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■夏の日の想い出・ビキニの夏(3)

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「えっと、うちのバックバンドのメンバーが花火で怪我したのですが」
と静花。
 
「それは大変だ! 怪我の様子は?」
「今、病院に連れて行ってます」
「分かりました。治療費などはこちらが負担しますので」
と言って、名刺をくれる。Y市民文化センター・センター長という肩書きだ。静花も「歌手・松原珠妃」の名刺を渡した。
 
「それで・・・演奏は?」
「ヴァイオリン奏者が怪我してしまったので」
とギターの井瀬さん。
 
「では演奏はキャンセルしますか?」
それに対して、静花はキッとした顔をして言った。
「演奏します」
 
井瀬さんが驚いて言う。
「でもこの曲、ヴァイオリンのパートは省略できないよ」
 
静花は私に向かって言った。
「冬、ヴァイオリン弾いて。弾けるよね?」
「うん」
 
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それで、私は怪我した三谷さんが持っていたヴァイオリンケースを開け、楽器を取り出して急いで調弦する。
「OK」
 
「よし、行こう」
 

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センター長さんに先導されて私たちはステージに登った。
 
最初にセンター長さんがマイクを持ち、観客に騒動のお詫びをした。それで「松原珠妃さんです!」と紹介すると、まばらな拍手が起きる。観客も今の騒動で、かなりしらけている。なんとも歌いにくい状況だ。しかし静花は上等!という感じの顔をしていた。
 
静花が私の方を向いて頷く。私はこの曲『黒潮』冒頭のヴァイオリンソロを弾き始める。井瀬さんが「へー」という感じの顔をしている。泣くように、むせび泣くように、ヴァイオリンは物悲しいメロディーを弾く。フェルマータで伸ばした所で、ドラムスがビートを打ち始める。
 
8小節の前奏を経て、静花は歌い始めた。
 
それまでざわざわしていた客席が、その静花の歌声を聴いたとたん、ぴたりと静かになった。
 
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私もヴァイオリンを弾きながら静花の歌に酔いしれる。ほんとに静花は上手い。ほんとうに自分はいつか彼女を超えることができるだろうか。でも、きっといつか・・・・自分は彼女を超えたい。
 
最初は1番2番を歌ったら(最後に付け加えられた)6番を歌って終了する予定だった(ステージに登る直前の短い打ち合わせで井瀬さんからそう言われた)が、静花は2番を歌った後、そのまま3番、4番と歌い続ける。
 
そして結局フルコーラス歌ってしまった。
 
最後にヴァイオリンとサックスが絡み合う16小節ものコーダ。その間も静花は「あーあー」と声を出して、まるで黒潮が力強く流れていくかのように歌う。そして、最後、木ノ下先生がハッピーエンドにするために改変した明るい和音で、歌は終止した。
 
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観客席から物凄い拍手。
 
静花は深々と客席に向かってお辞儀をした。
 
荒れた会場が彼女の歌できれいに収まってしまった。彼女の歌に私はカリスマを見た。
 

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大きな拍手に送られて、舞台袖に下がる。
 
その時、係の人が
「津田アキさん、津田アキさんは来ておられませんか?」
と困ったような顔をして呼んでいる。
 
「はいはいはい」
と私は慌てて、その係の人の所に駆け寄った。
 
「あなた津田アキさん?」
「あ、はい。その伴奏者です」
「御本人は?」
「え?」
 
私は周囲を見回すが先生の姿は見えない。えーー!? どうしたの?
 
「御本人がいないならキャンセルですか?」
 
その時、さっきキャンセルかと聞かれて「演奏します」と厳しい顔で答えた静花の顔が脳裏をよぎった。
 
「私が代理で歌います」
と私は答える。
 
「分かりました。お願いします」
 
すると、そばで静花が「ほほう」という感じの顔をして
「私、ここで見てるよ」
と言った。
 
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「うん」
私は笑顔でそれに答えて静花と握手すると、持っていたヴァイオリンをケースに戻してファスナーを閉め、代わりにそばに置いていた三味線を取り出す。急いで組み立てて調弦する。
 
「行きます」
「よろしく」
 

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「お待たせしました。次は津田アキさんの『こきりこ節』です」
 
代理だというのは司会者に伝わってない。私が津田アキということになってしまっている。だったら自分は先生のレベルで歌わなければならない。私はそう思った。
 
客席はあれ?という感じだ。さっき振袖を着た人がヴァイオリンを弾いていたのは多くの人の意識にあったはずだ。ふつうはそれに違和感を感じてもおかしくない。ただ、その前の騒動が騒動だっただけにそこまで考える余裕が無かったであろう。ところがその振袖でヴァイオリンを弾いていた人が今度は三味線を持って出てきて歌おうとしている。ん??と思った人は多いだろう。
 
