんだよ」
 
「じゃ今夜も妖怪探し行こう」
「でも大丈夫?青葉ひとりで仙台から走ってきたんだろ?」
「うん。だから彪志が運転して」
「OK」
「ルートは例の港区巡回ルートで」
「了解」
「彪志が運転するならこの車のままでいいね」
 

それで彪志がフリードスパイクの運転席、青葉が助手席に乗ってスタートする。彪志がお弁当を買っておいてくれたのでそれを食べたら、仙台からほぼノンストップで走ってきたのもあり、眠くなってくる。しかしそれをガムを噛んだり、コーヒーを飲んだり、さらにはほっぺを叩いたりして我慢する。
 
車が狭い一方通行路を低速で走っていた時のことであった。
 
青葉は左足に何か触ったような気がして、手を伸ばした。
 
すると誰かの手に当たった。
 
青葉は自分を覚醒させないように気を付けながらその相手に尋ねた。
 
『何がしたいの?』
『深川じゃんけん(*1)しようよ』
『いいよ。じゃ、深川じゃんけん、負けるが勝ちよ、じゃんけんポン!』
 
青葉はパーを出した。
『僕はチョキだ。勝ちで負けたぁ。じゃ消えるね』
 
と言って何者かは消えた。
 

(*1)通常のじゃんけんの勝ち負けを逆転させたものは、深川じゃんけん、大阪じゃんけん、アメリカじゃんけんなどの名前で結構全国的に存在する。 

「彪志」
と青葉は声を掛けた。
 
「あ、うん。疲れた?もう今夜は帰ろうか?」
と彪志。
 
「いや。終わった。たぶん封印できた」
と言って青葉はチラッと自分の背後にいる《姫様》を見る。《姫様》は頷いている。やはり成功したのだろう。《姫様》は自分を助けてくれたりはしないものの、評価はしてくれる。
 
「出現したの!?」
と彪志が驚いて言う。
 
「した」
「青葉全然そんな気配も見せなかった」
「驚いたりすると覚醒して消えちゃうんだよ」
「なるほどー」
 
「政子さんがうまくやったのは、眠り掛けたまま運転していたからだと思う」
「危ないなあ。でも握手じゃ封印できなかったんだよね?」
「じゃんけんなんだよ」
「じゃんけん!?」
 
「それでこちらが勝てば封印できる」
「負けたら?」
「死んでたかもね」
「え〜〜〜〜!?」
「あるいは10年くらい眠り続けるとか」
「それにしても」
 
「大丈夫だよ。私、じゃんけんで負けることはないから」
「そうなの!?」
 
青葉が「勝てない」のは千里姉と菊枝さんくらいだ。もっとも千里姉の場合は、実際には「こちらの意図を読んでこちらの思惑通りの手をわざと出す」ので、向こうが上手(うわて)をいっていることが分かりにくい。
 

青葉は翌7月8日(金)はひたすら寝ていた。
 
ここ数日の疲れが出たようで、夕方瞬法から電話が掛かってくるまで8時間くらいトイレにも起きずに眠っていた。
 
「色々お手数掛けました。実は何とか封印できたみたいです」
と青葉は言う。
 
「そうか!良かった。実は瞬行が問題の文献を見つけたんだよ」
と瞬法。
 
「ほんとですか!」
 
「昨夜は徹夜の行をしていて、それで今日の午前中は仮眠していたらしいんだよ。ところが途中寝ぼけたのか、トイレに行ったあと間違って書庫に入ってしまって。それであれ?なんでここに来たんだ?と思って帰ろうとした時に、棚にぶつかって。慌てて片付けていたら、妙に気になる本があったらしい。それで自分の部屋に持って来て読んでみたら、封印の仕方とか、それに逢わないようにする護符とかが載っていたそうだ」
 
「その護符が欲しいです! でもそれってきっと瞬角さんが教えてくださったんでしょうね」
 
「俺もそう思う。その本のページ、こちらにFAXしてもらった。今どこに居るの?まだ東京?」
「はい。だったら、スキャンしてメールしてもらえませんか?ここのFAXは画質があまり良くないので」
 
「分かった。だったら瞬行にそれさせるよ。でもどうやって封印したの?」
「じゃんけんしたんですよ」
「じゃんけんか!」
 
「実は姉も同じ妖怪に遭遇して、じゃんけんで封印したらしいんです。それで私もそのつもりでいたら、向こうは深川じゃんけんしようと言ってきたんです」
 
「深川じゃんけん?」
「普通のじゃんけんの勝ち負け逆転パターンです」
「へー!そんなのがあるのか。でも封印できて良かった」
 
「その本には何と書いてあったんですか?」
「虫拳で封印できると書かれていたそうだ」
「ムシケン!?」
 
「俺も調べてみたんだが、どうもじゃんけんの古い形らしい。指の形で、ヘビとカエルとナメクジを作って、それで勝敗を決める」
 
「そんなものがあったんですか!」
「じゃんけんが普及したんで、その虫拳は消えたらしい。しかしじゃんけんで封印できたのなら、妖怪も時代に合わせて変わっているんだな」
 
「虫拳しようよと言われても分かりませんからね、こちらが」
 

虫拳は平安時代の文献にも見える古い遊びである。親指を立てたのがカエル、人差し指を立てたのがヘビ、小指を立てたのがナメクジで、「三すくみ」の順で勝負が決まる。ヘビ>カエル>ナメクジ>ヘビ、つまり人>親>小>人である。(蛇は蛙を食べる。蛙は蛞蝓を食べる。蛞蝓は蛇を溶かすとされる)
 
これと勝敗が逆になるものも奄美や沖縄に伝わっている。
 
同様の三すくみ型の遊びとしては、狐拳・虎拳というのもある。これは江戸時代に遊郭のお座敷で行われていた遊びである。明治時代頃も文化人たちの間で結構行われていたようで、狐拳を応用した藤八拳は家元まで出現した。
 
狐拳は「狐・猟師・庄屋」で、狐は猟師に撃たれる、猟師は庄屋に頭が上がらない。庄屋は狐に化かされるということになっている。
 
虎拳は「虎・和藤内(または加藤清正)・老婆」で、虎は和藤内の鉄砲に撃たれる、あるいは加藤清正の槍で退治される。和藤内あるいは加藤清正は自分の母の老婆に頭が上がらない、そして老婆は虎に食べられるということになっている。
 
同様の三すくみ拳は全国各地に様々なものがあったようである。
 
一般に宴会の席ではこの手の拳では、負けた側はお酒を1杯飲まなければならない(罰盃方式)。また服を1枚脱がなければならない(脱衣方式)のパターンもあり、これがコント55号が広めた野球拳に採用されている(オリジナルの野球拳には脱衣ルールは無い)。
 
