【春退】(1)

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2015年3月15日、青葉はKARIONの金沢公演を見に行ったが、会場近くまで行った時に、偶然KARIONマネージャーの北嶋花恋さんと遭遇し
 
「まだ時間あるし、楽屋に来られません?」
と言われて、友人たちと一緒に楽屋に招き入れられた。
 
楽屋には和泉と小風、それにゲストコーナーに出演するアクアが来ていた。(ちなみにここは女性用楽屋である。小風に「まあまあ」と言われて連れ込まれたらしい) 
アクアが青葉に会釈するので
 
「あれ?知り合い?」
と和泉から訊かれる。
 
「僕、昨日川上先生にヒーリングしてもらったんです」
とアクアが言う。
 
「へー。どこか体調が悪かったんだっけ?」
と和泉。
「おっぱいを大きくしてもらうとか?」
と小風。
 
「おっぱいはまだ大きくならなくてもいいかな」
とアクアは恥ずかしそうに言う。
 
「『まだ大きくならなくてもいい』ということは『そのうち大きくしたい』とか?」
と小風が突っ込む。
 
「いや。そういう訳では・・・・」
とアクアは恥ずかしがっている。
 
「クライアントのことは守秘義務があるので基本的に言えませんが、おっぱいを大きくする訳ではないです。むしろ男性としての発達を促すようにヒーリングしましたよ」
と青葉は言う。
 
「なんてよけいなことを」
と小風。
 
「女性としての発達を促してあげればいいのに」
と小風は言う。どうも小風もアクアを去勢したい立場のようだ。
 

「でもアクアちゃんって、ロックギャルコンテストで優勝したんでしょ?実際女の子になりたかった訳じゃないの?」
と和泉が訊く。
 
「あれ友だちが勝手に僕の写真を書類に貼って応募したんですよ」
「なるほどー」
「この世界、割とそういう人って多いよね」
 
「今ドラマの撮影やってるんでしょ?俳優さんにならなかったら何になりたかったの?」
「カーレーサーもいいなと思ってたんですけどね」
「おお、格好良い!」
 
「小学4年生くらいだったかな。学校にフォーミュラ・ドライバーの井原慶子さんが来て、講演なさったんですよ。それで格好いいなあ、こういうのもいいなあと、友だち何人かと話してたんですよね」
とアクアは言う。
 
小風は思わず和泉と顔を見合わせた。
 
「つまりだね、アクア君」
と小風が言う。
「はい?」
「君、女性レーシングドライバーになりたかったのかな?」
「え!?」
 
青葉は笑いをこらえていた。
 
「でもレーサー志望だったのなら、これ見せてあげるよ」
と言って和泉がバッグの中から何か取り出す。
 
「ライセンスですか?」
「あ、国内B級ライセンスも持っているよ」
と言って和泉は別のカードも取り出した。
 
「わあ」
「これは講習受ければすぐもらえるんだよ。実際のレースには出場禁止と事務所から言われているから国内A級とか国際ライセンスは、歌手を引退しない限り取れないけどね」
「ああ」
 
「この免許証の方は、一昨日もらってきたばかりなんだ」
「へー」
と言ってアクアがよく分からないような顔で和泉の免許証を見ているので、小風がコメントする。
 
「アクア君、その免許証の種別欄を見てごらん」
「え?」
と言ってアクアはよくよくその免許証を見る。
 
「あ!空欄が無い」
とアクアが声を挙げる。
 
「え?見せてください」
と言って何にでも興味津々な美由紀が覗き込む。
 
「すごーい!フルビッターだ!」
と美由紀。
 
「え〜?」
と声をあげて他の子もその免許証を見る。青葉も見たが、免許証の種別欄が全て文字で埋まっていた。
 
「今月上旬に大型二種を取って、この金曜日に最後の牽引二種を取ったんだよ。これで全種類の免許がそろった」
 
「凄いですね」
 
「私たちの世代でフルビッター狙っていた子もいたけど、中型免許創設で挫折したのよね」
と三島さんが言っている。
 
「あれは2007年に創設されたんですよ」
と和泉が言う。
 
「でも和泉のフルビッターも2017年まで2年の命なのよね」
と小風。
 
「そうなんだよ。悔し〜い」
「何があるんですか?」
「準中型ってのができるんだよ」
「あらあ」
「むろん中型以上を持っている人はその免許で準中型も運転できるから免許を取ることはできない」
 
「そうか。あれって、上位の免許を持っていたら下位の免許は受験できないんですね?」
 
「そうそう。だからいきなり普通免許を取ると、原付と小型特殊は受験できなくなる」
 
「ということはフルビッターを狙うには、普通免許取る前に原付と小型特殊を取らないといけないわけですか」
と美由紀が確認する。
 
「うん。もし君たちの中で狙おうと思っている人がいたら順序に気をつけてね」
「それと準中型ができるまでは、それより上は受験しちゃいけない訳ですね」
「そうそう」
 
「青葉狙ってみない?」
と美由紀が言う。
 
「なんで?」
「だって青葉、車の運転うまいしさ」
「ちょっと〜! こんな所でそういうの言っちゃダメ」
と青葉は焦って言った。
 

しかし和泉のフルビット免許を見た青葉は、ちょっと興味を引かれたので学校で担任の先生に運転免許はいつから取ってもよいのか確認してみた。
 
「自動車学校に通うのは3年生は1学期の終業式が終わった後であればいいよ」
と先生は言う。
「ああ、夏休みに取りたい子はいますよね」
「むろん誕生日が来てないと通えないけどね。学校によっては誕生日の2ヶ月前から入れる所もあるけど、どっちみち仮免試験は誕生日が来ないと受けられない」
「なるほど」
 
「それと受験する生徒は自動車学校に通えるのは9月いっぱいまでだから」
「あぁ・・」
「だから実質夏休みの間に取ってしまうくらいの気持ちでないと難しいね。学校の授業に出ながら自動車学校にも通うのはなかなか大変だよ」
 
「かも知れないですね」
 
青葉はこの時点では自分が水泳部に入って夏はインターハイに出ることになるとは夢にも思っていなかった。ただコーラスの大会が9-10月だから夏休みも合宿とかにはいけず通学で取らないといけないなというのだけ考えていた。 
「原付とか自動二輪はどうですか?」
「それはバイトとかの関係で必要な子は1年生から取れる」
「なるほど」
「バイトとか関係無くても3年生なら1学期の終業式が終わったら取っていいよ」
「なるほど、それも夏休みなんですね」
「うんうん」
「小型特殊はどうですか?」
 
