[携帯Top] [文字サイズ]
■夏の日の想い出・浴衣の君は(2)
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
「ジャケ写・ポスターは、いづみ・みそら・こかぜの3人の普通の写真に、提供してもらった映像を添える形でいいと思う」
と私は言った。
「コスプレにならない範囲で、宇宙的な服装とかはありだと思うんだよね。宇宙服を着た写真とか、ライトセーバーを持った写真とかはどうでしょうか?と照会したんだけど、そのくらいは気にしないと言われた。念のためリリース前に見せてくれということ」
と畠山さん。
「じゃ、いづみたちは宇宙服を着て、ライトセーバーを持って」
と私。
「蘭子はアソーラのコスプレでもしてもらおうかな」
「私は参加パスで」
「それは許さん」
曲目は12曲。森之和泉+水沢歌月で6曲、福留彰+TAKAOで2曲、櫛紀香+TAKAOで1曲、広田・花畑で2曲、そしてまた樟南さんから1曲提供してもらった。樟南さんは
「洋子が男の娘だなんて、全く気付かなかった。1度やらせろよ」
などと言っていたが、丁寧にお断りしておいた。でも男の娘と知ってやらせろって、樟南さん、まさかゲイ??
このほか、実はスイート・ヴァニラズのEliseさんにも打診してみたのだが体調が良くないのでという連絡があった。実際にとても体調が悪かったことを知るのは9月のことである。
このアルバムの制作は6月21日から7月6日に掛けて行うことにした。6月6日から14日までシングル『愛の悪魔』(7.22発売予定)の制作をするので1週間置いてすぐ次の制作という慌ただしい日程である。
一方、夏のKARIONツアーについても日程が確定した。
「やはり今年はゴールドディスク連発で、あちこちからお話がもらえて。結局夏フェス3ヶ所に出場するから、その合間を縫って、全国ツアーをすることになる」
と畠山さんは説明した。
「7月25日の札幌を皮切りに、8月14日の東京まで、11公演+フェス3つ。で、申し訳無いけど、その間に音源制作を4日間入れる」
「21日間に14ヶ所公演して音源制作4日って、休みは3日ですか? けっこうなハードスケジュールですね」
「休みは4日ある。実は最終日は伊豆でフェスをやった後、東京公演」
「ぎゃー」
「ちょっと大変そうだけど頑張ろうか」
と和泉。
「うん。この後はもう休養期間になるから」
と畠山さん。
「まあ休養期間ってのは受験勉強一色ということだな」
「小風は特にその先が大変そうだ」
「みんな頑張ってね」
と私は言ったのだが、
「蘭子も頑張ろう。当然ツアー参加だよね?」
と小風から言われる。
「私は受験勉強が。それに夏休みに自動車学校に通うことにしたし」
「何?」
「自動車学校だと?」
「受験生が?」
「そんな余裕があるなら、当然KARIONのツアーにも付き合ってもらおう」
「えーん」
「蘭子も受験する大学のランクを落としたから、そんな余裕ができたんじゃない?」
「和泉も自動車学校に行くもんね」
「あ、どこの自動車学校?」
「私は**自動車学校」と和泉。
「私は##自動車学校」と私。
「違う所か。残念」
「まあ、人がたくさん居る所で、かち合うと面倒だし」
「それはある」
しかし手帳を見ていた私はそれに気付く。
「あ、済みません。7月25日は別件の仕事が入っているから無理です」
と私は申告した。
「何の仕事?」
「ドリームボーイズの夏のライブが7月25日なんです」
「どこ?関東ドーム?」
「いつもそこでやってるんですが、今年は蔵田さんの気まぐれで北海ドームになりました」
「北海ドームから、KARIONの公演をやる きららホールまでは8kmだな」
と畠山さんはMapFanを見ながら言う。
「ちょっと待ってください」
「ドリームボーイズのライブは何時から?」
「12時開場・13時開演です。少し遅れると思うので、終わるのは恐らく15時半」
