【春歩】(1)

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千里4が姫路市の自宅で、播磨工務店の青池と話していたら、いつも青葉の後ろに居候している《姫様》が姿を現した。
 
「ちょっと頼みがあるのだが」
「何でしょう?」
「青葉に頼むつもりが、スペインに行ってしまうし、千里1はアメリカ、2Aは妊娠中、2Bはフランス、3は東京で合宿してるし」
 
「でもよくここが分かりましたね!」
「和修吉(九重=播磨工務店の徳部)を酔い潰して聞き出した。あいつは責めないでくれ」
「姫様なら別に問題ないですよ」
「九重なら、誰と飲んだかも覚えてないな」
 
「買って欲しい土地がある」
と姫様は言った。
 
「はい?」
「何番の千里か分からないが、以前青葉と一緒に乙和御前を助けたろ?」
「私は関わってないですが、話は聞いてますよ」
「乙和御前邸の土地に、病院ができるのだよ」
「ああ、それは難儀ですね」
 
「普通の人間にはそこに館があるのが見えないからなぁ」
「元々無断使用だし」
「それもあって、岩手から北陸まで800年の間に移動してきたらしい」
「たいへんですね」
 
「それでどこか安住の場所を見付けてくれないかと頼まれた」
「そのくらい構いませんよ」
「お金は私が払うから」
「姫様が払ってくださるんですか?」
「乙和御前はリアルのお金を持っていないからな」
 
「それでどこの土地を買うんです?」
「諸事情で高速道路の近くがよいらしいのだ」
「エネルギーが高いからかな」
「一応目星は付けたのだが、ちょっと、お主見てくれないか」
 

それで、瞬間的に、千里と青池は、高速道路の高架近くに居た。
 
「わっ」
と物事に動じない青池が驚いている。
 
「高速道路のすぐ下はネスコだかクスクスだかが(←多分瞬間的に忘却した)押さえているから買えない。それで高速道路に、できるだけ近いここはどうかと思うのだが。この付近周囲はたんぼばかりだし」
 
広い駐車場があり、閉鎖され、看板も外された店舗のようなものがある。
 
「ここは・・・・レストランか何かの跡ですか?」
「COVID-19の影響で1年ほど前に倒産した」
「それはお気の毒に」
 
「広さは40m×80mくらいで1000坪ほどある。居抜きでコンビニとかしてもいいし、体育館を建ててもいいぞ」
「そんなもの建ててうるさくないですか?」
「体育館とか、ライブホール、飲食店とかは構わないらしい。でもパチンコ屋、競馬場、病院とかは困るということだ」
 
「ネガティブな気が集まりやすい所は困るのかな」
 
「その体育館使う人を“屋敷に招待”したりしませんよね?」
「次やったら、お主に消滅させられそうだから絶対しないと誓った」
「邸宅の分・・・1階を空けておいて2階に体育館を作ればいいですか?」
「邸宅は地下が良いそうだ」
「分かりました」
「基本は亡霊だからな」
 

「40m×80mの土地なら、40m×40mの体育館を作って、バスケットコートが2つ取れるだろ?」
「私はバスケットには興味ありません」
「でもバスケットコートを作れば、青葉は1〜3番の誰かが作ったと思う」
「まあいいですよ。試合場の上に、タラフレックスでも敷きましょう」
「ああ、それでいいな」
 
「青池さん、この土地何かあると思う?」
「レストランが建つ前は墓地だった気がするけど」
「でも浄化されてるよね?」
「うん。浄化済み」
 
「幽霊が住むのだから、墓地だった場所は最高のロケーション」
などと《姫様》は言っていた。
 
それで千里4はその日の内にその土地を800万円で購入したのであった(古い建物が建ってる分安い)。姫様は「土地代と建築費」と言って、千里に20kgの金の延べ棒(1.5億円くらい)を渡した。
 
「こんなに掛からないと思います」
「そうか?余ったら手数料で」
「分かりました。頂きます」
と言って千里は受け取った。
 

「設計は青池さんに任せた」
「じゃ九重にやらせよう」
「色々遊びそうだなあ」
 
千里は、乙和御前の館のための空間の上に、判官絵巻・蝋人形館でも出来ないか、少し心配した。
 
ちなみに九重は4月前半に夏樹と優子の家を建てた後、後半には火牛スタジアムの野村貞子・施設長の家を建てた。そして5月中は、火牛・北体育館(後述)を建てていた。それで千里は6月に入ったら、こちらを建てさせることにした。なお、乙和御前の現在の邸のほうは7月から、病院の工事が始まるらしい。だから6月中に建てればいいことになるが、九重の仕事なら6月上旬で建つだろうなと千里は思った。
 
「出来上がったら、地下室の鍵は、森元蓮に渡してやってくれ」
「分かりました」
「かなり美人になってるぞ」
「その人の話も聞いてますけど、結局女になっちゃったんですか?」
「赤ちゃん産んで結婚もしたから、性別も変更したぞ」
「順序が・・・」
「ちんちん無くなっちゃったのはショックだけど、赤ちゃん可愛いからママを頑張ると言っていた」
「順応性ありますね〜」
 
森元蓮(当時高校生)は、乙和御前から「私の娘に似てる。私の娘になってくれ」と言われて毎週“注射”を打たれて、身体が女性化しつつあった。ペニスが少しずつ小さくなり、胸は膨らみ、“やおい穴”が出来て少しずつ深くなっていった。
 
青葉が本物の娘を発見し連れてきてあげたので、蓮は解放されたはずだった。しかし蓮はその後も自主的に乙和御前の所に通い、完全に女性に性転換してしまった模様である。彼女(でいいだろう)が産んだ子供は、乙和御前の孫のようなものである。
 

ところで、真珠や明恵の大学であるが(彼女たちは大学4年生である)、前年度までは、出席番号の偶数と奇数で分けて、リモート授業とリアル授業を週交替で実施していたのだが、今年度は、コロナが少しは落ち着き始めたことから、全部リアル授業に移行した。
 
ただし、学内での密を回避するため、学科単位で、早出組と遅出組に分け、時間差を付けて登校し(大学は丘の上にあるが、麓とのシャトルバスの混雑も避ける)、また学食の利用時間も両組でずらすことになった。
 
前年度まではそれで明恵と真珠が奇数番号。初海が偶数番号だったのだが、今年度の組み分けでは、真珠は早出、明恵と初美は遅出の組になった。
 
早出組 1限 9:10-10:40
遅出組 1限 9:40-11:10
 
「これまでより辛くなったぁ」
と真珠はこぼしていた。
 
「でも、まこ、毎日、明恵ちゃんをモーニングコールで起こしてあげてたんだろ?偉いよ」
「あの子はほんっとに朝が弱いからね〜」
 
真珠は親がほとんど当てにならないので、子供の頃からしっかり朝起きて、ごはんを作り、兄や姉にごはんを食べさせてから学校に出掛けていたらしい。ただ、お兄さんの金剛(たかし(*1))は、3年前のある日を境に自分でしっかり起きれるようになった(後述)。それで真珠が独立して以来、伊勢家でみんなを起こすのは金剛の仕事になっている!
 

