【春歩】(5)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-12-03
5月29日(日)、火牛体育館からの帰り道に春貴は晃に言った。
「君、コーチの資格を取らない?」
「高校生がコーチの資格取れるんですか?」
「4月1日現在で15歳以上、つまり高校生以上なら取れるんだよ」
「へー。講習会か何か受けるんですか?」
「オンライン講習会だよ。パソコンがあればできる。1ヶ月間だけどね」
「ひゃー。1ヶ月って凄いですね」
「テスト期間中とかは休んでもいいと思うよ」
「あんまり勉強してないし大丈夫だと思います」
「そう?費用は出しておくから、やらない?」
「じゃ、やろうかな」
それで晃はコーチの資格を取ることになった。
春貴は彼を(本物の)アシスタントコーチにしようという構想があったのである。多分(高校在学中には)性転換して女子選手になったりは、しないと思うし!?
H南高校のメンバーが (5/29 Sun) 2時間ほどの練習を終えて帰宅したのを見送った千里(実は千里6)の所に、九重(播磨工務店の徳部)が申し訳無さそうな顔で近づいて来た。
「どうしたの?」
「千里さん、すみません。たくさん体育館建てたもんだから、うっかり体育館の材料を1個分多く作ってしまったみたいで、あと1セット余ってるんですが」
じゅうちゃんらしいなあと思った。播磨工務店は、南田兄がわりと自分の好みで勝手にあれこれ設計を変更してしまう(青葉邸がその良き?例)のに対して、九重は数の間違いや、抜けと余剰が多い。階段作り忘れの前科も多いし、5階建てを頼んだ筈なのに4階しか無かったり6階まであったりするのが、じゅうちゃんの仕事である(浦和の家の立体駐車場のフロア数を間違ったのも彼。但しあれは千里の伝え方も悪かった)。
千里はちょうどいいと思った。
「氷見(ひみ)に私、土地を買ったから、そこにそれを建てて」
「そんなものがあるんですか」
「取り敢えず見に行こう」
と言って、千里は彼をXC40に乗せると、氷見市まで連れて行き、先日<ゆう姫様>の要請で買った土地を見せる。
「建っていた古い店舗と、駐車場のコンクリートは、茶組(斫り専門部隊)に言って撤去させた。建築については、じゅうちゃんの手が空くのを待っていた」
と千里は言う。
「ここ1000坪ちょっとありますね」
「実測してみたら、幅46.2m, 奥行き89.8mだった。1254坪だね」
「じゃ体育館4個建てれますね」
とじゅうちゃんは言うが、
「それだと建蔽率オーバーするから2個かな」
「言わなきゃバレませんよ」
「いっぱい、いっぱい建てたら駐車場も取れないし」
「地下駐車場にするとか。ちなみに私はおっぱい、おっぱいが好きです」
「おっぱいが好きなら女の子に変えてあげようか。好きなだけ触れるよ」
「自分が女になったら、自分で自分には入れられないじゃないですか!」
本当は将来の拡張のために両隣の土地と換気エリア確保のために後面の畑も買ってるけど、それは今は言わないほうがいいな、と千里は思った。
「それに地下には空間を作って欲しいんだよ。だから地下駐車場は無し。空間の広さは体育館と同じで高さは4mくらい」
「4mだとロングシュートのボールが天井にぶつかりますよ。最低7mにしましょう」
「うーん。7mでもいいけど、そこには何も作らない。ただ空間だけを空けておく」
「そんな空きスペースを作ったら、亡霊とかが入り込みやすいですよ」
「いや、亡霊に住んでもらうんだよ」
「は!?」
それで千里は乙和御前と浪ノ戸姫の話をした。すると九重は涙をボロボロ流した。
こんな九重を見るのは珍しい。95%くらい冗談と悪戯で生きてるのに。
「浪ノ戸姫様の時代はまだ私が生まれる前ですけど、私の親父が判官(ほうがん)殿と一緒に戦ったんですよ。浪ノ戸姫様のお兄様の(佐藤)忠信様と2人で、静(しずか)様の護衛を命じられたので、衣川まではお供しなかったらしいですが、嵐の海を渡って檀ノ浦(*23)でほんの数十騎で平家の船を攻めたのが最高に興奮したと言っておりました」
ああ、じゅうちゃんのお父さんの世代かもね、と千里は思った。
(*23) 紛らわしいのだが、屋島の戦いが行われた讃岐の地は木偏の檀ノ浦。最終決戦の地となった関門海峡の場所は、土偏の壇ノ浦である。
「分かりました。浪ノ戸姫様と乙和御前の御冥福を祈って、判官殿絵巻・人形館を作ります。半年ほど待って下さい」
私、知ーらない、と千里6は思った。
「人形館はいいけど、乙和御前の館のための場所と体育館は6月中に作ってほしいんだけど。今御前様たちが住んでおられる所が7月から使えなくなるんだよ」
「人形館の場所だけ確保しておいて、先に体育館を建てて、その後は、勾陳さんと2人で作りますよ。勾陳さんは平家方ではありますが、きっと賛同してくれます」
ああ、凄いのができそうだ!
きっとあの子は女の子の服を着せられているだろう。
そういう訳で、九重は、その日(5/29)の夜の内に山留めの鉄板をぐいーっと深さ14mまで地面に押し込んでから地下室(人形館とお館で合計12m)を作るため、その内側の土を、ひょいと取り外し(“掘る”のではない)、どこかに(どこに?)持って行った。そして朝までには、その上にふたをして土をかぶせ、地下に構造物があるのは分からないようにした。そして5月30日に、彼のチームを連れてきて、コンクリートの基礎を作った(建築許可申請は??)。
そして5月30日の夕方。
「基礎が固まるの待って、6月6日に雨ザーザー降らない内に体育館をまず1個建てます。あと1個の材料は今週中に作らせます。建築許可申請は社長(南田兄)に頼んで今週中に出してもらいます(←やはり順序がおかしい)」
と、九重は姫路の自宅に居る千里4!に電話連絡した。
(普通そうする。だいたい九重たちは千里が複数居ること自体を認識していない。千里が遠隔地に瞬間移動するのを眷属たちは初期の頃から見ているので、千里があちこちに出没しても何も不思議に思わない)
千里4は何の話か分からなかったものの、適当に
「うん、よろしくねー」
と答えておいた。
そして千里4は、九重は忙しそうだなあ。乙和御前の館の件は、あまり気が進まないけど、清川に頼むかなあ、などと考えていた。清川の作業の問題点は壊れやすいことなんだけど!(←グラナダのパイロットさんの部屋は大丈夫か?)