「KARIONの公演は18時半開場・19時開演」
「充分間に合うじゃん」
「問題無し」
「そんなー」
「8kmなら冬の足で30分だよね?」
「走るんですか〜?」
「まあタクシー使ってもいいよ。タクシー代くらいは払ってあげるから」
「11月みたいに両方で歌う訳じゃないから、まだ楽だと思う」
「ぐすん、ぐすん」
それで畠山さんが前橋社長に電話して、私の掛け持ちについて即OKを取ってしまった。
「ツアー初日に参加するということは当然全部に参加するよね?」
「なんで、そうなるの?」
「こういうのを数学的には解析的延長というんだよ」
と和泉が言う。
「数学で決まっちゃうの!?」
「札幌の後の日程だけど、まず翌日26日(日)に新潟県で行われる苗場ロック・フェスティバルに出場する」
「わあ、あれに出場できるんですか?」
「すごーい。私たち、一流アーティストみたい」
「間違いなく君たちは一流アーティスト」
「でも1日で北海道から新潟ですか?」
「新千歳から新潟空港に直行便があるから大丈夫だよ」
「だったらいいですね」
「東京に戻って上越新幹線かと思った」
「蘭子ちゃんはそうする? 札幌日帰りでもいいけど」
「直行させてください」
「素直でよろしい」
「その後、27日の休養日を挟んで、28日(火)金沢、29日(水)神戸。そして30日は休み」
「2日ごとに休養ですか」
「だいたいはね。でも次は7月31日(金)福岡、8月1日(土)那覇、2日(日)大阪と移動して、3日休み。ここは3日連続になって申し訳無い」
「しかも沖縄往復ですか」
「沖縄で前泊・後泊にするから」
「いや、それはそうしてもらわないと辛いです」
「それから4日(火)から7日(金)まで音源制作。これは11月に発売するシングルと2月に発売するシングルをまとめて作ってしまう」
「どちらも3曲入りですか?」
「そうそう」
「君たちは優秀でちゃんと歌えるようになるまでの時間が短いから、多分実際には3日で終わると思う」
「まあでもハプニングが起きたりするから4日見た方がいいですね」
「万一この4日で終わらなかったら下旬に1〜2日時間を取って」
「それならむしろ3日は休まずに3日から音源制作に入りませんか? それで早めに終わったら7日まで休み」
「うん、それでもいいよ」
「8日(土)に横須賀の歌謡フェスティバル、9日(日)が横浜公演、10日が休み。それから11日(火)仙台、12(水)高松、13(木)名古屋の後、14(金)伊豆のポップフェスティバルに出演。夕方から東京公演で打ち上げ」
「4日間に5公演ですか!?」
「しかも仙台とか高松とか」
「まあ、その後は休養期間突入だから」
「でも伊豆でフェスやるんですね?」
「西伊豆のゴールドパークという所で開かれるイベントだけど、今年創設されたフェスで、最初だから予算が潤沢みたいでね、これ出場予定者リスト」
と言って畠山さんが見せてくれたリストを見ると、若手の勢いのあるユニット、バンドが多数名前を連ねている。
「これ凄いですね」
「実はローズ+リリーにも出ないかという打診来ました」
と私はそのことを明かす。
このフェスの運営委員会に実は§§プロ社長の紅川さんが名前を連ねており、その縁もあって声を掛けてくれたのである。§§プロからも、満月さやか、秋風コスモスなど、数人のアイドルが出演する。
「ああ」
「マリに訊いてみたんですけどね。まだそういう所で歌う自信は無いというんですよ。まあ、まだ無理はしなくてもいいかなと」
「うん。少しずつリハビリしていけばいいと思う」
「東京の後は来年の春ですか」
「それがまだハッキリしないんだけど、9月に行われるイベントに出場してもらえないかという打診が来ている。ちょっと詳細が分かったら連絡するけど、これは1日だけだから」
「分かりました」
ところで私は2月に学校に復帰した後、(コーラス部副部長の)詩津紅の口添えもあり、本来は女子だけのコーラス部に入り、ソプラノパートを歌っていた。