「むしゃくしゃするから、今夜は、くーにんに生で入れちゃおう」
「ちょっと待て」
「ぼくはまだ来月までは妊娠できないから、代わりに、くーにん妊娠してね」
「やめて〜!」
 
(レイプだと思う)
 
邦生は真珠に“生”(*2)で入れられながら、俺ほんとに妊娠しないよね?と不安を覚えた。
 
(*1)この姉兄妹の名前は結構?難読である。
 
瑠璃(あおい)
金剛(たかし)
真珠(まこと)
 
金剛の場合、ダイヤモンドは硬いということで“かたし”と読ませるつもりだったが、それでは“難し”に聞こえると言われて“か”と“た”を交換。“たかし”になった。
 
瑠璃(るり:ラピスラズリ)は青い!(一度説明された人はすぐ覚えてくれる)。
 
真珠も瑠璃も“読めないことはない”名前で、実は金剛を“たかし”と読むのがいちばん難しい。
 
(*2)全くどうでもいいことだが、真珠が愛用している“おちんちん”は包皮付きの精巧なものなので、生で入れてもお互い痛くないはず。Aに生で入れるとその後の洗浄が大変だが、どこかの姫様の気まぐれで邦生にはVができてしまったので(おかげで邦生はパンティライナーが必要になった)、Vなら洗浄までしなくても軽く拭く程度で問題無い。邦生のVの先に子宮や卵巣は(今のところ)存在しないので、生でやっても多分妊娠しない(不確か)。
 
邦生が万一妊娠した場合、産休を申請したら、たぶん上司は何の疑問も持たずに認めてくれる。そしてきっと「産休はあげるから辞めないでよね」と言われる。
 

2022年4月23日(土).
 
川口遙佳・歩夢の姉妹?と祖母の渡辺薫の3人は、この日の朝から、薫が運転するミラージュに乗って金沢に向かった。
 
出掛けに、いつもの群発地震で少し揺れたが、物が落ちたりもしなかったので
「ほんとに多いね〜」
と言って出掛けた。
 
ビスクドール展が明日24日までなので、今日明日はその閉幕に立ち会うのである。最初は薫と遙佳の2人で行くつもりだったが、歩夢が自分も行きたいと言うので一緒に行くことにした。遙佳は自分が通う高校の制服を着ているが、歩夢は、遙佳が中学時代に着ていたセーラー服を着ている。このセーラー服は、遙佳が歩夢にあげたようなもので、しばしばこれで外出している。
 
「あんたも人形に興味がある?やはり“女の子”だね〜」
などと、祖母の薫は言っていた。
 
遙佳♀2004.10.03 0:01
祷里♀2007.03.03 5:28
歩夢?2009.03.03 5:04
広詩♂2011.08.18 7:45
 
遙佳(はるか)と歩夢(あゆむ)はどちらも月が牡牛で、気質的に近いものがあるせいか、小さい頃から仲が良かったし、ふたりとも芸術的な才能に恵まれている。遙佳が絵が得意なのに対して、歩夢は音楽が得意で、特にフルートは大好きである。中学の吹奏学部でもフルートを吹いている。
 
祷里(女の子)は実際には死産であったが、名前を付けてお葬式もしている。この子が生きて生まれていたら、女2男2の姉弟になっていたかも??歩夢はその死んで生まれた姉と同じ日の似たような時刻に生まれた。出生時刻が近くなりそうだったので、両親はこの子も死んで生まれてこないだろうかと物凄く不安だったらしい。でも元気に生まれてきたので涙を流して喜んだ。この子は亡くなった姉の生まれ変わりのような気がして、両親はこの子に女の子の服を着せて育てた。
 

「あんたのその性格はそのせいかねぇ」
と母は嘆いていたが
「関係無いと思うよ。私は元々女の子なのだと思う」
と歩夢は言っていた。
 
でも、歩夢はおかげで女の子の服には困っていなかったし、下着は男の子下着を着けた記憶が全く無い。またアウターも、姉・遙佳のお下がりを着ていたから、歩夢がスカートを穿いているのは、友人たちも普通に受け入れていたし、半分女の子として扱ってくれていた。歩夢が新しいスカート欲しいと言うと、両親は特に変にも思わず買ってあげていた。
 
それで弟の広詩(ひろし)は、すぐ上に兄?がいるにも変わらず、いつも新品の服を買ってもらっていた!
 
珠望の妹の振絵(遙佳たちの叔母)は珠望に
「姉ちゃん、女の子、男の娘、男の子を産み分けるって芸術的すぎる」
と言っていた。
 
振絵の所は男の子4人である。
 
「女の子が欲しかったけど、4人男が続いた所で諦めた」
と言っていた。いちばん下の子に女の子の服を着せて育ててみたものの、本人が女の子の服を嫌がり、幼稚園に入る段階で、性転換?して男の子になった。
 
それで振絵は
「やはり男の娘になる子は生まれつきなんだよ」
 
と言い、それを聞いて珠望も納得していた。
 

遙佳も歩夢も小さい頃からピアノを習っていたが、発表会では姉妹?ともドレスを着て、よく連弾で演奏していた。このドレスも歩夢は遙佳のお下がりのドレスを着ていて「衣装代が助かる」などと母は言っていた。広詩にもピアノは習わせたが、彼は小学2年生で挫折した。でも昨年ギターが欲しいと言い出したので買ってあげたら練習しているようだ。音楽的才能自体はあるようである。
 
遙佳と歩夢は現在でもピアノを続けている。自宅のピアノは騒音問題もあるので、クラビノーバだが、ふたりともレストランに置いている白いグランドピアノも、よく弾いている。
 
歩夢は小学4年生の時にピアノの他にフルートも習いたいと言い出し、最初の内はS市内の元音楽の先生という人に手ほどきを受けていたが、現在は金沢在住の先生にオンラインで毎週1回レッスンを受けている。
 

