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■夏の日の想い出・音の伝説(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-03-30
それは1本の電話から始まった。
その日私は午前中の仕事がキャンセルになったので、溜まっている疲れを取るべく、ひたすら眠っていた。政子がお腹空いたようと言っていたが「ごめん。ほんとに疲れてるから寝せて」と言って寝ていた。結局、政子はファンの方から頂いたお菓子の箱を3つほど開けてそれを朝ご飯代わりにしていたようである。
取り敢えず満腹した政子が私のそばに潜り込んできて、寝ている私で勝手に遊んでいるような感触があった。
「お早う、冬。今日は忙しいよね?」
と電話して来たのは、高校の時の親友、詩津紅であった。彼女とは1年生の春から2年生の夏近くまで一緒に歌の練習をしていた仲である。
「14時から放送局に行かないといけないけど、午前中なら空いてるよ」
「わあ、ちょうど良かった。ね、ね、アンサンブルを組んでみたのよ。ちょっと聴いてくれないかなと思って」
「あ、いいよ。どこ?」
「新宿の○○スタジオって分かるかな?」
「あ、何度か行ったことあるよ」
「じゃ10時とか来れる?」
「うん、行く」
と言って電話を切ったものの身体が動かない。よくよく見ると私は裸にされて金属製のチェーンでしっかりと縛られていた。
「マーサ、ちょっとこのチェーン外してくれない?」
「浮気しに行くの?」
「高校の時の友だちだよ〜。詩津紅だよ」
「ああ、詩津紅か!」
政子は2年生の時、詩津紅と同じクラスであった。そしてちょっと面倒なことを頼んだこともある。
「じゃ、私も行っていい?」
「もちろん。一緒に行こう」
そういう訳で私は政子と一緒に新宿のスタジオに向かった。9時半にスタジオのロビーで落ち合う。
「おお、何だか面白いメンツだ」
スタジオに来ていたのは、高校の時の友人の詩津紅・風花・美野里、それに中学の時の友人の倫代である。風花・美野里・倫代は同じ音楽大学に行っている。
「いや、こないだ私がバッタリと町で風花と会ってね」
と詩津紅は説明する。
「話し込んでいる内に、ピアノ2台でのアンサンブルってやってみたいね、という話になって」
「へー」
「それで話している内に、どうせなら4台か5台くらいでやろうよと話が広がって」
「ふんふん」
「それで私が倫代を誘ったのよ」と風花。
「で、私は唐突に今日呼び出されたー」と美野里。
「それでね、弾く曲はね、冬たちが08年組コラボでやった『8人の天使』」
「え?まだ発売してないのに」
「FMで流れてたから、それ録音しておいて譜面を起こした。それで冬に聴いてもらえないかなと思って呼んだのよ」
「へー。でも言ってくれたら譜面あげたのに」
「うん。でも譜面起こすのも楽しいから。それでボーカル4パートと、ギター・ベースのパート、キーボードパートにアレンジした。それぞれ両手弾き」
「あれ?それだと6人必要なのでは?」
「そうなんだよね〜。だから大学の友人を後ふたり誘ってたんだけど、今日来れなくなったと言うのよ。折角ピアノ6台で部屋借りたのに」
と風花が言ったが
「あ、冬に1台弾いてもらえば?」と詩津紅が言う。
「あ、そうか。お願いしていいかな?」
「美野里みたいな上手い子がいる所で私なんかが弾いていいのかな」
「私より上手いのに何言ってる?」と風花。
「後ひとり誰かすぐ呼べるような子がいないかなあ」と詩津紅が言うが
美野里が
「あ、もう1台は政子さんが弾けばいい」と言う。
「あれ?政子ピアノ弾けたんだっけ?」と詩津紅が訊く。
「こないだから練習してる〜。取り敢えずトルコ行進曲と猫ふんじゃったは弾けるようになった」
「おお、じゃ政子に6台目のピアノは弾いてもらおう」
スタジオを借りる時間の5分前に受付で手続きをし、借りた部屋に案内される。ひとつの部屋にグランドピアノが6台並べられていた。
「壮観だね、これ」
