【春退】(3)
1 2 3 4 5 6
(C)Eriko Kawaguchi 2016-02-14
同じ9月1日、武漢(ウーハン)。
19:30(日本時刻20:30)、アジア選手権予選リーグ第4戦、日本と中国の対戦が始まるが、試合前にアンチ・ドーピング機関の人が来て、29日にドーピング検査を受けた玲央美と千里の簡易検査結果を持って来た。
「ふたりとも取り敢えず現段階では禁止薬物や怪しげな成分は検出されていません」
と係の人は報告し、千里も変な薬やドリンクなどは避けてはいるもののホッとする。
「ただ村山選手でひとつだけ気になったのが」
と係の人が言う。
「はい?」
「村山選手、最近出産なさいましたか?」
「はい。6月28日に子供を産みました。国内に置いてきていますが」
と千里は笑顔で答える。
周囲が「ん?」と顔を見合わせる。
「ああ、それなら問題ありません。別に禁止成分とかではないのですが、プロラクチンとオキシトシンの濃度が物凄く高いので」
「お乳出ますよ。出してみましょうか」
と言って、千里はユニフォームをめくり、ブラジャーをずらすと乳首を押して母乳を出してみせた。
周囲から「おぉ」という声が上がる。
「私たちって哺乳動物なのね」
などという声も出る。
「赤ちゃん産んですぐの大会で大変でしたね」
と係官も笑顔である。
「もう2ヶ月経つから平気です。ユニバーシアードにも出ましたけど、あの時は出産直後で大変でした。鎮痛剤使うとお乳にも悪影響が出るしドーピングにも引っかかるので、鍼で痛みをブロックしてもらって試合に出たんですよ」
と千里は語る。
「鍼ですか!」
「中国の伝統医学は素晴らしいです」
「ええ。私たちの誇りです」
と係官も本当に誇らしげな顔であった。
係官が退出してから当然突っ込まれる。
「千里、いったいいつの間に出産した?」
「さっきも言ったように6月28日」
「それ東京で合宿やってた日だよな」
「いや、産気づいてから1時間くらい。あまりにも速くて会陰切開する間も無かったという超安産だったよ。いい子だわ」
と千里。
「そういえばユニバーシアードの時、千里、ドーナツ座布団使ってた」
と江美子が言う。
「安産でも結構あそこは切れてるから。あの座布団に随分お世話になった」
玲央美がしばらく考えてから言う。
「それって細川さんの子だよね?」
ざわめくような声がある。千里と貴司の関係は、結構周囲にバレている。無論みな貴司には奥さんがいることも知っている。
しかし千里は平然として玲央美の問いに答えた。
「そうだよ。でもセックスはしてないよ。セックスしたら不倫になるから」
「セックスせずにどうやって子供を産む?」
「体外受精したんだよ」
「ほほぉ」
「細川の奥さんは卵子が育たない病気なんだよ。だから代わりに私の卵子を使ったんだよ」
「それで体外受精なのか」
「でも妊娠していたらバスケできないから、出産直前まで赤ちゃんは細川の奥さんのお腹の中に入れていたんだよ。出産だけ私がした。あの人体力無いから出産するのは無理だったから」
「うーむ。。。。」
「千里の言葉って、どこまで本当でどこからがジョークなのかが分からん」
「いや多分、千里は全部マジなんだと思う」
と江美子が言った。
「取り敢えず千里が元男の娘だったって噂はやはりガセなんだろうな」
と亜津子が言う。
「それ噂というより本人が主張していたというか。私も一時期欺されてたけど周囲の人の話を聞いている内に、嘘だと判断した」
と蒔田優花。
彼女は旭川N高校OGだが、三木エレンの引退で今回チーム最年長になっている。1981年生。彼女も今年・来年が最後の日本代表だろう。主将の広川妙子は3つ下の1984年生である。
「男じゃ子供産めないしね」
「とりあえずお乳が出るというのは、女で間違いないな」
さて、いよいよ中国戦である。
日本はこの試合の先発をPG博美/SG亜津子/SG千里/SF玲央美/C良美、と平成123トリオを揃える態勢で始めた。ちなみに日本チームは千里を初戦の韓国戦では使ったものの、その後の2試合では使用していない。できるだけ中国に情報を与えないためである。
その千里のスリーで試合は始まる。序盤、日本は123トリオがフル回転して猛攻を加え、第1ピリオドで13-18と強豪中国に5点差を付けることに成功した。千里と亜津子で2本ずつスリーを決めている。
第2ピリオド必死の挽回を図る中国も頑張るものの、このピリオドも18-19と日本が1点のアドバンテージを確保。前半で31-37の6点差である。
第3ピリオド、平成123トリオを休ませている間に中国側が猛攻。一時は中国が逆転するものの、これを妙子や江美子などが何とかしのぎ、再び逆転して43-45と2点リードで終わる。このピリオドだけの得点で見ると12-8である。
第4ピリオド、日本は123トリオを戻す。しかし中国も必死の攻撃をしてシーソーゲームが続く。残り1分を切ったところで地力に勝る中国はとうとう逆転に成功。56-54となるものの、残り12秒で玲央美のスティールから亜津子のスリーが決まり、最後の最後で56-57とわずか1点差で日本が超激戦を制した。
「中国は千里を研究していた雰囲気だった」
「でも研究していたのと違ったという感じだったね」
といった声が試合後の控室で出た。
「ユニバーシアードの千里のビデオを研究したんだと思う」
と江美子が言う。
「でもユニバーシアードの千里が1なら今回の韓国戦や中国戦の千里は20くらいあるから」
と江美子は言う。
「そんなに違う?」
と翼沙が訊く。
「違う」
と江美子、玲央美、妙子、亜津子が断言する。
「ユニバやってた時、千里本調子じゃ無いなと思ってたんだよ。だからやはりしばらくブランクがあったせいかと思った」
と江美子は遠慮無く言う。
「でも出産の話で分かったよ。出産直後だったからあのプレイだった訳だ」
「ごめんねー」
「しかし本調子じゃなかったと言いつつ、3Pリーダーになってるし」
という声もある。
「チームがメダル取れなかったから、3Pリーダーでも嬉しくない」
と千里。
「じゃ千里が本調子なら決勝戦行けたかもね」
と控えポイントガードの比嘉優雨花が言う。
「うん。そんな気がするよ」
と江美子。
「代わりに来年のオリンピックでは優勝に貢献してもらわなくては」
と亜津子が言った。