  森田薫=渡辺高
川口 ┏━┻━┓
昇太=珠望 振絵
┏━┻┳━┳━━┓
遙佳 祷里 歩夢 広詩

 
薫(出生名・森田薫:かおる)は
 
「私、苗字も名前もありふれてるから、珍しい苗字の人と結婚したい」
 
と言っていたが、渡辺さんと結婚した!渡辺高(こう)は音楽大学の時の同期である。薫はヴァイオニストだが、高はピアニストで、大学時代にしばしば伴奏を頼んでいた(元々は薫の友人の高校の時の同級生)。薫のドイツ留学中は縁が切れていたが、帰国後に金沢で偶然遭遇したのをきっかけに交際するようになり、やがて結婚した。
 
2人の娘、珠望・振絵の名前は、フレンチドールの2大メーカー、ジュモー(Jumeau) とブリュ(Bru) から採られたものである。
 
渡辺高が開いたレストラン(初期は高のピアノと薫のヴァイオリンのセッションで、音楽愛好家の人気を集めていた)に務めていた川口昇太が、お店を手伝っていた娘の珠望と仲良くなり結婚して、結果的にお店を継いだ。昇太は若い頃イラストレーターをしていた。フォトショとイラレの達人である。現在のお店の看板も昇太が描いたし、店内には昇太が描いたイラストが多数展示されている。遙佳の絵の腕前は父親譲りのようである。(歩夢の音楽の才能は、きっと祖父母譲り)
 

珠望の妹の振絵(1980生)は高校を出た後、高岡短大(現・富山大学芸術文化学部)のデザイン系の課程に進学し、そのまま高岡に居座って、富山市出身の男性と結婚。現在は富山市内に住んでいる。物凄く絵が上手い。実は川口昇太(1978)は彼女が務めていたデザイン事務所の先輩であった。しかし料理の腕もあったのて、自分のレストランを持ちたいと思っていた、どこかで実務を経験したいと思っていた時に、振絵から「うちの父ちゃんの店でも良かったら、少しやってみます?」と言われてS市に来て、結局そこを継ぐことになった。
 
珠望自身は音楽も絵も絶望的に苦手である。小さい頃ピアノ教室に通わされていたが、バイエルを卒業できなかった!オタマジャクシを見ると頭が痛くなるらしい。勉強は数学だけは100点だけど他の科目は悲惨な点数という不思議な性格(完璧な左脳人間)で、「数学ができるからG大やH大なら通るよ」とは言われたが、大学は受験しなかった。それで金沢の専門学校を出てから、2年間プログラマーをした。しかし体力が持たずに退職。S市に戻り、身体と心を休めながら父のレストランを手伝っている時に昇太と仲良くなった。
 
高は腰痛を抱えていることもあり、今は引退して悠々自適の生活だ(ひたすらネット碁をしている)が、土日には手が足りなくなるので、しばしば動員されている。実際厨房に入るのが楽しいようで、活き活きとしている。ピアノ演奏も披露する(歩夢のフルートとのセッションもする)。高が入っている時だけ提供される限定裏メニュー“ミュンヘン風ハンバーグ”と“仔牛のドレスデン風”は常連客に人気である。
 
(“ミュンヘン”や“ドレスデン”はイメージです(*_*)\バキッ)
 

やがて、遙佳たち3人は金沢に到着した。ビスクドール展、最後の土日ということで、会場には、明恵・真珠・初海の3人も来ていた。遙佳は真珠の左手薬指の指輪に気付いた。
 
「もしかして結婚なさったんですか?」
「うん。13日に結婚した」
「おめでとうございます!」
「でもこれで他の女の子とは遊べなくなった」
「女の子と遊ぶんですか〜?」
 
「この子、バイだから」
と明恵が言っている。
 
「そういうのもいいなあ」
と遙佳は言った。
 

なお3月18日の『北陸霊界探訪』で、ビスクドールを手放したい場合“人形美術館金沢事務局”(〒〒テレビ・北陸霊界探訪編集部内)で、手数料1体1000円で引取るというのを公表した所、様々な事情(引越や結婚が多い)で手放したいという人がこれまでに6件あり、明恵か真珠が所有者とお話しして意思確認して4件20体を引き取った(2件は話している内に本人の気が変わり、キャンセルになった:真珠たちはできるだけ翻意を促すように話している)。
 
その20体を館長に見てもらい、人形美術館で受け入れることを正式決定。この20体は明日持ち帰る。(館長が拒否した場合は、青葉がうちで引き受けると言っていた:広い家が無いと置き場所が難しい)
 

人形展は盛況で、ふだんの美術館の来客の20-30倍は来てるなあと思いながら遙佳は見ていた。11時半頃、千里さんが来た(*3).
 
「お客さん、大盛況だね」
「なんか期間中に、うちの美術館の半年分くらいのお客さんが来てるのではという感じですよ」
と遙佳。
 
「まあ人口2万人の町と人口60万の都市圏とでは、どうしても差が出る」
「警備も大変みたいですけどね」
「町が大きくなると、おかしな人も増えるからね〜」
「期間中、石を投げ込んだ女が逮捕されたんですよ。幸いにも人形は無事でしたが、石崎さんが祖母に謝ってました」
「あの後、警備員の人数が増えました」
 
「でも凄く好評だから、夏にもまたやらないかという話を、石崎さんと祖母がしているみたいです」
 

「君たち、お昼は食べた?」
と千里は尋ねた。
 
「交替で行きましょう」
と真珠が言う。
 
「じゃ、私がまこちゃんと歩夢ちゃんとで待機してるから、あきちゃん、遙佳ちゃん、初海ちゃんで先に行って来なよ」
 
「そうしようかな」
 
「お弁当とお茶を用意しておいたから、駐車場のC457に駐めてる青いロッキー(*3)に行って。ナンバーは****」
と言って千里さんは明恵に、駐車枠番号と車のナンバーを書いた紙、そして車のキーを渡した。
 
「ありがとうございます。行ってきます」
と言って3人は会場を出て行った。
 
これが12:05だった。
 

「ここは駐車枠番号のおかげで、自分の車が探しやいですね」
と歩夢。
 
「そうなんだよね。ここを見て、例の名札作戦を思いついたんだよ」
と真珠。
 
千里さんは何だろう?という感じの顔をしている。
 
「名札作戦には私も参加していますが、夏くらいまでかかりそうです」
「人形の数が膨大だからね〜」
 
“人形が勝手に動いているのでは?”という話があったので、各人形に名札を付け、また各々の席にもその名札を立てておこうという話になっているのである。自分の名前が書かれた席があれば、一時的にどこかに勝手に動いたとしても、最終的には自分の席に戻るのではないかという考えなのである。
 
これは真珠と明恵が提案し、渡辺薫館長も賛同して、現在作業中である。作業に先立ち、人形の管理簿を電子化し、複数の名前を持つ人形の名前を選択し、また名前の無い又は分からない人形に新たな名前を付けてあげる作業は、館長と遙佳の2人で行なって、そこまでの作業は既に完了している。それで今は人形の服に、名前を貼り付ける作業を進めているところである。(管理番号は20年くらい前から貼られている)
 