5月30日(月・大安・みつ) 21:00 !?
金沢市の武蔵の近く?にスートラの実質的な支店となる、お弁当屋さんアイゼンがオープンした。お店の看板代わりに登山用のアイゼンがぶらさげてあり、お弁当のメニューにも、白山弁当、砂防新道弁当、立山弁当、雄山弁当、剣弁当、美女平弁当などとあって、登山好きの人がやっているお店かとも思うが、実はインドのカーマが日本では愛染明王に相当するので、そこから来た名前である。
店長はスートラにもう10年くらい務めていたベテラン・ニューハーフのカルーセルちゃんだが、ここでは“メリー”、漢字では郷愛里(ごう・めりー)を名乗っている。フランス語のカルーセルが英語ではメリー・ゴーラウンドになるので、そこから来た名前である。
お客さんは店長が元男性とは思いもよらないだろう。17歳で去勢して22歳の時にはタイで性転換手術を受けているので、ほぼ完璧な女性である。お店に副店長と部長の肩書きで入っている、ダリアちゃんとアンズちゃんも経験5-6年のニューハーフさんだが、ふたりとも20際前後で去勢しているので、やはり女にしか見えない。
お店では開店に向けてスタッフを募集し、5人の男の娘女子大生をパートで採用した(天然女子を雇う気は無い?)。
邦生は多少とも関わったお店なので、真珠と一緒に開店祝いに行き、御祝儀も渡してきた。メリー(カルーセル)には過去に数回青葉関連で会ったことがある。
「ありがとありがと」
「社長さん(玉梨乙子)(*24)は来てないの?」
「来るなと言った。だって見るからに怪しいじゃん」
「確かに怪しいか妖しいかだ」
ニューハーフさんには、本当に女にしか見えないタイプと、どこをどう見ても男というタイプがある。メリーさんは前者で、玉梨乙子は後者である!(コミカルなキャラクターで売っている人が多い)
(*24) 源氏名=玉梨乙子:たまなしおとこ、本名=月見里折江(やまなしおりえ)。性転換手術は終えているものの、法的な性別は変更しておらず(申請したが却下されたという噂がある:実態は不明)、名前だけ永年使用で女性名に変更している。
去勢した年齢が遅かったし、元々が男らしい容貌と体格だったこともあって、性転換手術を受けて機能的には女になっても、外見は男にしか見えない。女子トイレや女湯脱衣場・湯船!で悲鳴をあげられたこと多数。警察で事情聴取されたものの、女の身体であることを確認され釈放されたとか?
そもそも男にしか見えないので性転換手術を4つの病院で断られ、5つ目のやや怪しげな病院で、やっと手術してもらえた(と本人は言っている)。でも下手糞な医者で、手術後大出血して死にかけたというのは本当らしい。最終的には国内の大学病院でヴァギナの修正手術(というより作り直し)を受けて、やっとまともにセックスできる状態になったらしい(既に女の形になってるから通常の医療として手術してくれた)。尿道口の位置も国内の病院で変更している。
彼は津幡組(所属は百万石スイミングクラブ)の月見里公子・夢子姉妹の養父である。(“彼女”ではなく“彼”でいい気がする)
姉妹の実父である木倒マラ(死亡後“マラ”としてジャネの半分を構成している)が経営していたオカマバー数虎(すーとら)のチーママをしていた。マラ死亡後、姉妹の母であるクミコと再婚して(戸籍が男なので結婚できる)、2人を養女にし、またお店を買い取ってスートラと改名した。2人はこの“新しい父”にとてもなついている。マラは意識が完全に女だったが(*25)、折江は意識が完全に男!なので、実父以上に“父”として頼りがいがあると姉妹は言っている。
「お父ちゃんは、おっぱいがあって、ちんちんは無いけど、立派な男だよ」
などと姉妹は言う(父を褒めてるつもり)。
(*25) この件は簡単には説明できない、ひじょうに複雑な事件でaoba5の後半分(配信12回分)を使用している。詳細は↓参照
http://femine.net/j.pl/aoba5/45
「常勤3人とパート5人ですか」
と邦生はメリーに尋ねた。
「パートさんは実はほぼデリバリー部隊」
「なるほどー!」
「私はもう取っちゃってるから分からないけど、タックした状態でスクーターに乗ると、ちんちんが痛くて凄くいいらしいよ」
「えっと」
よく分からない話だ。でも真珠が頷いている!
「今のコロナの状況では用心深い人は、テイクアウトのお店に並ぶのも嫌がる。でもデリバリーなら、ウーバーが料金高いのにあれだけ使われているのを見ても需要は高い、だからデリバリーを中心に考えている」
「なるほどー」
「常勤スタッフはほぼ調理係ね」
「お弁当店の形態としては、接客係というのはあまり必要無いかもね」
「大手のお弁当チェーンも接客専門のスタッフはいないよね」
「でも夜9時開店って凄いですね。朝9時の間違いじゃないかと思った」
「私たち夜中心の生活を長年続けてるから朝はダメなのよ。3人が確実に起きていられる時刻を開店時刻に選ぶと夜9時になった。明日からは3人でシフト組んで朝9時から夜25時まで16時間営業」
と言って、標準シフト表を見せてくれる。
「お昼と夕方時間帯は2人入るようになってますね」
と真珠が訊く。
「うん。午後とかはお客さん少ないだろうしね。ワンオペをできるだけ減らした。あれってトイレも辛いもん。バイトの子が入っている時はその子に見てもらっててトイレ行けるけど」
「切っちゃった人って、おしっこ近くなるんでしょ?」
「よく知ってるわね。構造上の問題で、オカマは天然女よりおしっこが近いのよ」
「あれ?店長さんは9時間勤務だ」
「他の2人より給料がいい分仕事しなきゃ」
「大変ネ」
「真珠(まこと)ちゃんだっけ?あんた可愛いね。あんたが男の娘だったら、雇いたいくらい。でもうち天然女子はあまり入れたくないのよね。女子更衣室作らないといけなくなるから」
そういう理由で女子を雇わないのか?
「この店、お休みは?」
「そんなもの無いわ」
「労働基準法違反っぽい」
「少し軌道に乗ったら、調理のバイトさん入れて交替で休めるようにするつもり」
「それがいいです。休み無しはまずいですよ」
「もうひとり料理が上手い、ファレノプシスちゃんって子も誘ったんだけどね。4人いたら交替で休めるし。でも、彼女はむしろ独立して自分でお店を持ちたいと言うから」
しかしダリヤやアンズはまだいいけどファレノプシスって、およそ人間の名前には聞こえない!
