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■夏の日の想い出・音の伝説(4)
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中村さんの勧誘は、上島先生自身がUTPに来訪して行った。生徒から送られて来た演奏データを受け取りに来た中村さんをキャッチする。中村さんは、今や伝説のバンドとなっていたワンティスから勧誘されて驚いていた。
「じゃ、作業内容としては基本的に音源製作だけなんですね?」
と中村さん。
「ええ。そうなんですよ。私にしても雨宮・三宅、下川・水上などにしても、みんなそれぞれ色々な歌手・ユニットのプロデュースとかしていて多忙で、とても集まってライブとかできる状況にはなくて。だから2枚のアルバム24曲の制作にもたぶん半年くらいかかると思うんですけど。拘束時間が不安定で期間が長くなるので、ギャラは回数や時間あたりではなく月**万で、取り敢えず12月までお願いできないかと思うのですが」
上島先生が敬語を使って話しているのは初めて見た。
「月**万ですか!そんなに頂けるんでしたら助かります。伝説のバンドを伝説から現実に引き戻す作業で、お役に立てたら嬉しいです」
中村さんはクリッパーズ解散直後は多数来た勧誘を全部断っていたらしいが、1年半にわたる音楽業界から離れた生活で、心の中で機が熟していたのだろう。先日私たちと会った時もまた何かやりたいと言っておられたし、ちょうどそのタイミングでの勧誘で、しかもギター通信講座の講師と掛け持ちで出来そうな仕事に、受諾する気になったのだと思う。
ワンティスのメンバーは本当に全員忙しくてなかなか時間の都合が付けられないのだが、高岡さんのパートを弾いてもらうギタリストのテストということで、一度全員集まってくれた。
中村さんの弾くギターフレーズを聴いて「おお、上手い上手い」と三宅さんも海原さんも言い、テストはあっさり合格ということのようであった。
「折角集まったから何か演奏しよう」
というので、夕香さんの未発表の詩に上島先生が曲を付けた新曲『トンボロ』
を演奏する。トンポロというのは、沖合の島と砂州で繋がっているものを言い潮が満ちると渡れなくなるので、恋人と心が繋がるような繋がらないような微妙な心情を歌ったものである。この歌のPVには小豆島のエンジェルロードという美しいトンボロが使われる予定になっていた。
下川先生が編曲した譜面に沿って演奏するのだが、例によってみんな勝手なことをするので全然まとまらない。色んな意見が出てアレンジは度々変更される。中村さんも遠慮せずに「ここはこんな感じでは?」などと意見を出していた。そのうち見学していた私まで
「ケイちゃん、黙って見てないでフルートでも吹こうか」
と言われて、下川先生が急遽書き足したフルートパートを吹くことになってしまった。
私がフルートを持って来ていなかったのでマンションで寝ていた政子に持ってきてもらったのだが、
「おお、マリちゃんも来たなら、マリちゃんにはヴァイオリン弾いてもらおう」
と言われてしまう。
「ごめんなさーい。ヴァイオリン持って来てない」
と言ったのだが
「あ、ヴァイオリンならあるよ」
と言って渡されたのはノコギリである。
「これどうするんですか?」
「よくさあ。ヴァイオリンを弾いててノコギリ引くみたいな音出す人いるじゃん。だから逆にノコギリを弾いてヴァイオリンの音を出そうというお遊びよ」
マリが一緒に渡された弓でノコギリを弾くとヴァイオリンの音とは違うのだがまるで笛でも吹いているような美しい音が出る。
「よしよし。それでやってみよう」
「ちょっと待って、そのノコギリの音域を確認させて」
と下川先生が慌てている。
「でも何でも楽器になるんですね」
と政子自身が感心していた。
「そうね。大抵のものは楽器にできるわよ。茶碗とお箸でも演奏できるし」
「そういえばケイのおちんちんを指ではじいて演奏してみたことあったな」
「へ?」
「おちんちん無くなっちゃったからもう演奏できないけど」
「マリちゃん、私のおちんちんで演奏してみる?」
「あれ?雨宮先生、おちんちん、まだあったんですか? 付いてないように見えたのに」
私たちと雨宮先生は実は先日伊豆大島で、雨宮先生の御友人宅の庭を借りてヌード撮影をしてきたところである。