「でもここのレイアウトはいいですね。春の小川、夏の砂浜、秋の紅葉、冬の子供部屋のセットを作って、それを背景に人形を並るって。姉が言っていたんですよ。お人形の中にも、春が好きな子とか、冬が好きな子とかいるって」
 
「それを見分けられるのは、館長さんや、遙佳さんだけかもね」
「そうなんです。私には全然分からない!」
 
と歩夢は言っていた。
 
「お姉ちゃんは、高校を出たら金沢に出て来たいみたいだけど、君はどうするの?」
 
「私、お父さんのレストランを手伝っててもいいかなあと思うんですよね。料理とか好きだし。ここだけの話、祖父が店に出て来てる時だけ提供する“ミュンヘン風ハンバーグ”って去年くらいからは私が作ってるんですよ」
 
「へー」
 
「祖父は視力が衰えて、素材に火が通っているかどうかよく分からないらしいです。それで私が製作代行してるんですよ」
「挽肉は特に分かりにくいかもね」
「そうみたいです。“仔牛のドレスデン風”は祖父が自分で作るんですが」
「牛なら赤い部分が少し残るくらいがちょうどいいよね」
 
「だったらほんとうにレストラン継ぐといいかもね」
「はい」
 
「遙佳ちゃんが金沢に行っちゃったら、君が看板娘を継いで、その内、誰かお婿さんもらうといいかもね」
と真珠が言うと
 
「あ、そ、そうですね」
と言って、真っ赤になっているので、真珠は「ん?」と思った。
 
そして、あることに気付いてしまった。
 
そうだったのか!
 
全然気付かなかった。この子、女の子にしか見えないのに!
 

千里さんは、口を挟まずに、そういうやりとりを興味深そうに聴いていた。
 
真珠は“試して”みたくなった。
 
「青葉さんも、昨日(4/22)、津幡組の他の人たちと合流したようですね」
「ああ、そうみたいね」
 
「私たちも随分青葉さん振り回しちゃったけど、その後は3週間“越谷で”集中して練習できたみたいで良かったです。いい成績出せると、いいですね」
と真珠は言った。
 
「うん。頑張って欲しいね。その後は、ヨーロッパ遠征になるし。ケイは日本選手権の後の青葉を捉まえようとしてるみたいだけど、選手権終わったら即合宿してヨーロッパに移動するから、ケイは、また空振りだね」
と言って、千里さんは笑っている。
 
「でも前半の合宿地のシェラネバダって、私てっきりアメリカかと思いました」
「日本人はわりとそちらを連想するよね。でもシェラネバダって“雪をかぶった山”という意味だから、わりとありふれた地名。メキシコやコロンビアにもある」
 
「そうみたいですね。青葉さんが『日本語で言えば“白山”』と言ってました」
「そうそう。白山というのも、たくさんある」
 

真珠はこういった会話をしていて、確信した。
 
“この”千里さんは、“動く人形の怪”や“白い虎の怪”で一緒に作業した千里さんとは別の千里さんだ!
 
恐らくあの千里さんの都合が付かず、頼まれて代理で来た千里さんなのだろう。
 
(1) 名札作戦のことを知らないっぽい、
 
(2) 青葉さんが籠もっていた場所を自分が“越谷”と言ったのに、何の反応もしなかった。つまり、青葉さんがいた場所(本当は八王子)を知らないんだ。
 
(3)シェラネバダの話は、だいたい千里さんから自分と明恵が教えてもらったもの!
 
この千里さんは、あの千里さんから、色々引き継ぎのための情報は提供されているのだろうが、本人ではないので細かい点では知識が無い。だいたい千里さんは“忘れっぽい”と自分でもよく言ってるけど、それは入れ替わっていても怪しまれないための言い訳なのだろうと思う。
 

30分ほどして、明恵たちが戻って来る。
 
「お疲れ。何かあった?」
「特に無かったよ。トイレの場所を訊かれたのを教えてあげたのと、食事ができる所って訊かれて、家族連れだったからココスを勧めておいた」
「かえって、迷わないよね」
「そうそう」
 
ココスは店舗のビルから離れて、駐車場の向こうにあって分かりやすいし、なんといっても家族連れ向きだ。
 
「あと、美術館の場所も尋ねられたから、パンフレット渡して、行き方を簡単に説明しておいた」
「あそこ、少し分かりにくいですよね」
と遙佳が言っている。
 
「ちょっと細い道を通る所で『迷ったかも』と思うかもね」
「それで引き返しちゃう人も、あるみたいなのよ」
「もっと町中に場所が取れたらいいんだろうけどね」
「予算が無いとね〜」
 
「ほとんど祖母の道楽でやってる施設だから。あそこの土地は坪5000円だし」
「安いね!」
 
「人形の密度が高くなってるから、土地を買い増して美術館を広げるのも考えてはいるみたいだけど、あそこ後ろに崖があって危険だというので、開発には県知事の許可が必要なんだよ」
 
「それマジで危なくない?」
「市街地や大きな道路沿いに適当な場所があれば、そちらに引っ越すのも選択肢なんだけどね。でも大きな道路沿いだと坪1万くらいするみたいだし」
「それでも安い気がする」
 

「じゃ、私たちが食事に行ってくるね」
「うん」
 
それで千里は真珠と歩夢を連れて駐車場に行く。これが12:45くらいだった。
 
千里さんは青いコンパクトカーをアンロックした。
 
「また初めて見る車だ」
「あ、そうかな?ダイハツのロッキー(*3)という車」
「SUVですか?」
「一応その分類になるみたいね。小さいけど」
「結構がっちりした感じですよね」
 

「ということで、お弁当を、車の中で食べよう」
 
と言って、2人を後部座席に乗せて、千里さんは助手席に乗った。そして、まだ暖かい、かまどやのヒレカツ弁当とお茶のペットボトルをふたりに渡した。
 
「私まで頂いていいんですか」
などと歩夢が言っている。
「どうぞどうぞ」
 
歩夢は深く考えていないようだが、このお弁当が作り立てのような温かさということは、明恵たちが終わった後で、千里さんが眷属か何かに買いに行かせたのだろう、と真珠は思った。
 
(“この”千里は特に眷属使いが荒い!買ってきてくれたのは<いんちゃん>。S市で千里4をサポートしていたのは、小杉:小道の妹:であった)
 