「自分のお店って・・・オカマバーですか?」
「ううん。レストランよ」
「ああ、そちらですか」
「社長も資金貯まったら独立していいよと言ってるし、2〜3年以内には独立するかもね」
「やはり金沢市内くらいですか?」
と邦生は、また融資の口添えを頼まれるかもと思いながら尋ねた。
「郷里がS市だから、そこに帰ることも考えているみたい」
「へーS市ですか」
最近S市関連の話が多いなあと思いながら邦生は聞いていた、
「でも郷里でお店を出すって勇気ありますね。この傾向の人って概して郷里から離れたがりますよね」
「そうそう。男の娘のくにちゃんは分かってるね。男の子時代の自分を知っている人が居ない所で暮らしたがる子が多い。でも、息子が立派な娘になって帰ってきて故郷に錦を飾るのもいいと思うよ」
とメリーは言った。
可愛い娘になってたら、錦を飾ることになるのかな??
ファレノプシスちゃんには、もしかしたらそちらにお世話になるかも知れないからといって、メリーが仲介して、一度邦生・真珠と会う機会が作られた。銀行の融資課の人ではなく真珠と2人で会ったのは、まだ今すぐ融資してくれという話ではないからである。
彼女は女性にしか見えない。かなりの美人である。小5の時から女性ホルモンを飲んでいて、18歳で海外で性転換手術を受けたらしい。ペニスがあまりにも小さくて陰茎反転法が使えず、S字結腸法を使ったと言っていた。性転換年齢も若いが、恐らくは元々かなりの美少女だったのだろう。
彼女は挨拶代わりにと、茶碗蒸しと豚汁を作ってきてくれたが、とても上品な味で、筋のいい料理人さんだと思った。これだけ料理が上手い上に美人なら、商売はうまく行きそうな気がした。
「あなた、かなり本格的に修行してるでしょ?」
「横浜の小料理店で5年間修行しました。初期の頃は随分包丁の背で殴られましたよ」
昔の板前さんは皆そんな感じだったが、最近でもまだそういう所があるのかな。でもこんな美人を殴るなんて。
「でも私、店主の息子さんにレイプされて、それが奧さんにバレて、修羅場になったから、金沢に逃げ帰ってきたんですよ」
「いろいろ大変だね」
「幸いにも妊娠しなかったけど、2ヶ月くらい妊娠検査薬で陰性確認してた」
妊娠するのか?
「和食系が得意?」
「中華も作りますけど、和食が好きですね」
「オーナーシェフになる?」
「それが夢ですけど、私、貯金するのが苦手で」
「ああ」
「どこか板長にしてくれる所あったら、そういう所の雇われ板長でもいいんですけどね」
「なるほどねー」
「でもS市に戻りたいのね」
「私、性転換手術代とかも親に出してもらったから、少しでも恩返しがしたくて」
「偉いね!」
5月30日(月).
春貴と横田先生は昨日の大会の結果を教頭に報告した。
「不戦勝か!」
「それで女子はベスト4ですよ」
「凄いじゃん」
「不戦勝でベスト4というのは少し恥ずかしいですけどね」
「でも3回戦は過去に県大会で準優勝したこともあるチームに勝ってますからね。選手たちは着実に力を付けてると思いますよ」
と横田先生は言う。
「この1週間、卓球部さんのご厚意で、体育館を使わせてもらえたので、だいぶ基本の練習ができましたから」
「でもだったら、今週の練習はどうするかね」
「卓球部さんは今週末ダブルスの試合ですから、今週は旧美術室で頑張りますよ」
と春貴は言ったのだが横田先生は言った。
「それぼくも考えていたんだけど、今週いっぱいは、いつも男子が練習しているところで女子が練習しない?男子が旧美術室で練習するよ」
「いいんですか〜?」
「男子は敗退したからね。次は7月中旬の地域リーグまでは試合は無いから、1週間くらいいいですよ」
「助かります!お借りします」
ということで、先週は卓球部の好意で第2体育館の1/3ほどを使わせてもらったが、今週は男子バスケ部の好意でメイン体育館のハーフコートで練習させてもらえることになった。
火牛体育館を使わせてもらっているのも千里さんの好意だし、たくさんの人の好意に支えられているなあ、と春貴は思った。
愛佳と舞花は、男子バスケ部の坂下部長のところに挨拶に行った。
「男子が女子より成績悪かったら、お前ら全員性転換手術受けてもらって、女子と男子を入れ換えるぞと言われてたけど、女子は不戦勝だったから、性転換は勘弁してもらった」
と坂下君は言っていた。
「1〜2年生でベンチに入れない子でもいいから、2〜3人、女子部にもらえません?女子部は今8人しか居ないから最後のほうはどうしても疲れて動きが鈍くなるんですよね」
と愛佳。
「じゃ性転換の希望者がいたら紹介する」
と坂下君は言っていた!
5月31日(火).
H南高校女子バスケ部の部員8名が春貴と一緒に“終わりのジョギング”をしていたら、ジョギングコース途中にある焼肉店跡に変化があった。
「基礎工事されてるみたい」
「じゃいよいよ何か建つのかな」
「何ができるんでしょうね」
「コンビニだったら、いいなあ」
などと部員たちは話していた。
6月1日(水).
