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■夏の日の想い出・破水(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-05-10
私は2008年3月14日(金)から23日(日)に掛けて、KARIONの2ndシングルの音源制作をしていたが、その時、休憩時間にスタジオ近くの食堂で和泉とふたりで軽食を食べていた時に言われた。
「冬〜、こないだから何か変だよ。どうしたのさ?」
「やはり変?」と私。
「変だ。何か壁を感じる」と和泉。
「うーん、実はさ」
と言って、私は畠山さんから『いづみはスター、君はスタッフだからわきまえろ』
と言われて、ちょっと壁を感じているということを正直に打ち明けた。
和泉は笑っていた。
「それは冬に、やはりKARIONに入りますと言わせようと思って畠山さんが冬を焚き付けてるんだよ」
「だとは思ったんだけどね」
「私さ、実際デビューして以来、学校でクラスのみんながよそよそしくてさ」
「ああ」
「なんか普通に話せるのは若葉くらいだよ。冬までよそよそしくしないでよ」
「うん。じゃ、今まで通り友だちということでいい?」
「もちろん、私たち友だちじゃん」
「そうだよね」
「ソングライトペアでもあるしさ」
「内緒だけどね」
「そもそも私にしても小風や美空にしても、冬のことはこう思っているよ」
と言って、和泉は自分のダイアリーのページを開く。そこにはKARIONのごく初期のサインが書かれている。
「うん。ボクもそれは大事にしている」
と言って、私も自分のダイアリーのページを開く。同じサインがある。
KARIONのメジャーデビュー以降の公式サインは、KAを小風、RIを美空、ONを和泉が書く「三分割」方式である。ところが、デビュー前の一時期「四分割サイン」
を書いたことがある。私がKARIONに入らないと言ったものの、「蘭子も私たちの仲間」と言われて、そのサインを作った。
Kを小風、Aを蘭子(私)、Rを美空、Iを和泉が書き、その下にその4文字を包み込むかのように飾り罫線風にONを書いた(Oは私、Nは和泉が書く)もので、私たち4人のダイアリー及び、デビューシングル『幸せな鐘の調べ』の各々自分用に確保したものに書いた他は、デビュー前の試運転的なイベントや、音源制作中の録音スタジオで休憩中に声を掛けられて書いた分だけであり、一般に出たサイン色紙は恐らく全部で20枚も存在しないであろう。
これは私たち4人の個人的な友情の証でもある。
「それでさ、小風も美空も同意しているから、冬さえよければ畠山さんにお願いしようと思っているんだけど、今回のCDからは冬は演奏料をもらうんじゃなくて歌唱印税を私たちと4分割にしない?」
「・・・それやると、和泉たちの取り分が減ると思う」
「冬がもらう額も減るかも知れないけどね」
歌唱印税は1%なので、1000円のCDが3万枚売れた場合、印税はケース代を除いて27万円となり、3分割なら9万円だが4分割なら6.75万円になる。私は前回のCDの音源制作では「演奏料」として10万円もらっている。歌唱印税方式で10万円もらうには逆算するとだいたい約5万枚以上売れることが必要である。デビューシングルは最終的には4.8万枚売れたのだが、この話をした時点ではまだ3万枚を少し越えたくらいであった。
私は少し考えてから答えた。
「じゃ、ボクの返事はこれ」
と言って、例の四分割サインを再度見せる。
「おっけー。畠山さんに言っておく」
「ふふふ」
「でもさ」と和泉。
「うん」と私。
「冬も、KARIONでなくてもいいから、こっちの世界に来るつもりなんでしょ?」
「行くよ」
「早く来てよね」
「うん。今年中にはそちらに行きたい」
「待ってるからね」
「うん。必ず行く」
「約束」
と言って、私と和泉は指切りをした。
一方で私がそのプロデビューのための道筋と考えていた私と雨宮先生(というか当時はその身元を知らず「モーリーさん」と呼んでいた)との音源制作(『花園の君』『あなたがいない部屋』)のほうは4月の日曜日を使って続けられた。私は毎回高校の女子制服を着て録音が行われるスタジオに出かけて行った。
『花園の君』で私は、ピアノ、ヴァイオリン、胡弓、ギター、ベース、ドラムスを演奏し、雨宮先生ご自身がサックスを入れてくださっている。私がソロで歌唱している、とてもレアな音源である。