現在のじゃんけんは明治時代中期に九州地方で産まれたものとされ、それが全国的に流行した後、当時日本と親密であったイギリスを通じて世界に広まったようである。実際じゃんけんが知られている地域はイギリスの旧支配地域が主らしい。しかし明治時代の九州のどこで、どのような経緯で成立したのかについては全く不明である。
 
熊本県には今も球磨拳というものが伝わっており、これがじゃんけんの形成に関わりがあるのではという説もある。
 
0:指を立てない(グーの形)
1:親指だけ立てる
2:親指と人差し指を立てる
3:2の逆。中指〜小指の3本を立てる
4:更に人差し指も立てる(親指以外の4本)
5:全部開く(パーの形)
 
これは相手より1多い数を出したら勝ちで、差が0,2,3の場合はあいこである。球磨拳と全く同じ遊びが関西にも伝わっており「大坂拳」と呼ばれる。 

「虫拳は実はその筋では稚児拳という名前でも伝わっている」
「なんですか〜?それ」
 
「男が親指、稚児が人差し指、女が小指。それで男は女より強い、女は稚児より強い。しかし稚児のわがままには男は負ける。だから親指>小指>人差し指>親指の順に強い」
 
「その稚児って、あちらの意味がありますよね」
「当然。美少年の稚児は貴重だよ。昔は美少年の稚児には可愛い小袖とか着せてお化粧もさせて愛(め)でていたらしいぞ」
 
「はぁ」
 
どういう「愛で」かたなのか。まあ、女がいない環境じゃ、しょうがないよね〜。 

「それと、瞬角のノートも見つかったんだよ」
「それって、瞬角さん自身がいろいろやってくれてますね?」
「だと思う。もしかしたら、瞬葉ちゃんが封印に成功するまで草葉の陰で様子見していたのかもね」
 
お茶目な瞬角さんなら、あり得る話だ。きっと青葉のレベルなら封印できるだろうと踏んで眺めていたのだろう。
 
「幸いにもかなり読める字で書いてあってね。FAXしてもらったのを僕がずっと解読していたんだけど、彼の研究によると、この妖怪は妻財(さいざい)の年に現れるらしい」
 
「さいざい?」
「六親(りくしん)の妻財だよ」
「年の干支ですか?」
「そうそう。年の十干が、年の十二支を相剋(そうこく)する年」
 
「それって60年間に12回ありますよね?」
「うん。確認してみたんだが、2000年以降では、2002, 2008, 2010, 2011, 2013, 2015, 2016, 2017, 2019, 2024 が妻財の年。その後はしばらく無くて次は2045年」
 
青葉は急いでメモを取る。
 
「今年2016年は丙申で、丙は火、申は金だから、火剋金で妻財になる。来年も丁酉でやはり火剋金。昨年は乙未で木剋土の妻財、2013年は癸巳で水剋火の妻財。でも2014年は甲午で木生火の子孫になる」
 
青葉は山村星歌がアジモドに出会った日時を確認した。彼女は2014年の2月2日と言っていた。それは節分前なので、節暦の上ではまだ2013年である。 
「今の時期は当たり年が続いているんですね」
「そうなんだよ。どうも瞬角は1964年甲辰の妻財年に妖怪アジモドと出会ったらしい」
 
「1964年に200km/hで走れた車って凄くないですか?」
と青葉は訊く。
 
「ポルシェ356Cという車らしい」
と瞬法。
 
「ポルシェですか!」
「有名な911のひとつ前のモデルだよ。最高速度180km/hだって。でもそれはあくまで巡航速度だから、下り坂とかでひたすらアクセル踏んでいたら200km/hを越えたかも知れないね」
 
「それパトカーが捕まえきれませんよね?」
「うん。絶対無理」
 
むろんまだORBISやNシステムなども無い時代である。
 
しかしとんでもない暴走坊さんだ!!
 
「ところで、この妖怪に出会ったローズ+リリーのマリさんが、妖怪『あしもとくちゅくちゅ』と命名していたんですが」
 
「それは可愛い名前だ。妖怪ファイルに書き加えておいてあげるよ」
と瞬法は楽しそうに言った。
 

瞬法との電話を切ったら、すぐに今度は彪志から掛かってきた。
 
「ごめん。寝てたかな?」
「うん。寝てたけど、さっき起きた。でもごめーん。まだ晩ご飯の買物とかも行ってない」
 
「疲れたでしょ。何なら都心に出てこない?焼肉か何かでも食べよう」
「そうする!あ、そうそう。例の妖怪アジモドに遭遇しないようにする護符があるらしいんだよ」
 
「おお!それちょうだい。土師さんたちにも配りたい」
「うん。高岡に戻ってから、作ってそちらに送るよ。あとで必要な枚数を教えて」
「了解」
 
とにかくもまずは急いで着替える。焼肉の臭いがついても惜しくない範囲で出来るだけ可愛い服を着てから、自転車で大宮駅まで走る。自転車を駐輪場に駐めてから駅構内に入って湘南新宿ライン快速に飛び乗る。
 
結局電話をもらってから1時間ほどかけて待ち合わせ場所のアルタ前に辿りついた。
 
「遅くなってごめーん」
「いや、この時間で出てこれたのは凄いと思う。もっと掛かるだろうと思ってた。大宮駅の周辺って渋滞がすごいから」
「うん。凄かった。でも大宮駅まで自転車で走ったから。あとで駐輪場から自転車を回収しなければ」
 
「それはお疲れ様!」
 

ふたりで一緒に近くの「焼肉のさかい」に行った。
 
彪志はプレミアムモルツの中ジョッキ、青葉はコーラフロートを頼んで乾杯し、食べ始める。それで食べ始めた時
 
「おお、青葉たちもここに来たの?」
という声が掛かる。
 
見ると、桃香がどうも同僚っぽい男性社員3人と一緒である。
 
「桃姉!」
「こんばんは、桃香さん」
 
「高園、そちらのお姉様は?」
「あ、これうちの妹と、そのフィアンセ」
 
「なんだ彼氏付きかぁ!」
などと桃香の同僚たちは嘆いているものの、そのまま青葉たちと同じテーブルに座ってしまう。
 
桃姉、遠慮してくれないの〜〜!?
 