奈緒からは
「結局冬って、小学校でも中学校でも高校でも、女子だけしか入れないはずのコーラス部に入ったんだ」
と言われた。
私としては当時通っていた○○ミュージック・スクールでのボイトレとは別に、日常的に均質なソプラノボイスを鍛える場を確保しておきたかったのであった。一応、私の身分がプロなので大会には出ないということで話をしていたのだが、6月の大会では結局ピアニストとして出ることになる。ピアニストは、校長が認めていればプロでも学校関係者以外でも出られる規定だ。
当日。6月7日。私が「女子高生制服風の服」を来て会場に行くと、普段私の学生服姿しか見ていなかった部員たちの間から
「わあ、可愛い」
「ふだんはこんな感じで出歩いてるの?」
などと言われる。私が、
「それがお父さんとの約束でスカート外出禁止なのよ。今日は特別に許可もらって来た」
などと答えると、実態を知っている詩津紅が笑うのをこらえて苦しそうだった。
6月17日(水)は政子の誕生日であった。私は仁恵・琴絵を誘って政子の家に押しかけて行き、誕生パーティーをした。詩津紅も少し遅れて来てくれた。
政子は友人に誕生日を祝ってもらえるなどというのが初めての体験だったので凄く嬉しそうにというより、半分は戸惑っているような感じだった。
ローズ+リリーのファンからの贈り物が大量に届いていて、それでまた政子は勇気付けられる。仁恵・琴絵の前なので、あまり本心は出さず、むしろ「私は歌手に復帰するつもりは無いから」などと建前的なことを言っていたものの、実際にはかなりやる気を出してきていることを、私は感じ取っていた。
その翌日18日と19日は、△△社のデュオ kazu-mana の音源制作に立ち会った。私と政子が「鈴蘭杏梨」の名義で提供した『ドミノ倒し』という曲でメジャーデビューすることが急遽決まり(本人たちもびっくりしていたらしい)、その吹き込みをしたのである。私は政子をこういう音源制作の場に連れていくことで、また政子の意欲を刺激したいという気持ちもあった。
しかし実際には政子はノリノリで、kazu-mana のふたりに色々指示や助言をしていた。その内容も的確で、政子が元々持つセンスの良さをあらためて認識することになる。立ち会ってくれた津田社長も感心していた。
ところで6月7日のコーラス部の大会の後で、3年生と2年生の数人で話していた時、唐突に「けいおん」をしよう、という話が出てくる。
コーラス部の3年生と2年生の有志+若干の助っ人を入れて、「リズミック・ギャルズ」というバンドを結成。7月19日の大会を目指すことにした。私はウィンドシンセを担当することになり、AKAI EWI4000s を購入して練習を始めた。
ただ、受験勉強で忙しい3年生はもとより2年生もなかなか集まりが悪く、毎日3人くらいでずっと練習していたらしい。私も結成の話があってから、かなりたって6月20日になってやっと参加できた。
その20日、練習が終わってから、練習に参加した子たちと一緒に駅前のマクドナルドに入って(100円のコーヒーやコーラを飲みながら)おしゃべりしていたら、母から電話が入った。
「夢美ちゃんからうちに電報が届いたんだけど、冬の携帯の番号が分からないって」
「あ、変えたのを通知してなかった。って、ドイツかベルギーに居ると思ったから連絡してなかったんだけどね。でも電報なんだ!」
昨年12月の大騒動の直後、私の携帯の番号も、自宅の電話番号も速攻で変更している。携帯に掛けても家に掛けてもつながらないと、確かに電報くらいしか連絡方法がないかも知れない。しかしドイツから日本に電報送れたんだっけ?などと考えながら、私は母から教えられた電話番号に掛ける。ん?これ日本国内の携帯の番号???
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
夏の日の想い出・浴衣の君は(2)