日本は翌日9月2日のタイ戦は43-95で圧勝。予選リーグを首位で通過。決勝トーナメントに進出した。結局予選リーグの成績は、1位日本、2位中国、3位韓国、4位台湾である。
9月2日の夜、冬子から青葉に電話があった。
「千里の活躍凄いね」
と冬子はいきなり言う。
「どうもいったん落とされたというの自体がフェイクだったみたいですね」
「うん。あれは千里を中国に隠すための作戦だったみたい。落とされたにしては、随分平静だなという気はしていたんだよね。17日に1度会ったんだけどむしろ千里の目は熱く燃えていたし」
と冬子。
「完全に欺されました。あれ?17日に会ったんですか?」
と青葉。
「うん。17日朝帰国したみたい。それでその日に夕方からはもう都内の合宿所で合宿に入ったらしいし」
「ハードだなぁ」
「全く」
青葉は会ったり電話している人の「内心」をたいてい読み取れる。読み取れないのはブロックされてしまう菊枝さんくらいと思っていたのだが、最近認識してきたのが千里の「内心」は読めている気がするのに、読めた内心が本物ではないようだということである。千里は様々なものをフェイクしていて、完全に欺される。
「ところでさ、青葉。Flying Soberの音源聴いたんだけど」
「ありがとうございます」
「あの中のFlying Singerって曲いいね」
「あれは空帆ちゃんの曲なんですよ」
「うんうん。あの曲、私たちが今作っている最中のアルバム『TheCity』に使わせてもらえないかと思って」
「いいと思いますよ。すぐ本人に確認します」
青葉がいったん電話を切って空帆に電話してみると
「気に入ってもらったのなら、使って下さい。印税楽しみにしてますと言っておいて」
「了解。少しアレンジさせてもらうかも知れないけど」
「うん。自由にアレンジして、ケイさんがアレンジしたらどうなるかもちょっと楽しみだよ」
「じゃ、そう伝えるね。あとで使用許可・編曲許可の書類そちらに持っていくから、それに署名してもらえる?」
「いいよー」
それで青葉は冬子に電話し、使用許可・編曲許可が取れたこと、印税楽しみにしてますと言っていたことを伝えた。
「じゃだいたいのスコアができた所で、そちらに一度送るよ。最終的にはそこから更にまた変えるかも知れないけど」
「分かりました。お願いします」
「それと良かったらJASRACか、あるいは他の著作権管理団体でもいいけど登録してもらえると助かるんだけど」
「それは空帆に許可取って私の方で手続きしますよ」
「うん、よろしく。管理番号とか発行されたら教えて」
「分かりました」
アジア選手権は9月3日の休養日を置いて、9月4日から決勝トーナメントが始まる。準決勝は予選リーグ4位の台湾で、台湾はかなり頑張ったものの、日本が58-65で試合を制し、決勝に進出した。日本は例によって千里をこの試合には出さなかった。もうひとつの準決勝は中国が韓国に45-60で快勝した。
そして9月5日、東京で山村星歌の結婚式が行われた日の19:30(日本時刻20:30)武漢(ウーハン)では日本と中国による本大会決勝戦が行われた。
この大会で発行されるオリンピック切符は1枚のみである。日本と中国の内、勝った方のみがリオに行ける。負けたら来年6月にフランスのナントで行われる世界最終予選に回ることになる。決勝戦に先立ち行われた3位決定戦では韓国が台湾を下して、その最終予選の切符を手にした。決勝戦で勝った方はリオ行きの切符、負けた方はナント行きの切符を受け取ることになる。ここは是か非でもリオ行きの切符の方を取りたい所である。
試合は中国が先制する。
フリースローを1点決めた後、更に得点して3-0。キャプテンの妙子が2点返すも中国も2点返して5-2のまましばらく試合は膠着状態に陥る。特に中国は亜津子のスリーに警戒して執拗なマークをし、結果的に日本の攻めは妙子や玲央美を使った近くからのシュートを狙うパターンになるが、中国が硬い守りを見せるため、なかなかゴールを奪えない。
第1ピリオドが半分すぎた所で中国が選手交代をしたのに合わせて日本は妙子を下げて千里を投入する。123トリオのそろい踏みである。
すると交代して入った千里がいきなりスリーを決め、ここから試合は動き出した。
亜津子・千里と長距離砲の発射点が2つになったことから、中国側は一応ふたりにマーカーを付けるものの、両者の動きのタイプが異なることもあり、やはり未研究の千里のマーカーはしばしば振り切られてしまう。
そして2人マーカーを出して3人で内側を守ると、やはりどうしても守りが手薄になり、俊敏で変化あふれる玲央美の動きに付いていけない。それで玲央美からも得点を奪われる。
結果的にこのピリオドの後半は日本側の猛攻という感じになり、11-23とまさかのダブルスコアになった。
第2ピリオドも日本の猛攻は続き、このピリオドも11-21とダブルスコア。前半を終わって22-44である。
13000人入る武漢体育中心(Wuhan Sports Center)体育館はほとんどが中国応援団である。日本から来ている応援者はわずか。それに友情応援ということでホンダ現地支店の中国人スタッフも日本の応援をしてくれているが、それ以外は圧倒的に中国を応援する声が大きい中、日本チームは得点を重ね、リードを広げて行った。
第3ピリオドは厳しいマークを受けて疲れていた亜津子をいったん下げ、またずっと出ていた玲央美も下げて、江美子・(中塚)翼沙を出すが、ここまであまり出番の無かった江美子が爆発する。彼女も中国が未研究だったこともあり、相手守備陣を翻弄し、器用にボールをゴールに放り込んでいく。
結局このピリオドも12-24のダブルスコア。想定外の展開に中国の大観衆から悲鳴があがる。
第4ピリオドは玲央美・千里を戻すが、中国側もこんな所で負けられないと必死の反撃をしてくる。それでこのピリオドは16-17と競った展開になったものの、これまでの貯金が大きく、最終的に試合は50-85という大差で日本が勝った。
終わってみれば日本女子は2大会連続のアジア選手権優勝で、五輪団体競技の中でトップを切ってリオ行きの切符をつかんだのであった。
試合終了後、山野監督、高田コーチの胴上げに続いて、広川主将、佐藤玲央美が胴上げされる。更に「もっと行くぞ」という声で、亜津子、(武藤)博美、(金子)良美と胴上げされた後、千里まで胴上げされた。