結局桃香と同僚3人も中ジョッキを頼み、あらためて乾杯して焼肉を食べ始める。彼らは、赤木・片倉・小針と言った。
 
「おお、事件は解決したのか。良かった良かった」
と桃香。
「桃姉がミラ貸してくれたおかげで色々実験できたしね」
と青葉。
 
「役に立ったのなら良かった。しかし結局フリードスパイクの方で出現したのか」
「昨夜はミラ取りに行く時間が無かったから。最初は運転手にだけ出るものと思いこんでいたんだけど、運転手じゃない人に出ることもあると分かって方針を変えたんだよ」
 
「事件は解決って、私立探偵か何か?」
と赤木さんが訊くので、彪志が事件の概略を説明した。
 
「その妖怪アシモト・クチュクチュ?俺の友達の友達が遭遇したことあるよ」
と小針さん。
 
「ほんとですか!」
 
「もう5−6年前だと思う。女の子なんだけど、その子は悲鳴あげながらも何とか車を脇に寄せて停めることができて。停めたらもう手は消えていたらしい。みんな寝ぼけたんだろうと言ってたけど、本人は絶対あれは本当に手で触られたと言ってたよ」
 
「やはり、昔から、そういうのあったんですね〜」
 
「しかしじゃんけんで封印できるというのは面白い」
「覚えておいた方がいいかな」
「いえ、じゃんけんに負けるとこちらのペナルティが大きいのでじゃんけんには応じない方がいいと思います。覚醒すれば消えますから」
 
「そうか。とにかく安全な所に停めるのが大事なのかな」
「そうだと思います」
 
「遭わないようにする護符があることが分かって、田舎に戻ったら作って彼に送って配ってそれで終了かな」
 
「そういう護符があるなら私にもくれ」
と桃香。
「じゃ桃姉にも」
 
青葉はケイさんと星歌ちゃんにも送った方がいいなと思っていた。
 
「だったら俺たちにもくれない?」
と片倉さん。
 
「じゃプラス3枚で」
 
これは高岡に戻ったら護符作りで1日潰れるなと青葉は思った。
 

「でも事件が解決したのなら、青葉もう帰るの?」
と桃香が訊く。
 
「日曜日にヒーリングの仕事が入っているんだよ。だから日曜日の朝一番の新幹線で帰ろうかと思ってる」
 
「なるほどー」
 
ここしばらく毎週金曜日にステラジオのホシのヒーリングをしていたのだが、今週はいつできるか分からないと言っておいた。しかし昨夜事件が解決したことからメールで連絡を取り、日曜日に青葉が東京からの帰りがけ、ホシが泊まっている旅館に行ってヒーリングすることを決めたのである。
 
「でもそれ高岡市内?」
とその話を今聞いた彪志が訊く。
 
「ううん。富山県内ではあるんだけど、岐阜県との県境に近いかな。富山駅から車で1時間半くらい。水仲温泉という所なんだけど」
 
「ああ、それ大きなダムがある所でしょ?」
と片倉さんが言う。
 
「そうです。そのダムでできた湖を渡るフェリーでその旅館に行くんですよ」
「でもフェリー使わなくても山道を走っていく手もあるんだよな」
「そうなんですか?」
「ダム建設する時に作業用に作った道路が残っているんだよ。電力会社の施設もあるから、そこへのアクセスルートとして使われているんだけどね。地図にも載ってないけど。俺、高山の友達の車で一度その道を通ったことあって。まあけっこう凄い道だった」
 
「へー!」
 
「今は電力会社以外には、旅館に食料とか燃料とかリネン類とかを納入する業者だけが使ってるらしいよ。土砂崩れがあったり路肩が崩壊したりしたら電力会社が適当に補修して使っていると聞いた。あの付近は崖崩れは日常茶飯事らしくて」
 
「なるほどー」
 

すると唐突に桃香が言い出した。
 
「よし。その道を通ってその旅館に行こう」
 
「桃姉が行くの?」
と青葉は尋ねる。
 
「もちろん、みんなで行くんだよ」
「みんなって?」
 
「ここにいる6人だな」
「え〜〜〜〜!?」
 
「日曜日にそこでお仕事があるのなら、明日の朝東京を出れば、夕方には到着する。それでその山道を通って旅館まで行こう」
 
「車はどうするんですか?」
と青葉は言ったが
 
「あ、俺の車も出していいよ」
と片倉さんが言う。
 
「一度通ったことのある人がいるなら安心だな」
と桃香。
 
青葉は頭を抱えた。
 

桃香は、自宅で寝たら寝過ごしそうだから、彪志のアパートに泊めてくれと言うので、その日青葉たちと一緒に大宮のアパートに行くことにした。それで新宿駅まで来て、電車で大宮まで移動しようと言っていた時、桃香の携帯にメールが着信する。
 
「え?母ちゃんが東京に出てきているらしい」
「え!?」
 
「何時頃帰るかと言われているんだけど、どうしよう?」
「うーん。お母ちゃんもこちらに来てもらおうか」
 
朋子に今どこにいるのか訊いてみると小田急に乗ろうと思って新宿駅に居るという返事である。
 
「近くに居るのなら、取り敢えず会おう」
ということで、結局朋子が迷わず来られそうなアルタ前で待ち合わせた。夜のアルタ前は人が多いのだが、青葉がうまく朋子の波動を感知したので、すぐに会うことができた。
 

都内でゆっくりしすぎると終電を逃すかもということで、大宮駅まで移動した上で駅近くの飲食店で一息つこうということになる。青葉と彪志も移動中に少しはお腹がこなれるので好都合である。
 
「クライン・ボトルのライブを見に来たのよ」
と朋子は言った。
 
「そんなのやってたの?」
「でもお母ちゃんが東京に出てくるとは知らなかった」
「昨夜発表されたのよね。即ネットで申し込んで今朝当選者発表。それで新幹線に飛び乗って来たけど、あんたたちに電話してもつながらなかったし」
 
「ごめーん。勤務中は私物の電話はロッカーの中だし」
と桃香。
「ごめーん。私はひたすら寝てた」
 
大宮駅に着いたのはもう23時近くである。
 
青葉たちは焼肉をお腹いっぱい食べているのに対して、朋子はお腹が空いている。それで、結局モスバーガーに入った。桃香も彪志も「ハンバーガーくらいなら入る」と言ったが、青葉はとても入らない気分だったので、ドリンクだけ注文した。朋子はライスバーガー海鮮かきあげのセットにチキンも1本頼んでいる。
 
「2時間立って踊ってたから疲れた疲れた」
「お疲れ様」
 
「そうだ。青葉はいつ頃までこちらにいるの?」
「それが明日の朝から移動することになった」
「青葉が日曜日に、富山県の水仲温泉でお仕事があるんで、みんなで彪志君の車で移動しようと」
「その話を聞いた桃香さんの会社のお友達の人たちも一緒に行くことになりました」
 
「あら。水仲温泉、いいわね。私も一緒に行こうかな」
「お母ちゃん、新幹線は往復で買ってないの?」
「片道しか買ってない。帰りはどうなるか分からないと思ったし」
「じゃ一緒に行くか」
 
それで桃香が旅館に電話して、人数を1名追加した。
 
「それでは7名様、男性4名、女性3名ですね」
「そうです。男4、女3で、その内女3と男1は家族なので1つの部屋でいいですから、部屋は2部屋のままで」
「分かりました。それではお待ちしております」
 

