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■夏の日の想い出・高2の初夏(4)

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須藤さんが頭を抱えた。
 
「どうしたんですか?」と政子。
「逃げられた」
「え?」
 
「職場に連絡したらふたりとも一週間前に退職したらしい」
「知り合いとかは?」
「さっきやっと一人捕まえたらしいんだけど海外に行くようなこと言ってたって」
「そんな」
 
「どうするんですか?今日のコンサート」
「今事務所の田代君に代わりに出れそうな人がいないか当たってもらっているのだけど、時間的に厳しい。都内で誰か確保してもここまで2時間かかるし」
「開演まで1時間無いですもんね」
 
「せめて昨日分かっていたら何とかなっていたのだけど」
「もし誰も捕まらないと中止ですか?」
「それは契約上できないのよ。万一中止にしたら違約金も取られるし、うちをもう信用してもらえなくなるし。最悪の場合12時の公演を飛ばして15時だけでもしなきゃとさっき事務所と話した所なんだけどね」
「15時だけでもすれば何とかなります?」
 
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「違約金は払わないといけないけどね。社長に菓子折持って謝りに来てもらえば。それも最低15時のステージはやった上でのことだよ」
「何とかできる人が見つかるといいですね」
 
そんな話をしていた時、須藤さんがふと政子の顔を見て言った。
「あんた歌うまい?」
「え?私ですか。あまりうまくないですが」
「ちょっとこの譜面歌ってみて」
といきなり須藤さんは政子に楽譜(PA用にコピーしておいたもの)を渡す。政子はびっくりしたように
「私、おたまじゃくし読めません」
と首を振って言った。
 
「もしかして中田さんを代役にということですか?」
「あたしじゃ薹(とう)が立ちすぎてるからね。ね。政子ちゃん、ほんとに代役やってくれない?『リリーフラワーズでーす』と言ってステージに立って、歌なんて、この際、自分が歌える歌を適当に歌えばいいよ」
 
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「でもリリーフラワーズは2人ですよ」とボクは言った。
「いいよ。誰も知らないんだし」
「でもフラワーズとSが付いているし」
「うーん。あんたは歌えないの?」
と須藤さんは今度はこちらに譜面を付きだした。
 
「え?ボクもピアノか何かないと音程が怪しいです。絶対音感が無いので」
「シンセならそこにあるよ」
と須藤さんは壁に立て掛けてあるYAMAHAのキーボードを指す。
 
ボクは須藤さんの勢いに負けてそれを台の上に載せ電源を入れて譜面を見ながら最初の数音を弾いてみた。ああ。この曲は以前のリリーフラワーズのライブで聴いたことがある。ボクは一度聴いたことのある曲なら歌える自信があった。再度最初から弾きながらその演奏に合わせて歌ってみた。
 
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ワンコーラス歌った所で須藤さんがパチパチパチと拍手をした。さきほどまでの暗い顔ではない。明らかに活き活きとした普段の須藤さんに戻っていた。
 
「うまいじゃん!あんた初見に強いんだね!決まり。あんたボーカルやりな。今の感じだと、伴奏音源使うより、弾き語りしたほうがいいね。その方が自分の声域に合わせられるでしょ」
とボクに向かって言う。
「で、あんたはコーラスね。いっそエアギターでもする?」
と政子に言った。
 
「これで2人組のボーカルユニットだから問題なし。今日のリリーフラワーズは政子ちゃんと冬彦くんだね」
「そんなのいいんですか?」
「こんなことするのは7年ぶりくらいかな」
「前にもこんなことあったんだ。。。」
 
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「でも」と政子が困ったような顔で言う。
「男女のユニットで『リリーフラワーズ』は変だと思います。女の子のユニットって感じの名前だもん」
「うーん。この際、それはどうでもいいよ」
 
と須藤さんは言ったが、少し考えるようにして、次の瞬間、とんでもないことを言い出した。
「じゃ唐本くんが女の子になればいいのよ」
 
「え?」
とボクは一瞬何のことか理解できないまま声を挙げた。しかし
「あぁ、それならOKですね。唐本君、きっと美人になりますよ」
と政子が悪戯っぽい顔で言う。
「えー!?」
 
「じゃ私は唐本くんを女の子に変身させてくるから、中田さんはひとりで大変だろうけど、残りの機材の設置やっていて」
「分かりました」
「じゃ唐本くん行こうか」
「え?え?え?」
 