この日から多くの中学・高校では衣替えとなり、制服は夏服に切り替えられる。ただし今年は例年より寒いこともあり、しばらく移行期間を設けるところも多かった。
歩夢の通うN中学では、男子は冬服から学ラン(*27)を脱いでワイシャツ(*28)だけの格好になる。女子は冬服なら白い汎用品のブラウスの上にセーラー服だが、夏は夏用のセーラー服っぽいラインが入ったブラウスを着る(結局女子はお金が掛かる)。
歩夢はその日の朝“白いブラウス+ズボン”という格好で居間に出て来た。遙佳は「その格好は無いよなあ」と思ったが、早速母に突っ込まれる。
「歩夢、あんたその胸は大きすぎる。パッド外しなさいよ」
「パッドとか入れてないよ」
「嘘!?」
「触っていいよ」
母はそれでブラウスのボタンの隙間から手を入れて歩夢の胸に触る。確かにかなり育った胸の感触がある。
「あんた随分胸大きくなったね」
「なんか3月頃から急に成長したぁ。だから2月に買ってもらったAカップが入らなくなって、お姉ちゃんから譲ってもらったBカップ着けてる」
「え?そうだったの?」
洗濯物を見たら分かるはずだか、この母なら気付かないよな、と遙佳は思った。
「でもこの格好は絶対変に思われる」
と母は困っている。
「提案その1.女子制服を着て出て行く」
と遙佳は言った。
祖母の薫がパチパチパチと拍手している。
「うーーん。それは・・・」
と母は悩んでいる。
「提案その2.今月いっぱいは移行期間だから、学ラン着て行く」
と遙佳は続けた。
「それがいい。あんた学ラン着て行きなさい」
と母は言った。
それでこの日、結局歩夢は学ランを着て男子冬服状態で登校することになったのである。
そういう訳で、歩夢は、6月1日は一応、ブラウス+ズボンの上に学ランを着るという不思議な格好で登校したものの、すぐに女子のクラスメイトに言われて、普通に夏服女子制服(セーラーブラウス+スカート)に着替えている。
この日は身体測定があったが、もちろん歩夢は他の女子と一緒に測定された。この学校では、今年の春に着任した女性の校長先生が
「身体測定は着衣でしましょうよ」
と言ったことから、“今年は”着衣で測定がされている(*26)
それで、歩夢は“今月も”着衣のまま他の女子と一緒に保健室で身長と体重を測定された。着衣なので、一部居る、歩夢が女子扱いになっていることに抵抗を感じている女子たちも、寛容的であった。
「川口さん、だいぶ胸が大きくなったね」
などと声を掛けて、胸に触っていた(きっと本物かどうか確認している)。
前回の身体測定は5月10日(火)に行われているが、歩夢は5月6日以降はほぼ女子制服で学校生活を送っているので、身体測定も、女子制服を着たまま他の女子と一緒に測定されている。(4月は男子と一緒に測定されそうだったから、その日学校を休んで、翌日個別測定された)。
なお昨年度は脱衣方式だったので、毎回1人だけ別に測定されていた。着衣になったことで、個別測定は無くなったが、それでも歩夢は男子と一緒には測定されたくないと思った。
(*26) 身体測定に関するルールを定めた、文部科学省令(学校保健安全法施行規則)では、身体測定は脱衣を原則とするが、着衣でもよいと定められている(衣服分の重さを控除する)。更に、規則ではないが、文部科学省が監修している「児童生徒等の健康診断マニュアル」では脱衣で身体測定をする場合は男女別に行なうこと、という指示がある。
(非常に少数ではあるが、身体測定を脱衣で、男女分けずに実施していた小学校はわりと存在した。現在もあるかどうかは不明。さすがに中学以上には無いと思う)
そういう訳で実は、身体測定を脱衣でするか着衣でするかは、その学校の任意であり、実質、校長先生が決めることができるのである。
(*27)“学ラン”の“ラン”はオランダのことである。幕末から明治初期の頃は今で言う“洋服”のことを“ランダ”とか“蘭服”と言った。学ランは学生用ランダ、あるいは学生用蘭服の略である。
従って漢字で書くなら学蘭が正しい。学欄とか学鑾などは誤り。
(*28)ワイシャツは衣料品店ではしばしば“Yシャツ”と書かれているが、その表記は誤り。英語の white shirt が訛ったものである。従って「青いワイシャツ」とかはおかしな表現である。「青いシャツ」なら良い。
“カッター”は昔、この服を着てカッターボートによるレガッタの応援をしていた学生たちが自チームが優勝して「勝った勝った」と大騒ぎしたことから来たものである。商品名として付けたのはミズノの水野利八。つまりアルファベットで書けば Katta である。(でもカッターボート cutter boat とレガッタ regata にも掛けてる。野球の応援だったとの説もある)
概ね関東ではワイシャツ、関西ではカッターという、と言われるが、地域によっては、学生用のものをカッター、社会人用のものをワイシャツと呼ぶ。
フランス語ではシュミーズ(chemise)と言う。実は起源的には女性用のシュミーズと同じ物である。男性用のシュミーズはボタン留めのものが流行し、それが現在のワイシャツの原型になった。だから実は元々は肌着。
(一般的に衣服の歴史では元々下着だったものがアウターとして使われるようになることが多い。浴衣などもそんな感じ)
ちなみにスリップはアウターのすべりをよくするために、アウターのすぐ下に着ていた服であり、シュミーズとは起源が異なるものである(だから元々は、シュミーズはコットンやリネン製、スリップはシルク製:現代ではナイロン製)。しかし形が類似していることから現代日本(多分1970年代後半以降)では混同され、全てスリップと呼ばれるようになってしまった。
ところで歩夢が最後にタックをしたのは5月13日である。14日にはペニスが事実上消滅してクリトリスに変化してしまったため、タックは不能かつ不要になった。ただ、陰唇が無いのが悩みだったのだが、半月ほどの間に陰毛が生えてきて、その付近を覆ってしまった。
(タックするためには陰毛を剃る必要があった(実際には焼き切っていた)が、タックしなくなったので、剃らなくなった)
それで陰裂は無いものの、この時点で、もはや女子のお股にしか見えなくなった。歩夢はお風呂の中で自分の身体を鏡に映してみて
「私もう完全な女の子ということでいいよね?」
と思った。
6月3日(金).
歩夢はまた夢を見ていた。
歩夢がセーラー服を着て道を歩いていたら、突然大きな地震が起きる。
とても立っていられない感じがして座り込んでしまった。
すると突然道路に亀裂が生じる。そして道路表面がV字状に傾くので、歩夢は「きゃー」と悲鳴をあげながら、そのクレバスの底まで滑り落ちた。
そこで目が覚めた。
部屋は・・・揺れてない!スマホの地震速報を確認するが、特に大きな地震は無かったようだ。
やはり最近地震が多いから見た夢かなあと思った。
ふと、スマホの時刻に気付く。
うっそー!?
7:50!?
遅刻しちゃう!