「でも100台のピアノで猫踏んじゃったを演奏した、なんてCDが存在するからね」
「へー。体育館か何かにでも並べたのかな」
「あ、確かそんなことだったと思う」
「でも100台も並べたら音の時間差が無茶苦茶にならない?」
「なるだろうね。まあお遊びだからね、そういうのは」
政子には『8人の天使』で実際に政子が歌っていたパートを弾いてもらうことにする。いちばん上手い美野里が、いちばん面倒なギター&ベースのパートを弾くことになった。各自しばらく練習した後で、取り敢えず合わせてみる。
「おお。さすがみんな上手いね」
「政子も上手いじゃん。初見に近いのにちゃんと弾けてる」
「私は天才ですから」
「でも今の演奏は音のまとまりが悪かったね」
ということでみんなでスコアを検討し、少し和音の改訂をしたり、強弱の設定を少し細やかにしてみるとこにした。
何度か演奏しては譜面を修正してというのをやっていく内にけっこう良い雰囲気になってきた。
一応その状態で録音をした。
「じゃ、これmp3にまとめて配るね」
「よろしく〜」
「また時間が取れたら集まって、別の曲もやってみたいな」
などと言っていた時、私はふと思いついた。
「ね、ね、風花と倫代はフルート吹けたよね?」
「うん、趣味の範囲でだけど」
「詩津紅はクラリネット行けたよね?」
「うん、まあ」
「ああ、高3の夏に『けいおん』したね」
「ああ、冬の女子制服姿が可愛かった」
「じゃさ、今度うちでグランド・オーケストラやるんだけど、参加してくれない? 活動は土日や連休とかだから、学業には差し支えないと思うんだけど」
「グランド・オーケストラ? ポール・モーリアみたいな?」
「そそ」
「指揮は?」
「渡部賢一さんって知ってる?」
「ちょっと。本格派じゃん!」
「あの人、そういうのには最適かもね。ポップスとか演歌とかの伴奏もテレビの番組でたくさん経験してるもん」
「うん。劇伴と言うらしいけど、昔はドラマの音楽を進行に合わせながらリアルタイムで演奏する仕事をしてたらしい」
「へー」
「じゃ、頭数に入れておくから来てよ。お弁当くらいは出すよ。いやぶっちゃけた話、予定していたフルーティストとクラリネッティストが急に参加できなくなって困ってたのよ」
「ふーん。ちょっと面白いかも」と倫代。
「みなさん頑張ってね」と美野里。
「美野里も来てよ」
「私は木管楽器吹けないよ」
「ピアノを弾いて」
「えー? 私ギャラ高いよ」
「うん、出すよ。幾ら希望?」
「今例の喫茶店で40分のステージこのくらいもらってるんだよね」
「ふんふん。じゃ、練習や演奏会、音源製作などで1稼働日あたりこのくらいでどう?」
「受けた!」
「私たちはギャラ無いの?」と風花。
「えっと、じゃ他の人たちは1日このくらいということで」
「うん。まあいっか」
ということで、4人は引き受けてくれたので、直前に欠けた木管セクションの補充をどうするか悩んでいた問題が解決した上に、ピアノも専門家をゲットできたのであった。
お昼をみんなで一緒に食べようということになり、部屋を出て1階に降り出口の方へ行きかけていた所で、美野里が50歳くらいの女性とぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
と反射的に美野里が言うが、向こうは無言のまま会釈をする。その反応に私はあれ?と思った。
「あ、耳がご不自由なんですね」
と言ってしまってから、そんなこと言ったって聞こえないじゃんと思い直し、私はバッグの中からメモ帳とボールペンを取り出すと
「失礼しました。田中鈴厨子先生でいらっしゃいますか?」
と書いた。
私が書いた名前を見て、美野里と風花が『あっ』と小さく声を立てた。向こうはにこやかに頷く。
美野里が私のメモ帳を借りて
「ぶつかってごめんなさい」
と書き、田中さんは「いえいえ」という感じで、笑顔で首を振った。
そして田中さんは口をしっかり開け閉めしながら、少し特徴のある話し方で
「あなた、写真を見たことある。どなたでしたっけ?」