「小型特殊? なんかそんなの必要なバイトでもするの? でも普通免許を取りに行くんなら、普通免許で小型特殊も運転できるよ」
 
「いえ、だから普通免許取る前に取ろうかなと思って」
「フルビッター狙いか!」
「はい」
「なるほどねぇ」
と言って担任は笑っていた。
 
「それも夏休みになったら取っていいよ」
「ありがとうございます」
「じゃまあ頑張って。でも受験勉強優先だね」
「はい、もちろんです」
 

それで青葉は夏休みになったら、まず道路法規の勉強をして原付を取って少し置いて小特を取って、それから自動車学校に入ろう・・・と思っていたのだが、ここでこの時点で予想していなかった事態が発生する。
 
それが水泳部に入ったことであった。
 
6月に富山県大会を通過して、まずは北信越大会に出ることになった時点で青葉は自分のスケジュールを再確認した。
 
終業式は7月17日(金)であるが、翌18日から20日まで水泳の北信越大会がある。そして7月23日から26日まで、冬子さんに頼まれて苗場ロックフェスティバルにサックスの伴奏で出る。正確にはフェスは24〜26日であるが23日に移動して夕方くらいに出演者の打ち合わせがあるはずだ。その後、ちょっと東京まで来てよと言われているので、行ってくるが、これが1日で済まないような気がしていた。
 
北信越大会をもし通過できた場合、インターハイは8月17-20日に京都である。すると8月前半は水泳の練習と合唱の練習でほぼ潰れる可能性がある。となると自動車学校に行けるのは、インターハイが終わった後になる。
 
それで青葉は原付を取りに行くのは水泳の北信越大会が終わった7月20日の翌日、7月21日にすることにしたのである。
 

7月1日から3日まで期末テストがあったが、その3日の試験が終わった時、噂好きの純美礼が言い出した。
 
「幻のクラクションって言うんだって」
 
「何それ?」
と例によってそういう話が好きな美由紀は乗ってくる。
 
「その場所を通る時に突然クラクションが聞こえるんだって。それで何?何?とバックミラーみたり目視で左右見ても自分の車以外にそれらしき車を見ないというのよね」
 
「それ自分の車のクラクションをうっかり押しちゃったとかは?」
と日香理は例によって現実的な解釈をする。
 
「クラクションって私、実際にお父ちゃんの車の押してみたけど結構重いよ。ちょっと触ったくらいで鳴るものじゃないと思うなあ」
 
「だったら電気系統の故障とか」
「だけどその話、1台や2台じゃないから」
 
しかし噂として純美礼の所に流れて来たのであったら、元は1つの話だったのが重力レンズで曲がった星の光みたいに複数の経路で伝わってきただけという可能性もあるよな、と青葉は思った。
 

水城は気分転換がしたくなり、ジャージを脱いで半袖ポロシャツにチェックの膝丈スカートを穿くと化粧水で顔を拭いたあときれいにメイクしてから、靴下を履きローファーを履いて、深夜部屋を出た。駐車場に駐めている愛車・ブーンに乗ってエンジンを掛ける。コンビニに行こうかとも思ったが、その前に少しドライブしようかとも思い、町外れに進路を取る。
 
田舎はほんっとに夜間車が少ない。約15kmほど国道をドライブしたのに、途中ですれ違った車はゼロ。猫1匹とタヌキの親子を見ただけである。よく寄る道の駅に駐めて後部座席に移動し、今頼まれている仕事に関する構想を練っていた。 
少しうとうとしていたら、隣に車が停まる。見るとパトカーである。警官が2人降りてきて、1人は自分の車の右、1人は左に立つ。水城は後部座席の左側にいたので、左側の警官がノックをした。ドアを開ける。
 
「何でしょうか?」
「恐れ入ります。運転免許証を拝見できますか?」
「はいはい」
 
と言って水城はバッグを取ろうとした。
 
え?
 
無い!?
 
「あれ?どこに行ったかな」
と口に出しながら、助手席の座席の下とか、ダッシュボードとかまで開けてみるも《忘れてきた》のは明白である。やばぁ。よりによってこんな時に警察と出会うなんてと思いながらも必死に探す振りをする。
 
「おかしいなあ。さっきコンビニに寄った時は確かにあったんですけど」
などと口に出すが実際にはコンビニには寄ってない。先に寄ってればバッグを忘れてきたことに気づいていたのに!
 
「あ、いいですよ。お名前と住所をお聞かせ頂けます?」
と警官が言うので
 
「J市W町2−74、水城茂と言います」
 
警官は水城が男名前を名乗ったので一瞬「え?」という感じの表情をした。しかしたまにあるのだろうか。その問題はスルーして
 
「車検証を見せて頂けます?」
と言う。
 
「はいはい」
と言って水城はダッシュボードから車検証を取り出して警官に見せた。なるほど。先に口頭で言わせておいて、その後で車検証を見せろと言うのがミソだなと水城は思った。それで本人確認ができるわけだ。
 
「確認しました。ドライブですか?」
と尋ねられる。
 
「ええ。仕事の構想を練るのにちょっと出てきたんですよ」
「これからどちらか行かれます?」
「いえ。もう帰ろうと思ってました」
「そうですか。ではお気を付けて」
「はい。ありがとうございます」
 
ということで警官はパトカーに戻って行った!
 
水城は絶対、免許証不携帯で切符を切られると思っていたので「助かったぁ!」と思った。田舎の警察は素敵だ!!
 

水城はパトカーが出ていくとすぐに運転席に戻りエンジンを掛け家に帰ることにした。本当は隣町までドライブしたかったのだが、行くにしても免許証を取ってきてからでないとやばい。
 
15kmの道を運転して戻る。何も無い海岸線の道をひたすら走って、やがて町並みが見えてくる。再度他の警官に出会ったりしませんようにと思いながら自宅方面に向かう。市街地の端付近にある消防署の前を通った時
 
突然のクラクション。
 
へ!?
 
と思って水城はバックミラーを見るが何も映ってない。嘘!?と思いながらも水城は左側後方を目視確認した上で左側に寄せて停めた。
 
周囲を見回すが、車らしきものは見当たらない。
 
おかしいなあと思い、車を降りてみた時、水城は目の前を巨大なトレーラーが通過していくのを見た。
 
え〜〜〜〜!?
 
車内からはあんなトレーラー全然気づかなかったのに!?
 