だからここは私も「上等!」という気分である。
 
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三味線でリズムを取る。三味線というのはバンドで言えばリズムギターに相当する楽器である。基本的に民謡では「打楽器」的な扱われ方をする。私は遙か昔に見た、狩衣を着て鼓などを打ちながら「こきりこ」を神事として謡っていた人たちの演奏を脳裏にプレイバックしつつ、象牙のバチで母が昔愛用していた三味線のリズムを刻んだ。
 
謡い出す。
 
「はれのサンサもデデレコデン」
ここは民謡的な唄い方では「お囃子の声」で唄うが私はふつうの声で謡った。
 
そして歌本体に行く。感情を抑えたような淡々とした調子で謡う。
「こーきりこーの〜〜たーけーは、し〜ちーすーんーごーぶーじゃ〜〜。なーが〜〜いーは〜〜そーでーの〜カーナーカーイ〜じゃ〜〜」
 
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この謡い方というのは、一般に知られている「こきりこ」と少し調子が異なる。普通に知られているものは、この調子をもっと「民謡」っぽく唄うものだ。更には演歌やロックみたいに歌う人までいる。しかし私はここではこの歌を神殿の前で奉納するかのように謡った。
 
最初ざわついていた観客がシーンと鎮まっていくのを感じた。
 
この歌は秋の祭りで神殿の前で奉納される。秋の祭りは春以来の農作業をいたわる息抜きであると同時に、実りを与えてくれた神への感謝の行事だ。人間は自分たちだけの力で生きているのではない。神の恵みを得て生きている。昔の人たちはそれが分かっていたから決して驕ることはなかった。そんなことを考えながら私は謡った。
 
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やがて謡い終わり、三味線はスローダウンして、最後にチャーンという長い音を鳴らす。そして私は観客に向かってお辞儀をした。割れるような拍手があった。
 
舞台袖に下がっていくと静花はいなかった。井瀬さんだけが残っていて、
「ピコちゃん、ごめん。珠妃ちゃんが先に帰ると言って帰ってしまって」
と申し訳無さそうに言う。
「それでヴァイオリン弾いてくれてありがとうと言っておいてと言われたから」
 
「いえ。井瀬さんこそ、ありがとうございます」
 
「それでこれ、さっき弾いてくれたヴァイオリンのギャラ」
と言って封筒を渡そうとするので私はそれを遮って言った。
 
「それ、三谷さんへのお見舞いにしてください」
「分かった」
 
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「じゃ、また」
と言って私は井瀬さんに手を振って会場を後にした。
 
静花が先に帰った。その意味するものは大きい。私は微笑んで静花が帰って行ったであろう方角に向かってささやいた。
 
「静花さーん。また勝負しようね」
 

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三味線のケースを持ち、会場を出てのんびり歩いていたら、私たちが出演したホールの隣に少し小さなホールがあり、**ピアノコンテストと書かれていた。入場無料と書かれている。私はどこかで少し心を鎮めたい気分だったので、何気なく会場に入った。入場の所で記帳を求められたので
「東京都**市 唐本冬子」
と書いた。
 
席に就く。小学1年生くらいの子がショパンのピアノ協奏曲第一番を弾いている。すっげーと思って聴いていた。
 
さすがに解釈が浅い。でもここまで弾きこなすのは大したもんだ。
 
その後も主として小学生が出てきては、何だか難しい曲を弾く。しかしみんな単純に音符を弾くだけだ。私は少しストレスがたまってきた。
 
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もう帰ろうかなと思ってきた時に出てきたのは、小学6年生か中学1年生かなという感じの女の子だった。「くるみ割り人形の行進曲」を弾く。私は彼女の演奏に目が覚める思いだった。
 
多分・・・こういう演奏ではコンテストの点数はそんなに高くないのではないか。でも、楽しい! 凄く心が躍る演奏だ。
 
クラシックの世界ではこういう「解釈しすぎた」演奏って評価されないのだろうけど聴衆は確実に楽しんでくれる。私は彼女の演奏にとても満足したので、それを聞き終わった所で席を立ち会場を後にした。
 
この時、私がとても楽しんだ演奏者の名前なのだが。
 
私の日記には「細川泉美」と書き記してある。これが実は「絹川和泉」だったのではないかと疑っているのだが、そうかも知れないと思っておくだけで私は満足である。
 
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なお、津田先生であるが、会場に来た時、何だか花火が飛び交ったりしていて騒然としていたので、これは中止だなと思って帰ってしまったのだそうである。話を聞いて「ごめーん」と謝っていた。それで半年分月謝タダにしてもらった。
 