実際の収録は4月6日に最初ピアノを演奏し、その録音を聴きながらドラムスを打った。そしてそのピアノとドラムスのパートを再生したものを聴きながらベースを弾き、次にギターを弾いた。その後で、ドラムス・ギター・ベースの音を聴きながらピアノパートを録り直した。
翌週13日には今度はリズムセクションの音を聴きながらヴァイオリン、胡弓、更には電子キーボードを使ってトランペット、フルート、クラリネットの音を入れ、これに雨宮先生がサックスを加えてくださった。
ここまでの所をミクシングして聴いてみる。
「華やかな曲に仕上がったなあ。これに来週、ケイちゃんの歌を入れよう」
「はい」
「そういえばさ、こないだライブに連れて行ったAYAだけどね」
「あ、はい」
「あおいとあすかが辞めちゃったよ」
「あらら」
「デビューシングルを上島雷太がプロデュースしたんだけどね」
「ああ、百瀬みゆきとか鈴懸くれあとかをプロデュースしている人ですね」
「そそ。3人の実際の歌を聴いて、メロディーを歌うのは、ゆみちゃんのみ、あおいとあすかはコーラスという方針を打ち出したんだな」
「妥当だと思います」
「で、そのふたりはその扱いに不満を持ったみたいで」
「それはあの実力差を考えたら仕方無いと思いますけどね」
「こういう形でなら歌いたくないと言って、音源制作がほぼ終わっていた段階で辞めちゃった」
「それはまた迷惑なタイミングでの辞め方です」
「全く。で、一時はオーディションして代わりのメンバーを入れて再度音源制作をやり直そうかという話も出ていたんだけど、上島さんがゆみちゃんひとりでもいいと言って」
「そうでしょうね」
「いったん完成していた音源から、あおいとあすかの声を取り除いてリミックスして、予定通り今月末にリリースすることにした」
「わあ、その作業をしたミキサーさんに経緯を表します」
「まあ大変だったろうね。期間も無いし」
と言って雨宮先生も笑っておられた。
更に翌週の20日、私の歌を録音してミックスした。
私たちは仮ミックスの状態でその音源を聴いたのだが、雨宮先生が言う。
「おかしいなあ。凄くよく出来ているんだけど、何かが足りないような気がするんだよなあ・・・・。何を加えればいいんだろう。それが思いつかない。売れるような歌にするのに、何かが欲しいんだ」
「何でしょう?」
「ケイちゃんもちょっと考えてみて。私も連休中考えてみるから。連休明けに一度連絡するよ」
「はい」
4月23日にKARIONの2ndシングル『風の色』が発売された。前作『幸せな鐘の調べ』
はその時点で3.5万枚程度しか売れていなかったので、今度は5万枚を越えるようにと発売記念イベントもたくさん組んでいた。ゴールデンウィーク前半の26日から29日に掛けてマイナスワン音源を持たせて4日間で全国12箇所というハードスケジュールなキャンペーンをやった。和泉から「これきついよー。明日の高松ライブは冬、こちらに来て私の代わりに歌わない?」なんてメールが来ていたほどであった。
ちなみにその間私は26日には高校の女子制服を着て、模試を受けに行き、27日には「私に女装を慣れさせよう」という絵里花たちの企画に乗せられて女装で遊園地に行ったが、この日政子がレイプされかかった現場に居合わせ、政子を助けることになる。
花見さんにレイプされかかってショックを受けた政子は壊れた花見さんとの信頼関係の代替を求めるかのように私の愛を求めた。それで、その日私と政子は初めて熱い時間を過ごした。
そしてこの日、私は女声が使えることを政子に明かすことになる。男というもの全てに対する不信感を持ってしまった政子の前で私はできるだけ女の子でいてあげようと思い、その声を使った。
「ね、ね、冬、そんな声が出るんならさ、私と一度デュエットで歌ってみない?女の子同士のデュエット」
と政子は言った。
「ああ、それもいいね。今度やろうか」
と私はその時は軽い気持ちでそんなことを言った。
ゴールデンウィークの後半には、KARIONは東京近辺と大阪近辺で合計4回のミニライブを実施した。大阪方面(大阪と神戸)はバックミュージシャンは現地調達したのだが、東京方面(東京と千葉)では、相沢さん・黒木さん・私・穂津美さんに、音源制作の時にも来てくださっていたベースの木月さんにもまた参加してもらった。その他臨時で頼んだドラムス、グロッケンの人に加えて相沢さんのギター、黒木さんのサックス、私のヴァイオリン、穂津美さんのキーボードという構成で、この他にコーラス隊が3人加わった。