その車はガードレールにめり込むようにしていた。乗っていた20-21歳の男女4人は全員病院に運ばれたものの重体である。幸いにも全員シートベルトをしていたもようであるので即死にはならなかったようであるものの、ガードレールの変形のしようから見ると150km/h以上のスピードを出していたことがうかがわれた。
 
「運転が未熟なくせにカッコつけてスピード出すからだよなあ」
「ここ直線から突然の急カーブになるから、知らないと危険なんだよね」
「一応急カーブありって警告の看板出しているんだけどねえ」
「運転の経験が浅い奴って、そういうのまで見てない上に道路を甘く見てるんだよね」
 
などと警官たちは話し合っていた。
 
「しかし目の前が消防署だからすぐ救急車で病院に運んでもらえたのが幸いでしたね」
と若い警官が言う。
 
「全く全く。20年も育てて突然こんな暴走で死なれたりしたら親はたまらんから、回復してもらわないと」
 

「ね、ね、今朝の事故のニュース見た?」
と7月6日月曜日の朝、純美礼は言った。
 
「ああ、J市で専門学校生4人が乗ったマジェスタが消防署の前のガードレールに激突して4人とも重体ってやつでしょ? まあよく死ななかったよね」
と日香理が言う。
 
「そこが例の場所なのよ」
と純美礼。
 
「金曜日に言ってた幻のクラクションの所?」
と美由紀が興味津々な様子で尋ねる。
 
「そうそう」
「やはり実況見分に行ってみようよ。どうせ今日までは部活禁止期間だしさ」
 
期末テストは金曜日で一応終わったものの、赤点を取った子の追試などもあるため、今日までは部活禁止・職員室入室禁止になっている。
 
「誰々で行く?」
「純美礼と私と日香理と、当然のことながら青葉だな」
 
やはり私も行くのか!
 

それで4人は学校が終わってから電車に乗るとJ市まで出かけた。現場は実際にはJ市でも平成の大合併で統合された元M村の領域である。M駅から歩いて10分ほどした所に消防署M分団がある。この消防署の前が純美礼の言っていた「幻のクラクション」が聞こえる場所なのである。
 
既に事故を起こした車は撤去されているものの派手に変形したガードレールが生々しい。
 
「こういう所って花束を置いたりしないんだっけ?」
「今回は死者が出てないから」
「あ、そうか。惜しいな」
などと美由紀は言っている。
 
「でもこのガードレール自体けっこう新しいよね」
「割と最近事故があって、交換したんだろうね」
 
「やはりクラクションのせいじゃないの?」
 
「でもクラクションくらいで事故を起こす?」
 
青葉はその「場」の雰囲気を感じ取りながら慎重に話す。
 
「それが本当に幻であったら、無視しても問題無いと思う。慎重に車を左に寄せて停めたりするのもOK。一番危険なのが突然クラクションを鳴らされて慌てて運転をミスること」
 
「昨夜はまさにそういう事故が起きたんじゃないの?」
と美由紀が言う。
 
「可能性はあるけどね」
 

青葉たちが話していた時、近くに可愛い黄色のブーンが停まり、中から背の高い女性が降りてきた。女性は青葉たちがいるのを見て一瞬躊躇したようであったが、やがてその事故現場まで来ると、その激しく変形したガードレールを見て何か考えている雰囲気。そして向かい側にある消防署を見てまた何か考えている。そしてバッグの中から数珠を取り出すと合掌して何かつぶやくように唱えていた。青葉は微かに聞こえてくる断片から般若心経みたいだなと思った。
 
彼女が祈り終わって車の方に戻ろうとした時、美由紀が声を掛けた。
 
「済みません、事故の関係者の方ですか?」
 
声を掛けられた女性は驚いたようだが、答える。
 
「いえ。無関係なんですけど、私、事故が起きる1時間くらい前にここを通ったんですよ。それで他人事とは思えないので、お怪我なさった方の回復を祈りたいと思って来ただけなんです」
 
そして彼女が答えた時、美由紀は何だか嬉しそう(?)な目で日香理を見た。彼女の声が男声だったからである。むろん日香理はポーカーフェイスだ。 
「あなたが通りがかった時も何かあったんですか?」
と日香理が尋ねる。
 
「そうですね。何と言ったらいいか」
「もし良かったら、そこのイオンで一緒にお茶でも飲みながら話しません?」
「それもいいかな。ここで立ち話していても迷惑だろうし」
 
確かに消防署の前にこんなに人がいると邪魔である。
 

それで4人は女性のブーンに無理矢理乗り込んで(本当は定員オーバーである)近くのイオンまで行った。
 
フードコートで適当なものを頼んでくる。青葉はコーヒー、日香理はコーラだが純美礼はテリヤキバーガーセット、美由紀はラーメンを頼んできた。女性は紅茶である。
 
「実はそれが初めてではなかったんですよ」
と彼女は言った。
 
「1ヶ月前にもあの消防署の前を昼間通り掛かった時に突然クラクションが聞こえて、その時はえ?え?え?と思っている内にそこを通り過ぎちゃったんですよね。周囲に他に車を見なかったし。もしかしたら脇道にいた車が自分が出ようとしていた時に私の車が通過してしまったんで癇癪起こしてクラクション鳴らしたのかな、くらいに思っていたんですよ」
 
「いますよね〜。自分ルールでやたらと鳴らす人って」
と日香理も言う。
 
「あれきっと本人は世の中おかしなドライバーばかりだとか思っているんですよ。実際は自分がすごくおかしいのに」
 
「ところが昨日は夜中でしょ? 車がいたらライトで気づくはずだから絶対おかしいと思って脇に寄せて停めてみたんですよ。すると車を降りた直後に巨大なトレーラーが目の前を通過していったんです。あんなの居たら、運転している時に絶対気づいたはずなのに」
 
青葉は少し考えた。
 
「そのトレーラーって町側から来たんですよね?」
「そうです。対向車線を通過していきました」
「でしたら本来、クラクションを鳴らす必要ないですよね?」
「あ、ほんとだ!今までそのことに気づかなかった」
 
