広告:まりあ†ほりっく 第6巻 [DVD]
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■女子高校生・3年の夏(6)

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その日の朝、教室で、卓球部女子の優花は同じ卓球部の男子?である雅に紙袋を渡して言った。
 
「これ弥生先輩が使ってた制服。夏服・冬服入ってるから。雅ちゃんなら著ていいよと言ってた。一応クリーニングしてある」
「あ、ありがとう」
「早速着てみよう」
と周囲から声がある。それで雅はせっかくもらったのに著ないのは申し訳無い気がして移動黒板の陰で夏服セーラー服に着替えた。
 
「似合ってる」
「可愛い」
「ちゃんと女子生徒に見える」
 
修学旅行で沖縄に行った生徒は首里城の守礼門のところで彼が(公世が貸した)セーラー服上下を著たのを見ているのだが、それ以外の生徒には初見で、こんなに自然なのも驚きであったようである。また彼が修学旅行の後でカッターの代わりにブラウスを着ていたのも、沖縄組だけが気付いていた。(ただしそれ以外でも女子の多くは噂伝達で気付いた:言われないと気付かなかった。ブラジャーをしていることもあまり気付かれていなかった。違和感が無いからであろう)
 
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「じゃ今日からはそれで授業受けよう」
「え〜!?」
「雅ちやんのセーラー服は自然だから多分先生たちも変に思わない」
「雅ちゃん、何組で授業受けるんだっけ」
「6組」
「人数の多い組だからますます気付きにくい」
 
成績のいい生徒は3−4組になり、成績の悪い生徒は7−8組になって、残りの生徒が5−6組に入れられる関係で5−6組は各々40人くらい居る。更に5〜8組の間では毎月若干の生徒が移動されるので見慣れない顔があっても先生は気にしない。
 
「登下校もその服で」
「え〜!?」
「その服で帰宅してもお母さんはきっと何も言わない」
 
本当にそうかもと雅は思った。
 
「雅ちゃんその服着てるなら女子トイレ使ってもいいよ」
「“みんなのトイレ”使う」
「ああ、最近そちら使ってたね」
 
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「雅ちゃんちんちんが無くなったから男子トイレ使えなくなったんだよ」
「え?そうなの?」
「うーん。無くなったというか。使えないのは確かだけど」
「だったら女子トイレでもいいのでは」
「いや“みんなのトイレ”で」
 

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なお彼がこの服で帰宅すると
「その服どうしたの?」
と訊かれたが
「先輩からもらった」
と答えると
「良かったね」
と言われただけだった!
 
更に記念写真を撮られた!
 

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女子のクラス委員と保健委員が来て
「言いふらしたりしないから私たちにだけ見せてくれない?」
と言った。雅は
「私は男だよ」
と言った上でパンティを脱いでみせた。
 
「ほんとにちんちん取ったんだ?」
「取ってない。皮膚の中に隠してるだけ」
と言って、お股に触らせた。
 
2人はペニスが存在することは確認したものの顔を見合わせて頷いた。
 
「私たちが認めるから雅ちゃんは女子トイレ・女子更衣室に来て」
「“みんなのトイレ”に」
「“みんなのトイレ”はもう定員オーバーです」
 
「私胸も無いのに」
「胸を基準にすると天然女子でも女子更衣室に入れない子が出る」
 
そんな悲惨な子がいるのか?
 
でも確かに“みんなのトイレ”を使う人が増えすぎたよなと公世も思った。最近では結構な待ちが発生していた。それでトイレの外に椅子が並べられていた。
 
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でも公世自身も女子トイレ・女子更衣室への移動を宣告された!
 
{ぼくより春恵ちゃんこそ本物の女の子だよ}
「彼は見た目と性格で女子とは認められません」
 
やはり見た目は重要か?雅は凄く女の子っぽい。また確かに春恵は性格も結構男っぽい。
 
それで大会などではいつも女子トイレを使っていた公世は3年生の7月、ついに学校でも女子トイレを使うことになったのである。実際にはだいたい千里が彼の手を引いて女子トイレや女子更衣室に連れ込むようにした。
 
「きみちゃんおっはいもかなりある」
「きみちゃんのブラは実はBカップ」
「それで男は主張できないなあ」
「ぼくちんちん付いてるのに」
「いや、ちんちんなど無いというのは多数の証言がある」
「私は生のお股を見たがちんちんなど無かった」
と清香も改めて証言していた。実は春恵もそう証言している。
 
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雅が“女生徒生活”初日を終えて帰宅し、夕食・入浴後部屋でくつろいでいたら夜12時になると同時に部屋の中に和服姿の小さな女の子が出現した。
 
「わっ君誰?」
「ぼくは“男の娘の味方”魔女っ子千里ちゃんだよ。君可愛いね。女の子にしてあげようか」
「えっと今日一日ぼく女子として学校ですごしてしまったんだけど、ぼくおっぱいも無いのに女子更衣室とか使うのは本当は犯罪じゃないかと思って」
「おっぱい無いと女子更衣室使えないのなら女子更衣室使えない女子が続出するよ」
「うーん、そうかも」
「要は君のおっぱいが大きくなればいいのかな」
「えっと、そうかな?」
 
いやそういう問題ではない気がするんだけど。
 
「だったら大きくしてあげるよ」
と言って、魔女っ子千里ちゃんは雅の胸に触った。
 
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女子のクラス委員は担任に掛け合い、雅の生徒手帳写真を女子制服を著た写真に差し替えてもらった。
 