千里は選手の中で6番目に胴上げされたのだが、今回千里は本当に優秀な「Sixth player」であった。Sixth playerこそが試合の鍵を握るとは言われるが、まさに千里はその役目を果たして、日本はオリンピック切符をつかむのに成功したのである。
千里自身は胴上げは4度目の経験だが、国際大会での胴上げは高校3年の時のU18アジア選手権を制した時以来7年ぶりであった。国内大会では高校の時の国体制覇では宇田先生が遠慮してしまったため胴上げをしなかったが、2012年3月にローキューツで全日本クラブ選手権を制覇した時と、2015年3月に今度は40 minutesで同じく全日本クラブ選手権を制覇した時に経験している。
胴上げされている時は結構不安なのだが、でもこれって良いもんだよなあ、と千里は思った。
表彰式で、全員金メダルを掛けてもらう。MVPは佐藤玲央美が選ばれた。また個人別成績では総得点で佐藤が1位、総3ポイントゴール数で花園がトップ、総アシスト数で武藤がトップだった。総リバウンド数は中国の選手がトップで金子は2位であった。
千里は賞状と賞品をもらってきた玲央美・亜津子と握手したが、玲央美は満面の笑顔だったものの、亜津子が不満そうだったので、後で「どうかしたの?」と訊いたら
「確かに得点数では私が勝ったけどさ、出場した試合数あたりの3Pの数はちーが多い」
と言っていた。
亜津子はインド・タイ戦を除く5試合に出てスリーを22本決めている(4.4M/G). これに対して千里は3試合のみに出場してスリーは17本入れている(5.7M/G). これが亜津子には不満だったようである。
「あっちゃんはレギュラーで私は控えなんだから仕方ないよ。あっちゃん、無茶苦茶マークされてたもん」
と千里は笑顔で言っておいた。
表彰式が終わってから、日本人選手団が不測の事態に備えて警備員さんたちにガードされてロビーに出てきた時、ひとりの女性が
「ダイジョブ、ワタシ、ニホンジンアル」
と極めて怪しげなヨコハマ・ダイアレクト(?)で警備陣を押しのけて近寄って来た。
「鮎川さん!」
と千里が声を上げる。
「お知り合いですか?」
と彼女を捕まえるべきかどうか悩んでいた風の警備の中国人女性からきれいな日本語で尋ねられる。
「是。她是我的朋友」
と千里の方が警備の人に中国語で答える(武漢は湖北省だが北京語である)。それで警備の人は鮎川ゆまから離れて周囲に警戒する態勢に戻った。
「応援に来てくださったんですか?」
と千里は歩きながら話す。
「うん。だって日本がオリンピックに行けるかどうかの大事な試合じゃん。それに千里が出ると聞いて、飛んできたんだよ」
「ありがとうございます。よく試合のチケット取れましたね?」
「ダフ屋から買った」
「すみませーん」
「今日は絶対勝つと思ったからさ。これ選手のみなさんに」
と言って何と黄金のカモメの玉子の箱が出てくる。
他の選手からも歓声が上がる。
「日本から持って来たんですか!」
「優勝したら金メダルにちなんで黄金色のお菓子と思って」
「鮎川さん、ちなみにお菓子の底に小判は入ってませんよね?」
と隣から江美子が言う。江美子は鮎川ゆまと過去に何度か会ったことがある。
「キラちゃん(江美子のコートネーム)、私もそこまでは儲かってないから無理。バックバンドの給料って安いんだよ」
などとゆまは言っていた。
宿舎に戻ってから千里は最初に青葉と電話で話した。
「優勝おめでとう!ずっとネットで試合経過見てた」
「テレビ中継くらいしてくれたらいいのにね。でも優勝できて良かった」
「今回はちー姉って最初から秘密兵器として使われていたのね」
「うん。だから鍵を握る試合だけに出してもらった。私自身が大きな国際大会の経験浅いし、ちょうど三木さんが引退の意志を表明していたし、色々な偶然から私を秘密兵器として使うことができたんだよ。おかげで2004年アテネ五輪以来のオリンピック出場を達成できた」
「ちー姉、本当は全試合に出たくなかった?」
「そりゃ出たいさ。でもFor the teamだよ」
青葉はこの時、一瞬だけ千里の本心が伝わってきたような気がした。
「本戦には最初から出るよね?」
「まあもう秘密兵器にはなれないからね。でもたぶん今回の代表の3分の1は落とされると思う」
「きびしー」
「だって今回ヤング代表で活躍した高梁王子は間違いなくフル代表に入れると思うし、うちの雪子だって当然フル代表狙ってるし、他にユニバ代表だった前田彰恵・大野百合絵もオリンピックに向けての代表候補には絶対リストアップされるよ」
「高梁さんは凄いね」
「まあ私も直前で落とされないように頑張るけどね」
「もう落とされないでしょ」
「鍛錬次第」
その言葉に青葉は心が引き締まる思いだった。
千里は、青葉との電話を終えると、貴司から何度も着信が来ているのに気づく。しかし自分から掛ける気はしないので少し待っていたら、再度貴司から掛かってきたので取った。
「千里、オリンピック切符、おめでとう」
「ありがとう。次は男子の番だよ。貴司頑張ってね」
「うん。女子と違って男子は厳しいけど頑張るよ」
男子の方は9月23日から10月3日に掛けて、同じ中国の長沙(チャンシャー)でアジア選手権が行われる。男子も優勝しなければオリンピックの切符はもらえない。世界最終予選に進むのは女子は3位までだったが、男子は4位までなら行くことができる。なお2位になれば世界最終予選の「ホスト国」になれるので、地の利がある中で戦うことができる。
「でもそちらの大会は調子悪いみたいだね」
「いや調子悪いんじゃなくて、これが日本男子の実力だと思う」
「取り敢えず明日のロシア戦は勝とう」
「ロシアには絶対無理」
「試合前からそんなこと言ってちゃダメだよ」
貴司は現在台湾に居て、ウィリアム・ジョーンズ・カップに出場している。つまり、この通話は実は台湾から中国に掛けているのである。しかし男子日本代表はここまで、台湾A・アメリカ・イラン・フィリピン・ニュージーランドと5連敗した後、やっと昨日韓国に勝ち、今日は台湾Bに勝った。2勝5敗で暫定8位である。
「京平は元気してる?」
「ごめーん。全然家に帰ってないもんだから。でも大丈夫だと思うよ。何も連絡は無いし」
うーん。全くあてにならない男のようだと千里は思う。阿倍子さんも大変だ!