それで電話を切ると、朋子が訊く。
「もしかして桃香のお友達って男の人?」
「そうそう。一緒に飲みに来ていて、青葉たちと出会ったもんで」
 
「それって、色恋の要素は。。。」
「無い。私が男と付き合う訳無い」
「一瞬期待して損した」
 

翌7月9日(土)朝9時に関越道の三芳PAで待ち合わせしようということになっている。
 
青葉はまだ疲れが溜まっていて朝6時にやっと目が覚めた。すぐにお米を研いで早炊きで炊飯器のスイッチを入れる。その内朋子が起きてきたので、お味噌汁を作ってもらった。ご飯の炊きあがり時間を見ながら冷凍していた鮭をロースターで焼き、桃香と彪志を起こして、2人が覚醒する間に卵焼きを作った。桃香はなかなか目覚めなかったので、朋子がだいぶ声を荒げていた。
 
7時頃、一緒に朝御飯を食べる。
 
「こんなまともな朝御飯を食べたのは久しぶりだ」
などと桃香が言っている。
 
「ちー姉は8月まで忙しいみたいだしね」
「そうなんだよ。今も合宿中で、月曜日に帰ってくると言っていたが、水曜日の夕方から、8月上旬までまた海外に出るらしい」
 
「今年はかなり海外遠征やってますよね?」
と彪志が訊く。
 
「うん。フランス、ベラルーシ、チェコと行ってきたようだ。フランス土産のグラーブ・ワインとボンヌ・ママンのクッキー、ベラルーシ土産のチョコレート菓子とアリバリアとかという所の白ビール、チェコ土産のミルカのチョコレートとピルスナー・ウルケルのビールと持って来た」
 
「あちこち行ってるね!」
「渡航費用や滞在費とかはチームの方から出ているらしいし、仕事休むので休業補償も少しもらえると言っていた」
 
「へー。待遇いいんだね」
 
「今度は南米方面に行くらしいが、今向こうはオリンピックで人が多くて大変なんじゃないかね」
と桃香は言っている。
 
どうも千里姉は桃香姉にオリンピック自体に出場することを言ってないようだ。 

御飯のあと、食器を片付け、残った御飯は冷凍して、8時前にフリードスパイクで出発した。
 
30分ほど一般道を走って三芳PAのスマートICを通りPAの中に入った。8:50頃に片倉さんのトヨタ・ラッシュが到着する。3人が降りてくるが、車の色が真っ赤である。
 
「こちらすみません。うちの母が加わりました」
「あ、どうもどうも」
 
「でも片倉さん、その車派手な色ですね」
と桃香が言ったが
 
「たまたまこれが値段安かったからね」
と片倉さんは答える。
 
「中古車ですか?」
「そそ。ヤフオクで20万円で落とした」
「私、そういうの大好きです」
「お、気が合うね」
「売り手は男の娘だったよ」
「へー!」
 
「受け取るのに会ったけど、可愛い男の娘だった。27歳と言ってたけど、まだ21-22歳に見えたよ」
「それはすごい」
「このくらい可愛かったら男でもいいから結婚したいと一瞬思った」
「そういう人生も良いのでは」
 
缶コーヒーなどを飲んで少し休憩した後、出発する。最初は小針さんが運転するラッシュの後を青葉の運転するフリードスパイクが続く形で進行。2時間単位で休憩しようということで、11:00-12:00に上信越道の小布施PA/HOで休憩して昼食を取る。
 
その後、彪志が運転するフリードスパイクが先行し、赤木さんが運転するラッシュが続く形で進み、14:00-14:30に呉羽PAで休憩。そのあと、運転手は片倉さんと青葉に交代して、ラッシュの後をフリードスパイクが続き、車は砺波ICで降りて、国道を南下する。
 
30分近く走った所で大きなダムを見る。
 
片倉さんの車が停まるので青葉も停める。
 
「畑仲ダムだよ。普通はここからフェリーで行くんだ」
と片倉さん。
「なるほど」
 
「私はフェリーでここから行ったことある。今日はフェリーじゃないの?」
と朋子。
 
「車で乗り付けようという計画なんですよ」
「へー」
 
「国道は川の左岸を通っているけど、温泉は右岸にあるんだ」
「だったら、あの対岸に見える道を行くんですか?」
「それがあの道は支流の方に行っちゃうんだよ。だからここから5−6分行った所にある橋を渡るから」
「分かりました」
 

それでまた出発する。国道はずっと川の右側(左岸)を走っている。やがて橋が見えてくるのでこれを片倉さんの車に続いて渡る。今度は川の左側(右岸)沿いに走る。少し行った所に大きな旅館っぽい建物が見えてくる。片倉さんの車が停まるのでこちらも停める。
 
「ここですか?」
「ここは道仲温泉。ここに至るまでの道は地図にも載っているんだよね。ここから先が地図に載ってない道になる」
 
「へー!」
 

片倉さんの車は温泉の建物の前を通過していく。やがて細い道に入るが、その道に入る前に「関係者以外通行禁止」という看板が立っていた。青葉は「いいのかなあ」と思いながらも片倉さんの車に続いてその道に入る。
 
この看板は道の左側に立っていたので、後部座席の右側に乗っていた朋子は気付かなかったようである。桃香はもとよりこういうのを全く気にしない。 
道は結構なワインディングロードである。ジェットコースター並みの高低差もあるし、巨大なS字もあった。時々枝道があるが、片倉さんは枝道には惑わされずに本道を行く。どうもこの手の田舎道に慣れているようである。その道を5分近く走って、何か建物が見えてくるが、旅館ではないようだ。片倉さんの車が停まる。
 
「ここは水仲発電所。この施設のために道路が保守されているんだよ」
「これ、揚水式発電所ですか?」
 
上の方に向かうコンクリート製のパイプのようなものが見える。
 
「いや、これはふつうのダム水路式発電所だよ。ダムの水を川の本流より緩い傾斜の水路に導いて、結果的にダム本体より遙かに大きな高低差を作り出して発電する。あのパイプはサージタンクにつながってる。タンクはここからは見えないけどね。川の水量が激変した時のためのバッファなんだよ」
 
「へー」
 
「実はこの山の向こうにさっき見た支流に作られたダムがあってね。そこから山越えにここまで水を導いて発電している」
 
「山を越えるんですか!」
「立地上の問題があったのかもね。崖崩れの起きやすい地区だし。数年前にもその支流側のダム管理事務所が土石流にやられてるから」
「ひゃー!!」
 

それでまた車に戻り、片倉さんの車に続いて走っていっていたのだが、突然ダン!という大きな音がしたかと思うと、片倉さんの車が急ブレーキを踏んだ。青葉も急ブレーキを踏む。
 
「どうしました?」
と青葉は外に出ずに窓を開けて声を掛けたが、片倉さんはドアを開けて車の前の方に駆け寄る。
 
青葉も車を降りてそちらに行った。
 
片倉さんの車の前方5mほどの所に60代?の男性が倒れている。車との距離から考えて、片倉さんの車がはねたりした訳では無さそうだ。男性のそばにはサブマシンガンのようなものが転がっている。しかしまさかサブマシンガンを一般の人が持っている訳無いから猟銃なのだろうか??
 