千里はレースのカーテンを閉めた上で窓を全開にした。
 
「徹底してますね〜」
「私も、真琴ちゃんも基本外食禁止だからね」
「そうなんですよ。でもコロナもだいぶ落ち着いてきましたね」
「うん。このまま終息してくれるといいんだけどね」
 

(*3) ダイハツのロッキーを使用するのは主として千里1である。千里1は5月21日からWBDAが始まる(本当に??この件後述)ので、5月上旬に渡米する予定。1番はアメリカでは(2019年まで2番が使っていた)テスラ・モデルSを使っている。少し大きすぎるのだが、購入当時はテスラ内部の混乱でモデル3が入手できなかった。
 
国内では、以前2013年型の青いヴィッツ(2019年購入)に乗っていたのだが、手軽な車なので、複数の千里に眷属たちも使い、更にアキ(←猫が運転していいのか?)、桃香(←アキの10倍危ない)などに貸したりしている内に、どこに行ったか分からなくなった!?ので、この春、新車でロッキーを買った。似たようなサイズの車という気はする(ヴィッツは“一時抹消登録”した:本体が行方不明なので永久抹消登録ができない!が税金等は払わなくてよい)。
 
Mazda CX-5 を使用しているのは主として千里4である。2Aは主としてオーリスを使用する。3はスペインではSEATのIbiza、日本国内ではアテンザを使用する。2Bは最初の頃はIbizaを使っていたが、3がスペインに頻繁に来るようになったので、2020年に家を買ったのを機に、独自の車としてプジョー(Peugeot)208 を購入した。
 
黒いインプレッサはみんなから便利に使われており、今どこにあるのか誰も把握していないが、大抵どこかにある!?ので、たいちゃんが見付けてくれる。つまり、青いヴィッツは、たいちゃんにも行方が分からない。恐らく既にこの世の物ではない!
 
この日、千里1は千里2を装った千里4から
 
「私、別件で用事あるから、ちょっと代わりに顔出してきて」
と言われて、気分転換にロッキーを運転して金沢まで出て来た。千里1は3月29日に真珠・明恵・初海が能登空港→郷愁飛行場と移動した時、アキ・アイ親子と一緒にHonda Jetに同乗した。翌日、郷愁→能登に乗ったのは千里4である。
 
千里4は実は今日は指導している中学生の大会があり、そちらに顔を出している。
 
千里1が渡米すると、妊娠中の千里2Aがしばらくは浦和の家の主(あるじ)となる。
 
2Bは現在 LFB レギュラーシーズンの最後の方である。上位になればプレイオフに進出し、決勝戦まで進出すると日程は6月4日までである。3はWリーグは終わったが、日本代表に呼ばれれば5月7日から合宿がある。
 

「そういえば、歩夢ちゃんは、昨夜金沢に出て来たんだっけ?」
と千里さんは訊いた、
 
「今朝です」
「じゃどこにも寄らずに会場に来たんだ?」
「はい」
「折角出てきたら買物とかもすればいいのに」
「お金無いし」
「ま、女子中学生のお小遣いなんて、大した額じゃ無いよね」
 
と千里さんは言ったが、歩夢は何か恥ずかしそうにしている。“女子中学生”と言われて、恥ずかしがってるな、と真珠は思った。
 
「観光とかも無し?」
「金沢で観光ってどこですかね?」
「兼六園、21世紀美術館、県立美術館、四高記念文化交流館、尾山神社、金沢別院、長町の武家屋敷跡、老舗記念館、加賀友禅工房、ひがし茶屋街」
 
と千里さんが列挙するので、地元の人でもないのに凄いな、と真珠は思った。
 
「そのあたりは、小学校の修学旅行で行きました」
「なるほどー」
「他に金沢駅で新幹線を見ました」
「どこまで乗った?」
「見ただけですー」
「それは残念」
 
「乗ると高いし、県外に出ちゃうもんね」
と真珠が言う。
 
「そうなんですよ。小学校の修学旅行は県内と決められてるみたいです」
「なるほどねー」
「千里さんも道内だったでしょ?」
と真珠は訊く。
 
「そそ。小学校も中学校も修学旅行は道内だった」
と千里は答える。
 

「あ。北海道のご出身ですか」
「うん。留萌(るもい)という所」
「ニシンのたくさん穫れる所ですね」
「昔はよく穫れてたけど、地球温暖化か何かで、ニシンさんもスケソウダラさんも北上してロシア領域で泳ぐようになって、漁船はあらかた廃業したんだよ」
「あらー」
 
千里さんは唐突に言った。
「一言主(ひとことぬし)神社、行ったことある?」
「いえ。それは知りません」
「まこちゃんは知ってる?」
「・・・・・はい。大学に入ってすぐの頃に、地元の子に教えてもらいました」
「行った?」
「はい。兄と一緒に」
 
千里さんは微笑んでいる。
 
「じゃ、ちょっと行ってみようか。この近くなんだよ」
「へー」
 
真珠はちょっと首を傾げたが、千里さんに付いて行った。
 

それで3人はショッピングプラザを出ると、一言主神社に向かった。
 
「ここの神様はね。ひとつだけ願いを聞いてくれるんだよ」
「へー!」
「まこちゃんは、ここに来た時、何か願った?」
「はい」
 
「叶った?」
「すぐ叶ったんで、びっくりしました」
「良かったね」
「お兄さんは?」
「叶ったみたいです」
「良かった良かった」
 
「歩夢ちゃんも、神社に辿り着くまでに何を願うか考えておくといいよ」
「はい」
 
彼女が思い詰めるような顔をしているので、真珠は彼女が何を願おうとしているか、想像が付いた。多分3年前に自分が願ったのと同じことだ。
 

やがて神社に辿り着く。
 
拝殿前で二拝二拍一拝でお参りする。
 
お参りをした後で、真珠は自分のスマホ(Aquos)で社殿とか狛犬とかを撮影していた。
 
社務所で願い事の紙を買う。
 
1枚1000円もする!
 