今回相沢さんの発案で、相沢さん・黒木さん・私と穂津美さんは演奏する楽曲『トライアングル』に合わせて、トリコロールの衣装を着て、顔もトリコロールにペイントした。コーラス隊の女子中学生3人もしっかり顔をトリコロールにペイントされて「いや〜ん」と悲鳴をあげていた。
サポートで入ってくれたベース・ドラムス・グロッケンの人には顔のペイントは「しなくていいですから」と言って、ドラムスとグロッケンの人はホッとした顔をしていたのだが、ベースの木月さんは「あ、面白いから俺にも塗って塗って」
と言って、トリコロール・ペイントをしていた。このトリコロール・ペイントをしたことで木月さんは相沢さんたちとの親近感が増し、その後KARIONのバックバンドに定着していくことになる。
音源制作ではKARIONの3人に私と穂津美が加わって五重唱をしたのだが、このライブでは、コーラス隊の女子中生の内2人が『トライアングル』演奏の時には前面に出て行って五重唱に加わる。
「冬〜、穂津美さ〜ん、人相が分からない。ふたりとも美女が台無し」
と和泉が言うが
「私たちは引き立て役だから。和泉の可愛さが目立てばよい」
と言って笑っておいた。
「蘭子ちゃん、作っていたというデモ音源はそろそろ出来た?」
と畠山さんから訊かれる。
「だいたい出来たんですけど、何か足りない感じがしてですね。連休明けに再調整することにしています」
「うん、出来たら聴かせてね」
「はい、もちろん」
ところが「モーリーさん」は連休が明けても連絡してこなかった。モーリーさんの連絡先を聞いておくべきだったなと私は思ったのだが、そんなことをしている内に、KARIONの3枚目のシングルの音源制作に入る。
「え?ゆきみすず先生が入院なさったんですか?」
「うん。子宮筋腫らしい。しばらくは稼働できないみたい」
「今回の音源制作はどういうふうに進めましょうか?」
「仕方無いから、僕が陣頭指揮を執るよ」
と畠山さんはおっしゃったのだが、畠山さんは元々マネージャーとしてこの業界に入って来た人なので、楽曲をプロデュースする作業はあまりうまくない感じであった。
結果的には制作中は、私と和泉が共同で主導する形になった。畠山さんも途中から「君たちに任せた」と言って、完全にこちらに丸投げの形になった。
私と和泉は共同で編曲をけっこういじった。一部作曲家の方に承認を取ってメロディーラインをいじった部分もある。
「何だか今まででいちばん良い出来のような気がする」
と畠山さんは言う。
「こういう感じにした方がKARIONの魅力が出るでしょ?」
と言って私と和泉は微笑んで畠山さんに言った。
タイトル曲は、ゆきみすず作詞・木ノ下大吉作曲の『夏の砂浜』、c/w曲は、葵照子作詞・醍醐春海作曲(∴∴ミュージックの別の女性歌手にしばしば楽曲を提供しているソングライトペア)の『積乱雲』であったが、3曲目に別の作詞家・作曲家の方に発注する予定であったのを、和泉が
「例の『クリスタル・チューンズ』を書いたふたりがまたこんな曲を書いたので入れていいですか?」
と言い、少女A作詞・少女B作曲の『Diamond Dust』という曲を持って来て、畠山さんも
「お、このペアはきれいな曲を書くね。うん。入れよう」
と言ってくれたのでそれを使用することになった。
この曲は本当に「少女A作詞・少女B作曲」などというふざけたクレジットでJASRACに登録してしまった!
雨宮先生から連絡があったのは、このKARIONの音源制作も終わった後の5月下旬であった。
「やっと足りないものが分かったよ」
と雨宮先生はおっしゃった。
「この曲には歌声が足りないんだ。ケイちゃんひとりの声では、この華やかな楽器演奏に負けてしまうんだよ。サブメロディーのパートを書いたから、これも歌って。二重唱にしよう」
「はい」
ということで、私は元々のメロディーの三度下を歌うもうひとつのラインを歌って、それを更にミクシングしてみた。
確かに前回聴いたのより、ぐっと雰囲気がよくなっている。
雨宮先生は「じゃこれミックスダウンして君に渡すね。私も取り敢えず知り合い何人かに聴かせてみるから」
とおっしゃっていた。
「はい、お願いします」
「じゃ、また後で連絡するね」
と言われたのだが、その後、連絡は全く無かった!
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