「どうしました?」
と片倉さんが声を掛けている。
 
「道を歩いていたら熊が出て来て」
「熊にやられたんですか?」
 
「いや、驚いて銃を一発撃ったら向こうも驚いたようで逃げて行った。でも車のエンジン音で逃げたのかも」
 
「弾は熊に当たりました?」
「いや当たってない。だから半矢(はんや)にはしてないと思う」
 
銃弾や矢などが当たったものの死んでいない獣(猪・熊・鹿など)は極めて危険なので、きちんと仕留める必要がある。また鳥の場合も危険は少ないものの半矢にした場合はちゃんと仕留めて回収するのがハンターのマナーである。 
「でもこちらも驚いた拍子に転んで足を打って」
「動かないで!これ折れてます。固定します。誰か板か棒のようなもの持ってませんか?」
 
と言って青葉はその場にいるみんなに訊く。
 
「あ、これが使えないかな?」
と赤木さんがスマホの自撮棒を出して来た。
 
「それなら僕のも使って」
と小針さんも自撮棒を出す。
 
「貸して下さい」
青葉はそれを借りると、自分の着替えのTシャツで2本の自撮棒を一緒に巻いて男性の足の骨折部がずれたりしないように固定した。
 
「手際いいね。君、看護婦さん?」
と男性が訊く。
 
「いえ。でも応急処置の講習を受けているので」
 

その時、少し離れて様子を見ていた朋子が声をあげた。
 
「あ、ソウ∽(そうじ)さんだ!」
 
「え!?」
とみんなが声をあげる。
 
「ラララグーンのソウ∽さんですよね?」
と朋子。
 
「よく知ってるね。僕がここに来てからもう10ヶ月近いけど、その名前を言われたのは初めてだよ」
と男性は笑顔で言った。
 
「ちょっと待って。ラララグーンのソウ∽さんって、もう少し若くなかった?」
と小針さんが言う。
 
すると朋子が言った。
 
「テレビに出ているソウ∽さんと、本物のソウ∽さんは別なんですよ」
 
「え〜〜!?」
 

とりあえず、赤木・小針・片倉の3人で彼をフリードスパイクの後部座席に横になったまま寝せた。ラッシュでは狭いので、フリードスパイクの方を使う。 
「これ新車っぽい。シートを汚しちゃうよ」
とソウ∽さんが言うが
 
「そんなの全然気にしませんから」
と彪志は言った。
 
その上で、朋子と彪志がラッシュの方に乗り(助手席に朋子、後部座席に彪志)、桃香がフリードスパイクの助手席に乗って出発する。落ちていたマシンガン?も彪志が持ったが、それでなくても小さなラッシュの後部座席に大の男3人は結構窮屈である。
 
それで道路を進んでいくと、やがて旅館の建物が見えてきたが、ゲートがあって閉まっている。
 
「ありゃ。こんなの昔は無かったのに」
と片倉さんが言っているが、ソウ∽さんが
 
「そこの操作盤を開けて****と打ち込んで」
と言うので、青葉が降りていって、その番号を打ち込むとゲートがアンロックされた。それでゲートを手で開けて中に入る。車が通過した後でゲートを閉じると自動的にロックされた。
 

「そこに通用口があるから、そのそばに車は停めて」
とソウ∽さんが言い、2台とも車が数台並んでいる所の横に駐める。
 
それでまた男性3人でソウ∽さんを運んで旅館の中に入っていくと、旅館のスタッフさんが気付いた。
 
「水下さん、どうなさいました?」
と声を掛ける。
 
青葉が
「骨折して道に倒れておられたんです。足を固定してずれないようしてここまで運んで来ました」
と言う。
 
「お医者さんを呼びます!」
 

それでお医者さんの車が来るまでロビーで待機する。
 
「あのぉ、すみません、ところであなた方は」
「あ、予約していた高園です」
 
「もしかして道路の方を通って来られたんですか?」
「はい」
 
「あの道路は関係者専用なので、通って欲しくないのですが」
「すみませーん!」
 
するとソウ∽さんが言う。
 
「原田さん勘弁してやって。この人たちが道路を通って来たおかげで僕は助かったから。誰もいなかったら、僕は動けなかったし、熊も逃げなかったかも知れないし」
 
「熊が出たんですか!」
と原田と呼ばれた老年の男性が驚く。
 
「うん。ツキノワグマのまだ若いやつだったよ」
「それは無事で良かった」
 
とは言ったものの、原田は
 
「でもあの道は、何かあった時にも責任を持てませんし、お客様にはフェリーで来ていただきたいのですけど」
と桃香たちに言う。
 
「済みません。次からはちゃんとフェリー使います」
と片倉さんが代表して謝った。
 
取り敢えず桃香がその原田というマネージャーさんと一緒にフロントに行ってチェックインした。
 
・・・と書くのはこの旅館にはそぐわない。書き直し!↓
 
桃香は原田という番頭さんと一緒に帳場に行って、宿泊手続きをした。 

ロビーでけっこうな騒ぎになっていた所にステラジオの2人が降りてきた。そばに大堀浮見子さんも付いているが浮見子さんは宝塚の男役みたいな雰囲気の男装をしている。どうもこの人はコスプレして出歩くのが趣味のようだ。しかしステラジオの2人には常務の春吉陽子さんが付いていたはずだが、浮見子さんはお使いか何かできたのか、あるいは交代要員なのか。
 