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こうしてボクは残り時間30分を切っている中で、須藤さんに連れられて婦人服売場に連れて行かれた。あはは。。。こんなところで女装するはめになるとは。まあ、いいけどね。女装で歌うのも初めてではないし。と覚悟を決めて、頭の中でリリーフラワーズの過去のステージを思い出し、彼女たちが歌っていた歌を頭の中でリピートしてみた。彼女たちの声はかなりの高音なので、裏声で歌うしかないかな・・・・と思ったものの、それでは政子がコーラスを入れられないことに思い至る。
 
政子の歌は、お世辞にもうまいとは言えない。自分の歌うメロディーラインとあまり音程差の無い状態で歌わせたい。彼女の声域はアルトだ。これはむしろボクも実声で歌ったほうがいいなと決断した。
 
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須藤さんはボクがそんなことを考えている間に、婦人服売場でボクの身体のサイズに合いそうな可愛い服を調達する。婦人服売場の係の人にメジャーで寸法を測られたりしたが、ボクの身体が細いのに驚いていた。須藤さんは最初男の子に女の子の服を着せるんだからLLサイズくらいの服になるかと思っていたようだが、実際にはボクの身体は女性用のSサイズでも少し余る。
 
取り敢えず須藤さんは服の上下と、下着一式、それにガードル、シリコンパッドなどを買った。服のボトムはかなり短いミニスカートだ。
 
「でも君って、肌が白いし、顔立ちが優しいから充分女の子で通るよ」
などと須藤さんは言う。そういう言われ方をすると、ボクも嬉しくて気分が良くなってきた。
 
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買った服を持ったまま多目的トイレに連れ込まれる。残り時間は20分だ。
 
須藤さんはボクに服を全部脱ぐように言った。今日は男物の下着を着けてきていた。足にシェービングフォームを付けて毛を剃られた。お腹の毛と脇の毛も剃られる。ははは。ちゃんと毛を処理していなかったのがこれ、結果的に良かったんだか悪かったんだか。毛が伸びていたことで、須藤さんはボクにもともと女装癖があったとは気付かないだろう。
 
「ひげは伸びてないね。じゃそちらは処理の必要無し、と」
 
時間が無いので、須藤さんもかなり焦ってボクに服を着せていく。パンティとブラを身につける。パンティを穿く時「ちょっと失礼します」と言って、そばにあるベビーベッドに座って、《いつものやり方》で盛り上がりができないようにし、ガードルも穿いた。ブラは面倒なのでこちらでさっと後ろのホックを留めたが、須藤さんは「あれ?私今、ブラのホック留めてあげたっけ?」などと頭を掻いている。ブラのカップの中にシリコンパッドを収めた。
 
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タンクトップを着て、ミニスカートを穿く。女の子の完成だ。
 
「可愛い!」
と言って須藤さんはご機嫌になった。
「もしオカマみたいな感じにしかならなかったらコミカル路線で行こうかとも思ったのだけど、これならキュート路線で行ける」
と言って、ボクの眉を切りそろえる。残り時間6分。
 
「さ、行こう」
と促して、屋上に戻った。屋上では政子が設営作業を終わらせていた。政子はボクを見ると「可愛い!ねぇ明日からずっとこれで来たら?」とウィンクして言ってから、渡された自分の分の衣装を持って着替えに行った。
 
政子が戻って来たのは12時ジャストだった。政子に小声で訊く。
「ボク、アルトで歌うから。その3度下を歌える?」
「あ、それならできるかも」
と言うので、とにかく今日は政子には全て3度下で歌ってもらうことにした。
「分からなくなったらボクと同じ音で歌って」
と言う。
 
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政子が頷いたのを見て、ボクは政子の手を取ると一緒にステージに上がった。
 
「こんにちは。リリーフラワーズです」
とボクがマイクに向かってアルトボイスで言うのを聞いて、PA卓の所にいる須藤さんが驚いたような顔をしている。
 
「では、最初の曲『七色テントウ虫』聴いてください」
というと、ボクは譜面を見ながら前奏を弾き出した。そしてボクはマイクに向かい
「あなたがある日私にくれた・・・・」
とその曲の歌詞をアルトボイスで歌い始めた。政子はボクの声を聴きながら、3度下のハーモニーで歌う。
 