「青葉、なんで対向車線だと分かったの?」
と純美礼が訊く。
 
「いや、それは分かるけどさ」
と青葉は少し言葉を濁すが
 
「そりゃ、日本一の霊能者だもん、そのくらい分かるよ」
と美由紀は言ってしまう。
 
「あなた霊能者なんですか!?」
と女性が驚いたように言う。
 
「ええ、まあ」
「竹田宗聖さんとか中村晃湖とかも一目置いているんですよ」
「すごーい」
 
と言ってから、彼女は悩むようにしてから口を開いた。
 
「だったら、ちょっと見ていただけないでしょうか?」
 
青葉は一瞬美由紀と顔を見合わせた。
 

話が長くなりそうなので、日香理と純美礼は帰して(M駅まで送ってもらった)、青葉と青葉のマネージャーを自称する美由紀の2人だけで彼女のブーンに乗り、彼女の自宅に行った。
 
古い住宅街の一角に彼女、水城さんの自宅はあった。以前家が建っていた風の所が駐車場になっていて、そこで車を降りる。
 
歩いて行くうちに青葉は物凄く気になる家を見た。
 
「あのぉ、水城さんの御自宅、そこじゃないですよね?」
「違います。でも実はそこが問題で」
「なるほどー」
 
御自宅にあがらせてもらう。水城さんはお茶を入れてくれた。
 
「おひとりですか?」
「あ、いえ、結婚していて子供が1人います」
と水城さんは言うが、美由紀は、その伴侶が「夫」なのか「妻」なのか、どうも興味津々な様子である。
 
「でも今日は学校行った後、ピアノ教室に行ってから帰ってくるので遅いんですよ」
「なるほどですね」
 
「ちょっと待っててください。御飯を炊いてきますので」
と言って、彼女は台所に行って米をとぎ、炊飯ジャーをセットしたようである。 

「何にも無い町だけど、面倒なことも無いなと思ってここ気に入っているんですけどね。私みたいな変なのにも、みんな寛容にしてくれるし」
 
と言って水城さんは語り始めた。「変なの」というのは水城さんの性別問題のことなのだろうが、確かに田舎はそういう変則的な生き方にも割と寛容である。詮索とか噂話はされるが!?
 
「ここに引っ越して来てからもう10年くらいになるんですが、いい場所だと思ったんですよ。いちばん近いスーパーまで2km, 最寄りのバス停まででも800mくらいあって、車無しでは事実上生活不能であることを除けば、空気も美味しいし、水も美味しいし、わりと静かだし。神経が細いので以前住んでいたところでは私眠れなかったんです。国道のそばだったものですから」
 
「それは大変ですね」
 
「小さいながらも神社があって、みんなに崇敬されている感じで。神社の境内の掃除とかも町で当番制でやっているんですよ」
「なるほど」
「神主さんも毎月1回家々を巡回して祝詞をあげていってくださってたんですよね」
 
「ちゃんと信仰が生きている町なんですね」
 
「それが2年前にその神主さんがご病気になられて」
「あら」
「祭礼とかは市内の別の神社の神主さんが来てしてくださっているんですが、ここ2年ほど毎月の巡回は停まっているんですよね」
 
「息子さんとかはおられないんですか?」
「その息子さんが3年ほど前に交通事故で亡くなられて」
「あらぁ」
「でも今お孫さんが皇學館に行っておられて、来年の春に卒業予定なんですよ」
「おぉ」
「それで卒業したらこちらに戻って来て禰宜(ねぎ)になって、家々の巡回もさせてもらいますから、と御本人も言っていて」
 
「じゃあ、あと半年の辛抱ですね」
「ええ。やはり巡回が途絶えている間は、神社へのお布施もかなり減っていたみたいで、神社の経営って言っていいんですかね、やりくりも大変だったみたいですよ。拝殿の鈴が落ちてしまったのは、工作の得意な氏子さんがこのくらい自分が修理するよと言って修理してくださったんですけど、石段の手摺りがぐらぐらしてるの、どうしよう?でも修理するとなると相当お金かかるよ?とこないだ自治会でも話したんですけどね」
 
「いや、そういう話を自治会でできるだけでも恵まれている方という気はします」
 
「かも知れないですね。それで異変は、その神主さんの巡回の停まった後、今から1年半くらい前から始まったんです」
 
「はい」
 

「部活をした後、夜7時頃自宅に帰ろうとしていた中学生が真っ黒な衣装を着た人物を見たのが多分最初だったと思います」
 
「夜に真っ黒な衣装ですか?」
と青葉が訊くと
「忍者?」
と美由紀が尋ねる。
 
「むしろショッカーの戦闘員で顔が書いてないみたいな」
「現代的忍者衣装ですね」
「確かに」
 
「でも最初に中学生が見たその人物は特に何をするでもなく、ただ街角に立っていただけだったんです」
 
「その場所が分かりますか?」
と青葉は尋ねた。
 
「はい」
と言って水城さんはパソコンを開くとGoogle Mapでこの近所の地図を出し、「ここです」
と指さした。青葉がこの地図が欲しいというと水城さんは地図をプリントした上でその怪しい人物が最初に目撃された場所にマーカーで印を付けてくれた。 

「それを皮切りに、様々な人物が目撃されているんです」
と水城さんは説明した。
 
「塀の上でダンスしていた男女を見た人もいます。フィギュアスケートのスピンみたいにくるくると回転している人を見た人もあります。ピエロみたいな格好をした人を見た人もあります。それがだいたいこの地区内に集中しているっぽいんです」
 
「なんか江戸川乱歩の少年探偵シリーズに出てくる怪人の悪戯みたい」
と美由紀。
 
「あ、それそれ。私も実はそれ連想したんです!」
と水城さん。
 
「その内、どうもさっき通り掛かった、あの家が怪しいと言い出した人がいて」
「それはどういう経緯で」
 
「ピエロみたいな格好をした人があの家に入って行くのを見たという人がいて」
「その家の住人か、あるいは訪問者とか?」
「それがふつうに玄関とかを開けて入ったのではなく、すっと家に吸い込まれるようにして消えたというんです」
 
「うーん・・・」
 
「別の人は、真紅のドレスを着て口に薔薇を一輪咥えた女性が、その家の壁からすっと出てきたのを見たとか」
 
「忍者屋敷?」
と美由紀が言う。
 
「あの家はどなたか住んでおられるんですか?」
「住人はいるのですが、地域の他の人との交流が全くなくて」
「ほほお」
 
「お仕事は隣町の会社に勤めておられるみたいで、朝早く車で出て、夜遅く帰って来られているみたいです。ですから、昼間は不在っぽいし、実際問題としてほとんど顔を合わせないんですよ」
「なるほど」
 
「自治会の集会にも出て来ないし、何か特殊な宗教をなさっているらしくて、神社の宮司さんの巡回もそこの家だけはお断りしていたらしいです」
「まあ別に宗教は自由ですけどね」
「ええ」
「都会に住んでいた人とかなら、自治会とか苦手かも」
 