「水下さん、どうしたんですか?」
とホシが訊く。
 
「いやー。面目ない。骨折してしまって。そこの女子大生っぽい女の子に応急処置して旅館まで連れてきてもらった」
 
「あらぁ!」
と言ってからホシは青葉に気付く。
 
「大宮万葉先生!」
「どうもどうも」
 
「え?君、大宮万葉なの?」
と水下さん。
 
「済みません。名乗ってませんでした。でもソウ∽(そうじ)さん、大宮万葉をご存じでしたか」
と青葉。
 
「知ってるよ。『黄金の琵琶』はすげーと思ったよ」
「ありがとうございます」
 
「あら、ステラジオのホシさんとナミさんだ」
と朋子が言う。
 
これまでホシとナミはだいたい高岡や富山のホテルで青葉のセッションを受けていたので、朋子はまだ2人に会っていなかった。
 
「どもー。ステラジオです」
とホシが笑顔で名乗るのを見て、青葉はホシさんも少しは元気になってきたかなと思った。
 
「今日は有名歌手にたくさん出会う。凄い」
と朋子。
 
「有名歌手?」
とホシが訊く。
 
「こちらはラララグーンのソウ∽さんらしい」
と桃香。国内の音楽に疎い桃香でも、一時期各種の賞を独占していたラララグーンは知っていたようだ。
 
「嘘!?」
とホシ・ナミ。
 

「でもソウ∽さんがテレビに出ている人と“本物”とが別ってどういうことなんですか?」
と赤木さんが訊くと
 
「これ、初期のファンの間では常識の範疇なんですけどね」
と言って、朋子が説明した。
 
「元々ラララグーンはこちらのボーカル&ベースのソウ∽(そうじ)さん、ギターのキセ∫(きせき)さんの2人で結成したユニットで、後に、ドラムスのルイ≒(るいじ)さん、キーボードのハル√(はると)さんが加わって4人編成になったんです。ところが、実質的にリーダーで作詞作曲もこなしているソウ∽さんには大きな問題点があって」
 
とまで朋子さんが言った時、本人が
 
「僕は極端なあがり症なんだよ」
と言う。
 
「スタジオでは最高のパフォーマンスをするのに、人が見ている所では手や足が震えてしまってダメだとおっしゃってましたね」
 
「うん。そういうこと」
 
「そのあがり問題はデビューまでには克服できるだろうとラララグーンをスカウトした事務所では考えていたんだけど」
 
「ぜーんぜんダメだったんだよねー」
と本人。
 
「それで影武者を立てることになったんですよ」
 
「それが普段見ている方のソウ∽さんですか!」
 
「そうそう。元々ラララグーンは他のメンバーが20代なのに、僕だけ40代だったんだよね」
 
デビュー当時40代だったとしても今は50代か。てっきり60代かと思ったのにと青葉は思ってから、年齢を上に誤解されるのは自分もだなと思って、少しソウ∽に親近感を持った。
 
「それはキセ∫さんのお友達を勧誘してメンバーに加えたから結果的にそうなっちゃったんですよね」
「うん。そうなの」
 
「それで、僕の甥の水上翔太というのが口パク・当て振りすることになったんだよ。だから歌唱と実際のベースはいつも僕が人目の無い所で歌って演奏しているんだ」
とソウ∽は説明する。
 
「そんな事情があったんですか!」
 
「まあ結果的には翔太と僕との二人羽織で《ソウ∽》を演じているようなものだよね」
と水下荘児は言っている。
 
「初期のファンの間では、本物のソウ∽さんと区別して、影武者ベーシストの方はショウ∽とか言っているんです。でもこのことはどこにも発表してないし『湖のロマンス』が爆発的にヒットした後でファンになった人たちはこの事情を知らないんですよね」
 
と朋子。
 
「翔太は僕と声質は似てるし、バンドやってたこともあってベースもまあまあ弾くから当て振りも様になるんだけど、絶望的な音痴なんだよ」
と荘児。
 
「あらら」
 
青葉はこの話を聞いたとき、どこかの話と構図が似ているような気がした。ただこの時点ではまだそれが何かを認識できなかった。
 

「でも1年近くここに滞在しているとおっしゃいました?」
と朋子。
 
「実は頭が壊れちゃったみたいでさ」
と荘児は言う。
 
「なーんにも曲が書けない状態が続いているんだよ」
 
その言葉にホシが厳しい顔をした。曲が書けなくなっているのはホシも同じだ。 
「最初2−3ヶ月という約束で来て、半年に延ばして、更に延長中。社長からはここでダメなら海外にでも行く?と言われたけど、ここが気に入っているし、少しずつ良くなって来ているからと言っているんだけどね」
と荘児。
 

「ソウ∽さん、オーディシヨン番組の優勝者のお世話をする話がありませんでした?」
と朋子が尋ねる。
 
「うん。実は3月までここに滞在して4月から東京に戻る予定だったから引き受けたんだけど、無理な状況だったんで、話を持って来た森原泰造君に相談したんだよ。そしたら詩を書くのとプロデュースだけでもしてくれないかと言われて、それで詩だけ書いて、曲はコンペで募集という話にいったんなったんだけどね」
と荘児。
 
「あのオーディシヨン番組では当初そう発表されましたね。私はソウ∽さんが詩だけというのに違和感を感じたんですけど」
と朋子。
 
「ところが詩だけというのでも、いいのがぜーんぜん思いつかなくてさ。毎日のように森の中を歩き回ったり、小型の船で湖の上を走ったり、温泉に入ったりしても全然まともな詩が書けないんだよ。それで結局それも辞退させてもらった」
と荘児が言うと、ホシが発言する。
 
「ソウ∽先生とはレベルが違うでしょうけど、私も実は創作ができない状態で悩んでいて」
 
「それは難儀だね。僕と一度セックスしてみる?そしたらお互い復帰できたりして」
と荘児が言うが
 
「先生、セクハラ発言はご遠慮下さい」
とそれまで一言も発言していなかった大堀浮見子が言った。
 
「君はお母ちゃんより怖そうだ」
「どういたしまして」
「でも君、女装の方が可愛いのに」
「先生のような変な男に襲われないようにするには男装の方がいいかも」
「僕は自分が変な男なのは認めるけど、男でも女でも行けるよ」
 
どうもこのやりとりを聞いていると、浮見子さんは荘児さんとけっこう親しくしている雰囲気である。度々この旅館に来ているのだろうか。
 
番頭の原田さんまで言う。
 
「水上さん、そもそも骨折を直さなきゃ、女もできませんよ」
と言った。
 
「うーん。こんなことなら、先週泊まってた可愛い男の娘と寝とけば良かったなあ」
と荘児が言うと
 
「ああ、女湯の中で遭遇したという男の娘ですか?」
とホシが言う。
 
は?と青葉は耳を疑った。原田さんも「え?」という顔をしている。
 
「そうそう。可愛い子だったなあ。あと一押しだったんだけど、その子の後輩の女子高生の方にも目移りして」
 
「泊まり客さんの摘み食いも勘弁してください。それと未成年者には絶対手を出さないで下さい」
と番頭さん。
 
「めんご、めんご」
 
「それとまさか、水上さん、女湯に入られたんですか?」
「間違っただけだよ。すぐ出たよ」
 
ホシがにやにやしている所を見ると、どうも常習犯っぽい。
 

「でも世間的にはソウ∽作詞・キセ∫作曲と発表してますけど、実際には全部ソウ∽さんが書いてますよね?」
と朋子が話題を変えるように言う。
 
「うん。その話もあまり言いふらさないでね。実際僕がほぼ全部完成させてる。楽譜をCubaseに入力するのは輝汐(きせき)がしてるけどね。僕の書く譜面は、あまり一般的じゃなくて、他の人には読めんから彼に頼んでる。キセ∫作曲・ラララグーン編曲ということにしているのは、印税を山分けするためなんだよ」
 