でもこんなに高かったら本当に効くかも、と歩夢は思った。
 
歩夢は紙に『女の子になりたい/S市・川口歩夢』と書いた。
 
「ここでは神様に何か奉納しないといけないんだよ。歌とか舞とか」
「私フルート好きなんですけど、持って来てない」
と歩夢が言うと
「私のを貸すよ」
と言って、千里さんはバッグの中からケースに入ったフルートを取り出す。
 
「いつも持っておられるんですか!」
と歩夢が驚く。
 
「フルートと龍笛はいつも持ってるよ」
「すごーい」
 
千里さんは、フルートを組み立て、歌口をアルコールウエットで丁寧に拭いてから渡してくれた。
 
「お借りします」
 

それで、歩夢はフルートを構え、拝殿前で(通称)テクラ・バダジェフスカ (Tekla Bądarzewska 1834?1838?-1861) の『乙女の祈り (Modlitwa dziewicy) (*4)』を吹いた。
 
真珠は千里さんと一緒に静かにそれを見守った。演奏が終わり、歩夢が拝殿に向かって一礼した後、2人は拍手し、真珠は
 
「そのまま、もう一度吹いて」
と言って、真珠は今度は彼女が演奏している所をスマホで撮影した。
 
(*4) フランス語のタイトルは La prière d'une vierge. prièreは祈る人、viergeは英語ならvirginで“乙女”。『乙女の祈り』は忠実な訳だと思う。
 
一般にピアノ曲と考えられているが、ヴァイオリンやフルートでも演奏できると思う。オルゴールにもよく組み込まれている。筆者が子供の頃、家にピアノ型のオルゴールで、ふたを開けるとこのメロディーが流れるものがあった。大人になってから、似たようなものを探すが、ピアノ型オルゴールはあっても、鍵盤のふたがスイッチになっているものは一度も見たことが無い。
 
この曲は日本では大人気曲であるが、本国ポーランドではこの曲も作曲家自身も忘れられていた。近年、日本に来たポーランド人がこの曲を知り、そこから本国でも再評価されたらしい。
 
なお“バダジェフスカ”は、a-ogonek(ą)のオゴネク(鼻母音化を表す)を略して a と書いた Badarzewska を読んだもので、本来彼女の苗字は Bądarzewska “ボンダジェフスカ”である。
 

歩夢はフルートの歌口を自分のアルコールウェットで丁寧に拭き
「ありがとうございました」
と言って、千里さんに返した。
 
「でも総銀フルート、いいですねー」
「今使ってるのは洋銀?」
「そうなんです。白銅フルートは1年で使い倒しました」
「フルートとは相性がいいみたいだね」
「はい。好きです」
 
「東京あたりの音大に行く?」
「さすがに、そこまでの腕は無いですー」
「そうかな。高校3年まで5年間鍛えるといいと思うけど」
「お稽古代が・・・」
「確かにそれは掛かる」
 
「真珠さんは、何を奉納したんですか?」
「ギターを持って来てたから、兄と交替で伴奏してもうひとりが歌うというので、私はPerfumeの『願い』を歌った。兄は『妖怪体操第一』を歌った」
 
「お兄さんは楽しい人だ」
 
(実は金剛の願い事には『妖怪体操第一』がひじょうに適切であった:後述)
 

「でも、まこちゃんをモデルにした撮影もするといいよ」
と千里さんは言った。
 
真珠は少し考えた。
 
「それがいいかも。でも何を奉納しよう」
「真珠ちゃにはこれを」
と言って、千里さんは、物凄く良さそうな横笛を出す。千里さんがアルコールウェットで歌口を拭く。
 
「龍笛ですか?」
「そそ」
「でも私、横笛(よこぶえ)(*5)は吹けませーん」
「なーに、吹いてるふりしておいて、後で吹ける人に当ててもらえばいいよ」
「そうですね!」
 
それで真珠は自分のスマホを歩夢に渡して!撮影を頼み(*6)、その笛を横に構えるが、手が左右逆だと指摘されて慌てて直す。でもその後は、さも吹いているかのように息を吹き込む真似をしながら指を動かした。そして終わると拝殿に向かって深くお辞儀をした。
 
千里さんが拍手をしてくれる。
「アルルの女のメヌエットだ」
「よく分かりますね!」
「指使いを見てたらそうだと思った」
「リコーダー吹く感じで指を動かしたんです」
「それで後で合わせやすくなったと思う」
 
(*5)“横笛”という文字は“よこぶえ”と読めば、横に構えて吹く笛一般の意味、“おうてき”と読めば、龍笛の別名。
 
(*6) 千里がカメラ音痴なのは、真珠も熟知している!
 

その後、願い事を入れる箱の所に行くのだが・・・・
 
「なんであんな高い所にあるの〜?」
 
石で出来た、天狗様の像があり、箱はその天狗様が頭上に掲げている。高さは3mくらいあるようだ。
 
「投げ入れることができれば叶うということかな」
「そんなぁ」
 
「普通の女子の力では大変だよね。届く子はバスケに勧誘したい。あれはちょうどバスケのゴールの高さだよ。但し紙は空気抵抗を受けるからボールより難しい」
「ああ」
 
「でもどうしよう」
と歩夢は半分泣き顔である。
 
「歩夢ちゃん、肩車してあげるよ」
と言って、千里は箱の前に天狗様に手を掛けてしゃがんだ。
 
「私の肩の上に足を置いて立って」
「はい」
 

それで、歩夢は靴を脱ぎ、千里の両肩の上に足を置いて天狗様に掴まるようにして立った。
 
「ゆっくり揚げるからバランス崩さないようにね」
「はい」
 
それで千里さんがゆっくりと立ち上がる。
 
「あ、届く」
と言って歩夢は紙を箱の中に投入した。
 
「降ろすよ」
「はい」
 
千里さんはゆっくりとしゃがむ。
 
ところが歩夢は途中でバランスを崩してしまった。
 

「きゃっ」
と声を挙げるが、千里さんは彼女をしっかり抱き留めた。そしてゆっくりと下に降ろしてあげた。
 
「ありがとうございます」
「投入して安心したところで気が抜けたね」
と真珠が言う。
 
「すみませーん」
「家に帰るまでが遠足ってやつですよね」
と真珠が言う。
 
「山登りをした人が下山中に事故で亡くなったりするのも同じだね」
「最後まで気を抜いちゃいけないんですね」
「そうだよ」
 
「真珠さんはどうしたんですか?」
「私もお兄ちゃんに肩車してもらった」
「なるほど」
 
「兄ちゃんは自力で放り込んだ」
「やはり男の人だと普通にできるのかなあ」
「2度失敗して3度目に入った」
「あはは。でも願い事は叶ったんですか?」
「うん」
「だったら再挑戦してもいいんですね」
「優しいよね」
 
真珠はその箱を持つ天狗様をスマホで撮影していた。更に、千里さんに真珠も肩車をしてもらって、箱の中に願い事の紙を投げ入れるような動作をするのを、歩夢に撮影してもらった。
 