急いで制服を着て部屋を飛び出す。
「やっと起きたの?何度も起こしたのに」
と母が言っている。
「ごめーん!行ってきます」
と言って、歩夢は朝食も食べず、トイレにも行かずに家を飛び出し、学校まで必死に走った。
学校に辿り着き、教室に飛び込む。
クラス委員が前に立ってSHR(ショートホームルーム)をしているようだ。
「あゆちゃん、遅刻〜」
「ごめんなさい」
「でもSHR中に来たから、ちゃんと居たことにしとくね」
「ありがとう。あれ?先生は?」
「今日は研修でお休み。昨日言ってたじゃん」
「あ、そういえば」
「しかし君もいい加減、諦めて最初から女子制服で出てくればいいのに」
と言われてSHRの後、女子たちに更衣室に連行され、お着替えさせられた。歩夢は、学校まで走って来て汗を掻いていたので、下着まで交換した。
「あゆちゃんのおっばい、更に成長してない?」
「なんか日増しに大きくなってる気がする」
「Cカップになるのは時間の問題だな」
「し〜〜!?」
「でも、毛が生えてきたのね」
「うん。何か急に生えて来た」
「初潮が来たんだから、これからはどんどん大人の女になっていくよ」
歩夢は、毛が生えて来たおかげで、割れ目ちゃんが無いのを見られなくて済むと思った。
ところが、1時間目の後でトイレに行った時(朝から行ってなかったので、わりと辛かった)、(当然女子トイレの)個室で、おしっこをした時に出方に違和感を感じた。
何だろう?と思い、紙で拭いた後、指で触ってみる。
え?え?
歩夢は家に帰ってから確認しようと思った。
その日5時間目の授業の時、突然教室がガタガタッと揺れた。
わりと明確な地震だった。
でもみんな最近この手の地震に慣れっこになっている。
「結構揺れたね〜」
と先生がいう。
「震度3くらいかなあ」
という声もある。
歩夢は地震が来た瞬間、今朝の夢を思い出したが、震度3程度で、大したことは無かったので安心した。この程度で地面にクレバスができたりはしないだろう。
帰宅後、歩夢はトイレに行った上で自分の部屋に入る。制服のスカート(*29) も脱ぎ、パンティを脱ぐ。手鏡に映してよく見る。
「割れ目ちゃんが出来てる!」
昨日までは無かった、大陰唇ができているのである。
歩夢は今朝の夢を思い出した。
「今日の地震で、地面にはクレバスができたりしないけど、代わりに私の身体にクレバスができちゃったんだったりして?」
などとも考えるが、クレバスができたのは地震が起きる前である。
「これでもう完全な女の子かなぁ」
歩夢は“中”を確認した。
クリトリス、尿道口、ヴァギナ、全てがちゃんとこの大陰唇の中に入っている。完全に女の形になったみたいと思ったが、何か足りない気がする。
「あ!小陰唇が無い」
でも、小陰唇くらいは、いいよね?
「これ開け閉めする練習しなくちゃ」
今日のおしっこが凄く変な感じになったのは、大陰唇をきちんと開けないままおしっこしてしまったせいだと思った。
「それに、お姉ちゃんが、お嫁さんになるためには“閉める”練習って大事なんだよと言ってたし(←意味は分かっていない)」
(*29) 母は歩夢が女の子の格好で“登校”するのは気にするのに、女子制服で“下校”しても何も言わない。世間体とかなら、下校のほうが重要な気もするが?
6月4日(土).
千里1が参加している、アメリカのWBDAは、結局レギュラーシーズンは2試合行われただけで、決勝ラウンドに突入してしまった!
それて千里はこの日、やっと試合をすることができた。しかしこちらは8人(当初より1人増えた)で、向こうは9人で少人数同士の戦いになった。
試合は一応勝った。
6月4日(土).
吹奏楽の石川県大会が金沢市森林ホールで行われた。歩夢たちN中学吹奏楽部員は保護者の車に相乗りして金沢市に入った。歩夢と2人のフルート担当の女子(月奈・麻音)の合計3人で歩夢の母・珠望が運転するインサイトに乗り金沢に向かった。途中休憩したPAで、歩夢が他の2人の女子と一緒に堂々と女子トイレに入って行くので、珠望は
「あんた女子トイレ使うの?」
などと言ったが、月奈(るな)ちゃんが
「お母さん、歩夢ちゃんが男子トイレに入っていったら『混んでいるからといって女の子が男子トイレとか使ったらダメ』と叱られます」
と言ってくれた。
母は「うーん・・・」と悩んでいた。
10時過ぎに金沢の会場に到着する。各自用意していたお弁当を食べてから、12時過ぎに大会は始まった。
大会は参加者以外は会場内に入れないので、生徒たちを運んだ保護者たちは駐車場で各車内で待機した。そもそも今回地区予選が行われたのも密を回避するためである。2019年までは予選無しで、県内の全参加校が金沢に集まって大会をしていた(2020年は大会中止)。今回は県大会の参加校は7校で、2時間ほどで大会は終わるはずである。
大会は13時から始まった“はず”であるが、歩夢たちは13:30に入場指示があった。ひとつ前の学校の演奏を聞き、消毒後、ステージに昇って、出番が次の学校の生徒だけがいる状態で、閑散としたホールで課題曲と自由曲の2曲を演奏した。そして演奏が終わるとすぐ無言で退席する。
学校と学校の間に消毒作業が入るし、1校ずつ案内するので時間がかかる。それで7校の演奏に2時間も掛かった。
「なんか息詰まる感じだった」
「地区大会はもっと緩かったのに」
「まあ地区大会は参加校が3校だったしね〜」
「感染者が出ると参加できないから、参加取りやめた学校も多かったし」
「この県大会も地区大会の優勝校が2校辞退して次点校が繰り上げ出場してるし」
「いや、うちも大会までに感染者が出ないか実はヒヤヒヤだった」
と顧問の先生も言っていた。
現地解散して、あとは自由行動となる。歩夢が先日、一言主神社という変わった神社に行ったことを話したので、歩夢の母は車をAショッピングプラザに移動。母も含めて4人で、歩夢の記憶している一言主神社の場所に向かうのだが
「あれ?この辺だった気がするのに」
「案内板とかの類いも無いね」
歩夢は申し訳無いとは思ったのだが、真珠さんに電話してみた。
「ああ、一言主神社というのは、強い願いを持っている人だけが辿り着けるから、普通はどうやっても辿り着けないんだよ」
「え〜〜!?」