また騒動を起こしたバンドであるが、半年間の活動停止処分をくらった。(それだけでいいのか?) そして活動停止明けに、また騒動を起こして、更に半年の活動停止を食らった。
 
なお、三谷さんは指を骨折していて全治3ヶ月の重傷であった。結果的に珠妃のバックバンドから離脱することになる。彼の治療費については会場側が直接払い、また三谷さんが回復して、その後リハビリして演奏技術を取り戻すまでの生活費は珠妃の事務所がとりあえず持ってあげたが、最終的には騒動を起こしたバンドの所属するレコード会社がこちらに3000万円、会場に500万円払うことで示談した。
 
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静花が私に連絡してきたのは6月の中旬だった。あの騒動から1ヶ月近く経って静花的には「ほとぼりが冷めた」気分だったのではなかろうかと思う。
 
「冬、ますます美少女になってる」
「えへへ」
「私ね、高校退学になっちゃったー」
「ああ。やはり」
「ここの高校、出席日数が全体の5分の4以上無いといけないのよ。年間220日授業があるから、44日休んだらアウト。でも私、4月初めから1度も学校に出てなかったから」
「1度も行ってなかったんだ!?」
 
「実は制服すら作ってない」
「それって、全く行く気が無かったというか」
 
「書類上は、入学辞退ということにしてくれた。中退よりマシじゃないかって校長先生が。それに私みたいな形で入れた生徒が早々に中退になると、同じ中学からここに進学したい後輩が不利になるからと」
 
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「ああ。後輩への影響は大変だよね。でもお父さんから叱られたでしょ?」
 
「無茶苦茶叱られた」
「それで、私の所に電話してきたのね?」
「えへへ」
 
「仕事は忙しい?」
「今日1日だけオフなんだけどね」
「カラオケ対決する?」
「する!」
 
そういう訳でその日の午後、私と静花は都内のカラオケ店に半日籠もりひたすらカラオケを歌いまくったのであった。
 

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「冬・・・また上手くなってる。距離が92kmくらいまで縮んだ」
「私も必死で練習してるから」
「くそー。プロの意地で頑張るぞ」
 
「こないだ夢見たんだ」と私は言う。
「どんな?」
「私が静花さんに追いつこうと必死になって、距離が50km, 25km, 12.5km, 6.25km, 3.125km, 1.5625km, ... とどんどん縮んで行くんだけどね」
「うん」
「どうしても昨日の距離の半分までしか詰め寄れないんだよ」
「アキレスと亀か!って私が亀か!? つまり、永久に私に追いつけないんだ?」
「うん」
 
「それって冬が私を目標にしてるからじゃない?」
「夢から覚めてからそれ思った」
 
「ということは、冬が私を目標にするのを辞めて、自分の世界を築き始めた時が、私にとっては恐怖だな」
「そうなりたいね」
 
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静花は今日は精神的な余裕があるみたいで微笑んでいる。
 

「ところで、7月19日から5日間、冬何か用事ある?」
「ちょっと待って」
 
私は自分の手帳を開いてその日程の予定を確認した。
 
「ね・・・冬、その真っ黒な予定表って何よ?」
と静花が私の手帳をのぞき込んで言う。
 
「え? 色々な仕事の日程」
「何〜〜〜!?」
「いや、私、民謡の大会の伴奏とかの仕事あるし、それからドリームボーイズのバックダンサーしてるから、その日程も入ってるし」
 
「ドリームボーイズのバックダンサー? そんなのいつから始めたの?」
「あの沖縄で写真撮影した後。蔵田さんから誘われて」
「うむむ!!」
 
「でも19日から5日間は大丈夫。1件入ってるけど、この予定は動かせる」
 
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「冬、まさか私より忙しくない?」
「それはさすがに無い。で、その5日間何か?」
 
「武芸館で5日連続コンサートやるんだよ。それでヴァイオリン弾いてくれない? 三谷さんが怪我して離脱した後、何人か事務所でテストしてるんだけど、どうも満足いく演奏できる人が見つからないんだよ」
 
「私、ヴァイオリン下手だけど。こないだ聴いたでしょ?」
 
「・・・・充分上手いと思ったけど」
「状況が状況だから、上手く聞こえただけだと思う」
 
「上手か下手か、うちの事務所に来て、ちょっと弾いてみてよ」
「うーん・・・」
 

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