「電話くらいは毎日してるんでしょ?」
「うーんと・・・電話は阿倍子が退院した日に掛けたかな」
「うっそー!? あれから1ヶ月半経ってるのに電話してないの?」
「メールは週に1回くらいしてるんだけど」
「あり得ない。阿倍子さん、凄く不安がってるよ。せめて2〜3日に1度は電話してあげなよ。あとメールは一言二言でもいいから毎日したら?」
「そんなもんかなあ」
「ひょっとして私との電話やメールの方が多くない?」
「う・・・もしかしたらそうかも」
「私はあくまで貴司のお友達だからね。嫉妬されたくないからちゃんと阿倍子さんが不満を持たないようにしてよ。不倫だとか言われて慰謝料請求の訴訟とか起こされるの嫌だからね」
「不倫はしてないつもりなんだけど・・・というか千里させてくれないじゃん」
「当然」
「ねぇ、一度でいいからセックスさせてくれない? その場限りで忘れるというのでもいいからさあ」
この男は全く・・・・。
「奥さんのいる男性とセックスなんてできません」
「もうずっとしてないから、寂しくて」
「自業自得」
「ちゃんとゴムは付けるから」
「そりゃ付けずにするなんて言語道断。そんなことしようとしたらチョン切っちゃうからね」
「相変わらず千里は過激だ」
貴司はその場で千里を結構口説いたものの、千里は断固としてはねのけた。ただ、双方が帰国したタイミングで1度デートしてもいいというのだけ妥協した。
貴司は7日に帰国し、そのあと9月11日には国内で合宿に入って、21日に中国に渡り、23日からのアジア選手権に臨むことになる。
9月6日(日)、コーラスの富山県大会が行われた。
青葉たちは一昨年は助っ人を大量に入れて25人ぎりぎりの人数で出て行った。15校の内規定人数に到達しているのが10校で、その内上位3校が中部大会に出て行けるということであったのだが、青葉たちは5位で上位大会進出はならなかった。
昨年は初めて部員だけで25人以上の人数(33人)を編成して出て行った。参加高校12校のうち規定人数に達しているのが6校で、上位2校が中部大会に進出するということであった。青葉たちは2位でこれをクリア、名古屋近郊の稲沢市まで行って中部大会に参加した。中部大会は18校中5位であった。
今年は逆に制限人数ジャストの40人で出て行く。これ以上増えると今度は参加できない部員が出ることになる。そして今年の富山県大会は昨年より更に参加校数の少ない10校、規定人数に達しているのは昨年と同じ6校で、やはり上位2校が中部大会に進出するということであった。
最初に規定人数に達していない4校が歌った後、正式参加のトップで歌ったのが青葉たちT高校であった。
最初は課題曲の『メイプルシロップ』を歌う。2年生の男子部員・翼のピアノで女声三部合唱で演奏する。実際には3人の男子が入っていて男子制服を着てアルトの所に並んでいるが、女声合唱という立場である。実際には1年生の2人は声を出していないが、3年生の吉田君は裏声で歌ってくれている。吉田君は1年生の時は強引に女子制服を着せられてしまったのだが、今年はちゃんと男子制服である。
今年は春からよくよく練習してきただけあって、かなり満足いく歌唱ができた。会場内の他の学校の生徒たちの拍手もわりと大きかった気がした。
続いて、自由曲『黄金の琵琶』に行く。
舞台下手側、ソプラノの一番前の列に並んでいた1年生の篠崎希がいったん舞台袖まで行って琵琶を持って出てくる。ピアニストの翼の近くにパイプ椅子を置いてそこに座ってスカートの中で足を組み、琵琶を抱える。
この思わぬ楽器の登場に会場内でざわめきが起きた。
なお希は学籍簿上では男子生徒で1学期の間は授業中男子制服を着ていたが、合唱軽音部では最初から女子として登録しており、部活の間は女子制服を着ていた。2学期からは学校の許可も出て授業中も女子制服を着ている。もちろん今日も女子制服を着て出てきているし、さっきの課題曲ではちゃんとソプラノの声を出して歌っていた。この発声法は1学期の間に青葉・空帆に吉田君らが協力して指導したものである。
今鏡先生の合図で希の琵琶が音を出し始める。続いて翼のピアノが鳴りだし、青葉たちは『黄金の琵琶』を歌い始めた。
昨年も一昨年も自由曲を決めたのが随分遅かったが今年は1月に曲を決めて取り敢えず現在の2−3年生だけで練習してきた。4月になってから1年生も入れて練習を更に重ねたし、希の琵琶も加わって本当に格好良い演奏になった。実際、会場内でもかなりのどよめきが起きていた。
演奏が終わると物凄い拍手があった。
その後、他の高校の歌唱を聴く。
昨年1位だったC高校、T高校と同点2位で決選投票で上位進出を逃したY高校、富山の私立高校に黒部市の高校と来て、最後がここ数年毎回1位だったのが昨年初めて中部大会進出を逃したW高校の演奏があった。
審議に入る。
審議は昨年も随分時間が掛かったが今年も長引いているようだった。昨年と同様許可をもらって会場にいる全校でいろいろな歌を歌って時間を過ごした。
やがて審査員長が壇上にあがった。
「大変お待たせしました。昨年も2位が同点3校だったのですが、実は今年も2位が3校あり、再審査に時間が掛かってしまいました」
と最初に説明がある。
それだけ僅差だったということであろう。
「では発表します。1位T高校」
「きゃー!」という声が青葉たちの周辺で起きた。昨年はまさか2位になるとは思ってもいなかったので反応できなかったのだが、今年はやはり昨年中部大会まで行った自信が2〜3年の部員にはあったんだろうなと青葉は思った。
部長の青葉が席を立って前に出て行き、審査員長さんから「富山県大会優勝」の賞状をもらった。笑顔で賞状を自分の学校の生徒たちの方に向けて見せ席に戻る時、W高校の子たちがこちらを凄い顔で睨んでいるのに気づいたが青葉はポーカーフェイスである。
毎年1位を続けて来たのに昨年・今年と2年連続で優勝を逃したのは確かに悔しいだろう。
しかし自分たちが1位なら2位の3校というのはC高校・Y高校・W高校ということだな、と青葉は考えた。
「では続けて2位の発表です。2位C高校」
C高校の席が凄い騒ぎである。部長が飛び上がるようにして小走りで前に出てきて賞状を受け取る。そしてもらった賞状を高く掲げて、振るようにしていた。