「ぼくも大学1年の時に、強い思いがあって辿り着けたけど、その後、お礼参りに行こうと思って探し回るけど、どうしても見付からなかった。北陸霊界探訪で加賀・能登・越中の寺社を取材して回った時も、再度探したけど見付からなかった。視聴者にも呼びかけて、行ったことのあるという人数人から情報をもらって、その情報を元に到達を試みたけど、やはり駄目なんだよね。でもこないだは、強い思いを持っていた歩夢ちゃんと一緒だから辿り着けた」
「嘘みたい」
「代わりに、ぼくが君たちをいい所に連れてってあけるよ。Aショッピングプラザで待ってて。そちら何人?」
「おとな1名、中学生3人です」
「みんな女の子?」
と言われて歩夢は一瞬だけ躊躇してから
「はい」
と答えた。
それで歩夢たちがショッピングプラザに戻ると、真珠さんはすぐ来てくれた。
そして真珠さんが案内してくれたのは、火牛スポーツセンターのアクアゾーンである。
「ここは2020年4月にグランドオープンする予定だったけど、折からのコロナの流行でCMを流すこともできず、夏の間だけ、人数限定で客を入れている」
「だったら経営が苦しいのでは?」
と歩夢の母が心配する。
「ここの社長さんは、お金が減ることが大好きだから、涙を流して喜んでます」
「はぁ!?」
「まあシーズン外でも〒〒スイミングクラブの会員は限定人数をオーバーしない限り使えるんだけどね。ぼくは特別会員だから、その連れということで、みんなを入れてあげるよ。ただ感染検査を受けてもらいますけど、いいですか?」
「それは全然問題無いと思います」
と歩夢の母は言った。
「でも私たち水着を持って来てない」
「そのくらいプレゼントしますよ。一言主神社でがっかりさせたお詫び」
と真珠は言った。すると歩夢の母は
「そんなの申し訳無いです。私が出しますよ」
と言う。
「じゃ川口さんと半々で」
ということで、アクアゾーン2階にある、フェニックス・スポーツ津幡店で水着を選ぶ。
「何かここ色々安い」
「衣料品を含む綿製品はインド直輸入、シューズとかテニスラケットとかはケルメ本社との直契約だから。でも今の円安で少し高くなってるんですよ」
「高くなってこの値段ですか!」
「この足跡みたいなマークがケルメ?」
「そうそう。オーナーは元々スペインと関わりがあるらしくて」
「へー」
歩夢の母は「私は見学」というので、真珠を含めて女子4人で水着を選ぶ。お店の人にサイズを計ってもらってから選んだ。
「みんなこの際、ビキニとか可愛いの選べばいいのに」
「ビキニを着るには、ある部分が不自由です!」
「大変ネ」
真珠もビキニではない普通の水着を選ぶ。
それで4人分の水着、ビニール製の水着入れ、バスタオルで24000円ほどだった
歩夢の母がカードで払い、真珠が半額の12000円を現金で渡した。
その後、1階のアクアゾーンに行く。
フロントでは
「吉田さん、いつもお世話になっています」
と笑顔でスタッフの人が言って5人をまず待合室に通す。白衣の女性が出て来て
「簡易検査キットで検査させて頂きます。少し痛いですけどいいですか?」
「いいですよ」
それで綿棒を鼻に入れられるが確かに痛い!
結果は5分ほどで出て、全員陰性だった。このキットは陽性だと30秒で分かる。陰性の場合に5分待つのは遅れて陽性反応が出ないか念のため待つから。
それで入館証(ロッカーの鍵を兼ねる)を渡されたので、腕に巻き付けて中に入る。
「ここ料金は?」
と歩夢の母が訊く。
「特別会員は5人までの連れは無料で同伴できるんですよ」
「凄い」
それでプールに行く。お母さんは見学なので、別の通路から入るが、真珠たち4人は更衣室に行く。女子更衣室に入ろうとした所で、歩夢が立ち止まって、もじもじしている。月奈ちゃんが気付いて
「一緒に入ろ」
と言って、歩夢の手を引いて、一緒に女子更衣室に入った。
「まあ、歩夢ちゃんが腕に着けてるロッカーの鍵はそもそも女子更衣室のロッカーに適合する」
と真珠は指摘した。
「じゃ、そもそも向こうには行けなかったね」
それで女子更衣室内の4つ並びのロッカーを使う。
それで着替えるが、服を脱いだ所で
「この身体で男子更衣室に入ったら犯罪だよ」
と月奈ちゃんも、麻音ちゃんも言っていた。
それでシャワーを浴びてプールエリアに入る。歩夢の水着姿を見て
「うーん・・・」
とお母さんが悩んでいた。
シーズン前ということもあり、プールは空(す)いていた。お客さんはたぶん30-40人である(夏でも実は100人までしか入(い)れない)。
歩夢は全然泳げないみたいだったので、真珠が少し泳ぎを指導してあげた。他の子は25mプールで泳いだり、遊泳プールで水浴びをしたりしていた。
後半は4人でひたすらスライダーを滑った。
スライダーの階段に(一段空けで)並んでいた時に、女子高生っぽい人が真珠に話しかけてきた。
「北陸霊界探訪の、真珠(しんじゅ)さんですよね?取材ですか」
「いや、今日はオフで息抜きに泳ぎに来たんですよ」
「ここ、いいですよね。人が少ないからスライダーもすべり放題なんですよ」
と楽しそうに言っていた。
「確かにこんなに空いてるスライダーはなかなか無いよね」
「私、これがやりたいから〒〒スイミングクラブの会員になったんですよ」
「そのためだけに会員になる価値あるかもね!」
ちなみに〒〒スイミングクラブの会費は利用回数に制限のある一般会員でいちばん下のコゾクラは月500円である。これでも月に2回入場できる。
回数制限の緩い上位会員は、フクラギ(4)→ガント(8)→ブリ(17)となる:北陸でのブリの出世ステップ名称である。回数制限無しの“クジラ”もあるが、現在のコロナの状況では月17回泳げるブリでさえ、その権利をフルに行使するのは難しいかも知れない。真珠はプライベートプールも利用できる特別会員。邦生と結婚したので入会を許可されて、年会費を払い特別会員になった。
確かに人が少ないから、スライダーはほとんど待たずに滑れてよかった。
2時間ほど遊んでから、あがった。
「あんた更衣室どっち使ったの?」
と母が訊くが、歩夢は
「もちろん女子更衣室に決まってる」
と堂々と答えていた。
母はまた悩んでいた。母のおごりで、移動レストラン・ムーランでごはんをテイクアウトしてテラス席(屋外)で食べた。
そのあと17時頃に歩夢たちは真珠と別れてS市に帰って行った。
帰りの車の中で母は歩夢に尋ねた。
「あんた今月下旬からの水泳の授業、女子水着で参加する?」
「そのつもり」
「分かった。何か言われたら連絡して」
「うん。ありがとう」
去年の校長先生なら分からなかったけど、今年の校長先生なら認めてくれるかも知れない気がした。
6月4日(土).
