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■夏の日の想い出・RPL補間計画(2)

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「丸井さんも鍋島先生の曲を歌っていたんでしたっけ?」
「1度だけ頂いたことあるのよ。売れなかったけどね」
「へー」
「でも鍋島先生のヒット曲の数って物凄いですよね」
「うん。たぶんゴールドディスクが50枚くらいあるはず」
「凄いなあ」
 
「最後のゴールドディスクがあんたたちの『明るい水』だよね」
「え?」
「10万枚売れてるでしょ?」
「確かに・・・雀レコードの分と★★レコードの分がレコード番号違うから、集計上は該当しないけど、両者合わせると越えてるから実質ゴールドですね」
 
「あんたたちみたいな若い世代の歌手が最後のヒット曲を出してくれて、先生も幸せな気分で逝けたんじゃないかなあ。たぶん10年ぶりくらいのゴールドだったと思うもん」
「ああ」
 
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政子もこういう場は苦手な感じだったが、その後は丸井さんが色々おしゃべりを仕掛けてくるので、気が紛れて良かったようであった。
 
やがて焼香が始まるが、焼香のために前に出て行く人を見ていると大御所的な大物歌手や大先生クラスの作詞家・作曲家がぼろぼろいる。
 
「なんか作詩家協会、作曲家協会の人が総勢でここに来ている感じ」
などと政子が言ったが、丸井さんは
 
「たぶんそんな感じだと思うよ」
と言う。
「**先生とか**先生とかも鍋島先生のお弟子さんだし、昔レコード会社の専属で曲を書いていたような人の大半が、鍋島先生との関わりがあると思う」
 
「私も△△社を立ち上げて初期の頃から、鍋島先生には随分お世話になりまして」
と津田さんも言っている。△△社は1980年創業らしいので、かなり長い付き合いだったのであろう。
 
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「売れてなくても実力のある人には曲を書いてくれていたから、それをきっかけにスターダムに登った歌手も多い。あ、あんたたちもその口になるよね」
「そうですね。全く無名でしたから」
「だから、あの人ほんとに多作だったよ。生涯に書いた作品は1500曲くらいあるかもね」と丸井さんは言っていた。
 
うん、普通はそういう曲数で「多作」と言うよなと私は思った。あのモーツァルトでさえ最後の作品『レクイエム』のケッヘル番号が626、モーツァルトの倍近く生きたので作品数の多いバッハのBWVも1120までである。
 
やはり上島先生の作曲数って非常識だ!
 

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翌週の日曜日に鍋島康平先生の、レコード協会葬が行われた。私と政子は改めて喪服を着て、津田社長とともに葬儀に出席したが、慌ただしかった通夜の時と違い、葬儀はみんな少し余裕があったせいか、私と政子がいる所をテレビ局に見つかり、一言求められた。私が代表して答える。
 
「生前は一度しかお目にかかれませんでしたが、物凄くエネルギーの強い方だと思いました。思えば、私とマリがお目に掛かった時はもう体調を落としておられた時期ではないかと思いますが、そんなことを感じさせない方で、まるでまだ『男の子』と言った方がいいくらい、茶目っ気もユーモアもある、素敵な方でした」
 
と私はカメラの方を見て答えた。
 
「ローズ+リリーさんの『明るい水』が鍋島先生の最後のヒット曲になりましたね」
 
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「はい、それを先日のお通夜の時も別の歌手の方と話していたんです。あれはふたつのレコード会社にまたがってしまったので正式には認定されていませんが実質ゴールドディスクですよね」
 
「『明るい水』もホントに楽しい曲だよね、今ここで歌いたいくらい」
 
と唐突に政子が言い出す。
 
「それは、ぜひ歌ってあげてください!」
とテレビ局のレポーターが扇動する。向こうも内心マリの言葉に驚いたろうが、そのあたりはマスコミの人である。ノリが良い。
 
「歌っていいの?」
と政子は私に訊いた。
「先生の旅立ちを送るのにふさわしいと思うよ」
と私が言うと、政子は唐突に歌い出す。おーいキーが違う!と思いながらも私もそのキーに合わせて、ワンコーラス一緒に歌った。
 
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私たちの生歌はしっかり全部、このテレビ局系列で全国に流れたようであった。
 
ローズ+リリーの半年ぶりの生歌だったので、反響が凄かった。もっとも速攻で転載されたyoutubeには「キーが違うよね」というコメントがたくさん付いていたが。
 
「マリちゃんが先に歌い出してるからマリちゃんの勘違いだね」
「マリちゃんだから音感違いだね」
「ケイちゃんは性違いだね」
 
しかしこの時の私たちの即席パフォーマンスが鍋島先生のお弟子さんたちにとても好意的に捉えられて、それで翌年一周忌の時に、私たちに追悼番組の司会をさせようという話が来たらしかった。
 