「ええ。みんなそう言って寛容にしていたつもりなのですが、ちょっとこの怪異とあの家が何か関わっているのではというので、今ちょっとピリピリしているんですよ」
 

青葉は水城さん、美由紀と一緒にその付近の界隈を歩いてみた。
 
「あ、美由紀そこ通ったらダメ」
「ん?」
「そのマンホールは避けて歩いてね」
「このマンホール問題あり〜?」
「問題あり。さっきも怪しいマンホールがあった。水城さん、しばらく他の人にも歩く時にマンホールをできるだけ踏まないようにした方がいいと言っておいてください」
 
「分かりました!」
 
青葉が「原因の元」を絞りきれないまま、確かに怪しい雰囲気の漂う界隈を歩いていたら、携帯が鳴る。見るとユニバーシアードのため韓国に行っている千里からなので、びっくりして
 
「失礼します」
と水城さんに断って取る。
 
「はい。どうしたの?ちー姉」
「なんか青葉に電話しないといけない気がしたのよ。三角形の中心点って言葉が唐突に浮かんだんだけど、青葉事件か何かに関わってる?」
 
三角形の中心点???
 
「ありがとう。たぶんヒントになると思う」
 

それで青葉はいったん水城さんの家に戻り、さきほど印刷してもらった地図を眺めた。
 
青葉はまず神社にマーカーで丸を付けた。そしてじっと見つめる。
 
「あ、これだ」
と言ってから確認する。
 
「ここにお寺のマークがありますが、これって何ですか?」
「そこは大黒堂です。小さなお堂があるんですよ」
と水城さん。
 
「ありがとうございます」
 
青葉はそこにも丸を付ける。この2ヶ所なら、もうひとつは・・・この付近なんだけど、おかしいな?
 
「済みません、水城さん。この付近に何か無いですか?」
「あ、お地蔵さんみたいなのがありますよ」
「お地蔵さんですか!」
 
「ここはうちのK地区と隣のP地区との境界になるんですよ。そういう所には塞の神(さいのかみ)って言うんですかね、大きな自然石が置かれていたり、お地蔵さんが置かれたりするんだよ、と霊感の強い妹から聞いたことがありますが、たぶんその類じゃないでしょうか。一応近所の人が毎日水とかを供えているようです」
 
「本当に信仰の生きている町なんですね」
「ええ。それも私は気に入っているんですけどね」
 
青葉は水城さんから聞いて、そのお地蔵さん(みたいなの?)の場所にも丸を付けた。
 
この三角形の中心点といったら・・・・
 
例の家じゃん!
 

「この怪しい家って、この三角形の中心にあるから怪異の出現消失ポイントになっているようですね」
 
「じゃ、その家自体が悪いんじゃないんですね!」
「だと思います。やはりこの付近の秩序が乱れていることが原因ですよ」
 
「良かった。実は中には、あそこの家、**教なんかやってるから、おかしなことが起きるのでは、と言う人もあって」
 
「古今東西、そうやって宗教戦争が始まっちゃうんでしょうね」
と美由紀。
 
「ああ、そうかも知れません」
 
「でも私も**教は嫌いだな。あそこ信者から金ばかり巻き上げて」
と美由紀が言うので
 
「まあまあ、今はそれ関係無いから」
と青葉はたしなめる。
 
「これはたぶん解決できると思います。でも今晩、少し遅くまでここに居させてもらっていいですか?」
「はい」
「私もその怪異を自分の目で見たいので。M駅の高岡方面への最終電車は何時でしたっけ?」
「21:17です。でも私が車で高岡までお送りしますよ」
 
それで美由紀をM駅まで送ってもらった上で、青葉は水城さんと一緒に家に戻り、夕飯の支度を手伝った。
 
「すみませーん。こんなのまで手伝ってもらって」
「いえ。女同士の助け合いですよ」
と青葉が言うと、水城さんはなんだか嬉しそうな顔をしていた。
 

やがて18時すぎに、水城さんの《奥さん》が帰宅する。
 
「お帰り」
「ただいま。あら、こちらはミツルのお友達?」
と奥さんは尋ねる。
 
「いえ、ご主人の友人で、川上と申します。私もMTFなんですよ」
と青葉が笑顔で言うと、
 
「え〜〜〜!?」
と奥さんが驚いたような顔をする。水城さんも驚いていたが、声には出さなかった。
 
「じゃ、あなた戸籍上は男なの?」
「そうなんですよ。性転換手術はもうしちゃったんですけどね。性別は20歳になるまで直せないんですよね」
 
「ああ、それは大変ね」
 
「戸籍は男のままですけど、学校には理解してもらって女子制服で通学しているんです」
 
「最近はそういうの許容的になってきたよね」
 
水城さんは青葉が最近この界隈で起きている「怪異」に興味を持っていて、一度現物を見たいというので、起きそうな時刻まで家に滞在するということを説明した。
 
「ああ、あれは最近毎晩起きているみたいだもんね」
「だいたい最近は9時くらいから始まるみたいだから」
 
それって天文薄明が終了した頃かな、と青葉は思った。携帯で暦計算サイトに接続して確認すると、今日の天文薄明終了は21:04である。また1月頃の天文薄明終了はだいたい18時半くらいになる。部活が終わった中学生が帰る時に見たという話とだいたい一致する。
 

19時少し前に、ピアノ教室が終わって帰る娘さんを水城さんが迎えに行き、やがて一緒に戻って来る。
 
青葉の自己紹介に、娘さんは
「すごーい。本当に元男の子だったんですか?」
と言って、青葉の胸などにも触っていた。
 
「おちんちん取っちゃったんですか?」
「はい、取りましたよ。もう男の子は引退しました」
「すごいなあ。でもうちのクラスにも1人、男を引退したがっている男の子がいるんですよ」
 
「早く引退できるといいですね」
 
晩御飯も頂いた上で、やがて9時になる。青葉は水城さん、そして怖い物見たさのミツルさんと一緒に外に出た。懐中電灯は持ってはいるが点けない。 
問題の家の付近をやや離れた所から眺めている。
 