「でも助かりました」
と歩夢があらためて礼を言う。
 
「これで願いごと叶うかな」
 
真珠は確信を持って言った。
 
「きっと1〜2ヶ月の内には叶うよ」
「ほんとですか!?」
 
神社を出るが、真珠は左右の狛犬さん、拝殿の遠景と、入口の鳥居も撮影していた。
 

会場に戻る。
 
「ごめんねー、遅くなって」
と真珠は明恵に声を掛けたが
 
「もっとゆっくりしてきても良かったのに。20分くらいしか経ってないじゃん」
「嘘!?」
 
スマホで時刻を確認すると、13:05である。会場を離れる時に時刻を見た時、12:45だった記憶があるので、本当に20分しか経っていない。
 
真珠はあまり深く考えないことにした。
 

23日の夜、薫・遙佳・歩夢は金沢駅近くのビジネスホテルに泊まった。3人なので2部屋取り、薫で1部屋、遙佳と歩夢で1部屋である。医学的な性別でいうなら、遙佳と薫/歩夢と分けるところだが、祖母は
 
「私、いびきが酷いから、あんたたち“姉妹”でツインを使いなさいよ」
と言って、このような部屋分けになった。
 
遙佳はお風呂からあがった後、わざわざ裸のままバスルームから出て来て、パンティも穿かずに自分のベッドで横になってスマホをしている。
 
「お姉ちゃん、せめてパンツくらい穿いたら?」
「女の子の身体をあんたに見せつけてるだけ」
「まあいいけどね」
 
でもさすがに歩夢は姉の裸はできるだけ見ないようにした。
 
「羨ましいでしょう。早く性転換手術受けられるといいね」
「18歳になったら手術受けさせてあげるよと、お母ちゃんは言ってる」
「あんた誕生日が3月だから、高校卒業後になっちゃね」
「うん。でも実際18歳未満ではどこも手術してくれないみたい」
 
「私が手術してあげようか。切り落とすのはできそうな気がするけど。私、鶏さばけるし」
 
父のレストランを手伝ってるから、鶏をさばくのもお魚をさばくのも得意だ。
 
「止血できるの〜?」
「やってみなければ分からない」
「怖いなあ。お風呂入ってくる」
「うん」
 

それで歩夢は、セーラー服の上下を脱いで下着姿になってから、替えの下着に花柄のパジャマを持って浴室に行く。
 
下着を脱いでから、シャワーでまず髪を洗い、コンディショナーを掛けてから身体を洗う。首筋を洗い、微かに膨らんでいる胸を洗う。
 
ドキドキする。
 
「もっと大きくなるといいなあ」
 
などと思いながら腕を洗い、お腹を洗う。お股をタックを解除せずにそのまま洗うと、まるで全部無くなっているようで、これも少しドキドキする。
 
むだ毛など生えていない足を洗う。歩夢の白い手足は、クラスメイトの女子たちから
 
「ほんと白いよね。羨ましい」
などと言われる。
 
足の指先までマッサージするように洗う。そしてコンディショナーを洗い流し、顔を洗ってから、バスタブに浸かる。少し湯温が冷めているので、お湯を出して温度をあげる。
 
バスタブに浸かりながら、今日連れて行ってもらった、一言主神社のことを思い出していた。
 
「ほんとに願いがかなうといいなあ」
と歩夢は思った。
 

「一言主神社が撮影できたんだ!」
と明恵は驚いたように言った。
 
この日は初海が自分のミラで、午後になって出て来た双葉と一緒に、明恵と真珠を“宿泊所”に送り、結局そのまま車は近くの時間貸し駐車場に駐めて、4人で宿泊所に入っている。
 
邦生・瑞穂と一緒に6人で食事を取った後、瑞穂と双葉に席を外してもらい、他の4人でそのビデオを見た。ビデオは午後の内に自分のパソコンにコピーしておいた。瑞穂は奥の自分の部屋に、双葉は真ん中の部屋に入っている。
 
「取り敢えず見て」
と言って動画を見せる。
 
「ちゃんと映ってるね」
「やはり実在するんだね」
「どんなに探しても見付からなかったのに」
「恐らく強い願いを持っている人だけが辿り着けるんだよ。今日は千里さんと私は歩夢ちゃんの付き添い」
 
「何か願い事があったんだ。どんな?」
「個人情報なので、お答え出来ません」
「そうだよね。ごめんごめん」
 
「撮影はまこちゃんをモデルにして撮ったのか。やはり一般人の顔を映すのは問題あるから?」
 
「撮影は、歩夢ちゃんが吹いてる所を私が、私が吹く真似している所を歩夢ちゃんが撮影した。でも歩夢ちゃんが吹いている所を撮影したものはデータとして残っていなかった」
と真珠は言う。
 

「嘘?なんで?」
と初海が訊くが
 
「まこが吹く真似している所だけでも残してくれたのは、神様の親切心だと思う」
と明恵は言った。
 
「神社で色々撮影していると、撮影したはずのものが映ってないことよくあるよね」
と真珠。
「そうそう。神様が撮影を許可してくれなかったものは撮影しても残らない」
と明恵。
 
「なんでそうなるの〜〜!?」
「神様の思し召し(おぼしめし)」
「うーん・・・」
 
「でも歩夢ちゃんのフルートは上手かったよ」
「へー」
「千里さんは、東京とかの音大に行ったら?と勧めてた」
「横笛の第一人者が言うのなら、見込みあるかもね」
 

願い事の紙を投入する所を見る。これも真珠が投入する真似をした所しか残っておらず、歩夢の映像は無かった。
 
「しかしこの願い事の箱は鬼だな」
「ちなみに今回は天狗様だったけど、私が3年前に行ったときは、鬼だった」
「ほんとに鬼だったんだ!」
「時々模様替えしてるのかもね」
「次はカッパになってたりして」
「ありそう、ありそう」
 

「これ番組に流す?」
「流そうよ」
「流していいのかなあ」
「撮影したビデオが消えてないということは、神様が許可してくれたんだと思う。だよね?」
と真珠は明恵に確認する。
 
「うん。映してはいけないものは、カメラのスイッチが入らなかったりして撮せない。撮影したつもりでもデータとして残っていない。歩夢ちゃんの映像のように」
 
と明恵も言う。
 
「どうせ、視聴者は、どこかよその地区の神社で撮影したもので、天狗の箱とかはセットだろうと思うよ。願い事の紙に1000円も取るとか深夜番組の無茶振り企画にありがちだし」
と真珠が言うと
 
「最近、まこちゃん、発想が幸花さんに似てきた」
と初海が指摘する。
 
「あはは」
 

この日は、初海は先に双葉に入ってもらった真ん中の部屋で寝て、明恵は真珠・邦生と同じ部屋に寝た。
 
「私気にしないから、セックスしててもいいよ〜」
と明恵は言う。
 
「セックスしてる所を、瑞穂にも随分見られた」
と、邦生が言っている。
 
「瑞穂ちゃんが部屋に入って来たの?」
「いや、ダイニングでしてたら」
「そんな所でするほうが悪い」
 
「見られたの、全部俺が下になってる所ばかりだったから、瑞穂は俺がネコだと思っているかも」
「実際、そうなんでしょ?まこがハズバンドで、くにちゃんがワイフだよね?」
「うん、くーにんは、ぼくの可愛い奥さん」
「うーん・・・やはり俺が妻なのか」
「赤ちゃんも、くーにんに産んでもらう」
「勘弁して〜」
 