高校バスケットボールのインターハイ富山県予選は、今日は男女の準決勝が行われる。H南高校の部員8名に、春貴と愛佳の母は、早朝氷見を出て富山市の富山県総合体育センターまで出て来た。
「立派な体育館だなあ」
「こんな所で試合ができるって凄い」
「うん、君たちは強い」
女子の組合せはこのようになっている。
高岡C高校−H南高校、富山B高校−高岡S高校
H南高校以外はシード校である。H南高校の山は3回戦でシード校を破ったチームが交通事故による通行止めのせいで準々決勝の試合開始に間に合わず没収試合となった。それでH南高校は思いがけずも準決勝に進出することになった。
高岡C高校とH南高校は春の大会では3回戦で当たり、120-45で高岡C高校が勝っている。しかし今日、高岡C高校のヘッドコーチ矢作先生は、試合前のこちらの練習を見ていて、腕を組み厳しい顔をしていた。
試合はどちらも10時に始まる。
事前練習が終わり、いったんベンチに座る。マネージャーの晃は、ウィンドブレーカーを着て春貴の隣に座る。春貴は彼に「足を怪我してるかのように装え」と言っておいたら、彼はコートからベンチに戻る時、足を引きずるようにしていた(向こうは怪我しているかと思うと思う)。
彼には、今日はベンチでスコアを付けるように指示している。
スターターがコートに出て行く。こちらは愛佳・舞花・夏生・河世・美奈子という布陣で出て行った。
向こうは背番号4〜8の5人が出て来た!
「向こうさんマジですよ」
とベンチスタートになった2年生・松夜が言う。
「一流のチームは、決して手を抜かないんだよ」
「そうかも!」
「それに、準決勝まで勝ち上がってきたチームを舐めないと思うよ」
「マジにやられたら、200対0で負けるかも」
「そういうのも気持ちいいんじゃない?」
ティップオフは向こうの170cmセンター寺下さんが取り、攻めて来る。そしてパス回しの後、寺下さん自身が進入してシュートしようとするが、チャージングを取られてH南高校のボール。愛佳がスローインして攻めて行き、スリーポイントラインから美奈子が鮮やかなスリーを決める。
0-3.
なんとH南高校の先制で試合は始まった。
「200-0は免れたようだよ」
と春貴は楽しうに松夜に言った。
体育館を使わせてもらえたこの一週間は、攻守交代して、進入してシュートする練習と、進入させない練習をひたすらした。全員に“シリンダー”という考えをしっかり教えた。
その成果が現れて、最初のC高校の攻撃では相手チャージングを引き出す形で進入を阻止できたのである。
しかし向こうは基本的に無茶苦茶強い。勢いは完璧に向こうにある。
それでも、3回戦で見せたように、勢いで負けていても、こちらはミドルシュートで点数を稼ぎ、美奈子・夏生がスリーを撃って、美奈子は4割近く、夏生も2割くらい決めるので、点差としてはあまり離れずに付いていった。
確率の高い美奈子だけでなく、夏生も安心してスリーを撃てるのは河世が3割くらいリバウンドを取ってくれるからである。170cmの向こうのセンター寺下さんとの争いに河世が全然負けていない。
それで第1クォーター 20-18, 第2クォーター 23-22 で前半を終わって43-40である。1ヶ月前に120-45の試合になったチームとの点差ではない。今の状態では、勝負は全く予断を許さない。
「私たちわりと強いかも」
と舞花が言っていた。
「うん。君たちは強い!」
と春貴は行った。
第3クォーター、相手は引き離しに掛かる。積極的にパスカットやスティールを狙いに来る。3回戦で対戦した所にもこれをやられたが、あの時はそれが結構なファウルを呼んだ。しかし高岡C高校は上手いので、ファウルはあまり取られない。
それで少しずつ点差が広がっていく。第3クォーターは24-16。ここまでの合計は67-56で、11点差である。高岡C高校相手には厳しい点差かなと春貴は思った。
ところが第4クォーター、相手の6番さん、170cmのセンター寺下さんが5ファウルで退場になると、リバウンドを河世が支配するようになる。これでゲームの流れが変わってしまった。
3回戦の相手とは格が違うのだが、それでもどうしてもH南高校のゲームスタイルでは、相手側のファウルがかさみやすいのである。それに河世がバスケ初心者ではあるが、パレー経験者だから、高く飛ぶ能力は高い。それがこの2ヶ月の経験でかなりリバウンド争いに関する力を付けてきた。
加えて、H南高校にはスリーを高確率で放り込めるようななってきた美奈子の存在がある。
それで第4クォーターはこちらがリードを奪う展開になった。
点差がどんどん縮まって行く。
そして残り2分で何と80-80と追いついてしまった。その後、手に汗握る展開が続く。
120s 80-80▲河世
102s ▲82-80
88s to
68s ▲84-80
58s 84-83▲美奈子
38s to
21s 84-85▲舞花
こちらが一度パスカットされたことから4点差に広がったものの美奈子のスリーで1点差に迫る。その後、相手のシュートが外れて河世がリバウンドを取り、この攻撃機会に舞花がシュートを決めて残り21秒で84-85と、何とH南高校が土壇場で逆転に成功する!
残り21秒なので24秒計は停まる。
ゲームクロックだけがカウントダウンしていく。
相手はゆっくりと攻め上がってくる。慎重にパス回しする(残り時間を使い切ろうとしている)。
残り8秒で5番SFの府中さんが中に強引に入ってきてシュートする。
外れた!?
河世がリバウンドに飛び付く。
が、相手キャプテンの分家さんも飛び付く、
2人がボールを持って離さない。
笛が吹かれる。
審判は両手の親指を立てて手を伸ばす。ヘルドボールによるジャンプボール・シチュエーションである。みんな一瞬ポゼッションアローの向きを見る。審判は高岡C高校を指し示した。
つまり最初のティップオフは高岡C高校が取った。だから第2クォーターはH南高校、第3クォーターは高岡C高校、第4クォーターはH南高校の先攻だった。だからこのヘルドボールでは高岡C高校がボールの権利をもらうのである。
これがもしH南高校が攻撃機会をもらえる順番たったら、この瞬間H南高校の勝利がほぼ決まっていた所だった。しかし運命はこの日は高岡C高校に味方した。
高岡C高校がスローインに行く。
しかし残りは3秒である!