「以上。T高校とC高校は中部大会に進出します」
結局昨年と同じ2校が中部大会に行けることになった。
「なお、同点2位の2校はW高校とY高校でした」
Y高校は「残念!」という感じであったが、W高校の子たちは泣いていた。あらあら。なんか揉めなきゃいいけどなと青葉は思った。
9月5-6日の土日2日間、新潟市で全日本クラブバスケットボール選抜大会が行われていた。これに2月の関東選手権で1位・2位になった40 minutesと江戸娘が出場した。
ただ千里は日本代表として5日まで中国でアジア選手権に出ており40 minutesは中心選手の千里抜きで臨むことになった。
しかし千里が居ないという状態に普段千里頼りのチームが危機感を持ち、主将の秋葉夕子、ヤング日本代表にもなっているポイントガードの森田雪子を中心に必死で頑張る。
1回戦を84-85、2回戦を68-69と連続1点差で何とか勝ち上がり、迎える準決勝の相手は3月の選手権で決勝戦を戦った東海地区1位のセントールである。
ここで千里の不在を埋めるべく必死で頑張る中折渚紗がひとりで21点も取る活躍を見せる。するとそれに刺激されて中嶋橘花・竹宮星乃・橋田桂華・若生暢子といった自称「日本代表まで後ちょっと」レベルのメンバーたちも頑張って得点を重ね、結局53-72の点数とこの大会初めて快勝した。
「負けた〜」
「あんたたち、村山さん抜きでもこんなに強いなんて」
「もうWリーグに加盟しない?」
などと向こうの選手から言われる。
「40 minutesがプロになってクラブ連盟から抜けたら私たちの天下が来るのに」
「あははは」
「でもお金が無いよ。だいたい私たちみんな無給だから」
と秋葉夕子が言う。
「嘘!? じゃバイトとかしながら?」
「みんなどこかに勤めてたり主婦してたり」
「練習は気が向いた時に出てくる」
「そんなんでは、あり得ない強さだ」
「それに結構みんな子供の学校の行事とかで大会を欠席したりする」
「そんなの、あり得ない行動だ」
「私は参観なんて亭主に任せてるのに。亭主がダメな日は母ちゃんに頼む」
「それやると、奥さんを首にされそうで」
「離婚されてもいいんじゃない?」
「亭主の世話よりバスケの練習の方が面白いよ」
決勝戦は宮崎県のチームとの戦いになった。
このチームは準決勝で渚紗がポンポンいかにも簡単にスリーを放り込んでいるのを見ていたので、渚紗に異様に警戒し、厳しいマークをするものの、その分他の選手が動きやすくなってしまう。それで前半は星乃と桂華が点の取り合いをする展開となり、前半で12点も点差が付いてしまう。
後半になると渚紗に対するマークが甘くなり、しばしば渚紗はマークを外してスリーを奪う。加えて前半の星乃・桂華に代わって出てきた橘花・暢子の《旭川ペア》が星乃たちに負けじと頑張って得点を重ねる。
最終的には30点の大差を付けて40 minutesが勝利。
全日本クラブ選手権に続いて全日本クラブ選抜も制して、クラブ2冠を達成した。
表彰式の後で、バスケ協会の宮本専務理事が下田監督と秋葉夕子主将に声を掛けてきた。
「こないだ村山君と話をする機会があった時にも言ったんですがね。おたくのチーム、本当にプロ化する気はありませんか?」
「いや、私たちは楽しみでやっているので。主婦で家事の合間に練習している人もいるし、会社勤めで結構重要なポジションにあって仕事を辞められない人もいるし、ファーストフードの店長してる人もあるし」
「うんうん。そういう部分はあって結構。実際今Wリーグに所属しているチームでも、様々な契約形態の選手が混じっているから、チームをプロ化しても選手はプロでなくてもいいんですよ」
「ああ、なるほど」
「若い選手とかで、バイトしながら練習もしているような人だったら、いっそプロになって練習に専念してもらった方が、やりやすい面もありません?」
「うーん。それは考えられますが、採算が取れます?」
「基本的に採算が取れる範囲で活動すればいいんですよ」
「ほほぉ」
「だって今、そちらのチーム年間数百万経費が掛かってますよね?」
「です。実はその経費は全部村山が個人で負担しているんですよ」
「凄いですね!それは。でも有料の試合をしたり、ファンクラブを運営したりすることで、その内のいくらかでもカバーできると思いますよ」
「そうですねぇ・・・」
「村山君が帰ってきたら、一度一緒にうちに来てゆっくり話しませんか?社長になってくれそうな人の心当たりがなければ、適当な人を紹介もできると思いますし」
「そうですね。ちょっと村山とも相談して」
「ええ。いつでもご連絡ください」
「はい」
千里たち日本代表一行は9月5日夜の決戦で勝利を収め金メダルを獲得した後、その日は武漢市内のホテルにそのまま泊まり、翌日日本に帰国した。帰国後すぐに成田空港近くのヒルトンホテルで記者会見し、広川主将とMVPを取った佐藤玲央美がインタビューに応えたほか、千里も含めて各選手が一言ずつ喜びの言葉を述べた。
バスケ協会の川淵三郎会長は女子日本代表の新たな名称を決める意向も示した。
なおウィリアム・ジョーンズ・カップに出ていた男子日本代表は女子日本代表の翌日、9月7日に帰国し、やはり記者会見したが、集まった記者の数は女子日本代表の時より多かった。もっとも参加9チーム中8位(9位が台湾Bチームなので実質最下位)という成績に、男子の監督や主将は悲痛な表情で敗戦の弁を語ることになった。
一方の女子日本代表は7日も様々なスケジュールが組まれており、あちこち駆け回ることになり、千里たちが解放されたのは、7日も夕方であった。
用賀の自宅に戻った千里は夕子に電話して、お互いに
「アジア選手権優勝おめでとう」
「全日本クラブ選抜優勝おめでとう」
と言い合った。
取り敢えず12日、今度の土曜日に40 minutesの優勝祝賀会をしようということを決めた。また夕子は協会の専務理事さんから、40 minutesをプロ化しないかという話をされたことを話す。
「うん。それは私も個人的に別の人からも聞いた。協会はどうもうちとローキューツのクラブ2チーム、それに玲央美の実業団ジョイフルゴールドの3チームをプロ化したいみたいね。他にも幾つかのチームに声を掛けている気がする。それである程度プロチームを増やしてWリーグも2部制に戻したいのだろうし」