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ところで10日ほど時を戻して、2009年5月15日の「内輪だけのライブ」を町添さんは録画させていた。そして何人かの人に見せたらしい。
 
後で聞いてみると、確実に見たのは、丸花社長・浦中部長・前田課長といった○○プロ関係、△△社の津田社長、∴∴ミュージックの畠山さんとKARIONの3人、ついでに青島リンナ、XANFUSのふたり、上島先生・雨宮先生・下川先生、といった所のようである。他にお願いしてアスカにも見せてもらった。
 
KARIONの小風たちやリンナ、XANFUSの光帆たちにしても「この映像見てマリちゃんが元気なので安心した」と言ってくれていたし、和泉は別の意味で刺激されたようで「私、絶対負けないからね」と言っていた。アスカは
「まあ、このくらいは歌ってもらわなきゃ冬のパートナーとしては認めてあげられないね」などと言っていたが、楽しそうな顔をしていた。
 
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5月下旬にお会いした時、雨宮先生が言っていた。
「あのライブのアンコール曲、『花園の君』を聴いた時にさ、上島の顔色が変わったよ」
「え?」
「もうメラメラとした瞳をしてたね。物凄く闘争心が刺激されたと思う」
「きゃー」
と言ってから私は聞き直す。
「でも、あの曲はデモ音源で上島先生、一度聴いておられますよね?」
 
「当時は聞き流してるからね。それにケイちゃんひとりで歌ったのを音だけで聴いたのと、マリちゃんとふたりで歌ったのを映像で見たのではインパクトが違う」
「はあ」
 
「ケイちゃんさ」
「はい」
 
「これからも機会ある度に、マリちゃんにステージの経験を積ませなよ。受験勉強中でも音源制作とか仕掛けなよ。あの子、きっとステージを経験する度に、心の中の時計の針がどんどん進んで行って復活の時が近くなるよ」
「そうですね」
 
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「あと良い作品ができたら私に見せて。色々指導してあげる」
「はい、それはお願いします」
「指導料は年間200万か私との愛人契約か」
「200万お支払いします」
 
「まあいいや。あとさ、ケイちゃんとマリちゃんってレスビアンなんでしょ?」
「そうですけど」
「たくさんHするといい。それでまた心の時計が進むよ」
「そうかも知れませんね」
 
「レスビアンのテクを伝授してあげようか?ふたりまとめてでもいいけど」
「却下です」
「ケイちゃんのケチ」
 

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ところで、私たちが昨年12月に活動停止する直前、上島先生は私の所にMIDIデータをメールしてきて
「何か面白い曲ができたから、使って」
と言ってきた。
 
それは『間欠泉』という、私とマリが交替でメロディーラインを歌う、ちょっと格好いい曲であった。私はそれを『あの街角で』とセットにして春頃に発売したいと思っていたのだが、例の騒動で吹き飛んでしまった。
 
それで私はこの楽曲の取り扱いに苦慮していたのだが、雨宮先生とそのライブのビデオの件を話していた翌週、また上島先生から連絡があり、
 
「新曲を書いたから、何かに使って」
と言ってMIDIデータがメールされてきた。
 
『砂漠の薔薇』という作品で、見た瞬間、これは私とマリが書いた『花園の君』
のアンサーソングだと直感した。物凄くリキの入った作品だった。
 
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私は直接上島先生に電話して尋ねた。
 
「また新しいのを頂いたのですが、前回の『間欠泉』はどうしましょうか?」
「今回のを含めて、君たちがリリースできる時になったら使って。いつになってもいいから」
 
「リリースするのがもしかしたら数年後になるかも知れませんが」
「うん。それでも構わない。他の歌手に横流ししたりはしないから」
「分かりました。済みません」
 
「マリちゃんに言ってあげて。『花園の君』は天才詩人の詩だと思ったって」
「ありがとうございます」
 
そのことを政子に言ったら
「まあ当然だね。私は天才だから」
と答えていた。政子もかなり調子が上がってきた感じであった。
 

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8月5日。私と政子は雨宮先生と一緒に千葉県某所の写真スタジオに行き、密かにヌード写真を撮り合った。その帰り道、雨宮先生は私たちを今度は録音スタジオに連れていき、未発表曲を14曲、歌だけ録音した。
 