「へー」
 
確かに印税対策でその手の操作をしているバンドは結構ある。
 
「まだデビュー前の時期にライブハウスでキセ∫さんが言っておられましたけど、ソウ∽さんの譜面には独自の省略記号が多いとか」
 
「そんな時期から聴いてくれてたのか。凄いね。まあできるだけ速く楽譜を書くために編み出した書き方なんだけどね。だって、楽譜って急いで書かないと、思いついた旋律を忘れちゃうじゃん」
 
この荘児の言葉に、ホシと青葉が頷くようにする。
 
青葉は実際問題として、この言葉で荘児がケイなどと同様のチャネラー型作曲家であることを認識した。作曲家には頭で書くタイプの人と、第六感的に書くタイプの人が居るが、荘児さんは後者のようである。
 

車が到着したような音がする。原田さんが小走りに通用口の方に向かう。その時荘児さんが思い出したように言った。
 
「あ、そうだ。誰かその銃を僕の部屋に持っていってロッカーにしまってくれない?」
 
「私が行ってきます」
と彪志が言った。
 
「頼む。あまり人に見られたくないから」
と荘児は言って彪志に部屋の鍵とロッカーの鍵を渡す。
 
「それ、さっきから思ってたんですけど、もしかしてMP5では?」
と片倉さんが言う。
 
「うん。そう」
「個人が持てるんですか〜?」
 
「内緒にしといて」
 
「もしかして違法なんですか?」
とホシが尋ねる。
 
「これ、警察の特殊部隊とかが持ってるサブマシンガンですよ」
と片倉さん。
 
「え〜〜!?猟銃じゃなかったの?」
「まあ猟銃には見えませんね」
「アメリカの友人から一時的に預かっているだけなんだよ。実は交換で本物の日本刀を貸している」
 
「本物の日本刀も違法のような」
「今年中には返却するから、見なかったことにしといて」
 
「その割には結構堂々と持ち歩いている気がしますけど」
とホシが言う。
 
「うん。みんな猟銃だと思い込んでいるみたいだし」
と荘児。
 
「銃にあまり詳しくない人には区別がつかないかもね」
と片倉さんが言う。
 
取り敢えず彪志はその銃を片付けてきた。
 

原田さんと一緒に60代くらいの医師と40代くらいの女性看護師が来たが、医師は触ってみた感じでは骨はずれてないようだと言い、応急処置の適切さを褒めてくれた。とりあえず本式の添え木を当てて包帯で巻いてしっかり固定したが、MRIを取って確認するために病院に連れていくと言う。
 
「先生、一通りの診察が終わったら、病院の病室ではなくこの温泉で療養したいんですが」
と水下さんが言う。
 
「まあ、いいでしょう。骨折の治療って、ひたすら寝てるしかないですからね。病院のベッドにいても温泉旅館にいても大差は無いし」
 
と老齢の医師は笑って言っていた。
 

青葉は担架に乗せられて水下荘児が連れて行かれる時、彼の手を握ってから 
「早く骨折も治って、また良い曲が書けるようになるといいですね」
と言ってニコっと笑った。
 
「ありがとう。大宮君も頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
 
病院の車が去った後で、彪志が小さな声で訊いた。
 
「今何したの?」
「チャンネルが閉じてしまっていたのを開いてあげた」
と青葉は答える。
 
「じゃ、ソウ∽さん、復活するかな」
「復活するといいね」
 

水下荘児が運ばれて行ったあと、そろそろ最終のフェリーが来ますという案内が旅館内に流れる。この最終フェリーでステラジオのマネージャーでもある春吉陽子さんがやってきて、交代で大堀浮見子さんは帰って行った。やはり一時的な交代要員だったのだろうか。
 
そろそろ夕食のサービス開始時刻ですという案内があり、みんな食堂の方に移動する。
 
食事は和食中心のバイキング方式のようである。ここは山の中の温泉ではあるものの距離的には富山湾に近いので、海の幸がたっぷりである。冷却剤を乗せたお刺身のパックなども並んでいる。
 
料理人さんが、美しい手さばきで次々とオムレツを作っている。それを見て桃香が「美味しそう!」と言って、一皿もらう。つられて朋子も一皿もらっていた。他の料理もいろいろ取って、テーブルの方に行く。
 
先に朋子や青葉が席に就き、最後に桃香が席に座ろうとした。その時、桃香の持つオムレツの皿が傾いた。
 
「あっ」
と声を出したときはもう遅い。
 
オムレツが床に落下してしまった。
 
「ありゃ」
「もったいないこと、してしまった」
と桃香が嘆いていると、朋子が
 
「私のをあげるよ」
と言って自分の皿のオムレツを桃香の皿の上に滑らせて乗せてあげた。 

その瞬間、青葉の頭の中でひとつのヴィジョンが見えた。
 
桃姉のオムレツの皿がジャネさんだ。皿の中身が落下した。それはジャネさんが意識を失った状態である。お母ちゃんのオムレツの皿はマソさんだ。お母ちゃんの皿に載っていたオムレツが桃姉の皿に移動した。もしやジャネさんが意識を取り戻したように見えたのは、実は本当はまさか、成仏したはずのマソさんの魂がジャネさんの身体に入ったというのは考えられないか?
 
自分がマソさんの幽霊を「成仏」させた翌日にジャネさんが意識を取り戻している。青葉はマソさんの成仏の時の感覚が、ふつう迷っている霊を成仏させた時と微妙に違う感覚だったことを思い出していた。
 
青葉はさっき、水下荘児さんが、甥の翔太さんと「二人羽織」で《ソウ∽》を演じていると言った。ひょっとして「意識を取り戻したジャネさん」って、まさか「二人羽織」になってないか?と青葉は思い至ったのである。
 
よし。何とかして確認してみよう。
 

落ちたオムレツは桃香が片付けようとしたのだが、旅館の仲居さんが寄ってきて「お客様、大丈夫です。片付けます」と言って片付けてくれた。
 
「お代わりをお持ちしましょうか?」
「だったら4つ」
「はい、かしこまりました」
 
それで仲居さんがオムレツの皿を4つ持って来てくれると、桃香・朋子・青葉・彪志の前にひとつずつ置く。それまでに既に朋子から譲ってもらったオムレツをたいらげていた桃香は
 