Wリーグは不況の影響で廃部になるチームが続出して、2部制を維持できなくなり、2012年冬シーズン以降、1部制でリーグ戦が行われている。
「実際今、千里、凄まじい経費を負担してるでしょ?」
「うん。今年は多分40 minutes関係の経費は500万円を超えると思う」
「ひぇー。ほんとにそんなに負担して大丈夫?」
「今は何とかなっているど、正直将来まで負担できるかどうかについては不安もある」
「だよねー。私とかも少し出せたらいいけど」
「気にしないで。夕子にはキャプテン引き受けてもらってるし」
「ただ私も来年くらい、そろそろ子供産みたいなという気もしててさ」
「あぁ」
「もし引退したら千里、キャプテンよろしくね」
「うーん。。。。夕子が逃げるなら私も逃げだそうかな」
「え〜〜〜!?」
「実はさ」
と言って千里はここの所、少し悩んでいることを夕子に打ち明けた。
「千里、それは前進すべきだよ。千里がそうするなら、私は籍だけでも来年いっぱいは40 minutesに置いておくよ。キャプテンはステラにでも押しつけて」
「ああ、あの子はキャプテン向きの性格」
時間を1日弱巻き戻す。千里が帰国して女子日本代表の記者会見が行われた9月6日の深夜、青葉の携帯に冬子から電話があった。
「夜分ごめん」
「いえ大丈夫ですよ」
「青葉ならたぶん受験勉強している所かなと思ったから」
「ええ。最近はだいたい2時頃まで勉強してます」
「凄いね!」
「夏休みインターハイで時間使ったし。今もまだコーラスの中部大会に向けて部活に時間使っているから、どこかで勉強を取り戻さないといけないんですよ」
「頑張るなあ。そうそう、例のFlying Singerなんだけど、考えてたんだけど、いっそ良かったらFlying Soberをバックに私たちが歌うようにできないかなと思ったんだけど」
「いいですけど、それいつ収録しますか?」
「たぶん、そちらの部活動の活動限界があるよね? それを確認してくれない?こちらは今アルバム制作中心の活動していて、たいてい何とかなると思うから」
「分かりました」
それで翌朝、青葉が今鏡先生に相談し、今鏡先生は更に教頭先生と相談する。その結果、9月中であればよいという教頭先生の許可が取れたので青葉はその場で職員室から冬子に電話を掛ける。
「Flying Soberっていったん先月末で活動停止したんだよね?」
「そうです」
「だったら、みんなが楽器の感触を忘れてない内の方がいいな。今週末の、12-13日とかどう?」
「至急打診してお返事します」
それで昼休みにFlying Soberのメンバーに急遽集まってもらい、スケジュールを確認する。
「大歓迎」
「ローズ+リリーのバックで演奏するとか凄い」
「用事は入っていたけど、ローズ+リリーが来てくれるんなら何とかする」
それでその場で青葉は冬子に再度電話し、12-13日にローズ+リリーの2人とサウンド管理のため近藤さん・七星さん夫妻も一緒に来て、一応その2日間で収録を終えるが、万一の場合は14日(月)の夕方に積み残しの作業をするかも、という線で話がまとまった。
一方青葉はこの日の夕方から、自動車学校の第2段階の講習に通い始めた。
第2段階は学科16時間・実車19時間で、実車(路上実習)は1日最大3時間乗ってもよいのだが、3時間連続してはならないことになっている。
青葉はコーラスの富山県大会が終わった後、9月7日から11日までの5日間は夕方16時まで授業があり、その後18時すぎまで部活があるのだが、自動車学校の講習に間に合うように17:45で抜けさせてもらって、そこから1.5kmほどの道を走って18時と19時の講習に参加した。基本的に学科を1時間聞いて実車1時間だが、日によっては学科の開催される時刻の都合で実車が先になった日もあった。
千里、夕子、麻依子に、下田監督、矢峰コーチの5人は9月8日、バスケ協会を訪問した。
宮本専務理事は5人に実際、将来のWリーグチーム拡張を目指して、その候補となるようなプロチームを数年以内に7〜8チーム育てたいのだということを言った。
「まあ私たちとローキューツ、ジョイフルゴールドには声が掛かっていることはお互いに情報交換していたのですけどね」
「まあ村山さんは、その2チームとは色々関わりも多いみたいですしね」
と言って専務理事は笑っている。
「村山は去年まではローキューツと40 minutesの両チームのオーナーでしたからね」
と下田監督。
「ええ。両チームが大会でぶつかる可能性が出てきたんで、ローキューツの方は作曲家で歌手のローズ+リリーのケイさんにオーナーを引き受けてもらったんですよ」
と千里は説明する。
「ああ、それは村山さんが仲介したんですか?」
「ケイとは震災のボランティアを通して知り合ったんですよ。震災当時、私は被災地で炊き出しのボランティアしていて、ケイは当時組んでいたローズクォーツというバンドで被災地の慰問をしていて、たまたま同じ会場でかち合ったのがきっかけで」
「やけどした赤ちゃんをみんなで協力して応急処置したって言ってたよね」
「そうそう。それで仲良くなっちゃったんですよ」
「面白い縁ですね」
と宮本さんは感心していた。
千里は40 minutesの運営会社を設立する場合は社長をしてくれそうな人のアテはあると言った。
「現在40 minutesが練習場所にしている体育館の館長をしていて3月いっぱいで勇退なさる予定の方なんですよ。スポーツには理解があるし、元々は舞通の子会社の九州支店長とかマニラ支店長とかをなさっていた方で、経営センスはあると思うんですよね。まだ計画はどうなるか分からないけどと断った上で話をしてみた範囲ではわりと乗り気です」
「元々、村山さんがその舞通絡みで彼を知っていたから、あの体育館を借りられることになったんでしょ?」
と下田監督は言う。
「まあ、実はそういうことなんですけどね。うまい具合に火木土が常に空いていたし」
「村山は完璧に舞通派閥だからなあ」
と矢峰コーチが言うことばを、夕子と麻依子の2人が一瞬厳しい表情で受け止めた、