「片山さんが女子制服着てたって全然気付かなかったよ」
と担任は驚いていた。
 
それで雅の生徒手帳は谷口春恵同様、性別は男になっているものの、写真はセーラー服写真になった。
 
また彼はその春恵の勧めで次から定期券を買う時から性別女で発行してもらうようにした。幸いにもこれまでは男の定期券で注意はされてないものの、運転手さんによっては咎められる危険があった。
 
なおこの学校の通学証明書には生年月日の記載はあるが性別の記載が無い!新たな定期を買う時、通常は使用中の定期を提示して期間を継続してもらうが、雅は「引っ越したので区間が違う」と申告して完全に新たな定期を発行してもらった。このいいわけも春恵に教えてもらったものである。
 
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7月5日、飛騨トンネルを含む、東海北陸自動車道の飛騨清見JCTから白川郷IC開通、最初の供用開始から22年の時を経て東海北陸自動車道が一本につながる。
 
このトンネルが無いと下道の国道は狭小区間が多く休日は白河村を訪れる観光客が多いため大渋滞が発生して大変であった。国道はトンネルが多かったが、そのトンネルで大型バスがすれ違えないため、全部相互交互通行になっていた。これが渋滞を更に悪化させていた。(現在はバイパスが作られ少し改善されている)
 
飛騨トンネルは10.7kmにも及ぶ長大なトンネルで工事には9年4ヶ月かかっている。物凄い難工事で工事現場には『臥薪嘗胆』の四文字が掲げられていたという。本来は2005年の愛地球博に間に合わせる予定がとても間に合わなかった。
 
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ただし工事による死者は奇跡的にゼロであった。
 
このトンネルは片側一車線の対面通行で追越ができないため、遅い車の後になるとひたすら忍耐力が必要である。そのためこの区間では事故も多い。利用者からはもう1本トンネルを掘って追越ができる片側二車線にしてほしいという声が強いが片側二車線にする交通量の基準に達してない上に工事があまりにも大変なので、NEXCO側は消極的である。
 

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7月5日(土)、旭川の伊藤春好は18歳の誕生日を迎えたので、裕美との婚姻届けを旭川市役所に提出した。また旭川の家庭裁判所にふたりの子供・芽依(認知済み)をふたりの戸籍に入籍する許可を求める審判の申請を月曜日に提出した。手続きには1ヶ月程度見てくれと言われた。
 

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7月6日(日)、千里と清香は神戸市に行き。剣道四段の昇段試験を受けた。
 
結果はふたりとも合格で、千里も清香も剣道四段になった。
 
通常は剣道四段になれるのは大学1年生以降だが、千里と清香は中学3年の時に、全中優勝のご褒美で特例で三段になっていたので、それから3年経った今年の夏、四段の受験資格ができた。五段を受けられるのは四段をとった4年後、大学4年の年になる。
 
 
六段は何か特別な事が無ければもらえないので、剣道では五段が実質的な最高位になる。だから五段と六段に実力差は無い。かえって若い分五段の方が強かったりする(剣道五段最強説)。七段以降は長年の貢献などに対して贈られる名誉段位である。
 
初段:中学1年以上(13)
二段:初段を取ってから1年経過→最速で中学2年(14)
三段:二段を取ってから2年経過→最速で高校1年(16)
四段:三段を取ってから3年経過→最速で大学1年(19)
五段:四段を取ってから4年経過→最速で23歳になる年度
六段:五段を取ってから6年経過→最速で28歳になる年度。でもくれない。どんなに強くても落とされる。
 
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勾陳の自称百段なんてのはふざけてるとしか思えない。実際にはあれは偉い先生に「お前はもう九十九段だ」と言われてから99年経過した年から百段を自称しているものである。でも初段の千里に負けた!
 
n−1段を取ってからn−1年経たないとn段が取れないという計算ならn段取得にΣ(i=1;n-1) i =n(n−1)/2年の経過が必要となる。この計算で行くと百段を取るには4950年が必要という事になる。12歳で初段を取った場合最速でも4962歳になる。勾陳は2008年現在でも1434歳にすぎない。
 
彼の最初の主人は厩戸皇子(聖徳太子)で最後の主人が千里である。彼が亡くなった後は彼の息子が2代目勾陳として千里に仕えることになるが、そんなずっと先の時代のことを書くまでに作者が先に死ぬだろう。
 
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7月7日(月)の夜はどこの神社でも七夕の〆の行事をした。竹・笹に結ばれた短冊を回収し、ネガティブな願いを除外して神前に提示し、ご祈祷をする。これは立花K神社ではお留守番の権禰宜・花絵がした。留萌P神社では禰宜の和弥がした。留萌では笛は千里R(わりと労働法規は無視されている)、太鼓はまゆり、姫路では笛は弓佳で太鼓は越智である。なお上町社の分も北町社でまとめて処理された。だから北町社で4本の竹を燃やした。
 

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7月7-8日、日本がホスト国となる第34回主要国首脳会議が北海道洞爺湖町で開催(日本の総理は福田康夫)。
 

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7月8日、ソフトバンクモバイルがApple製のスマートフォンであるiPhone 3Gを販売開始。
 
このモデルの発売によりスマートフォンの時代が始まった。もっとも当初アップルはこの商品をあまり重要商品とは考えておらず、電話機能付きのiPod 程度の位置づけだったという。
 
このモデルはiPhoneとしては2世代目である。前年発売された初代のiphoneは通信方式の問題で、日本では利用できなかった。
 
その後iPhoneは各キャリアから発売されるようになるが、このモデル3Gはソフトバンクのみから販売されている。
 

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