と声を出して尋ねた。
あ、口話法だと気付いた私はこちらも放送などの時に使う口をしっかり開け閉めする発音で
「失礼しました。こういう者です」
と言って、名刺を渡した。
「ああ!ケイさん。最近大活躍ですよね。たくさん素敵な曲を書いてるみたい」
「恐れ入ります」
田中先生からも名刺を頂いた。
「耳は噂通り全然聞こえてないみたいね」
と昼食の席で美野里が言う。
「あれ?でも最後の方、会話してたじゃん」と政子。
「あれは口話法といって、相手の唇の動きから何を話しているかを読み取る技術なんだよ」
「へー、そんなことできるんだ」
「話す方も、この口の形で声を出せばこの音になる筈、というのをしっかり覚えて発話している」
「それも凄いな。モニター無しで歌ってるみたいなものだよね」
「そうそう。まさにそれ。でも読話も発話も、マスターするのはかなり大変なはず。でも読話については、こちらができるだけ明確な口の開け閉めをすれば、それだけ読み取りやすい」
「でもその状態で、作曲とかしてるんでしょ?」
「そうなんだよね。ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってからたくさん名曲を書いてるけど、あの人も聴覚を失ってから歌手は引退してしまったものの、作曲はしているから凄いね」
「でも音が聞こえない場合、どんな曲を書いたかって自分で分かるものなの?」
「あ、それは冬がいつも言ってるのと同じじゃない?」
と政子は言う。
「冬は楽譜の例えばフルートの所にドの音符を記入したら、頭の中でフルートのドの音が鳴ると言ってるじゃん。それと似た感覚を持ってるんじゃないの?」
「うん。多分そうだと思う。特に田中先生の場合、長年音楽の世界で生きてきたから、音の流れみたいなものもたくさん経験していて、だから作曲ができるんだろうね」
私たちのプロダクション「UTP(宇都宮プロジェクト)」では4月からセミプロのミュージシャンや、音源製作を目指すアマチュアミュージシャンを対象にした通信教育の学校「UTPミュージシャン・アカデミー」を作ることになった。
音楽理論の講座、楽器の演奏を学ぶための講座、もう少し高度な演奏技術の講座、またDTM、ボイトレ、作曲・編曲などの講座を、テキストや演奏している所を収録したDVD(あるいは配信)などを通して行い、演奏を収録したデータを送ってもらって添削して返すなどといったものである。
セミプロから中級アマくらいの層をターゲットとして想定して開講したのだが、実際には、結構プロのミュージシャンの受講もあり、正直驚いた。プロとしてやっていても、実は理論があやふやな人、今やっている楽器以外の楽器を覚えたいが、そもそもミュージシャンの仕事は時間が不規則なので、普通の音楽学校に通うには時間の都合が取れないといった人たちが結構いたのである。
その講師陣の中で、ギターの初級および中級演奏コースの講師に、中村将春さんが就任すると知って、私はびっくりした。2年前までクリッパーズという人気バンドで naka の名前でベースを弾いていた人である。クリッパーズ解散後は、様々な勧誘を断り、友人を頼って新潟に行き、飲食店で働いていた。私たちは1年ほど前にキャンペーンで新潟を訪れた時に偶然遭遇したのである。
「どういうツテでnakaさんを?」と聞いたら、アカデミー学長の夢花は
「前の学校で何度か短期特別コースの講師をしてもらったことがあるんです」
と言う。
「へー。でもベースじゃなくてギターなんですか?」
「nakaさんは、元々ベーシストじゃなくてギタリストなんですよね。クリッパーズでは、リーダーのkaoruさんがギター弾いてたから、ベースに回ってたんですけど」
「そうだったんだ!」
実際問題として、nakaが講師をするという話に、受講希望者が多数応募してきて、おかげでアカデミーも幸先良いスタートを切ることになった。
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