「そう簡単には現れないかな?」
などと言っていたら、青葉は突然後ろに気配を感じ、ミツルさんを突き飛ばすようにすると同時に自分はワンステップ後ろに下がった。
 
すると青葉とミツルが今居た場所を、物凄い勢いで1頭のライオンが走り抜けて行った。
 
「何あれ?」
とミツル。
 
「動物の姿を見たのは初めてだ」
と水城さん。
 
「あれ、ぶつかられてたらどうなってました?」
「実体があるものではないので、怪我などはしませんけど、病気にはなるかも」
「なるほどー」
 
と言ってからミツルは興味津々な様子で訊く。
 
「川上さんって霊能者さんなんでしょ?」
「よく分かりましたね」
「お父ちゃんと話している内容を聞いてて、どうもその関係の人みたいと思って」
「霊能者にはしばしば性別が曖昧な人がいるんですよ」
「あ。マドモアゼル朱鷺さんとか?」
 
「あの方もそうでしたね」
「あの人、生きているんでしょうか?」
「私も分かりません。直接会ったことのある方なら、ある程度見当が付くのですが」
「分からないなりにどちらでしょう?」
 
青葉は微笑んだ。
「もしかしたら生きておられるかも。名前も変えて、ふつうのおばちゃんとしてどこかに埋没しているかも。この世の中、身元を明らかにしなくてもできる仕事って割とありますよ。もしかしたら、どこかでラーメン屋さんの皿洗いでもして暮らしておられるかも」
 
「それもしかしたら、御本人としては理想的な生き方だったりして」
「ええ。男であった過去をきれいに捨てて、普通の女として生きていく」
「お父ちゃんも全てを捨てたい?」
とミツルは父親に尋ねた。
 
「私にはミツルもいるし、お母ちゃんもいる。私は今の生活が幸せだよ」
と水城さんは言った。
 
青葉は水城さんに言った。
「かなりこの怪異の性質が分かりました。ちょっと解決のための準備に少し手間が掛かりそうなのですが」
 
と言って青葉は手帳を見る。
 
「7月21日頃にこちらにまたお邪魔していいですか?もしかしたら日程は少し変わるかも知れませんが」
 
「ええ、私は自営業で締め切りに余裕があるので、前日までに言ってもらえば高岡までお迎えに行けると思います」
 
「21日になった場合は、私はその日富山市に用事があるんですよ。もしそうなった場合は、富山で拾って頂けませんか?」
「いいですよ」
 
それでその日は水城さんに高岡の自宅近くまで青葉は送ってもらった。 

ユニバーシアード4位という立派な成績を土産に7月14日に韓国から帰国した千里は、翌15日は今度はフル代表の方に招集され、8月末に中国で開かれるアジア選手権(オリンピック予選)を目指すことになった。それで長期間合宿で時間が取られるので、さすがにJソフトは退職させてもらおうと思い退職願いを毛筆で書いて16日、会社に持っていったのだが、専務はアジア選手権の終わる9月5日まで休職にするから辞めないでくれと言った。
 
そして7月17日(金)。千里はこの日、朝から新幹線に乗って富山に向かった。 
富山駅で、この日学校を休んだ青葉と合流する。
 
「だいたい道具立ては揃ったんだけど、ちー姉の意見を聞きたいと思って」
と青葉が言う。
「今回はお互いの日程が合うのが今日しか無かったね」
と千里も言う。
 
青葉は18日から20日まで水泳の北信越大会(インターハイ予選)がある。一方千里は20日夜から東京北区の合宿所に入り、その後、オーストラリア遠征が入るのである。
 
富山駅そばのロッテリアでリブサンドのセットなど食べながら青葉はここまでの状況を語った。
 
「それってさあ。妖怪のせいなのね?って奴では」
 
「うん。基本的にそうだと思う」
「ちがーう! そこは『そうなのよ』と言ってもらわなくちゃ」
「えっと・・・」
と青葉は焦る。ちー姉、なんか詳しいじゃん!

 
「でもだから神社の孫息子さんが戻って来てまた町内の巡回を再開してくれたら収まると思うんだけど、とりあえず半年くらいもつような応急処置をしておきたいんだよね」
 
「それで高野山★★院の御札とお伊勢さんの大麻と椿大神社の御札か」
 
「どの順序で押さえればいいと思う?」
「対向位置に貼るんでしょ?」
 
「あっ・・・・」
「もしかして青葉、各々のポイントに貼ろうとした?」
「それじゃ意味無いね」
「そうそう。各々の対抗ポイントに貼ることでエネルギーが活性化する」
 

11時頃、水城さんが富山駅前まで迎えに来てくれた。青葉は
 
「姉で、私と同様に性転換している千里です」
と紹介した。
 
「えー!? もしかして兄弟から姉妹になっちゃったんですか?」
「ですです」
「親も可哀想」
「ああ、そう思うことはあります」
「もうひとり天然女性の姉がいますけど、レスビアンですし」
と青葉は言う。
「子供3人もいて孫ができるのは絶望的ですか?」
 
「それを何とかして作ろうと思っているんですけどね」
「へー」
 

3人はM村まで行くと、最初に神社と大黒堂と塞の神にその順序にお参りした。その後で、まずは神社の対向位置に行く。そこには公民館があった。水城さんが公民館の館長さんに声を掛け、例の怪異の件で知り合いの霊能者さんに来てもらったので、ここに御札を貼っていいかと尋ねる。
 
「ああ、いいですよ」
 
それで青葉が「念」を込めてそこに神宮大麻を貼った。
 
「凄いね。そういう貼り方、私にはできない」
と千里が言う。
 
「もっと凄い貼り方するんでしょ?」
と青葉は言い返す。
 
その後、大黒堂の対向位置に行く。ここには町内会長さんの家かある。事情を話すと
 
「どうぞどうぞ、どこにでも貼って下さい」
と言うので、青葉はその家の納屋の角に★★院の御札を貼らせてもらった。 
最後に塞の神の対向位置に行く。ここには建設会社があった。社長さんに声を掛けると、どこにでも貼ってというので、青葉は資材置き場の入口そばに、椿大神社の御札を貼った。
 