1曲歌い終わったところで凄い拍手が来た。須藤さんが嬉しそうに首を振っている。
 
ボクは客席に向かってお辞儀をし、MCをする。
「今日はほんとにいいお天気ですね。私たちは昨日は甲府にいたんですが、夏なのに涼しくて、半袖で行ったのをちょっと後悔したんですよ」
などとトークを入れていった。
 
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これは実は話しながら次に歌う曲の譜面を先読みして確認したいからであった。とにかく譜面の最高音と最低音を確認し、自分と政子の声域を考えて何調で弾くかを決める。それからコード進行の中に難しい所がないかをチェックする。当然そんなことをしている間に政子も歌詞だけでも先読みしているはずである。
 
「それでは2曲目『夢に見たデート』聴いて下さい」
といって2曲目の前奏を始めた。
 
この日最初のステージでは、ボクはこうして各曲ごとに1〜2分のMCをはさみながら予定通り6曲を歌った。思わぬメロディーラインの動きがあった時はさすがに頭が付いていかないので適当に歌いやすいメロディーに変更しながら歌った。それでも最後の曲を歌うと大きな拍手が来た。ボクは政子と手をつないで一緒に客席におじぎをし、それから手を振ってステージを駆け下りると、控え室に戻った。
 
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須藤さんは控え室に入ってくると、感激してボクたちをハグした。
「あんたたち凄いね!即席ペアの即興演奏とは思えないよ」
「私たち仲良しですから」と政子。
「唐本君、あんな女の子みたいな声が出せるんだね」
「冬は、音楽の時間、バス・テノール・アルト・ソプラノ、全パートを歌ってたらしいです」
「おお、凄い才能だ」
 
「あ、服を着替えてマイクとかの撤去してきます」とボク。
「うん。お願い。あ、待って」
「はい」
「着換えないで。そのままでいよう」
「え?」
「マイクは私が撤去してくるから、ここで休んでいて」
「あ。はい。あ・・・・」
 
「どうしたの?」
「ちょっとトイレに行きたくて。でもこの格好ではいけないから」
「トイレくらい行っておいでよ」と須藤さん。
「いけばいいじゃん。ちゃんと女子トイレに入ってよね」と政子。
「あはは。やはり、女子トイレ?」
「その格好で男子トイレには入ってもらいたくないね」と須藤さん。
 
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そういう訳で、ボクはミニスカートのまま、女子トイレに行った。トイレの中で列に並んでいる時、さっきのステージを聴いた人がいて握手を求められ、「15時のステージには友だち呼んできますから」などと言われた。
 
1回目のステージはぶっつけ本番だったので、ほんとに泥縄な歌い方をしたのだが、ボクたちは2回目のステージまでの間に楽譜を検討し、ここはこういう歌い方をしようなどというのを話して、実際に歌ってみた。そこで15時からのステージではかなりちゃんとした歌い方をすることができたし、ふたりとも落ち着いて歌うことが出来た。そしてそのステージは12時からのステージ以上に盛り上がったのである。
 
この日はリリーフラワーズの代役だったので、リリーフラワーズの名前で押し通してしまったのだが、次回からはやはりまずいということで別の名前にしようということになった。
 
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「何がいいかなあ。できたらこないだリリーフラワーズと名乗っちゃったから、そこからあまり離れない名前がいいんだけど」と須藤さん。
 
ボクはその時6月に晃子さんと一緒に歌った時に『テキサスの黄色いバラ』
を歌って、黄色いドレスを着ている君はまさに「日本の黄色いバラだ」と言われたことをふと思い出した。
 
「ローズなんて加えてみます?」
「ああ、いいね。ローズ&リリーとか?」と須藤さん。
「加えるんなら『+』(プラス)がいい」と政子。
「じゃ、ローズ+リリーにしようか」と須藤さんが言って、ボクたちのユニット名は決まった。この時点では8月いっぱいの臨時ユニット名のつもりだったので、あまり深く考えなかった。
 
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ずっと後から気付いたのだが「ローズ&リリー」だと画数は14画になって凶だが、「ローズ+リリー」だと15画になって吉画になるのであった。
 
こうしてボクたちのローズ+リリーとしての活動は始まった。
 
そしてローズ+リリーとして、女の子の格好でステージに立っている人が男の子のかっこうでそのあたりをうろついていては困るなどと言われてボクの生活まで、全面的に女の子化していくのであった。
 
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