「これ美味しいですね」
と言って笑顔で2皿目のオムレツに取りかかった。
 

しばらく食べていると、赤木さんが桃香を呼びに来た。
 
「高園、今日は狐拳行くぞ」
「またやるんですか〜?」
「ちゃんと道具も持って来た」
 
と言って、狐のマフラー、銃、羽織が2つずつ用意されている。狐のマフラーは本体はフェイクファーで頭もフェルトで作ったぬいぐるみである。口の所がクリップになっており、しっぽ部分を咥えさせて留められるようになっている。銃はもちろんモデルガンである。
 
「この銃、さっきの人が持ってたのと似てない?」
「うん。MP5の姉妹品、HK94」
 
双方後ろ向いて、狐のマフラー、銃、羽織のうちどれかを手に取り同時に振り返って負けた方が日本酒を1杯飲むということらしい。
 
「高園の弟さんだっけ? 君も参加しなさい」
などと言われて、彪志も強制的に参加させられた。
 
桃香はかなりの確率で負けて随分お酒を飲んでいたようである。
 

青葉は結局、7月9日の夕食後3時間と、翌日10日の午前中に3時間、ホシとのセッションをして心のヒーリングをした。青葉はこのヒーリングの作業も既に山場は過ぎたなというのを感じていた。ホシはかなり元気になってきている。たぶん彼女の作曲能力が回復するのはもう時間の問題だ、と青葉は思った。荘児と違って、ホシの「チャンネル」は最初から開いていたのである。恐らく彼女は「曲が書けない」のではなく「曲を書くのが怖い」だけなのではないだろうかと青葉は想像していた。
 
青葉たちは10日のお昼を食べてから水仲温泉を出ることにした。
 
一行7人の内、青葉と朋子を除く5人は狐拳でかなりの量のお酒を飲んでおり、10日のお昼の時点でもまだ二日酔いから醒めていなかった。
 
それで結局、ラッシュは朋子、フリードスパイクは青葉が運転して宿を出ようということになる。
 
「いっそこのまま東京まで走っていくか?」
と桃香が言う。
 
「それって、私たちにまた東京まで行けということ?」
と朋子が言う。
 
「僕はあと2−3時間で運転できるようになると思うのですが」
と彪志。
 
実際問題として朝9時の段階で全員の呼気検査をした時、彪志が0.42mg/L, 桃香の同僚の中でいちばん狐拳に勝っていた小針さんが0.65mg/Lで、他の3人は測定不能であった。
 
それが13時に再度呼気検査した所、彪志は0.14mg/L 小針さんは0.30mg/Lまで減っていた。計算上は彪志は15時、小針さんは16時半くらいにアルコールが抜けることになる。
 
「彪志君のはもう警察につかまるレベルを割ってるから運転して良いと思う」
と桃香は言ったが
「ゼロになるまではダメ」
と朋子が言う。
 
一応酒気帯び運転とされるのは0.15mg/L以上である。
 
「呼気チェッカーは誤差もあるから、自分のチェッカーで測ったのと警察で測られたのはけっこう数字が変わることあるよ」
と赤木さんも言っている。
 
「じゃ、長野あたりまで私と母が運転するということにしませんか?」
と青葉が提案する。
 
長野まではここからだいたい3時間くらいである。その間に彪志と小針さんもだいたい酔いが覚めるだろう。
 
「じゃ、そのあと私たちは新幹線で戻ればいいね」
「うん、そうなる」
 

それで出発するという時になって、荷物を取って来た赤木・片倉・小針の3人だが、片倉さんがスカートを穿いている。
 
「なんでスカートなんですか?」
「昨日の狐拳でいちばん負けたんで、罰だと言われて穿かされた」
「よく片倉さんが入るスカートありましたね」
「これウェスト85だよ。しまむらで買った」
と赤木さんが言っている。
 
「ちなみにパンツも女物穿いてもらった」
「飛び出してしまって、中に収納するのに苦労した」
「3Lサイズだったのにな」
「立てちゃうからだよ」
「だってあんなの穿いたら立つよ」
 
朋子がその会話を呆れて聞いている。
 
「ブラジャーは断固拒否した」
「実際問題として後ろが届かなかった」
 
どうも楽しそうである。
 
ともかくも青葉たちは13時半頃、旅館の人に見送られて車で出発した。旅館の人が自分のフォレスターで国道に渡る橋のところまで先導してくれた。 
「ご利用ありがとうございました。でも次回からはフェリーでお願いしますね」
「分かりました。お手数おかけしました!」
 
砺波ICまで出て北陸道に乗る。
 
一度流杉PAで休憩する。スカートを穿いた片倉さんは男子トイレの個室に入っていた。
 
「片倉、女子トイレでなくていいの?」
「女子トイレに行ったら通報されるよ」
「まあスカート穿いても男にしか見えないもんな」
 
ここでは運転は交代しないでそのまま青葉と朋子の運転で出発する。16時頃、お腹が空いたという人もあるので名立谷浜SAで休憩し、早めの夕食を取ることにする。
 
「俺、スカートでレストラン入るの恥ずかしい」
「大丈夫だよ。今の世の中、変態は多いから」
「やはり変態に見える?」
「変態にしか見えん」
 
「でもスカート穿いて赤いラッシュに乗っていたら、オカマさんと思ってもらえるかもね」
「うーん。。。オカマもいいような気がしてきた」
「まあ女装は癖になると言うから」
「そのスカートやるから、今度会社に穿いて出て来いよ」
「それはクビにされそう」
「大丈夫だよ。俺たちが弁明してやるから」
「片倉は自分は女だと思っているんです。女装させてやってくださいって」
「俺、人生考え直そうかな」
 
夕食が終わって一息ついた所で呼気検査すると、彪志はゼロ、小針さんは0.05mg/Lである。
 
「これなら運転大丈夫だよ。もう奈良漬け食べた程度だよ」
と小針さんが言うので、青葉たちも異論ははさまないことにした。
 
「だったら長野駅まで行く必要無いね」
「上越妙高で青葉と母ちゃんを降ろそう」
 
ということになり、ラッシュに小針さんたち3人、フリードスパイクに青葉・彪志・桃香・朋子が乗った状態で17時半に名立谷浜SAを出発。ラッシュはそのまま上信越道を南下するが、青葉が運転するフリードスパイクは上越高田ICで降りて、約3km走り、上越妙高駅まで行った。
 
ここで青葉と朋子が降りて、彪志が運転席に座る。
 
「気を付けてね。体調良くないと思ったら休んでね」
「うん。じゃそちらも気を付けて」
と言って別れた。
 
それで青葉たちは18:35の《はくたか571》で高岡に帰還した。
 
彪志たちは結局途中長時間の仮眠をはさみながら夜中すぎに東京に辿り着いたようである。実際には桃香は「起ききれないから」と言って彪志のアパートに泊まり、翌朝彪志は桃香を起こすのに苦労したようであった。
 
 
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