「ああ、あなたたちには見せたこと無かったわね。触らせてあげようか?笛代わりにしてもいいわよ」
「笛?鳴るんですか?」
どうも政子は「尺八」という言葉を知らないようである。
「マリ、結局ベッドに誘い込まれるだけだからそのあたりでストップ」
そんな感じで色々変な方向に脱線しながらも5時間ほどがあっという間に過ぎたが、『トンボロ』の演奏部分はこの1日で完成した。この曲のクレジットには with Rose+Lily playing flute and nokogiri と書かれることになる。
「これにこないだみたいな感じで、雷ちゃんとモーリーの声で歌を入れればいいな」
「コーラスは結局どうするんですか?」
「こないだスタジオライブで共演してくれた百瀬みゆき君がやってもいいと言っているので、やらせようと思うのですが」
と上島先生が言うと
「ああ、彼女だったら美人だからOK」
と海原先生。
「顔で決めるんですか〜?」
と政子が呆れている。
「うん、顔は大事。売れ行きに大きく影響する」
などと雨宮先生はおっしゃる。
「いや、でも彼女はうまいよ。こじかちゃん(支香)とのハーモニーも良かったし」
と三宅先生がまともな意見を出す。
そういう訳でワンティスの音源製作は、元クリッパーズの中村さんのギターに、百瀬みゆきがコーラスに加わる形で進んでいくことになった。
なお、中村さんは今回の音源製作だけに参加するつもりでいたのだが、実際にはワンティスはこのメンツで活動がその後、20年以上続くことになり、数年後には「ワンティスの中村さんですね?」などと言われるようになっていく。
その年の秋『間島香野美・歌手デビュー30周年ライブ・音の伝説』が、東京渋谷の放送局系列のホールで開催された。このライブでは「サプライズあり!?」というのが予告された上で、その放送局のネットで全国に生中継で放送されることになっていた。
サプライズあり、というので巷では、やはりサンデーシスターズのメンバーが何人か来るのではとか、ひょっとしてスノーベルの相棒・田中鈴厨子が登場して挨拶するのではなどといったことがささやかれていた。
ところが幕が開くと、昔の「南の島ホリデイ」のセットが再現されており、当時の番組の楽団指揮者である渡部賢一さんが登場したので、サプライズの内容はそれであったか!ということで、多くの観客・視聴者が納得した。
渡部賢一はここ半年ほど活動を続けてきたローズ・クォーツ・グランド・オーケストラを連れてきていた。この日の伴奏はこのオーケストラが務める。無論ローズクォーツ、スターキッズのメンバーや、詩津紅たちも参加しているし、ピアニストは美野里である。私と政子は舞台袖でその様子を見ていた。
ライブでは、今回30周年記念で制作したアルバムに沿う形で、昔のヒット曲と新たに作った曲を取り混ぜて演奏していく。アルバムは翌週発売の予定になっていたが、3枚組で2枚が昔のヒット曲を集めたベストアルバム、1枚が新曲を集めたものと予告されていた。
そしてステージが中程まで進行した時、間島さんが
「今日のゲストを紹介します。私のかつてのパートナー、すずくりこちゃんこと、田中鈴厨子ちゃんです」
と言うと、観客席から「わー!」という歓声が上がる。
今日、間島さんは白いドレスを着て歌っていたのだが、田中さんは同じデザインの赤いドレスを着て登場した。
「では挨拶代わりにふたりで一緒に『猫のミャーオ』を歌います」
とスノーベルのヒット曲の名前を間島が言うと、観客席から「えー!?」という声が上がる。田中さんの登場は多くの人が予測あるいは期待していたことであったが、歌うというのは誰も考えていなかったことであったろう。
ギターを弾くタカが楽団席から出てきて、ふたりの間に後ろ向きに(指揮者の方を見て)やや田中さんの方を向いて立つ。そして田中さんと間島さんがタカを挟んで、横向きに向き合う形になった。渡部さんの指揮棒が振られ、サトのドラムスから伴奏が始まる。タカが分かりやすいようにピックを大きなモーションで上下させながら演奏するが、タカの演奏に合わせてギター自体が光るようになっている(1拍目青、2〜4拍目黄)。★★レコード技術部特製のギターである。それに合わせてふたりは歌い出した。
「可愛いミャーオ、悪戯なミャーオ」
とふたりのデュエットで歌が始まると、観客にざわめきが起きた。そして同時に全国のテレビの前でこの生中継を見ていた人たちが驚愕した。
歌が終わると物凄い拍手が湧き起こる。