スローインするのは高岡C高校のキャプテン分家さんである。すぐそばに居る7番のSG(シューティングガード)初瀬さんにトスした。そこから初瀬さんがミドルシュートを撃つ。撃ったのと同時に試合終了のブザーが鳴る。
ボールは・・・
ダイレクトにゴールを通過した。
スコアボードが86-85になり、得点者が「2ポイント・フィールドゴール高岡C高校7番初瀬さん」とコールされる。
C高校のメンバーが物凄い歓喜である。
H南高校のメンバーは河世と美奈子以外、全員座り込んでしまった。
整列が促される。
「86-85で高岡T高校の勝ち」
「ありがとうございました」
お互いに握手し、ハグして健闘を称え合った。
愛佳と舞花が泣いていた。
「悔しいです。あと少しだったのに」
「また練習頑張ろう」
「はい」
これでインターハイ予選では、H南高校は3位となり、残念ながら香川県で行われるインターハイ本戦には行けないことになった(3位決定戦は行われない)。
しかしBEST4なので、ウィンターカップ予選ではシードされることになる!
万年1回戦負けの学校が運もあったとはいえ、シード校になるというのは凄いことである。
試合終了後、高岡C高校の矢作先生は
「そちらの11番さんが出てたら、うちが負けてたかも。怪我とかしたの?でもほんの1ヶ月で見違えたね。奥村先生は名将だよ」
と春貴を褒めていた。矢作さんとも堅い握手をし、
「また、やりましょう」
と言い合った。
横田先生に電話で連絡をすると
「高岡C高校相手に1点差ですか!凄いですね!」
と驚いていた。
「ほんとに強くなりましたね」
「この1週間体育館をもらえたので攻守の練習ができたので、それで相手の進入をかなり阻めたのが大きかったです」
「しかしそこまて急成長してきているなら、何とか練習場所を確保したいなあ」
と横田先生は言っていた。
試合後、春貴は帰り道に、マクドナルドに寄って“やけ食い”で1人2個までおごるよと言ったら全員2個頼んでいた。自腹で追加して3個・4個頼んでいた子もいた!テイクアウトして車内で食べたが、みんな涙を流しながら食べていた。
「先生、次は勝ちましょう」
「うん。ウィンターカップを氷見に持ち帰ろうよ。あれは凄く美しいカップだよ」
「へー。実物を見てみたい」
などと言っていたら愛佳が言った。
「先生、部員を増やしましょうよ。やはり8人じゃ足りないです」
「うん。どうしても疲れが溜まるから、最後の方は動きがにぶくなるよね」
「取り敢えず晃は性転換させるとして、あと4人勧誘して12人になれば、結構疲れが溜まらないように休めると思います」
などと舞花が言っている。
晃が「え〜?」という顔をしている。
「県大会3位というのをアピールして部員募集を掛けようよ」
「原稿作って、校内放送でも呼びかけてみますよ」
「募集のポスターも作って貼ろう」
「でもこれ以上部員が増えたらこのキャラバンに乗り切れませんよ」
と心配する声がある。
「それは他の保護者さんにも呼びかけて何台かに分乗して移動すればいいと思うよ」
と愛佳のお母さん。
「それに私も、夏休み中にマイクロバスが運転できる免許を取るよ。マイクロバスが使えたら最大28人まで移動できる」
「そこまで増えたら、私、ベンチに入れないかも」
「まあ取り敢えず4人くらい勧誘したいね」
「大型免許持ってる保護者さんはわりといるかも。大会の時とかはお手伝いしてもらえるかもしれませんよ」
と愛機の母は言っていた。
「私の父も大型免許持ってます。平日は無理だけど、休日なら多分頼めます」
と松夜が言った。
6月4日(土).
バスケットボールのD級コーチ・ライセンス講習会の申し込み期間が始まったので、春貴は4日の試合が終わった後、即申し込み手続きをした。
6月5日(日).
高校バスケットボールのインターハイ富山県予選は、今日は男女の決勝が行われる。H南高校は昨日の準決勝で敗退したのだが、今日も富山市の富山県総合体育センターに出て来た。
実は北信越大会の代表決定戦があるのである。
北信越大会は、福井・石川・富山・新潟・長野の5県から合計16チームの代表が出て、今年は6月18-19日に金沢市で行われる。代表は各県から3校ずつと、地元の石川県からプラス1校である。
それで昨日の準決勝で勝った2チームは当然これに出るが、負けた2チームで試合をして勝った方が北信越大会に行ける。この2チームは、インターハイ予選ではあくまで両方3位なのだが、北信越大会の出場をかけて戦うのである。
つまり3位決定戦ではなく、あくまで北信越大会代表決定戦(名称としては“北信越大会出場順位決定戦”)である。
H南高校のメンバーは駐車場で軽い体操をしてから、会場の受付でバスケ協会の会員証を提示して中に入る。
試合は10時から男女の出場順位決定戦、11時から男女の決勝戦が行われる予定である。H南高校の相手は高岡S高校で、頻繁にシード校になっている強豪である。
ところが・・・
大会の運営の責任者がこちらに来て言った。
「高岡S高校さんは今日の試合を辞退しました」
「え〜〜!?」
「実はベンチ入りメンバーの中にコロナの陽性者が複数出まして」
「あぁ!」
「いづれのケースも、家族に発症者が出て家族全員PCR検査を受けたら、本人も陽性だったそうです。無症状ではあるのですが」
「無症状だから気付かなかったんでしょうね」
「それで結果的にベンチ入り全員と、昨日の対戦相手・富山B高校のメンバーさんも濃厚接触者ということになり、女子の決勝戦は来週に延期されました」
「あらあ」
「じゃ順位決定戦も来週に延期ですか?」
「いえ、順位決定戦は高岡S高校の辞退で、H南高校さんの不戦勝になります」
「私たち、準々決勝も不戦勝だったのに」
「まあ、今のご時勢では仕方ないですね。皆さんも体調管理にお気を付け下さい」
「分かりました」
ということで、H南高校のメンバーは10時にユニフォームでコートに並び、そこで審判が没収試合を宣言して20-0の勝利となった。
大会で2度も不戦勝というのは、本当にレアなことだと春貴は思った。
しかしこれで、H南高校は6月18-19日に北信越大会に参加することになった。
横田先生に連絡したら驚いていた。
「今年の女子は運がいいね!」
「いや、うちもコロナには気をつけないとやばいです。対岸の火事じゃないです」
「全くです。男子の方もあらためて感染防止を呼びかけますよ」
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【春歩】(5)