「これで封じたはずです。少し様子を見てもらえませんか」
「分かりました。ありがとうございます!」
 
と言ってから水城さんは少し心配そうな声で言う。
 
「あのぉ、お代はおいくらくらいお納めすればいいですか?」
 
青葉はニコッと笑って言う。
 
「今回は私もたまたま通り掛かりで関わっただけなので無料で」
 
しかし千里はその横から言った。
 
「これで解決したかどうかを1〜2ヶ月、様子を見て頂いて、それで何とかなったようでしたら、地元のお酒でも頂けませんか?」
 
「はい、そのくらいでしたら」
 
青葉は千里がお酒など頼むなんて珍しいなと思って見ていた。
 

水泳の北信越大会が終わった翌日、7月21日、青葉は朝から富山市内の富山県運転教育センターまで出かけて行った。
 
用意していた住民票と写真を提出、身分証明書として国民健康保険証を提示した。 
がいきなり言われる。
「あんた、これ違うよ。お兄さんか誰かの書類?」
 
「いえ、本人です」
「でもこの書類は男性の書類だけど」
「私、性転換しているので」
「へ?」
「こちらお医者さんに書いて頂いた性転換証明書です。20歳になるまで戸籍の性別が変更できないんですよ」
と言って松井先生に書いてもらった証明書(日本語)も提示する。
 
「なるほどー。分かりました」
 
それで受け付けてもらえた。
 

試験はだいたい全部正解したとは思ったものの、何とも「微妙」な問題もあったので、解釈違いで不正解になるものも少しあったかも知れないという気はした。しかし無事合格していたので、午後から講習を受けて免許証を受け取る。 
この時、青葉は
「ちょっとお話があるのですが」
と言われて40代くらいの女性職員に呼ばれた。
 
廊下では他の人に聞かれるからと言われて近くの空いている教室に入った。 
「性転換なさったということを聞いたのですが」
「はい」
「20歳になったら法的な性別を変更なさるんですね?」
「そのつもりです」
「でしたら、性別を変更した場合、最寄りの警察署でもいいですし、こちらでもいいので、性別変更届けを出していただけますか?」
「はい、分かりました」
 
「ご覧の通り、免許証の表面自体には性別は記載されていないのですが、免許証内に入っているICチップには本籍地や性別が記録されていますし、警察のデータベースにも性別は記録されているので、それを変更する必要があるのですよ」
 
「なるほどですね」
「この免許証は平成30年6月22日まで有効ですが、あなたは平成29年5月22日で20歳になられるので、20歳になってすぐ申請なさったら、たぶん7月頃には性別変更になりますよね?」
 
「はい、そのくらいになると思います」
「裁判所の認可が下りてからだいたい半月程度で役所の書類が書き換わりますので、裁判所からの認可通知が届いてから1ヶ月程度してから、免許証の性別変更の手続きをして頂けますか?」
 
「分かりました。親切にありがとうございます」
「性別変更の書類は、受付の所にいつもありますので」
 
青葉は驚いた。
 
「性別変更ってわりとよくあるんですか?」
「どうでしょう? 書類自体は20年以上前から様式があったようですが、私はまだ関わったことがないですね。例の特例法ができてからは時々来られる方があるとは聞いていますが。昔はたぶん半陰陽で性別を変更した人がいたんではないでしょうか」
 
「なるほどー」
 

そういう訳でその日は夕方高岡に戻ったのだが、翌7月22日、また朝から富山まで行き運転教育センターまで出かけていく。本当はこの日は月2回通っている金沢のアナウンススクールに行くはずだったのだが欠席する。
 
免許センターの受付は昨日と同じ人だった。
 
「あら、あんたまた来たのね。昨日落ちちゃった?」
「いえ、合格しました。こちら昨日頂いた免許です」
 
と言って青葉はグリーンの帯の免許証を提示する。
 
「あら、そしたら今日は?」
「今日は小特を受けます」
「あんた、もしかしてフルビット狙い?」
「はい」
「だったら知ってる?2017年に準中型ってできるんだけど」
「はい。聞きました。ですからそれまで中型は受けません」
「うんうん。頑張ってね」
「ありがとうございます」
 
それでまた似たような試験を受けたが、受験した部屋は原付の受験者と同じ部屋であった。そもそも小特なんて受ける人はほとんど居ないので、相部屋なのだろう。試験官の説明も原付の人向けの説明だ。昨日と同じ人だったが昨日と同じジョークを言っていた。
 
実際の試験は今回も「自分的」には全問正解したつもり。ただ例によって微妙な問題を外した可能性はある。それでもちゃんと合格していたので、免許証が発行されるまで待つ(小特は講習は無い)。
 
やがて時間になり名前を呼ばれるので、昨日受け取ったばかりのグリーンの帯の免許証を返納して、新しいブルーの帯の免許証を受け取った。
 
昨日の免許証も今日もらった免許証も「平成30年6月22日まで有効」の表示であった。
 

この免許証を取った翌日は世梨奈・久本照香と一緒に新幹線を高崎で乗り継いで越後湯沢まで行き、苗場ロックフェスティバルにローズ+リリーの伴奏者として参加した。
 
フェスが終わった後は「ここまで来たついでに」と言われて東京まで行き、冬子たちのマンションの「怪しい物チェック」をするとともに、ローズ+リリーの『摩天楼』という曲の音源制作にも参加した。
 
作業が終わったのは29日の深夜で、その晩は冬子のマンションに泊まり、翌30日は久しぶりに彪志との束の間のデートをした。
 
「いっそドライブデートする?」
「あ、それもいいね」
 
ということでレンタカーでトヨタIsisを借りて、長野までのドライブを楽しんだ。長野駅22:29の最終《かがやき519》に乗って富山に帰還する予定である。 

「この車の名前って前から思ってたけど、エジプトの神様みたいな名前だね」
「ああ、それが名前の由来だったと思うよ」
「あ、そうなんだ?」
「青葉なら大沼先生の所のイシス学院も知ってるでしょ?」
「うん。あそこの古くからの参加者や関係者に知り合いが複数いるよ」
 
「ちょっと例の組織が同じ略称になってるのは迷惑だけどね」
「うん。だから私は例の組織のことはISILと呼んでる」
「ちなみにこの車自体の名前は《アイシス》と読むんだけどね」
「ああ、イシスじゃなかったのか」
「英語読みだね」
「なるほど」
 

この車を借りたのは「P2クラスなら何でも」と指定すると安くなるという話だったのでそういう指定をしたら、この車が出てきただけなのだが、室内が広くていいね、などという話をし、青葉が仮眠用に持って来ていた毛布などもあるので、時々PAの駐車場の隅に駐めてはゆっくりと「休憩」したりしながら長野方面に走って行った。
 
「彪志は車買わないの?」
「就職してから考える」
「まだ勤務地は分からないんだっけ?」
「まだ内々定だからね。実際勤務地は3月にならないと分からないかも」
「富山になるといいなあ」
「俺もそうなって欲しいけどね」
 