その3日後、8月8日。私と政子は△△社の甲斐さんから「受験勉強の息抜きにどう?」と言われ、チケットをもらって、仁恵と礼美を誘い夏フェスを聞きに横須賀まで行った。興奮した私たちはその後、横浜市内に移動し夜間のプールで泳ぎ気持ちを鎮めた。私たちはプールでたっぷり泳いだ後、横浜駅近くのマクドナルドで軽食を取りながらおしゃべりをして解散した。
 
しかし私も政子もまだ何か不完全燃焼的な思いを持っていた。
 
横浜駅から東京に戻ろうとしていた時、コンコースでバッタリと丸花さんに遭遇した。
 
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「あれ、ケイちゃん、マリちゃん」
 
「おはようございます」
と私は微笑んで挨拶した。政子は丸花さんとは面識が無かったのだが、私の挨拶で政子も芸能界の人かというのに気付いたようで
 
「おはようございます」
と挨拶する。ちなみに時刻は22時すぎであった。
 
一緒に来ていた仁恵が察して「じゃ私たち先に行くね」と行って礼美を促し、切符売場の方に行く。私と政子は丸花さんとしばし立ち話をした。
 
「へー、サマー・ロック・フェスティバルに行って来たんだ? ローズ+リリーも出場したんだっけ?」
「いえ。私たちは引退した身だから。ただの見物客です」
 
「ローズ+リリーが引退したなんて思っているのは、世界中できっとマリちゃんのお父さんくらいだよ」
と丸花さんは言った。政子も笑っていた。
 
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「そうだ。君たち、少し時間取れる?」
「今からですか?」
「うん」
「何だか面白そうだから付いて行きます」
 
などと政子が言うので、私たちはそれぞれ家に連絡して、丸花さんに付いていくことにした。私は母に津田先生の元上司という言い方をした。それで母は安心したようであった。政子のお母さんは私が一緒だというので安心したようであったが、気を回しすぎで
 
「政子、コンちゃんは持ってる?」などと訊く。
「ああ、冬がちゃんと持ってるよ」などと政子。
 
私はちょっとちょっと、と言いたくなったが、話を複雑にすることもないので取り敢えず放置した。丸花さんが笑っていた。
 
丸花さんは私たちを連れて駐車場に行き、自分の車に乗せた。カムリである。丸花さんは「助手席に荷物たくさん置いちゃったから御免、リアシートに座って」と言って、私たちを後部座席に乗せた。
 
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「この車広ーい。2月に秋月さんに乗せてもらったのと同じくらいかな?」
「よく分かるね。あれと同じシリーズだよ」
「へー」
 

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丸花さんの車は横須賀方面に走る。こんな時間からあちらで何があるのだろうと思ったら、やがて今日サマフェスが行われた会場に着いてしまった。
 
「ささ、降りて、降りて」
と言って私たちを降ろす。
 
「ここで何かあるんですか?」
「まあ来てごらん」
と言って丸花さんは私たちを連れてメイン会場の方に行く。警備の人が立っていたが、丸花さんがIDカードを見せると、すんなり通してくれた。
 
「ここ広いですね」と私。
「ケイと昔、話したんですよ。まだ私たちがデビューする前ですけど」と政子。
「ふんふん」
「私たちが作った歌が売れて、何万人もの観衆を前に、ケイとふたりで歌を歌えたら気持ちいいだろうな、なんて」
 
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「それはそう遠くない時期に実現すると思うけどね」
と丸花さんは言った。
 
やがて丸花さんは私たちをステージの所まで連れていく。階段を登っていく。私たちもそれに続いた。
 
「見てごらん」
と丸花さんは言った。
 
空には居待ちの月が銀色の光を放っていた。
 
私たちはステージから広い会場を見た。素晴らしい景色だ。私はそこに何万人もの観衆がいる状態を想像した。興奮する!
 
「僕が初めてケイちゃんと会った時にさ、ケイちゃん野外会場のステージの上で、月の光の中で『ミラボー橋』を熱唱してたね」
「はい」
 
「へー。ケイってそんなことしてたんだ」
 
「あれはコンサートの前夜だった。今はコンサートが終わった後。明日朝からこのステージは解体される。その前に、君たち、ちょっとここで歌ってみない?」
 
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「あ、どうしようかな・・・」
などと政子が迷うように言うので、私はそっと政子にキスをした。
 
「えへへ。やはり私歌ってみようかな。実はまだ昼間のライブの興奮が抜けてなくて」
「うん、ボクもだよ。一緒に歌おう」と私。
 

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