ところで貴司だが、ウィリアム・ジョーンズ・カップが終わって7日に帰国すると、いったん大阪のマンションに帰る。合宿の合間の7月下旬に帰宅して以来の帰宅であったが、晩御飯を食べて京平の顔を見ただけで爆睡してしまう。そして翌日8日は「会社に色々報告があるから」と言って朝から出て行き、夜遅く帰宅する。そして9日には
「また合宿があるから」
と言って出て行ってしまった。阿倍子は貴司が戻って来ている間に色々買出しとかもして欲しかったしベビーベッドの位置も移動して欲しかったのだが、もう諦めの表情をしていた。
しかし貴司の合宿が始まったのは実は11日(金)であり、貴司が本当に合宿所に入ったのは10日の夕方である。
9月9日(水)は千里とデートの約束をしていた。
その千里は帰国した9月6日は実際物凄く疲れていたので用賀のアパートで寝た。翌7日も日本代表のみんなとともに、あちこち挨拶に行ったり行事に参加したりして大忙しで疲れたので、やはり用賀の方に戻り、青葉や夕子と電話で話してから寝ようとしていた所で桃香から電話が掛かってくる。
「千里〜。まだ帰国しないんだっけ?」
「ごめーん。昨日帰国したんだけど、貯まっている仕事が凄まじくて」
「カップ麺とレトルトカレーとホカ弁のローテーションに飽きた。千里の作る料理が食べたい」
「はいはい。疲れてるけど、じゃ作りに行くよ」
「御飯のあと、千里も食べていい?」
千里は吹き出しそうになったが
「いいよ」
と答えた。
なんか桃香と貴司の思考回路って似てるよなあ、と思ってから、要するに自分は似たタイプを好きになっているのか?と思い至った。
桃香が経堂のアパート近くに駐めていたミラで迎えに来てくれたので、それに乗って一緒に経堂駅まで行き、Odakyu OXで買物をする。
肉ジャガが食べたいなどというのでジャガイモ・タマネギ・ニンジン・キヌサヤにお肉は桃香のリクエストで交雑牛を500g買う。普通女子2人であれば100gもあれば足りそうだが、桃香は男子並みの食欲だし、千里も遠征の疲れが残っているのでお肉をたくさん食べたかった。
アパートに戻って材料を切ったり筋を取ったりしていたら「摘まみ食い」と称して千里のスカートとパンティを下げてあのあたりをいじっている。どうも食欲も性欲も充分あるようである。
お腹空いて死にそうという割に元気じゃん!
圧力鍋の蓋が落ちるまで待つ間に早速1戦交える。
「千里好きだよぉ」
と桃香が言ってたくさん愛撫するのを千里は微笑んで受け止めていた。
何気なく乳首を舐めた上で吸うようにすると、実際お乳が出てくるので桃香が「わっ」と言う。
「千里、お乳が出る」
「赤ちゃん産んだから出るよ」
「いつ産んだんだっけ?」
「内緒」
「誰の子供?」
「内緒。でも不倫はしてないよ。ちゃんと体外受精してるから」
「うーん。。。。で、このおっぱい飲んでいい?」
「まあ桃香ならいいよ。その子と乳兄弟になるかな」
などと千里が言うと、桃香はほんとにおっぱいを吸っている。京平より下手だな、などと思いながら千里は桃香に乳を吸わせていた。
8日は午前中にバスケ協会に夕子たちと一緒に行ってきたあと、例の体育館の館長・立川さんも入れて、個室のある和風レストランで昼食を取りながら運営会社設立の問題について話し合った。
「だいたいどのくらいの経営規模が必要なんですかね?」
「男子のプロチームで、栃木ブレックスの場合で資本金5000万円、年商5億なんですよ。でも今度Wリーグに復帰するバタフライズの場合年間売上が現在2-3千万のようですね。プロ化すればもう少し増えるかも知れないけど」
「女子は男子ほどの売上はあがらないと思う」
と夕子。
「それチケット売り上げ?」
「今はファンクラブの収入とあとはスポンサーの協賛金でしょう」
「プロ化すればチケットも売るだろうけど、どのくらい売れるかは未知数だな」
「取り敢えず3年間は私が毎年2000万円拠出していいよ」
と千里が言う。
「逆に取り敢えず2000万円で足りる範囲で経営を考えた方がいいな、それって」
と麻依子が言う。
「チームはプロ化してもプロ契約して年俸払う選手が最初ゼロだったりして」
「いや様々な経費がかかるはずだから、マジそうなるかも」
「あと地域戦略が必要だから、江東区の方と僕が話してみますよ」
と立川さんが言う。
「うん。地域の支援が得られることは絶対条件だからね」
「ステラが地元のミニバスチームの指導とかしてあげてるし、そのあたりのつながりも活用できるといいね」
その日の午後も手分けして、プロチーム化に関して協力を求めたい人との話し合いを進めたりして、結局その日は19時すぎにいったん用賀のアパートに戻る。が、またまた桃香から電話が掛かってきたので、経堂のアパートに移動し、一緒に夕食を食べ、一緒に寝た。
翌9月9日。
桃香を会社に送り出した後、千里は少しワクワクしていた。
貴司とのデートは半年ぶりくらいである。千里も貴司も今年は日本代表の活動でほんとに忙しかった。
『千里、貴司君が尾行されてるぞ』
と《こうちゃん》が言った。
『阿倍子さんが雇った興信所の人か何か?』
『雑誌記者かも』
『へ〜!何とかなる?』
『千里と会うまでには何とかする』
『よろしく〜。私は大丈夫?』
『今の所問題無い』
経堂から小田急に乗り新宿で降りて京王プラザまで歩く。貴司から連絡の入っている部屋番号のフロアまでエレベータで昇る。ドアの前で携帯を鳴らすと貴司がドアを開けて中に入れてくれた。
まずはキスする。
どさくさまぎれに服を脱がせようとするので「だーめ」と言って身体を離し、新宿駅そばの店で買ってきたモスバーガーを2人分出し、部屋のポットでお湯を沸かす。
「待たせちゃった?」
と訊く。
「駅前の信号がなんかトラブルで変わらなくなっちゃってさ」
「へー」
「なかなか駅に渡れなくて焦ったけど、すぐ警官が来て交通整理始めて。それでぎりぎりドアの閉まりかけに飛び込んで電車に乗った」
「それ危ないよー」
と千里は言うが、たぶんぎりぎり飛び込んだので尾行者をまいたんだろうなと思う。
お茶が入ったところでお茶を飲みつつ、モスを食べつつおしゃべりする。大半はお互いのバスケの活動のことで、それに京平のことも話題にのぼる。京平の写真をUSBメモリーでもらう。千里はそれを胸に抱きしめるようにした。千里がアジア選手権でもらった金メダルを見せると
「いいなあ」
などと言って触っていた。