「ところで、まこが3年前に願ったのは、歩夢ちゃんが今日願ったのと同じこと?」
「正解。やはり、あきも歩夢ちゃんのことは気付いてたか」
「気付く人は凄く少ないと思う」
「歩夢ちゃん、何かあるの?」
「気にしなくていいよ」
 
「金剛(たかし)さんは何を願ったの?」
「朝、ちゃんと起きれるようになりますようにって」
「へー」
 
「当時、うちの家は、ぼく以外全員朝が弱くて、兄ちゃんは就職したばかりだったけど、入社1ヶ月で2度も遅刻して『次遅刻したら、もう会社出てこなくていい』と言われていた」
「それは深刻だ」
 
「でもその後は1度も遅刻しなくなったから、上司さんから褒められたみたい」
「それは大きいね」
「兄ちゃんはそれで人生変わったと思う。ま、今は兄ちゃんが家族全員を起こす」
「たいへんそうだ」
 

歩夢は夢を見ていた。
 
夢の中にビスクドールが出て来た。
 
「私はプリエール・ヴィエルジュ。私の女の子の身体をあゆちゃんにあげるね」
 
「え?」
 
ビスクドールは服を脱いで裸になった。女の子の裸体がまぶしい。私もこんな身体になりたいと思う。おっぱいも、割れ目ちゃんも羨ましい。ちんちんとか要らないよぉ。
 
そして人形は輝く光に包まれると、歩夢の身体に飛び込んだ。そしてひとつになった。
 
そこで歩夢は目が覚めた。
 
頭の中に人形が名乗った“プリエール・ヴィエルジュ”という名前が何度も反響していた。
 

4月24日(日)朝、歩夢は姉に
「私少し遅れて行くから、お姉ちゃん先に行ってて」
と言って1人部屋に残った。
 
遙佳は色々男の娘には“お支度”が必要なのだろうなと思って先に出た。
 
そして残った歩夢は窓を開けると、タックの修正を始めた。
 
昨日は朝早く出たから、タックは金曜日の晩に調整してから34時間ほど経っている。しかも昨夜お風呂に入っているので、かなり崩れている。歩夢は、やり直したほうがいいと判断して、除光液と小型のハサミを使ってタックをいったん解除した。
 
バスルームに行き、きれいに洗う。
 
その時気がついた。
 
玉が降りてこない!?
 

タック中は、玉は体内に入ったままだが、解除すると体内の圧力に押されて降りてくるのが普通である。歩夢はバスタブ内に座って、指でまさぐってみた。
 
見当たらない!?
 
なんでー!?と思ってから、ハッとした。
 
これって、一言主神社でお願いしたのが叶ったのでは!?さすがに女の子に変えるのは難しいけど、玉を消してくれたのでは?
 
嬉しいー!
 
神様、ありがとうございます!
 
歩夢はとても楽しい気分になり、バスルームから出ると「女の子に生まれたんだから♪」と、佐々木彩夏の『Girls Meeting』を歌いながらタックをした。玉が無いと、タック作業が物凄く楽だった。
 
「よし今日の割れ目ちゃんは凄くきれいに出来た」
などと、思わず独り言を言ってから、歩夢はショーツを着け、ブラジャーを着け、キャミソールを着る。ブラウスを着て、セーラー服を身に付け、リボンを結んだ。
 
自分の荷物をまとめ、忘れ物が無いか確認。姉のベッドに落ちていたブラシも持ち、歩夢は鍵を持って部屋を出た。
 

遙佳のほうは9時半頃、会場に入った。
 
最終日(4/24)なので、神谷内さんと幸花さん、それに邦生さんも来ていた。邦生さんって、いつも男みたいな格好してるけど、今日はパンツルックではあるけど、わりと女っぽい雰囲気にまとめてるな、と遙佳は思った。その邦生さんが、左手薬指に真珠さんと同じプラチナの指輪をしているのを見て、遙佳は尋ねた。
 
「もしかして邦生さんと真珠さんで結婚したということは?」
 
「そうだよ」
「すごーい!あらためておめでとうございます」
と遙佳は言った。
 
ビアンもいいなあ、などと思う。私ってバイかも?中学生の時、下級生の女子からラブレターもらったこともあるし。
 

最終日は昨日にも増して人が多かった。遙佳たちは10人以上の人から美術館の場所を尋ねられ、パンフレットを渡して説明した。
 
お昼頃、今日も千里さんが来た。
 
「凄い人出だね」
「盛況です」
「君たち、お昼は?」
「半分ずつ食べに行きましょうよ」
 
「じゃ、私がまこちゃん、歩夢ちゃん、くにちゃんとで待機してるから、明恵ちゃん、遙佳ちゃん、初海ちゃんで先に行って来なよ」
と千里さんは言った。
 
真珠は唐突に思った。
 
“この”千里さんは、いつもの千里さんのような気がする。根拠は無いけど、
 
「お弁当代わりにケンタッキー買っといたから。駐車場のB386に駐めてる白い CX-5. ナンバーは****」
と言って千里さんは明恵に、駐車枠番号と車のナンバーを書いた紙、そして車のキーを渡した。
 
なるほどー。“千里さん”が違うと、きっと車も違うんだ。だったら、何の車を使ってるかで、どの“千里さん”か見分けられるのかな?と真珠は思った(←甘い!)。それに、昨日は、かまどやのお弁当だったけど、今日はケンタッキーなんだ!
 

明恵たちが食事に行ってから、歩夢が千里に言った。
 
「昨日は一言主(ひとことぬし)神社に連れて行って下さってありがとうございます。おかげでもう願いが叶ったんですよ」
 
真珠はもう効果が出たか。自分や明恵は数日かかったけど、と思った。
 
ところが千里は言った。
「一言主神社って何だっけ?」
「は?」
 
真珠は言った。
 
「千里さんって10人くらい居るみたいなんだよ。多分、昨日の千里さんは千里8号で、今日の千里さんは千里4号」
 
(↑今日の千里の番号を言い当てているのが凄い)
 
「え〜〜?そんなに居るんですか?」
 
「よく分からないけど、自分が複数居るのではと思うことがある。でも君の言葉は、昨日の千里に伝えておくよ」
と千里さんは言っていた。
 
 
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【春歩】(1)