司会進行役の放送局のアナウンサーがステージ下手袖から出てきて
「済みません、少しお話を聞かせてください」
と言う。
「今、田中さんが歌ったのにこの会場のお客さん、そして全国の視聴者が驚いたと思うのですが、田中さん聞こえるんですか?」
「私が代わってお答えします」と間島が言う。
「すずちゃんは全く耳は聞こえません。でもこうやって私と向き合って歌うと、私の唇の動きを見て、歌うタイミングが分かるんです。それでお客様には失礼なのですが、横を向いて向き合って歌わせて頂きました」
客席から大きな拍手が来る。
「でもタイミングは分かっても、音程はどうなのでしょうか?」
「元々、すずちゃんは物凄く音感が良かったんです。それで、★★レコードの技術部と、****大学の太田准教授の協力で開発した音感訓練システムで、喉の使い方と実際に出る音の関連をしっかり訓練した結果、ちゃんとした音程の音を出せるようになりました」
客席から「わあ」という感じの声が出る。
「世の中には目が全然見えなくても指の感覚だけで絵が描ける人もいます。元々すずちゃんは口話法と言って、口や喉の使い方だけで声を出す技術を身につけています。今回は半年ほどにわたって、その新開発のシステムを使って音程の訓練をして、このようにきちんとした音程で歌うことができるようになりました」
「凄い訓練をなさったんですね」
「はい。凄い努力をしました。また、すずちゃんは今ヘッドホンとヘッドマウントディスプレイを付けていますが、実はごく低い音だけは感じることができるので、自分が歌った音を低周波に変換してヘッドホンに伝えると同時に音程を視覚化してヘッドマウントディスプレイに表示しています。訓練した喉の使い方プラスその低周波の響きとディスプレイの音程表示も頼りにして、今の歌を歌いました。あとギターの方に分かりやすい感じで曲の進行を示してもらいましたので」
本当はここはベース演奏者を使った方が良かったのだが、マキには耳の聞こえない歌手に配慮して演奏するなどという器用さが無いのでギターのタカにその役目をさせたのである。
そして(客には明かせないが)実は田中さんがヘッドホンをしているもうひとつの理由は楽団の演奏や客席の手拍子などの音をカットするためである。聞こえない耳をカバーするため田中さんの聴神経は過敏なほどに高まっている。その耳に大きな音は辛いので、それをこのノイズキャンセル機能のあるヘッドホンでカットしているのである。
「ちなみに来週発売のアルバムにも過去の歌で5曲、新曲で3曲、ふたりで歌った歌を収録しています」
と間島さんは言う。
「それでは今のような感じでまだ何曲か歌えますか?」
「はい。次は『可愛いあなた』」
大きな拍手が来る。再びふたりはタカを挟んで横向きに向かい合い、スノーベルの最大のヒット曲を歌った。
そしてこの後、ふたりの歌を更に3曲歌ったところで、田中さんは下がり、間島さんだけの歌で後半の楽曲を歌っていった。
最後の曲まで歌い、いったん幕が下がるが、アンコールの拍手で出て行き、間島さんは、スノーベルが解散したあと、ソロ歌手として活動し始めた頃のヒット曲を歌った。
拍手があり、いったん間島さんが下がるものの再びアンコールの拍手に応えてステージ上に登場するが、田中さんと手をつないでふたりで出てきたので、一際大きな拍手が起きた。
再びタカが楽団席から出てきてふたりの間に立ち、ふたりは向き合う。そして渡部さんの指揮でスノーベルのデビュー曲『雪道にご用心』を歌い出す。
大きな拍手、そしてそれが手拍子に変わり、観客席もステージと一体になって歌唱は進んだ。
そして終曲。
ふたりが間に立って伴奏してくれたタカと握手する。指揮者の渡部さんも前の方に出てきてふたりと握手をした。間島や田中から楽曲を提供されている歌手が数人登場して花束を渡す。
タカが少し下がり、間島さんと田中さん、それに渡部さんが並ぶ形でお辞儀をして、幕が下りる。ちょうどこれが放送終了の時刻になった。
私と政子、そして彼女たちの旧友である同じサンデーシスターズ出身の美智子と河合さん(スイート・ヴァニラズのマネージャー)もステージ中央まで出て行き、間島・田中とハグし、渡部さんと握手した。
政子が「音楽って凄いね」と言い、私は微笑んで政子にキスをした。
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