少し早めの夕食を東部湯の丸SAで取った後、千曲川さかきPAで「休憩」していた時、物凄いクラクションで目が覚める。続いて急ブレーキの音と、ガチャッという音がした。
 
何だ何だ?と思って外の様子を見ると乗用車どうしが衝突したようである。 
「あらあら」
 
青いマークXだろうか、それとグレイのウィングロードっぽい車がぶつかっている。その時青葉はPAの出口の方に走って行く白いレクサスを見た。青葉がその車に注目したのは、その車が構内とは思えない凄い速度で走っていたからである。本線への合流車線に向かう所でちょうどこちらの車に真後ろを向ける形になる。その時、青葉はその車のナンバーが417なのを見て『あ、桃姉の誕生日だ』と思ったのを記憶している。
 
「青葉、服着なくちゃ」
「うん」
 
レンタカーを突然借りたのでサンシェードの類いがない。事故で野次馬が集まってきた場合、覗こうと思えば外から簡単に覗けるので、お互い慌てて服を着た。あまり慌てていたので彪志のバッグをひっくり返してしまう。
 
「ごめーん」
「いや大丈夫。服を着たらすぐ拾うよ」
 
うん。服を着るのが第一優先。
 
それで青葉もブラなどは後でつけることにしてとりあえず見られても平気な程度に服を整える。それで彪志のバッグの中身を拾おうとしていたら、今度は自分のバッグをひっくり返してしまう。
 
「わっ」
 

などとやっている内に、窓がトントンとノックされた。
 
見ると警官である。通報を受けて出動したにしては随分早い。偶然近くを走行中だったのであろう。後部座席の窓を開けて返事する。
 
「はいはい」
「恐れ入ります。ご休憩中ですか?」
「ええ、二人で御休憩してました」
と彪志が言うので、青葉は反射的に彪志の脇腹をド突いた。
 
「今そこで乗用車どうしの衝突があったのですが、目撃はなさってませんよね?」
と警官は訊く。
 
「すみません。ちょっと仮眠していたもので。私たちもクラクションの音とガチャンって音がしたので起きて『あらら、事故だね』と言っていたんですよ」
 
「じゃ現場から逃走した車とかも見てないですよね?」
 
青葉は警官のことばで、事故直後にPAを出て行ったレクサスのことを思い出した。 
「事故直後に凄い速度でPAから出て行った白いレクサスがあったのですが、それとは違いますよね?」
と青葉は警官に尋ねる。
 
「あっ、きっとそれです。衝突した車のドライバーさんは、白い車が突っ込むようにして来たので、それを避けようとして別の車に衝突したとおっしゃってるんですよ」
 
「だったらそれかも知れません。もし無関係の車だったらごめんなさい。白いレクサスVDでナンバーは417です」
 
「よくナンバーまで覚えておられますね!」
「私の姉の誕生日が4月17日で、それと同じだと思ったもので」
 
「ありがとうございます。助かります」
 
隣に居た警官が電話をしている。おそらく緊急手配するのだろう。
 
「ご協力ありがとうございます。念のため、運転免許証を拝見できますか?」
「はいはい」
 
警官が言うので彪志は今床にぶちまけてしまったものを何とか拾い集めたバッグの中から運転免許証を取り出し、警官に渡す。
 
すると警官が顔をしかめた。
 
「この免許証は普通免許が付いていませんが」
「え?」
 
と言って彪志が警官が手に持つ免許証を見て、そこには青葉の写真が転写されているのに気づく。
 
「あ、すみません。それは連れの免許証です」
と彪志。
 
「あれ?じゃ私が拾ったほうが彪志の免許証かな?」
と青葉は言って、自分のバッグの中から免許証を取り出す。
 
「すみませーん。こちらです」
「なるほど。免許取ってから3年ですね」
「はい。昨年11月にブルー免許になりました」
と彪志。
 
「さっきお互いのバッグをひっくり返してしまったんですよ。それで慌てて中身を拾っている内に免許証が入れ替わってしまったみたいで」
と青葉が弁解する。
 
「気がつかずにそのまま持っていたら大変でしたね」
と警官も笑顔で言う。
 
「写真見てギョッとしている所だった」
「私の方は普通免許があれば原付も乗れるから、性転換したんですよとか言えば切り抜けられるかも知れないけど、彪志は無免許で捕まっちゃう」
「まさに今そうなりかけたね」
 
「他人の免許証を提示したら詐欺罪ですよ」
と警官は一応警告する。
 
「でも性転換したんですとか美容整形したんですとか主張する人おられません?」
と彪志は警官に尋ねる。
 
「たまにおられますけど、あなた方は極端に顔の作りが違うから美容整形では難しそうですね」
などと警官は答える。ちょっと話好きっぽい人だ。
 
「でもまあ怪しい場合は、暑までご同行頂いてよくよくお話を聞く場合もありますね」
「なるほどー」
 
「千葉からおいでになったんですか?」
「ええ。長野までドライブします」
「そうですか。ではお手間おかけしました。安全運転で」
「はい、ありがとうございます」
 

それで警官は去って行った。
 
「いやあ、危なかったね」
「うん。服の方も危なかった」
 
「でも青葉、いつから免許持ってたの?」
「この21日に取ったんだよ」
「でもこれ帯がブルーじゃん」
「21日に原付を取って、22日に小特を取ったんだよ。だから21日にもらった免許はグリーンだったけど、翌日即ブルー免許になった。グリーン持ってたのは1日だけ」
 
「へー。上位免許取ったらブルーになるというのは知ってたけど、原付の後に小特でもブルーになるんだ?」
「うん、そうみたい」
「でも小特って、フルビッター狙い?」
 
「そうそう。だから準中型が創設されるまでは絶対にその上位免許は取らない」
「きっと青葉が取った後で、準々中型ができるよ」
「その時はいったん免許を全部返上して」
 
「頑張るなあ」
 
「でも確かに彪志がどう整形手術しても私の顔にはならないかもね」
「まあ骨格が違いすぎるね」
「私の顔は、ひょっとした男性ホルモンやってたらごつくなって彪志の顔になるかも知れないけどね」
 
「基本的に小は大に変化しても、大は小には変化できない」
「私がもし小学生の内に自己去勢してなくて、男として成長していたらどんな顔になったんだろうなあ」
 
「想像できないし、想像したくもない」
と彪志はやや不機嫌そうに言った。
 
「私が男になってたら、彪志は私に恋してなかった?」
「悪いけど、俺ホモじゃないから」
「やってみたらハマるかもよ」
「うーん・・・・」
 
 
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