「貴司もこれからが本番だよ。私と同じ色のメダル取ってオリンピック切符を手に入れなよ」
「いや、ウィリアム・ジョーンズ・カップであらためて日本のレベルの低さを感じた。根本的に実力が足りない」
「実力を持った選手がたくさん眠っているからだと思う。貴司はたまたま気付いてもらって日本代表に招集されたけど、本当ならトップリーグに来ていい選手が実業団にもクラブチームにもたくさんいると思う。その人たちが上にあがっていけば、日本も変わると思うんだけどね」
と千里は言う。
そして千里は言う。
「貴司もBリーグに行けばいいのに」
「うーん。ここまで育ててもらった恩がMM化学にはあるし」
「冒険がしたくないだけでしょ?」
「正直それはある。今の所なら給料が家賃補助を除いても40万あるし」
「あれ?もっと無かった?」
「実は会社の売上が落ちているので、スポーツ手当が今年の春から減額になったんだよ」
「あらら」
京平の妊娠成功に至るまでの不妊治療に掛った医療費は軽く1000万円を超えている。それだけの資金が投入できたのは貴司が高給取りであったからだ。
「社長が病気でなかなか執務できない状態で。今副社長が実質切り盛りしているんだけど、それもあって大口の受注をいくつか取り逃したのもある」
「うーん・・・」
「今の社長になって急速に業績をあげた会社で社長の個人的なコネで仕事してきたような面があるから」
「そういう状態なら、それこそ移籍すればいいのに」
「いや、そういう会社を見捨てて出る訳にはいかないよ。でも実は今年の春、有力選手が2人bjチームに移籍したんだよ」
ふたりはモスや、その他に千里が持って来ていたクッキーなども食べながら1時間くらいおしゃべりしていたのだが、その内、明らかに貴司がそわそわした様子なのを千里は感じ取っていた。
「ねぇ、いい?」
ととうとう我慢しきれなくなって貴司が言う。
「うん。いいよ」
と千里は言った。
「え?ほんとに?あれはしちゃいけないよね?」
「あれ?やろうよ」
「ほんとに?」
と貴司が嬉しそうに言うので千里は自分のバッグからバッシュを取り出した。
「へ?」
「手合わせでしょ? ボールを撞いたらさすがに迷惑だから、シャドウバスケだよ」
「う・・・・そっちか?」
「しない?」
「する!」
貴司も明日夕方合宿所に入るつもりで当然バッシュを持っている。ふたりは靴を履き替えた上で少し準備運動、ふたりで組んでの柔軟体操!をした上でボール無しのシャドウ・バスケットを始める。
攻守を交代しながら、マッチングの練習である。
「今の抜いたよね?」
「ダメ。私がスティールしたよ」
「そうかなあ?」
「う。千里素早い」
「貴司が遅すぎるんだよ」
ふたりは1時間ほどマッチングを楽しんだが、けっこう良い汗を流した。
「疲れた。一休み!」
「OKOK。私シャワー浴びてくるね」
「あ、うん」
それで貴司は若干期待して待っていたのだが、千里はちゃんと服を着てバスルームから出てくるので少しがっかりする。
「貴司もシャワー浴びておいでよ」
「そうする」
それで貴司はバスルームに入って汗を流した。もう半年も立っていなかったあれが、しっかりと大きく硬くなっている。やはり僕のって千里が傍にいると立つんだなあ、とあらためて不思議に思った。
ちょっとドキドキしながら、裸のままバスルームを出る。裸で出て行ったら千里怒るかなあ、と若干の不安がある。
部屋に戻ると千里はベッドに入っている。こちらを見ている。怒って・・・ないよね? 貴司はベッドに近づき、自分も中に入ろうとしたのだが、千里はそれを押しとどめる。
「だーめ」
と千里は笑顔で言い、代わりに元気に立っている貴司のそれを優しく咥えてあげた。
「あ・・・・」
貴司はあっという間に逝ってしまう。名残惜しそうだ。デートの度に射精は最大1回の約束である。千里は急速に縮んでいくそれを舐めてきれいにしてあげる。
「ねえ、ちゃんと付けるからさあ。アジア選手権優勝のお祝いに1度だけセックスしない?」
千里は思わず噛みそうになるのをすんででこらえて口を離してから言う。
「じゃ貴司がアジア選手権で優勝したら1度だけしてもいいよ」
「ほんとに?」
「だから頑張りなよ」
「そういう話なら、ちょっと気合い入れ直して頑張る」
「うん」
千里は下着だけをつけてベッドに入っていた。それで貴司も下着をつけて千里の隣に寝る。こういう状況では、並んで寝るだけでHなことはしない約束である。ふたりはそのまま1時間ほど仮眠を取った後、ルームサービスで遅い昼食を取った。
「じゃ私はこのあと、色々会う人があるから、またね」
と千里はお化粧を直してから出る準備をする。
「貴司は疲れてるでしょ?このまま寝てるといいよ」
「そうする。今夜もここに泊まってから、明日の午後合宿所に行くよ。千里は誰に会うの?」
「それがね」
と言って千里が40 minutesのプロチーム化の話をしようとした時、貴司の携帯に着信がある。
「はい」
と言って取る。どうも相手は貴司のお母さんのようだ。
「え〜?ばあちゃんが?」
貴司の祖母・淑子のことだろうか?
「分かった。何かあったら連絡して。え?阿倍子。ごめーん。無理、あいつ身体が弱いから、とても北海道までの旅行なんてできないと思う。うん、僕が連れて行ければいいんだけど、今日本代表の活動で忙しくて。うん。ごめんね」
と言って貴司は電話を切った。
「淑子さん、どうかしたの?」
「心臓発作みたいで。御飯食べている最中に突然倒れて。心臓が停まっていたのを母ちゃんが心臓マッサージして蘇生させて病院に運んだけど、容体がはっきりしないと言うんだ。僕かせめて阿倍子でも来られないかと言われたけど、ちょっと難しい」
千里は淑子と、京平の顔を淑子が生きている内に見せてあげる約束をしていたことを思い出した。
千里はポーチからタロットカードを出すと1枚引いた。
「星だよ。おばあちゃん助かるよ。貴司はほんとに日本代表の活動で頑張りなよ」
「千里の占いなら当たりそうだ。分かった。そうする」
それで千里はまたキスしてから部屋を出た。フロントでふたりが逢い引きした部屋とその「真下の部屋」の部屋代を払い、真下の部屋の鍵は返却してチェックアウトした。
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【春退】(3)